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伊能忠敬―日本をはじめて測った愚直の人


ここにきて、また伊能忠敬が脚光を浴びている。中高年の希望の星として。

伊能忠敬といえば、日本ではじめて全国地図を作った人物だ。全国を測量して歩き、実際の日本の地形と遜色ない日本地図を作った業績は不朽だ。井上ひさし氏による『四千万歩の男』で取り上げられたこともしられている。

なぜ中高年の希望の星なのか。それは、伊能忠敬が地図作成の世界に入ったのが50歳の年だからだ。50歳といえば、現代人の感覚でも晩年に差し掛かっている。ましてや当時の感覚では隠居して当たり前の歳だ。今の私たちが定年後にセカンドライフを志すのと同じように考えてはならない。当時の尺度では遅すぎるのだ。しかもそんな老齢から19歳年下の高橋至時に弟子入りする謙虚な心も見事だ。当時の感覚では相当な老年であるにも関わらず、当時の不便な交通事情の中、全国津々浦々を歩き回り「大日本沿海與地全図」を完成させた。私はまだ実物を見たことがないが、本書には「大日本沿海與地全図」の一部が載っている。その精緻な出来栄えにはうならされる。見事というほかはない。

本書は伊能忠敬をブックレットの形で紹介している。ブックレットといえば薄い小冊子の体裁だ。本書は88ページという少ない紙数しかない中で伊能忠敬の事績を紹介している。網羅しているとはいえないが、生い立ちと業績、そして伊能図の今に至る歩みまでをコンパクトかつ概観的に紹介している。それが、私にとってはよかった。なにせ伊能忠敬のことを本で読むのはほぼ初めてなのだから。『四千万歩の男』も読んでいないし、せいぜいが教科書で習った程度の知識しかない。要するに私は伊能忠敬のことを何も知らなかったに等しい。そんな私には88ページの本書の内容はかえってコンパクトで頭に入ってきた。ダイジェストで伊能忠敬の生涯を学べた感じがして。

たとえば隠居前の伊能忠敬がどのように家業を経営していたかについても記している。研究によると伊能家の資産は現在の貨幣価値で45億円以上だったそうだ。立派な億万長者である。しかも伊能忠敬は名主職まで勤めていたとか。それだけの実績を重ねていたのに、江戸に出て測量の弟子入りをし、一からキャリアを積み上げなおしたのだから恐れ入る。

なぜ伊能忠敬は日本を測量しようと思ったのか。それは地球の大きさや形を明らかにしたいという志をもともと名主の頃から持っていたからだという。地球の大きさや形を明らかにするには測量が必要となる。伊能忠敬が師の高橋至時に測量を願い出たところ、せめて蝦夷までの距離を求めなければ地球の大きさは測れないといわれた。それが伊能忠敬を測量に向かわせたという。

第一次から第十次まで行われた全国の測量。それらも本書は概要が紹介する。さすがに第十次の旅は体力面からか弟子たちに任せたようだ。だが、それ以外の旅は全て伊能忠敬本人が足を運んだというからすごい。あと、あらためて理解したことがある。それは伊能図が沿岸の地図を詳しく記したとはいえ、内陸をくまなく測量した訳ではないことだ。 いくつかの内陸部の土地は回っているようだが、あくまでも沿岸のみを網羅したのが伊能図と考えてよさそうだ。よく考えてみれば、ありとあらゆる場所を訪れていたら、20年弱で徒歩で全国を回れるはずがない。つまり沿岸部に特化し、その精度を高めたことが伊能図をこれだけの完成度にしたということだ。このことを本書は教えてくれた。それだけでも読んだ甲斐がある。

本書には伊能図以前に記された日本地図の歴史と、「大日本沿海與地全図」のその後の運命にも紙数を割いている。明治に入ってすぐ、皇居で起こった火事によって 「大日本沿海與地全図」 の正版は失われてしまったという。しかも伊能家に保管されていた副本の控図までもが関東大震災で焼失してしまったとか。しかし模写された図の数々は、今も世に伝えられている。50才から志した日本地図への取り組みは200年以上たった今も世に伝えられているのだ。

なによりも本書が重んじているのは、伊能忠敬の実像を正しく紹介することだ。本書によると伊能忠敬は厳格かつ堅実な人物だったという。そこには後世、皇国史観によって左右され、作り上げられた伊能忠敬像なく、実際の本人を紹介したいという著者の想いがある。著者は国土地理院のご出身のようだ。その立場からも、伊能忠敬の成した歴史的な意義は強調してし足りないのだろう。だから例えば、伊能忠敬が幕府と反目し合いながら全国を測量して回ったという伝説も否定する。幕府や諸藩の妨害を乗り越えて地図を作り上げた伊能忠敬という英雄像は私たちも修正したほうがよさそうだ。そして実直な伊能忠敬像を紹介した著者は、これからの時代を生き抜くのに、伊能忠敬の粘り強く堅実に進む生き方を勧めている。

人類の何年にもわたる努力が、人工知能によって一瞬に達成されようとする今、伊能忠敬の生き方は何を教えるのだろう。私は、もはや成果物の量や精度では人工知能に太刀打ちできなくなるだろうと思っている。だが、それは成果物だけで成果を評価する限りの話だ。人口知能が人の人生を左右しようとする今、個人の自我が蓄える経験の重み。それこそがより大切にされる気がする。経験と自制の大切さを200年前のわが国で体現したのが伊能忠敬。冒頭に書いた通り、50才から実績を作り上げたということばかりが取り上げられているが、そればかりが伊能忠敬の偉大さではあるまい。見逃してはならないのが、商売に精を出している間も伊能忠敬は各種の勉強に励んでいたことだ。名主の頃から勉学に打ち込んでいたことが本書でも紹介されている。50才で一念発起するまでの年月も土台があってのこと。実直にこつこつと。それこそがもっとも肝に銘じるべきことだと思った。

‘2017/12/22-2017/12/27


人斬り半次郎 賊将編


中村半次郎として意気も溌剌とした幕末編から一転、桐野利秋として戦塵の中に倒れるまで、あと十年と少し。

本書は、維新の激動が半次郎の心に生じさせた変化を露にしつつ始まる。維新に向け、半次郎の命運は下るどころか、はた目にはますます盛んだ。上巻の終盤では、薩摩に残した恋人幸江に去られる。さらには半次郎が恋心を抱いていたおたみも同輩の佐土原英助とくっついてしまう。そればかりか肉欲だけでなく、書や本の師弟として結びついていた法秀尼も何かと騒がしい京から去ってしまう。尊王攘夷も佳境にきて、半次郎の周りから女の気配がふっと消えてゆく。一方で半次郎の武名はますます鳴り渡り、薩摩になくてはならぬ人材として自他ともに認める存在になっている。もはや半次郎は恋に心をやつしている場合ではなくなっているのだ。ここまでがむしゃらに立身出世を願い、男ぶりを鍛えることに没頭してきた半次郎。維新の結実を前にして彼は自らの中で整理をつけたようだ。半次郎が切り捨てた自身の一面とは、彼の素朴な部分だったのかもしれない。あるいは愛嬌とでもいおうか。非情な世を渡るため、弱さと取られかねない部分を切り捨てる。それはやむを得ない行動だったかもしれないが、そんな半次郎のもとから女性たちは去ってゆく。

薩長の同盟はいまやほころびようもなく盤石だ。幕府の棟梁たる将軍家茂は若くして死に、もはや公武合体どころではない。跡を継いだ将軍慶喜は大坂から敵前逃亡して江戸に帰ってしまう。もはや幕府の劣勢は明らか。将軍慶喜が決断した大政奉還だけでは倒幕の炎は鎮まりそうにない。起死回生の妙案が幕府から生まれない状況の中、鳥羽・伏見の戦いは始まる。勢いに乗った官軍は、そのまま連戦連勝で五稜郭までを席巻する。

会津藩降伏の場において新政府軍の軍監として臨む半次郎に、唐芋侍とさげすまされた面影はない。どっかり座る半次郎の姿は、今なお錦絵の中の偉丈夫として残されている。だが、本書を読んだのちに見る絵の中の半次郎は、孤独を感じさせる。勝てば官軍、負ければ賊軍、という言葉はこの時期の新政府軍が基になっているという。危うく、己を非情に持ちあげねば生き抜けなかった頃の姿に、弱さが同居するはずはない。

明治になってしばらくたった頃、中村半次郎は桐野利秋と名を改める。さらには初代陸軍少将に任命される。陸軍中将は当時はまだ将官の階級として設置されておらず、初代陸軍大将の西郷隆盛に次いで桐野利秋が任じられたことになる。名実ともに西郷隆盛の腹心として認められた瞬間だ。

倒幕が成った今、武よりも文が必要となる。維新の志士たちもまた同じ。刀を差して歩いていては、国造りはおぼつかない。長らく続いた武力による争いは終わり、新たな国を作って行かねばならない。髷を落とし、洋装に着替え、西洋文明の摂取に奔走する。それは桐野利秋も同じ。法秀尼から書を教わり、その集中力をもってすれば、文でも新政府の中心として遜色なく働けたはず。だが、武名が目立ちすぎたためか、初代陸軍少将に収まってしまう。ここで桐野利秋が内政に携わり、海外や国内に広く目を向けていれば、後年、不平士族に焚き付けられる脇の甘さは露呈しなかったかもしれない。

だが、いまや桐野利秋のそばに彼を言い諭せる女性はいない。幕末の日々の中で去って行ってしまった女性たち。彼女たちだけが、一気呵成や猪突猛進といった心持ちとは逆の教えを 桐野利秋に与えられたはずだ。唯一桐野利秋に諭せる人がいるとすれば、それは心服する西郷隆盛のはず。だが、西郷もまた、国づくりの進め方において新政府とは相いれない不満を持っていた。西郷には次第に達観の気持ちが募ってゆく。桐野利秋に対しても諦めたかのように何も言わず、したいようにさせる。最後に西郷が国を思って奔走した征韓論さえ、政府に受け入れられることはなかった。

西洋になびくか、それとも、アジアの国に進出して西洋に対抗できる基盤を作るか。西洋に右向け右でならおうとする風潮を苦々しく思っていた西郷の哲学は、当時の新政府の首脳には理解されなかったのだろう。今となっては、どちらが正しかったか誰にもわからない。西洋の先進的な文化に触れた遣欧使節からみると、西郷の唱える征韓論はあまりにも視点が狭く映ったかもしれない。が、いたずらに西洋をまねることは長期的にみて日本の国勢を左右しかねない、という西郷の考えも理解できる。ただ、本書の桐野利秋は、西郷に心酔するあまり、西郷の思想を理解せず、ただ単に敵対するもの全てを敵視していたようだ。征韓論や日本のこれからに考えをめぐらさず、西郷の考えこそが正義という考えに凝り固まる。西郷と政策で対立する大久保利通を暗殺せんと訪問するくらいに。ここに桐野利秋のいちずさがあり、限界があった。倒幕へと猛進する時は示現流の流儀のごとく無類に強い。だが、平時にあっても生き方を変えられないのは、強さではなく愚かさだ。引き際の潔さも、相手によって柔軟に相対する世慣れたふるまいは、平時にあって国を動かすものには欠かせない。自らを教え諭す女性たちが去って行った桐野利秋に、そこまで求めるのは酷なのかもしれないが、著者は暗にそのあたりも描いているように思える。

本書を読んでいると、満州事変から第二次大戦に至るまでの日本陸軍が浮かんでくる。一度決めた計画を撤回することは面目に関わるので是が非でも決行。そんな陸軍の欠点とされる部分が、桐野利秋の生き方に見え隠れする。直接関係があるかはわからないが、陸軍の基礎が固められるにあたっては、初代陸軍少将である桐野利秋も多少は関わっているはずだ。桐野利秋の生きざま、示現流イズムが、その後の陸軍に影響を与えていないとは誰にもいえないはずだ。一方、初代陸軍大将でありながら、西郷の陸軍への関与は鈍く思える。もし西郷の鷹揚な器の広さが揺籃期の陸軍に影響を与えていたならば。もしドイツ陸軍を手本とするのではなく、薩摩が影響を受けた英国流に陸軍の風潮が染まっていたならば。ここまで陸軍の悪評も定着しなかったのではないだろうか。そう思えてならない。

西南戦争における薩摩軍の動きは今更言うまでもない。すでに何かを悟ったかのような西郷を祭り上げ、不平士族の意見に乗って日頃の不満を晴らそうとする桐野利秋の行動については、もはや何もいうことはない。維新の上げ潮にあっては桐野利秋と西郷をつなぐ絆はますます強固なものとなった。しかし、平時にあって器の広さを見せた西郷に比べ、勢いのまま平時にあっても突っ走った桐野利秋の間には、隙間がぐいぐいと開きつつあったのだろう。その流れのまま西南戦争に突入したことが、意思疎通の齟齬をますます開かせたのだと思う。

結局、二人は主従として心中する他はなかったのだろう。時代の移り変わりにあたって、大勢の不満のはけ口を作るために、いや、日本が士農工商の封建時代から立憲君主制に移行するにあたって道を開くために、最後の生贄となったのではないか。

上巻の素朴さと違い、香水を漂わせつつ最後まで戦って死んでいった桐野利秋は、ただただ痛々しい。その痛々しさに哀しみを覚える。

桐野利秋を演じた北翔海莉さんは、桐野利秋を演じる上でどう解釈したのだろう。百周年を迎えた宝塚の伝統の部分は、いったん自らをもって終わりとし、次代に新たな宝塚歌劇を託そうとしたのではないだろうか。時代が変わろうとする時、旧世代の人間は、旧世代なりに幕を引いて去ってゆく。百年の伝統を次代に引き継ぐ北翔海莉さん、封建から立憲の世へと引き継ぐ西郷と桐野利秋。いずれも歴史の流れには欠かせない人物だと思う。

‘2016/08/08-2016/08/09


人斬り半次郎 幕末編


本書を手に取ったのは、「桜華に舞え」という舞台がきっかけだ。宝塚歌劇団星組のトップ退団公演。その公演で退団する北翔海莉さんが扮したのが、人斬り半次郎こと桐野利秋である。

「桜華に舞え」は劇団の演出家によるオリジナル脚本であり、本書は原作としてクレジットされていない。でも本書が全くの無縁だったとは思えない。脚本には間違いなく何らかの影響を与えているはずだ。

そんなわけで人斬り半次郎とはいかなる人物かを、舞台を観る前に本書で知っておこうと思った。

薩摩示現流と名乗る剣術の流派がある。映像で稽古風景を見た事があるが、撃ち込み一筋の気迫のこもった稽古だった。ただひたすらに攻めに徹する。そして気迫で相手を圧倒する。そこには守りや間合いといった静はなく、ただただ動の一点張り。人斬り半次郎こと中村半次郎も、示現流の達人である。

だが、彼は途中で示現流の道場を辞めてしまう。それは道場で不和が起こったからだ。半次郎のあまりの強さに、他の門下生が太刀打ちできなくなったのだ。しかもその多くは藩の上士。一方で半次郎は下士であり、本来ならば上士を手合わせすることすらはばかられる立場なのだ。そこでいざこざが生じたため、半次郎は道場を辞め、稽古を自己流で行うことになる。

普通の人であればここで剣術を諦めてしまい、後の世に名を残すことはない。だが、彼が普通の人々と違ったのは、自己流であっても鍛錬を惜しまなかったことだ。なにがそこまで彼を駆り立てたのか。それは己に打ち勝つため。己の置かれた状況に打ち克つためだ。

唐芋侍。半次郎が属する郷士の事を薩摩ではさげすんでこう呼んだという。幕末の薩摩藩といえば開明の印象が強い。だが実は藩内には歴然とした階級があり、半次郎が属する郷士は下級武士、つまり下士として下に見られている。下士が藩主直参の上級武士として取り立てられることはほぼなかったという。半次郎の場合、父が公金横領の罪で訴えられたこともあり、ほぼ上士になる見込みはない。それもあって半次郎は上士に対する対抗意識が強く、道場でも世渡り下手の自分を押し通してしまったのだろう。

だが、半次郎は腕力に訴える粗暴なだけの男ではない。本書で描かれる半次郎は人間的にとても魅力的な男だ。美男子で女にはめっぽう優しく、そして惚れやすい。つまり男にはめっぽう強くて女には弱いのだ。一人の人間の中に強さと弱さが同居している。複雑ではなくむしろ単純。半次郎は決して粗暴なだけの男ではなかったが、彼の生きざまは示現流の影響を受けたのか、守りや間合いを知らなかった。おそらく世が世なら世事に疎く不器用な男として薩摩の吉野郷で生を終えていただろう。要領よく頭角を現すといった形では世に出られなかったに違いない。

彼の境遇を変えたのは黒船来航をきっかけとした国内情勢の変化と、藩主斉彬による登用策だ。それによって西郷隆盛が取り立てられる。郷士の中の暴れものとして城下の若手武士たちから恐れられ遠ざけられていた半次郎は、西郷の訪問を受ける。そして、半次郎が武芸を鍛錬する気迫と開墾に一心不乱に取り組む姿、弁の立つ様子は西郷を感心させる。

西郷にとって、小賢しいだけの男は不要だ。己の地位に満足せず、さわやかな男ぶりをみせる半次郎は、これからの薩摩に必要な人材と映ったのだろう。西郷の上士や下士といった身分にとらわれぬスケールの大きさは、本書を通じてさまざまなエピソードによって明らかにされてゆく。

半次郎が後日、西郷のもとにあいさつに訪れたときのこと。土産にと大きな唐芋を三本持ってきたのだが、それを見た西郷の弟小兵衛が笑う。それを見咎めた西郷が、小兵衛を叱る。この唐芋は半次郎の厚志であり、それを笑うとは何事であるか、というわけだ。情に厚く理想家肌だったと伝えられる西郷の人柄がしのばれるエピソードだ。この出来事によって半次郎は西郷に心酔し、この人のためなら、と一生を賭けることになる。

ここに、西郷に目を掛けられた半次郎の立身出世の物語が始まる。ただ、西郷の立場も弱い。薩摩の実権は前藩主斉彬公の急死によって久光公に移っている。そして斉彬公によって取り立てられた西郷と久光公はそりが合わない。先日も、島流しの憂き目にあったばかりだ。同士である大久保市蔵にとりなされ、罪を許されて戻ってきたとはいえ、まだのびのびと藩政を切り回すまでの力はない。しかし緊迫する情勢は久光公に上京を迫っていた。そのお供として半次郎を推す西郷。大久保市蔵に半次郎の腕の冴えを実検させ、大久保に認められた半次郎は出世への足がかりをつかむことになる。

彼の強さは、攻めの局面であれば、より強さを引き寄せる。だが、半次郎はすでにこの時気づいていない。攻めの局面に夢中になっていると、背後で失われてゆくものもあるということに。半次郎は女性を引き寄せる魅力的な男だ。夜這いの風習のある吉野では年上の幸江と恋仲になっていた。だが、立身出世に逸るあまり、半次郎は幸江を忘れて上京してしまう。幸江が実在の人物かどうかは知らないが、このくだりは、本書において半次郎の負い目となってずっとついて回る。

上京した久光公に随行して京に出た半次郎。だが、この時期の薩摩藩が置かれていた情勢は薄氷の上を歩むようなものだ。西郷もそれを見越した上で薩摩藩に良かれと思い、久光公の命令に反して自己判断で動く。それが久光公の逆鱗に触れ、また島流しにあってしまう。それと前後して寺田屋では薩摩藩士同士による刀傷沙汰も起こっている。世にいう寺田屋騒動だ。

めまぐるしく薩摩藩を巡る情勢は変化する。そんな中にあって、もくもくと勤めを全うする半次郎。が、彼の剣術の腕は少しずつ京の街中に知られてゆく。青蓮院宮の衛士として幾度も宮の危機を救う。そして、扇子問屋を営む松屋の娘おたみを救う。おたみを救ったことで、彼女が気になってしまう半次郎。武士が女に惚れることは弱点につながる。しかも、勤務の最中に知り合った法秀尼とは、性の愉楽に身をゆだねる仲となる。

この謎めいた法秀尼が、西郷のいない京において半次郎の成長に大きな役割を果たすことになる。前に半次郎を攻める一方で守りを知らないと書いた。だが、半次郎とて愚かではない。剣術以外に自分の身を立てる武器が必要であることを悟り、法秀尼に書を習うのだ。さらには本も読みふける。仕事も剣術も手習いも含めて強靭な体力でそれらをこなして行く。人斬り半次郎が後年、桐野利秋となったのは、この時期の精進のたまものだろう。

著者は幕末の情勢と半次郎の日々を鮮やかに書き分けていく。天下の情勢と薩摩藩の置かれた立場が複雑に変動する中、任務と自己鍛錬を怠らぬ半次郎の日々。堅苦しいだけでなく、法秀尼と肉欲に溺れるゆとりも見せる。そんな日々にあって、長州藩との抗争に目覚しい活躍を見せる半次郎は、薩摩藩にあって伍長としてそれなりの地位を固めたといえる。幸吉という自分を慕う少年も手元におき、一見すると半次郎の日々は順風満帆に思える。だが、半次郎が抱くおたみへの少年のような恋心は募るばかり。おたみもまた、自らを救ってくれた半次郎を慕うのだが、それに半次郎は気づかない。殺伐とした幕末の京にあって、すれ違う二人の心がもどかしくも、とても新鮮だ。多情多彩な半次郎の日々を、彼は要領は悪いなりに、全力でこなしてゆく。こういう不器用なところが半次郎の魅力なのだ。

そんな中、二年ぶりに許された西郷が京に来る。そして土産話として吉野の幸江が嫁に行ったことを半次郎に知らせる。そのことを聞かされた半次郎はうろたえる。法秀尼との情事やおたみへの思慕など、多情な半次郎だが、幸江のことに衝撃を受け、苦しむ。この多情さが彼の魅力であり、煩悶する彼はとても人間くさく、好感がもてる。

そんな忙しい中でありながら剣術の鍛錬は怠らないので、半次郎の剣術の冴えは人々のますます知るところとなる。法秀尼からもらった和泉守兼定を懐に差し、西郷の遣いとして長州を視察して回り、半次郎は忙しい。京を覆う物騒な世相は池田屋事件を起こし、半次郎が長州から戻ってきた直後には禁門の変がおきる。それによって長州と薩摩の対立は決定的なものとなる。そして薩摩に中村半次郎あり、という武名は京や江戸、そして長州にも達する。

そんな日々が半次郎を変えていったのだろう。久々に薩摩に帰った半次郎は、あまりにも立場が上がったことで吉野の人々から仰ぎ見られる存在となる。一方で、自信に満ちた半次郎に眉をひそめる人々もいる。守りも間合いも知らない半次郎がいちずであればあるほど、人々との差は開いてしまう。そんな不器用で直情な半次郎の悲しい性が少しずつあらわになってゆく。吉野でかたくなに半次郎に合うのを避ける幸江の態度は、そんな半次郎の後年の孤独を予見するかのようだ。人は栄達してもなお、少年の頃と同じような心でいられるか、という問題がある。成長は自信へと変わるが、その自信は人々の目に尊大に映る。私自身も気をつけねばならない点だと思っている。

半次郎の肥大しつつある自信は、淀川の決闘であわや命を落としかけることによって足元をすくわれる。同郷の大山格之助によって助けられたことは、天狗になりかけた自らを諫める機会になったはずだ。だが、徳川幕府の命運もわずかな今、半次郎に自らを省みる時間が与えられることはない。そして倒幕の勢いはいっそう増してゆくばかり。時代に翻弄される半次郎の悲劇が、ほのめかされるかのように上巻は終わる。

‘2016/08/06-2016/08/08


とっぴんぱらりの風太郎


関西人である私にとって、万城目ワールドはとてもなじみがある。デビュー作から本書までの7作は全て読んでいる。特に長編だ。京都、奈良、大阪、長浜。それら関西の町を舞台として繰り広げられる物語はとても面白い。古い伝承が現代に甦り、波乱を巻き起こす。関西の言葉や文化で育った私にはたまらない。物語の構成は、古き伝承をモチーフとし、現代を舞台に進行する。伝承を題材にしつつ、現代を舞台に奇想天外な物語を産み出す著者の作品は、読者をわくわくさせてくれる。

そして本書だ。

本書は著者の新境地ともいえる一冊に仕上がっている。本書の舞台は過去。現代は全く出てこない。つまり、著者にとっては初の時代小説となる。

本書の主役は抜け忍の風太郎。伊賀の衆だ。伊賀は言うまでもなく忍びの里だ。山間の小国は忍びの技を研ぎ澄まし、動乱の戦国の世を生き延びてきた。天正伊賀の乱など周辺国からの弾圧を跳ね除け、忍びの国として生き残る。それを可能としたのは苛烈な忍びの掟。弱者は容赦なく切り捨てられ、一人前の忍びとして生き残るのは一握り。幼い頃から風太郎を縛り付けてきたのは、ただ冷徹な忍びの掟だった。そんな過酷な環境で生き残びた風太郎の周りには一癖ある連中ばかりが残っている。子供時代からともに切磋琢磨し、生き延びた仲間達をも瞬時に裏切り、相闘うことも辞さない。そこにあるのは非情な関係。

そんな日々の中、伊賀上野城を舞台とした密命を帯びた風太郎は、侵入にあたって石垣を傷つけてしまう。伊賀の殿様は、築城の名手として知られる藤堂高虎。本書では異常なほど城に偏愛をもつ人物として語られる。

城を傷つけた下手人には死あるのみ。風太郎は死をもって失敗を償わされそうになる。それを救い、死んだことにしてくれたのは、忍びを統べる采女様。

忍び失格として伊賀を放逐された風太郎は、当てもなく京にでる。太閤秀吉亡き後、風太郎が棲みつく京は徳川家の威風に服している。天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利し、徳川家にとって残る仮想敵は大坂城だけ。大坂城の秀頼・淀殿と徳川家の間に張り詰めた緊張は、京の街にも及んでいる。そんな大坂冬の陣を間近にして、風太郎は京でその日暮らしを送る。

風太郎は、劣等感に塗れている。忍びを逐われ、根なし草となった自らの境遇に。だが、江戸と大坂の間に張り巡らされた陰謀の糸は、風太郎の人生を変えて行く。

今までの著者の作風とは違い、本書は時代小説の骨格をがっちり備えている。では、時代小説に手を染めるにあたって著者は作風を変えたのか。今までの著者の作品の底に流れていた大真面目に奇想天外を語る魅力。その魅力はうれしいことに本書でも健在だ。

本書では、瓢箪に宿る因心居士が物語のトリックスターのような役割を果たす。ところどころでひょいと風太郎の前に現れては、風太郎の生きざまを導いていく。

また、風太郎の周囲には個性的な人物達が登場し、風雲があわただしさを増す京の町に暗躍する。風太郎とともに伊賀で忍びの掟を生き抜いた忍び、黒弓、蝉、百市。さらには故太閤秀吉の奥方である北政所。京都所司代の隠密として風太郎を付け狙う残菊。産寧坂で瓢箪を商う飄六で働く芥下。さらには、大坂城にいるはずのあのお方。風太郎を取り巻く登場人物は一癖も二癖もある連中だ。

本書は全編が極上の伝奇時代小説の趣に満ちている。本書は娯楽として読んでも無論面白い。特にラストなど、大団円に相応しい派手な幕切れである。しかし、本書には娯楽小説としてで片付けるにはもったいない深みがある。

大坂の陣といえば、応仁の乱に端を発した戦国時代を締めくくる出来事として知られる。戦国の世の終わり。それは忍び達が要らなくなる時代の到来でもある。徳川の世になって、もはや忍びの技能は滅び行くしかなく、種族としても時代の流れに取り残されてゆく宿命を背負う。そんな時代の変わり目にあって、忍び一族の哀しみが書かれているのが本書だ。そもそも風太郎からして、伊賀に戻りたくても戻れない忍びの成れの果て。戦国の殺伐とした世にあっては忍びの世界では抜忍成敗。使えない忍びは死ぬ他ない。風太郎のような立場で生きていけることがすでに時代の移り変わりを表している。黒弓、蝉、百市といった忍びもまた同じ。忍び以外の職に身をやつしながら密命を帯びて行動している。

つまり、時代の変わり目にあって人はいかに生きるのか。そこに本書のテーマが見え隠れする。

そして、大坂の陣を目前にして、感慨にふけるのは忍びだけではない。

豊臣家の人々の上にも滅びの予感が濃い影を落としている。豊臣家もまた、戦乱から平和への時代の変わり目に取り残されようとする一族だ。そして本書に登場する主な豊臣方の人物は、そのことを自覚し覚悟を決めている。それは北政所のねねと秀頼公だ。それとは逆に、滅び行く豊臣家に与して戦国の仇花を散らそうとする武将たちはほぼ登場しない。大坂の陣に登場する著名な大坂方の人々は本書にはほぼ出てこない。例えば、真田幸村や毛利勝永、後藤又兵衛といった人々。大野治房は一瞬だけ登場するが、淀殿はほぼ
登場しない。

豊臣家の滅亡を予感した人々、忍びが要らざる世を感じ取った人々。本書は時代の変わり目にあって、去り行く人々の潔さ、または美学を書いた小説なのかもしれない。

その象徴こそが、本書の幕切れを飾る大坂城が倒壊する様子だ。むしろ小気味良いといっても良いほどに、戦国の世の終焉を知らしめる爆発や火災は、本書のテーマに相応しい。

‘2016/02/10-2016/02/15