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不思議な数列フィボナッチの秘密


かつての私は、数列が苦手だった。
中学生の頃は、一年生の頃こそ数学のテストは全て百点を取っていたが、二次関数が登場する二年生以降は惨敗の連続だった。百点満点中、10点台や20点台を連発していたことを覚えている。

こうした数式を覚えて、いったい世の中の何の役に立つのか。当時の私にはそれが全くわからなかった。当時の教師もそうした疑問には全く応えてくれなかった。もっとも、こちらからそのような問いを発することもなかったのだが。
そんな気持ちのまま、二次関数や座標や配列、そして数式を一方的に教えられても全く興味が持てずにいた。それが当時の私だった。

ところがここ二十年、私はシステムの開発者として生計を立てている。
かつての私が全く人生に役に立たない、と切り捨てていた数学を普段から業務で用いている。
もし昔の私に会えるのなら、勉強を怠っていた自分に数学が役に立つことを教えたいくらいだ。実例を交えながら。

例えばExcelのVBAを使い、セルの値を得たい場合を考えてみる。
D列からデータが始まるセル範囲で、求めたいデータが三列おきに現れるとする。それをどうやってマクロで取り込むか。
そうした際に数列の考え方を使っているのだ。
具体的にはこのようにマクロを組む。
・繰り返しで一定の条件に達するまで処理を行う。
・繰り返しの処理の中で変数の値に1を加える。
・上記の変数に3をかける。
・その掛けた結果に4を加える。
すると、繰り返し処理の中で得られる変数の値は、一つ目は4、次は7、以降は10、13、16、19と続く。これらの列番号をExcelの列番号、つまりアルファベットに当てはめるとD、G、J、M、P、Sとなる。

そのように、一定の規則でつながるセルの位置や値を見極め、それを処理として実装する処理は事務作業で頻繁に発生する。そうした作業はExcelのデータを参照し、編集を行う際に必須だからだ。日常的に必要になってくるといえよう。Excelだけでなく、他のプログラムでもプログラム時に数列の考え方は必須だ。
私は当初、業務に必要になっていたからそうしたプログラムを覚えていた。そしてプログラムを日常の業務で当たり前に使うようになってきたある日、その営みこそ、私がかつて苦手としていた数列や配列そのものということに気づいた。

そもそも私はなぜ数学が苦手になってしまったのだろう。よくわからない。子供の頃は、数字の不思議な性質に興味を持っていた時期もあったはずなのに。
例えば切符に書かれた数字。最近では電車に乗る際に切符を買う機会がなくなってしまったが、かつては切符を買うとその横に四桁の数字が印字されていた。その四桁の数字のそれぞれを、四則演算を使って10にするという遊びは欠かさず行っていた。
その遊び、実は数論の初歩として扱われるそうだ。

そうした数字の不思議な性質は、子供心に不思議に思っていた。
今も、ネットで〇〇数を検索してみると、不思議な数の事例が書かれた記事は無数に出てくる。〇〇には例えば完全、素、三角、四角、友誼、示性、黄金などが当てはまる。

本書は、不思議な数の中でもフィボナッチ数に焦点を当てている。フィボナッチ数とは、並んだ数値の二つの和を次の項目の値としたものだ。0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144のように。数字が徐々に大きくなっていくのが分かる。しかもそれぞれの数字には一見すると規則性が感じられない。

ところがこの数字の並びを図形にしてみるとさまざまな興味深い動きを描く。例えばカタツムリの殻。螺旋が中から外に広がるにつれ徐々に大きくなる。この大きくなる倍率はすべてフィボナッチ数列に従っている。またあらゆる植物の葉のつき方を真上から見ると、それぞれが日の当たるように絶妙に配置されている。これらも全てフィボナッチ数列の並びに近い。
ほかにもひまわりの種やDNAの螺旋構造など、自然界でフィボナッチ数列が現れる事例は多いという。自然は効率的な生態系を作るにあたってフィボナッチ数を利用しているのだ。

最近では昆虫や植物の機能や動きを研究する動きがある。バイオミメティクスと呼ぶこれらの研究から、科学上の発見や、新たな素材の開発や商品の機能が生まれることがあるという。
フィボナッチ数列を学ぶことで、私たちの非効率的な営みが、より効率的に変わるかもしれないのだ。

本書にはフィボナッチ数にまつわる不思議な性質や計算結果が豊富に紹介される。
正直に言うと、それらの計算結果を実生活や科学の何かに役立てられる自信は私にはない。だが、そうした法則を見つけてきたことで、人類はこれまで科学を発展させてきた。

おそらくフィボナッチ数に隠された可能性はまだあるのだろう。フィボナッチ数は、未来の人類が技術的なブレークスルーを達成する際に貢献してくれると期待している。
例えば、私が思いついたのは暗号だ。暗号化にフィボナッチ数を役立てられるように思える。
暗号の一般的な原理は、ある数とある数を掛けて出来た数値からは何と何を掛けた結果なのかが推測しにくい性質に基づいている。例えば桁数が約300桁ある二つの素数のそれぞれを掛けた数があったとしても、それが掛けられた二つの素数を見つけ出すのに、最新鋭のスパコンでも何億年もかかり、量子コンピューターでも非現実的な時間を要するという。

この暗号を作る際、フィボナッチ数列を使って作るのはどうだろう。フィボナッチ数列も数が膨大だが、それらは全て数式で表せる。
これを何かの解読キーとして用い、何番目のキーを使わなければ復号できないとすれば、暗号として利用できるように思う。もちろん、私が思いつくような事など、数学者がとっくの昔に思いついているだろうけど。
だが、暗号以外にも情報処理の分野でフィボナッチ数が活用できるかもしれないと考えてみた。
私のような素人でも暗号への使い道がすぐに思いつけたほどだから、優秀な数学者が集まればフィボナッチ数列のより有用な使い道を考えてくれるはずだ。

かつての私のような数学が苦手な人にこそ、本書は読んでもらいたい。

‘2020/07/12-2020/07/18


境川を歩こう


町田に住んでいれば一度は目にするはずの境川。本書を読む三週間ほど前、妻と娘を連れてその源流のある草戸山に登ってきた。草戸山は町田市の最高峰であり、遥か江ノ島まで旅立つ境川の源でもある。

頂上のすぐ下の斜面が源流だが、そこへは少し坂を下らなければ行けない。そこは源流の名に相応しく、慎ましやかなしずくが音もなく垂れていた。このしずくがはるか江ノ島まで旅立ち、弁天橋をくぐって海に流れ込む時には一人前の川に育つのだ。境川に限らず、源流と河口で川はかくも違う姿を見せる。その違いは生物の成長にも似ている。私が川を好むのは子を見守る保護者の気持ちにも通じているからだろう。川は人の心を知らないうちに揺さぶる。私は境川の源流を見届け、ただ感動に身を委ねていた。

本書は、境川の源流を見届けたことを機に手に取った。本書は、境川の源から河口までをつぶさに記した書だ。著書は源から河口まで十五時間半かけて歩き通した方。また、何度か境川を歩くイベントの主催もされているとか。後書きに本書の由来が書かれている。それによると、歩くイベントを主催する中で参加者から境川のガイドが欲しいと請われ、もう一度歩いてまとめたという。

私は実は、そうした本書のいきさつを知らずに読み始めた。なので、本書をもし読む方がいれば、後書きから読んだ方が良いと思う。なぜなら本書は、ガイドとして書かれた物だからだ。読み物として読むと、多分しんどい思いをする。なにしろ本書は読みにくい。途中でだれそうになる。源から河口まで、橋や川沿いの史跡をくまなく立ち寄りながら川を描いてゆく本書。とにかく描写が微に入り過ぎているきらいがある。

例えば、その橋のたもとに咲く野草の一つ一つを列挙する。ナズナ、タンポポ、ヘクソカズラ、オオバコ、アキノキリンソウ、オシロイバナ、などなど。これが一カ所だけそういう描写ならよい。それが何十カ所のそれぞれで逐一書かれるのだ。また、あちこちに河川を管理する土木事務局の標柱が立っている。著者はその文言も余さず記載する。史跡の案内板に書かれた全ての文言を一字一句転載するならまだよいが、草花やあたりの情景の描写がこうも細部に至ると閉口する。

とくに、国道246以南の境川は私にとってなじみが薄い。本書の詳細な描写を私の記憶する境川のイメージに結びつけられず、読むのに難儀した。正直、何度も飛ばし読みしそうになる誘惑に流されそうになった。そして思った。本書は、資料なのだと。そして同好の士に向けたガイドなのだと。

そして本書とともに境川を下る旅を終え、あとがきを読み終えて初めて、本書が境川を歩く方のためのガイドとして書かれたことを知り、ようやく合点がいった。ガイドであるなら、本書の詳細な記載は欠点ではなく、欠かせない記載だ。

その他に本書に対して言うべき欠点があるとすれば、私が読んだ限りで数カ所の誤記が目についたくらいか。

だが、いくら私が欠点をあげつらおうと、著者が境川を歩き通したという事実は超えられない。そして、本書の描写がくどいのは、実際に著者が歩いたことの証拠でもあるのだ。

もう一つ、本書は資料だと書いた。標注や案内板の文言を逐一収録している本書は、取材当時の1996年の境川の様子が克明に描かれている。たとえば、私が訪れた境川の源流は、本書に描かれた源流とは少し違う。本書に描かれた源流は、私が訪れた源流からほんの少し下った場所を指している。当時は、真の源流地点まで道が整備されていなかったらしい。また、町田市役所もこの当時は中町にあった。だが、今は境川のすぐそばに立派な庁舎が建っている。そういう意味でも本書は貴重な記録だといえる。

そして、私も読み手としてはともかく、書き手としては本書くらい詳しい記録を残すのが好きだ。その意味で、著者の内容は書き手としては反面教師だが、読み手の立場では教師として敬うべき。

まずは、私も町田市民である以上、一度は境川を歩いて全行程を見届けたい。また、いつの日かは分からないが、猪名川や武庫川など私が育った川でも同じように歩きたいと思う。それは、多摩川や相模川、淀川でも同じだ。そういえば大学時代に仲間達と淀川を四十キロほど夜通し歩いた事がある。その思い出はいまだに良い思い出として残っている。

その時は楠葉から天保山までだったので淀川の上流は見てすらいない。すでに壮年期を迎えつつある淀川が河口に向かって余生を流れる姿を寄り添って歩いただけだ。それでも夜通し十二時間ほど歩いた記憶がある。学生時代ですらそうだから、大人になった今、源流から河口まで川を歩きとおす経験はなかなかできない。だからこそ、境川のような手頃な距離の川を歩く経験は貴重なのだと思う。

人生の縮図でもある川を歩きとおす経験。それは単なるイベントにはとどまらず、人生の中でも思い出となる。だが、その時間を捻出するのは簡単ではない。それが本書を読めば追体験できる。実に便利な本とは言えないだろうか。

‘2018/05/09-2016/05/10


信長の血脈


著者の本を読むのは初めて。だが、ふと思い立って読んでみた。これがとても面白かった。

本書はいわゆる短編集だ。大河が滔々と流れるような戦国の世。その大きなうねりの脇で小さく渦巻く人の営み。そんな戦国の激しくも荒くれる歴史のの中で忘れ去られそうなエピソードをすくい上げ、短編として仕立てている。それが本書だ。

一つ一つは歴史の大筋の中では忘れ去られそうなエピソードかもしれない。だが、戦国史に興味を持つ向きには避けては通れない挿話だ。

例えば平手政秀が織田信長をいさめるため切腹したエピソード。 これなど、織田信長が戦国の覇者へ上り詰めるまでの挿話としてよく取り上げられている。私も歴史に興味を持つ以前から豆知識として知っていた。

一編目の「平手政秀の証」は、まさにそのエピソードが描かれている。しかも新たな視点から。今までの私が知っていた解釈とは、「うつけもの」と言われた織田信長を真人間にもどすために傅役の平手政秀が切腹した、という事実。平手政秀が切腹するに至った動機は、信長が父、織田信秀の葬儀で、祭壇に向かって抹香を投げつけたことにあり、その振る舞いに信長の将来を悲観した平手政秀が織田信長の良心に訴えるために切腹に至った、という解釈だ。その前段で、己の娘濃姫との婚姻に際して織田信長に会った斎藤道三が、信長の器量を見抜いた挿話もある。そう。これらはよく知られた話だ。そして、これらのエピソードにから現れて来るのは分裂した信長像。後年、風雲児として辣腕を振るい、戦国史を信長以前と信長以後に分けるほどに存在感を発揮した信長。いったいどちらの信長像が正しいのか。分裂した信長像を整合するため、平手政秀の諌死によって信長が目を覚ました、との解釈するのが今までの定説だ。

ところが著者の手にかかると、より深いエピソードとして話が広がる。上記のようなよく知られたエピソードも登場する。だが、著者が本書で披露した解釈の方がより自然に思えるのは私だけだろうか。斎藤道三の慧眼から始まり、平手政秀の死をへて、信長の変貌とその後の戦国覇者への飛躍。それらの本編によって綺麗にまとまるのだ。これこそ歴史小説の醍醐味と言えよう。

二編目の「伊吹山薬草譚」も戦国時代のキリスト教の布教と既存宗教の軋轢を描いており、これまた興味深い。現代の伊吹山に西洋由来の薬草が自生している謎に目を付けた著者の着想も大したものだが、そこからこのような物語を練り上げた筆力もたいしたものだ。西洋で荒れ狂った魔女狩りの狂気の波とキリスト教の布教による海外渡航など、当時の西洋が直面していた歴史のうねりを日本の歴史に組み込んだ手腕と、世界のスケールを日本に持ち込んだ大胆さ。ただうならされる。

織田信長がキリシタンを庇護する一方で当時の仏教を苛烈に弾圧したことは有名だ。本編でもその一端が描かれる。伊吹山に薬草を育てる農場を作りたいと願い出たキリシタンの司教に許可を与え、もともとその地を薬草の農園として使っていた寺の領地を一方的に焼き払う許しを与える。焼き払われる寺側は黙ってはいない。さまざまな内情を探りつつ、西洋の侵略に抵抗する。それが本編のあらすじだ。国盗りや合戦が日常茶飯事のできごとであった戦国を、西洋と東洋の摩擦からとらえなおす着眼の良さ。そして植物にも熾烈な領土の取り合いがあったことを、戦国時代の出来事の比喩に仕立てる視点の転換の鮮やかさ。ともに興味深く読める。

三編目の「山三郎の死」は、豊臣秀頼の父が誰かを探る物語だ。史実では豊臣秀吉と淀殿の間の子とされている。だが、当時から秀頼の父は秀吉ではないとの風評が立っていたそうだ。そこに目を付けた著者は、歌舞伎の源流として知られる出雲お国の一座の名古屋山三郎が秀頼の父では、との仮説を立てる。私自身、豊臣秀頼にはかねがね興味を持っていた。大坂の陣で死なず、薩摩に逃れたという説の真偽も含めて。

本編で秀頼の父が山三郎であるとの流言の真偽を探るのは片桐且元。山三郎の身辺調査を片桐且元に依頼したのは、淀君の乳母である大蔵卿局。秀頼に豊臣家の将来を託すには、そのようなうわさの火元を確かめ、必要に応じてうわさの出どころを断ち切っておく。そんな動機だ。片桐且元は探索する。そして出雲お国に会う。さらには名古屋山三郎の眉目秀麗な容姿を確認する。舞台の上で演じられる流麗な踊り。本編にはかぶき踊りの源流が随所に登場する。その流麗な描写には一読の価値がある。かぶきの原点を知る上でも本編は興味深い。

淀君が秀頼を懐妊した当時、朝鮮出兵の前線基地である名護屋にいたはずの秀吉。その秀吉が果たして種を付けられたのか。本編の芯であったはずの謎に答えは示されない。読者の想像の赴くままに、というわけだ。だが、一つだけ本編によって明かされることがある。それは戦国の芸能が殺伐とした中に一瞬の光を見いだす芸能であったことだ。そのきらびやかな光は、当時の庶民の慰めにもなり、うわさの出どころにもなった。秀頼が太閤の子ではないとのウワサ。それはきらびやかな芸能と権力者の間に発生してもおかしくないもの。うわさには原因があったのだ。

四編目の「天草挽歌」は、天草の乱が舞台だ。江戸時代も少しずつ戦国のざわめきを忘れはじめた頃。戦国の世を熱く燃やしていた残り火が消えゆき、徳川体制が着々と築かれていた頃。藩主である寺沢家による苛烈な年貢取り立ては、江戸幕府による支配が生み出した歪みの一つだろう。その取り立てが天草の乱の遠因の一つであったことに疑いはない。そこにキリシタンの禁教の問題もからむので、内政も一筋縄では行かない。

本編は、三宅藤兵衛という中間管理職そのものの人物の視点で進む。三宅藤兵衛は寺沢家の禄を食む武士だ。隠れキリシタンをあぶり出すため、踏み絵を使った各藩の対策はよく知られている。それはもちろん、キリシタンの禁制を国是とした江戸幕府の方針に従うためだ。藤兵衛はキリシタンの取り締まりをつかさどる役職にあった。ところが藤兵衛自身がもとキリシタン。転んで教えを放棄した経歴の持ち主だ。その設定が絶妙だ。かつて自分が信じていたキリスト教を取り締まらねばならない。その葛藤と自己矛盾に悩む様。それは任務に精勤する武士の生きざまにさらなる陰影を与える。

寺沢家の政策の拙さが産んだ現場のきしみ。それはとうとう寺沢家の本家が乗り出し、苛烈な取り締まりをさせるまでに至る。さらに年貢の取り立ても苛烈さの度を増してゆく。そして事態はいよいよ島原の乱に突入していく。もともと、著者は本書において明智左馬助(秀満)を取り上げたかったという。そのような解説が著者自身によってなされている。それで左馬助の子と伝えられる三宅重利藤兵衛を主人公としたようだ。過酷な戦国を生き延びた血脈が、キリストを信じることをやめ、キリストを裁く。その流転こそが起伏に満ちた戦国時代を表しており、妙を得ている。

戦国の大河が滔々と流れる脇で、忘れさられようとする挿話。それらを著者はすくい上げ、光を当てる。著者がその作業の中で伝えようとした事。それは、人々にとって、自らの生きざまこそが大河であるとの事だ。歴史の主役ではないけれど、それぞれが自分の歴史の主役。そして自らの役割を悩みながら懸命に生きた事実。それは尊い。その尊さこそ、著者が本書で描きたかったことではないだろうか。

‘2017/10/25-2017/10/26