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伊藤博文暗殺事件―闇に葬られた真犯人


この本を読み始める少し前、韓国と中国によって安重根記念館が建てられた。私の教科書的な知識では、安重根は伊藤博文の暗殺犯としてのみ記憶されている。ハルピン駅頭で拳銃を発射し、韓国にとって英雄となった人物という認識である。

今回の記念館建設は、最近とみに盛んな韓国と中国による対日プロパガンダの一つであろう。かつて日本が犯した過ちから、今に至るまで歴史問題でこじれていることは間違いない。が、それを外交カードとしていつまでも振りかざす隣国の対応はどうかと思う。日本を卑下したところで精々アジアの覇権を握るだけであり、かつての中華思想の復活などは望むべくもないのに。欧米の勢力による日中韓分断策にうかうかと載せられているだけのようにすら思える。実にもったいないことである。

とはいえ、そもそも私が日中韓の歴史観を語るには、知識も知恵も経験も不足しているのが事実である。ならば安重根とはどのような人物か、について知識を深めたいと思ったのが今回の読書である。彼は何を思い、何を願って暗殺犯の汚名を被ったのであろうか。

本書は安重根の遺した供述文や獄中で書き遺した遺書などを基に構成されている。当時のハルピンは、日露戦争の記憶も生々しい、日本、韓国、清国、ロシアの思惑が入り乱れた地。韓国併合を間近にした陰謀と暗躍が渦巻く闇の都市でもあった。しかし、本書はそのような状況にあっても、憶測や主観に頼らず、今に残る文献を基に実に克明に当時の状況を追っていく。それこそ分単位で。また、安重根の視点で書かれた文献に頼るだけではない。日本側の外交文書や現地新聞記事、さらにはロシア側の文献にも当るなど、本書の執筆に当たってはかなりの努力の跡が見える。

そして本書の最大の美点として、中立を貫いていることが挙げられる。得てしてこのような内容の本は著者の主観が入りがちである。どのように気を付けても言葉の端々に、著者の主張が見え隠れする。しかし、本書では見事にそれが拭い去られている。当時の日本、韓国、清国、そしてロシアの思惑。または伊藤博文から安重根、そしてハルピン駅頭で伊藤博文と会談する予定だったロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフ。これらの人物に対する視点は実に透明である。安重根については、亜細亜の友好を願い、伊藤博文が日韓の未来にとって有害と信じ暗殺に及んだ人物として公正に書いている。日本側の官憲をして立派な漢であると感嘆させたエピソードも含め、安重根を操り人形やテロリストといった見方ではなく一人の人物として紹介している。伊藤博文についても、圧制者ではなく、むしろ韓国の理解者として日韓友好に努めた人物として取り上げている。他の人物についても徹底的に客観的な視点と描写を貫いている。本書のこれらの姿勢には賛嘆を惜しまない。

だが、事件発生から刊行辞典でも90年以上の年月を経、著者の努力も一歩及ばなかった点は否めない。残念ながら本書では暗殺の首謀者特定まで至っていない。著者の調査は入念を極め、視点も着眼点も優れているだけに、歴史を取り上げることの難しさを痛感する。

だがそれは著者及び本書の価値を損なうものではなく、むしろ本書の特徴は先に挙げたような中立の視点で書かれた経緯にあるといってよい。

首謀者が特定できなかったといっても、本書の記述には興味の持てる点、新たな発見点が多数あることも記しておきたい。これは教科書レベルの知識しか持っていなかった私だけでなく、他の類書を既読の方にも有益な情報となることであろう。

事件当日に既に銃創の位置から別の犯人の存在が示唆されていること。これは既に有名な情報らしいが、私は知らなかった。また、近年、伊藤博文の死亡診断を行った医師による死亡診断書が発見され、その内容が本書で公開されている。さらに本書では、満州や極東ロシアに散らばる清人社会のネットワークや、伊藤博文の融和策に反対する日本の支配層の動きについても色々な情報が得られる。

だが、本書を読んで一番得た収穫としては、主犯とされる安重根、被害者である伊藤博文の両者の人物像ではないだろうか。本書では、両者を圧制者と非圧制者といった単純な構図に落とし込んでいない。安重根と伊藤博文については、プロパガンダの道具としての書き方をしていないのは上に書いた通り。いずれも今の日中韓の醜い争いとは一線を画したものである。安重根記念館は聞くところでは義挙の士としての安重根を強調したがっているようだが、実際はそんな単純なものではなさそうである。展示館を作るのであれば、そのような偏向した見方で両者の志を汚さぬようにして頂きたいと願うばかりである。

’14/04/09-’14/04/13


テンペスト 下 花風の巻


本書は日本と清国に翻弄された琉球の歴史が舞台だが、琉球の埋もれようとする歴史以外に著者が問うているのは、ジェンダーとしての性についてである。

女であるがゆえに科試を受けることのできない主人公が、宦官として科試に合格し、役人として生きていき、科試に挫折した主人公の兄は女形としての人生を選ぶ。主人公は後に役人でありながら、王に気に入られ後宮に入って王の子をなす別の人生も同時に生きる。

かなり荒唐無稽な設定と筋立てであるが、思い切った設定によって、かえって本書が性の平等をなくすことがどれだけ難しいかについて、問題提起しているように思える。性別による差別をなくすことと、性別を超越して活躍することは別であることを示している。

男女関係なく、能力がある人は登用すべきだし、活躍すべきだが、生物として限界があるのもまた事実。

本書で主人公の波乱万丈な女としての一生に、性というものの不思議さと、社会が被せる不条理な規制を考えてみるのもよいかもしれない。

’12/04/04-12/04/05


テンペスト 上 若夏の巻


本書については、賛否両論あると思う。

会話や地の文、登場人物の言動が戯画化されすぎているという短所についてはもっともかもしれない。主人公の行動についても、あれでばれないのはおかしい、とあまりに現実離れした内容への批判もあると思う。

私はそれらの短所も、本書で訴えたい内容をどうやって活字離れが著しい読者に対して届けるか、という著者の苦心の跡と前向きにとらえたい。

本書は薩摩藩に搾取されていた琉球の、朝貢先である日本の幕末から開国の歴史に翻弄される様が描かれている。そのころの琉球は、日本の情勢だけでなく、アヘン戦争をはじめとした列強からの侵略の渦に巻きこまれる清国の情勢をもにらんだ二重外交を駆使せねばならず、それにも関わらず、時流に抗することはできず、琉球処分を受けて、尚氏王朝とともに日本の支配下に入る。

多くの日本人が沖縄に持つ負い目とは、太平洋戦争時の沖縄戦と、その後の米軍統治、米軍駐留の今に至る歴史についてだろう。だが、それだけではないことを著者は本書で指摘したかったのではないだろうか。つまり、琉球処分で強引に琉球を日本の支配下においた経緯を、今の日本人に対してどうやって目を向けさせるか、を考えた結果、重い内容と釣り合いをとるために軽い言動や文章にしたのでは、と考える。

著者の作品は本書が初めてで、他の著書を読んでいないため、ひょっとしたら的外れな感想かもしれないが、読んでから半年以上経つ今も、琉球外交に苦心する主人公と、琉球王朝の陰湿な人間関係の様が印象に残っているため、あながち著者の狙いも的外れではなかったのかもしれない。

’12/04/01-12/04/03