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黄金峡


公共事業の推進。国による大規模な工事や事業。
それは、あらゆる利害関係の上に立つ国が行使できる権力だ。

国の事業によって影響を受ける人は多い。
例えば、ダムの建設に伴って立ち退きを余儀なくされる人々だとか。本書に登場する村人たちのような。
国が判断した事業がいったん動きだすと、村人たちの思いなどお構いなしだ。事業は進められ、山は切り崩され、川はせき止められる。

国の事業とはいえ、ダムによって立ち退きを強いられる村人がすぐに賛成するはずはない。
自らが生まれ育った景色、神社、山々、川、あらゆるものが水の中に沈む。それは普通の人であればたやすく受け入れられないはずだ。

一方の国は、何が何でも事業を成し遂げるために金をばらまく。ばらまく相手は立ち退きにあたって犠牲となる住民だ。
そのお金も中途半端な額ではない。村人の度肝を抜くような金額だ。それらが補償金額として支出される。
そのため、あらゆる補償対象に対して値段がつけられる。村のあらゆるものが文字と数字の柱に置き換えられる。価値は一律で換算され、その柱の中に埋没していく。個人の感傷や思い出など一切忖度されずに。

その補償は村人に巨額の利益をもたらす。潤った村を目当てに群がった人々は狂宴を繰り広げる。
本書のタイトルは、狂奔する村人の姿を黄金郷と掛け合わせて作った著者の造語である。
その峡とはモデルとなった只見地方のとある村の姿になぞらえたものだ。

その金を手にし、好機が来たと張り切る人。戸惑う人。
金が入ってくると聞きつけ、捨てたはずの故郷にわざわざ戻る人もいる。また、何があっても絶対に山から出ないと頑強に拒む人もいる。
人々は金の魔力に魅入られ、金の恐ろしさを恐れる。
事業を進める側は、あらゆる搦手を使って反対派を切り崩しにかかる。金銭感覚を狂わせ、一時の快楽に身を委ねさせ、懐柔につぐ懐柔を重ねる。

ありとあらゆる人間の醜さが、ひなびた山峡を黄金で染めていく。人々はそれぞれの思惑をいだいている。
そうした思惑を残した交渉には百戦錬磨の経験が必要だ。国が送り込んだ事業の推進者はそうした手練手管に長けている。

本書は、そうした人々の思惑を、一人一人の過去や人格まで掘り起こさない。なだらかだった日々が急に湧き上がり、そしてしぼんでいくまでを冷徹な事実として描いている。
冷静に事実を描くことによって、金に踊らされた人々の愚かさをあぶりだす。その姿こそ、人間の偽らざる姿であることを示しながら。

本書を通して、一時の欲にまみれる人の愚かさを笑うことは簡単だ。
だが、多額の金は人を簡単に狂わせる。多分、私もその誘惑には抗えないだろう。

こうした公共事業に対する反対の声は昔からある。
本書にも、都内からわざわざ反対運動のためにやってきた大学生の姿が描かれる。公権力が振りかざす強権に対し、民はあくまでも抵抗すべきと信じて。
それでも、国は下流の治水が求められているとの御旗を立て事業を推進する。

問題はその事業にあたって巨額の金が動くことだ。土木事業を請け負う業者には巨額の金が国から流れ、それが下流へと低きへと流れてゆく。
それは、流域の人々の懐をうるおす。

問題は、その流れが急であることだ。金に対して心の準備をしていなければ、価値観や生活の基盤が急流に持っていかれる。生きるために欠かせない水が時に生活の基盤を破壊し、氾濫のもととなってしまうように。
そして、金の流れが急に増えたからといってぜいたくに走ってはならない。その急流は、国が金を流したからなのだ。それを忘れた人は、金が枯れたときに途方に暮れる。
国が金を降らせるのは一度きりのこと。同じだけの金を人が自由にできやしない。一度枯れた水源は天に頼るほかないのだ。

公共事業に対する反対とは、公共事業による環境の変化よりも、金が一時に急激に動くことへの懸念であるべきだ。
その急激な金の流れに利権の腐臭を嗅ぎつけた人々は、全ての人は公平であるべきと考え、その理想に殉じて反対運動に身を投じる。
そうした若者や左派の政治家がダム反対などの公共事業に反対運動を起こす例は三里塚闘争以外にも枚挙にいとまがない。田中康夫氏が長野県知事になった際も「脱ダム」宣言をした。民主党政権時にも前原国公相が八ッ場ダムの凍結を実施した。

中流・下流への治水の必要性は分かる。だが、それを上流のダム建設で補おうとしたとき、上流の人々の既得権は侵される。その時、金ですべてを解決しようとしても何の解決もできない。
全ての人が幸せになれることは不可能。そのような諦念に立つしかないのだろうか。
結局、公共の名のもとによる補償がどこまで有効なのかについて、正しい答えは永久にできない気がする。

少なくとも本書に登場する村人たちは、二度生活を奪われた。
一度は故郷の水没として。二度目は金銭感覚のかく乱として。
本書はその事実を黄金峡という言葉を通して描いている。

私たちは、公と個を意識しながら生きるだけの見識は持っておきたい。
それが社会に生きることの意味だと思う。

‘2020/08/18-2020/08/19


伊達政宗 謎解き散歩


続けて、伊達政宗を扱った書籍を読む。

本書は、磐越西線の車中で読んだ。ちょうど摺上原の戦いの舞台を車窓から見つつ、雄大な磐梯山の麓を駆ける武者たちを想像しながら。

伊達政宗の生涯を眺めると、大きく二つの時期に分かれていることに気づく。
前半は南東北の覇者となるまでの時期。そして、後半は天下取りを虎視眈々と画策しながら、仙台藩主として内政に専念した時期。
本書はそれに合わせ、前者を第1章「戦国武将政宗編」とし、後者を第2章「近世大名政宗編」としている。

本書が、伊達政宗の生涯を彩ったさまざまの出来事をQandAの形で紹介している。QandAで問いと答えを用意しながら、同時に伊達政宗の魅力を描いている。
本書はまた、カラー写真がふんだんに用いられている。それが功を奏しており、とても読みやすい。また、QandAの形式になっていることで、読者はテーマと内容と結論が明確に理解できる。

読みやすい構成になっている本書だが、本書は「秀吉、家康を手玉に取った男「東北の独眼竜」伊達政宗」に比べると学術的に詳しく踏み込んでいる印象を受けた。本書の中には書状が引用され、古図面が載っている。それらは本書に学術の香りを漂わせる。だが、難しいと思われかねない内容もあえて載せていることが本書の特徴だ。そうした配慮には、著者が元仙台市博物館館長という背景もあるはずだ。
また、本書には著者の個人的な意見や思いや推論はあまり登場しない。「秀吉、家康を手玉に取った男「東北の独眼竜」伊達政宗」には、伊達政宗は天下への野心をどれだけ持っていたかという著者の推論が載っていた。それに比べると、本書の編集方針はより明確だ。

第3章「趣味・教養・その他編」は、戦国時代でも有数の傾奇者だったとされる伊達政宗の文化的な側面に焦点を当てている。
その教養は、幼い時期に師として薫陶を受けた虎哉宗乙からの教えの影響が大きい。だが、戦国の殺伐とした日々の合間を縫って伊達政宗自身が精進した結果でもあると思う。
伊達政宗がそのように自己研鑽を欠かさなかったのも、みちのおく(陸奥)と呼ばれた地に脈々と受け継がれた伊達家の歴史が積み上げた文化や環境の影響があったに違いない。

文武に励んだからこそ、後世まで語り継がれる武将となったこと。
培った素養が伊達政宗の生涯にぶち当たったさまざまな苦難を乗り越える助けになったことも。

武だけで戦国の世は生き抜けない。機転も利かせなければ。それでこそ人間の真価が問われる。機転を利かせるには豊富な前例を知っていたほうがよいことは言うまでもない。
戦国はまた、外交の腕も試される時代だ。外交には交渉や駆け引きの能力が必要。時には故事を引用した文も取り交わされる。
文を受けたとき、とっさに適切な故事を交えた文を返せなければ恥をかく。極端な例では、それがもとで国を喪うことだってある。武将といえども教養が求められるのだ。
この章はそうした教養を備えた武将であった伊達政宗の姿を描いている。

特に筆まめな武将であったとされる伊達政宗の一面を紹介する際は、コミュニケーションに長けていた姿が強調されている。
おそらくコミュニケーションに長けた能力は、伊達家の内政と外交を巧みにさばいていくにあたって大いに助けになったはずだ。

本書を読んで感じた気づき。それは、戦国武将が戦国の世を生き抜くのに最も必要な能力とは対人折衝能力ではないかということだ。
知力や武力といった分かりやすい能力よりも、部下を慰撫して忠誠心を集め、他国の武将と交流してその表裏を見極める能力。それこそが戦国の世にあって最も大切だったのではないか。これは大名や武将だけでなく、農民や商人や僧も含めての話だ。

ただ、歴史上の人物を評する上で対人折衝能力はあまり取り上げられないようだ。
信長の野望などのシミュレーションゲームにおいては、戦国武将を能力値で評価する。
例えば「信長の野望 創造」の場合、武将のパラメーターは「統率」「武勇」「知略」「政治」「主義」「士道」「必要忠誠」が用意されている。
もちろん統率や政治に対人折衝能力が必要なことは言うまでもない。対人折衝能力の総体が統率や政治としてあらわれるのだから。
だが、対人折衝能力だけを抽出しても、戦国武将のパラメーターとしては成り立つように思うがいかがか。

伊達政宗の場合、もちろん知力や武力が人より抜きんでていたことは間違いない。
だが、本書を読んで伊達政宗の生涯を振り返ってみると、戦場で圧倒的な武力を見せつけたような印象は受けない。また味方をも欺く剃刀のような智謀を発揮した形跡も見えない。
そのかわり、人と交渉することで死地を切り抜け、部下から信望を受け、領国を統治してきた繰り返しが伊達政宗の生涯には感じられる。

なぜそう思えたのか。それは今、私自身が会社を経営しているからだ。
社長とは一国一城の主。弊社のような零細企業であっても主には違いない。
経営してみると分かるが、社長には知力や武力は必要ない。むしろ人とのコミュニケーション能力こそが重要。他社や自社、協力社との対人折衝能力。それこそが社長のスキルであることが分かってきた。

その視点から本書を読むと、実は伊達政宗とはコミュニケーションに長けた武将であることに気づく。また、その能力に秀でていたからこそ苛烈な戦国の世を生き抜き、最後は御三家をも上回る待遇を得たのだ。
言うまでもないが、コミュニケーション能力とは阿諛追従のことではない。実力がないのに人との交流を対等にこなせるわけがない。人と対するには、裏側に確かな武術の素養と文化への教養を備えていなければ。
私も伊達政宗の達した高みを目指そう。そう思った。

‘2020/01/16-2020/01/18


秀吉、家康を手玉に取った男 「東北の独眼竜」伊達政宗


福島県お試しテレワークツアーに参加し、猪苗代と会津を訪れた。
猪苗代は磐梯山の麓に広がる。そこは、摺上原の戦いの行われた地。
その戦いで伊達政宗は蘆名氏を破り、会津の地を得た。

本書を読んだのは、摺上原の近くを訪れるにあたり、その背景を知っておこうと思ったからだ。
戦いのことを知っておくには、戦いの当事者も理解しておきたい。とくに、その戦いで勝者となった伊達政宗についてはもっとよく知る必要がある。そもそも伊達政宗の生涯については戦国ファンとしてより詳しくなっておきたい。
そんな動機で本書を手に取った。

政宗は、本書の帯にも書かれている通り、戦国武将の中でも屈指の人気を誇っている。

その生涯は劇的なエピソードに満ちている。単に自己顕示に長けているだけの武将かといえば、そうではない。中身も備わった武将との印象が強い。
晩年まで天下を狙える実力も野心も備えながら、とうとう時の運に恵まれずに仙台の一大名として終わった人物。後世の私たちは伊達政宗に対してそのような印象を持っているのではないか。

悲運に振り回されながら、実力もピカイチ。そんな二面性が人々を魅了するのだろう。
そんな伊達政宗が若き日に雄飛するきっかけとなったのが人取橋の戦いと摺上原の戦いである。

本書では、それらの戦いにも触れている。だが、それは本書全体の中ではごく一部にすぎない。
むしろ本書は、伊達政宗の生涯と人物を多面から光を当て、その人物像を多様な角度から立体的に浮き上がらせることに専心している。

1章「政宗の魅力〜数々の名シーン〜」では生涯を彩ったさまざまな劇的な出来事だけを取り上げている。それは以下のような内容だ。
疱瘡を煩った政宗の右目をくりぬいた片倉小十郎とのエピソード。
父輝宗が拉致され、それを助けようとしたがはたせず、敵もろとも父を撃ち倒した件。
そして圧倒的に不利な条件から、南奥州の覇を打ち立てた戦いの数々。
実の母から毒殺されかかったことで弟に死を命じ、母を二十年以上も実家に追放した一件。
小田原戦に遅参し、死を覚悟した死に装束を身にまとって豊臣秀吉の前に参じた件。
大崎一揆の黒幕と疑われ、花押の違いを言い訳にして逃れた件。
支倉常長をヨーロッパに派遣し、徳川家の覇権が定まりつつある中でも野心を隠さずにいた後半生。

どの挿話も伊達政宗が一生を濃密に生きた証しであるはずだ。これらの挿話から、現代人にとって伊達政宗が憧れの対象となるのもよくわかる。

続いて本書は派手な面だけでない伊達政宗の一生を追ってゆく。伊達政宗は堅実な一面も兼ね備えていた。伊達という言葉から連想される外見だけの一生ではなかったことがわかる。
2章「政宗の野望」ではそうした部分が活写される。

また、伊達政宗は短歌や連歌をたしなみ、風流人としての一面も持っていた。
晩年、最後に江戸へ参勤交代で参る際には鳥の初音を聞きに仙台の山を訪ね歩いたという。また、伊達政宗は筆まめで手紙をよくしたともいう。そうした武張っただけではない文化人としての一面も紹介する。
3章「政宗のすごさに迫る!」では、そうした伊達政宗の別の面も紹介する。

伊達政宗は家臣にも恵まれていた。文武両面で伊達政宗を支えた人々の列伝が4章「政宗を支えた家臣たち」だ。

続いては5章「伊達氏の歴史と名当主たち」で伊達家に連綿と伝えられた伝統を語る。
そもそも伊達政宗という人物は一人ではない。私たちがよく知る伊達政宗は二代目。一代目の伊達政宗は九代目当主にあたる。室町時代に活躍し、伊達家を雄飛させた明主であり、十七代伊達政宗はその先祖にあやかって名付けられたという。
塵芥集を編んだ伊達稙宗や父の伊達輝宗の事績もきちんと紹介されている。そうした伝統の積み重ねがあってこそ伊達政宗が形作られたことを書いている。

本書が良いのは、見開き二ページを一つの項目としている本書において、項目ごとに内容を図示して読者の理解を深めようとしてくれている点だ。
それによって単なる文の羅列だけでは理解しにくい伊達政宗の人物の魅力がさまざまな角度から伝わってくる。

著者は歴史ライターだそうだ。そして、おそらくそれ以上に伊達政宗ファンに違いない。
ファンである以上、歴史のロマンも持っているはずだ。例えば、伊達政宗が持っていた野心とはどの程度のものだったのか、という問いとして。
歴史/政宗ファンがみた伊達政宗の魅力の一つは、十分な実力と人望を持ちながら生まれる時代が遅かったため、ついに天下を取れなかったという悲劇性にある。
そのため、ファンは勝手にこう望んでしまう。伊達政宗には死ぬまで天下への野心を持っていてほしい、と。

伊達政宗の生涯は華やかだったが、一方では実力を持っている故の葛藤と妥協の連続だったはずだ。
仮に天下への野望を抱いたとして、それはいつ頃からだったのか。そして、その野望はいつまで現実的な目標として抱き続けていたのだろうか。

著者はその仮説を6章「『独眼竜』政宗の野心を検証する」と題した章で開陳する。
さまざまな想像と史実を比べつつ、読者の前に仮説として提示してくれている。だが、著者はファンでありながらも野心については案外冷静に観察しているようだ。
畿内だろうが地方だろうが関係はなく、戦国大名は領国の統治と周囲の大名との関係に気を回すだけで精一杯なのが普通。織田信長こそがむしろ当時にあって異常だったと指摘する。
そこから著者が導いた伊達政宗の具体的な天下への野心を持ち始めた時期は、天下の帰趨が定まった奥州仕置きのあとの時代だと著者は考える。

その野心とは、以下の事績にも表れている。支倉常長をローマに派遣し、改易された松平忠輝に娘の五郎八姫を嫁がせ、大久保長安事件に関連した謀反の黒幕と目されたこと。
どれもが伊達政宗の天下への野心に関連していると著者はみる。だが、本格的な行動を起こすほど伊達政宗に分別はなかったと書いていない。
ここは歴史の愛好家が好きずきに想像すればよいのだろう。

私も猪苗代や会津を訪れた際、伊達政宗が駆けた戦国の残り香は感じられなかった。だが、摺上原の戦いの詳細が本書から詳しく学べなかったとしても、伊達政宗の魅力には触れられた。それが本書を読んだ成果だ。

‘2020/01/14-2020/01/15


会津の旅 2018/10/9


さわやかな朝。私にとっては民泊で迎える初めての朝です。昨夜、日が替わるまで語り合った疲れはどこへやら。旅を満喫している今を祝福して目覚めました。

早速、荷作りとあいさつを。昨夜の語らいで仲良くなったオーナーのSさん、島根から来たOさんも私たちと顔なじみになりました。Oさんに至っては気ままな一人旅ということもあって、H.Jさんの田んぼの手伝いに来てくれることになりました。仕事に出るSさんとはここでお別れ。昨日語り合ったことは、決して忘れないでしょう。良いご縁に感謝です。今後も会津の観光やITでご縁があるに違いありません。

昨夜、車を置かせてもらった「酒家 盃爛処」まで歩く途中、会津の風情を存分に堪能しました。かつての城下町を彷彿とさせる風景も、昨晩のお話を伺った後では私には違う風景として映ります。戊辰戦争の前後ではどう変わったのか。十字路のない街角の様子はかつてはどうだったのか。理髪店の数も心なしか他の都市に比べて多いように思えます。こうした知識は、ガイドマップに頼っていると知らずに終わったはず。得た知識を即座に確認できることが、旅先で語らうことの醍醐味と言えましょう。

この日の私たちは、さらに会津を知識を得るべく、昨日に続いてH.Jさんのお宅へ。この日、私たちに任されたのはお米を袋に詰める作業です。昨日、収穫したお米は巨大な乾燥機の中で乾燥され、摩擦によってもみ殻を脱がされます。風で吹き飛ばされたもみ殻は、大きな山となって刻々と成長しています。

乾燥機から選別機へと移動したお米は、品質を二種類に選別されます。良い方は「会津米」の新品の紙袋に、悪い方は東北の各県の名がうたれた再利用の紙袋に。紙袋をセットし、一定の量になるまでお米をため、適量になったら袋を縛るまでの一連の作業は人力です。私たちが担ったのはこの作業。これがなかなか難しい。茶色の紙袋は初めは当然、ぺたんこ。で、そこにお米がたまるにつれ、紙袋はじょじょにかっぷくの良い姿へと変身します。変身した紙袋を最後にうまく縛る。その縛るコツががなかなかつかめない。結んだひもの位置がずれると、それは収穫の寿ぎではなくなるのです。縦横が正しくあるべき姿に結ばれてはじめて、収穫のお祝いに相応しく袋となり、晴れて出荷されるのです。米の紙袋の結び目にもきちんと意味があることは初めて知りました。結び目が重要なのはなにも水引だけではなかったのです。

きちんと結んだ後は、出荷準備完了を占めるシールを貼り、パレットの上にきちんと並べて積み上げていきます。私たちはまさに、収穫から出荷直前までのすべてのプロセスに携わらせていただけたわけです。

今回、H.Jさんは袋詰めの工程に助っ人を呼んでくださっていました。地元の方でよくこしたお手伝いをされているとか。慣れた手つきでひもを縛り、積んでゆく。私たちの縛りが甘ければ、再度縛りなおしてくださいます。多分、たどたどしい私たちに「しょうがねえなあ」と思っていたことでしょうが、もくもくと働く姿に、私はただ従うのみ。慣れない私たちには難しいこれらの作業も、慣れると立て板に水のごとく、こなせるようになるのでしょうか。あれから十カ月たった今でも、動作を再現できるかも、と錯覚に陥りそうになるくらい、何度も結びました。こうした作業の全てが私にとっては新鮮で、そのどれもが農業の奥深さを伝えてくれます。農業に携わる人々は皆さんがたくましく、生活力をそなえているように見えるのは気のせいでしょうか。

作業の合間に水分の補給は欠かさず、H.Jさん宅からもあれこれと差し入れをいただきつつ、すでにお昼。お昼には食事に連れて行ってくださいました。向かったのは会津若松駅近くの中心部。ただ、はじめH.Jさんが考えていたお店が閉まっていたらしく、かわりに向かったのは「空山neo」というラーメン屋さん。こちらは繁盛しており、味もとてもおいしかったです。そこは、会津若松の目抜き通りで、朝まで泊まっていた「隠れ家」さんは、同じ通りをさらに進むとあります。どこも軒並み、風情のある店構え。酒蔵があり、お店が並ぶ。それでいてあまり観光地ずれしていない様子に好感がもてます。私たちがラーメンの後に寄った「太郎焼総本舗」も、落ち着いたたたずまいで私たちを迎えてくれました。味がおいしかったことはもちろんです。

Oさんは午前、昨日私たちが体験したコンバインの運転などをさせてもらったりして別行動でしたが、午後もそれぞれが別々に作業にあたりました。私たちは選別機によって下に選別された米を紙袋に袋詰めする作業に従事していましたが、しばらくたってからH.Jさんに野菜の畑へと連れて行ってもらうことになりました。

その畑は、昨日の田んぼとは違う場所にあり、丸ナスとキャベツが植えられています。もちろん、無農薬栽培。キャベツ畑なのにキャベツがほとんど見えず、草が奔放に生い茂っています。しかし地面には丸々としたキャベツがつつましやかに私たちの収穫をお待ちしているではありませんか。丸ナスも色合いとツヤがとてもおいしそう。バッタやカエルがわんさかと群がる畑の作物は、見るからにおいしそう。こうまで無農薬の畑に生き物が群がる様子を見ると、生き物もいない農薬まみれの畑への疑問がつい湧いてしまうのです。

畑への往復、私はH.Jさんの軽トラックの助手席に乗せてもらい、農業のIT化について意見を交換していました。人手の足りなさを解消するための開発も進んでいる、とはつねづね聞いていますが、H.Jさんもそうしたロボットによる農業の効率化には大賛成の様子。無農薬栽培は、H.Jさんが農業の本質を探る中、たどり着いた結論であることは間違いないでしょう。要するに農薬の使用は、作物の本質を損ねるもの。でも、農薬を使用しなければ、人手も手間もとてもかかります。そうした矛盾を解消する可能性をIoTを活用した仕掛けは秘めているのです。作物に優しく、手間を減らす。いい事ずくめです。

私も弊社も、IoTはまだ実務としてはほとんど手がけていません。特に農業関連は未経験。IoTに関するご相談はちょくちょく受けるようになっており、この二日で、IoTが農業で必要な理由を自分の体で感得しました。その可能性を見せてもらえた以上、何かに活かしていきたいと思うのは当然です。とてもためになった道中の会話でした。

さて、H.Jさんの家に戻った私たちは、ブルーベリーやブドウや梅干しをおいしくいただきました。ところが、時刻はそろそろ15時になろうとしています。東京へ帰る準備をしなければ。名残惜しいですが、キャベツや丸ナスやフルーツ類をいただき、H.Jさんのもとを辞去しました。たった二日なのに名残惜しさが心を締め付けます。

Oさんも加えた五人でK.Hさんの運転で鶴ヶ城へ。まずは会津若松のシンボルともいえるここを訪れなければ。ぐるりとお濠をめぐり、駐車場から城内を歩いて一回り。時間があれば城内にも入りたかったのですが、さすがに時間が足りません。大河ドラマ「八重の桜」は一度も見なかった私ですが、会津の街にがぜん興味が湧いてきましたし、また来たいと思います。城内で売っていた奥只見の産物を買い求めて。

もう一カ所「道の駅 ばんだい 徳一の里きらり」にもよりました。ここで最後のお土産物を購入し、会津を後にしました。また会津には来ることでしょう。私にお手伝いできることがある限り。

さて、Oさんは次の目的地に移動するため、郡山駅で降ろすことになり、郡山インターチェンジから市街へ。2年前に自転車や車やバスで動き回った郡山の街を、ひょんな縁でまた来られることになり、私の喜びもひとしお。大友パンや柏屋も健在の様子。駅前にはgreeeenのドアがあり、二年前の興奮が思い出されます。

Oさんはこの後まだまだいろいろな場所を旅するのだとか。うらやましい。またの再会を約して、Oさんとはここでお別れ。旅のご縁のすばらしさや、時間と場所を共有した思い出の余韻に浸りながら。

さて、私たちも旅の余韻に浸りたいところですが、そうも言ってられなくなりました。なぜなら東北道が通行止めという情報に接したからです。そこでK.Hさんが下した判断は、磐越自動車道でいわきまで出て、常磐道で都内に帰る、という遠回りのプラン。普通ならまず取らないこのプランも、東北道が通れないのでは仕方ありません。道中、高速道路の脇にある放射線量を示す電光掲示板が、この地域の特殊性を示します。

常磐道は何事もなく順調で、休憩した友部サービスエリアを経由して、私たちは表参道の駅前で降ろしてもらいました。K.Hさんはそこから柏のご自宅まで帰られるのだとか。二日間、運転をしてくださり、ありがとうございました。そういえば、帰りの車の中では「会津ファンクラブ」の存在を教えてもらい、その場で入会しました。

旅の終わりはいつもあっけないものですが、この二日間の旅もこうやって終わりました。あとは重いキャベツや丸ナス、そして数えきれない思い出を背負い、家に帰るだけです。折悪しくこの日、小田急は毎度おなじみの運転見合わせが起きており、会津の余韻も首都圏の日常がかき消しにかかってきていました。

四日後にはH.Jさんが東京の有楽町の交通会館に農産物を販売に来られると伺っていたので、妻を連れて伺いました。そして余蒔胡瓜や立川ごぼうといった会津野菜をたくさん購入しました。その二つとも妻や家族が美味しいと大変気に入ってくれまして、私が持って帰った丸ナスもキャベツもあっという間に品切れ。

会津野菜がわが家からなくなると時を同じくして、私は首都圏の日常に追われるようになってしまいました。そして気が付くと10ヶ月。今、ようやく会津の思い出をブログにまとめられました。でも、思い出してみると、二日間があっという間に鮮やかに思い出せました。それだけ素晴らしい旅だったという事でしょう。それにしても皆さま、本当にこの二日間、ありがとうございました。


会津の旅 2018/10/8


会津で農家さんの稲刈りのお手伝いに行きませんか?

こんな魅力的なお誘いをいただいたのは、今回の旅に先立つ事、二週間。9/22の事でした。農家さんのお手伝いをし、現地で民泊し、うまい酒を飲む。仕事をしながら会津を知り、会津に貢献する。実に魅力的ではありませんか。

私は会津とその周辺には特別な思いを持っています。話は2016年に遡ります。その年、私は郡山に二度お呼ばれしました。二回の訪問の間にセミナーに登壇すること二度、ユーザー会で登壇すること一度。また、二回の訪問の合間には、郡山とその周辺を訪れました。そこで触れた郡山の皆さんの思い。それが私の心を震わせました。

当時、あの原発事故から五年がたっていました。私が見聞きした郡山には異常な様子はありませんでした。過密なスケジュールの中、自転車で乙字ケ滝へ行き、車で猪苗代湖や銚子ケ滝、達沢不動滝を訪れました。たわわに実っていた田んぼの稲穂は、放射能の痕跡など微塵も感じさせず、猪苗代湖畔から眺めた磐梯山の雄大な姿は、原発事故の前から変わらぬ福島の風景を私に誇っていました。空は青く、稲穂は首を垂れ、凪いだ湖面に空が映る。ただただ美しいコントラスト。美しい風景に心を癒やされた私を、郡山の人々は温かく迎えてくれました。

それにも関わらず、郡山の皆さんはいまだにやまぬ風評被害に憤っていました。ユーザー会の後の懇親会では郡山の方から風評被害への憤りを聞きましたし、その翌日には郡山の駅前で放射能の危機を煽る街頭演説に行き当たり、私は憤りを抑えられませんでした。もちろん、乙字ケ滝への道中では汚染土の廃棄場の看板も見かけました。美しい自然の影に潜む福島の現実も知らされました。自然の美しさと、現実に直面する皆さんの危機意識。それにも関わらず私を歓待してくれた温かみ。二度の福島への訪問は、私の心に福島を支援したい気持ちを育みました。

弊社は、福島を応援します。(9/30版)
弊社は、福島を応援します。(10/01版)
弊社は、福島を応援します。(10/02版)

以来、二年。今回の会津へのお誘いは、私にとって再び福島県へ伺える良い機会です。断る方が難しい。私の場合、こうしたお誘いにもスケジュールを柔軟に調整できる強みがあります。

朝7:15。新宿のスバルビルの上で待ち合わせでした。私とご一緒するのは三人の方。お誘いくださったK.Cさん、運転手を買って出てくださったK.Hさん。そしてY.Mさん。K.Cさん以外のお二人とは初対面です。

K.Hさんは、普段から運転をよくしているそうです。秋田の観光に深く関わっていらっしゃるというK.Hさんは、普段から何度も秋田と東京を往復されており、運転に慣れていらっしゃる様子。全く疲れた様子を見せず、二日間にわたり数百キロの運転をこなしていただきました。結局この二日間、私は1度もハンドルを握ることがなく、ただK.Hさんの安定した運転を助手席でナビゲートするのみ。疲れを知らぬK.Hさんにはただただ感謝です。

新宿から首都高に乗り東北自動車道へ。郡山ジャンクションからは磐越自動車道の猪苗代磐梯高原インターチェンジまで。久しぶりに見る福島の景色に私のテンションも上がります。車中では初対面であるからこそ楽しめる新鮮な会話で盛り上がりました。

インターチェンジを下り、早速、道の駅猪苗代で休憩を。まずは福島の空気に慣れたところで、最初の目的地「den*en cafe」へ。ここは、目の前に磐梯山がそびえる絶好のロケーションです。写真を何枚も撮っても飽きないほど秋晴れの磐梯山は雄大。私たちに山の偉大さを教えてくれました。「den*en cafe」さんの料理もおいしく、コーヒーも絶品。K.Cさんのチョイスはさすがです。自由に持って帰って良いと玄関の前に無造作に置かれる野菜たちがとても美味そうで、いくつか持ちかえり、車内で食べてしまいました。こうした何気ないおもてなしに会津の農業の可能性とゆとりをまざまざと感じます。

さて、一般道を会津若松まで走ります。すでに稲刈りを終えた田んぼには稲叢がならび、それが会津の秋の風情を見せてくれます。会津の稲叢は大きくせず小分けにしています。こういう風景を見るたび、旅情が心を満たします。

会津若松は、十数年以上前に友人と2人でやってきて以来。懐かしさを感じる間もなく、車はそのまま今回お世話になるH.Jさんのお宅へ。築100年以上はゆうにあるであろう昔ながらの農家。広間に上げていただき、H.Jさんにごあいさつを。私たちのためにH.Jさんのお母様が作っておいてくれた塩を振っただけの余蒔胡瓜(あいづよまききゅうり)がとてもおいしかった。

H.Jさんはこの余蒔胡瓜のような会津伝統野菜を復活させた立役者です。それと同時に、無農薬による米の栽培に挑まれています。無農薬である以上、人の手がどうしても必要。今回、私たちが呼ばれたのも、米の収穫に際し、除草やその他の作業をお手伝いするためでした。

早速、田んぼへと向かいました。見渡す限りの田んぼ。会津は盆地です。ところが盆地であることを忘れさせるぐらい、田んぼが広がっています。この広がりに会津の豊かさを感じます。

お借りした長靴を履き、田んぼの中へ。稲穂が実る田んぼは、人の手による収穫を待っています。ところがH.Jさんの田んぼは無農薬で栽培されているので、雑草もあちこちから顔を出しています。その中に、米と似た種をつけるクサネムが混じっていて、これを手で除去することが私たちのミッションです。なぜなら、米袋の中にクサネムの種が混じると、価値が著しく落ちてしまうから。しかもクサネムの種の除去は機械ではどうしてもできないそうです。今まではクサネムの除去はH.Jさんやボランティアで手伝いにきている会津大の学生さんたちや、近くの農家の方がされていたそうです。私たちも作業を教わりながらこなしていきます。

とはいえ、都会っ子には簡単ではありません。田んぼに入ると、稲を踏むのはご法度。稲を避ける足元は、ぬかるんだ土に深く沈みます。それを乗り越え、一歩一歩進まねばなりません。これが案外と大変でした。クサネムの株は成長が早く、何度となく皆さんの手によって除去されてきたはずが、すぐにまた生えてきます。その繰り返しです。私の前にも、今までに見逃されたクサネムが稲の間から自己を主張しようと、子孫を残そうと背丈を伸ばしはじめていました。それらを刈り取り、畝に積みあげておきます。

それにしても、無農薬で育った田んぼだけあって、稲の合間に住み着く虫や蛙の多いこと多いこと。アゲハの幼虫や、バッタ、カエル。彼らは私たち侵入者の歩みにつれ、ぴょこぴょこあたりを逃げ回ります。静かに収穫を待つ田んぼどころか、大騒ぎ。でも、これが田んぼのあるべき姿なのでしょう。そして、本来の農業のあるべき姿でもあるはずです。ところが、それが頭ではわかっていても、こうやって実際に作業に当たってみると、農家の方にとって無農薬栽培が簡単ではない事はすぐにわかります。作業とは、やってみることが大切。実際に田んぼに入って鎌を振り回すこの体験は、私にそのことを痛感させてくれました。

大勢でクサネムを探し回ったかいがあり、いよいよコンバインで稲刈りです。今まで無農薬で楽園のようだったバッタや蛙の住みかが、あっという間にコンバインで刈り取られ面積を減らしていきます。これもまた、農業の現実。理想はあくまでも刈り取ってこそ完成なのです。H.Jさんがコンバインを操り、みるみるうちに周囲から刈り取られる姿を見るにつけ、文明の力の偉大さと、農業の本質を垣間見た思いです。

そんな風に物思いにふけっていたところ、H.Jさんのご厚意で、私たちにもコンバインを運転させてもらえることになりました。私もせっかくなので操縦をさせてもらいました。前後左右に加え上下なども加わり、なかなか難しい。でもとても楽しい。収穫している実感がわきます。

実は田んぼに入る前の私には、腰の不安がありました。腰痛持ちの私にとって、かがんで作業することは禁忌。稲刈りの作業にどこまで耐えられるのか。そんな不安がありました。ところがコンバインだとかがむ間もなく、効率的に稲穂はコンバインの胃袋に収まってゆくのです。こうした効率化によって、お米がさほど手間をかけずに刈り取られ、私たちの食卓に並ぶようになったのです。胃に収まったお米をトラックに移し替える作業もオーガと呼ばれる可動式のパイプを通し、人の手は不要。文明の力の偉大さを感じます。無農薬栽培とは言え、こうした作業はどんどん文明の力を借りていくべきでしょう。使うべきところには文明を使い、農作物の本質を追求するべきところには農薬は使わない。すべてはメリハリ。抑揚の妙です。
稲を刈る 我らに天の はしごかな

トラックに米が移される中、畝に集められたクサネムの株はガソリンをかけられ、煙と化していきます。地方で高速を走っていると、よく田んぼで野焼きしている光景に出会いますが、こうした作業だったことに得心しました。あらゆる一瞬が知識となり、身についていくようです。
刈の終 ねむ焼く匂い 語りけり

H.Jさんはそうした作業をこなしながら、近くのアイス屋さんのブルーベリーアイスを差し入れる手配までしてくださいました。私たちの手伝いなど、H.Jさんが普段されている作業の大変さとは比べ物にならないはず。それでもこうしたねぎらいを怠らないところはさすがです。実際、無農薬栽培を実践されているH.Jさんの苦労は、並大抵のものではないはずです。年齢は私とそう変わらないはずですが尊敬できます。見習わなければ、と思いつつ、アイスのおいしさに顔がほころぶ私。

トラックに米が全て移ったところで、田んぼでの作業は終わり。夕日があたりを照らす中、私たちは田んぼを後にしました。H.Jさんの家へ寄った後、会津若松駅のそばにある「富士の湯」に寄っていただきました。汗まみれの体に温泉が実に心地よかった。ついで私たちが向かったのは今日の宿。今回の旅で泊まるのは、古民家をリノベーションし、民泊の形式で提供している「隠れ家ゲストハウス」さん。私たちが通されたのは、和室の一部屋。二段ベッドが二つ設えられ、学生の頃にとまった木賃宿を思い出しました。そもそも民泊は初めてなので、とても楽しみです。

荷物を解いたところで食事へ。夜の懇親会に予約を取っていただいたのは「酒家 盃爛処」というお店。会津でも有名なお店らしく、なかなか予約が取れないそう。しかも、隠れ家さんには駐車場がないことから、こちらの駐車場にご厚意で車を一晩おかせてもらえることになりました。そうしたお心遣いの一つ一つが身に沁みます。

会津の街並みを今に伝えるかのような「酒家 盃爛処」の店内は、おいしい料理の数々と、会津地区を中心とした酒蔵の銘酒でにぎわっていました。H.Jさんや田んぼでご一緒だった会津大学のボランティアの学生さんたちも交え、とても楽しい時間を過ごしました。会津の食事(こづゆ、ニシンの山椒漬けなど)や酒(春泥、風が吹くなど)のうまさはただ事ではありません。おもてなしと食事と酒に酔いしれながら過ごす一夜。旅の喜びはまさにここにあり。会津の皆さまの旅人をもてなそうという心意気に打たれました。郡山で感じた福島への愛着が、午後から夜までの会津での体験でさらに深まる思いです。

「隠れ家ゲストハウス」さんに戻ります。すると、五、六名の宿泊者やオーナーの皆さんが、集まってお酒を飲んでいるではありませんか。一緒にきた三人さんは、お部屋に戻って就寝したのですが、私は、せっかくなのでその場に一人だけ混じりました。

この語らいの時間もまた、今回の会津の二日間の良き思い出となりました。旅先でその場の縁を結ぶ。旅の醍醐味とは、まさにこうした一期一会の瞬間にある。私はそう思っています。オーナーのSさんもまさに、その喜びを味わいたくてこの隠れ家をオープンしたとの事。皆さんとの語らいは、とても刺激的でした。会津の歴史や風土についていろいろなお話をことができました。戊辰戦争での、長州藩との凄絶な戦いや白虎隊の悲劇。会津の街並みの秘密や、今に至る街並みの変遷。とてもここには書ききれません。一部を以下に抜粋してみます。

・会津若松の遊郭は現存する一軒しかない。そして理容室が多い。それは、赤線が引かれる前はチョンの間だったという噂。
・街中にズレた十字路が多いのは、猪苗代湖からの水を街中に行き渡らせるための工夫。
・街中には戊辰戦争以前からの古い建物がほとんどない。今に残る古い建物は、当時、長州藩の兵士が占領した家ばかり。なので、会津の人にとっては古い建物を見ると複雑な気分になる。
・戊辰戦争時、会津藩側の多数の死者を埋葬する事を禁じられた。それが会津の人々の長州への恨みを深くした原因。当時の戦いでなくなった、浮かばれなかった死者の霊があたりを漂っており、飯盛山はスピリチュアルな方には鬼門。
・会津の幼稚園のお遊戯では白虎隊の悲劇を題材にしたものが多く、その内容には切腹して死ぬ結末のシーンまで含まれている。

オーナーのSさんは各地のゲストハウスも訪ね歩かれたそうで、会津を振興することへも並々ならぬ思いを持っておられました。会津がITに力を入れている事は、2年前の郡山への訪問の際に感じていました。Sさんは会津大のご縁の中で、IT関係への支援も活動の一つに含めているとか。また、一緒に語っていたOさんは、島根からの旅行者で、各地のゲストハウスを巡っているとか。こうしたご縁がその場の空気と料理と酒をおいしくします。

Sさんから伺ったお話で、印象に残った事を書き留めておきました。以下に抜粋してみます。
・みそ汁理論。熱いうちは対流して均一に汁の色が行き渡るが、冷えると一カ所にかたまる。箱物行政はお金があれば無理やり流れを作れるが、お金が尽きれば流れも止まる。誰かが対流を起こし続けなければならない。

実に濃い内容のトークを交え、かなり遅くまで私は皆さんと語らいを楽しみました。

たった一日なのに、もう何日も会津にいたような気がする。そう思わせるほど濃密な一日。お誘いいただいたK.Cさん、運転してくださったK.Hさん、一緒に鎌を振り回したY.Mさん。H.Jさんのおもてなしの数々、ボランティアの学生の皆さん、「酒家 盃爛処」の皆さん、隠れ家のオーナーSさん、旅のご縁で結ばれたOさん、その場で会話を楽しんだ皆さん。感謝の言葉は尽きません。


2018年のまとめ


今年もevernoteで下書きをこしらえ、弊社ページにて一年のまとめを書きます。

総括すると、2018年は公私ともに充実していたと思います。ようやく自分の時間を自在に扱えるようになりつつある。そんな手応えを感じた一年でした。ですが、今の状況に安住する愚は犯してはなりません。そこには痛切な課題も潜んでいます。達成度6割。達成感7割。満足感8割というのが自己採点です。2018年の私および弊社とご縁をいただいたすべての方々に感謝します。ありがとうございました。

公私の「公」

●弊社の業績
§ 総括 目次 今年度は売上だけで考えれば、過去最高の実績を上げられそうです。今期はあと三ヶ月残っていますが、売上見込みも粗利見込みもたっています。何とか黒字も達成できそうです。が、一概に喜ぶわけにはいきません。その売上の中にはSES(システム・エンジニアリング・サービス)契約に属する業務も含んでいるからです。上半期に顧問税理士の先生のもとで今季の収支予測を立てたところ、このままの粗利率と売上では赤字が避けられない、との結果が出ました。そこでSESとは一線を画した営業チャネルを構築しました。その結果、ある程度の成果が得られつつあります。そして弊社リソースでも技術力で複数の案件をこなし、上流工程から関わることで粗利を確保する。今期はそのめどが立ったことが大きいです。ただ、弊社の財務状況が脆弱である事実には変わりありません。今の好況も後もって二年でしょう。そのためには弊社の利益体制も変革することが喫緊です。今、弊社では、来季に向けての体制を構築すべく動いています。

§ 業務パートナー 目次 実は昨年度、業務パートナーを増やし、ある程度の自由と自発に委ねました。それは見事に失敗しました。今年の初頭にもその余波が残っており、弊社に影響を与えました。その反省を痛烈に受け止めました。そして対策を打ちました。
それは、弊社内のリソースで売上を上げつつ、パートナー企業様もごく一部に絞る方策です。ただ、その売上の一部は、上に書いた通り、SES業務によるものです。SESに手を染めると売上は確保できますが粗利は下がります。それはつまり弊社の抱える労力ではなく、外部から調達した労働力を紹介し、仲介料を得る業務だからです。 また、SESは技術者派遣の一種ですからノウハウは技術者にこそたまれど会社のノウハウになりにくい欠点があります。また、SESは一度手に染めると売り上げがたつためそこに頼りがちになります。さらに会社の業務構造がSESに頼ってしまい、抜け出すのが難しくなります。言い方は悪いですがSESとは企業経営にとって麻薬のようなものだと思っています。エンドユーザーが支払う額と、末端の技術者が受け取る差額がどれだけなのか。その差異は暗黙の了解でうやむやになっています。ところが技術者本人の立場からするとそのギャップは大いなる矛盾として身をさいなみます。弊社代表も長らく末端で派遣される側であったため、その矛盾にもがきました。SES業務にそのような矛盾が内包されている以上、将来性も見込めないし、弊社としても粗利は見込めない。ですから弊社としてはSESは最低限に抑えるつもりです。
また、弊社自身が多数の会社から案件の発注先にお選びいただきました。ありがとうございます。その中で開発パートナーとして契約を結んでくださったイノベーション・プラス様とのご縁は来年大きく成果につなげたいと考えております。

§ 開発案件 目次 昨年の反省として、バラエティに富んだ開発案件を請け過ぎました。それを見直すため、携わる作業分野をかなり絞りました。そしてその分、提案にかなり力を注ぎました。それが功を奏し、新規kintone案件が複数受注できました。また、上にも書いたとおり、粗利を増やすため、弊社代表が関わる案件を増やしました。弊社代表の持ち時間は一日24時間しかありません。限られた時間を効率的に使えるような案件に絞る。その取り組みが功を奏した一年でした。
また、人脈作りにも力を入れた事が結果にも返ってきています。今年ご縁のあった方からの大型kintone案件も受けられるようになっています。来年以降の業務にもよいお話をいただけています。弊社代表は今年もkintoneエバンジェリストに継続して任命されており、DevRelJpで教わったTwitter活用で積極的な発信を行わせていただいております。年末にはkintone Advent Calendarに四年続けて参加し、ライフログをkintoneで活かす記事を書きました。
来年、さらにkintoneの案件のニーズは増えるでしょう。それはkintoneのサードパーティ製プラグインの充実を凌駕し、kintone専属エンジニアの仕事を絶やさないはず。引き続きそうした案件の新規受注を増やし、少しでも安定的な案件を増やす。これは必ず達成すべき課題だと思っています。
また、開発案件を絞ったとはいえ、開発に限れば新たな挑戦や勉強にも取り組んでいます。例えばIoT開発の案件。NFCリーダーを活用したプロトタイプアプリを作成してテクニカルショウヨコハマ2018に出展するネタを作りました。MONACA上でビルドし、モバイルアプリとして動かす案件にも二つほど携わりました。他にもnode.jsやPythonも勉強し、PythonフレームワークのDjangoとAWSのEC2やAURORAと組み合わせたソリューションとして結実させています。言語環境や開発環境については日進月歩の業界なので、勉強し続けなければなりません。停滞は許されませんので。

§ 業務基盤の堅牢化 目次 昨年度から取り組んでいるこの課題こそ弊社の一番の悩みです。昨年、個人事業主時代からずるずると続けていた家計と法人の財布の混在を完全に分け、資産表や収支表はきっちり顧問税理士の先生に管理していただいています。が、まだ改善すべき点が多いです。引き続き財務の正常化が弊社の今後を大きく左右すると認識しています。同時に、経営計画や事業計画書の策定にも取り掛かっています。来季は弊社の体制の変革も考えており、より家計と会社の分離を進めて行く予定です。今年はIT導入補助金導入支援事業者にも選定されました。そこで得た信用をより厚くしなければ。

§ 社内体制 目次 弊社の弱点は財務のほかに、私一人が実質的な経営者と作業者を兼ねていることです。ここをどう突破するかが個人事業主と企業経営者の壁でもあります。この壁を破るため、次なる体制構築を秋ごろから構想し始めています。年の瀬からは一部動き始めています。これが来年どう形になり、どう実るか。

§ 2018年度売上見込み 目次 上記の通り、SESの割合が高くなったとはいえ、SES以外の業務でも過去最高の売上のめどは立っています。今のペースを続けられれば、決算でも2017年度の実績より上回れる見込みがつきました。ただ、残り三カ月の努力が重要なのは言うまでもありません。

§ 人脈の構築 目次 今年は登壇も含めて露出および交流を増やそうとしていました。名刺コレクターに堕することなく、有効な人脈の構築に専念する。その結果、重要なステークホルダーの方とのご縁が多々作れました。Facebookを見る時間は一日に5分程度ですが、Twitterでの露出も増やし、焦点を定めた交流を心がけることで有効な営業チャネルがたくさん作れました。それが今年の充実した活動に繋がったと思っています。来年度も今年のノウハウを活かしつつ、引き続き新たなご縁をいただければと思っています。単なる仕事上のつながり、SNS上のみつながりだけでなく双方に良い関係を。ただ、代表個人の時間には限りがあり、お誘いしてもらったイベントの多くに参加できていません。この点は申し訳ないと思っています。

§ 対外活動 目次 2017年度は登壇の機会がほぼありませんでした。それを反省点として、今年は登壇の機会を増やしました。合計4回。まず5月のサイボウズ社にてチーム応援ライセンス開始記念セミナーに。「チーム応援ライセンス開始記念セミナー」「弊社ブログ」「「自治会こそITが必要!!」20種類を比較検討したIT顧問の選択
一番最後のサイボウズ社のブログに掲載のエントリーは、「自治会 IT」で検索すると一番に現れます。実はこのフィールドでも弊社は有利な位置におり、今後もこの有利さを活かした取り組みを考えています。
残り三つの登壇は、全てEBISU Tech Nightというイベントにおいてです。六月、九月、十二月と登壇して参りました。このイベントでは自分の中でも話し方や内容についてよい訓練の機会となりました。機会を与えて下さった運営の方々には感謝しかありません。
もう一つ今年の活動として代表が出身の関西大学の四回生向けに社会人の経験を語るイベント「東京知ル活」にもOBとして参加しました。少々、身もふたもないことを言い過ぎたかもしれませんが。
他にもさまざまなサービスのエバンジェリストの方が集まるDevRelJpに二回参加し、その両方で自己紹介のLTを披露させていただきました。また、cybozu Days 2018の前々日に行われたkintone evaCampでも他社サービスのエバンジェリストの方とご縁をもらい、とてもよい刺激を吸収しました。Cybozu Days 2018に初めて両日とも全て参加したのも今年です。
他にもイベントや勉強会、セミナーなどあれこれと参加させていただきました。「国際ファッションセンター新年会(1/11)」「荒川区ビジネスプランコンテスト(2/16)」「技術者交流会(3/30)」「ワイン&グルメ ジャパン2018(4/11)」「Zoholicsセミナー(4/18)」「IoT分科会(4/20)」「クラウドコンピューティング EXPO(5/10)」「東京知ル活(5/11)」「NPO応援ライセンス開始記念セミナー(5/16)」「AWS Summit Tokyo 2018(6/1)」「BNIバンブーチャプター代理出席(6/5)」「【ハンズオンセミナー】アプリにプッシュ通知を組み込もう!(6/6)」「Prezi Night Tokyo Ⅶ(7/13)」「kintone devCamp (8/2)」「Twilio ビジネスセミナー(8/23)」「kintone Café Tokyo(8/29)」「Smart Communication Award 2018(9/21)」「AWS Loft Tokyo オープニングパーティー(10/1)」「ハロー職1(10/7)」「DevRel Meetup in Tokyo #35 〜ソーシャル〜(10/10)」「墨田区地域クラウド交流会(10/19)」「Cybozu Days 2018(11/7-8)」「kintone Café Japan 2018(11/10)」「プロ向け勉強会 #1「AWSでWordpressを使うときのトラブル回避術<(11/15)」「技術者交流会(11/23)」「徳丸浩のセキュリティセミナー WordPressの運用時に注意するセキュリティについて学ぼう!(11/29)」「定着率・求人応募率アップ!紙芝居で学ぶユニーク会社制度セミナー on Zoom(12/1)」「DevRel Meetup in Tokyo #37 〜忘年自己紹介大会〜(12/5)」
こうした場に参加することは、自分の知見を高めるだけでなく、そこで得たご縁が次の仕事につながるため重要です。あらためて今年はそのことを感じました。ただし、今年の私ができなかったことがあります。それはイベント主催です。幹事すら一度もやっておらず、これはとてもよろしくない。kintone Café 神奈川は何度か開催のご要望ももらっていたのですがタイミングを逸してしまいました。来年は何か主催をせねばならないと思っています。

§ 執筆活動 目次 昨年からCarry Meさんの運用する本音採用でブログ「アクアビット 航海記」の連載がcarry meさんの編集方針と合わず、三月で連載が終わってしまいました。ところがこの連載、思った以上に各方面に読まれております。また、39回で中断した時点で、独立から起業に至る肝心な所は書けていません。これはどこかで発表の場を作りたいと思っています。
本のレビューは104本(相撲の歴史まで)、映画のレビューは8本、観劇のレビューは3本アップできました。また、12月には上に書いた通りkintone Advent Calendarに参加しています。その他の仕事に関したブログは23本。計138本のブログをアップしました。2018年も書くことへの情熱が尽きることなく可能な限り書けた一年となりました。ただし、書いた内容はまとまった形にできていません。来年、何らかの成果として世に問いたいと思っています。

§ 妻のココデンタルクリニック 目次 妻のココデンタルクリニックは、新患さんも増えてはいるようです。が、2018年度は妻自身が別のお仕事に忙殺されてしまい、傍から見ていてもとても診療室経営に専念できているとはいえませんでした。それは、昨年と同じく私の気分を大きく乱しています。残念ながら来年もその状態は続くでしょう。妻には妻の人生があるので、やりたいことはさせてやりたいとは思っているのですが・・・私が患者さんを紹介するなどして、診療所経営に専念させるようにしなければ、と思っています。

§ 年表 目次
 ・1月お仕事
  

自治会のIT化打ち合わせ、両国の国際ファッションセンター入居者の新年会、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・2月お仕事
  

新宿でサイト作成打ち合わせ、横浜のサテライトオフィスで作業×2、テクニカルショウヨコハマ2018、虎ノ門で商談、半蔵門で打ち合わせ、Yahoo LODGEで仕事、ブロックチェーンの開発打ち合わせ、荒川区ビジネスプランコンテスト、となりのkintoneインタビュー、戸塚で司法書士の先生と打ち合わせ、Stockのサービス提供元へ訪問、SYNQAで作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・3月お仕事
  

税務署訪問、堺筋本町で商談、三宮で飲み、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、新宿御苑で打ち合わせ、Mass×Massで商談、妻のパソコン購入、横浜西口で商談、横浜で商談、渋谷で商談、成田空港で商談、横浜薬科大学で商談、戸塚で司法書士の先生と打ち合わせ、パートナー企業の皆さんと飲み、技術者交流会、パートナー企業様と飲み、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・4月お仕事
  

技術者さんと経堂で飲み、太田ふ頭で商談、コワーキングスペース町田で作業×2、中川で商談、ワイン&グルメジャパン2018、旧常駐先で飲み、BitClubセミナー、Zoholicsセミナー、町田法務局訪問、川崎で商談、IoT分科会、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、日本橋で商談、丸の内で商談、IT導入補助金導入支援事業者採択、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・5月お仕事
  

Mass×Massで商談、横浜のサテライトオフィスで作業、クラウドコンピューティングEXPO、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、関西大学東京センターで知る活参加、渋谷で技術者さんたちと飲み、中川で商談、ココデンタルクリニック看板塗り、NPO応援ライセンス開始記念セミナー登壇(サイボウズ社)、西浦和で商談、パートナー企業の皆さんと暑気払い、両国で商談、渋谷で技術者さんと飲み、成田空港で商談、EBISU Tech Nightに参加、明治記念館で脳外科篠浦教授講演会、岩本町でデモ拝見、秋葉原でランチミーティング、SYNQAで作業、丸の内で商談、狛江で商談、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・6月お仕事
  

月島で商談、月島で打ち合わせ、AWS Summit Tokyo 2018、Mass×Massで商談、大阪府立大学同窓会打ち合わせ、BNIバンブーチャプター代理出席、半蔵門で商談、月島で商談、MONACA×ncmbセミナー、鷺沼で商談、渋谷で商談、太田ふ頭で作業、IT導入補助金導入支援事業者向けセミナー、浜町で商談、EBISU Tech Night登壇、荏原で商談、荏原町で打ち合わせ、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、町田市役所訪問、町田税務署訪問、町田市立図書館で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・7月お仕事
  

渋谷で商談、旧常駐先の方と呑み、両国で商談、Mass×Massで商談、お客様と飲み、Prezi Night Tokyo Ⅶ、町田市立中央図書館で作業×2、EBISU Tech Night参加、新羽で商談、両国で商談、和光大学ポプリホール鶴川で作業、センター南で商談、横浜のサテライトオフィスで作業、Mass×Massで商談、井土ヶ谷で訪問、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・8月お仕事
  

kintone devCamp 2018、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、丸の内で作業、丸の内で商談、月島で商談、新羽で商談、青山一丁目で商談、鶴川駅前図書館で作業、丸の内で作業、技術者さんと飲み、丸の内で作業、飯田橋で商談、丸の内で作業、八重洲で商談、二子玉川で商談、丸の内で作業、新宿で商談、飯田橋で商談、Twilioビジネスセミナー Vol.53、外苑前で飲み、警視庁遺失物センター、飯田橋で商談、技術の先輩とサシ飲み、丸の内で作業、渋谷で商談、飯田橋で商談、kintone Café Tokyo vol.7、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・9月お仕事
  

飯田橋で商談、鶴川駅前図書館で作業×2、ときわ台で商談×2、新宿で商談、Mass×Massで商談、東京ガーデンテラス紀尾井町で作業、パスポート申請、立川まんがぱーくで作業、両国で商談、SYNQAで作業×2、Smart Communication Award 2018、EBISU Tech Night、四谷三丁目で商談、丸の内で商談、四谷三丁目で商談、月島へ書類届けに、AWS にてスタートアップフォロー、目黒で商談、上野で商談、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・10月お仕事
  

AWS Loft Tokyoオープニングセミナー&パーティー、浜町で商談、両国で商談、横須賀で商談、ハロー職1観覧、渋谷でDevRelJp、パスポート受け取り、パートナー企業の皆様で飲み、墨田区地域クラウド交流会、曳舟で飲み、渋谷で商談、AWS Loft Tokyoで作業と商談、旧常駐先の方と池袋で飲み、神田で商談、八丁堀で商談、SYNQAで作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・11月お仕事
  

渋谷で商談、パートナー企業で呑み、飯田橋で商談、SYNQAで作業、八丁堀で商談、日本橋で商談、Cybozu Days 2018×2、お客様と幕張メッセで商談、渋谷で商談、kintone Café Japan 2018、青山一丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、新宿で商談、両国で商談、AWS Loft Tokyoで作業、築地でプロ向け勉強会 #1「AWSでWordpressを使うときのトラブル回避術」、日本橋で商談×2、AWS Loft Tokyoで商談と作業、渋谷で商談、技術者交流会、パートナー企業様と飲み、半蔵門で商談、Yahoo LODGEで作業、PaaS研究会、徳丸浩のセキュリティセミナー WordPressの運用時に注意するセキュリティについて学ぼう!」、新宿で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・12月お仕事
  

定着率・求人応募率アップ!紙芝居で学ぶユニーク会社制度セミナー 、八丁堀で打ち合わせ、銀座で作業、有楽町で作業、田町でDevRelJp、日本橋でランチミーティング、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、半蔵門で商談、日本橋で商談、町田市役所で商談、日本橋で商談、EBISU Tech Night、中華街でお客様の皆様と飲み、Mass×Massで商談、AWS Loft Tokyoで作業と打ち合わせ、鶴川で商談、日本橋で作業、目黒で作業と打ち合わせ、大宮で作業、上山で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

公私の「私」

●家族との一年
§ 総括 目次 昨年にもまして、家族で行動する頻度は減りました。それぞれの生活があり、それぞれのタスクがある以上は仕方ありません。ただ、昨年よりはバトルの頻度が減りました。少しずつ大人になってゆく娘たちとの関係に悩みはつきませんが、今年は家族で二度泊りがけの旅行に行きました。それは家族にとってとても大切な時間でした。また、長女も次女も進路を定めなければならない年であり、ともに年内に推薦入学のめどがつきました。また、昨年亡くなった風花に変わり、三月から凛が我が家の家族の一員に加わりました。やんちゃ盛りで日々家族の神経をかき乱しています。

§ 娘たちに何ができたか 目次 今年は二人の娘がともに受験生でした。長女は首尾よくAO推薦をもらい、入試に合格しました。次女も年末に中学校から推薦状をもらうことができました。来年は二人とも専門学校に入学するはずです。娘たちが進路を決めるにあたり、私が意向を押し付けたことはありません。二人とも自分の意志です。具体的に手伝えたことは乏しいですが、新たな道を選ぶにあたっては障害ではなく、助言者としてありたいとの思いは貫けたと思います。これからも娘たちの進む道を示すガイドでありたいと思います。

§ 長女の一年 目次 長女は絵が好きで芸術系の学科に進学しましたが、人間関係など悩みも多く、高校生活に悔いはあるようです。ただ、それでもイラスト系の業界やその仕事への熱意は失いませんでした。イラスト系の専門学校に進むのも本人の意志です。私も新たな学校には見学について行き、娘の意志は確認しました。新たな学校に進学した後、悩み多き高校生活が実は無駄ではなかったことをいつか分かってくれると思います。中学の頃から個人事業主として活動している長女ですが、今も複数の仕事を請けているようです。私ももう少ししたら何かの仕事を振ってやりたいと思っています。長女とサシで出かけることは一、二回しかありませんでした。ただ、妻も含めてのお出かけは何度もしています。その中でも墨田区の職人さんを紹介するネット上の生放送番組「ハロー職1」に連れて行けたことで、メディアや自己表現の何たるかは感じてくれたのではないかと思います。年ごろのため不安定なところもありますが、引き続き長女には期待しています。

§ 次女の一年 目次 チアを諦めてまで中学の吹奏楽部を全うしたかったという次女の思いを尊重した私たち夫婦でしたが、次女は無事に吹奏楽を全うしてくれました。一方で今年は自由に生きたい次女とまだ手元におきたい妻がぶつかった一年でした。そのぶつかりが燃え広がり、何度かバトルに近いいさかいも家族の中に勃発しました。娘を持つことの難しさを感じた一年です。次女には彼氏ができましたが、私はそれを頭ごなしに否定せず、彼氏にも二回会いました。高校に行くには成績が足りない娘が調理師になりたいというので、その意志も尊重しました。そうした進路や生活態度についての話し合いも何度もしました。妥協もしたかもしれません。ただ、愛嬌もあり、人付き合いもうまい次女なので、必ずや道を踏み外さず、人生の旅路で成果を挙げてくれるはずと信じています。もう次女も子供ではないこと。大人になるため巣立とうとしていること。その二つをつくづく思わされた一年です。

§ 家族の一年 目次 そうした不安定な娘たちだった割には、危機感は感じませんでした。むしろ昨年のほうが不穏だった気がします。それは家族そろってお出かけしたことが功を奏したのだと思います。詳しくは書きませんが、それぞれの場所で良い想い出作りができました。特に3月の沖縄旅行と12月の山形旅行。去年は家族で泊まりの旅行に行けなかった分を取り戻すほどの充実した旅でした。今年の3月にわが家に凛が仲間に加わりました。五カ月近くペットショップの住人だったため、七色の癖を持ち、やんちゃでうちの家族を困らせています。可愛いのですが。あと4月の末に二回、私がグレて野宿で一夜を過ごしたことも忘れずに書いておきます。

§ 年表 目次
 ・1月帰省(泊まり)
  白山姫神社初詣神呪寺参拝、香櫨園駅、ホテルヒューイット甲子園ロイヤルホームセンター甲子園バッティングセンター西宮神社
 ・1月お出かけ
  

浅草雷門舟和屋浅草花月堂 馬道店浅草文化観光センター黒田屋本店遊食豚彩 いちにいさん 日比谷店TOHOシネマズ日劇(映画:DESTINY 鎌倉ものがたり)星野珈琲店コーチャンフォー稲城若葉台店、しゃぶ葉町田モディ店、いこいの湯、府中の森芸術劇場伊勢ヶ濱部屋ちゃんこ会伊勢ヶ濱部屋初場所打上式Stella Lounge

 ・2月お出かけ
  

東京宝塚劇場(舞台:ロベスピエール)東京都庁南展望室、籠屋(秋元酒店)、相鉄ムービル(映画:スターウォーズ 最後のジェダイ)、毘沙門天堂、Salad Stop表参道店根津美術館(展覧会:金と墨展)LINKS LondonTokyo Whisky LibraryThe Tokyo Dining 東京ライス、極鶏Bar下北沢、谷中銀座Orso、カポエイラ、八景の棚、相武台下駅、塩川滝、塩川神社、平山橋、とんかつはせ川、青山フラワーマーケット ティーハウス 赤坂Bizタワー店赤坂ACTシアター(舞台:ドクトル・ジバゴ)VILAMOURA 赤坂サカス店ペットフォレスト鶴川店

 ・3月お出かけ
  

はま寿司 町田野津田店、西宮市こうしえん観光案内所、手造り居酒屋 樽八、スーパージャンカラ生田ロード店、どん兵衛、桔梗堂、T先輩宅、汐見橋駅、芦原橋駅、木津川駅、浪速神社、大坂人権博物館(リバティおおさか)、太鼓屋又兵衛屋敷跡、昔勤めたブラック企業跡、個室居酒屋 宴丸 Enmaru 京橋駅前店、金の蔵 京橋北口店、辺川駅、海部駅、宍喰駅、甲浦駅、海の駅東洋町、白浜海水浴場 (白浜海岸)、宍喰海岸、道の駅 宍喰温泉、轟九十九滝、クリアウォーターOSAKA㈱、地鶏と鮮魚 一石二鳥 三宮店、らーめん 熊五郎 三宮西口店、甲子園球場、Bar Harbour Inn、イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:グレーテスト・ショーマン)薬師池公園グリーンウォーク多摩シズラー府中店八景島シーパラダイスココリア多摩センター、公津の杜駅、相州春日神社、羽田空港那覇空港知念岬公園南城市地域物産館せーふぁキッチンアブチラガマひめゆりの塔波照間ボートレースアンテナショップ 沖縄・国際通り Double Deckerぱいかじ 国際通り店ホテルグレイスリー那覇中城PA崎本部緑地公園沖縄美ら海水族館エメラルドビーチcafeティーダVONGO & ANCHOR美浜アメリカンビレッジ、県庁前駅、海の駅 あやはし館アマミチューの墓シルミチュー大泊ビーチ伊計島灯台キングタコス与勝店勝連城跡市場本通り商店街海想 松尾店、古酒家本店、Splash Okinawa 2、Sky Rent a Car、那覇空港羽田空港凛お迎えららぽーと横浜

 ・4月お出かけ
  

相模原麻溝公園、八王子駅前ビルステーキのあさくま八王子打越店イオンシネマ多摩センター(映画:グレーテスト・ショーマン)、大森貝塚跡、うどん開都大地沢青少年センター草戸山境川源流町田あいす工房ラッテ小陽生煎饅頭屋 (生煎馒头屋)、アジアンフード バー バグース、井の頭恩賜公園、Bar 羽月、シズラー府中店柏屋LATTE GRAPHIC、BrewDog Roppongi、富士の国 やまなし館、玉川学園ゴスペルカフェ、稲毛神社、川崎堀之内ソープランド街、港町駅、六郷橋、川崎市観光案内所、薬師池公園、民権の森、野津田神社、小樽食堂町田広袴店、喰違見附、T.G.I.Friday’s 町田店、野宿、博多もつ鍋 やまや、野宿、レッドロブスター 多摩境店寄居PA駅前児童公園道の駅 くらぶち小栗の里、織田氏七代の墓、雄川堰、こんにゃくパークハイウェイオアシス ららん藤岡 (道の駅 ららん藤岡)寄居PA (上り・寄居 星の王子さまPA)みはらし広場クリスタルサウンドみつや水晶宝石博物館仙娥滝昇仙峡森カフェ山梨ワイン王国大滝仙娥滝初狩PA (上り)峠の茶屋

 ・5月お出かけ
  

玉ちゃん亭、BAR CROW、赤坂区民ホール天馬 カレー&カレーパン 青山店府中の森芸術劇場シズラー 府中店、等々力陸上競技場、生田緑地、枡形山、枡形城、戸隠不動跡、尾崎咢堂記念館、エビラ沢の滝、薄野 中村屋、江戸城大手門、薬師池公園 蓮園、ららぽーと横浜琴平神社本殿、Craft Beer Moon Light 本店、多摩川五本松、新橋演舞場(舞台:蘭 緒方洪庵 浪華の事件帳)やさいの王様、沼久保駅、富士山本宮浅間大社、湧玉池、神田川、富士高砂酒造、白糸の滝、音止の滝、富士宮やきそば 平石屋、朝霧高原、本栖湖、道の駅 しもべ、甲斐常葉駅、身延駅、横網町公園、第1ターミナル 展望デッキ、大佐倉駅、将門口ノ宮神社、東光寺ビョウ、本佐倉城跡、明治記念館、フレッシュネスバーガー 曙橋店、長女学校見学、新宿御苑、世界堂 新宿本店、富士フォトギャラリー銀座、三省堂書店 有楽町店、KITTE

 ・6月お出かけ
  

東京国際フォーラム(コンサート:The Show Stopper)、上毛高原駅、鳩待峠行バス連絡所、鳩待峠、尾瀬国立公園、つり橋、尾瀬山荘、尾瀬沼、三平峠、ヌル沢奥の滝、上毛高原駅、啓文堂書店 渋谷店、めし屋 奈良間、ブックファースト 新宿店、赤坂 紫月、MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店、次女の中学校運動会町田東急ツインズ、沢谷戸自然公園、油そばの店 蜻蛉、ここ滋賀、日本橋 長崎館、沖縄物産店 銀座 わしたショップ、小樽食堂 町田広袴店、亜細亜食堂 リバーサイゴン (SAIGON)、成田山 新勝寺成田山 大本堂成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)成田山 三重塔、二宮尊徳翁開眼の地、成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)成田山 釈迦堂成田山 額堂成田山 光明堂成田山公園、雄飛の滝、成田山 総門、長命泉、成田参道 房の駅川豊酒々井PA (上り)、多摩川決壊の碑、麺屋 大申、甘酒横丁、薬師池公園、荏原町駅、旗岡八幡神社、shango、麺匠なべすけ 本店、地ビール厨房 COPA 町田店、BACKPACKER’S CAFE 旅人食堂 町田屋台店、まちの駅 ぽっぽ町田、薬師池公園

 ・7月お出かけ
  

イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:ハン・ソロ ストーリー)、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、薬師池公園、MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店、とんかつはせ川、薬師池公園 蓮園、雑司ヶ谷 鬼子母神 (鬼子母神堂)、Pasar幕張 幕張PA (下り)、酒々井PA (下り)、大栄PA (下り)、佐原PA (下り)、鹿島神宮大鳥居、鹿島神宮 楼門、カシマサッカースタジアム、ちゃあしゅう屋 鹿嶋店、鹿島神宮駅、剣聖 塚原卜伝生誕之地 プレート、鉾田駅、新鉾田駅、北浦湖畔駅、鹿島灘駅、鹿島大野駅、長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅、大野潮騒はまなす公園、荒野台駅、塚原卜伝の墓、塚原卜伝像、鹿島神宮大鳥居、鹿島神宮 楼門、鹿島神宮 拝殿・本殿・御神木、鹿島神宮奥参道、鹿島神宮 境内鹿園、鹿島神宮 奥宮、鹿島神宮 要石、鎌足神社、根本寺、鹿島城山公園、鹿島アントラーズ クラブハウス、カシマサッカーミュージアム、カシマサッカースタジアム、鹿嶋サッカースタジアム駅、鹿嶋灯台、延方駅、ばんどう太郎 神栖店、大栄PA (上り)、帝国ホテル 東京、谷際屋製麺工場、玉川学園ゴスペルカフェ、まちの駅 ぽっぽ町田、イングリッシュパブ トラファルガー、本間橋、小林商店、鳥居原園地、早戸大滝アタック、東京ミッドタウン日比谷日比谷シャンテラ ブティック ゲラン銀座 三徳堂boulangerie Bonheur、町田市民文学館ことばらんど(展覧会:舘野鴻原画展)、町田市立陸上競技場 ホーム側ゴール裏、NTTドコモ歴史展示スクエア、両国 江戸NOREN、びっくりドンキー 光が丘店、矢まと、雲林坊 秋葉原店、明治記念館、山高神代ザクラ、北精進ヶ滝、一の滝、二の滝、道の駅 はくしゅうサントリー白州蒸溜所BAR白州八ヶ岳PA (上り)石川PA (上り)、北海道らーめん 楓 横浜西口店

 ・8月お出かけ
  

横濱家系ラーメン 大岡家、鯛塩そば 灯花、かのん、府中の森芸術劇場 どりーむホールシズラー府中店武蔵府中郵便局、阪神甲子園球場、甲子園歴史館、六人部PA (下り)、由良川PA、宮村駅、金引の滝、天橋立駅、松和物産、天橋立駅前郵便局、天橋立ビューランド リフト・モノレール、飛龍観回廊、KITTE、伊織 / シン・エヒメ、大阪百貨店、KITTE、豚骨らーめん ぼっけもん、幸楽苑 町田木曽店ゆめみ処 おふろの王様 町田店、古書 高原書店、町田市民ホール、ステーキ宮 町田木曽店、spice bistro、海旬処 魚華青銅の鳥居江の島瑞心門江の島エスカー 2区KUA`AINA 片瀬江ノ島店横浜・八景島シーパラダイスシーフードとカレー料理 パーマーストン Palmestonアメリアショッピングセンターららぽーと横浜TOHOシネマズららぽーと横浜(映画:ミッション・インポッシブル Fall Out)富士屋ホテルピコット ロビー店箱根ガラスの森美術館ラ・カンツォーネ、千条の滝、ららぽーと海老名、有隣堂、ハングリータイガー、鎮魂の碑、京橋エドグラン、麺屋 みちしるべ、EXPASA足柄 下り三島スカイウォークスカイウォークコーヒースカイウォークコーヒー山中城跡伊豆フルーツパーク御殿場プレミアム・アウトレットbodum (ボダム) 御殿場プレミアムアウトレット店、和田倉噴水公園、皇居前広場、二重橋、安具楽、東京ドーム、野球殿堂博物館、オークスブックセンター、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、玉川学園ゴスペルカフェ、HUB 外苑前店、東部湯の丸SA (下り)、祢津小学校、袮津城山、草笛 上田店、砥石・米山城址櫓門口登山道、砥石城跡、桝形城跡、米山城跡、千古温泉、千古の滝、ハイウェイオアシス ららん藤岡 (道の駅 ららん藤岡)、高坂SA (上り) レストラン、道なか食堂 げんき、CINAGRO、俺流塩らーめん 神楽坂店、安全寺

 ・9月お出かけ
  

東京ステーションギャラリー東京ステーションホテルカメリアKITTE東京国際フォーラムShake Shack蕎麦 AKEBONOYA東京ミッドタウン日比谷boulangerie Bonheur、上等カレー 飯田橋店、筑土八幡神社、神楽坂、板橋天祖神社、ときわ台駅、ジュンク堂書店 池袋本店、小樽食堂 町田広袴店ヨドバシカメラ マルチメディア町田、中華ダイニング貫 (KAN)、町田パリオ(まさるや2018仲秋 日本酒呑んでる会 in 町田)、BOOKOFF SUPER BAZAAR 町田中央通り (本・ソフト館)、創作和食 あおき、福富町パラダイス、草月、syarumu、Hot Spoon 西新宿店、東京都旅券課 (新宿パスポートセンター)、イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:ボルグ&マッケンロー)、らーめん 立川や、立川市子ども未来センター、立川まんがぱーく、東京都パスポートセンター 立川分室、オリオン書房、立川市中央図書館、丸善 多摩センター店、蕎肆 穂乃香、隅田川テラス、蔵前橋、駒形橋、株式会社バンダイ 本社、駒形堂、まるごと北海道 雷門物産本舗、雷門、小樽食堂 町田広袴店、片倉つどいの森公園、長女の高校文化祭、赤城高原SA (下り)、道の駅 白沢、十二坐神社、吹割渓谷遊歩道、吹割の滝 第三観瀑台、吹割の滝 第一観瀑台、浮島橋、浮島観世音、日本の滝百選 25『吹割の滝』、鱒飛の滝、滝の駅、沼田市観光案内所、沼田城天守跡、沼田城、利根英霊殿、真田信之.小松姫像、沼田公園 鐘楼、沼田公園の御殿桜、道の駅 みなかみ水紀行館、土合駅、赤城高原SA (上り)、駒寄PA (上り)、石川PA (上り)、四条富小路 麺屋虎杖、丘のまち美瑛、帝国ホテル 東京、珈琲茶館 集 有楽町アネックス店、東京大神宮、Hop-Scotch Craft Beer & Whiskey、ビッグボーイ 黒川店、Tokyo Rice Wine 新百合ヶ丘店、アリオ橋本、水の苑地(県立津久井湖城山公園)、津久井湖記念館、伏馬田城趾、花の苑地(県立津久井湖城山公園)、道の駅 どうし、三島由紀夫文学館、山中湖 文学の森公園、徳富蘇峰記念館、郷土料理 和十郎、忍野村観光案内所、菖蒲池、湧池、銚子池、お釜池、河口湖駅、金鳥居市民公園、道の駅 富士吉田、鐘山の滝、リカーズハセガワ 北口店、晴海郵便局、晴海埠頭、味噌一 三軒茶屋店、上野恩賜公園、西郷隆盛像、誹風柳多留発祥の地、不忍池、東京ディズニーランド

 ・10月お出かけ
  

ずんどう屋 目黒店、大横川親水公園、世界のビール博物館、KUA`AINA、薬師池、久里浜駅、桂寿味、次女の進路先の見学会The Tokyo Dining 東京ライスニッカ ブレンダーズ・バーラウンジ春秋館東京タワー国際ファッションセンターアゼリア 第一ホテル両国両国江戸NORENの土俵、上河内SA (下り)、道の駅 猪苗代、denen cafe、農業体験、富士の湯、空き家てらす 隠れ家、酒家 盃爛処、空山neo、太郎焼総本舗、鶴ヶ城、道の駅 ばんだい 徳一の里きらり、友部SA (上り)、表参道駅、シャングリ・ラ ホテル東京、昭島市役所、エピソードカフェ東京交通会館いしかわ百万石物語 江戸本店Yellow Korner Photography – Art – Limited editionQ CAFE by Royal Garden Cafe湘南平霧降りの滝アリオ橋本Honolulu Coffee、ACADEMIA くまざわ書店、Bull Pulu、世田谷文学館、蘆花恒春園 (蘆花公園)、祖師谷商店街 (ウルトラマン商店街)、駒寄PA (下り)、津久田駅、棚下不動滝、長井坂城跡、永井箱根神社、奥利根うどん本舗、名胡桃城址、ささ郭、後閑駅、道の駅 よしおか温泉、かもすや酒店、ジュンク堂書店 池袋本店、清龍 南池袋店、くさやバー、Craft Beer Market 神田店、広島ブランドショップ TAU、パルテノン多摩SUBWAY 多摩センター店丸善 多摩センター店、Coeur & Heart、コーチャンフォー 若葉台店、羽田空港国際線ターミナル成田空港 第2ターミナルバニラエア チェックインカウンター台湾桃園国際空港 (TPE) (臺灣桃園國際機場)Immigration (護照?驗)National Theater (國家戲劇院)、凱達大飯店 Caesar Metro Taipei、MRT 龍山寺駅 (捷運龍山寺站)、MRT Taipei Main Station (捷運台北車站)、TRA 台北駅 (臺鐵台北車站)、Keelung City (基隆市 Keelung City)、TRA Keelung Station (臺鐵基隆車站 TRA Keelung Station)、基隆西岸旅客碼頭、基隆海洋廣場 Keelung Maritime Plaza、TRA Keelung Station (臺鐵基隆車站 TRA Keelung Station)、台北市 (臺北市)、THSR 台北駅 (高鐵台北站)Q Square (京站時尚廣場)饗食天堂Eslite Bookstore (誠品書店 台北捷運店)MRT Taipei Main Station (捷運台北車站)MRT 龍山寺駅 (捷運龍山寺站)凱達大飯店 Caesar Metro Taipei龍山寺スターバックス (STARBUCKS)臺北市立大學校本部 University of Taipei Main CampusMRT 中正紀念堂駅 (捷運中正紀念堂站)Liberty Square (自由廣場)National Theater (國家戲劇院)中正紀念堂National Concert Hall (國家音樂廳)TRA Wanhua Station (臺鐵萬華車站)TRA 台北駅 (臺鐵台北車站)Taoyuan Metro Taipei Main Station (A1) (桃園機場捷運台北車站)Taoyuan Airport MRT (A12) Airport Terminal 1 Station (桃園機場捷運 A12 機場第一航廈站)Terminal 1 (臺灣桃園國際機場第一航廈)台湾桃園国際空港 (TPE) (臺灣桃園國際機場)Gate B2成田国際空港 (NRT)成田空港 第3ターミナルCafe&Dining N’s court

 ・11月お出かけ
  

麺の坊 砦、駒場公園、旧前田家本邸、籠屋(秋元酒店)、薬師池公園、リカーポート 蔵家、町田市 大賀藕絲館、町田リサイクル文化センター、小山田神社、舎鈴 飯田橋駅前店、ハタフラワー、梅の花 町田店、せんや、新宿みやざき館 KONNE、餃子会館 磐梯山 両国店、とり家 ゑび寿 両国店、駒八 目黒さんまセンター、六本木ヒルズアリーナ、TOHOシネマズ 六本木ヒルズ(映画:ボヘミアン・ラプソディ)、鎌倉パスタ、鶴ヶ峰駅 (SO09)、鎧橋跡、鎧の渡し緑道、首塚 (畠山重忠公)、畠山重忠古戦場跡、畠山重忠古戦場跡、六ツ塚、すずり石水跡、鶴ヶ峰神社、駕籠塚、得得 横浜鶴ヶ峰店、驚神社、和菓子紀文堂、四季芸術センター、麺屋 一寸星、你好 ニイハオ 渋谷店、オールドヒッコリー 町田境川、やきとり居酒屋 山家 本店、次女の進路先、ベルサール高田馬場、はつ花そば 本店、酒岳堂 井島商店、はこね 和菓子 菜の花酒岳堂 井島商店、箱根観光物産館、鈴廣のかまぼこみつき DELI&CAFé TERRACEベーカリー&デリカテッセン 箱根カフェ箱根の市、麺屋すみす、神宮外苑いちょう並木、多摩丘陵パノラマの丘、防人見返りの峠 展望台、コーチャンフォー 若葉台店、東京都庁 第一本庁舎、ブックファースト 新宿店、技術者友人宅

 ・12月お出かけ
  

自然食バイキング はーべすとヨドバシカメラ マルチメディア町田町田マルイ、薬師池、Cut Let Me、築地本願寺、マルイアネックス イベントスペース、讃岐うどん かいと、野津田神社、民権の森、七国山 鎌倉街道の碑、七国山、野津田薬師堂、よみうりランド、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、極鶏Bar 下北沢店、エリックサウス、麺 TOKITA、警察博物館、香川・愛媛せとうち旬彩館、春水堂ラフォーレ原宿FURFUR東郷神社コロンバン原宿本店、麺屋三男坊、中澤酒造株式会社、麺屋 海神、慶華飯店、横浜赤レンガ倉庫、JICA横浜国際センター、信濃屋 目黒店、酒舗 まさるや、すし屋 銀蔵 鶴川店まちの駅 ぽっぽ町田ぐりーんうぉーく多摩、きさらぎ、Classy’s Bar、暖暮 川崎仲見世通店、麺や維新、自転車文化センター、JR 東北新幹線 大宮駅山形新幹線 かみのやま温泉駅かみのやま温泉観光案内所上山十日町郵便局上山城菓子司 十五屋本店上山市役所葉山館、わくわくコマレオ 上山店、春雨庵、葉山館かみのやま温泉観光案内所山形新幹線 かみのやま温泉駅楢下宿 丹野こんにゃく番所HATAKE CafeHATAKE Cafe トマト上山店ファーマーズマーケットトマト 上山店、愛染神社、齋藤茂吉記念館、上山旭町郵便局、ぐっと山形 (山形県観光物産会館)、上山城、菓子司 十五屋本店かみのやま温泉駅JR 東北新幹線 大宮駅、鴨川、六道珍皇寺、京都霊山護國神社、パール博士顕彰碑、桂小五郎・幾松墓所、坂本龍馬の墓、幕末維新ミュージアム霊山歴史館、御陵衛士屯所跡、八坂神社、知恩院 三門、青蓮院門跡、岡崎・市電コンシェルジュ、岡崎別院(親鸞聖人岡崎草庵跡)、光雲寺、哲学の道、法然院、慈照寺 (銀閣寺)、まつばや、哲学の道、京都大学

§ 家族のお出かけ 目次 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。「浅草(1月)」や「沖縄(3月)」「相模原麻溝公園(4月)」「こんにゃくパーク(4月)」「赤坂(5月)」「八景島(8月)」「箱根(8月)」「三島(8月)」「東京ディズニーランド(9月)」「山形(12月)」。満足できる一年になったと思います。来年もどこかに出かけようと考えています。

§ 妻とのお出かけ 目次 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。なんかかんだといって、結構節目節目には二人で過ごせているようです。今年は臺灣を一緒に訪れたのが思い出深いです。いくつかBarにも訪れたり、八景島シーパラダイスにも二人で行きました。あとは音楽と舞台と映画でしょうか。一緒にいくつも観て体験していますね。夫婦ともにこれだけ忙しくても、時間をやりくりしてこれだけ出来ていれば、来年もやれそうな気がします。

§ 娘たちとのお出かけ 目次 娘たちと3人で出かけたのは、上の年表で緑字に太字にしているイベントです。一緒にご飯を食いに行くぐらいしかいけませんでした。娘たちもそれぞれ友達と出かけたり家にこもったり。特に次女は明らかについてこなくなりました。彼氏や友達との時間を優先する年ごろになった。そういうことです。私としてはワンパターンなお出かけよりも、経験でめずらしい経験をさせてやりたい、と思うのですが、私の時間もなくなっており、近所であればもはやそういう経験はさせてあげられません。ですが、来年も断られることを覚悟で、誘ってみようと思います。

§ 妻とどちらか娘とのお出かけ 目次 妻とどちらかの娘の3人で出かけたのは、上の年表で水色地に太字にしているイベントです。長女は比較的よくついてきました。が、逆に次女だけが付いてくることはほとんどありませんでした。

§ 長女とのお出かけ 目次 僅かではありましたが、いくつか訪れています。そのうち一つは長女の高校の文化祭に私一人で出かけることになり、しばらく長女と行動を共にしました。年ごろのためか潔癖感が増していますが、私に対しての棘は峠を越した気がします。私がそう思っているだけかもしれませんが。

§ 次女とのお出かけ 目次 部活に忙しく、なかなか一緒にはいかれませんでしたが、それでもいくつかの場所を父娘二人で訪れています。そのうち一つは二人で回転すしを訪れて大いに語りました。次女は親あしらいがうまいので、時間さえあえば来年もついて来てくれそうです。

●私自身の一年(交友関係)
§ 関西の交流関係 目次 今年は、3月にまとまった日程をとって帰りました。四泊五日の日程でしたが、高校の友人たちと、大学の友人たちと飲み遊び、一昨年からご縁を結んだ方々とも飲み、打ち合わせも挟み。私が苦しんでいた時期に知り合った師匠と梅田のバーで呑み、今までFacebookだけのつながりだった方ともお会いし。かなり濃密な時間を過ごしました。ありがとうございました。
7月には中学の頃からの友人が上京し、共に呑みました。その場でイカ釣りに誘われ、8/6にはそのために帰りました。が、高波でイカ釣りが中止となり、再計画した日も友人が仕事で断念しました。これはぜひ来年やりたいと思っています。年末になって年賀状を書きながら、SNSをやっていない友人たちとのご縁をまた復活させたいと思いました。

§ YKGの交流 目次 今年もまた、鉄道や城巡りといった旅を愛する友人二人と、砥石城を中心に武田氏に関する城巡りを行いました。さらに畠山重忠に関する史跡めぐりも行いました。来年、またともに旅ができればうれしいです。

§ 一年の交流 目次 今年は、前半は3月の関西以外は低調でした。が、ゴールデンウィークのサッカー観戦から、関西大学での知ル活など、徐々に交流を活発にしました。一つ目のピークは6月に10数人のパーティーで訪れた一泊の尾瀬旅行です。仕事でもほうぼうに一人で飛び込んで行き、徐々に外交的な自分を取り戻していきました。下に書く酒関係のイベントでは様々な方と楽しい時間を過ごしました。パクチー三昧の時間を過ごしたこともうれしい。魂友とは三回会い、そのうち一度はご自宅でお母さまともお会いしました。どれもが今年の特筆すべきイベントです。また、会津への旅は今年の5本の指に入る素晴らしい旅でした。見ず知らずの方々と民泊で出会い、話に花を咲かせる。その素晴らしい経験は、人生万歳と言いたくなるほど。また、年末にはいのしし鍋のイベントにもお誘いをいただき、絶品の鍋を囲んで楽しい時間を過ごしました。他にも書いていませんが色々なイベントにお誘い頂きました。ありがとうございました。

§ 地元の交流 目次 一方、今住んでいる地元の友人との時間はほとんどとれませんでした。ですが、昨年末から参加しているゆるいランチの会には二度参加しています。仕事を抜きにした語らいの場としてとても重宝しています。下半期は私が忙しくて伺えなかったのですが、代わりに妻が何度も参加させてもらっています。私も来年は参加したい。あと、自治会には仕事でかなり携わりました。来年もそうしたご縁を活かしていきたいです。最後に、年の瀬になって娘たちが学童でお世話になっていた指導員の先生の訃報が入ってきました。まだ若いのに残念でなりません。いい人ほど早く世を去っていく。

●私自身の一年(文化活動)
§ 読書・観劇レビュー 目次 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2017年に読んだ104冊分となりました。レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ただ、仕事を優先する関係上、どうしてもアップは後回しになっています。それでも読んでからアップするまでの日数を10カ月に縮めました。この期間を質を落とさずにさらに早めるのが去年に引き続いての課題です。舞台観劇と映画鑑賞のレビューについては、遅れずに書けているのですが。書くという行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けていくつもりです。

§ 今年の読書 目次 読書については、今年は94冊読みました。また、ジャンルを問わずの乱読傾向は相変わらずです。94冊についてそれぞれに思い入れは深く、その中のベストを選ぶといったおこがましいことはしません。ですが、今年は年末になってようやく坂の上の雲全巻を読み通せました。また、今年は三人の文人の展示会を訪問しました。「三島由紀夫博物館」「徳富蘇峰記念館」「世田谷文学館(筒井康隆展)」どれもがとても刺激になりました。

§ 今年の映画 目次 映画鑑賞については、今年は8本観劇しました。
DESTINY 鎌倉ものがたり」「スター・ウォーズ/最後のジェダイ 」「The Greatest Showman」「The Greatest Showman」「ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー」「ミッション:インポッシブル フォールアウト」「ボルグ / マッケンロー 氷の男と炎の男」「ボヘミアン・ラプソディー」。
観たかったのに見れなかった映画もたくさんあります。ですが、私の持ち時間の少なさからみて、よく見たほうだと思います。今年は大河ドラマの「西郷どん」を妻が観たいというので一緒に観ていましたが、やはりというか、ほとんどの回を見逃してしまっています。

§ 今年の舞台 目次 舞台については、今年度は3本の鑑賞でした。詳細は当ページの「目下の舞台鑑賞」を観てもらえればと思います。3本いずれも素晴らしい内容でした。ただ、私の中で宝塚歌劇の運営方針に重大な不満があり、妻には「見たくない」と言ったことを実践。下半期は観劇していません。その一方で、劇団四季を創立した浅利慶太氏が亡くなられました。かつて劇団四季に勤めていた友人の山下さんにお誘いいただき、浅利慶太お別れの会に参列しました(9/18)。そこで配布された故人の演劇論や略歴が書かれたパンフレットを読み、改めて浅利慶太氏と劇団四季に興味を持ち、その後すぐに「劇団四季と浅利慶太」も読みました。そして四季と宝塚との運営方針の違いを感じました。私は四季の方を支持したい。とはいえ、来年は観劇や寄席も観たいと思っています。

§ 今年の音楽 目次 昨年は何回もコンサートに行きましたが、今年は6月に東京国際フォーラムで観た「The Show Stopper」だけ。次女が中学で吹奏楽部を全うし、三年間で賞は一度も取れなかったけれど、何かをまっとうしてくれたのは良い思い出です。次女の発表会や演奏会、合唱コンクールは何度か訪れたので音楽体験は得られたと思います。長女が入っている高校の吹奏楽部は全国屈指の実力を持っていることから、長女と次女を連れて府中の芸術の森に定期演奏会を聴きに行きました。カラオケは二回。3月に友人たちと三宮で、11月には秘密基地で大いに歌いました。また、初夏の一日だけ、ウクレレを引っ張り出して爪弾いたりもしました、が続かず。

§ 今年の美術 目次 美術については、昨年と同じく今年もさっぱりでした。でも、長女の学外展や文化祭などデザインや美術には触れる機会が多数ありました。また、娘の進学先が美術デザイン系の専門学校に決まり、その学校見学にも訪れました(5月)。またその学校の校長先生のスコットランドの写真展にも訪れ、旅の乾きを潤しました(10月)。また富士フォトギャラリー銀座での写真展にもお招きされ、山の写真に見ほれました(5月)。舘野鴻の原画展(7月)では昆虫の精密画にも惹かれました。また、2月に妻と訪れた根津美術館の「墨と金展」は良かった。最近書の世界に関心を持っており、新宿の世界堂で水で書道ができるセット一式を買い(5月)、弊社の毎月のまとめの画像を書いた暦で表していました。筆がダメになったので霜月、師走が書けませんでしたが。

§ 今年のスポーツ 目次 スポーツについては、正直なところ全く低調でした。スキーもソフトボールもテニスもマラソンもやらず。それは2月ごろから腰痛に悩まされていたからです。ただ、アウトドアが皆無だったかというとそうでもなく。特に六月に訪れた一泊二日の尾瀬の旅は今年のハイライトの一つです。十数人のパーティーの一員としてみた至仏山と燧ケ岳、尾瀬沼の朝から夜までの景色は素晴らしかった。アウトドアを満喫しました。ただ、見るだけで日本百名山登頂ができなかったのは無念です。妻子と町田市最高峰の草戸山は登頂しました。また、滝はたくさん巡りました。それらはスポーツといえそうです。早戸大滝に行こうとしてあわや遭難しかけたり。
ただ、今年はソチオリンピックがあり、ロシアW杯があり、卓球選手たちの活躍やテニスの大坂、錦織両選手の活躍など、観戦しているだけで満足の一年でした。大リーグの大谷選手の大活躍も忘れられません。イチロー選手がついに選手登録から外れたという残念な出来事もありました。スポーツ観戦は今年は三度。五月に等々力スタジアムで多摩川ダービー「川崎フロンターレ VS 東京FC」を数人で観戦し、八月に町田陸上競技場でFC町田ゼルビアvs京都パープルサンガの試合を観戦しました。三月には甲子園球場で阪神vsDeNaのオープン戦を父と。夏の甲子園も初日の第四試合を場外で聞きました。なお、弊社が町田FCゼルビアのサポーターになったのも今年です。あと、次女がたまに習いにいっているカポエイラのレッスンに一度ついていき、赤坂でのCapoeira Batieque Japaoの興奮を目撃。長女が立派にバレエの発表会を勤め上げたのも良い思い出です。最後に忘れてはならないのは伊勢ヶ濱部屋とのご縁です。後援会会長とご縁があり、ちゃんこ会や初場所打ち上げ式に御呼ばれしました。相撲観戦はしていませんが、これも立派な相撲文化の吸収でしょう。

§ 今年の滝 目次 今年は日本の滝百選の滝を8カ所訪れる目標を立てていました。結果、再訪を含めると7か所を訪れる事ができました。「轟九十九滝」「仙娥滝」「白糸の滝」「北精進ヶ滝」「金引の滝」「吹割の滝」「棚下不動滝」。どれもが百選にふさわしい名瀑です。もちろん、それ以外の滝でも印象に残る滝はたくさんありました。以下は今年訪れた滝です。「塩川滝(2/18)」「轟九十九滝(3/4)」「轟本滝(3/4)」「二重の滝(3/4)」「横見の滝(3/4)」「舟形滝(3/4)」「丸渕滝(3/4)」「鳥返しの滝(3/4)」「鍋割りの滝(3/4)」「仙娥滝(4/30)」「大滝(4/30)」「仙娥滝(4/30)」「エビラ沢の滝(5/6)」「白糸の滝(5/20)」「音止の滝(5/20)」「ヌル沢奥の滝(6/3)」「雄飛の滝(6/17)」「一の滝(魚止めの滝)(7/29)」「二の滝(初見の滝)(7/29)」「北精進ヶ滝(7/29)」「金引の滝(8/6)」「臥龍の滝(8/6)」「白滝(8/6)」「千条の滝(8/15)」「千古の滝(8/25)」「吹割の滝 第一観瀑台(9/16)」「鱒飛の滝(9/16)」「鐘山の滝(9/24)」「霧降りの滝(10/14)」「棚下不動滝(10/21)」。また、今年の滝巡りで忘れてはならないのが、早戸大滝にアタックした時の経験です。路肩の土盛りに車を乗り上げ、横に停まっていた車の方々に里まで送ってもらい、数時間JAFを待ち、JAFの方に復旧していただいた後、夕方近くになってから一人でアタックしたところ、滝を目前にして腰痛でダウンし、帰り道は夕立に遭い、増水した川で帰り路を見失いかけ、あわや遭難するところでした。

§ 今年の旅行 目次 今年は、今までの人生でも納得できる旅行ができました。家族で沖縄(3月)、山形上山(12月)に訪れ、海のきれいさと雪の美しさを味わいました。夫婦で臺灣(10月)に訪れたのは、私にとって十数年ぶりの海外、23年ぶりの臺灣ということがあって思い出も深いです。昨年一人で訪れた沖縄では16,7ぶりにお会いした方と、今回は双方の家族総出でお会いしました。奥様とは17,8年ぶりの再会。また、10数人のパーティーで訪れた尾瀬(6月)は景色が素晴らしく、朝昼夜で多彩な景色を見せてくれる自然のすばらしさに感動しました。あと四人で訪れた会津旅行も会津の方々にたくさん出会え、会津の方々の郷土愛に感動しました。無農薬栽培のお手伝いを通して、どれだけ無農薬が大変で、どれだけ産物が美味しいかについても知見をいただきました。この旅行では島根の方とも知り合えたのが、旅人同士の縁の嬉しさを感じた人時でした。一人でも鹿嶋に車中泊で向かい、鹿嶋神宮やアントラーズ、塚原卜伝関連の地を訪れ、旅を満喫しました。皆様ありがとうございました。

§ 今年の駅鉄 目次 趣味の駅巡りは36駅。昨年の倍以上に行きました。「香櫨園駅(1/1)」「相武台下駅(2/18)」「芦原町駅(3/3)」「木津川駅(3/3)」「辺川駅(3/4)」「海部駅(3/4)」「宍喰駅(3/4)」「甲浦駅(3/4)」「公津の杜駅(3/20)」「県庁前駅(3/28)」「中川駅(4/10)」「沼久保駅(5/20)」「甲斐常葉駅(5/20)」「身延駅(5/20)」「大佐倉駅(5/24)」「荏原町駅(6/27)」「鬼子母神前停留場(7/13)」「鉾田駅(7/15)」「北浦湖畔駅(7/15)」「鹿島灘駅(7/15)」「鹿島大野駅(7/15)」「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅(7/15)」「荒野台駅(7/15)」「鹿嶋サッカースタジアム駅(7/15)」「延方駅(7/15)」「宮村駅(8/6)」「天橋立駅(8/6)」「ときわ台駅(9/6)」「土合駅(9/16)」「河口湖駅(9/24)」「久里浜駅(10/5)」「津久田駅(10/21)」「後閑駅(10/21)」「基隆駅(10/28)」「新松田駅(12/18)」「かみのやま温泉駅(12/27)」。それぞれに周囲の光景と共に興味深い駅たちでした。ただ、これらの駅で撮った写真をまとめてブログにアップするにはまだ時間がかかりそうです。

§ 今年の酒楽 目次 今年は私の酒履歴に欠かせない一年となりました。
まずは日本酒。今年は日本酒の魅力の深さを知った一年です。それは六月に尾瀬を一緒に旅した小宮さんとのご縁からつながりました。小宮さんのお陰で日本酒の奥深い世界を教えていただきました。「まさるや2018仲秋 日本酒呑んでる会in町田(9月)」「Tokyo Rice Wine 日本酒の会(9月)」「酒家 盃爛処(10月)」「かもすや酒店(10月)新政呑みくらべ」「中澤酒造株式会社(12月)」。感謝です。あとパートナー企業の社長様が日本酒に詳しく、今年は5回ほどご一緒に盃を傾けました。私がちょくちょく日本酒を買って帰るものだから、妻が年末の山形旅行でお酒を買ってくれました。なかなかの美酒のようで楽しみです。今年訪れた酒蔵は二カ所。「富士高砂酒造(5/20)」「中澤酒造(12/18)」。来年もほうぼうを訪れる予感がします。
続いてウイスキー。妻がウイスキー好きになってくれたので、今年は二人+αでいくつかお店を巡りました。「Tokyo Whisky Library(2月)」「ニッカ ブレンダーズ バー(10月)」「スコットランド写真展(10月)」。真ん中のは別のご夫婦とも一緒に伺い、交流を深めました。最後のは娘が来年からお世話になる学校の校長先生が開いた写真展。ここではHighland Parkが40年も含めた3種類、樽でご用意されており、ウイスキー好きには楽園。相当飲みました。また、今年はWhisky Festival in Tokyoに初参戦したことも書かせません。3人で訪れたのですが、何種類呑んだのか覚えていないくらい美酒を飲みまくりました。至福の時でした。Whiskyについては「Bar Harbour Inn(3月)」も欠かせません。ここで飲ませてもらった11年もののBowmoreの美味さ!私にとってこのお店はずっと通う店であり続けるでしょう。また何人かで訪れたお店として「Bar 羽月(4月)」で飲んだ燻酒の美味さはその前の花見でMiltonduffを相当呑んだ後ですが印象に残っています。「Corn Valley澁谷店(5月)」もそう。魂友とふらっと訪れた「草月(9月)」もまた訪れたいバーです。また、一人で訪れた六本木ヒルズアリーナのGlenMorangeイベント(11月)はオレンジに統一された色調や味と共に今でも思い出すとほろ酔いできます。「籠屋(秋元酒店)(2月)」で飲んだイチローズモルトの秩父のIPAカスクには衝撃を受けました。今年訪れた蒸留所は「白州蒸留所(7/29)」。来年こそはクラフトウイスキーや宮城峡を訪れたいものです。できればKAVALANも。
続いて焼酎。沖縄旅行の時に妻と訪れた「ぱいかじ 国際通り店(3月)」では、泡盛を心置きなく飲めました。泡盛はまだまだ深く、極めたいと思っています。魂友と訪れた「玉ちゃん亭(5月)」でも泡盛をたくさんいただきました。池袋の「くさやばー(10月)」で飲んだ情ヶ嶋は麦と芋ともに衝撃の味わいでした。青酎も。情ヶ島の麦はその後ボトルで購入したぐらい惚れ込みました。
続いてビール。今年も各地のクラフトビールを呑み歩きました。CarftBeerを扱うお店が増えてきたのでうれしい限りです。ビールについてはほとんどが一人のみ。私にとっては短時間でさっと飲むときに重宝する酒になりました。
続いてハイボール。これは「極鶏Bar下北沢(8月)(12月)」以外ありません。12月に訪れた際は絶品のイノシシ鍋をつつかせてもらいました。これがハイボールによく合っていて完璧でした。
続いてワイン。今年は「ワイン&グルメ ジャパン2018(4月)」につきます。四名で会場を巡りました。去年からワインのおいしさにも目覚めており、ここで飲んだワインが絶品でした。日本のワインもすごいのです。また、先にも書いた「 Tokyo Rice Wine 日本酒の会(9月) 」では日本酒酵母で醸したワインをいただきました。さらに一人のみですが「富士の国 やまなし館」でも山梨産のワインに喉を潤しました。
最後にカクテル。私がカクテルをBarで頼むことはほとんどないのですが、どれも妻と訪れたバーで飲みました。「Stella Lounge(1月)」「カメリア(9月)」。後者は東京駅内にあるバーで、旅情を思わせるカクテルが印象的です。あと、忘れてはいけないのが「アジアンフード バー バグース(4月)」で飲んだパクチーモヒートです。4名で訪れてパクチーを食べまくりましたが、モヒートも美味しかった。
今年もほうぼうに商談に赴いたこともあって、毎月の独りのみは出来たと思っています。「籠屋(秋元酒店)(2月・狛江)」「BrewDog Roppongi(4月・六本木)」「富士の国 やまなし館(4月・日本橋)」「Craft Beer Moon Light 本店(5月・川崎登戸)」「地ビール厨房 COPA 町田店(6月・町田)」「イングリッシュパブ トラファルガー(7月・町田)」「京橋エドグラン(8月・東京京橋)」「Hop-Scotch Craft Beer & Whiskey(9月・飯田橋)」「世界のビール博物館(10月・押上)」「六本木ヒルズアリーナ(11月・六本木)」「Classy’s Bar(12月・川崎)」。
結局呑みの回数は年間で70回でした。大体5日に1度。呑みは週一度に抑えたいと思っていたので結果的に実現できて良かったです。

§ 今年のその他活動 目次 人生も半分を過ぎ、まだ焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えは見えません。
・一昨年に二枚、昨年に五枚ゲットしたマンホールカードの収集。今年は九枚入手しました。兵庫県西宮市(3/2)、大阪府大阪市(3/5)、神奈川県川崎市(4/20)、群馬県藤岡市(4/29)、茨城県鹿嶋市(7/15)、東京都立川市(9/12)、群馬県沼田市(9/16)、東京都昭島市(10/11)、山形県上山市(12/27)。来年も折を見て各地でゲットしようと思っています。
・ダムカードも一枚いただきました。城山ダム(9/23)です。
・風景印も三つ。「天橋立駅前郵便局(8/6)」「上山十日町郵便局(12/27)」「上山旭町郵便局(12/28)」。
・灯台も二カ所回っています。「伊計島灯台(3/28)」「鹿嶋灯台(7/15)」。来年は灯台巡りもしたいと思っています。
・旅先で訪れた資料館・博物館・美術館では勉強しました。「根津美術館(2/11)」「大阪人権博物館(リバティおおさか)(3/3)」「尾崎咢堂記念館(5/6)」「NTTドコモ歴史展示スクエア(7/26)」「甲子園歴史館(8/5)」「野球殿堂博物館(8/21)」「三島由紀夫文学館(9/24)」「徳富蘇峰記念館(9/24)」「世田谷文学館(10/16)」「旧前田家本邸(11/2)」「幕末維新ミュージアム霊山歴史館(12/30)」。
・城もあちこち訪れました。「勝連城跡(3/28)」「枡形城(5/5)」「大手門(5/11)」「本佐倉城跡(5/24)」「鹿島城山公園(7/15)」「山中城跡(8/19)」「祢津城山(8/25)」「砥石城跡(8/25)」「桝形城跡(8/25)」「米山城跡(8/25)」「沼田城(9/16)」「伏馬田城趾(9/23)」「鶴ヶ城(10/9)」「長井坂城跡(10/21)」「名胡桃城址(10/21)」「上山城(12/27)」。こうしたデータは上にも書いたkintone Advent Calendarの中で再集計してみました。
・訪れた神社は以下の通り。「白山姫神社(1/1)」「西宮神社(1/2) 」「毘沙門天堂(2/10) 」「塩川神社(2/18) 」「浪速神社(3/3) 」「相州春日神社(3/22) 」「稲毛神社(4/20) 」「野津田神社(4/22) 」「琴平神社(5/14) 」「富士山本宮浅間大社(5/20) 」「将門口ノ宮神社(5/24) 」「成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)(6/17) 」「旗岡八幡神社(6/27) 」「雑司ヶ谷 鬼子母神 (鬼子母神堂)(7/13) 」「鹿島神宮(7/14)(7/15) 」「鎌足神社(7/15) 」「江の島弁天(8/11) 」「筑土八幡神社(9/5) 」「板橋天祖神社(9/6) 」「十二坐神社(9/16) 」「東京大神宮(9/19) 」「永井箱根神社(10/21) 」「 鶴ヶ峰神社(11/18) 」「驚神社(11/18) 」「野津田神社(12/9) 」「東郷神社(12/16) 」「京都霊山護國神社(12/30) 」「八坂神社(12/30) 」。今年から神社でお参りする度、口で願いを述べ、「努力します」を三回繰り返しています。ただ漠然と願うだけでは自分の思い描く未来は送れないからです。
・訪れた寺は以下の通り。「神呪寺(1/1)」「成田山 新勝寺(6/17)」「根本寺(7/15)」「東陽寺(7/22)」「安全寺(8/31)」「龍山寺(10/29)」「野津田薬師堂(12/9)」「青蓮院門跡(12/30)」「岡崎別院(12/30)」「法然院(12/30)」。お寺も実は本堂の中に入ると面白い。地元の野津田薬師堂には初めて中に入らせてもらいました。臺灣で訪れた龍山寺も地元に密着した様子がたまりませんでした。また、年末に訪れた京都の諸寺では、深く学ばせてもらいました。
・登った山は四つ。「草戸山(4/8)」「桝形山(5/5)」「祢津城山(8/25)」「七国山(12/9)」どれもが低い山です。砥石城も山ですがそちらのほうが急でした。来年は腰を直して百名山に登りたい。
・名木は二カ所。「鬼子母神の公孫樹(7/13)」「山高神代ザクラ(7/29)」。さくらは日本各地に観に行きたいです。
・名水は二カ所。「神田川(5/20)」「益栄の水(12/28)」。前者は平成の名水百選に選ばれています。こうした場所にも訪れていきたい。
・ビーチは二カ所。「エメラルドビーチ(3/27)」「大泊ビーチ(3/28)」。ともに沖縄で訪れた美しすぎる場所。心が洗われるとはこのことです。
私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあったのですがとても時間がありませんでした。
それぞれの場所で俳句も読みました。数年前から興が乗るたびに読んでいましたが、振り返ってみると今年も結構な数を詠んでいます。そうした訪問記が私にとって何なのかの考察は、年末に「SNSとはライフログツール」として表しました。
ライフログについては上記ブログにも書きましたが、年初から6月ごろまで盛んにGoogle Mapでロケーション情報や口コミを投稿していました。それが評価されたのかランクが次々とあがり、10月にサンフランシスコで行われる世界規模のGoogle Mapイベントに招待されました。英語の動画PRができずに断念したのが心残りです。英語も勉強しなければ。

あらためて「公」「私」を振り返ってみました。今年は冒頭に書いた通り、満足度は高いです。良い一年だったと思います。あとはムラを生じさせる原因を来年どう防いでいくかですね。特にムラ、が重要になりそうです。後1日、今年を無事に締めくくり、来年へと繋げようと思います。


あなたの知らない福島県の歴史


郡山に出張で訪れたのは、本書を読む10日前のこと。セミナー講師として呼んで頂いた。そのセミナーについてはこちらのブログブログで記している。

この出張で訪れるまで、私にとって福島はほぼ未知の地だったと言っていい。思い出せるのは東日本大震災の二年半後に、スパリゾートハワイアンズに家族と一泊したこと。さらに10年以上遡って、友人と会津若松の市街を1時間ほど歩いたこと。それぐらいだ。在住の知人もおらず、福島については何も知らないも同然だった。

何も知らない郡山だったが、訪れてみてとてもいい印象を受けた。初めて訪れたにもかかわらず、街中で私を歓待してくれていると錯覚するほどに。その時に受けた好印象はとても印象に残り、後日ブログにまとめた。

わたしは旅が好きだ。旅先では貪欲にその土地のいろいろな風物を吸収しようとする。歴史も含めて。郡山でもそれは変わらず。セミナー講師とkintone ユーザー会が主な目的だったが、郡山を知ることにも取り組んだ。合間を見て開成館にも訪れ、郡山周辺の歴史に触れることもその一つ。開成館では明治以降の郡山の発展がつぶさに述べられていて、明治政府が国を挙げて郡山を中心とした安積地域の発展に取り組んだことがわかる。郡山の歴史を知ったことと、街中で得た好印象。それがわたしに一層、福島への興味を抱かせた。そして、郡山がどんな街なのか、福島の県民性とは何か、に深く興味を持った。本書に目を留めたのもその興味のおもむくままに。福島を知るにはまずは歴史から。福島の今は、福島の歩んできた歴史の上にある。本書は福島の歩んできた歴史を概観するのによい材料となるはずだ。

東北の南の端。そして関東の北隣。その距離は大宮から東北新幹線で一時間足らず。案外に近い。しかし、その距離感は関東人からも遠く感じる。関西人のわたしにはなおさらだ。そのあたりの地理感覚がどこから来るのか。本書からは得られた成果の一つだ。

本書は大きく五章に分かれている。福島県の古代。福島県の鎌倉・室町時代。福島県の戦国時代。福島県の江戸時代。福島県の近代。それぞれがQA形式の短項目で埋められている。

たとえば、古代の福島県。白河の関、勿来の関と二つの関が設けられていたことが紹介される。関とは関門。みちのくへの関門が二つも福島に設けられていたわけだ。福島を越えると別の国。蝦夷やアイヌ民族が住む「みちのおく」の手前。それが福島であり、関西から見るとはるか遠くに思える。ただ、それ以外で古代の文書に福島が登場することはそれほどない。会津の地名の由来や、会津の郷土玩具赤べこの由来が興味を引く。だが、古代製鉄所が浜通り(海岸沿い)にあったり、日本三古泉としていわき湯本温泉があったり、古来から対蝦夷の最前線としての存在感はは福島にあったようだ。

そんな福島も、源頼朝による奥州合戦では戦場となり、南北朝の戦いでも奥州勢が鎌倉や京に攻め上る際の拠点となっている。また、戦国の東北に覇を唱える伊達氏がすでに鎌倉から伊達郡で盛んになっているなどは、福島が中央の政情に無縁でなかったことを示している。

そして戦国時代だ。福島は伊達氏、特に独眼流正宗の雄飛する地ともなる。伊達氏が奥州を席巻する過程で激突した蘆名氏との擂上原の合戦は名高い。秀吉による奥州仕置が会津若松を舞台として行われたことも見逃せない。会津に転封された蒲生氏郷や上杉景勝など、中央政府からみても会津は一つの雄藩に扱われる国力を持っていたこともわかる。また、この頃に「福島」の名が文献にあらわれるようになったとか。「福島」の名の由来についても通説が提示されている。今の福島一帯が当時は湖沼地帯で、付近の信夫山から吾妻おろしが吹き、それで吹く島と見立てたのを縁起の良い「福島」としたのだという。別の説もあるようだが・・・

そして江戸時代。多分、このあたりから今の福島の県民性が定まったのではないかと思う。たとえば寛政の改革の主役である松平定信公は幕政に参画するまでは白河藩主として君臨しており、その改革の志は白河藩で実施済みだとか。また、会津藩にも田中玄宰という名家老がいて藩政改革を主導したとか。会津藩校である日新館ができたのも、江戸時代初期に藩祖となった保科政之公の遺訓があったからだろう。また、その保科政之公は実際に家訓15カ条を残しており、それが幕末の松平容保公の京都守護職就任にも繋がっているという。朝敵の汚名を蒙ってしまった幕末の会津藩だが、そこには幕藩体制のさまざまなしがらみがあったことが本書から知れる。また、隣国米沢藩の上杉鷹山公の改革でも知られるとおり、改革がやりやすい土地柄であることも紹介されている。改革を良しとする土地柄なのに幕府への忠誠によってがんじがらめになってしまったことが、幕末の会津藩の悲劇を生んだといえるのかもしれない。

ところが、その改革の最もたるもので、私が郡山に訪れた際に開成館で学んだ安積疎水の件が、本書には出てこない。猪苗代湖から水を引き、それによって郡山や安積地域を潤したという明治政府による一大事業が本書にはまったく紹介されていないのだ。そこにいたるまでに、白虎隊や二本松少年隊の悲劇など、本書で取り上げるべきことが多すぎたからだろうか。少し腑に落ちないが、本書では近代の福島県からは幾人もの偉人が登場したことは忘れていない。野口英世、山川捨松、新島八重、山川健次郎、星一など。本書はそれを一徹な気風のゆえ、としているが、実際は改革を良しとする気風も貢献しているのではないか。円谷英二や佐藤安太といった昭和の日本を支えた人物はまさにそのような気性を受け継いだ人のような気がする。

本書はあくまで福島県の歴史を概観する書だ。なので県民性の産まれた源には踏み込んでいない。それが本書の目的ではないはずだから。本書にそこまで求めるのは酷だろう。

でも、もう少し、その辺りのことが知りたかった。改革が好きな県民性の由来はどこにあるのか。今も福島には改革の気質が濃厚なようだ。私をセミナーに招聘してくださるなど、福島ではたくさんのIT系のイベントが催されているようだ。会津大学はITの世界でも一目おかれている。

私が郡山を訪れた時、福島第一原発の事故による風評被害は郡山の皆さんの心に影を落としているように思えた。でも、ブログにも書いた通り、改革の志がある限り、郡山も福島もきっともとの姿以上になってくれると信じている。セミナーで訪れた後も再度郡山には及び頂いた。それ以来、福島には伺えていないが、また機会があれば行きたいと思う。その時はもう少し奥の本書で得た福島の知識を携えて。

‘2016/10/9-2016/10/10