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犯罪小説家


本書はタイトルの通り、小説家が主人公だ。

小説家、待居涼司は「凍て鶴」によって作家として日の目を浴びたばかり。「凍て鶴」は評価され、映画化の話も持ちこまれる。受賞作家のもとには、さまざまな人物があいさつに訪れるが、映画化で監督・脚本・主演に名乗りを挙げた小野川充もその一人。

小野川の軽さに自分と相いれない性格を感じた待居。さらに小野川の脚本案は、独自の解釈が施されている。その解釈は、原作者待居の思惑を超えている。小野川に反りの合わなさを感じる待居はその脚本案を素直に受け入れられない。原作では憎悪をこめた殺害で終わるラストを心中と読み替えた小野川の案は、小野川の個人的な思いに影響されすぎていやしないか。しかも、小野川は「凍て鶴」の舞台を勝手に待居の住む多摩沢だと決めつける。多摩沢公園に脚本のインスピレーションを求めるため、あろうことか多摩沢に住居まで移してしまう。

小野川のペースに翻弄されいらだつ待居。そんな待居の気持ちをさらに逆なでするように、小野川は脚本に現実に起こった事件をモチーフとして持ち込もうとする。その事件とは、木ノ瀬蓮美が主催する落花の会によって引き起こされた。落花の会とは、自殺サークルのことだ。周到に準備を重ね、会員の自殺を成就させるのが目的の会は、多摩沢公園で主催の木ノ瀬蓮美が水死体で浮かぶことで終息を迎える。

小野川は、「凍て鶴」脚本のラストを心中で終わらせるのが最善と確信する。そしてそのためには落花の会について詳しく調べなければならないと待居や編集担当の三宅に力説する。小野川の想いは口だけにとどまらず、ライターの今泉知里に落花の会を調べさせるまでに至る。

そして本書は、今泉知里の調査によって自殺ほう助サイトの実態に入り込む。落花の会は木ノ瀬蓮美の死によって活動を停止した。だが、当時を知る幹部が何人か詳しい事情を知っているはず。ネット上に残されたログを追いながら、今泉知里は少しずつ落花の会の暗部に迫ってゆく。

本書は、犯人側の視点で語りを進める倒叙型でもなく、捜査側から語りを進める叙述型でもない。それが本書全体にどことなく曖昧さを与えている。そのあいまいさは一読すると本書の抱える欠点と思ってしまう。だが、そうではない。実際、本書の犯人像は早い時点で読者には見当がついてしまうだろう。しかし、ある程度読み進めても最後まで著者はそのあいまいさを崩さない。そしてそのあいまいさとは、犯人側ではなく捜査側にも当てはまるのだ。終わり近くになって明かされる捜査側の意図の意外さにきっと驚くことだろう。

そしてそこに、芸術という表現形式がはらむ狂気が顔を見せるのだ。小説と映画。二つの表現形式のはざまにあるものの違いといってもよいかもしれない。多分、それは本書は一度読んだだけでは気付かないと思う。二度読まないと。

‘2016/08/25-2016/08/29


都心には皇居という緑があるのに、自然には冷たい


梅雨入りとなり、湿度の高い日々が続きます。そんな湿っぽい日常をもっと湿らせる光景を目撃しました。 それは、燕の巣に対するこの仕打ち。 IMG_5934

毎日通っている客先近くのビル。このビルの一階部分は、立体駐車場の入口も兼ねています。この入口の天井には警告用のパトランプが備え付けられていて、毎年、燕が営巣します。今年も五月の連休が明けた頃、巣作りに励むつがいを見かけました。野生でありつつ、たくましく人間の施設を利用する子育てに共感し、毎日の通りすがりに応援していました。 IMG_5053

やがて雛たちも数羽姿を見せ、ますます賑わいを見せる天井の巣。私も毎日巣を横目に見ながらその家庭的な営みに癒されていました。ところがある日、巣を残して忽然とツバメ達は姿を消してしまいました。私も相当落胆しました。 ところが、数日後、何気なく通りがかったところ、パトランプの反対側に巣が出来ているではありませんか!不屈のツバメがめげずに営巣の準備に勤しむ様子を確認できました。或いは別のツバメがよい場所を見つけたとやってきたのかもしれませんが、やった!頑張れ~と私は内心で喝采を叫びました。

ところが翌日、わくわくしながら、雛の誕生を見に行ったのですが、そこで見たのは冒頭に載せた写真のような衝撃的な仕打ちでした。燕の営みは破壊され、二度と復活出来ないようにされていました。

毎朝この場所を通うようになって、三度目の春です。実は巣が壊される光景を見るのは今回が初めてではありません。この場所で巣作りをしたツバメは、毎年何者かに巣作りを中断させられているのです。壊されたり撤去されたり。それにも関わらず、今年も果敢にチャレンジしたつばめの行為は無惨な結末を迎えました。それも今まで見た中で一番救いのないやり方によって!

おそらく巣を撤去した何者かは、このビルの関係者かもしれません。その何者かが巣を撤去するに当たっては、私などのうかがい知れぬ深い事情があったのかも知れません。店子の車の天井に粗相をしたり、あるいは店子が頭にウンを授けられたりしたのかも。店子の怒髪が天を衝き、巣は刺されたのでしょう。撤去した何者かの気持ちも分からないでもありません。私としても、家の玄関の頭上に営巣されたら温かく見守りますが、妻の歯科診療室の入口頭上に営巣されたら、何らかの策は考えざるを得ません。巣の撤去人の事情が分からない以上は安易な断罪は控えるべきなのかもしれません。ええ、そうですとも。

しかし、あの口をピーチク開けていた雛たちの行く末を思うと、心の片隅がじめじめし、カビが繁殖していくかのようです。梅雨だというのに、誕生日を迎えたばかりというのに。せめて、巣の処刑人が、巣をまるごと安全な場所に移設し、そこで無事に雛を旅立たせてくれていれば、私の心も晴れ渡るのですが。

一方で、そんな私の気持ちを晴れやかにさせる出来事もありました。

我が家の四女であるヨークシャーテリアの野々花。このやんちゃなレディが野生に呼ばれ、行方不明になってしまいました。夜間のことだったので、闇に紛れてしまい、探しても見つからず。しかも悪いことには、今梅雨史上最高の土砂降りが我が家の周辺を襲いました。気温が上がったとはいえ、これだけの雨に叩かれたら、せめて雨の凌げる場所に逃げていてくれたら・・・そんな夜を過ごしました。

翌朝、野々花の行方は、町田警察署からの連絡で判明しました。しかも、保護されたのが雨の降る前だったらしく、つやつやした毛並みのままに。届けて下さった方には感謝の言葉しかありません。その方に直接お礼の言葉を掛けられればどんなに良かったか。(個人情報保護を盾に警察署では教えてくれませんでした。この件については云いたいこともあるので、また書きます)

実は我が家にはチワワのお姉さんも居て、名を風花といいます。この風花も飼い主に似てか、しょっちゅう脱走し、放浪するのです。特に引越日当日にいなくなった際は、全く行方がつかめず、町田市中のペットショップに貼り紙をしてもらい、近所のスーパーにも貼り紙をさせてもらいました。その結果、2週間後に我が家に戻ってきたのですが、その際にも親切なお宅の家で保護されていました。しかも前よりも肥太って悠々と。

私の住む町田は、駅前の繁華街こそ西の渋谷という異名をとるほどに俗っぽくなってしまいました。しかし、私の住む家の近所はまだまだ自然に恵まれ、住宅地と農地が共存できています。そして、犬を愛する親切な人々が住まって下さっている場所でもあります。貴志祐介氏による小説「悪の経典」の舞台でもあるのですが、小説に出てくる「ハスミン」とは違って人情の感じられる場所です。

都会だから酷薄で、田舎だから人情。そういった紋切り型の判断をするのは禁物です。それはよく分かっています。分かってはいるのですが、今回のツバメの一件を思い返すに、どうしてもそういう思いが湧いてしまうのです。一度そう思ってしまうと、このあたりの瀟洒な邸宅街に対して、少し距離を置いた感想を抱いてしまいかねません。住まわれている方々はツバメを排除する人々ではなく、むしろ素晴らしい人々なのでしょう。なのに、ツバメの一件だけでそう思わせてしまうほど、今回の一件からは強烈な印象を植え付けられました。靖国神社や東郷元帥記念公園、清水谷公園、千鳥ヶ淵公園といった素晴らしい公園を擁し、大使館や学校といった上品な建物が多いこのあたり。私もその雰囲気に好意を持っているこの地。

そういえば、この界隈、普段昼食で歩き回っていて、犬や猫にほとんど会うことがありません。ツバメが営巣に来るくらいだから、近隣の自然も相当豊かなのに違いありません。あるいは皇居の森は相当数のツバメの一大繁殖地となっているのかもしれません。このあたり、本来は自然にあふれた素晴らしい場所のはずなのです。私のような町田の農村地に住む者にとっても、このあたりの緑の豊かさは一頭群を抜いています。これは私の故郷大阪の都心部の緑の乏しさと比べれば断然の違いです。例えば大阪環状線の内側で思いつく緑といえば、大阪城公園と靱公園、天王寺公園、御堂筋の並木くらいでしょうか。それに比べ、東京の都心部の豊かさはくらべものになりません。

それなのに街からはツバメを排除し、人間の営みを優先する。何かがズレテイル。

この辺りは、かつて入江でした。入り江であるがゆえに、地盤は脆弱です。そしていずれは来るといわれている首都圏直下型地震もこのあたりに甚大な被害をもたらすとされています。自然を目の前にしながら、自然を忘れた人々。存在を遠ざけ、忘れていた自然から、いつか手痛いしっぺ返しを食らわないとも限りません。

皇居ではよく自然観察会が開かれているといいます。私もまだ一度も参加したことがありません。もし、ツバメの巣を××された方が、ツバメに対して愛着がゼロなのであれば、こちらの拙文を読む機会があったら、一度は皇居の見学会に行かれてみてはいかがでしょうか。普段どれだけの宝物に囲まれ、どれだけの不安定な場所に住んでいるのか、思いを致すとよいです。