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ドキュメント 滑落遭難


ここ数年、滝に関心を持ち、ひとりであちこちの滝を訪れている。ここ二年は山登りのパーティーに参加し、あちこちの山へ登るようになってきた。
そのパーティーのリーダーによる硬軟を取り混ぜた見事なリーダーシップに、私自身も経営者として学ぶところが多い。

私の場合、独りで移動するにあたってはかなりむちゃもしている。体力にはある程度の自信があり、パーティーでの移動とはちがって速度を緩める理由がないためだ。実際、一人の行動では標準タイムよりもペースが速い傾向にある。
それは過信だ。その過信が事故を招きかねないと肝に銘じている。そのため、山はあまり一人では登らず、なるべくパーティーで訪れるようにしている。

実際、本書を読む一年前には、独りで相模原の早戸大滝をアタックし、遭難しかけたことがある。
それがどれほどの危険な状況だったのかは、正直なところ、まだ甘く見ていた。本書を読むまでは。
本書を読むと、私のその時の経験は、実は相当に危険な状況だったのではないか、と思うようになった。

本書を読んだことで、そうした無謀な行動は控えなくては、と思うようになった。
また、遭難の事例を通じ、人々の山への熱意がより感じられた。それによって私に残された命がある限りは、できるだけ多くの山に訪れたいと意識するきっかけにもなった。

本書は、六例の遭難事例が載っている。また、それに加えて埼玉県警山岳救助隊の報告としてさまざまな遭難の事例がドキュメントとして収められている。

まず富士山。私自身は、まだ富士山に登ったことがない。しかも冬山に関してはスキーであちこちを訪れた程度であり、山登りを目的に置いたことはない。
スキーで訪れた際に、雪山の視野の悪さは充分すぎるほど知っているし、あえて雪山を目指そうとする意欲はない。

とはいえ、実際に雪山での滑落がどれほど想像を絶するものかは、本書の記述から感じ取れる。おそらく、スキー場の急斜面よりももっと強烈な斜面を転げ落ちていったのだろう。
夏山でもよく目にするのが、登山道の脇にありえない角度で斜面が口を開けている光景だ。あの斜面を転がり落ちたらどういうことになるか。想像するだけで恐ろしい。
本書で書かれている通り、そもそも止まることすら不可能になるのだろう。
ここで取り上げられた方は500メートルを滑落したと言う。そのスピードがどれほど強烈だったのか。

本編では教訓として富士山の冬山トレイルであれば、さほど難易度が高くないという錯覚と、下準備の不足を指摘している。また、登山届が未提出だったことや、救急療法に関する知識の不足というところも教訓として上がっている。
これらの教訓は、私にとって耳の痛い内容を含んでおり、私がもし無謀な思い付きを実行していたら間違いなく糾弾の対象となることだろう。ちょっとやばいと思った。

続いての事例は、北アルプスの北穂高岳だ。こちらは山のベテランがガレ場から滑落し、膝を強打したというものだ。
本書に載っている事例の中では最もケガとしては軽いが、膝の打撲がひどくて下山できず、ヘリコプターを呼ぶ羽目になったという。
ヘリコプターを呼んだことによる救出のための費用は相当かさみ、その額なんと440,000円だという。
山岳保険に加入していたため、実際の費用は抑えられたそうだが、山岳保険に入っていない私の身に置き換えてみると、これはまずいと痛感した。
また、ストックの重要性にも触れられているが、私はまだ持っていない。これもまずい。

続いては、大峰山脈・釈迦ケ岳の事例だ。
練馬区の登山グループ17名が、新宿から大峰山系の釈迦ケ岳に向かっていたところ、続けて2件の事故を起こしてしまう。そのうちの1人は、首の骨を折って即死するという痛ましい事故だ。

当日の天気は地元の人に言わせれば山に行くべきではない程度の雨脚だったという。一方でパーティーのリーダーであるベテランの引率者は小雨だったという。
出発時間も早いほうがよかったという批判があり、そのリーダーは時間には問題なかったと言い張っている。つまり平行線だ。
責任逃れと切って捨てることもできるが、実際の状況はその場にいた方しかわからない。ただ、それで人が死んでしまったとすれば大問題だ。

著者は大峰山の自然を守ろう会の方の意見を紹介している。事故が起きたあたりは、修験道の修行場であり仏の聖域でもある。そのような場所に人が入るべきではないと言う意見は、登山そのものへの問題提起だ。
決して登山自体が悪いわけではないと断った上で、いわゆる昨今流行している登山ツアーのあり方について一石を投じる。ここで事故が起こったコースは、二つの日本百名山に登れることから、登頂数が稼げるコースとしても人気があったという。こうした登頂数を稼ぐ考え方に問題の根がある、と。これは私自身も肝に銘じなければならない。

続いては赤城山・黒檜山だ。
数日前に訪れたばかりの冬山を急遽、一人で登ることになった遭難者の五十代女性。
数日前に訪れていたことによって冒険心を起こしてしまったのか、違う道を行ってしまった。登山届がでておらず、単独行だったので足取りも推測するしかない状態だが、迷った揚げ句に体力を消耗し、最後は滑落して動けなくなって凍死したということらしい。
自らの経験への過信と、何かあった時に備えた装備の不足とリスクマネジメントの欠如がもたらした事例だ。

ちょっと知っているから、と芽生えた冒険心に誘われるまま、違う道に分け入ってしまう。これは似たような行動をしがちな私にとって、厳に教訓としなければなるまい。

続いては、北アルプス・西穂高岳独標の事例だ。
登山には着実なステップアップの過程がある。まず近所の小さな山から始め、やがて千メートル級の山、二千メートル級の山、さらには冬山、そして単独行といったような。
その道のりは長くもどかしい。それが嫌だから着実なステップを踏まずに次々と難易度の高い山に挑戦し、そして大ケガを負う。
そんな人がいる中、本編で事故にあった方は着実で堅実なステップアップをこなしてきた方だ。準備も多すぎるほど詰め込むタイプで、事故には遭いにくいタイプ。

ところが、山荘からすぐ近くの独標へ向かう途中で滑落してしまう。そこから一気に400メートルを滑り落ちてしまう。
奇跡的に命は取り止めた後、ほんのわずかだが、つながった携帯電話を頼りに、切れ切れに遭難の一報も出すことができた。
重すぎるザックがバランスを崩した原因となったが、そのザックがクッションになり、さらにザックの中には連絡手段や遭難時の備えが入っていたことが功を奏した。

なによりも、この方が生きて社会復帰してやる、との強い意志を持っていたことが、生き延びた原因だという。これもいざとなった場合に覚えておかねばなるまい。

続いては、南アルプス・北岳の遭難事例がとり上げられる。
この編で語るのは滑落した当人ではなく、それを間近で目撃し、救助にも携わった方だ。
この時期の北岳にはキタダケソウという可憐な花が咲き乱れ、それを目当てに訪れる人も多いのだとか。だが、六月末とはいえまだ雪渓は残っている状態。そこをアイゼンやピッケルもなしで向かおうとする無謀な行為から、このような事故が起こる。夏山とはいえ、準備は万端にする。思い込みだけで気軽に訪れることの危険を本編はよく伝えている。

最後は、埼玉県警山岳救助隊があちこちの事例を挙げている。
ここであがっている山はそれ程の高峰ではない。
それでも、ちょっとした道迷いや油断によって転落は起こりうる。
高峰に登ろうとする際は心の準備に余念がないが、低山だとかえって気楽な気持ちで向かってしまうため、事前に山に行ったことを教えずに向かってしまうことはありそうだ。そうなると遭難の事実も分からず、救助隊も組織されない。
そうやって死んでいった人の多さを、本編は語っている。
多分、私がもっとも当事者になりそうなのが、ここで取り上げられた数々の事例だろう。

こうして本書を読み終えてみると山の怖さが迫ってくる。
本書を読む少し前、私は十数人のパーティーの一員として至仏山に登った。
そこから見下ろす尾瀬は格別だったが、雲の動きがみるみるうちに尾瀬の眺望を覆い隠してしまい、それとともに気温がぐっと下がったことも印象に残っている。これが山の怖さの一端なのだろう。

私はまだ自分が山の本当の怖さを知らないと思っている。また、私は自分の無鉄砲な欠点を自覚しているため、独りで無謀な登山はしないように心がけている。
だが、その一方で私は一人で滝を巡りに行くことが多い。多分、私にとって危険なのは滝をアタックしてアクシデントに遭遇した場合だろう。
滝に向かう時、おうおうにして私は身軽だ。遭難時のことなど何も考えていない。

冒頭に書いた早戸大滝の手前であわや遭難しかけた事など、まさに命を危険にさらした瞬間だったといえる。
早戸大滝は今までもなんどもチャレンジし、その度に引き返す勇気は発揮できている。
この引き返す勇気を今後も忘れないためにも、本書はためになった。

‘2019/9/9-2019/9/10


アクアビット航海記 vol.13〜航海記 その2


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回からタイトルにそって弊社の航海記を書いていきます。以下の文は2017/11/2にアップした当時の文章そのままです。

大学に入るまで

1996年の3月。私は大学を卒業します。4年制の大学を無事に4年間で。単位も取得し、卒論も提出した上で。その時の私に唯一足りなかったこと。それが4月からの就職先です。

なぜ、そういう事態になったのか。それは本連載の第12回で書いた通りです。私の自業自得。身から出た錆。それ以外の何ものでもありません。私自身に社会に出るだけの準備が整っていなかっただけの話です。モラトリアム(猶予期間)への願望もあったけれど、それは理由にはなりません。誰の責任でもなく、私自身の甘えが招いただけの話です。

では私は大学の4年間、何をしていたのでしょう。単に親のすねをかじって遊び惚けていただけなのか。それとも何かを目指していたのか。たとえば起業を志すとか、学問の世界で身を立てるとか。内定もとれず、大学を過ごした私に志はなかったのでしょうか。いえいえ、そんなことはありません。

高校卒業後、私は関西大学の商学部に現役で入学しました。他にも甲南大学にも受かったのですが、そちらは辞退しました。では当初から商学部に入学したい強烈な動機があったのか。そう聞かれると答えに窮します。正直なところ、商学部にしか受からなかったから商学部に入った。それだけの話です。浪人も面倒だったし。

高校生の私は環境問題に関心がありました。未熟で世間知らずであっても社会のために役に立ちたいと志す気概は持っていたのです。ところが、環境問題を専攻するには理系の学部に入るしかなかったのです。そして私の成績は完全に文高理低に偏っていました。国語と社会は上位、ところが数学や理科は落ちこぼれ。とても将来プログラミングで身を立てるとは思えない体たらく。高校時代の私にはPCやプログラミングの気配など全くなく、スーパーファミコンやPCエンジンでゲームしていたのがせいぜいでした。そんなわけで、私の志とは違って文系の学部にしか進学できませんでした。

商学部で学んだ起業への素地

でも、商学部で学んだ経験は無駄にはなりませんでした。入った当初はまったく興味がなく、必修の語学については苦痛でしかありませんでした。ところが商学部の専門コースに進んでから、少しずつ興味を惹かれ始めたのです。特に、マーケティング論。興味をもって勉強もしたし、優良可の優をとるぐらいには理解していました。いまでも、地方に旅行すると地元のコンビニやスーパー、道の駅巡りは欠かせません。いろんな商品を見て歩き、パッケージに感動する。それはこの時にマーケティング論を学んだ影響が尾を引いています。簿記の初歩も大学の授業で学び、簿記三級の合格が単位取得条件だったのでそれも取りました。こうやって振り返ってみると、勉強も結構していたのですよね。連載の第12回では、私の大学時代は遊びまくっていたように書きましたが。多分、興味を持った授業はそれなりに出ていたということでしょう。ただ、当時の私を振り返ると、将来起業に役立つと考えて授業に臨んだことは一瞬たりともありませんでした。当時はそこでの授業が自分の人生にどう役立つのかまったくわからないまま。でも、商学部での学びは起業の糧となっているのです。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、大学の授業はおろそかにするなかれ、と忠告しておきたいです。

部活動を率いて学んだ起業への素地

あと3つ、大学生活で得た起業の糧があります。一つは部活動です。商学部の私が、なぜか政治学研究部に所属することになりまして。理由は、高校の同級生が関大の法学部に入り、その彼に誘われただけのことです。3回生になった私は政治学研究部の部長を務めます。いまから考えると部活動内容も学生の戯れに過ぎませんでした。が、なんであれ組織を率いるという経験は貴重です。私は高校時代にもホームルーム長(級長)を2回務めたことがあります。ですが、高校のホームルーム長は担任の先生の指導の下、高校の枠の中の役職でしかありません。ところが、大学の部活動における部長にはとても強い自治権が与えられます。その経験は、後年、私が“起業”する上で良い経験となりました。大学時代の私は今よりも人見知りの気質が強かったと思います。今のように積極的にいろんな集まりに飛び込んでいく度胸もありません。そんな未熟な私でしたが、政治学研究部で培った交流関係や、一緒に実行した数々の無謀なイベントはとても得難いものでした。そういうへんな度胸を発揮したり、枠をはみ出たりする楽しさ。私に大学のキャンバスライフを楽しませてくれたのが、この部での体験でした。政治学を専攻する部なのに。生まれて初めて検便を提出したのも学祭のやきとり屋。生まれて初めて貧血で倒れたのも学祭のプロレス観戦中。生まれて初めて胴上げされたのも学祭の後。学祭も政治学研究部で参加しました。いまだにこの部の仲間とは交流が続いていますし、この時に過ごした皆には感謝しかありません。あと、私が社会に出るにあたり大変お世話になった先輩と出会ったのもこの部でした。この方については私の起業人生に関わってくるのでまた触れたいと思います。

話はそれますが、大学の入学時には馬術部にも勧誘されました。新歓コンパまで出ながら、結局入部することはありませんでした。この時、私が馬術部に入っていたらいったいどういう人生を歩んでいただろう、と思うことがたまにあります。内定なしで卒業したことも含め、私は自分の大学時代に後悔は何一つありません。が、この時、馬術部に入らなかったことはいまだに心残りです。朝早いのがいや、という理由で断ったことなど特に。

もし本連載を読んでいる学生の方がいらっしゃったら、どんな仲間でもいいから、とにかく楽しめ、そしてどんな形でもいいから上にたて、と忠告しておきたいです。

次回は、私のキャンバスライフで得た残り2つの起業への糧を述べてみます。


ポジティブ・リーダーシップ: Profit from the Positive


本書は新刊本として購入した。

なぜ本書を購入したか。それは私自身に大きな仕事のお話が舞い込んで来たからだ。そのお話が成就した場合、私の仕事や生活環境は大きな変化に見舞われることになる。

しかし、その仕事をやり抜くためにはスキルが必要となる。そのスキルとは、リーダーシップだ。そしてリーダーシップとは、私が10年間自己研鑽を怠っていたスキルでもある。その10年間、私は個人事業主として活動していた。個人事業主とは、個人で請ける仕事については完全に自己責任の世界。もっとも私の場合、開発現場に常駐してチームの一員で働くことが多かった。その場合でも、私の立場は末端のSEであることが多かった。つまり、仕事上では部下を持つことがない。仕事においてはいかなる意味でもリーダーシップを発揮せぬままの10年だった。

私がリーダーシップを発揮する機会があるとすれば、私から仕事を外注する場合だ。仕事を発注する場合、発注元としてリーダーシップを発揮しなければ仕事は動かない。外注先に対し、要件伝達や作業指示を通してリーダーシップを発揮しなければならない。当然の責任だ。だが、そもそもシステム開発とは、少なくともコーディングの瞬間は独力なのが原則だ。また、外注に出した場合もお互いが独立した事業主として作業を遂行する。そのため、協業相手と机を並べて一日の多くを共に過ごすようなスタイルは通常は採らない。つまりここでもリーダーシップの発動の場は極めて少なかったといってもよい。

とはいえ、私にリーダーシップ発揮の機会が全く無かった訳ではない。サラリーマン時代は役員をやっていたこともあったし、現場マネージャーとして部下を何人か持っていた時期もあった。初めて東京に出て就いた仕事は何十人ものオペレーターを統括するスーパーバイザーだ。学生時代には文化部の部長もやっていた。また数年前には自治会の総務部長として総務部員に指示する立場にもあった。つまり、未熟なりにリーダーシップを模索しつつ実践していた訳だ。しかし、個人事業主になってからというもの、ボランティアの
部分を除けば部下を持たぬ仕事環境に慣れてしまっていた。

冒頭に書いた仕事の話を頂いた時、私の脳裏に浮かんだのは、自らのリーダーシップセンスを再構築すること、という準備タスク。しかも優先度を高めにして。なぜなら頂いた仕事の話が成就した場合、かなりの数の部下を持つことが予想されたから。私をそうやって買ってくれたお申し出に、やる気が出ない訳がない。が、その一方で私は、10年間の個人事業主としての慣れを払拭せねば、新しい仕事はおぼつかないというあせりも芽生えていた。そんなわけで、マネジメント関係の書籍を探しに本屋を訪れ、購入したのが本書である。

ポジティブ・リーダーシップ。前向きなリーダーについての本である。ポジティブ。とても大切な言葉だ。人生を生きていくにあたって唯一といってもよい真理かもしれない。私も42年生きてきて、少なくとも自分自身をポジティブにする術は身に着けられているのではないかと思う。ポジティブでなければ乗り越えられなかったような様々な試練も乗り切ってきた。なので、自分自身をポジティブ・シンキングに持ち上げる目的については本書の出番は無いのかもしれない。

しかし、ポジティブさを部下に求めることはまた別の話だ。しかも継続してポジティブで居てもらわねばならない。これは難しい。たとえ自分自身の内面をポジティブにしたところで、部下の心中を管理し切ることはいかんともし難い部分だ。しかしリーダーがどれだけポジティブであっても部下が後ろ向きで消極的であれば、組織の成長は望めない。本書で著者が指南するのは部下をポジティブにさせるためにリーダーとしてあるべき姿、保つべきスタイルについてだ。

結論としては、本書は私自身にとって大変参考となった。それは、前向き思考を保ち続けるために私自身が今まで培ってきたノウハウとは矛盾しない。矛盾しない上に、足りない部分を本書が補完してくれる。これは大きい。もちろん本書を読んだだけで実践できるわけがない。読んだ上での試行錯誤は欠かせない。本書を繰り返し読むことで実践を確かなものにしなければならない。

初めの4章はリーダーについてだ。
1章 生産性の高いリーダーとは?-時間管理より重要なこと
2章 逆境に負けないリーダーとは?-自分のケツをひっぱたく
3章 感染力の強いリーダーとは?-部下ではなく、自分の感情をコントロールする
4章 強みを活かすリーダーとは?-うまくいっているものを最大活用する

1章の冒頭から、著者は生産性が上がらない理由について問題提起する。それは「働きすぎ」「マルチタスク」「仕事の先延ばし」の3つである。3点のうち、私にとって勉強になったのは「マルチタスク」の弊害だ。私もマルチタスクを錦の御旗としていくつもの仕事を並行して行うことが多い。ただ、マルチタスクをやっているつもりでも、実は脳内では瞬時瞬時の作業の切り替えが発生しており、厳密にはマルチタスクにはなっていない。そしてそのために却って能率が落ちているというのだ。本書によると切り替えによる損失は専念した時の4割にも達するという調査結果があるらしい。生産性を上げるどころか却って損失させているのがマルチタスクということだ。本書を読む前にもマルチタスクの弊害については知識として持っていた。しかし、これほどまでとは思わなかった。しかし私自身、未だに「ながら族」「マルチタスク万歳」の癖は抜けない。これは今後も意識して気をつけねばなるまい。

著者はその前提を読者に突き付ける。そしてその上で、生産性上昇についていくつかのテクニックを読者に伝授する。それは「ツァイガルニク効果」と「ティナのハイ終わり!リスト」の2つだ。一つ目の「ツァイガルニク効果」とは、課題がいくつもあるうち、終わらせた課題と終わらせられなかった課題を比べると、人は後者の課題を記憶しているという効果をいう。それを利用し、前日の終業前にすべてを終わらせず、敢えてほぼ終わらせた状態で留める。そうすると、翌朝はそれをすぐに片づけてから仕事にかかることが出来るというのだ。なるほど、これはあまり聞いたことがないテクニックだ。また「ティナのハイ終わり!リスト」は命名こそ適当だが、要するにToDoリストに線を引いて可視的に終わらせたかどうかを意識させるテクニックだ。このテクニックは使っている人を良く見かける。ToDoアプリで知られるRemember The Milkもこの手法を使っている。

また、「まずやってみる」ではなく「まず計画を立ててみる」に意識をシフトすることも説く。これも私に足りない部分だ。システム開発ではまず要件定義から設計書を起こし、その後にコーディングを行う。それが定石だ。だが、それは私の性に合わない。私はコーディングを始めながら、設計を具体化させるやり方を採る。私のよくやる開発手法だが、システム開発の世界では掟破りもいいところ。そしてこのやり方は著者に言わせると間違いらしい。まあそうなのだろう。私の開発手法とは個人事業主の発想ものだからだ。チームワーうが求められる開発では当然無理が出てくるはずだ。ただ、サイボウズ社のkintoneに代表されるクラウドの思想は設計書を不要にする方向で進んでいる。私も自分のやり方を改善する方向で考えたいが、一方でなにがなんでも設計書ありき、という硬直した方法を採らずに済む方法を考えたいと思っている。

また、著者は一気にやるのではなく少しずつやっていくことの重要性も説く。まずは自分をだます意味で、つまりまとめて作業するには心の準備が必要となるが、少しでも持続することで同じだけの仕事の成果が得られると著者はいう。これもまた、私の苦手なやりかただ。少しずつではなくまとめて一気にけりを付けるやり方が好きだ。途中で仕事が終わったままの状態が許せない質なのである。私は。

上記二つの方法は、私のやり方と違っている。本書を買ったはよいが、果たして私に合うのだろうnかと少し不安に思った。しかし、本書の目的は自分自身を変革することにはない。本書は部下を、そして組織をポジティブにする本なのである。つまり私自身のやり方と本書の勧める方法に違いがあって当然だ。そして私のリーダーシップは全く未完成。自分のやり方が正しいという予断は慎まねばならない。私のやり方と違っても、本書で勧める方法が部下や組織には効くかもしれないのである。謙虚に向き合いたいものだ。

計画を立てること、そして他人には少しずつ継続的な仕事が有効という本書の勧めは覚えておく必要があるだろう。

著者はさらに、目標を立てるだけでなく習慣にすることの重要性も述べる。これは私もよく行っていることだ。つまり習慣化してしまえば苦にならず楽に作業がこなせるということだ。さらに著者は、働き過ぎることを戒める。適度に休むことで逆に能率がアップすることを著者は重要な点として推奨している。これは言われるまでもなく分かる。

なお、本書の各章では、まとめとそれに対する自分への質問として読者に自身で考えさせるためのページが設けられている。私もそれらのページで振り返りをしながら本書を読み進めた。また、本稿を書く上でも改めて振り返りと章の内容を読み返している。本書の良い点の一つといえるだろう。

2章では、部下が逆境に負けないための処方箋が示される。まずは問題解決をあきらめる前に、自らが専門家であることをやめること。これを有効な処方として著者は薦める。以前に読んだ「WORKSHIFT」では、ジェネラリストであるよりもエキスパートたれということを学んだ。しかし本書では一読すると逆のことを教えられているように思える。しかし、著者が云う専門家とは、それ以上学ぶことがない人を指す。専門家としてそれ以上学ぶことを諦めるのではなく、学ぶという目標にトライするよう勧めることを著者は勧める。学ぶという目標を与えられることによって人は困難に立ち向かうだけの勇気が備わると本書は説く。ここは誤解のないようにしておきたい。また、探検家であれ、と説く。探検家とはこれまた意味が分かりにくい。が、本書を読むとそれが全ての物事を前向きに捉える意味であることが分かる。つまり物事を様々な視点から観、前向きに捉えられる視点を自分の中で大きく取り上げる。これである。さらには、自分との議論に勝つとことも提唱する。つまり自分の弱気の虫に打ち勝つために、過去に乗り越えた体験を持ちだす手法だ。

この章については私が自分自身で実践している部分が多い。だが、そのノウハウを部下に教えていくことは難しい。それらのノウハウを部下に説明するための題材として本章は有効だ。

3章では、上司としての言動が部下にいかに影響を及ぼすかを示す章だ。この章で述べられていることは、私自身にも思い当たる節が多い。反省せねばならない。私は気分にムラがあることがあり、仕事においても好不調の波が激しい。そして不調な時の私はおそらく顔にモロに現れていることだろう。そういった上司の不調、または不機嫌具合がどれだけの影響を部下に与えているか。多分私が個人事業主としてここ数年一番鍛えていなかったのはこの点だろう。部下がいない分、そういった気遣いは完全に後回しになっていた。仕事の成果だけではなく仕事中の態度も含め、常に上司然としていられるか。これは改めて気を付けねばならないと自覚した。また、ここでは部下への管理過多に対する弊害も述べられている。上司からの管理干渉については私も好きでない。自分がされたくないことは人にもしない。このモットーを持つ私としては、すんなりと受け止められる部分である。実際、私が部下を持っていた際は放任主義だったといって過言ではない。しかし放任であってもいざという時に手綱を締められる手際。ここが大事だと思う。

4章では強みを活かすリーダーとしての心構えを説く。人は得てして望ましい方向には意欲を持って取り組む。しかし、望ましくない方向には慎重に振る舞いがちだ。つまり物事や課題を望ましい方向へと向けることは、組織を前に向けることにも繋がる。一方で、物事を望ましい方向に向けたくない場合、防衛本能が前に立つ。その場合、問題解決にも否定的な感情を持って取り組むことになる。これを会議の話題に例えるとどうなるか。前向きな話題の多い会議では会議の出席者に明るい雰囲気が満ち、否定的な話題が占める会議では、会議の出席者に暗く重苦しい空気が垂れ込める。会議の出席者を前向きにさせようと思えば、どちらの会議の話題が良いか。答えは明白だ。しかし日本の会議ではうまくいっていることは議題に挙げず、発生している問題を解決しようと討議する傾向にある。だが、それが本当に仕事の能率を上げるためによい選択だろうかと著者は問う。ここは、まさしくその通りと云いたい。そして私の出る会議の多くも問題解決型の重い会議が多い。私がリーダーとなった暁にはここは気をつけねばならない。

分析手法としてよくSWOT(Strength=強み、Weakness=弱み、Opportunity=機会、Threat=脅威)分析が用いられる。しかし著者はSOAR分析を提唱する。SOAR分析とは、Strength=強み、Opportunity=機会、Aspiration=抱負、Result=結果で構成される。この違いは、後ろ向きの単語がないこと。ここでも著者の言うところは明白だ。後ろ向きの議論をしない。これに尽きる。

後の5章は組織運営についてだ。
5章 人材採用-最高の人を探そうとするか、最適な人を見抜くか?
6章 従業員エンゲージメント-最高のものを引き出すか、最大のものを得るか?
7章 業績評価-相手を変えるか、ダメにするか?
8章 会議革命-エネルギーを消耗する場になるか、喚起する場になるか?

5章は、チームを作るための人材採用についての章となる。ここは採用面接の要諦が述べられている。それは「こうなったときどうしますか?」という仮定を質問にしないことだ。逆に過去の経験を問う。「その時どうしたか?」を質問とするとよいと著者はいう。これはついつい質問してしまいがちだ。肝に銘じたい。

6章は、本書の核となる章かもしれない。エンゲージメントについて述べられているからだ。エンゲージメントとは、組織と人材の結びつき。つまりは人材をいかにして組織につなぎとめ、効果を上げさせるか。ただ、ここで書かれているのは今までの章のまとめだ。一言で言うとすればとにかく前向きに。それが全てだ。具体的には、業績の悪い部下を解雇するのではなく、奮い立たせること。いいときもあれば悪いときもある。悪い時を全ての評価基準にするのではない。その評価基準を決めるための話し合いを交わすことがよいという。さらに話し合いの中で、良いときの状態に持っていくためにはとにかく褒める事がよいと著者はいう。頻繁に称え、頻繁に励ます。そしてそのための手法として、正面から褒めるのではなく、背後から褒めるという手法を紹介する。人は予期せぬときに褒められることで、モチベーションをアップさせる。その知見に基づくものだろう。実際、これは私が部下の立場でそうされた時に思い当たる節がある。そして、案外褒めているようで、なかなか褒めていないのが実際なのかもしれない。これはリーダーシップという観点からも腑に落ちる提言だ。

7章は、業績評価の手法だ。業績評価もまた、部下のモチベーションに直結する。そして、多くの企業では未だに評価項目のランキングという手法に固執していると著者は指摘する。ランキングという評価手法がいかに多くの人材のやる気を削いできたか。項目によってはどうしてもマイナス評価を下さざるをえないものもあるだろう。そのために、弱みを無視せずに強みをより増幅させる話し合いが重要ということだ。容易に達成できたり曖昧な目標設定でなく、過去を云々するよりも将来に向けたビジョン創り。これらは定型的な業績評価では難しい。一方で、そういった業績評価を行うためには、普段から部下とのコミュニケーションが必要だ。私の学びもまさにこの点に尽きる。自分の作業に没頭しがちな私は、この点こそを考えねばならない。

8章では、会議の手法に触れる。ここもリーダーシップの発揮にとって重要な過程だ。ここでも著者は三つの手法を示す。まず、会議の最初にポジティブな話題を振る。そして会議の中でネガティブな話題が続くようだと、ポジティブな話題となるように軌道修正する。次に、ピーク・エンドの法則を活用し、ポジティブな話題で会議を締めくくるように意識する。最後に会議の出席者全員に会議に参加してもらうよう働きかける。これもまた、実効性のある提案だと思う。

9章では、より実践的な提案が示される。特に、専門用語を使わないという項目は重要だ。私のようなIT業だとなおさら気をつけねばならない。これは普段からも気をつけるようにしているのだが、気を抜くと言葉に横文字や略語が混ざることがある。これは仕事に限らず全ての日常生活でも気をつけたいものだ。

ここまで読んでくると、リーダーシップの発揮とは特に難しくないようにも思える。が、それでは本書を読んだ意味がない。ただ読んだだけだ。読んだ内容を実践することこそが難しいのだ。そして、私には実践のための機会が迫っていた。だからこそ、本書を手に取った。本書の内容は、単にリーダーシップの実践だけではなかった。仕事全般にとっても本書は実りある内容だったと思う。

ここで、冒頭に書いたお仕事の話について触れたい。結論からいうと、この話は残念ながらお流れになってしまった。もうよい頃合いだから書く。その話とは、某IT企業の関西進出にあたり、私に関西事業所長としての新規開拓とその後の統括を行って欲しいという申し出だった。これ以上具体的なことを言うのは差し控えるが、当初は請負業務としての所長就任だった。しかし、交渉の土壇場になって社員としての所長就任に話が変わってしまった。この条件変更を法人設立したばかりの私が呑む事ができず、話はお流れになってしまったというのが経緯だ。

その意味では、私にとってリーダーシップを発揮する機会は喪われてしまった。いや、そうではない。発揮する機会は喪われてしまった訳ではない。これからだ。そして私にとっては本書から得るものはやはり多かった。事業所長としてリーダーシップを発揮する機会はもはやないだろうが、私の当初の決意は翻すことなく敢行した。つまり、当時の常駐先の稼動を半分にするということだ。それによって私は遮二無二仕事を取りに行かねばならなくなった。また、実際に受注した仕事を完遂するためのノウハウでも、本書から得られた知見は多い。その一方で、半分に稼動を減らしたとはいえ、常駐先の業務自体は続いている。半分に減らした稼動時間の中で私の後任の方も含めて業務は回さねばならない。その点でも本書から得た知見は十分に活せていると思っている。

だが、それで終わりではなく、私自身の課題としてリーダーシップの確立には引き続き取り組まねばならない。そしてその機会はいくらでもあることだろう。その時に、本書から得られるものは多いに違いない。

‘2015/10/28-2015/11/08


決断プロフェッショナル-失敗しないための思考と技術


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本書は決断について実践的かつ簡潔に書かれた本である。「決断」をスピーディーに下すことは容易だ。しかし、決断を迅速に正しく下し続けることは実に難しい。以下、私自身のメモを兼ねて本書の内容を簡潔にまとめてみた。

本書は決断の過程を大きく戦略・戦術・実施の3つに分類する。

1.戦略には、ゴール・目的が含まれる。ゴール・目的とは、何をなすべきか、どこをねらうか、のこと。つまり、以下の4項目について考え抜くことと同義である。

・ベーシックな認識を確実にする。
・デザイヤー(ありたい姿)を明らかにする。
・モービルエンジン(戦略機動力)を突き止める。
・ゴール(方向づけ)を設定する。

・ベーシックな認識を確実にする。とは以下の三つ。環境の変化(社会的価値の動き、技術の進歩)に常に目を配ること。競合する対象を考慮にいれ続けること。自らの保有する「能力」「資産」「経験」を把握すること。

・デザイヤー(ありたい姿)を明らかにする。とはこれまでの自らの経験を成功失敗ともに反芻し、それをもとに自らのありたい姿をイメージする事。

・モービルエンジン(戦略機動力)を突き止める。とは自らの強みやコアコンピタンスを理解する事。

・ゴール(方向づけ)を設定する。とは上記3点を踏まえ、具体的な目標を策定すること。

2.戦術には、状況把握、原因究明、選択決定、将来分析が含まれる。

状況把握とは何が問題か、のこと。それには、まず以下の4点を明確にすること。

・問題点を列挙する。
気になること、放っておけないこと、チャンスと思われること、何とかしなければならないこと、について書けることはいくつもあるはず。

・事実情報にこだわる。
予測や勘、対策、案ではなく事実こそが重要。

・課題(行動計画/アクションプラン)化する。
「まずいことには原因あり」と認識し、原因を究明する。「決めたいことには案があり」と認識し、案を考える。「したいことにはリスクあり」と認識し、リスク/チャンスを考える。「知りたいことには調査あり」と認識し、事実情報の不足分を調査する。

・優先順位をはっきりさせる。
今自分にとって最も影響のあることを重大性として捉える。最も早くやらなくてはならないことを、緊急性として捉える。将来において影響が増大するものを、拡大性として捉える。

原因究明とはなぜそうなったか、のこと。それには、まず以下の4点を明確にすること。

・差異を明らかにする。
あるべきことと現実の姿の比較が重要。

・情報整理をすばやく行う。
現実におこったこと、起こってもよさそうなのに起こらなかったこと。の2つの視点に、「何が/誰が」「どこで」「いつ」「どのくらい」を掛け合わせる。

・情報の品質を問う。
情報の特異点と変化を見極め、その情報の質を信頼できるものか吟味する。

・想定原因を情報で保証する。
上記3点から情報を整理し、原因の究明を補強する。

選択決定とは最善策は何か、のこと。それには、まず以下の4点を明確にすること。

・案、選択の目的を明らかにする。
多くの選択肢を出した上で、常に案や目的を出し続けることが重要。

・目標や条件を列挙して評価する。
必須でありかつ計量判定できかつ現実的なことの目標条件と、それ以外の目標条件を分類する。

・複数案を考える。
目標条件から、出来る限りの案を考えることが、成功の可能性を高める。

・リスクを考える。
上記3案を考え抜くと、駄目だった場合の起きうるリスクも明らかになる。また、基準にもなる。

将来分析とは将来大丈夫か、のこと。それには、まず以下の4点を明確にすること。

・達成するポイントを定める。
いつまでに、なにを、どの程度、どうするの設定が重要。

・重大領域をチェックする。
日常のルーティンワークと決断を必要とする重要領域をはっきり分けること。

・リスクとチャンスを整理する。
将来起こり得るまずいことと良いことを考えておく。

・対策には事前と事後がある。
リスクを考えても、いざことがあった場合、できるだけ影響を抑え、対策を打つことが必要となる。

3.実施には、実施分析が含まれる。実施分析とは、それは達成できるのか、のこと。そして、選択決定とは最善策は何か、のこと。つまり、以下の4項目について考え抜くことと同義である。

・ワークを細かく分ける。
・役割分担をはっきりさせる。
・進行上の重点チェックを考える。
・経験の映像化を図る。

・ワークを細かく分ける。とはガントチャートやWork Breakdown Structureまで作業を落とし込むこと。

・役割分担をはっきりさせる。まさに担当や権限の設定である。

・進行上の重点チェックをする。とはマイルストーンやチェックポイントの設定であり、その結果の検証を意味する。

・経験の映像化を図る。可視化にも通ずる。脳内にため込むだけではなく、アウトプットが必要。成功も失敗も。

さて、ここまでが本書の第一章である。ここまでが把握できれば本書を読んだ意味があるというものだ。私にとって決断の過程は三つの意味で重要だ。一つは請け負ったプロジェクトの遂行。もう一つは会社としての成長。最後の一つは家長として家族を守ること。また、最初の一つについては、そのことを体得するために活きた現場を体験している。私は今の現場でPMOの仕事に何年か携わっている。PMOの仕事に就いていると、プロジェクト遂行のための決断に始終触れることになる。プロジェクト統括チームとして、このあたりの意識は嫌が応にも求められる。それこそが私がPMOという職務に飛び込んだ狙いだった訳だが。

この現場で得たことは本書でいう決断プロセスの集合こそがプロジェクトということだ。集大成とも言える。それがうまく機能すればプロジェクトは成功となり、滞るようであればどこかに欠陥があったわけだ。こちらの現場で得た教訓は私自身、また、弊社自身で取り入れていかねばならないと思っている。

第二章では、実際の決断の事例を見て、リーダーが第一章のそれぞれのチェックをどうやって行ったかをみる。ケーススタディとなるのはキューバ危機における米ケネディ大統領の決断である。もう一つは宅急便を創始したヤマト運輸の小倉昌男社長の決断である。

それぞれの決断のプロセスが第一章の各項と照らし合わせて解説される。本章を読むことで第一章の各項の意味がより把握できるのが狙いだ。

第三章は、読者も考えられるよう、3つの例を元に共に考えようという章だ。1つめは電機メーカーの在庫滞留の原因について。2つめは海外の複合機製造プラントでのラインの品質管理に関する者。3つめは核家族の家族運営について。この章もトレーニングとして使える章だ。特に三つ目については経営者でなくとも重要だ。一従業員としても、家庭を持った以上は決断をしなければならないことはいくらでもある。それは子供を育てたり配偶者と家庭を作り上げていくという大切な役目にも繋がる。仕事ばかりにかまけるとここが疎かになり、家庭も崩壊してしまうことになる。

第三章まで読んで思うのは、実は本書はビジネスシーンだけに効く書ではないということ。もちろんビジネスの現場でも決断は随時求められる。が、家庭を運営する上でも決断の連続であることは案外気づかないものだ。しかし日本人の教育課程において、決断という訓練はなおざりにされがちだ。だが、そこを怠ると次代を担う子供たちの成長にも阻害が生じる。決断という行為はもっと国民全体に教えられてしかるべき。そういう意味では、本書はビジネス書としてだけでなく、人生の書としても読める。

‘2015/10/20-2015/10/25


上杉鷹山の経営学―危機を乗り切るリーダーの条件


本書はユニークなアプローチを取っている。歴史上の人物を取り上げ、伝記や小説に仕立てるのではなく、そこにビジネス論を含めているのだ。つまり、本書はビジネス書と小説のハイブリッドといえる。

本書の主人公は上杉鷹山公。歴史上の人物でしかない上杉鷹山公の事績を、伝記とビジネスのハイブリッドで迫れるのも上杉鷹山公が単なる歴史上の人物ではないからだ。故ケネディ米大統領が尊敬できる日本人として挙げた人物。それが上杉鷹山公である。

上杉鷹山公は名字からも分かるように上杉家の方である。上杉家といえば軍神として知られる上杉謙信公が良く知られている。群雄割拠の戦国時代を駆け抜けた謙信公も病に倒れ、それから信長、秀吉、家康へと権力者は移り変わる。上杉家も謙信公から景勝公へと代替わりし、滅亡の憂き目を見ることなく、時代の波を乗り切った。しかし上杉家も無傷ではすまなかった。豊臣政権下では五大老の一人として名を馳せたが、越後から会津へ移封される。会津藩では120万石の大藩であったが、関ケ原合戦で東軍に敵対したため、30万石の米沢藩に転封されてしまう。しかし謙信公からの名藩意識は容易には抜きがたく、石高120万石の大藩意識を引きずったまま江戸時代を凌ごうとする。参覲交代に普請奉仕と幕藩体制にあって出費は嵩む一方。それなのに、1/4に石高が減らされたにも関わらず、人員は120万石の体制を抱えたまま。そんな訳で鷹山公が藩主に就いた頃は、藩籍奉還、つまりは藩を幕府に返上することを画策するまでに追い詰められていた。

しかし幾多の困難を経て果敢に改革を断行した鷹山公は米沢藩を再生させる。莫大な借金を完済したのは鷹山公の次々代であったが、その功績は間違いなく鷹山公にあるといってよい。

日本人は世界でも稀なメンタリティーを持っていると言われる。それは個人の意思よりも集団の意思を重んじる心性だ。それは長所であるが、こと改革を行う上では短所となり枷となる。外圧なく自己変革を成し遂げた事例が稀な我が国において、内側から変革を成し遂げた所に鷹山公の凄さがある。しかも鷹山公は日本人とかけ離れたメンタリティーを持っていたわけではない。むしろ人一倍日本人の心性の持ち主だったと思われる。つまり、鷹山公が成したことは、今の日本を変える上で大いなるヒントとなるのだ。

財政難とプライドに絡め取られて二進も三進もいかず、跡継ぎもない米沢藩。そんな落ち目の藩主として、宮崎の高鍋藩秋月家から養子として入ったのが鷹山公。若く、人脈もなく、経験も足りない鷹山公。しかし、鷹山公は自らの弱点を冷静に受け入れ、その上で素直に忠言を聞き入れる度量を備えていた。また、目的へのビジョンやそのために率先して自らが為すべきことも弁えていた。そして、何よりも覚悟を持っていた。

鷹山公の改革は江戸から始まる。手始めに対象となったのは、本国から疎んじられ江戸藩邸に遠ざけられていた士、改革を志す人々。彼らをまず鷹山公は味方につける。打算でなく改革への意志をもつ故に江戸に追いやられた志士達。彼らこそ藩の改革に欠かせない人物として登用する。その上で鷹山公は、まず彼らに対して改革へのビジョンを語る。語る言葉の内容に曖昧さが含まれていれば逆効果。改革の士達は新たな若き藩主を見限ってしまうことだろう。しかし、そこで鷹山公が語ったとされるビジョンには、以下の要素が含まれていたという。

何がしたいか・・・・理念・目的の設定
どこまで出来るか・・・・限界の認識
なぜ出来ないか・・・・障害の確認
どうすれば出来るか・・・・可能性の追求

上記の4項目は、文中においてもその形のまま箇条書きで記述されている。ここが本書の特徴だ。小説の体裁を取りながら、ビジネス書の風味が実に濃厚なのだ。通常の小説ではこのような書き方はしない。しかし、このような書き方によって読者の理解を助ける点に本書がビジネス書である所以がある。

小説の場合筋を追う事に没頭するあまり、ビジネスに活かすためのヒントを読み流してしまう。が、上に箇条書きで書いた4項目は、鷹山公の改革へのとば口である。ここを読み飛ばすことは、鷹山公の改革の根本を見逃すことに等しい。本書がビジネス書の体裁を濃厚に備えているのは、鷹山公の事績を通じて、現代の経営に役立つ重要なメッセージを余さず取り込むためである。この4点はビジネスにあってもプロジェクトにあっても無意識に考えるはずの事項だからだ。

続いて鷹山公は、本国へ出立する。藩士に対して自己の改革の意思を明確にするために。本国では、全藩士を城の大広間に集めるという前例のない行動によって自らの意思を直接全藩士に伝える。著者はそこで読み上げたメッセージもビジネスに活かせるよう箇条書きにまとめる。

実態の報告
方針の明示
自己の限界明示
協力要請

上記4項目を達成するために、

情報の共有
討論のすすめ
コミュニケーション回路を太く短く設定する
トップダウンとボトムアップを滑らかにする

といった具体的な策を著者は書き記す。江戸時代の文章をそのまま提示したのでは、今の多忙なビジネスマンの心には届かない。そう意図したのだろう、著者は現代文に書き下した上で箇条書きにして記載する。念には念を入れて。

以下、本書は鷹山公の改革をつぶさに紹介する。その内容は実に先進的であり、封建社会の江戸時代に為された施策であるとは俄かには信じられない程だ。私自身、鷹山公の事績についてまとまった本を読むのは本書が初めてだ。そのため、鷹山公の行った施策を詳しく知れば知るほどその内容には驚くばかり。江戸時代ばかりか日本史上における名君として外国の大統領からも尊敬を受ける理由も分かる気がする。

もともと本書を読んだのは小田原市で開催された第8回嚶鳴フォーラムがきっかけである。誘ってくれた友人と一緒に出掛けた嚶鳴フォーラムは、全国の自治体、それも郷土ゆかりの偉人を擁する自治体の首長が一堂に会し、互いの偉人を紹介し合い、その叡智に学ぶのが主旨だ。第8回の会場が小田原だったので全般的には二宮尊徳公が取り上げられていた。だが、嚶鳴フォーラムには参加自治体が地元ゆかりの偉人を紹介する時間もきっちりと設けられている。当時の安部米沢市長もその一人として登壇され、上杉鷹山公の事績を紹介して下さった。それで改めて鷹山公に興味を持ったのが、本書を手に取った理由だ。

士農工商穢多非人という身分差別がまかり通っていた江戸時代にあって、身体障害者を始めとした弱者の命は現代とは比べ物にならないくらい軽視されていたことだろう。しかし鷹山公は藩内の身体障害者に対する虐待禁止を打ち出したという。また、出生直後の乳児を殺してしまう間引き。これも当時はよく行われていた風習らしいが、鷹山公によって禁止されている。また、自助、互助、扶助を三位一体として弱者への福祉に力を入れたという事績も伝わっている。姥捨山や間引きなど、弱者にとって生きにくい世。それが江戸時代であった。そんな中、このような政策を打ち出した鷹山公の先進性には驚きを禁じ得ない。また、鷹山公に輿入れした幸姫が、小児脳性麻痺の障害者だったことも付け加えておかねばならない。幸姫を受け入れた度量があってこそ、福祉政策に理解があったのかもしれない。

本書で挙げられた改革の全ては資金あってのものだ。そして米沢藩とは債務超過藩として名を馳せた藩である。では乏しい資金の中、どうやって鷹山公は改革を成し得たのか。それは、殖産政策による収入の増加に励んだからである。収支のバランスが崩れた場合、普通は支出から先に削る。しかし鷹山公が改革に着手した当時の米沢藩の財政状態は、生半可な経費節減策では焼け石に水であった。それほどまでに追い込まれていたのが米沢藩だ。そのため、鷹山公は支出の削減と同時に収入の増加という二方向で改革を進めた訳だ。

殖産政策として特筆されるのは、武士を農商業の作業に向かわせたことだ。士農工商の身分社会にあって、武士が農商業に手を染めることに対する反発は相当だったらしい。武士だけでなく奥方始め家族にもその対象は及んだというのだから徹底している。

では、武士を農商業に向かわせたことによって何が変わったのか。それは仕事のための仕事、報告のための報告が一掃されたことだという。そのような生産性ゼロの仕事に従事するくらいなら、作物を植え畑を開墾する農作業に使ったほうが余程生産的。結果として鷹山公の指導の下、武士たち自身も荒れ地を開墾し、新田開発を担ったというから奮っている。いわば武士に対する意識改革の達成であり、謙信公からの大藩意識の革命でもある。

鷹山公の改革を見てみると、形式主義の一切を否定していることがわかる。〜だからだめ。〜だからできない。それでは改革は進まない。そのような思い込みが組織を硬直化させ、改革の芽を摘む。それは現代においても思い当たることばかりだ。

しかし現代においても抵抗勢力はいる。過去においてもそれは同じ。自らの生まれ育った文化を捨て去ることへの抵抗は思いのほか大きい。成果が見え始めれば尚の事、抵抗勢力にとっては自らの存在意義が失われることを意味する。そんな抵抗勢力による反撃が鷹山公を襲う。それは反対派の重臣たちによる藩主軟禁。寸でのところで改革派の重臣達の機転で辛くも逃れることに成功した。

ここで鷹山公が示した抵抗勢力に対する処罰。この処置もまた鮮やかなものであった。むしろ、この処罰によって鷹山公の名声が後世に残ったのかもしれない。一定の改悛期間を与え、それでも悔い改めぬ者に対して死罪を含めて厳畯な対応を行う。単に優しいだけでは民も家臣も付いて来ない。藩主として改革を示すだけではだめなのだ。それだと家臣は面従腹背の態度を身に付けてしまう恐れがある。いざとなれば改革のためには部下すら切り捨てるだけの覚悟。その覚悟を懐中に潜ませ、いざという時には伝家の宝刀として抜く。そういった凄みを漂わせた者にしか改革は成し得ない。私自身、この点がまだまだ足りないと自覚している。今後の課題として、鷹山公が成した処分の詳細は肝に銘じておきたい。

また、さらに難しいのは功遂げた家臣が堕落した時の毅然とした対応だ。功臣だからといって甘い顔を見せると、改革の成果は一気に瓦解する。鷹山公の場合、藩主就任の初期から改革を共にした竹俣当綱に対する処分がこれに相当する。不要な企業功労者は処断せよ、と著者は言う。功臣といえども権力を握ると錯覚を起こし堕落に走る。起業家ならずとも肝に銘じておくべきことだろう。

最後に著者はリーダーに必要なのは、次代の後継者へ改革を伝えること、という。鷹山公はその点も怠らなかった。伝国の辞を作り、後継者に託したのだ。そこには藩主たるもの、国家と人民のために存在しており、国家や人民が藩主のために存在しているのではない、と書かれていたらしい。封建時代の藩主の言葉とはとても思えない先見性は、ここでも見られる。

エピローグにおいて、著者は鷹山公が自身の改革の本質を機関に見立てていたのではないかと指摘している。つまり属人的な政治ではなく、普遍的で恒久的な機関である、と。鷹山公が仮に亡くなったとしても、藩が機関であれば改革は継続して成し遂げることができる。では、機関がその根底に持つべき思想とは何か。それを著者は愛という言葉で表す。他人への労り、思いやりを持ち続けてこその愛。しかしこのことを実践するのは難しい。しかし、やらねばならないのもまた事実。会社のトップとして、家長として。努力せねばならないことは私自身まだまだある。

本書は何度も折に触れて読み返そうと思う。鷹山公が成し遂げた改革を自らの血肉としていかねばならない。得難い本である。

‘2015/04/13-2015/04/13