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2023年4月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括
4月。
今月も仕事が忙しく、オフの日は1、2日程度でした。
が、出張を利用して方々へ出かけられました。
今月は小田原・郡山・米沢・仙台を仕事で訪問しました。また、近場では足立区の竹の塚や相模原の城山を旅しました。

仕事をしながら、旅をする。そのノウハウをいかに実現するかが私のテーマです。
少しずつやり方を理解しています。が、まだ努力が必要です。私にとって、行きたい場所とやりたい事は無限にあるのですから。

どうすれば仕事とやりたいことを両立させられるのか。
まだ、今の私は仕事に偏っています。
そうならないためのさらなる工夫が必要です。

仕事に偏っている証拠は、執筆活動に現れています。
今月は本のレビューを全くかけませんでした。アクアビット航海記は半年続けて書けていません。

人は同時に二つのことができない。私に与えられた時間は有限。そして、刻一刻と少なくなっています。
残された時間を少しでも有意義にしなければ、あっという間に死を迎えてしまう。

生きていること、生かされていることのありがたみ。
それを常に忘れぬようにしながら、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。


今月は家族(妻)にアクシデントが起こりました。重大な事案でしたが、支出が飛んだだけで済んだのが幸いでした。
次女はひと月まるまる韓国へ。

今月は家族とはゼロ回お出かけしました。妻とは一回、妻と長女とは四回、妻と次女とはゼロ回、長女と次女とはゼロ回。長女とは四回、次女とはゼロ回。


§  月表

 ・四月お出かけ
小田原城、小田原市郷土文化館、報徳二宮神社、Tully’s Coffee、旧三福コワーキング地酒とうまいもの 金時小田原城、らあめん花月嵐、ココデンタルクリニック、元祖台湾まぜそば はなび 二俣川店、01CAFE SURF DINER、ロイヤルホスト、デニーズ、足立竹の塚郵便局、中華料理 光龍、大師前駅、西新井大師ぼたん園、西新井大師 總持寺、ジロー’s テーブル、イオンスタイル板橋、イオンシネマ板橋、松月院、赤塚不動の滝、赤塚溜池公園、赤塚城本丸趾、マクドナルド、洋風居酒屋 寿、地下鉄成増駅 (Y02/F02)、津久井湖観光センター、太鼓曲輪、飯縄神社、宝ヶ池、鷹射場、大杉、月島もんじゃ もへじ 町田店、豆狸、安積国造神社、板前料理 膳、東横イン 福島駅東口1、曽根田駅、お休み処 ナナセン、曽根田駅ホーム、アクティブシニアセンター アオウゼ、ミスタードーナツ 福島駅前ショップ、東北新幹線 福島駅、山形新幹線 米沢駅、立ちそば処 鷹、居酒屋ゆあーず、東横イン米沢駅前、ホテル ルートイン 仙台長町インター、仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺、地下鉄 長町駅 (N15)、勾当台公園駅 (N08)、せんだいメディアテーク、C60 1 蒸気機関車、西公園、伊達政宗公胸像、林子平記念碑、仙台藩御用酒発祥の地、仙台城跡、伊達政宗公騎馬像、宮城縣護國神社、国際センター駅 (T04)、地下鉄 長町駅 (N15)、仙台PIT、長町駅前プラザ、長町駅、JR 仙台駅、東北新幹線 仙台駅、酉蔵 二俣川店、時代屋、鶴川駅前図書館、自家製麺つけそば 九六、明治神宮、杜のテラス 2nd、明治神宮ミュージアム、代々木公園、Starbucks、東急プラザ銀座尾崎牛焼肉 銀座ひむか、一蘭、やまよこ鮮魚店、横浜家系ラーメン 津田家、喜界、薬師池公園 蓮園、薬師池公園、らぁ麺 ばらや、やぶ広、町田市立中央図書館、守屋精肉店カラオケBanBan 町田金井店、ヒッコリーファーム、餃子の王将、dandan noodles、YI-CHANG イーチャン、Quattro Cuori ボーノ相模大野店、Honda Cars東京中央 鶴川店ティフィン・デ・ココ 鶴川平和台店富士通川崎スタジアム

・四月ツイート
https://togetter.com/li/2136193

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月はゼロ回です。

今月は1日から次女が彼氏のいる韓国にずっと滞在しており、家族は一度もそろっていません。


§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で一度でかけました。


妻と出かけた(4/16)の日のこと。
次女の家へ向かい、妻はそこで用事を済ませ、私はそこから明治神宮に向かいました。そして夜、日比谷で合流しました。
東急PLAZAの上にある尾崎牛焼肉 銀座ひむかでおいしいお肉を。美味かった!



§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は四回ありました。

家の近くにある「01CAFE SURF DINER」で食事をしたのは(4/5)のこと。


別の日はそばが食べたいという妻のリクエストに応え、町田市内で今まで行ったことのなかった「やぶ広」を訪問しました(4/23)。そのあとは町田を訪れ、夜は三人でカラオケで歌いました。久々のカラオケ。

別の日はスナックジョイゾーにうちの若手メンバーと一緒に参加してくれました(4/21)。本人の限界までお酒を飲んでしまいましたが、その失敗も含めてよい経験ができたのではないかと思います。


さらに、妻が車で事故を起こしてしまったので、近所のHondaのディーラーへ。そこから近くのカレー屋さんでお昼を(4/29)。ここで仕事のことを巡って大激論。


その翌日はお客様でもある法政大学ORANGEさんがアサヒビール・シルバースターズと試合をするので川崎へ(4/30)。うちのメンバーも二人が来たので、帰りは車で送って帰りました。


§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会は一回もありませんでした。

次女は昨年末で就職したお店を辞め、今はアルバイトで飲食の仕事を続けています。
次女のことを本当に好いてくれている彼氏にも巡り合え、今は未来のことで頭がいっぱいのようです。

今月は1日から彼氏のいる韓国へ。5月の上旬まで韓国にいっているようです。
モラトリアムと考え、22歳までは大目にみるつもりです。
ただ、そこで彼氏に甘えてしまうのではなく、自分の力で何かを成し遂げてほしいと考えています。
家庭も大切にしつつ、何かに挑戦してほしいな、挑戦をやめないでほしいな、と思う父親です。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は4/1付けで雇用しました。
すでに2月から引継ぎもかねて打ち合わせにも同席してもらっていましたし、内部の定例会議にも出てもらっていました。


入社初日からもう一人の入社メンバーとともにkintone Café 神奈川 Vol.14の場でLightning Talkをお願いしました(4/1)。
小田原の「旧三福コワーキング」にて。
コミュニケーションが苦手かと思いきや、その場で機転を利かせて対応したところなど、大いに褒めてやりたいと思います。
夜の懇親会「地酒とうまいもの 金時」でも楽しんでくれていたようでよかった。
夜、帰宅してから長女が飲みたいというので、二人で飲んだこのフルーツビールが入社記念。

登記申請の手続きも、私が前月に官公庁を巡って連れていき、あとは任せました。
手こずっていましたが、まずは転出までは頑張って自力でやってくれました。


メンバーが集まっての初めての週次定例会の日(4/10)。私はその日、夜まで別件があって出られませんでしたが、夜に合流しました。そこから、長女と二人で町田の「月島もんじゃ もへじ 町田店」でお酒を飲みながらもんじゃ焼きを。
まずは社会人デビューを果たしてくれたことをねぎらいつつ。おそらく二人で外で酒を飲むのは初めてのはず。まずはこういう日が来たことに深い感慨を覚えつつ。


その翌週も町田で週次定例会を行いました。その後も二人で「やまよこ鮮魚店」でお酒や海鮮料理を(4/17)。
こういう機会がこれからもちょくちょく持てればいいな、と願います。
その帰りに町田駅で見かけた鳩が象徴するように。

その翌週も登戸近くの週次定例会に来てもらいました。この時は途中で妻の歯科医院を手伝うために帰りましたが、うちのメンバーの対応などはだいぶ任せられるようになってきたのは心強い。

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。

●私自身の四月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は、4/1に高校の同窓会があり、誘われていたのですが、その日は小田原でkintone Caféを主宰していたため、断念しました。

その高校の後輩であるkintoneプレーヤーで同じ鳴尾高校の中井さんとは、トヨクモさんとスナックジョイゾーにてお会いできました。
このご縁は今後も大切にしたいと思いました。


§  今月の交流 
今月は何といっても、小田原のkintone Café 神奈川 Vol.14の懇親会から始まりました(4/1)。会場から20名以上の方が「地酒とうまいもの 金時」に集っておいしいお酒を。名古屋から二名、高知からも一名。ほかにも神奈川や東京から多くの方が集ってくれた交流は、満足のいくものでした。
懇親会の第二部で訪れた夜の小田原城も、昼間の満開の桜の余韻も鮮やかに、夜桜の美しさを見せてくれました。

そして、今月の旅のハイライトとなった郡山、米沢、仙台の出張です。

郡山では商談の後、さしで「板前料理 膳」へ連れて行ってもらいました。ここ、料理もお酒もとても美味しかったです。とくに米ナスのみそ焼きは私のお気に入りに加わりました。このためだけに再訪したいと思えるほどに(4/11)。


その夜は福島まで移動して宿泊し、翌朝は米沢へ移動。ここでも商談を行ったのち、夜に「居酒屋ゆあーず」にて。唐揚げが名物のこのお店でも6人でとても楽しみました。私はそのあと、うちに参画してくれたリモートメンバーの車で仙台まで。
人のご縁がありがたいとおもえる一日でした(4/12)。


その翌日はkintone hive Sendaiでした。ここでも会場や夜の交流会で貴重なご縁をいただきました。人が同じ場を共有することは、さまざまな可能性を生み出してくれます。それをまさに感じたイベントでした。
帰りも一緒に案件に携わってくれている方と新幹線の中で語り合いながら帰途に尽きました(4/13)。

他にも昨春から参画しているお客様が歓送迎会を開いてくださり、胸襟を開いて語り合うことができました(4/14)。
また、トヨクモさんにて動画を撮影した後、お酒を囲んでお話しした機会もとてもうれしかったです(4/19)。本当にありがたいことです。


また、スナックジョイゾーでの語らいも素晴らしいものでした。うちの長女もkintone Café 神奈川に続いておおぜいと一緒にお酒を飲む楽しみを知ってくれたようですし。


もう一つ、今月の交流で欠かすことができないのは、かのってぃさんとのサシのみです(4/8)。私が板橋で映画「Winny」を見た後、その近くの城や滝や公園を放浪していたら、なんとそこがかのってぃさんのご自宅の近く、というご縁でした。
成増駅前の「洋風居酒屋 寿」でおいしい料理とお酒を楽しみました。とても愉快な会話と情報量に、とても素晴らしい時間を過ごすことができました。


うちのメンバーをねぎらうためにサシで飲んだり。

今月も本当にありがとうございました。

●私自身の四月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、一冊も書けませんでした。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。読んでからレビューをアップするまでの時間も二年を超えてしまいました。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていません。
が、一人の時間がほぼないことは見直さなければと考えています。レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。

今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは1本(
Winny
)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは4本(
登記住所及びロゴ変更のお知らせ
kintone Café 神奈川 Vol.14を開催・登壇しました
kintone hive sendaiに参加しました
kintone Café Metaverseに参加&登壇しました。
) 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

3月30日 3月30日 シンギュラリティへの対応
3月31日 3月31日 第八期を終えて感じた感謝
4月3日 4月3日 今期はコミュニティがテーマ
4月4日 4月4日 入社日に登壇を指示した狙い
4月5日 4月5日  AI、DX、UXの時代も人が要
4月6日 4月6日 プログラム内の著作権に注意
4月7日 4月7日 著名人の訃報に自らの余命を
4月10日 4月10日 Winnyが残した教訓とは
4月11日 4月11日 政治を志す人関心を持つ人
4月12日 4月12日 地方とのご縁は長く続けて
4月13日 4月13日 要件定義のジレンマに悩む
4月14日 4月14日 業務改善の事例を学ぶには
4月17日 4月17日 観光業でも変わらなくては
4月18日 4月18日 日本的組織とデジタル相性
4月19日 4月19日 基礎力があってのAIの活用
4月20日 4月20日 技術者不足に甘えるなかれ
4月21日 4月21日 GitHub Copilotが来たよ
4月24日 4月24日 イベントの参加が即ち営業
4月25日 4月25日 メタバースはまだ来るはず
4月26日 4月26日 芦屋市は私の仕事の原点

§  今月の読書 今月は9冊の本を読みました。内訳は、技術本一冊、ビジネス書一冊、科学啓蒙書一冊、SF一冊、純文学二冊。ミステリ一冊、酒の歴史一冊、エッセイ一冊。

今月も本を読む時間が取れていません。が、無理やり本は読むようにしています。ところが読んでもそれをアウトプットできていないのは上に書いた通りです。
形式的にアウトプットするのなら、ChatGPTに頼るのもありですが、それは自分にとって衰退への道だと思っています。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。

今月はムツゴロウこと、畑正憲さんがお亡くなりになりました。私はまだ著作を読んだことがなく、一度手に取ってみたいと考えています。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞は1本です。

なんとかWinnyを見に行くことができました(4/8)。素晴らしい内容でした。
感動しました。自らの技術者人生を顧み、技術の習得が楽しくて仕方なかったころを思い出させてくれる映画でした。
ブログはこちら

なお、今年の大河ドラマ「どうする家康」も今月に入ってから遅れています。録画が溜まってしまっています。


§  今月の舞台 舞台については、今月は見ていません。



§  今月の音楽 コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月はBruce Springsteenの全アルバムを順に聴いています。
旅行が重なり、常駐先に頻繁に顔を出していたので、家で作業する時間が取れていないことが原因です。

また、今月はYMOや映画音楽やソロ作でおなじみの坂本龍一氏がお亡くなりになりました。
今年の初めになくなった高橋幸宏氏に続いて。私が小学生の頃に一世を風靡した彼らの音楽も40年がたとうとしていることに、自分の年齢とその残り時間を考えさせられました。

そういえば、妻と長女と三人でカラオケに行ったのも今月です(4/23)。


§  今月の美術 今月は「明治神宮ミュージアム」を訪れた際(4/16)、明治天皇や皇后が使っていた調度品に気品とはこのようなものか、という感銘を受けました。

華美でも派手でもなく、それでいて質素でもない。
こういう銘品が残された明治時代は、賛否はあるでしょうが、わが国が世界に向けて雄飛した時代だったことは間違いありません。
それを感じさせる美、がここにはありました。

そういえば、今は明治神宮外苑の再開発が議論にあがっています。明治神宮の鎮守の森には手は加わらないそうですが、ここは本当に大切にしてほしいと思っています。


§  今月のスポーツ 今月は津久井城址、つまり城山を登頂しました。
自分の体力の衰えを痛感するかと思ったのですが、案外疲れずに登りきれたのはよかったです。
が、そろそろ山には本格的に登りたいと思います。仕事の調整をしなければならないのですが。

あと、月末にはお仕事でお世話になっている法政大学ORANGEがアサヒビール・シルバースターズと試合をする際の物販のお手伝いで富士通川崎スタジアムに行ってきました。
アメフトのガツンというタックルの音など、ようやくアメフトの魅力がわかってきた最近です。

連れて行ったうちの若手二人も初めて見るそうで、そのうちの一人はNFLが見たくなったと言っていました。
私も二人が読んでいたという「アイシールド21」を読んでみたくなりました。


§  今月の滝 今月は滝を訪れる機会はありませんでした。

が、映画Winnyを見た後、赤塚城跡まで歩いた際に、赤塚不動の滝を通りがかりました。すでに夕闇が濃くなり始めていたので、木々に囲まれた滝身は見えず、チョロチョロと瀧音だけを聞きました。
今度、機会を見て再訪してみようと思います。

今月は永瀬嘉平氏の「滝ゆけば」を読みました。日本の滝百選の選考委員でもある氏の著作を読み、とてもつよく滝を訪れたくなりました。五月は必ずや。


§  今月の駅鉄 今月は三駅を訪れました。「大師前駅(4/7)」「曽根田駅(4/12)」「長町駅(4/13)」


大師前駅は、竹の塚で商談があった帰りに訪れました。少し空き時間ができたためです。西新井大師もまだ参拝したことがなかったことと、この駅は特徴のある駅と聞いていたためです。
西新井駅から一駅。盲腸線の終点であるこの駅は、広大で立派な高架駅であるにもかかわらず無人駅です。自動改札もなく、だれもが一階のコンコースに自由に出入りできます。改札業務は全てとなりの西新井駅で執り行っています。
駅はとても立派なもので、この駅が無人駅ということがにわかには信じられません。プラットホームも広々としていて、しかも列車が来ては出ていく頻度が高く、よく利用されていることもうかがえます。
竹の塚から歩いてやってきましたが、そこからは西新井駅まで一駅乗り、そこから家まで帰りました。


曽根田駅は、私が止まった東横イン福島駅前から至近にあり、朝、打ち合わせとチェックアウトの前に訪れました。
昭和初期の洋風建築の要素を色濃く残す駅舎はとても風情があり、駅舎内の待合室も天井が高くとられていて、ゆとりを感じさせてくれました。
この駅がよいのは、留置線に車両を永年解放していることです。お休み処ナナセンとして。東急で使われていたことが明白な車両は二両とも古びていません。片方の車両は少し改造され、コワーキングスペースとして使えるよう、電源も使用可能です。もう片方の車両は待合室として。
このアイデアはとてもよかった。

車両を出ると福島交通の車両が隣の福島駅へ入線し、または福島駅から発車した列車がこの駅を訪れます。そしてJRの東北本線の貨物列車や仙台行きの列車が行き交い、さらにその上には東北新幹線の長大な車両が行き交っています。
鉄道好きにはとてもよい駅だと思いました。とても気に入りました。なお、私が訪れた日はしまっていましたが、駅舎には喫茶店が併設されており、それもポイントが高かったです。
福島交通の駅は初めて訪れました。また、訪れたいと思います。


長町駅は、kintone hive Sendaiの会場である仙台PITの最寄り駅です。JRの立派な駅舎の横に、地下鉄の入り口が四か所設けられています。
私も仙台地下鉄の利用は初めてです。kintone hive Sendaiの開場まで時間があったので、この駅から市街の勾当台公園駅へと向かいました。せんだいメディアテークや青葉城などを訪れた後、この駅に戻ってきました。
駅そのものは、他都市の地下鉄の駅とそう変わりはなかったのですが、まずは仙台の地下鉄事情を知る入門となりました。

駅をじっくり見る時間はありませんでしたが、地下鉄の国際センター駅も広瀬川を地上で渡る様子や、駅前の広場に荒川静香さんや羽生結弦さんのモニュメントがあり、とても印象に残っています。
ここのホームで列車の待ち時間にkintone エバンジェリストポロシャツに手早く着替えました。


§  今月の酒楽 今月も先月に続いてお酒体験については申し分なかったと思います。お酒を楽しめました。

kintone Café 神奈川 Vol.14の懇親会で利用した「地酒とうまいもの 金時」では、たくさんの皆さんと飲めました(4/1)。kintone Café 神奈川の下見できた1月にもこのお店を利用しましたが、その時に飲んだ日本酒は今回はプランとしては飲めませんでした。

かのってぃさんとサシで飲んだ「洋風居酒屋 寿」さんは、ワインがとてもおいしかった(4/8)。何杯もお替りしてしまいました。自家製リキュールもよい感じでした。料理がお酒や店の雰囲気とあっていて、とても楽しめました。

長女とはじめてサシで飲んだ「月島もんじゃ もへじ 町田店」は、信号サワーというのを頼みました(4/10)。唐辛子や大葉やレモンが添えられていて、もんじゃに合っていました。記念すべき日でもあるので、後々まで覚えていると思います。


郡山でサシ飲みした「板前料理 膳」さんは米ナスの味噌焼きがとにかくおいしかったのですが、お酒も劣らずおいしかった。笹の川酒造のウイスキーもあわせ、男山のお酒とあわせて、とにかくお酒がおいしかったです(4/11)。

米沢で皆さんで飲んだ「居酒屋ゆあーず」は、料理がおいしく、お酒もかなり飲みました。相当に酔っ払ったことを覚えています(4/12)。

東北新幹線の仙台駅のホームで飲んだ、仙台のビールもおいしく、後日家で飲んだ日本酒も覚えています(4/13)。

その翌日のお客様側にお招きいただいた歓送迎会で飲んだ「酉蔵 二俣川店」も、一次会と二次会でとにかく楽しい酒でした(4/14)。


やまよこ鮮魚店も長女とサシのみ二回目で、じっくりとした日本酒が腹に沁みました(4/17)。


そして、スナックジョイゾーです。ここでは私も差し入れを持っていきました(4/21)。また前々回あたりに差し入れたアクアビットの封を開けてもらったのですが、皆さんに案外好評で、一瓶がすべて空いてしまいました。
うちの長女もアクアビットでよいが回ってしまいました。風の森も相変わらずおいしかった。

他にもトヨクモさん(4/19)やうちのメンバーとのサシ飲み(4/28)でもお酒にはお世話になりました。おいしかったです。感謝。


§  今月の旅行 
今月は上にも書いた通り、小田原と郡山と米沢と仙台の旅です。


繰り返しになるので、あまり多くは書きません。小田原城はとにかく、桜が満開で素晴らしい光景を堪能できました。夜の小田原城も併せてすばらしい景観であることを再確認しました。


また、仙台ではkintone hive Sendaiの開場時間を利用して、勾当台公園駅から歩いてせんだいメディアテークを訪れました。こちらは、東日本大震災の記憶と記録を後世に残すための取り組みが印象に残りました。
また、開架のレイアウトがとにかく洗練されていて、図書館の概念を一新させられました。


そこから西公園を歩き、青葉城へ。青葉城を訪れるのは10数年ぶりのはずです。伊達政宗騎馬像や胸像を愛で、改めて仙台の街の風景を目に焼き付けました。広瀬川の流れに沿った城下町。また仙台には来るはずです。


その前々日には郡山を訪れましたが、合間の1時間ほどを使って安積国造神社を参拝できました。私にとって、郡山の街はkintoneを携えて全国を旅する嚆矢となった地。この時に登壇した郡山商工会議所も懐かしい。また、郡山には来るつもりです。


他にも、竹の塚の商談の帰りによった西新井大師もボタン苑や境内の藤と伽藍と池の取り合わせがとても美しかった。


また、15時から登った津久井城址こと城山も、今まで何度もそばの道を車で通っていたのに、初めて訪れたことで印象に残ります。思っていたよりも山域が広く、広大な城跡のあちこちを飽きずにめぐることができました。

それと、映画Winnyを見た後に訪れた赤塚城址は、練馬や板橋区に対していだいていた東京郊外の面白みのない町との印象を覆してくれました。このような山も設けられていたとは。


もちろん、明治神宮やその帰りによった代々木公園も忘れてはなりません。明治神宮では作業していたらあられが降ってきたのですが、そのあとの青空が美しかった。

今月、足跡を残した地は以下の通り。
東京都
 町田市、狛江市、板橋区、練馬区、江東区、足立区、渋谷区、新宿区、目黒区
神奈川県
 相模原市、大和市、横浜市、小田原市、川崎市
福島県
 郡山市、福島市
山形県
 米沢市
宮城県
 仙台市


§  今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は四カ所。「赤塚溜池公園(4/8)」「西公園(4/13)」「代々木公園(4/16)」「薬師池公園(4/20)」

・美術館はゼロカ所。
・駅は三駅。「大師前駅(4/7)」「曽根田駅(4/12)」「長町駅(4/13)」

・滝は一カ所。「赤塚不動の滝(4/8)」
・温泉はゼロカ所。

・山は一山。「城山(4/9)」
・酒蔵はゼロか所。
・神社は五カ所。「報徳二宮神社(4/1)」「飯縄神社(4/9)」「安積国造神社(4/11)」「宮城縣護國神社(4/13)」「明治神宮(4/16)」

・寺は二寺。「西新井大師 總持寺(4/7)」「松月院(4/8)」

・教会はゼロカ所。
・史跡は五カ所。「C60 1 蒸気機関車(4/13)」「伊達政宗公胸像(4/13)」「林子平記念碑(4/13)」「仙台藩御用酒発祥の地(4/13)」「伊達政宗公騎馬像(4/13)」

・博物館は二カ所「小田原市郷土文化館(4/1)」「明治神宮ミュージアム(4/16)」。
・遺跡は一カ所。「仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺(4/13)」。
・城は四城。「小田原城(4/1)」「赤塚城本丸趾(4/8)」「津久井城址(4/9)」「仙台城跡(4/13)」

・灯台はゼロカ所。
・動物園はゼロか所。
・水族館はゼロか所。
・土木遺産はゼロか所。
・マンホールカードは二枚。「福島県福島市(4/12)」「宮城県仙台市(4/13)」
・果物狩りはゼロか所。
・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。


私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。


加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。一昨年の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。


死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。


今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。


そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を20句。短歌を1首。いずれもツイートまとめに載せています。


一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


kintone Café 神奈川 Vol.14を開催・登壇しました


4/1にkintone Café 神奈川を小田原で開催・登壇してきました。
告知ページ

今回もいつにも増して楽しいkintone Caféになりました。毎回開催するたびに、今回のkintone Caféは良かったと思えます。今回もそう。
参加してくださった皆さん、登壇者やスタッフの皆さんに感謝です。

年四回の開催を目標に、一昨年から心機一転したkintone café 神奈川。
一昨年は四回の開催を達成したものの、昨年の開催は三回に留まりました。案件などが重なり、年末に開催する余力が捻出できなかったのです。痛恨の極みでした。
そのため、今回の開催は、昨年九月に鎌倉で開催したSORACOM UGとの共催以来となりました。その際に次回は小田原でと決めていたので、初志貫徹できてよかったです。

今年に入ってからも開催に向けて弾みをつけようとしていた私。ただ、その思いだけが空回りしていました。
スプリングボードとなったのは、2/17にお招きいただいたスナックジョイゾーでした。
その場で、今回もスタッフとして大活躍して下さった藤村さんや、ジョイゾーにジョインされた根崎さんとお話ししたことで、まっさらな気持ちになり、開催に向けて一気にねじが巻かれました。

会場は、旧三福ビルヂング5階のイベントスペース(旧三福ビルヂングサイト)。小田原にあります。
このコワーキングスペースの存在を私が知ったのは1/15のこと。
弊社のサテライトオフィスを探しに真鶴を訪れた私は、その帰りに小田原で作業しようと場所を探しました。あわよくばkintone Café 神奈川の開催場所が見つかればよいな、と考えながら。

こちらのコワーキングスペースでは快調に仕事ができました。さらに、kintone Café 神奈川で使いたいことも話した上で5階のイベントスペースも見学させてもらいました。使える、と直感しました。
ビルの名前からも察せられるレトロな内装と外観も含め、小田原城に近いロケーションも含め、来場者の皆さんに気に入ってもらえるのでは、と。
実際に藤村さんにも事前に利用してもらい、私以外からのセカンドオピニオンもばっちり。

今回のテーマは「新年度」。当初は「新学期」でした。4/1開催なので。
私が3/11にkintone Café 帯広に参加した際、サイボウズのかんちゃんの登壇内容が新年度の準備をkintoneで準備するというものでした。
そこで、帰りの飛行機が羽田についてすぐ、スタッフの皆さんにテーマを募りました。そこで藤村さんからいただいた提案が「新学期」。まさに我が意を得た、とばかりに即決しました。
そのあと、皆さんの登壇内容から「新年度」の方がふさわしいと判断し、切り替えたのが経緯です。

さて、4/1の当日、開催を寿いでくれるかのように小田原は春麗らかでした。城は満開の桜で飾り付けられ、華やいでいます。まさにkintone Café日和。
今回のkintone Café 神奈川のために高知や名古屋、岐阜からも小田原まで足を運んでくださる方がいました。皆さんに旬の小田原がご披露できたのでは、と思います。

今回のお申し込みは、来場者が23人。オンライン参加は21人でした。スタッフによれば、オンライン参加者は一時30人に迫ったそうです。

会場は多少縦長なので、すでに会場のキャパシティとしては23人は限界です。
会場の設営をして、少しでも見やすくなるように皆さんであれこれと工夫しました。スクリーンに投影したプロジェクタの画像がよく映るよう、ガラスにヨガマットを貼り付けるなど。スタッフの皆さんの機転が光ります。

まずは山田さんからの発声でスタート。今回、山田さんは久しぶりに司会進行と動画編集を担ってくださいました。司会ぶりもだんだんとこなれてきていて頼もしい。
まずは藤村さんから「開会のご挨拶」を行っていただきました。
続いて山田さんによる「kintone Café について」を担ってもらいました。感謝です。
山田さんのブログ
山田さんと藤村さんが交互に導入部を担当してもらう形は、今後もkintone Café 神奈川のデフォルトになりそうな予感。

さて、スタートを飾ってくださるのはアントベアクリエイツの森田さんによる「ノーコードでシステムはつくれても、ノーコミュニケーションで作れるシステムはないよ!」です。森田さんは岐阜から来てもらいました。
今年の一月、私は名古屋のコラボスペースで催されたkintone Café 名古屋に参加しました。私とパートナー技術者とそして名古屋のお客様お二人もお招きして。
その時に運営側で携わっておられた森田さんの印象や今までのkintone エバンジェリスト同士の交流から、森田さんには私と似た匂いを感じ取っていました。

まさにそんな私の期待を裏切らない実のある内容でした。

コミュニケーション能力こそがこれからの技術者のキャリアを左右する。それは断言できます。
もう、コーディングやプログラムなどはノーコードツールや人工知能が代替してくれます。が、お客様の思いや実現したいビジネスフローを理解し、システムに落とし込む作業は、私たち技術者がまだ担えるはず。
その要点を理解しておられる森田さんが、私の意図をくみ取ってくださって話してくださったことに感嘆しました。さすがです。

Quality・・品質
Cost・・コスト
Delivery・・納期
これを重視することがシステム開発の三原則であることはもちろんです。それには技術力ではなく、コミュニケーション力が肝要なのです。

今回、弊社の新メンバーも二人参加してもらったのですが、何度も会場のメンバーを見てちゃんと森田さんの話を聞いているか確認したぐらいです。「ここ、テストにでるからね。ちゃんと聞いてね」というアレです。

森田さんありがとうございました!

続いては、私の番です。「新入社員の手続をkintoneで完結できるか妄想」。
今回、新年度というテーマが決まり、準備も進んでいました。が、私自身の登壇セッションの準備がまったく進んでいませんでした。

正直に言うと、前日の夜とkintone Café 当日の朝、そして会場についてからスライドの残りを仕上げました。
が、着想としては今回のテーマに即していたこと。そして、私自身が新メンバーの受け入れ準備に追われてスライドが準備できなかった、つまり、スライドに書くべき内容で忙殺されていたので、書くべき内容は明快でした。

そんな風に開き直って臨んだのがよかったのか、いつもの私の登壇に比べれば皆さんからの反応も良かったように思います。
私のスライドはこちらからご覧ください。

続いてはジョイゾー根崎さんによる「『新入社員は・・64歳のkintoneおばちゃん』64歳。孫2人。再雇用期間残り数か月。崖っぷちのおばちゃんが、kintoneに出会っての一発逆転劇。」です。

昨年のkintone hiveの関東大会で見事優勝し、幕張メッセで行われた本戦にも登場した根崎さん。そのあと、ジョイゾーさんにジョインされたいきさつは、最近の人材交流が盛んなkintone界を象徴するようです。
私は本選の根崎さんの登壇はブース対応で見られませんでした。が、関東大会の様子はネット上で拝見しており、とても深い感銘を受けました。
その中で話されていた77歳でも登壇したいという目標に私の77歳の母が連想しました。そして母にもっとkintoneを教えねばと思わされました。
根崎さんの登壇内容は、まさに感動を呼ぶ内容。私の登壇で若干緩んだタガを見事に締めなおしてくださりました。
会場の皆さんも聞き入っておられました。お見事!

上にも書いた通り、ジョイゾーにジョインした根崎さんとスナックジョイゾーで会話したことが今回のkintone Café 神奈川のきっかけです。
根崎さんとは事前に登壇内容を二回ほど打ち合わせました。大阪の天保山の真下からオンラインでつないだその直前、WBCのメキシコ戦で劇的な逆転があったこともあり、とても印象に残っています。
こういう人とのつながりこそがこれからの技術者のキャリアは重要なんです。もうディスプレイとにらめっこしていても、仕事は得られません。根崎さんの大逆転は、まさにその生きた事例です。

根崎さんには今後、神奈川のスタッフとしてもご活躍をお願いし、さらなるkintoneライフを送っていただければと考えています。

根崎さんありがとうございました!

さて、続いてはサティライズの石際さんによる「君はお化けkintoneを知っているか 知っておきたいアプリカスタマイズとのつきあいかた」。
石際さんとも1月のkintone Café 名古屋でお会いしました。その際、見事なkintoneハックを披露してくださり、私の度肝を抜いてくれました。
kintoneエバンジェリストの中でも屈指の技術強者だと思い、私淑しております。

今回も名古屋育ちの見事なお化けアプリをご披露くださいました。ひえー!alaSQL使ってらっしゃるのかな。作るのが大変そうです。
弊社の新メンバーにもお見せできたはず。こういうkintone山脈が遠方にはそびえているんやで、と。

石際さんの登壇内容で学ぶべきは、自分たちでそういうお化けを生み出さないために何をすべきか、ということです。
また、前任者(社)からそういうお化けkintoneを引き継いでしまった場合、どういう態度で臨めばよいかが示されていました。
kintoneはビジネス要件が複雑であれば、どうしてもカスタマイズが必要となります。
もちろん、お客様の業務を改善し、カスタマイズを減らしていくことが本来は理想です。
ですが、お客様の規模が大きい場合、業務を改善するための労力がカスタマイズの労力の数倍から十数倍になってしまうことも現実にありえます。
その時にいかにしてお化けを生み出さずに済むかではなく、お化けを可愛いと愛でつつ、うまく飼いならすすべを知っていれば、複雑なカスタマイズでも運用は可能なのです。

石際さんありがとうございました!

さて、続いては高知からの片岡幸人さんによる「新年度は地図を活用!?- kintone で Google Map -」です。
前回の鎌倉にも来てくださった幸人さんは、その時から次回が小田原であれば来ると言ってくださいました。
歴史好きで社会科教員の免許も持っておられる幸人さんであれば、北条五代の栄華から大久保氏の治世を経て今に伝わる小田原を愛でてくださるはず。
実際、前日から小田原にとまり、朝から桜満開の小田原城を散策されたそうです。

その通り、幸人さんの登壇内容は、歴史を愛好する私のハートを打ち抜いてくれました。
小田原攻めのあらゆる陣立ての座標をkintoneに登録し、それをgoogle mapに表示するという優れもの。
これは小田原で開催するkintone Caféならではの喜びですね。

各地でkintone Caféを開催するたびにその地の合戦場の情報をプロットし、日本中の合戦情報をkintoneで作り上げていく夢が広がります。
国土地理院の地図であれば等高線も見えますし、google mapの地形モードでも楽しめそう。

歴史とkintoneという新たな組み合わせの可能性が見えた内容でした。石垣山に行きたくなりました。私もこうした取り組みをしないと!

幸人さんありがとうございました!

さて、続いてはkintone Café 神奈川の重鎮であり、FACEBOOKグループ「kintone活用研究会」を主宰されている加藤さんによる「21世紀が来ました…アプリの新しい作り方」です。
加藤さんの登壇内容も楽しみにしていました。
必ずやChatGPTが登場するはず。一体、今のkintoneはどこまでChatGPTで構築できるのか。合間に試行している私にとっては興味津々の内容でした。

テーブル定義から適宜の修正を加え、データ型の指定まで。
その可能性を次々と見せてくださった加藤さんの登壇内容は、まさに現時点での最良のまとめです。
私にとって大いなる学びとなりました。
アプリビルダー助っ人君は欲しい!

新年度からkintoneに触る方にとっても、加藤さんの登壇内容はこういう構築手法が今後のkintoneでの主流になるよ、という良い学びになったのではないかと思います。
これはkintoneに限りません。テーブル定義はスクラッチ開発であっても必要です。モバイルアプリであっても。
そして、だからこそ、コミュニケーションが重要なんだよ、という冒頭の森田さんのセッションへと帰っていくわけです。PDCAサイクルここに完結。kintone Caféの一つの形として美しい終了でした。

加藤さんありがとうございました!

さて、ここからはLTタイム。

まずは田中さん。

田中さんは実はこの日が入社日。田中さんにはLTでよいから小田原に来て登壇してほしいとお願いしていました。
我ながら無茶ぶりだと思うし、主催者の権限を大幅に乱用していないかという懸念もありました。

ただ、それを承知できて登壇してほしいと思ったのは、田中さんのやる気も買ったうえで。
上にも書いた2/17のスナックジョイゾーに田中さんには来てもらいました。これから関わってもらうkintone界隈とは、ただプログラミングをして設計をすればよいのではないことを知ってほしかったので。こうしたコミュニティへの参加こそがこれからの技術者人生で肝なんだよ、と。
すると田中さんはその期待に応えてくれました。次にどこかでコミュニティがあれば参加して話すといってくれたのです。その場でスナックジョイゾーに参加されていた某社長様にお誘いされ、サイボウズの某執行役員の方と翌日の昼のみにも参加したそうです。期待できます。

それもあっての登壇です。緊張していたと思うし、ぎこちないことも承知です。が、ちゃんとLTをやり切ってくれました。うれしい!

田中さんありがとうございました!

続いてのLTは長井さん。

私の長女であり、田中さんと同じく本日が入社日。経理や総務や人事担当なので、本来ならばkintone Café に参加する義理も必要も薄い立場です。
ですが、入る会社がどんなことをやっているのか知ってもらうためにはぜひ登壇してほしかった。
本人にとっては、親であり経営者である私からの無茶ぶりに内心は「ええー?!」という感じだったでしょう。実際、前の晩まで資料が必要と伝えておらず、なおさら無茶ぶりの極致でした。
でもイラストレイターとして作っていたポートフォリオにはCybozu Days で弊社ブースのパネルを作ってくれた実績も載っていたし、テーマからは外れていないだろうと、そのポートフォリオで話してみ、と指示しました。

当日、うまく機器がつながらない危機にも見舞われました。が、機転を利かして参加者の方々が持ってきてくださったお菓子を食べて待っていてくださいと会場に呼びかけるなど、私の期待を大きく上回る発表だったと思います。

長井さんありがとうございました!

ここで司会進行の山田さんからは「これにてアクアビットの入社式を終わります」というナイスな合いの手が入りました。
私も二人に登壇をおねがいしておきながら、入社式という発想は全くなかったので、山田さんの機転に驚かされるとともに、今回が二人にとって社会人人生の門出やったんや、という重みを改めてかみしめました。責任は重い。

山田さんありがとうございました!

続いてのLTは、かのってぃさん。

kintone界隈に二年前、彗星のように現れ、コミュニティ強者としての名を高めつつあるかのってぃさん。
意外なことにLT登壇は初めてなのだとか。

リアルkintone Caféの参加も初めてという意外な事実。

でもそんなことを微塵も感じさせない緩急織り交ぜ、笑いとシリアスをちりばめた内容のLTはさすがとうならされました。
そうなんです。LTってこういう感じでいいんです。私も改めて学ばせていただいた気分です。

「kintoneも定期的に聞く話す学ぶ!」

これは、かのってぃさんの当日のまとめnote。
https://note.com/kano_tty/n/nbea1506db483

余談ですが、kintone Café 神奈川の翌週。ひょんな偶然で板橋区の成増でかのってぃさんと二人で主食を共にする機会がありました。
その時、kintone Caféのことも話題にでました。これがきっかけで今後もコミュニティ界隈でのかのってぃさんの活躍が見られそうです。とても喜ばしいですね。

かのってぃさんありがとうございました!

続いてのLTはなかじさん。

ご実家での農作業のお手伝いが早めに終わったそうで駆け付けてくださったなかじさん。
本来ならばkintoneエバンジェリストとしてセッションでお話しいただきたい方です。
短い準備時間の中で簡潔にkintone界隈に新たにかかわり始めた方が心得ておくとよいことをまとめてくださりました。

新しい『出会い』は
新しい『気づき』の
ボーナスタイム!

まさにこれです。こういうコミュニティの参加を義務と感じるのではなく、むしろ与えられたチャンス、ボーナスタイムとして取り組む心が重要なのです。

なかじさんはインターネットの接続が不安定で途切れた場合にも当意即妙に場をつなぐ技さえも披露してくださいました。
いろんな意味で学びになります。

なかじさんありがとうございました!

さて、LTの最後のトリを締めてくださるのは西舘さん。
「ノーコードが変えるエンジニアとビジネスの世界」
神奈川を拠点に配信や学生へのコミュニティ作り、イベントファシリテートなど多彩な活動をされている西舘さん。
私と出会ったのは2月の釧路です。CLS道東に登壇されていた西舘さんが神奈川を拠点とされていることを知り、いつかは登壇をお願いしようと思っていました。
まさかこんな早くにご縁が実現できるとは。
釧路のご縁を神奈川で開かせる。まさにコミュニティがつなぎ、広げるご縁の力です。

学生さんに対してのメンタリング的な活動もされている西舘さんにとって、新年度はまさに始まりの季節のはず。
幾多ものイベントに登壇されてきた西舘さんの喋りは、まさに新年度をテーマとしたkintone Café 神奈川 Vol.14のトリにふさわしい内容でした。

システム開発の民主化

AIやノーコードツールが広まった今でも、技術者として生き延びるための道筋を示してくださいました。
西舘さんありがとうございました!

実は今回の会場の参加者は西舘さんのほかにも道東でのご縁から参加してくださった方がいます。
釧路で初めて出会った原田さんや帯広で初めて出会った、はっしーさんなど。

こういう出会いやご縁がつながって、皆さんが楽しむ。そうありたいし、これからもそうなってほしいですね。

懇親会は先日、私が旧三福ビルヂングを訪れた後に一人で飲んだ金時さんの二階のお座敷にて。
みなさんとても楽しんで交流を深めていました。もちろん私も。
うちの新メンバーもかのってぃさんがいろんな方に紹介してくださいまして、こういう雰囲気を楽しんだようです。

二次会は夜の小田原城を散策し、夜桜の美しさに酔いしれました。
お店が閉まる時刻だったので、路上飲みしましたが、それもまた思い出。

これは当日の夜に森田さんが神速でまとめてくださったツイートまとめ
あまりにも楽しかったので帰りの新幹線の中かな?で作ってくださったそうです。

森田さんありがとうございました!

そしてスタッフとして機器設置や撮影などでとてもお世話になった渋屋さんからも、
早速ブログのアップが。

さらに数日後には山田さんから当日のZoomでの配信内容を編集し、早速YouTubeにアップしてくださいました。
山田さんありがとうございました!

皆さんの力添えがあっての今回のkintone Caféの成功です。
会場をお貸しくださった旧三福不動産の皆さんにも大いなる感謝を!

また、皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

今回ご参加の皆様や、登壇された皆様、誠にありがとうございました!

次は箱根でお会いしましょう!


戦国大名北条氏 -合戦・外交・領国支配の実像


本書は手に入れた経緯がはっきりと思い出せる一冊だ。買った場所も思い出せるし、2015/1/31の昼はどこに行き、どういう行動をとったかも思い出せる。

その日、友人に誘われて小田原で開かれた嚶鳴フォーラムに参加した。
小田原といえば二宮尊徳翁がよく知られている。だが、二宮尊徳翁と同じ江戸期に活躍し、今に名を残す賢人たちは各地にいる。例えば上杉鷹山や細井平洲など。
そうした地域が産んだ賢人を顕彰しあい、勉強しあうのが嚶鳴フォーラムだ。

嚶鳴フォーラムが始まる前、私と友人は小田原城を訪れた。
というのも、フォーラムでは城下町としての小田原が整備されるにあたり、北条氏が果たした役割を振り返る講演があったためだ。講師である作家の伊東潤氏は、北条氏の五代の当主がなした治世を振り返り、その治が善政であったことを強調しておられた。

フォーラムで刺激を受けた帰り、小田原の観光案内所に立ち寄った。
そこで出会ったのが武将の出で立ちに身を包んだ男性。その方は学生で、その合間を縫って観光ガイドを勤めてらした。そしてとても歴史に造詣が深い方だった。
小田原に住み、北条氏を熱く語るその方からは、小田原における北条氏がどのようにとらえられているかを学ぶことができた。彼の熱い思いはわたしにもたくさん伝わったし、私の思う以上に小田原には北条氏の存在が強く刻まれていることも感じられた。
その彼の熱意に打たれ、案内所で購入したのが本書だ。

兵庫の西宮で育った私にとって、地元が誇る大名への思いをストレートに語れる彼はある意味でうらやましい。というのも、西宮に武将の影は薄いからだ。
西宮戎神社を擁する門前町であったためか、江戸時代の大部分を通して西宮は幕府の天領だった。
戸田氏や青山氏が一時期、西宮を領有したこともあったらしいし、さらにその前には池田氏や瓦林氏が統治していた時期もあったようだ。
だが、西宮で育った私には故郷の武将で思い浮かぶ人物はいない。

今、私は町田に20年近く住んでいる。そして、故郷にはいなかった武将の面影を求め、ここ数年、北条氏や小山田氏にゆかりのある地を訪れている。小机城や玉縄城、滝山城、関宿城など。もちろん小田原城や山中城も。
そうした城は今もよく遺構を伝えている。それはおそらく、北条氏が滅亡した後、関東を治めた徳川家が領民を慰撫するために北条氏の遺徳を否定しなかったためだろう。

嚶鳴フォーラムをきっかけとした今回の小田原訪問により、私は北条家の統治についてより強い関心を抱いた。

ところが、本書はなかなか読む機会がなかった。
購入した二年半後には次女と二人で小田原城を登り、博物館で北条家の治世に再び触れたというのに。
本書を手に取ったのは、それからさらに一年四カ月もたってから。
結局、買ってから三年半も積んだままに放置してしまった。

さて、本書は北条氏五代の治世を概観している。
初代早雲から、氏綱、氏康、氏政、氏直と続き、秀吉の小田原攻めで滅亡するまでの百年が描かれている。百年の歴史は、過酷な戦国時代を大名が生き延び、勢力を伸ばそうとする努力そのものだ。

関東に住んでいると、関東平野の広大さが体感できる。
広大な土地に点在する城を一つ一つ切り崩してゆきながら、領内の民衆を統治するために内政にも力を注ぐ北条家。その一方で武田家、上杉家、真田家、結城家、佐竹家、里見家と小競り合いを続け、少しずつ領土を広げていった。
その百年の統治は困難で安易には捨てられない努力がなくては語れないはず。だからこそ、北条氏は容易に秀吉の足下に屈しようとしなかったのだろう。その気持ちも理解できる。

歴史が好きな向きには、北条家が関東で成した合戦がいくつか思い浮かぶだろう。
小田原城奪取、八王子城攻防戦、河越夜戦、二回にわたって繰り広げられた国分台合戦など。
「のぼうの城」で知られる忍城の水攻めも忘れてはならないし、滝山城から多摩川を見下ろしながら、攻め寄せる上杉謙信の残像に思いをはせるのも良い。信玄の旗が掛けられた松の跡から見る三増峠の戦場も趣がある。落城間近の小田原城に思いを漂わせながら、秀吉の一夜城を想像すると時間はすぐに過ぎてゆく。
だが、本書は物語ではない。なのでそうした合戦をドラマティックに書くことはない。むしろ学術的な立ち位置を失わぬようにコンパクトな著述を心がけている。

ただ、史実を時系列に描くだけでは読者が退屈してしまう。そこで本書は、全五章の中で北条氏と周辺の大名との関係を軸に進める。

第一章は「北条早雲・氏綱の相模国平定」として基礎作りの時期を描いている。
今川氏の家臣の立場から伊豆を攻めとり、そこから相模へと侵攻して行く流れ。大森氏から小田原城を奪取し、小田原を拠点に三浦氏との抗争の果て、相模を統一するまでの日々や、武蔵への勢力拡張に進むまでを。

第二章では「北条氏康と上杉謙信」として両上杉氏の抗争の中、関東管領に就いた上杉謙信が数たび関東へ来襲し、それに対抗した北条氏康の統治が描かれる。
北条氏の関東支配はいく度も危機にさらされている。が、滝山城の攻防や小田原城包囲など上杉謙信が関東を蹂躙したこの時期がもっとも危機に瀕していたといえる。

第三章では「北条氏政と武田信玄」として武田信玄が小田原城を攻めた時期を取り上げている。
上杉謙信もいくどか関東への出兵を企てていたこの時期。北条家がもっとも戦に明け暮れた時期だといえる。農民からも徴兵しなければならないほどに。その分、内政にも力を入れた時期だと思われる。そして今川家、上杉家、武田家とは何度も同盟を結んでは破棄する外交の繰り返し。

第四章では「北条氏直と徳川家康・豊臣秀吉」として天下の大勢が定まりつつあった中、関東の雄として存在感を見せていた北条家に圧迫が加えられていく様子が描かれる。
名胡桃城をめぐる真田昌幸との抗争や、佐竹・結城氏との闘い。天下をほぼ手中におさめた豊臣秀吉にとって、落ち着く様子がない関東平野は目立っていたに違いない。何らかの手段で統治せねばならないことや、そのためにはその地を治める北条家と一戦を交えなければならないことも。

終章は「小田原合戦への道」と籠城を選択した北条氏が圧倒的な豊臣連合軍の前に降伏していくさまが描かれる。
敗戦の結果、氏政は切腹、氏直は高野山へ追放されるなど、各地に散り散りとなった北条家。
北条家を滅亡に追いやった小田原合戦こそ、戦国の最後を締めくくる戦いと呼んでもいいのではないか。
もちろん、戦国時代は大坂の役をもって終焉したことに異論はない。ただ、全国統一という道にあっては、小田原の戦いが一つの大きな道程になったことは間違いないと考えている。

小田原の戦いで敗れたことで関東の盟主が徳川家に移った。それなのに小田原においては徳川の名を聞くことはない。
400年たった今も、小田原の人々は北条家の統治に懐かしさを覚えているかのようだ。よほど優れた内政が行われていたのだろう。
この度、小田原の人々から北条家についての思いを伺ったことで、私は北条家の各城を巡ってみようとの思いを強くした。
もちろん本書を携えて。

‘2018/11/10-2018/11/12


戦国姫物語 城を支えた女たち


ここ数年、城を攻める趣味が復活している。若い頃はよく各地の城を訪れていた私。だが、上京してからは家庭や仕事のことで手一杯。城巡りを含め、個人的な趣味に使う時間はとれなかった。ここにきて、そうした趣味が復活しつつある。それも誘ってくれた友人たちのおかげだ。

20代の前半に城を訪れていた頃は、有名な城や古戦場を訪れることが多かった。だが、最近は比較的マイナーな城を訪れている。なぜかといえば、名城の多くは明治に取り壊され、江戸時代の姿をとどめていないことが多いからだ。そうした城の多くは復元されたもので、残念ながらどこかに人工的な印象を受ける。私は今、そうした再建された広壮な城よりも、当時の姿を朽ちるがままに見せてくれる城に惹かれている。中でも山城は、山登りを好むようになった最近の私にとって、城と山の両方をいっぺんに達成できる魅力がある。

城を訪れる時、ただ城を眺めるだけではもったいない。城の歴史や、城を舞台に生きた人々の営みを知るとさらに楽しみは増す。特に人々が残した挿話は、人が活動した場所である以上、何かが残されている。もちろん、今に伝わる挿話の多くは有名な城にまつわるものだ。有名な城は規模も大きく、大勢の人が生活の場としていた。そこにはそれぞれの人生や葛藤が数知れずあるはず。だが、挿話が多いため、一つ一つに集中しにくい。印象も残りにくい。だが、埋もれつつある古城や、こぢんまりとした古城には人もあまりいなかったため、そうした地に残された挿話には濃密な情念が宿っているように思えるのだ。

その事を感じたのは、諏訪にある上原城を訪れた時のことだ。先に挙げた友人たちと訪れたこの城は、諏訪氏と武田氏の戦いにおいて重要な役割を担った。また、ここは諏訪御料人にゆかりのある城だ。諏訪御料人は、滅ぼされた諏訪氏の出で、一族の仇敵であるはずの武田信玄の側室となり、のちに武田家を継ぐ勝頼を生んだ女性だ。自らの父を破った信玄に身を任せたその心境はいかばかりか。戦国の世の定めとして、悲憐の運命をたどった諏訪御料人の運命に思いをはせながら、諏訪盆地を見下ろす。そんな感慨にふけられるのも、古城を訪れた者の特権だ。

戦国時代とは武士たちの駆け抜けた時代であり、主役の多くは男だ。だが、女性たちも男たちに劣らず重要な役割を担っている。諏訪御料人のような薄幸の運命を歩んだ女性もいれば、強く人生を全うした女性もいる。本書はそうした女性たちと彼女たちにゆかりの強い60の城を取り上げている。

本書は全七章からなっている。それぞれにテーマを分けているため、読者にとっては読みやすいはずだ。

第一章 信玄と姫
 躑躅ヶ崎館と大井婦人 / 小田原城と黄梅院 / 高遠城と松姫 / 伏見城と菊姫 / 上原城と諏訪御料人 / 新府城と勝頼夫人
第二章 信長と姫
 稲葉山城【岐阜城】と濃姫 / 小牧山城と生駒吉乃 / 近江山上城とお鍋の方 / 安土城と徳姫 / 金沢城と永姫 / 北庄城とお市の方 / 大坂城と淀殿 / 大津城とお初 / 江戸城とお江 / 岩村城とおつやの方 / 坂本城と熙子
第三章 秀吉と姫
 長浜城とおね / 山形城と駒姫 / 小谷城と京極龍子 / 美作勝山城とおふくの方 / 忍城と甲斐姫
第四章 家康と姫
 勝浦城とお万の方 / 岡崎城と築山殿 / 浜松城と阿茶局 / 鳥取城と督姫 / 松本城と松姫 / 姫路城と千姫 / 京都御所と東福門院和子 / 宇土城とおたあジュリア / 江戸城紅葉山御殿と春日局 / 徳島城と氏姫
第五章 九州の姫
 首里城・勝連城と百十踏揚 / 鹿児島城と常盤 / 平戸城と松東院メンシア / 佐賀城と慶誾尼 / 熊本城と伊都 / 鶴崎城と吉岡妙林尼 / 岡城と虎姫 / 柳川城と立花誾千代
第六章 西日本の姫
 松江城と大方殿 / 吉田郡山城と杉の大方 / 三島城と鶴姫 / 岡山城と豪姫 / 常山城と鶴姫 / 三木城と別所長治夫人照子 / 勝龍寺城と細川ガラシャ / 大垣城とおあむ / 彦根城と井伊直虎 / 津城と藤堂高虎夫人久芳院 / 掛川城と千代 / 駿府城【今川館】と寿桂尼
第七章 東日本の姫
 上田城と小松殿 / 越前府中城とまつ / 金山城と由良輝子【妙印尼】 / 黒川城【会津若松城】と愛姫 / 仙台城と義姫 / 米沢城と仙洞院 / 浦城と花御前 / 弘前城と阿保良・辰子・満天姫

これらの組み合わせの中で私が知らなかった城や女性はいくつかある。なにしろ、本書に登場する人物は多い。城主となった女性もいれば、合戦に参じて敵に大打撃を与えた女性もいる。戦国の世を生きるため、夫を支えた女性もいれば、長年にわたり国の柱であり続けた女性もいる。本書を読むと、戦国とは決して男だけの時代ではなかったことがわかる。女性もまた、戦国の世に生まれた運命を懸命に生きたはずだ。ただ、文献や石碑、物語として伝えられなかっただけで。全国をまんべんなく紹介された城と女性の物語からは、歴史の本流だけを追うことが戦国時代ではないとの著者の訴えが聞こえてくる。

おそらく全国に残る城が、単なる戦の拠点だけの存在であれば、人々はこうも城に惹かれなかったのではと思う。城には戦の場としてだけの役目以外にも、日々の暮らしを支える場としての役割があった。日々の暮らしには起伏のある情念や思いが繰り返されたことだろう。そして、女性の残した悲しみや幸せもあったはずだ。そうした日々の暮らしを含め、触れれば切れるような緊張感のある日々が、城を舞台に幾重にも重なっているに違いない。だからこそ、人々は戦国時代にロマンや物語を見いだすのだろう。

むしろ、本書から読み取れることは、戦国時代の女性とは、男性よりもはるかにまちまちで多様な生き方をしていたのではないか、ということだ。男が戦や政治や学問や農商業のどれかに従事していた以上に、女はそれらに加えて育児や夫の手助けや世継ぎの教育も担っていた。結局のところ、いつの世も女性が強いということか。

私が個人的に訪れたことのある城は、この中で25城しかない。だが、最近訪れ、しかも強い印象を受けた城が本書には取り上げられている。例えば勝連城や忍城など。まだ訪れていない城も、本書から受けた印象以上に、感銘をうけることだろう。本書をきっかけに、さらに城巡りに拍車がかかればよいと思っている。まだまだ訪れるべき世界の城は多いのだから。

‘2018/09/25-2018/09/25


列島縦断 「幻の名城」を訪ねて


本書を読む二カ月前、家族で沖縄を旅した。その思い出は楽しさに満ちている。最終日に登城した勝連城跡もその一つ。勝連城跡の雄大な石垣と縄張り。そして変幻自在にくねっては一つの図形を形作る曲輪。勝連城跡は私に城巡りの楽しさを思い出させた。

それまで沖縄のグスクに対して私が持っていた印象とは、二十年前に訪れた首里城から受けたものだけだった。首里城は沖縄戦で破壊され、私が訪れる四年ほど前に復元されたばかり。そのまぶしいまでの朱色は、かえって私から城の印象を奪ってしまった。

今回の旅でも当初は首里城を訪れる予定だった。が、私自身、上に書いたような印象もあって首里城にはそれほど食指が動かなかった。そうしたところ、お会いした沖縄にお住いの方々から海中道路を勧められた。それで予定を変更し、首里城ではなく海中道路から平安座島と伊計島を訪れた。前の日には今帰仁城址を訪れる予定もあったが、美ら海水族館で多くの時間を時間を過ごしたのでパス。なので、本来ならば今回の沖縄旅行では、どのグスクにも寄らずじまいのはずだった。ところが、海中道路からの帰りに勝連城跡が近いことに気づき、急遽寄ることにした。正直、あまり期待していなかったが。

ところが勝連城は私の期待をはるかに上回っていた。ふもとから仰ぎ見る見事な威容。登り切った本丸跡から眺める海中道路の景色。何という素晴らしい城だろう。かつて阿麻和利が打ち立てた勢いのほとばしりを数百年のちの今も雄弁に語っている。阿麻和利は琉球史でも屈指の人物として知られる。南山、中山、北山の三山が割拠した琉球の歴史。その戦乱の息吹を知り、今に伝えるのが勝連城跡。城とは、歴史の生き証人なのだ。

お城とは歴史の爪痕。そして兵どもの戦いの場。確かに、イミテーション天守は戴けない。コンクリートで復元された天守も興を削ぐ。その感情がわき起こることは否めない。だが、例え天守がイミテーションや復元であっても、天守台や二の廓、三の廓に立ち、二の丸、三の丸の石垣を目にするだけでも城主の思いや戦国武士の生きざまは感じられるのではないか。私は勝連城を訪れ、あらためて城の石垣に魅了された。

ここ数年、山中に埋もれた山城の魅力に惹かれていた。だが、石垣で囲われた城にも魅力はある。そう思って本書を手に取った。

本書には有名な城もそうでない城も紹介されている。本書は全部で五十以上の条で成っており、それぞれの条で一つの城が取り上げられている。本書で取り上げられた城の多くに共通するのは、石垣の美しさを今に伝える城であること。著者は石垣マニアに違いあるまい。石垣へ魅せられる著者の温度が文章からおうおうにして漂っている。著者のその思いは、本書にも取り上げられている勝連城を登った私にはよく理解できる。

第一章は「これぞ幻の名城ー石垣と土塁が語る戦いと栄華の址」と題されている。ここで扱われている城の多くに天守は残されていない。西日本編として安土城、近江坂本城、小谷城、一乗谷館、信貴山城、大和郡山城、竹田城。東日本編として春日山城、躑躅ヶ崎館、新府城、興国寺城、石垣山城、小田原城、金山城、箕輪城、高遠城、九戸城が登場する。この中で私が訪れたことがあるのは、安土城、一乗谷館、大和郡山城、躑躅ヶ崎館、小田原城だけしかない。他はどれも行ったことがなく、旅情を誘う。各城を紹介する著者の筆致は簡潔で、歴史の中でその城が脚光を浴びたエピソードを描く程度。だが、訪問したいという思いに駆られる。ここに登場する城には土塁や石垣がはっきり残っているところが多い。その多くは戦いのための機能のみならず、統治用の縄張りも兼ねている。つまり軍略と統治の両面を考えられた城がこの章では取り上げられている。そうした観点で見る城もなかなかに魅了させてくれる。

第二章は「大東京で探す「幻の名城」」と題されている。江戸城、平塚(豊島城)、石神井城、練馬城、渋谷城と金王八幡宮、世田谷城と豪徳寺、奥沢城と九品仏浄真寺、深大寺城と深大寺、滝山城、八王子城だ。この中で全域をめぐったといえる城は滝山城だけ。世田谷城も江戸城も深大寺城も奥沢城も渋谷城も城域とされる地域は歩いたが、とてもすべてをめぐったとは言えない。そもそも遺構があまり残されていないのだから。だが、東京に暮らしているのなら、これらの城はまだめぐる価値があると著者はいう。本書を読んで数日後、皇居の東御苑に行く機会があったが、折あしく立ち入れなかったのは残念。また訪れてみたいと思っている。また、この章では最後には桜が美しい城址公園を紹介してくれている。弘前公園、松前公園、高遠城址公園、津山城鶴山公園、名護城址公園の五カ所だ。津山以外はどこも未訪で、津山に訪れたのは三十年以上前のことなのでほとんど覚えていない。ぜひ行きたい。

第三章は「櫓や石垣、堀の向こうに在りし日の雄姿が浮かぶ」と題されている。金沢城、上田城、福岡城、津和野城、女城主井伊直虎ゆかりの城、井伊谷城、松岡城が採り上げられている。金沢と福岡しか行ったことがないが、いずれも石垣が印象に残る城だと思う。直虎を取り上げているが、それは本書の出された時期に放映中の大河ドラマに便乗した編集者のごり押しだろう。だが、一度は訪れてみたいと思っている。ここの章に挿入されたコラムでは、荒城の月の舞台はどこかについて、五カ所の候補とされる城が紹介されている。仙台(青葉)城、九戸(福岡)城、会津若松(鶴ヶ城)城、岡城、富山城だ。九戸と岡はまだ行ったことがない。ぜひ訪れたい。

第四章は「再建、再興された天守や館に往時を偲ぶ」と題されている。この章で採り上げられた城はどれも復興天守だ。五稜郭、会津若松城、松前城、伏見城、忍城。この中では松前城だけ行ったことがない。本章の最後にはなぜ復興天守は作られるのか、というコラムで著者の分析が収められている。著者が説くのは、観光資源としての城をどう考えるのかという視点だ。その視点から復興天守を考えた時、違う見え方が現れる。私は、復興天守だから一概に悪いとは思っていない。どの城も堀や縄張りは往時をよく残しており、天守だけが廃されている。だからこそ天守を復興させ、最後の点睛を戻したいという地元の人の気持ちもわかるのだ。なお、伏見城は歴史考証を無視したイミテーション天守だが、伏見の山腹に見える天守を見ると関西に帰省した私は心が安らぐのもまた事実。すべての復興天守を批難するのもどうかと思う。

第五章は「古城の風格をいまに伝える名城」として弘前城、丸岡城、備中松山城を取り上げている。丸岡城は母の実家のすぐ近くなので訪れたことがあるが、それもだいぶ前。もう一度訪れてみたいと思っている。ここで採り上げられたどの城も現存十二天守に含まれている。なお、本書のまえがきにも記されているが、現存十二天守とは江戸時代以前に築かれた天守で、今に残されている天守を指す。松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城が国宝。重要文化財は弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城だ。なぜか前書きからは松山城が抜けているが。私はこの中で弘前城、備中松山城、丸亀城、宇和島城だけ登っていないが、残りは全て天守を登っている。どの天守も登る度に感慨を豊かにしてくれる。

第六章は「北の砦チャシ、南の城グスクの歴史」だ。アイヌにとっての砦チャシ、シベチャリシャシ、ヲンネモトチャシ、首里城、今帰仁城、中城城、座喜味城、勝連城が取り上げられている。本章を読んで、私が北海道のチャシを訪れたことがない事に気付いた。三回も北海道を一周したにもかかわらずだ。いまだに五稜郭しか行ったことがない。これはいかんと思った。そして沖縄だ。まだ訪れていない今帰仁城や中城城、座喜味城にも勝連城を訪れた時のような感動が待っているに違いない。そしてこの章の最後に、石垣マニアの著者が力を入れて取り上げる、石垣が美しい城ベスト5が紹介されている。会津若松城(鶴ヶ城)、金沢城、伊賀上野城、丸亀城、熊本城だ。伊賀上野と金沢は訪れたものの、ずいぶんと前の話。しかも伊賀上野は十年近く前に訪れたが、忍者屋敷に娘たちが見とれていたのを親が見とれていたので、実質は見ていないのと同じだ。石垣だけでも見に行きたい。

最後に巻末資料として、日本の城とは何かという視点で、築城史が紹介されている。また城に関する用語集も載っている。特に虎口や馬出や堀、曲輪、縄張、天主や土塁、石垣などがイラスト付きで載っており、とても分かりやすい。私の生涯の目標として、日本の〇〇百選を制覇することがある。もちろん城もそれに含まれている。城については百名城だけでなく二百名城までは制覇したいと思う。本書を読んだことを機に、城探訪の旅も始めたいと思っている。

‘2018/05/03-2018/05/09