Articles tagged with: 在日米軍

日本の難点


社会学とは、なかなか歯ごたえのある学問。「大人のための社会科」(レビュー)を読んでそう思った。社会学とは、実は他の学問とも密接につながるばかりか、それらを橋渡す学問でもある。

さらに言うと、社会学とは、これからの不透明な社会を解き明かせる学問ではないか。この複雑な社会は、もはや学問の枠を設けていては解き明かせない。そんな気にもなってくる。

そう思った私が次に手を出したのが本書。著者はずいぶん前から著名な論客だ。私がかつてSPAを毎週購読していた時も連載を拝見していた。本書は、著者にとって初の新書書き下ろしの一冊だという。日本の論点をもじって「日本の難点」。スパイスの効いたタイトルだが、中身も刺激的だった。

「どんな社会も「底が抜けて」いること」が本書のキーワードだ。「はじめに」で何度も強調されるこの言葉。底とはつまり、私たちの生きる社会を下支えする基盤のこと。例えば文化だったり、法制度だったり、宗教だったり。そうした私たちの判断の基準となる軸がないことに、学者ではない一般人が気づいてしまった時代が現代だと著者は言う。

私のような高度経済成長の終わりに生まれた者は、少年期から青年期に至るまで、底が何かを自覚せずに生きて来られた。ところが大人になってからは生活の必要に迫られる。そして、何かの制度に頼らずにはいられない。例えばビジネスに携わっていれば経済制度を底に見立て、頼る。訪日外国人から日本の良さを教えられれば、日本的な曖昧な文化を底とみなし、頼る。それに頼り、それを守らねばと決意する。行きすぎて突っ走ればネトウヨになるし、逆に振り切れて全てを否定すればアナーキストになる。

「第一章 人間関係はどうなるのか コミュニケーション論・メディア論」で著者は人の関係が平板となり、短絡になった事を指摘する。つまりは生きるのが楽になったということだ。経済の成長や技術の進化は、誰もが労せずに快楽も得られ、人との関係をやり過ごす手段を与えた。本章はまさに著者の主なフィールドであるはずが、あまり深く踏み込んでいない。多分、他の著作で論じ尽くしたからだろうか。

私としては諸外国の、しかも底の抜けていない社会では人と人との関係がどのようなものかに興味がある。もしそうした社会があるとすればだが。部族の掟が生活全般を支配するような社会であれば、底が抜けていない、と言えるのだろうか。

「第二章 教育をどうするのか 若者論・教育論」は、著者の教育論が垣間見えて興味深い。よく年齢を重ねると、教育を語るようになる、という。だが祖父が教育学者だった私にしてみれば、教育を語らずして国の未来はないと思う。著者も大学教授の立場から学生の質の低下を語る。それだけでなく、子を持つ親の立場で胎教も語る。どれも説得力がある。とても参考になる。

例えばいじめをなくすには、著者は方法論を否定する。そして、形のない「感染」こそが処方箋と指摘する。「スゴイ奴はいじめなんかしない」と「感染」させること。昔ながらの子供の世界が解体されたいま、子供の世界に感染させられる機会も方法も失われた。人が人に感染するためには、「本気」が必要だと著者は強調する。そして感染の機会は大人が「本気」で語り、それを子供が「本気」で聞く機会を作ってやらねばならぬ、と著者は説く。至極、まっとうな意見だと思う。

そして、「本気」で話し、「本気」で聞く関係が薄れてきた背景に社会の底が抜けた事と、それに皆が気づいてしまったことを挙げる。著者がとらえるインターネットの問題とは「オフラインとオンラインとにコミュニケーションが二重化することによる疑心暗鬼」ということだが、私も匿名文化については以前から問題だと思っている。そして、ずいぶん前から実名での発信に変えた。実名で発信しない限り、責任は伴わないし、本気と受け取られない。だから著者の言うことはよくわかる。そして著者は学校の問題にも切り込む。モンスター・ペアレントの問題もそう。先生が生徒を「感染」させる場でなければ、学校の抱える諸問題は解決されないという。そして邪魔されずに感染させられる環境が世の中から薄れていることが問題だと主張する。

もうひとつ、ゆとり教育の推進が失敗に終わった理由も著者は語る。また、胎教から子育てにいたる親の気構えも。子育てを終えようとしている今、その当時に著者の説に触れて起きたかったと思う。この章で著者の語ることに私はほぼ同意する。そして、著者の教育論が世にもっと広まれば良いのにと思う。そして、著者のいう事を鵜呑みにするのではなく、著者の意見をベースに、人々は考えなければならないと思う。私を含めて。

「第三章 「幸福」とは、どういうことなのか 幸福論」は、より深い内容が語られる。「「何が人にとっての幸せなのか」についての回答と、社会システムの存続とが、ちゃんと両立するように、人々の感情や感覚の幅を、社会システムが制御していかなければならない。」(111P)。その上で著者は社会設計は都度更新され続けなければならないと主張する。常に現実は設計を超えていくのだから。

著者はここで諸国のさまざまな例を引っ張る。普通の生活を送る私たちは、視野も行動範囲も狭い。だから経験も乏しい。そこをベースに幸福や人生を考えても、結論の広がりは限られる。著者は現代とは相対主義の限界が訪れた時代だともいう。つまり、相対化する対象が多すぎるため、普通の生活に埋没しているとまずついていけないということなのだろう。もはや、幸福の基準すら曖昧になってしまったのが、底の抜けた現代ということだろう。その基準が社会システムを設計すべき担当者にも見えなくなっているのが「日本の難点」ということなのだろう。

ただし、基準は見えにくくなっても手がかりはある。著者は日本の自殺率の高い地域が、かつてフィールドワークで調べた援助交際が横行する地域に共通していることに整合性を読み取る。それは工場の城下町。経済の停滞が地域の絆を弱めたというのだ。金の切れ目は縁の切れ目という残酷な結論。そして価値の多様化を認めない視野の狭い人が個人の価値観を社会に押し付けてしまう問題。この二つが著者の主張する手がかりだと受け止めた。

「第四章 アメリカはどうなっているのか 米国論」は、アメリカのオバマ大統領の誕生という事実の分析から、日本との政治制度の違いにまで筆を及ぼす。本章で取り上げられるのは、どちらかといえば政治論だ。ここで特に興味深かったのは、大統領選がアメリカにとって南北戦争の「分断」と「再統合」の模擬再演だという指摘だ。私はかつてニューズウィークを毎週必ず買っていて、大統領選の特集も読んでいた。だが、こうした視点は目にした覚えがない。私の当時の理解が浅かったからだろうが、本章で読んで、アメリカは政治家のイメージ戦略が重視される理由に得心した。大統領選とはつまり儀式。そしてそれを勝ち抜くためにも政治家の資質がアメリカでは重視されるということ。そこには日本とは比べものにならぬほど厳しい競争があることも著者は書く。アメリカが古い伝統から解き放たれた新大陸の国であること。だからこそ、選挙による信任手続きが求められる。著者のアメリカの分析は、とても参考になる。私には新鮮に映った。

さらに著者は、日本の対米関係が追従であるべきかと問う。著者の意見は「米国を敵に回す必要はもとよりないが『重武装×対米中立』を 目指せ」(179P)である。私が前々から思っていた考えにも合致する。『軽武装×対米依存』から『重武装×対米中立』への移行。そこに日本の外交の未来が開けているのだと。

著者はそこから日本の政治制度が陥ってしまった袋小路の原因を解き明かしに行く。それによると、アメリカは民意の反映が行政(大統領選)と立法(連邦議員選)の並行で行われる。日本の場合、首相(行政の長)の選挙は議員が行うため民意が間接的にしか反映されない。つまり直列。それでいて、日本の場合は官僚(行政)の意志が立法に反映されてしまうようになった。そのため、ますます民意が反映されづらい。この下りを読んでいて、そういえばアメリカ連邦議員の選挙についてはよく理解できていないことに気づいた。本書にはその部分が自明のように書かれていたので慌ててサイトで調べた次第だ。

アメリカといえば、良くも悪くも日本の資本主義の見本だ。実際は日本には導入される中で変質はしてしまったものの、昨今のアメリカで起きた金融システムに関わる不祥事が日本の将来の金融システムのあり方に影響を与えない、とは考えにくい。アメリカが風邪を引けば日本は肺炎に罹るという事態をくりかえさないためにも。

「第五章 日本をどうするのか 日本論」は、本書のまとめだ。今の日本には課題が積みあがっている。後期高齢者医療制度の問題、裁判員制度、環境問題、日本企業の地位喪失、若者の大量殺傷沙汰。それらに著者はメスを入れていく。どれもが、社会の底が抜け、どこに正統性を求めればよいかわからず右往左往しているというのが著者の診断だ。それらに共通するのはポピュリズムの問題だ。情報があまりにも多く、相対化できる価値観の基準が定められない。だから絶対多数の意見のように勘違いしやすい声の大きな意見に流されてゆく。おそらく私も多かれ少なかれ流されているはず。それはもはや民主主義とはなにか、という疑いが頭をもたげる段階にあるのだという。

著者はここであらためて社会学とは何か、を語る。「「みんなという想像」と「価値コミットメント」についての学問。それが社会学だと」(254P)。そしてここで意外なことに柳田国男が登場する。著者がいうには 「みんなという想像」と「価値コミットメント」 は柳田国男がすでに先行して提唱していたのだと。いまでも私は柳田国男の著作をたまに読むし、数年前は神奈川県立文学館で催されていた柳田国男展を観、その後柳田国男の故郷福崎にも訪れた。だからこそ意外でもあったし、ここまでの本書で著者が論じてきた説が、私にとってとても納得できた理由がわかった気がする。それは地に足がついていることだ。言い換えると日本の国土そのものに根ざした論ということ。著者はこう書く。「我々に可能なのは、国土や風景の回復を通じた<生活世界>の再帰的な再構築だけなのです」(260P)。

ここにきて、それまで著者の作品を読んだことがなく、なんとなくラディカルな左寄りの言論人だと思っていた私の考えは覆された。実は著者こそ日本の伝統を守らんとしている人ではないか、と。先に本書の教育論についても触れたが、著者の教育に関する主張はどれも真っ当でうなづけるものばかり。

そこが理解できると、続いて取り上げられる農協がダメにした日本の農業や、沖縄に関する問題も、主張の核を成すのが「反対することだけ」のようなあまり賛同のしにくい反対運動からも著者が一線も二線も下がった立場なのが理解できる。

それら全てを解消する道筋とは「本当にスゴイ奴に利己的な輩はいない」(280P)と断ずる著者の言葉しかない。それに引き換え私は利他を貫けているのだろうか。そう思うと赤面するしかない。あらゆる意味で精進しなければ。

‘2018/02/06-2018/02/13


カデナ


We haven’t had that spirit here since 1969
一九六九年以来、その精神はここにはありません。

本書冒頭の扉にはイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のあまりにも有名な一節が掲げられている。「ホテル・カリフォルニア」は、音楽ビジネスの退廃と閉塞を歌った曲として有名だ。この中にある1969年とはウッドストック・フェスティバルの開催された年。その年を最後に音楽からスピリットが失われてしまったと切ないメロディで歌われるこの曲は、ミュージシャン自身が歌うだけに説得力がある。酒のスピリットと音楽精神のスピリットを掛け、理想が失われつつある業界を憂う一節は、ロック史上に残る。私も何百回と聞いてきたが、これからも聞き続けることだろう。曲自体、イーグルスのメンバーや私がいなくなった後も残り続けるはずだ。

沖縄旅行から戻った私が続けて読んだ沖縄関係の本も本書で四冊目を重ねる。

本書は1969年を沖縄軍政の実質が終わった年としている。1969年1月にジョンソン大統領の後任となったニクソン大統領は、就任直後からベトナム戦争終結へと動き出したという。1969年に開かれた日米首脳会談でも沖縄返還は規定事項となった。沖縄の軍政の終わりが決まったのが1969年なのだ。沖縄返還は1972年だが、すでに沖縄の人々にとって軍政は終わっていた。そんな中、沖縄ではアメリカ軍政への不満が爆発するように1970年12月にコザ暴動がおこる。本書でもコザ暴動は物語の終わりを告げるエピソードとして登場する。

沖縄を囲む時代の空気と、基地の島の精神の変容。それを著者は冒頭に名曲の一節を掲げることでさりげなく問うている。

1945年の6月23日の沖縄戦の終結から、1972年5月15日に日本に復帰するまでの27年。本書が舞台とするのはその期間の沖縄だ。特に後半の数年は、ベトナム戦争が沖縄に暗い影を落としていた。沖縄返還をもって、日本は沖縄に復帰する。その復帰に尽力した功績で、佐藤栄作元首相はノーベル平和賞を受賞した。だが、その裏には沖縄がベトナム戦争の基地として活用された日々があったことは忘れてはならない。裏を返せば、沖縄返還はベトナム戦争が終結したからこそ実現したのかもしれない。ジョンソン大統領が米国の威信をかけてベトナム戦争の勝利へ突っ走る一方、戦場に赴く兵士には厭戦気分が広がっていた。そんな混乱した思惑がベトナムへの後方基地である沖縄に無縁だと考えるほうがおかしい。日本に返還される数年間、沖縄はかなり雑然としていたようだ。沖縄旅行の初日に訪れた平和祈念資料館には、アメリカの軍政下の日々が詳しく紹介されていた。実物大の街並みが再現され、私にも雑然とした街の雰囲気が感じられた。

本書はそのような背景のもとで展開される。沖縄には米軍基地がある。基地には軍人たちが大勢いて、それぞれの人生を生きている。軍人とはいえ、忠実な機械ではない。ましてやアメリカ本土ではフラワームーブメントが起こり、ヒッピー文化もますます華やかになっている。反戦運動も各地で盛り上がりをみせている。そんな世相の中、米軍基地に属する全ての軍人が職務に忠実と考える方が逆に不自然だ。

フリーダ=ジェインもその一人。有能な事務スタッフとして機密会議の資料や議事録を作っている彼女は、アメリカ人の血が半分入ったフィリピン出身。父の縁で軍に入ったが、彼女の母は自分を捨ててアメリカに帰った夫とアメリカを許せず、反アメリカの組織を束ねている。そして娘であるフリーダ=ジェインにも軍の秘密を漏らすよう、符丁だらけの手紙を送りつけてくる。

フリーダ=ジェーンは、b-52の機長であるパトリック・ビーハンに声を掛けられステディな関係になる。パトリックは機長であるが、ベトナムに爆弾を落とすことにストレスを感じている。毎回、出航の前夜には酒の力に頼っている人物だ。

嘉手苅朝栄は戦前、沖縄からサイパンへと移民した人物だ。サイパンは日米の間で凄惨な戦いの場となった。朝栄はサイパンが戦場になる前に沖縄に引き揚げてきたが、沖縄戦でも九死に一生を得るほどの状況に巻き込まれる。朝栄は戦後、小さな運送会社を経営していたが、結婚した妻が沖縄そばの店舗経営で軌道に乗る。そして朝栄は、事業のトラックが壊れたのを機に会社を畳み、無線の技術をを生かして電機修理のお店を営んでいる。

安南さんは朝栄とサイパンで旧知の人物。戦後は沖縄に腰を据えている。ベトナム出身だが、日本語は流ちょうで物腰も柔らかいため、沖縄に溶け込んでいる。祖国がアメリカに攻撃されている現状を見逃せず、ひそかにB-52の攻撃ルートをベトナムに伝える組織を作り上げた。

タカは朝栄の妻方の親族だ。彼は那覇でロックバンドを組んで活動していたが、地元のマフィアを諍いを起こし、基地でかくまってもらっている。

ここに挙げた主要人物は、沖縄とベトナム、サイパン、そしてフィリピン、アメリカにルーツを持つ。われわれ本土の人間が沖縄を語るとき、どうしても本土と沖縄の関係に目をやってしまう。せいぜい、沖縄と中国の関係を語るくらいだろう。しかし、当時の沖縄はさらに複雑な状況にあった。日本と沖縄と大陸の関係だけでは到底足りない。少なくとも本書に書かれるぐらいの関係は把握せねばならないはずだ。私にはそれが本書から得た気づきであり、とても新鮮に映った。ベトナム戦争が最も激烈な時期にアメリカの軍政の下に置かれ、かつ前線への基地だった沖縄では、本書に描かれるような複雑な思惑が外交の場と同じく繰り広げられていたのだろうから。

沖縄から見た世界とは果たしてどのようなものだったのか。本書の終わりの方で、タカがロックバンドとともに大阪万博の沖縄館に行くシーンがある。日本で開かれる万国博に沖縄館が置かれること自体の違和感。その事実は、沖縄が日本とは別の国であったことを示している。それは歴史的な事実でもある。今回の旅で訪れた平和祈念資料館の展示でも学んだ。27年間、沖縄は日本とは別の国だった。

ところが私が22年前と今回訪れた沖縄は間違いなく日本だった。多少の文化の違いはあるにせよ、パスポートが要らず、日本語を何の違和感なしに話せる島。沖縄県。私は沖縄をなんの疑いもなく日本と受け入れていた。ところが平和祈念資料館の展示と本書から学んだことは、沖縄が別の国だった事実だ。それも琉球王国の時代ではなく、私が生まれる前の年まで。だから本書のように、日本の影がうすい沖縄がとても新鮮に映る。

いまもなお、沖縄には米軍基地がかなりの面積を占めている。まだ、沖縄にとって戦後は続いている。そして沖縄の抱える矛盾が最も激しく姿を現していたのが、ベトナム戦争の後方基地であったこの時期だったと思う。

だからこそ本書には存在意義がある。安南さんとフリーダ=ジェーンの母がそれぞれ作った組織に存在意義があったように。フリーダ=ジェーンが次の攻撃地点など会議で得た情報を外に持ち出すリスク。フリーダ=ジェーンの家に庭師のバイトで来るタカがその情報を朝栄の店に運ぶリスク。朝栄が暗号化して店にある無線装置からベトナムに向けて発信するリスク。彼らがそれだけのリスクを引きうけたのには、沖縄が置かれた状況が矛盾に満ちていたからだろう。ベトナム戦争の大義について本書は触れない。だが、ベトナムの人々が枯葉剤やナパーム弾から逃げ惑う悲劇と、沖縄戦で人々が焼かれた悲劇は本書の中で密につながっている。あらゆる矛盾が混在した沖縄にあって、唯一矛盾しなかったことがベトナムと沖縄の戦場経験であるのは、とても皮肉なことだ。

タカは大学の反戦サークルにも関わりを持つ。反戦サークルは実際に軍からの脱走希望者を海外に逃す活動にも手を染めている。タカは、マーク・ロビンソンをスウェーデンに向けて脱走させ、さらに反戦への動きに巻き込まれてゆく。軍からの脱走希望者は、大義なき戦争の矛盾が戦争をなりわいとする軍人のアイデンティティに破綻として現れた証だ。パトリック・ビーハンもそう。ベトナムへの航行の前夜に酒に溺れ、インポテンツのためフリーダ=ジェーンとの愛の営みもままならない機長。彼も、その矛盾を全身で受け止め、苦しんでいた。

皆が感じる矛盾は、パリ協定の進展によって軽減される。つまりはベトナム戦争の終結に向けたアメリカの譲歩だ。アメリカの譲歩は、パトリック・ビーハンの負担も軽減する。それによってビーハンのインポテンツは治り、フリーダ=ジェーンとの愛情はより深まる。だが、矛盾が根本から解消されるためには残酷な結末が必要だ。著者はパトリック・ビーハンの操縦する機をエンジンの不調で墜落させ、結末をつける。

四人の機密漏えいは結局バレずに済んだ。脱走兵の支援工作も実行者が特定されることはなかった。もちろん、それらとビーハンの死にはなんの因果もない。だが、沖縄をめぐる幾重にも重なった矛盾を物語の中で大団円として解消させるため、著者はビーハンに死んでもらったのだと思う。直前にはフリーダ=ジェーンとビーハンをアブチラガマの戦争遺跡に連れ出し、沖縄戦の遺骨にも対面させる。

本書ではコザ騒動も描かれる。それはもちろん冒頭に書いた通り、アメリカ軍政下でたまった沖縄の人々の不満が爆発した結果だ。それと同じくコザ騒動にはアメリカの立場の弱まりと、ベトナム戦争の基地としての沖縄の意義低下、つまりは沖縄返還の前兆を感じた人々の前祝いの意味もあったのかもしれない。

だからこそ、コザ騒動やビーハンの死、アブチラガマなど重いテーマが続く後半の展開にも関わらず、本書にはすがすがしい読後感が感じられるのだと思う。

本書を読んだ時、私が訪れた沖縄は再び矛盾の噴出する地になろうとしている。私が今回訪れた際も、辺野古への反対行動への参集を呼びかける具体的な看板を見かけた。それらがどれほどのパワーを秘めているのか、誰にもわからない。特に本土の人間にとっては。その上、本稿をアップする前日に、現職の翁長沖縄県知事がなくなられた。基地に対して一貫して反対の立場をとってきた翁長氏の死が何をもたらすのか。本書の二冊前に読んだ佐藤優氏の結論も、外交官の立場でありながら沖縄に基地が集中することには反対で沖縄は日本にとどまっていたほうが得、とのことだった。

現状とこれからが不透明な今だからこそ、返還前の沖縄がどのようなことになっていたのか本書を読んで知ると良い。1969年以降にスピリッツがないと言ってられるのも今のうちだけかもしれないのだから。

‘2017/07/16-2017/07/17