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結婚20周年の旅 2019/11/22


さて、八ヶ岳の朝を迎えました。
11月の八ヶ岳は都内よりも秋の深まりをしんしんと感じさせてくれます。

まずは昨晩もお世話になった「YYグリル」の朝食ビュッフェで体を整え、丸山珈琲では優雅に朝のコーヒーで体と心を暖めまして。

しかも、コーヒーを飲んでいると、今日は観光するな、ここにいろ、といわんばかりの天候となり、リゾナーレ小淵沢は雨に降られました。

そのため、昨日に引き続き、終日をリゾナーレ八ヶ岳の中だけで過ごしました。
私にとっては実はもっとも苦手な時間の過ごし方。ところが妻にとってはそのような時間こそ求めていたのだそう。動き回らずにのんびりと過ごすゆったりした時間を。

昨日も訪れた「Epicerie Fine Alpilles」で長い間、ためつすがめつ商品選びに余念のなかった妻。迷った揚げ句、フランスのお店の写真があしらわれたエコバッグを購入し、まずはご満悦の様子。

午後は「Books & Cafe」で本に囲まれながら、それぞれ存分に一人の時間を使いました。
私はここで持ってきたパソコンを開いてお仕事もこなしつつ。

旅先に来ているにもかかわらず、どこにも出かけない。バカンスの本来の意味は「空」からきているといいますが、私は地方に来ているのにあちこちに出かけないという時間の過ごし方がもったいなく思えて本当に苦手です。多分、生き急いでいるのでしょうね。
旅に出ると毎度毎度、私にあちこち連れまわされていた妻にとっては、今回の旅のあり方が非常に嬉しかったそうです。

結局、私たちは17時半ごろまでリゾナーレ八ヶ岳で過ごしていました。

このホテルは妻や娘たちがお気に入りで、今までに何度も来ています。泊まりではなく立ち寄るためだけでも。

それほどまでに気に入っているこのホテルですが、実は最初の思い出は芳しくありませんでした。
それは長女がまだ乳児の時分。星野リゾートが運営に携わる前のことです。
その時の残念な対応が妻の中でしこりとなって残っていただけに、十年ほどたって再訪した時に受けた心温まる対応の数々にすっかり魅了され、今では何かあればリゾナーレというほどにほれ込んでいます。

私としてもkintoneのヘビーユーザーとして知られる星野リゾートさんには親近感を覚えています。
今回も貴重な時間を過ごさせてもらえました。感謝です。

最後にせっかく山梨に来ているのだからほうとうを食べていこうと、清里の小作まで足を延ばしました。
雨脚は相変わらず弱まらず、小作の広い店内には私たち夫婦以外はもう一組だけ。
小作には何度も来ているのですが、いつものにぎわった店内とは全く違う雰囲気が印象に残りました。これもまた、思い出に残る出来事でした。

また、こうやって夫婦で来られる日を願いつつ。


結婚20周年の旅 2019/11/21


結婚して二十年目の記念日。
本当は海外に行くなど、より思い出に残る旅をする予定でした。が、いろいろあって妻の気に入っているリゾナーレ八ヶ岳で夫婦の時間を過ごすことにしました。

とはいえ、この日は夫婦ともに日中に予定が入っていました。私は仕事の打ち合わせが入ってしまい、午前は恵比寿にいました。
まさに二十年前のこの日、披露宴を挙げたのが恵比寿。商談とはいえ、記念日に訪れられたのも何かのご縁でしょう。

この日は偶然にももう一つのニュースがありました。それは、弊社がサイボウズ社のオフィシャルパートナーになった記念の盾が届いたことです。盾が届いたので、弊社としても正式にその旨を告知することができました。

そこから家に戻り、車を駆ってリゾナーレ八ヶ岳に着いたのは17時半頃。
本来の私のスタイルならば、近隣を観光してからチェックインするはず。が、どこにも寄らず、いきなりホテルにチェックインしました。
でも良いのです。今回の旅はとにかくぼーっとしたい、との妻の意向があったので。

リゾナーレ八ヶ岳の街並みは、訪れるたびに新鮮な気分にさせてくれます。来るたびに装いが変わっているから。
今年は、ワインの空瓶をランプに見立て、それをツリー状に束ねたオブジェが見ものでした。
クリスマス仕様に装った街並みは、それだけで旅人の、そして夫婦の気持ちを盛り上げてくれます。

ここの街並みには、旅情に寄り添ってくれる店々が軒を並べています。
ここで私たちが長い間足を止めたのが、「Epicerie Fine Alpilles」というお店です。
このお店にはフランスからの輸入雑貨や食品が並んでおり、店内にいるだけで異国情緒が感じられます。

私たちはロゼシャンパンを買い求めましたが、妻はエコバッグに興味をひかれていた模様。とても長い間、商品を手にとっては返しを繰り返していました。
部屋に戻ってまずは結婚二十周年を祝って乾杯しました。

続いては本屋とCaféが併設された「Books & Cafe」へ。特に夕食までに終わらせるべき用事もなく、ゆとりの時間をたっぷりと味わいました。

そして夕食の「YYグリル」です。ここのビュッフェはリゾナーレに来るたびに訪れています。
今回は結婚記念日ということもあって、デザートもいただきました。美味しい食事に舌鼓を打った夫婦でした。

海外に行って豪勢な二十周年は過ごせなかったですが、妻にとってはのんびりできたことが何より嬉しかったそうです。
この時、すでに翌年の手術もほぼ決まっていただけに。


尾瀬の旅 2018/6/2


40歳を過ぎた頃から山登りがしたくなりました。そんな私の思いに応えるかのように、お誘いしてもらったのが山登りのグループ。それ以降、年に一度の参加ですが、山登りをさせてもらっています。今回、そのグループで尾瀬の旅が企画されました。一回でいいから尾瀬に行ってみたいと思っていた私は、一緒に連れて行ってもらいました。

当日の朝、大宮へ向けて小田急で向かった私。実は一つ、前夜にし忘れたことがありました。それは旅費の調達。すっかりお金を下ろすのを忘れたまま、当日の朝を迎えてしまったのです。うかうかしていると無一文で山に向かう羽目になってしまいます。ところがそうなる確率はかなり高い。
 1.7時2分に大宮を発つたにがわ401号に乗らないと集合時間に間に合わない。
 2.キャッシュカードが使えるのは朝7時以降。
 3.使えるATMは限られている。
埼京線の車内で大宮駅の構内地図を血眼になってにらんだ私。新幹線の乗り換え口に近く、私のカードが使え、なおかつ朝7時に空いている機械。あった! ところが、朝7時ちょうどに操作したディスプレイには「時間外」という文字が。ああ無情。ワンモアトライしても状況は同じ。かくして私は金を手にすることもできず、階段を駆け上がってたにがわの車内へ。ギリギリセーフ。

上毛高原駅に降りたった時点で、私の所持金は3千円程度でした。もちろん、バスに乗る前に金を下ろすことはできません。なぜなら上毛高原駅構内や近辺に私が使えるATMはなかったからです。それぐらいは抜かりなく調べておきましたので。役に立たぬクレジットカードとキャッシュカードを懐に、私は途方に暮れて駅の改札を抜けました。ちなみに行きの切符だけは事前に購入しておいたのです。私が忘れていたのは当日の宿泊費のこと。間抜け。

上毛高原の駅前のバス停。そこが今回の集合場所でした。私が乗ったたにがわがぎりぎりだったため、今回、一緒に尾瀬を歩くパーティーのメンバーは全員揃いました。バスはすでに到着しており、乗客を乗せ始めています。もうなりふり構っていられません。すぐにリーダーに私の窮状を訴えました。リーダーは快く「いいよ貸すよ」と言ってくれました。若干あきれ顔で。そりゃそうだ。しかも私が「尾瀬の小屋でATMとかカード支払い、無理ですよね」なんて間抜けさに拍車をかける質問をするので、あきれ顔がさらにクッキリと。多分、私も自分にあきれ顔だったはず。ともかく最初のバス代はお借りできました。

バスに乗ってしまった以上、もうどうしようもありません。ここは成り行きに任せ、みんなの迷惑にならぬようにするのが肝心。肩身の狭い思いをしながらも私の肚は座りました。上毛高原駅を8:00に出たバスは、鳩待峠行きバス連絡所まで約1時間50分の道のりを走ります。道中、コンビニや銀行を見かけるたび、私の脈拍はリズムを刻みました。しかし運転手を脅してバスから降りるだけの度胸はとてもとても。そうしているうちにバスは終点へ。

鳩待峠行きバス連絡所は、マイカー入山が規制されている尾瀬への入り口です。そこから鳩待峠へのシャトルバス代も立て替えてもらいました。ここから先はATM不毛地帯。もはや、完全に覚悟を決めるしかありません。私はこの先、お金のことは一切気にしまい、楽しもうと決めました。30分強、シャトルバスに乗って着いたのは鳩待峠。10:50。尾瀬の入り口です。いよいよここからがスタート。リーダーの点呼のもと、私たちは尾瀬への第一歩を踏み入れました。

尾瀬への道。それは拍子抜けするほど楽でした。なぜなら人が多かったから。行列が途切れずに続き、私たちはその流れに乗って歩くだけでよかったのです。ただし、道中は単調ではなく、なだらかな道なりにも尾瀬らしい光景は見られます。その光景とは道端に咲く水芭蕉と黙々と進む歩荷の姿です。歩荷とは、尾瀬の山小屋に必要な物資を運ぶ人たちを指します。彼らは山小屋が求める物資を大量に背負子に背負って運びます。私たちのようなハイカーが歩むのと同じ道を黙々と往復して。過酷な仕事であることは一目でわかるし、尊敬の念を抱きます。この日、私たちは何度も歩荷の姿を見かけました。こういう人たちの仕事によって私たちのようなハイカーは尾瀬を訪れ、自然を満喫し、泊まれるのです。そのありがたみを尾瀬への道中で意識できたのは幸いでした。尾瀬の中心はまだ先だとは言え、道の左側には山々が見え隠れし、まぎれもない山岳地を進んでいることを意識しました。

さて、鳩待峠から延々と歩いた私たちは、ついに尾瀬の入り口、山の鼻にたどり着きました。そこはまさに尾瀬の入り口。山小屋が並び大勢のハイカーがめいめいに群を作ってたむろしています。私たちも陣を確保し、食事をとりました。山小屋にはトイレ待ちの人が列をなし、それぞれが旅の準備を進めています。その間に私は、広場を抜けた先の歩道まで足を進め、山を眺めました。私の視線の先には至仏山がそびえています。その麓に立ってみると、大いなる広がりが至仏山のてっぺんに向けて収斂しており、つい誘われそうに。まさに登山口。今からちょっと登って来る、と言いたくなる誘惑に駆られました。もちろん、勝手な行動は禁物です。私は至仏山をしっかりと目に焼き付け、皆さんの元へと戻りました。

さて、いよいよ尾瀬の道を歩みます。そこはまさにうわさに聞いていた尾瀬そのもの。うわさどころか、映像や写真をはるかに凌ぐ広がり。私たちの前に広がるのは、ただただ雄大な尾瀬の光景。たぶん、この感覚は自分で体験しなければ決して味わえないでしょう。私たちの行く手には燧ケ岳の山体が待ち受け、逆を向くと至仏山が控えています。はるかに続く木道にはハイカーが連なり、それが遠く見えなくなるまで続いています。この景色こそ、人々が歌に詠み、メロディーに乗せ、語り継いできた尾瀬なのでしょう。木橋を歩いている間、私の脳内を「夏の思い出」が無限にループしていたことはいうまでもありません。

尾瀬の湿原を歩いていると、やたらにカエルの鳴き声が聞こえてきます。木橋の両脇には、流れる川や池、水たまりがあります。それらの水場をのぞくと、カエルが何匹も大口を開けて歌っているのでは。そう思えるほど、カエルの合唱が耳をうちます。なので私は木橋を歩いている間もずっとカエルを探していました。結局、一匹も出会えませんでしたが、サンショウウオらしき両生類の泳ぐ姿には癒やされました。

山々は美しく、空は青い。鳥がたまに飛び交い、さえずりが聞こえる。行く手と背後に雄大な山がそびえ、そこにケロケロとカエルの声がこだまする。ここは別天地。ぜいたくな時間と空間。都会ではまず夢の向こうのまぼろしでしょうし、どれだけVRの技術が進もうとも人の五感+αを完璧に満たすことはできないはず。

燧ヶ岳と至仏山は悠然とその姿をさらしている。それなのに私たちを取り巻く景色は刻一刻と姿を変えます。広大な湿原を飛びまわる鳥のさえずり、水のせせらぎの音。植生や花々の移り変わり。せせらぎは自在に流れて池をなし、川に水を集めて沼に注ぎ、燧ケ岳の姿を克明に映します。どこまで歩いても無限の自然。その可能性が私を飽きさせません。

木橋は山の鼻からほぼ一本道に東へと伸び、牛首分岐と呼ばれる分岐点に至ります。そこを境にほとんどの方は山の鼻の方へと戻ってゆきます。ところが牛首分岐の先にも湿原が果てなく広がっています。そして牛首分岐から先へ向かうハイカーの数はグッと減ります。その奥へ向かうのは私たちのような山小屋に泊まるハイカーだけなのでしょう。だから、その先に続く木橋の往来は、それまでと違って心に余裕を持てました。そして余裕の心でじっくりと自然に浸れます。場所によってはほぼ独占といってもよいほどに。

相談の結果、私たちは牛首分岐から北のヨッピ吊橋へと向かいました。そしてヨッピ吊橋を渡る体験を楽しんだ後は南へと下ります。ヨッピ吊橋から南に下る道は人通りも絶え、木橋を行くのは私たちのパーティーのみ。この一望がすべて独占できます。全てが満ちたり、完結しているこの湿原を。木橋の脇に咲く小さな植物を見かけるたび、腹ばいになって植物を接写しても誰にも迷惑をかけずに済む。この無限の広さの下、木橋から道を踏み外さない限り、自然は私たちのもの。

私たちが南に下った道は、竜宮と名付けられた場所で牛首分岐から伸びるもう一本の道と合流します。そこからは東に向かって山小屋へ向かいます。途中、福島と群馬の県を分かつ川を橋の上から見下ろします。県境といってもそれはあくまで人間の決めた境目にすぎず、自然はそんな思惑を超越して流れています。すぐ北には新潟の県境も接しています。さらに広大な尾瀬の中には栃木との県境も含んでいるはず。ここは地理の妙味が楽しめる場所。これはまさに山歩きの楽しみです。

さて、目の前には燧ケ岳が迫りつつあります。燧ヶ岳の麓に固まった建物群が見えており、あのどれかが今夜の宿のはず。もう間近です。ところが行けども行けども山小屋は近づいて来ません。まっすぐに伸びる一本の木道の果てに燧ケ岳も山小屋群が見えているにもかかわらず。こうした広大な平原の中では人の距離感がいかに当てにならないか。ビルや住居に慣れ親しんだ普段の生活は、私たちの距離感を退化させてしまったのでしょう。そして都会の生活を支えているのは電力。東京で暮らす私たちの場合、東京電力です。そして尾瀬の木橋をなす全ての木材には東電の印が銘打たれています。東京電力が尾瀬保全に果たした役割は賞賛を惜しみません。一方、都会と尾瀬の間に横たわる環境の差の激しさが私を複雑な思いに閉じ込めます。都会を支えているのが原子力発電であり、その支えが崩れた福島第一原発事故の影響を知る今ではさらに複雑な気持ちに陥らせます。

そうやって考えているうちにも、少しずつ山小屋の群れはその姿を大きく、明らかにしていきます。そしてわれわれはようやく山小屋に着きました。尾瀬小屋。今日、私たちが泊まる場所です。

ところで私、今まで山小屋に泊まった記憶がありません。おそらく今回が初めてのはず。なので山小屋にはちょっとおっかないイメージを持っていました。なぜならここは自給自足の場。先ほど見かけた歩荷が届ける貴重な物資が全て。その現実を踏まえると、都会にいるような感覚で泊まることは許されません。ゴミは持ち帰るのが鉄則。私のような山の素人にもそれぐらいの想像は及びます。その予想を裏付けるように、早速オーナーの方から、泊まるに際の注意ががありました。それは簡潔にして明瞭。誤解の立ち入る隙もないほど。こういうところも、山小屋の敷居の高さでしょうし、自己責任と自己管理を兼ね備えた人にしか許されない厳しさなのでしょう。

私たちが泊まる部屋は二階。20畳ほどの部屋です。ここで男女一緒に別パーティーの人たちも一緒に泊まるのです。私たちは旅の疲れを癒やしつつ、そこでめいめいが荷物を整理したり、次なる準備を進めたりします。山小屋といっても、何も全く原始的な生活を強いられる訳じゃありません。団欒用の部屋にはテレビも付いていれば、電源もあります。ただし、電源は貴重です。電子機器に充電だってできます。もちろん、それは各自の節度ある利用にかかっています。私もタブレットの充電に重宝しました。

中を探検しているうちに、気がつくとパーティーの皆さんがいないことに気づきました。あれ、と思って外に出ると、皆さん玄関の外の木のベンチに座りビールを飲み始めていました。私も遅れて参加しました。

今回のパーティー、私は三度目の参加でした。知った人もいますし、初めての人もいます。なので、そうした方々への自己紹介もしながら、ビールを飲みながらの歓談です。私は仕事柄、誰も知り合いのいない集まりに一人で参加することが苦になりません。というか、苦にしていては個人事業も法人も立ちいかないので自分をそう躾けた、という方が正しいかもしれませんが。でも、たとえそうした集まりが苦手な人であっても、山はおススメです。たとえ話題の引き出しが乏しくも、話術が下手でも気にする必要はありません。美しい自然の全てが話題のネタに使えますし、移りゆく自然の一瞬一瞬が雄弁にあなたのかわりに語ってくれるはず。しかも、このパーティー、私にとって仕事上で利害関係のある人は皆無です。なので私も気兼ねなく過ごせます。何よりも素晴らしい景色をともにする一体感。これこそが山の楽しみではないでしょうか。

心地よいビールと自然に酔っているうちに、夕日がその色合いを濃くしていきます。そして至仏山の方角に色を残しながら、夕闇があたりを染めていくのです。時が一刻ごとに尾瀬の景色を違った形で映し出し、それを屋外でビールを飲みながら見つめる。そんなぜいたくな時間の使い方、買ってでも欲しいはず。尾瀬にハマる人は何度も来る、と聞きますが、今日の経験だけでその意味が少しわかった気がします。

暗がりが濃くなる中、食堂に向かい、ご飯を食べます。すでに食堂にはたくさんの人たちが列をなしていました。パーティーごとにまとまって食事できないほどに。むしろここではそんなわがままは不要です。郷に入ればなんとやら、で流儀にしたがいました。私の前後左右で同じパーティーの方派一人。でも、隣の初対面の方と茶碗にご飯をよそいよそられ。こうした一期一会も山小屋の醍醐味だと納得しながら。しかも、山ガールと山男の食欲は限度を知りません。そんな期待を満たすかのようにご飯がおかわりできる喜び。もちろん、これらの食材は歩荷の皆さんの苦労のたまものであることを忘れてはなりません。なので、残すなど論外。なるべく残飯が出ないようにおかわりを際限なくしたいところですが、後ろにも食事を待っている人がいるので、その辺りのマナーへの配慮も必要です。こうした呼吸は何度も山小屋へ泊まるうちに身につくものなのでしょう。

尾瀬小屋には、団欒できる部屋もちゃんと用意されています。火鉢を囲みテーブルを囲み、歓談を。また、別の部屋にはギャラリーのような写真が飾られた部屋もあり、そこでもめいめいが好きなように時間を過ごせるのです。

そして、山小屋の夜は早い。これは、都会の生活に慣れていると全く味わえません。私のような宵っ張りにはなおさら。何しろ21時ごろにはもう消灯なのですから。そしてその分、朝は早い。

皆さんが静まった後、私は尾瀬に関する本をギャラリールームで読みながら、しばし時間を過ごしました。今日の感動を知識で補いたい。宵っ張りには夜は暮れたばかりなのですから。高ぶった心を鎮めるためにもこうした部屋があることはありがたい。

そんなわけで、尾瀬の旅の初日は終わりました。素晴らしかったです。皆様に感謝。


帝国ホテルの不思議


2016年。帝国ホテルとのささやかな御縁があった一年だ。

それまで、私と帝国ホテルとの関わりは極めて薄かった。せいぜいが宝塚スターを出待ちする妻を待つ間、エントランスで寒気をよけさせてもらう程度。目の前はしょっちゅう通るが入る用事もきっかけもない。帝国ホテルとの距離は近くて遠いままだった。

ところが2016年は、年間を通して三回も利用させてもらった。

一回は妻とサクラカフェで食事をし、地下のショッピングモールを歩き回り、ゴディバでチョコを買い、その他地下に軒を連ねる店々をひやかした。あと二回は私個人がランデブー・ラウンジ・バーで商談に臨んだ時。

それは、背筋がピンと伸びる経験。何かしら、帝国ホテルの空間には人の襟を正させる雰囲気がある。それは、私のような不馴れな人間が心を緊張させて勝手にそう思うだけなのか、それとも帝国ホテルの内装や調度品が醸し出す存在感によるものなのか、またはホテルスタッフの立ち居振舞いが張りつめているからなのか。私にはわからなかった。

しかし、帝国ホテルのエントランスに人が多く集まっていることも事実。それは、帝国ホテルが人を引き付ける磁場を持っている証拠だろう。私が利用したように商談の場として活用する方も多いはずだ。今まで商談でホテルを利用することがあまりなかった私にとってみれば、ホテルを商談で利用すること自体が新たな発見だった。私は今まで、さまざまなホテルを訪れた経験がある。バックヤードも含めて。だが、その経験に照らしても、帝国ホテルの空間はどこか私をたじろがせる気圧をもっている。それが何から生じているのか、私は常々興味を持っていた。

先ほど、ホテルはバックヤードも含めて経験していると書いた。それは、かつての私が某ホテルの配膳人として働いていたことによる。今から20年ほど前の話だ。その時に担当していたのは宴会やレストランだった。表向きの優雅さとはうらはらに、準備が重なったり、午前と午後に同じ宴会場で別々の宴会があるときなど、怒鳴り声の飛び交う鉄火場に一変する。それが宴会場だ。

それは披露宴の参列者や宿泊客として訪れているだけでは決して目にすることのない光景だ。宴会中もそう。ホールスタッフは、表向きは優雅で緩やかなテンポで漂うようにお客様にサービスしつつ、バックルームでは一転、忙しないリズムでテキパキと動く。サービス中も優雅に振る舞いながら、脳内では16ビートのリズムを刻みつつ、次のタスクに備える。いうならば、両足でドライブ感にみちたリズムを繰り出しつつ、上半身ではバイオリンの弦をゆったり響かせる。ホテルマンにはそんな芸当が求められる。なお、私が配膳人としては落第だったことは自分でよくわかっている。そして、ホテルマンですらない。そもそも私が知るホテルの裏側とはしょせん宴会場やレストランぐらいに過ぎないのだから。私の知らないホテルの機能はまだまだ多い。宴会やレストランだけを指してホテルの仕事と呼べないのは当たり前だ。

本書では、あらゆる帝国ホテルの職が紹介される。宴会やレストラン以外に。それらの職すべてが協力して、帝国ホテルの日々の業務は動いていく。格式のある帝国ホテルが一般のホテルとどうちがうのか。その興味から本書を手に取った。

総支配人から、クローク、客室キーパー、応接、レストラン、宴会、バーテンダー、コールセンター、設備。著者はそれらの人々にインタビューし、仕事の動きを表と裏の両側について読者に紹介する。表側の作業はプロのホテルマンがお客様へのサービスで魅せるきらめく姿だ。プロとしての誇りと喜びの源にもなる。だが、普段はお客様に見せない、裏側の仕事の微妙な難しさも紹介しているのが本書の良い点だ。著者がインタビューしたどの方も、二つのテンポを脳内で折り合わせながら日々のホテル業務を務めている。そのことがよく理解できる。

私にとっては自分が経験した宴会マネジャーの方の話が最も実感できたし、理解もできた。けれども本書で紹介される他の仕事もとても興味深かった。自分が知らないホテルの仕事の奥深さ、そして帝国ホテルの凛とした雰囲気の秘密が少しわかったような気がした。ホテルとしての品格は、本書に登場するホテルマンたちの日々の努力が作り出しているのだ。その姿は人と関わる職業として必須のプロの意識の表れにほかならない。

上に書いたように、私にはホテルマンのような仕事は苦手のようだ。動的に、そして柔軟に機転を効かすような仕事が。私は自分の素質がホテルマンに向いていないことを、先にも書いた二年間の配膳人としての経験で学んだ。なので、本書に登場する人々の仕事ぶりを尊重もし尊敬もするが、バーテンダーの方を除いては、私はなりたいとは思わなかった。そもそも私には無理だから。

だが、本書に登場した人物の中でうらやましいと思い、成り代わりたいと思った人物がバーテンダーの方以外に一人いた。それは一番最後に登場する設備担当の役員である椎名氏だ。椎名氏はもともと天才肌のメカニック少年だったそうだが、ひょんなことで帝国ホテルに入社し、社内のあらゆる設備やシステムを構築する役目をもっぱらにしているという。その仕事は、趣味の延長のよう。趣味を仕事にできて幸せな好例にも思える。読んでいてとてもうらやましいと思った。組織を好まず一匹狼的なわたしだが、椎名氏のような仕事がやらせてもらえるなら、組織の下で仕事することも悪くない、と思った。もちろんそれは、能力があっての話だが。

、バーテンダーについては、本書を読んで5カ月ほど後、妻とオールド・インペリアルバーにデビューし、カウンターにこそ座れなかったが、訪れることができた。次回はカウンターでじっくりとその妙技を拝見したいと思う。

‘2016/11/25-2016/11/26