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野球博物館の役割-断罪ではなく感動を伝える


先日、2/11に東京ドームの野球殿堂博物館に行ってきました。記憶が確かなら私にとって四回目の訪問です。四回目といっても、前回の訪問からはだいぶ間が開いてしまいました。前回の訪問がいつかはよく覚えていませんが、10年ぶりでしょうか。展示内容も大分忘れていました。今回久々に訪れてみて、野球殿堂博物館が狭く感じました。私の記憶ではもっと広かったような気がしたのですが。あれ?こんな狭かったっけ?と。

多分、それは甲子園歴史館に慣れたからでしょう。私が野球殿堂博物館から遠ざかっていた10年の間、甲子園歴史館には足繁く通いました。毎年、帰省の度に足を運んだと言っても過言ではありません。甲子園歴史館は広さもさることながら、その資料の豊かさで他の追随を許しません。

中等野球から始まる高校野球100年の歴史はざらではありません。幾多の名勝負が豊中球場、鳴尾球場、そして甲子園球場で繰り広げられました。甲子園歴史館には、それら歴史の生き証人であるボールやグラブ、旗やスコアブックが展示されています。映像資料もふんだんに用意され、動画で熱戦の様子が流されています。私などは、訪れる度に毎回資料を見ているだけで目頭が熱くなります。

甲子園歴史館に展示されている品々は、歴史に残る熱戦の目撃者でもあります。その日、甲子園のグラウンドで飛び交った白球の行方や、スタンドの熱気や応援団の歓声を無言で今に伝えてくれているのが、それらの展示品なのです。例えそれら品々の持ち主がどのような人生を歩もうとも、ボールやグラブが歴史的な一戦に一役かったことは事実です。それら展示品を無かったことは誰にもできません。
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ここ10日ばかり、清原さんの覚醒剤による逮捕の件が世を騒がせています。中には、ゴシップ記事に近いものも見受けられます。反響の大きさからも清原さんが野球界に残した足跡の大きさがうかがえます。このことについては先日ブログにも書きました。

今回の清原さん逮捕に関し、私にとって印象に残ったニュースが二つあります。
一つは甲子園歴史館からの清原さん関連資料の撤去。記事
もう一つは日本プロ野球名球会による除名するつもりはないとの柴田副理事長による談話。記事

実に対照的な措置です。日本プロ野球名球会が清原さんを除名しないし、するつもりもないと明言したことは大いに評価したいと思います。今回、私が野球殿堂博物館を訪れたのは二つ目的がありました。一つは戦没野球人を慰霊する鎮魂の碑が見たかったこと。もう一つは清原さんの業績が残されているかを確認したかったことです。後者の目的については果たせませんでした。そもそも清原さんの展示スペースは用意されていなかったようです。野球殿堂博物館のプロ野球の展示スペースが狭く、おそらく今回の騒動で展示品を入れ替えることもしていないのでしょう。つまり日本プロ野球名球会と野球殿堂博物館は、今回の件については現時点では静観の態度をとるという事を意味します。

一方、甲子園歴史館の判断には疑問が付きます。記事を読むと「教育上の配慮から」との取ってつけたようなコメントが出されています。しかし教育上の配慮というのはあまりにも解せない文句です。事大主義の極致ともいえる判断であり、利用者としては困惑するほかありません。

今回の一連の報道の中には、清原さんがプロ野球選手として現役で活躍している時から覚醒剤を使用していたという記事もあります。その真偽はまだわかりません。しかし仮に清原さんが現役の際に覚せい剤を使用したとして、穢されるのはプロ野球選手としての実績のはずです。その点、日本プロ野球名球会や野球殿堂博物館が何らかの措置をとるのならまだ分かります。しかし甲子園歴史館が展示しているのは、清原さんの高校時代の実績です。まさかPL学園の選手として成し遂げた数多の実績すら、覚せい剤の影響下にあったと疑っているのでしょうか? まさか。たとえその後の人生で転落したからといって、高校時代の実績は実績として認めるべきでしょう。あの時スタンドで味わった感動や興奮が、何十年か後の過ちで全て否定されてしまうのでしょうか。それは一高校野球ファンとして到底納得のいくものではありません。

人によって振幅の差こそありますが、深みも高みも栄光も挫折もあってこその人生ではありませんか。一度の過ちで過去の実績を否定することは、人間の一生をあまりに平板に単純にみる態度です。人の生をそのような平板な単純な営みとみなすことこそ、教育上の配慮が足りないと思えるのですが。

野球殿堂博物館と日本プロ野球名球会は、全くの別組織ですが、ともにプロ野球の歴史に敬意を払う点で同門ともいえます。名球会については発足時の経緯もあって批判的な意見も良く耳にします。が、私は名球会の会員の方々が成し遂げた実績は素直に凄いと思っています。対象外だった大正生まれの川上氏や別所氏、若林氏、野口氏、杉下氏、中尾氏、藤本氏の実績と併せて一つの基準として尊重すべきと思います。もちろんそれは清原さんの実績にも当てはまります。名球会の会員には同じく覚醒剤で服役した江夏豊氏の名前もあります。服役して一旦自主退会したものの、見事に更生した江夏氏を名球会は受け入れています。実に懐の深い対応ではありませんか。

ブログにも書いた通り、甲子園歴史館は高校野球の歴史に加え、阪神タイガースの歴史も展示されています。私が昨秋に訪れた際は、江夏豊氏はちゃんと阪神タイガースの名投手の一人として取り上げられていました。江夏氏は容疑者ではなく、実刑判決を受けて服役したにも関わらず。一方、清原さんはまだ判決前の容疑者の状態です。それなのに覚醒剤に縁のないはずの高校時代の実績すら否定されようとしています。これはあまりに不公平です。

甲子園歴史館と野球殿堂博物館(日本プロ野球名球会)。両者のこの対応の違いはなにかを考えてみました。それはプロとアマチュアの意識の違いなのかもしれません。甲子園歴史館はアマチュアイズムを標榜するあまり、今回の事件に過剰反応してしまったのではないでしょうか。

でも、私はそうじゃないと思うのですよね。プロやアマチュア以前に、野球をテーマにした博物館が持つべき視点は別にあると思うのです。それは「野球とはこんなに人を感動させるスポーツなんですよ」というシンプルなものです。過去に幾多の名勝負がグラウンドで繰り広げられ、過去に先人たちが作り上げてきた歴史の積み重ねの上に今の野球がある。このことを展示し、野球の素晴らしさを伝えることが、この両施設に課せられた使命ではないでしょうか。野球の素晴らしさとは、グラウンド上で選手たちが魅せるプレイに限定されるはずです。何十年も後の一選手の私生活の過ちが、野球の魅力を損なうとはとても思えません。甲子園歴史館の関係者の方がもしこの拙いブログを読まれることがあれば、是非とも清原さんに関する展示品の復活をお願いします!

蛇足ですが、今回の訪問で思ったことを最後に書きます。それは野球殿堂博物館のことです。そろそろ野球殿堂博物館は施設を拡充すべきです。野球殿堂博物館の展示は、プロ野球に留まらず、日本代表のスペースや女子プロ野球や高校大学社会人まで含めています。それは、日本の野球を巡る状況を網羅的に展示する意味で、実に素晴らしいことだと思います。でも、限られたスペースですべてを紹介しようとするあまり、一つ一つの紹介が中途半端になっているように思えてなりません。それこそ、東京ドームなのですから、栄光の巨人軍の歴史を大々的に展示するスペースがあってもよいはずです。少なくとも甲子園歴史館の阪神タイガースの展示スペース並の広さは欲しいところです。過去に後楽園球場を本拠地にしていた日本ハムファイターズの展示もありですよね。私は阪神ファンですが、巨人の歴史が今のプロ野球を作り上げたことを否定するつもりはありません。

それでは野球殿堂博物館を拡充するにはどうしたらよいでしょう。左隣のグッズショップは残しても良いと思います。が、反対側の飲食店は移動してもらい、その空きスペースを使って野球殿堂博物館の展示スペースを広げるべきでしょう。東京ドームが出来て間もなく28年を迎えようとしています。東京ドーム開業30周年あたりの目玉として、野球殿堂博物館の大幅拡充があっても良いのではないでしょうか。

広がった博物館には、日本の野球の歴史を全て網羅し、幾多の名選手の品々が展示されるとよいですね。江夏氏と清原さんの展示ももちろん。もっともお二方の殿堂入りまでは望みません。しかし野球の歴史において一時代を築いたお二人の実績は顕彰されるべきです。二人ともそれだけの実績と積み重ね、数多くの感動を我々に与えてきたのですから。


甦れ、甲子園のヒーローよ!


清原さんが覚醒剤所持の疑いで逮捕されましたね。

正直、あまり驚きませんでした。ブログや報道からも孤独感漂っていましたし。かつての甲子園での活躍を知る私としては、ただただ寂しいです。

私は人生で一度だけ、日射病になりかけたことがあります。それは、甲子園球場のレフトスタンドでした。グラウンドでは、PL学園の打棒が爆発し、東海大山形のナインを打ちのめしていました。29-7というワンサイドゲーム。あまりの点差に余裕が出たのか、清原さんもマウンドで投球を披露した熱暑の中の試合です。

子供の頃甲子園に住んでいた私にとって、球場は馴染みの場でした。夏休みは暇さえあれば観戦に行ったものです。外野は無料だったし。

小学生の私にとって、グラウンドで躍動する高校球児達は、憧れを通り越して、畏敬する存在でした。実際の歳の差よりずっとずっと大人に見えたものです。
今回の逮捕で改めて知ったのは、清原さんが、私のたった6才しか上でないということ。当時の感覚では20歳くらい上の印象だったのに。

数年前、娘たちが通う小学校に桑田氏が講演に来てくださいました。桑田氏といえば、PL学園でKKコンビとして清原さんと並び称された方です。私ももちろん講演を拝聴しました。子供の頃の憧れの対象を目の前にして興奮しないわけがありません。とはいえ、私は桑田氏については永らく誤った印象を持っていました。憎き巨人に入ったことだけでも敵だったのに、面白おかしく歪められた報道が加われば、キライにならないはずがありません。しかし、子供たちやかつての子供たちである我々に語りかける桑田氏の素顔は、実に丁寧でした。私は一気に氏のファンとなりました。子供の頃に感じた、20歳年上との感覚は揺らぎませんでした。桑田氏は、「氏」のままです。

しかし、今回の逮捕によって、清原さんは、「さん」付けになってしまいました。たった6歳しか違わない清原さんに。

挫折は人を強くするといいます。今回のニュースで一番残念に思うのは、清原さんが巨人に入団できなかったという挫折から這い上がった姿を見せてくれなかったことです。意中の巨人に入団出来ず、翌年の日本シリーズでライオンズの一員として巨人を倒す直前、感極まって一塁ベース上で泣いた姿はよく知られています。その姿は美しかった。

一方、順風満帆に巨人に入団した桑田氏は、偏向報道に泣かされ、肘の重傷に苦しめられました。復活のマウンドで膝まずいてプレートに手をおいた所作には感動させられました。その姿は我々に真の挫折から立ち直った人の美しさを教えてくれました。

数年前の講演でも、挫折から立ち直る美しさ、夢を求め続ける姿勢を子供たちや親たちに語り伝えて下さいました。娘たちにとっても私にとっても得難い経験だったと思います。

挫折は人を強くします。思うに清原さんにとって、ドラフトで巨人に選ばれなかったことは挫折ではなかったのではないか。今回の逮捕こそが人生で初めて味わう挫折だったのではないかと思います。日本シリーズで巨人に勝ち、西武黄金時代を作り上げました。満足な成績を挙げられなかったとしても、意中の巨人で四番を勤めました。無冠の帝王と呼ばれながらも、2000本安打も500本塁打も成し遂げました。挫折どころか、まぶしいばかりの野球人生でしょう。

面識もなく、かつては20歳以上も年下だった私ごときが清原さんの心中を推し量ることは、おそらくはおこがましいことなのでしょう。しかし、今回の件が清原さんにとって初めて味わう挫折に違いない。そう思います。

そしてその姿は、かつて同じプロ野球人として覚醒剤に手を出し、服役した江夏豊氏を思い出させます。江夏氏も、孤独感に負けてつい出来心でヤクに手を出してしまったと聞きます。が、プロ野球界の仲間たち多数に支えられ、立派に更正されたとか。今春の阪神のキャンプでも臨時コーチを任じられたとの嬉しいニュースはまだ耳に心地よく残っています。

清原さんにも、江夏氏と同じように立ち直って頂きたい。そう切に願っています。そして、清原さんのプレーする姿に見とれた少年の私が畏敬の念を思い出させるように、清原さんではなく清原氏と呼べる存在になって戻ってきて欲しい。心からそう思います。

いつの日か、臨時コーチ扱いではなく、タイガースの一軍コーチや監督として、江夏氏と清原氏が甲子園に並び立つ日がくる。そんな楽しい想像したっていいじゃないですか。それが現実の光景となれば、これほど嬉しいことはありません。植草アナの名台詞を引くまでもなく、二人とも甲子園の申し子といっても良い存在なのですから。

そんなことを想いつつ、書いてみました。
甦れ、我が甲子園のヒーローよ!