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あさあさ新喜劇 「しみけんのミッションインポジティブ」


26、7年ぶりの吉本新喜劇。そらもうめっちゃおもろかった!ゲラゲラ笑って、夏の暑さを吹き飛ばす。これが関西のお笑いやねん! クーラーの効きが悪うてスンマヘン、と座長の清水けんじさんが謝ってはったけど、暑さも感じひんほど、笑った一日やった。もう満足満足。

終わった後は、楽屋口のコロラドの入り口で、妻の友人、佑希梨奈さんと立ち話。圧巻のアドリブの嵐やった舞台の興奮をまくし立てる私。このライブ感が笑いの原点やがな!と一人でツボに入りまくり。もちろん妻も大笑い。いやあ、よかったよかった!

と、ここで観劇レビューを終えてもええんやけど、せっかくなんで、もうちょい書いてみよかいな。

前回、私が吉本新喜劇を観たのは、私が大学一年生の頃。当時、私がアルバイトをしていたダイエー塚口店のバイト先の社員さんやパートさんたちとなんばグランド花月まで観に行った。本場の吉本新喜劇を前にゲラゲラ笑ったのをめっちゃ思い出す。

今回の帰省で妻は、賀茂別雷神社にお参りをしたいと望んでいた。そのため、最終日は家族で京都を訪れるつもりだった。ところが、この日照りの中、興味もない神社には行きたくないと娘たちは言う。なので急遽、妻と二人きりの旅が決まった。そんな時、妻がFacebookで見かけたのが、妻の友人である佑希梨奈さんの書き込み。それによるとちょうど祇園花月の吉本新喜劇に出演しているとか。せっかくの機会なので、佑希さんの舞台を観たいと妻がいう。私も異論はない。26、7年ぶりの吉本新喜劇。しかも祇園花月にはまだ行った事がない。よし、行こうか、と夫婦の意見が合い、祇園花月での観劇が予定に加わった。

阪急の西宮北口から神戸線と京都線を乗り継ぎ、終点の河原町へ。鴨川を渡り、南座や八坂神社を横目に見ながら、祇園花月に到着。あたりは京都の風情と芸能の色で染まっている。祇園花月の外見は見るからにコテコテの吉本印。吉本のおなじみのキャラクターのパネルが入り口に立ち、いかにもな感じを醸しだしている。

うちら夫婦が訪れたこの日、吉本興業は、闇営業問題で大きく揺れている真っ最中。けど、問題なのはテレビに出ずっぱりの売れっ子だけの話。そうした問題は、昔からの演芸を地道にまじめにやっている吉本新喜劇にはあまり関係がないはず。私はそう信じている。

開幕前の前説ではピン芸人の森本大百科さんが、軽妙に客を盛り上げつつ、今日の客層をさぐろうとしている。一階席の前半分はほぼ埋まっていたが、後半分の席は私たちを含め四、五人しか座っていない。私たちの後ろの席はすべてがら空きで、いささか寂しい客の入り。まさか闇営業問題が尾を引いているとは思いたくないけれど。

客の入りが少ないのも理由があり、あさあさ新喜劇と名付けられた演目は新喜劇のみ。午後は、新喜劇のほかに漫才やその他、舞台芸が演じられる。私がかつて観たのもそうだった。けれど、あさあさ新喜劇は新喜劇のみ。だから値段が安く設定されているのだろう。

「しみけんのミッションインポジティブ」と題された演目のあらすじは、旅館の娘たちを狙う結婚詐欺師を捕まえるため、旅館の前に張り込む両刑事と旅館の人々が織りなすドタバタの物語だ。そして、冒頭に書いた通りとても面白かった。何が面白いかと言うとライブ感がすごいのだ。もちろん、練り込まれた笑いだって面白い。けれども、その場のアドリブや即興で逸脱していく面白さも喜劇の醍醐味だ。私はそう思う。客席からのヤジを絶妙に受け返してこそなんぼ。舞台に出る演劇人はそうしたあうんの呼吸を学び、台本にない演技をこなす「芸」を舞台の上で鍛え上げてゆく。

今回、見た舞台で言うと、チャーリー浜さんのアドリブや、山田花子さんのアドリブが目立っていた。山田花子さんは今の吉本をめぐる問題をおいしくアドリブのセリフにかえ、笑いをとっていた。そのアドリブのきわどさは座長の清水けんじさんを焦らせるほど。

そして、チャーリー浜さんだ。前回、私が見たときはちょうどチャーリー浜さんの全盛期にあたっていた。その時もチャーリー浜さんは舞台を食っていたような記憶がある。往年の「ごめんくさ〜い」のギャグは今回も健在。出演者一同がずっこけるのも相変わらず。そうしたお約束のボケツッコミは、吉本のDNAのようなもの。見に来たかいがあってうれしい。ただ、それよりも今回すごいなと思ったのは、アドリブのすごさだ。

清水けんじさんとの掛け合いは、あまりに二人の掛け合いのテンポが良いので、あらかじめ決まった台本なのか、と思えるほど。ところが、掛け合いの中で、大御所であるチャーリー浜さんにツッコミを入れる清水けんじさんのセリフはだんだんヒートアップしていく。台本にないアドリブをかますチャーリー浜さんを座長として叱っているようにも思えてくる。あらかじめ決まった筋書きが突如命を吹き込まれたような瞬間。こうなるともう完全なアドリブの世界だ。絶妙なアドリブを挟みつつ、その全てが観客にとってクスグリとなり、笑いを誘発する。それがすごい。さらに、ゲラゲラ笑えるのに二人の笑いは誰も傷つけない。せいぜい傷つくのは清水けんじさんの座長のプライドぐらい。

私は、今回まで清水けんじさんのことを全く知らなかった。吉本新喜劇の座長と言えば、過去のたくさんの名物座長が浮かび上がる。ところが私は、今の座長が誰かなんて知らずにいた。そんな私の認識を、清水けんじさんの姿は一新してくれた。チャーリー浜さんに猛烈にツッコミを入れる座長はすごいなと思った。こういう即興の笑いを生み出せる喜劇人は、いつ見てもすごいと思う。頭の回転が速くない私にとっては憧れだ。

何もかもがデータ上で流れる今。映画、テレビの笑いは編集された笑いになりつつある。視聴者もまた編集されたことを前提で笑っている。しょせんはスクリーンやテレビ越しの笑い。時差と空間差のある笑いだ。しかも、スポンサーや世論に遠慮して、どぎつく際どい笑いはもはや味わえなくなりつつある。ところが、新喜劇のお笑いには即興性がある。しかも誰も傷つけない笑いを会得しているため、忖度や遠慮は無用。だから面白いのだろう。

私は、喜劇とは生身のライブ感で味わうのがもっともふさわしいと思っている。それを心から感じ取れた笑いの時間だった。出演者の皆さんが、即興で笑いを呼び込む空間を作り、観客はそれに乗っているだけでいい。これこそ笑いの殿堂だ。確かに、よく練られたコントは絶品だ。面白い。だが、笑いとは場を共有することによってさらに増幅する。テレビにはそれがない。

舞台が始まる前、ズッコケ体験を受け付けていた。私たちも申し込んだ。ズッコケ体験とは、観客が舞台の上でギャグにズッコケられる観客体験型のイベント。舞台が一度終わった後の舞台挨拶で、ズッコケ体験の方々が四名呼ばれた。私は申し込んだ時点でズッコケ体験ができるものと思い込んでいた。四名の次に呼ばれるのは自分だと思い、どうやってズッコケようか真剣に悩んでいた。財布も席に置いて行こうとすら思ったほどだ。抽選で四名の方だけ、ということを知り拍子抜けした。次回、もし舞台の上でずっこけられたら、少しは私も笑いの極意が身に着けられるだろうか。

あー、東京でビジネスやっていると、笑いのセンスが身体から抜けていく。そもそも、こういう時間が取れてへんなあ。また見に行かんならん。

‘2019/08/04 祇園花月 開演 10:30~

https://www.yoshimoto.co.jp/shinkigeki/gion_archive/ar2019_07.html


十字架は眩しく笑う


とても面白かった。こういうコメディ作品は大歓迎。

本作はシチュエーション・コメディの王道を歩いている。シチュエーション・コメディといえば、一つの固定された場面の中で、登場人物たちが繰り広げるすれ違いや、行き違いから生まれる笑いを描く喜劇の形式を指す。本作の舞台は、冒頭を除けば一貫してとある喫茶店の店内となっている。つまり、シチュエーション・コメディの要件を満たしている。その喫茶店を舞台に十人の登場人物が入れ代わり立ち代わり現れて、すれ違いを生む。これもシチュエーション・コメディの常道。

すれ違いの面白さを生むためには、観客にしっかりズレを伝えることが求められる。観客は舞台上で演じられる全ての動きを見ている。誰がどういうセリフをいい、そのセリフを誰がどのように受け取ったかをすべて把握している。そのセリフを誰がどう勘違いして受け止め、誰が見当違いの答えを返すか。観客は舞台で演じられる勘違いを笑いで受け止める。だからこそ、脚本がきっちりと計算されていないと役者の勘違いが勘違いでなくなってしまう。それは単なる役者の演技になり、笑いにつながらないのだ。

そのため、役者の勘違いも真に迫っていなければ、笑いにならない。役者の間で間合いが共有できていないと、勘違いは途端に嘘くさくなる。そして笑いは失速してしまう。つまり、シチュエーション・コメディとは、脚本と演技ががっちり噛み合わなければ面白くならないのだ。本作はその二つががっちり噛み合っていた。素晴らしい脚本と演技に感謝したい。

本作は、暗転した舞台から幕を開ける。ベンチに座っているのは一人の男。彼は失業し、求人誌を手に持っている。寄ってくる鳩たちに持っていた最後のパンをあげる。財布には28円。トートバッグにはマジックグッズが見える。マジックに夢を託そうとしたがそれも破れた。ヤケになってハンカチから財布を取り出して見せるが、金や職は都合よくハンカチから現れない。追い詰められ、絶望する主人公。

人生を投げてしまおうか。そう思うが、どうせ投げるなら、と入ったのが喫茶店の中。そこで彼は何をしようとしたのか。レジ荒らし? だが、彼は悪事に手を染めない。その代わりにそこから勘違いとすれ違いの歯車が回り出す。主人公に付いたハトのフン、それにおびき寄せられて来たハエと手に持った求人誌。それが誤解と騒動の引き金となる。出入りの八百屋、店員の三姉妹、おかしな常連客たちに突拍子もない闖入客、マスター。そこにマジシャンくずれの失業者が騒動を引き起こす。

忍び込んで来たはずが、行きがかり上「日本ハエと蚊コーポレーション」という害虫駆除業者になり、喫茶店の求人に応募して来た新人のウェイターにおさまる主人公。さらに誤解から店員の三女のパートナー(フィアンセ)になり、常連客のママからの願いで密かに惹かれ合っている長女と常連客をくっつけるために霊媒師にもなる。そして、次女からのお願いで体調を崩したオーナーに娘たちの嫁ぐ姿を見せようと、三姉妹それぞれに相手がいることをお膳立てしようとする。そんなところに、かつて次女がアイドルをやっていた頃、熱烈すぎてストーキングを働き、お詫びにと手作りケーキを持って来た男がやってくる。一つのウソがとてつもない誤解とすれ違いを引き起こしてゆく。シチュエーション・コメディの本領発揮だ。

なお、舞台後のあいさつで知ったのだが、このストーカー役を演じた多田竜也さんは、本番の二日前に急遽、小林さんが降板され、代役で起用されたとか。二日で合流したとはとても思えないほどオタクな感じが自然に出ていて、さすが役者さん、とうならされた。

ほかの俳優さんも、いずれも芸達者な方ばかり。冒頭に書いた通り、間合いが肝のシチュエーション・コメディ。少しでも演技らしさが混じると失敗しまう。そんなほころびを一切みせず、素晴らしい演技だったと思う。鯛プロジェクトのブログに紹介が載っているが、その順番でご紹介してみる。田井弘子さんは本作の企画と製作もつとめ、さらにおっとり長女役でも舞台に上がるという要の方。死んだ女性に憑依されながら、介護試験の勉強のためお婆さんも演じつつという複雑怪奇な場面は印象的。伊藤美穂さんは、しっかりものの次女役。最初は店に侵入した主人公を怪しく思う。が、オーナーである父を安堵させようと騒動に一役買う元アイドルという複雑な役を演じていたのが印象的。すがおゆうじさんは、本作では一番まともな役柄だが、真面目なあまり騒動に巻き込まれていく様、最後に人情あふれる雰囲気になってからは主役級の存在感を出していたのが印象的。せとたけおさんは、出入りの八百屋兼、地元劇団の素人俳優という役柄。ドラクエⅢの僧侶のいで立ちで現れる後半は、格好だけでも存在感ありありだった。喫茶店の地元の仲間という感じが印象的。田井和彦さんは、三女に思いを寄せる常連客の警官という役回り。これがまたとてもエキセントリックでいい味出しまくっていた。エキセントリックなのに憎めずほほ笑ましいキャラが印象的。中山夢歩さんは主人公。主人公でありながら、トリックスターとしても本作の重要な役どころ。とても端正なマスクでありながら、次々と周りの誤解に応えようとしてさらに舞台を混迷に陥れる様が印象的。堀口ひかるさんは、三女としてご出演。序盤から中盤にかけての本作のコメディ担当の主役でした。メイド喫茶設定と普通の喫茶店設定がごちゃごちゃになる部分はとても面白かった。佑希梨奈さんは、妻の友人であり今回お招きいただいた方。感謝です。母がいない三姉妹の母替わり、そして近所のスナックのママとして常連という役。おおらかな感じでいながら、場面をますますややこしくする様は、本作の雰囲気を温かくしてくれていた。渡邊聡さんは心臓が悪い喫茶店のオーナー。実は本作の要はこの方にあるのでは、と思えた。からだが悪い様を、歩き方だけでなく、顔に血を集めて真っ赤にすることで表わしていたのが印象的。あれどうやって演じるんやろ。

さて、本作はシチュエーション・コメディだと冒頭で書いた。古き良き日本の大衆喜劇に通じる伝統を継承しているかのように。実際、私は本作を観ていて、吉本新喜劇に通じるモノを感じたくらいだ。ところが本作には吉本新喜劇に付きものの定番ギャグがない。喜劇として笑わせる部分はしっかり笑わせながら、定番ギャグに頼らないところが新鮮でとてもよかった。また、笑いも、弱い者をいじったり観客をいじったりせず、すれ違いの面白さに焦点を合わせていたのが良かった。本作はとても万人にお勧めできる喜劇だと思う。また、本作が新喜劇を思わせたのは、しっかりと人情でホロリとさせてくれるところだ。その人情味が本作の余韻として残った。本作はすれ違いを笑いに変えるコメディだが、すれ違いを招くウソの多くは、オーナーのためを思ってのこと。つまり、人のためになることをしようとしてつかれたウソだから嫌みがない。とてもすがすがしい。

さらに、もう一つホロリとさせるため、作中に大きな仕掛けが用いられている。観ている間にいくつかそういう場面には気づいた。だが、それが最後の演出につながるとは予想の外だった。そしてその効果をあげるため、それぞれの場面をリプレイする演出がある。そこでも役者さんたちの演技が光っていた。主人公がマジシャンくずれという冒頭の伏線が見事にきいた大団円。これは、観劇の良い余韻となって残る。あまり舞台は観ていないので、作・演出を手掛けた西永貴文さんのお名前は存じ上げなかったが、素晴らしい手腕だと思った。舞台後に佑希梨奈さんと西永貴文さんにはご挨拶させて頂いたが、また機会があれば観てみたいと思った。

誉めっぱなしだと単調なので、観ていない方にとって不親切を承知でチクリとひとことだけ言う。勇者と魔術師と踊り子と僧侶が魔物と戦う場面。ここをもうちょっと真に迫ったほうがよかったのになあ、と思った。作中は違和感を感じなかったが、リプレイではちょっと違和感を感じた。まあ、余興という設定なので、迫真にするとかえって浮いてしまうのかもしれないが。

それにしてもいい舞台だった。皆さまに感謝。

‘2017/09/16 THEATER BLATS 開演 19:00~

https://taiproject.jimdo.com/%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB/


噂 ルーマーズ


ニール・サイモンと云えば喜劇作家として知られた存在だ。でも、今まで私は舞台やスクリーンを含めてその作品を観劇する機会がなかった。かねてからアメリカの喜劇に興味を持っている私としては、舞台で一度きちんと観てみたいと思っていた。そんな折、ニール・サイモン作品を初めて観劇する機会を得た。

今回妻と観にいったのは「噂-Rumours」。演ずるのは演劇レウニォン トップガールズと仲間たちである。女性6人、男性4人によるストリート・プレイ。麻布区民センターの区民ホールは座席数175名と小規模だったが、おかげで舞台全体がよく見渡せたし、10人の動きがよく把握できた。これぞ小劇場の醍醐味。小劇場での観劇は久しぶりだが、この距離感こそが演劇の楽しみ方として正当だと思う。

本作はニューヨーク郊外の豪邸の居間を舞台としている。暗転して登場するのはクリス・ゴーマン。取り乱した様子で右往左往している。そんな彼女に指示を出しながら二階から降りてきたのは夫のケン・ゴーマン。二階のチャーリー・ブロックの部屋から降りてきた彼もまた、平静ではない様子。この家の主であるチャーリーはニューヨーク市長代理。ゴーマン夫妻は到着するやいなや、銃声を耳にする。チャーリーが自分で耳たぶを撃ったのだ。そのことで動転しつつ、事態を穏便に済ませるため隠蔽をたくらむ夫妻。しかし、チャーリーが大変なことになっているのに妻であるマイラの姿は見えない。お手伝いさんもいない。チャーリーとマイラの結婚10周年記念パーティーに呼ばれたはずが、ゲストである自分達が事態の収拾を行わねばならなくなる。そうしているうちにパーティーに呼ばれた客たちが時間を空けて次々とやってくる。レニーとクレアのガンツ夫妻。アーニーとクッキーのキューザック夫妻。そしてグレンとキャシーのクーパー夫妻。クリスとケンの隠蔽のたくらみが、ガンツ夫妻を巻き込み、さらにその隠し事はアーニーとクッキーを混乱に落とし込み、グレンとキャシーまでも勘違いと行き違いの中で夫婦仲の悪化をさらけ出すことになる。

次々と登場する8人の人物が居間、チャーリーの部屋、台所と舞台から自在に出入りする。さらに頻繁にかかってくる舞台左脇の電話が彼らの混乱に拍車をかける。ケンはチャーリーの部屋で誤って拳銃を暴発させてしまい耳が一時的に聞こえなくなる。耳の聞こえないケンの行動が彼らの勘違いを一層混迷に突き落とす。このあたり、喜劇の舞台を作ってゆく手腕はさすがの一言。

とうとう隠し果せなくなり、ケンとクリスが意図した隠蔽は破綻する。なぜパーティーなのにホストがいないのか、この家でいったい何が起こっているのか。あとから来た6人にとって違和感が解ける瞬間だ。ところが、そこに警官が二人訪問する。慌てふためく8人。彼らはいずれもニューヨークの名士。スキャンダルは避けたい。警官を相手に演ずる必死の隠蔽工作がさらなる笑いを産み出す。喜劇作品の本領発揮だ。

幕間なしの1時間35分はライブ感覚にあふれていて、とても良かった。多少のとちりかな?という台詞も見え隠れしたけど、すぐに台詞で挽回していたため、進行には全く問題なかった。とくに最後、レニーによる長広舌の部分は見せ場。咄嗟に警官に説明するための嘘をこしらえ、即興で説明する様子の演技はお見事。あれこそが本作の山場だと思う。その臨場感は演劇のライブならでは。小劇場の舞台と客席の近さ故、舞台上の時間と空間を堪能することができた。

演劇は映画と違って、ナマモノだ。編集という作業でどうにかできる映画とは違う。そのあたりの緊迫感は演劇ならでは。また、公演期間内に修整が出来てしまうのも演劇の良さだろう。正直、本作はまだまだ良くなると思う。トップガールズと仲間たちにとって、今日は初日だった。なのでこの後も間合いの修正や台詞回しについて修正を行っていくのではないだろうか。私が観ていても、まだまだ本作の秘める笑いのツボはこんなもんじゃない、と思った。宣伝文によると過去の舞台では700回の爆笑が産まれたという。が、座長の白樹栞さんが最後の挨拶で77回の笑いがありました、といっていた通りあと10倍の笑いが取れる台本だと思う。今回は後からじわじわ来たという妻の言葉通り、観客にストレートに笑いの神が降りてきたわけではなく、一旦脳内で変換されてからその面白さが感じられた。たとえば許されるとすれば台本に忠実に設定情報を持ってくるのではなく、日本の都市に舞台設定を変えるとか。すれ違いの面白さは東京でもニューヨークでも一緒のはず。

次回、同じメンバーで演じた舞台を観る機会があればどう変わっているか。その変化を楽しむのも舞台のよいところだ。落語もそう。一つの噺を口伝で練り上げていくのが落語芸術。喜劇もまた同じに違いない。このように観劇後の劇評に花を咲かせられるのも舞台の良いところ。常に同じい内容が固定の映画とは違い、見るたびに発見があるのも舞台のよいところだ。私も今回の観劇を機会に、映画や演劇の喜劇を観る機会を増やそうと思う。ニール・サイモン作の舞台は他の劇団による公演も含めて観てみたい。もちろん、今回演じた10人の皆様による舞台も。

いずれの役者さんも私にとっては初めてお目にかかる方なのだが、ご一緒に公演後のホールでお写真を撮らせて頂いた佑希梨奈さんは、本作が久々の舞台なのだとか。でも冒頭の右往左往するシーンなど、堂々としていた。他の方も非常にコミカルかつ舞台での存在感を発揮していたように思った。また機会があればどこかの劇場でお目にかかれると思う。私もこういった小劇場の演劇を観られるようにしたいと思っている。

‘2016/9/9 麻布区民センターホール 開演 19:00~

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