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アクアビット航海記 vol.40〜航海記 その25


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/4/5にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は正社員として担うことになったさまざまな業務について語ってみます。これらの経験はどれも私の起業に役に立ちました。

正社員としての任務


さて、当時の私がぶち当たっていた壁。それは家の処分だけではありません。
仕事の上でも私にとって乗り越えるべき試練が次々に押しよせていました。
今回はそのことを書いていこうと思います。どれもが”起業”には欠かせない経験でした。

本連載の三十三回でも書いた通り、スカパーカスタマーセンターの運用サポートチームに引き上げられ、パソナソフトバンク社の正社員にも登用してもらった私。
正社員になってしばらくして後、私の現場での肩書は”集計チーム マネージャー”へと変わりました。

正社員になったことによって、私に求められる役割はさらに増えました。集計チームのマネージャーとして現場の集計業務を管理しながら、派遣元であるパソナソフトバンク社の業務にも貢献することが求められていきます。
立場が変わるとやるべきことも増える。そのあたりのいきさつは本連載の三十一回でも少しだけ触れています。

今回はその部分をもう少し突っ込んで書いてみたいと思います。

正社員になったことで私に課せられた新たな任務。それは大きく四つが挙げられます。
そのどれもが私にとって初めての経験でした。
今から思うと、これらの任務を経験したことは、後年の私が”起業”するにあたっての糧となりました
自分の仕事だけしていればよかった立場から、より広い視野へ現場の仕事だけが仕事ではないという気づき。この気づきを初めて得たのはこの時期だったように思います。

一つ目は、日々のオペレーター・スーパーバイザーさんの出退勤管理システムの保守。
二つ目は、お客様(スカパー社)への月次の請求書発行。
三つ目は、カスタマーセンターの外に出て、作業や商談で別のお客様を訪問。
四つ目は、現場のプライバシーマーク取得や、センター移動の担当としての作業。

システム保守の経験


まず一つ目のシステム保守です。
私が「登録チーム」や「集計チーム」で作業するために集計ツールをマクロで作ったことは本連載でも書きました。
とはいえ、それらはあくまでも自分のためだけに使うものでした。バグを検知するのも自分ならば、それを修正するのも自分。「登録チーム」で作った集計ツールは、同僚のスーパーバイザーからの要望やバグの指摘に対応すればよいだけでした。集計チームでも集計結果のずれなどを指摘されれば直しますし、自分で速度を上げるために改善を行っていました。ですが、使うのはあくまでも集計チームの中だけ。

ところが、私が保守の担当に任じられた出退勤管理システムの使用者の数はそれまでと二桁は違います。全てのオペレーターさんとスーパーバイザーさんを合わせると何百人が使うシステム。
皆さんは朝夕に打刻し、その打刻データは集計してスカパー社への月次の請求に使います。パソナソフトバンク社の事務スタッフだったMさんやSさんも使います。もはや、今までのように私だけが使うシステムではなくなりました。バグなどで動かなくなると端末の前にみなさんが並ぶのです。その列は、自分の管理するシステムが業務に影響を与える現実を私に教えてくれました。

その出退勤管理システムはこのような仕組みでした。
まず、それぞれのスタッフが持つ入館証代わりのカードに印刷されたバーコードを、館内の入り口に設置した端末のバーコードリーダーで読み取ります。Microsoft Accessで作られたそのシステムは、読み取られたバーコードを元に対象者と打刻時刻を内部テーブルに保存します。そのデータをパソナソフトバンク社のMさんやSさんがやってきてフロッピーディスクに保存し、別フロアのパソコンにインストールしてある分析用のアクセスに取り込みます。そのデータが月次の請求や支払のデータに加工されます。

私はこの出退勤管理システムの開発には一切携わっていません。私がカスタマーセンターに入る前からこのシステムは動いていました。このシステムの開発者にも会ったことがなく、仕様書もマニュアルもありません。すべては手探りの中、出退勤管理システムの保守を行っていました。

例えば、当時のMicrosoft Access(確か97でした)は、定期的に最適化をしないとデータ容量が肥大する仕組みでした。この出退勤管理システムは自動的に最適化を行うように作られておらず、たまに止まりました。止まると打刻ができないので長蛇の列ができ、私の元にアラートを告げる使者がやってきました。
それだと困るので、後日、最適化作業は自動で行えるように実装しました。

私が出退勤管理システムに対してやるべき保守作業は他にもありました。たとえばアクセス自体のバージョンアップや、リースパソコンの切り替えなどです。
そのたびに、私はMicrosoft Accessの仕様や機能を調べた上で作業していました。

保守担当が担う責任。それは私にとってステップアップでした。人に使ってもらうシステムに携わることは、自分の仕事の結果が人に影響を与える。それを私に教えてくれました。
今でこそ、私はさまざまなシステムの保守を行っています。が、この時が私にとって初めてのシステム保守の経験でした。まさに技術者の原点となる経験だったと思います。
この出退勤管理システムはMicrosoft Accessの仕組みを学ぶ良い教材でした。また、保守業務のコツのようなものを学べたのもこのシステムからでした。
今さら、支障もないと思うので、システムの名前を書いてしまいます。この出退勤管理システムはMareと名付けられていました。ありがとうMare。なんの略かは忘れましたが。

請求業務で金銭の厳しさを


二つ目は、お客様への請求書を作る任務です。
パソナソフトバンク社からは、何百人ものオペレーターさん、数十人のスーパーバイザーさん、十数人のマネージャーさんがスカパーカスタマーセンターに派遣されていました。当然、毎月の労働に対する請求をスカパー社へ提出しなければなりません。私はこの請求書の作成担当に任命されました。
上に書いたMareで集計したオペレーターさん、スーパーバイザーさんの勤務時間を取りまとめ、さらに別報告で集計されたマネージャーさんの勤務時間を加えます。
これらを月末で締めた後、翌月の第何営業日までかは忘れましたが、スカパー社のご担当者に請求書として提出する。それが私に課せられたタスクでした。

この作業が大変でした。多くのスタッフさんの請求額ですから、金額も膨大な額に上りました。作りあげた請求書に記載される額面は、20代の私には遥かな高みでした。
さらに請求書は業務ごとの案分が組み込まれ、特殊な計算式がてんこ盛りでした。毎月のように請求書のレイアウトは変わり、Excelのマクロ(VBA)による省力への試みを拒みます。
関数の位置がずれ、結果に矛盾を生じさせるたびにご担当者さまのお叱りを受ける。そんな毎月でした。私は月末と月初はこの作業に懸かりきりになっていました。

当時の私にとって、この作業はことのほか難しい作業でした。でも私は、この任務によってExcel関数をより効率的につかうすべを身につけたように思います。
そして、請求とはシビアな営みであり、間違うととんでもないことになる緊張感を学びました。請求とは厳密さが求められ、たとえ一円でもゆるがせにできません。商売の基本となる素養をこの時期に培ったことは、私の”起業”にとって大きな糧となり、“起業”した今もなお私の中に生きつづけています。とても得がたい経験をさせてもらいました(もっとも私の値段設定や財務管理にはいまだに反省すべきことが多いのですが。)
あまりにもやりとりが密に行っていたせいか、スカパー社のご担当者の方と年賀状をやりとりするまでになったのは懐かしい思い出です。

商談に臨み、視野を広げる


三つ目は、外部への訪問です。
当時のパソナソフトバンク社にとって、スカパー社は大口のお客様だったはずです。ですが、スカパー社だけがお客様ではありません。
正社員に雇用された私には、他のお客様でも売上を立てることが求められました。その要請に従い、私はスカパー社以外のお客様を訪問するようになりました。例えば集計の仕組みを作るためお客先のもとに赴いたり、商談に同席するために外出したり。

パソナソフトバンク社では社員向け研修の一環として、名刺の交換などのビジネスマナー研修を行っていました。私もその研修でビジネスの初歩のノウハウを吸収しました。
ただ、研修では実際の商談までシミュレーションしてくれません。そして、商談はいつも本番です。商談への同席など、それまでの私の三十年足らずの人生で未経験でした。

パソナソフトバンクにいる間、私が単身で商談に臨むことはありませんでした。そもそも商談の進め方もわからず、何をどう準備すればよいのかも知らない当時の私が商談などできるわけがありません。まず私は、商談への同行から経験を積みました。商談の場に同席し、営業担当者の横でコクコクとうなづくだけのさえない若輩者。それが私でした。何もかもが不慣れで、全てが見習い。どの時間も勉強でした。

でも何度か商談に臨むうちに、言葉も挟むタイミングがおぼろげに理解できるようになりました。横に座っているだけなのも芸がないので、何かしようと口をはさむようになりました。
最初はうなづくだけだった私も、何度か商談に臨むうちに徐々に商談の空気感を体得していったように思います。
この時、商談の経験を踏めたことが”起業”した今では役に立っています。私を商談に臨む機会を与えてくれたパソナソフトバンク社には感謝です。正社員のお誘いを受諾してよかったことの一つだと思っています。

コンプライアンス意識の醸成


四つ目の任務では、コンプライアンスの意識を学びました。
今の私はコンプライアンスなどの横文字言葉を平気で口にします。でも当時の私はそんな言葉など知りませんでした。ましてや当時はY2K問題の記憶もまだ新しい頃。プライバシーを守る風潮もセキュリティを順守する意識もまだ世の中には根付いていませんでした。
そもそも当時はSNSなどごく一部の方のものでした。アンチウイルスやファイアウォールのソフトウエアをインストールし、怪しげなメールの添付ファイルは開かず、Windows Updateをきちんと実施していれば無問題だった古き良き時代です。

ところが、カスタマーセンターとは個人情報の宝庫です。ですから個人情報保護が至上の指針となるのは当然です。
上に書いたような普通の対策で済みません。きちんとした個人情報保護の対策をとっていますよ、と世の中に知らしめる必要がありました。
そこで、スカパーカスタマーセンターはお客様に安心していただくためにセキュリティ認証を取得することにしました。その認証とはプライバシーマーク。
ところがプライバシーマークを取得するのはそう簡単にはいきません。そのため、スカパーカスタマーセンターに参画していた各社ベンダーにも協力を仰ぎ、センターを挙げて取得へまい進する指令がくだりました。パソナソフトバンク社もベンダーの一社です。そしてパソナソフトバンク社の担当者として任命されたのが私でした。

言うまでもなく、当時の私にセキュリティに対する深い知見も現場をリードできる力量もありません。会議では席に座っているだけでした。やることといえばスカパー社の求める調査項目を入力し、各チームに調査を依頼するぐらい。
ただ、この時にプライバシーマーク取得のための実務を経験できたことは、私にとってまたとない財産となりました。なぜなら個人情報を保護する作業がどれほど大変で労力を要することか、身をもって知ることができたからです。
プライバシーマーク取得に向けてやらねばならないタスクはクリアデスクや施錠の励行だけではありません。書類の管理者やごみの捨て方、ごみを廃棄する方法やごみ廃棄業者の管理監督まで事細かく決めねばなりません。それほどまでに大変な作業をへて、ようやくセキュリティやプライバシーが保てるのです。

私はプライバシーマーク取得の担当になったことで、セキュリティ遵守の意識が身につきました。これは大きかった。なぜなら後年、私が独立し、何カ所もの開発センターを渡り歩く上で求められるコンプライアンス意識が事前に身につけられたから。”起業”した今もそうです。
むしろ、通常の業務が多すぎるのに、いちいちセキュリティに意識を払っていては業務に支障を来たします。無意識のうちにコンプライアンスを実践できるぐらいでなければ。機密保持のための行動など呼吸をするかのように無意識にこなせなければとても”起業”など務まりません。そのための「無意識の意識」を私はプライバシーマークの担当者の任務から会得しました。

もう一つ、私がベンダーの担当者として参加したことがあります。それはカスタマーセンターの移転・増床の作業です。この時もわたしはお座り担当で、あまり大したことはできなかったように思います。ただ、この時に大規模なセンターの移転の現場を体感できたことも、後年の私にとっては武器となりました。

今、株式会社スカパー・カスタマーリレーションズ様の会社沿革のページを見ると、この移転のことが年表に記されています。それによるとYBP内のセンターの移転は2001年の5月と書かれています。そして、プライバシーマークの認定取得は2003年6月と書かれています。
その間に行われたのが、日韓共催ワールドカップです。

日韓共催ワールドカップの前、カスタマーセンターは嵐のような日々でした。それはまた次回に。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.33〜航海記 その19


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/2/22にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。

社員になること


正社員になった私。
今までずっと派遣される側だった立場から派遣する立場へ。

正社員の話をいただき、それを受け入れる決断。そこにどのような葛藤があったのか。正直なところ、自分自身のことなのにあまり覚えていません。
正社員のお話が来たことで、これ幸いと満面の喜びを必死に隠し、内心で快哉を叫びながら受け入れたのか。はたまた、かつて尼崎市役所の外郭団体のお話を蹴った時のような気概を持ちながら、妥協の結果として正社員の話を受け入れたのか。
うーん、どちらでもないような。そんな記憶は残っていません。
ただ、本連載の第三十一回(https://www.akvabit.jp/voyager-vol-31/)で、オペレーターさんとの絆がなくなったことにショックを受けたと書きました。
私が正社員に取り立てられたことは、オペレーターさんとの断絶をさらに広げたはずです。

当時の私の心境を慮るに、ただお話をいただくままに受け入れた、という程度だと思います。
差し出された水を、さほど疑わずに飲むように。もちろん、水の匂いぐらいは嗅いだはず。つまり、正社員の話が自分にとって損か得か、は考えたはずです。

過去の私に質問


では、得とはなんでしょう。身分の安定。対外的な信用。収入の安定。挙げてみればそんな感じでしょうか。
逆に、損とはなんでしょう。収入の減少。束縛の発生。将来の固定。そんな要因が思い浮かびます。
当時の私が何をどう考えていたのか、今の私からQ&A形式で問うてみたところ、関西弁で返事が返ってきました。

まず損の観点から。
Q. 収入の減少についてどう思っていましたか?
A. スーパーバイザーの収入はなんやかんやと手取りで30万はもろてました。残業したらその分も精算してもらえたっちゅうのも大きいです。いやぁ、ぎょうさんもらえましたわ。今まで勤めていたアルバイト、派遣社員、ブラック企業のどこよりもお金もらえてありがたかったです。当時、ぼんやりと思とったのは、実年齢よりも手取りが上回っとったらええんちゃう?ということ。20代なかばで30万以上はもらえとったから、ええんと違うかなあと。
正社員になったら、給与は固定性になるし、残業代も減らされるし。うーん。どないしょ、と思ったのは事実。そやけど、ま、正社員の提示額を計算したらせいぜい数万円ぐらいの減で済みそうやし、まあ損にはならんかぁ、と思ってました。
Q. 束縛が発生することは考えませんでしたか? 正社員になれば社員としての身分に縛られるし、対外活動にも制約が課せられます。
A. うん、考えたよ。束縛についてはぼんやりとね。そらぁ確かに正社員の立場は損になるかもしらん。でも、社員になったからといって公私までは束縛されへんやろ?少なくとも大成社よりブラックちゃうやろ?って思ってたぐらい。そもそも対外活動っちゅうても、当時はSNSとかないし、書いたり喋ったりしようにもどこにも場所がなかったし。そやからそもそも損とか全く思わへんかったわ。
Q. 将来が固定されてしまう、とかは思いましたか?
A. 正社員になったら、将来の自分の道が狭なってしまうってか?たしかに関西におった頃は、クリエイティブな職を考えとったけどね。そやから正社員になってもうたら、将来勤め人で固まってまうがな、っていう心配もちぃとだけありました。でも、今までも何回も転職繰り返しとったからね。まぁ次の道が決まれば辞めてもええかなぁ、くらいに思ってました。そやから将来が固まってまうこともあんまり損とか考えてへんかった。

続いて、得とは何かについて考えてみます。
Q. 身分の安定は得ではありませんか?
A. たしかにアルバイトとか派遣社員を転々としてばっかりやったからねぇ。でもあんまり正社員には憧れてへんかったなぁ。自分が人からどう見られるかも興味ないし。無頓着ってやつ?身分がどうとかも興味なかったし、だから正社員になりたいとかもなかった。なので、得とはあまり思わんかったなぁ。
Q. 対外的な信用は得られたのではありませんか?
A. 確かにね。相方が歯医者やし、結婚する時も相方の親族からは結構冷たい視線を浴びたからなぁ。たしかに正社員になって見返したろ、っちゅう気持ちはちょっとあったかも。歯医者の夫やし、せめて正社員の肩書ぐらいは持っとかんとなぁ。という気持ちもちょっとはね。
でもな、もうすでに乗り越えて結婚した後に来たんや、正社員の話って。これが結婚前やったら釣り合いとるために正社員にもう少し前向きやったかもしらんけど、すでに結婚してたから、今さら対外的な信用、っていわれてもピンと来ぉへんやん?そやから、対外的な信用のことはあまり重要とは考えへんかったなぁ。
Q. 収入の安定はどうなんでしょう?
A. これは……一番大きな理由やったかもしれへん。所帯も持ったし、奥さんも派遣社員の不安定よりは正社員を、っていうことは思ってたはずやしね。でもね、一年ちょっとスーパーバイザーやってたけど、毎月結構なお金もろててんよ。定期的に30万と少しは。そやし、その頃はうちの相方も大学病院に勤めてたし、お金に不足は感じひんかったんとちゃうかなぁ。
ただね、ちょうど正社員の話が来た頃って、相方がお仕事休まんならん事情ができたんよね。え?なんでかって? 子ども。子どもがでけてん。まぁ子どもができるまでもいろいろあってなぁ。話せば長くなるから、今日は堪忍して。ただ、それでいろいろあったから、正社員の話にふらっと流れてしもたのかもしらんなぁ。
Q. 忘れかけの怪しげな関西弁でお答えしてくださり、ありがとうございます。

正社員になったことで得たもの


結局、私が正社員の話を受け入れたのは、将来的な視点からというより、その時の事情、とくに子どもを授かったことが理由でした。
その時の私が変なプライドを発揮して正社員の話を断らなかったことに感謝です。当時の私といえば、さりとて正社員に過大な幻想を抱くこともせず、自然に正社員の話を受けたのでした。

正社員になったことで、私はより多くの仕事を任されるようになりました。
今までは派遣社員だったので、現場で滞りなく集計業務を進めていくだけでよかったのです。でも正社員である以上、違う仕事も担っていかねばなりません。

正社員になったことで、私はより上のスキルや広い視野を得られました。
たとえば、当時手掛けていたオペレーターさんやスーパーバイザーさんの出退勤管理システムのメンテナンスもその一つ。
パソナソフトバンクに所属する皆さんは、出退勤の際に社員証に印字されたバーコードを読み取ります。Microsoft Accessによって作られたそのシステムは、現場と事務所の二カ所に設置されていました。現場の打刻用と、横浜ビジネスパーク(YBP)の別フロアにあるパソナソフトバンクが分析システムための二つです。
ところがこのAccessはカスタムメイドで、しかも作った方がすでに離任していました。そのため、私はこの勤怠管理システムのメンテナンスを任されました。
また、これは少し後の話ですが、パソナソフトバンクからスカパーさんへ毎月提出する請負業務の請求書の作成も私に任されました。そしてこれも少し後ですが、外のお客様の案件も手掛ける機会をいただきました。スカパーの現場だけでなく、違う現場も経験させないと、という上司の判断だったのでしょう。
そんな私の下には、常勤のオペレーターさんが配属され、私は上司になりました。人に指示する立場。それは社会人になって初の経験でした。

次回は、当時の私が抱えていた仕事からいったん離れ、子どものことについて書こうと思います。
初めて子を持つにあたり、いろんなことがありました。
それらの出来事も、私の起業を語る上では外せません。
ゆるく長くお願いいたします。


ルーズヴェルト・ゲーム


アメリカのルーズベルト大統領は、 野球の試合で一番面白いスコアは8対7だ、という言葉を残したという。本書のタイトルの由来はそこから来ている。私は本書を読むまでこの挿話を知らなかった。

本書で著者が取り上げたのは社会人野球だ。青島製作所という中堅機械メーカーを舞台に、社会人野球に賭ける男たちを主人公としている。

社会人野球とは、面白い切り口だ。やっていることはプロ野球と同じ。それなのにアマチュアとして一段低く見られがち。選手たちはその企業の正社員または契約社員の身分として大会を戦う。正社員ならまだいい。その企業と終身雇用のプロ契約を結んでいるようなものだから。しかし、本書に登場する青島製作所野球部の選手たちはほとんどが契約社員だ。アマチュア扱いを受ける社会人野球のなかでも、より低いアマチュア扱いに甘んじているのが野球部の契約社員なのだ。契約社員は、雇用が保証された正社員とは違う。業務の繁閑に合わせて首にされても文句がいえない身分だ。ましてや、企業の福利厚生の延長である野球専業の契約社員であるなら、その立場はさらに弱い。私も本書を読むまでは勘違いしていたが、社会人野球を雇用が保証された身分で行う企業庇護の余技と見ると大きな誤りをおかす。

青島製作所野球部は創業者の青島が立ち上げた。その青島も年齢から会長にしりぞき、営業出身の細川に社長を譲る。その折り、日本を不況の波が洗う。青島製作所もその波をモロにかぶり、大手からの受注が減ってしまう。さらにはライバル社からは熾烈な価格攻勢を受ける。

業績が悪化すると銀行からの融資も渋り気味となる。その結果、コスト圧縮が全社的な掛け声としてまかり通る。そうなると真っ先に槍玉に挙げられるのは野球部のような福利厚生。個々の社員に直接恩恵のある福利厚生ならまだいい。しかし、野球部のような企業チームはどう評価すべきか。本書にも総務部長がチーム存続を社内に説得するための根拠として、野球部の経済効果を試算するシーンがある。だが、結果は芳しくない。企業の広告塔としての効果は、プロ野球ならまだしも社会人野球だと低く見積もらざるを得ないのだろう。

前監督はチームを去り、ライバルチームの監督に収まる。ついでに主力選手も引き抜いてゆく。そのライバルチームこそは、青島製作所にとっては本業の競業相手でもあるミツワ電機。営業力に定評のあるミツワ電機は、青島製作所の主力分野にも参入してしのぎを削る関係だ。ただでさえ不況で売上が減っているところ、どうやって青島製作所は生き残るのか。野球部は廃部への圧力をはね除けられるのか、という筋書きでグイグイと読者を読ませる。

正直なところを言えば、本書の筋書きは著者の代表作である『下町ロケット』に似ている。会社の危機にめげそうになった経営者が、社員の頑張りに勇気をもらい、災い転じて会社を飛躍させる粗筋は同じだ。

だから本レビューでは『下町ロケット』と筋書きが似かよっている事にはこれ以上触れないことにする。しかし、本書が 『下町ロケット』 よりもさらに深みを増した物語になっていることは言っておきたい。それは、会社にとって遊び場は必要か、という観点を掘り下げていることにある。半沢直樹にせよ、『鉄の骨』にせよ、著者の小説にはビジネスや資本の論理が太い芯として貫かれている。その論理の檻の中で、精一杯我欲を満たしたり意地を張る人々の姿を描くのが著者の得意とする作風だ。作中に登場するゴルフや呑みのレクリエーションは、すべてはビジネスの論理のため。今までの著者の作品には、そういう思想が透けて見えていたように思う。社業の隆盛に向け、社員一丸となって努力する姿は一見すると麗しい。でも、企業とはそんなに一面だけの切り口でとらえられるものなのだろうか。社員の全てが小賢しく立ち回る大人だけではないはず。平日は業務をきっちりとこなす。でもら、休みには童心に帰り、羽目を外して英気を養う。そういう社員がいてこそ、会社とは伸びてゆくのではないか。

悩める細川が、廃部の瀬戸際に揺れる野球部の試合を観戦に来て、応援に童心に帰る社員たちの業務とは違う一面に触れる。同じく観戦に来ていた青島から、8対7で終わる試合が一番面白いという言葉を聞き、目をひらかされるシーンもそう。窮地に落ちていても、4対7の劣勢から、逆転満塁ホームランで勝ち越せるのが野球の魅力の一つだ。言ってしまえば経営も野球もゲームにすぎない。ビジネスライクな論理だけでは人は動かないし、会社も続かない。それは、仕事も遊びも百パーセントでやることをよしとする私にとって、大きく頷ける考えだ。

本稿を書くにあたってあらためてそのエピソードの由来を調べてみたところ、このようなページがあった。この中でドラマ版のあらすじが記されているが、本書とは細かい部分で少々違っている。だが、ルーズベルト大統領の言葉が、このように裏付けられたのはとても意義深いことだ。

こういった努力が満塁ホームランで報われることもあれば、そうでないこともあるだろう。だが、たゆまぬ努力が全くの無駄には終わらない可能性だってある。読者としては、前向きに受け取りたいものだ。著者も努力を続けてきた結果、ベストセラー作家の仲間入りをした。企業論理を追求してきた著者の作風も、本書によって一段と深い風味をかもすことになるはず。今後とも楽しみに読ませてもらえればと思う。

‘2016/08/09-2016/08/09