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列島縦断 「幻の名城」を訪ねて


本書を読む二カ月前、家族で沖縄を旅した。その思い出は楽しさに満ちている。最終日に登城した勝連城跡もその一つ。勝連城跡の雄大な石垣と縄張り。そして変幻自在にくねっては一つの図形を形作る曲輪。勝連城跡は私に城巡りの楽しさを思い出させた。

それまで沖縄のグスクに対して私が持っていた印象とは、二十年前に訪れた首里城から受けたものだけだった。首里城は沖縄戦で破壊され、私が訪れる四年ほど前に復元されたばかり。そのまぶしいまでの朱色は、かえって私から城の印象を奪ってしまった。

今回の旅でも当初は首里城を訪れる予定だった。が、私自身、上に書いたような印象もあって首里城にはそれほど食指が動かなかった。そうしたところ、お会いした沖縄にお住いの方々から海中道路を勧められた。それで予定を変更し、首里城ではなく海中道路から平安座島と伊計島を訪れた。前の日には今帰仁城址を訪れる予定もあったが、美ら海水族館で多くの時間を時間を過ごしたのでパス。なので、本来ならば今回の沖縄旅行では、どのグスクにも寄らずじまいのはずだった。ところが、海中道路からの帰りに勝連城跡が近いことに気づき、急遽寄ることにした。正直、あまり期待していなかったが。

ところが勝連城は私の期待をはるかに上回っていた。ふもとから仰ぎ見る見事な威容。登り切った本丸跡から眺める海中道路の景色。何という素晴らしい城だろう。かつて阿麻和利が打ち立てた勢いのほとばしりを数百年のちの今も雄弁に語っている。阿麻和利は琉球史でも屈指の人物として知られる。南山、中山、北山の三山が割拠した琉球の歴史。その戦乱の息吹を知り、今に伝えるのが勝連城跡。城とは、歴史の生き証人なのだ。

お城とは歴史の爪痕。そして兵どもの戦いの場。確かに、イミテーション天守は戴けない。コンクリートで復元された天守も興を削ぐ。その感情がわき起こることは否めない。だが、例え天守がイミテーションや復元であっても、天守台や二の廓、三の廓に立ち、二の丸、三の丸の石垣を目にするだけでも城主の思いや戦国武士の生きざまは感じられるのではないか。私は勝連城を訪れ、あらためて城の石垣に魅了された。

ここ数年、山中に埋もれた山城の魅力に惹かれていた。だが、石垣で囲われた城にも魅力はある。そう思って本書を手に取った。

本書には有名な城もそうでない城も紹介されている。本書は全部で五十以上の条で成っており、それぞれの条で一つの城が取り上げられている。本書で取り上げられた城の多くに共通するのは、石垣の美しさを今に伝える城であること。著者は石垣マニアに違いあるまい。石垣へ魅せられる著者の温度が文章からおうおうにして漂っている。著者のその思いは、本書にも取り上げられている勝連城を登った私にはよく理解できる。

第一章は「これぞ幻の名城ー石垣と土塁が語る戦いと栄華の址」と題されている。ここで扱われている城の多くに天守は残されていない。西日本編として安土城、近江坂本城、小谷城、一乗谷館、信貴山城、大和郡山城、竹田城。東日本編として春日山城、躑躅ヶ崎館、新府城、興国寺城、石垣山城、小田原城、金山城、箕輪城、高遠城、九戸城が登場する。この中で私が訪れたことがあるのは、安土城、一乗谷館、大和郡山城、躑躅ヶ崎館、小田原城だけしかない。他はどれも行ったことがなく、旅情を誘う。各城を紹介する著者の筆致は簡潔で、歴史の中でその城が脚光を浴びたエピソードを描く程度。だが、訪問したいという思いに駆られる。ここに登場する城には土塁や石垣がはっきり残っているところが多い。その多くは戦いのための機能のみならず、統治用の縄張りも兼ねている。つまり軍略と統治の両面を考えられた城がこの章では取り上げられている。そうした観点で見る城もなかなかに魅了させてくれる。

第二章は「大東京で探す「幻の名城」」と題されている。江戸城、平塚(豊島城)、石神井城、練馬城、渋谷城と金王八幡宮、世田谷城と豪徳寺、奥沢城と九品仏浄真寺、深大寺城と深大寺、滝山城、八王子城だ。この中で全域をめぐったといえる城は滝山城だけ。世田谷城も江戸城も深大寺城も奥沢城も渋谷城も城域とされる地域は歩いたが、とてもすべてをめぐったとは言えない。そもそも遺構があまり残されていないのだから。だが、東京に暮らしているのなら、これらの城はまだめぐる価値があると著者はいう。本書を読んで数日後、皇居の東御苑に行く機会があったが、折あしく立ち入れなかったのは残念。また訪れてみたいと思っている。また、この章では最後には桜が美しい城址公園を紹介してくれている。弘前公園、松前公園、高遠城址公園、津山城鶴山公園、名護城址公園の五カ所だ。津山以外はどこも未訪で、津山に訪れたのは三十年以上前のことなのでほとんど覚えていない。ぜひ行きたい。

第三章は「櫓や石垣、堀の向こうに在りし日の雄姿が浮かぶ」と題されている。金沢城、上田城、福岡城、津和野城、女城主井伊直虎ゆかりの城、井伊谷城、松岡城が採り上げられている。金沢と福岡しか行ったことがないが、いずれも石垣が印象に残る城だと思う。直虎を取り上げているが、それは本書の出された時期に放映中の大河ドラマに便乗した編集者のごり押しだろう。だが、一度は訪れてみたいと思っている。ここの章に挿入されたコラムでは、荒城の月の舞台はどこかについて、五カ所の候補とされる城が紹介されている。仙台(青葉)城、九戸(福岡)城、会津若松(鶴ヶ城)城、岡城、富山城だ。九戸と岡はまだ行ったことがない。ぜひ訪れたい。

第四章は「再建、再興された天守や館に往時を偲ぶ」と題されている。この章で採り上げられた城はどれも復興天守だ。五稜郭、会津若松城、松前城、伏見城、忍城。この中では松前城だけ行ったことがない。本章の最後にはなぜ復興天守は作られるのか、というコラムで著者の分析が収められている。著者が説くのは、観光資源としての城をどう考えるのかという視点だ。その視点から復興天守を考えた時、違う見え方が現れる。私は、復興天守だから一概に悪いとは思っていない。どの城も堀や縄張りは往時をよく残しており、天守だけが廃されている。だからこそ天守を復興させ、最後の点睛を戻したいという地元の人の気持ちもわかるのだ。なお、伏見城は歴史考証を無視したイミテーション天守だが、伏見の山腹に見える天守を見ると関西に帰省した私は心が安らぐのもまた事実。すべての復興天守を批難するのもどうかと思う。

第五章は「古城の風格をいまに伝える名城」として弘前城、丸岡城、備中松山城を取り上げている。丸岡城は母の実家のすぐ近くなので訪れたことがあるが、それもだいぶ前。もう一度訪れてみたいと思っている。ここで採り上げられたどの城も現存十二天守に含まれている。なお、本書のまえがきにも記されているが、現存十二天守とは江戸時代以前に築かれた天守で、今に残されている天守を指す。松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城が国宝。重要文化財は弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城だ。なぜか前書きからは松山城が抜けているが。私はこの中で弘前城、備中松山城、丸亀城、宇和島城だけ登っていないが、残りは全て天守を登っている。どの天守も登る度に感慨を豊かにしてくれる。

第六章は「北の砦チャシ、南の城グスクの歴史」だ。アイヌにとっての砦チャシ、シベチャリシャシ、ヲンネモトチャシ、首里城、今帰仁城、中城城、座喜味城、勝連城が取り上げられている。本章を読んで、私が北海道のチャシを訪れたことがない事に気付いた。三回も北海道を一周したにもかかわらずだ。いまだに五稜郭しか行ったことがない。これはいかんと思った。そして沖縄だ。まだ訪れていない今帰仁城や中城城、座喜味城にも勝連城を訪れた時のような感動が待っているに違いない。そしてこの章の最後に、石垣マニアの著者が力を入れて取り上げる、石垣が美しい城ベスト5が紹介されている。会津若松城(鶴ヶ城)、金沢城、伊賀上野城、丸亀城、熊本城だ。伊賀上野と金沢は訪れたものの、ずいぶんと前の話。しかも伊賀上野は十年近く前に訪れたが、忍者屋敷に娘たちが見とれていたのを親が見とれていたので、実質は見ていないのと同じだ。石垣だけでも見に行きたい。

最後に巻末資料として、日本の城とは何かという視点で、築城史が紹介されている。また城に関する用語集も載っている。特に虎口や馬出や堀、曲輪、縄張、天主や土塁、石垣などがイラスト付きで載っており、とても分かりやすい。私の生涯の目標として、日本の〇〇百選を制覇することがある。もちろん城もそれに含まれている。城については百名城だけでなく二百名城までは制覇したいと思う。本書を読んだことを機に、城探訪の旅も始めたいと思っている。

‘2018/05/03-2018/05/09


火天の城


世に歴史小説の類いは多々あれど、城郭建築をここまで書いた小説ははじめて読んだ。

もちろん、私はあらゆる歴史小説を読んでいる訳ではない。むしろごく一部しか読んでいないほうだろう。なので、私が知らないだけということもありうるだろう。それを踏まえていうと、ほとんどの歴史小説の主人公は武将や戦士や政治家ではないだろうか。僧や剣豪などもそれらの人々に含まれる。彼らは一国の内政や外交や軍事に専従し、采配を振るっては国を動かす。いってみれば彼らは歴史の表舞台で演ずることのできる人々。

しかし、本書の主人公は大工の棟梁だ。それも、戦国時代には欠かせない城郭建築を指揮する棟梁。つまり戦国史においては裏方となり、表に出ることの少なかった人々だ。そんな棟梁が主人公の歴史小説はあまりなかったように思う。少なくとも私は今まで読んだことがなかった。

戦国武将の中には、城郭建築の名手と言われる人物がいる。加藤清正公や藤堂高虎公などはその中でもよく知られた存在だ。が、彼らとて図面を引いたり工作したりといった建築の実作業を本職としていたわけではない。あえていえば、彼らは城下町も含めた城郭全体を脳裏に描き、それを大工に伝えることに長けていただけ。いわば、構想と施工の主に過ぎない。

つまり、彼らの構想は、それを形に写し出す技術者がいて初めて世に出るのだ。技術者つまり棟梁が居ないことには、城郭が形になることはない。それなのに、城を実際に建てた棟梁の名前となると、すぐには浮かんでこない。戦国時代には多くの城が建てられ、その多くは現代にも残っている。しかし棟梁の名が後の世に伝わっていることはほとんどないのだ。本書の主人公である尾張熱田の棟梁岡部又右衛門も同じ。おおかたの棟梁の事跡など歴史の地層に埋もれてしまっている。

だが本書は大工の棟梁つまり技術者が主人公だ。彼らの技術に焦点を当て、技術者としての矜持を描き出す。技術者の苦労に光を当てた本書は、私にとっては新しく興味深かった。

では、今まで城郭建築の面白さを書こうとした作家はいなかったのだろうか。私はいたと思っている。城は戦国の世に咲いた華。これほど目立つ存在なのに、その裏側を書こうとした作家がいなかったはずはない。ではなぜ、棟梁を主人公とした作品はあまりないのか。

その理由はいくつか挙げられそうだ。華や見せ場に欠けるという理由もあるだろう。だが一番の理由は、資料の難読性にあったのではないか。ただでさえ読みにくい古文書が、技術的な記載に埋められているとしたらどうだろう。それを小説として成り立たせようという作家は準備の時点で膨大な労力を強いられることになる。その労力を前にして、城郭建築を小説化しようとする幾多の試みが挫かれてきたのではないだろうか。

そう考えると、本書の重みも一層増すというものだ。著者が本書を書くにあたっての準備は並大抵のものではなかったはずだ。当時の古文書を読み込み、築城にあたっての苦労や挫折を調べ尽くす。その準備の上で本書を小説として面白く仕立て上げるための構成を練る。

結論からいうと、著者はそのすべてを成し遂げている。

特に、著者が苦労したのは棟梁が直面する技術的な苦労をいかに読者に伝えるか、ではないか。斬新な建築様式や城主の大仰な理想を形にするにあたって、棟梁の工夫や努力によって乗り越え実現する過程は、小説的な面白さに満ちている。むしろ、著者にとっては本書に小説的な面白さを加えることは楽だったのかもしれない。なにしろ、本書で取り上げるのは安土城なのだから。

安土城といえば、天下布武の拠点としての絢爛な姿が語り草になっている。そして、本能寺の変から間もなく徹底的に破壊されたことでも知られている。小説のネタとなるエピソードには事欠かないのだ。また、安土城には詳細な図面が現代に伝わっているともいう。なので、著者にとっての難業とは、築城術の奥義を小説に分かりやすく組み込む作業だけだったのかもしれない。

本書は、主君信長がまだ尾張の小領主時代、つまり大うつけと呼ばれている頃から始まる。棟梁岡部は、熱田神宮の練塀修理を信長から命ぜられ、見事に完成させたばかりか、門に個性を施した見事な普請を披露する。それが熱田神宮の祭神の御魂に届いたのか、主君は桶狭間の戦いで今川義元公を討ち取り戦国覇者へ名乗りを挙げる。大勝の陰に主人公の奉納練塀の功もありとして、主君に取り立てられることになる。主君が覇業への一歩を踏み出すごとに、岡部棟梁も付き従って拠点を移すことになる。やがて、安土こそが天下布武への拠点に相応しいとの主君の命によって、棟梁岡部は安土への築城を行うことになる。

安土への築城は、一筋縄ではいかない。なかでも棟梁を悩ましたのは、天守を七重の南蛮天主堂のようにせよとの主君の仰せ。つまりはキリスト教の教会によく見られるドーム状の巨大空間付きの天守だ。バテレンから最新の南蛮渡来の文物を見せられた主君は、すっかり南蛮びいきになってしまったというわけだ。

さらに主君の要望はドーム状の空間の上に、君主の居住空間を載せることにまで及ぶ。その無謀さと難解さはわれわれのような建築の素人にも想像できる。さらには天下布武の意向を世に知らしめるため、天守を金箔で覆う指示も加わる。重量は余分に嵩み、棟梁岡部の悩みも増す。

はたして命ぜられた工期内に天守と臣下の者たちが住まう町作りは成し遂げられるのか。そんな興味がページを捲る手を止めさせない。

著者はさらにさまざまな妨害を棟梁岡部の前におき、彼の悩みを一層深める。例えば六角氏の残党。めっきり勢力は衰えたとはいえ、本拠地観音寺城の目前に安土城を堂々と縄張りされて気分のよいはずはない。忍びを使って妨害工作を仕掛ける。柱に用いる巨木の調達も難儀である。畿内にはよい樹がない。それで敵地である武田領木曽産のもの、それも伊勢神宮遷宮の御柱用に用意されていたものをはるばる運ぶ安土まで運ぶことになる。また、堂々たる巨石が見つかったことで城の礎石とせよとの命が下り、途方もない重さのそれを山上へと運ばねばならなくなる。

混乱や大事故を乗り越え、棟梁岡部や総奉行丹羽長秀の苦心の甲斐あって、安土城はいったんは竣工なる。棟梁の面目は立ったものの、竣工後もあまりの重さに天守全体が沈下するなど、苦労は絶えない。

日本の歴史には、幾度となく文明流入の潮流があった。その中でも初めて西洋の技術を用い、西洋の意匠に合わせた安土城築城は屈指の出来事だったのではないか。築城に当たっての棟梁岡部の苦労の数々は、あたかも技術立国日本の原点を目の当たりにするようだ。本書では又右衛門とその息子以俊の職人としての魂と技の引き継ぎが描かれていることは見逃すわけにはいかない。親と子、棟梁と弟子の間に生じる葛藤や軋轢があり、はじめて匠の技は受け継がれていくのかもしれない。そうやって大工の誇りと技術が今日に至るまで日本の底で受け継がれてきたことは特筆しておかねばなるまい。

だからこそ、当時の技術の粋を極めた安土城が破砕されたことは惜しまれる。通史では本能寺の変の後の出来事は、中国大返しから山崎の戦いが描かれることが多い。だが本書は通史の本流にはあまり紙数を割かない。替わりに書かれるのは、安土城がこの世から抹消されるまでの経緯だ。そしてその経緯の一部始終は棟梁岡部によって目撃されることになる。己が築き上げた畢生の作品が亡きものになってゆくのを見守る棟梁の心中が察せられる切ない場面だ。

技術力がどれだけ進もうとも、覆らない真理もある。一度は完成したものが衰え風化してゆくのは必然といってもよいだろう。下剋上の風が幅を利かせ、既存の観念が無用となった戦国の世。そんな時代にあって、権力のはかなさや象徴の頼りなさを誰よりも心に刻んだのが棟梁岡部だったような気がする。

‘2015/11/25-2015/11/26