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焼跡の二十面相


このところ、著者の描く作品の評価が上がっている。
その著者の齢が90に届きかけているというのに。
生涯作家であり続けるとの覚悟さえ感じられる著者の気迫は素晴らしいとしか言いようがない。

私は著者の作品をかつて何冊か読んだことがある。赤川次郎氏の三毛猫ホームズシリーズにはまっていたころに発表されていた迷犬ルパンシリーズを。私が中学生の頃だ。
中学生の目からみても、三毛猫ホームズの亜流に思えてしまった。その印象が強かったためか、私は著者に対してあまり良い評価を与えていなかった。

その後も著者の作品とはほぼ無縁のままに過ごしてきた。
もともと著者は多くのアニメ作品の脚本家をしていたらしく、とても筆が速かったという。
私の中学生の頃でも著者が著した書籍は膨大にあり、何を読むか絞り切れなかったことも著者の作品に親しめなかった理由だと思う。

だが、多作の著者であっても、年齢を重ねても読者の期待に応えられる水準の作品を著し続けられるのだからすごい。熟練の技に深まりが増し、それが最近の評価につながっているのではないだろうか。
また、最近の著者の作品が高評価を受けている理由として、戦中から戦後にかけての時代を題材にしたものが多いからではないだろうか。
現役の作家の中で戦中から戦後にかけての時代をリアルに描ける書き手として、著者の重みが増しているようにも思う。
つまり、かつての時代を体験した書き手が引退や死によって減る中、記憶と筆力を維持し続けている著者が、その時代を題材にリアルな描写を行うことで評価が上がっているのかもしれない。

本書もまた、戦後すぐの時期を舞台にしている。ポツダム宣言受諾からマッカーサー将軍が厚木に降り立つまでのわずか一カ月ほどの期間だ。
まだ終戦の詔勅がラジオで流れてから日もたっておらず、戦後の混乱すらも始まっていない時代。もちろん、空襲の焼け跡などそのあたりに見慣れた光景として転がっている。
その頃の移動手段といえば、歩くほかにはせいぜいが自転車だろうか。車はまだあまり走っていない。ましてや電車や市電は多くが空襲によって破壊されたままの状態。

著者はそのような時代の中で怪人二十面相や小林少年を活躍させる。
その二人はわが国の推理小説史上、最も有名な犯罪者と探偵の助手といってもよいだろう。ともに江戸川乱歩が創作した著名なキャラクターである。
本書の冒頭では名探偵の明智小五郎は応召され、戦時中からドイツで暗号の研究を行っている設定だ。つまり、まだ復員していない明智小五郎は本書には登場しない。

宿敵である明智小五郎の留守をいいことに怪人二十面相が暗躍する。小林少年や中村警部を相手に芸術的な犯罪で翻弄する。
本書に登場する怪人二十面相の手掛ける犯罪の手口は、私が小学生の頃に夢中になった江戸川乱歩の少年探偵団シリーズそのものだ。江戸川乱歩節ともいうべき特有の語り口をまねて語られるのだからたまらない。

怪人二十面相の手口。
今の言葉でいうと大掛かりなミスディレクションを仕掛け、目をそらすのが彼の手妻だ。それが実際に人々を驚かし、効果を上げられたのは戦前の世界ならではなのだろう。
そもそも、人通りのない屋敷街など現代ではなかなか見られず、舞台設定としては考えにくい。
その視点から考えると、戦前の暮らしは今の尺度では理解できないところもある。おそらく古い作品はそうした部分から古びて行くのだろう。少年探偵団の世界観とて、現代の私たちにとっては例外ではない。

先ごろの戦争の記憶も鮮やかな時代の生々しい雰囲気を、当時の時代を知る著者によって描写される意義はとても大きいと思う。当時の世相を知らずして書けないであろう細かく生き生きとした描写がいい。江戸川乱歩が生み出した怪人二十面相がよみがえって動くように感じあれる。もちろん、小林少年もだ。
著者は現代を生き、私たちと同じ感性を持っている。著者の今に合った感性と江戸川乱歩の世界が混じり合っている本書からは、懐かしい世界観だけにとどまらず、大人の読者の舌を満足させる力が感じられる。
今から考えると、かつて夢中になって読んだ少年探偵団シリーズも、物語の設定や進行やトリックは何か大仰な印象を受ける。
だが、それこそが私たち子どもをワクワクさせた江戸川乱歩の少年探偵団の世界なのだ。
著者は今の感性を持ちながら、あえて江戸川乱歩が著した独特のトリックを文体も似せて表現している。
同時に、本書には鉄っちゃんにとっては垂涎の仕掛けや収集物を登場させ、江戸川乱歩の世界観とは違った面白みも出している。

江戸川乱歩が描いたような明智小五郎と怪人二十面相の対決といった善悪の二元論では現代は通用しない。
そのため、著者は幾重にも登場人物や組織を交わらせ、何層にも物語の輪郭を描いている。
例えば軍事物資の闇流しに手を染めるもの。先遣隊として日本に入った進駐軍。戦後の混乱は想像以上に利害関係が複雑だった。
そのような複雑な関係と対立を描くことで、現代の目の肥えた読者にも耐えうる小説となっている。

令和の小説は江戸川乱歩が活躍した当時に比べて物語性やプロットの構築技術は向上していると思う。
だが、こうした子供の好奇心を満たす小説はどんどん複雑になり、今の大人の読者にとってはかえって子供の頃の郷愁を満たせる小説が見当たらなくなっているようにも思える。
本書はまさに郷愁に対する需要も満たす良い作品だ。

2020/12/15-2020/12/15


幽鬼の塔 他一編


私が9歳の時に出会った江戸川乱歩。この出会いによって私の人生は決定づけられたといっていい。以来30年以上、傍らに書物のない時間が皆無と言っても過言ではない。私の書物愛好人生にもっとも影響を与えた作家である。

この時に西宮市立図書館で出会ったのは「妖怪博士」である。ポプラ社の江戸川乱歩少年探偵シリーズの1冊だった。ポプラ社の同シリーズは、46冊からなっており、大きく分けて2種類に分けられる。すなわち、怪人二十面相の出る作品と、そうでないものである。怪人二十面相が出るものは、子供向けに書かれた本がそのまま収められている。そうでないほうは、大人向けに書かれたものを子供向けに翻案したものである。「妖怪博士」は怪人二十面相が出る方の作品である。

「妖怪博士」によって江戸川乱歩の世界に招き入れられた私は、むさぼるように同シリーズの46冊を読破していく。怪人二十面相が出ない方の著書を読む機会はすぐに訪れた。当時、明石に住む祖父母宅の家によく遊びに行っていた私。帰りに明石ステーションデパートの本屋で本を買ってもらうのが楽しみだった。この時に買ってもらったのが、同シリーズの1冊「幽鬼の塔」である。私にとって初めて買ってもらった江戸川乱歩である。また、怪人二十面相が出てこない方の作品を初めて読んだのもこの時だったように思う。

初めて買ってもらった本という以上に、本作は思い入れのある作品である。柳行李を後生大事に運ぶ謎の男。男は好奇心から明智青年に行李の中身を盗まれ、見つからないと知った後は取り乱して浅草の五重塔に忍び込み、そこから首を吊る。その柳行李の中身を追って、次々と明智青年の前に表れる謎の男女。男女の意外な今と過去の暗い記憶が次々と暴かれてゆく。そして最後の対決から、さわやかな幕切れへと物語は急流のように進む。本書のスリリングな展開と後に涼風吹くような余韻は、少年の私の心に深く楔を打ち込んだ。以来30年以上、私の心は、この時の衝撃を超える読書の喜びを、ただひたすらに、飽くことなく求め続けているともいえる。

ポプラ社の同シリーズの1冊「幽鬼の塔」は子供向けに翻案されていたと先に書いた。本書は、その翻案前のオリジナルである。だが、私に記憶に残るポプラ社の粗筋と、本書の粗筋は、ほとんど変わるところがないように思える。長じてから読んだ他の著者の著作を、ポプラ社の同シリーズに収められていたものと比べてみると、子供向けに際どいエロ・グロ・猟奇趣味描写が注意深く除かれていることに気付く。しかし、本書はその内容や読後感にあまり違いがなかった。つまり、本書のオリジナルには、猟奇趣味と言われた著者の持ち味が比較的薄かったということかもしれない。そのため、ポプラ社の同シリーズの1冊に収めるにあたり、あまり翻案の必要がなかったと思われる。

いずれにせよ、大人向けの本書を読むのは初めてであり、少年の日に幾度も読み返した「幽鬼の塔」の興奮がまざまざと蘇ってきた。粗筋は先に書いた通りだが、読後感のさわやかさも同じである。もちろん、大人になった私が読むと、粗がないでもない。だが、書物とは、読む者の心に何を与えるか、である。本書が私に与えた影響から言って、これ以上私に何が述べられようか。

述べるとすれば、本書に収められているもう一編のほうである。恐怖王。これはポプラ社の同シリーズにも収められておらず、初めて読む一編である。こちらは著者の猟奇趣味が存分に出た一編。死体を盗み出しては死化粧を施し、花嫁と仕立てあげ、情死体として発見されるように仕向ける。見るからに怪しげなゴリラ男や謎の未亡人などが登場し、ことあるごとに空中に飛行機雲で恐怖王の文字を描き、死体に入れ墨で恐怖王と大書するなど、恐怖王の自己顕示を忘れない犯人。大風呂敷を拡げるだけ拡げた本編は、ポプラ社の同シリーズに収められなかったのも頷けるほど、猟奇趣味の横溢した内容である。しかも恐怖王恐怖王と事あるごとに自己顕示を怠らなかった犯人が、行方をくらましてしまう結末である。読者としては宙ぶらりんな読後感を拭えない。著者お得意の大風呂敷がきちんと畳まれずに終わった一編である。が、その猟奇趣味に溢れた内容は、著者の作風を味わうには格好の一編ともいえる。

’14/06/23-‘14/06/25


影男


本がないと生きていけない私の読書人生で転機になったのは、間違いなく江戸川乱歩の著作と出会ってからであり、小学三年生のあの頃、ポプラ社の二十面相やルパン、ホームズ物をむさぼるように読んだ日々がどれだけ幸せだったか。

ポプラ社の46巻シリーズ、前半は少年探偵団や明智探偵と怪人二十面相の対決を軸とした子供向けの性格が強いのだが、後半は大人向けの小説を子供向けに翻案したもので、小学三年生の私にも、後半のほうが起伏に富んでいて面白かった思い出が強い。

中でも本書は怪しげな世界観が、子供向けに翻案されている内容からも色濃く立ち上っており、子供心にもなにかぞくぞくするような感覚が去らなかったことを思い出す。

本書は無論、翻案なしの大人向けの内容そのものであり、在りし日に味わった幸福な読書体験を大人の目で楽しむことができる。

確かに今の仮想現実に慣れさせられた目からみるとパノラマ仕掛けにも、筋建てにも難を感じるところがあるのだが、それがかえって昭和初期のレトロな雰囲気を発し、本書の独特な魅力につながっているのではないかと思う。一度読んだだけでは本書の魅力を味わうには至らない。その証拠に、私が大人向けの本書を読むのは2,3度目である。

’12/03/26-12/03/27