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70年目のナガサキを考える


今日は、長崎への原爆投下から70年の日。

丁度11時2分の時間は仕事をしていたので、黙とうはできませんでした。

この様に、残念ながらナガサキは、ヒロシマに比べて少し扱いが下に置かれているように思われてなりません。しかし同じぐらいナガサキへの投下は我が国にとって重要な出来事です。やはり考えない訳には行きません。

ナガサキへの原爆投下は2つの意味で、ヒロシマのそれとは違っています。一つは、当日になって残酷な運命を浴びせられてしまったことです。当日の第一目標は小倉市であり、本来はナガサキは免れるはずだったことです。もう一つは、ナガサキが日本のキリスト教や西洋文化の玄関口として栄えた街だったことです。

よりによって大村天主堂や浦上天主堂といった東洋のキリスト教の拠点に、天候という運命のいたずらで原爆を落とされることになったのは、考えさせられるところです。日本二十六聖人の殉教など、長崎にはキリスト教と日本の関わりを問う上で、重要な史跡が多数残されていますが、西洋文明の一つの成果である原爆が、ここで運命の導きによって落とされたことは、もっと考えられてよいかもしれません。

20年前の8/6に広島の原爆ドーム前でダイ・インを経験したことは先に書きました。実はその後、私と同行した大学の友人達とで九州にも移動し、8/9には長崎も訪れました。ところが、その時期、長崎原爆資料館は建替えが予定されており、一部展示を縮小しての展示となってしまいました。

その後、一度妻と長崎には訪れたのですが、長崎原爆資料館はその時には訪れずじまい。私にとって心残りが続いています。また、妻の大叔父は、広島と長崎の二重被爆者だったそうです。数年前にお亡くなりになられ、残念ながら当時のお話を聞くことはできませんでした。

そのような心のこりを払しょくするためにも、今年後半か来年には長崎を訪れ、改めて長崎の原爆関連の史跡を巡ってみたいと思っています。日本においてのキリスト教の複雑な根付き方を感じるためにはじっくりと巡ってみることが必要です。

丁度今日、ディズニー社が誤解を著しく招きかねないツイートを流し、物議をかもしたばかり。ナガサキは不当な扱いを受けていると思います。


70年目のヒロシマを考える


ここ8日ほど、連日東京は熱暑の中にゆだっています。丁度70年前もそうだったように。今朝は、廣島に原爆が投下されてから70回目の朝。その時間、電車の中で黙とうを行いました。

20年前の今日、8:15に原爆ドームの前でダイ・インに参加しました。以来20年。それだけの時間が経ってもまだ原爆が風化していないことに胸をなでおろす気持ちがあります。

周辺国が日本に向ける視線は、70年近く守ってきた憲法をそのままにしておけないところまで来ています。とはいえ、日本は何があろうと平和を礎として行かねばなりません。自衛隊はあくまで自衛のための軍隊です。かつてのように武力をもって日本の国威を外に向ける、そのような過ちはもう繰り返してほしくありません。

安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから
との有名な碑文も、賛否はあれど、真理と云えましょう。

原爆ドームも広島平和記念資料館も、日本が身を以て体験した戦争の愚かさを後世に永久に残すための施設です。少しでも多くの人々に、これらの施設を訪れて欲しいと思います。原爆の引き起こしたむごたらしい被害の前では、主義の右も左も沈黙するはずです。これからの日本の外交がどうあれ、二度も原爆を落とされた国として、平和を礎とした思いは忘れないで頂きたいものです。

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我が家も、妻や娘達を連れて一昨年のゴールデンウィークに訪問しました。写真に写した本のうち数冊はその際に広島平和記念資料館で買い求めたものです。また機会を見て再訪し、意識を新たにしたいと思います。