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アクアビット航海記 vol.10〜起業のデメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。前回、起業前であれば、利害関係が友人との関係にモロに響くことはあまりない、と書きました。ところが、“起業”してからは、その辺りがガラッと変わります。今回はここから続けたいと思います。なお、以下の文は2017/10/13にアップした当時の文章そのままです。

“起業”すると新たな知り合いは増えますが、責任を背負っての付き合いになります。

個人事業であれ、法人であれ、組織のトップである以上、組織の不始末は代表の責任です。責任を分散させ、曖昧にすることは許されなくなります。組織はかばってくれないのです。よく、経営者は孤独だ、という言葉を聞きます。それは責任者である以上、甘んじて引き受けなければなりません。

では、“起業”すると新たな友人を作れないのでしょうか。私の個人的な経験ではそうではありません。むしろ、人と知り合いになれる可能性はより増えます。

“起業”すると、広告塔としての役割を担わねばなりません。トップセールスマンとしての自覚が求められるのです。ということは、外に出かける機会も増えます。セミナーや異業種交流会、パーティーなど。そのような場所に集うのはあなただけではありません。“起業”した方々が同じような目論見で集ってきます。そこでは、“起業”した方だけでなく、“起業”を目指している、または“起業”しつつある人々にも出会えることでしょう。要するに価値観の似通った方が集まるのです。そこで知り合いを作ることはそれほど難しくありません。むしろ、利害の対立がなければ、一生の友人に出会える可能性もあると思います。

ところが、そういった方々は組織のトップであることが多い。従って、利害が対立した時にはお互いが矢面に立たねばなりません。お互いが組織の責任を背負う立場である以上、いざ利害が対立すればたもとを分かたねばならないこともあります。利害が関係構築の邪魔をしたり、仲を引き裂いたりもします。“起業”した皆さんはそれがわかっています。そして、利害を絡めないようなうまい付き合いの方法を模索していきます。ですから、“起業”すると大人の付き合いに長けていかざるをえません。あまりお互いの内部に深く立ち入らず、当たり障りのない話題に終始するような。もっともこれは組織の中で生きていく処世術でもあるため、大人であれば多かれ少なかれ身に着けるスキルなのかもしれませんが。

友人との起業について。

また、信頼できる友人と共同で“起業”する、という事例もよく聞きます。でも、私に言わせるとそれも賛否の分かれるところです。なぜならば、もとからある友人との仲など関係なく、ビジネスである以上は利害が割り込んでくるからです。仮にその友人との関係が、利害とは関係ないところで結ばれた場合はなおさらです。ビジネスの冷徹な利害に直面して、なおも続く友情であればよいのです。が、下手すればせっかく結んだ友情関係だって壊れてしまうかもしれません。

「安心」と「信頼」について。

前回、組織と個人を対比させる際に「安心」と「信頼」という二つのキーワードを示しました。それはどういうことでしょうか。このキーワードは社会心理学者の山岸俊男氏が提唱しています。「安心」とは組織の中の論理です。組織の中でその人物が受け入れられてゆく過程で、組織はその人物を「安心」できる人物として認めます。つまり、組織に属していることは、自らが「安心」できる人物と外部に示すことでもあるのです。一方、組織から外に出て独立することは、「安心」という組織のセーフティネットから出ることと等しい。個人の立場で外に出る時、私たちは自らが「信頼」できる人間であることを示さねばなりません。組織の提供する「安心」のかわりに「信頼」が求められるのです。

新たに知己となった方とお会いするとき、われわれは無意識に「安心」と「信頼」の基準で判断している。それが山岸氏の提唱する主旨です。同じ組織に属しているか、組織の肩書を背負った方であれば「安心」できます。ところがお会いした方が個人事業を営んでいるか見知らぬ会社の代表者であった場合は「安心」はできません。そのかわりに私たちはお会いした方が「信頼」できるかどうかを見極めねばならないのです。利害が衝突するリスクを引き受けてもお付き合いできるかどうか。

学生時代のトモダチには、「安心」も「信頼」もありません。ただ気の合うトモダチなのです。ところが、社会にでると「安心」を基準に仲間が作り上げられます。そして、“起業”すると「信頼」をベースに友人を構築していくのです。ですから、“起業”してから新たに組織を構築する行ないの中には、自らが「安心」できる組織を作りたい希望が含まれている。そんな仮説も可能です。そう考えると、仕事を広げるための体制作りには「信頼」から「安心」への回帰願望があるとみなしても許されるかもしれません。利害が衝突する「信頼」から「安心」へと。

安心から信頼へ。“起業”する前とした後では、あなたが身につけなければならない観念には違いが生じるのです。それこそが私が実感した友人との関係の違いではないかと思います。利害のない中で心を許し合うトモダチ。安心を背負って交際する仲間。そして信頼を武器に付き合ってゆく友人。私の本音は、その区別を取っ払いたいと思っています。「安心」でき「信頼」でき、さらにそこを超えて心を許し合え、本音で付き合える友人。そんな友人を“起業”してからも作っていければ。私は常にそう願っています。

この点をデメリットとみるか、「信頼」を身に着けるチャンスとみるか。それは皆さん次第だと思います。

次回も引き続き、起業のデメリットを語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.9〜起業のデメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。第二回~第六回までは起業をポジティブにとらえた視点での利点を述べました。前々回、前回に続き、今回も起業のデメリットを語っています。なお、以下の文は2017/10/5にアップした当時の文章そのままです。

人付き合いの質が変わります。

このデメリットを起業前に想定していた方は偉いと思います。少なくとも私には予想外でした。良くも悪くも、人付き合いの質は“起業”すると変わります。公私ともに。何故だかわかりますか?

私にはまだ、その原因の本質は分かりません。たぶん、死ぬまで分からないのでしょう。学生時代の友人と社会に出てからできた友人の付き合い方がなんとなく違う。そう思ったことはありませんか? それと同じく、社会に出てから絆を結んだ友人と、“起業”した後に友情を作った友人もどことなく違います。それが良いのか悪いのか。判断は人それぞれですが、私にとってはそこに差が生じることが問題なのです。

子供のころのトモダチ付き合い。

私にとって友人とは財産です。学生時代につるんだトモダチ。いまでも私は関西の実家に帰ると友人に会って旧交を温めます。そんな時、一気に若返ったように話が弾む。みなさんも思い当たる節があるのではないでしょうか。 もちろん、社会人になってからの仲間もかけがえのない財産です。また、“起業”してからできた友人ともこれからずっと仲良くしたいと願っています。社会人になってからの仲間も“起業”してからの友人も、子供の頃に培ったトモダチのように付き合いたい。そこに私の本心はあります。

本稿を書き始める前日、私は某BARで月一回恒例の独り呑みを楽しんでました。何も背負わず、個人の立場でフラっとBARに入り、お酒を楽しむ。私にとっては欠かせない憩いの一瞬です。だんまりの時もあれば、マスターやバーテンダーさんや常連客と話が弾むこともあります。昨夜の場合は後者でした。そこで知り合ったのが、誕生日から運勢や性格をみてくださる方。その方がおっしゃるには私は無邪気な少年の心を持った人、だそうです。

いまなお少年のような心を持ち、当時のようなトモダチ付き合いがしたいと願う。それが現在の私。だからこそ、大人になってから仲間や友人たちの間に挟まる薄紙一枚の仕切りに敏感になるのかもしれません。たかが薄紙一枚。でも、私にとっては壁にも等しい。なぜそんな薄紙にトモダチの付き合いを邪魔されるのか。その理由を考えてみました。

それは、利害が絡むから、ではないでしょうか。仕事をすること。そこにはお金が関わります。利害もからみます。責任がのしかかります。仕事を完遂するにあたっては、友情よりも優先されなければならないものがあるのです。それが、学生時代のトモダチと、大人になってからの仲間や友人との違いだと思います。

トモダチには利害など関係ありません。もちろん、美しいだけではありません。子供心にけんかも嫉妬も行き違いもそれなりにあったはず。なぜ、あいつだけ先生の覚えがめでたく、級友から仲良くされるのか、といった想い。そんな微妙な利害の綱引きはあったかもしれません。人によっては大人顔負けの打算で友人を演じていた人もいたかもしれません。でも、そこには大人になってから味わうようなビジネスの冷徹な論理はありません。だからこそ、いまでも会って話すと懐かしさを感じるのです。貴重なのです。

社会に出てからの仲間付き合い。

ここまでの内容で、学生時代のトモダチと、大人になってからの付き合いに違いがあることはおぼろげに理解しました。では、社会人になってからの仲間と“起業”してからの友人には違いがあるのでしょうか。私はあると思っています。では、何がどう違うのか。私はその違いを組織と個人の違いに求めました。あるいは安心と信頼の違いと言いかえてもよいでしょう。

社会に出た後、たいていの人はどこかの組織に入ります。新卒で採用されたり、私のように卒業すぐに就職しない方は派遣先だったり。夢を追いつつバイト生活で生計を立てる場合もバイト先や夢追う仲間たちとのコミュニティが組織にあたります。そういう場所で、いったん社会のルールを学び、社会に溶け込んでいくのです。まず組織の一員となることが一般的であると思います。そして、組織の一員としての立場で、新たに友人との関係を構築していく。その関係には利害の絡む場合とそうでない場合があります。利害が絡まない場合はいいのです。趣味や異業種交流会や合コンなどで知り合った友人との関係ですね。利害の発生しない付き合いなら学生時代のノリでつきあえることでしょう。

でも、場合によっては利害が発生するかもしれません。例えば、取引社の担当者同士で交流を結ぶ場合です。商談しているうちにウマが合って仲良くなる。よくある話です。でも、仕事上の関係は利害をはらんでいます。もし万が一納期が遅れ、片方がもう片方に迷惑をかけた場合など、モロに利害関係が噴出します。ただし、利害が衝突しても、個人にそれらの責任が問われることはあまりありません。なぜなら組織の一員だから。個人として謝罪の気持ちを表すのは当然ですが、法的責任が個人に及ぶことはそうそうありません。もっとも法人格の種類にもよりますし、個人として懲戒処分に相当するようなトラブルを引き起こしたらそれは別の話。ただ言えるのは、基本的には組織の一員である以上、利害が付き合いにモロに響くことはあまりないということです。利害関係といってもたかが知れているのです。

ところが、“起業”してからは、そのあたりがガラッと変わります。

次回も引き続き、“起業”した後の人付き合いの違いについて語っていこうとおもいます。ゆるく永くお願いします。