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kintone Café 白馬 Vol.1に参加してきました


11/11にkintone Café 白馬 Vol.1が開催されました。
弊社の代表と役員二人で参加してきました。
告知ページ

スケジュール的にCybozu Daysが終わった翌々日の開催と言うことで、白馬への移動は時間的にかなりギリギリでしたが、とても楽しい時間を過ごせました。
まずは皆様に感謝します。

現地での移動の便を考え、私たちは町田から車で向かいました。

早朝に町田を出て、中央道と長野自動車道を経由して白馬に着いたのは12時少し前です。


少し早く着いたので、今回の主催企画を担ってくださった根崎さんにおすすめ頂いた蕎麦酒房 膳 ZENさんで新そばをいただきました。しかも十割そば。とてもおいしかったです。

こちらのお店からは遠くに白馬のジャンプ台が見えます。私が白馬を訪れるのは3年半ぶりでした。コロナ禍の最中、大町の星野リゾート界に泊まった翌日、家族で栂池高原を訪れて以来です。
その前となると、大学時代にシュプール号に乗って白馬にスキーに来ていた頃までさかのぼります。


その白馬のジャンプ台のふもとにあるのが、今回の会場である白馬ノルウェービレッジ。
名前からすでに旅情を感じさせますし、建物の佇まいも木の手作り感がとても風情を醸し出しています。
私たちが着いた時、入り口には今回ご一緒する長野の和尚こと植田さんがいらっしゃいました。幸先のいい到着です。

車の外にでると、冬到来を感じさせる寒さが肌を刺します。前々日までいた幕張メッセの陽気さに比べてこの寒暖差!これこそが旅です。
幕張では出番のなかったkintoneエバンジェリストの新たなノベルティジャンパーが活躍しました。


ところが建物の中にはいると一転。
暖房が旺盛に効いていて、即座にジャンパーを脱ぎました。すでに集っている皆さんの期待の熱気とあいまって室内は暑い暑い。


やがて皆さんがそろった時点で、kintone Café 白馬の開始です。
まずは根崎さんから開催の挨拶。

今回のkintone Café 白馬開催にあたっての根崎さんの並々ならぬ思いを知っているだけに、そして、どれほど苦労して開催調整に粉骨砕身されていたかを知っているだけに、私も今回の開催がとても喜ばしいのです。


【kintone説明】kintone って何?何ができるの?
トップバッターは小泊さん。多分私の記憶が確かなら小泊さんと一緒にイベントで登壇するのは始めてのはず。kintoneの動きや仕組みよりもプランに重点を置いて紹介する内容がとても新鮮でした。これから色んなところでご一緒できると嬉しいです。


続いて私。
【事例紹介】①日本一を目指すアメフト部の、強いチームを作るためのkintone活用術 ②誰も置き去りにしない自治会のデジタル化とは?

私にとって、この二つのテーマは過去に登壇して話した事があります。そのため、スライドもすんなり作れました。
二日前のCybozu Daysの会場では、サイボウズのNPO担当の方にもこのスライドを見てもらいました。問題ないこともチェック済み。


【事例紹介】すごくない事例発表
ハッシーさん

すごくないと言いながら、実はすごい内容がちりばめられているのがハッシーさんのすごいところ。そもそも行動力が凄すぎです。
この先、47都道府県の全てでハッシーさんと登壇する日もそう遠くない気がします。まずは今回で長野を一緒に制覇できましたね。


植田さん
【事例紹介】-神も仏も業務改善-「やらなくても良さそうなことはやめてみよう」「やらなきゃいけないことで手間のかかるものをkintoneでやろう」

今、kintone界隈で最も熱い男、植田さん。
さすがと言うべき話術は、ここ白馬でも健在でした。
そもそもスライドの冒頭に白馬に乗った何かを出してくる時点でひねりが効いています。植田さんとはDaysの懇親会でも辺りがやかましくてゆっくり話せなかったので、とても嬉しかったです。あとで書きますが、懇親会もとても楽しかった。


【カスタマイズ】ミウミウの究極KAWAIIカスタマイズ

個人的に、今回ミウミウさんのスライドが白馬で聴けたのがとても有り難かったです。
というのも私、Cybozu Daysのkintone show + case unlimitedでミウミウさんの登壇が聴けなかったのです。ブース対応で。
それが結構ショックで、ミウミウさんの登壇内容はどんなだろうととても楽しみにしていました。その内容が聞けたのがほんとによかった。

語り口や立ち居振る舞いなど堂々としたもので、もうミウミウさん、これからもどんどんkintone界隈で活躍してくれるんじゃないかと楽しみでなりません。


ここで中休み。皆さん名刺交換などされていました。
私は先ほど、ゆっくり見られなかったジャンプ台を見に行こうと斜面を駆け上がり、ジャンプ台の近くまで登りました。
ところがあまりにも寒い中にも関わらず、肺胞を全力で開いたものですから、戻ったあと咳き込んでしまいました。皆さん失礼しました。


【実演】kintoneでアプリを作ってみよう

続いての後半戦は根崎さんから。今回参加された中には、kintoneに詳しくない方もいらっしゃいました。その方々にもわかるようにkintoneを最初から作って見せてくださいました。
根崎さんの周到な配慮の跡が伺えます。kintoneの仕組みをしっかり説明してくださるのは良いことだと思います。これもあって、小泊さんの登壇内容がkintoneそのものを説明せず、プランの説明に重きを置いていたのも納得です。

【サイボウズさんから】cybozuDays2023の振り返り

ついでは、サイボウズから倉林さん。倉林さんの内容はCybozu Daysのブースを振り返りつつ、これからの新たな考え方のフレームワークも示してくださり、とても勉強になりました。

今、私にとっての課題はカイゼンマネジメントエキスパート資格を早く受かってしまうことです。ところが私がエキスパート試験を何度もしくじっている間に倉林さんを中心とした皆さんはもっと先へ進んだ考え方を取り入れているのでしょう。こういう考え方を学ぶ機会って刺激的で好きです。


白馬ってどんなとこ?

続いては渡邉さんによる白馬の紹介。
上に書いた通り、かつてはスキーで何度か来た白馬。
実は私が白馬に通っていた頃は、すでにスキーブームも冷め始めた頃だったのですね。
それでもインバウンド客の増加など、国内でも観光地として確固たる立場に甘んじず、現状維持をよしとしない姿にこれからの白馬を期待しました。


おかあさんの白馬自慢
ということで、根崎さんを白馬に導いた方だそうです。
スライドなしで話されてましたが、それも確固たる理由と信念を持って白馬に住んでいるから。
こういう方がいらっしゃる事が地域を盛り上げるのですよね。


教育現場でのDX布教活動
清水さんとは今回初めてお会いしたのですが、実は私住んでいる場所に濃いご縁のある方だったのですね。

清水さんの登壇内容から、私が実は教育にご縁のあることにも気づかされました。
そのことについては、
note
に書きました。

私がkintoneを使って教育の分野でも何かやれる事があるのではないか。そんな気付きを得られたのも清水さんのセッションからです。


そのあとは集合写真を撮ったのも、kintone Caféでは恒例ですよね。kintoneという共通のよすがで集まった皆さんが、今、この場所で集まった証し。
本当に、一期一会というだけではなく、この場で生じたご縁が今後もどこかで花開き、だれかがkintoneを使って幸せになる。
そんなご縁の出発の証しとして集合写真を撮るのはよいことです。


その後はいったん皆さんは宿に戻り、そして居酒屋「きっちょんちょん」集まって懇親会。

この懇親会がめちゃ面白かった!
あまりに面白くて料理やお酒を撮る暇がありませんでした。


妻が放った誘い水からジョイゾーの小渡さんやミウミウさんがこんなに乗ってくれるとは。スナックジョイゾーではついぞ知らぬ顔が。
そして倉林さんがこっちにも造詣の深い方だったとは。
宴はたけなわになり、話題は植田さんを中心にした仏教界へと。仏教界の宗派の違いや運営の違いなど、植田さんの豊かな知識と話術が時間のたつことを忘れさせてくれます。
実は弊社も宗教法人様にkintoneを入れた経験はありますが、どちらかというとStripe、freee、WordPress連携が主であり、kintoneを使ってがっつり業務に絡んだわけではありません。
kintoneを使って宗教界を変革できるのではないか。そんな壮大な気宇に満ちた懇親会でした。いやぁ楽しかった。

翌朝も私は早朝から白馬駅の周りを徘徊していました。
そしてsnow peak 白馬のスターバックスに皆で集まりました。そこでは、植田さんが開設したXのスペースにいつの間にか私も参加していて、朝から全国のkintoneファンと植田さんファンに私の寝ぼけた声を発信する羽目になったのはご愛敬です。

そしてsnow peakで皆さんと別れたあとは、妻と糸魚川へ。MOVEDさんに7月にお招きいただいた糸魚川に妻を連れて行きました。
白馬から糸魚川へ。
弊社は今、甲府や山梨に力を入れようとしています。町田から甲府。そして白馬から糸魚川へ。一つの線がつながりました。

おそらく、その線をたどり、白馬にも糸魚川にもまたいくことがあるでしょう。
次の訪問はkintone Café 白馬 Vol.2なのか、それとも別のイベントなのか。はたまた、プライベートで訪問するのか。

その際はまた白馬の皆さんとお会いしたいですね。本当にありがとうございました。


この国の未来に私や弊社ができること


金曜日の朝に流れた安倍元首相が銃撃されたニュースはかなりの衝撃を私に与えました。

そのニュースを私は八王子に向かう電車の中で知りました。
八王子駅に着くと、ちょうど日本共産党の候補者の方が街頭演説をしていました。私が通りがかった時、先ほど入ってきたニュースとして銃撃のことに言及されていました。暴力は許されない、私たちは議会で議論してこの国を良くしていく、とその方は熱弁をふるっておられました。

用事を済ませた私がコワーキングスペースで仕事をしていたら、安倍元首相が死去されたニュースが飛び込んできました。
そこから、ジワジワと私の中に衝撃が染み渡ってきました。何か大切なものが抜け落ちてしまったかのような。

その喪失感がどこから来るものなのか。私はその感情を持て余し、衝動的にバーに飛び込みました。
バーから出て八王子の駅に向かうと、読売新聞の号外が配られていたので一枚手に取りました。

帰宅した後も今朝になってもまだその衝撃は去りません。さらに一日おいても。
衝撃を受けた理由を自分なりに考えるため、本稿に著してみます。なぜ衝撃は去らないのか。

その前に私の政治的な立場を明らかにしておきます。
私はどちらかというとノンポリのその他大勢に属しています。特定の政党にも宗教にも属していません。シンパでもなく、オルグもされていません。
改憲には賛成の立場です。ただし、それは武力行使を許すためでなく、逆に専守防衛のために自衛の軍隊を持つことを条文に明記するためです。他にも施行当時にはなかった国民の権利の考えを今の時代に合わせてアップデートすべきだと思っています。多様性を重んじ、LGBTQ+も加味した憲法として。

安倍元首相は改憲に向けてリーダーシップを発揮しておられました。私は氏に改憲の可能性を感じていました。安倍元首相とは目指す方向が違う可能性はありましたが、私は期待し、応援していました。ところが、疑惑を招くような数々の行いがありました。あれには失望させられました。日本を変えたいのなら脇を甘くせず、一切の疑惑を招かないよう、注意深く振る舞ってほしかったと。

ですが、政治家も官僚も人間です。私は人間の能力では皆が完全に納得できる政策を立案し、施行するのは不可能だと思っています。
そして、誤りを犯さない人間もいません。安倍元首相は聖人君子のパーフェクトヒューマンではありませんでした。が、それが逆に、人間の強さと弱さを兼ね備えた名政治家の証だったと思います。

衝撃を受けた理由を考えてみました。

事件が起きたのが、私が三週間前に通りがかった大和西大寺駅の北口だったから何かの数奇な縁を感じたのでしょうか。多分違います。
事件の夜、私は大和西大寺駅前で一緒に飲んだ後輩に連絡しました。すると、その後輩はたまたま大和西大寺駅にいたらしく、駅の写真を撮って送ってくれました。いつもと変わらないであろう駅の様子を見て、私が感じた衝撃の理由が最近に訪れた場所だからではないことが分かりました。

では安倍元首相が有名だからでしょうか。これも違うように思えます。アメリカのケネディ大統領やジョン・レノンが撃たれた時の世間の反応もこのような感じだったのでしょうか。ですが、ジョン・レノンが撃たれた時、私は7歳でした。全く記憶していません。

アメリカ同時多発テロ事件のような、私たちがよく理解できない主義主張による凶行だからでしょうか。これも違うと思います。
今のところ、報道によれば犯人には、政治的な信条の他に動機があるらしいとのことです。多くのアンチを抱えていた安倍元首相ですが、アンチが主張する理由をある程度は知っています。その理由があったからこそ、もっとも安倍元首相が標的に選ばれやすかったことも。

では、日頃から起きている悲惨な事件や事故と今回の事件は何が違うのでしょう。何がこれほどに衝撃を与えるのでしょう。

私は、ネットの暴力がついにリアルを侵食し始めた怖さにあると思います。
今までも、わが国では暗殺が多数なされました。元首相や現職の首相も。テロもそう。平成にはオウム真理教が暴走し、令和でも京都アニメーションの放火が世間に衝撃を与えました。他にも通り魔事件や凶悪な犯罪は何度も発生しています。
ですが、こうした暴力は、私たちにとっては突発のものでした。犯人の中で人知れず憎悪が増幅していたにせよ、私たちがそれを知る術はありませんでした。オウム真理教による脅威はサリン事件の前から一部のマスコミで報道されていましたが、当時はまだネットが未開拓でした。世間にオウム真理教の内情は知られていませんでした。
戦前のテロは社会に不安が高まり、それが新聞などで報道された中で行われていました。ですが、当時はネットもなく、今の情報の広がり方とは明らかに異なっています。
今までの事件は、どれも事態が起こってから、動機を後追いしてさかのぼる種類のものでした。それは論理による振り返りです。

ところが、安倍元首相の場合、ネットの中でアンチの世論が形成されていました。中には見苦しい暴言も散見されました。
今回、犯人の動機が報道されています。それによると政治信条ではなく、私的な理由が動機だそうです。ガードが堅い特定団体の関係者を襲うかわりに、その団体とのつながりを報道されていた安倍元首相を狙ったと。
ここからは私の推測ですが、その団体とつながりがあると報道されたことが犯人の矛先を向かせたのではないかと。もしそうだとしたら、ネットに渦巻くアンチの声は、リアルへの緩衝効果どころか、犯罪を後押しした結果を招きました。

私は今まで、こうしたネット内のアンチの声を鬱憤の発散の場として許容し、甘くみていました。
ですが、たまり続ける鬱憤はリアルの場で暴発する。そのことが実証されたのが今回の事件だったと思います。その恐ろしさが私に衝撃を与えたのだと考えています。論理による振り返りを許さない現実の恐怖。

ネットが出現する以前のメディアや通り魔事件犯人の心の中は、いわば閉じた情報でした。ですが、ネットにあふれる情報は、社会に向けて開かれています。そうした情報は社会に広がっているため、希釈され発散され、凝縮して暴発しない。私はそのように油断し、勘違いをしていました。
犯人の行為は許せません。罪を償ってもらうのは当然ですが、それで終わらせず、社会をなんとかしないと。

このような事態が起こった今、私や弊社のような情報技術に携わるものはどうすれば良いのでしょう。
まず、確認しておきたいのは、今まさに進んでいる情報社会の流れは絶対に後には戻らないことです。これからも社会にはますます情報が流れ、あらゆるものがデータで表現されていくはずです。それは間違いありません。

多分、情報技術に関わる人は、私も含めてこれからも忙しい日々を送ることでしょう。
その時、技術者は個人情報を含む機密情報の扱いには細心の注意を図ることが求められます。ヒューマンエラーをなくすための仕組みの導入を含めて。
ただし、秘匿すべき情報を除けば、これからは逆に情報を開示していく時代になると思います。
すでにビットやバイトなどのパケットの仕組みやネットプロトコルなどのレイヤー1からレイヤー6までは規格が策定され、公開されています。レイヤー7のアプリケーションに関わる部分は私や弊社が関わる部分です。そこも機密情報を公開しない限りにおいて、求められれば開示できるよう、備えておくことが必要です。

これからは、情報は原則として公開するものというポリシーを持つことが私たちに求められます。いわば情報の民主化です。
情報が特定の組織や立場に握られない社会。誰もが公平に世の中の情報を享受できる社会。
国や民族や性別や宗教や信条や立場や門地によって与えられる情報が区別されない社会。
社会から疎外されたと感じる人がいなくなり、いかなるパーソナリティの方でもなじめるような社会。

そうした社会を創るためには、そうした方々にあまねく情報を配信できる仕組みを作らねばなりません。
また、あらゆる方がきちんと情報を扱うリテラシーを備えることも大切です。そのための教育も必要でしょう。
今回の犯人のように、自らの中の衝動に追い詰められる人を少しでも減らしていかなければ。

弊社も私もそのような社会が実現できるよう、努力していきたいと思います。

今日は参議院議員選挙です。私も投票してきました。
皆さんも投票の権利を行使し、社会に参加して、まずは身の回りから不満に思う部分を変えていってほしいと思います。
ただし、それには時間がかかります。すぐに世の中は変わりません。身の回りもすぐには変わりません。何年も何年もかけて変えていかなければ。
事件の翌日、私が好きな場所の一つである、世田谷の慶元寺を訪れました。そこで門前に掲げられていた標語をアップしておきます。何事も好転するまでには若干のタイムラグがあるのです。

末筆になりましたが、安倍元首相に心からの哀悼をささげたいと思います。あなたの死を無駄にはしないように。そして改憲への志を引き継いでいけるように。


未来の年表


本書は発売当時に話題になっていた。警世の書として。

本書の内容を一言で表すと少子化が続くわが国の未来を予言した書だ。このまま人口減少が続くと、わが国の社会や暮らしにどのような影響が表れるかを記述している。
その内容は人々に衝撃を与えた。

本書が出版されたのは2017年6月。おそらく2017年の頭から本書の執筆は開始されたのだろう。そのため、本書の年表は2016年から始まっている。
2016年はわが国の新生児の出生数が100万人を切った年だ。
著者はここで、真に憂慮すべきは出生数が100万人を下回ったことではなく、今後も出生数の減少傾向が止まらないことであると説く。
このまま机上で計算していくと、西暦3000年のわが国の人口は2000人になってしまう、というのだ。2000人といえば、私がかつて通っていた小学校の生徒数ぐらいの数だ。

本書は2016年から未来の各年をたどってゆく。顕著な影響が生じる21の年を取り上げ、その年に人口減少社会が何をもたらしていくのかを予測している。そこで書かれる予測はまさに戦慄すべきものだ。
その全てを紹介することはしない。だが、いくつか例を挙げてみたい。

例えば2019年。IT技術者の不足が取り上げられている。本稿を書いているのは2021年だが、今の時点ですでにIT技術者の不足は弊社のような零細企業にも影響を与えている。

2020年。女性の半分が50代に突入するとある。これが何を意味するのかといえば、子を産める女性の絶対数が不足しているので、いくら出生率が改善しても出生数が容易に増えないことだ。
わが国はかつて「産めよ増やせよ」というスローガンとともに多産社会に突き進んだ。だが、その背景には太平洋戦争という未曽有の事件があった。今さら、その頃のような多産社会には戻れないと著者も述べている。

2021年。団塊ジュニア世代が五十代に突入し、介護離職が増え始めるとある。私も団塊ジュニアの世代であり、2023年には五十代に突入する予定だ。介護問題も人ごとではない。

2042年。著者は団塊世代が75歳以上になる2025年より、2042年をわが国最大の危機と予想する。団塊ジュニア世代が70歳になり、高齢者人口がピークを迎えるのがこの年だからだ。私も生きていれば2042年は69歳になっている。本書が警告する未来は人ごとではない。

帯に表示されているほかの年を挙げてみると以下の通りだ。
2024年 全国民の3人に1人が65歳以上
2027年 輸血用血液が不足
2033年 3戸に1戸が空き家に
2039年 火葬場が不足
2040年 自治体の半数が消滅

私はもともと、今のわが国で主流とされる働き方のままでは少子化は免れないと思っていた。

朝早くから家を出て、帰宅は夜中。誰もが日々を一生懸命に生きている。
だが、なんのために働いているのかを考えた時、皆さんが抱える根拠は脆弱ではないだろうか。
働く直接の理由は、組織が求めるからだ。役所や企業が仕事を求めるからその仕事をこなす。その次の理由は、社会を回すためだろうか。やりがい、生きがいがその次に来る。
そうやって組織が求める論理に従って働いているうちに、次の世代を育てることを怠っていた。それが今のわが国だ。
仮に働く目的が組織や社会の観点から見ると正しいとしよう。だが、その正しさは、組織や社会があってこそ。なくなってしまっては元も子もない。そもそも働く場所も意味も失われてしまう。

私たちは一生懸命働くあまり、子育てに割く余力をなくしてしまった。子を作ったのはよいが、子供の成長を見る暇もなく仕事に忙殺される毎日。その結果が今の少子化につながっている。

子育ては全て妻に。高度成長期であればそれも成り立っていただろう。
高度成長期とは、人口増加と技術力の向上が相乗効果を生み、世界史上でも例のない速度でわが国が成長を遂げた時期だ。だが、その成功体験にからめとられているうちに、今やわが国は世界史上でも例を見ない速度で人口が減っていく国になろうとしている。
いくら右寄りの人が国防を叫ぼうにも、そもそも人がいない国を防ぐ意味などない。それを防ぐには、国外から移民を募るしかない。やがてそうした移民が主流になり、いつの間にか他の国に乗っ取られていることもありうる。現にそれは進行している。
本書が出版された後に世界はコロナウィルスの災厄によって姿を変えた。だが、その後でもわが国の少子化の事実はむしろ深刻化している。世界各国に比べ、わが国の死者は驚くほど少なかったからだ。

著者は本書の第二部で、20世紀型の成功体験と決別し、人口減少を前提とした国家の再構築が必要だと訴える。
再構築にあたって挙げられる施策として、以下の四つがある。移民の受け入れ、AIの導入、女性や高齢者の活用。だが、著者はそれら四つだけだと効果が薄いと述べている。
その代わりに著者が提言するのは「戦略的に縮む」ことだ。
少子化を防ぐことが不可能である以上、今のわが国の形を維持したままでこれからも国際社会で国として認められるためには、国をコンパクトにしていくことが必要だと著者は訴える。その上で10の提言を本書に載せている。

ここで挙げられている10の提言は、今の私たちの今後を左右することだろう。
1.「高齢者」をなくす
2.24時間社会からの脱却
3.非居住エリアを明確化
4.都道府県を飛び地合併
5.国際分業の徹底
6.「匠の技」を活用
7.国費学生制度で人材育成
8.中高年の地方移住促進
9.セカンド市民制度を創設
10.第3子以降に1000万円給付

これらは独創的な意見だと思う。わが国がこれらの提言を採用するかどうかも不透明だ。
だが、これぐらいやらなければもう国が立ちいかなくなる瀬戸際に来ている。
そのことを認め、早急に動いていかねばなるまい。
今の政治がどこまで未来に対して危機感を抱いているかは甚だ疑問だが。

‘2020/05/24-2020/05/25


アメリカの高校生が学んでいるお金の教科書


経済学の本をもう一度読み直さなければ、と集中的に読んだ何冊かの本。本書はそのうちの一冊だ。
新刊本でまとめて購入した。

前から書いている通り、私には経済的なセンスがあまりない。これは経営者としてかなりハンディキャップになっている。

私だけでなく妻も同じ。お金持ちになるチャンスは何度もあったが、そのために浪費に走ってしまった。だからこそ長年私も常駐作業から抜け出せなかった。その影響は今もなお尾を引いている。

私は若い考えのまま、お金に使われない人生を目指そうとした。金儲けに走ることを罪悪のようにも考えていた時期もある。
二十代前半は、金儲けに走ることを罪悪のように考えていた。

妻は妻で、生まれが裕福だった。そのために、浪費の癖が抜けるのに時間がかかった。
幸いなことに夫婦ともまとまったお金を稼ぐだけの能力があった。そのため、家計は破綻せずに済んだ。だが、実際に破綻しかけた危機を何度も経験した。

私たち夫婦のようなケースはあまりないだろう。だが、私たちに限らず、わが国の終身雇用を前提とした働き方は、お金について考える必要を人々に与えなかった。
一つの企業で新卒から定年まで勤めあげるキャリアの中で、組織が求める仕事をこなしていけばよかった。お金や老後のことも含めた金の知識は蓄える必要がなかった。それらは企業や国が年金や保険といった社会保障で用意していたからだ。

私もその社会の中で育ってきた。そのため、金についての教育は受けてこなかった。風潮の申し子だったといってもよい。
だが、私はそうした生き方から脱落し、自分なりの生き方を追求することにした。ところが、お金の知識もなしに独立したツケが回り、会社を立ち上げ法人化した後に苦労している。もっと早く本書のような知識に触れておけば。

世間はようやく終身雇用の限界を知り、それに紐付いた考えも少しずつ改まりつつある。
私も自分の経験を子どもやメンバーに教えてやらねばならない。また、そうした年齢に達している。

本書は、アメリカの高校生が学ぶお金についての本だ。
アメリカは今もまだ世界でトップクラスの裕福な国だ。経済観念も発達している。貧富の差が激しいとはいえ、トップクラスのビジネスマンともなると、わが国とは比べ物にならないほどの金を稼ぐことが可能だ。

それには、社会の仕組みを知り尽くすことだ。金が社会を巡り、人々の生活を成り立たせる。
人が日々の糧を得て、衣服に身を包み、家に住まう。結婚して子を育て、老後に安閑とした日々を送る。
そのために人類は貨幣を介して価値を交換させる体系を育ててきた。会社や税金を発明し、労働と経済を生活の豊かさに転換させる制度を育ててきた。
金の動きを理解すること。どのようなルートで金が流れるのか。どのような法則で流れの速度が変わり、どの部分に滞るのか。それを理解すれば、自らを金の動きの流れに沿って動かさせる。そして、自らの財布や口座に金を集めることができる。

その制度は人が作ったものだ。人智を超えた仕組みではない。根本の原理を理解することは難しい。だが、人間が作った仕組みの概要は理解できるはずだ。
本書で学べることとはそれだ。

第1章 お金の計画の基本
第2章 お金とキャリア設計の基本
第3章 就職、転職、起業の基本
第4章 貯金と銀行の基本
第5章 予算と支出の基本
第6章 信用と借金の基本
第7章 破産の基本
第8章 投資の基本
第9章 金融詐欺の基本
第10章 保険の基本
第11章 税金の基本
第12章 社会福祉の基本
第13章 法律と契約の基本
第14章 老後資産の基本

各章はラインマーカーで重要な点が強調されている。
それらを読み込んでいくだけでも理解できる。さらに、末尾には付録として絶対に覚えておきたいお金のヒントと、人生における三つのイベント(最初の仕事、大学生活、新社会人)にあたって把握すべきヒントが載っている。
それらを読むだけでも本書は読んだ甲斐がある。私も若い時期に本書を読んでおけばよかったと思う。

376-378ページに載っている「絶対に覚えておきたいお金のヒント10」だけは全文を載せておく。

絶対に覚えておきたいお金のヒント10
この本ではお金についていろいろなことを学んだが、いちばん大切なのは次の10項目だ。

1、シンプルに
お金の管理はシンプルがいちばんだ。複雑にすると管理するのが面倒になり、自分でも理解できなくなってしまう。

2、質素に暮らす
お金は無限にあるわけではなく、そして将来何が起こるかは誰にもわからない。つねに倹約を心がけていれば、いざというときもあわてることはない。

3、借金をしない
個人にとっても家計にとっても、代表的なお金の問題は借金だ。借金は大きな心の負担になり、人生が破壊されてしまうこともある。ときには借金で助かることもあるが、必要最小限に抑えること。

4、ひたすら貯金
いくら稼いでいるかに関係なく、稼いだ額よりも少なく使うのが鉄則だ。早いうちから貯金を始めれば、後になって複利効果の恩恵を存分に受けることができる。

5、うまい話は疑う
儲け話を持ちかけられたけれど、中身がよく理解できない場合は、その場で断って絶対にふり返らない。うまい話には必ず裏がある。

6、投資の多様化
多様な資産に分散投資をしていれば、何かで損失が出ても他のもので埋め合わせができる。これがローリスクで確実なリターンが期待できる投資法だ。

7、すべてのものには税金がかかる
お金が入ってくるときも税金がかかり、お金を使うときも税金がかかる。商売や投資の儲けを計算するときは、税金を引いた額で考えること。

8、長期で考える
今の若い人たちは、おそらくかなり長生きすることになるだろう。人生100年時代に備え、長い目で見たお金の計画を立てなければならない。

9、自分を知る
お金との付き合い方には、個人の性格や生き方が表れる。将来の夢や、自分のリスク許容度を知り、それに合わせてお金の計画を立てよう。万人に適した方法は存在しない。

10、お金のことを真剣に考える
お金は大切だ。お金の基本をきちんと学び、大きなお金の決断をするときは入念に下調べをすること。お金に詳しい人から話を聞くことも役に立つ。

‘2020/05/01-2020/05/11


FACTFULLNESS


本書は、とても学びになった。
本書を読んだ当時の感想は、7日間ブックカバーチャレンジという企画で以下の文書にしたためた。
その時から一年数カ月が経ったが、今も同じ感想を抱いている。

Day1で取り上げるのは「FACTFULLNESS」です。昨年、ベストセラーになりましたよね。

今、コロナを巡っては連日、さまざまな投稿が花を咲かせています。その中には怪しげな療法も含まれていましたし、私利私欲がモロ見えな転売屋による投稿もありました。また、陰謀論のたぐいが盛んにさえずられているのは皆様もご存じの通りです。

私はFacebookでもTwitterでも、そうした情報を安易にシェアしたりリツイートすることを厳に謹んでいます。なぜなら、自分がその道に疎いことを分かっているからです。
ですが、四十も半ばになった今、自分には知識がある、と思い込んでしまう誘惑があることも否めません。
私のように会社を経営し、上司がいない身であればなおさらです。
独りよがりになり、チェックもされないままの誤った情報を発信してしまう愚は避けたいものです。

本書は、私に自分の無知を教えてくれました。私が世界の何物をも知らない事を。

冒頭に13問の三択クイズがあります。私はこのうち12問を間違えました。
著者は世界各地で開かれる著名な会議でも、出席者に対して同様の問いを出しているそうです。いずれも、正答率は低いのだそうです。

本書の問いが重要なこと。それは、経歴や学歴に関係なく、皆が思い込みで誤った答えを出してしまうことです。
著者によれば、全ては思い込みであり、小中高で学んだ知識をその後の人生でアップデートしていないからだそうです。
つまり真面目に学んだ人ほど、間違いを起こしやすい、ということを意味しています。

また著者は、人の思考の癖には思い込ませる作用があり、その本能を拭い去るのはたやすくないとも説いています。

本書で説いているのは、本能によって誤りに陥りやすい癖を知り、元となるデータに当たることの重要性です。
また、著者の意図の要点は、考えが誤りやすいからといって、世の中に対して無関心になるなかれ、という点にも置かれています。

本書はとても学びになる本です。少しでも多くの人に本書を読んでほしいと思います。
コロナで逼塞を余儀なくされている今だからこそ。
陰謀論を始め、怪しげな言説に惑わされないためにも。

正直にいうと、私はいまだに偏見の霧に惑わされている。
というか、偏見に惑わされないと思うあまり、判断を控えている。
コロナの中でオリンピック・パラリンピックを開催し、その後、急に感染者数が減った事。私はこの時、なんの判断も示さなかった。
専門家でないことはもちろんだが、私の中で下手な判断をくだせば逆効果になると思ったからだ。
こればかりはFACTFULNESSを読んでも実践できなかった点だ。

「世界は分断されている」「世界がどんどん悪くなっている」「世界の人口はひたすら増える」「危険でないことを恐ろしいと考えてしまう」「目の前の数字がいちばん重要」「ひとつの例にすべてがあてはまる」「すべてはあらかじめ決まっている」「世界はひとつの切り口で理解できる」「だれかを責めれば物事は解決する」「いますぐ手を打たないと大変なことになる」
これらは本書が説く思い込みの例だ。

コロナは世界中でワクチンの争奪戦を呼び起こした。
その時、先進国ではいち早くワクチンが行き渡ったが、発展途上国ではいまだにワクチンが出回っていないという話も聞いた。
この情報は、果たして正しい情報なのか。
上記に書いた思い込みではないのだろうか。
私はこれもまだきちんと調べられていない。

FACTFULLNESSは怪しげなニュースソースに乗っかって言説を吐くことを諫めてくれた。
だが、このように一大事の際に何をみれば正しい情報を得るのか、という点については、一人一人が探していくしかない。
例えばテレビ番組では連日コロナ関連の報道がなされていたが、ああした番組をただ見比べて自分で判断していく以外に道が見つけられなかった。
テレビ局ごとに別の専門家が意見をいい、それを比較するのが精いっぱい。

本書の説く内容に従うならば、私たちはよりおおもとのニュースソースにあたり、加工・脚色された情報を見極めなければならない。
だが、コロナは遠くの国の出来事ではなく、自らに降りかかった災厄だ。しかも何が正しいのか専門家すらわかっていない現在進行形の出来事。
そうなると冷静に判断することも難しい。
それがコロナの混乱の本質だったように思う。

気を付けなければならないのは、これがコロナに限らないことだ。これから起こるはずのさまざまな事件や災厄についても同じ。
マスコミも私たちも等しく、コロナから学ばなければならないことは多いはず。反省点は多い。
「大半の人がどこにいるのかを探そう「悪いニュースのほうが広まりやすいと覚えておこう」「直線はいつかは曲がることを知ろう」「リスクを計算しよう」「数字を比較しよう」「分類を疑おう」「ゆっくりとした変化でも変化していることを心に留めよう」「ひとつの知識がすべてに応用できないことを覚えておこう」「誰かを責めても問題は解決しないと肝に銘じよう」「小さな一歩を重ねよう」
まずは、これらの提言を実践するしかない。

ただ、本書を読んだ後、私が実践し続けようと心がけていることはある。
それは謙譲の心だ。
上の7日間ブックカバーチャレンジの後、弊社は人を雇う決断をした。そして人を雇った。
それが今年だ。
人を雇うことによって、今までの一人親方として営業と開発と総務経理を兼ねる立場から指導する立場へと役割を変えた。

そうなると指導する前提で話をしなければならない。指導ということはあらゆることに秀でている必要があるのだろうか。
否。そんなことはない。
確かに開発にあたっては、知識が必要だ。
だが、本当に経営者は開発の知識において従業員を上回っていないとだめなのだろうか。
違うと思う。
その時に私の心に去来するのは、謙譲の心だ。決して自分が正しいと思わない。
これは本書から得た学びだ。13問のうち12問を間違えた自分が正しいはずがないのだから。

‘2020/04/20-2020/04/28


76回目の終戦記念日にあたって


今日は76回目の終戦記念日です。

おととしにこのような記事をアップしました。今年も思うところがあり、振り返ってみようと思います。
なぜそう思ったか。それは今日、昭和館を訪れ、靖国神社に参拝したからです。

今年は初めて終戦記念日に靖国神社に参拝しました。その前には近くにある昭和館を訪れました。こちらも初訪問です。
さらにここ最近に読んでいる本や、レビューに取り上げた書物から受けた感化もありました。そうした出来事が私を投稿へと駆り立てました。

つい先日、東京オリンピックが行われました。ですが、昨今の世相は新型コロナウィルスの地球規模の蔓延や地球温暖化がもたらした天災の頻発、さらなる天災の予感などではなはだ不透明になっています。本来、オリンピックは世界を一つにするはず。ですが排外主義の台頭なども含め、再び世界が分裂する兆しすら見えています。

なぜ太平洋戦争に突入してしまったのか。私たちはその反省をどう生かしていけばいいのか。
戦争を再び繰り返してはならないのは当たり前。それを前提として、自分なりに考えてみました。

太平洋戦争を語る際に必ずついて回るのは、1929年のウォール街の株価大暴落に端を発する昭和恐慌であり、第一次世界大戦の戦後処理の失敗から生まれたナチスの台頭です。

当時のわが国は恐慌からの打開を中国大陸に求めました。それが中国からの視点では、満州事変から始まる一連の侵略の始まりだったことは言うまでもありません。
しかも中国への侵略がアメリカの国益を損なうと判断され、ABCD包囲網からハル・ノートの内容へと追い込まれたことも。ハル・ノートが勧告した内容が満州事変の前に状況を戻すことであり、それを受け入れられなかった指導層が戦争を決断したことも知られたことです。
結局、どちらが悪いと言うよりも、恐慌に端を発した資源獲得競争の中で生じた国際関係の矛盾が、戦争につながった。それは確かです。真珠湾攻撃を事前にアメリカ側が知っていたことは確かでしょうし、在米領事館の失態で宣戦布告交付が遅れたとしても。
一年くらいなら暴れてみせると言った山本五十六司令長官の半ばバクチのような策が当たり、太平洋戦争の序盤の大戦果につながったことも周知の通りです。

私は、そこまでのいきさつは、仕方がないと思っています。では、これからの私たちは敗戦の何を教訓にすれば良いのでしょうか。

私は三つを挙げられると思っています。
まず、一つ目は戦を始める前に、やめ時をきちんと決めておかなかったこと。
二つ目はトップがそれまでの出来事を覆す決断力を欠いていたこと。
さらに三つ目として、兵隊の統率の問題もあると考えています。

山本司令長官が、開戦前に一年と決めていたのなら何があろうと一年でやめるべきだったはずです。それをミッドウェイ海戦で敗戦した後もずるずると続けてしまったのが失敗でした。この時に軍部や新聞社の作る世論に惑わされず終戦の決断を速やかにしておけば。悔いが残ります。
また、日露戦争の際には国際法を遵守し、捕虜の扱いについても板東収容所のように模範となる姿勢をとれた日本軍が、日中戦争にあたっては軍紀が大きく崩れたことも悔やまれます。
経済の打開を求めて中国に進軍したのであれば、絶対に略奪行為に走ってはならばかったはず。侵略された側から三光作戦と呼ばれるきっかけを与えたら大義が崩れてしまいます。それも悔やんでも悔やみきれない失敗です。

そうした教訓をどう生かすか。
実は考えてみると、これらは今の私に完全に当てはまる教訓なのです。
経営者として広げた業務の撤退は考えているか。失敗が見えた時に色気を出さず決断ができるか。また、従業員に対してきちんと統制がとれているか。教育をきちんと行えているか。
私が仮に当時の指導者だったとして考えても同じです。戦の終わりを考えて始められただろうか。軍の圧力を押しのけて終わらせる決断ができただろうか。何百万にも上る軍の統率ができただろうか。私には全く自信がありません。
ただ、自分で作った会社は別です。自分で作って会社である以上、自らの目の届く範囲である今のうちにそれらができるように励まなければと思うのです。

ただ、その思索の過程で、わが国の未来をどうすべきかも少しだけ見えた気がしました。

まず前提として、わが国の地理の条件から考えても武力で大陸に攻め込んでも絶対に負けます。これは白村江の戦いや、豊臣秀吉による文禄・慶長の役や、今回の太平洋戦争の敗戦を見ても明らかです。

であれば、ウチに篭るか、ソトに武力以外の手段で打って出るかのどちらかです。
前者の場合、江戸時代のように自給自足の社会を築けば何とかなるのかもしれません。適正な人口を、しかもピラミッド形を保ったままであれば。多分、日本人が得意な組織の力も生かせます。
ただし、よほど頭脳を使わないと資源に乏しいわが国では頭打ちが予想されます。おそらく、群れ社会になってしまうことで、内向きの論理に支配され、イノベーションは起こせないでしょうね。世界に対して存在感を示せないでしょうし。

ソトに出る場合、日本人らしい勤勉さや頭脳を駆使して海外にノウハウを輸出できると思います。
日本語しか使えない私が言うのはふさわしくないでしょうけど、私はこちらが今後の進む道だと思っています。今までに日本人が培われてきた適応力はダテではないからです。あらゆる文明を受け入れ、それを自分のものにしてきたわが国。実はそれってすごいことだと思うのです。
日本人は、組織の軛を外れて個人で戦った時、実は能力を発揮できる。そう思いませんか。今回のオリンピックでも見られたように、スポーツ選手に現れています。
ただ、そのためには起業家マインドが必要になるでしょう。組織への忠誠を養うのではなく、自立心や自発の心を養いたいものです。ただし、日本人の今までの良さを保った上で。
固定観念に縛られるのは本来のわが国にとって得意なやり方でないとすら思えます。

私は、今後の日本の進む道は、武力や組織に頼らず個人の力で世に出るしかないと思います。言語の壁などITツールが補ってくれます。

昭和館で日本の復興の軌跡を見るにつけ、もう、この先に人口増と技術発展が重なるタイミングに恵まれることはないと思いました。
そのかわり、復興を成し遂げたことに日本人の個人の可能性を感じました。
それに向けて微力ながらできることがないかを試したい。そう思いました。

任重くして道遠きを念い
総力を将来の建設に傾け
道義を篤くし 志操を堅くし
誓って国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし


井上成美


本書を読むのはニ回目だ。
私は以前から井上成美と言う人物にとても興味を惹かれてきた。本書も含め、数冊の井上氏についての本を読んだ私の井上氏への思いは尊敬の一言に尽きる。

井上氏の経歴を概して書くと、以下のようになるだろうか。
海軍の中で曲がったことが嫌いな剛直な人物として著名で、日独伊三国同盟の締結には山本五十六元帥や米内光政大将・首相とともに猛烈に反対した。が、陸軍や海軍内の強硬派に押しきられた。最後の海軍大将として海軍の解体を見届けた後は、横須賀の長井に逼塞し、清貧の余生を過ごした。
どれだけ窮乏に苦しもうと、海軍の部下や校長時代の教え子たちが援助をしようと、首を縦に振らなかったと言う。世に再び出ることを潔しとせず、信念を貫き通した人物。

井上氏が余生を過ごし、亡くなった地は長井。私の名字と同じだ。
また、井上氏は自らを教育者と任じていたようだ。私の二人の祖父は、ともに大学で教えていた教職者だった点でも同じ。
そうした共通点があるためか、私は、井上氏になにかの縁を感じていた。

横須賀の長井にある井上邸には三回訪れた。最初に訪れた際は、すぐ近くまで行ったものの、場所を見つけられずに断念した。が、それから数年後、ようやく見つけた。それが本書を読む二カ月前のこと。
その時の印象が消えないうちに本書をもう一度手に取った次第だ。

本書を通して井上氏の人生を振り返って思うこと。それは、組織の中で個人が生きていくことの難しさだ。
組織と言う巨大な怪物の中にあって、人はどのように生きていくべきか。これは、私たちすべての人間が突き付けられる問いだ。

井上氏もまた、海軍の組織の中で自らの信念を通そうとした。そして時流に呑まれ、挫折した。
本書は、井上氏が組織の中で戦い抜き、それでも敗れ去った記録だ。その姿から著者が書き表そうとしたのは、組織の中で信念を貫く方の難しさと尊さだ。

軍隊の中にあって自らの筋を通すこと。ほとんどの人は長いものに巻かれてしまう。そして組織の論理に組み込まれていく。だが、井上氏は節を曲げずに頑張り通した。
山本・米内の両氏と組み、アメリカと戦争すれば絶対に負けると主張した。
その正しさは、日本の敗戦という形で証明された。それは、井上氏の望んだ形ではなかったことだろう。
ドイツやイタリアの初期の目も眩むような戦果に目を奪われた推進者に対して、自らの信念が遠ざけられた無念さは推察できる。

組織とは手ごわい。
だが、組織の手ごわさは、井上氏のように徹底的に組織と戦った人物だからこそ言える。
その点、私には資格がない。
私は組織と徹底的に戦う前に、個人事業の世界に独立してしまった。だから、私が言えるのは、せいぜい本書のような組織と戦った人物の評伝を通して自らの考えを述べる位だ。

井上氏の経歴から私たちはなにを学べば良いだろうか。
私が思うに、それは軍人とは戦が上手くなければならないとの通念を疑うことだ。本人も認めている通り、井上氏は決して戦が上手ではなかった。赫赫たる戦果を上げたわけでもなく、着実な実績を積んだわけでもない。だが、それでも井上氏は軍人として無能ではなかったと思える。
なぜなら、軍隊とは戦だけしていれば良いものではないからだ。戦略・戦術の立案もそう、兵站の確保や組織の編成もそう。そして、井上氏自身が最も性に合っているとした教育もそう。次を担う軍人の教育は、軍隊にとって必要だからだ。

当時の海軍軍人が海軍での生活を始めるにあたり、自らの向き不向きを考える間もなく海軍兵学校に入学する。その中でもまれながら、そして学校を出た後も組織の中で自らの向き不向きを考えていく。
今の人間社会や組織の複雑さは、若いうちから自らの生きる未来を見つけるには難しい。だからこそ、若者は生きづらく、人生は大変なのだ。多分それは当時の海軍でも同じだったはずだ。
不運な人の場合、自分が本当に向いている職に巡りあえぬままに人生を終えていく。
だが、本人が自らを見つめる努力をしていれば、やがて道は見つかる。井上氏の場合、それこそが教育者として適性だった。

そうした意味で、井上氏が戦後の自らの生き方を英語塾での教育に賭けようとした気持ちは理解できる。
自らの本分を教育にあると見いだし、子女の教育に力を注いだ井上氏。だが残念なことに井上氏の体調の悪化や、井上氏が柔軟に戦後の世の中に合わせようとしなかったこともあり、英語塾は数年で閉じてしまう。かえすがえすも残念なことだ。

不運が重ならず、井上氏がもう少し柔軟に生きていれば英語塾も隆盛になったかもしれない。それもまた仕方のないことだが。

だが、私はそもそも聖人君子と言われるような人はあまり魅力を感じない。むしろ、聖人君子とあろうとしながら、その所々に覗く人間的な弱さにこそ惹かれる。
井上氏は、確かに堅物だったかもしれない。自らの信念と筋を通す剛直さもあった。周囲との軋轢にも戦い抜いた。一見すると強そうに思える。
だが、そんな井上氏にも弱さがあった。組織の中で生きられない不器用なところや、組織の中で自らを処する術を持たなかったところ。若くして海軍軍人に嫁がせたが夫が戦死し、本人も結核で亡くなってしまった娘のこともそうだ。そして、そうした時流に振り回された不運すらも井上氏の人間的な魅力に映る。
さらにギターを弾き、パズルを考案するなど、本人なりに人としてのゆとりを持とうとした努力も感じられる。

本書を読んだ半年ほど後、もう一度井上氏の旧宅を訪れた。
また、府中市にある多磨霊園の中にある井上氏の墓には、免許更新の帰りに立ち寄って手を合わせた。

私にもこれからまだまだ苦難が訪れるだろう。不運にもぶつかるだろう。だからこそ、清貧で生き抜いた井上氏の強さにあやかりたいと思う。

‘2020/01/11-2020/01/14


日本の思想


著者の高名は以前から認識していた。いずれは著作を読まねばとも思っていた。戦後知識人の巨星として。日本思想史の泰斗として。

だが、私はここで告白しておかねばならない。戦中に活躍した知識人にたいし、どこか軽んじる気持ちをもっていた事を。なぜかというと、当時の知識人たちが軍部の専横に対して無力であったからだ。もちろん、当時の世相にあって無力であったことを非難するのは、あまりに厳しい見方だというのはわかっている。多分、私自身もあの風潮の中では何も言えなかったはずだ。当時を批判できるのは当時を生きた人々だけ。私は常々そう思っている。だからあの時代に知識人であったことは、巡り合った時代が悪かっただけなのかもしれない。ただ、それは分かっていてもなお、戦中に無力であった人々が発言する論説に対し、素直にうなづけない気分がどうしても残る。

だが、そうも言っていられない。著者をはじめとした知識人が戦後の日本をどう導こうとしたのか。そして彼らの思想が廃虚の日本をどうやって先進国へと導いたのか。そして、その繁栄からの停滞の不安が国を覆う今、わが国はどう進むべきなのか。私はそれを本書で知りたかった。もちろんその理由は国を思う気持ちだけではない。私自身のこれから、弊社自身のこれからを占う参考になればという計算もある。

だが、本書は実に難解だった。特に出だしの「Ⅰ.日本の思想」を読み通すのにとても難儀した。本書を読んだ当時、とても仕事が忙しかったこともあったが、それを考慮してもなお、本書は私を難渋させた。結果、本章を含め、本書を読破するのに三週間近くかかってしまった。そのうち「Ⅰ.日本の思想」に費やしたのは二週間。仕事に気がとられ、本書の論旨を理解するだけの集中力が取れなかったことも事実。だが、著者の筆致にも理由がある。なにしろ一文ごとが長い。そして一文の中に複数の文が句読点でつながっている。また、~的といった抽象的な表現も頻出する。そのため、文章が表す主体や論旨がつかみにくい。要するにとても読みにくいのだ。段落ごとの論旨を理解するため、かなりの集中が求められた。

もう一つ、本章は注釈も挟まっている。それがまた長く難解だ。本文よりも注釈のほうが長いのではと思える箇所も数カ所見られる。注釈によって本文の理解が途切れ、そのことも私の読解の手を焼いた。

ただ、それにもかかわらず本書は名著としての評価を不動にしているようだ。「Ⅰ.日本の思想」は難解だが、勉強になる論考は多い。

神道が絶対的な神をもうけず、八百万の神を設定したこと。それによって日本に規範となる道が示されなかったこと。その結果、諸外国から流入する思想に無防備であったこと。その視点は多少は知っていたため、目新しさは感じない。だが、本章を何度も繰り返し読む中で、理解がより深まった。完全にはらに落ちたと思えるほどに。

また、わが国の国体を巡る一連の論考が試みられているのも興味深い。そもそも国体が意識されたのは、明治政府が大日本帝国憲法の制定に当たり、国とは何かを考えはじめてからのこと。大日本帝国憲法の制定に際しては伊藤博文の尽力が大きい。伊藤博文は、大日本帝国憲法の背骨をどこに求めるかを考える前に、まずわが国の機軸がどこにあるかを考えねばならなかった。いみじくも、伊藤博文が憲法制定の根本精神について披瀝した所信が残されている。それは本書にも抜粋(33p)されている。その中で伊藤博文は、仏教も神道も我が国の機軸にするには足りないと認めた上で「我国二在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ」という。ところが、そこで定まった国体は明らかに防御の体質を持っていた。国体を侵そうとする対象には滅法強い。だが、国体を積極的に定義しようと試みても、茫洋として捉えられない。本書の中でも指摘されている通り、太平洋戦争も土壇場の御前会議の場においてさえ、国体が何を指すのかについて誰一人として明確に答えを出せない。その膠着状態を打破するため、鈴木貫太郎首相が昭和天皇の御聖断を仰ぐくだりは誰もが知っているとおりだ。

そして、著者の究明は日本が官僚化する原因にまで及ぶ。権力の所在は極めて明確に記された大日本帝国憲法。でありながら責任の所在が甚だ曖昧だったこと。大日本帝国憲法に内在したそのような性質は、一方で日本を官僚化に進めてゆき、他方ではイエ的な土着的価値観を温存させたと著者はいう。それによって日本の近代史は二極化に向かった。著者はその二極を相克することこそが近代日本文学のテーマだった事を喝破する。著者は59pの括弧書きで森鴎外はべつにして、と書いている。著者の指摘から、森鴎外の『舞姫』が西洋の考えを取り入れた画期的な作品だったことにあらためて気づかされる。

また、著者はマルクス主義が日本の思想史に与えた影響を重く見ている。マルクス主義によって初めて日本の思想史に理論や体系が生まれたこと。ところが、一部の人がマルクス主義を浅く理解したこと。そして理論と現実を安易に調和させようとしたこと。それらが左翼運動に関する諸事件となって表れたことを著者は指摘する。

結局のところ著者が言いたいのは、まだ真の意味で日本の思想は確立していないことに尽きると思う。そして、著者は本書の第三部で日本の思想がタコつぼ型になっており、真の意味でお互いが交流し合っていない事情を憂う。雑種型の思想でありながら、相互が真に交わっていない。そんなわが国の思想はこれからどうあるべきか。著者は日本の文学者にそのかじ取りを託しているかに読み取れる。

「Ⅱ.近代文学の思想と文学」で著者は、日本の思想が文学に与えた影響を論じている。上にも書いたが、著者にとって森鴎外とは評価に値する文学者のようだ。「むしろ天皇制の虚構をあれほど鋭く鮮やかに表現した点で、鴎外は「特殊」な知識人のなかでも特殊であった」(80P)。ということは、著者にとって明治から大正にかけての文壇とは、自然主義や私小説のような、政治と乖離した独自の世界の話にすぎなかったということだろうか。

著者は、マルクス主義が文壇にも嵐を巻き起こしたことも忘れずに書く。マルクス主義が日本の思想に理論と体系をもたらしたことで、文学も無縁ではいられなくなった。今までは文学と政治は別の世界の出来事として安んじていられた。ところがマルクス主義という体系が両者を包括してしまったため、文学者は意識を見直さざるをえなくなった。というのが私の解釈した著者の論だ。

「Ⅱ.近代文学の思想と文学」は解説によると昭和34年に発表されたらしい。つまりマルクス主義を吸収したプロレタリア文学が挫折や転向を余儀なくされ、さらに戦時体制に組み込まれる一連のいきさつを振り返るには十分な時間があった。著者はその悲劇においてプロレタリア文学が何を生み、何を目指そうとしたのかを克明に描こうと苦心する。著者はマルクス主義にはかなり同情的だ。だが、その思想をうまく御しきれなかった当時の文壇には厳しい。ただし、その中で小林秀雄氏に対してはある種畏敬の念がみられるのが面白い。

もう一つ言えば、本書はいわゆる”第三の新人”については全く触れられていない。それは気になる。昭和34年といえばまさに”第三の新人”たちが盛んに作品を発表していた時期のはず。文学に何ができるのかを読み解くのに、当時の潮流を読むのが一番ふさわしい。ところが本書には当時の文学の最新が登場しない。これは著者の関心の偏りなのか、それとも第三の新人とはいえ、しょせんは新人、深く顧みられなかったのだろうか。いま、平成から令和をまたごうとする私たちにとって、”第三の新人”の発表した作品群はすでに古典となりつつある。泉下の著者の目にその後の日本の文学はどう映っているのだろうか。ぜひ聞いてみたいものだ。

「Ⅲ.思想のあり方について」については、上にも軽く触れた。西洋の思想は一つの根っ子から分かれたササラ型なので、ある共通項がみられる。それに対し、日本の思想はタコつぼ型であり、相互に何の関連性もない、というのが著者の思想だ。

本章は講演を書き起こししており、前の二部に比べると格段に読みやすい。それもあってか、日本の思想には相互に共通の言語がなく、それぞれに独自の言語から獲得した思想の影響のもと、相互に閉じこもってしまっているという論旨がすんなりと理解できる。本章から学べる事は多い。例えば私にしてみれば、情報処理業界の用語を乱発してはいないか、という反省に生かせる。

業界ごとの共通言語のなさ。その罠から抜け出すのは容易ではない。私は30代になってから、寺社仏閣の中に日本を貫く共通言語を見つけ出そうとしている。が、なかなか難しい。特に情報処理の分野では、ロジックが幅を利かせる情報処理に共通言語が根付いていない。そんな貧弱な言語体系でお客様へ提案する場合、お客様のお作法に追随するしかない。ところが、その作業も往々にしてうまくいかない。このタコつぼの考え方を反面教師とし、システム導入のノウハウにいかせないものだろうか。

「Ⅳ.「である」ことと「する」こと」も講演の書き起こしだ。これは日本に見られる集団の形式の違いを論じている。「である」とはすでにその地位に安住するものだ。既得権益とでもいおうか。血脈や人種や身分に縛られた組織と本書でいっている。一方で「する」とはそういう先天的な属性よりも、人の役割に応じた組織をいう。つまり会社組織は「する」組織に近い。我が国の場合、「である」から「する」への組織が進んでいるようには見えるが、社会の考え方が「である」を引きずっているところに問題がある。それを著者は「「である」価値と「する」価値の倒錯」(198)と表現している。著者は第四部をこのような言葉で締めくくる。「現代日本の知的世界に切実に不足し、もっとも要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないかと」(198-199P)

著者はまえがきで日本には全ての分野をつないだ思想史がなく、本書がそれを担えれば、と願う。一方、あとがきでは本書の成立事情を釈明しながら、本書の視点の偏りを弁解する。私は不勉強なので、同様の書を知らない。今の日本をこうした視点で描いた本はあるのだろうか。おそらくはあるのだろう。そこから学ぶべき点は多いはずだ。そしてその元祖として本書はますます不朽の立場を保ち続けるに違いない。

‘2018/06/03-2018/06/21


日本の難点


社会学とは、なかなか歯ごたえのある学問。「大人のための社会科」(レビュー)を読んでそう思った。社会学とは、実は他の学問とも密接につながるばかりか、それらを橋渡す学問でもある。

さらに言うと、社会学とは、これからの不透明な社会を解き明かせる学問ではないか。この複雑な社会は、もはや学問の枠を設けていては解き明かせない。そんな気にもなってくる。

そう思った私が次に手を出したのが本書。著者はずいぶん前から著名な論客だ。私がかつてSPAを毎週購読していた時も連載を拝見していた。本書は、著者にとって初の新書書き下ろしの一冊だという。日本の論点をもじって「日本の難点」。スパイスの効いたタイトルだが、中身も刺激的だった。

「どんな社会も「底が抜けて」いること」が本書のキーワードだ。「はじめに」で何度も強調されるこの言葉。底とはつまり、私たちの生きる社会を下支えする基盤のこと。例えば文化だったり、法制度だったり、宗教だったり。そうした私たちの判断の基準となる軸がないことに、学者ではない一般人が気づいてしまった時代が現代だと著者は言う。

私のような高度経済成長の終わりに生まれた者は、少年期から青年期に至るまで、底が何かを自覚せずに生きて来られた。ところが大人になってからは生活の必要に迫られる。そして、何かの制度に頼らずにはいられない。例えばビジネスに携わっていれば経済制度を底に見立て、頼る。訪日外国人から日本の良さを教えられれば、日本的な曖昧な文化を底とみなし、頼る。それに頼り、それを守らねばと決意する。行きすぎて突っ走ればネトウヨになるし、逆に振り切れて全てを否定すればアナーキストになる。

「第一章 人間関係はどうなるのか コミュニケーション論・メディア論」で著者は人の関係が平板となり、短絡になった事を指摘する。つまりは生きるのが楽になったということだ。経済の成長や技術の進化は、誰もが労せずに快楽も得られ、人との関係をやり過ごす手段を与えた。本章はまさに著者の主なフィールドであるはずが、あまり深く踏み込んでいない。多分、他の著作で論じ尽くしたからだろうか。

私としては諸外国の、しかも底の抜けていない社会では人と人との関係がどのようなものかに興味がある。もしそうした社会があるとすればだが。部族の掟が生活全般を支配するような社会であれば、底が抜けていない、と言えるのだろうか。

「第二章 教育をどうするのか 若者論・教育論」は、著者の教育論が垣間見えて興味深い。よく年齢を重ねると、教育を語るようになる、という。だが祖父が教育学者だった私にしてみれば、教育を語らずして国の未来はないと思う。著者も大学教授の立場から学生の質の低下を語る。それだけでなく、子を持つ親の立場で胎教も語る。どれも説得力がある。とても参考になる。

例えばいじめをなくすには、著者は方法論を否定する。そして、形のない「感染」こそが処方箋と指摘する。「スゴイ奴はいじめなんかしない」と「感染」させること。昔ながらの子供の世界が解体されたいま、子供の世界に感染させられる機会も方法も失われた。人が人に感染するためには、「本気」が必要だと著者は強調する。そして感染の機会は大人が「本気」で語り、それを子供が「本気」で聞く機会を作ってやらねばならぬ、と著者は説く。至極、まっとうな意見だと思う。

そして、「本気」で話し、「本気」で聞く関係が薄れてきた背景に社会の底が抜けた事と、それに皆が気づいてしまったことを挙げる。著者がとらえるインターネットの問題とは「オフラインとオンラインとにコミュニケーションが二重化することによる疑心暗鬼」ということだが、私も匿名文化については以前から問題だと思っている。そして、ずいぶん前から実名での発信に変えた。実名で発信しない限り、責任は伴わないし、本気と受け取られない。だから著者の言うことはよくわかる。そして著者は学校の問題にも切り込む。モンスター・ペアレントの問題もそう。先生が生徒を「感染」させる場でなければ、学校の抱える諸問題は解決されないという。そして邪魔されずに感染させられる環境が世の中から薄れていることが問題だと主張する。

もうひとつ、ゆとり教育の推進が失敗に終わった理由も著者は語る。また、胎教から子育てにいたる親の気構えも。子育てを終えようとしている今、その当時に著者の説に触れて起きたかったと思う。この章で著者の語ることに私はほぼ同意する。そして、著者の教育論が世にもっと広まれば良いのにと思う。そして、著者のいう事を鵜呑みにするのではなく、著者の意見をベースに、人々は考えなければならないと思う。私を含めて。

「第三章 「幸福」とは、どういうことなのか 幸福論」は、より深い内容が語られる。「「何が人にとっての幸せなのか」についての回答と、社会システムの存続とが、ちゃんと両立するように、人々の感情や感覚の幅を、社会システムが制御していかなければならない。」(111P)。その上で著者は社会設計は都度更新され続けなければならないと主張する。常に現実は設計を超えていくのだから。

著者はここで諸国のさまざまな例を引っ張る。普通の生活を送る私たちは、視野も行動範囲も狭い。だから経験も乏しい。そこをベースに幸福や人生を考えても、結論の広がりは限られる。著者は現代とは相対主義の限界が訪れた時代だともいう。つまり、相対化する対象が多すぎるため、普通の生活に埋没しているとまずついていけないということなのだろう。もはや、幸福の基準すら曖昧になってしまったのが、底の抜けた現代ということだろう。その基準が社会システムを設計すべき担当者にも見えなくなっているのが「日本の難点」ということなのだろう。

ただし、基準は見えにくくなっても手がかりはある。著者は日本の自殺率の高い地域が、かつてフィールドワークで調べた援助交際が横行する地域に共通していることに整合性を読み取る。それは工場の城下町。経済の停滞が地域の絆を弱めたというのだ。金の切れ目は縁の切れ目という残酷な結論。そして価値の多様化を認めない視野の狭い人が個人の価値観を社会に押し付けてしまう問題。この二つが著者の主張する手がかりだと受け止めた。

「第四章 アメリカはどうなっているのか 米国論」は、アメリカのオバマ大統領の誕生という事実の分析から、日本との政治制度の違いにまで筆を及ぼす。本章で取り上げられるのは、どちらかといえば政治論だ。ここで特に興味深かったのは、大統領選がアメリカにとって南北戦争の「分断」と「再統合」の模擬再演だという指摘だ。私はかつてニューズウィークを毎週必ず買っていて、大統領選の特集も読んでいた。だが、こうした視点は目にした覚えがない。私の当時の理解が浅かったからだろうが、本章で読んで、アメリカは政治家のイメージ戦略が重視される理由に得心した。大統領選とはつまり儀式。そしてそれを勝ち抜くためにも政治家の資質がアメリカでは重視されるということ。そこには日本とは比べものにならぬほど厳しい競争があることも著者は書く。アメリカが古い伝統から解き放たれた新大陸の国であること。だからこそ、選挙による信任手続きが求められる。著者のアメリカの分析は、とても参考になる。私には新鮮に映った。

さらに著者は、日本の対米関係が追従であるべきかと問う。著者の意見は「米国を敵に回す必要はもとよりないが『重武装×対米中立』を 目指せ」(179P)である。私が前々から思っていた考えにも合致する。『軽武装×対米依存』から『重武装×対米中立』への移行。そこに日本の外交の未来が開けているのだと。

著者はそこから日本の政治制度が陥ってしまった袋小路の原因を解き明かしに行く。それによると、アメリカは民意の反映が行政(大統領選)と立法(連邦議員選)の並行で行われる。日本の場合、首相(行政の長)の選挙は議員が行うため民意が間接的にしか反映されない。つまり直列。それでいて、日本の場合は官僚(行政)の意志が立法に反映されてしまうようになった。そのため、ますます民意が反映されづらい。この下りを読んでいて、そういえばアメリカ連邦議員の選挙についてはよく理解できていないことに気づいた。本書にはその部分が自明のように書かれていたので慌ててサイトで調べた次第だ。

アメリカといえば、良くも悪くも日本の資本主義の見本だ。実際は日本には導入される中で変質はしてしまったものの、昨今のアメリカで起きた金融システムに関わる不祥事が日本の将来の金融システムのあり方に影響を与えない、とは考えにくい。アメリカが風邪を引けば日本は肺炎に罹るという事態をくりかえさないためにも。

「第五章 日本をどうするのか 日本論」は、本書のまとめだ。今の日本には課題が積みあがっている。後期高齢者医療制度の問題、裁判員制度、環境問題、日本企業の地位喪失、若者の大量殺傷沙汰。それらに著者はメスを入れていく。どれもが、社会の底が抜け、どこに正統性を求めればよいかわからず右往左往しているというのが著者の診断だ。それらに共通するのはポピュリズムの問題だ。情報があまりにも多く、相対化できる価値観の基準が定められない。だから絶対多数の意見のように勘違いしやすい声の大きな意見に流されてゆく。おそらく私も多かれ少なかれ流されているはず。それはもはや民主主義とはなにか、という疑いが頭をもたげる段階にあるのだという。

著者はここであらためて社会学とは何か、を語る。「「みんなという想像」と「価値コミットメント」についての学問。それが社会学だと」(254P)。そしてここで意外なことに柳田国男が登場する。著者がいうには 「みんなという想像」と「価値コミットメント」 は柳田国男がすでに先行して提唱していたのだと。いまでも私は柳田国男の著作をたまに読むし、数年前は神奈川県立文学館で催されていた柳田国男展を観、その後柳田国男の故郷福崎にも訪れた。だからこそ意外でもあったし、ここまでの本書で著者が論じてきた説が、私にとってとても納得できた理由がわかった気がする。それは地に足がついていることだ。言い換えると日本の国土そのものに根ざした論ということ。著者はこう書く。「我々に可能なのは、国土や風景の回復を通じた<生活世界>の再帰的な再構築だけなのです」(260P)。

ここにきて、それまで著者の作品を読んだことがなく、なんとなくラディカルな左寄りの言論人だと思っていた私の考えは覆された。実は著者こそ日本の伝統を守らんとしている人ではないか、と。先に本書の教育論についても触れたが、著者の教育に関する主張はどれも真っ当でうなづけるものばかり。

そこが理解できると、続いて取り上げられる農協がダメにした日本の農業や、沖縄に関する問題も、主張の核を成すのが「反対することだけ」のようなあまり賛同のしにくい反対運動からも著者が一線も二線も下がった立場なのが理解できる。

それら全てを解消する道筋とは「本当にスゴイ奴に利己的な輩はいない」(280P)と断ずる著者の言葉しかない。それに引き換え私は利他を貫けているのだろうか。そう思うと赤面するしかない。あらゆる意味で精進しなければ。

‘2018/02/06-2018/02/13


少年は残酷な弓を射る 下


幼稚園でも問題行動を起こすケヴィン。シーリアという妹ができれば兄として自覚を持ち落ち着いてくれるのでは。そんな両親の願いを軽々と裏切り、ケヴィンの悪行には拍車がかかる。むしろ始末が悪くなる一方。悪知恵がついた分、単なるやんちゃを超え、より悪質な方へと向かう。

下巻が幕を開けてすぐ、ケヴィンは同じ幼稚園に通う園児の心に一生残るであろう楔を打ち込む。その楔の深さはその園児に一生涯消えない傷として残るはず。知恵をつけ始めるとともに、ケヴィンの行いは狡猾な色を帯びてゆく。エヴァから見た息子の行動や発言は見過ごせないほどの異常さが感じられる。だが、それらの邪悪さは夫フランクリンには映らない。それどころかケヴィンの異常さを訴えること自体が母親エヴァの育児の至らなさの結果と映る。会社の経営にかまけて、母としての役割がおろそかになっていないか、というわけだ。実際、ケヴィンは母に対して見せる姿と、父に対しての態度を巧妙に演じ分けるのだ。エヴァの訴えは夫には通じず、エヴァは手をこまねくしかない。エヴァが手を打てずにいる間にクラスメイトだけでなく、担任や隣人、ペットなど身の回りのあらゆるものにケヴィンの悪意は向けられてゆく。

妻の訴えを信じず、理解ある父を懸命に演じようとする父フランクリンは滑稽だ。だが、彼の滑稽さを笑える世の父は私も含めそういないはず。もちろん、私だって娘たちに対してはよき父であろうと心がけている。至らぬところも多々あるし、実際に至らないと自覚もしている。だが、子どもは成長すると知恵を身に付けてゆくもの。親といえども子が何を考えているか完璧に見抜けるのはずはない。

あまたの人間の織りなす社会。そこでは、硬軟や裏表、公私を使い分けなければ世を渡ることすらままならない。素の姿で飾らず、まっすぐ真っ当に生きたい。だれもが思うことだ。それは当然、子供との関係にも当てはまる。純粋で無垢な理想の父子を、せめて子供との関係では守りたい。本書で描かれるフランクリンからはその意思が痛々しいほど感じられる。

エヴァはフランクリンに向けてつづる便りの中で、ケヴィンが裏表を使い分けずる賢くフランクリンを欺いていたことも暴く。そして、フランクリンが息子に騙され続けていた事実も指摘する。だが、ケヴィンが取り返しのつかない犯罪を起こしてしまった今、何を言っても過去の繰り言にすぎない。実際、エヴァは、フランクリンを難詰しない。ただ騙されていたことを指摘するだけで。後から当時を振り返り、分析するエヴァの手紙には、諦めどころか傍観者のおもむきさえ漂っている。今さら夫を責めたところで過去は変えられないとの達観。

この達観は、大量殺戮犯の息子を持たない限り、普通の人が至ることのない境地だ。一瞬、魔がさして過ちを犯したのならまだわかる。だが、将来の殺人犯を育てる長年の過ちとは一瞬の過ちが入り込む余地はない。一瞬ではなく、徐々に積み重なった過ちだからこそ本書はリアルに怖い。本書はリアルな恐怖を読者に与える。自らの子どもが殺人犯になる未来が子育ての先に黒い口を開けて待ち構えている。そんな恐ろしい可能性は、どの親にも平等に与えられている。だからこそ恐ろしいのだ。その恐怖は本書がフィクションであろうと、そうでなかろうと変わりがない。親として子育てに携わる限り、そのリスクを避けるすべはない。どの親にも殺人犯の親になってしまう機会は均等にある。

上巻のレビューの冒頭にも書いたが、子育てとは、とても深淵で取り返しのつかない営みだ。本書は、その事を私たちに思い知らせてくれる。普通の親がいともやすやすとやり遂げているように思える子育て。そこには親子の間に交わされる無数のコミュニケーションと駆け引きと思惑がある。それほどまでに難しい営みで有りながら、結果は出てしまう。そして全ては結果で判断される。ああ、あそこの家の子は教育がよかったから◯◯大に行っただの、△△省に就職しただの。逆もまたしかり。やれニートだ、やれ不良だ、やれ引きこもりだ。極端な例になると、本書のケヴィンのように全国に汚名を轟かせることになる。

でも、それはあくまで結果論に過ぎない。子育ては細かい触れ合いやコミュニケーション、イベントや感情の積み重ねの連続だ。ことさらに記念日やイベントを持ち出すまでもなく。経緯をないがしろにして結果だけをあげつらうのはフェアではない。そしてその経緯を知っているのは当の親子だけ。全ての親子。いや、親子ですら、そこまでに積み重ねたあらゆる選択肢を反省することは不可能。だからこそ、子育ては真剣な営みであるべきだし、取り返しがつかない営みなのだ。私自身、幼い頃に親から言われた事がしつけの結果として脳裏をよぎる事がいまもある。逆に、言われなかった、しつけられなかった事によって私の行動に欠陥だってあるはずだ。

本書は子育ての恐ろしさを世に知らしめるには格好の題材だと思う。子を持つ親として、私はその事を本書から痛いほど突きつけられた。

エヴァの追懐は、事件の日ヘ一刻と近づいてゆく。夫に対して語りかけながら、息子の罪に向き合う。そして少年院で囚われのケヴィンとの面会に臨む。エヴァやフランクリン、シーリア、そしてケヴィン。この一家は今、どうしているのか。エヴァが認める自らの罪、そして失敗の先にはなにが待っているのか。エヴァが親として人間として向き合おうとする心はケヴィンに届くのか。これは実際に本書を読んで確かめてほしいと思う。

本書を読み終えた時、さまざまな感情が渦巻くはずだ。親であることの恐れ多さ。今まで自分が真っ当に育てられたことの感謝。親として子への接し方に襟を正す思い。人であること、親であることの難しさ。母とは、父とは、そして母性とは。

本書は重い。だが傑作だ。子を持つ親にはぜひ読んでほしいと思う。

‘2017/04/15-2017/04/19


少年は残酷な弓を射る 上


本書は子をもつ親にこそ勧めたい。特に、難しい年齢の子をもつ親に。

子作りとはなんと罪作りな行いなのか。子育てとはなんて深淵で取り返しのつかない営みなのか。特に今のような中途半端に人間関係が希薄になり、中途半端に情報が流通している社会では、親が子を育てることはますます難しい。

子供を育てる。それは私がまさに日々直面する親としての現実だ。私も自分なりによき父であろうと努力して来たつもりだ。が、娘達からすれば物足りない点、欠けている点もあちこち目につくことだろう。とくに仕事の忙しさにかまけるのがもっともよろしくない。仕事に忙殺され、子どもをないがしろにすると、自らの子どもから手痛いしっぺ返しを食らう。これは私も経験済み。

親の一挙手一投足は、一刻一刻が取り返しの付かない影響を子供に与えている。良くも悪くも。本書を読むとその事実が重くのしかかってくる。重く歪んだ読後感を伴う本書だが、まぎれもない傑作だと思う。

本書は妻エヴァから夫フランクリンへの手紙に似た語りかけの形式をとる。離れた場所にいる夫への語りかけは、物語に定まった視点を生む。全てはエヴァの一人称で話が進んでゆく。近況を報告し、二人の間の過去の思い出を語るエヴァの語りを読み進めていくうちに、読者は二人の息子ケヴィンが大量殺人を犯した事実を知る。

冒頭からまもなくエヴァの語りは、少年院に面会に行き、ケヴィンと対峙する経緯に差しかかる。反省の色を浮かべるどころか、実の母を挑発するケヴィンとの一部始終を夫に語るエヴァ。事件後、二年たってもまだエヴァは事件の後始末に関わっている。本書は、事件が起こった後の混乱が収まった後もなお、自身の人生と子育ての日々を見つめ直そうとするエヴァの探求の旅だ。エヴァの胸につかえる思い 。彼女の胸を満たすのは、いったい何が悪かったのか、どこで間違えてしまったのか、との後悔。

本書の設定では、ケヴィンが大量殺戮を犯してすぐにコロンバイン高校の銃乱射事件が起こったことになっている。それはケヴィンの犯行が世間に与えた衝撃の度合いを薄めた。ケヴィンは憤る。コロンバイン高校で銃乱射を行った二人の少年が自分の行いを薄めたことに。そこには反省など微塵もない。そして、エヴァの求める答えも救いもない。それでもエヴァは、息子から逃げずに定期的に少年院に通う。そしてその様子を逐一フランクリンに報告する。

エヴァは夫に便りを書きながら、同時に自分へと問いかける。二人が出会ったころのなれそめから遡れば、その問いへの答えがわかるとでもいうように。

ロケーション・ハンティングを営み、家を留守にすることの多いフランクリンと、海外へ向かうトラベラー向けの出版社経営に没頭するエヴァ。結婚してからも二人の仲は熱く、子作りの必要など感じないくらい。だが、エヴァとフランクリンの温度差はある日臨界を迎え、衝動的に避妊せずにセックスする。高年齢での妊娠はリスク。そしてエヴァにとっては今まで築き上げたライフスタイルが失われる恐れを抱きながらの妊娠。この辺り、女性の女性が描く細やかな描写が読者にさまざまな思いを抱かせる。

なお、著者の名前がライオネルとなっている。が、著者は女性だ。著者自身の意思で男性の名に思えるライオネルに改名したそうだ。著者の紹介によると、著者には子がいないらしい。それにもかかわらず、子を持つ母の思いがリアルに描かれている。著書の想像力の豊かさが見てとれる。

エヴァの語りから感じられるのは、自分の感情と責任に正直でありたいという率直さだ。すでに殺人犯の母と汚名を被った以上、自分を飾る必要もないということだろう。エヴァの語りを追うと、他の母親並みに妊婦学級に参加したり、我が子との対面を待ち望む気持ちがあるかと思えば、全てがどこかで間違った方向に進んでいるのではないかとおののき惑う気持ちも描く。そんな正直な心境をエヴァは夫に向けてつづる。その率直さはケヴィン誕生の瞬間の気持ちにも現れる。その気持ちとは感動がないという驚き。

著者は本書をありきたりの母と子として描かない。ケヴィンが大量殺戮に走った理由が今までの歩みのどこかに潜んでいなくてはならない。エヴァは、その原因を思い出すために当時の自分に向き合う。

子を持つことに積極的でないエヴァとそんな母の元に生まれたケヴィン。受胎の瞬間から破局は始まっていたかのようにエヴァの語りはケヴィンが誕生してからの日々を描き出す。母乳に興味を持たずひたすら泣きわめくケヴィンとそれを持て余すエヴァ。エヴァも愚かではない。ヒステリックに怒鳴り散らしたい気持ちを抑え、良き母であろうと努力する。だが、そんなエヴァをあざ笑うかのように、ケヴィンは父フランクリンの前では良き幼子として振る舞う。

以後、上巻では、ケヴィンとエヴァの緊張をはらんだ関係と、無邪気にケヴィンに騙され続ける父フランクリンの関係が描かれる。成長するにつれ行動に不穏な気配を帯びてゆくケヴィンに恐れを抱きながら母を演じようとするエヴァと、最初から自分が理想の父を演じていることに一瞬たりとも疑いを挟まないフランクリン。二人の夫婦としての温度にも微妙な差が生じ始める。

おそろしいのは、三人の関係だけではない。この展開を自然にグイグイ読ませる著者の力量も恐ろしい。本書がケヴィンの起こした破局に向かって突き進んでゆくことは予想できるのだが、それがどういう方向に向かうのか読者はわからぬままだ。わかっているのはケヴィンの起こした事件が重大であり、大勢を殺傷したこと。それ以外は詳細が語られぬまま物語が進んでゆく。読者は、スリリングな気持ちと不気味さを同時に味わうことになる。上巻も終わりを迎える頃には、夫婦が事態を打開するためシーリアという娘ももうける。シーリアはケヴィンと違って全く手のかからない天使のような娘。それが物語に一層の波乱の予感を与えつつ、本書は、下巻へと向かう。

‘2017/04/12-2017/04/15


教場


以前から評判になっているとは聞いていた本書。読んでなるほどと納得した。面白い。

本書は警察の内部を描いている。しかも警察学校を。わたしはミステリが好きだが、警察小説はそれほど読み込んでいない。警察学校を舞台にした小説も本書が初めてのはず。

今までに出版された多くの小説でも、警察学校がここまで描かれたものはなかったのではないか。なぜなら警察学校を描くということは、警察の業務内容を一部でも公開することになるから。警察のノウハウを描くには骨の折れる作業があることは容易にわかる。今までに出版された数多くの推理小説で、刑事による捜査はいろんな切り口で描かれて来たはず。だから、捜査メソッドを描いても目新しさはない。でも、本書で紹介された職質や交番巡査による巡回のやり方などは、あまり紹介されたことがないと思う。しかも教官の口から伝えられるセリフは、より一層の真実味を読者に与える。

本書が新鮮な点がもう一つあって、それは教官と生徒の関係の描かれ方だ。警察志望の生徒が警察に抱くような希望や憧れ。まず教官はそこをつぶしにかかる。かつての兵学校とはこんな感じなのだろうか。規律そして規律。規則と条文が支配する世界。そこには当然、さまざまな生徒が入学してくる。厳しい授業に耐えきれず、常軌を逸した行いに及ぶもの。教官の寵を得ようともくろむもの。後ろ暗い秘密を抱えたもの。規則あるところに逸脱や反抗が生じるのは自然の流れだ。

対する教官は、専門分野こそさまざまだが、警察のイロハを知り尽くした海千山千の猛者。生徒たちを見る目は厳しく、しかも容疑者に対したときのように鋭い。生徒と教官の表裏それぞれの駆け引きが面白い。本書は風間という担当の教官が主要な人物として配され、生徒たちのたくらみの先を行く。

教育は社会にとって不可欠。特に青年期までの教育の重要性はいうまでもない。今、人権を重視する風潮が高まり、教育から厳しさが排除されつつある。だが、厳しさが不可欠な教育もある。戦争や軍事に関わる教育がそうだ。そういう教育は、人を育てるよりも相手を殺すことが目的であり、本来の教育の理念にはそぐわない。では、本書で描かれる警察学校はどうか。緊張感と命に関わる厳しさがあり、それでいて人を救い、治安を維持する大義名分がある。教育の本分にのっとっており、なおかつ前向きだ。

本書のそれぞれの編では、生徒間の微妙な思惑のズレと駆け引きが描かれる。そして生徒の悪巧みを風間教官が未然に防ぐ。時には非情な手段を使って。そこには生徒と教官の麗しき師弟愛などない。冷徹な組織の論理が優先され、そこにそぐわない生徒は容赦なく切り捨てられる。人命救助や治安維持といった大義名分と非情さのギャップこそが本書の魅力だろう。

だが、警察の現場とは過酷な毎日のはず。それを教えるのに非情さが欠かされないのは想像できる。だからこそ、本書で描かれる厳しさは腹に落ち、納得できる。そして犯罪者に対峙するためには甘さや憧れはいらず、規律と任務が全てという世界観も。もちろん、タコツボ思考に陥る危険性と警察学校の教育が表裏一体であることは当然だが。

本書は六編からなっている連作短編集の体裁だ。各編は独立しているが、六編を通して同じ学校の98期生の一年を描いている。各編ごとに細かな伏線が張られ、全体としても伏線が張られている。共通する登場人物は風間教官だけかと思いきや、前の編に出てきた人物がひょこっと出て来て、各編ごとのつながりの存在を示す。各編ごとのつながり方に独特のリズムが刻まれているのだ。それが本書全体の構成にも締まりを与えている。

本書の各編が刻むリズム感は、著者の作風なのだろうか。著者の作品を初めて読む私は、著者の作風を知らない。もし、本書のリズム感が、警察学校という隔絶された環境と、その規律を意図して作り出されたとすれば見事というほかない。本書には続編があるという。著者の他の作品とあわせて読んで見たいと思う。

‘2016/09/26-2016/09/27


ソロモンの偽証 第Ⅲ部 法廷


第三部は、初公判から閉廷に至るまでの裁判の過程が描かれる。ど素人の中学三年生による裁判が果たしてうまくいくのか。著者はその部分をどのように書き切るのか。本書の筋や真相だけでなく、著者の手腕に興味は尽きない。

中学生が中学生だけで裁判をやりきる。著者は判事役の井上康夫や検事役の藤野涼子、そして弁護人の神原和彦をどのような役回りで演じさせるのか。裁判をつつがなく進めさせるため、著者は彼ら三人にいくらなんでも弁が立ち過ぎじゃないの、と思わせるほどに弁論させる。語らせる。第一部のレビューで彼らに感情移入できないと書いたのは、その弁論のあまりの達者さについてだ。

だが、それだけ喋らせただけのことはあり、本書の展開は法曹ミステリ―のそれを地で行っている。実に見事なものだ。第一部で謎は提示され、起こるべくしてさまざまな出来事も起きた。第二部では中学生たちが大人への反旗を翻しながら、日々をフル活用して調査を進める。そして本書第三部では謎解きが中心となる。

法廷ミステリ―に付き物の展開としてよくあるのは、意外な証人が出てきて爆弾発言をすることだ。証人が口にする想定外の発言によって新たな展開が産まれ、謎が増幅され波紋を呼ぶ。本書もまた法廷ミステリーの骨法に則り、予想外の証人が次々と登場する。そこで第一部、第二部と細やかに丁寧に書き綴ってきた著者の努力が実を結ぶ。今までの出来事を疎かに書いていたら、本書で登場する証人たちが唐突で、とって付けた感じが出てしまう。

裁判に召喚される証人たちの多くは大人たちだ。中学生の扮する検事や弁護人が大人を証人喚問し、その証言に揚げ足を取り、被告または原告に都合の良い方向に法廷の空気を誘導する。本書で描かれる丁々発止のやりとりは、正直なところ中学生には荷が重すぎると思える。だが、それは置いておこう。彼らはあまりにも優秀すぎる中学生なのだから。

本書第三部で肝となる人物は三宅樹里だ。柏木卓也の事件が学校の枠をはみ出て社会的な事件になってしまったのは、彼女の作った告発状がマスコミに漏れたからだ。三宅樹里と一緒に告発の手紙を投函した友人の浅井松子は、良心の呵責から真相を暴露しようとしたところ、三宅樹里の目の前でトラックに轢かれてしまう。浅井松子の死の真相はいったいどこにあるのか。ひどいニキビでいじめられ、性格がねじくれてしまった彼女こそが、著者にとって本書の中で一番書きづらい人物だったことは想像できる。

思春期の女の子が容姿を気にするのはとても自然だ。ねたみやそねみなどを胸のうちに隠しながら、他人とどうやって折り合いを付けていくのか。女の子の悩みは深い。私も娘を持つ身としてなんとなく分かる。でも、彼女たちがどのような想いを抱いているかについては、全く想像が及ばないのも事実だ。一見すると穏当な父娘関係を築き上げているかに(私自身は)思っている私と娘ですら、私が思っているよりもはるかに闇に塗れているのかもしれない。

第一部から三宅樹里が放つどす黒い闇の念。それは、彼女が浅井松子の死によって口が利けなくなってからも衰えるどころかますます暗さを増す。いかにして彼女を証人として呼び出すか。検事側と弁護側の駆け引きが盛んにおこなわれる。

三宅樹里と大出俊次。同じ嫌われ者同士。二人の間にあるいじめと報復の関係が、柏木卓也の墜落死をさらなる混乱に導いたともいえる。かれらの苦しみが法廷の場でどこまで暴かれ、どのように浄化されるのか。いじめやねたみはなぜ起きてしまうのか。けがれなき思春期という幻想は嘘であり、実はすでに大人の世界に半分足を踏み入れてしまっている城東第三中の彼らは、その燃え盛る激情を鎮めるすべも知らずに暴走してしまう。

中学生の抱える爆発寸前の悩みは、大人になりたくもあり、なりたくもない微妙な年頃に特有だ。自分の思いが世の中に受け入れられない悩み。また、受け入れてもらうための方法が分からない苦しみ。ただ、肥大した自我だけが膨張する年齢。第一部のレビューに書いた厨二病とは、中学生の自我が必ず通過する成長の痛みであり、人生にとって欠かせない宿痾なのかもしれない。

本書の発端となった柏木卓也墜死事件もそう。自分には止めようもない自我の暴走によって引き起こされた不幸な出来事。その自我に目を配り、暴走を止める責任までを全て教育現場に求めるのは酷といえないだろうか。

最終論告が終わった後、評決を前にして茂木記者と津崎校長が対峙する場面がある。その中で茂木はこのようにいう。
「学校という制度は、この社会の必要悪です。僕はその悪と戦っている」
それに対して津崎校長は「よくわかります。だが、悪といえども“必要”ならば、私はそのなかで最善を尽くしたいと願い、努めてきました」。
このようなやり取りは、作り事でない教育現場を巡る本音の会話なのだろう。本書が傑作である理由とは、教育現場を悪と見なして終わり、と紋切型に描かないことだ。暴発寸前の自我を抱えた何百人の中学生を、その何十分の一の人数の教師たちで運営する。それはどれだけ至難の業か。そのことに中学を卒業して何十年もたって、ようやく気づいた。しかも本書と違って今の中学生にはLINEもメールもinstgramもある。娘たちの学校の出来事もある程度聞いているけど、リアルだけでなくネットの中の世界にも気配りが必要な先生って大変だなぁ、と。

そんな思いを感じたからこそ、本書で明かされる真実はやるせない。そしてとても切ない。

本書は三部作の中でも法曹ミステリーの要素が強いと冒頭に書いた。でも、本書は単なる推理ゲームには堕さない。それどころか、裁判という場を借りて中学生の抱える闇と戸惑いと不安を描き尽した人生小説である。

本書のエピローグは2010年に飛ぶ。城東第三中学に教師として赴任したある人物のモノローグで進められる。もちろんその人物とは学校内裁判に登場した主要人物である。

第一部のレビューで、本書の時代と世代が私とほぼ同じことにシンパシーを感じると書いた。私もあの時代をとも過ごしたのだから。エピローグに登場する彼の言葉こそ、同じ裁判を体験した仲間にしかいえない実感がこもっている。殻をかぶっていた私も、自分の中学生活を振り返って、思うことが沢山あった。なんだかんだといろんなことがあった中学時代だったなぁと。よくぞあの時期を乗り越えてきたなぁと。本書のエピローグが2010年だったことで、私にも自分自身の中学時代を振り返るきっかけとなった。

エピローグに登場するのは、その人物だけだ。他に裁判を共にした人々のその後の消息は出てこない。でも、彼の言葉が泣かせるのだ。「あの裁判が終わってから、僕ら」・・・・「友達になりました」。彼が教師であるだけになおさら、20年経ってから振り返る中学生の時期に実感が沸くのだろう。生きていればどれほど壮絶なことがあっても幸せに振り返ることができるのだ。

そんな心に沁みるメッセージで本書は幕を閉じる。間違いなく本書は傑作といえる。

‘2016/01/23-2016/01/25


ソロモンの偽証 第II部 決意


第一部の最後は、藤野涼子による決意の言葉で締められた。第二部は、その決意の提案から始まる。城東第三中学校では、恒例行事として三年生が卒業制作を行うことになっている。その卒業制作を学校内裁判を開くことに充てたい、というのが藤野涼子の提案だ。

優等生である藤野涼子が決意を表明した時、学年主任の高木先生は優等生の予期せぬ反抗に目をむき、逆上のあまり平手で頬を打ってしまう。そして藤野涼子はしたたかにも平手打ちの件を訴えないかわりに学校内裁判を開く権利を勝ち取る。大人の言うがままに操られ、真相から遠ざけられたままで中学生活を終わりたくない。そんな藤野涼子の叫びはクラスに波乱を巻き起こす。裁判の期間は夏休みの2週間。高校受験を控えた中三生にそんな暇があるのか、と拒絶やためらいが乱れ飛ぶ。しかし、有志の生徒たちが少しずつ手を挙げ、検事・弁護人・陪審員・判事が決まってゆく。

だが、肝心の被告である大出俊次の意思はまったく顧みられていない。被告が白黒つけたいと意思を示さない限り、原告のいないこの裁判はそもそも成り立たない。そこで生徒たちを応援する北尾教諭は勝木恵子を仲間に入れる。彼女は大出俊次の元カノ(90年当時にこの言葉は一般的じゃなかったと思う)であり、捨てられた格好となった今も大出俊次のため尽くしたいとの意思を持っている。彼女が仲立ちとなり、大出俊次に被告人の立場で裁判に出廷してもらうためお願いに行く裁判関係者たち。

その中には弁護人の任についた神原和彦が加わっている。彼は他校生だが柏木卓也とは親しい。それもあって彼の死の謎を解くため協力を申し出たのだ。学校内裁判の弁護人に新たな一員が加わった今、大出俊次をどう口説き、どうやって裁判の場に引っ張り出すのか。

大出俊次は自他共に認める札付きの不良だ。とはいえ、周りの皆から殺人犯と見なされて平然としていられるほど図太くはない。図体も態度もふてぶてしいようでいて、そこはまだ中学生なのだ。そんな不安定で危うい彼の心理を著者は細やかに描き出す。大出俊次だけではない。勝木恵子、藤野涼子、野田健一、そして神原和彦。彼ら中学生の壊れそうに揺れ動く心のひだを著者はとても丁寧に、細やかに描く。第一巻のレビューで、私は本書に登場する中学生たちに感情移入できなかったと書いたが、それは彼らの行動そのものへの感想であって、中学生の心を描き出す著者の切り込み方には共感できる。きっと私も中学生の頃はこういう心の振れ方をしていたんだろうなぁ、と。

裁判を開こうとする藤野涼子の意図は、上辺だけで考えると無理な流れに思える。しかしこの裁判に法的拘束力はない。真似事であってもいいと先生方が黙認する中、裁判の実現に向けて彼女は懸命に努力する。この流れに少しでも作者のご都合主義が混じると読者は白けてしまう。なので、著者の筆は丁寧に丁寧に裁判開催までの経緯を紡ぎ続ける。中学生が無理なく裁判を実現するための能力と心の有り様に気を配りながら。中学生とはこうであったか、とかつて中学生だった私にも納得できるくらい丁寧に。本書の紙数がこれだけ増えてしまったのも無理もない。

中学生が裁判を開く。それは、中学生が大人の世界に足を踏み出すには格好のイベントだ。イベントとはいえ遊び半分ではない。きちんと裁判の前提や手続きに則っている。それが法的に無効なだけであって、彼らは真剣に裁判を行い事実を明らかにしたいと願っているのだ。

藤野涼子は叫ぶ。「あたしたちは、いろんなことを聞かれて、書かれて、憶測されて、想像されるんだ。何にも確かなことを教えてもらえないまんまで。あなたたちは知らなくていいことですって」

私は、第一部のレビューに書いた通り、のほほんとした無個性のノンポリ中学生だった。なので、藤野涼子が抱いたような深い不信を大人たちに抱いてなかった。でも、私の中学時代は無風平穏な日々ではなかった。校長室にも呼び出されたし、警察にも呼び出されたし、個人面談では担任より攻撃された。友人に大金を盗まれたことだってある。二度にわたって足の手術を受け、合計で1ヶ月はベッドの上にいた。多分、私は自分が思っている以上に親を嘆かせた中学生だったと思う。しかも、どれも私が自ら動いたのではなく、周りに引きずられて。今、こうやって中学時代の自分を思い返しても、反抗期でもなかったのに反省することばかりだ。私個人の反抗期は中学時代ではなくずっとのちにやってきた。大学を出た後、真っ当に新卒就職の道を歩まないことが反抗と信じて。

そんなわけだから、私は本書に登場する中学生達に感情移入出来なかったのだと思う。でも、今の私には同じ年頃の娘がいる。いつの間にか大人になってしまった私は、子どもたちに対して高木先生と同じような態度を取っていないだろうか。まだ子どもなんだから。まだ中学生なんだから。でも、実はそれって中学生からすればもの凄く嫌な気分にさせられる態度なんだろうな。私自身が中学生であった頃、同じような訳知り顔の態度を大人たちから示されて嫌な気分にならなかっただろうか。のほほん中学生だった私も、思い出せないだけできっと同じような気分を味わわされていたはずだ。

大人たちの都合でいいようにされてたまるか。中学生たちが自己を目覚めさせ、成長していく過程。大人の入り口に立った子供が、大人の真似事にどこまで迫れるのか。本書に書かれる中学生たちの悩みは、当人にとっては真剣な思春期の悩みだ。そんな中学生の悩みに迫る本書は推理小説でも犯罪小説でもない。ましてや、ヤングアダルト小説やライトノベルでもない。本書は子供から大人への成長を丹念に描いた人生小説だ。だから本書を読み進めるうち、読者にとって大出俊次が柏木卓也を突き落としたのか、柏木卓也はなぜ死んだのかといった謎は二の次三の次になる。謎解きのスリルよりももっと深い部分で考えさせられる。そして、必ずや読者は自分自身の中学時代について想いを馳せるはずだ。私のように。

本書に登場する親たちの描写も丁寧だ。柏木卓也の親。藤野涼子の親。野田健一の親。それぞれがそれぞれの思惑で子に接している。子どもとともに生きようと愛情を注ぐ親もいれば、心が子から離れてしまっている親もいる。私も娘たちにはなるべく誠実に接しようと心がけているつもりだが、親として残念な自分に思い当たる節も多々ある。

第一部のレビューで書いた通り、私にとって本書は同世代を生きた経験からも思い入れを感じる一冊だ。本書を読んだことで私自身の中学生活を省みるきっかけにもなった。しかし、私にとっての本書は、中学生の娘を持つ親の立場でも思い入れを感じる一冊でもある。いや、思い入れを感じるという表現は正確ではない。親となってしまった今、自分がいつの間にか中学生の頃の気持ちを忘れ、大人の目で子どもに接していたことへのうろたえを含んだ「きづき」と言えばよいか。大人の約束事や大人の事情。どれも世を渡って生きていく上で欠かせないスキル。しかし、そんなスキルに溺れすぎて、子供の頃の自分を忘れていないか。そんな自分への苦い問いが本書を読むと湧き上がってくる。しかもその問いに理想論や青臭さは含まれておらず、それが余計に心に沁みる。

三部作の中間にあたる本書は、ミステリの要素が一番薄い。だからその分、最も考えさせられるのかもしれない。

‘2016/01/22-2016/01/23


ソロモンの偽証 第Ⅰ部 事件


厨二病という言葉がある。生真面目に直訳すれば、中学二年生病となろうか。その年代に特有の情動が不安定な様子を指す言葉だ。いわゆるネットスラング。野暮を承知で由来を書くと、中学生を馬鹿にして中坊と呼び、それを一括で漢字変換すると厨房。「厨」房の「二」年生と言った意味だ。

大人向けの知識を聞きかじり始めた、大人と子供の間に挟まった時期。今はネットの発展により大人向け情報がたやすく入手できるので、厨二病患者にとっては過ごしやすい時代かもしれない。

私が中学二~三年だったのは、1987年から1988年にかけてだった。バブルが弾ける前の浮かれた日本の中で多感な時期を過ごした世代。それが私の世代である。私自身が中二の頃は何をして何を考えていただろう。その頃はまだネットが無かった。時代がちがうため現代っ子とは比較できない、と言いたいところだが、多分今の中学二年生と似たり寄ったりだったのだろうな。

本書に登場するのはまさに同じ世代、同じ年代の中学生たちだ。本書の発端となる事件が起こったのは1990年のクリスマスの早朝。私が14歳のクリスマスを過ごした三年後のことだ。

三年とは世代の差として大きく、同じ年代の枠に含めるのは無理があるのかもしれない。それでもなお、本書内の彼らと私は同時代を生きたといえる。何故なら、バブルが弾ける前の時代に多感な時期を過ごし、インターネットを知らずに中学生活を送った世代だから。「バブルが弾ける前」と「インターネットを知らない」。この二つのキーワードは、同じ時代を生きた証として今も有効だと思う。私が本書に思い入れを持ったのは、同じ時代に同じ年代として生きた親近感にあるといってよいだろう。

とはいえ、本書を読む間、登場人物に感情移入できたかというとそうでもない。なぜかというと、当時の私は本書に登場する中学生達の様には個性が確立していなかったから。正直いって私の中学時代は無個性だったといえる。私の中学時代を知る妻の友人は、私と付き合っていると聞くと、あんなショボいやつといったそうだ。そして私と結婚したら全く連絡を断ってしまった。中学時代の私とは、それくらいパッとしないやつだったのだろう。本書には名前が付いている主要なキャラ以外にも、名前も出てこないその他大勢がいる。多分、当時の私が本書の登場人物であったとしても、名も無きクラスメートの一員に甘んじていたことだろう。

そこが、私が本書の登場人物達に感情移入できない理由の一つだ。柏木卓也の墜死体の犯人を探すために学校内で模擬裁判を行い、検事や弁護士、判事や陪審員に扮し、弁論をこなす。そんな派手な活躍など当時の私にはとてもとても。

本書の主要キャラの中で当時の私に近い存在といえるのは、野田健一だろうか。病弱な母と仕事に不満をもらす父のもとで育った彼は、目立つことを極力避け、自己を隠すことに腐心している。しかし、野田健一のその目論みは、柏木卓也の墜死体の第一発見者となったことで破綻を来す。

中学二、三年といえば、いじめや校内暴力がつきものの年代だ。墜死体が発見されてすぐに犯罪を疑われた大出俊次は学校の番長。番長というより札付きの不良と言った方がよいか。本書を通して大出俊次は柏木卓也を殺したという疑いの目で見られ続け、そのことに人知れず傷つく。その疑いをさらに煽ったのは、三宅樹理。ひどいニキビのため皆に嫌われている彼女は、大出俊次にも手酷くいじめられていた。彼女はこの機会を利用し復讐のために友人浅井松子とともに、大出俊次と腰巾着二人による殺人の現場をみたとのチクリ手紙を学校と担任、さらには学級委員の藤野涼子宅に発送する。

藤野涼子の父藤野剛は警視庁捜査一課の刑事であり、娘宛に届いた封書の宛名書きの書体が尋常でなかったことから、娘に黙って手紙を開封する。その内容を見て学校を訪問した藤野剛は、津崎校長に捜査は捜査として、学校対応は対応として対応を委ねる。

第Ⅰ部である本書は、教育現場の危機管理についてかなり突っ込んだ問題提起がされる。結果的に津崎校長による危機回避策は全て裏目に出てしまう。しかし津崎校長が打った策は決して愚策ではない。情報公開せず、いたずらに混乱を招かないための配慮はある意味理にかなっている。本書のような子供の視点から描く物語の場合、子供の立場に迎合するあまり、学校を悪者と書いてしまいがちだ。そして情報公開こそが正しいと短絡的に学校対応を非難する。しかし、そんな単純な構図で危機管理が語れないことは言うまでもない。その点を浅く書かず、徹底的に現実的な危機管理対応として書き切った事で、本書の以降の展開が絵空事ではなくなった。そこに本書が傑作となった所以があると思う。

では、なぜ津崎校長による隠蔽に軸足を置いた危機回避策は破綻したのか。それは、三宅樹理が投函した三通のうち、担任の森内恵美子宅に届いた一通が、森内恵美子を敵視する隣人に盗まれたからだ。そしてあろうことかその隣人の垣内美奈絵はその手紙をテレビ局へと届ける。垣内美奈絵が何故そこまでの行動に及んだのか、彼女が抱える事情とそこから生まれる憎悪や敵がい心も著者は丁寧に描写する。このあたりの描写を揺るがせにしないところが、著者を当代有数の作家にしたのだろう。この点を怠ると、作者のご都合主義として読者を白けさせてしまうから。

一つの墜落死が、次々に連鎖を産む。浅井松子は謎の死を遂げ、三宅樹理は口が利けなくなり、大出俊次宅は放火で全焼し、それら事件の数々は世間の好奇の目にさらされる。そこに暗躍するのは教育のあり方や現場の事大主義を問題視し、大衆に訴えるニュースアドベンチャーの記者茂木悦男だ。垣内美奈絵の手紙が茂木のもとに渡った時点で津崎校長の危機管理策は破綻する運命にあった。その結果、学校は大いに揺れる。それぞれの家庭、少年課の刑事、学校による事態収拾の動き。著者の筆運びはとても丁寧に大人たちの右往左往を暴く。

ここに来て、墜落死という事件とその後の出来事は大人たちの都合でいい様に扱われ処理されていく。生徒たちの心の動きにはお構い無しで。もちろん大人たちも精一杯やっている。だが、そこで子供からの視点を考えるゆとりは無い。そんな風にないがしろにされて生徒達が何も思わぬはずはない。著者は生徒たちの間にじっくりと薪をくべる。そして焚きつける。メールもLINEもinstgramもない時代であっても、いや、だからこそ口伝えで生徒たちの間に不満と圧力が高まってゆく。

本書第Ⅰ部の最後で、茂木記者に呼び出され様々なことを探られ藤野涼子は殻を破る。容姿と文武の能力に恵まれ、自他共に認める優等生としての藤野涼子の殻を。それは少女から大人への殻でもあり、中学時代の私がついに脱ぐことのなかった殻である。

藤野涼子の決意によって、本書の展開は大きく前に踏み出す。

現代でも厨二病と揶揄され、当時でも軽んじられバカにされる中学生。子供と大人の境目にある中学生が、大人への成長を遂げる過程が本書では描かれる。本書第Ⅰ部は、それに相応しい藤野涼子のセリフで締められる。

「あたし、わかった。やるべきことが何なのか、やっとわかった」

私も中学時代にこの様なセリフを吐いて見たかった。

‘2016/01/20-2016/01/22


組体操をやるリスク・やらないリスク


日頃、私はほとんどテレビを見ません。が、たまたま昨夜は早めに帰宅したので、組体操の10段ピラミッドが崩れる瞬間をテレビで見ることができました。

10段は、見た感じ確かに高いですし、崩れた瞬間の衝撃も半端な強さではなかったことでしょう。怪我をされた方が苦痛から早く回復されることを願います。

今回の崩壊映像を見て思ったのが、あ、自主規制が入るな、ということでした。実際に10段ピラミッドをナンセンスとして退け、廃止を求める意見が多いようです。また、実際に大阪市教育委員会からは高さ制限をかけるとの指針が出されました。案の定です。

ただ、私の意見はそのような論調には与しません。むしろ反対意見に近いです。
「参加の判断は各家庭に委ねるべき」
これです。

10段はたしかに高いし危険です。今回のような事故リスクはついてまわるでしょう。私も小中学生の頃に運動会で組体操を経験しましたが、こんな高さに挑んだ記憶はありません。今回の騒動で、一番負荷がかかる生徒には大人3,4人分の荷重が掛かっているとの分析も目にしました。もしこれがきちんとした分析や試行なしに挑まれたのであれば、非難もやむなしです。

今のままでは、おそらく10段ピラミッドの廃止は避けられないでしょう。しかし、本当にそれでよいのでしょうか。子を持つ親として、リスク回避の論調にちょっと待てよ、との想いが沸き上がります。その想いがどこから来るのか考えたとき、教育現場や生徒の意見が全く顧みられていないことに思い至ります。

廃止や高さ制限といった縮小は、本当に教師や生徒の総意なのでしょうか。そこに現場無視の事なかれ主義は入り込んでいないでしょうか。もちろん、やりたくない生徒や、保護者の意見をないがしろにするわけではありません。強制や同調圧力は私の最も忌み嫌うものです。生徒と保護者が相談して、不参加を決めたのであれば、教師も学校も参加を強制させることはできません。当たり前の話です。しかし、一部の生徒にとっては10段ピラミッドの達成がかけがえのない財産になっていたかもしれません。また、教師にとっても普段の授業の百倍の教育効果が見込めていたかもしれません。もし10段ピラミッドが過去に実績のある種目であれば、喝采を浴びた経験は、一番負荷のかかる生徒にとっても上に立つ生徒にとっても貴重な成功体験となっていたかもしれません。

臨海学校の遠泳や、長距離ウォークなど、同じような危険を伴う行事は他にもあります。むしろその行事が長年の学校名物となっていることもあるようです。今回の件を機に、そういった行事が事大主義のもとに中止される可能性は否定できません。競技の違いこそあれ、教育現場にとって10段ピラミッドと他の競技は挑戦という意味において本質は同じはずです。拙速な中止が全ての生徒にとって最善の選択肢なのか、というと疑問です。

せめて、生徒と家庭の意向を聞く形にはできないのでしょうか。生徒自身はかったりぃからエスケープしてえ、と思っていたとしても、保護者の教育方針として、リスク回避をよしとしない場合、子育ての一環として参加させる選択肢は残せないものでしょうか。もちろん、その際は不慮のトラブルに対する責任の所在の念書は保護者からとっておくべきでしょう。また、生徒と保護者の下した決断が不参加であれば、引け目を感じさせずに見学させるべきです。

私自身、小中学生の頃であれば、10段ピラミッドなどは、かったりぃからやんぴ、と決め込んでいたでしょう。しかし、保護者となり、社会に出た今となっては、違います。10段ピラミッドなど屁のカッパに思えるほどの試練が人生には多数待ち構えていることを知っています。それは肉体的にも精神的にもつらい試練です。そんな試練を乗り越えてきた目からみると、小中学生の運動会で10段ピラミッドを回避させることが我が子の人生にとって何をもたらすか。逆に不安に思えます。なので、リスクや負荷を避ける論調が、現場の教師や生徒、保護者の意向を顧みないまま主流となることに待ったをかけたいと思うのです。

もちろん、親の意向で参加させた結果、我が子を喪う可能性はあります。あるいは激しい後悔に苛まされることもあるかもしれません。子育ては所詮結果でしか成否がわからないものです。あらゆるリスクを回避させた結果、それでも我が子の人生は平穏無事に終わることもありえます。また、リスクを覚悟で本番に送り出した結果、ピラミッドから落ちて半身不随となった我が子を介護する未来もありえます。逆の場合もまたあり得ます。リスクに打ち勝ち、大成する子供もいれば、リスク回避の考えから、思うようにいかない人生を歩む子供も出てきます。いづれの場合も、親は当然自らの決断の責任を取らねばなりません。全ては保護者の教育方針であり、子にたいする愛情や考え方によると思うのです。そこに善悪や優劣はありません。子どもの人生は子どもが死ぬまで評価出来ないし、当然、親の教育方針を問うことも無意味です。だからこそ、10段ピラミッドの実施を、親や子供の意向を顧みずに中止することに違和感を覚えるのです。

うちの娘たちは、幼時よりチアを習っています。とくに長女はどちらかといえば内向的で、チアをやる印象からは遠いです。しかし、そんな長女はチア・コンペティションという大会で2回もグランプリをとっています。上に投げあげた仲間をキャッチする役割なので、手足に痣がたえません。顔にも痣ができることもあり、一歩間違えば命の危険もあります。しかし、内向的な長女はチアを続けています。グランプリを獲った時の感動も折に触れて話してくれます。おそらくかけがえのない成功体験として心の糧として持ち続けてくれていることでしょう。外向的な次女にとっても、身近な憧れや目標として、姉の偉業を感じてくれているようです。娘たちのこれからの人生で、リスクに直面し、打ち勝とうとした経験は、貴重な糧となるに違いありません。私たち親がチアは危険だからと辞めさせていれば、それらの得難い経験は想像することすらできぬままに、娘たちの人生に当初からなかったものになっていたことでしょう。

今回、怪我された方々も、言い方は語弊があるかもしれませんが、他では得られない経験を得られたと思います。禍福は糾える縄のごとし、という言葉もあります。また、人生の終末に当たっては、良いことと悪いことが釣り合う、というのが私の人生観です。怪我された方々には、必ずや今回の経験が活きるはず、と言いたいです。そして今後の人生が豊かなものになることを願ってやみません。

これからの我が国には、地震や津波、火山の噴火や台風、隣国の暴発、といった不慮の事故リスクが多数訪れるでしょう。10段ピラミッドの崩壊などとは比べ物にならないくらいの力に翻弄される目に遭うかもしれません。今のうちにリスクを避けたところで、人生に痛みはつきものです。小中学生の多感な時期に痛みと向き合い、それに耐え抜く経験は、きっと自分を守ってくれるはずです。

教育現場も、一時の感情的な理由ではなく、長期的に考えて、それでも中止のほうがよいということであれば、それはそれでよいでしょう。ただ、リスクを恐れて中止といった腰砕けの結論には落ち着いてほしくないと思い、あえて書いてみました。


娘にスマホを持たせないために


アメリカのニューヨークタイムズが、本社ビルから自社サイトへのPC経由のアクセスをブロックし、スマホかタブレットからのみ接続を許可する実験を始めたそうです。
島田さんのブログ 島田範正のIT徒然より

デジタル時代の戦場はすでにPCではなくモバイルにある。このことを意識させるための意図を含んでいるとかいないとか。

日本でも、ながらスマホによる事故や、スマホを取り上げられた生徒が教師に襲いかかるといった、虚構新聞も真っ青のニュースが報じられています。

我が家でもご多分に漏れず、スマホを巡ってのせめぎ愛が絶えないこの頃です。
今回は、娘達へのメッセージも込めつつ、私のスマホに対する考え方を一席ぶちたいと思います。

のっけから結論を述べます。
子を愛する故になみだを呑んで、スマホさん、また今度ね。
これです。

我が家の娘たちから初めてケータイ欲しい、という希望が出されたのは八年前です。当時某所に書いた文章を当ブログに転載し、リンクを貼り付けておきます。
幼児にパソコンって必要か? 2008/4/16
娘にケータイもたせたないねん 2007/7/7

以来、我が家の娘の念願は常に一つ。自由にスマホで連絡を取り合い、自由にスマホで写真をアップする。願いは単純明快、けれども大人の世界はフクザツ。

一昔前だと汝身の程を弁えよ、の一言で一蹴できたこの願い。年を追う毎に反論に工夫が必要になりつつあります。みんな持ってるもん!という定番セリフには、みんなって誰よ?10人挙げてみなさい!と伝家の宝刀を抜くだけで効果てきめん、途端に娘の言葉も尻つぼみでした。しかし、今は宝刀を抜いたが最後、その刃は振り上げた親を切りつけます。まあ携帯持ってる友達の名が出てくること出てくること。ことケータイ、スマホに関しては、みんなの定義を生半可な数字で設定してはいけません。せめて100人以上にセットしてようやく逃げ切れるぐらいの勢いでしょうか。次々出てくる名前の羅列にうろたえた経験のある親は、私だけではありますまい。

今や、スマホを持っていない児童は少数派になりつつあります。いくつか、最近の調査結果を見た感じでも、その感覚は裏付けられます。
スマートフォンを持っている小学生は、クラスに1人か2人 ライブドアニュースより
中高生対象「ICT利用実態調査」 ベネッセホールディングスより
上の記事は控えめな数字ですが、それでも小学生全体で3割。ということは高学年だともっと割合は高いということでしょう。下の資料でも中高生の利用実態が示されており、大変興味深い内容です。

我が家とて、決して娘にケータイを持たせていない訳ではありません。昨春より、娘達にキッズケータイを持たせました。それすらも、鉄砲玉のような次女を現世につなぎ止めて置くためのやむを得ぬ措置。決して世間の流れに逆らえなかったわけではありません。

しかし、その時から確信していました。キッズケータイの最低限の機能に甘んじるほど、娘たちは内向的でない、と。案の定でした。娘たちの要求は次々とステージを登り詰めようと試みます。しかも、3DS+Wi-Fi経由でのネット接続を許したのが失敗でした。3DSのブラウズ機能を舐めていたとしかいいようがありません。もう、勝手にYouTubeなど朝飯前です。本当に早起きして朝飯前に繋いでいるのだから始末に負えません。家屋内のルーターからしか認めていないため、まだしも通信内容をある程度管理はできているとはいえ、少しはネット接続を制限しなければ、と葛藤に逡巡を重ねる最近です。

もっとも私も娘のことは言えません。ファミコンを隠す親とそれを探し求める息子という構図は当事者として臨場感ありありで語れます。特に、家庭の医学のカバー裏に潜んだそれ、ゴミ箱の二重底に潜ったそれを見つけた時のカタルシスは、少年時代の歓喜の一瞬としてしっかり覚えています。我が家でも同じことをして2年以上隠した挙句、DSが一つ行方不明となったままです。おそらく我が家がある限り、家のどこかでスポットライトを浴びる日を待ち続けていることでしょう。隠す親と隠される子どもというゲーム感覚に溢れた駆け引きも面白いことは面白いですが、あえて建設的なやり方でネットとの触れ合いをさせたいなと思う最近です。子を持って初めて知る親心を会得した私。オホン。

我が家の長女の場合は、ネット上にイラストをアップするにあたってデジカメ経由だと面倒だから、という理由です。3DSだとイラストを撮影しても画質が悪く、アップしたイラストに物言いがついたのだとか。次女の場合は、友達と遊んでも、走り回る時間以外は、みんなスマホとにらめっこ。話題もスマホのことばかりでつまらない。ということです。

二人の言い分はよくわかります。かつて心配していたような懸念-対人コミュニケーション能力が未熟な大人となる-については二人には杞憂だと思います。今の二人にスマホを与えたところで、コミュ障の引きこもりに堕ちることはないでしょう。だから親である我々夫婦が世間の流れに巻かれ、スマホを与えてしまうことは決して敗北ではないのかもしれません。むしろ、今まで世間の流れによくぞ抗い続けたと拍手で迎えられるかもしれません。

しかし、あえてここで私は最後の抵抗を試みたい。親の意地ではありません。世間に対して駄々をこねる訳でもありません。私なりの理由があって、スマホを与えることを今一度見送ろうと思います。その替わりに、ノートPCを与えようと思います。個人毎にアカウントを作り、時間制限やインストール制限などのペアレンタルロックをかけた上で。

何故か。

まず、長女の言い分は、イラスト書きを生業とするのであれば、明らかに間違っていると云えます。イラストレーターが自作のイラストを撮影して納品?そんな納品形態が許される職業はイラストレーターではなく、画家でしょう。近い将来、いや今でもすでにイラストレーターの納品する媒体は、紙ではなく電子データが主流です。現時点でも100パーセント近いのではないでしょうか。百歩譲って看板に直接書いて納品物としたり、紙の直筆が求められたり、といった場合は電子データ以外の媒体もありです。しかしその他の用途で電子データが不要なイラストは私のアナログ脳では思い浮かびません。つまり、ファイル操作に慣れる必要があるということです。ファイルを保存し、メールに添付またはオンラインストレージに保存といったファイル操作です。そしてファイル操作は、今のウィンドウズやマックのファイルシステムが廃れたあとも当分ついて回るはずです。少なくとも長女が120歳まで現役イラストレーターであったとしても。スマホで撮って即投稿、確かに便利で手軽です。しかし、長女にはそういうスマホ依存症のような利用だけでなく、まずはPCの操作を学んで欲しいと思います。本当に人から望まれ、自分がアップしたい内容なら、デジカメ経由で何が悪い?

次に次女です。次女の社交能力はピカ一で、友人もすぐ作れます。それゆえに、スマホを持っておらず、友達との話に加われないのは可哀想だと思います。その点は理解してあげないと。そこで少し妥協点を探りたいと思います。与えたノートPC上での連絡手段を作ることを認めようと思います。例えばLINEやメールといった連絡手段をもちろん親の監視付きで。おそらく次女は不満に思うでしょう。実際数日前に話し合った際にも主張していました。外でネット出来なければ意味がない、と。次女の云う通りなのでしょう。残念ながら、友達みんながスマホとにらめっこしてしまうのは、どうしようもありません。私にもその状況を打開するいい案は思い浮かびません。しかし、これだけは云えます。スマホを与えても、友達と遊んでいる最中にスマホとにらめっこするくらいなら持たない方がまし、と。むしろ、スマホに夢中のみんなを振り向かせるくらい、もっともっと社交性に磨きをかけてもらいたい。スマホ不所持の減点を埋めるのではなく、持ち前の明るさに加点する。次女にはそうあって欲しいと願います。

これから娘たちが世の中を渡っていく上で、ITを使いこなすことは当たり前の必須項目となるでしょう。むしろ必要なのは、より進んだ知能にとって代わられるプログラミング能力よりも、実世界の営みとITを結びつける能力でしょう。しかしそれには実世界の営みについての深い洞察力が必要となります。高吸収材よりも知識吸収力の優れた今の時期に、スマホの扱い方を覚えることが、実世界の営みを理解することより優先されるとは到底思えません。スマホの使い方など大人になってからもすぐに覚えられます。だって今の我々もそうなんだし。


未成年の実名報道について


痛ましい川崎の事件。こういった事件が起きる度に俎上に載せられるのが、少年法です。

私が少年法について常々思っていたこと、抱いていた迷い。それらを長谷川さんが文章に著して下さいました。

長谷川さんのブログはよく拝見しています。ほとんどのブログについて、書かれている主旨の大枠に共感できます。ただ、細かい表現の切れ味や深さが私の思いと一致しない時がありました。

しかし、今回書かれていた内容は私の思いにぴたりとはまりました。少年法への期待と諦めに揺れる心境も的確に表現されておりさすがです。思うに、私の親としての視点が一致したのかもしれません。

とくに、ネットを介した発言がこれだけ溢れている今、少年法による保護は無意味との論旨は、我が意を得た思いです。同様の論旨は木走さんのブログでも取り上げられていて、この点について法曹界の方々はどう思うのか、気になります。さっそく日弁連が遺憾の意を表明したようですが、遺憾の意ではなく行動にでなければ世に溢れる情報はせき止められません。

私見ですが、少年法をあくまで遵法させるのであれば、少年法を改正する必要があるでしょう。今の少年法の第六十一条は以下のようになっています。

   第四章 雑則

(記事等の掲載の禁止)
第六十一条  家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

 書かれているとおり、定義されている処罰対象はマスコミだけです。今の時代、マスコミだけでは不足なことは云うまでもありません。中でもアマチュアジャーナリスト。ツイッターやブログを駆使し、社会に対するゲリラ報道を繰り返すプロのマスコミでない人々。その膨大な書き込みを徹底的に監視するしかないでしょうね。もちろん刑事罰付きで。それが果たしてやりきれるかどうか。

あと、もう一つ思ったことがあります。それは、子を持つ親の覚悟が問われる、ということです。今回の川崎の事件、主犯とされる本人だけでなく、家や両親、祖父母の情報まで、ネット上に流され、晒されているとか。

子を持つ身として、我が子が仮に重大犯罪を犯したとすればどうなるか。今の少年法に謳われる情報保護の壁が取っ払われれば、親の生活も晒され、あげつらわれ、築いてきた人生も炎上すること間違いなしです。焼かれるのは火葬場で一度きりで充分。大多数の親はそう思っているのではないでしょうか。

私も含め、親である皆さんが子に対し普段どれだけ注意を払い、親として子に向き合えているか。これからはその成果が、今以上に問われます。

仕事にかまけて夜の子どもとの会話を怠ることなかれ。
給油と称して毎晩酩酊状態で帰宅することなかれ。
付き合いの名の下に、毎週末フェアウェイで芝刈ることなかれ。

子どもは親が思う以上に、親を見て育っていきます。親が自分を向いていないと感じたが最後、子どもの関心は外に向かいます。外では夜な夜な悪いスリルに身を任せる仲間達とつるむこともあるでしょう。そこからさらに取り返しの付かない末路へ進まないとも限りません。忙しさを理由に構えなかった子どもの不始末が、まっとうな社会生活や生業を親から奪う。今までにそんなニュースを何度見たことか。

少年法が改正された暁には、子どもを持つ親は上に挙げたようなリスクにさらされます。そんなことも、頭の片隅におくべきでしょう。

私自身、今の生活を鑑み、肝に銘じ襟を正して子どもたちと向き合いたいと思います。少年法改正に賛成する以上は。