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紀伊半島はたらく・くらすプロジェクト一日目 2019/11/25


実家の車を借りた私は、阪神高速と近畿道、そして南阪奈道を乗り継ぎ、葛城インターまでやってきました。
そこからは下道を走り、御所市街を駆け抜けて南へ。めざすは下北山村。

とはいえ、私の旅に寄り道は欠かせません。下北山村への道中、いくつもの道草をくいました。最初に立ち寄ったのはJR掖上駅です。
二十五年前、一人で和歌山から奈良へと和歌山線に乗っての旅をしたことがあります。掖上駅はその時に車窓から見たはず。
この辺りのローカル駅は、私にとってどこか懐かしさを感じさせます。かつての思い出がそう思わせるのかもしれません。

さて、再び下北山村への道をたどります。国道309号線に沿って下市町から黒滝へ。途中、道の駅吉野道黒滝で休憩し、この地が生み出す豊かな木文化暗闘の一端に触れました。
さらに進むと、あたりは見渡す限り木と森の豊饒な世界。川に沿って縫う道のほかには木々だけしかない世界。私の視野に映るのはジグザグに山を覆う木々。いよいよ紀伊半島の中心部に入っていきます。

しばらく緑の中を進むと分岐する道が現れました。その分岐の山側には路側帯が広がっていました。私はそこで路側帯に車を停めました。

ところが、その道は通行止めの柵でふさがっていました。
柵の横には、見張りの作業員の方がおられました。私はその作業員の方に断りをいれ、柵の向こうへと一歩を記しました。どうやらこの先は前日までの雨天が原因で状況が悪く、通行止めにしているようでした。
この道は双門の滝へのアプローチ。そう、日本の滝百選に選ばれた双門の滝にアタックしよう。それが今回の最も大きな寄り道でした。

結論からいうと、これはかなりの無謀な挑戦でした。双門の滝は日本の滝百選の中でも屈指の難コース。この時の私の装備は、後から考えても不十分もいいところでした。かろうじて山登りの軽装だけは持ってきたとはいえ。自分の挑戦がむちゃだったことを知るのは後の話です。

道を三十分ほど歩いたところで、一つの滝が見えてきました。その滝の脇から坂道を降りると、広大な河原があらわれました。
目ざす双門の滝の下流には、水の流れがなければおかしい。ですが、この広大な河原には水の気配が皆無です。しばらく河原を歩きましたが、この先にも滝はないと判断し、元きた道を戻りました。
ところが、その判断は間違っていました。この河原は、白川八丁と呼ばれる場所であることを後から知りました。双門の滝はこの白川八丁を30分ほど歩き、そこからさらにいくつもの難所を越えねばならないことも。
いつもの事ですが、私はそうした事前調査すらせずにやってきてしまいました。

そこで途中に見かけた滝に戻り、滝を眼前に見ようとアタックを試みました。ところがこの滝すら、足元が悪く容易に近づけません。
しかも、私は足を滑らせ、左手薬指の第一関節近くに傷を負ってしまいました。
これでは、双門の滝どころではありません。私はすごすごと元来た道を戻りました。
車を停めた場所まで戻り、作業員の方には会釈した上で出発します。
長居はできません。今日の私の目的地は双門の滝ではないのですから。

さて、309号線をさらに進みます。すると、どうも不穏な雰囲気が私を襲います。なんと、道路工事の最中でした。
私の眼前に広がる光景は、路面をはがし、ローラーが道を整地しているザ・工事です。とても車では通れそうにありません。
でも、もし来た道を戻るとすれば、40キロほど走って下市町まで戻り、そこからさらに50キロほど回り道をしなければなりません。
実はこの日、14時半までには下北山村に着く、と事前に連絡を入れていました。90キロも遠回りしていたらとても間に合いそうにありません。

どうも私は途中に道路工事の案内標識があったのを見逃していたみたいです。
そんな私は途方に暮れ、車を停めて作業員の方に話に行きました。すると、しばらく待ってくれれば作業をいったん止めてくださるとのこと。
待つこと15分ほど。その間、私はそばの崖の法面に設置されたはしごを上り下りし、パンフレットを読むなどしていました。
工事は一段落し、ローラーで少し車が通れるぐらいまで整地してもらいました。
こうして私は無事にその難所(?)を突破できました。感謝です!

ここを越え、しばらくつづら折りの山道を進むと、無事に上北山村の標識が見えました。そして169号線に合流しました。ここから下北山村まであと少しのはず。
ですが、私の寄り道癖はウズウズとうずくのです。
視野に「黒瀬滝」と書かれた看板をみとめた私は、間髪を入れずにブレーキを踏みました。
先ほど、双門の滝を訪れられなかった無念を晴らす時が存外に早く訪れたようです。
この黒瀬滝は、岩盤を40メートルの落差でまっすぐに落ちています。11月も下旬なので水量が少ないのか、静かな印象を受けました。
これから下北山村に向かうにあたり、よい禊となりました。

なおも169号線を進むと、道の駅吉野路上北山が見えてきました。
ここでは笹の葉寿司を買い求めました。奈良にきた実感が増してゆきます。気持ちも上がります。
さらに、道の脇の崖にしがみつく野生の猿まで発見してしまい、私の旅情はもはやハイマックス!

さらに南下すると、川幅がどんどん広がってきました。これが事前に調べていた池原貯水池か。と私の心はさらに跳ねます。
ダムの堰堤にも立ち寄ってみましたが、広大で凪いだ湖面が美しい。これもまた旅でしか出会えない景色といえます。
近畿で最も大きな人造ダム湖である池原貯水池の雄大さは、自然を改変して作った人工物であるにもかかわらず、自然の一部として受け入れてもよいぐらい、壮大な美を体現していました。

14時半までには時間がありそうなので、ダムの事務所にも立ち寄ってみました。雄大な発電所の様子も本来ならば自然とは相反する景色のはずです。それなのに、なぜか旅情を感じさせてくれます。ここではダムカードをもらえました。

この辺りはすでに下北山村の中心部の一つです。谷あいに咲いた町のようなコンパクトにまとまった景色が美しく、ホッとさせてくれます。
この時点で、私の中で下北山村に対する愛着が生まれました。

さらに進むと、美しい池と、その湖畔にたたずむ神社が姿を現しました。明神池と池神社です。
事前にウェブで調べていた時から、ここは必ず訪れようと思っていました。そして、ウェブで見るよりも想像以上に美しい姿に感動しました。
山の中にふと現れる池とあたりの木々。その両者が作り上げる自然の造形に一切の無駄はありません。
見ほれている私の前を鳥が飛んでいきました。湖面をこするように飛ぶ鳥すらも、この景色のアクセントとして映えます。絵になる光景とはまさに明神池と池神社のことをいうのでしょう。
池神社と明神池だけでも下北山村には訪れる価値があります。この時点で私にとっての下北山村の好感度は盤石のものになりました。

さて、この時点で14時。そろそろ行かねば。SHIMOKITAYAMA BIYORIへ。SHIMOKITAYAMA BIYORIが現地集合の場所。そして、私が仕事をさせてもらえる場所です。
到着し、さっそく皆さんにご挨拶を。まだ新しい木の香りが漂っていそうな館内は、早くもたきぎストーブが焚かれ、真ん中のキッチンスペースと周りのベンチなども含め、広々としています。
私にとってこの旅で会う方は全員が初対面です。ですが、にこやかな笑顔に迎えられると、そうした些細なしきいはどこかに飛び去っていきます。

この日、私は到着するなりAWSome Day Online Conferenceに参加する予定でした。AWSですからカンファレンスの内容はアメリカから発信されています。
そして、SHIMOKITAYAMA BIYORIのWi-Fiは見事なまでにアメリカからのイベントを私に中継してくれました。私の家のWi-Fiよりもつながるんじゃね?てなぐらい。SHIMOKITAYAMA BIYORIに張られたWi-Fiの帯域の強さと太さには感心しました。
この時、私が持って行ったノートパソコンは、ちょうど機能低下が著しくなり始めたときでした。SHIMOKITAYAMA BIYORIについてすぐ、キーボードの文字キーが外れるなど、アクシデントにも悩まされました。そんなノートパソコンでありながら、通信環境だけはむしろ普段よりも向上していました。

ワーケーションの場として提供される以上、Wi-Fiはあって当然なのかもしれません。ですが、SHIMOKITAYAMA BIYORIのWi-Fiは私が今まで訪れた多くのコワーキングスペースよりも快調だったように思います。
どなたかがおっしゃっていたように記憶していますが、近隣で通信を利用する方の絶対数が少ないため、通信も快調なのかもしれません。ですが、それを差し引いてもSHIMOKITAYAMA BIYORIに張られたWi-Fi回線の安定度は私の中に強烈な印象として残りました。

さて、AWSのカンファレンスも無事に終わり、来られていたカヤックLivingの皆様ともご挨拶を済ませました。
続いて、今回お世話になる宿へ連れて行っていただきました。
この日は国交省の方が紀伊半島はたらく・くらすプロジェクトの視察に来られていて、カヤックLivingの方はそのヒアリングの対応があるそうです。そのため、食事もご一緒できませんでした。
そこで今回の宿である、ゲストハウス天籟さんまでカヤックLivingの木曽さんが先導してくださいました。

さて、下北山村の各種イベントが実施される日程とは違う日程で参加した私。カヤックLivingさんやSHIMOKITAYAMA BIYORIと別れた後は独りぼっちになってしまうのか。
いえ、そんなことはありません。私以外にも参加者が一人だけいらっしゃいました。
私が来る数日前から参加されていた三木さんです。

三木さんは同じゲストハウス天籟で泊まっておられました。そのため、晩飯とお風呂をご一緒しつつ、初対面の交流を温めようということで、三木さんの車に同乗させてもらいました。向かったのは下北山温泉きなりの湯。
ここには食堂もあるのですが、この日はあいにくやっていませんでした。
まずはお湯につかりながら、三木さんと会話しました。

こういうイベントに参加する時、どういう人とあいさつし、ご縁を結ぶか。それは運に左右されると思います。
私にとって幸運だったのは、三木さんが残っていてくださったことです。

この日から三日間、三木さんとは風呂場で裸の付き合いをさせていただきました。
まずは初日。2時間は湯船で語り合っていたのではないでしょうか。
お互いの自己紹介から仕事の内容や仕事に対する姿勢など。
湯冷めとのぼせを繰り返しながら、暑く、そして熱いお話ができたように思います。これも旅が取り持つご縁のありがたみですね。

きなりの湯を出た後は、夕食を求めてカーブの店へ。
下北山村にはコンビニエンスストアがありません。ましてやスーパーマーケットをや。
唯一のチェーン店がヤマザキYショップの看板を掲げるのカーブの店です。このお店がなかったら、初日にして私は飢えていたことでしょう。まさに助かりました。

さて、ゲストハウス天籟に戻ってからも語り合っていた私と三木さん。
ゲストハウス天籟さんも、ユニークな造りをしていて、まさに旅ならでは。

私は三木さんが休まれた後も少し仕事をしていました。初日にして充実の夜はこうして更けていきました。
都会では絶対に出会えない星空に見守られながら。


日本一の桜


30台後半になってから、今までさほど興味を持たなかったさくらを愛でるようになった自分がいる。日々の仕事に追われ、あっという間に過ぎて行く忙しい日々、季節を感じることで自分の歩みを確かめようとしているからだろうか。私がさくらに興味を持ったもう一つの理由は、もう一つの理由は、30台半ばにひょんなことで西宮の偉人である笹部新太郎氏のことを知ったことだ。西宮市民文化賞を受賞した氏が生涯をかけて収集したさくらに関する資料の一端を白鹿記念酒造博物館で知った。それをきっかけに水上勉氏が笹部氏をモデルに書いた『櫻守』も読んだ。その中でさくらに対する氏の情熱にあてられた。

ただ、私は混雑している場所を訪れるのが好きではない。普通の街中のさくらであれば、ふっと訪れられるから気が楽だ。だが、いわゆる名桜となると一本のさくらを目当てにたくさんの人々が集う。その混雑に巻き込まれることに気が重い。だから名桜の類を見に行ったことがない。本書の第1章では、人手の多いさくらまつりの上位10カ所が表に掲示される。その中で私が行ったことがあるのは千鳥ヶ淵公園のさくら祭りだけ。それも仕事のお昼休みの限られた時間に訪れたことがあるぐらいだ。今、上位10カ所の他に私が訪れたさくらの名所で思い出せるのは、東郷元帥記念公園(東京都千代田区)、夙川公園(兵庫県西宮市)、大阪造幣局(大阪府大阪市)、尾根緑道(東京都町田市)だろうか。

混雑が嫌いな私。とはいえ、一度は各地のさくらまつりや名桜を訪れたいと思っている。平成29年のさくらの季節を終え、あらためて本書を購入し、想像上のさくらを楽しんだ。

本書はカラー写真による名桜の紹介で始まる。有名なさくらの数々がカラーでみられるのは眼福だ。とくにさくらは満開の様子をカメラで一望に収めるのは難しい。写真で見たさくらと目で見るさくらでは印象が全く違う。だから、さくらの魅力をカメラに収めようとすれば、どうしても接写してそれぞれの花を撮るしかない。だが、できることなら木の全体を収めたいと思うのが人の情。もっとも難しい被写体とはさくらではないだろうか、と思ってしまう。本書の冒頭ではそんな見事なさくらがカラー写真で楽しめる。さくらへの感情は高まり、読者はその興奮のまま本編に入り込める。

第一章は「さくらまつり」
弘前のさくらといえば有名だ。日本にさくらの名所は数あれど、さくらを見に来る観客の数でいえば弘前城が日本一だという。ところが、弘前城のさくらが日本一を誇るまでには苦労があったという。そのことを紹介するのが一章だ。なお、著者は弘前の出身だという。だからというわけでもないが、弘前城が日本一のさくらの名所になるまでの事例を紹介する文章は熱い。そして専門的にならぬ程度で樹の手入れ方法をふくめたいくつものイラストが載せられている。

ここまで繊細で丁寧な作業の手間をかけないと、さくらは維持できないものなのだろう。ここまでの手間が掛けられているからこそ、日本一の座を揺るぎなくしているのだと思う。私も一度は行ってみなければ。

第二章は「さくらもり」
本章では、我が国がさくらを愛でてきた歴史をざっとたどる。そして近世では先に書いた笹部氏をはじめ、桜に人生を捧げた数名の業績が紹介される。十五代・佐野藤右衛門、小林義雄、佐藤良二の三氏だ。どの方の生涯も桜と切っても切れない業績に輝いている。

また、さくらの種類もこの章でさまざまに紹介されている。育成方法などの説明とともに、さくらの育成方法の独特さなども説明がありわかりやすい。特に染井吉野は今の現存樹で種子から育ったものは一本もなく、全てが接木などの方法で育った、いわばクローンであるという。それでいながら、自然の受粉で既存種と遺伝子が混じりつつある様子などがある紹介される。純潔なさくらを維持するのは難しいなのだ。

それを維持するため、著名な桜守だけではなく、市民団体や行政のさまざまな取り組みがここでは紹介される。こうした活動があってこその全国のさくら祭りなのだ。

第三章は「一本桜伝説」
ここでは全国のあちこちに生えている一本桜の名木が紹介される。北は岩手、南は鹿児島まで。私はここで挙げられているさくらを開花の季節に関係なく、一度も見た事がない。緑の季節に観に行ってもいいが、やはり一度は華やかな状態のうちにすぐそばに立ちたいものだ。こうして並べられてみると、さくらの生命力の強さにはおどろくしかない。筆頭に挙げられる山高神代桜に至っては、樹齢1800-2000年と言うから驚く。幾たびも再生し、傷だらけになりながら、毎年見事な咲きっぷりを見せているのだから。また、この木は地元の方が良かれと思って付けた石塀が樹勢を弱めたと言う。つまり、長年生き続ける樹とはこれほどにデリケートな存在なのだろう。天災や人災に巻き込まれず長寿を全うすることは。

歴史が好きな私にとっては、歴史の生き証人と言うだけで、これらの長寿のさくらには興味を惹かれる。また、本章には広島に残る被曝桜も興味深い。これもまた長寿の一種なのだ。未曽有の惨劇を前に、なおも生きつづけるその力。季節を問わず、訪れてみたいと思う。

第四章は「日本一の名所」
ここの章ではいろいろな切り口で日本一のさくらが紹介される。樹齢や人出の日本一はすでに紹介された。他は開催が日本で最も早い沖縄のさくらまつり。大村桜の名所である大村公園。そして、日本のさくらを語るのに欠かせない、京都の各地のさくらが語られる。さらには、笹部氏が残した亦楽山荘や旧笹部邸跡の岡本南公園も。さらに、大阪造幣局、奈良、吉野、東京のさくらが紹介される。豊田、高遠、さらに北海道。

ここに出ているさくらの名所だけではない。他にもまだ、さくらの名所は無数にある。本書は私にとって、まだ見ぬさくらの名所を訪れるための格好のガイドになりそうだ。そして、それ以上に本書に登場しないさくらの名所を訪れる楽しみをも与えてくれた。そのためにも、さくらの基本的な知識が満遍なく載っている本書は大事にしたい。

そう思って本書を持ち歩いていたら背表紙を中心に雨で汚してしまった。だが、ボロボロになっても本書は持っておきたい。私にとって訪れたい地。訪れるべき地は多い。そこに本書で知ったさくらの名所も加え、人生を楽しみたいと思う。しょせん、一度きりの人生。さくらと同じくはかないもの。だからこそ、自分の納得できるような形で花を咲かせたいし、散り様も潔くありたい。本書に登場するさくらの名所やさくらについての知識は、私の人生を彩ってくれるはず。私が死ぬとき、蔵書の中には汚れた本書が大切に残されているはずだ。

‘2017/06/10-2017/06/12