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追憶の球団 阪急ブレーブス 光を超えた影法師


西宮で育った私にとって、阪急ブレーブスはなじみ深い球団だ。
私の実家は甲子園球場からすぐ近くだが、当時、阪急戦を見に西宮球場に行く方が多かった。阪神の主催ゲームはなかなかチケットが取れなかったためだろう。
よく父と西宮球場の阪急戦を観に行ったことを覚えている。

西宮球場や西宮北口駅のあたりは、当時も今も西宮市の中心だ。家族と買い物にしょっちゅう訪れていた。
そのため、子供の頃の私の心象には、西宮球場付近の光景がしっかりと刻まれている。
ニチイ界隈の賑わう様子。西宮北口駅のダイアモンド・クロッシングを通り過ぎる電車が叩く音。そして西宮球場で開催される阪急戦の雰囲気。
時期はちょうど1984年ごろだったと思う。

それから35年以上が過ぎた。
いまや西宮北口駅の周辺は阪神・淡路大地震を境にすっかり変わってしまった。ニチイもダイアモンド・クロッシングも西宮球場も姿を消した。
もちろん、本書で取り上げられる阪急ブレーブスも。

すぐ近くの甲子園球場で行われる阪神戦の熱気とは裏腹に、阪急戦の雰囲気は寂しいものだった。
1984年、阪急ブレーブスは球団の歴史上で、最後のパ・リーグ優勝を成し遂げた。
昭和40年代から続いた黄金期の最後の輝き。
本書の著者である福本豊選手。山田久志、簑田浩二、加藤英司、ブーマー・ウェルズと言った球史に残る名選手の数々。上田監督が率いたチームには、今井雄太郎、佐藤義則、山沖之彦という忘れがたい名投手たちもいた。弓岡敬二郎や南牟礼豊蔵といった選手の活躍も忘れてはなるまい。
こうした球史に名を残す選手を擁しながら、西宮球場で行われるナイターの試合には、いつもわずかな観客しかいなかった。
甲子園球場のにぎやかな応援風景とあまりにも違う西宮球場の寂しさ。それは小学生の私にとても強い印象を残した。

今日、阪急ブレーブスの栄華をしのぼうと思ったら、阪急西宮ガーデンズの5階のギャラリーを訪れると良い。
そこに飾られた幾つものトロフィーや銅像、優勝ペナント、著者を初めとした野球殿堂に選ばれた13選手をかたどったレリーフからは、球団の歴史の片鱗が輝いている。

だが、私が実家に帰省し、阪急西宮ガーデンズに訪れるたび、このギャラリー内のブレーブスの記念コーナーが縮小されているように思える。
阪急西宮ガーデンズが出来た当初、記念コーナーはギャラリーのかなりのスペースを占めていたように思う。
スペースの縮小は、阪急グループにとっての阪急ブレーブスの地位が低下していることをそのまま表している。

著者はこの現状も含め、阪急ブレーブスが忘れられることを危惧したのだろう。それが本書を著した動機だったと思われる。
かつてあれほど強かったにもかかわらず、強さと人気が比例しなかった球団。黄金期を迎える前は灰色の球団と言われ続け、黄金期を迎えても阪神タイガースには人気の面ではるかに及ばなかった球団。

本書は著者がブレーブスに入団する時点から始まる。悲運の名将と呼ばれた西本監督の下、黄金期への地固めをするブレーブス。
著者と著者の同期である加藤英司選手が、プロ生活の水に慣れていく様子が書かれる。

著者が入団する前年に、阪急ブレーブスは創立32年目にして初優勝を果たした。
当時は米田哲也投手、足立光宏投手、梶本隆夫投手が健在で、野手もスペンサー、長池選手といった選手がしのぎを削っていた。
そうそうたる選手層に加わったのが著者と加藤選手、そして山田投手。
そこで揉まれながら、著者は走攻守に存在感を発揮して行く。
著者が入った年、ブレーブスはパ・リーグを2連覇し、最初の黄金時代を迎える。
著者の成績に比例してブレーブスは強くなっていく。だが、V9中の巨人にはどうしても勝てない。そんな挫折と充実の日々が描かれる。

ブレーブスの選手層は、大橋選手、大熊選手、島谷選手といった選手の入団によってさらに厚くなる。
それまでパ・リーグといえば、南海ホークスか西鉄ライオンズ、大毎オリオンズの三強だった。そこに、黄金期を迎えたブレーブスが割り込む。
他の強豪チームに引けを取らない力を蓄えたブレーブスは、1967年から1984年までの18シーズンにパ・リーグを10度制し、3度日本一になっている。その間にはパ・リーグ3連覇を二度果たした。2度目の3連覇ではその勢いのまま、セ・リーグのチームを破り、三年連続で日本一の美酒を味わう偉業を成し遂げている。
昭和五十年代に限っていえば、ブレーブスは日本プロ野球でも最強のチームだったと思う。さらにいえば、わが国の野球史を見渡しても屈指のチームだったと言える。

著者はそのチームに欠かせない一番打者として、華々しい野球人生を送った。
二塁打数、安打数、盗塁数など著者の築き上げた成績は、いまも日本プロ野球史に燦然と輝き続けている。通算1065盗塁に至っては、当分の間、迫る選手すら現れないことだろう。

山田投手が日本シリーズで王選手に逆転スリーランを打たれたシーンや、昭和53年の日本シリーズがヤクルトの大杉選手のホームランをファウルだと主張した上田監督によって1時間19分の間、中断したシーン。
阪急ブレーブスが球史に残したエピソードは今もプロ野球の記憶に残り続けている。
それなのに、阪急は身売りされてしまう。

「9月上旬、南海ホークスがダイエーへの球団譲渡を発表した。かねてから噂になっていたので、僕はそれほど驚かなかった。86年以降の阪急ブレーブスは、念願だった年間100万人の観客動員を続けていた。身売りされた南海は、一度たりとも大台へ届かなかった。ブレーブスのナインにとって、南海ホークスの消滅は、対岸の火事にしか見えなかった。」(190ページ)

著者が危惧するように、売却と同時にブレーブスの歴史は記憶の彼方に遠ざかろうとしている。
冒頭に書いた通り、当の阪急グループからも記念コーナーの縮小という仕打ちを受け、ブレーブスの栄光はますます元の灰色に色あせてつつある。
阪急グループについては、宝塚ファミリーランドの跡地の扱いや、宝塚歌劇団の内部運営など、私の中でいいたい事はまだまだある。

著者はあとがきで宝塚歌劇のファンになった事を書いている。ベルばらブームによって宝塚歌劇団が息をふきかえした時期、くしくも阪急ブレーブスも黄金期を迎えた。
だが、その後の両者に訪れた運命はくっきりと分かれた。痛々しいほどに。

宝塚歌劇は東京に進出し、今では公演の千秋楽は宝塚大劇場、続いて有楽町の宝塚劇場の順に行われるという。要は公演のトリを東京に奪われているのだ。
東京という華やかな日本の中心に進出することに成功し、徐々にそちらに軸足を移しつつあるように見える歌劇団。
その一方で日本シリーズで三連覇したにもかかわらず、そして、徐々に観客数の向上が見られたにもかかわらず、身売りされた阪急ブレーブス。
人気のないパ・リーグで存続し続ける限り、日本の中心どころか、関西の人気球団にもなれないと判断した経営サイドに切り捨てられた悲運の球団。

たしかに、同じ西宮市に球団は二つも要らなかったかもしれない。
阪急ブレーブスが阪神タイガースの人気を凌駕することは、未来永劫なかったのかも知れない。
それでも、県庁所在地でもない一都市の西宮市民としては、二つのプロ野球球団を持てる奇跡に満足していた。そして、いつかは今津線シリーズが開かれることを待ち望んでいられた。
私は今もなお、ブレーブスを売却した判断は拙速だったと思う。

阪神間で育った私から見て、小林一三翁の打ち立てた電鉄経営の基本を打ち捨て、中央へとなびく今の阪急グループには魅力を感じない。
東京で仕事をする私から見ると、東京で無理に存在感を出そうとする今の阪急グループからは、ある種の痛々しさすら覚える。

たしかに経営は大切だ。赤字を垂れ流す球団を持ち続け、関西でも奥まった宝塚の地に遊園地と劇団を持っているだけでは、グループに発展の余地はないと考える心情もわかる。
だが、中央への進出に血道を上げる姿は、東京に住むものから見ると痛々しい。
それよりは、関西を地盤とし、球団と歌劇団と遊園地を維持し続けた方がはるかに気品が保てたのではないだろうか。東京一極集中の弊害が言われる今だからこそ。
それでこそ阪急、それでこそ逸翁の薫陶が行き渡った企業だと愛せたものを。
私のように歌劇団の運営の歪みを知る者にとっては、順調に思える歌劇団の経営すら、無理に無理を重ねているようにしか見えない。

著者があとがきに書いた歌劇団への愛着も、阪急ブレーブスという家を喪った痛みの裏返しであるように思う。
著者が本当に言いたいこと。それは、阪急グループに歴史を大切にしてほしい、ということではないだろうか。
タイトルにある影法師がブレーブスだとして、ブレーブスが超えた光とは何か。そのタイトルにこそ、著者の願いが込められているはずだ。

‘2019/5/22-2019/5/22


なぜ宝塚歌劇に客は押し寄せるのか 不景気も吹き飛ばすタカラヅカの魅力


私の実家の近くを流れる武庫川にそって自転車で一時間も走れば、宝塚市に着く。宝塚大橋を過ぎると右手に見えるのが宝塚大劇場。今や世界に打って出ようとするタカラヅカの本拠地だ。そのあたりは幼い私にとってとてもなじみがある。宝塚ファミリーランドや宝塚南口のサンビオラにあった大八車という中華料理屋さん。このあたりは私にとってふるさとと言える場所だ。

ところが本書を読み始めた時、私の心はタカラヅカとは最も離れていた。それどころか、車内でタカラヅカのCDが流れるだけで耐えがたい苦痛を感じていた。

なぜタカラヅカにそれほどストレスを感じるようになったのか。それは、妻が代表をやっていることへのストレスが私の閾値を超えたからだ。代表というのはわかりやすくいうと、タカラジェンヌの付き人のことだ。タカラジェンヌの私設ファンクラブの代表であり、マネジャーのようによろずの雑事を請け負う。その仕事の大変さや、理不尽なことはここには書かない。また、いずれ書くこともあるだろうから、そちらを読んでもらえればと思う。

私は、妻や妻がお世話をしているジェンヌさんに含むところは何もない。だが、それでも私が宝塚歌劇に抱いたストレスは、CDを聞くだけで耐えがたいレベルに達していた。

本書は、タカラヅカの世界に偏見を持つ方へ、タカラヅカの魅力を紹介する本だ。だから、わたしには少しお門違いの内容だった。

断っておくと、私は観劇は好きだ。今までにもいくつもの観劇レビューをブログにアップしてきた。舞台と客席が共有するあのライブ感は、映画やテレビや小説などの他メディアでは決して味わえない。コンサートの真価を感情を発散させることにあるとすれば、観劇の真価は感情に余韻を残すことにあると思う。

だから著者が一生懸命に熱く語るタカラヅカの魅力についても分かる。観客としてみるならば、タカラヅカの観劇は上質の娯楽だ。もし内容がはまれば、S席の金額を払っても惜しくないと思える。私が今まで見たタカラヅカの舞台も感動を与えてくれた。だが、本書を読むにあたって、私の心はタカラヅカの裏方の苦労や現実も知ってしまっていた。

心に深い傷を負った私がなぜ本書を手に取ったか。それは本書を読む10日ほど前、友人に誘われ、劇団四季の浅利慶太氏のお別れ会に参列したためだ。

浅利慶太氏は劇団四季の創始者だ。晩年は演出家としてよりも経営者として携わることの方が多かったようだ。つまり、理想では運営できない劇団の現実も嫌という程知っている。そんな浅利氏だが、すべての参列者に配られた浅利慶太の年譜からは、演劇を愛する一人の気持ちがにじみ出ていた。劇団四季の創立時に浅利慶太氏が書いた文章が収められていたが、既存の劇団にケンカを売るような若い勢いのある文章からは、創立者が抱く演劇への理想が強くにじみ出ていた。

ひるがえってタカラヅカだ。すでに創立から105年。創立者の小林一三翁が亡くなってからも60年がたつ。きっと小林翁が望んだ理想をはるかに超え、今のタカラヅカは発展を遂げたのだろう。だが、小林一三翁が理想として掲げた国民劇としての少女歌劇団と今の宝塚歌劇のありように矛盾はないだろうか。私には矛盾が見えてしまった。上にも書いた代表という制度の深い闇として。

もう一度ファンの望むタカラヅカのあり方とはどのようなものか知りたい。それが本書を読んだ理由だ。代表が嫌だからと駄々をこねて、すねていても仕方がない。タカラヅカから目を背けるのではなく、もう一度向き合って見ようではないか。

本書は私の気づいていなかった視点をいくつも与えてくれる。とても優れた本だと思う。

ヅカファンに限らず、あらゆるオタクは自らがはまっているものを熱烈に宣伝し、広めたがる。いわばエバンジェリスト。著者も例外にもれず、一生懸命ファンを増やそうとしている。中でも著者のターゲットは男性だ。

第一章では「男がタカラヅカを観る10のメリット」と題し、読者の男性をファンにしようともくろむ。たしかにここに書かれていることは分かる。モテる? まあ、私はタカラヅカに理解があるからといってモテた記憶はないが。ただ、タカラヅカを観ると意外に教養が身につくことは確かだ。もっとも、私が妻子に言いたいのは、タカラヅカが取り上げたから食いつくのではなく、元から自分の知らない世界には好奇心は持っておいてほしいこと。もっとも、極東の私たちが西洋の歴史など、タカラヅカがやってくれなければ興味が持てないのもわかる。そうやって受け身でみるからこそ、新たな知識が授かるのもまた事実。

第2章でも著者のタカラヅカ愛は止まらない。ここで書かれている内容も、妻からはたまに聞く。絶妙としか言いようのない世界。勧進元にしてみれば、完璧なビジネスモデルだと思う。ある程度放っておいても、ファンがコミュニティを勝手に運営し、盛り上げてくれるのだから。著者が挙げるハマる理由は次の五つだ。

(1)じつは健全に楽しめる。
(2)「育てゲー」的に楽しめる。
(3)財布の中身に応じて楽しめる
(4)年代に応じて楽しめる。
(5)「死と再生のプロセス」を追体験できる。

結局のところあらゆるビジネスはファンを獲得できるかどうかにかかっている。そして実際にタカラヅカはこれだけの支持を受けている。これはタカラヅカのコンテンツが消費者を魅了したからに他ならない。代表制度には矛盾を感じる私も、このことは一ビジネスマンとして認めるにやぶさかではない。

第3章では組織論に話が行く。ここは私にとっても気になった章だ。だが、ここの章では裏方には話が及ばない。代表の「だ」の字も出ない。あくまで表向きのスターシステムや組ごとにジェンヌ=生徒を切磋琢磨させる運営システムのことを紹介している。外向けには「成果主義」、組織内では「年功序列」、この徹底した使い分けがタカラヅカの強さの源泉である。と109ページで著者は説く。徹底したトップスター中心主義を支える年功序列と成果主義。さらに著者はそれの元が宝塚音楽学校の厳しいしつけから来ているという。

ここで私は引っかかった。最近は宝塚音楽学校もかつての厳しさがなくなり、生徒の親の圧力もあってかなり変質しつつある、と聞く。その割には、厳しい上下関係が代表の間でも守られる圧力があることも聞く。生徒間の軋轢の逃げ場が代表に行っているとなれば、ちょっと待てと思ってしまうのだ。たしかにタカラヅカはベルばらブームで復活した。それ以降は安定の運営が続いている。代表の制度などのファンクラブの組織もベルばらブームの頃に生まれたという。だから代表がタカラヅカの隆盛に大きな役割を担っているのは確かだろう。

そりゃそうだ。ジェンヌさんのこまごました身の回りのフォローも代表やスタッフがこなしているのだから。そしてその労賃はタカラヅカ歌劇団から支出されることはないのだから。代表制度は、ファンたちが勝手に作りあげた制度。宝塚歌劇としては表向きは全く知らぬ存ぜぬなのだ。

もちろん、今のジェンヌさんの活動が代表に支えられているのはわかる。メディア出演や舞台、練習。今のジェンヌさんの負担はかつてのジェンヌさんをかなり上回っているはず。今の状態で代表制度を無くせばジェンヌさんはつぶれてしまうだろう。それも分かる。日本社会のあり方は変わっている。昔は大手を振りかざして精神論をぶっても通じたが、今やパワハラと弾劾されるのがオチだ。

だが、それにしても代表に頼る風潮が生徒さんの間で濃くなってはしまいか。タカラヅカの文化を受け継ぐにあたってついて回る歪みやきしみや負担が代表にかかっている場合、代表制度が崩壊すれば、それはタカラヅカ崩壊につながる。

私が危惧するのは、宝塚の厳しい伝統やしつけとして受け継がれてきた文化が、じつは形骸化しつつあるのでは、ということ。しかもそれが代表制度への甘えとして出て来てはしまいか、ということだ。できればこの章ではそのあたりにも触れてほしかった。

本書で描かれるようなタカラヅカの魅力は確かにある。一観客としてみると、これほど素晴らしい世界が体験できることはそうそうない。そりゃ、皆さんだって劇場に足を運ぶだろう。だが、先にも書いた劇団四季も同じぐらい人々を魅了している。そして劇団四季にはそうした半ば公認され、非公認の私設ファンクラブなる矛盾した存在はない。劇団員がお茶会に駆り出されることもなく、舞台に集中できる仕組みが整っている。四季にできていることがタカラヅカにできない? そんなはずはない、と思うのだが。

裏方を知ってしまった私は、タカラヅカの今後を深く憂う。私が平静な心でヅカのCDを聞けるのがいつになるのかはともかく。著者の熱烈な布教にも関わらず、私の心は揺るがなかった。

‘2018/10/4-2018/10/4


エビータ


昨年、浅利慶太氏がお亡くなりになった。7/13のことだ。私は友人に誘われ、浅利慶太氏のお別れ会にも参列した。そこで配られた冊子には、浅利慶太氏の経歴と、劇団の旗揚げに際して浅利氏が筆をとった演劇論が載っていた。既存の演劇界に挑戦するかのような勢いのある演劇論とお別れ会で動画として流されていた浅利慶太氏のインタビュー内容は、私に十分な感銘を与えた。

ちょうどその頃、私には悩みがあった。その悩みとは宝塚歌劇団に関係しており、私の人生に影響を及ぼそうとしていた。宝塚歌劇団といえば、劇団四季と並び称される本邦の誇る劇団だ。だが、ここ数年の私は宝塚歌劇団の運営のあり方に疑問を感じていた。公演を支える運営やファンクラブ運営の体質など。特に妻がファンクラブの代表を務めるようになって以来、劇団運営の裏側を知ってしまった今、私にとってそれは悩みを通り越し、痛みにすらなっていた。その疑問を解く鍵が浅利慶太氏の劇団四季の運営にある、と思った私は、浅利慶太氏のお別れ会を機会に、浅利慶太氏と劇団四季について書かれた本を読んだ。キャスティングの方法論からファンクラブの運営に至るまで、宝塚歌劇団と劇団四季には違いがある。その違いは、演じるのが女性か男性と女性か、という違いにとどまらない。その違いを理解するには演劇論や経営論にまで踏み込まねばならないだろう。

宝塚の舞台はもういい、と思うようになっていた私。だが、お別れ会の後も、劇団四季の舞台は見たいと思い続けていた。今回、妻のココデンタルクリニックの七周年記念として企画した観劇会は、なんと総勢三十人の方にご参加いただいた。妻が25人の方をお招きし、妻が呼びきれなかった5名は私がお声がけし、一人も欠けることなく、本作を鑑賞することができた。

浅利慶太氏がお亡くなりになってほぼ一年。この日の公演も浅利慶太氏追悼公演と銘打たれている。観客席の最後方にはブースが設けられ、浅利慶太氏のポートレートやお花が飾られている。おそらく生前の浅利氏はそこから舞台の様子や観客の反応をじっくりと鋭く観察していたのだろう。ロビーにも浅利慶太氏のポートレートや稽古風景の写真が飾られ、氏が手塩にかけた演出を劇団が今も忠実に守っている事をさりげなくアピールしている。とはいえ、カリスマ演出家にして創始者である浅利氏を喪った穴を埋めるのは容易ではないはず。果たして浅利慶太氏の亡きあと、劇団四季はどう変わったのか。

結論から言うと、その心配は杞憂だった。それどころか見事な踊りと歌に心の底から感動した。カーテンコールは8、9回を数え、スタンディングオベーションが起きたほどの出来栄え。私は今まで数十回は舞台を見ているが、カーテンコールが8、9回もおきた公演は初めて体験した気がする。

私はエビータを見るのは初めて。マドンナがエバ・ペロンを演じた映画版も見ていない。私がエバ・ペロンについて持つ知識もWikipediaの同項目には及ばない。だから、本作で描かれた内容が史実に即しているかどうかは分からない。本作のパンフレットで宇佐見耕一氏がアルゼンチンの社会政策の専門家の立場から解説を加えてくださっており、それほど荒唐無稽な内容にはなっていないはずだ。

本作で進行役と狂言回しの役割を担うのはチェ。格好からして明らかにチェ・ゲバラを指している。周知の通り、チェはアルゼンチンの出身でありながらキューバ革命の立役者。その肖像は今もなお革命のアイコンであり続けている。同郷のチェがエバ・ペロンことエビータを語る設定の妙。そこに本作の肝はある。そしてチェの視点から見たエビータは辛辣であり、容赦がない。そんなチェを演じる芝清道さんの演技は圧倒的で、その豊かな声量と歯切れの良いセリフは私の耳に物語の内容と情熱を明快に吹き込んでくれた。

搾取を嫌い、労働者の視点に立った理想を追い求めたチェと、本作でも描かれる労働者への富の還元を実行したエビータ。いつ理想を追い求める点で似通った点があるはず。だが、チェはあくまでもエビータに厳しい。次々に男を取り替えては己の野心を満たそうとする姿。ついにファーストレディに登りつめ、人々に施しを行う姿。どのエビータにもチェは冷笑を投げかける。これはなぜだろうか。

チェが医者としての栄達を投げうちアルゼンチンを出奔したのは、史実では1953年のことだという。エビータがなくなった翌年のこと。ペロンは大統領の任期の途中にあった。チェの若き理想にとって、ペロンやエビータの行った弱者への政策はまだ手ぬるかったのだろうか。または、全ては権力や富を得た者による偽善に過ぎないと疑っていたのだろうか。それとも、権力の側からの施しでは社会は変えられないと思っていたのだろうか。おそらく、チェが残した著作の中にはエビータやペロンの政策に触れたものもあっただろう。だが、私はまだそれを読んだことがない。

本作は、エビータが国民の母として死を嘆かれる場面から始まる。人々の悲嘆の影からチェは現れ、華やかなエビータの名声の裏にある影をあばき立てる。そしてその皮肉に満ちた視点は本作の間、揺るぐことはなかった。本作は、エビータが亡くなったあとも国民からの資金では遺体を収める台座しか造られず、その後、政情が不安定になったことによって、エビータの遺骸が十七年の長きに渡って行方不明だったというチェのセリフで幕を閉じる。徹底した冷たさ。だが、チェの辛辣さの中には、どこかに温かみのようなものを感じたのは私だけだろうか。

本作の幕の引き方には、安易に観客の涙腺を崩壊させ、カタルシスに導かない節度がある。その方が観客は物語のさまざまな意図を考え、それがいつまでも本作の余韻となって残る。

敢えて余韻を残すチェのセリフで幕を下ろした脚本家の意図を探るなら、それはチェがエビータに対する愛惜をどこかで感じていたことの表れではないだろうか。現実の世界でのし上がる野心と、貧しい人々への施しの心。愛とは現実の世界でのし上がるための手段に過ぎないと歌い上げるエビータ。繰り返し愛を捨てたと主張するエビータの心の裏側には、愛を求める心があったのではないか。私生児として蔑まれ、売春婦と嗤われた反骨を現実の栄達に捧げたエビータ。その悲しみを、チェは革命の戦いの中で理解し、軽蔑ではなく同情としてエビータに報いたのではないだろうか。

そのように、本来ならば進行役であるはずのチェに、物語への深い関わりをうがって考えさせるほど、芝さんが演じたチェには圧倒的な存在感があった。本作のチェと同じような進行役と狂言回しを兼ねた役柄として、『エリザベート』のルキーニが思い出される。チェのセリフが不明瞭で物語の意図が観客に届かない場合、観客は物語に入り込めない。まさに本作の肝であり、要でもある。本作の成功はまさに芝さん抜きには語れない。

もちろん、主役であるエビータを演じた谷原志音さんも外すわけにはいかない。その美貌と美声。二つを兼ね備えた姿は主演にふさわしい。昇り調子に光り輝くエビータと、病に伏し、頰のこけたエビータを見事に演じわける演技は見事。歌声には全くの揺れがなく、終始安定していた。大統領選で不安にくれる夫のペロンを鼓舞するシーンでは、高音パートを絶唱する。その場面は、主題歌である「Don’t Cry For Me , Argentina」の美しいメロディよりも私の心に響いた。

そしてペロンを演ずる佐野正幸さんもエビータを支える役として欠かせないアクセントを本作に与えていた。史実のペロンは三度大統領選に勝ち、エバ亡き後も大統領であり続けた人物だ。だが、本作でのペロンは強さと弱さをあわせ持ち、それがかえってエビータの姿を引き立たせている。また、顔の動きが最も起伏に富んでいたことも、ペロンという複雑なキャラクター造形に寄与していたことは間違いない。見事なバイプレイヤーとしての演技だったと思う。

また、そのほかのアンサンブルの方々にも賛辞を贈りたい。一部のスキもない踊りと演技。本作は音楽と演技のタイミングを取らねばならない箇所がいくつもある。そうしたタイミングに寸分の狂いがなく、それが本作にキレと迫力を与えていた。さすがに毎回のオーディションで選ばれた皆様だと感動した。

そうした魅力的な人物たちの活動する舞台の演出も見逃せない。本作のパンフレットにも書かれていたが、生前の浅利慶太氏は、最も完成されたミュージカルとして本作を挙げていたようだ。もとが完成されていたにもかかわらず、浅利氏はさらなる解釈を本作に加え、見事な芸術作品として本作を不朽にした。

自由劇場は名だたる大劇場と比べれば作りは狭い。だが、さまざまな設備を兼ね備えた専用劇場だ。その強みを存分に発揮し、本作の演出は深みを与えている。ゴテゴテと飾りをつけることんあい舞台。円形に区切られた舞台の背後には、自在に動く二つの壁が設けられている。らせん状になった壁には、ブエノスアイレスの街並みを思わせる凹凸のレリーフが刻まれている。

場面に合わせて壁が動くことで、観客は物語の進みをたやすく把握できる。そればかりか、円で周囲を区切ることで舞台の中央に目には見えない三百六十度の視野を与えることに成功している。舞台の中央に三百六十度の視座があることは、舞台上の表現に多様な可能性をもたらしている。例えば、エビータの男性遍歴の激しさを回転する扉から次々に現れる男性によって効果的に表現する場面。例えば、軍部の権力闘争の激しさを椅子取りゲームの要領で表現する場面。それらの場面では物語の進みと背景を俳優の動きだけで表すことができる。三百六十度の視野を観客に想像させることで、舞台の狭さを感じさせない工夫がなされている。

そうした一連の流れは、演出家の腕の見せ所だ。本作の幕あいに一緒に本作を観た長女とも語り合ったが、舞台を演出する仕事とは、観客に音と視覚を届けるだけでなく、時間の流れさえも計算し、観客の想像力を練り上げる作業だ。総合芸術とはよく言ったもので、持てる想像力の全てを駆使し、舞台という小空間に無限の可能性を表出させることができる。今の私にそのような能力はないが、七度生まれ変わったら演出家の仕事はやってみたいと思う。

冒頭にも書いたが、8、9回に至るカーテンコールは私にとって初めて。それは何より俳優陣やスタッフの皆様、そして一年前に逝去された浅利慶太氏にとって何よりの喜びだったことだろう。

理想論だけで演劇を語ることはできない。赤字のままでは興行は続けられない。浅利氏にしても、泥水をすするような思いもしたはずだ。政治家に近づき、政商との悪名を被ってまで劇団の存続に腐心した。宝塚歌劇団にしてもそう。理想だけで劇団運営ができないことは私もわかる。だからこそ、ファンの無償の奉仕によって成り立つ今の運営には危惧を覚えるのだ。生徒さんが外のファンサービスに追われ、舞台に100%の力が注げないとすれば、それこそ本末転倒ではないか。私は今の宝塚歌劇団の運営に不満があるとはいえ、私は宝塚も四季もともに日本の演劇界を率いていってほしいと思う。そのためにも、本作のような演出や俳優陣が完璧な、実力主義の、舞台の上だけが勝負の演劇集団であり続けて欲しい。演劇とは舞台の上だけで観客に十分な感動を与えてくれることを、このエビータは教えてくれた。

私も友人にお借りした浅利慶太氏の演劇論を収めた書をまだ読めていない。これを機会に読み通したいと思う。

最後になりましたが、妻のココデンタルクリニックの七周年記念に参加してくださった皆様、ありがとうございます。

‘2019/07/06 JR東日本アートセンター 自由劇場 開演 13:00~

https://www.shiki.jp/applause/evita/


桜華に舞え/ロマンス!!


今年初の観劇となったのは、宝塚歌劇団星組演ずる本作だ。

本作はまた、星組トップの北翔海莉さん、妃海風さんの退団公演でもある。そんな退団公演の題材として選ばれたのは、意外にも桐野利秋。 桐野利秋とは日本陸軍の初代少将であり、南州翁こと西郷隆盛にとって近しい部下としてよく知られる人物だ。だが、宝塚が取り上げるには少し意外と言わざるを得ない。

なぜ、 北翔さんは退団にあたって桐野利秋を演ずるのか。それは私にとってとても気になることだった。

北翔さんは以前から妻が好きなタカラジェンヌさんである。私も始終その人となりは聞かされていた。舞台人としても苦労して這い上がり今の高みまで達した努力の人でもある。その努力はタカラヅカの活動だけに止まらない。重機の運転やサックス演奏、殺陣の振る舞いをタカラジェンヌとしての活動の合間にマスターしたこともそうだ。人生を前向きに捉える飽くなき向上心は見習うほかはない。また、 北翔さんは技量だけでなくかなりの人徳を備えた方であると伺っている。それは、その人間性が認められ、一旦は専科という役回りに退いたにもかかわらず、星組のトップとして呼び戻されたことでもわかる。いわば異能の経歴の持ち主が北翔さんである。

では桐野利秋はどうなのか。それを理解するため、私は小説に力を借りることにした。 作家の池波正太郎の作品に「人斬り半次郎」というのがある。この作品こそまさに桐野利秋の生涯を描いており、桐野利秋を理解するのに適した一冊といえる。唐芋侍として蔑まされる鹿児島時代。自己流でひたすら剣を振り続けることで剣客として認められ、島津久光公の上洛に付き従う従者の一人として取り立てられる。以降、尊皇攘夷や公武合体など、目まぐるしく情勢が入れ替わる殺伐の世相の合間で剣を振るう日々。それだけでなく、薩摩藩士としての活動の合間に書籍を読み、書を極めて人物を磨いた。女好きでありながらも豪放磊落な利秋は人情の機微を解する人格者としても慕われたという。

つまり、桐野利秋とは北翔海莉さんのキャラクターを思い起こさせる人物なのだろう。殺陣をマスターした北翔さんと剣の達人でもあった桐野利秋。様々な異能を持つ北翔さんと独学で書や儀典をこなすまでになった桐野利秋。人徳の持ち主北翔さんと親分肌の桐野利秋。こう考えると、北翔海莉さんと桐野利秋という取り合わせがさほど奇異に思えなくなってくる。

だが、退団公演に桐野利秋をぶつける理由とはそれだけではない気がする。まだあるのではないか。

先年、宝塚歌劇団は100周年を迎えた。その当時、星組のトップを務めていたのは柚希礼音さん。宝塚の歴史の中でも有数の人気を誇った方として知られる。そんな柚希さんの後を託された人物として 北翔さんが専科から戻されたわけだ。そこには正当な100年の宝塚歌劇の伝統を後代につなげてほしいという宝塚歌劇団の思惑もあるだろう。中継者として北翔さんの人徳や技能が評価されたともいえる。だが、言い方は悪いが、体のいいつなぎ役ともいえる。もっと油の乗った若い時期に正当に評価されるべき方だったのかもしれない。北翔さんは。

本作には、そのあたりを思わせる演出が随所にある。 季節外れに咲いた桜を指してボケ桜と呼ぶシーンがそれを象徴している。生まれてくる時代が早すぎたというセリフもそうだ。北翔さんにとってみれば、もっとはやく評価されたかった。もっとはやくトップに立ちたかった。そんな思いもあったのかもしれない。或いはそれは穿った意見なのだろうか。

だが、北翔さんはトップ就任時の約束どおり、3作でトップを降りることになる。それは潔い決断だ。

本作のみのオリジナルキャラとして衣波隼太郎が桐野利秋の親友として登場する。彼を演ずるのは紅ゆずるさん。北翔さんの次の星組トップとして内定している方だ。衣波隼太郎は桐野利秋と袂を分かって大久保利通、つまり新政府側に付く。そして、本作の最後、城山のシーンでも官軍の軍人として登場し、桐野利秋の最後を看取る。新しい日本の礎となって死んだ桐野を悼み、「義と真心をしっかりと受け継いで」というセリフが衣波隼太郎の口から発せられる。義と真心の持ち主とは、すなわち北翔さんに他ならない。それは次のトップ紅さんによる新時代の宝塚を作っていく決意表明でもあり、伝統への餞とも取れる。

果たして、北翔さんの衣鉢は次代に受け継がれていくのだろうか。本作のサブタイトルはSAMURAI The FINALと銘打たれている。SAMURAI、つまり北翔さんのようなタカラジェンヌは最後になってしまうのだろうか。たたき上げのタカラジェンヌとしての努力の人としてのタカラジェンヌはもう現れないのだろうか。それとも、100周年を経た宝塚は新たな芸術を模索していくのだろうか。とても気になる。

その模索は本作の娘役と男役の関係にすでに顕れているように思える。娘役トップの妃海風さんは、本作で退団する。私が知る限り、本作の娘役と男役と関係は、明らかに今までの関係と違っている。男役に殉じたり従順である娘役像とは一線を画し、独立独歩の姿を見せているのが本作の特徴だ。これは新しい宝塚を占う上で参考としてよい演出なのだろうか。あるいはそうではないのか。とても気になるところである。

本作の並演のロマンチック・レビュー「ロマンス!!」は本編とは違い、伝統的なレビューを見せてくれる。多分、本編のステージ「桜華に舞え」の作風と釣り合いを持たせるためなのだろう。ただひたすらに王道を極めているといえる。ラインダンスありのデュエットダンスありの、そして大階段ありの。個人的にはエルビス・プレスリーのHound DogやDon’t be Cruelの曲が流れた際、指揮者の塩田氏がカラダを揺らしてRock and Rollしていたのがとても印象的であった。

今年初めての観劇となった本作であるが、時代の移り変わりを体験でき、さらには王道のレビューも観られ、とても満足だ。

あ、そうそう。本作は薩摩弁で全編通すなど、とても地域色に演出の気が遣われていた。その一方で、史実ではシカゴですでに髷を断髪しているはずの岩倉卿が、本作で依然として髷を結った姿で西郷の征韓論を一蹴していたのが気になった。折角方言を活かしていたのに、もうちょっと時代考証に気を使ってほしいと思わずにはいられなかった。でも、西郷さんに扮する美城れんさんは本作でもとても印象的だった。この方も本作で退団されるのだとか。残念である。

‘2016/8/26 宝塚大劇場 開演 15:00~
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ガイズ & ドールズ


ガイズ & ドールズ。何とも時代を感じさせる題名だ。ガイズはまだしも、女性は人形扱いされているのだから。もっとも、時代は1948年。第二次大戦の勝利の余韻が鮮明に残るアメリカはニューヨークが舞台。戦争とその勝利によって男たちの意気が上がっていた頃の話である。男性優位のこのような題名が付けられたのも分かる気がする。

今、私の手元には一冊の写真集がある。そこに載っているうちの一枚は、第二次大戦の戦勝日にタイムズスクエアで看護婦にキスする水兵を撮ったものだ。アルフレッド・アイゼンスタットの撮ったその写真は、LIFE誌を語る上で欠かせない一枚として知られている。と同時に、当時のニューヨークの開放的で陽気なGUYS & DOLLSの雰囲気をそのままに映し出した一枚にもなっている。私にとって、当時のニューヨークのイメージは、この写真によって決定づけられている。

本作に登場する舞台美術は、舞台であるニューヨークのタイムズスクエアを模していると思われる。かの写真のように、明るく華やかなGUYS & DOLLSが闊歩したニューヨークが舞台に再現されている。今回は二階からの観劇となった。その分、舞台の奥行きにまで配慮された舞台美術の粋が堪能できた。

例えばニューヨークの大通りを表すため、背後の書き割は中心点に向けて描かれる。観客は遠近法が駆使された舞台にニューヨークの大通りを感じる。ネオンの看板は手前に立体的に配置され、それは夜のニューヨークにたむろするギャンブラー達の猥雑さを表しているようだ。そして床の反射である。背後の中心点に向け絞って書かれたニューヨークの夜景には、街の灯りが灯っている。これが床に反射することで、実に幻想的な効果を舞台に与えている。丁度、人通りの途絶えたニューヨークの夜が、観客の目前に再現されるという仕掛けだ。この反射の効果は、二階席だからこそ味わえた特権なのかもしれない。

本作は舞台の役者たちが立体的に動き回るわけではない。どちらかといえば、平面的な配置が多い。しかし、舞台のセットは立体的に作られている。なので、ギャンブラー達が生息する都会の息吹が舞台から感じられるようになっている。また、左右の花道を効果的に使っている。たとえばネイサンがクラップゲーム(サイコロ賭博)のショバを確保するため、ジョーイと交渉するシーン。ここでは、上手の舞台脇にある電話ボックスと下手の花道にあるジョーイの事務所の間で会話する。オーケストラボックスや銀橋を跨いでの掛け合いは、本作有数のコミカルなシーンである。また、下水道の賭場とストリートを行き来させるのに、上手の花道に設えられたマンホール状の出入り口を使う。主役やギャンブラー達はマンホールに消え、または現れる。その様は、かのマイケル・ジャクソンのBeat Itのビデオクリップのシーンを思い出させた。本作は役者達の配置を平面的にした分、こういった立体的な演出が印象に残った。

本作は平面的な役者配置が多い、と書いた。配置こそ平面的ではあるが、それは舞台を広々と使うためだと思われる。本作は場面展開毎に大勢の役者がストリートプレイを演じるシーンが多い。例えばニューヨークの雑踏。ニューススタンドやボクサー、トレーナー、旅行者、物売り、兵士、警官や浮浪者、ギャンブラーがひっきりなしに行き来する。役者たちの動きは恐らく計算された演出に従っているのだろう。ただ、私のような本作初見の観劇初心者には把握できない程のせわしなさだった。観劇後に妻から教えられたが、あのような雑多な動きこそが、観客をリピーターに仕立てるのだという。確かに、この動きは一度や二度の観劇で把握できるものではない。こういった観客を飽きさせないための仕掛けが、本作の随所に仕込まれている。それがまた、本作をロングラン作品へと変えたのではないだろうか。そして、妻から教えてもらったことがもう一つある。それは、雑踏の中の動きについての役者側の工夫である。役者たちは、演出家の演出意図をさらに展開するかのような工夫を行っているのだという。例えば、雑踏の中で演じられる寸劇。これらの寸劇の一つ一つに、役者同志でドラマの設定を当てはめているのだという。

一幕の終わり近くで、主役のスカイ・マスターソンとサラ・ブラウンがハバナに行くシーンがある。そのシーンでは、キューバンなラテンリズムに乗って舞台狭しとダンサーたちが躍り回る。その人数は、私のような初見者にはわけがわからなくなるほどの数だ。しかし、そのような場面でも役者たちがドラマを設定しているという。つまり、一つ一つの役者はその他大勢ではなく、それぞれの主役を演じているのだ。舞台で輝くのは主役の二人だけではない。周りの役者の一人一人に実は観客には分からないドラマが仕込まれているとすれば、観客のリピーター心はくすぐられること必至のはず。そういった細かい演出の数々によって、舞台にはさらに魂が吹き込まれるに違いない。アデレイドがトップ女優として踊るHOTBOXの場面でもそう。私は今回、ナイスリー・ナイスリー・ジョンソンを演じる美城れんさんの動きのコミカルさが気に入ったのだが、彼女の動きをよく見ていると気付いたことがある。舞台の中央で主役二人がすれ違いを演じている間も、ホール係やギャルソン役の役者と掛け合いをしているのだ。それもおそらく、観客にはドラマの内容が届かないことを承知の上での演技なのだろう。しかし、目の肥えた宝塚ファンには、そういった周辺をも疎かにしない細かい芸こそが喜ばれるのだろう。

私は最近、観劇のたびに、そういった主役だけではない、周囲の役者達の動きを観るようにしている。彼ら彼女らが舞台の壁の花に甘んじるだけで、「何かをしている振り」の演技を見せられると残念に思う。リアルに考えると、我々が一人の客としてお店に入った場合、我々自身が主役として現実のドラマを演じているはずだから。そういったリアリティは大事にしてほしいと思う。

今回、歌は安心して聞けると妻から聞いていた。スカイ演ずる北翔海莉さんの歌のうまさについては、先日のビルボード東京でのライブを鑑賞させて頂き、十分すぎるほど分かっているつもりだ。その上で言うのだが、本作で北翔さんはアドリブを効かせて歌っていたように思う。”こぶし”とでも言おうか。しかし北翔さんは、色を出さずに敢えて素直に歌っても良かったのではないか。こう書くと妻に首を絞められそうだが。なぜなら、サラ演じる妃海風さんの歌がとても綺麗で伸びやかで、北翔さんの声質に似ていたから。主演二人のハーモニーは実に良かった。なので、ここはハーモニーを聞かせることに徹して頂いても良かったのではないかと思う。どことなく、タメのような間合いが挟まっていて、それが一瞬の感覚のずれとして私の耳に残った。

歌については上に書いたような違和感も感じたが、総じて安心して聞けた。そのため、専ら私は演技を見ていた。そして主役二人の演技に関してはすごく良かったと思う。最初にスカイがサラのいる救世軍を訪ね、口説くシーン。ラブコメの定石通り、最初はつんけんし合う二人。だが、このシーンでスカイを拒絶しようとするサラの立ち居振舞いが、その堅苦しい救世軍の衣装に似合っていて実に自然だった。どうせ喧嘩していても、この後くっつくんでしょ的なラブコメ予定調和の匂いを感じさせない演技が気に入った。また、二人のすれ違いから相思相愛に至るまでの二人の見つめ合う顔。これもまた見物だと妻はいう。もっとも、妻がオペラグラス越しに舞台の二人の側から離れなかったので、私には二人の顔が見えなかった訳だが。二階席だし。でも妻曰く、スカイこと北翔さんが顔の表情だけで二人の間の感情の流れを演じきるところが実に良いと褒めちぎっていた。私も次回もし本作を観る機会があれば、望遠鏡を持って行こうと思う。

本作はブロードウェイで演じられた際も、コメディタッチだったと聞く。本作においてコメディ担当なのは、二番手の紅ゆずるさん演じるネイサンである。私にとっては、紅さんは今の星組の生徒さんの中でもっとも馴染みの一人といってもいい。妻から数限りなく見せられた他の星組作品でも、そのコメディエンヌとしての実力は承知の上。今回もトチりを瞬時に笑いに変える切り返しや、随所に挟むアドリブ?と思われるシーンに流石と唸らされた。かつて父娘三人で紅さんの出身地である通天閣の辺りを散歩したことがある。その産まれ育った環境を活かして、次代のトップとして新しい風を吹かせて欲しいものである。ただ、今回のネイサンはホンの少しだけコミカルな演技が空回り気味だったように思う。そもそも主演の北翔さんからして、お笑い系の素養が高い方である。なので、紅さんも少しコメディのトンガリ度を落として、お笑い系二人による相乗効果を狙っても良かったのではないかと思った。あと、アデレイド役の礼真琴さんもコメディエンヌ的な感じがとてもよかった。妻に聞いたところ、普段は男役でも出ているのだとか。そう思わせないほどに14年もネイサンに婚約状態で飼い殺しにされたままの娘役をコミカルに演じていた。ストレス性のクシャミを患っているという設定だが、そのクシャミの音が実にリアルでリアルで。

さて、ここまで演者さんたちの演技について私なりの感想を書かせて頂いた。だが、本作で一か所だけ解せなかった点があった。それは一幕の演出についてである。

ここで本作の筋を少々書く。ネイサンがクラップゲームのショバを開くために千ドルが工面できず四苦八苦していた。そのところにスカイがニューヨークに帰ってくる。さっそくそこで千ドルを巻き上げようとスカイに賭けを持ちかけるネイサン。それはネイサンの指定する女性をハバナに食事に連れて行けるか、というもの。その女性が救世軍で活動しているお堅いサラ・ブラウン。スカイがサラにツレなくされているのを見て、賭けに買ったとほくそ笑むネイサン。しかしその時点ではまだスカイは負けた訳ではないので、スカイからの千ドルは手に入らない。そして、クラップゲームのショバを求めるギャンブラー達の圧力はますますネイサンを追い詰める。そして、ある日、ネイサンたちはスカイが姿を消し、街を行進する救世軍の中にサラの姿がないことに気付く。ハバナに首尾よくサラを連れて行ったスカイは、二人で再びニューヨークに戻り、救世軍前でサラと別れようとするが、そこに救世軍の中からギャンブラー達が沢山飛び出してくる。ショックを受けて傷つくサラ。

ここである。ギャンブラー達は如何にして夜中の救世軍の教会が空いていることを知ったのか。救世軍の教会に夜中に忍び込んで賭場を開帳できることをいつ知ったのか、についての伏線がどこにもなかったように思う。しかも、サラがスカイからのハバナへの申し込みを承諾するシーン。ここも唐突だったように思う。分かる人には分かる台詞でサラはスカイの誘いを承諾する。だが、そこから急に舞台はハバナへと飛ぶ。この部分の流れが少し分かりにくく、私のような本作初見者にはスッと頭に入らなかった。後で幕間に妻に聞いたほどである。

例えばこのシーンは、サラがスカイの誘いに乗ることを観客に伝える工夫ができたのではないだろうか。その上で、その夜は救世軍が夜間空き家になることを、例えば舞台袖でギャンブラーの誰かに聞かせることで、ギャンブラーと観客双方に伝える演出。そういった演出上の工夫で筋を説明的になることなく演出すれば、私のように勘の悪い観客にも上手く伝わるのに、と思った。一幕と違い、二幕が実に分かりやすかっただけにここは残念。是非機会があれば他の組の演目や、ブロードウェイバージョン、またはマーロン・ブランドの映画版でこのシーンの扱い方を見てみたいと思った。

さて、私にとって良いことも悪いことも書いたが、結果としては素晴らしい作品だと思った。観劇の満足感が残る。ブロードウェイの香りのする優れた作品を優れた役者=生徒さんたちによって観させて頂くのは実に素晴らしい。しかも舞台の内容を思い出すと、他の版とも比較して見てみたいという欲求が湧く。おそらくはそうやって思ってくれる観客が何世代にもわたって居続けたことが、再演また再演と宝塚でリバイバル上演され、そしてその積み重ねが101年という年月に繋がったのではないか。本作もまた、どこかの組でいずれは再演されるのだろうか。その時はまた観てみようと思う。

‘2015/11/15 東京宝塚劇場 開演 15:30~
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2015/guysanddolls/


宝塚歌劇百周年によせて


 数日前、「宝塚歌劇100年展 夢、かがやき続けて」を観てきました。本展は宝塚歌劇100周年記念と銘打たれたものです。今夏に兵庫県立美術館で開催されていたのですが、行かれずじまいでした。それが東京でも催されるというので、妻子と有楽町まで足を延ばしました。

 今年は宝塚歌劇が生まれて100年。各メディアでも大きく取り上げられました。宝塚に縁のない方でもあちらこちらで関連イベントを目にしたことと思います。

 宝塚。まだ観たことのない方にとって、その世界は奇異なものに映るかもしれません。女性だけの劇団で、男性も女性が演じ、洋物も和物もなんでもござれ。同じスカーフを巻いたヅカファンが目を輝かせて出待ち入待ちと称して劇場前で列をなし、目当てのスターに嬌声を浴びせる。劇場内外で繰り広げられる独特の世界観は、宝塚に偏見を持つ人をますます遠ざけさせるものがあります。

 妻が両足どころか腰まで浸かったレベルのヅカファンであることから、私はその世界にはある程度親しんでいます。もっとも私の場合、初めて宝塚を観劇したのは、妻と一緒ではありません。大学時代にお付き合いしていた女性がヅカファンで、その時に連れて行ってもらったのが最初でした。

 それまでは宝塚に対する知識も皆無で、世間のイメージに歪められた少しの偏見も持っていました。さぞやカルチャーショックを受けただろうと思われるかもしれません。しかし、全く宝塚に対する免疫のなかったその時ですら、舞台の素晴らしさに衝撃を受けました。阪神・淡路大地震の記憶も新しい中、宝塚大劇場で、大勢の女性と一緒に早朝から並び、ファンクラブのお世話役さんに席を取って頂いた経験も想い出深いです。

 その時の舞台は天海祐希さんのサヨナラ公演でした。彼女を始め、タカラジェンヌの多くがテレビを始めとした芸能界で活躍されています。今回観た100周年展でも退団された歴代のタカラジェンヌの色紙が飾られていました。宝塚が100年永らえたのも、創設した故小林逸翁の先見の明と、日本に老若男女誰もが楽しめる国民劇をという意識が連綿と受け継がれたことに加え、歴代の生徒、スタッフの努力があったからに他なりません。

 たとえそれが、箕面有馬電気軌道という弱小会社の苦肉の策とはいえ。関西の奥座敷にある温泉場の余興が始まりとはいえ。プールに蓋をして舞台とした発祥は、忘れたい過去であるどころか、むしろ誇るべきものと思います。

 最近、ヅカファンたちに「ムラ」と親しみを込めて呼ばれる宝塚大劇場の近辺が、さびれつつあるような気がしてなりません。宝塚ファミリーランドの跡地は住宅展示場やガーデンフィールズなる施設として放置されています。一基残されたメリーゴーランドが、かつての賑わいを今に伝えています。いや、そうではなく、忘れ去られようとしている創設当時の夢と熱意を体現しているのかもしれません。

 このところ、演目は宝塚大劇場で上演された後、有楽町の東京宝塚劇場で千秋楽を迎えるのが恒例になりつつあるようです。本当にこの順番でよいのでしょうか。演目の千秋楽や、トップスターのさよならショーが宝塚大劇場でなく、東京で行われることが当たり前になりつつある現状。宝塚から有楽町へ、本拠地を気づかぬうちに少しずつ移そうという動きが透けて見えるかの如く。

 東京、有楽町、銀座。日本の繁華街の代表的な存在です。確かにここに劇場を構えることは、一つの到達点と言えると思います。山梨出身の逸翁にとっても、或いは泉下で本懐を遂げた想いでいらっしゃるかもしれません。しかし、私は、宝塚には発祥の地を忘れて欲しくないと思います。

 プールの上でドンブラコを演じた幕開けから、華々しいレビューを花咲かせた昭和初期。戦時下の不条理にも思える戦意称揚演目の数々から、戦後の復興。凄惨な舞台上での死亡事故やブロードウェイミュージカルの導入、ベルバラブーム。先人の築き上げた歴史の上に、今のプラチナチケット化した星組の隆盛があるのではないでしょうか。そこには華やかさだけでなく、苦労と苦難が下積みになってのものだと思います。

 これからも日本発の本格的な劇団として、宝塚は続いていくことと思います。宝塚の名を残すため、登記上の本店は宝塚市に置いているけれど、実質的な本社機能は有楽町に、といった上辺を飾った劇団には堕ちて欲しくないと思います。便利でステータスのある有楽町ではなく、わざわざ奥まった宝塚-ムラに呼び寄せるだけの魅力。これこそが宝塚の原点だと思います。当初しのぎを削った松竹歌劇団が衰退したのも、安易に東京と大阪に分けたことにも一因があるとか。東京で大いにやるのも結構。東京宝塚劇場も結構。経営が安定してこその劇団です。でもそれは宝塚の出先としての東京であってほしい。発祥を忘れて東京に軸を移した途端、東京の喧騒に呑みこまれて存在感を失くす。そんな将来図が目に浮かびます。

東京集中の流れに異を唱えるかのように、大正から昭和にかけ、阪神間モダニズムが栄えました。その頃の阪神間は、日本でも有数の文化ゾーンでした。阪神間モダニズムのエリアは、そのまま今の阪急阪神ホールディングスの路線網に重なります。宝塚歌劇団のバックボーンには、阪神間モダニズムを線路でつなぎ続けた誇りがあるはずです。その流れを汲み、しっかりと本拠を宝塚に置き、東京への誘惑に屈しないで頂きたい。

今回100年展を観覧し、改めてそんな思いに駆られ、本稿を書きました。