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この国の未来に私や弊社ができること


金曜日の朝に流れた安倍元首相が銃撃されたニュースはかなりの衝撃を私に与えました。

そのニュースを私は八王子に向かう電車の中で知りました。
八王子駅に着くと、ちょうど日本共産党の候補者の方が街頭演説をしていました。私が通りがかった時、先ほど入ってきたニュースとして銃撃のことに言及されていました。暴力は許されない、私たちは議会で議論してこの国を良くしていく、とその方は熱弁をふるっておられました。

用事を済ませた私がコワーキングスペースで仕事をしていたら、安倍元首相が死去されたニュースが飛び込んできました。
そこから、ジワジワと私の中に衝撃が染み渡ってきました。何か大切なものが抜け落ちてしまったかのような。

その喪失感がどこから来るものなのか。私はその感情を持て余し、衝動的にバーに飛び込みました。
バーから出て八王子の駅に向かうと、読売新聞の号外が配られていたので一枚手に取りました。

帰宅した後も今朝になってもまだその衝撃は去りません。さらに一日おいても。
衝撃を受けた理由を自分なりに考えるため、本稿に著してみます。なぜ衝撃は去らないのか。

その前に私の政治的な立場を明らかにしておきます。
私はどちらかというとノンポリのその他大勢に属しています。特定の政党にも宗教にも属していません。シンパでもなく、オルグもされていません。
改憲には賛成の立場です。ただし、それは武力行使を許すためでなく、逆に専守防衛のために自衛の軍隊を持つことを条文に明記するためです。他にも施行当時にはなかった国民の権利の考えを今の時代に合わせてアップデートすべきだと思っています。多様性を重んじ、LGBTQ+も加味した憲法として。

安倍元首相は改憲に向けてリーダーシップを発揮しておられました。私は氏に改憲の可能性を感じていました。安倍元首相とは目指す方向が違う可能性はありましたが、私は期待し、応援していました。ところが、疑惑を招くような数々の行いがありました。あれには失望させられました。日本を変えたいのなら脇を甘くせず、一切の疑惑を招かないよう、注意深く振る舞ってほしかったと。

ですが、政治家も官僚も人間です。私は人間の能力では皆が完全に納得できる政策を立案し、施行するのは不可能だと思っています。
そして、誤りを犯さない人間もいません。安倍元首相は聖人君子のパーフェクトヒューマンではありませんでした。が、それが逆に、人間の強さと弱さを兼ね備えた名政治家の証だったと思います。

衝撃を受けた理由を考えてみました。

事件が起きたのが、私が三週間前に通りがかった大和西大寺駅の北口だったから何かの数奇な縁を感じたのでしょうか。多分違います。
事件の夜、私は大和西大寺駅前で一緒に飲んだ後輩に連絡しました。すると、その後輩はたまたま大和西大寺駅にいたらしく、駅の写真を撮って送ってくれました。いつもと変わらないであろう駅の様子を見て、私が感じた衝撃の理由が最近に訪れた場所だからではないことが分かりました。

では安倍元首相が有名だからでしょうか。これも違うように思えます。アメリカのケネディ大統領やジョン・レノンが撃たれた時の世間の反応もこのような感じだったのでしょうか。ですが、ジョン・レノンが撃たれた時、私は7歳でした。全く記憶していません。

アメリカ同時多発テロ事件のような、私たちがよく理解できない主義主張による凶行だからでしょうか。これも違うと思います。
今のところ、報道によれば犯人には、政治的な信条の他に動機があるらしいとのことです。多くのアンチを抱えていた安倍元首相ですが、アンチが主張する理由をある程度は知っています。その理由があったからこそ、もっとも安倍元首相が標的に選ばれやすかったことも。

では、日頃から起きている悲惨な事件や事故と今回の事件は何が違うのでしょう。何がこれほどに衝撃を与えるのでしょう。

私は、ネットの暴力がついにリアルを侵食し始めた怖さにあると思います。
今までも、わが国では暗殺が多数なされました。元首相や現職の首相も。テロもそう。平成にはオウム真理教が暴走し、令和でも京都アニメーションの放火が世間に衝撃を与えました。他にも通り魔事件や凶悪な犯罪は何度も発生しています。
ですが、こうした暴力は、私たちにとっては突発のものでした。犯人の中で人知れず憎悪が増幅していたにせよ、私たちがそれを知る術はありませんでした。オウム真理教による脅威はサリン事件の前から一部のマスコミで報道されていましたが、当時はまだネットが未開拓でした。世間にオウム真理教の内情は知られていませんでした。
戦前のテロは社会に不安が高まり、それが新聞などで報道された中で行われていました。ですが、当時はネットもなく、今の情報の広がり方とは明らかに異なっています。
今までの事件は、どれも事態が起こってから、動機を後追いしてさかのぼる種類のものでした。それは論理による振り返りです。

ところが、安倍元首相の場合、ネットの中でアンチの世論が形成されていました。中には見苦しい暴言も散見されました。
今回、犯人の動機が報道されています。それによると政治信条ではなく、私的な理由が動機だそうです。ガードが堅い特定団体の関係者を襲うかわりに、その団体とのつながりを報道されていた安倍元首相を狙ったと。
ここからは私の推測ですが、その団体とつながりがあると報道されたことが犯人の矛先を向かせたのではないかと。もしそうだとしたら、ネットに渦巻くアンチの声は、リアルへの緩衝効果どころか、犯罪を後押しした結果を招きました。

私は今まで、こうしたネット内のアンチの声を鬱憤の発散の場として許容し、甘くみていました。
ですが、たまり続ける鬱憤はリアルの場で暴発する。そのことが実証されたのが今回の事件だったと思います。その恐ろしさが私に衝撃を与えたのだと考えています。論理による振り返りを許さない現実の恐怖。

ネットが出現する以前のメディアや通り魔事件犯人の心の中は、いわば閉じた情報でした。ですが、ネットにあふれる情報は、社会に向けて開かれています。そうした情報は社会に広がっているため、希釈され発散され、凝縮して暴発しない。私はそのように油断し、勘違いをしていました。
犯人の行為は許せません。罪を償ってもらうのは当然ですが、それで終わらせず、社会をなんとかしないと。

このような事態が起こった今、私や弊社のような情報技術に携わるものはどうすれば良いのでしょう。
まず、確認しておきたいのは、今まさに進んでいる情報社会の流れは絶対に後には戻らないことです。これからも社会にはますます情報が流れ、あらゆるものがデータで表現されていくはずです。それは間違いありません。

多分、情報技術に関わる人は、私も含めてこれからも忙しい日々を送ることでしょう。
その時、技術者は個人情報を含む機密情報の扱いには細心の注意を図ることが求められます。ヒューマンエラーをなくすための仕組みの導入を含めて。
ただし、秘匿すべき情報を除けば、これからは逆に情報を開示していく時代になると思います。
すでにビットやバイトなどのパケットの仕組みやネットプロトコルなどのレイヤー1からレイヤー6までは規格が策定され、公開されています。レイヤー7のアプリケーションに関わる部分は私や弊社が関わる部分です。そこも機密情報を公開しない限りにおいて、求められれば開示できるよう、備えておくことが必要です。

これからは、情報は原則として公開するものというポリシーを持つことが私たちに求められます。いわば情報の民主化です。
情報が特定の組織や立場に握られない社会。誰もが公平に世の中の情報を享受できる社会。
国や民族や性別や宗教や信条や立場や門地によって与えられる情報が区別されない社会。
社会から疎外されたと感じる人がいなくなり、いかなるパーソナリティの方でもなじめるような社会。

そうした社会を創るためには、そうした方々にあまねく情報を配信できる仕組みを作らねばなりません。
また、あらゆる方がきちんと情報を扱うリテラシーを備えることも大切です。そのための教育も必要でしょう。
今回の犯人のように、自らの中の衝動に追い詰められる人を少しでも減らしていかなければ。

弊社も私もそのような社会が実現できるよう、努力していきたいと思います。

今日は参議院議員選挙です。私も投票してきました。
皆さんも投票の権利を行使し、社会に参加して、まずは身の回りから不満に思う部分を変えていってほしいと思います。
ただし、それには時間がかかります。すぐに世の中は変わりません。身の回りもすぐには変わりません。何年も何年もかけて変えていかなければ。
事件の翌日、私が好きな場所の一つである、世田谷の慶元寺を訪れました。そこで門前に掲げられていた標語をアップしておきます。何事も好転するまでには若干のタイムラグがあるのです。

末筆になりましたが、安倍元首相に心からの哀悼をささげたいと思います。あなたの死を無駄にはしないように。そして改憲への志を引き継いでいけるように。


昭和史のかたち


毎年この時期になると、昭和史に関する本を読むようにしている。
その中でも著者については、そのバランスのとれた史観を信頼している。
当ブログでも著者の作品は何回もとり上げてきた。

ただ、著者は昭和史を概観するテーマでいくつも本を出している。私もそのいくつ下には目を通している。概要を論じる本からは、さすがにこれ以上斬新な知見には出会えないように思う。私はそう思い、本書の新鮮さについてはあまり期待せずに読み始めた。

本書は、昭和史を概観しながら、時代の仕組みや流れを数学の図形になぞらえ、その構造がなぜ生まれたのか、その構造のどこがいびつだったのかを解き明かす試みだ。
つまり、文章だけだと理解しにくい日本の近代史と社会の構造を、数学の図形という媒体を使って、読者にわかりやすく示そうとする狙いがある。
図形を媒体として取り扱うことによって、読者は脳内に論旨をイメージしやすくなる。そして、著者を含めた数多くの識者が今まで語ってきた昭和の歪みがなぜ生じたのかの理解が促される。

図形に変換する試みは、私たちが事象を理解するためには有用だと思う。
そもそも、私たちは文章を読むと同時に頭の中でいろんな手段を用いて理解する。人によっては無意識に図形を思い浮かべ、それに文章から得たイメージを投影したほうが理解しやすいこともあるだろう。本書はそのイメージを最初から文章内に記すことによって、読者の理解を促そうという狙いがある。

私たちは昭和の教訓から、何を読み取ればいいのか。それを図形を通して頭に刻み込むことで、現代にも活かすことができるはずだ。

例えば第一章は、三角錐を使っている。
著者は昭和史を三期に分け、それぞれの時期の特色を三角錐の側面の三辺に当てはめる。
その三角錐の一面には戦前が、もう一面は占領期、残りの一面は高度経済成長の日本が当てはめられる。そして、それぞれの面を代表する政治家として、戦前は東條英機、占領期は吉田茂、高度経済成長期に田中角栄を置く。

ここに挙げられた三人に共通する要素は何か。
それは、アメリカとの関係が経歴の多くを占めていることだ。東條英機はアメリカと戦い、吉田茂は占領国であるアメリカとの折衝に奔走し、田中角栄はアメリカが絡んだロッキード事件の当事者。

三角錐である以上、底面を形作る三角形も忘れてはならない。ここにアメリカもしくは天皇を置くことで、昭和と言う激動の時代の共通項として浮かび上がってくる。
図形で考えてみると確かに面白い。
三角錐の底辺に共通項を置くことで、読者は昭和史の特徴がより具体的に理解できるのだ。
本書の狙いが見えてきた。

続いて著者は正方形を取り上げる。
具体的には、ファシズムが国民への圧迫を行う手法を、四つの柱に置き換える。
四つの柱がそれぞれ情報の一元化(大本営発表)、教育の国家主義化(軍人勅諭・戦陣訓)、弾圧立法の制定と拡大解釈(戦時下の時限立法)、官民あげての暴力(懲罰招集)に擬せられ、正方形をなすと仮定する。
その四つの辺によって国民を囲い、ファシズムに都合の良い統治を行う。
反ファシズムとは正方形の一辺を破る行為であり、それに対するファシズムを行う側は、正方形を小さく縮めて国民を圧してゆく。
当然のことながら、檻の中に飼われたい国民などいるはずもない。正方形の怖さを著者は訴える。今の右傾化する世相を憂いつつ。

続いては直線だ。
著者はイギリスの歴史家・評論家のポール・ジョンソンの評を引用する。著者が引用したそのさらに一部を引用する。
「発展を線的にとらえる意識はほとんど西洋的といってよく、点から点へ全速力で移動する。日本人は時間とその切迫性を意識しているが、これは西洋以外の文化ではほとんど例を見ないもので、このため日本の社会では活力が重視される」
著者は戦前の軍国化の流れと、池田勇人内閣による所得倍増政策と、戦後初のマイナス成長までの間を、一直線に邁進した日本として例える。まさに的を射た比喩だと思う。

続いては三角形の重心だ。
三角形を構成する三点は、天皇、統帥権、統治権になぞらえられている。
このバランスが軍の暴走によって大きく崩れたのが戦前の日本とすれば、三角形を持ち出した著者の意図は明確だ。三点の動きによっていびつになる様子が理解できるからだ。
統帥権の名のもとに天皇を利用し、なおかつ統治権を無視して暴走したのが戦前の軍部であり、軍部の動きが著者の描く三角形の形を大きく崩してゆく。
天皇を三角形の頂点にし、左下の一点だったはずの頂点が上に移動し、天皇をも差し置いて高みに登ろうとしたのが戦前のわが国。著者はそもそも三角形の上の頂点が天皇ではなく統帥権にすり替わっていたのではないか、とすらいう。不敬罪が適用されるべき対象とは、あるいは戦前の軍部なのかもしれない。

続いて著者が取り上げるのは、三段跳びだ。ここにきて数学とは離れ、スポーツの概念が登場する。
ところが、著者は戦前の若手将校の超量が飛躍していく様を三段跳びと称し、増長に増長を重ねる動きを当てはめる。
そろそろ図形のネタが尽きてきたようにも思えるが、著者はさらに虚数の概念まで持ち出す。
そもそもの思想の根幹が虚があり、それゆえに数字を乗じようと掛けようと足そうと、何物も生まれない軍部の若手将校に痛烈な皮肉を浴びせている。三段跳びも踏み板が虚無であれば飛べないのだ。

続いては球。
完全無欠の球は、坂道を転がり始めると加速度がつく。これは物理学の初歩の初歩だ。
ここで言う加速度とは、魂の速度が無限に増える事象を示す。ちょうど戦争へ向けたわが国のように。著者のいう球は日本が突入していく戦争と破滅の道の上を走る。
著者は、「昭和という時代を詳細に見ていると、意外なほどに社会に波乱が少ない。」(85p)と言う。つまり、著者に言わせれば昭和とは、完全な球のような状態だったという。だからこそいちど弾みがついた球は誰にも止めようがなく、ひたすら破滅の淵に向かって突き進んでいったのだろう。

では、球に勢いをつけるためには、どういう成果があれば良いだろうか。それは派手な緒戦の大戦果だ。真珠湾攻撃はまさにそうして望まれた。
その決断は、わずか重職にある数人が知っていたにすぎない。この大戦果によって、国のムードは一気に最高潮になり普段は理性的なはずの文士ですら、われを忘れて喜びを連呼する。
その球の内部には、何があったのか。実は何もなかった。ただ目的もなく戦争を終わらせる見通しすらないまま、何かに向かって行動しようとしていた見栄だけがあった。

転げ落ちた球はどこかでぶつかり、大きく破壊される。まさにかつての日本がそうだったように。

S字曲線。
著者が次に持ち出すS字曲線は、言論を対象とする。
S字曲線と言えば、関数のややこしい式でおなじみだ。
縦横の座標軸で区切られた四つの領域を曲がりくねったS字曲線はうねる。そして時代の表と裏を進む。戦前のオモテから戦後のウラへと。戦前のウラから戦後のオモテへと。
敗戦をきっかけにがらりと変わったわが国の思想界。著者はそれを、オモテの言論とウラの言論と言い表す。
戦後になって太平洋戦争と呼ばれるようになったが、敗戦までは大東亜戦争と称していた。その言い方の違いは、国が、戦争の大義と言い方のレトリックに過ぎない。

著者は最近、右傾化が進むわが国を歴史修正主義という言葉を使って批判する。そうした思想の論じられ方一つで、歴史の表と裏が繰り返されると言いたいかのようだ。S字曲線のように。

著者が続いて取り上げるのは座標軸だ。
座標軸とは、戦争に参加した人々が自らの戦争体験を表す場合、どのような階級、どこの組織に所属していたかによって分布を見る際の基準となる。多くの人々によって多様な戦争の体験が語られているか。それを著者は分布図を使って分析する。
例えば、後方から戦術を立案する高級将校による体験記の記述の場合、そうした現場を知らない人々が語る言葉には、実際の戦争の姿が描かれていないと批判する。
それに比べ、最前線で戦った戦士の手記が世に出ることは驚くほど少ないと著者は指摘する。
そうした不公平さも、分布図に表すと一目瞭然だ。

続いて自然数。
ここでいう自然数とは正の整数の中で、1と素数と合成数からなる数だ。
1は自分自身しか約数がない。素数は自分と1以外に約数のない数だ。合成数は約数が3つ以上からなる数だ。
つまり数を構成する要素がどれだけあるかによって、その対象を分析しようという試みだ。
多彩な要素が組み合わさった複雑な要素、つまり約数が多くあればあるほど、その要素となった数の要素は色濃く現れる。例えば、素数のように約数が少ない関係は、二国間の国民間の友好的交流がない状態と例える。逆に合成数が多い場合、二国間の国民間には、さまざまな場面での交流がある状態と例える。

多彩な交流があればあるほど、二国間の友好度は盤石なものとみなせる。
だが、素数のように要素となる数が少なければ少ないほど、政府間の交渉が決裂した途端、他に交流をつなぎ留めるものもなくなる。つまり、国交断絶状態だ。
かつての日本とアメリカの関係は、戦争の直前には素数に近い状態になっていた。今の日本と中国、日本と韓国、日本と北朝鮮の関係もそう。
この分析は、なかなか面白いと思った。
本書のほかでは見かけたことのない考えだ。ここに至って、著者の試みる国際関係や歴史を数学の概念で表す試みは、成功したと言える。

最終章は、平面座標。
ここで著者は、昭和天皇の戦争責任を題材に取り、天皇が法律的・政治的・歴史的・道義的・社会的に、どのフェーズにおいて責任があるかをマトリックスにして分析する。
責任のフェーズとは、臣民の生命を危機に陥れた、臣民に犠牲を強いた、終戦、敗戦、継戦、開戦のそれぞれを指す。
著者のこの分析は、著者の他の本でも見かけたことがある。

昭和天皇が考えていたと思われる戦争責任
法律的 政治的 歴史的 道義的 社会的
臣民の生命を危機に陥れた
臣民に犠牲を強いた
終戦
敗戦
継戦
開戦

昭和天皇が考えていたと思われる戦争責任(保阪案)
法律的 政治的 歴史的 道義的 社会的
臣民の生命を危機に陥れた
臣民に犠牲を強いた
終戦
敗戦
継戦
開戦

上記の表の通り、著者は昭和天皇に相当多くの戦争の責任があった、と考えている。
ただし、この図を見る限りでは厳しく思えるが、当初は戦争に反対していた天皇の心情はこの章の中で、著者は十分に汲み取っているのではないか。

私は個人的には昭和天皇には戦争責任はあると思う立場だ。それはもちろん直接的にではなく、道義的にだ。
もちろん、昭和天皇自身が戦争を回避したがっていた事や、消極的な立場だったことは、あまたの資料からも明らかだろう。
そこから考えると、私が思う天皇の政治責任は天皇自身が考えていたようなマトリックス、つまり上の図に近い。

読者一人一人が自らの考えを分析し、整理できるのも、本書の良さだと言える。

‘2019/9/1-2019/9/4


大人のための社会科 ー 未来を語るために


技術書を買いに来た本屋で、もう一冊経営に関する本を買い求めようとした私。ところがどうしてもビジネス書よりも人文科学書に目が移ってしまう。そして平積みになっている本書を見つけた。もともと新刊本はあまり買わない私。だがそれだけに買った本には愛着がわく。成り行きで手に入れた本書は収穫だった。刺激を受けただけでなく、新たな知見も得られた。

そもそも私が社会学に特化した本を読むのは初めてだと思う。私が大学で学んだのは商学部だったし。もちろん学際的な視野を身につけるため、他の分野の本も読んだ。経済学、経営学、会計学はもちろん、文学、史学、心理学、政治学あたりまで。経営者になってからは実務の法律知識にも目を通すため、法学にも手を出した。だが、社会学については私の記憶では系統だった本を読んだことがなかった。

私が通っていた大学には社会学部もあった。それなのに社会学が何を学ぶ学問なのか、さっぱり知らなかった。そもそも、社会学が指し示す「社会」が何か分かっていなかった。世間知らずの学生の悲しさといえばよいか。だが、本書を読んで社会学の一端に触れられた気がする。何しろタイトルに社会学と銘打たれているぐらいだから。タイトルに社会学を含んでいるものの、本書の取り上げる範囲は社会学だけに限らない。政治や経済、心理学も含めての社会学だ。つまり、本書でいう社会とは、私たちが生きるこの社会を指している。未熟な学生時代には社会が何かがわからなかった私だが、今はだいぶ分かるようになった。そして、本書がいう「社会」が、われわれが生活を送る上で欠かせない社会であることも分かる。生活に即した社会であり、より良い人生を送るために欠かせない社会。本書は実の社会を取り上げているため、好意的に本書を読めた。

本書がなぜ社会についての本だと思えたのか。それは多分、本書の視線が未来を見すえているからではないだろうか。未来を見なければ今の日本に必要な視座はわからない。本書のいう社会学は、未来を含めた社会学だ。過去だけでもないし、現在のみでもない。未来を見ている。だから現在の日本の課題も明らかにできる。今の日本の課題を社会学を通して的確に把握することにより、本書は、社会学が日本のこれからを考える上で有効な学問であることを示している。

本書は以下のような構成になっている。各章に振られた簡潔な単語は、本書が視野に入れるべきと判断した課題だ。それは社会学が扱える範囲だ、と宣言した課題でもある。それを四つの部でさらに大きく区分けしている。

第Ⅰ部 歴史のなかの「いま」
 第1章「GDP」
 第2章「勤労」
 第3章「時代」

第Ⅱ部 <私たち>のゆらぎ
 第4章「多数決」
 第5章「運動」
 第6章「私」

第Ⅲ部 社会を支えるもの
 第7章「公正」
 第8章「信頼」
 第9章「ニーズ」

第Ⅳ部 未来を語るために
 第10章「歴史認識」
 第11章「公」
 第12章「希望」

例えばGDP。GDPといえばGross Domestic Product、つまり国内総生産のこと。経済指標の一種だから、経済学に属する言葉と思われがち。だが、著者によると、社会学の文脈からもGDPは考察に値する概念だという。GDPとは社会の良さを表しているのか、という問いにおいて。というのも、GDPが計上するのは全ての生産物の付加価値なので、マイナスからの復旧もGDPに計上されるからだ。例えば病気の治療費、災害の復旧工事など。だが、それらは社会の良さを上向かせていない。また、国によっては違法な犯罪から生まれた生産物もGDPに計上しているという。例えば銃器や麻薬、密輸品など。それらが社会の良くしないことは、論じるまでもない。そして、シェア・エコノミーの広がりも、GDPの上昇に寄与しない。

そうした点から考えると、社会にとっての良さを測る指標はGDPの他にあるはず。そこで国連開発計画はHDIという指標を提案している。また、ブータン王国は国民総幸福量という指標を発表し、GDPやGNPが重んじられる風潮に一石を投じている。さらには、指標値をどうやって計上するかもさまざまな手法がある。例えばそれぞれの指標を足し算で求める場合(功利主義基準)、掛け算で求める場合(ナッシュ基準)、最小値で求める場合(マクシミン基準)で求める場合、それぞれで同じ指標でも結果に差は生じる。つまり、GDPとは経済学の文脈でみれば有効であっても、社会学からみれば不十分なのだ。第1章「GDP」からすでに本書は社会学の意義を存分に主張する。

第2章「勤労」も、経済学や法学の範疇で扱われることが多い。経済学では古典経済学で勤労の概念が扱われているし、法学では憲法27条にも勤労の義務が謳われておりおなじみだ。ところが本書は社会学の観点で勤労を語る。日本国憲法では、真面目に労働に勤しむことを国民の義務と定めている。それは言い換えれば、義務を果たさない国民に対し、国が生活を保証する義務がないことに近い、と著者は言う。そこから考えると、実は日本とはかなりの自己責任社会なのだ。その視点は社会学ならではのもの。新鮮だ。日本国が国民に対して提供する無償のサービスも、外交、安全保障、教育の三つだけ。これは先進国の中でも少ない部類だそうだ。

本章で示された観点は、さらに引き延ばして考えてもよい。例えばベーシックインカムが日本で根付くのかという議論にも適用できるだろう。今まで民の手で生活をまかなって来た日本人にベーシック・インカムの考えが行き渡るのかという論点で。あと、日本人がなぜこれほどまでに企業に忠誠を尽くすのか、という議論にも使える。国が生活の面倒を見てくれないから企業がその替わりを担って来た歴史も踏まえると、企業への忠誠は今後も根強く残り続けるはず。

続いての第3章は「時代」と題されている。ここには、史学はもちろんのこと、政治学、経済学が含まれる。ここでは時代区分をどう分けるかに焦点を当てられている。時代区分とは古代、中世、近世、近代と時代を区分して考える手法だ。だが、この区分は切り取り方によって変わる。例えば政治体制によって絶対王政や貴族制、立憲民主主義で分けられる。社会体制の変遷によっても区分できる。農奴制や封建制。また、経済体制でも考えられる。狩猟、遊牧、農業、商業の段階によって。もちろん、資本主義や社会主義といったイデオロギーの観点でも区分できるはず。

重要なのは、そもそも区分の仕方自体が、時代によって変化するという指摘だ。あらゆる価値は絶対でない。当たり前だが、日々の生活ではついそのことを忘れてしまう。これは常に肝に銘じておかねばならないことだ。鎌倉、室町、安土桃山ときて江戸、という区分けは私たちにとって常識だ。ところが時代がもっと先を行けば、その区分も変わるだろう。私たちにとっては激動だった明治、大正、昭和すら、未来では違う区分名で括られているかも。

次の第4章「多数決」からは、第二部「<私たち>のゆらぎ」に入る。今の社会が本当に理想的な姿なのか。それを問い続けることに社会学の意義はある。そして人類の歴史とは理想的な社会を求めた日々だ。理想の社会を求め、揺らぎ続けた過ちと失敗。その積み重ねこそが人類の歴史だと言い換えてもよい。社会のあり方をどうやって良くするか。それは、人々がどうやって意思を決定するかを考え続け、試みて来た歴史に等しい。だが、理想的なやり方はいまだ見つかっていない。もちろんいくつかはある。その一つが多数決だ。一見すると多数決による意思決定は合理的に思える。だが、内情を知れば知るほど理想的な解決策だとは思えなくなる。

多数決が理想的な意思決定手段なのかどうかは、今までに何度も行われた選挙の度に議論されてきた。たとえば三択の場合、第三位に投票された票数によって、第一位と第二位が入れ替わることがある。それを改善するため、再び一位と二位で投票を行う決選投票と呼ぶ方法がある。また、有権者が一人一票を投じるのではなく、候補者にランクを付け、その点数によって当選者を選ぶボルダルールと呼ばれる方法もある。単純な多数決で選ばれた結果と決選投票で選ばれた結果とボルダルールで選ばれた結果が違うことは、本章でも簡単な例として理解できる。また、評価の対象によっても結果は変わる。総合評価とそれぞれの政策ごとで投票する場合も、結果に差は生じることが例に示される。それをオストロゴルスキーの逆理という。とても興味深い一例だと思う。

私がパンと膝を打ったのは、コンピューターの父であるフォン・ノイマンの多数決原理が紹介されている箇所を読んだときだ。ノイマンは電子回路にはエラーが起こると考えた。だから複数の回路の処理結果の中で多数決をとり、導かれた結果に基づき後続の処理を進めた。つまり、ロジックの権化であるコンピューターの動作原理にも、あいまいな多数決の論理が含まれている。これはとても参考になる知見だと思う。

曖昧だから、多数決で意思が決定が確定される危険も先人たちは認識してきた。たとえば我が国では、基本的人権に関する法案の制定は憲法で禁じられている。それは、多数決のあいまいさをよく認識した叡智のたまものだろう。そもそも我が国の憲法自体が、改定するための手続きをかなり厳しくしている。それがあまりにも厳しいため、現内閣が意図する憲法改正も、まずそこから着手しようと考えている節があるくらいだ。結局、私たちは多数決原理が必ずしも最善ではないことを念頭に置きながら、日々の決断を下すしかないのだろう。

つづいて著者は、「運動」と名付けられた第5章で、選挙によらず社会を変える方法について記す。運動とは、主張を通すため集団で集まることを指す。選挙で選ばれた代議士が、立法に関わり、それが法律となって国民の生活を縛る。その道以外にも、運動によって立法に基づいたさまざまな政策を変えさせることもできる。憲法第21条にも集会の自由として謳われている。著者は江戸時代の百姓一揆から、明治時代の負債農民騒擾、2015年の安保反対デモを例にあげ、時代や集団によって変わり得る「正統性」を議論する。この「正統性」が揺らぐため、ある時代では正義だった主張が今は違ってくる。本章には”SEALDs”も登場する。いっとき話題となった学生による安保反対の運動だ。著者はSEALDsの主張の是非を問わず、あくまでも中立に運動の現実を論じる。だが、そもそも”SEALDs”の主張が正当性があるものなのかどうかは問われなければなるまい。”SEALDs”は終わりを迎えたが、終わったことを彼らの主張に正当性がなかったからと決め付けるのも良くないと思う。今の世の中は多様性を重んじる方向に向かっている。正当性が求めにくい社会にもなっている。”SEALDs”に限らず、運動に正当性を与えることが難しい時代だ。運動を成り立たせること自体が困難な時代。

続いての第6章「私」では、「社会問題の個人化」がテーマだ。それを説きおこすため、著者は前提から話を進める。その前提とは、多数決と運動が、世の中に個人の主張を反映するため、必ずしも最適なやり方ではないという実情だ。そのため、個人の意思を発揮できにくい無力感が、今の若者に漂っていると指摘する。”SEALDs”も活動を終え、選挙権が20歳から18歳に引き下げられた後も、その無力感は変わらない。むしろ若者に関していえば年齢が上がるにつれ政治に対する無力感が濃くなるらしい、という調査結果もあるらしい。それは、集団から個人へと利害の対象が変わってきたためだと著者は喝破する。確かに、歴史の流れを眺めると争いの多くは、集団の利害が絡んでいた。百姓一揆もそうだし、フランス革命もそう。だが、今は多様化の時代。集団で共通の利害を持ちにくくなっている。集団で活動する”SEALDs”はむしろ珍しい存在なのかも。集団よりも一人の個人が抱える状況によって利害は大きく揺れる。それを著者は「社会問題の個人化」と言い表している。「社会問題の個人化」は、SNSが今の世でこれだけ支持されている理由でもあるのではないか。私にとってSNSを通した自己顕示のあり方とは、常に関心の高い話題だ。そして「社会問題の個人化」を頭に入れ、SNSを眺めるとそのことに合点がいく。匿名の発信に逃げてしまう理由も。

個人の自由には孤独と責任が伴う。エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の一節だ。フロムは問う。ナチス・ドイツになぜあれほどのドイツ国民がなびいたのか、と。それは個人が与えられた自由を負担として扱いかね、強大なリーダーシップに自由をゆだねたことにある。フロムはそう分析した。自由を持て余す個人。リスクや冒険を苦痛に感じ、自由を与えられるぐらいなら、束縛を望む人もいてもおかしくない。ところが世の中の流れは、個人に自由を与える方向に進んでいる。会社も多様化を許容しつつ、成長に向けて社員をまとめなければならない。その時、個人はどうやって自分に与えられた自由を扱うか。それを持て余しているのが大多数だと著者はいう。その問題はこれからも人類の歴史に付いて回ることだろう。今よりも個人の自由には孤独と責任が伴うことが増えていくはず。

最後に著者は東浩紀氏が提唱する「一般意思2.0」を紹介する。「一般意思2.0」とは、今の民意のありかがネット空間の言論の中にこそ見いだせる、という仮説だ。もしそうだとすると、今はまさに黎明期にあたるはず。当ブログも私なりの意見発表の場であり、自己顕示の場になっている。私の書いた文も、一般意思の一つとして生き残り得るならば、マスターベーションで終わらないだろう。一般意志の一端として、何かしら書く意味が生じる。望むところだ。

第7章「公正」からは「第3部社会をささえるもの」として、価値観について取り上げる。「公正」とは何をもって判断すれば公正なのか。それはもちろん、おのおのの受け止め方によって変わる。では、客観的に見た「公正」は存在しないのだろうか。著者はここで『バビロニアン・タルムード』とアリストテレスが説いた公正の概念を紹介する。二つの概念から導かれた公正の割合は同じ例題を扱っていてもかなりの隔たりがある。特にタルムードの公正から導かれた結果は、今の私たちの感覚からするとかなり奇妙に思える。だが、本章で解説されるタルムードの公正は、それで理にかなっていることが分かる。つまり「公正」とは採用する計算の方法や文化の共通認識に応じて変わるのだ。

これは例えば議決の票数についても当てはまる。一人当たりの票数を所持する株数に応じて与えるべきか、それともあくまで一人一票に限るのか、という議論だ。また、課税の考え方にも公正の考えは適用される。一人当たりの税額を一律にするのか、所得に応じて累進的に課税額を変えるのか、全ての所得を比例で考えるのか。それによって課税額は変わる。公正とは私たちの生活にモロに直結するのだ。そればかりか、もともと私たちは公正についても、ある傾向で捉えているらしい。「公正に扱われたい」という感情として。それを著者は、最後通告ゲームという経済実験で立証されていることを紹介する。最後通告ゲームで示された結果は私にとってかなり参考となった。なぜなら私は値付けがうまくないからだ。どうも低い額を見積もってしまう。相手にとっては有利な、こちらには不利な額を。値付けを低くする傾向にある人は、幸福感が高い=セロトニン値が高いという実験結果もあるらしい。本当だろうか。

第8章「信頼」で示された内容も私にはとても参考になった。日本人は他人を信頼する率が他の先進国にくらべて低い。それは日本が信頼社会でなく安心社会だから、という山岸俊男氏の論を知ったのは、この章からだ。ある個人が信頼できるかどうかは、その個人がその組織にどれだけ長く属しているか。それは長く受け入れられていること、つまりその人物が安心できる人物であるかどうかの尺度だ。それが日本にでは特に強いと山岸氏は説いている。逆に言えばそれは、組織を飛び出した人間が、周りからは安心を得られないため、個人的に信頼してもらうよう努力するしかないことを意味する。だが信頼の考えが日本には根付いていないため、日本で信頼を勝ち得るためのハードルは高い。そして独立・起業に対する難易度も高い。私はこの論にとても刺激を受けた。昨年、とあるブログでも起業のための一章の中でこの論を紹介した。

信頼の概念は他の学問ではあまり取り上げられていないようだ。そのため社会学で信頼を取り扱うようだ。本章ではさまざまな学者の論を紹介する。その中で多かったのは信頼がないと仕事も生まれない、つまり資本主義の発展には信頼の有無が大いに関係するという指摘だ。これはAirBNBやUberといったシェア・エコノミーの発展にも欠かせない。また、私のような独立した者にとっては、仕事の取り方やネットワークの構築の仕方、また、組織の構築にあたってとても重要な考えだ。山岸氏の本はきちんと読まねばなるまい。本稿を書いたことをきっかけにあらためて探してみたいと思う。

第9章「ニーズ」も重要な章だ。なぜ弱者を助けなければならないか、の問いから始まる本章は、社会そのものの存在意義を説いている。なぜ社会が成立するのか。それは人が一人で生きるには自然は過酷だから。だから集団で生活する。それが生き延びるためには最善な方法である。この考えは歴史学でも人類学でも登場する。そして人が生きていく上ではさまざまな必要(ニーズ)に迫られる。

そのニーズは人によっても、時代によっても、属する集団や場所によっても違う。集団に求められる共通のニーズを見いだすのは難しい。そして、そのニーズがどうやって満たされるのかを測ることも難しい。それを人類は貨幣の発明や、税の義務を課すことで解決してきた。一律で集め、なるべく公正になるように分配したのだ。だが、公正が難しいことは、今までの章で解説されてきた通りだ。

そこで個の利益よりも集団の利益を考えることで、人々は社会を維持しようと試みた。弱者をいたわらなければ、自分がその立場になった時に不利になる。「情けは人のためならず」だ。皆のために税を払ったほうが、結果的に自分にとって利益が大きくなる。もっとも、それは理屈ではわかっていても、それを実践することはなかなかできない。

最低の位置にいる人だけに最低限度の保証をするのか、全員に向けて厚みのある保証を施すのがよいか。あるいはその間のどこかか。それは大きな政府、小さな政府という政治学の領域で論じられる問題だし、ベーシック・インカムの導入については経済学の範疇でもある。ただ、それらは全て社会のあり方を考えると同じ分野に属するのだ。ここまで読んで来ると、社会学とは学問が個別化してきたため、カバーしきれなくなった人々の社会を繋ぎ止めるための学問であることが見えてきた。

第10章「歴史認識」からは「未来を語るために」というテーマが論じられる。未来を語るにはまず過去の歴史をきちんと認識しなければならない。それは歴史学が常に考えているはずのテーマだ。だが、第二次大戦の間のわが国民の行いは、70年以上たった今でも論争の対象となっている。南京事件や従軍慰安婦、その他の虐殺や731部隊の人体実験。それらが事実としてどうだったのかを正しく認識することが重要なのはいうまでもない。だが、実際のところは、イデオロギーの対立の道具や、国際政治のカードとして使われているのも確かだ。

著者も従軍慰安婦問題のいきさつや論争を紹介し、このように結論付けている。「しかし、それが人々のあいだに深刻な亀裂をもたらさないようにするためには、まず出来事レベルでの認識を共有し、解釈レベルでの対立が一定の範囲内に収まるようにする努力が必要なのです。」(187-188P)

まだまだこの問題が収まるには長い時間が必要だろう。だが、もしもう一度同じ過ちを起こさないためにやるべきなのは、アーカイブズの運用を始めることだ。本章の前半でもさまざまな公文書(アーカイブス)を保管する施設が紹介されている。いったい、私たちはあらゆる物を捨ててしまいすぎる。かつては軍機に触れるため、今は断捨離やシンプル・ライフの名の下、貴重な資料となるはずの書類が顧みられず捨てられ続けている。日本は土地が狭いとの制限があるかもしれないが、日本もアーカイブズの考えを身に着けねばならないと思う。私はそう思い、以前から自分の人生をライフログの形で貯め続けている。もっともそれを私が見返すことはあまりないし、将来の人々に役立つのかは心もとないのだけれど。

第11章「公」では、プライベートとパブリックの対比を取り上げる。日本では公共性に相当する言葉がないのと同じく、英語でも公共性を表わす言葉がないらしい。公と私の区別は、大人になれば否が応でも意識せざるをえない。私の場合は、公私を区切らないようにしている。だが、この考えは少数派だろう。日本人は公私をとにかく分けたがる傾向があるようだ。

本章はそのあたりを詳しく見ている。さらに、社会が人口の縮減期にはいると、公共性が生まれる傾向にあることも指摘する。それは今までの歴史からも明らかなようだ。そして、これからの日本の人口は必ず縮減する。今までのイケイケな高度経済成長期では軽んじられてきたが、将来は公共性が求められるはず、と占う。公共性の発露はどういう具体性を持って現れるのか。本章では二つの団体の事例を取り上げている。常陸大宮市の医療法人博仁会と、福山市のNPO法人地域の絆だ。そこで挙げられる職員への育児休暇などの制度を手厚くする施策や、地域の高齢者に対するケアの実践は公共性の一つのあり方だろう。他にも高知県の限界集落で自然発生した助け合いのエコシステムの事例も挙げられている。

私の知る会社ではサイボウズ社がまさにそうした取り組みで知られている。そして事業の一つとして社会への還元を掲げる会社も少しずつ増えつつある。公共との連携は、以前から私も考えていることだ。具体的には自治会との連携だが、まだまだ採算の面ではめどがつかない。そもそも非営利団体に潤沢な予算がない以上、こちらも身銭を切らなければならない。それが実情だ。そこをどう進めるかは試行錯誤中だ。企業のCSRという言葉が市民権を得ている今でも、取り組みが実を結び始めるには時間があるかかるはず。本章はそれを理論的に支えるために、もう少し読み込んでおきたいと思う。

第12章「希望」は、まとめとなる章だ。今、未来がみえない。私たちの誰もがそう感じている。人工知能の脅威や地球環境の激変を指摘する論者もいる。日本の場合、未来に向けた不確定要素が少ないため、諸外国よりも対処のやりようがあると説く論者もいる。

本章では、希望と幸福に焦点を当てている。幸福とは現時点で感じる心の状態。希望とは未来の時間を含んでいる。つまり、今ではなく常に未来に目を向ける。「まだーない」ものを考える。それが希望だと本章は説く。今はまだなくとも未来にはあるかもしれない。それこそが希望。もちろん、ただ待っていても希望は叶わない。未来を変えるには正しい方向への努力がいる。だが、今の出来事が未来に影響するのであれば、今、正しい向きへ何かを成せば未来は必ず変わるはず。希望とはそうしたものだ。

本稿を書くため、あらためて本書をつまみ読みした。あらためて、本書から得る物はまだまだ多いと感じる。社会学とはどういう学問かがわかっただけでなく、ビジネスや生き方の観点でも役立つ情報が多かった。本書は社会学が何かを知らない方にこそお勧めしたい。

‘2017/09/19-2017/09/29


安保法案成立後の無関心について


先日、安保法案が可決されましたね。

安倍政権にとっては重要な一歩だったと思います。また、国会議事堂の周りでシュプレヒコールを上げていた方々にとっては残念な結果となりました。

のっけから結論を言います。
「安保反対するのなら、可決後もその思いを貫き、安倍政権を牽制するだけの気概をもって頂きたい」
これです。

とはいっても、私、別にデモ隊の方々の主張に賛成するわけではありません。むしろ反対です。また、私は安保法案、特に集団的自衛権にも反対の立場です。安保法案の可決前夜には、国会議事堂まで行って野次馬として高みの見物をしました。見物して、そして失望しました。

1960年の安保反対運動のうねりは、安倍首相の祖父を退陣に追い込みました。そればかりか、時のアイゼンハワー米大統領の訪日をも阻んだと聞きます。私が生まれる前のことですが、さぞや熱気に満ちていたことでしょう。国会周辺を幾重にも取り囲むデモ隊。女子学生の死去。そこには確かに時代の潮流が渦巻いていたと思います。不謹慎なようですが、私もその現場に立ち会い、時代の潮目が変わる瞬間に立ち会いたかったと思います。

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その思いから、今回は野次馬との批判も甘んじて受けるつもりでデモ現場に行ったのですが・・・そこはただの祭りの場でした。単調なフレーズの連呼と鉦や太鼓のリズムで飾られた場。そこらの路上に神輿が鎮座していたとしても、全く違和感のない雰囲気。国会議事堂を囲んで訴えるというよりは、国会議事堂という御神体を祭り上げる祭祀の場となっていました。

あの1960年もこんな騒がしく賑わう祭りのような雰囲気だったのでしょうか。そうは思いたくありません。それとも私が抱いたこの思いは、平和な時代の申し子のとるに足らぬ感傷に過ぎないのでしょうか。

あのころの日本は、確固とした方針を持っていませんでした。朝鮮戦争の軍需景気にわき、GHQの軛から解かれたとはいえ、もはや戦後ではない、と白書で啖呵を切らねばならぬくらい、敗戦後を引きずっていました。まだ日本の進む道を選べるだけの国力もなく、未来はあいまいなままでした。このまま、ソ連を仮想敵として、アメリカの庇護に甘んじるのか、それとも、敗戦の事実を噛み締め、アジアの中流国家として傷が癒されるのを待つのか。

結果は岸首相がデモと刺し違える形で首相を辞任し、新安保条約は成立しました。跡を継いだ池田首相は所得倍増計画をぶちあげ、経済立国日本としての名乗りを挙げました。今の我々の繁栄は、間違いなくその結果でしょう。デモに破れたとはいえ、人々は必死に働き、奇跡とも言われる高度経済成長へと我が国を導きました。私がこんなことを書けるのも、私の祖父母や親の世代の努力あってのものです。

IMG_1902IMG_1903可決から10日ほど経った今夜、祭りのあとを見物に行きました。そこは、見事なまでにがらんどうでした。熱気どころか、秋の夜風が気ままに吹くだけの。この空虚な感じこそが、あのデモで騒々しく鳴らされていた鉦やコールや太鼓の残響なのでしょう。メッセージの軽さを象徴するかのように、そこには余韻すら感じられませんでした。

寒々しさすら覚える空っぽの路上から、55年前のデモが起こしたような我が国の未来は占えるのでしょうか。大いに不安です。今回のデモはそもそも、背後に何もありませんでした。闇雲に戦争反対を唱えたところで、55年前と違い、全く説得力はありません。近所のエキセントリックな独裁者は核開発ごっこに夢中で、さらに、巨大な人口と国土を持つ中華思想の国は、覇業への野心を隠そうともしません。その上、かつては強大な力と意思を持っていたGHQの親玉は、世界の警察ごっこに疲れ、その警ら業務の一部を我が国に肩代わりさせようとしています。そして我が国は勢いが衰えたとはいえ、世界第三位の経済大国となっており、米国の替わりに警らが出来るほどの経済力を持っています。

今は、1960年とはあまりにも違ってしまいました。当時デモに参加した人々は、戦禍の悲惨さを夜毎の悪夢で繰り返し体験していました。そういった人々が唱える安保反対と、今のデモ隊が単調に唱える安保反対は、重みが全く違います。しかも、戦争反対の呪文をいくら唱えても、裏側に具体的な戦争反対のための対案がない以上、結果は見えています。残念ながら、我が国の隣人は、お花畑の住人でも聖人でもありません。

誰だって戦争には反対です。だからこそ、戦争に巻き込まれないような手立てを講じるしかないのです。憲法は改正し、自衛隊を「国を守る軍隊」として定義する。いざ、事有らば、即座に対応できるだけの制度を整える。国防を放棄し、隣人の善意を信じるなど絵空事でしかありません。

一方、かつての我が国は他国を侵略する過ちを犯しました。これは残念ながら認めねばならないでしょう。なので、憲法で自衛隊を軍隊として認めたのであれば、その軍隊が再び外国を侵略することのないようにしなければなりません。今の自衛隊の装備は専守防衛にカスタマイズされていると聞きます。しかし、魔が差す指導者が将来現れないともかぎりません。そのため、国外での武力行使を厳禁するような憲法の規定は欠かせません。日本は地勢的に外に打って出られない宿命を背負っています。それは歴史上からも明らかです。明らかであっても日本が再び侵略国としての汚名を着ないように憲法で宣言することは必要でしょう。

その意志を体現し、睨みを利かせる重石として、今回のデモに参加された方々にはシラケることなく活躍して頂きたい。無意味な戦争反対の呪文を唱えるだけでは軽すぎて重石たりえません。

今の我が国は、アメリカが辛うじて睨みを効かせてくれているからなんとか外交が持っているように思えます。しかしその庇護はいつ外れてもおかしくありません。特にアメリカのイエローストーン国立公園地下にあるとされるスーパーボルケーノ。ここの破滅的噴火はいつ起きても不思議ではないといいます。万が一の際は、アメリカの国土の大半は灰に埋もれるとも聞きます。そうなった場合、アメリカには最早日本を助けるだけの余裕はないでしょう。

その時に日本が日本自身の決断で防衛出来なかったら、どうなるでしょう。竹島や尖閣諸島を奪われるだけでは済まないかもしれません。再び他国を侵略しないと謳った崇高な憲法も、無意味な紙切れに化けてしまいます。

そうはなりたくないですよね。

少なくとも、ネット越しではなく、実際に足を運ぶだけの思いがあったのであれば、安保法案が可決されたからといって一気に無関心になるのではなく、引き続き政権を牽制するだけの極になって欲しいと思います。たとえ理は政権側にあろうとも、一度パワーバランスが偏ったらそれを平衡に戻すために、どれほどの苦労を強いられるか。古来からの我が国の歴史がそれを証明しています。


70年目の沖縄を考える


先日、6/23は沖縄戦が公式に終結して70年目の日でした。

沖縄といえば、普天間基地の移設問題が議論されています。民主党が政権を担う前から決着がつかぬまま、時間だけが経っています。正直に言って、この議論には本土に住む者として違和感を覚えざるを得ません。何か取り残されたような気持ちというか、明らかに沖縄に基地負担を押し付けている本土の人間としての罪悪感というか。例えば翁長沖縄県知事の発言についても、批判されることも多いようですが、私には批判はできません。むしろ、中国や米国、与党や防衛庁などの思惑を外し、翁長知事自身の過去の発言や翼の右や左、沖縄県人の世代間認識の違いも越えた視点から見てみると、それほど仰っていることは間違っていないとさえ思います。

のっけから結論を述べます。
沖縄の基地負担を分散するために、沖縄の方々が蒙っている実害を基地ツーリズムなどで本土の人間が共有できる仕組みを。
これです。

云うまでもなく、基地問題についての沖縄の皆様の民意は、昨年の翁長知事の当選で示されていると思います。私ごときが沖縄の基地問題を論評するなどおこがましいことは十分に自覚しています。しかし一つだけ、基地について私が語れる実害があります。それは、騒音です。

知っての通り、米軍基地は、沖縄だけでなく本土にも点在しています。岩国、厚木、横田、三沢など。これら基地周辺に住む人々にとっては、沖縄の人々の気持ちが少しは共感できるのではないでしょうか。沖縄の方々が蒙っている迷惑の実態を。私もつい先年まで町田市の中心部に住んでいました。町田市は、横田基地と厚木基地を結ぶ線上にあります。頻繁に北から南へと飛行機が通り過ぎ、そのたびに爆音が町田の繁華街を縦断します。その高度は機体番号が見えるのではないかというほど低く、特にNLP(夜間連続離発着訓練)の際は、夜中の25時過ぎでもお構いなしの轟音が響き、寝るどころの話ではありません。町田市のホームページにもそのことは頻繁に触れられています。陳情も周辺自治体と合同で行っているとか。

とくに町田市は1964年に起きた繁華街への米軍機墜落事故の現場でもあります。また、1977年に横浜市荏田に墜落した米軍機も、墜落直前には町田市上空を通過しています。町田市に接するこどもの国から撮影された画像が残っています。ここでは私の住む町田市を例に挙げましたが、町田市以外にも、米軍基地近隣の住民は今でも墜落事故の悪夢に怯えなければなりません。

とはいえ、今の日本の置かれた状況から考えると、米軍基地が必要なことは明白です。問題は、それが沖縄に集中していることなのです。そして、私を始め、本土の基地周辺に住む人々にとってみれば、これ以上本土に基地が増やされることを迷惑と思っていることも事実です。基地の負担を沖縄に押し付けて、自己の安全を図る。残念ながらこれが私を含めた本土の方々の偽らざる本音といえます。なので、翁長知事の発言についても、その理は理解しつつも罪悪感から反発を覚える。そんな構図に私は思います。

ではどうしたらいいのでしょう。普天間から辺野古へ移したところで、沖縄の負担が減らないことは変わりません。逆にいえば、誰も理想的な解決策が思いつかないから、これだけ基地移転問題が長引いていると云えます。そして解決策が思いつかない理由の一つには、本土の誰もが沖縄の人々の置かれた現状を実感できていないこともあるのではないでしょうか。沖縄の人々が具体的に何に困り、何に怒り、何に迷惑を受けているのか。そこには沖縄の方々が抱いているだろう琉球の歴史や本土との扱いの差といった観念的なことではなく、上に挙げた騒音のような具体的な事例が必要だと思います。

私は20年ほど前に沖縄を訪れ、ひめゆりの塔や名護市街、那覇市内、首里城などを旅しました。が、その際も基地の中に入ることはもちろん、鉄条網の外からしか基地を見ることができませんでした。そして今もなお、私自身、沖縄の人々が具体的な騒音の他に、何に困っているのか、正直つかみ切れていないところがあります。

そこには政府の沖縄の基地問題についての、性急に事を進めようとする姿勢が透けて見えます。普天間基地移転の話が持ち上がってから、すでに充分な時間が経っています。その間、じっくりと国民に沖縄の基地の必要性を理解させるだけの努力はなされていたのでしょうか。初めから沖縄への基地ありきの結論で物事を進めてはいなかったでしょうか。

今からでも遅くはないので、政府は国民に対し、沖縄の基地問題を理解してもらい、本土への基地移設についての理解を求められるだけの伏線も貼っておくべきと思います。私が思うに、沖縄の人々の怒りとは、具体的に困っていることに対するものではなく、本土の人々の無関心に対するものではないかと思います。例えば政府が予算を出して、沖縄への旅行費を助成し、その際は必ず沖縄の基地見学を含めるとか。沖縄の基地側も基地ツーリズムに対する受け入れ態勢を整え、なぜ沖縄に基地が必要なのか、どういう脅威が今の日本、沖縄を覆っているのか、といった広報をきっちり行うべきではないか。私はそう思いました。

以前にも書きましたが、自衛隊は明らかな軍隊ですし、憲法の9条も書き換えられるべきだと思います。ただし、かつての日本は過ちを犯しました。そのことを考えると、国外では一切の軍事活動はしない覚悟は周辺国に示す。それだけの縛りが必要です。その替わり、日本は断固として国防を全うするのです。それだけのきっちりした自衛の体制を整えるべきだと思います。沖縄の重要性はもちろんですが、既存の岩国、厚木、横田、三沢などの基地だけでなく、自衛隊の基地も合わせて拡充が必要だと思います。極端にいえば、米軍が日本から撤退しても日本単独だけで自衛が出来る体制すら考えたほうがよいと思います。そのためには、沖縄に基地の負担を押し付けるだけの考えでは到底足りないでしょう。沖縄から基地を撤去するのではなく、それと同じだけの負担を本土側にも担ってもらう。そうすれば沖縄の人々の苛立ちも少しは和らぐのではないでしょうか。

そのためには、もっと本土側の人々が沖縄の現状を知る必要があります。安保法案や憲法改正、基地移転への道筋をがむしゃらに付けようと現政権は突き進んでいるようですが、それだけでは到底人々の理解は得られない。そんなことを思いました。