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蒼き狼


著者の書く文章が好きだ。
端正でいて簡潔。新聞記者から小説家になった経歴ゆえ、まず伝わる文章を徹底的に鍛えられたからだろうか。読んでいて安心できる。

そうした、端正な文章が、地上最大の帝国ともいわれるモンゴル帝国を一代で築き上げたチンギス・ハーンをどう描くのか。前々から本書は一度読んでみたいと思っていた。ようやくこの機会に一気に読み終えることができた。

本書の主人公はテムジン(鉄木真)だ。テムジンはモンゴルの一部族を率いるエスガイとその妻ホエルンの間に生まれた。
当時のモンゴルはさまざまな部族が争っており、中国の平原を治めていた金からすれば与し易い相手だった。
たまにモンゴルと金の間で小競り合いが起こる度、部族の首長の誰かが惨たらしく殺されていた。
口承による伝達が主だった当時のモンゴルで、先祖が惨たらしい目にあった悲劇が伝えられる。何度も何度も。話を聞かされる間に、幼いテムジンに金への憎しみを植えつけていった。

もう一つ、テムジンには悩みがあった。
生まれた頃、母ホエルンはメルキト部に拉致された。メルキト部の男たちに犯され、すぐにエスガイに奪還された。そしてテムジンを産んだ。
つまり、テムジンの父はエスガイなのか、それとも他の誰かなのか。誰にもわからない。幼いテムジンがふと知ってしまったこの疑惑に、テムジンは死ぬまで悩み続ける。
本書はエスガイとホエルンを描くことから筆を起こし、テムジンの出生の悩みのみなもとを描いている。

テムジンが幼い頃から聞かされ続けた伝承は他にもある。
「上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。その妻なる慘白き牝鹿ありき」
で始まる伝承。それは祈祷の形をとっていた。その話を聞かされ続けるうちに、テムジンの胸にはモンゴル部に生まれた誇りが燃え盛っていった。それとともに、蒼き狼の子孫として恥じぬように生きたい、との思いも。

ところが、自らの血にメルキト部の誰ともしれぬ血が混じっているかもしれない。その恐れがテムジンを苛んでゆく。
その恐れこそが、テムジンの飽くなき征服欲の源泉であり、生涯をかけてテムジンを駆り立てた。そのテーマを掘り下げるため、著者はテムジンの心をむしばむ疑いを何度も違う角度から掘り下げる。

エスガイの不慮の死により、モンゴル部はテムジンとエスガイの係累を除いていなくなってしまう。
テムジンの身の回りの肉親だけになってから、少しずつ勢力を盛り返してゆくモンゴル部。必死に勢力を戻そうとするテムジンの奮闘が描かれる。

あらゆる人や組織の一代記に共通することがある。
それは、若年期や創業期の試練を丁寧に描くことだ。最初の頃は試練が続き、歩みも遅い。
それがある一点を超えた途端、急速に発展していく。加速度がつくように。

それは自分自身にスキルが身につき、はじめは苦労していたことがたやすく成し遂げられるようになるため。
もう一つは経験が人を集め、それを活用することでさらなる成長につながるため。
それは私自身の人生を顧みてもわかる。

伝記に費やされる字数も同じだ。苦労して成長の歩みが遅い時期は濃密に描かれるため、速度も遅い。
だが、一度軌道に乗った後は濃度が薄くなり、読む速度も加速する。

本書もその通りの展開をたどっている。
だが、著者は規模が大きくなったモンゴル部を描くにあたり、ある工夫を施している。そのため、立ち上がりの苦労をして以降の本書は、濃度を薄めずに読みごたえを保つことに成功している。
それは長男のジュチは、果たしてテムジンの血を受け継いだ息子か、という疑問だ。
テムジンの妻ボルテも、結婚の前後に他部族に拉致された。それはテムジンの母ホエルンがたどった軌跡と同じ。

自分の血ですら定かではないのに、自らの長男もまた同じ運命にとらわれてしまう。

ジュチは、父が自分に対して他の兄弟とは違う感情を抱いていることを察する。そのため、自分が父の息子であることを証明するため、なるべく困難で試練となる任務を与えてほしいと願う。
その心のうちを承知しながら、あえて息子を遠くに送り出す父。

本書を貫くテーマは、父と息子の関係性だ。それが読者の興味を離さない。

もう一つは、男女の役割のあり方だ。草原に疾駆するモンゴルの男にとって、子育ての間に自由に動けない女はとるに足らない存在でしかなかった。
その考えにテムジンも強く縛られている。それは彼の行動原理でもある。敵の女は全てを犯し、適当にめとわせる。
ところが、メルキト部を破った後に得た忽蘭(クラン)は違った。それは女ではあるが、自分の意思を強く持っていることだ。従順なだけで手応えのないそれまでに知った女性とは違う存在。

忽蘭は戦地であっても側においておかねば死ぬといい、従軍もいとわない。そんな忽蘭はテムジンを引きつけ、数ある愛妾の中でも寵愛を受ける。

だが、忽蘭がテムジンの子を身ごもったことで、二人の関係に変化が生じる。
そうした描写からは、今の感覚でいくら平等を唱えようとも、生物が縛られる制約だけはいかんともしがたい運命が見える。
そうした生物の身体に関する不平等は、力こそが全てで、衝動と本能のままに動く当時のモンゴル帝国では当たり前の考えのだからこそ、鮮やかに浮き上がってくる。

文明に慣れ、蒼き狼でも白き牝鹿でもない現代人にとって、男女平等の考えは当たり前だ。
だが、この文明が崩壊し、末法の世に陥った時、男女のあり方はどう変わってゆくのか。
本書から考えさせられた点の一つだ。

また、本書は文化の混淆もテーマになっている。
本書の終盤では、モンゴル帝国の版図が拡大するにつれ、遠いホラズムとも交流が生じた。そのホラズムの文物に身を包む雄々しきモンゴルの武将たちの姿に違和感を抱いたテムジン、あらためチンギス・ハーンが、自分だけはモンゴルの部族のしきたりに従っていこうと決意する姿が描かれている。
版図が拡大すると、違う文化に触れる。それはまさに文化の混合の姿でもある。

今やその混合が極点に達した現代。現代において急速に混じり合う文化のありようと、モンゴルが武力でなし得た文化の混合のありようを比較すると興味深い。

本書の巻末には著者自身による「『蒼き狼』の周囲」と題した小論が付されている。創作ノートというべき内容である。
その冒頭に小矢部全一郎氏の「成吉思汗は源義経也」が登場する。著者が本書を描くきっかけとなったのは、成吉思汗=源義経説に感化されたというより、そこからチンギス・ハーンの生涯が謎めいていることに興味を持ったためだという。

私が最も再読した二冊のうちの一冊が高木彬光氏の「成吉思汗の秘密」だ。とはいえ、本書には成吉思汗=源義経説が入り込む余地はないと思っていた。そのため、著者が記したこの成り立ちには嬉しく思った。

‘2020/02/14-2020/02/17


東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典


二〇二〇年は東京オリンピックの年だ。だが、私はもともと東京オリンピックには反対だった。

日本でオリンピックが開かれるのはいい。だが、なんで東京やねん。一度やったからもうええやないか。また東京でやったら、ますます東京にあらゆるものが集中してまう。地方創生も何もあったもんやない。なんで大阪、名古屋、仙台、福岡、広島あたりに誘致せえへんねん。それが私の思いだ。今もその思いは変わらないし、間違っていないと思っている。

とはいえ、すでに誘致はなった。今さら私が吠え猛ったところで東京で二度目のオリンピックが開催される事実は覆らない。ならば成功を願うのみ。協力できればしたい。開催が衰退する日本が最後に見せた輝きではなく、世界における日本の地位を確たるものにした証であることを願っている。

そのためには前回、一九六四年の大会を振り返りたい。市川昆監督による記録映画もみるべきだが(私は抜粋でしか見ていない)、本書も参考になるはずだ。

本書の表紙に執筆者のリストが載っている。東京オリンピックが行われた当時の一流作家のほとんどが出ていると言って良い。当時の一流の作家による、さまざまな媒体に発表された随筆。本書に収められているのはそうした文章だ。当時発表された全てのオリンピックに関する文章が本書に網羅されているかどうかは知らない。だが、本書に登場する作家がそうそうたる顔ぶれであることは間違いない。

本書が面白いのは、イデオロギーの違いを超えて収録されていることだ。右や左といった区分けが雑なことを承知でいうと、本書において右寄りの思想を持つ作家として知られるのは、石原慎太郎氏と三島由紀夫氏と曾野綾子氏だ。左寄りだと大江健三郎氏と小田実氏が挙げられるだろう。それぞれが各自の考えを記していてとても興味深い。

本書は、大きく四つの章にわけられている。その四つとは「開会式」「競技」「閉会式」「随想」だ。それぞれの文章は書かれた時期によって章に振り分けられたのではなく、取り扱う内容によって編者が分類し、編んでいるようだ。

「開会式」の項に書かれた内容で目立つのは、日本がここまでの大会を開けるようになった事への賛嘆だ。執筆者の多くは戦争を戦地、または銃後で体験している。だから戦争の悲惨さや敗戦後の廃虚を肌で感じている。そうした方々は、再建された日本に世界の人々が集ってくれた事実を素直に喜び、感動を表している。

中でも印象に残ったのは杉本苑子氏の文章だ。東京オリンピックから遡ること二十一年前、開会式が催された同じ場所で学徒出陣壮行会が行われた。雨の中、戦地に送られる学徒が陸上競技場を更新する写真は私にも記憶がある。東條首相が訓示を述べる写真とともに。杉本氏はその現場の寒々とした記憶と、この度の晴れやかな開会式を比べている。そこには戦時とその後の復興を知る方の思いがあふれている。現代の私たちには学徒出陣壮行会など、教科書の中の一ページ。だが、当時を知る方にはまぎれもない体験の一コマなのだ。

他の方の文章でも開会式のプログラムが逐一紹介されている。事細かにそれぞれの国の行進の様子を報告してくれる方の多いこと。行進の態度から、お国柄を類推したいかのように。日本にこれだけの地域、民族、国の人々が集まることだけで感無量であり、世界の国に日本が晴れがましい姿を示すことへの素朴な感嘆なのだろう。戦争中は国際社会から村八分に近い扱いを受けていた。その時期の日本を知っていればいるほど、これほど大勢の人々が日本に集まる事だけで、日本が再び世界に受け入れられたと喜べる。それはすなわち、日本の復興の証でもあるのだから。そうした喜びは戦時中を知らない私にんも理解できる。

ただ、文学者のさがなのか、批評精神は忘れていない。例えば直前で大会への参加を拒否された北朝鮮とインドネシアへの同情。南北ベトナムの両チームが参加しない件。台湾が参加し、中華人民共和国が不参加なことなど。世界がまだ一つになりきれていない現状を憂う指摘が散見される。まさに時代を映していて興味深い。

ここで私が違和感を覚えたのは、先に左寄りだと指摘した大江健三郎氏と小田実氏の文章だ。小田氏の論調は、前日まで降っていた雨が開会式当日に晴れ渡った事について、複雑な思いを隠していない。それは、政治のイデオロギーを持ち出すことで、開会式当日の晴れ姿を打ち消そうとする思惑にも感じる。大江氏の文章にも歯にものが挟まったような印象を受けた。あと、開会式で一番最後に聖火を受け取り、聖火台へ向かう最終聖火ランナーの方は、昭和二十年の八月六日に産まれた方だった。そのことに象徴的な意味を感じ、文に著したのは数いる著者の中で大江氏のみであり、「ヒロシマ・ノート」を書いた大江氏がゆえの視点として貴重だったと思う。

開会式については総勢14名の作家の著した文が収められていた。この時点ですでに多種多様な視点と論点が混じっていて面白かった。

もう一つ、私が印象を受けたのは三島由紀夫氏の文章だ。引用してみる。
「ここには、日本の青春の簡素なさわやかさが結晶し、彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権のはげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みずみずしい若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本は青春によって代表されたのだった。そしてそれは数分間がいいところであり、三十分もつづけば、すでにその支配は汚れる。青春というのは、まったく瞬間のこういう無垢の勝利にかかっていることを、ギリシャ人は知っていたのである。」(32ページ)。
「そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもっと高いのだ。」(32ページ)。
「彼が右手に聖火を高くかかげたとき、その白煙に巻かれた胸の日の丸は、おそらくだれの目にもしみたと思うが、こういう感情は誇張せずに、そのままそっとしておけばいいことだ。日の丸とその色と形が、なにかある特別な瞬間に、われわれの心になにかを呼びさましても、それについて叫びだしたり、演説したりする必要はなにもない。」(32-33ページ)。

続いては「競技」だ。東京オリンピックについて私たちの記憶に残されているのは、重量上げの三宅選手の勝利であり、アベベ選手の独走であり、円谷船主の健闘であり、東洋の魔女の活躍であり、柔道無差別級の敗北だ。もちろん、他にも競技はたくさん行われていた。本書にもボクシング、レスリング、陸上、水泳、体操が採り上げられている。

意外なことに、論調の多くは日本の健闘ではなく不振を指摘している。後世の私たちから見れば、東京オリンピックとは日本が大量のメダルを獲得した最初の大会として記憶に残っている。だが、当時の方々の目からみれば、自国開催なのに選手が負けることを歯がゆく思ったのではないか。特に、水泳と陸上の不振を嘆く声が目立った。それは、かつて両競技が日本のお家芸だったこととも無関係ではない。

そうした不振を嘆く論調が石原慎太郎氏の文から色濃く出ていたのが面白かった。

そして、ここでも三島由紀夫氏の文章がもっとも印象に残る。あの流麗な比喩と、修辞の限りを尽くした文体は本書の中でも一頭抜け出ている。本書を通した全体で、小説家の余技ではなく本気で書いていると思えたのは三島氏の文章のみだった。「競技」の章ではのべ四十一編が掲載されているのだが、そのうち九編が三島氏によるものだ。

やはり、競技こそが東京オリンピックの本分。そんな訳で「競技」の章には多くの作家が文章をしたためている。

続いての「閉会式」では、六編の文章が載っている。著者たちは総じて、東京オリンピックには成功や感動を素直に表明されていた。むしろ、オリンピックの外に漂っていた国際政治のきな臭い空気と、オリンピック精神の矛盾を指摘する方が多いように思えた。

興味深く読んだのは石原慎太郎氏の文だ。後の世の私たちは知っている。石原氏が後年、東京都知事になり、二度目の東京オリンピック招致に大きな役割を果たすことを。だが、ここではそんな思いはみじんも書かれていない。そのかわり、日本がもっと強くあらねばならないことを氏は訴えている。石原氏の脳裏にはこの時に受けた感動がずっと残り続けていたのだろう。だから二〇二〇年のオリンピック招致活動に乗り出した。もし石原氏が福岡県知事になっていたら福岡にオリンピックを持ってきてくれたのだろうか。これは興味深い。

続いては「随想」だ。この章ではオリンピック全体に対しての随想が三〇編収められている。

それぞれの論者がさまざまな視点からオリンピックに対する思いを吐露している。オリンピック一つに対しても多様な切り口で描けることに感心する。例えば曽野綾子氏は選手村の女子の宿舎に潜入し、ルポルタージュを書いている。とりたてて何かを訴える意図もなさそうなのんびりした論調。だが、各国から来た女性の選手たちの自由で溌溂とした様子が、まだ発展途上にあった我が国の女性解放を暗に訴えているように思えた。

また、ナショナリズムからの自由を訴えている文章も散見された。代表的なのは奥野健男氏の文章だ。引用してみる。
「だがオリンピックの開会式の入場行進が始まると、ぼくたちの心は素直に感動した。それは日本人だけ立派であれと言うのではなく、かつてない豊かさ、たのしさを持って、各民族よ立派であれという気持ちであった。インターナショナリズムの中で、ナショナリズムを公平に客観的に感じうる場所に、いつのまにか日本人は達していたらしい。それはゆえない民族的人種的劣等感からの、そして逆投影からの解放である。
 ぼくはこれだけが敗戦そして戦後の体験を経て、日本民族が獲得し得た最大のチエではないかと思う。負けることに平気になった民族、自分の民族を世界の中で客観的にひとつの単位として見ることができるようになった民族は立派である。いつもなら大勢に異をたてるヘソ曲がりの文学者たちが、意外に素直に今度のオリンピックを肯定し、たたえているのも、そういう日本人に対する安心感からであろうか。」(262-263ページ)
この文章は本書の要約にもなりえると思う。

あと目についたのは、アマチュアリズムとオリンピックを絡めた考察だ。村松剛氏の文章が代表的だった。すでにこの時期からオリンピックに対してアマチュアリズムの危機が指摘されていたとは。当時はまだ商業主義との批判もなければ、プロの選手のオリンピック参加などの問題が起きていなかった時期だったように思うが、それは私の勉強が足りていないのだろう。不明を恥じたい。

また、日本の生活にオリンピックがもたらした影響を指摘する声も目立った。オリンピックの前に間に合わせるように首都高速や新幹線が開通したことはよく知られている。おそらくその過程では日に夜を継いでのモーレツな工事が行われたはずだ。そして国民の生活にも多大な影響があたえたことだろう。それゆえ、オリンピックに対する批判も多かった。そのことは本書の多くの文章から感じられた。中でも中野好夫氏は、オリンピック期間中、郊外に脱出する決断を下した。そして連日のオリンピックをテレビ観戦のみで済ませたという。それもまた、一つの考え方だし実践だろう。中野氏はスポーツそのものは称賛するが、その周囲にあるものが我慢できなかったのだとか。中野氏のように徹底した傍観の立場でオリンピックに携わった方がいた事実も、本書から学ぶことができる。オリンピックに対して疑問の声が上がっていたことも、オリンピックが成功裏に終わり、日本の誉めたたえられるべき歴史に加えられている今ではなかなかお目にかかれない意見だ。

私も二〇二〇年のオリンピック期間中は協力したいと書いたものの、中野氏のような衝動に駆られないとも限らない。

私が本章でもっとも印象に残ったのは石原慎太郎氏による文だ。石原氏の文は「随想」の章には三編が収められている。引用してみる。
「参加することに意味があるのは、開会式においてのみである。翌日から始まる勝負には勝たねばならぬ。償いを求めてではない。ただ敗れぬために勝たねばならぬ。
 人生もまた同じではないか。われわれがこの世にある限り、われわれはすでに参加しているのだ。あとはただ、勝つこと。何の栄誉のためにではなく、おのれ自身を証し、とらえ直すためにわれわれは、それぞれの「個性的人生」という競技に努力し、ぜひとも勝たねばならぬのである。」10/25 読売新聞 ( 320-321ページ )

この文には感銘を受けた。オリンピックに限らず人生を生きる上で名言と言える。

二〇二〇年の東京オリンピックを迎えた私たちが本書を読み、じかに役立てられるかはわからない。だが、当時の日本の考えを知る上ではとても参考になると思う。また、当時の生活感覚を知る上では役に立たないが、日本人として過ごす心構えはえられると思う。それは私たちが二〇〇二年の日韓ワールドカップを経験したとき、世界中から観光客を迎えた時の感覚を思い出せばよい。本書に収められた文章を読んでいて、二〇〇二年当時の生活感覚を思い出した。当時はまだSNSも黎明期で、人々はあまりデータを公共の場にアップしていない。二〇〇二年の感覚を思い出すためには、こうした文書からそれぞれが体験を書いてみるのも一興だと思う。

それよりもむしろ、本書は日本人としての歴史観を養う上で第一級の資料ではないかと思う。二〇二〇年の大会では、一九六四年の時とは比べ物にならないほど大量の文章がネット上に発表されるはず。その時、どういう考察が発表されるのか。しかも素人の作家による文章が。それらを本書と比べ、六〇年近い時の変化が日本をどう変えたか眺めてみるのも面白いかもしれない。

‘2018/04/27-2018/04/29


しろばんば


本書は著者の幼少期が取り上げられている。いわゆる自伝だ。著者は伊豆半島の中央部、天城湯ヶ島で幼少期を過ごしたという。21世紀になった今も、天城湯ケ島は山に囲まれ、緑がまぶしい。百年前はなおのこと、自然の豊かな地だったはずだ。その環境は著者の分身である洪作少年に健やかな影響を与えたはず。本書の読後感をさわやかにする洪作少年のみずみずしく素朴な感性。それが天城湯ヶ島によって培われたことがよく分かる。

小学校二年生から六年生までの四年間。それは人の一生を形作る重要な時期だ。伊豆の山奥で洪作少年の感性は養われ、人として成長して行く。洪作の周囲にいる大人たちは、素朴ではあるが単純ではない。悪口も陰口も言うし、いさかいもある。子どもの目から見て、どうだろう、と思う大人げない姿を見せることもある。大人たちは、少年には決して見せない事情を抱えながら、山奥でせっせと人生を費やしている。

一方で、子供には子供の世界がある。山あいの温泉宿、天城湯ヶ島は大人の目から見れば狭いかもしれない。だが、子供の目には広い。子供の視点から見た視野。十分に広いと思っていた世界が、成長して行くとともにさらに広がってゆく。本書を読んでうならされるのは、洪作の成長と視野の広がりが、見事に結びつけられ、描かれていることだ。

洪作の視野は土蔵に射し込む光で始まる。おぬいばあさんと二人、離れの土蔵に住まう洪作。洪作は本家の跡取りとしてゆくゆくは家を背負うことを期待されている。だが、洪作は母屋では寝起きしない。なぜなら洪作は祖父の妾だったおぬいばあさんに懐いているからだ。洪作の父が豊橋の連隊に勤務しているため、母と妹も豊橋で暮らしている。おぬいばあさんも洪作をかわいがり、手元に置こうとする。そんなわけで、洪作は母屋に住む祖父母や叔母のさき子とではなく、おぬいばあさんと暮らす。洪作の日々は閉ざされた土蔵とともにある。

本書の『しろばんば』という題は、白く浮遊する羽虫のことだ。しろばんばを追いかけ、遊ぶ洪作たち。家の周囲の世界だけで完結する日々。外で遊び、学校に通い、土蔵で暮らす。そんな洪作の世界にも少しずついろいろな出来事が混じってくる。母の妹のさき子とは温泉に通い、汗を流す。父の兄であり、学校の校長である石守森之進宅に呼ばれた時は、見知らぬ場に気後れし、長い距離を家まで逃げ帰ってしまう。おぬいばあさんとは馬車や軽便鉄道に乗って両親のいる豊橋に行く。その途中では、沼津に住む親族たちに会う。

話が進むにつれ、洪作の見聞する場所は広がってゆく。人間としても経験を積んでゆく。

低学年の頃、一緒に風呂に入っていた叔母のさき子が、代用教員として洪作の学校で教壇に立つ。洪作にとって身近な日常が、取り澄ました学校につながってゆく。校長というだけで父の兄のもとから逃げていた洪作も、もはや逃げられなくなる。さきこともお風呂に入れなくなる。一気に大人の雰囲気を帯びたさき子は、別の教師との仲をうわさされる。そしてそれは事実になり、妊娠して学校を辞める。そして、結婚して相手の赴任地へ移ってしまう。それだけでなく、その地で結核にかかり命を落とす。さき子は母や妹と離れて暮らす洪作にとって身近な異性だった。そんなさき子があっという間に遠ざかり、遠くへ去ってしまう。

さき子がいなくなった後、洪作に異性を意識させるのは、帝室林野局出張所長の娘として転校して来たあき子だ。あき子は洪作を動揺させる。その動揺は、少年らしい性の自覚の先駆けであり、洪作の成長にとって大きな一歩となる。

おぬい婆さんとの二人暮らしはなおも続く。が、洪作が成長するにつれ、おぬい婆さんに老いが忍び寄る。おぬい婆さんは下田の出身。そこで、老いを感じたおぬい婆さんは故郷の景色を見たいといい、洪作はついて行く。そこで洪作が見たのは、故郷に身寄りも知り合いもなくし、なすすべもないおぬい婆さんの姿だ。自分には知り合いや知識が広がってゆくのに、老いてゆくおぬい婆さんからは知り合いも知識も奪われてゆく。その残酷な対照は、洪作にも読者にも人生のはかなさ、人の一生の移ろいやすさを教えてくれる。

洪作に人生の何たるかを教えてくれるのはおぬい婆さんだけではない。洪作の家庭教師に雇われた犬飼もそう。教師の仕事が引けた後に洪作に勉強を教えてくれる犬飼は、洪作に親身になって勉強を教えてくれる。だが、犬飼のストイックな気性は、自らの精神を追い詰めて行き、変調をきたしてしまう。気性が強い洪作の母の七重の言動も洪作に人生の複雑さを示すのに十分だ。田舎だからといって朴訥で善良な人だけではない。人によって起伏を持ち、個性をもつ大人たちの生き方は、洪作に人生のなんたるかを指し示す。それは洪作の精神を形作ってゆく。

本書は著者の自伝としてだけでなく、少年の成長を描いた作品としてd語り継がれていくに違いない。そして百年前の伊豆の山間部の様子がどうだったか、という記録として読んでも面白い。

私は伊豆半島に若干の縁を持っている。数年前まで妻の祖父母が所有していた別荘が函南にあり、よく訪れては泊まっていた。ここを拠点に天城や戸田や修善寺や富士や沼津などを訪れたのも懐かしい。その家を処分して数年たち、伊豆のポータルサイトの仕事も手がけることになった。再び伊豆には縁が深まっている。また、機会があれば湯ヶ島温泉をゆっくりと歩き、著者の足跡をたどりたいと思っている。

’2017/10/04-2017/10/08


人はなぜ宗教を必要とするのか


特定の組織に属することを好まぬ私。そんな私にとって、宗教団体への入信は、今のところ人生の選択肢には入っていない。

とはいえ、私は神社仏閣に詣でることはむしろ好きな方である。各地の名刹古刹や神社には旅行の際によく訪れている。そのくせ、結婚式はキリスト教会で挙げている(しかも日本とハワイの二か所で)。私の宗教に対する無節操さは、日本人の典型ともいえる無宗教者そのものの在り方に違いない。

本書は、私のような迷える無宗教者に対して宗教の意味を説く。宗教は決して避けるべきものではなく、付き合い方によって人生を豊かにすることを紹介するのが本書の主旨といえる。

ここでわたしにとっての宗教の意味を再度確認してみる。私にとって宗教とは、現世をいかに生きるかの道標の一つ。これに尽きる。宗教に来世の救いも期待しないし、現世の利益も望まない。その替わり、現世を生きるための深い知恵と思索の蓄積を求める。なぜ生かされているのか、何故人は罪深いのか。人として正しい生き方は果たしてあり得るのか。利己と利他の境目とは何か。所詮は人も生物の一つ、社会に流され、本能の赴くままに生きるしかないのか。

なかでも、物心ついてから持ち続けている疑問については、是非とも知りたい。それは、自分が死ねば世界は続いてゆくのか、というものだ。

全ての人間に自我や意志が備わっている。それは頭では分かっているつもりだ。しかし、頭では分かっていても、他人の思考を読み取ることはできない。そして、自我という縛りは頑なで、自我の外に出ることは不可能である。そのような事実を前にすると、他の人と共通の認識に基づいているはずの現実は、私が死ねば誰が認識するのかという疑問に通じる。私の思念が他の生物、例えばおけらやもぐらやアメンボに転生したあと、引き続き現実を認識させてもらえるのかも分からない。それとも、自我が消えれば未来永劫の無があるだけなのか。その恐れは止むことがない。

この疑問は私が小学校低学年の頃から抱きはじめたのだが、おそらく解決できぬまま死ぬまで持ち続けるに違いない。社会人、つまり大人が世に出てから仕事や子育てに奔走させられる仕組みとは、この疑問を抱かせぬための、人類が築き上げた知恵ではないか、とまで思う。

物心ついてからのこの疑問について、私が今まで読んだ中で一番解答に迫ろうとする意思を感じたのが、哲学者の永井均氏の著作「〈子ども〉のための哲学」である。永井氏も私と同様の疑問を抱き、その命題に沿って思索を重ねられている。それにも関わらず、かなりの精緻な思索の結果を読んでも尚、私の根本的な疑問は解消されないままだった。

永井氏の著書を例にあげたが、自我の問題は宗教よりもむしろ哲学でよく取り上げられている。つまり、私の求める、生きることへの根本的な設問は、宗教よりも哲学の範疇らしい。つまり、私が宗教に求めるものがあるとすれば、その答えは哲学の思索の中に潜んでいるのかもしれない。こう考えると、私が宗教への入信に興味が持てないのも理解できる。

絶対的な帰依や奇跡に対する盲目的な確信といった信心では、私の求める人生への答えが得られない。宗教よりも哲学へ。20歳前半で人生の壁にぶつかり、哲学書を読み始めた私が得た当座の答えは、宗教から我が身を遠ざけることだった。ましてや宗教団体という組織に身を置くことは論外。今から考えると、私がそう考えた理由が、宗教団体という特定の組織の傘下に入ることで自分流の生活が脅かされることを恐れたことにあったことも理解できる。所詮は利己的な動機でしかなかった。

前置きが長くなったが、私は自分を「なんとなくの無信心者」から一線を画して位置づけている。それは上記のような葛藤を経た後の自覚だ。それなりの宗教的な意識を抱きながらも、あえて無信心者としての人生を歩んでいるのが自分であると規定している。なぜこのようなことを書くかというと、本書が想定する読者は、「なんとなくの無信心者」を対象としていないと思うからである。そうでなはなく、理由あっての無信心者を対象としているように思える。つまり、私のような理屈っぽい無信心者にとってこそ、本書の内容は活かされる。そう思い、真摯に読ませて頂いた。

本書は以下の章立てで構成されている。
はじめに
第1章 死ねば「無」になる
第2章 「無宗教」を支える心
第3章 「無宗教」者の宗教批判
第4章 宗教への踏切板
第5章 「凡夫」という人間観
第6章 兼好法師からのメッセージ
おわりに

はじめに、で著者は宗教を大まかに創唱宗教と自然宗教にわける。創唱宗教は教祖がいて、その教えを示す聖典の類があり、その教えを信じる信者団体が存在する宗教。自然宗教は「自然発生的」な宗教と定義する。その上で我が国の場合、無宗教とは創唱宗教に対して距離を置くことではないか、と指摘する。日本人の多くが墓地に対する宗派は問わない、という文句に惹かれることから、日本人の宗教心は創唱宗教にはなくても自然宗教に対しては今なお生き続けているのではないかと著者はいう。

私自身は、八百万の神、または、森羅万象全てに神が宿ると考えている。それが私の宗教に対する折り合いの付け方である。今の人類の叡知では及びもつかない無限から微小までのあらゆる仕組み。これらをグランドデザインした知性がいたとすれば、それは神だろうし、いなかったとしてもこれほどの仕組みがただ存在すること自体が神の御業といえる。私に信心があるとすれば、それは仕組みについての畏敬である。これらは30歳前後の頃に私の中で自然発生的に芽生えた考えであり、すなわち自然宗教だと思っている。

科学万能の世になりつつある今、自然宗教が衰退するのも必然なのかもしれない。宗教などに頼らなくても、心を満たしてくれるアイテムはそこらに溢れている。それは仕事だったりスマホだったりゲームだったりSNSだったり飲む打つ買うだったりする。先祖の概念ももはや不要だ。墓はどんどんコンパクトになり、様々な年中行事も形骸化している。あえて宗教に頼らずとも、人生の不安や虚しさを埋める事物に事欠かないのが現代社会であり、人の心の拠り所も宗教から離れる一方といえる。

衰えた自然宗教の代替として、著者はいくつかの道を挙げる。
① 創唱宗教への入信
② 自覚的な無神論者になる
③ 創唱宗教には関心を持ちつつ教団から距離を置く
④ 俳句短歌茶道華道といった道を究める
著者が挙げた道以外には、先に挙げた仕事~飲む打つ買うの類いもあるだろう。

「はじめに」で取り上げられた内容は、著者の前書「日本人はなぜ無宗教なのか」で追求した内容を追っている内容だそうだ。私も2009年の5月に読んでいる本である。当時は本を読んでも読みっ放しであり、本ブログのようにあとから自分なりにレビューという形で振り返っていなかった。なので、内容も忘れてしまっている。改めて読んでみようと思う。

第1章は、北杜夫の死生観や夏目漱石の臨死体験を例に挙げる。死ねば無となる、その「無」の根拠が否定や肯定に基づくものであれ、科学的に証明できないことを述べる。科学的な常識とやらに毒された現代の認識に対して一石を投じる内容となっている。まずは科学万能の頭を論破しておかねば、宗教心の生じる余地がないのはもちろんだ。

第2章では、前章で素材に上げられた「無」について詳しく分け入って行く。「無」とは、人間のはかなさであり、無常の感覚。時間的な永遠の尺度でも、宇宙の宏大な中でも、一人一人の人間の小ささについて、考えればはかないとの結論に行きつくのは分かる。著者は、このはかなさを単に人生を乗りきるための方便でなく、もう一段階上に展開することで救済に至れるのではないかと説く。そして、志賀直哉の暗夜行路の主人公、時任謙作の経験を引用する。また、夏目漱石の大病経験も引用する。謙作も漱石も、自己と自然との一体感によって救われたことが文章に残っている。本章は、それらの記述を引用し、論拠としている。また、佐藤春夫の風流論からは、自然に対抗する努力を放棄するという文章を引用し、自然の流れに委ねることが、日本人の宗教的営みであることを述べる。そして短歌や俳句も含めたそれらの営みが、日本人の無宗教の源流であると指摘する。

第3章では、第2章の結果を受けて、なぜ日本人が創唱宗教に否定的かという設問について筆を進める。著者はその問いに二つの理由を提示する。一に非科学的で時代遅れであること。二に人生の問題は人間の智恵によって解決できること。その二つが正しいと思い込まれているため、日本人は創唱宗教に否定的だと著者は主張する。

さらなる理由として、既存宗教への信頼が喪われたことは忘れずに指摘しなければならない。私腹を肥やし、俗に堕ちた聖職者たちの例。彼らが創唱宗教への信頼に傷をつけたことは否めない。識見を蓄え、苦行を乗り越えた存在、つまりは凡人とは及びもつかぬ霊力の持ち主。このような聖職者に出会うことが稀になったことを著者は大いに批判する。中江兆民の病床に押しかけ、帰依を迫ったという雲照律師のエピソードを紹介し、葬式仏教と堕した既存仏教への失望感をあげる。

本書は題名からすると宗教への入信を進める類の本と思われがちだが、実は違う。本書は、既存の宗教への思い切った糾弾と問題提起が含まれている、本章ではその点が顕著に出ている。その筆先は古くからの4大宗教だけでなく、この100年ほどで発生した新興宗教にも及んでいる。本章ではインチキ宗教かどうかを見分ける方法として一つの手立てが紹介されている。「その宗教に近づいてみて精神が明るくなれば真正の宗教であり、逆に精神が暗くなれば、それはまちがいなく「インチキ」宗教だ」と84頁で言い切っている。さらに呪術と宗教の違いも漏れなく指摘している。それによると呪術の因果は人を説得しきれないのだという。それは逆にいうと、人を惑わすのではなく説得できるだけの強さを持った宗教こそが、人の宗教心を受け止められることを意味している。ここで俎上に上げられるのは、法然や親鸞が基礎を作った浄土真宗だ。聖職者が全て清廉たるべきという法然の教えを例に挙げながらも、俗な考え方を抱いた仏教、中でも現代の浄土真宗の在り方には憤りを覚えるとまで著者は云う。そこには説得できるだけの強さもない、と著者は云いたいのであろう。

第4章はそれでもなお、宗教に救いを求める人のこころについて考察を深め、入信に対して踏み出すための切っ掛けをつくる章になっている。ここで著者は井上靖著「化石」を例に挙げる。経済の世界で成功を収めてきた主人公が、がんに犯された自分の死期を前に、本当の生き方を模索する話だ。また、この章では作家の丹羽文雄の生き方を例に挙げ、さらに葉っぱのフレディまでも俎上に上げ、命の消えゆく自覚を前にして、本当の生き方を見つけ出そうとする人々や自然の営みが紹介されている。ただし、本章では本当の生き方を見つける努力が直ちに宗教への道に通じている訳ではないことに言及している。そのことには注意が必要だ。124頁から125頁にかけて、詳しく説明されている。例えば「我が死を一つの現象、変化として客観視する態度からは、宗教への道はひらかれない」や「長年、死や人生の問題を突き詰めて考えることもなく人生を過ごしてきた人が、ついに自己の死に直面せざるをえなくなったからといって、その人が突如宗教的人間になるということは、むつかしいことなのです。自己の有限性に苦しみ、悲しむ心が堆積していてはじめて、目前に迫る氏が宗教への踏切板になるのです」という文は、常日頃の心の置き方を考える上で肝に銘じておかねばならないと思う。

第5章は凡夫についての考察に視点を移す。浄土真宗の法然や親鸞が突き詰めて考えた結果が、ただひたすらに念仏を唱えることで成仏できるという他力本願の考えであることはよく知られている。つまりは修行によって、悟りを啓き、仏になるとの考えとは真反対の立場であり、もともと努力したところで人は凡夫にすぎないという考え方を推し進めたのが浄土真宗の凄味と解釈している。本章でもその解釈に依って、個人を個人主義の枠の中に押し込めるのではなく、集団や社会の業縁に縛られた存在として見直し、その社会倫理の中でとらえ直すことを提唱している。それは冒頭に私が書いた宗教団体といった組織へ入ることにつながるはずであるが、本章ではそこには触れていない。しかし私を含めた宗教から距離を置く人々の多くが、宗教組織への参加忌避であることを考えるとすると、この点は宗教への道を考える上で避けられない問題と著者は考えたのではないだろうか。ただ、私は著者の提唱にも関わらず、なおも個人で個人の内面の宗教的意思を純化できないものだろうかと考えるのだが。

また、法然や親鸞の考えを現代に薦めるには、第3章で糾弾された浄土真宗の宗教としての強さが問われることはいうまでもない。個人の努力ではなく社会倫理に身を委ねることを推し進めるのであれば、社会倫理の規範の在り方が問われるのは当然である。浄土真宗がそのような強さを取り戻し得るのか否か。あえてその点は本章では触れられていない。が、著者の厳しい視線が注がれていることは、浄土真宗や日本の仏教界の方々は忘れてはならないだろう。今のままでは著者の求める宗教への道の受け皿として、日本の仏教、特に浄土真宗は取り除かれてしまうからだ。

第六章は、兼好法師からのメッセージということで、徒然草の中にある法然仏教への共感を紹介する。上にも書いたが、著者は創唱時の浄土真宗の考え方に強く共感し、そこに宗教的な道を拓くことが出来ないか、ということを考えている。189頁にはそれを論ずるための二つの文章がある。二つの文章を一言で云うと「信心が神仏の存在を決定する」または「宗教は主観的事実だ」に集約されている。全ては読者の心次第だ、というわけである。結論としては読者の信心に委ねたわけである。本書が入信を薦めることを主題としていない以上、このような結論を肩透かしと批判することは相応しくない。

本書を通じ、私自身の宗教心の由来や求めるところが少しは整理できたように思う。そして本書を読んで、私の中で法然や親鸞の教えについての関心が高まったのも収穫といえる。この後、親鸞に挑戦してみるのだが、それはまた後日のレビューにて紹介したいと思う。

‘2014/12/12-2014/12/19