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至仏山登山 2019/7/21


尾瀬の朝は早い。
4時半に起き、朝靄に漂う尾瀬を散策に出かけました。
三百六十度の尾瀬が瞬間ごとに姿を変えてゆく雄大な時間の流れ。それは、言葉にはとても表せない経験です。
一年前の朝、尾瀬の大地に立ち、壮大な朝の一部始終に心を震わせた経験は、私の中に鮮やかに残っていました。
今年は、山ノ鼻小屋から尾瀬の湿原に歩き、朝を全身で感じたのですが、正直に言うと昨年を凌駕するほどの感動までには至りませんでした。
今年も十分に素晴らしい朝だったのですが。昨年、尾瀬の朝を感じた初めての経験がそれだけ鮮烈で、得がたいものだったのでしょう。
尾瀬小屋は山ノ鼻よりさらに奥に位置していて、自然相も景色も違うのでしょうし。季節や場所によって自然はかくも違う顔を見せる。そのような当たり前のことを思い出させてくれました。それもまた、尾瀬の魅力の一端なのだと思います。


朝ごはんを食べ、小屋を出発したのは、7時少し前。
目の前にそびえる至仏山に向け、19名のパーティは歩みます(数が減っているのは、昨日のうちに帰られた方がいたので)。
昨日、目に焼きつけておいた至仏山の山容と麓へと至るアプローチ。ところが、行けども行けども麓にたどり着きません。
都会の人工物に慣らされた私たちは、尾瀬の広大な自然の中で距離感を失い、惑わされる。昨年も感じた距離感の喪失は、尾瀬ならではのものかもしれません。嬉しい錯覚といいますか。
そうした日常の汚れを気づかせてくれるのが旅の効能。なかでも尾瀬の効能はてきめんです。


やがて至仏山の登山口に着きました。そこからは登りです。
ところが、登山道には水が流れ落ちていました。数日前まで雨が降っていた名残なのか、それとも雪解け水なのか。
水に気を取られ、思ったよりも負担になる登りでした。


とはいえ、自然の中だと別人のように力が湧き出る私。植物相が変わる高さまではずっと先頭でした。
その後しばらく岩場で後続のみなさんを待った後は、数名でさらに上へと目指します。今度はじっくりと時間をかけながら。


というのも、私たちの背後には尾瀬の大湿原が少しずつその全容を見せてくれていたからです。
少し標高を上げると、その分だけ姿が広がる尾瀬。登るたびに背後を振り返ると、その都度違った顔を見せる尾瀬。
そうやって尾瀬を見下ろす快感を知ってしまうと、一気にてっぺんを目指して登るなどもったいなく思えます。また、登山道の脇には名も知らぬ高山植物のあれこれが姿を見せ始めました。こうした可憐な花々も私の足を引き留めます。
これらの花々は昨日は湿原で見かけませんでした。山に登らなければ出会えなかった尾瀬の魅力がここにも。
一緒に登っていた方が高山植物に詳しく、たくさんの名前を教わりました。


至仏山の山肌を彩る豊かな自然を楽しみつつ、振り返るたびに、広大な姿を横たえる尾瀬に目を奪われる。
私の登山経験などたかが知れていますが、そんな乏しい登山経験の中でも、この時に見下ろした尾瀬のすばらしさは別格で、人生でも屈指の眺めだったと断言できます。
湿原を歩くだけでなく、上からその素晴らしさを堪能する。それこそが登山の喜び。そして魅力。その本質に気づかされた道中でした。


古来から山男を、山ガールや旅人を引き寄せてきた尾瀬の魅力。それは私ごときが語りつくせるものではなく、私の見た尾瀬も、尾瀬が見せる無限の魅力の一つにすぎないはず。

頂上に近づくにつれ、急速に湧いてきた雲が尾瀬を覆い隠します。
まるで私たちの眼下に広がっていた先ほどまでの尾瀬が幻だったかとでもいうように。
その気まぐれなふるまいも、尾瀬の魅力の一つ。そうした振る舞いに出会う度、旅人はまた尾瀬へと足を運ぶのでしょう。


雲が湧き、気温も下がってきました。視界も少し悪くなってきたので、登りの足を早めました。
途中には高天ケ原と名付けられた場所があり、少し休憩もできましたが、この日の高天ケ原は急に湧いてきた雲によって灰色に染まっていました。仏に至る道は容易なものではない、ということを教えるかのように。
山の天気の変わりやすさをつくづく感じつつ、気を引き締めながら最後の登りへ。


9時48分。至仏山の山頂につきました。標高2228m。私にとって日本百名山の登頂は大菩薩嶺に次ぐ二峰目です。
達成感に浸りたいところですが、狭い山頂付近には大勢の登山家がたむろして混雑しており、落ち着くことなどとても無理な状況でした。


そんな混雑の中、後続の皆さんを待っていたのですが、一部の方が登りに難儀されているとの情報が。
なので、まず15名で集合写真を。
この時、晴れ間が広がっていたらとても映えたのでしょうが、先ほどから湧き上がってきた雲が去る様子はなく、写真の背景が少し曇り空だったのが惜しい。
でもみんな、いい顔です。達成感にあふれています。雲を吹き飛ばすほどの晴れやかな姿がうれしいです。


女性の皆さんはお手洗いのこともあるので、皆さん先に出発しました。
で、私はMさんとそこでしばらく後続の方を待つことにしました。体力にはまだ余裕があったので、遅れた方の荷物でも持とうかな、と。
結局、至仏山頂には1時間以上いました。やがて後続の皆さんも合流しました。
なので無事を祝って、そこで5人で再び写真を撮り、山ノ鼻小屋の方が持たせてくださったおむすびをパクパク。

そこから小至仏山へと向かいます。
私が荷物を持つまでもないとのことだったので、私の荷物は増えなかったのですが、ここから小至仏山への道も岩場が続き、油断はできません。
高山植物を愛でながら、帰りのバスの時間もにらみながら、山の景色を堪能しながら進みます。
小至仏山には11時50分に着きました。こちらも小という名が付きますが、標高2162m。私の中では生涯で二番目の高峰です。
雲がまだ辺りを覆っており、そこからの尾瀬の眺望は楽しめませんでしたが、辺りは登頂の達成感を感じるには十分すぎる景色。実にすがすがしい。


そこからは険しく危険な岩場を通りながらの下りでした。途中には雪が溶けきれずに残っている箇所も通り、ここがまぎれもない高山であることを思いださせてくれます。
オヤマ沢田代や原見岩と名付けられた岩に登るなどしながらの道でしたが、登りで遅れた方が下りでも苦戦しており、私とMさんが先に降りては、後続でサポートについてくださったお二方を含めた三名を都度待つ展開に。


途中、大学のパーティをやり過ごしたり、水場で花や草を写真に収めたりしながら、ぎりぎりバスに間に合いそうなタイミングをみて、最後はMさんと二人で鳩待峠へ。
無事に皆さんと合流し、後続の方もあとから合流することができました。無事下山。

来た時と同じく「ゆる歩様」を掲げた「OIGAMI」号に乗りまして、私たちが向かったのは「わたすげの湯」。ゆる歩山登りの会は温泉が付いてくるのがうれしい。
汗を流し、足腰の凝りをほぐす湯けむり時間の心地よさ。
休憩所では皆さんがビールを頼んでいたので、私もついご相伴してしまいました。こういう時間って本当に幸せですよね。


再び「OIGAMI」号に乗って上毛高原駅へ。そこで解散となり、それぞれの思いを載せて帰路へ。
この日の夜、東京駅近辺で打ち上げのお誘いをいただきましたが、私は翌朝早くに車に乗って羽田へ向かわねばならず、無念の辞退。
本当は皆さんと旅の思い出を語らいたかったのですが。
とはいえ、せっかく大宮に来たので、夕飯はなにか珍しいものを食べたい。そう思って駅前をぶらぶらしました。結局、これといったお店が見つからず、丸亀製麺に入ってうどんを。こういう締めもまた私らしいというか。

さらに、新宿では尾瀬のことを無性に知りたくなり、駅前のBOOKOFFに立ち寄って尾瀬の本を買い求めました。

こうして、二日間の尾瀬と至仏山の旅は終わりました。今回、ご一緒した19名の皆さん、「OIGAMI」号のドライバーの方、宿の皆さん、誠にありがとうございました。


日本百名山


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レジャーに行くなら山と海どっち? よく聞かれる話題だ。しかし、この話題に軽々しく応えてはならない。なぜか。場合によっては、この答えがプライベート上の付き合いを左右しかねないからだ。

大抵、このような質問をする方はどちらかの嗜好に偏っていることが多い。海と山両方が同じぐらい好き、という方にはまだ巡り会ったことがない。この質問に対する答えは、今後のお付き合いに大きく影響すると思っておいたほうがよい。

なので、こういった質問に対して軽い気持ちで答えてはならない。質問してきた方は、一見しただけではそういう拘りを持たない方に思えるかもしれない。でも、皆が皆、(海が好き!)と大きく書かれたTシャツを着ている訳ではない。たとえそう見えなかったとしても海好きの方に軽々しく「あの、、、山が、」と遠慮がちに答える。それだけで、今後の付き合いにわずかな隙間が生じることは保障する。

これが明らかに機嫌を損ねるのならまだいい。しかし、海彦山彦は大抵、大人なのだ。だから始末が悪い。大人は相手の趣味嗜好をきちんと尊重する。相手の嗜好に立ち入らないのが大人の嗜みだから。でも、海好きの相手の場合、相手が山好きであることがわかった場合、表立った非難や不満を一切表さずに、海系のイベントには呼ばれなくなる。逆の場合もまたしかり。残念なことに。

海好きを好きでもない山には呼ばないし、山男を海に連れ出すような無粋な真似は控える。皆、大人だから。大人は相手の趣味嗜好を尊重するからこそ大人なのだ。

さて、本書は山についての名著である。当ブログでこのような本を持ち出すからには、私が山派であることは言うまでもない。

しかし、私は元々は両刀使いであった。海に行けば自らを大いに焼き上げるまで離れない。ビーチバレーにいそしみ、磯に潜ってウニを突き刺し、沖の浮きまで泳がずには気がすまない人だった。かつての私は年中焦げていたので、黒さに関するあだ名には事欠くことがなかった。子供の頃から大学を卒業するまで、兵庫、京都、福井の海に親しむ海人こそが私だった。

しかし、四十歳を迎える頃になって自分の嗜好が山に向いていることを認めねばならなくなった。その自覚は薄っすらと30歳の頃からすでに持っていたのだが、それをはっきり自覚したのが以下に書く出来事だ。

今から、十年近く前、家族ぐるみで付き合っていた方より、船釣りの話を頂いた。早朝、葉山漁港から船に乗り、烏帽子岩を回り込んで、釣りに興じた一日は、実に楽しかった。しかし、その後のどこかのタイミングで、そのお誘い頂いた方は、私に「山と海どっち?」という質問を投げてきた。そして私は正直に「実は山の方が、、、」という回答を返してしまったのだ。嘘が付けない私の過ちであるといえる。結果は冒頭にあげた通りだ。それ以来、釣りにお誘い頂いていない。10年間。

しかし、そうやって応えたことにより、私の意識は山に向いた。元々、幼少の頃より六甲の山々は家族ハイキングの定番コース。冬の金剛山にも連れていかれたこともあるし、冬山はスキーのゲレンデとして何度も登山と下山を繰り返したものだ。つまり山好きになる素地はあったのだろう。

しかし、山を攻略する機会は全く持てていないのが現実だ。そうしている間に不惑の年を迎えてしまった。関東に来てから上った山といえば、精々が高尾山や、丹沢の二の塔、三の塔が関の山。

一方で、不惑の歳になってから、滝の魅力に惹かれるようになった。今では独り、旅先で滝を求めて歩くまでになった。こうやって書いていても滝に行きたくてうずうずする自分がいる。滝の魅力については別にブログに著そうと思っているが、滝の前にいると1時間でも2時間でもいられる自分が不思議だ。なぜ、これほどまでに滝に惹かれるのか、自分でもわからない。

滝を求めて山道を歩くことは、すなわち山登りと一緒。そんな境地に至っている。あちこちの滝を巡るには、その滝を懐に抱える山を極めることと同じ意味。一度山についての本を読んでみようと思った。それならまず、山の名著として不朽の名を背負う本書に手を出してみるのが定石。

さて、前書きが長くなった。前もって断っておくと、私が本書で取り上げられた日本百名山のうち、登頂を果たした山は皆無である。ゼロ。

全く山に関してはハイカーレベルの初心者が私。しかし、本書で取り上げられた山々を称賛する著者の言葉には、心をくすぐられる。著者は実際に百山全ての頂を踏んでいる。説得力が違うし、まだアルピニストやクライマーが珍しい昭和初期から登山に取り組み、山登りがレジャー化する高度経済成長期においては登山に対する識者となった。その立場からの知見、意見が本書には散りばめられている。特に、登る人のまれな孤高の名峰を語る時、著者の筆は実に楽しそうだ。まだ登ったことのない私にも、その魅力は充分に伝わった。

本書を読み、せめて日本二百名山くらいから登ってみようと恋い焦がれる日々を送っている。

先日、とあるご縁から某県の山岳会員の方と飲む機会があった。2016年はその御指導の元、山デビューを果たしたいと思っている。

あとは、残り少ない人生で、どれだけ登れるか。富士山、甲斐駒ヶ岳、曇取山、大山、木曽駒ヶ岳、八ヶ岳あたりは登るまで死ねない。まだまだやりたいことのありすぎる人生。自分の人生を納得して死ぬための目標として、登山は値するのではないかと思っている。決して安い趣味ではないことは承知の上で。

大人として、相手の趣味を尊重することはもちろんだ。だが、その前にまず自分自身が趣味人としてある程度の域まで達しないことには、自分自身も尊重できなくなってしまう。残り何十年の人生で、まずは2016年、一歩を踏み出そうと思う。

‘2015/5/9-2015/5/13