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完盗オンサイト


本書もこのところ読んできた江戸川乱歩賞受賞作の一つだ。江戸川乱歩賞の受賞作は、作風や構成がバラエティに富んでいる。応募作も推理作家の登竜門であるため、力が入った作品が多い。粗削りだが、魅力もあるのだ。

本書もその一つ。皇居に忍び込み徳川家光公が愛した盆栽「三代将軍」を盗み出すというプロットは野心的だし、勢いに満ちている。奇想天外なストーリーではあるが、小説の内容自体がぎりぎり破綻していないのもいい。興味を惹かれつつ読み進められる。なおかつ、登場人物が挫折から再起する様子が描かれている事にも好感が持てる。

主人公の水沢浹(とおる)は21歳。恋人のクライマー伊藤葉月と別れ、クライマーとしての未来にも自信を失い、ホームレスと変わらない日々を送っていた。

浅草で行き倒れ寸前になるところを救ってくれたのが、寺の住職岩代辿紹だ。ぶっきらぼうだが、温かみのある辿紹。言葉が不自由な少年斑鳩(いかる)を養っている辿紹は、さらに浹も養うことにする。浹に何かを感じたからだ。辿紹は工事現場で作業員の仕事にも出かけており、そこに浹を連れて行く。ところがそこで浹は休憩時間にクライミングトレーニングをしてしまい、そこから浹はその施主の社長國生環にスカウトされる。そこで依頼されたのが、皇居にある「三代将軍」を盗み出すことだ。

その施主、國生地所は日本有数のデベロッパー。その設計事例の多くは、社長の國生環ではなく会長の國生肇の頭脳から生み出されている。自らは動けずストレッチャーにのって移動する肇は、自らが動けないため脳裏に描く欲求を実現せずにはいられない人物。そんな彼の歪んだ欲求は「三代将軍」を手に入れることに向けられている。

依頼を受け、浹はどうすべきか。ここから、本書は面白い展開を見せる。ただ浹が盆栽を盗み出して終わりにはならない。世界的な名声を保っていた元恋人の伊藤葉月。さらに辿紹が養っている斑鳩。そして明らかに精神に深刻な病を抱えている人物瀬尾貴弘も合間に描写される。

奇矯な人物が奇妙な動機と行動で話を進めていく本書。展開がかなり独特な感じなのだが不思議とすいすい読める。違和感もあまり感じない。「著者の都合が感じられなかった」と選評で東野圭吾氏が書いていたが、私もそう思った。著者の都合が感じられないため、読者としても白けることなく付いていけるのだ。奇抜な目標を設定しているだけに、読者としてはその結末がどうなるか気になるのだ。こうなればもう著者の勝ちだ。

本書の後半の動きはめまぐるしい。展開も強引すれすれな速度で進む。だが、それがかえって本書に独特の色合いを与えている。そして著者の都合は感じられない。選評で内田康夫氏が、漫画の原作のような非現実的なストーリーで、受賞には反対したと書いていた。確かにそういう見方もあるだろう。私は書き直された本書しか知らないので、応募時と本書がどう違うのかはわからず、応募時にはもっと展開が強引だったかもしれない。

だが、それはあくまでも受賞作という視点で見た時の話。本書を受賞作と切り離してみてみれば、展開も予想外だし、人物が良く書けている。エキセントリックな人物もいれば、リアルな存在感を出す人物もいる。それぞれのバランスが良いのだ。そのため、風変わりな動機と目的であっても円滑に読めるのだ。そして、その中で浹が挫折を乗り越え、成長を遂げてゆく姿を楽しめるのだ。ただ、最後に浹が取った判断は賛否分かれると思う。特に斑鳩の扱いについては。あと、続編への色気を見せるラストも余計だと思う。多分、本書の読後感については好き嫌いがわかれると思う。

なお、タイトルにあるオンサイトとは、「自分が一度もトライしたことのないルートを、初見で完登すること」(146P)ということだ。そこで完登を完盗と変えたのが肝だ。応募時には「クライマーズ ハイ」というタイトルだったらしい。本書のほうが良いタイトルだと思う。

「クライマーズ ハイ」というあまり良いとは思えないタイトルでこれだけ奇天烈なテーマと構成で受賞したのだから、次回作も気になる。まだ著者の作品は本書しか読んだことがない。見つければ読んでみようと思う。

‘2017/07/18-2017/07/18


お目出たき人


著者の没年を見ると、私が三歳の年に亡くなったようだ。つまり私が幼い頃はまだ存命だったことになる。だが、著者の作品をまとまった書籍として読んだ記憶がない。教科書で読んだかどうかもあやふやだ。私の中ではあまり関わりのなかった著者だが、なぜか私にとって著者は文豪としての印象付けられている。私が幼い頃にテレビでお姿を拝見したのだろうか。

少なくとも、本ブログを初めてから、著者の作品を意識して読むのは初めてだ。では今になってなぜ著者の作品を読もうかと思ったか。それは、別冊宝島「巨人列伝」の中に収められている倉阪鬼一郎氏の文章がきっかけだ。倉阪氏は巨人列伝の数多くいる著者の一人として、文豪で奇人といえる人物を取り上げている。そこで著者の最晩年のエッセイが血祭りに上げられている。そのエッセイは抜粋されているが、まさに戦慄すべき内容だ。本当に公に発表された文章とはとても思えない。もはや文章の体をなしていない。それが逆に私の興味を惹いた。著者はどんな作家なのだろう。そんな好奇心が頭をもたげ、あらためて著者の作品を読んでみた。

興味本意で読み始めた本書。上に書いたエッセイのような支離滅裂さを期待したがその期待は外れた。その替わり、著者についてかつて文学史の文脈で学んだ断片知識を思い出した。それは、無垢とまでいえる天真爛漫な純粋さだ。

本書の主人公は26歳の男。鶴という女学生に一方的に懸想し、一人悶える。片思いもいいところの片想い。それでいて本人には話し掛けず、ついには間に人を介して結婚を申し込もうとする体たらく。が、先方からは時期尚早とお断りを入れられ煩悶し、妄想の中で鶴を恋人に仕立てあげる。もちろん、明治40年当時の恋愛観を今と比べることの愚かさは分かっている。それは分かっているが、主人公の鬱々とした独白は現代人にとって焦れったいことこの上ない。もはや苛立ちすら感じさせるレベルに至っている。だが優柔不断を絵に描いたような主人公は、自分の脳内の世界では青年らしく高潔たらんとし、騎士を演じる。そのギャップの激しさは、ある種の文学の高みといっても良いほどだ。

著者が本書を書いたとき、ちょうど主人公の年齢と同じ26歳だったらしい。つまり、主人公とは著者を投影した人物と思えないだろうか。日露戦争に勝って意気軒昂な当時の富国強兵日本。その当時、柔弱な文士という偏見がどこまでまかり通っていたかはわからない。ひょっとすると文士が軟派であることは、逆に社会的に許容されていたのではなかろうか。そう思わせるほど、主人公の独り相撲と自己愛は常軌を逸するレベルにまで高められている。

主人公の独白に付き合ううちに、私の脳裏にはある人物の顔が浮かんだ。それは、今から数代前の日本国首相を務めた鳩山由紀夫氏である。友愛をキーワードに理念先行の政治を推し進め、却って混乱を招いて退陣した鳩山氏。私は鳩山由紀夫氏の友愛についての本を読んだことがある。なので、人間としての鳩山氏が目指したかった理想を少しは理解している。氏の掲げた友愛を妄想と一方的に片付けるのは可愛そうだと思う。むしろこういう理想を語る政治家が居てもよいではないか、と好意的に考えていた。日本のリーダーとしては相応しくなかったが、私はこういう理想を語る人は好きだ。直接的に私に害を及ぼさないかぎりは。なので、本書の主人公も著者のことも鳩山氏も理想を語る人間としては等しく好意を持って見ているつもりだ。私自身、かつては本書の主人公の様な理想論に凝った時期もあったのだから。

それより凄いと思えることが一つある。それは、著者にしても鳩山由紀夫氏にしても、その無垢な性質を保ったまま中年期を迎えられたことだ。その凄さの源がどこにあるかを考えた時、一つの結論にたどり着く。それは、二人とも名家の御曹司ということだ。かたや公家の血を引く武者小路伯爵家。かたや明治から政治家一家として知られる鳩山家。著者については、出生から青年期に至るまでを東京麹町で過ごしている。麹町とは今でも高級マンションや大使館が軒を連ねるエリア。おそらく当時は今よりもさらにステータスが高かったのではないか。そこに生まれ育った著者は、御曹司として恵まれた青年時代を過ごしたことになる。奇遇にも著者の生誕地は、ここ数年の私が客先常駐する現場のすぐ近くにあるらしい。著者の理想主義を育んだ地は、私にとっても馴染みのある場所だったわけだ。

彼らの理想主義が裕福な財政を後ろ盾にした理想主義であったならば、少し割り引いて考えなければなるまい。たとえ人間的には好意をもったとしても、その理想論にたやすく追随するわけにはいかないのだ。そしてそれを裏付けるように、本書の主人公の言動からは生活のために働かなくては、との切迫感が全く感じられない。そもそも本書には主人公が働く描写がほとんど出てこないのだから。

ただし、本書に救いが見当たらないかというとそうでもない。その救いは本書の題名に隠れている。「お目出たき人」という題名には明らかに自嘲の響きがある。著者は自らの境遇を明らかに客観視しているようだ。自らを客観視できたことは、著者を作家として大成させる原動力となったはずだ。

ただ、晩年に入った著者は客観を忘れてしまったようだ。文豪と崇め奉られる余りに編集者からの指摘も受け付けられなくなった。冒頭に書いたエッセイの無惨さは、そんなところに遠因があったように思う。

そういう観点から本書を読むと、理想主義の結末が見えてしまうようで悲しい。老いてもなお理想は掲げていたいものだ。もちろん現実を見据えた上で。今までの無理解を取り戻すためにも、調布の記念館には一度行ってみたいと思う。

‘2016/05/28-2016/05/29