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日本語教室


『相手に「伝わる」話し方』()に続いて読んだのが本書。二冊とも表現がテーマだ。私が続けて同じ分野の本を読もうと思ったのは、私の向上心ゆえだ。今後、世の中を渡っていく上で求められるスキルは無数にある。私もその中のいくつかは装備して世渡りの助けとしている。中でも文章を書く能力は、私が独力で、組織の力を借りることなく、世に打って出られる可能性の高いスキルだと思っている。

私が最近予想すること。それは今後、人工知能がいつの間にか、世のあらゆる分野になくてはならない存在になる、ということだ。それは、組織のあり方を劇的に変えてゆくはずだ。世の中の多くの組織は段階を踏んで解体されて行き、今私たちがなじんでいるものとは違う組織になっていることだろう。今までは組織の人員の力で対応しなければ成し遂げられたなかった仕事が、人口知能によって相当の領域で置き換えられていくに違いない。それは、人工知能vs人間といったわかりやすい構図ではなく、いつのまにか人工知能に深く依存し、そこから引き返せなくなる未来として私の脳裏に思い浮かぶ。

ただ、組織の未来を考えるとき、人の組織への帰属心は容易には消えないはずなので、組織は何らかの形で残っていくに違いない、とも思う。一方で組織の中で働く個人に求められるスキルは変わっていくことだろうという予想も湧き出てくる。つまるところ、組織に勤めていようが独立していようが、これからの個人に求められるスキルとは、組織の中で人々を調整する力よりも個人の力ではないかと思うのだ。とくに個人は、実名で何かを発信しなくては、かなり厳しくなるのではないか。

そのための準備として私が鍛えるべきなのは文章力、そして日本語力だ。著者は日本語にこだわる作家としてよく知られている。ちなみに私は著者の小説は読んだことがない。私の親が著者の文庫本を何冊も持っていて、そのタイトルをそらんじられるにもかかわらず。それなのに、著者の名作たちを差し置いて、はじめに読む著者の本が講演集であることの後ろめたさ。さらにいうと私は著者のことを何も知らなかった。そもそも著者が上智大学出身であることすら、本書を読んで初めて知った次第だ。

本書は著者の出身校である上智大学での講演を書籍化したものだ。講演であるため、本書は話し言葉で貫かれている。つまり、すらすらと読める。しかも時々脱線する。そうした酒脱な雰囲気が本書には始終流れており、楽しく読める。

著者の軽妙な姿勢は、日本語に対する考えからも感じ取れる。本書の第一講「日本語はいまどうなっているのか」では、現代の日本語に英語が幅を利かせつつある状況を紹介する。ところが著者はそれをただ憂うのではない。日本語原理主義を振りかざすこともしない。著者は英語が氾濫する今の日本語に警鐘を鳴らしつつ、言葉は変わりゆくものと柔軟な意見も開陳する。正直いって私も今のカタカナ語の氾濫には閉口している。IT業界に属していると、ビジネス用語も含めた外来語の氾濫にさらされる。しかもIBMなどの外資系の文化が横行する現場だとなおさらだ。それゆえ、過度の日英の単語がちゃんぽんされ、飛び交う現状にはこれ以上ついていけない。だから、その融合するスピードをもう少し緩められないか、という著者の意見に与したい。著者は第二講の「日本語はどうつくられたのか」の中でリコンファームやエンドースメント、そしてコレクトコールのような言葉は無理に日本語訳にせず、外来語のままでよい、とも言っている。そのあたりの柔軟さは必要だし、本書はその点で好感が持てる。

昔、漫画『こち亀』の中で外来語を日本語に律義に言い換えるおじさんが登場したことがある。たとえば「ローリングストーンズ」を「転がる石楽団」とかいう感じで。日本語に相当する言葉がないのなら、珍妙な日本語を作ることにこだわらず、外来語は外来語のままで、というのが著者の主張だ。

第二講で著者は、明治期に西周や福沢諭吉といった人々が外来語を苦労して日本の言葉に翻訳した歴史を紹介する。当時は彼らのような碩学が苦労して翻訳の労を取ってくれた。だが、今は当時とは違い、情報の流入量が違いすぎる。どこまでを外来語として取り入れ、どこまでを日本語に翻訳していけば良いか。それは常に文を書く上で意識していくことが求められる。もう一つ、第二講では、著者の政治的な意見も吐露される。どちらかといえば左寄りの発言が知られる著者の想いが。

たとえば、「完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気が付いて、自分の力で必死で苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。」(118P)との箇所がそうだ。著者も含め、左寄りとされる論客は話が国際関係に及んだとたん、その主張の説得力がなくなってしまう。対象が自分の国だけならそれで良い。けれど、相手の国があると理想主義を貫くのは難しい。

第三講「日本語はどのように話されるのか」で著者が語るのは、日本語の音韻の特徴だ。日本語の母音は”あ”、”い”、”う”、”え”、”お”の五つからなっている。その特徴を説明するため、著者は斎藤茂吉の短歌を取り上げる。
「最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」
ここで最初の「もがみがわ」の中の”あ”の母音が三つ含まれるところに、著者は開放的な語感を指摘する。また、”う”が五つも続く「ふぶくゆふべ」の語感からは、「吹雪く夕べ」に耐える様子が表現されている指摘する。語感から日本語を指摘する見識はさすがだ。

この前に読んだ『相手に「伝わる」話し方』でも音読の重要性について学んだばかり。母音の数が少ない日本語は、同音異義語、つまりダジャレの土壌となる。また、言葉が母音で終わる日本語の特徴は、外国人の耳に美しい言葉として聞えるらしい。もう一つ、「茶畑」と「田畑」の読みが「ばたけ」と「はた」というように音が濁る場合とそうでない場合についても解説されている。「田」と「畑」のように並列の場合は濁らず、「茶」の「畑」のように従属関係にある場合は濁る。著者はこういった使い分けが日本語に連綿と語り継がれていることを指摘する。これらはとても興味深い。

もう一つ、興味深かった点は、日本語で一息で発音できる音節が十二という記述だ。十二を六と六に分けるとリズムがでない。なので、五と七に分けた。それはつまり俳句のリズムだ。短歌から連歌に発展したリズムが、俳句とつながってゆく。この部分もとても勉強になる。俳句が世界で一番短い詩と言われる秘密がさらりと示される。

第四講「日本語はどのように表現されるのか」では、著者は文法を取り上げる。日本語の文法の構造は、外来語が入ってきたところでおいそれと崩れないことも指摘する。言われてみれば確かにそうだ。「私は」「旅が」「好きだ」と日本語はSOV(主語+目的語+動詞)の順番に並ぶ。しかし英語は「I」「Like」「Travel」とSVO(主語+動詞+目的語)の順に並ぶ。どれだけ英単語が日本語に入り込もうとも、「私は好きだ旅が」という表現が日本で市民権を得るのは難しいし、もしそうなるとすれば、相当の年月がかかるはずだ。それゆえ著者は文法を整理した学者の努力を認めつつ、「私たちは日本語の文法を勉強する必要はないのです。無意識のうちにいつのまにか文法を身につけていますから」(161P)と結論付けるのだ。結局、無意識に刷り込まれた文法の構造こそ、著者にとって守るべき日本語の芯なのだろう。そして日本文化の芯なのだと思う。

先に書いたとおり、本書には右傾化する日本を揶揄する著者の毒が何カ所かで吐かれる。でも、それはあくまで外交関係や領土の領分の話。そういった観点で日本のナショナリズムを主張するのではなく、著者のように文化の立場から日本のナショナリズムを主張してもよいのではないか。私は本書を読んでそう思った。それをごちゃまぜにするのではなく、文化は文化として守るべき。そう考えると左寄りと見られがちな著者は、立派に愛国心を持った人物だと見直すことができる。イデオロギーでカテゴライズすることの浅はかさすら感じさせるのが本書だ。

本書をきっかけに、著者の著作も読んでみなければ、と思うようになった。そこにはきっと、手本にすべき美しい日本語が描かれているはずだから。

‘2018/01/18-2018/01/19


眼ある花々/開口一番


洋酒文化と純文学。私がそれらに興味を持ったのは20代前半の頃だ。酒文化の方が少し早い時期だったと覚えている。今もなお、その二つは私にとって人生を生きる原動力となっている。その二つの文化を代表する作家として、著者の名前を外すわけにはいかない。

その二つの文化を体現していた著者は、当時、苦悩の淵に沈んでいた私に光を照らしてくれた。それ以来、著者のことは常に意識していた。著者は壽屋(現サントリー)の広報部に属し、キャッチコピーやその他の文章で健筆を振るっていたことで知られる 。なので、洋酒文化に興味を持った私は、著者の文章に相当多くの知識を授けられて来た。サントリーの広報誌「洋酒天国」の総集編の書籍は、わざわざ古本屋の通信販売で取り寄せた。

だが、読むべき作家とは知りながら、著者の作品は思うように読めなかった。私が著者の作品を読まなければと思ったのは、ある日茅ケ崎市の開高健資料館の存在を知ってからだ。なぜそのことを知ったのか。そのきっかけは、茅ケ崎でジーンズショップを開くKさんとのご縁だ。何度かKさんのお店に遊びに行くうちに、茅ヶ崎市には開高健資料館がある事を知った。いずれ行こうと思っていたが、それから数年の月日が過ぎてしまった。私がようやく訪れることができたのは、本書を読む少し前のこと。

訪れた記念館で私が受けた開高健の印象。それは行動する作家ということ。ベトナム戦争に従軍し、世界各国の魚を釣らんと訪ね巡る。その行動は、書斎にこもる作家のイメージとは対極にある。そのような著者のライフスタイルは、私の求める理想にかなり近い。それを知り、著者が残した作品を片っ端から読みたいと思った。そのはじめの一冊が本書だ。

本書はかつて刊行された二冊のエッセイ集から成っている。二冊を一冊に編みなおし、文庫化したのが本書だ。わあ最初の「眼ある花々」は旅の作家にふさわしく、世界の旅先で著者の目に焼き付いた花々についてのエッセイを集めている。

メコン川の豊穣な流れと、肥沃な大地にあるベトナム。凄惨で救いのない戦闘がすぐ近くで行われていながら、花の都の呼び名にふさわしく、多種多様な花が売られている街並みに、人の、自然の営みのたくましさを思う。「君よ知るや、南の国」

パリの街角にさりげなく活けられている花の取り澄ました感じを眺め、そこから都市論に話を伸ばしてゆく。芸術家たちが愛した街の都市の景観と、初のオリンピックを前に切りはりの発展を遂げようとする東京を比較する。「一鉢の庭、一滴の血」

鬱に沈んでいた著者がアラスカの大地でサケと出会い、生命の奔放さに活力を取り戻す。釣りやサケの魅力に内容がほぼ費やされるが、最後に、アラスカの国花がワスレナグサであり、その慎ましやかな花が雄大な大地を象徴することに自然のバランスを感じる。「指紋のない国」

ジャスミン茶が茶碗に浮いている様子から、花茶の数々を並べ立て、ウンチクを傾ける著者。やがて著者の初めての海外旅行で味わった中国での思い出話と、その後の文化大革命が著者の想い出を汚したことに感傷を挟む。「茶碗のなかの花」

ついでに著者は北海道に目を向ける。スズラン、そしてハマナス。実は北海道が花にあふれた北の国であることに気づかされる。原生花園。原野。著者の第一の関心事は魚にあるのかもしれないが、花の描写が楽しげで旅情を刺激される。北海道を描いた旅のエッセイとして覚えておきたい。「寒い国の花」

また別の日に著者はカメラマンとバンコクに飛ぶ。美しい海とそこで獲られる貝。そこに著者は花の美しさを重ねる。饒舌な会話がちりばめられる中、著者の観察は目を飽きさせないほど生息する色とりどりの動植物を味わい尽くす。その豊かさこそが人生の味わいとでも言うかのごとく。「南の海の種子」

続いてはギリシャだ。白い家々に多彩な花弁が咲き誇る様は、さぞや見応えがあるだろう。著者はギリシャの豊穣な神話や戦争で明け暮れた歴史にギリシャの雑多さをみる。著者の想像力は、ギリシャに咲き誇る百花斉放の花の一つ一つがギリシャを主張しているかのように表現する。それが。あゝと叫ぶ。「 ああ!・・ 」

著者は続いてソバの花を語る。あの白くて小さいやつだ。ソバの花の可憐でひっそりとしたすがたに著者は価値を見いだす。痩せた大地でも花を咲かし実をならせる生命力に著者の称賛はやまない。そして痩せた大地の恵みに妙味を発見した人類のたくましさを著者は褒めそやす。「ソバの花」

同じ白い花でも、著者が続いて取り上げる塩の花、つまり死海に咲く塩の華は、投げ込んだ枯れ枝に群がった塩が、ひっしとしがみついて花を咲かせる。それは著者に自然の摂理の美しさと人類には決して味わい尽くせない妙味を教えてくれる。「死の海、塩の華」

著者の旅はバリ島へと至る。バリ島といえば人々の集う地。そこで著者の思索は人種の差とは何かにたどり着く。人間、どこに生まれようと営みは一緒。それを思い出させるようなエッセイだ。分析のような論理展開がなく、ダラダラとつながっているだけのような文の行間から、著者の考えを立ち上らせるあたり、見事。「バリ島の夜の花」

かと思えば、著者は越前岬の荒々しい自然にたたずむ旅の宿で、冬の水仙を堪能している。越前岬はかつて福井の母の実家まで自転車で走破した際に通り過ぎたことがある。人のおらぬ地で旅情に浸る。これもまた、著者の流儀だ。本書を読んでいると、つくづく思わせてくれる。旅人が備えるべき観察眼とはかくありたいものだ、と。「寒い国の美少年」

最後を締めてくれるのは、アンコールワットやノイシュヴァンシュタイン城のような城が歴史を超えて咲き誇っている様をバラに見立てた著者の着眼だ。城がその精妙で複雑な造形で数百年後にも残り続けているように、バラもその飽きさせない姿で私たちの目を数千年のちまで楽しませてくれるはず、と。「不思議な花」

花々のイメージを豊かに世の事物とつなげ合わせ、語る手法。それは私にエッセイの妙とその味わい方を教えてくれた。

本書の後半六割は「開口一番」が収められている。「開口一番」はかつて出版されたエッセイ集の再録だ。こちらはテーマを絞っていない。さまざまに話題が展開される。釣り、魚、パイプ、スキー、セキフェなどのゲテモノ料理、銘酒の数々。著者の博学はとどまるところを知らない。

そうかと思えば、三浦朱門氏が唱えた結婚反対論に挑戦し、「早婚絶対幸福論」と題して硬軟を織り交ぜた議論を展開する。 「結婚は人生の墓場である」とのたまう三浦朱門氏の論に対し、慇懃かつズバリとその矛盾をつき、たしなめるのだ。曽野綾子氏を伴侶に持つ三浦朱門氏の言葉は、曽野綾子氏への侮辱ですよ、といわんばかりに。まあ、著者の唱える結婚も、希望も何もないサバサバとしたものだが。

そして著者の筆は美女の定義を求めてさまよう。各国の中でルーマニアが一番美女ぞろいであったという著者の感想を皮切りに、本書は急速に品を落として行く。ルーマニアで翻訳を頼んだ女性に日本語の一、二、三(ひー、ふー、みー)と話すと、その二番目がルーマニア語で女性器を表していたため、彼女を恥じらわせてしまった話。中国語のウォーアイニーも発音によっては我愛泥になってしまう話題とか。

続いて著者が語るのは銀座だ。著者の庭のような場所なので話は尽きない。次から次へと店や名物、名酒が登場し、客の酔態が暴かれる。話題は銀座から麻布や六本木へと移動しつつ、著者のウンチクは都内の繁華街を縦横に取り上げてゆく。その行く先はゲイの発展場。著者の話題に果てはない。

次いではスリだ。東京のスリは世界一の腕前だとか。警視庁の警部に取材した会話を交えつつ、その中で披歴されるスリの手口や生態。それらをつらつらと俎上に乗せ、批評する。読んでいるこちらまでスリの専門知識を蓄えてしまう。著者の語り口にはただ酔わされるばかりだ。

そしてついに著者はわいせつを語り始める。編集者たちを集めてブルーフィルムの鑑賞会を開帳した話。そこであからさまに映し出される性器の形をあれこれ品評する話から、諸外国での大人のオモチャ屋さんやエログロメディアの今を語ってゆく。何でも規制が緩むことは、表現者にとっては必ずしも恵まれてはいない、と釘をさしつつ。

このような話題の乱雑さと広大な論理の展開。これこそ私がそうありたいと望む生き方なのだ。引き出しが多いとはまさにこのこと。著者の生き方に一つの目標を見いだしている私にとって、著者の高みは遥か先にある。

飽きを知らない豊富な話題を語りつつ、その中に人生の叡智を紛れ込ませる技。その技はあとがきで女優・演出家の野崎美子氏が語る通り、作家が一瞬見せたナイフの研がれ様。著者の域に達するにはあとどれぐらい旅をすればよいのだろう。

  若きの日に
   旅をせずば、
  老いての日に
   何をか、
    語る?

中国の古典が原典というこちら、開高健記念館で購入した絵葉書に書いてある文句だ。老いて語れるような人間になるためにも、まだまだ旅をせねばなるまい。本書は家族で訪れた東京ディズニーシーで読んでいたが、東京にあるジャングルではなく、ジャングルにあるジャングルで読んでこそ旅の感性は養われるのだから。

‘2017/11/17-2017/11/20


日本辺境論


日本を論じるのがもっとも好きな民族は日本人。良く聞くフレーズだ。本書にも似た文が引用されている。

はじめに、で著者は潔く宣言する。本書もまた、巷にあふれる日本論の一つに過ぎないことを。そして、本書の論考の多くは梅棹忠雄氏や養老孟司氏ら先人の成果に負っていることを。著者の姿勢は率直だ。本書を先賢によって書かれた日本論の「抜き書き帳」みたいなもの、とすらいうのだから。(P23)

だからといって、本書を先人たちの成果の絞りかすと軽んじるのは愚かなこと。絞りかすどころか、含蓄に富んでいる。もし本書が絞りかすだとすれば、誰が本書を出版するものか。著者一流の謙遜だと思う。その証拠に著者は先ほどの宣言に続けてこう書いている。本書の「唯一の創見は、それら先人の貴重な知見をアーカイブに保管し、繰り返し言及し、確認するという努力を私たち日本人が集団的に怠ってきているという事実に注目している点です」と(P23)。

著者の謙遜にもかかわらず、本書の内容は新鮮だ。確かに結論こそ先賢の業績に沿ったものかもしれない。しかし、著者が論拠とするエピソードは現代の風俗を含んでいる。つまり本書は、現代の視点で見直した日本論なのだ。もっとも今風とはいえ、著者が本書で展開する論考にはインターネットからの視点が抜けているのは事実だ。しかし、本書での著者の結論から逆をたどれば、ネット社会が盛んな今もなお辺境にある日本という見方もできるのだ。

日本のどこが辺境なのか。「I 日本人は辺境人である」で著者は検証を試みる。日本の辺境性を明らかにするため、著者が取り上げた例は多岐に渡る。余りにも範囲が広すぎるため、ここで一々挙げることすらためらわせるくらいに。ほんの一例を紹介してみる。オバマ大統領の就任演説。太平洋戦争における海軍将校や大臣達の言葉。ヒトラーの戦争観。中華思想と小野妹子の親書。征韓論と日清日露戦争時の日本外交。

そこから導き出す著者の論点を要約すると、日本人のメンタリティは、他国との比較によって築き上げられてきたとの結論に落ち着く。「はじめに」で著者が告白したとおり、他国との比較という先人が出した日本への論考は枚挙に暇がない。丸山眞男、川島武宜、梅棹忠雄といった碩学諸氏。これら諸氏が主張したことは、今まで日本人が世界の主人公として主体的に振る舞ってきたことは一度もないということ。日本が主体となるのではなく、他国との比較において日本の在り方を突き詰めたところに、日本人の心性や文化はあるということ。それは良いことでも悪いことでもない。それが日本なのだ、という現状認識がある。それが著者の出した結論であり、よって立つ視座である。以下に本書の中でそのことが端的に述べられている箇所を抜き出してみる。

私たちの国は理念に基づいて作られたものではない。(P32)

私たちは歴史を貫いて先行世代から受け継ぎ、後続世代に手渡すものが何かということについてほとんど何も語りません。代わりに何を語るかというと、他国との比較を語る(P34)。

國體を国際法上の言葉で定義することができなかったという事態そのものが日本という国家の本質的ありようをみごとに定義している(54P)。

特に最後の引用が含まれる52ページから56ページの部分は、太平洋戦争の総括がなぜ今も出来ないか、との問いへの回答になっている。東京裁判において、戦争の共同謀義の罪状にあたる証拠が見つけられず、その罪状で求刑出来なかったことはよく知られている。そこから、昭和初期の日本が國體や戦争の行く末を考えずに戦争に突き進んでいった理由について、本書の論考はヒントになるだろう。

最近はとくに、日本と他国を比べ優劣を語る議論がまた勢力を盛り返している。ネット論壇ではとくに。しかし、そのような比較論は、すでに先人達が散々論じ尽くしている。もはやそれを超える画期的な視点の日本論は出てきそうにない。著者もそれは先刻承知しているのだろう。だからこそ本書は先賢らが提示した論をなぞるだけ、と「はじめに」で述べているのだ。その前提として著者が「I 日本人は辺境人である」で主張するのは、こうなったらとことん「辺境」を極めようではないか、ということである。ここまで「辺境」を保ちつつ国を続かせてきた国は他にない。我が国が普通の国でないのなら、その立場を貫こうではないか、というわけだ。それが本書の、そして著者のスタンスである。

続く「II 辺境人の「学び」は効率がいい」で著者は辺境人として生きる利点を語る。そもそも日本には起源から今にいたる自国の思想の経歴が語れない、という特徴がある。自らの思想の成り立ちが語れないということは、論考に幅や余裕がなくなること。それは、自説について断定的な姿勢をとることであり、譲るゆとりを忘れることでもある。そういった病理を炙り出すため、本書で著者が取り上げたのは国歌国旗にまつわるナショナリズムだ。戦後の日本を縛り付けてきた左右両翼の争い。その論争の行く末は、いまだに見えない。それもここで挙げた論理を当てはめることで理由がつきそうだ。左右の思想ともに自らの思想が経てきた歴史や深みを語れない。それは借り物の思想だから、というのが著者の意見だ。

ここで私が思ったのは、左右の論争に決着がつけられないのは、自らの経緯が語れないということよりも、絶対的な宗教、決定的な思想が日本にないことが理由では、と思った。それは、目新しい考えでもなんでもない。ごく自然に出てきた私の疑問だ。

著者は、左右の思想になぜ論争の終わりが来ないのかについての理由を解き明かしにかかる。それは私の思ったことにも関係する。師弟という関係の本質。日本では芸事を極めることを「道」に例える。武道、茶道、書道など。道とは続くもので、終わりのないものの象徴だ。

著者はここで師弟関係の意味を極言する。仮に師がまったく無内容で、無知で、不道徳な人物であったとする。でもその人を「師」と思い定めて、衷心から仕えれば、自学自習のメカニズムは発動する(149P)。と。

著者がここで落語のこんにゃく問答を例に出すのは秀逸だと思う。しかし、著者がいうのは曖昧で形のない形而上の対象ではないだろうか。それらについては当てはまるかもしれないが、具体的な対象については「道」や「師弟関係」とは少し違うのではないか。目の前に見える近視眼的な対象に対する日本人の集中力は秀でている。それに異論のある方は少ないはずだ。著者にいわせれば、目の前に見えている対象は、学びの対象になりえないのだろうか。ここが少し疑問として残った。

そういった私の疑問に対し、著者は続く「III 「機」の思想」で”機”の概念を持ち出す。”機”とはなにか。それを説明するために著者は親鸞を担ぎ出す。親鸞もまた、道の終着点を見出すことの無意味さを知り、道という概念とは求め続けることに意味あり、ということを知る人ではなかったか。親鸞の有名な”悪人正機説”。この中には”機”の字が含まれている。

著者は親鸞を辺境固有の仮説を検証しようとした宗教家ととらえているようだ。「霊的に劣位にあり、霊的に遅れているものには、信の主体性を打ち立てるための特権的な回路が開かれている」(166P)、という文にもそれが見られる。

修行の目的地という概念を否定した親鸞。それは、辺境人であるがゆえに未熟であり、無知であり、それゆえ正しく導かれなければならない(169P)、と著者は受け取る。

著者はここで”機”を説明するため、柳生宗矩を評するため沢庵和尚が使った「石火之機」という言葉を持ち込む。意思に基づいた動作ではなく、瞬間の動作。主体の意思さえない、本能の動作。反応以前の反応。それが「石火之機」だ。主体なく生きることは、すなわち辺境に生きることに等しい。そう著者は言いたいのだろう。ところがここまで書いておきながら、「悪人正機」の中の”機”について著者は特に触れないのだ。ここまで論を進めたのだから、あとは分かるでしょ?ということなのだろうか。であれば、あとはこちらで結論を導くしかない。それはつまり、存在論的に悪人であらねばならない我々が正しい”機”に導かれるには主体を捨てねばならない。”機”とはそういう”機”ではないか。

左右両翼の論争がなぜいつまでも終わらないのか、との著者の意見を噛み砕いているとここまで来てしまった。ここで改めて著者の言いたいことを私なりに解釈してみたいと思う。

主体がなく反応以前に反応する”機”。それは外来の事物について反応する前に有用性を見極め受け入れることである。日本人が辺境人としてあり続けたのは、”機”に導かれ道をしるため、主体を捨てて無私の境地で無条件に外来からの理論を信じてきたから。無条件に無私の境地の中で、その思想の由来や経緯を意識することなく外来思想を取り入れ続けてきたから。

多分、著者の結論を正しいとすれば、日本で思想の争いに決着を求めるのは無理だ。そして日本の思想に論理的整合性を求めるのは無駄なことだ。そこには私が考えたような絶対的思想の不在だけでない、別の理由がある。だが、それを承知で、著者は辺境人として生きてみようと呼びかけるのだ。その曖昧さをも受け入れた上で。

「IV 辺境人は日本語と共に」で著者は日本語を爼上にあげる。日本語は、表意文字と表音文字が混在しているのが特徴だ。そこには、仮名に対する真名という対比の関係がある。話し言葉を仮の名と呼び、外来の文字を真の名と呼ぶ。この心性がすでに辺境的なのだと著者はいう。外来の言葉を真の名と尊び、土着の言葉を借りの名という。つまり外来を重んじ、土着を軽んじる。この着眼点は凄いと思った。そしてそのことが日本を発展に導き、我々の文化に世界史上でも有数の重みを与えた。我々はそのことを素直に受け入れ、喜んでもいいのではないか。

年明け早々にヒントに富んだ書を読め、満足だ。

‘2015/01/15-2015/01/19


日本語のコツ―ことばのセンスをみがく


ここ数年、文章を書くことの面白さと難しさを感じている。書く場所や時間で文章の紡ぎかたは変わり、読み手の気分や体調によって文章の受け止められ方も変わる。読み手と書き手、それぞれの立場に応じて、文章は自在にその色合いを変化させる。

デジタルの世にあって、アナログな作業が年々減っていくことに寂しさを感じる昨今。文章を綴る作業に、アナログの充実感を求めるのは私だけではないはず。デジタルやアナログという括りがわるければ、定型にはまった作業と、自由に任せた心の表現とでも言おうか。

そんな意見を持つようになった今の私。とはいえ、社会人に成り立ての頃は文章に興味はなかった。文章よりも物語の筋書き、登場人物の思考の流れ、に興味を持っていたように思う。文章なんてものは後回しで、ただ疎かにしていた。その頃の、二十代、三十代の私は、仕事や家庭を確立することに夢中で、文章を味わう境地から遠ざかっていたといえる。本はたくさん読んでいたが、読みっぱなしで反芻することもせず、筋書きや著者の主張を吸収することに汲々とした反省がある。振り替えれば勿体無いことをしていたものだ。

そのままだと本は乱読する対象、ただひたすらに消費する対象に過ぎなかったかもしれない。しかし、IT技術の進化はSNSという自己表現の手段をもたらした。mixiやFacebook、OpenPNEベースのSNS、Twitterなど。これらのSNSを利用し楽しむためには読むだけの参加もありだが、自ら文章を書いて発信することでより楽しくなる。私も日記書きにはまり、以来、舞台を変えながらも日に一度の日記は欠かさない。

SNSと並行して、読んだ本のレビューを書き始めたのが数年前。それは三十代も終わりを迎えようとした頃のこと。また、時期を同じくして参画したプロジェクトで、毎週開かれる大きな会議の議事録執筆を担当し今に至っている。

文章をインプットするのは楽である。読むだけなので。しかし文章をアウトプットする作業は、個人的な楽しみであっても苦しい。書く道は遠い。そもそも文章に正解はない。簡潔に誤解を招かぬ文章。これは簡単なようで難しい。ビジネスメールも日記も読書観劇レビューも、エッセイからブログ上のオピニオン、百四十字のツイートに至るまで、文章には書き手の癖が現れる。その癖は、文章に独自の味をつけもすれば、型にはまった無味乾燥な文脈をまとわせもする。実に厄介な相手というしかない。私がSNS上で日記を公開する目的の一つに文章研鑽がある。その一環としてわざと使い慣れぬ言葉を使うよう心がけ、語彙や表現の幅を広げる努力を重ねてきた。そうしないと文章の癖が固定化し、表現がワンパターン化してしまう。この癖を自在に操り、千変万化の文章表現を繰り出すからこそ、作家は作家たり得る。しかし、私のような市井の素人物書きは、その癖に陥らぬようにするのが精いっぱい。せめてもの努力としては、癖を自覚しつつ沢山の文章を書くことだろうか。あるいは、文章読本や日本語ノウハウ本を読むことも無駄ではないだろう。とはいえ、私が読書レビューや議事録、日記を書くようになってからのここ数年、この手の本は余り読まなかったように思う。本書は久々に読んだ日本語ノウハウ本の一冊である。

ただし、本書はノウハウ本とはいえ、表面をなぞっただけの軽い内容ではない。その考察は広く深い。著者は国立国語研究所室長や大学教授を歴任してきたにも関わらず、取っつきやすい語り口ですいすい読み進められる。私もこれまでに数冊著作を読ませていただいているが、日本語表現を永年追究してきた著者の筆致は、ユーモアを頻繁にさりげなく混ぜつつ、表現の勘所を抑え、非常に分かりやすいといえる。本書の題名を日本語のコツと銘打つだけはある。

本書は8章からなる。
Ⅰ 意味の世界
Ⅱ 語感のひろがり
Ⅲ あいまいさの発生源
Ⅳ 誤解のメカニズム
Ⅴ 行動としての敬語
Ⅵ 手紙のセンス
Ⅶ 日本語の四季
Ⅷ 日本語の芸術

前半は、日本語の文法的なアプローチが多い。いわば理論面にあたる。後半に控える手紙や俳句や芸術などの実践面を紹介する章に比べると、身構えてしまうかもしれない。しかし、理論とはいえ、分かりやすく記されているため避けることはない。特に出だしのⅠ章は本書の性格を知る上で必読である。類義語、多義語、同音語などについての説明が主な内容だが、例示される言葉が的確に選ばれており、頭に入りやすい。本章では川端康成の伊豆の踊り子の一節が採り上げられている。その一節は日本語学習者にとって日本語のあいまいさを象徴する箇所として有名らしいが、私はそのことを知らなかった。著者はその一節に丁寧な解説を加え、作家が文章に凝らす工夫の巧みさと、日本語の表現の可能性を鮮やかに見せつける。

Ⅱ章は、語の持つ語感の広がりの豊かさ。Ⅲ章は同音語や「てにをは」の助詞のかかり方に修飾語の効果の範囲が散ってあいまいさが広がることについて考察を深める。自分で書いた文章、他人による文章を問わず、今まであいまいな文章に行き当たったことがあるのは私だけではあるまい。人の振り見て我が振り直せではないが、今後、文章を綴る上で気を付けたいと思う。

Ⅳ章は、誤解のメカニズムと題している。Ⅰ~Ⅲ章までのまとめに加え、主語の省略による誤解の発生についての考察だ。この章は私自身、議事録を書いていてよくやるミスである。主語を抜かしてしまうことで、何に対しての議事が話されているか曖昧になるのは思い当たる節が多数ある。ネット上でのメールのやりとりで失敗する向きは、本章の内容が参考になるかもしれない。本書は2002年刊行であり、ネット上のやり取りについてはあまり触れられていない。しかし、今の我々にとってネットでの文章表現を行う上で本章並びに本書は充分通用する。

Ⅴ章からは、実践面に入る。まずは敬語。私も含め、今の四十代以下の日本人で敬語を完璧に使いこなせる人はどれだけいるだろう。ほとんどいないのではないか。敬語の区分けとしてよく言われるのは、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」といわれる。本章ではそれに「美化語」「丁重語」を加える。前者はものの頭に「お」を付ける用法。後者は「拙宅」「愚息」などのように手前側を貶めて相手を持ち上げる謙譲語に似た用法。敬語の奥深さは底知れない。

Ⅵ章の手紙のセンスは、含蓄に満ちた章である。この章では電子メールという言葉が出てくる。そして電子メールすら古い感じになってきたと書かれている。さしずめ今の世に本書が掛かれていたら、ツイートについても一章割かれるのではないか。著者は電報についてのエピソードを述べつつ、相手の都合を斟酌できない電話の功罪を内田百間の随筆に例をとってユーモラスに紹介する。手紙に関する色々なお作法に触れたあと、有名作家のプライベートな手紙を登場させる。著者は電子メールすら古い感じになってきたとITコミュニケーション全盛の世を察知し、古き良き手紙の文化への回帰を試みる。それは、以下に示す本章に書かれた一文からも読み取れる。

「発信機ではなく、手紙を書いている生の人間が今ここにいる、という感じが、受信機ではなく、それを読むもうひとりの生の人間に届くだろう。そんな生きている人のけはいが、相手の心をなごませる。」

Ⅶ章は、日本語の四季として、俳句の名句を多数用いて、豊かな日本語の時候や風流の語彙の数々を味わう。この章を読み、俳句の表現に興味を持った私は、年末にかけて数冊の俳句の関連本を読むこととなる。それらの本についてのレビューはまた改めてご紹介したい。

Ⅷ章は日本語の芸術と題している。前章が俳句なら、本章では短歌や詩の世界に遊ぶ。さらには小説という豊穣な宇宙へと論考は進む。本章で紹介される名文の多彩なことといったら。

本章で名文・名作の数々に触れるうちに、小説の筋書きを追うだけでなく、文章自体を味わおうと云う気になる。そして、もう一度本書を読み直す気になるかもしれない。そんな方がⅠ章に戻ると川端康成の名文が登場する。本書はご丁寧に輪廻する構造をもっている。繰り返し幾度も本書を読み返すことで、名文をものすることが出来るかもしれない。私自身、本書は折に触れ断片的にでも読み返そうと思っている。

‘2014/10/10-2014/10/21


逆立ち日本論


物事をあるがままに見ようとしても、様々な錯視の実例を見る度に、自分の見ている物についての確信が揺らいでくる。それと同じく、自分の考えというものを確立しようと思う度に、考えの立脚点を強固な地に置いたつもりが、実はいびつだったと思い知らされることがいかに多いか。

養老氏の著作を読むたびにそういう思いに駆られる。今回、2011年の締めくくりとして自らの未熟さを思い知った上で、新年を迎えるにあたっての戒めとしようという思いから本書を手に取った。今回対談相手を務めている内田氏、実は著作はおろか、雑誌などでも論考を目にしたことがなく、期待感とともに読み進めた。

帯や背表紙などで、色んな論点に飛び回っての自由な対談であることは予想していたけれど、期待通りの内容。逆に期待と違ったのは、自らの論考の錯覚に気付かされた箇所が少なく、予てより考えていた自分の論点について、わが意を得たり、という意見が数か所あったのも、収穫であろうか。

たとえばユダヤ人については、私も教科書的な知識しかもっていなかったけれど、そもそもユダヤ人の定義自体が学術的にあいまいなことを通じて、二人でユダヤ人の定義に迫ろうと試みる部分、実はこの部分は日本人とは何かという考えに通ずる部分があり、意識がそもそも根源的な遅れを経て言葉として発せられる、つまりそこからあらゆるアイデアの元を追求することに英知への入り口があるというくだり、感銘を受けた。

個人情報保護法に関する部分もわが意を得たりと頷けた。情報産業に関わる私、直接的に情報保護については関与することも多いけれど、昔から情報保護というお題目にある種のもやもや感を抱いたままだった。本書を通じてそのもやもや感が大分整理された気がする。2012年に入ってmixi上にてSNSとの関わりを変えていく、という宣言をしたのだけれど、匿名か実名か、というSNSを使い分ける際の大きな問題について吹っ切れたこともあり、2012年からは実名アカウントであるFacebookへのかかわりを強めるきっかけとなったのが本書とも言える。

あまりにも対談のテーマが広く、それぞれの論点で私の意見を開陳すると冗長になるためこれ以上は書かないけれど、色々な論点について、その根源となるさらなる論点が潜んでいることに思いを致すことなく考えを述べている自分を戒めつつ、精進をしたいと思った。いい本で一年の読書体験を締めくくることが出来、満足である。

’11/12/27-’11/12/31