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幻のオリンピック 戦争とアスリートの知られざる闘い


東京オリンピックが延期になり、幻の開幕式も過ぎ去った今。
本当であれば、本稿を書き始めた今は熱戦の真っ盛りだったはずだ。

オリンピックの延期は、社会に大きな影響を与えた。わが国だけでなく、世界中にもニュースとなって拡散した。
当然、多くのステークホルダーにも大きな影響を与えたことだろう。
中でも、今回のオリンピックの目的を国威発揚や経済効果に当て込んでいた向きには、大会の中止は極めて残念な出来事だったと思われる。意地の悪い見方をすればだが。

オリンピックとは本来、アスリートによる競技の祭典だ。国の威信を発揚し、経済効果を高める手段に利用することも本来ならばおかしい。これらはクーベルタン男爵の掲げた理想には含まれていないはずだ。
こうした考えが理想主義であるといわれればその通り。だが、その理想を否定したとたん、オリンピックは単なるプロスポーツの大会にすぎなくなる。アスリートの競技や努力の全てに別の色がついてしまう。

いまや、すでに取り返しのつかないところまで来ているのかもしれない。すでにスポーツはショーと同義であり、アマチュアリズムは死に絶えてしまったのだろうか。

広く知られている通り、1936年に行われたベルリン・オリンピックは、ナチス・ドイツによる国威発揚の場として大いに利用された。
本書は、その次に予定されていた1940年の東京オリンピックを題材にとっている。言うまでもなく東京オリンピックは日本が中国で起こった各種の事変を理由に開催権を返上し、中止された。

本書はその東京オリンピックによって影響を受けた人々を取り扱う。
まだアマチュアリズムが残っていた時期のアスリートが中止によってどのような影響を受け、その後の戦争によってどのような人生をたどったかを紹介する。当時のわが国のアスリートは、アマチュアリズムよりもナショナリズムによって縛られていた。その関係を掘り下げたのが本書だ。

本書の最初に登場するのは鈴木聞多氏だ。
ベルリン・オリンピックの四百メートルリレー競技で吉岡選手の次の走者だった鈴木選手は、本番でバトンを受け取る際にミスを犯し、失格となった。それによって当競技で金メダルが有力視されていた日本はメダルを獲得できずに終わった。
そのことで自らを責めた鈴木氏は、日立製作所にいったんは就職したものの、競技で失敗した負い目を軍人として国に奉職する事で返そうと志願し、陸軍に入隊したという。

本書に掲げられた鈴木氏の肖像写真は、俳優としても通用するほど端正な顔立ちをしている。
鈴木氏の肖像からは、国のために異常なほどの重圧を受けた悲壮さは感じられない。
だが、オリンピックの失敗によって人生を変えるしかなかった鈴木氏がどれほどの決意を強いられたのかは、その後の鈴木氏の選択からも明らかだ。
戦前のアスリートの多くが受けていた国威発揚という名の圧力。お国のためにという言葉がアスリートの競技人生だけでなく、人生そのものを左右したことが鈴木氏の生涯から読み取れる。

第二章では、当時のサッカー日本代表が取り上げられる。ベルリン・オリンピックにおいてスウェーデンを相手に逆転勝利を収めた当時のサッカーチームだ。全くの格下だった日本がスウェーデンを破ったことは、「ベルリンの奇跡」と称された。

サッカー史におけるジャイアント・キリングの例として挙げられるベルリン・オリンピックでのスウェーデン戦での勝利。
小柄な日本人の体格を生かすため、当時からパスサッカーを採用し、それを完成させたこと。それは、戦前の日本サッカー史のピークを作った。
その代表チームでエース・ストライカーを担っていた松永行氏は、ガダルカナル島における困難な任務の合間を縫ってサッカーに興じていたと言う。松永氏は未来の日本のサッカーのために本気で力になろうとしていたそうだ。
松永氏が戦死せずに生きていれば、日本のサッカー史は全く違う道筋をたどっていたかもしれない。本書を読んでそう思った。

続いて本書が追いかけるのは、わが国の水泳史だ。戦前の日本の水泳陣は、世界でも屈指の実力を持っていたことは良く知られている。ロサンゼルス・オリンピックでもメダルを量産した。戦後すぐにフジヤマのトビウオとして国民を熱狂させた古橋広之進氏もこの伝統の延長にいる。
その水泳チームを率いたのが監督の松澤一鶴氏。
当時にしては先進的な科学理論に裏打ちされた松澤氏のトレーニング方法は日本の力を飛躍的に高めた。
だが、戦争は教え子の多くを松澤氏から奪った。
そして、東京オリンピックの晴れ舞台さえも。

当時、東京オリンピックが中止となった後も大日本体育協会の評議員だった松澤氏は、スポーツが軍事色で塗りつぶされそうになる世相に一石を投じようと意見を具申していた。
私は松澤氏のことを本書で初めて知った。こうした人物が当時のわが国にいたことを知るのはうれしい。また一人、人物を見いだした思いだ。もっと広く松澤氏の事が世間に知られなければならない。

とある座談会では、他の出席者が国威発揚の迎合的な意見を述べる中、松澤氏は以下のような意見を述べて抵抗している。
「戦争とスポーツ、あるいは戦争と体育を結び付けて考える場合に、戦争についてこれだけしか要らないから、これだけやっておればいいのだ、これ以外のものは要らないという考えは非常に非文化的じゃないか。さっき井上さんが体育の理念について言われましたが、われわれ体育関係者はもう一つ高度な理念をもっているのです。」(149ページ)

第四章では、東京オリンピックの水泳選手として選ばれていた白川勝三氏の思いが紹介される。また、戦時下で記録会の名目で水泳大会が行われていた事実も著者は掘り起こしている。

児島泰彦氏はベルリン・オリンピックでメダルを期待されていた。だが敗退した。戦時中は沖縄戦で戦い、海岸に追い詰められた後、与論島まで泳いで逃げるといったきり、戻ってくることはなかったという。
さらに、東京オリンピックの中止によって出場の機会を奪われたのは、女性のアスリートも同じだ。本書に登場する簱野冨美氏もその一人。
こうした人々が語る言葉に共通するのは無念さだ。
そして、今の平和な時代にスポーツにまい進できる若人たちをうらやみつつ、ねたまず素直に応援する姿勢には心を動かされる。

最終章は、第三章に登場した松澤氏が再び登場する。1964年の東京オリンピックの実行委員となった松澤氏は、戦争に翻弄された無念を晴らすように、閉会式である仕掛けを決行する。そのいきさつが本書で掘り起こされている。
その仕掛けとは閉会式の入場だ。予定では整然と行進するはずだった。だが、松澤氏は直前になって各国の選手がバラバラに自由に場内に入る演出を決行する。選手たちが自由気ままに振る舞う演出は、民族も人種も国も違うアスリートたちがスポーツを通じて交流し、一つになる平和を思わせてくれる。

掲揚される国旗の監修を担当していた吹浦氏が閉会式の裏事情を本書で証言してくれている。
この閉会式の演出は東京オリンピック以来、オリンピックでは恒例となっている。
この背景には、戦争に翻弄された松澤氏の思いが込められていた。そのことを知ると、松澤氏に対する敬意が湧いてくる。
それとともに、戦前のアスリートがいかに不自由で理不尽な環境に置かれていたのかについて、松澤氏の無念がどれほどのものだったかについて思いが深まる。

本稿を書き始めた時、白血病によって長期入院を余儀なくされた競泳の池江選手が試合に復帰したニュースが飛び込んできた。
白血病を克服した彼女の精神力には敬服するしかない。コロナで延期が決まったとはいえ、東京オリンピックが開催されることを願ってやまない。

本稿をアップしてから随分だったが、その間にオリンピックは無観客で無事に開催され、幾多もの感動を与えてくれた。池江選手も競技に出場し、復活を印象付けてくれた。
そうした姿に、本書に登場した先人たちも泉下で喜んでくれていると信じたい。

‘2020/08/15-2020/08/16


2021年8月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括 大雨と熱暑が交互に訪れた夏。コロナとオリンピック/パラリンピックも交互に世の中の話題をかっさらっていきました。さまざまな意味で思い出に残りそうな夏です。

コロナに関するニュースが相変わらず世を騒がしていますが、もはや人々は疲れてしまっています。
コロナに振り回され続けるのがいやな方、それともコロナの中でも自らの人生を全うしようとあがく方。一人一人に人生観が問われています。

昨年の九月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、生きる意味を問い続ける毎日です。
人生は有限であり、残された時間もあとわずかであること。今月は豊川稲荷を本院と分院の両方訪れ、そこで得た沢庵和尚のインスピレーションから伝記を読みました。

死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えていくこともわかっています。
それでも、自分に与えられた生を全力で全うするために、仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。

今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されないのです。
だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。

今月は家族とは六回お出かけしました。妻とは五回、妻と長女とは一回、長女とはゼロ回、次女とは一回。

娘たちはいつか巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんの人間です。だから、子離れや引退をきっかけに老け込むことはないでしょう。ですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§  月表

・八月お出かけ

五十間鼻無縁仏堂、弁天橋、平和大鳥居、羽田の渡し跡碑、横須賀線(品鶴線) 多摩川橋梁、亜細亜食堂 リバーサイゴン (SAIGON)、和泉多摩川河川敷、The Sacca Cafe、駒井日枝神社、和泉多摩川河川敷、多摩川決壊の碑、ドトールコーヒーショップENEOS EneJet 狩場インターSSクイーンズスクエア横浜、臨港パーク、フルーツ・ツリー、kino cinema 横浜みなとみらい、GARLIC JO’Sファミリーマート横浜赤レンガ倉庫Honda Cars東京中央 鶴川店おでん屋 たけしまちの駅 ぽっぽ町田、BOOKOFF SUPER BAZAAR 町田中央通り (本・ソフト館)、菅原神社Honda Cars東京中央 鶴川店京急油壺マリンパークうらり城ヶ島灯台Starbucks、Weekend Green&Cafe、Weekend Green&Cafe、ららぽーと横浜、Tully’s Coffee、昭和館靖国神社 大鳥居attic room 靖國外苑靖国神社寛永寺根本中堂徳川綱吉霊廟 勅額門寛永寺 輪王殿ANGERS bureau、book express、薬師池公園 蓮園、薬師池公園、NEOPASA駿河湾沼津 (下り)尾張一宮PA (下り)ちゃんぽん亭総本家 長浜店南条SA (下り)、越前武生駅、武生駅天然温泉 羽二重の湯 ドーミーイン福井、ファミリーマート 福井県庁前店、天然温泉 羽二重の湯 ドーミーイン福井、柴田神社、北の庄城趾、北の庄城 お市の方 殉難将士 慰霊碑、三姉妹像、柴田勝家公像、新田塚駅、燈明寺畷新田義貞戦没伝説地、新田塚公園、天然温泉 羽二重の湯 ドーミーイン福井、越前新保駅、榮稲荷神社佐佳枝廼社永昌寺霊泉寺、越前東郷駅、明智神社山本食料品店大瀧神社・岡太神社パピルス館越前の里 味真野苑万葉菊花園万葉庵霊泉寺、小次郎公園、不動滝お釜滝、布滝、名もなき滝、窓滝、夫婦滝、瓜割清水南条SA (上り)賤ヶ岳SA (上り)T-FACE名古屋めし食堂ホテル クラウンヒルズ豊川豊川稲荷 (妙厳寺) 本殿豊川稲荷 霊狐塚、豊川稲荷駅 (TK04)、豊川駅、豊川市観光案内所、EXPASA浜名湖Starbucks久能山東照宮 表参道石段静岡海岸久能山 徳音院駿河稲荷社久能山東照宮久能寺久能寺山城久能山東照宮 廟門久能山東照宮 樓門久能山東照宮 社殿家康公 神廟金の成る木家康公愛馬之霊所久能山東照宮 日枝神社EXPASA富士川 (上り)はま寿司シャトレーゼ 町田金井店、豊川稲荷 東京別院、豊川弁財尊天、融通稲荷、豊川稲荷東京別院 奥の院、ラーメン春樹 新宿御苑前店、華苑、模索舎、諸国ご当地プラザ、HAKADORU 新宿三丁目店、紀伊國屋書店、曹源寺、海禅寺、浅草たい焼き工房 求楽、Starbucks、キッチンオリジン 鶴川店、プリアテル(友達)、大地の使者、調布駅 (KO18)、かれんど、大魔神像 (武神像/魔神像)、角川大映スタジオ、調布映画発祥の碑、京王相模原線 多摩川橋梁、多摩川河川敷、日活調布撮影所、J・マーケット守屋精肉店、文明、木曽一里塚、ふくいん クリニック

・八月ツイート
https://togetter.com/li/1767617

§  家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は六回です。

今まで乗っていた車を買い替える前日、最後の思い出に、と家族で横浜まで(8/7)。クィーンズスクエアの駐車場に車を停めた後、私は単独行動で臨港パークやkino cinema 横浜みなとみらいで「アウシュヴィッツ・レポート」を観劇しました。夜に合流し、家族でGarlic JO’sで美味しいニンニク料理の数々を堪能しました。その後、少しだけ夜の横浜をドライブしまして、赤レンガ倉庫などを訪問しました。今まで十年ほど乗ってきた車を手放すよい思い出になりました。
次の日は妻と車の買い替え手続きを行った後、家族で新しい車に乗って町田まで(8/8)。次女がアルバイトまでの時間、街中にある「おでん屋 たけし」さんでおでんを頂きました。ここ、とても出しが美味しかったです。またお伺いしたいと思います。


さらにその次の日、新しい車で遠出をしようと「京急油壷マリンパークへ」(8/9)。9月末で閉館してしまうこちら、妻とは前の年に二人で来たのですが、娘たちを連れてきてやろうと思ったのです。台風の影響で風が強かったのですが、最後にペンギンやカワウソたちのかわいらしい姿に癒やされてきました。その後は、三崎港へ。ここでもマグロを安く買い、美味しいトロマンに舌鼓を打ちました。
最後は私の希望で城ケ島へ。まだ一度も来たことがなかったので、城ケ島灯台や海の波を眺めてきました。

家族で買い物に、とららぽーと横浜を訪れたのは8/14です。私は家族の買い物には付き合わず、タリーズコーヒーで仕事をしていました。
また、家族ではそれ以外にも外食を一度しました。私と妻が滋賀福井愛知静岡の旅から帰ってきた時、家族で近所の回転すしへ(8/22)。
それ以外にももう一日、家族で外出し、近所のアイスクリーム屋さんを訪れました(8/24)。

今回のコロナを通し、毎日をどう過ごすのか。能動的に過ごさないと、時間はあっという間に過ぎ去っていきます。
仕事だけの毎日ではなく、自分自身や家族との時間をどう過ごすのか。家という基盤がある幸せを噛みしめつつ、限られた一生をどういきるのか。それを娘たちに伝えたいと考えています。
今月は夏なのに夏らしいことが家族でなかなかできませんでした。その事実が逆に今の一瞬一瞬がどれほど貴重な瞬間かを物語っています。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で五回出かけました。

まずは、家族で乗っていた車と最後にお別れする際、横浜に向かう途中で妻と二人行動を(8/7)。
その翌日は妻と車の買い替えの最終手続きへ。その後家族でおでん屋に行ったのですが、帰りに少し町田の菅原神社に立ち寄って夫婦でお参りしてきました(8/8)。


続いて終戦記念日(8/15)。この日は朝、タカラヅカの代表の用事で都心に行く妻を駅まで送った後、私も日曜日、雨が降っているので前から行こうと思っていた九段下の昭和館へと。ここをじっくり見た後、靖国神社に参拝に行くことを妻に伝えると、妻も行きたいと。そこで妻はタカラヅカの用事を終えてから昭和館で合流。私は常設展示を二回見て回りました。でも、その甲斐はありました。
それから妻と靖国神社へ。鳥居の前におしゃれなカフェがオープンしていて、そこでご飯を。そして参拝へ。長蛇の列ができていましたが、私はそこではなく別の場所で参拝を済ませました。雨の中並ぶのは大変なので。
さらにそこから妻が上野の寛永寺に行ってみたいというので、電車で根津まで。そこから小雨の中を歩いて寛永寺へ。さらに徳川家の歴代将軍廟の入り口まで行くことができました。輪王殿などを通ってから駅へ。雨の東京をじっくり歩き回ることができました。

続いてこの夏を彩った福井の旅へ(8/20-22)。妻が福井で吉田好寛の史跡を巡りたいと靖国神社のカフェで行ったのが発端でした。
私は実は吉田修理好寛という人物を知りませんでした。よほどの戦国ファンでも知らない方だと思います。
8/20に出発したのですが、出発したのがすでに午後。豊川稲荷や熱田神宮など、どこかに寄って観光しながら福井に行きたかったのですが時間がありませんでした。途中、新東名の駿河湾沼津SAに寄った程度。夜は長浜ICで降りたのですが、街はコロナの余波で閉まっていました。そこで寄ったのが近江ちゃんぽんのちゃんぽん亭長浜店です。私も以前、東京の銀座で食べたことがありますが、せめて近江ちゃんぽんを近江で食べるぐらいはしたかったのです。ところがここで妻がとても美味しいとハマってくれたのは嬉しい誤算でした。

その日は夜、武生に到着。宿も決めずに車中泊の予定でした。久々に武生の夜を楽しみましたが、話の流れで福井迄いって宿をとることにしました。ドーミーインは温泉もついていて、妻にとっては良いお宿だったようです。

翌朝8/21、私は6時に起きて一人で出発しました。まず柴田神社や北の庄城跡、さらに新田塚駅に立ち寄りました。
その近くの新田義貞公の戦没地は、前々から訪れたかった場所です。新田義貞公は南北朝時代に活躍した武将であり、私の家のすぐそばを通る鎌倉街道を何度も行き来したはずの方。戦没地は一度訪れておきたかったのです。
さらに越前新保駅へ立ち寄りました。ここの駅前にある福井愛育病院こそ、私が誕生した地です。ところがそれ以来一度も来たことがありませんでした。48年生きてきてようやく自分の生まれた地を見ることができました。
妻と合流した後、まずは佐佳枝廼社に参拝。ここの副祭神に吉田修理好寛が祀られています。福井城に隣接し、なかなかの広壮な社が印象に残りました。
続いて吉田修理好寛の墓を探しに足羽山へ。ところがここには見つからず。さらに越前東郷まで足を延ばし、駅の近くにある霊泉寺を訪問しました。ところがここにも墓は見当たりません。

そこで昨晩訪れた越前市の霊泉寺こそが目的地であるとし、南へと行先を変えました。途中、ここも目的地に増やした明智神社へ。行きの高速の車内で妻にふっと降りてきたのが細川ガラシャ夫人。その本人が生まれたのがこの明智神社でした。山裾のこの地は、かつて受けた明智光秀公からの恩を大切にし続けていた場所。社はこじんまりとしていましたが、とても良い社でした。小さな資料館にも有益な情報があり、アマガエルが3匹いたことも印象に残りました。

続いて私たちは越前和紙の里の総鎮守である岡太神社/大瀧神社へ。この神社、本殿の複雑な屋根の意匠がお見事。ぜひ一度は参拝しておくべきです。境内の苔むした様子もとても素晴らしかった。近くのパピルス館でも、和紙の素晴らしき世界に触れることができました。
続いては越前の里 味真野苑へ。この境内には万葉集の頃からの植物が植えられ、日本庭園ではあるものの、特色を感じました。私たちの目的はこの中にある万葉庵で越前そばを食べること。ここでも妻が頼んだ料理が当たりだったらしく、妻が美味しい美味しいと連発していました。私もこのお店で福井弁を久々に聞くことができました。
続いて訪れた霊泉寺では、墓地が立ち入り禁止になっており、吉田修理好寛の墓を見ることができず。大きな仁王像が二体、堂もなしに出迎えてくれるなど、印象に残るお寺でした。
さらに私のリクエストで柳の滝へ。雨の中だったので、妻は二つ目のお釜滝で引き返したのですが、私は五つ全ての滝を見てきました。アブに三カ所咬まれたのですが、良い滝でした。

さて、この日の夜は愛知県まで戻り、豊田市の駅そばにある「名古屋めし食堂」でご飯を食べました。うなぎや味噌とんかつなど、名古屋めしを堪能しました。
泊ったのは豊川稲荷近くにあるクラウンヒルズホテル。


翌朝8/22は、さっそく二人で豊川稲荷に参拝しました。妻は東京別院には二度訪れたそうですが、私は本院も別院も初めて。私たちが参拝した瞬間、恵の雨がザーッと降ってすぐに止んだのが印象に残りました。境内も広大で、狐の像の数々に圧倒されました。
妻がいろいろと啓示を受けてくれ、それを私にも話してくれました。こちらの豊川稲荷は商売にご利益があるとのこと。二周目で、奥の院に向かう際に奥の院の別名が今、弊社が検収間近なお客様の名前と一緒であることを知り、私も心を改めて祈りました。
また、車に戻った後も、妻から啓示として告げられたことで、私もとても思うことが多々ありました。その中の一つに沢庵和尚について調べるように、との言葉もありました。
それらも含め、私にとって実りの多い参拝でした。もちろん妻にとっても。この旅は私の体調が良くなく、豊川稲荷を詣でる前夜は死すら脳裏をよぎったのですが、それも含めて私のこれからにとってとても印象的でした。



帰路、浜名湖SAに立ち寄ったのですが、その後も時間がありそうだったので私の提案で久能山東照宮へ。私も妻も初めての訪問でしたが、海側の1159段の階段を登ることに。私も体力的に不安でしたが、咋秋の手術から運動らしい運動をしていなかった妻がどうか、という問題がありました。ところがタマムシやクロアゲハや鳥に導かれ、無事に山の上に鎮座する東照宮まで登りきることに成功しました。家康公の聖櫃にも手を合わせると、トカゲが。そばに繁っている金のなる木も含め、とても印象に残る東照宮でした。
帰りに富士川SAから見た富士山の様子も含め、良い旅ができた三日間でした。




妻とは月末8/29にも、二人で町田を訪れました。スタバを訪れ、守屋精肉店で焼き豚を購入するなど。
今月は妻と過ごす時間が多く、人生の上でとても貴重な時間を過ごせた夏でした。


§  妻と長女とのお出かけ 
妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で一回出かけました。

新しい車で町田まで出た日(8/8)、おでんを家族で食べた後、バイトに出かけた次女を除いた三人で道の駅ぽっぽ町田へ。
長女も専門学校を卒業し、仕事をこなしながら、家事をいろいろと手伝ってくれています。


§  妻と次女とのお出かけ 妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で出かける機会はありませんでした。

次女は、学生生活最後の夏休み。ですが、ご存じのとおりコロナウィルスであらゆる外出の機会を失っています。
ただ、バイト先での仕事があったため、アルバイトに精を出していたようです。これから就職するにあたって、めいっぱい学生生活を満喫できなかったのは気の毒です。

金欠になることはなさそうですが、高校生活の最後の二年がコロナで台無しにされ、本人はとてもいらだっています。秋に修学旅行も予定されているのですが、その実施すら危ぶまれているそうです。
将来の生き方も含めてアドバイスはしましたが。このまま就職してしまうことに迷いが出ているようです。どのような働き方をするか本人なりに考えていかないと。引き続き話し相手になろうと思います。



§  娘たちとのお出かけ 娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は娘たちとは長女とゼロ回、次女と一回出かけました。

次女とは家族で訪れた三崎の旅の最後に、城ケ島灯台を訪れました。この時、妻と長女は車に残り、ついてきたのが次女だけでした。
二人で灯台からの景色や近くの入江に打ち付ける波を眺め、その付近にごろ寝していた猫などと一緒に戯れました(8/9)。

コロナに人生を乱され、気の毒とは思いますが、そこで何をするかで人生は変わってきます。ですが、20才そこそこの私もあまり褒められた時間を過ごしていませんでした。もう少し様子を見てみようと思います。
これからも家族の時間が持てることを期待しつつ。

●私自身の八月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月も関西には行きませんでした。夏の帰省もコロナでここまで縛られていては行きようがありません。
仕事では毎週、関西の方とオンライン・ミーティングを行っているので、それほど疎遠になった感じはしません。

§  今月の交流 今月も緊急事態宣言やまん延防止法が足かせとなり、交流どころではありませんでした。

前半はサテライトオフィスに日参しており、仕事上の交流は出来た気がしますが、プライベートではほぼ誰とも会っていません。
とはいえ、家族との時間もその分多く取れたので、特に孤独は感じていません。

おそらく来月もまだ交流は出来ないでしょう。私の場合、一人の時間も苦にならないので、またどこかに旅をして気持ちを発散するつもりです。

●私自身の八月(文化活動)

§  弊社ブログへのアップ記事一覧 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2020年に読んだ14冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年六カ月以上に延びています。
ちょっと遅れが目立ってきており、こちらも危機感を持っています。質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

三年前の春まで連載していたCarry Meさんが運用している本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記-打たれてもへこたれない」)
今回は5本おきにアップするコラムです。メンタルのケアについて書いています。

今月、書いた本のレビューは14本(
保科正之 民を救った天下の副将軍
文明が衰亡するとき
昼は雲の柱
ハル、ハル、ハル
人災はどこから始まるのか 「群れの文化」と「個の確立」
蛍の森
一番やさしい簿記
鞆ノ津茶会記
決定版 日本書記入門 2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る
蒼き狼
初めてでもグングンわかる経理・簿記のツボ
闇に香る嘘
「ご当地もの」と日本人
女信長
)。
今月、書いた映画のレビューは1本(
アウシュヴィッツ・レポート
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は2本(
スポーツの感動は人類に必要
76回目の終戦記念日にあたって
) 。
今月、書いた弊社の活動ブログは0本()。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§  今月の読書 今月は7冊の本を読みました。内訳は、伝記二冊、歴史本三冊、純文学一冊、学術本一冊。

仕事の合間に本を読んでいますが、7冊はよく読んだ方でしょう。
今月は宗教関連についての本、太平洋戦争についての本、地図についての本でした。
夏は戦争関連の本を読むようにしておりますが、今月は宗教関係の本を多く読んだ月でした。
残された余生でまだまだ得るべき知識、考えるべきことは多く、私に残された時間はあまりにも短い。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。
人生の師匠が出版した本のレビューを書いたこともありますし。

§  今月の映画 今月の映画鑑賞は1本です。

アウシュヴィッツ・レポートを見てきました。(レビュー

内容からもあらためてその蛮行のすさまじさに怖気を振るうしかないです。エンドクレジットで現代の各国のポピュリストや扇動政治家のスピーチが流れていたのがとても印象に残りました。そうした動きに私たちはどこまで対処できるのか。考えていかねばなりません。

もう一つ映画に関するエピソードとして、自転車で調布を訪れてきました(8/28)。角川大映と日活の撮影所を通りがかりました。


§  今月の舞台 舞台については、今月は0本です。

§  今月の音楽 今月も生演奏を聴く機会がありませんでした。
コロナが始まってから、70年代の洋楽を聴きまくっています。今月は先月に続いてRod Stewartのアルバムをデビュー作から順に聴いていました。
続いて、Electric Light Orchestraもデビューアルバムから全て聴いています。

今月はThe Rolling Stonesのドラマー、チャーリー・ワッツ氏が亡くなるニュースが世を騒がせました。
あと、ゴシップですがNirvanaのかの有名なアルバムジャケットの被写体となった赤ちゃんが成長し、児童ポルノでバンド側を訴えたのが新鮮でした。
The Scorpionsの「Virgin Killer」とかどうなるんやろ。


§  今月の美術 今月は昭和館に訪れた際に当時のポスターを振り返る特別展「ポスターのちから ~変化する役割と広がるデザイン~」が開催されていましたので見てきました。私はポスター芸術を昔から好んでおり、何度か展示会も行ったことがあります。
ですが、海外のポスターが多く、日本の戦前の、しかも軍国主義から戦後の一転した平和へ向かう様子を概観する機会がありませんでした。これはとても良い展示会でした。


§  今月のスポーツ 今月はオリンピック/パラリンピックの名勝負を抜きにして語れません。
動画やスポーツニュースで数えきれないほどの試合を見ました。
コロナの感染者数を増大させたという点で批難を受けていますが、私はやはりやってよかったと思います。
引き続き選手たちには熱戦を期待したいと思います。熱暑の中で大変ですが。


§  今月の滝 今月、訪れた滝は6滝です。「不動滝(8/21)」「お釜滝(8/21)」「布滝(8/21)」「名もない滝(8/21)」「窓滝(8/21)」「夫婦滝(8/21)」
これらの滝は柳の滝としてガイドマップに載っています。が、実際はこの六つの滝からなっています。

妻は最初の不動滝とお釜滝で断念しました。というのも小雨が降っていて足元が悪かったことと、布滝の付近でハチに刺されたという情報があったためです。
ですがせっかくなので私一人で残りの四つの滝を見て回ってきました。布滝が最も見ごたえのある滝でしたが、ただ、その上の窓滝も見るべき価値がある落差の大きい滝です。ここで私はハチではなくアブに三カ所を刺されてしまいました。
なお、窓滝と夫婦滝はその形と滝の説明や名称が逆になっている気がしました。これは今度調べてみたいと思います。


§  今月の旅行 今月は、仕事も忙しかったのですが、合間に充実の旅も過ごせました。
まず、サテライトオフィスに仕事で訪れたのですが、気合を入れるために自転車を借りて羽田まで。往復で50キロ近くの距離を走ってきました(8/1)。行きは80分で着いたのですが、帰りは2時間ほどかかってしまいました。でも、道中には不死鳥そっくりの雲を見かけ、とても楽しいサイクリングでした。ようやく多摩川の下流をきちんと巡れた満足感が大きい旅でした。

また、家族で訪れた油壷、三崎、城ケ島の旅(8/9)は上に書いた通りです。雨と陽光が交互に訪れるせわしない旅でしたが、満足できました。

妻と訪れた終戦記念日の旅も上に書いた通りです(8/15)。

また、今月のハイライトは妻と二人で旅をした滋賀・福井・愛知・静岡の旅でしょう(8/20-22)。こちらも上に書いたので、これ以上は書きません。妻と二人でここまでの旅をしたのは十年以上前に紀伊半島を一周して以来です。思い出に残る旅ができたことに満足です。


また、月末近くになって、再びサテライトオフィスから自転車で調布に向かいました。「かれんど」さんのカレーが目当てでしたが、それ以外にも映画の街調布を代表する二つの撮影所を訪れてきました。日本映画が見たくなりました。



§  今月の駅鉄 趣味の駅訪問は6駅です。「越前武生駅(8/20)」「新田塚駅(8/21)」「越前新保駅(8/21)」「越前東郷駅(8/21)」「豊川駅(8/22)」「豊川稲荷駅(8/22)」

越前武生駅は夜に訪れました。すでに終電が間近なのですが、車両がラッピングされていてローカル色は皆無でした。かつて、自転車で甲子園から芦原温泉まで走った際、JR武生駅前で写真を撮ったのですが、その時にこちらの越前武生駅には来ませんでした。
かつてはどんな姿だったのか興味を惹かれます。もっとも駅の改札付近の様子はローカル色があり、また昼間に来る機会があれば来ようと思いました。


新田塚駅は、新田義貞公の戦没地近くにあります。私にとって福井のこの辺りは京福電鉄という知識でしたが、いつの間にかえちぜん鉄道に変わっており、しかも福井鉄道から相互乗り入れしてきていました。路面電車が普通の鉄道に乗り入れていて、そのためからか、駅にある三つのホームのうち、真ん中のホームだけが高く、面白い構造になっていました。駅には女性の方がいらっしゃっており、親切に対応してくださいました。


越前新保駅は、えちぜん鉄道の駅です。この駅からすぐのところにある私が生まれた病院も含め、私がおそらく初めて訪れます。福井の市街からさほど離れていないのですが、のどかな駅でした。


越前東郷駅はさらに市街地から離れており、そもそもJR越美北線の運行本数が少なく、駅自体もとてもさびれていました。それでもなぜか駅舎の中には由緒ありそうな花瓶が飾られており、全国のSLの写真が飾られるコーナーがあったり、駅の外にはトイレなのか洗面所なのか分からないスペースがあったり、なかなか面白い駅でした。


豊川駅と豊川稲荷駅は隣り合っていて、私にとって初めてきちんと訪れる名鉄の駅です。JRの豊川駅はホームに入る時間はなかったのですが、立派な駅舎を擁した駅でした。



§  今月の酒楽 今月も外では飲んでいません。
とはいえ、お酒を買ってきて何度も家のみはしています。
前半はKAVALANのハイボールやクラフトビール。

妻が買ってきたCHIANTIの赤ワインは美味しくのみました。
また、福井の旅の初日、地元の日本酒のワンカップを買いました。
それと、アウシュヴィッツ・レポートを見に行ったことをリツイートしたらスロバキアのワインが赤白一組当たりました。嬉しい。


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は五カ所。「臨港パーク(8/7)」「薬師池公園 蓮園(8/18)」「薬師池公園(8/18)」「新田塚公園(8/21)」「越前の里 味真野苑(8/21)」「万葉菊花園(8/21)」「小次郎公園(8/21)」
・博物館は二カ所。「昭和館(8/15)」「パピルス館(8/21)」
・美術館はゼロカ所。
・駅は六駅。「越前武生駅(8/20)」「新田塚駅(8/21)」「越前新保駅(8/21)」「越前東郷駅(8/21)」「豊川駅(8/22)」「豊川稲荷駅(8/22)」
・入手したマンホールカードは三枚。「福井県越前市(8/21)」「東京都調布市(8/28)」「東京都町田市(8/28)」
・滝は六滝。「不動滝(8/21)」「お釜滝(8/21)」「布滝(8/21)」「名もない滝(8/21)」「窓滝(8/21)」「夫婦滝(8/21)」

・温泉は一カ所。「天然温泉 羽二重の湯 ドーミーイン福井(8/20)」
・山は一山。「久能山(8/22)」
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は十二カ所。「平和大鳥居(8/1)」「駒井日枝神社(8/5)」「菅原神社(8/8)」「靖国神社(8/15)」「柴田神社(8/21)」「榮稲荷神社(8/21)」「佐佳枝廼社(8/21)」「明智神社(8/21)」「大瀧神社・岡太神社(8/21)」「駿河稲荷社(8/22)」「久能山東照宮(8/22)」「久能山東照宮 日枝神社(8/22)」

・寺は十二カ所。「五十間鼻無縁仏堂(8/1)」「寛永寺(8/15)」「根本中堂(8/15)」「寛永寺 輪王殿(8/15)」「永昌寺(8/21)」「霊泉寺(8/21)」「霊泉寺(8/21)」「豊川稲荷 (妙厳寺)(8/22)」「久能山 徳音院(8/22)」「久能寺(8/22)」「豊川稲荷 東京別院(8/25)」「豊川弁財尊天(8/25)」「融通稲荷(8/25)」「豊川稲荷東京別院 奥の院(8/25)」「曹源寺(8/26)」「海禅寺(8/26)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は六カ所。「羽田の渡し跡碑(8/1)」「多摩川決壊の碑(8/6)」「徳川綱吉霊廟 勅額門(8/15)」「燈明寺畷新田義貞戦没伝説地(8/21)」「調布映画発祥の碑(8/28)」「木曽一里塚(8/30)」

・遺跡はゼロカ所。
・城は二カ所。

「北の庄城趾(8/21)」「久能寺山城(8/22)」

・灯台は一カ所。「城ヶ島灯台(8/9)」

・水族館は一か所。
「京急油壺マリンパーク(8/9)」

・土木遺産はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
自粛自粛と過ごしていれば、日々に追われてあっという間に老け込んでいくことは間違いありません。
そうしているうちに、加齢が気力を奪い、あきらめを自らの自然な感情と勘違いしたままかつての欲求を忘れて老いてゆく。これだけは防ぎたいと思っています。

コロナに人生を台無しにされるぐらいなら、一人でも旅を敢行したいと思います。会話は控え、マスクに口と鼻を隠した黙旅を。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。何をしても最後には死にます。昨年の九月に読んだ「「死」とは何か」という本には死生観を持つことの大切さが書かれていました。今月はそれに加えて沢庵和尚の生涯から権力にこびず、わが道を行く生き方を学びました。

人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われるのです。私も影響を受け、二駅歩かされた小田急線内の刃傷事件も今月でした。
ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の社会や環境や老いた自分がそれを妨げにかかってきます。
今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。

仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げは確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていないので。不労所得のタネを持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は俳句を19句、川柳を3句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


2021年8月のまとめ(法人)


令和三年八月。
東京オリンピックがさまざまなドラマを見せながら閉幕しました。本稿を書く今は、パラリンピックが熱戦を繰り広げられています。
スポーツのイベントが開催されたのなら、一般人の日常もそれなりに開放しろとばかりに、人々が街に繰り出しています。その結果、緊急事態宣言にもかかわらず患者数が増えてしまいました。
そろそろリアルな商談すらもワクチン・パスポートが必要になるだろうと考え、弊社代表も八月の末に一回目のワクチンを接種しました。

大変な状況の中、尽力してくださっている医療関係者の皆様。そして、自粛の風潮の中、経済的な苦境に陥った特定の業界の方々。そしてオリンピックを通して国民に勇気を与えてくださっているスポーツ選手たち。他にもコロナによって辛酸をなめていらっしゃる皆様。皆様が早く以前の生活に戻れることを願いたいです。

ただ、戻れるといっても働き方のことではありません。コロナ後には従来の働き方に戻れる、と考えている方が存外に多くいらっしゃるようです。ですが、コロナによる混乱はまだまだ続くでしょう。ワクチンは万能ではなく、抗体がすぐに減少してしまうとの説も出ています。通勤やオフィスのあり方がもとに戻ることはないと思います。むしろ、わが国の場合、戻ってはならないと考えます。
もちろん、既存のやり方にしがみつく人もいるでしょう。何かを変えようと果敢に挑戦する組織もあるでしょう。ですが、コロナがあってもなくてもわが国の状況は思っている以上に深刻だったのです。既存の仕組みへの疑いを皆が抱き、新たな枠組みに向けた動きが進まないことには、わが国の長期低落は避けられません。
このコロナとオリンピックを機に、既存のやり方を変え、新たなやり方を取り入れていかなければ。

諸外国と比べ、何が非効率なのか。高度成長期にわが国が成長した理由は何で、これからの時代は何を長所として生かすべきなのか。前例を踏襲するだけで別の可能性に目を閉ざしていないか。
システムが得意な作業はどれか。人間の仕事で非効率な作業はあるのか。私たちがより創造的な日々を過ごすために何をすればよいのか。または私たちの可能性を阻むものはどこにあるのか。非効率で不条理な状況を早く世の中から駆逐しましょう。
弊社は、そうした流れをより促進していくために引き続き活動していきます。

今年に入ってから、二人の新たな仲間を迎え入れた弊社。二人とも頑張ってくれています。徐々に弊社のノウハウも溜まりつつあります。
弊社もその頑張りに応えられるようにしなければ。自社の直案件を増やし、次の高みへ。
そんなビジョンで業務をこなしてゆきたいと思います。

達成度五割。達成感六割。満足感六割。それが今月の代表自身の自己採点です。

弊社とご縁をいただいたあらゆる方々に感謝します。ありがとうございました。



●弊社の業績

§ 総括 八月度の売上は、まだ確定していません。
ですが、残念ながら目標に対して大幅に割り込む見込みです。理由は先月に見込んでいた複数の案件のうち、二つの案件が検収に至らなかったからです。ほぼ検収依頼が掛けられる状態に持ち込めているのですが、まだお客様の都合もあって時間がかかりそうです。

弊社は売上を一社に依存せず、複数のお客様に分散させています。今期の四月から八月までの売上高を見ると、16社のうち、売上高占有率の一番高いお客様は16%。その他、10%を越えたお客様が4社。この5社で全体の60%を占めています。もう少し分散させる必要があります。
そうしないと、先月や今月のように案件に検収に遅れが生じると売上に不足が生じます。
そろそろ弊社の体制もより案件を請けられるまでになってきたので、先月と今月に続いて新規の営業開拓にも取り組むつもりです。売上高占有率を最大でも10%に抑えるためにも。
経営上のリスクをより低めるためにも今後も引き続き、売上を分散させる体制を維持していこうと思います。

今年に入ってから仲間になってくれたお二人は作業を頑張ってくれています。案件単位でも成果をあげてくれるようになりました。八月は苦労していた実装も無事にめどをつけてくれました。
九月からは、複数の案件を同時に担当してもらい、並行で進行してもらうつもりです。引き続き生産性の向上を図りつつ。
複数の案件を担当しながら成果につなげるには、一件あたりの稼働時間を少しでも抑え、なおかつ品質も維持しなければ。
これが成果につながれば、複数の案件を同時に進行しつつ、順次検収もいただけるようになるはずです。そうなってようやく経営は安定します。

一方で、案件を継続的に受注できるよう、先月に代表が露出に励んだ成果が出てきました。
以前からの取り組みの成果も含め、途切れずに新たな案件をいただけています。この八月も数件。このコロナ禍の中でありがたいことです。
体制を組んだことによって、代表がそうした営業活動にリソースを割けるだけの余裕ができつつあります。
また、さらなる露出を行うため、会社のTwitterアカウントを二人に移譲し、ブログ用のアカウントも渡しました。

先々月から始めた、週一度対面で作業する取り組み。今月の後半はコロナのため行いませんでしたが、前半に実施しました。
また、今月からは勉強会も行いました。弊社の二人とパートナー企業から二人を招いて。
こうした取り組みは今後も行うつもりです。

今月は弊社にとって以下のようなトピックがありました。
・現金つり銭機とkintoneの連動案件にめどがついたこと。
・StripeとMemberPress(WordPress)とfreeeとkintoneを結ぶ案件にめどがついたこと。
・風神レポートと風神ルックアップの連動から帳票オンラインを加えた仕掛けに変更し、めどがついたこと。
・SOKUDAN様より、弊社代表が『リモートワーカー認定』をいただいたこと。

他にも二つほど特筆すべきお知らせがあります。が、この件についてはまだ発表が止められているのでお楽しみにしておいてください。

実績を出しながら、日常も充実させる。それらは全て、代表の求めるワークライフバランスの実現につながってゆくはずです。

§ 業務パートナー 今年に入り外注ではなく、自社で業務にあたっていく方向に舵を切った弊社。
自社で開発にあたるため、コミュニケーションのやり方やフローに日々改善を加えています。

ただ、今までにご縁のあった技術者さんとの縁もつながっています。
先月から始めた社内勉強会には、パートナー企業の二人の技術者を招いています。
・8/5 kintoneプラグインの代表的なものの紹介
・8/13 kintoneアプリ間データ連携のあれこれ
・8/19 kintoneアソシエイト試験対策(ファイルインポート)

今、弊社が準備を進めている複数の案件の中で、二つの大きな案件についてパートナー技術者さんとの協業を前提に進めています。
このように、弊社内で担う案件とパートナー企業さんと協業する案件を使い分けることで、経営の安定を図っていきます。

Slackでの内部発信(社内およびパートナー様向け)は毎営業日に着実に行っています。代表の考えや哲学や思いを共有し、円滑に成果をあげていくためにも欠かせないと考えています。

体制を強めるとともに、業務パートナーさんとの協業にも効果を出したいと思っています。

§ 開発案件 今月は八割の開発案件がkintoneがらみでした。
ところが、先月に新たにいただいた三つの大きな案件はkintoneとは無関係です。
弊社はkintoneに未来を賭けようとしていますので、kintoneに絡むPaaS/SaaSや、kintoneとの連携に必要なJavaScriptやphpといった言語を扱い、あまりkintoneに関係ない案件については、パートナー企業に委ねようと思っています。

弊社はkintoneをメインに考えています。ですが、案件がkintoneだけで完結することはまずありません。ウェブサイトも含めた周辺のシステム、特にSaaS/PaaSとの連動を含めた構成が欠かせません。
弊社の技術ノウハウがkintoneだけに偏らないように配慮し、弊社の可動域をkintoneの外に広げておけば、kintone業務にもそれが返ってくるはずです。そのためにも、一見するとkintoneとは無関係の案件もうまく取り組むつもりです。

kintone単体であればカスタマイズは容易です。仕様変更があってもそれほどの手間は生じません。
ただ、システム連動などにおいて起きうる仕様変更をいかにして防ぐか。それにはやはりノウハウがいります。
仕様変更をなくすためには要件定義フェーズを含めた作業が必要です。ただ、そのフェーズを含めた提案を行うにはお客様のご予算を越えてしまいます。

それをなくすため、先々々月に代表が構想した無為自然の老荘思想に沿ったシステム開発。無理をせず、お客様との間に無益なあつれきを生まない開発体制。
ですが、現時点ではまだ理想ははるか先です。現時点では、仕様変更を防ぐための検品表や仕様書を定めていくしかないのでしょう。あとは弊社メンバーが即座にそれを実装に結び付けられるのを待つか。
ただ、理想は追い求めたいと思います。旧来のシステム開発のセオリーにしがみついていては、会社も成長が見込めません。
成長していかねば衰退するのみ。そのため、先月から弊社内部で始めた勉強会は続けていこうと思います。

おかげ様で新たな案件の引き合いは途切れずにいただけています。来月以降に続くお話も。それらをきちんとこなすためにも、準備と実装のための環境は作っていかねば。

二人の仲間が参加してくれたことで、こうした案件を自由自在にこなせるような体制は少しずつ固まってきています。少しずつ代表の抱えていた作業を切り離していきたいと思います。



§ 財務基盤の堅牢化 財務をきっちりすること。前からの課題です。
弊社としては問題ないのに、家計が絡むととたんに脆弱になる。
いつになればこの状態が落ち着くのか。課題は山積みです。

助成金や補助金にも力を借りて乗り切ろうと思います。
財務の件は、引き続き最優先で取り組んでいきます。

§ 社内体制 昨年の八月より、常時専任の技術者さんに顧問として手伝ってもらい始めました。

また、昨年の九月には、
社是
企業理念
経営理念
9つ(ナイン)の「ない」
アクアビットに合わない方
を作成しました。

さらに、今年からは新たに二人の仲間に参加してもらっています。
リモートによるサポートだけでは理解度に差が生じるため、週に一度は必ず顔を合わせての作業を行っています。
今月は、コロナや夏休みもあったため、こうした機会を二回だけ行いました。
・サテライトオフィスで8/5に三名で。
・サテライトオフィスで8/13に四名で。

その分、今月からSlackのハドルミーティングを使い、音声と画面共有による案件の状況共有を進めています。
これがなかなか有効であり、今後も使っていきたいと考えています。

こうした弊社の取り組みが少しずつですが実を結びつつあるように思います。
代表からそれぞれのメンバーに対して指示するのではなく、それぞれのメンバーが自発的に密接につながる組織。
先月に関係も密になってきた手応えがありましたが、今月は会う機会が少なかったため、また距離が出たように思いました。
そのため、30日に内部で改めて話を聞く機会を作りました。

先々々月に出来上がった就業規則の時間の規則を変えたいという要望や、キャリアアップ助成金に関する地位の件など。
二人のメンバーには正社員登用を行うつもりですが、そのあたりの意識の統一なども含め。

また来月から関係を構築する努力をやり直そうと思います。

代表も先月からつけ始めた部下ノートを継続し、皆で成長していけるような関係を作っていこうと思います。

規模拡大が目的の全てだとは思いません。が、弊社の定めた企業理念

企業理念
公明正大な情報技術をあらゆる生き物のために
正直に、飾らずに、パートナー、お客様、地域、自分、家族のために

の実現のためにも、体制の効果を発揮したいと思っています。

§ 人脈の構築 人と対面する機会がめっきりなくなったこの一年半。
ところが、さまざまなチャネルを通じて弊社には定期的に新たな引き合いをいただいています。本当にありがたいことです。
おそらく、あちこちで露出をしてきたからでしょう。イベント登壇、他社のブログ登場、今までに弊社サイトに書いたさまざまなブログ群、SNSの書き込み、既存のお客様からのご紹介。

リアルのイベントが復活するにはまだまだ時間がかかるはずです。
そのため、引き続き複数のチャネルによる新規案件の確保に注力しようと思います。
ですが、今月、頂戴した名刺は0枚でした。オンライン上では新たにおおぜいの方にお会いしたのですが、対面でお会いしていないので商談に至る関係が作れません。それが残念です。

ブログ発信、SNSの書き込み、オンラインイベントへの登壇は今後も行っていこうと思います。
オンラインであっても人脈は構築できるはず。ビジネスの新たな流れを創り出すため、引き続きオンラインイベントには参加していくつもりです。コロナ禍が落ち着くことは当分なさそうなので。
もちろん、案件を着実にこなし、誠意と公正さを持ちながら。
引き続きよろしくお願いいたします。

§  対外活動 今月は以下のイベントに参加しました。虐待防止のDXとは─情報共有の先にあるもの(8/26)。

今月はコロナの感染者拡大やオリンピック/パラリンピックもあったため、活動も控えめでした。

先月の露出が来月以降の案件の増加につながることを信じ、今後とも、代表と弊社メンバーによる情報の発信を行っていく予定です。弊社のYouTubeチャネルも開設したことですし。

きっと、必ずや、コロナは小康状態に落ち着くと信じます。そして、また皆様と交流を深めたいと思っています。
まずは今月の弊社とかかわっていただいた皆様、誠にありがとうございました。

§ 執筆活動 三年前の春まで連載していたCarry Meさんが運用している本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記-打たれてもへこたれない」)
今回は5本おきにアップするコラムです。メンタルのケアについて書いています。

今月、書いた本のレビューは14本(
保科正之 民を救った天下の副将軍
文明が衰亡するとき
昼は雲の柱
ハル、ハル、ハル
人災はどこから始まるのか 「群れの文化」と「個の確立」
蛍の森
一番やさしい簿記
鞆ノ津茶会記
決定版 日本書記入門 2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る
蒼き狼
初めてでもグングンわかる経理・簿記のツボ
闇に香る嘘
「ご当地もの」と日本人
女信長
)。
今月、書いた映画のレビューは1本(
アウシュヴィッツ・レポート
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は2本(
スポーツの感動は人類に必要
76回目の終戦記念日にあたって
) 。
今月、書いた弊社の活動ブログは0本()。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§ 年表

・八月お仕事

Weekend Green&Cafe×2、Tully’s Coffee、新宿御苑で作業、新宿三丁目で作業、浅草近くで打ち合わせ、御徒町で作業、鶴川で作業、アクアビットサテライトオフィス×9

§ ツイートまとめ
・八月ツイート

https://togetter.com/li/1767378


スポーツの感動は人類に必要


東京オリンピックが閉幕式を迎えようとしています。
よくぞ終わったといえるほど、波乱の大会でしたね。
開会式の前日まで、各地で行われていた開催を反対する訴え。開会式の演出をめぐる人々の相次ぐ辞任や更迭。その結果を受けた開会式の酷評。
開催中には新型コロナ患者数が連日過去の数字を更新し、医療崩壊が叫ばれていました。

そんな中で行われたオリンピックの各競技は、さまざまな感動を私たちに与えてくれました。
私もロードレースのルートが家のすぐ近くだったので、女子決勝を沿道から応援してきました。それ以外の競技も仕事の合間を縫ってテレビで何時間も観戦しました。

開会式の前日にアップしたブログにも書いたとおり、私はオリンピックの開催に賛成の立場でした。
今もその考えに変わりはありません。むしろ、期待以上にスポーツ選手から多くの感動を分けてもらった今、その考えはより強固になっています。
勝者も敗者も含め、日頃の努力を披露する場が選手に与えられたことを祝福したいと思います。

その一方で、ある論者はスポーツが始まった途端、にわか愛国心を刺激されて熱狂する日本人の姿に太平洋戦争の過ちを結びつけていました。
医療が現実に崩壊しつつある中、スポーツにうつつを抜かすなんてけしからんと。
そもそも、国民からさまざまなイベントを取り上げておいて、なぜオリンピックだけが優遇されるのか。
もっともな意見だと思います。

前のブログで書いたとおり、私は無条件に開催を喜ぶつもりはありません。東京に経済や文化や人口が集中するリスクが全く改善されなかったことや、日本の前例主義の限界が露呈したこと。官僚や政治家の実務能力にも限界が表れました。
今回のオリンピックはさまざまな課題を突き付けたのではないかと思います。
先のブログに書いたとおり、商業主義はもうやめて、開会式や閉会式もシンプルで良いのではないかと思います。オリンピックとは選手の頑張りに感動するだけで十分。

ただ、オリンピックはこれからも行われるべきです。スポーツから受ける感動は、これからも私たちの生きる活力になるはずだからです。組織の失敗や商業主義に対する非難とスポーツのあり方は別に考えるべきではないでしょうか。

オリンピックとはスポーツの優劣を決める最高峰のレベルであるべきです。そこで勝ったメダリストには最大級の栄誉が与えられて良いと思います。プロアマを問わず金銭上の利益も含めて。

ただし、オリンピックの期間中は、スポンサーも含めて一切の商業主義の匂いを排除する。放映権すら、民間ではなく国が掌握して良いとすら思います。

そのかわり、オリンピックではドーピングも含めた不正には厳重に対処していただきたい。
公正な最高峰の舞台をみせてくれるのなら、これからのオリンピックも無観客でもいいくらい。国際交流すら断念して。
そのくらいの覚悟でやるのなら、国民のイベントを中止してまでオリンピックを行っても、国民に理解されるのではないでしょうか。

今回のオリンピックで出た課題を今後に活かさなければ、何のためにコロナ下でオリンピックを敢行したのかわかりません。

スポーツに打ち込む姿は美しい。だからこそ、今後のオリンピックは原点に立ち戻って純粋なスポーツだけが見たいと思います。

その意味でも、商業主義の香りが薄いパラリンピックも引き続き見ようと思います。


2021年7月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括 梅雨が明け、覚悟を持って臨んだ熱暑の季節。コロナとオリンピックが並走しながら、感動と熱狂と白けた気分に混ざり合っています。さまざまな意味で思い出に残りそうな夏です。
私は梅雨から夏への切り替えに身体が付いていかず、少し調子を崩しています。ある日の日中、夕方に気を失ってしまい、打ち合わせのオンラインミーティングに入れませんでした。

コロナに関するニュースが相変わらず世を騒がしています。連日、コロナウィルスの発生患者数が最高記録を更新し続けています。月末の東京はついに4000人の大台を突破しました。
コロナに振り回され続けるのか、それともコロナの中で人生を全うしようとあがくのか。一人一人に人生観が問われています。

昨年の九月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、生きる意味を問い続ける毎日です。
人生は有限であり、残された時間もあとわずかであること。

死ねば全ては無に消える。私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えていく。それがわかっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたい。仕事もプライベートも。そう思っています。
今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されないのです。
だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもっている場合ではないのです。

今月は家族とはゼロ回お出かけしました。妻とは四回、妻と長女とは二回、長女とは三回、次女とは一回。長女と次女とは一回。

娘たちはいつか巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんの人間です。だから、子離れや引退をきっかけに老け込むことはないでしょう。ですが、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§  月表

・七月お出かけ

方来亭、文禄堂 早稲田店、穴八幡宮、芳林堂書店、Dr.はん診療所築地銀だこKALDI COFFEE FARM、防人見返りの峠 展望台、丸山城、肉のハナマサ 鶴川店金井クラブサンドラッグ 町田野津田店zero one cafeDr.はん診療所パンステージ エピソード、Noodle Place 源玄、二ヶ領宿河原堰堤、和泉多摩川河川敷、建御雷神社龍Q館、藤の牛島駅、籐花園、牛島の藤、イオン 春日部店イオンリカーねこねこ食パンわくわく広場 イオンモール春日部おかしのまちおか イオン春日部店、町田ダリア園、とんかつ かどや、大久保駅、QBハウス 新宿東口店、土間土間 登戸店、BOOKOFF 向ヶ丘遊園駅前店、星乃珈琲店、長岡食堂、慶元寺、世田谷区立 喜多見農業公園、次大夫堀公園、道の駅 しらね、初見の滝、魚止の滝、三ツ児石、見返りの滝、おにぎり石、名もない滝、赤岩の滝、名もない滝、名もない滝、北精進ヶ滝、九段の滝、吐竜の滝、甲斐大泉駅、ここ滋賀、ネパール餃子酒場そるてぃ、さるびあ図書館、武蔵横手駅 (SI29)、五常の滝不動明王、五常の滝、獅子ヶ滝、鎌北湖、天狗滝、黒山三滝、女滝、三滝マスつり場 黒山園、JR 2番線ホーム、越生駅、東武 3-4番線ホーム、法恩寺、丸山城、防人見返りの峠 展望台、讃岐うどん かいと、防人見返りの峠 展望台、薬師池公園 蓮園、小山田緑地、吊り橋、みはらし広場、龍聖軒、鶴川駅 (OH25)、亜細亜食堂 リバーサイゴン (SAIGON)

・七月ツイート
https://togetter.com/li/1752670

§  家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月はゼロ回です。

妻がタカラヅカの代表の仕事が後半に入り、次女はコロナ禍でも仕事に恵まれて連日アルバイトに精を出し。そんなわけで今月のわが家は家族での行動はありませんでした。
次女の場合は将来の目標のためのアルバイトを兼ねているので、アルバイトで費やされる時間も実になっていると理解しています。町田や築地まで連日通うのは大変だと思いますが。

今回のコロナを通し、毎日をどう過ごすのか。能動的に過ごさないと、時間はあっという間に過ぎ去っていきます。
仕事だけの毎日ではなく、自分自身や家族との時間をどう過ごすのか。家という基盤がある幸せを噛みしめつつ、限られた一生をどういきるのか。それを娘たちに伝えたいと考えています。
この一年、そして今月もコロナによってあまり出かけられませんでした。今の一瞬一瞬が家族にとっていかに貴重なものか。それをどうやって教えればよいか。

§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で四回出かけました。

コロナワクチンの一回目を先月末に済ませた妻ですが、それによって体調を崩しました。そのため、二回ほど病院に連れて行きました(7/3)(7/7)。私もついでに市から大腸がん検診のお知らせが来ていたので申し込んで検体を出しつつ。

あと、妻が行きたいというので春日部の建御雷神社へ連れて行きました(7/11)。その後、首都圏外郭放水路地底探検ミュージアム(龍Q館)へと。いわゆる地下神殿は事前申し込みが必要らしく、見られなかったのが残念。また行こうと思います。妻は出先でもタカラヅカの公演を見なければならないため、私はその間一人で藤の牛島近辺をぶらついていました。ものすごい土砂降りに遭いましたが、車に戻って無事でした。
春日部のイオンで妻と合流して、イオンを出たら見事に晴れ間と完璧な虹が私たちを祝福してくれました。

ただ、この時もタカラヅカの公演を出先から視聴する必要に迫られるなど、妻の人生のあり方、つまりタカラヅカの代表という仕事は私の人生観に真っ向からぶつかっています。相いれない以前に論外です。
妻の人生なので本人が納得するのなら無理に止めようとは思いません。ですが、私の人生観にとっては一ミクロンも共感できません。
ですが、横浜での公演が終わった妻を車で迎えに行ってしまいました。正直タカラヅカに関することで協力するつもりは全くなかったのですが(7/29)。

§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で二回出かけました。

近所のショッピングセンターに買い物に行き、のんびりした時間を(7/3)。また都議選があったので買い物ついでに外食を(7/4)。
長女も専門学校を卒業し、仕事をこなしながら、家の事もいろいろと手伝ってくれています。それもあって長女とは良く語った月でした。二人だけしか家にいない時間も多かったので。

§  妻と次女とのお出かけ 妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女の三人で出かける機会はありませんでした。

次女は先月、ミシュランで星を獲得した慈華という外苑前にある中華料理のお店でインターンに励んでいました。インターンを無事に勤め上げ、オーナーシェフの田村氏よりメッセージが書かれた本をいただき感動して泣いていました。
厳しい現場の雰囲気におののきながらも、腕のたつシェフのプロ意識や厳しさに触れ、とても刺激になった様子です。田村シェフありがとうございました。
私も何度も駅まで迎えに行きましたが、その度に疲れ切ってはいたものの、将来の夢が見えてきた様子なのがよかったです。

緊急事態宣言が発令された後はアルバイトも途絶えかけましたが、後半になって町田の某店と築地のボン・マルシェさんでアルバイトを要請され、連日通っています。
金欠になることはなさそうですが、高校生活の最後の二年がコロナで台無しにされ、本人はとてもいらだっている様子です。
将来の生き方も含めてアドバイスはしましたが。このまま就職してしまうと週一の休みしかなくなるので、飲食でも違うやり方を考えたほうがよいよ、と。

§  娘たちとのお出かけ 娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は娘たちとは長女と三回、次女と一回出かけました。


長女とは近所に買い物に二回でかけました(7/3)(7/4)。また、外食を一度二人でしました(7/24)。
次女とはアルバイトの帰りに駅まで迎えに行った帰り、高台から夕陽を見に行きました(7/26)。

コロナに人生を乱され、気の毒とは思いますが、そこで何をするかで人生は変わってきます。ですが、20才そこそこの私もあまり褒められた時間を過ごしていませんでした。もう少し様子を見てみようと思います。
これからも家族の時間が持てることを期待しつつ。

●私自身の七月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は関西には行きませんでした。
毎週関西の方とオンライン・ミーティングを行っているので、それほど疎遠になった感じはしません。
月末になって両親が二回目のコロナウィルスワクチンを接種して無事だったとの連絡がありました。私もおそらく摂取しても問題なさそうです。


§  今月の交流 今月も緊急事態宣言やまん延防止法が足かせとなり、交流どころではありませんでした。
それでもお酒を飲む機会を一度だけ持てました。
仕事関係で10年ほど前から交流している技術者の友人と登戸で(7/16)。なんと、外で飲むのはほぼ3カ月ぶりでした。久々のお酒は美味しかった。価値観が合致する友人だけになおさら。

その翌日はFacebookでやり取りしている方と初めましてのご挨拶を町田の星乃珈琲店で(7/17)。どちらかというと仕事よりになることが予想されていたのですが、こうした交流の機会すら最近はまれなので、新鮮な気分でした。

こう書くと孤独のうちに過ごしているように思われがちですが、うちのメンバーとはほぼ毎週1,2度は顔を合わせて仕事をしているのです。サテライトオフィスでもパートナー企業の皆さんと。
あと今月はオンラインイベントに四回登壇したこともあって、孤独感とは無縁の人月でした。むしろ盛んだったといえるでしょう。

おそらく来月もまだ交流は出来ないでしょう。私の場合、一人の時間も苦にならないので、またどこかに旅をして気持ちを発散するつもりです。しかも泊りで。


●私自身の七月(文化活動)

§  弊社ブログへのアップ記事一覧 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2020年に読んだ8冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年五カ月以上に延びています。
ちょっと遅れが目立ってきており、こちらも危機感を持っています。質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

三年前の春まで連載していたCarry Meさんが運用している本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.34〜航海記 その20」)
今回は代表の個人的な内容ですが、大人としてまた一歩を踏み出した頃を書いています。

今月、書いた本のレビューは8本(
終わりの感覚
ベトナム観光公社
一生に一度の月
浮世の画家
なぜ僕は「炎上」を恐れないのか~年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術~
井上成美
秀吉、家康を手玉に取った男 「東北の独眼竜」伊達政宗
伊達政宗 謎解き散歩
)。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は2本(
人の身に起こる死について
東京オリンピックが開幕しますが
) 。
今月、書いた弊社の活動ブログは4本(
kintone Café 浜松 Vol.31に参加してきました
サイボウズユーザフェスティバルに登壇してきました
チーム応援カフェ Vol.2に登壇しました
【IT導入補助金】IT導入支援事業者に採択されました。
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§  今月の読書 今月は7冊の本を読みました。内訳は、対談集一冊、生命誌一冊、ミステリ一冊、文学論一冊、伝記二冊、歴史本一冊。

仕事の合間に本を読んでいますが、7冊はよく読んだ方でしょう。
特に『生命40億年全史』と「百代の過客<続>」は充実した読書でした。もちろん他の数冊も。いずれレビューに書くと思います。
ですが、私が読んでいない本はまだ無数にあります。残された余生で何冊の本が読めるのか。私に残された時間はあまりにも短い。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、昨年の11月に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、必ず本を出版するとの思いは増すばかりです。
人生の師匠が出版した本のレビューを書いたこともありますし。

§  今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。

ただし、第二回アカデミー作品賞を受賞した「ブロードウェイ・メロディー」をU-NEXTで鑑賞しました。
初のトーキー作品の受賞作品であり、まだ舞台関連の人々が映画に移る前に作られた作品です。そのため、正直レビューシーンは洗練されていません。ですが、記念すべき作品には違いありません。
引き続きじっくりと作品賞を過去から遡ってみていこうと思います。

一方、今月もキングダムは見られずじまい。これでほぼ一年ほど見られていません。
今月はファーザーを見に行こうと思っていたのですが、行かれずでした。見たい映画もまだまだあるので、今後は映画を観る時間を増やしたいと思います。

§  今月の舞台 舞台については、今月は0本です。
横浜で公演中の作品があり、妻が代表の仕事で連日泊りこみでした。応援するつもりはありません。

§  今月の音楽 今月も生演奏を聴く機会がありませんでした。
コロナが始まってから、70年代の洋楽を聴きまくっています。今月はRod Stewartのアルバムをデビュー作から順に聴きました。ようやく1998年のアルバムまで。やはり70年前半のアルバムが輝いています。
あと、7/16に登戸で飲んだ帰り、ふらりと向ケ丘遊園のBOOK OFFでKING CRIMSONの「In The Court Of The Crimson King」を購入しました。ストリーミングで出る様子がないので、しびれを切らして購入しました。今までもなぜかKING CRIMSONは疎遠でした。これを山梨の滝巡りで持っていき、道中ずっと聞いていました(7/18)。うむ、これは確かにインパクトのある作品です。ようやくきちんと聴けました。


§  今月の美術 今月は美術館などへ行く機会は取れませんでした。

§  今月のスポーツ 今月も各種スポーツのネタには困りません。大谷選手はベーブ・ルースを超えた存在としてアメリカでフィーバーを巻き起こしています。オールスターでも輝きを放ってくれました。
また、今月はついに東京オリンピックが開幕しました。開幕の前日にブログを書きましたが、スポーツの大会はコロナウィルスの感染対策と別に考えたいと思います。スポーツはやはり人々に勇気を与えてくれるものですから。私も勿論、卓球の男女混合の試合やバドミントン、柔道、ソフトボール、水泳、馬術などかなり見ました。サッカーや野球なども。

そしてわが家の近くがコースに設定されていたロードレース男子個人決勝は見逃し動画で。女子個人決勝は沿道で応援し、さらにリアルで動画で観戦しました。
これを見逃すと一生後悔しそうな気がしたので。かろうじて参加できたように思いますし、周囲にあまり観客のいない場所で観戦できたので満足です。
久々に自転車に乗りたくなりました。かつては女子選手の走った距離ぐらいは走り切っていられましたから。
引き続き選手たちには熱戦を期待したいと思います。熱暑の中で大変ですが。


§  今月の滝 今月、訪れた滝は15滝です。「初見の滝(7/18)」「魚止の滝(7/18)」「見返りの滝(7/18)」「名もない滝(7/18)」「赤岩の滝(7/18)」「名もない滝(7/18)」「名もない滝(7/18)」「北精進ヶ滝(7/18)」「九段の滝(7/18)」「吐竜の滝(7/18)」「五常の滝(7/23)」「獅子ヶ滝(7/23)」「天狗滝(7/23)」「女滝(7/23)」「男滝(7/23)」
今月は熱暑のさ中、車が使える機会も多かったので、二度にわたって滝巡りの旅に出かけました。
3年前に妻と長女と共に山梨に行った際、北精進ケ滝の入り口の二つの滝は見たのですが、その奥の滝群は妻子が車で待っていたため断念。果たしてこれで北精進ケ滝を見たことになるのかもやもやが残っていました。
今回は一人で行ける一番先まで、石空川渓谷に沿って行ってきました。水がとにかく美しく、それがカメラに収めきれないことが残念です。九段の滝とその上の北精進ケ滝のコンボは、まさに素晴らしいの一言。道中には名のない滝もあって、九つの滝を存分に堪能しました。
フォッサマグナが日本列島を分断しようとする地形のダイナミズムが渓谷と滝の形に顕現している様子は、まさに何度も訪れたい滝です。


その帰りは清里の方まで足を延ばし、前々から行きたいと思っていた吐竜の滝へ。ここも潜流滝として壮観です。これまで清里には何度も来ていたのに未訪問だったのが悔やまれます。
この日は一日で10もの滝を見られ、満足できました。日に炙られる日々の中、価値のある避暑の一日となりました。



また、別の日にはオリンピック開幕当日ということもあって、渋滞を避けて近場の滝を訪れました。

五常の滝は仁義礼智信の儒教の五つの教えを体現した滝として、一般社団法人が管理しており、入場料を払ってみました。ですが、儒教に関する方の祠が十数基建てられており、滝そのものも小ぶりとはいえ、堂々たる姿を見せてくれました。入場料で二本のナスまでいただいてしまいました。ここも秩父に行く途中で気軽によれるのでお勧めです。


また、次に訪れた獅子ケ滝は小ぶりな滝です。峠の反対側に車を停め、少し走って向かったためよい運動になりました。
ここは滝の上部に祠が設えられていて、ここから滝の落ち口などが一望できます。私が訪れた際、先に来ていた方が滝つぼを接写して動きそうになかったので長居しませんでしたが、おそらく滝つぼには何かが住んでいるのかもしれません。
そして以前から行こうと思っていた黒山三滝へ。ここは川にイワナやヤマメなども済む美しい場所で、それなりの商業施設も並んでいるため、気軽に訪れられます。


最初の天狗滝は奥まった場所に位置していますがアクセスは容易で、岩が滝の一部を隠しているにもかかわらず涼気が常に流れており、まさに天然のクーラー。ここは夏になる旅に訪れても楽しめそうです。


残りの女滝と男滝を総称して黒山三滝と呼ぶそうですが、男滝はその勇壮な様が見事です。とはいえ、なかなか角度によって男と女の両方をおさめるのが難しく、男滝の展望スペースも場所が限られているので、長くはいられませんでした。
でも、涼をいっぱいに浴びた一日でした。


§  今月の旅行 今月は、仕事も忙しかったのですが、合間に充実の旅も過ごせました。
上に書いた二度の滝巡りの旅(7/18)(7/23)の他にも、妻と共に春日部へ行きました(7/11)。目的地だった建御雷神社は、境内で地元の子供たちが遊んでいて、それが自然な光景を作り出していたのが印象に残りました。また、首都圏外郭放水路地底探検ミュージアム(龍Q館)へ訪れた際も、いわゆる地下神殿が見られなかったことは残念でしたが、藤の牛島駅やその名の由来となった牛島の藤の様子など、藤の季節にまた来てみたいと思わされました。さらに、土砂降りが晴れた後の見事な虹は生涯の記憶に値するすばらしさでした。

また、サテライトオフィスの近辺にある慶元寺は、私が狛江市と世田谷区でお気に入りの場所です。私が訪れた際は夏祭りで境内には入りませんでしたが、そばにある世田谷区立 喜多見農業公園のゴーヤーのトンネルをくぐると、ぶら下がるゴーヤーにとても食欲をそそられました(7/17)。



滝巡りの中で印象に残っているのは、清里の近くで野生のシカの群れを見かけたことです。うまく写真に収められなかったのですが、八ヶ岳の麓に広がる草原の可能性を感じました。



後、旅というにはわが家から近すぎますが、川崎市と多摩市と町田市の境にある防人見返りの峠は、私のお気に入りの場所です。今月は三回訪れました。二回目は東京オリンピックのロードレース男子個人決勝、三回目はロードレース女子個人決勝です。二回目に訪れた際はレースは見られませんでしたが、スズメバチの巣に一メートル以内で遭遇し、侵入生物であるアカボシゴマダラをじっくりと眺められました。三回目もニイニイゼミを間近で三匹もみて、通りすがりの老夫婦と見事な擬態に関心しました。また見事なタマムシも見かけました。
わが家の近所に自然が豊かで、万葉集や鎌倉武士が行き交った歴史の息吹の残る地があることに感謝したいと思います。


§  今月の駅鉄 趣味の駅訪問は5駅です。「藤の牛島駅(7/11)」「甲斐大泉駅(7/18)」「武蔵横手駅(7/23)」「越生駅(JR)(7/23)」「越生駅(東武)(7/23)」
藤の牛島駅は、牛島の藤を近所に擁するだけあって、駅前の広場に見事な藤棚が設えられていました。この辺りの東武アーバンパークラインは単線ですが、その割には頻繁に行き交っていました。土砂降りに遭う直前だったので雲模様が怪しく、稲光も遠くに見えた中で訪れたのですが、次は藤の季節に来たいと思います。



甲斐大泉駅は、滝巡りの最後に訪れました。小海線はかつて友人と全線を乗ったことがあります。標高が全国で第三位という高地にあることと、隣が高名な清里駅なので避暑客でにぎわっているはずが、コロナウィルスの世相を反映してかほとんど人がいませんでした。ですが、見事な夏の駅を表す写真が撮れました。私の好きな駅となりそうです。



武蔵横手駅は駅の構内にヤギが飼われていて雑草を食べてくれています。私が訪れた時も一瞬だけ姿を見せてくれました。この辺りまで来ると西武線も田舎の風情が濃厚で、私は好きです。このまま電車に乗って秩父に行きたくなります。この時は上に書いた通り滝巡りに訪れたのですが。また電車でも訪れたい駅です。



越生駅は東武とJRの接続駅で、以前は共同使用駅だったそうです。今は東西連絡通路があり、微妙な感じで分かれています。東武の方は頻繁に列車が折り返していきますが、JRの方は非電化なのでディーゼルカーが旅情を醸し出してくれてます。ここは太田道灌公の出生地ということで、駅前には太田道灌公の生涯を大きくフィーチャーした広場もあります。今度は太田道灌がらみで来たいと思っています。ついでに酒蔵や山登りもこなしつつ。


§  今月の酒楽 今月は外では一度だけ飲みました。何と三カ月ぶりに。技術者の友人と楽しく飲めたのにすぐに店を出させられたのは残念です(7/16)。
山梨を訪れた際は櫻守というワンカップのお酒を買って帰りました(7/18)。
あと、サイボウズユーザーフェスティバルに登壇した後、ビルの下にある滋賀県のアンテナショップ「ここ滋賀」に立ち寄ったのですが、酒を腐らせてしまうよりかは、と380円という破格の値段でお酒が販売されていたので、笑四季のマリーゴールドを買って帰りました(7/21)。やはりおいしかった。
また、越生を訪れた後、越生駅前のお店で宝のクラフトチューハイの「越生ゆず」があったので買って帰りました(7/23)。これも美味しかった。
お酒という意味では、月末に当ブログを書く合間に近くの「籠屋たすく」で泉橋酒造のとんぼスパークリングをで買ってきました。本ブログをアップしたら飲む予定です(7/31)。


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は四カ所。 「世田谷区立 喜多見農業公園(7/17)」「次大夫堀公園(7/17)」「薬師池公園 蓮園(7/26)」「小山田緑地(7/27)」

・博物館はゼロカ所。
・美術館はゼロカ所。
・駅は五駅。「藤の牛島駅(7/11)」「甲斐大泉駅(7/18)」「武蔵横手駅(7/23)」「越生駅(JR)(7/23)」「越生駅(東武)(7/23)」
・入手したマンホールカードは一枚。「山梨県南アルプス市(7/18)」
・滝は十五滝。「初見の滝(7/18)」「魚止の滝(7/18)」「見返りの滝(7/18)」「名もない滝(7/18)」「赤岩の滝(7/18)」「名もない滝(7/18)」「名もない滝(7/18)」「北精進ヶ滝(7/18)」「九段の滝(7/18)」「吐竜の滝(7/18)」「五常の滝(7/23)」「獅子ヶ滝(7/23)」「天狗滝(7/23)」「女滝(7/23)」「男滝(7/23)」
・温泉はゼロカ所。
・山はゼロ山。
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は二カ所。「穴八幡宮(7/1)」「建御雷神社(7/11)」

・寺は三カ所。「慶元寺(7/17)」「五常の滝不動明王(7/23)」「法恩寺(7/23)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は一カ所。「防人見返りの峠 展望台(7/3)(7/24)(7/25)」
・遺跡はゼロカ所。
・城は一カ所。「丸山城跡(7/3)(7/24)」
・灯台はゼロカ所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。

私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
自粛自粛と過ごしていれば、日々に追われてあっという間に老け込んでいくことは間違いありません。
そうしているうちに、加齢が気力を奪い、あきらめを自らの自然な感情と勘違いしたままかつての欲求を忘れて老いてゆく。これだけは防ぎたいと思っています。

コロナに人生を台無しにされるぐらいなら、一人でも旅を敢行したいと思います。会話は控え、マスクに口と鼻を隠した黙旅を。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。
人はいつか死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。何をしても最後には死にます。昨年の九月に読んだ「「死」とは何か」という本には死生観を持つことの大切さが書かれていました。
人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われるのです。
ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の社会や環境や老いた自分がそれを妨げにかかってきます。
今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げは確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていないので。不労所得のタネを持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は24句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


2021年7月のまとめ(法人)


令和三年七月。
東京オリンピックが開幕し、名勝負が繰り広げられています。
ところが無観客で開催されているのに、首都圏や大阪では今までにない数の新規コロナ患者が発生しています。とうとう月末になって神奈川、埼玉、千葉、大阪に八月中の緊急事態宣言が発令されてしまいました。
ワクチン接種の作業は遅々として進んでおらず、感動と焦りと白けた空気が街を覆っています。まさに混沌とした世相といえましょう。

大変な状況の中、尽力してくださっている医療関係者の皆様。そして、自粛の風潮の中、経済的な苦境に陥った特定の業界の方々。そしてオリンピックを通して国民に勇気を与えてくださっているスポーツ選手たち。他にもあらゆる苦しみを抱えた皆様。早く以前の生活に戻れることを願いたいです。
ただ、コロナによる混乱はまだまだ続くでしょう。全世界の人々がワクチンを接種した後も。
既存のやり方にしがみつく人もあれば、何かを変えようと果敢に挑戦する組織もある。この状況で既存の仕組みへの疑いを皆が抱き、新たな枠組みに向けた動きが進めば望ましいのですが。
このコロナとオリンピックを通して変化を起こしていかねばなりません。

諸外国から来た選手や関係者が何を日本に感じるのか。かつての繁栄は今や昔、落日の国と見るか、人々のホスピタリティや街並みに可能性を感じてもらうか。後者であることを望みます。
ただ、今後の日本が復活するには、今の状況に危機感を抱かねばなりません。
社会の非効率な点を正し、人間がよりよく生きるために改善を加える。そのためにこそ情報技術の存在価値はあるのです。
システムには人間の苦手な単純作業を任せ、私たちはより創造的な日々を過ごす。非効率で不条理な状況を早く世の中から駆逐しましょう。
弊社は、そうした流れをより促進していくために引き続き活動していきます。

今年に入ってから、二人の新たな仲間を迎え入れた弊社。
二人とも頑張ってくれています。弊社もその頑張りに応えられるようにしなければ。
自社の案件を増やす。代表の作業は生産性を高く維持したまま、ワーカーを脱して次の高みへ。
そんなビジョンで業務をこなしてゆきたいと思います。

達成度四割。達成感七割。満足感七割。それが今月の代表自身の自己採点です。

弊社とご縁をいただいたあらゆる方々に感謝します。ありがとうございました。



●弊社の業績

§ 総括 七月度の売上は、まだ確定していません。
ですが、残念ながら目標に対して大幅に割り込む見込みです。理由は今月に見込んでいた複数の案件のうち、二つの案件が検収に至らなかったからです。これが検収できていれば目標額の二倍も夢ではなかったのですが。

弊社は売上を一社に依存せず、複数のお客様に分散させています。そのため、定期収入が見込めず、今月のように案件に検収に遅れが生じると売上に不足が生じます。
ですが、一社に依存する方がより経営上のリスクは高いと思っています。今後も引き続き、リスクを分散させる体制を維持していこうと思います。

今年に入ってから仲間になってくれたお二人は作業を頑張ってくれています。案件単位でも成果をあげてくれるようになりました。
ただ、複数の案件を同時に進行できるまでにはもう少しかかりそうです。生産性の向上が図れるよう手は打ち始めています。打った手が成果につながれば、複数の案件を同時に進行しつつ、順次検収もいただけるようになるはずです。そうなってようやく経営は安定します。

一方で、案件を継続的に受注できるよう、今月は代表が露出に励みました。
以前からの取り組みの成果も含め、途切れずに新たな案件をいただけています。このコロナ禍の中でありがたいことです。
体制を組んだことによって、代表がそうした営業活動にリソースを割けるだけの余裕ができつつあります。また、さらなる露出を行うため、会社のTwitterアカウントを二人に移譲し、ブログ用のアカウントも渡しました。

先々月から始めた、週一度対面で作業する取り組みを今月は五回行いました。
また、今月からは勉強会も行いました。弊社の二人とパートナー企業から二人と招いて。
こうした取り組みは今後も行うつもりです。

今月は弊社にとって以下のようなトピックがありました。

・freee社による動画で学ぶ freee会計 API × Google Apps Script 連携が無事に公開されたこと。
kintone Café 浜松 Vol.31で一緒にLTに参加したメンバーから「kintoneが初めて楽しいと思えた」というコメントが出たこと。
kintone Eva Nightに代表が登場したこと。
kintoneコミュニティ案内板がオープンし、最初に載った記事の一つに代表が書いたkintone移行の記事をとり上げていただいたこと。
サイボウズユーザーフェスティバルに代表が登壇したこと。
・弊社メンバーが初めてサイボウズ本社に訪問できたこと。
チーム応援カフェ Vol.2に代表が登壇したこと。
IT導入支援事業者に採択されたこと。

他にも二つほど特筆すべきお知らせがあります。が、この件についてはまだ発表が止められているのでお楽しみにしておいてください。

実績を出しながら、日常も充実させる。それらは全て、代表の求めるワークライフバランスの実現につながってゆくはずです。


§ 業務パートナー 今年に入り外注ではなく、自社で業務にあたっていく方向に舵を切った弊社。
自社で開発にあたるため、コミュニケーションのやり方やフローに日々改善を加えています。

ただ、今までにご縁のあった技術者さんとの縁もつながっています。
先月から始めた社内勉強会には、パートナー企業の二人の技術者を招いています。
・7/2 kintoneプラグインの作り方
・7/9 kintoneアソシエイト試験対策
・7/16 kintoneアソシエイト試験対策(続)

また、別の技術者さんにはDrupalの技術アドバイザーの仕事をご紹介し、久々にさしで飲みました。

それ以外にも二つ大きな案件について動き始めています。ともにパートナー技術者さんとの協業を前提に進めています。
このように、弊社内で賄う案件とパートナー企業さんと協業する案件を使い分けることで、経営の安定を図っていこうと思います。

Slackでの内部発信は毎営業日に着実に行っています。それは社内だけではなく業務パートナーさんにも配信しています。
どうやって考えや哲学や思いを共有し、円滑に成果をあげていくか。その終わりは見えませんがまずは一歩ずつ進んでいくつもりです。

体制を強めることで、業務パートナーさんとの協業には今後より一層の効果が望めるはずと信じて。

§ 開発案件 今月は八割五分の開発案件がkintoneがらみでした。
ところが、今月に新たにいただいた三つの大きな案件はkintoneとは無関係です。もちろん、新規に複数のkintone案件のご依頼もいただいています。ですが、kintoneに関係のない案件もご依頼をいただきます。そうした案件にどう向き合うかを考えておかないと。
kintoneに絡むPaaS/SaaSに触れ、JavaScriptやphpといった言語を扱うのであれば今後のkintone案件に有用でしょう。ですが、それが見込めない案件もあります。今回の三つのうち、一つの案件はそれに相当しそうです。
今のところはパートナー企業に委ねようと思っていますが、今後はこうした案件への考えも決めておかないと。

弊社はkintone専業を目指しています。ですが、案件がkintoneだけで完結することはまずありません。ウェブサイトも含めた周辺のシステム、特にSaaS/PaaSとの連動を含めた構成を考えておかねば。
それも見越してkintoneだけに技術ストックが偏らないように配慮することが肝要です。弊社の可動域をkintoneの外に広げておくことで、kintone業務にも効果が還元されるはずです。そのためにこうした一見するとkintoneとは無関係の案件も取り組んでいこうと思います。
それに関しては、freee社からご依頼を受け、先月末にPolaris Infotech社と協業で取り組んだ士業向けAPI活用動画がヒントとなりそうです。以下の通り、今月は三本とも正式に公開されました。
動画で学ぶ freee会計 API × Google Apps Script 連携 その1
動画で学ぶ freee会計 API × Google Apps Script 連携 その2 Google OAuth 2 ライブラリの追加
動画で学ぶ freee会計 API × Google Apps Script 連携 その3 freeeアプリの登録

kintone単体であればカスタマイズは容易です。仕様変更があってもそれほどの手間は生じません。ただ、システム連動などにおいて起きうる仕様変更をいかにして防ぐか。それにはやはりノウハウがいります。一方、仕様変更をなくすためには要件定義フェーズを含めた作業が必要です。ただ、そのフェーズを含めた提案を行うと総額が膨張します。そして失注の可能性も増えます。

先々月に代表が構想した無為自然の老荘思想に沿ったシステム開発。無理をせず、お客様との間に無益なあつれきを生まない開発体制。ですが、現時点ではまだ理想ははるか先です。現時点では、仕様変更を防ぐための検品表や仕様書を定めていくしかないのでしょう。
ただ、理想は追い求めたいと思います。旧来のシステム開発のセオリーにしがみついていては、会社も成長が見込めないでしょうし。
成長していかねば衰退するのみ。そのため、先月から弊社内部で始めた勉強会は続けていこうと思います。

おかげ様で新たな案件の引き合いは途切れずにいただけています。来月以降に続くお話も。それらをきちんとこなすためにも、準備と実装のための環境は作っていかねば。

二人の仲間が参加してくれたことで、こうした案件を自由自在にこなせるような体制は少しずつ固まってきています。少しずつ代表の抱えていた作業を切り離していきたいと思います。


§ 財務基盤の堅牢化 財務をきっちりすること。前からの課題です。
弊社としては問題ないのに、家計が絡むととたんに脆弱になる。
いつになればこの状態が落ち着くのか。今月もこれに絡んだトラブルが起きました。課題は山積みです。

助成金や補助金にも力を借りて乗り切ろうと思います。
財務の件は、引き続き最優先で取り組んでいきます。

§ 社内体制 昨年の八月より、常時専任の技術者さんに顧問として手伝ってもらい始めました。

また、昨年の九月には、
・社是
・企業理念
・経営理念
・9つ(ナイン)の「ない」
・アクアビットに合わない方
を作成しました。

さらに、今年からは新たに二人の仲間に参加してもらっています。
リモートによるサポートだけでは理解度に差が生じるため、週に一度は必ず顔を合わせての作業を行っています。
今月は、五回ほどこうした機会も持ちました。
・早稲田で7/1に二名で。
・阿佐ヶ谷で7/9に四名で。
・早稲田で7/15に二名で。
・日本橋サイボウズ社で7/20に四名で。
・狛江サテライトオフィスで7/29に四名で。
顔を合わせての作業は、チームワークの向上に役立っています。
7/9は代表ともう一名がkintone Café 浜松に参加したのですが、二人で別々のLTを発表しました。その結果、「kintoneが初めて楽しいと思えた」という嬉しい反応を目の当たりにしました。
7/20はサイボウズ社で代表がサイボウズユーザーフェスティバルに登壇する機会に合わせてメンバーにも来てもらい、弊社がメインで扱うサイボウズ社の社風を感じてもらいました。
7/29は体制を作ってから7カ月目にして初めてサテライトオフィスに全員で集まりました。

こうした取り組みをしている弊社ですが、組織としてはまだまだです。
代表をハブとしてそれぞれのメンバーに対して指示する形態ではなく、それぞれのメンバーが密接につながる組織を目指しています。

少しずつ関係も密になってきました。何よりも自発的に会社にコミットしようとする姿勢が生まれ始めています。
自分のTwitterアカウントを作って頻繁に発信し始めてくれています。弊社法人のTwitterアカウントの代表にかわって発信し始めています。今後はサイト上でブログ記事も書いてもらうよう、アカウントも作りました。
kintone Café 浜松でLTをこなし、「kintoneが初めて楽しいと思えた」という前向きなコメントもしてくれています。弊社の財務状況も開示しているので、経営者のつもりで参画してほしいと求めたところ、代表が思いつかなかったアイデアも出してくれています。もう一人のメンバーも動画作成に可能性を感じてくれていて、弊社のYouTubeチャネルも開設しました。今後が楽しみです。
二人ともkintoneの資格試験にもチャレンジしてくれるようです。二人とも前向きに業務にあたってくれていることに、とても手ごたえを感じています。

代表も先月からつけ始めた部下ノートを継続し、皆で成長していけるような関係を作っていこうと思います。

先々月に出来上がった就業規則。キャリアアップ助成金の申請も無事に通りました。社労士の先生のお力添えがあってのことです。
ですが、二人のメンバーには正社員登用をあと少しだけ待ってもらうことにしました。まだ弊社にそこまでの資金力がないためです。

規模拡大が目的の全てだとは思いません。が、弊社の定めた企業理念

企業理念
公明正大な情報技術をあらゆる生き物のために
正直に、飾らずに、パートナー、お客様、地域、自分、家族のために

の実現のためにも、体制の効果を発揮したいと思っています。

§ 人脈の構築 人と対面する機会がめっきりなくなったこの一年半。
ところが、さまざまなチャネルを通じて弊社には定期的に新たな引き合いをいただいています。本当にありがたいことです。
おそらく、あちこちで露出をしてきたからでしょう。イベント登壇、他社のブログ登場、今までに弊社サイトに書いたさまざまなブログ群、SNSの書き込み、既存のお客様からのご紹介。

リアルのイベントが復活するにはまだまだ時間がかかるはずです。
そのため、引き続き複数のチャネルによる新規案件の確保に注力しようと思います。
今月、頂戴した名刺は1枚です。町田の星乃珈琲店で土曜日に話をしました(7/17)。
その他、オンライン上では新たにおおぜいの方にお会いしたのですが、対面でお会いしていないので商談に至る関係が作れません。残念です。

ブログ発信、SNSの書き込み、オンラインイベントへの登壇は今後も行っていこうと思います。
オンラインであっても人脈は構築できるはず。ビジネスの新たな流れを創り出すため、引き続きオンラインイベントには参加していくつもりです。コロナ禍が落ち着くことは当分なさそうなので。
もちろん、案件を着実にこなし、誠意と公正さを持ちながら。
引き続きよろしくお願いいたします。

§  対外活動 今月は以下のイベントに参加しました。クローバPAGEカフェ(7/6)。kintone hive 2021 tokyo(7/8)。kintone Eva Night(7/8)。kintone Café 浜松 Vol.31(7/9)。サイボウズユーザーフェスティバル(7/20)。チーム応援カフェ Vol.2(7/21)。

このうち代表が登壇したのは後の四つです。
その他に特記すべきイベントとしては、【IT導入補助金】IT導入支援事業者に採択されました。(7/29)。また、パートナー兼友人の技術者と酒席を一緒にしました(7/16)。新たな案件やチャネルのため、技術者の方と町田でお会いしました(7/17)。

今月の露出が来月以降の案件の増加につながることを信じています。
今後とも、代表と弊社メンバーによる情報の発信を行っていく予定です。弊社のYouTubeチャネルも開設したことですし。

きっと、必ずや、コロナは小康状態に落ち着くと信じます。そして、また皆様と交流を深めたいと思っています。
まずは今月の弊社とかかわっていただいた皆様、誠にありがとうございました。

§ 執筆活動 三年前の春まで連載していたCarry Meさんが運用している本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.34〜航海記 その20」)
今回は代表の個人的な内容ですが、大人としてまた一歩を踏み出した頃を書いています。

今月、書いた本のレビューは8本(
終わりの感覚
ベトナム観光公社
一生に一度の月
浮世の画家
なぜ僕は「炎上」を恐れないのか~年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術~
井上成美
秀吉、家康を手玉に取った男 「東北の独眼竜」伊達政宗
伊達政宗 謎解き散歩
)。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は2本(
人の身に起こる死について
東京オリンピックが開幕しますが
) 。
今月、書いた弊社の活動ブログは4本(
kintone Café 浜松 Vol.31に参加してきました
サイボウズユーザフェスティバルに登壇してきました
チーム応援カフェ Vol.2に登壇しました
【IT導入補助金】IT導入支援事業者に採択されました。
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

§ 年表

・七月お仕事

グリーンハウス 新宿早稲田で作業×2、COCODE阿佐ヶ谷で作業、バスタ新宿で作業、町田森野郵便局で手続き×2、八王子労働基準署 町田支署で手続き、土間土間 登戸店で酒会、星乃珈琲店で商談、町田市役所で手続き、サイボウズ社本社で作業、登壇、ローソン 町田金井三丁目店で打ち合わせ、アクアビットサテライトオフィス×10

§ ツイートまとめ
・七月ツイート

https://togetter.com/li/1752541


東京オリンピックが開幕しますが


すでに一部の競技では予選が始まっていますが、明日はいよいよ東京オリンピックの開幕式ですね。
言うまでもなく、開幕前からケチが付きまくってるのですが。
もう、取り返しは付かないでしょう。

ですが、私はスポーツ観戦が好きです。だから、いまさら中止を訴えようとは毛頭思いません。
それよりも競技の中身に期待したいと思っています。
バルセロナで古賀選手が、北京でソフトボールチームが感動を与えてくれたように、選手たちの競技から感動を受け取れると信じて。
今回は白血病からの復活を遂げた池江選手もいます。
無観客のテレビ越しだっていいじゃないですか。今までのオリンピックだってテレビ越しの競技を見ているだけで感動できたのですから。

むしろ、これほどまでにオリンピックとそれにまつわる商業主義や国家の威信が傷ついた後だからこそ、純粋な競技そのものに集中したいと思うのです。
誰もが忘れ去っていますが、クーベルタン男爵が理想とした古代ギリシアのオリンピックとは、純粋に競技だけに熱狂するものだったはず。

もちろん、私も経営者の端くれです。商機がある時に稼いでしまいたくなる気持ちはわかります。
ですが、今回のオリンピックはその路線に限界が生じたことを如実にしめしてくれました。

1976年のモントリオールオリンピックで出た莫大な赤字への反省から、オリンピックは商業主義に舵を切ったことはよく知られています。
その前にもナチス・ドイツによって国威発揚に利用され、ミュンヘンオリンピックではテロリストによって蹂躙され、東西のイデオロギーの争いによってボイコットもされました。
そこに今度のコロナによる延期と、運営の不手際による問題です。
もう、オリンピックの拡大主義と商業主義には無理が生じているのです。

ですが、いまさらJOCの責任を言い募っても仕方がありません。
段取りと前例踏襲を擁したわが国の得意技がコロナによって封じられた以上、こうなっても当然だと思うのです。今さら誰を非難してもオリンピックは始まるし、傷ついた威信は改善されません。

そもそも、復興をうたっていながら東京で行う前提からして間違っていたのですから。
これ以上東京に富と人口を集中させても仕方がないのに、東京に招致してしまったこと。

私は以前からこのことをあちこちで書いてきました。

東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典

東京から地方へ・・・・

むしろ、地震や富士山噴火でダメにならず、無観客とはいえ開幕できたことだけでもよしとしなければ。

開幕式を演出する方も二転三転としていますが、それもシンプルな開幕式でよいではありませんか。
商業主義から脱却する記念の大会としてはふさわしいと思います。
その代わりに競技から感動を受け取ろうではありませんか。


東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典


二〇二〇年は東京オリンピックの年だ。だが、私はもともと東京オリンピックには反対だった。

日本でオリンピックが開かれるのはいい。だが、なんで東京やねん。一度やったからもうええやないか。また東京でやったら、ますます東京にあらゆるものが集中してまう。地方創生も何もあったもんやない。なんで大阪、名古屋、仙台、福岡、広島あたりに誘致せえへんねん。それが私の思いだ。今もその思いは変わらないし、間違っていないと思っている。

とはいえ、すでに誘致はなった。今さら私が吠え猛ったところで東京で二度目のオリンピックが開催される事実は覆らない。ならば成功を願うのみ。協力できればしたい。開催が衰退する日本が最後に見せた輝きではなく、世界における日本の地位を確たるものにした証であることを願っている。

そのためには前回、一九六四年の大会を振り返りたい。市川昆監督による記録映画もみるべきだが(私は抜粋でしか見ていない)、本書も参考になるはずだ。

本書の表紙に執筆者のリストが載っている。東京オリンピックが行われた当時の一流作家のほとんどが出ていると言って良い。当時の一流の作家による、さまざまな媒体に発表された随筆。本書に収められているのはそうした文章だ。当時発表された全てのオリンピックに関する文章が本書に網羅されているかどうかは知らない。だが、本書に登場する作家がそうそうたる顔ぶれであることは間違いない。

本書が面白いのは、イデオロギーの違いを超えて収録されていることだ。右や左といった区分けが雑なことを承知でいうと、本書において右寄りの思想を持つ作家として知られるのは、石原慎太郎氏と三島由紀夫氏と曾野綾子氏だ。左寄りだと大江健三郎氏と小田実氏が挙げられるだろう。それぞれが各自の考えを記していてとても興味深い。

本書は、大きく四つの章にわけられている。その四つとは「開会式」「競技」「閉会式」「随想」だ。それぞれの文章は書かれた時期によって章に振り分けられたのではなく、取り扱う内容によって編者が分類し、編んでいるようだ。

「開会式」の項に書かれた内容で目立つのは、日本がここまでの大会を開けるようになった事への賛嘆だ。執筆者の多くは戦争を戦地、または銃後で体験している。だから戦争の悲惨さや敗戦後の廃虚を肌で感じている。そうした方々は、再建された日本に世界の人々が集ってくれた事実を素直に喜び、感動を表している。

中でも印象に残ったのは杉本苑子氏の文章だ。東京オリンピックから遡ること二十一年前、開会式が催された同じ場所で学徒出陣壮行会が行われた。雨の中、戦地に送られる学徒が陸上競技場を更新する写真は私にも記憶がある。東條首相が訓示を述べる写真とともに。杉本氏はその現場の寒々とした記憶と、この度の晴れやかな開会式を比べている。そこには戦時とその後の復興を知る方の思いがあふれている。現代の私たちには学徒出陣壮行会など、教科書の中の一ページ。だが、当時を知る方にはまぎれもない体験の一コマなのだ。

他の方の文章でも開会式のプログラムが逐一紹介されている。事細かにそれぞれの国の行進の様子を報告してくれる方の多いこと。行進の態度から、お国柄を類推したいかのように。日本にこれだけの地域、民族、国の人々が集まることだけで感無量であり、世界の国に日本が晴れがましい姿を示すことへの素朴な感嘆なのだろう。戦争中は国際社会から村八分に近い扱いを受けていた。その時期の日本を知っていればいるほど、これほど大勢の人々が日本に集まる事だけで、日本が再び世界に受け入れられたと喜べる。それはすなわち、日本の復興の証でもあるのだから。そうした喜びは戦時中を知らない私にんも理解できる。

ただ、文学者のさがなのか、批評精神は忘れていない。例えば直前で大会への参加を拒否された北朝鮮とインドネシアへの同情。南北ベトナムの両チームが参加しない件。台湾が参加し、中華人民共和国が不参加なことなど。世界がまだ一つになりきれていない現状を憂う指摘が散見される。まさに時代を映していて興味深い。

ここで私が違和感を覚えたのは、先に左寄りだと指摘した大江健三郎氏と小田実氏の文章だ。小田氏の論調は、前日まで降っていた雨が開会式当日に晴れ渡った事について、複雑な思いを隠していない。それは、政治のイデオロギーを持ち出すことで、開会式当日の晴れ姿を打ち消そうとする思惑にも感じる。大江氏の文章にも歯にものが挟まったような印象を受けた。あと、開会式で一番最後に聖火を受け取り、聖火台へ向かう最終聖火ランナーの方は、昭和二十年の八月六日に産まれた方だった。そのことに象徴的な意味を感じ、文に著したのは数いる著者の中で大江氏のみであり、「ヒロシマ・ノート」を書いた大江氏がゆえの視点として貴重だったと思う。

開会式については総勢14名の作家の著した文が収められていた。この時点ですでに多種多様な視点と論点が混じっていて面白かった。

もう一つ、私が印象を受けたのは三島由紀夫氏の文章だ。引用してみる。
「ここには、日本の青春の簡素なさわやかさが結晶し、彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権のはげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みずみずしい若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本は青春によって代表されたのだった。そしてそれは数分間がいいところであり、三十分もつづけば、すでにその支配は汚れる。青春というのは、まったく瞬間のこういう無垢の勝利にかかっていることを、ギリシャ人は知っていたのである。」(32ページ)。
「そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもっと高いのだ。」(32ページ)。
「彼が右手に聖火を高くかかげたとき、その白煙に巻かれた胸の日の丸は、おそらくだれの目にもしみたと思うが、こういう感情は誇張せずに、そのままそっとしておけばいいことだ。日の丸とその色と形が、なにかある特別な瞬間に、われわれの心になにかを呼びさましても、それについて叫びだしたり、演説したりする必要はなにもない。」(32-33ページ)。

続いては「競技」だ。東京オリンピックについて私たちの記憶に残されているのは、重量上げの三宅選手の勝利であり、アベベ選手の独走であり、円谷船主の健闘であり、東洋の魔女の活躍であり、柔道無差別級の敗北だ。もちろん、他にも競技はたくさん行われていた。本書にもボクシング、レスリング、陸上、水泳、体操が採り上げられている。

意外なことに、論調の多くは日本の健闘ではなく不振を指摘している。後世の私たちから見れば、東京オリンピックとは日本が大量のメダルを獲得した最初の大会として記憶に残っている。だが、当時の方々の目からみれば、自国開催なのに選手が負けることを歯がゆく思ったのではないか。特に、水泳と陸上の不振を嘆く声が目立った。それは、かつて両競技が日本のお家芸だったこととも無関係ではない。

そうした不振を嘆く論調が石原慎太郎氏の文から色濃く出ていたのが面白かった。

そして、ここでも三島由紀夫氏の文章がもっとも印象に残る。あの流麗な比喩と、修辞の限りを尽くした文体は本書の中でも一頭抜け出ている。本書を通した全体で、小説家の余技ではなく本気で書いていると思えたのは三島氏の文章のみだった。「競技」の章ではのべ四十一編が掲載されているのだが、そのうち九編が三島氏によるものだ。

やはり、競技こそが東京オリンピックの本分。そんな訳で「競技」の章には多くの作家が文章をしたためている。

続いての「閉会式」では、六編の文章が載っている。著者たちは総じて、東京オリンピックには成功や感動を素直に表明されていた。むしろ、オリンピックの外に漂っていた国際政治のきな臭い空気と、オリンピック精神の矛盾を指摘する方が多いように思えた。

興味深く読んだのは石原慎太郎氏の文だ。後の世の私たちは知っている。石原氏が後年、東京都知事になり、二度目の東京オリンピック招致に大きな役割を果たすことを。だが、ここではそんな思いはみじんも書かれていない。そのかわり、日本がもっと強くあらねばならないことを氏は訴えている。石原氏の脳裏にはこの時に受けた感動がずっと残り続けていたのだろう。だから二〇二〇年のオリンピック招致活動に乗り出した。もし石原氏が福岡県知事になっていたら福岡にオリンピックを持ってきてくれたのだろうか。これは興味深い。

続いては「随想」だ。この章ではオリンピック全体に対しての随想が三〇編収められている。

それぞれの論者がさまざまな視点からオリンピックに対する思いを吐露している。オリンピック一つに対しても多様な切り口で描けることに感心する。例えば曽野綾子氏は選手村の女子の宿舎に潜入し、ルポルタージュを書いている。とりたてて何かを訴える意図もなさそうなのんびりした論調。だが、各国から来た女性の選手たちの自由で溌溂とした様子が、まだ発展途上にあった我が国の女性解放を暗に訴えているように思えた。

また、ナショナリズムからの自由を訴えている文章も散見された。代表的なのは奥野健男氏の文章だ。引用してみる。
「だがオリンピックの開会式の入場行進が始まると、ぼくたちの心は素直に感動した。それは日本人だけ立派であれと言うのではなく、かつてない豊かさ、たのしさを持って、各民族よ立派であれという気持ちであった。インターナショナリズムの中で、ナショナリズムを公平に客観的に感じうる場所に、いつのまにか日本人は達していたらしい。それはゆえない民族的人種的劣等感からの、そして逆投影からの解放である。
 ぼくはこれだけが敗戦そして戦後の体験を経て、日本民族が獲得し得た最大のチエではないかと思う。負けることに平気になった民族、自分の民族を世界の中で客観的にひとつの単位として見ることができるようになった民族は立派である。いつもなら大勢に異をたてるヘソ曲がりの文学者たちが、意外に素直に今度のオリンピックを肯定し、たたえているのも、そういう日本人に対する安心感からであろうか。」(262-263ページ)
この文章は本書の要約にもなりえると思う。

あと目についたのは、アマチュアリズムとオリンピックを絡めた考察だ。村松剛氏の文章が代表的だった。すでにこの時期からオリンピックに対してアマチュアリズムの危機が指摘されていたとは。当時はまだ商業主義との批判もなければ、プロの選手のオリンピック参加などの問題が起きていなかった時期だったように思うが、それは私の勉強が足りていないのだろう。不明を恥じたい。

また、日本の生活にオリンピックがもたらした影響を指摘する声も目立った。オリンピックの前に間に合わせるように首都高速や新幹線が開通したことはよく知られている。おそらくその過程では日に夜を継いでのモーレツな工事が行われたはずだ。そして国民の生活にも多大な影響があたえたことだろう。それゆえ、オリンピックに対する批判も多かった。そのことは本書の多くの文章から感じられた。中でも中野好夫氏は、オリンピック期間中、郊外に脱出する決断を下した。そして連日のオリンピックをテレビ観戦のみで済ませたという。それもまた、一つの考え方だし実践だろう。中野氏はスポーツそのものは称賛するが、その周囲にあるものが我慢できなかったのだとか。中野氏のように徹底した傍観の立場でオリンピックに携わった方がいた事実も、本書から学ぶことができる。オリンピックに対して疑問の声が上がっていたことも、オリンピックが成功裏に終わり、日本の誉めたたえられるべき歴史に加えられている今ではなかなかお目にかかれない意見だ。

私も二〇二〇年のオリンピック期間中は協力したいと書いたものの、中野氏のような衝動に駆られないとも限らない。

私が本章でもっとも印象に残ったのは石原慎太郎氏による文だ。石原氏の文は「随想」の章には三編が収められている。引用してみる。
「参加することに意味があるのは、開会式においてのみである。翌日から始まる勝負には勝たねばならぬ。償いを求めてではない。ただ敗れぬために勝たねばならぬ。
 人生もまた同じではないか。われわれがこの世にある限り、われわれはすでに参加しているのだ。あとはただ、勝つこと。何の栄誉のためにではなく、おのれ自身を証し、とらえ直すためにわれわれは、それぞれの「個性的人生」という競技に努力し、ぜひとも勝たねばならぬのである。」10/25 読売新聞 ( 320-321ページ )

この文には感銘を受けた。オリンピックに限らず人生を生きる上で名言と言える。

二〇二〇年の東京オリンピックを迎えた私たちが本書を読み、じかに役立てられるかはわからない。だが、当時の日本の考えを知る上ではとても参考になると思う。また、当時の生活感覚を知る上では役に立たないが、日本人として過ごす心構えはえられると思う。それは私たちが二〇〇二年の日韓ワールドカップを経験したとき、世界中から観光客を迎えた時の感覚を思い出せばよい。本書に収められた文章を読んでいて、二〇〇二年当時の生活感覚を思い出した。当時はまだSNSも黎明期で、人々はあまりデータを公共の場にアップしていない。二〇〇二年の感覚を思い出すためには、こうした文書からそれぞれが体験を書いてみるのも一興だと思う。

それよりもむしろ、本書は日本人としての歴史観を養う上で第一級の資料ではないかと思う。二〇二〇年の大会では、一九六四年の時とは比べ物にならないほど大量の文章がネット上に発表されるはず。その時、どういう考察が発表されるのか。しかも素人の作家による文章が。それらを本書と比べ、六〇年近い時の変化が日本をどう変えたか眺めてみるのも面白いかもしれない。

‘2018/04/27-2018/04/29


東京自叙伝


現代の数多いる作家たちの中でも、著者の書くホラ話は一級品だと思っている。本書もまた、壮大愉快なホラ話が炸裂し、ホラ話として読む分には楽しく読み終えることができた。

そもそも小説自体がホラ話であることはもちろんだ。中でもSFはジャンル自身が「ホラ」を名乗っているだけに、全編が作家の妄想空想ホラ話だ。

しかし、それら他ジャンルの作家達を差し置いても、私は純文学出身の著者をホラ話の第一人者に挙げたいと思う。何故か。

ミステリーやSFなどのホラ話を楽しむためには読者に感情移入が求められる。ミステリーであれば、序盤に提示された謎。この謎に対し、6W5Hの疑問を登場人物と一緒に悩む。そして解決される過程の驚きやカタルシスを楽しむ。ミステリーを読むに当たって読者に求められる作法だ。SFであれば、作中に書かれた世界観を理解し、その世界観の中で葛藤や冒険に挑む登場人物に共感する必要がある。そうしなければ、SF作品は味わいづらい。

しかし著者の作品は、感情移入する必要のないホラ話だ。壮大なホラであることを作家も読者も分かった上でのホラ話。設定も構成も現実に立脚しながら、それでいて話が徹底的なホラ話であるとの自覚のもと書かれているものが多いように思う。読者は内容に感情移入することなく、客観的な視点で著者の紡ぐホラ話を楽しむことができるのだ。少なくとも私は著者の作品と向き合う際、そのように読む傾向にある。「「吾輩は猫である」殺人事件」や「新・地底旅行」や「グランド・ミステリー」などの著者の作品を私は、作品それ自体を大きく包み込むようなホラを楽しみながら読み終えた記憶がある。

恐らくは著者自身、読者による感情移入や共感など度外視で書いているのではないか。読者の感情に訴えるというよりは、構成や筋、文体までも高度なホラ話として、その創造の結果を楽しんでもらうことを狙っているように思う。

それはおそらく、著者が芥川賞受賞作家として、純文学作家として、世に出たことと無関係ではないはずだ。

最近の著者は、ミステリーやSF、時代物、本書のような伝記文学など、広い範囲で書き分けている。それらの著作はそれぞれが傑作だ。そしてミステリーの分野に踏み込んだ作品は、週刊文春ミステリーベスト10やこのミステリーがすごい!といった年末恒例のミステリーランキングの上位に登場するほどだ。

そうしたジャンルの壁を易々と乗り越えるところに著者の凄みがある。それはもはや純文学作家の余技のレベルを超えている。他ジャンルへの色気といったレベルすらも。ましてや生活のために売れない純文学から他ジャンルへの進出でないことは言うまでもない。そういった生活感のにじみ出るようなレベルとは超越した高みにあるのが著者だ。作家としての卓越した技量を持て余すあまり、ホラ話を拡げ、想像力の限界に挑んでいるのではないかとすら思う。

本書はタイトルの通り、東京の近代史を語るものだ。幕末から東日本大震災までの東京の歴史。その語りは通り一遍の語りではない。複数の時代をまたがる複数の人物の視点を借りての語りだ。それら人物に東京の地霊が取り憑き、その視点から各時代の東京が書かれている。地霊が取り憑くのは有史以前の人であり、虫ケラであり、動物である。地霊は複数の物体に同時に遍く取り憑く。或いは単一の人物に取り憑く。本書の全体は、各章の人物間の連関が頻繁に現れる。過去の時代の人の縁を後の時代の人物の行動に絡めたり。そういった縁の持つ力を地霊の視点から解き明かしたのが本書である。

幕末から遷都を経て文明開化の明治まで、地霊が取り憑いたのは柿崎幸緒。この人物は幕府御家人の養子から剣術を極め、幕末の殺伐とした時期に辻斬りとして活動した後、幕府軍の一員として新政府軍と戦う。さらに新政府の官吏となって明治を過ごすが、地霊が離れるにつれ、消えるように一生を終える。

明治から関東大震災、復興の昭和初期、そして終戦間際まで地霊が取り付くのは榊晴彦。軍人として東京を見聞した榊の視点で物語は進む。東京にとっては激動の日々だが、軍人から見た帝都とは、いかなるものだったか。シニカルにコミカルにその様子が描かれる。神国不滅を叫ぶ軍人の視点と、その上にある地霊としての醒めた視点が重なり合うのが面白い。

昭和初期から空襲下の瓦礫と、高度成長期まで地霊が取り憑くのは曽根大吾。空襲下の帝都で九死に一生を得た彼は、愚連隊として終戦後の混乱を乗り越えていく。ここらあたりから東京が少し増長を始める。

戦前戦後の混乱から高度成長期を経てバブルに踊る中、弾けては萎む東京で地霊が取り憑くのは友成光宏。彼の時代は東京が空襲の廃墟を乗り越え、大きく変貌する時期。安保闘争やオリンピック、テレビ放送。それらに、地霊としての様々な縁が重なる。これらの縁の重なりは、東京をして首都として磐石のものにするに十分。地霊としての力は、強力な磁場を放って地方から人間を東京に吸い付ける。東京がますます増幅され、地霊にとっても持て余す存在となりつつある東京の姿がこの章では描かれる。

バブル後の失われた20年、根なし草のような東京に振り回されるのは、地霊が取り憑いた戸部みどり。バブルの狂騒に負けじと派手に駆け抜けた戸部の一生はバブルの申し子そのもの。ワンレン・ボディコン・マハラジャを体験し、バブルがはじけると一気に負け組へと陥る。そんな取り憑き先の人生の浮沈も、地霊にとっては何の痛痒を与えない。一人の女性の踊らされた一生に付き合う地霊は、すでに東京の行く末については達観している。

 即ち「なるようにしかならぬ」とは我が金科玉条、東京という都市の根本原理であり、ひいては東京を首都と仰ぐ日本の主導的原理である。東京の地霊たる私はズットこれを信奉して生きてきた。(348P)

地下鉄サリン事件のくだりでは、このような思いを吐露する。

 そもそも放っておいたっていずれ東京は壊滅するのだから、サリンなんか撒いたって仕様がない。(352P)

東京を語る地霊が最後に取り憑いたのは郷原聖士。無差別殺人を犯す人物である郷原は、無秩序な発展に汚染された東京の申し子とも言える存在だ。秋葉原無差別殺人も深川通り魔事件も池袋通り魔事件も、そして新宿駅西口バス放火事件も自分の仕業と地霊はのたまう。そして東京を遠く離れた大阪で起こった付属池田小学校の通り魔殺傷事件も同じくそうだという。東京を離れた事件までも自分の仕業という地霊は、それを東京が無秩序に拡大し、地方都市がことごとく東京郊外の町田のような都市になったためと解く。

 たとえば郷原聖士の私はしばらく町田に住んだが、地方都市と云う地方都市が町田みたいになったナと感想を抱くのは私ひとりではないはずだ。日本全土への万遍ない東京の拡散。(412P)

東京が東京の枠を超え、平均化されて日本を覆ったという説は、町田に住む私としてうなづけるところだ。ここに至り読者は、本書が単なる東京の歴史を描くだけの小説でないことに気づくはずだ。東京という街が日本に果たした負の役割を著者は容赦なく暴く。

郷原もまた東京西部を転々とし、家庭的に恵まれぬ半生を過ごしてきた。つまりは拡散し薄れた東京の申し子。その結果、原発労働者として働くことになり、福島原発で東日本大震災に遭遇する。彼はそこで東京の死のイメージを抱き、それが地霊が過去に見てきた東京を襲った災害の数々に増幅され発火する。

本章において、初めて著者が東京へ投影するイメージが読者に開陳されることとなる。それはもはや異形のモノが蠢く異形の都市でしかない。もはや行き着くところが定まっている東京であり、すでに壊滅しつつある東京。2020年のオリンピックで表面を塗り固め、取り繕った街。もはや地霊、すなわち著者にとっては東京は壊滅した街でしかない。

本書がホラ話であることをことさらに強調しようとする文がところどころに挟まれるのが、逆に本書の暗いトーンを浮き彫りにしているといえる。しかし本書は他の著者の著作とは違い、単なるホラ話として受け取ると痛い目に遇いそうだ。

本書は福島の原発事故を東京の将来に連想させるような調子で終わる。本書には書かれていないが、首都圏直下型地震や富士山噴火、あるいは地下鉄サリン事件以上のテロが東京を襲う可能性は著者の中では既定のものとして確立しているに違いない。ホラ話として一級品の本書ではあるが、単にホラ話では終わらない現実が東京を待ち受けている。ホラから出たまこと。ホラ話の達人として、著者はそれを逆手にとって、嗜虐や諷刺をたっぷり利かせながら、東京に警鐘を鳴らす。

‘2015/10/3-2015/10/8