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運命の人(四)


三巻の終わりでは、絶望し世を捨てようとする弓成元記者の姿が描かれた。続いての本書は、命を永らえた彼が沖縄で暮らすシーンで幕を開ける。

彼が向かったのは沖縄。それも本島ではなく、さらに離れた伊良部島だ。福岡生まれの弓成元記者は、何ゆえ沖縄へ渡ったか。

ここで読者は、弓成元記者がこのような境遇にたどり着いた経緯を思い起こすことになる。毎朝新聞記者の時代、彼が暴こうとしたのは沖縄返還に絡んだ密約だ。拙速に密約をリークしようとした勇み足の背景には、沖縄の立場に立っての義憤があった。

ここで、著者は本書の真のテーマを表舞台に出す。それは沖縄の戦後の総括だ。

なぜ著者は本書の一巻、二巻で裁判の様子を克明に描いたか。それは、沖縄返還の裏に交わされた密約の内容や締結された経緯を描くことで、沖縄を軽んじる日本政府の姿勢を明らかにするためではないか。

そこにはもちろん、取材のあり方や報道への敵視を隠そうとしない政府の傲慢さを問う意図もあったことだろう。だが、それは二の次ではなかったか。そうではなく、弓成記者の行為の裏には、沖縄の置かれた現状を問い質すという目的があった。だからこそ著者は、一巻では不自然さを覚悟で三木秘書との肉体関係の事実を書かなかったのではないか。

沖縄返還とは、裏を返せば米軍による占領の歴史そのもの。さらにいえば、沖縄は第二次大戦中に戦場として数え切れない悲劇の舞台となった。弓成記者を一巻で突き動かした義憤は、ヤマトンチューの立場からの半可通の義憤だった。最終巻である本書を通じ、弓成元記者は沖縄に癒されつつ、ウチナンチューとして沖縄になじみ、沖縄が過ごしてきた苦難の歴史を心からの義憤として引き受けるようになる。

著者の傑作群の中でも「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」の三作は良く知られている。この三作は戦争に大きく運命を左右された人生を描いた大作だ。それぞれ満州軍参謀、日系二世、中国残留孤児の戦中戦後が描かれている。戦争によって大きく運命を狂わされた人の物語は読む者の胸を打つ。だが、ほかにも当時の日本人が受けた悲劇がある。例えば原爆の被爆は忘れるわけにはいかない。だが、著者はすでに「二つの祖国」のエピソードで原爆病を取り上げている。となれば他に日本人の戦争被害を語るとなれば、全国各地の空襲被害と樺太からの引き上げ、そして凄惨な陸上戦と米軍による軍政を経験した沖縄が残る。著者は当然そのことを意識していたはずだ。沖縄を描かねば。著者の中で沖縄を書き残していることは常に意識していたはずだ。その想いが本書に込められていることは、本書の内容が雄弁に語っている。

一巻では、沖縄の密約を巡り、報道の権利とそれに抵抗する政府の対応が描かれた。そこでは本書の主題は報道の自由であるかのように読めた。ところがその時から著者の視線は沖縄問題に注がれていたのだ。四巻に来て改めて沖縄がクローズアップされた形だ。

弓成元記者は沖縄で生きる目的を見いだし、親しくなった女性謝花ミチや他の沖縄戦の悲劇を知る人々と交流しながら、沖縄の戦後を見直そうとする。妻由美子は夫からの手紙がきっかけで文通をはじめ、やがて夫に会いに沖縄に来る。夫との長い別離の時間のわだかまりも、夫が書き続けていた文章を観て氷解する。長きに渡って夫の傷に触れず、籍も抜かずに堪えた由美子の強さは本書の中でも印象的だ。

由美子の姿に女性の強さは現れているが、それ以上に印象的なのが道破れた弓成元記者を受け止めた沖縄の懐の深さだ。沖縄の懐の深さこそが本書で描きたかった女性の強さの源泉ではないか。女性の強さと沖縄の強さ、それは本書において相対した関係である気がしてならない。そんな沖縄を軽んじる日本政府の軽挙を、著者はどうにかして世に知らしめたかったのではないか。それを知らせるための材料として、西山事件に白羽の矢が立ったのではないか。もちろん西山元記者にもミスもあったし、自業自得との非難も受けねばならないだろう。だが、そんな日々を乗り越え、西山元記者は最後は沖縄へたどり着いたのだ。

そして、我楽教授がアメリカ公文書館で見つけた沖縄返還時の密約を示す文書。これによって弓成元記者の発したスクープが事実であることが世に発表された。取材過程に問題があったことは確かだとしても、確かに日本政府によって沖縄は軽んじられたのだ。沖縄からで始まり沖縄で終わる。これぞまさに弓成元記者の運命でなくてなんだろう。運命の人とは弓成記者、いや、西山記者が人生で背負った運命を指すことは言うまでもない。

これを書いている今、西山元記者は存命だと聞く。本書を通して弓成記者として描かれた西山元記者の姿がどの程度実像を反映していたかは知らない。本書の最終ページで弓成記者はこのようなせりふを言う。「沖縄を知れば知るほど、この国の歪みが見えてくる。それにもっと多くの本土の国民が気付き、声をあげねばならないのだ。書いて知らせるという私なりの方法で、その役割の一端を担って行こうと思う」ここに表れた沖縄への想いは、弓成元記者も西山元記者も同じではないか。これこそが、ジャーナリズムの芯を貫く言葉だと思う。沖縄に目覚めたジャーナリストは、知るべきことを知らせるという使命にも目覚めたのだ。ジャーナリズムとはゴシップや権力の腐臭に群がることだけが本分ではない。本当に国民が知るべきことを知らしめるのがジャーナリズムのはず。

私は本書を読み終えてから八カ月ほど後に沖縄を一人訪れた。沖縄のさまざまな場所を訪れるにつれ、沖縄についての本土の意識が低いことを痛感した。せめて弓成元記者が語ったような沖縄の姿は脳裏に刻み付けておきたい。ジャーナリストにはなれなくても、ジャーナリズムの精神は受け継げるはず。本書から私はそのような精神のあり方を教わった。

‘2016/10/05-2016/10/06


運命の人(一)


報道のあり方。それはジャーナリズムにとって常に問われる課題だ。ジャーナリズムには二つの権利がついて回る。それは、大衆が知る権利とニュースを発信する権利。その二つは限りなく近く、表裏の関係だ。だが同じ権利ではない。大衆が知る権利とは受身の権利。一方、ニュースを発信する権利は行動の権利。後者は、報道する者が自ら動き、取材し、発信する行為となる。そして、発信する権利には、内容のチェックの義務が伴う。いい加減な内容を発信したり、発信に当たって特定の人物の立場を損ねたりすることは厳に慎まねばならない。そのため、報道機関自身の内部統制は欠かせない。統制が失われた瞬間、報道のあり方や報道機関としての理念が問われることになる。

発信のための取材活動の中で、ニュースソースの秘匿は統制の範囲外、いわば治外封建となっている。これだけ情報が飽和した今でも、ニュースソースの秘匿は記者にとっては金科玉条のようだ。報道機関が営利企業である限り、質のよい取材源と素早い発信が求められる。そのため、記者は内部情報を知るニュースソース、つまり情報提供者をとても大切にする。ニュースソースが今の立場にあることがニュースソースの価値である以上、ニュースソースが誰かは決して明かさないのが記者の不文律でもある。

戦後、ニュースソースの秘匿が争われた著名な事件が二つある。一つは、読売新聞の立松記者による売春汚職防止法に関する件、もう一つが毎日新聞の西山記者による沖縄密約スクープの件。本書は小説として仕立てるため後者の事件を題材に採っている。

本書は小説なので実名で登場する人物はいない。たとえば西山記者に相当するのは弓成記者だ。敏腕記者として毎朝新聞でも将来を嘱望される存在として描かれている。本書では敏腕記者のイメージにふさわしく、押しもアクも強い人物として書かれる。社内でも自らの裁量で取材を敢行し、向かうところ敵なし。

だが、幼い息子たちには子煩悩な一面も持っている。本書で描かれた弓成記者のイメージが、西山記者の実像をどこまで伝えているかはわからない。だが、ステレオタイプな昭和の新聞記者像にははまっている。

弓成記者以外に登場する人物たちも仮名だ。仮名とはいえ、即座にモデルが想像できる名前が付けられている。なにしろ、佐橋首相に、小平、田淵、二木、福出なのだから。いうまでもなく佐藤首相に、大平、田中、三木、福田といった歴代総理をモデルとしている。いわゆる三角大福そのものだ。情報漏洩の火元の審議官の名前は本書では安西であり、肉体関係を持ち、情報の入手元となった秘書は三木となっている 。また、実際の西山事件で証人として法廷に立った読売新聞のナベツネこと渡邉恒雄御大までもが、ライバル紙記者の好敵手山部として登場する。

飛ぶ鳥を落とす勢いの弓成記者にとっては、そういった顔を合わせる誰もがニュースソースなのだ。本書である一巻は特に、勢いある弓成記者が中心に描かれる。そのためもあってか、登場人物の誰もが著名な人物に思えてしまう。

本書は、沖縄返還交渉の裏にある密約が鍵となる。その密約とは米国の沖縄駐留の撤収により生じる費用、いわゆる復元補償費を日本が負担するもの。 本来はアメリカが担うべき金額であることは間違いない。だが交渉の結果、日本は譲歩した訳だ。そして日本政府としては負担の事実を知られたくない。そこで密約として隠密裏に進めることになる。

外務審議官とのパイプを築く弓成記者はその密約を知ってしまう。秘書の三木と情事の関係を結び、証拠を集めにかかる。ところが、内容が内容だけに密約を明かせばニュースソースも明らかになってしまう。ニュースソースを守る手前、密約の内容は弓成記者から実名でリークすることはできない。そのジレンマとこんな不正が罷り通っていいのか、という私憤が弓成記者に軽率な行動をとらせる。野党議員への情報リークという方法で。それもコピーそのものを渡すという拙劣なやりかたで。野党議員はそれをもとに議会質問に臨むが、軽はずみにも議場でコピーの実物を振りかざしてしまう。かくしてコピーは世に出てしまい、ニュースソースの面目は丸潰れとなる。一方、密約を暴かれた佐橋首相は怒り心頭に発し、司法を動かして弓成記者と審議官の秘書を逮捕させる。

本書では西山事件の前段となる沖縄密約から、事件へと物語が進む。そして任意聴取で警視庁に訪れた弓成記者がその場で逮捕される場面で終わる。後世のわれわれは、敏腕記者と政府の戦いという対立軸に目がいってしまう傾向にある。しかしよく読むと、一巻からすでに男の生きがいや大義について描かれているのがわかる。

先にニュースソース秘匿にかかる戦後の二大事件を紹介した。前者の読売新聞の立松記者は、記者生命を断たれた後、自らの命をも絶ってしまう。果たして、弓成記者がどういう経緯をたどるのか、気になる。

おそらくここで描かれている内容は大枠では事実なのだろうと思う。私は西山事件に詳しい訳ではない。ただ一点、気になる点があった。それは事件の全体像に関わる点を著者が一巻では故意にぼかしているのではないか、ということだ。それは多分、著者による小説的な効果を狙っての事だろう。その内容は続いての二巻で明かされる。だが、私には事件の発端や経緯を描くために用意された本書でそれをぼかした理由がよく分からなかった。

‘2016/10/04-2016/10/05