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坂の上の雲(六)


本書を通して著者は、日露戦争で陸海軍の末路が太平洋戦争の敗戦にあることを指摘する。
さらに著者は、このころの陸軍にすでに予断だけで敵を甘く見る機運があったことも指摘する。
例えばロシアの満州軍は、厳冬のさなかには矛を収めるはずという予断。その予断からは児玉源太郎ですら逃れられなかった。いわんや陸軍の全体は言うまでもなく。
ただし、秋山好古が率いる騎兵団を除いて。

騎兵団から敵情視察の結果、幾たびもロシア軍に動きがあるとの報告をあげても、参謀本部はたかをくくったまま。
好古はここにきて腹を決める。敵軍の動きをわずかな手勢で食い止めるしかないと。
秋山好古が幾たびもの軍の壊滅の危機をどうやって防いだか。それはただ耐えることに尽きる。動じない。愛用の酒の入った水筒を携え、ただ呑み、ただ耐える。
その忍耐こそが好古の名を後世に残したといってもよい。

陸軍首脳が完全にロシア軍の意図を読み違えていた「黒溝台付近の会戦」は、軍の動員の状況からロシア軍の攻勢までのすべてにおいて日本に不利だった。そう著者はいう。
その結果、一方的に押し込まれる日本軍。しかもロシア軍の攻勢は好古のいる翼の側面に集中する。
そんな攻勢をやり過ごすため、好古は騎兵の長所である馬をあきらめる。そして秋山支隊に支給された機関銃を携え、壕にこもって防戦する。守戦に徹しつつ、将の風格である豪胆さを示す。そこに秋山好古の真骨頂はある。

そんな風に危機に瀕していた日本軍を救ったのはロシア軍の分裂だ。
グリッペンベルク将軍が率いる第二軍の攻勢に乗じ、クロパトキン将軍の第一軍の攻勢が合流すれば戦局は決したはず。
だが、グリッペンベルク将軍の策が的中し、功を挙げることで自らの立場が喪われることを懸念したクロパトキン将軍は、攻めるのをやめ、そればかりか退却を指示する。
9割以上の兵が無傷に残されていたというのに。官僚の打算が日本を救ったのだ。まさに僥倖という他はない。

さて、バルチック艦隊は、マダガスカルの北辺にあるノシベという小さな港で二カ月待機している。それはロシア政府からの指示を待っていたため。
ロシア外務省の外交力はまったく効果を上げていない。そして旅順艦隊が消え去った今、新たな艦隊をこれ以上派遣することに意味があるのか。そんな意見の分裂があったかどうかは資料に残っていない。
ただ言えるのは、そうした時間の浪費が日本の連合艦隊の傷を完全に癒やしたことだ。そればかりか日々の厳しい砲撃訓練によって、連合艦隊の精度は上がってゆく。

そして著者の筆は、長期の停泊によってバルチック艦隊を覆った士気の低下と、長期にわたる航海が露わにした石炭の補給の問題に進む。それは、バルチック艦隊が最初からはらんでいた宿命だ。
ロシア皇帝はそんなバルチック艦隊のために、第三艦隊を追加で編成させる。そして極東に向けて出航させる。

そこにはロシア政府の思惑もあった。ロシアの国内で起こる革命の機運を鎮めるためにも、バルチック艦隊には勝ってもらわねばならないという。
それほどまでにロシアの国内には不穏な空気が充ちていた。
その空気の醸成に一枚も二枚も噛んでいたのが、明石元二郎大佐だ。
本書では明石大佐の八面六臂の活躍がつぶさに描かれる。その活躍はロシアの屋台骨を揺るがし、ロシア革命へとつながる道を帝政ロシアに敷いた。
その活躍によるかく乱の戦果は、一説には日本軍の二十万に匹敵したというほどだ。

帝政ロシアの害悪とは、ただ専制体制だったからではない。
極東に侵略の手を伸ばしたように、東欧やバルト海沿岸でもロシアの侵略の手はフィンランドやポーランドに苦しみを与えていた。
明石大佐はそうした国際風潮を即座に読み取る。そして明石大佐は謀略の全てを実名で行った。そうすることで信頼を得、ロシアの周辺国とロシアの内部から反帝政の機運を煽ったのだ。

およびスパイが持つ暗いイメージとは反対のあけすけで飾りを知らない人物。そんな人物だからこそ明石は信頼されたのだろう。
また、その行動を助けるように、反ロシアの空気が充満していたからこそ、彼の行動は広い範囲に影響を与え、絶大な効果をあげたのだと思う。

本書とは関係がないが、明石元二郎は日露戦争後、台湾総督をつとめた。
その縁からか、元二郎の子の元長が、国共内戦で苦境に陥った臺灣の国民党軍を助けるため、日本の根本博中将を台湾に送り届ける役割を果たしたという。
その事実を扱った本を読んだのは、本書を読む二週間ほど前の話。
それを知っていたから、本書で八面六臂の活躍を見せる明石元二郎の姿には、単なるスパイではなく別の印象を受けた。

明石元二郎がどれほど変人だったかは、本書にも描写されている。たとえば生涯、歯を磨かなかったとか。
そういえば、本書に登場する秋山好古も生涯、風呂を嫌っていたという。
そうした人物が活躍できるほど、当時の社会は匂いに鈍麻していたのだろうか。現代の私たちが何かあればすぐ臭いを言いつのる事を考えると隔世の感がある。

そして本書はいよいよ、奉天会戦と日本海海戦へ向けて時間を進める。
まずは、士気の低下したままのバルチック艦隊の様子を描く。
後世ではあまり芳しくない評価を与えられているバルチック艦隊。そして、司令長官のロジェストウェンスキーへの評価も辛辣だ。
著者は辛辣に描きつつ、彼を若干だが擁護する。それはロシアの官僚主義が司令長官の力だけではどうにもならなかったという指摘からだ。

ロシアの満州軍は、黒溝台付近の会戦の結果、辞表を叩きつけたグリッペンベルク将軍が本国に帰ってしまう。
残されたクロパトキン将軍は奉天を最終決戦の場にするべく準備を進める。
準備を行うのは日本側も同じ。
遊軍に近い扱いの鴨緑江軍を満州に送り込んだ大本営の意図は、奉天会戦を見込んだのではなく、日露戦争の戦後を見据えたものだ。少しでも有利な条件を勝ち取れるよう、敵の占領地を確保することが鴨緑江軍の目的だった。が、現地の参謀本部は少しでも軍勢を増やすため、鴨緑江軍を戦場の遊軍として組み入れる。

奉天会戦が迫る中、日本の連合艦隊は砲術の猛特訓を行い、バルチック艦隊がいつ日本近海に現れてもよいように万端の準備を進める。

‘2018/12/17-2018/12/22


THE KINGDOM


昨年、家族+2名の友人を連れて観劇したのが、宝塚歌劇 月組の『ルパン -ARSENE LUPIN-』。本作はそのスピンオフ作品であり、ルパンで舞台となった時代をさらに遡り、ルパンの中で重要な脇役である2人の男を主役に据えた物語である。

主役は2人。凪七 瑠美扮するドナルド・ドースンと、美弥 るりか扮するパーシバル・ヘアフォール伯爵である。ルパンではヒロインであるカーラ・ド・レルヌを巡る4銃士のうちの2人として、同じ配役で20年後の時代を演じていた二人。今回はその若かりし日々の二人の出会いと、二人が協力して国際的な陰謀を防ぐための奮闘が描かれる。

もう少し粗筋を書くと、英国王ジョージⅤ世の戴冠のタイミングで、ロシアのボルシェビキが勢力を伸ばし、ロマノフ王朝のニコライⅡ世の亡命が現実の問題として迫る時代が舞台である。兄の急死によってヘアフォール伯爵家を継ぐことになったパーシバルは、ロマノフ家とイギリス王家との橋渡し役としての使命を死の床の兄から託される。また、長じてイギリス情報部員となったドナルド・ドースンは、ロシアからの亡命政治犯が活動を活発化させる中、イギリス王制への陰謀の種を見つける。二人は協力し、英国を陰謀の渦から救うため奔走する。だが、ロシアからの活動家の運動は扇動されたものであり、実は背後には戴冠式に使うダイヤ「カリナン一世」を盗み出すためのルパンの策略があった・・・・。

今回の公演は上にも挙げたとおり二人をトップに立てた公演である。今後の月組を担う二人を競わせ、成長させるために用意されたように思えた。ダブルスター制の公演であり、トップに対してのようなオンリーワンの演出こそないが、二人を表に立たせ、良さを際立たせるような演出が随所に感じられた。或いは本作の反応によっては今後の月組のトップ人事にも影響を及ぼすのかもしれない。

私はそれほどトップ人事に関心はない。が、妻子が宝塚好きであるため、オフィシャルな情報や雑談レベルの憶測をあれこれと吹き込まれている。そんな立場なので、二人のこれからをどうこういう知識も資格もないのは承知で、敢えて本作の感想を込めて書いてみることとする。

宝塚は周知の通り、出演者全員が女で、その約半分が男を演ずるという世界的にも稀有な劇団である。そんな中、男役としてのトップに立つにはダンス・歌・演技はもちろんの事、立ち居振る舞いも男らしさが求められる。トップともなれば、広い劇場の客席に「男」としての魅力を遍く行き渡らせる必要がある。遠い客席の隅からその男っぷりを感じるとすれば、それはどこに対してだろうか。私が思うに、それは声ではないかと思う。遠い客席から舞台上の人物を感じるに、視力やオペラグラスでは心もとない。しかし声ならば隅々まで届く。

凪七 瑠美はパンフレットでもクレジットでもトップに配されている。が、男役としては苦しそうな低声の発声が耳に残った。無理やり男性ボイスを絞り出しているような、「男」を苦しそうに演じているような声からは、男役としての迫力が感じられない。また、舞台上のシルエットにも押し出しの強さが感じられず、トップとしてのオーラに欠けているように思えたのは私だけだろうか。

一方、美弥 るりかは声の低音部にも張りがあり、押し出しも堂々たるものがあるように思えた。もっともこの感想は、私のような素人がたかだか2公演観ただけで判断したものである。上にも書いた通り、私がどうこういう話では無論ない。私は、引き続き妻子からのピーチク情報を頼りとし、今後を見守りたいと思う。

主演の二人以外のメンバーについては、副組長以外は、比較的若手のメンバーで構成されていたように思える。劇中でも4,5回ほど台詞のトチリがあった。千秋楽の前日でこれはどういったことだろう、と苦言を少々申したい。

が、そういった些細な生徒さんのミスは差し引いても、本作のストーリーは良いものがあったと思う。ルパンは今一つ登場人物の関係にメリハリがなく、少々わかりにくいものであったが、今作ではそれが改善されていたように思える。ストーリーが整理されていたため、筋の進み方にも起承転結があったと評価したい。

一方で、スピンオフ作品と銘打ってしまっていたためか、演出上の端々に物語のエピローグであるルパンが意識されていたことも否めない。そのため、ルパンを観ていない観客にとっては少々わかりにくい部分もあったと思われる。ただ、ルパンのストーリーで分かりにくかった部分が本作で説明されたことで、本作を観て改めてルパンを観たいと思ったのは私だけではないだろう。

2014/7/27 開演 15:00~
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/388/