Articles tagged with: マネジメント

kintone Café Metaverseに参加&登壇しました。


4/22に行われたkintone Café Metaverse Vol.3に参加と登壇を果たしました。
本稿ではそこで感じたことを書いています。

私はkintone Café Metaverseには準備の段階から参加しています。
Vol.1では登壇を、Vol.2にも参加しました。
告知サイト

今のメタバースは決して栄えてはいません。むしろ、一度もてはやされただけに、斜陽ワードに貶められてしまった感すらあります。
ですが、決してメタバースはオワコンではないと思うのです。

その理由は、私たちは仮想空間での活動にまだ慣れていないからです。そして、仮想空間内にあるはずの可能性のすべてに気づけていないからです。
まだ知らないものに対してオワコンのレッテルを貼り付けるのはいかがなものか。

可能性を知るためには、メタバースに没入する体験が必要です。ですが、そのためのゴーグル(Oculus Quest 2)が使いにくいのは確か。これは重大な課題です。
私はメガネを着用しています。そのため、別途購入したアタッチメントレンズをOculus Quest 2にはめた上で使用しています。ですが、このレンズの度が後頭部のバンドの調節となかなか合わず、それが私にストレスを与えています。
そのため、私は仕事でOculus Questを使う事がほぼありません。

私はそれでも、メタバースを始めとした仮想空間に今のうちに慣れておくべきと考えています。メタバースがその入門にふさわしいことも。

今回のkintone Café Metaverse Vol.3、私の登壇タイトルは「新入社員の提案ロープレ(仮」です。
ロープレ、つまりロールプレイングは提案や商談を事前に通して行っておく練習です。人と話す職種には欠かせません。
普通、ロープレは社内のどこかを使い、対面形式で実施します。メンターや上司を前にして。その際、関係性はあくまでも内輪にとどまります。実際の提案に即した形式をなぞったとしても、なれ 合いの感覚はどこかに残ってしまいます。
では、ZoomやGoogle meetやmeet-inなどのオンラインミーティングツールを使ったロープレはどうでしょう。それもしぐさや視点や振る舞いなどの言語にできない情報、しかもそれらの情報は商談の中で重要であるにもかかわらずオンラインツールでは取りこぼしてしまいます。つまり、ロープレの効果は失われます。
いうまでもありませんが、ただ台本を暗記して読むだけの営みはロープレではありません。

今回、kintone Café Metaverse Vol.3では、登壇席に移動し、そこから着席している皆さんに向けてkintoneの提案を行ってみました。そうやって話したことで、メタバース内でkintone提案を行う貴重な経験が私の中に蓄積されました。
そこでの学びとは、メタバースはリアルの場の内輪感を払拭し、なおかつ平板になりがちなオンラインミーティングツールの欠点を補うことができることです。
何よりも、臨場感こそがメタバースの最大の強みです。反応を受けつつ、その場で適した提案を行う練習ができました。

ただし、メタバースはアバターの表情がまだ未熟です。壇上からの距離があるように表現されるため、アバターの表情、つまり相手の反応がうまく見えません。
そうした欠点はありますが、それを踏まえても手ごたえはありました。それは私にメタバースの可能性を見せてくれました。

先日、今回の登壇を契機に「メタバースはまだ来るはず」というタイトルでnoteにも似たようなことを書きました。

今回は毛海さんに司会進行役を担っていただきました。

私の登壇の後は、
藤村さんによる「kintoneでマニュアルってどう実装する?」です。

kintoneのマニュアル実装は皆さん共通の悩みです。弊社でも同じ。
メタバースだからこその広々として空間を利用したマニュアルが作れれば、根本からの改善ができそうに思います。

ディスカッションの場でも、有意義なマニュアル作成のノウハウが出ていました。

渋屋さんの「左脳と右脳からの学び」は、まさに私の気性にあっていました。

なぜ私がkintoneにこれほどはまったか。
それは、設計をきっちりしてから実装する今までのシステム開発「知る→分かる→できる」に飽き足らないものを感じていたからです。
ですが、kintoneはまずアプリを作る「やる→できる」を実現できます。これに可能性を感じたのです。それを右脳と左脳の違いから語った渋屋さんの登壇は、まさにメタバースも考える前にやることを示しています。

続いての三浦さんの「どうやって進める?kintone開発!!」も、仕様書という意味で可能性を感じさせる内容でした。
藤村さんの登壇と同じく、メタバースの広々とした空間を使い、自在に仕様書を作成する。どれほど複雑なアプリ間の連携も、メタバースなら広く使えるはず。

ディスカッションの場でも、有意義な仕様書の作成ノウハウや統制・アプリ運用のノウハウが提案されていました。
私からもアプリ運用の実例をお伝えしました。

毛海さんの「メタバースはリモートワーク苦手マネージャを救えるか?」は、
Zoomなどの既存のリモートワークツールが抱える問題点がわかりやすく示され、
それを救う可能性としてのメタバースに触れておられました。

仕事とはコミュニケーションに尽きます。それをメタバースの臨場感が実現できれば、メタバースは広がるはずだと思います。

近い将来、仮想空間での商談やエンターテインメントは当たり前になるはずです。それは間違いないと思います。
それを担うのはあるいはメタ社のメタバースではないのかもしれません。新しい会社が発表する革新的な次世代のデバイス。
あと数年もすれば出てくると思うのです。いや、すでに出ています。
簡単にメガネのように装着するだけで、VRの世界が体験できるデバイスが。そのデバイスの値段をさらに下げ、人々が手に取りやすくする。
その時、メタバース内での商談や提案やセミナーはより一般的になるでしょう。まさに今回のkintone Café Metaverseのようなイベントも。

インターネットが世の中に広まり始めた当初、ブラウザーとはネットスケープ・ナビゲーターを指していました。が、今やそれは失われました。今やネットスケープ・ナビゲーターを追いやったインターネット・エクスプローラーでさえも消え去りました。
別の会社がより優れたブラウザーを出し、技術は進歩しました。そして今、インターネットは今や社会にとって当たり前のインフラに成長しました。

あるいはメタバースもネットスケープ・ナビゲーターと同じ道をたどるのかもしれません。
ですが、ネットスケープ・ナビゲーターの功績は否定されません。当時、ネットスケープ・ナビゲーターを通してインターネットの世界にいち早く触れた人々がインターネットを武器とし、商売として成功しました。私たちはその歴史をよく知っています。メタバースも同じ。仮にメタバースが廃れたとしても別の会社がより優れたデバイスと仮想空間のプラットフォームを作り上げるはずです。
ただ、そうなってもメタバースで培った経験は無駄にならないはずです。おそらくメタバースの世界データも引き継がれ、育っていくはずです。
今のOculus Quest 2から次のデバイスに変わった瞬間、何かとんでもないことが起きるような気がしてなりません。

私は仮想空間の入門としてメタバースは存在価値があるとみています。まだメタバースも捨てたものではないのです。
では、メタバースの可能性をもう一度世の中にアピールするためには何が必要なのでしょうか。

まず、今のメタバースはエンターテインメントに偏りすぎているように思えます。
確かにビデオデッキやパソコンやインターネットはアダルト業界から普及しました。メタバースでも同じ成功体験をなぞろうとしているのでしょう。
でも、もう世の中に似たような娯楽は掃いて捨てるほどあります。今はビデオやインターネットの黎明期ではありません。娯楽で訴求しようとしても無理だと思います。


それよりも仕事やビジネスユースに振った方が仮想空間はニーズがあるはず。
コロナをとおしてリモートワークの光と影、浸透と課題があらわになった今だからこそ。
あたかも、そこに人がいるかのような臨場感のもとで仕事ができる可能性。しかも、通勤の手間やストレスから皆が解放され、オンラインミーティングツールの平板な関係性で疎外感を覚えず仕事ができる環境。
その実現にはもう少しかかるでしょう。が、わざわざラッシュアワーに巻き込まれる必要がありません。しかも上司の承認欲求を満たしながら同じフロアで作業をする感覚をメタバースが与えてくれれば、いうことはありません。

その可能性を世の中の人々にあまねく広める。そのためにメタバースの体験の機会がもっとあればよいのに、と思います。
このままでは、メタバース勃興期のサービスの一つとして後世から振り返られるだけの存在になってしまいかねません。
私もkintone Café Metaverseにはなるべく出て、自分の中の可能性をより広めたいと思います。

そのためにはメタバース内で使えるキーボードや、メタバース内からツイートできるようなスキルを磨かなければ。
まずは今回ご参加してくださった皆様、ありがとうございました。


リモートチームでうまくいく


著者の名前は今までも、さまざまなインタビューやネットニュースなどで拝見してきた。著者が経営するソニックガーデン社の取り組み事例として。
著者の登場する記事の多くはCybozu社に絡んでいることが多い。
そういえば、一時期、私と同じくkintoneのエバンジェリストだった方もソニックガーデン社の社員だった。
それもあって著者やソニックガーデン社のことは前から気になっていた。

著者やソニックガーデン社が唱える理念には、共感する部分が多い。
本書の前に著者が出版した『「納品」をなくせばうまくいく』は、私の心を動かした。
情報処理業界で生計を立てるものにとって、納品という営みはついて回る。それをあっさりとやめようと宣言する著者の言葉は、私を驚かせてくれたし、共感もできた。
システム業界にとって納品という商慣習は常識だった。だが、それはもはや非合理な商慣習ではないのか。そう考えていた人はいたかもしれないが、実際に行動に移す会社がどれだけあるだろう。

本書はそんな著者がリモートワークの要諦を語ってくれるというのだ。書店で手に取り、購入した。

弊社はもともと、リモートワークを実施している。
私自身はほぼリモートワークの体制で仕事を行っている。
だから、本書を買わなくてもリモートワークの本質はつかんでいるつもりだ。ではなぜ、本書を購入したのか。
それは、私の役目がプレーヤーから経営者に変わったからだ。

私はリモートワークの全てを自分の中に言葉として血肉にできていない。
それは私がプレーヤーであり続けてきたからだ。だから、私がいくらリモートワークの効能を人に勧めても説得力に欠ける。
だが、そろそろ外部の協力技術者も含めたリモートワークの体制を作ることを考えなければ。

弊社として、今後もリモートワークでいくことは間違いない。
そのため、経営者としてリモートワークを技術者にお願いする必要に駆られるだろう。その時の裏付けを本書に求めた。本書を読み、より一層の論理武装をしたいと思った。

私がやっているリモートワークとはしょせんプレーヤーのリモートワークだ。私自身が築き上げてきた仕事スタイルでしかない。そう自覚していた。
こんごはリモートワークを管理する側としての経験や知見が求められる。
私がやっているリモートワークの管理とは、しょせんはリモートワーカー同士の連絡に過ぎない。リモートチームになりきれていない。
その構築のヒントを本書から得たかった。

本書を読んだ後、弊社は雇用に踏み切った。そこで私は監督者として立ち振る舞うことを求められた。
ところが、私はどうもリモートワークの監督者として未熟だったようだ。期待する生産性には遠く及ばなかった。

それはもちろん本書や著者の責任ではない。私が未熟だったことに尽きる。それを以下でいくつか本文と私の失敗を並列してみたいと思う。

「セルフマネジメントができる人たちで構成されたチームを作り上げることでリモートチームは成立するのであって、その逆ではありません。多くの企業において、リモートワークの導入を妨げているものは、リモートワークそのものではなく、その背景にあるマネジメントの考え方ではないでしょうか。」(118ページ)

セルフマネジメントができるとはつまり、技術力が一定のレベルに達していることが条件だ。技術があることが前提で、それを案件の内容や進捗度合いと見比べながら、適切にマネジメントしなければならない。残念ながら、その技術力の見極めと案件への振り分けにおいて失敗した。これは経営者として致命的なミスだったと思う。

「私たちの会社もROWE(完全結果志向の職場環境)をベースに考えています。私たちがアレンジしているのは、その成果とは個人の成果ではなく、チームの成果であるとする点です。」(136ページ)

弊社も私を中心としたハブ型ではなく、各メンバーが相互に連携する組織を考え、メンバーにもその意向を伝えていたつもりだった。だが、どうしてもハブ型の状況を抜け出せなかった。
残念ながらメンバーが一定程度の技術に達していないとこのやり方は難しいかもしれない。お互いが教え合えないからだ。いくつかの案件では成功もしかけたのだが。
もう一度チャレンジしたいと思う。

「監視されなければサボる人たち、監視されないと安心しない人たち、そんな人たちでチームを組んだところで、リモートチームは実現することはできませんし、そもそもそんな人たちがオフィスに集まったとしても、大した成果を上げることなどできないのではないでしょうか。」(173ページ)

これも完全に書かれている通りだ。ただ、私としては実際は働き具合がどうだったのか、今となっては確かめる術もないし、そのつもりもない。結果が全てだからだ。

「オンラインでは物理的な近さも遠さもないので、フラットに誰とでも絡むことができるからです。」(206ページ)

私が間違えたことの一つが、本書の中でも紹介されているRemottyのようなお互いの顔が見られるツールを導入しなかったことだ。それによって例えば雑談がオンライン上で産まれることもなかったし、日記や日報を書いて見せ合う環境も作りきれなかった。

「新人のリモートワークは“NG”」(177ページ)

外部の人に弊社の失敗事例を告げた時、真っ先に指摘されるのはこのことだろう。私がしでかした間違いの中でもわかりやすい失敗がこれだ。いきなりリモートワークで走り出してしまった。

私がしでかした失敗によって、本稿をアップする一週間前に一人のメンバーを手離してしまった。お互いが持つ大切にしたい考えやスキルのずれなど、もう少しケアできることがあったのに。とても反省している。

弊社の救いはまだメンバーが残っていることだ。もう一度このメンバーでリモートワークの関係を作っていきたいと思う。
私を含めた弊社のメンバーにリモートワークが時期尚早だったのは確かだ。ただ、まがりなりにも一年近くはリモートワークの体制を続けてこられた。なんといってもCybozu Days 2021は、弊社と弊社に近しいメンバーだけで無事に出展できたのだから。
今後も週二回程度はリアルの場を作りながら、もう一度リモートワークの環境を作っていきたいと思う。

なお、本書に書かれている社長ラジオは、毎朝のスラックでのブログアップとして続けている。これは私の考えを浸透させる意味では貢献してくれているはずだ。そう信じている。
本書に書かれていることで役に立つことは多い。

‘2020/05/29-2020/05/31


ビジネスモデルの教科書 経営戦略を見る目と考える力を養う


独立してから13年半。法人化してから五期目を迎えるというのに、私はビジネスが不得手だ。少なくとも自分ではそう思っている。

多分それは、私自身がなんでも独りで学んできたからだろう。特定の師匠や先生、メンターを持たず、本を頼りに自分の力で学んできた。言い方を変えれば、ビジネスの中で出会ってきたあらゆる人から学び、教わり、盗み取ってきた。
いくら私が大学で商学部に所属し、マーケティングや経営を学んだとはいえ、それはあくまでも机上の理屈。実学ではない。
私がそうしたビジネスの知識や仕組みを学んだのは、自ら個人の事業に乗り出していく中で試行錯誤しながらだ。
その生き方はかっこいいのかもしれないが、正統に学んだ方に比べるとかなりの遠回りをしているはずだ。
未熟であるがゆえに、今までにたくさんの失敗をしてきたし、この人には足を向けて寝られないという人も何人かいる。

そういう失敗を振りかえる時、私の中の悔いが頭をもたげる。
弟子としてきちんと学んでおきたかったと思うこともある。

それは私の中でビジネスプロセスについての知識が弱いリスクとして影を落としている。
ビジネスの中で試行錯誤しながらつかんだ知識は固いが、未経験のビジネスモデルとなるとはなはだ弱い。
今までにしでかした数多くの失敗は、私にとって糧となっているとはいえ、失敗したことでご迷惑をかけてきたこともまた事実。

一方で、今まで自分の力だけでやってきた自負もある。
失敗を反省し、ビジネスの現場で犯した失敗は、反省し、学びに変えることで私の中に活きた知識として身についているはずだ。

だがここら辺で一度ビジネスモデルについてきちんと学んでおきたい、そろそろ実学の知識を身につけておきたい。そこで本書を手に取った。

弊社の場合、情報処理業界をベースに活動している。
情報処理業界もビジネスモデルに沿って営まれている。そこに慣習もある。だが、それは他の業界では通用しない。情報処理業界に特化したビジネスモデルに過ぎないはずだ。
だから本書に挙げられているようなさまざまなビジネスモデルについて、私の知識は薄い。
そしておそらく今後も弊社がITを主戦場にしている限り、その他のビジネスモデルを自在に操ることはないはずだ。

ただ、弊社はシステム構築を武器にして、あらゆる業界の顧客に対してシステムの提案をする事がミッションだ。という事は顧客が採用するビジネスモデルについても知っておかねばならない。

そこに結論が行き着いた以上、他のビジネスモデルについて無知である事は許されない。だから、本書のような入門書は読んでおかねばなるまい。

実際、紹介されているビジネスモデルは私の知っているあらゆるビジネスモデルを網羅していると思う。

結局、経済活動とはある物品や見えないけれど人のためになるサービスを扱う商いだ。原材料から加工し、次のお客様に商品やサービスとして提供する。
原材料から次の加工へのプロセスは、携わる人が身に付けたスキルによってどうにでも変わる。
消費者側は、加工された商品や物件やサービスを評価し購入する。
それは、その主体者が個人であろうと法人であろうと変わらない。

しかもそのプロセスにおいては、生産者と加工者と消費者と言うプレイヤーの構造であることも多い。そこが定まっている限り、ビジネスモデルの種類がそうそう増えることはないはずだ。

その流通経路は、時代の移り変わりによって左右される。
かつては行商人が足を使って商品を流通させていた。それが馬車になり、帆船になり、鉄道となり、トラックになり。今やインターネットの中で商談が完結し、ドローンが発送する時代になっている。
間に商品を集積する市場があったり、中間に関与する企業があったり、そうした中間物を省こうとネットワークに頼ろうとするビジネスがあったり。

それらが網羅されているのが本書だ。以下に引用した目次の通り、あらゆるビジネスが網羅されている。
各ビジネスモデルは整理され、それぞれの特徴が簡潔にまとめられている。

第二部では、実際のセブン-イレブンやYKKといった有名企業のビジネスモデルが紹介され、とてもイメージしやすくなっている。

こうしたモデルをよく理解することで、よりビジネスが進展することだろう。私の場合はとてもよく理解ができた。末尾に目次を引用しておく。
全体的に見てもよくまとまっており、お勧めの一冊だ。

序章
ビジネスモデル概論と本書の読み方

第一部 事業レベル編
第1章 顧客セグメント・顧客関係のビジネスモデル
  地域ドミナント
  クリームスキミング
  特定市場の支配
  グローバル化
  顧客ライフサイクルマネジメント
  顧客の購買代理
  プラットフォーム

第2章 提供価値のビジネスモデル
  ソリューション
  同質化
  アンバンドリング
  デファクトスタンダード
  ブルーオーシャン

第3章 価格/収入構造のビジネスモデル
  レーザーブレード
  フリー
  敵の収益源の破壊

第4章 ビジネスシステムのビジネスモデル
  チャネル関係性の利用
  ダイレクト
  サプライチェーン種別の変更
  機能外販
  リソース先制
  マクドナルド化
  提携先のレバレッジ
  強者連合

第5章 事業レベルのビジネスモデルのまとめ

第1部 コーポレートレベル編
第6章 コーポレートレベルのビジネスモデル集

‘2018/11/29-2018/12/4


アクアビット航海記 vol.5〜起業のメリットを考える その4


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。前回は、人生観の観点で起業の利点を取り上げました。今回は、正面から起業の利点を取り上げたいと思います。なお、以下の文は2017/9/7にアップした当時の文章そのままです。

起業の利点をさぐる

今までで三回にわたって起業の利点について述べました。逃避できるから起業、責任をより引き受けたくて起業、人生観に急き立てられて起業。それぞれが立派な理由だと思います。でも、これらの理由はどちらかといえば受け身の立場です。ラッシュが嫌だから、好きなときに好きな場所に行けないから、チャレンジをせずに人生が終わっていくのがいやだから。でも、それだけでしょうか。”起業”する理由は他にもあるはず。もっと前向きで建設的でアグレッシブな理由が。

やりたいことができるのが起業

それは、やりたいビジネス、やりたい社会貢献のための起業ではないでしょうか。現在、あなたがこのプランを社会に問いたい。このビジネスで社会に貢献したい。そんなアイデアを持っていたとします。このアイデアをどうカタチにするか。ここに起業が選択肢として挙がってきます。

あなたが例えば学生なら、いまはそのアイデアをカタチにするため最大限に勉強すべきでしょうし、もし会社に雇われていれば、会社を利用すべきです。社内起業制度があればそれを利用しない手はありません。最近は徐々にですが副業を認める会社も増えています。もし副業のレベルでなんとかなりそうであれば、会社にいながらアイデアをカタチにするのもありです。むしろ、会社の力を借りたほうが良い場合もあります。

でも、所属している企業にそういった制度がなく、思いついたアイデアが企業の活動内容と違っている場合、起業を選択肢の一つに挙げてもよいのではないでしょうか。もしくは、背水の陣を敷くために会社を辞めるという選択肢もあるでしょう。どちらが正しいかどうかは、人それぞれです。やりたい内容、資金、原資、準備期間によって起業のカタチもそれぞれ。どれが正しいかを一概に決めることはできないはず。

とはいえ、やりたい仕事が副業で片手間にやれるレベルではなく、属している会社の支援も見込めないとなれば、残りは起業しかないと思うのです。そこまで検討し、悩んだアイデアであれば、“起業”しても成算があるに違いありません。あなたが問わねば誰が世に問うのでしょうか、という話です。

繰り返すようですが、そのアイデアを元に起業に踏み切るのは、属する企業ではアイデアが実現できず、起業しか実現のすべがない場合です。本連載は起業を無責任に薦めるのが趣旨ではありません。しかし、あなたのアイデアの芽をつみ、他の人に先んじられるのをよしとするつもりもありません。企業に属していてはアイデアが世に出ないのであれば、起業はお勧めしたいと思っています。

やりたいことも成果があってこそ

“起業”すれば、あとはあなたの腕にアイデアの成否はかかっています。自分が食っていけるアイデア、誰も思いついていないアイデア、社会にとって良いと思えるアイデア。存分に腕をふるってもらえればと思います。あなたのアイデアに難癖をつける上司はいませんし、やっかむ同僚もいません。アイデアを盗もうとする後輩もいないでしょう。もちろん、ベンチャー・キャピタルや銀行、または善意の投資家におカネを出してもらう場合は、きちんと報告が必要なのは言うまでもありません。やりたいことができるのが起業とは書きましたが、お金を出してもらった以上は成果が求められるのは当たり前。でも、あなたのアイデアがカタチになり、それが世に受け入れられて行く経過を見守る幸せ。これをやりがいといわず、なんといいましょう。自分のアイデアを元に、世間に打って出ていく。そしてそれが受け入れられる快感。この快感こそが何にも増して“起業”する利点と言ってよいでしょう。

もちろん、アイデアと意欲だけでは起業はうまくいきません。理想は現実の前に色を失っていきます。それがたいていの人。理想やアイデアを世の中に問うていくためにも、ビジネススキルは必要です。泥臭く、はいずるようなスタートになることでしょう。苦みをかみしめ、世知辛さを味わうこともあるでしょう。起業なんかしなければ、と後悔することだってあるでしょう。そんな起業につきものの欠点は本連載でもいずれ取り上げる予定です。アイデアだけでビジネスが成り立つほど甘くはないのですから。でも、そんな厳しさを知ったうえでも、このアイデアで世に貢献したいのであれば、ぜひ試すべきだと思います。

そして、アイデアは慎重に検討し、楽観的な憶測や他の人の善意に頼らないことです。地道で地味な日々があります。スタートアップで脚光を浴びるのはほんの一部。それをベースに考えておくべきなのかもしれません。でも継続は力。いずれは実を結ぶはずです。実際、私は画期的なビジネスモデルも脚光を浴びるプレゼン能力ももっていませんが、地道に経営を続けられているのですから。

次回、起業のメリットとは言い切れないが、一般的には利点とみなされていることを探っていきたいと思います。


アクアビット航海記 vol.4〜起業のメリットを考える その3


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。前回にも書きましたが、弊社の起業物語をこちらに転載させて頂くことになりました。今回から数回にわたって“起業”の利点を書いてみようと思います。なお、以下の文は2017/8/31にアップした当時の文章そのままです。

起業とは、人生観にも関わってきます。

第三回で、“起業”すると自分自身に対する責任が持てる、ということを書きました。そこでいう責任とは、あくまで仕事に対する責任です。でも「生きる」とは、仕事だけを指す営みではありません。プライベートや家族、老後のことまで含めて「生きる」のが人生。仕事に生きて、家族と生きて、自分を生きるのです。ここに男女や国籍は関係ないと思います。

これは私の個人的な感想ですが、日本人はこの使い分けが不得手なように思います。公私の境目をあいまいにし、プライベートな時間にも仕事を持ち込む。それは、一昔前は日本人の勤勉さの美徳でした。私は何もこの美徳を否定しようとは思いません。ですが、人は仕事のみに生くるにあらず、であることも確かです。人は家族や自分自身や社会によっても生かされているのです。ここが後回しになっていたのが、高度経済成長期の日本でした。その時期はどんな仕事に就いていても社会自体が成長したからよかったのです。三種の神器、いざなぎ景気、ジャパン・アズ・ナンバーワン。右肩上がりで成長する日本に自分の働きが貢献できている、と実感できた時代。でも、もうそういう時代は終わってしまいました。

生涯を仕事に打ち込むために

もちろん、社会がどうあろうと仕事の鬼として生涯を仕事に捧げるのも一つの生き方です。ですが、それが成り立つのは生涯のすべてを仕事に捧げられた場合です。普通の勤め人には、どうしても定年や引退が付いて回ります。いざ引退してみると、現役時代に仕事一徹だったためにプライベートな付き合いがなく、家族も顧みなかったため家にも居場所がない、という話が、よくドラマや映画でも描かれました。勤め人は会社や組織の一員である以上、新陳代謝の対象となっていつかは去らねばなりません。去った時点で築き上げたキャリアは終わります。生涯を仕事に捧げられるのは、強大な創業者にのみ許される特権なのかもしれません。

一方で、個人事業主や創業者には引退や定年が事実上ないと言ってよいでしょう。引退は自分の意思次第です。起業のメリットを手っ取り早く述べるなら、定年がないことを力説してもよいぐらい。好きなだけ仕事をしていられる。それは仕事が好きな人にはたまらないメリットです。

ただ、起業のメリットをそれだけに求めるのはもったいないと思います。起業の利点とは、そんな安易なものではありません。起業には人の生き方や人生観にまで関わる長所があるのです。

それは、自分の人生をどう律するか。自分の人生をどうマネージメントしていくか、ということです。それこそ、仕事に生きるか、家族と生きるか、自分を生きるか、のバランスです。まずは、生涯を一人の仕事人としていきるための起業を語ってみたいと思います。

自分自身の人生を生きるために

第一回でも書きましたが、人は人、自分は自分であり、誰にも他人の人生を代わりに生きることはできません。死ぬときは、すべての人が等しく独りぼっち。枕元に大切な人がいようが、何人に囲まれていようが、独りで死ぬことに変わりはありません。その際に自分の人生をどう総括するか。それはそれぞれの人によって違います。組織の中で働き、老後は悠々と日々を過ごす余生。生涯現役を全うする人生。若い時に無頼な生き方を貫き、それがもとで老後は青息吐息の中に消えるような死に方。それぞれが一人ひとりの人生の幕引きです。それぞれの人生、それぞれでいいと思います。大切なのは、死ぬ間際に自分の人生を後悔しないことに尽きると思います。自分の人生を一番知っているのはあなた自身のはず。他人から見た自分の人生がどうだったか、はどうでもよいのです。そうではなく、自分自身で振り返った自分の生涯がどうだったか。それを満足できるかどうかが肝心なのだと思います。漫画「北斗の拳」に登場するラオウのように「わが生涯に一片の悔いなし!!」と天に拳を突き上げ叫べれば、その人の人生は成功なのです。

ところが、それはラオウだからこそ言える話。ケンシロウという良き強敵(とも)と全力で戦い、敗れたラオウ。拳の道、漢の道を突き詰めた人生を歩むことができたラオウにあって初めて悔いなし!と言えるのです。北斗神拳の後継者をケンシロウと互いに争い、その生涯と遺志を伝えるに足る漢に人生を託せた思い。ラオウの言葉にはそういった思いが込められています。ですが、私のように普通の人はそこまでの出会いや強敵(とも)に会えるとは限りません。拳の道どころか、人生も学習も突き詰められずに終わっていく人も多いでしょう。それまでとってきた選択の中には後悔もあるでしょうし、反省もあるはず。私にも失敗や後悔はたくさんあります。

各分野で名を遺した人の伝記を読むと、二十歳前後で何らかの転機に出会っていることが多いようです。伝記になるほどの人は、その転機を経て努力の末に功成り名遂げた方です。一方、現在のわが国で男性の生涯をモデル(理想)化するとすれば、大学を卒業して新卒で採用され、そのまま定年まで勤め上げることのようです。女性の場合は、新卒で採用され、結婚を機に退職すること。そのモデル(理想)の中には、上に挙げたような転機は見い出せません。転機とは例えば、十代のうちにスポーツや芸術で自分の才能を見出され、その世界で強敵(とも)を見つけるようなことです。

そういう転機に若くして出会えた人はよいのです。でも、そんな方はそう多くはありません。私のように二十歳を過ぎてから自分の中に目覚めた独立心をもてあます人もいるはずです。その気持ちを押し殺し、社会や家族のために捧げる人生もまた尊い。でも、私はそのメンタリティに一度目覚めた以上、自分の生涯に悔いが残ると思いました。私と同じように、人生観につき上げられ、何かに飛び込みたいと思った場合、”起業”は一つの手段となりえます。これは”起業”したから偉いとか、定年まで会社で勤め上げた人を貶めるというような狭い意味ではありません。何度も言うように、生き方とはその人自身が引き受け、味わうものなのですから。ただ、私のように起業を選択した人は、人生の目的の一つに仕事を選んだわけです。私もいまだに成長途上ではありますが、定年にさえぎられず仕事に打ち込める起業が一つの選択肢であると思っています。

次回、さらにほかにも起業のメリットがないか探っていきたいと思います。


シンプルに考える


先日レビューをアップした「WORK SHIFT」は第一回ハマドクで取り上げられた一冊だ。その内容は起業したての私に大いに示唆を与えてくれた。まさにビジネス本読書会のハマドクに相応しい本であった。

第一回ハマドクから一ヶ月を経て、第二回ハマドクが催された。そこで取り上げられたビジネス本が本書である。

著者は社長として、LINEのサービス開始から飛躍までを引っ張った人物として知られる。本書の内容もまた、LINEプロジェクトの中で著者が実践した経営・組織についての考えを軸に編まれている。

長時間の定例会議、大部な報告書作成。組織が肥大化するにつれ、増えてゆく作業だ。これらは云うならば組織運営のためだけに発生する作業である。組織を維持するためのイベントや作業が企業内で蔓延し、本業に関係ない作業が増え続けてしまった状態。それをいわゆる大企業病と呼ぶ。本来ビジネスに必要なのは、対顧客への直接的なサービスだけのはず。しかし、顧客へ提供するサービスの背後では、内部統制や組織運営の名の下に間接業務が増えていく。それらの多くは報告の為の報告、会議のための会議に陥りがちだ。対顧客サービスには直接関係しない間接作業は、企業の意思決定を鈍らせ、場合によっては歪ませすらする。複雑となった組織では、得てして経営者の想いが反映しづらくなるものだ。

著者が本書で言いたいことは全て題名に込められている。「シンプルに考える」。タイトルからしてシンプルそのものであり、著者の考え方そのものだ。

著者は本書で軽量で機動的な組織運営についての考えを語る。本書はマニュアル本でもノウハウ本でもない。具体的な方法が載っている訳でもない。しかし、本書の全体で著者の考えが充分に示されている。それらを実践した結果がLINEプロジェクトであり、LINEサービスなのだ。

今でこそ様々な機能が盛り込まれているが、LINEの本質とはテキストとスタンプによるメッセージツールといってもよいだろう。その背後にある哲学はシンプル極まりない。そして著者の唱える「シンプル」が成果となったのがLINEである。それに比べると大抵のWebサービスは機能を盛り込もうとしがち。その結果、複雑なインターフェースや機能が盛り込まれたサービスになってしまい、ユーザーからそっぽを向かれる。そうやってユーザーの支持を失っていったサービスは枚挙に暇がない。しかし、LINEの背後には「シンプル」という著者の哲学がある。顧客のニーズを追求した結果、シンプルな機能以外をそぎ落としたサービスとしてLINEは世に出た。それは複雑という名の袋小路に入り込んだSNSやメッセンジャーとは一線を画す。サービスをシンプルに、顧客ニーズに合わせたことがユーザーに支持され、世界進出するまでになった。LINEプロジェクトを率いた著者の哲学とLINEのサービスはまさに表裏一体。本書の読者は、行間の至るところでLINEのインターフェースを思い浮かべることだろう。

はじめに、で著者は問う。会社にとっていちばん大切なことは何か?と。そしてすぐに答えを示す。ヒット商品をつくり続けることであると。それにはどうすればよいか。ユーザーのニーズに応える情熱と能力をもつ社員だけを集める。そして、彼らが、何物にも縛られず、その能力を最大限に発揮できる環境をつくり出す。シンプルに考えるとは、このように問いと答えが一本の線で繋がっている様をいうのだろう。そこには大企業病の入り込む余地はない。

本書は以下、組織を運営する上で、著者が感得したシンプルな考えの数々が披露される。

実はそのほとんどは、はじめに、で列挙されている。それもシンプルな言葉で。

「戦わない」
「ビジョンはいらない」
「計画はいらない」
「情報共有はしない」
「偉い人はいらない」
「モチベーションは上げない」
「成功は捨て続ける」
「差別化は狙わない」
「イノベーションは目指さない」
「経営は管理ではない」

各章で著者が述べるのは、これらフレーズを分かりやすく砕いた説明に過ぎない。だが、その実践は簡単ではない。著者のいう内容は、実は今までは一般の経営者にとっては理想論でしかなかった。経営学の実務でもまともに取り上げられなかった類の空論といってもよい。例えば報告の廃止、研修・教育を前提としない、研究や開発部門の撤廃、経営理念・計画の除外といった施策の数々。企業を利益を生み出すプロフィット部門と利益を生み出さないコスト部門に分けるとすれば、これらの作業は全て組織のコスト部門に属する。コスト部門のスリム化は、大企業経営者なら誰もが思い付くことだ。しかし著者が実践したような大幅なカットは、組織運営の実務を考える上では異端の手法といってもよい。著者は普通なら理想論として一顧だにしないことを実践し、LINEを世界に通用するインフラアプリに育てた。

その秘密とは、はじめに、で著者が記している。上にも書いた「ユーザーのニーズに応える情熱と能力をもつ社員だけを集める」がそれだ。とくに「だけ」に傍点が振られていることに注目しなければならない。著者の論点の芯とは、目標設定とコミュニケーションに長けた社員「だけ」を揃えることなのだから。そういった社員にはそもそも教育が不要であり、日報による達成度の報告も不要。余分な内部統制がなくとも自律的に組織の意を汲み、能動的に動く。そういった「使える」社員で組織を揃えるということだ。なので社会人として未熟かつ能力未知数な新卒採用など論外。組織の意図を瞬時に汲み取り、プロダクツに反映させられる人物のみを中途採用で集めれば、間接業務は極限まで省け、なおかつ統制の取れたチームワークのもと、時代の求めるプロダクツが送り出せる。そのプロダクトこそがLINEではないかと思う。

念の為にいうと、LINEプロジェクトの就業実態はブラックでもなんでもないと思う。むしろ逆だろう。高い目標が設定されたとしても、それを越えるだけのスキルとハートを持った人の集まりなのだから。著者のLINEチームが結果を出せたのも、そもそもメンバーが優秀だから。という当たり前の結論に落ち着いてしまう。

こう書くと、私が本書に対しネガティブイメージを持っているように捉えられるかもしれない。しかし、それは違う。むしろ本書にはポジティブイメージしか持っていない。というのも採用業務の重要性をここまで雄弁に語ったビジネス本にはまだ出逢ったことがないからだ。

いくらITが発達しようとも、所詮ビジネスとは人の営み。人あってのビジネス。ビジネスを成功させるにはいかにして優秀な人物を集めるかに掛かっている。そんな根本のことが、本書には記されているように受け止めた。

ただし、私は本書をポジティブにとらえてはいるが、一つ重大な疑問をもっている。それは、著者がLINE社長を退任した理由だ。著者は2003から2015年までの12年を過ごしたLINE社を退任した。はじめに、でその事が書かれている。また、その理由として、著者にとっての役目が終わったから、という説明が付されている。

確かにそうなのかもしれない。LINEはいまやコミュニケーションに欠かせない手段となっている。インフラといってもいい。ここまでLINEを世に認知させたことで、著者の役割が終わったという理由には確かに一理ある。だが、退任の理由とは単にスタートアップを率いた著者の役目が終わったからなのだろうか。言い換えれば、著者が本書で述べた手法とは、サービスのスタートアップ時には有効だが、保守フェーズに入った企業には用いづらい手法だから著者はLINEプロジェクトを離れたのではないだろうか。

心なしか、著者が辞任してからというもの、LINEサービスの体系が複雑化している気がしてならない。サービスのラインナップは増えているが、それがLINEの良さであるシンプルさを失わせないか気になる。

著者はLINE辞任後にC Channel株式会社という新会社を起こしたという。 本稿を書いた時点では1年半しか経っておらず、まだまだこれから成長してゆく企業なのだろう。LINEサービスの今後とともに、著者の新会社の行方を見守っていきたいと考えている。その二つのサービスのこれからに、著者が本書で述べた経営哲学の成否が顕れてくるのではないかと期待しつつ。その結果、日本的経営という20世紀の神話のこれからが見えてくるのではないかと思う。

‘2015/9/23-2015/9/23


非営利組織論


NPO設立と法人設立を並行で模索していた時期に読んだ一冊。本書の前に読んだ「NPOが自立する日―行政の下請け化に未来はない」でNPO設立を法人設立と同時に行う件はほぼ断念した私だが、勉強も含めて本書にも手を伸ばした。

そもそも有斐閣の出版物を読むのは久しぶり。大学のころ教科書でよくお世話になった記憶が蘇る。内容や筆致についても想像がつく。

内容は想像通りで、全編を通して教科書的な印象が付いて回った一冊だった。とはいえ、学問の分野からNPOとは何かを解説してくれた本書は、NPO設立を断念したとはいえ、私にとって有益な一冊となった。

理論の世界にNPOを閉じ込めた読後感があったとはいえ、その切り口は広く、実務的な内容でない分、視野を広く持てた。

本書には実践面の記載が弱いとはいえ、それは実例や設立書類の作成方法が例示されていないだけ。具体的な実践には敢えて踏み込まず、理論に止めているのが本書なのだろう。

でも、NPOとはなんぞや、という向きにとっては、本書は有益な書といってもよいだろう。

実際、本書を読んでNPOを設立された方も多いようだ。現場にあって実務に没頭しているだけでは体得できない理論の深さ。それを教えてくれるだけでも本書は十分実践的と言える。また、コラムでは日本の「大地を守る会」やアメリカの「AARP」、イギリスの「サーコ社」の事例を始め、11のケースワークが取り上げられている。本書が単なる理論一辺倒の本でない証である。

また、本書が想定している読者は起業家志望者ではない。なので、励ましや動機付けといった読者サービスの類いは皆無。それゆえ、本書のそこかしこで、甘い気持ちでNPO設立を夢見る者の幻想をうち壊しにかかる冷静な筆致が織り交ぜられている。正直なところ、本書を読み始めた時点でNPO設立を延期しようとしていた私も、本書でさらに設立の意欲を萎えさせられた。

本書を読んで印象に残ったのはミッション。つまりはNPOの目的である。この言葉が随所にでてくる。他のNPOについての本には、ミッションについての記載もあるが、それとともに人の確保と財源についての問題が付いて回ると必ず記載されている。実際、その通りだろう。しかし本書は人や財源の前にミッションの確立こそ重要と述べている。それこそ幾度も。実際、NPOで出来る業務は、営利企業でもできる業務がほとんど。ではなぜ営利企業がサービスをやらないかというと、利潤が見込めないから。ただ営利企業にはCSR(企業の社会的責任)という、利潤度外視で行う活動がありうる。つまり、突き詰めて考えるとNPOでなければ出来ない業務、つまりはミッションはなかなか見出しにくい。つまりミッションが先にないと、NPO法人設立への道筋は甚だ遠い。このことを本書は述べているのだろう。そのため私は、同等の活動は法人でも担うことが可能と判断し先に営利法人、つまり合同会社を立ち上げた。

この前後に読んだNPO関連の書籍には、NPOの隆盛を願うあまり、利点のみが喧伝されがちな本もあった。そのような前向きな編集方針ももちろんありだ。が、本書のような冷静な視点もまた不可欠。

一旦、営利法人を立ち上げた今も、NPO法人立ち上げの機会を伺っている私。本書を読んだ経験を活かせる好機に、遠からず巡り合えるものと思っている。

‘2015/03/6-2015/03/10


なぜ技術経営はうまくいかないのか―次世代の成長を生み出すマネジメント


4月になってプロジェクトが変わり、プロジェクトを推進する側に回ることもあって、自分の仕事の方向性を定めようと試行錯誤した時期に読んだ一冊。

管理のみでなくプログラムないしは設計にも引き続き携わりたいとの意識を持って読んだ結果は、半年後の今、残念ながら活かすことができたとは思えない状態になっている。

本書は、現業に甘んじることなく、いかにして次代の技術を育てていくか、について豊富な事例を提示しているため、該当するリーダーには当てはまるところが多く、非常に参考になると思う。

ただ、私のような個人事業主の場合、摘要範囲が非常に限定されてしまう部分は否めない。

むしろ私は、この本を読んだ時期に携わることになった自治会の運営に、本書から得た知識を活かしている。それは技術経営とはもはや関係ない部分なのだが。

この本を活かせるような立場になった時、改めて再読してみたいと考えている。

’12/04/06-12/04/09