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真田三代 下


下巻では第一次上田合戦から始まる。
上田の城下町の全てを戦場と化し、徳川軍を誘い込んで一網打尽にする。それが昌幸の立てた戦略だ。
それには領民の協力が欠かせない。なぜ領民が表裏比興の者と呼ばれた昌幸の命に諾々と従ったのか。

「昌幸にはひとつの信条があった。
「戦いにおいては詐略を用い、非情の決断もする。だが、おのが領民と交わした約束は、信義をもってこれを守り、情けをかけて味方につけねばならぬ」」(86-87ページ)

周到に準備しておいた昌幸の策が功を奏し、徳川軍を撃退した真田軍。諸国の武将に真田家の武名がとどろく。

だが、昌幸の智謀がすごみを増す一方で、次男の幸村には父とは違う人格が生まれ始めていた。それは義の道。
幸村は、人質として過ごす上杉家の家風である義の心に感化される。
軍神と称えられた先代の不識庵謙信はすでに世にない。だが、主の景勝とその股肱の臣である直江兼続が差配する上杉家は、先代の義に篤い気風を受け継いでいた。
そこで幸村は策に走る父への疑問を抱く。生き残ることを優先すべきなのか、はたまた義を貫くべきか。

「おのれの利を追うことのみに汲々とするのではなく、さらに大局に立ち、おおやけのため、民のため、弱き者のために行動するのが、
「わしの考える義だ」
と、兼続は言った。」(128ページ)

これは私も常々感じている。利を追ってゆくだけでよいのなら、どれだけ楽か。金を稼ぐ苦労はあっても、それだけにまい進すればよいのだから。
従業員の人件費を削り、精一杯働かせる。顧客には高めの金額を提示し、その差額を利潤として懐に貯めこむ。
それができない私だから、飛躍も出来ないでいる。自分に恥じないような経営をしようと思うと、従業員を使い捨てにするマネはできない。見合った金額を支払い、顧客には高い金額を提示できない。これだと飛躍ができない。
私の根本の経営能力に問題があることもそうだが、こうした理念は卓越した努力と才能を伸ばした結果が伴わなければ倒れてしまう。悩んだことも数知れずだ。

ビジネスマンの愛読書は歴史小説だという俗説がある。歴史小説から教訓を読み取り、それをビジネスに生かそうとする人が多いからだろう。
それが本当かどうかはわからない。だが、私にとっては歴史を取り扱った小説から得られる教訓は多い。
本書を読んでいると、未熟な自分の目指すべき道の遠さとやるべきことの多さにめまいがする。

義を貫きたい幸村の志。それに頓着せず、昌幸は上杉家に人質としている幸村に信幸を接触させる。そして信幸を通し、上杉家を出て豊臣家への人質として大坂へ赴くように命ずる。
義のなんたるかを教えてくれた人物を不本意ながら裏切る羽目に陥った幸村の苦悩。

昌幸の視点には、天下の趨勢が豊臣に傾いていることが見えたのだろう。幸村を豊臣家の人質として送り込むこともまた、真田家を生き延びさせるための一手だった。昌幸の読みは当たり、秀吉は着々と天下を統一していく。
その過程に真田の名胡桃城をめぐる攻防があったことは言うまでもない。

ところが豊太閤の天下も秀吉の死によって瓦解を始める。それから関ヶ原の戦いに至るまで、石田三成と徳川家康、さらには上杉や諸武将の思惑が入り乱れる。
真田の場合、兄信幸が徳川四天王の本田忠勝の娘小松姫を娶っていた。幸村は石田三成についた大谷吉継を義父としている。
二人の境遇が真田家を大きく二つに割った犬伏の別れの伏線となる。

「澄んだ秋の夜空に、星が散っている。そのなかで、ひときわあざやかに輝く六つの星のつらなりがあった。
真田家の六連銭の旗の由来ともなった、
━━すばる
である。
「わしは若いころより、つねに心に誓ってきた。あのすばるのごとく、あまたの星のなかでも群れのなかに埋没せぬ、凛然たる光を放つ存在でありたいとな」
星を見つめながら昌幸は言った。
「徳川内府につけば、わしは有象無象の星の群れのひとつに過ぎなくなる。だが、男としてこの世に生を受けた以上、一度は天上のすばるを目指さねばならぬ。いまこそがその時だ」」(344-345ページ)

まさに私もこの志を持って独立した。しびれる場面である。

昌幸は長男の信幸とたもとを分かち、上田城の戦いでは策略を駆使して徳川秀忠の軍を足止めさせる。その結果、関ヶ原の本戦で秀忠軍は遅参した。

だが、西軍は関ヶ原の本戦で敗れた。局所の戦いでは勝ちをおさめたが、昌幸と幸村の二人は高野山へ流罪の身となった。
以来十数年。昌幸はついに九度山で想いを遺しながら亡くなった。そして、徳川家康は、天下取りの最後の仕上げにとりかかる。残すのは豊臣家の滅亡。
豊臣方も対抗するため、大坂に浪人を集める。幸村も大坂からの誘いを受け、最後の死に花を咲かせるために九度山から脱出する。

「「人の世は、思うようにならぬことのほうが多い。まして、わが真田家は周囲を大勢力に囲まれ、つねにその狭間で翻弄されてきた。だが、宿命を嘆き、呪っているだけでは、何も生まれませぬ。苦しい状況のなかから、泥水を嘗めてでもあらんかぎりの知恵を使い、一筋の道を切り拓いてゆく。それがしのなかにも、そうやって生きてきた祖父幸隆や父昌幸と同じ血が流れているのでござろう」」(465-466ページ)

ここからはまさに幸村の一世一代の花道だ。戦国時代、いや、日本史上でも稀に見る華々しい死にざま。真田日本一の兵と徳川方から称賛された戦い。

「叔父上は、数ある信濃の小土豪のなかから、真田家がここまで生き残ってこれたのはなにゆえと思われます。それは、知恵を働かせて巧みに立ちまわったからだけではない。小なりとはいえ、独立した一族の誇りを失わず、ときに身の丈よりはるかに大きな敵にも、背筋を伸ばして堂々と渡り合う気概を持つ。それでこそ、わが一族は、亡き太閤殿下、大御所にも一目置かれる存在になったのではございますまいか」
「目先の餌に釣られ、世の理不尽にものを言う気概を捨て去っては、一族を興した祖父様や、表裏比興と言われながらも、おのが筋をつらぬいた父上に申しわけが立ちませぬ」(497-498ページ)

幸隆から昌幸、そして幸村と、戦国の過酷な現実を生き抜き、しかも自らを貫き通した。さらには、大名家の家名まで後世に伝えることに成功した。
男としてこれ以上の事があろうか。
真田家の三代の生きざまを読んでいると、何やら胸の内にたぎるものが湧いてくる。私もちょうど幸村が討死した年齢に差し掛かった。
あとどれぐらいの花が咲かせられるだろうか。

本書はビジネスマンに限らず、まだまだ枯れるにははやい中年に読んでほしい。

2020/10/2-2020/10/2


我、六道を懼れず―真田昌幸連戦記


2016年の大河ドラマは真田丸。私にとって20年ぶりに観た大河ドラマとなった。普段テレビを観ない私にしてはかなり頑張ったと思う。本書を読み始めたのは第4回「挑戦」を観た後。そして本稿は第8回「謀略」の放映翌朝に書きはじめた。

真田丸の主役は堺雅人さんが演ずる真田信繁(幸村)だ。これは間違いないだろう。ところが、本稿に手をつけた時点で私が印象を受けたのは草刈正雄さん演ずる真田昌幸だ。その存在感は真田丸の登場人物の中でも群を抜いている。あまりテレビを観ない私にとって、草刈正雄さんの演技を初めてまともに観たのが真田丸だ。その演技はもはや名演と呼べるのではないか。かの太閤秀吉に表裏比興の者と呼ばれ、家康を恐れさせた謀将昌幸。草薙さんは老獪な武将と語り継がれる昌幸を見事に演じている。

第4回と第8回は、両方とも謀略家昌幸の本領が前面に押し出された回だった。その時期、真田家は武田家滅亡後の空白を乗り切るため、あらゆる策を講じねばならなかった。弱小領主である真田家を守り抜くため、時には卑劣と言われようと、表裏の者と言われようと一族を守らんとしたのが、昌幸ではなかったか。昌幸が知恵を絞った甲斐あって真田家は戦国から幕末までお家を存続できた。泉下の昌幸にとって満足な結果だったのではないだろうか。

昌幸は謀略の分野で才能を発揮した。しかし、それと本人の人格とは別の話。後世から策士と評される昌幸とて、生まれながらの謀略家だった訳ではない。

本書には、謀略を知らぬ前の純粋で無垢な昌幸が息づいている。

本書は昌幸が源五郎という幼名で呼ばれていた7歳の頃から始まる。

7歳といえばまだ母の温もりが必要な時期。そんな時期に源五郎は父から武田晴信、すなわち後の信玄の小姓となることを命ぜられる。要は人質である。源五郎は到着して早々、新たな主君とのお目見えの場で近習に取り立てられる。7歳にしてそのような重荷を背負わされた源五郎も気の毒だが、7歳の童子に大成の器を見極めた晴信の人物眼もまた見事。

幼くして鍛錬の場に置かれた源五郎は、信玄の弟典厩信繁に目をかけられ成長を遂げていく。そして信玄の近習として側に仕えながら、薫陶を受けることになる。生活を共にし、戦略を練る姿に親しく接する。その経験は源五郎の素養を確かに育んで行く。そして将来の昌幸を間違いなく救うことになる。機転や頭脳の働かせ方、策の練り方活かし方。活きた見本が信玄だったことは昌幸にとっての僥倖だったに違いない。

元服し、源五郎から昌幸となってすぐ迎えたのが、かの川中島合戦。しかも初陣となったのは、本邦の合戦史でも五指に入るであろう第四次合戦だ。信玄と謙信の両雄一騎討ちがあったとされ、世に知られている。

著者には、第四次川中島合戦を描いた「天佑、我にあり」という作品がある。合戦に至るまでの息詰まる駆け引きから合戦シーンまで、傑作と呼ぶ以外ない一冊だ。「天佑、我にあり」は近くの山から合戦の一部始終を見届ける設定の天海僧正の視点で語られる。だが、本書で語られる第四次合戦は昌幸の視点によって語られる。同じ合戦を同じ著者が描いているのだが、視点を変えているため読んでいて既読感を感じなかった。著者の筆力が一際抜きんでいることの証拠だろう。

第四次合戦において有名な一騎打ちとは大将同士によるそれだ。だが、同じ合戦では武田典厩信繁と柿崎景家との一騎討ちも見逃せない。「天佑、我にあり」で詳細に語られるその一騎打ちの場面は、何度読み返しても魂が震える。本書は昌幸の視点で描かれているため、二人の一騎打ちは描かれない。だが、信繁に目を掛けられ、育てられた昌幸が信繁の亡骸に昌幸が取りすがって号泣する姿は、本書において白眉のシーンだといえる。

また、「天佑、我にあり」では信玄と謙信の一騎打ちも読み応えのある場面だ。そして信玄近習である昌幸は、両雄の間を刹那飛び交った火花の目撃者でもある。昌幸が目撃した両雄の一騎打ちは、「天佑、我にあり」とは違った形で描かれており本書の山場の一つとなっている。

初陣にして己の価値を見出してくれた人物の死に直面した昌幸は、武将の成長をして大人となる。そして、信玄になくてはならぬ側近となってゆくのである。本書は戦国屈指の謀将真田昌幸の成長譚であり、ずっしりとした読み応えが読者に返ってくる。

川中島合戦が収束しても昌幸の身辺は慌ただしい。松という伴侶を得て身を固めたかと思えば、武田家中を襲う謀反劇の直中に巻き込まれる。

桶狭間で主が織田信長に討ち取られてから衰退著しい今川家。信玄嫡男の義信は、その今川義元の娘を正室に迎えている。そして信玄の冷徹な脳裏には今川家を見限り、その替わりに昇り調子の織田家との外交関係を結ぶ戦略が編まれていた。それに反発して実力行使で主君を諫めようとする義信一派。その中には昌幸が幼き頃から共に近習として武田家に仕えた仲間もいた。幼き日からともに学んだ仲間と刀を交える苦味。その中にあって信玄への忠義を揺るがせにしなかった昌幸は、ますます信玄の信頼を得ることとなる。無垢な昌幸は、仲間の死を通して戦国の世の習いを一つ身につける。

武田家に内紛の余韻漂う中、武田家は北条家と戦端を開く。北条家の本拠地小田原を攻め、帰路に三増峠で北条軍と戦う。ここで昌幸は、北条軍にあって武名を馳せる北条綱成と何合か打ち合わせる機会を持つ。本書には昌幸の武士の矜持を持った一面がきっちりと描かれている。謀略家のイメージばかりが取り沙汰される昌幸は歴とした武士だった。著者の視点はそのことにしっかり行き届いており好感が持てる。

関東遠征を経たことで昌幸への信玄からの信頼は一層篤くなる。そして昌幸は信玄の身辺を任されるようになる。寝室や厠近くに侍るようになった昌幸が目撃したのは、咳き込んだ信玄と口からの喀血。その病は後に天下獲り間近の信玄を道半ばで倒すことになる。己に残された時間がもはや少ない事を悟った信玄は、ついに上洛へと乗り出す。

敵の本拠地駿河に進軍してからも徳川軍をやすやすとひねる武田軍。家康にとって終生胆を冷やさせることになる三方ヶ原の敗戦も、信玄にとっては余技のごとく書かれている。事実、当時の戦国最強との呼び声高い武田軍にとっては徳川軍など鎧袖一触。敵役にもならなかったほど弱かったのだろう。しかし徳川家にも武辺者はいた。それは本多忠勝である。昌幸はこの戦場で本多忠勝と相まみえることになる。ここでも若き昌幸は謀将ではなくもののふの姿で描かれている。本書において、昌幸はまぎれもない武将である。それも戦国最強の武田軍の中にあって首尾一貫して。

しかし、武運は信玄に味方しなかった。朝倉軍が織田包囲網から離脱し、信玄の描いた戦略に綻びが生じる。それと時を同じくして信玄に巣食う病が重くなる。信玄は昌幸を含めたわずかな家臣を呼んで別れを告げ世を去る。

昌幸の元に遺されたのは碁盤と碁石のみ。病が急変する前、昌幸は信玄と一局打つ機会を得る。六連銭の形におかれた置石から始まった一局で、それまで一度も勝てなかったのに、持碁、つまり引き分けに持ち込む。その遺品は、図らずも己の軍略を伝えようとした信玄の意志そのもののよう。いうなれば、信玄流軍略の一番弟子の形見に碁盤を託された形となる。これまた、本書の中でも印象の深い場面である。

いよいよ本書は最終章にはいる。長篠の戦いである。昌幸には二人の兄がおり、ともに侍大将の立場で武田軍の重鎮となっていた。が、信長軍の鉄砲戦術に二人の兄を始め、主だった武将が餌食となり、戦場に命を散らす。

昌幸が眼にしたのは惨々たる戦場の様子。死体があたりを埋め、血の匂いが立ち込める。その景色は川中島の戦いのそれを思い起こさせる。信繁の死んだ川中島の戦場の様子が兄二人を亡くしたそれと重なり、昌幸の脳裏を憤怒で染める。無垢で純粋だった昌幸が絶望と悲憤の中で殻を脱ぎ捨てる瞬間である。

戦い済んで甲斐に帰った昌幸は、名乗っていた武藤の姓を返上する。そして真田昌幸を名乗る。父も兄たちも居なくなった今、真田家を継ぐのは昌幸しかいなくなったからだ。そして、昌幸の胸にはただ怒りだけが満ちている。それは、長篠の戦いを敗戦へと導いた者たちへの怒りだ。長坂、跡部といった武田家の重臣たち。彼らは武田家を長篠の戦いに導いた。そして自らは後衛に回って戦況をただ見ているだけだった。昌幸の怒りはそのような者を重用し続ける新たな主君勝頼にも向かう。武田家を見限り、真田家のことを考え始める内なる声が昌幸の中でこだまする。

昌幸の叫びは、もはや無垢な青年のそれではない。哀しみや世の無情、真田家を背負う重責を担った漢の叫びである。それが以下の本書を締める三つの文に集約されている。

人には大切なものを失わなければわからない本物の痛みというものがある。そして、失う痛みを乗り越えることでしか見えない地平というものがある。
それに気づいた時が、まさに、その人の立志の時だった。
痛恨の敗戦を経て、昌幸は真田の惣領を襲名する決意を固め、深まりゆく乱世に翻弄される己の運命と真正面から向き合おうとしていた。

(第一部完)

真田丸でみせる老獪な真田昌幸は、本書に続く第二部でこそ花開くのだろう。しかし、謀略を駆使する昌幸の背景には、本書で描かれたような信玄の薫陶や、度重なる戦いで身につけざるを得なかった憤怒があることを忘れてはならない。草刈正雄さんが本書を読んだかどうかは知らない。脚本を書いた三谷幸喜さんが本書を参考にしたかどうかも知らない。でも、視聴者は昌幸の過去に通り一遍でない人生の起伏があったことを知っておくべきだと思う。草刈昌幸を単に腹黒く人の食えぬ親父と見るだけでは彼の真の凄みは味わえない。そこには振幅の激しい人生に鍛えられた一人の男がいる。そう見直してみるとまた違う姿が見えてくるはずだ。真田丸を見ていると、息子信繁(幸村)の名が川中島で討ち死にした武田典厩信繁の名にあやかっていることや、本多忠勝の娘小松姫が長男信之の正室になるなど、若かりしころの昌幸の出会いが真田家のその後に重要な布石となっていることに気づく。

と、こんな偉そうなことを書いている割に、私は結局真田丸を全て観ることは出来なかった。第16回「表裏」あたりまでは、車内で観たりオンデマンドで観たりと観るための努力を続けていたが、それ以降は仕事が忙しく断念した。無念だ。でも、本書の続編第二部は是非読みたいと思っている。そして真田丸全編も必ず観るつもりである。

‘2016/02/16-2016/02/18