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甦れ、甲子園のヒーローよ!


清原さんが覚醒剤所持の疑いで逮捕されましたね。

正直、あまり驚きませんでした。ブログや報道からも孤独感漂っていましたし。かつての甲子園での活躍を知る私としては、ただただ寂しいです。

私は人生で一度だけ、日射病になりかけたことがあります。それは、甲子園球場のレフトスタンドでした。グラウンドでは、PL学園の打棒が爆発し、東海大山形のナインを打ちのめしていました。29-7というワンサイドゲーム。あまりの点差に余裕が出たのか、清原さんもマウンドで投球を披露した熱暑の中の試合です。

子供の頃甲子園に住んでいた私にとって、球場は馴染みの場でした。夏休みは暇さえあれば観戦に行ったものです。外野は無料だったし。

小学生の私にとって、グラウンドで躍動する高校球児達は、憧れを通り越して、畏敬する存在でした。実際の歳の差よりずっとずっと大人に見えたものです。
今回の逮捕で改めて知ったのは、清原さんが、私のたった6才しか上でないということ。当時の感覚では20歳くらい上の印象だったのに。

数年前、娘たちが通う小学校に桑田氏が講演に来てくださいました。桑田氏といえば、PL学園でKKコンビとして清原さんと並び称された方です。私ももちろん講演を拝聴しました。子供の頃の憧れの対象を目の前にして興奮しないわけがありません。とはいえ、私は桑田氏については永らく誤った印象を持っていました。憎き巨人に入ったことだけでも敵だったのに、面白おかしく歪められた報道が加われば、キライにならないはずがありません。しかし、子供たちやかつての子供たちである我々に語りかける桑田氏の素顔は、実に丁寧でした。私は一気に氏のファンとなりました。子供の頃に感じた、20歳年上との感覚は揺らぎませんでした。桑田氏は、「氏」のままです。

しかし、今回の逮捕によって、清原さんは、「さん」付けになってしまいました。たった6歳しか違わない清原さんに。

挫折は人を強くするといいます。今回のニュースで一番残念に思うのは、清原さんが巨人に入団できなかったという挫折から這い上がった姿を見せてくれなかったことです。意中の巨人に入団出来ず、翌年の日本シリーズでライオンズの一員として巨人を倒す直前、感極まって一塁ベース上で泣いた姿はよく知られています。その姿は美しかった。

一方、順風満帆に巨人に入団した桑田氏は、偏向報道に泣かされ、肘の重傷に苦しめられました。復活のマウンドで膝まずいてプレートに手をおいた所作には感動させられました。その姿は我々に真の挫折から立ち直った人の美しさを教えてくれました。

数年前の講演でも、挫折から立ち直る美しさ、夢を求め続ける姿勢を子供たちや親たちに語り伝えて下さいました。娘たちにとっても私にとっても得難い経験だったと思います。

挫折は人を強くします。思うに清原さんにとって、ドラフトで巨人に選ばれなかったことは挫折ではなかったのではないか。今回の逮捕こそが人生で初めて味わう挫折だったのではないかと思います。日本シリーズで巨人に勝ち、西武黄金時代を作り上げました。満足な成績を挙げられなかったとしても、意中の巨人で四番を勤めました。無冠の帝王と呼ばれながらも、2000本安打も500本塁打も成し遂げました。挫折どころか、まぶしいばかりの野球人生でしょう。

面識もなく、かつては20歳以上も年下だった私ごときが清原さんの心中を推し量ることは、おそらくはおこがましいことなのでしょう。しかし、今回の件が清原さんにとって初めて味わう挫折に違いない。そう思います。

そしてその姿は、かつて同じプロ野球人として覚醒剤に手を出し、服役した江夏豊氏を思い出させます。江夏氏も、孤独感に負けてつい出来心でヤクに手を出してしまったと聞きます。が、プロ野球界の仲間たち多数に支えられ、立派に更正されたとか。今春の阪神のキャンプでも臨時コーチを任じられたとの嬉しいニュースはまだ耳に心地よく残っています。

清原さんにも、江夏氏と同じように立ち直って頂きたい。そう切に願っています。そして、清原さんのプレーする姿に見とれた少年の私が畏敬の念を思い出させるように、清原さんではなく清原氏と呼べる存在になって戻ってきて欲しい。心からそう思います。

いつの日か、臨時コーチ扱いではなく、タイガースの一軍コーチや監督として、江夏氏と清原氏が甲子園に並び立つ日がくる。そんな楽しい想像したっていいじゃないですか。それが現実の光景となれば、これほど嬉しいことはありません。植草アナの名台詞を引くまでもなく、二人とも甲子園の申し子といっても良い存在なのですから。

そんなことを想いつつ、書いてみました。
甦れ、我が甲子園のヒーローよ!