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真相・杉原ビザ


本書を読む少し前、2015年の大晦日に『杉原千畝』を観劇した。唐沢寿明さんが杉原千畝氏に扮した一作だ。作中では現地語ではなく英語が主に使われていたのが惜しかった。でも、誠実に杉原千畝氏を描こうとの配慮が見えたことに好感を持った。(レビュー)

千畝氏の業績はとかく誤解されがちだ。ユダヤ問題の視点。日独伊三国同盟の視点。外交官の職業意識の視点。組織統制からの視点。様々な問題がからむ。

スクリーンで唐沢さんが演じた杉原千畝が、どこまで本人を再現していたのか。それを確認するには本を読むことしかない。偶然本書を選んでみたのだが、著者は杉原家のご遺族から資料の管理を任されるなど全幅の信頼を置かれている方だとか。期せずしてふさわしい本を選べた。そして、著者が本書のタイトルに真相と名付けたのも、これをもって杉原評伝の決定版とし、杉原ビザを巡る論争に終止符を打ちたい、という決意の表れかと思う。

本書の内容は千畝氏の生い立ちから、満州時代、そしてカウナスの副領事を務めた日々を描いている。一方で戦後外務省を追われてからの日々はあまり取り上げていない。だがそれを脇に置いても本書は杉原千畝の評伝として決定版と言えるのではないだろうか。

私は組織に服し、命令に盲従するのが好きではない。なので、千畝氏が外務省の訓令を無視し、個人の信念でユダヤ難民にビザを発行した行動に反感はない。むしろ喝采を惜しまない気持ちだ。

だが、千畝氏の行動を無邪気に賛美するだけでは意味がない。領事館に押し寄せるユダヤ難民の群れを前に、組織人につきもののしがらみを断ち切ってまで、個人の信念を優先させたのはなぜか。それには当時のカウナスのユダヤ難民がおかれた状況を理解することももちろんだが、そのような行動を起こさせた千畝氏の生い立ちからも理解する必要がありそうだ。

著者のアプローチはその考えに沿っている。けれども、著者はその前に千畝氏のビザ無断発給についてまわる誤解を冒頭で解く。その誤解とはビザを無断発給したのは、ユダヤ人社会から金が出ていたからというものだ。著者はその噂を根拠なしと片付けている。それは、戦後イスラエルの宗教大臣を務めたバルファフティク氏からの証言による。バルファフティク氏はカウナスでビザ発給陳情に訪れた五人の代表者のうちの一人だ。バルファフティク氏は戦後イスラエル政府の要職に就き、千畝氏の名誉回復に並々ならぬ役割を果たした。バルファフティク氏の尽力もあって千畝氏のビザ発給の事実が世に知られることになった。著者はイスラエルにバルファフティク氏を訪れ、本人からの証言をテープに収めている。本書冒頭で著者はユダヤマネーが背後にあったとの誤解を解き、杉原ビザが外務省の訓令に背いてまで千畝氏個人の信念に基づいた無私の行為であったことを明らかにする。

第一部は「イスラエル・エジプト紀行」と題され、イスラエルと日本の関係に紙数が割かれている。イスラエルの建国にあたってはパレスチナ問題、つまり元々その地に住んでいたアラブ人との関係が複雑だ。今に至るまで火種の絶えない地となっている。だからこそイスラエルの人々は自国やユダヤ民族のために尽くしてくれた人々への感謝は忘れない。日本とイスラエルの関係の中で千畝氏が少なくない役割を果たしたことなど、本書から得られる情報は多い。

続いての第二部「杉原ビザの真相を探る」では、生い立ちから千畝氏のビザ発給とそれが日独伊三国同盟に与えた影響までを語る。

実は本章では千畝氏の少年時代はそれほど触れない。そういう意味では、本書からは千畝氏の生い立ちはよく分からず、本書を読んだ目的の一部は果たせなかった。でも、税務署の父好水氏の任地に従って転々とした少年時代だったことが書かれている。私の個人的な意見だが、往々にして転校が多かった人物は、人生や世間や社会に多様性が必要なことを学んでいるような気がする。と言いつつ、私は転校知らずの少年時代を送ったのだが。

本書はむしろ早稲田大学入学後の千畝氏について紙数を費やす。医者を望む父に反抗し、早稲田大学に進学。そのことで千畝氏は学費がもらえず苦学生の道を歩む。学費を稼ぐためあらゆる職に就き、遂には退学してノンキャリア外交官の道を進むことになる。色んな職を経験した事は、千畝氏の視野を広げたことだろう。外交官には欠かせないスキルの糧となったはずだし、多分ビザを発給する上で氏の行動を妨げなかったはずだ。それどころか、ビザ発給が元で外務省をクビになっても、自分には家族を養う自信がある、と組織を恃まぬ自信を千畝氏に植えつけたのではないか。実際、戦後は外務省退官を余儀なくされ、職を転々とすることになる。

では、千畝氏は優秀な外交官だったのか、との疑問が湧く。そして読者は、千畝氏が優秀な外交官であったことを満州時代の氏の実績を通して知ることになる。それは北満鉄道譲渡交渉である。外務省から満州国外交部に出向の形で配属された千畝氏の交渉相手はソビエト。ソビエトから北満鉄道を譲渡するにあたって、価格面を含めたあらゆる交渉が必要となった。千畝氏は交渉担当者として得意のロシア語を駆使し辣腕ぶりを発揮する。当初ソ連側の希望価格は六億五千万円で日本側は五千万円。それを最終的には一億八千万円で譲渡交渉を成立させた。その能力は、後年杉原氏がモスクワ日本大使館の二等通訳官に任じられるにあたり、ソ連から拒否されたことでも明らかだ。この経緯は本書では詳細に触れられている。

私は理念や理想を求める姿勢は重んじたい。だが、それは実力があってこそと思っている。だからこそ千畝氏のビザ発給の美談は、それだけで片付けると本質を見失う。本書でもこのように書かれている。「外交官杉原千畝を語るに当って、ナチスからの人命救助というリトアニアでの人道問題だけでは、杉原の真価を理解したことにはならない」(154ページ)

それほどまでに評価された千畝氏だが、交渉妥結から間も無く満州国を去ることになる。それは何故か。映画『杉原千畝』の冒頭でも印象的にそのシーンが描かれていた。満州国を牛耳る関東軍の存在だ。本書には晩年の千畝氏がチラシの裏に認めた通称「千畝手記」が写真付きで紹介され、引用も頻繁にされる。「千畝手記」には関東軍のやり方に我慢ならなかったことが書かれている。その経緯も本書で紹介されている。

多分、千畝氏がビザ発給に踏み切ったのも背景に軍人への反発があったためだろう。多分、後ろに組織を控えた圧力にはとことん反発する性質だったように思う。

本書は続いてカウナスでの日々を描く。著者はユダヤ難民が生じた背景をきっちりと説明する。ナチスの台頭とユダヤ人迫害の事情を理解することなしにビザ発給が美談であったことは理解できない。特にこの章で見逃せないのは、千畝氏のビザ発給がナチスドイツの対日政策に影響を与えたのではないか、との著者の分析だ。

つまり、千畝氏のビザ発給によってアメリカの対日政策に変化が生じることをナチスドイツが恐れたのが、日独同盟の急展開を招いた。それが著者の読みだ。日独同盟はすんなり決まったわけではない。二転三転の末に決まったことはよく知られている。その過程では、最終的にドイツ側が歩み寄ったことが日本の姿勢を和らげ、なし崩しに日独伊三国同盟は成った。交渉の中でドイツ側の最後の歩み寄りがあった背景に、千畝氏のビザ発給があったのではないか。その説は私には新鮮に聞こえた。あの当時の日米英ソ独の微妙で複雑な関係は、カウナスの副領事の行いによっても揺らいでしまったのかもしれない。

それにしても本書は真相と名乗るだけあってかなりの事実が書かれている。大正9年の雑誌『受験と學生』で千畝氏が寄稿した「雪のハルピンより」の全文を載せている。さらに第三部の「杉原テーマへの責任」では、既存の杉原千畝を取り上げた記事や書籍で間違っている記述に徹底的に反駁を加える。それはまるで千畝氏の代弁者のようだ。

生前の千畝氏は、自らの外交官生活に終止符を打ったカウナスでのビザ発給について何も語らずを通した。結局は自らが助けた人によってその行為は広く知られることになり、それとともにその行為を曲解しようとする人々によって誤った風説がまかれることにもなった。晩年の千畝氏がチラシの裏に「千畝手記」を書かざるを得なかった気持ちもわかる。

千畝氏の一生はどうだったのか。それを評価するのは我々でなければ当時の人々でもない。ましてや千畝氏に救われたユダヤ難民でもない。千畝氏当人が評価することだ。私のような他人が千畝氏の一生を語るなどおこがましい。だが、私は千畝氏が組織に媚びず一生を自分の信念に生きた事を後悔することなく逝ったと信じたい。

あとは、氏の業績が正しく後世に伝えられる事だろうか。当初本書は図書館の書架に並んでいた。ところが一年後、本稿を書くために借りようと図書館に訪れたところ、なんと書庫に入ってしまっていた。それが残念だ。

‘2016/02/18-2016/03/02


杉原千畝


2015年。戦後70年を締める一作として観たのは杉原千畝。言うまでもなく日本のシンドラーとして知られる人物だ。とかく日本人が悪者扱いされやすい第二次世界大戦において、日本人の美点を世に知らしめた人物である。私も何年か前に伝記を読んで以来、久しぶりに杉原千畝の事績に触れることができた。

本作は唐沢寿明さんが杉原千畝を演じ切っている。実は私は本作を観るまで唐沢さんが英語を話せるとは知らなかった。日英露独仏各国語を操ったとされる杉原千畝を演ずるには、それらの言葉をしゃべることができる人物でないと演ずる資格がないのはもちろんである。少なくとも日本語以外の言葉で本作を演じていただかないとリアリティは半減だ。しかし、本作で唐沢さんがしゃべる台詞はほとんどが英語。台詞の8割は英語だったのではないだろうか。その点、素晴らしいと感じた。ただ、唐沢さんはおそらくはロシア語は不得手なのだろう。リトアニアを舞台にした本作において、本来ならば台詞のほとんどはロシア語でなければならない。しかも杉原千畝はロシア語の達人として知られている。スタッフやキャストの多くがポーランド人である本作では、日英以外の言葉でしゃべって欲しかった。迫害を受けていた多くの人々がポーランド人であったがゆえに英語でしゃべるポーランド人たちは違和感しか感じなかった。そこが残念である。しかし、唐沢さんにロシア語をしゃべることを求めるのは酷だろう。最低限の妥協として英語を使った。そのことは理解できる。それにしてもラストサムライでの渡辺謙さんの英語も見事だったが、本作の唐沢さんの英語力と演技力には、ハリウッド進出を予感させるものを感じた。

また、他の俳優陣も実に素晴らしい。特にポーランドの俳優陣は、自在に英語を操っており、さらに演技力も良かった。私は失礼なことに、観劇中はそれら俳優の方々の英語に、無名のハリウッド俳優を起用しているのかと思っていた。だが、実はポーランドの一流俳優だったことを知った。私の無知も極まれりだが、そう思うほどに彼らの英語は素晴らしかった。ポーランド映画はほとんど見たことがないが、彼らが出演している作品は見てみたいものだ。かなりの作品が日本未公開らしいし。

だが、それよりも素晴らしいと感じた事がある。本作はほとんどのシーンをポーランドで撮影しているという。ポーランドといえばアウシュヴィッツを初めとしたユダヤ人の強制収容所が存在した国でもある。本作にもアウシュヴィッツが登場する。ユダヤ人の受難を描く本作において、ポーランドの景色こそふさわしいと思う。そして合間には日本の当時の映像を挟む。それもCGではなく当時の映像を使ったことに意義がある。刻々と迫る日本の敗戦の様子と、それに対して異国の地で日本を想い日本のための情報を集めながらも、本国の親独の流れに抗しえなかった千畝の無念がにじみ出るよい編集と思えた。

また、本作においては駐独大使の大島氏を演じた小日向さんの演技も光っていた。白鳥大使こそは日本をドイツに接近させ、国策を大いに誤らせた人物である。A級戦犯として裁かれもしている。しかし本作ではあえてエキセントリックな大使像ではなく、信念をもってドイツに近づいた人物として描いている。この視線はなかなか新鮮だった。単に千畝のことを妨害する悪役として書かなかったことに。千畝の伝記は以前に読んだことがあるが、白鳥氏の伝記も読んでみたいと思った。

だが、本作を語るにはやはり千畝の姿勢に尽きる。なぜ千畝がユダヤ人に大量のビザを発給したのか。そこには現地の空気を知らねばならない。たとえ日本の訓示に反してもユダヤ人を救わずにはいられなかった千畝の苦悩と決断。それには、リトアニア着任前の千畝を知らねばならない。満州において北満鉄道の譲渡交渉に活躍し、ソビエトから好ましからざる人物と烙印を押されたほどの千畝の手腕。そういった背景を描くことで、千畝がユダヤ人を救った行為の背後を描いている。実は北満の件については私もすっかり忘れていた。だが、関東軍に相当痛い目にあわされたことは本作でも書かれている。そしてそういった軍や戦力に対する嫌悪感を事前に描いているからこそ、リトアニアでの千畝の行為は裏付けられるのである。

戦後70年において、原爆や空襲、沖縄戦や硫黄島にスポットライトが当たりがちである。しかし、杉原千畝という人物の行動もまた、当時の日本の側面なのである。千畝以外にも本作では在ウラジオストク総領事や日本交通公社の社員といったユダヤ人たちを逃すにあたって信念に従った人々がいた。それらもまた当時の日本の美徳を表しているのである。日本が甚大な被害を受けたことも事実。日本人が中国で犯した行為もまたほんの一部であれ事実。狭い視野をもとに国策を誤らせた軍人たちがいたのも事実。しかし、加害者や被害者としての日本の姿以外に、千畝のような行為で人間としての良心に殉じた人がいたのもまた事実なのである。軽薄なナショナリズムはいらない。自虐史観も不要。今の日本には集団としての日本人の行動よりも、個人単位での行動を見つめる必要があるのではないか。そう思った。

‘2015/12/31 TOHOシネマズ西宮OS