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華麗なるギャツビー


原作を読んだのが10数年前で、かなりストーリーも忘れつつあり、ラストの哀しみだけが印象に残っていた。

本作はあのムーラン・ルージュを撮った監督が手掛けると聞き、20年代の浮かれたアメリカの豪華絢爛さが画面にこれでもかと再現されるのかと、期待と不安の相交じった気持ちで鑑賞した。あの演出は斬新だったが、あまりに多用されると、狂乱の20年代がひたすらに強調される、古き良きアメリカ礼賛の映像を見せられるだけではないかと。

結論としては杞憂であったばかりか、その演出が3D技術と相まって、実に見事な効果をあげていた。

パーティーの乱痴気騒ぎが、様々な角度と遠近感で表現され、観客がその場にいるように錯覚させるような効果。ギャツビーが対岸のデイジー宅を眺める、デイジー宅の霧に浮かぶ緑の灯台を映し出すシーンの、自分を見失った、20年代のロスト・ゼネレ-ションを体現したともいえる効果。

是非本作は3D版で観て頂きたいと思う。

映像効果だけでなく、衣装も20年代の今思えば奥床しくも、当時としては大胆極まりないモード再現しているし、一聴して、ジャズ・エイジの先鋭ぶりを表すには、当世のHipHopに偏りすぎと思える作中音楽も、現代のわれわれから聞くと、レトロ風情に聞こえてしまいがちな、当時の音楽を再現するのではなく、当世のJay-Zを起用することで、当時のジャズ・エイジのとがった感じが耳に流れ込んでくる。

俳優陣も見事である。

とくに、本作の肝である、ギャツビーの激昂場面は必見である。謎の富豪振り余裕の笑みで演じるディカプリオも素晴らしいのだが、激昂場面では、ナレーションでも殺人犯のようと述べられるほどの豹変した顔が見られる。面目躍如であり、ギャツビーとしてこれ以上望めないほどの配役である。

無論、脇を固める俳優陣も素晴らしい。ニック役のトビー・マグワイヤの抑えた演技は、一見、浮かれっぱなしに見える、この時代の背後に潜む虚しさや、ギャツビーの内面の空虚さを映し出しているし、デイジー役のキャリー・ミリガンも、体面を尊ぶ、か弱くもしたたかな当時の女性像にぴったりの演技である。

2013/6/15 ワーナー・マイカルシネマ新百合ヶ丘