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ワールドカップ


サッカーのロシア・ワールドカップが終わった。総じてよい大会だったと思う。その事は好意的な世評からも裏付けられているのではないか。私自身、ロシア・ワールドカップは今までのワールドカップで最も多くの試合を観戦した大会だ。全部で十数試合は見たと思う。

私がサッカーのワールドカップを見始めたのは、1990年に開催されたイタリア大会からだ。それ以来、三十年近く、八回のワールドカップを見てきた。その経験からも、ロシア・ワールドカップは見た試合の数、質、そしてわれらが日本代表の成長も含め、一番だと思っている。

総括の意味を込め、大会が終わった今、あらためて本書を読んでみた。本書が上梓されたのは、1998年のフランス大会が始まる直前のことだ。フランス大会といえば、日本が初出場した大会。そして若き日の私が本気で現地に見に行こうと企てた大会でもある。

最近でこそ、ワールドカップに日本が出場するのは当たり前になっている。だが、かつての日本にとって、ワールドカップへの出場は見果てぬ夢だった。1998年のフランス大会で初出場を果たしたとはいえ、当時の日本人の大多数はワールドカップ自体になじみがなかった。2002年には日韓共催のワールドカップも控えていたというのに。本書は当時の日本にワールドカップを紹介するのに大きな役割を果たしたと思う。

本書を発表した時期が時期だけに、本書はブームに乗った薄い内容ではないかと思った方。本書はとても充実している。薄いどころか、サッカーとワールドカップの歴史が濃密に詰まった一冊だ。1930年の第一回ウルグアイ大会から1994年のアメリカ大会までの歴史をたどりながら、それぞれの大会がどのような開催形式で行われたのか、各試合の様子はどうだったのか、各大会を彩ったスター・プレーヤーの活躍はどうだったのかが描かれる。ワールドカップは今も昔もその時代のサッカーの集大成だ。つまり、ワールドカップを取り上げた本書を読むことで、サッカースタイルの変遷も理解できるのだ。本書は、ワールドカップの視点から捉え直したサッカー史の本だといってもよい。

ワールドカップの歴史には、オリンピックと同じような紆余曲折があった。例えば開催権を得るための争いもそう。南米とヨーロッパの間で開催権が揺れるのは今も変わらない。だが、当初は今よりも争いの傾向が強かった。そもそも第一回がウルグアイで開かれ、そして開催国のウルグアイが優勝した事実。その事は開催当時のいびつな状況を表している。当時、参加する各国の選手の滞在費や渡航費用を負担できるのが、好況に沸いていたウルグアイであったこと。費用が掛からないにもかかわらず、船旅を嫌ったヨーロッパの強国は参加しなかったこと。それが元で第二回のイタリア大会は南米の諸国が出なかったこと。特に当時、今よりもはるかに強かったとされるアルゼンチンが、自国開催を何度も企てながら、当初は隣国の大会に参加すらボイコットしていたこと。

他にもまだある。サッカーの母国と言えばイギリス。だが、イギリス連邦の四協会(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)は母国のプライドからワールドカップへの参加の必要を認めていなかった。実際、開催からしばらくの間、ワールドカップに発祥国イングランドの諸国は参加していない。上記の四協会は、今もフットボールのルール改正に大きな権限を持っている。ところが、当時はそもそもFIFAにすら加入していなかった。それ以後もなんどもFIFAへの脱退と再加入を繰り返し、サッカーの母国としてのプライドを振りかざし続けた。そんな歴史も本書には描かれている。

つまり、ワールドカップの歴史の始まりには、さまざまなプライドや利権が付いて回っていたのだ。世界の主要なサッカー強国が初めてそろったのが1958年のスウェーデン大会まで待たねばならなかった事実は、サッカーの歴史の上で見逃してはならない。

本書の読みどころは他にもある。サッカースタイルの象徴である選手の移り変わり。なぜ、ブラジルのペレが偉大だといわれるのか。それは彼が1958年大会で鮮烈なデビューを飾ったからだ。当時、サッカー界を席巻していたのは1950年初頭に無敵を誇り「マジック・マジャール」と呼ばれたハンガリー代表だ。その中心選手であるフェレンツ・プスカシュ。彼は当時の名選手として君臨していた。しかし、プスカシュはサッカーの王様とは呼ばれない。また、レアル・マドリードの五連覇に貢献したディ・ステファノも当時の名選手だ。ペレやマラドーナ、その他の世界的スターからサッカーのヒーローとして今も名前が挙げられ続けるディ・ステファノ。しかしディ・ステファノもサッカーの王様とは呼ばれない。それだけ、1958年のペレの出現は、当時のサッカー界に衝撃を与えたのだ。ワールドカップが初めて世界的な大会となった1958年の大会。真の世界大会で彗星のように現れたペレが与えた衝撃を超える選手が現れるまで、サッカーの王様の称号はペレに与えられ続けるのだろう。

1958年大会以降、サッカーは世界でますます人気となった。そして、その大会で優勝したブラジルこそがサッカー大国としての不動の地位を築く。しかし、1966年のイングランド大会では地元イングランドが地元の有利を活かして優勝する。1978年のアルゼンチン大会でも開催国アルゼンチンが優勝した。著者はそうした歴史を描きながら、開催国だからと言って、あからさまなひいきや不正があったわけでないこともきちんと記す。

その一方で、著者はつまらない試合や、談合に思えるほどひどい試合があったこときっちりと指摘する。この度のロシア大会でも、ポーランド戦の日本が消極的な戦いに徹し、激しい論議を呼んだのは記憶に新しい。そのままのスコアを維持すると決勝トーナメントに進むことのできる日本が、ラスト8分間で採ったボール回しのことだ。だが、かつての大会では、それよりもひどい戦いが横行していた。予選のリーグ戦ではキックオフに時間差があり、他の会場の試合結果に応じた戦い方が横行していた。特に1982年大会。1982年のスペイン大会といえば、幾多もの名勝負が行われたことでも知られる。だが、その中で西ドイツVSオーストリアの試合は「ヒホンの恥」と呼ばれ、いまだにワールドカップ史上、最低の試合と呼ばれている。

そして1986年のメキシコ大会だ。神の手ゴールや“五人抜き “ ゴールなど、マラドーナの個人技が光った大会だ。当時の私にとっても、クラスメイトの会話から、生まれて初めてサッカーのワールドカップの存在を意識した大会だ。私が実際にワールドカップをリアルタイムで見るようになったのは冒頭にも書いた1990年のイタリア大会だ。だが、本書でも書かれているとおり、守備的なゲームが多かったこの大会は、私の印象にはあまり残っていない。

守備的な試合が多かったことは、1994年のアメリカ大会でも変わらなかった。だが、私にとってはJリーグが開幕した翌年であり、今までの生涯でも、サッカーに最もはまっていたころだ。夜中まで試合を見ていたことを思い出す。

そして1998年だ。この大会は冒頭に書いたとおり、私が現地で観戦しようと企てた大会だ。初出場の日本は悔しいことに一勝もできず敗れ去った。そして、その結果は本書には載っていない。

だが、本書の真価とは、初出場する日本にとって、ワールドカップが何かを詳しく記したことにある。それまでのワールドカップの歴史を詳しく載せてくれた本書によって、いったい何人の日本人サッカーファンが助かったことか。本書はまさに、語り継がれるべき名著だと思う。

本書がよいのは、ワールドカップをゲーム内容だけでなく、運営の仕組みまで含めて詳しく書いていることだ。ワールドカップが今の形に落ち着くまで、どのように公平で中立な大会運営を目指して試行錯誤してきたのか。その過程がわかるのがよい。それは著者が政治学博士号を持っていることに関係していると思う。組織論の視点から大会運営の変遷に触れており、それが本書を通常のサッカー・ジャーナリズムとは一線を画したものにしている。

本書には続編がある。そちらのタイトルは「ワールドカップ 1930-2002」。私はその本を2006年に読んでいる。2002年の日韓ワールドカップの直前に、1998年大会の結果を加えて出されたもののようだ。私はその内容をよく覚えていない。それもあって、2002年の日韓共催大会の結果や、その後に行われたドイツ、南アフリカ、ブラジル、ロシア大会の結果も含めた総括が必要ではないかと思うのだ。参加国が拡大し、サッカーがよりワールドワイドなものになり、日本が出場するのが当たり前のようになった今、本書の改定版が出されてもよいと思うのは私だけだろうか。

‘2018/07/18-2018/07/20


アマゾン入門


本書はAmazon.comについての本ではない。本書のテーマはアマゾン川とその流域の暮らしについて。世界最大の流域面積を持ち、流域には広大な熱帯樹林を擁し、肥沃で広大な場所の代名詞でもあるアマゾン。そこに移民として住み着き、苦労しながらも成果をあげ続けている日本人がテーマだ。

周知の通り、Amazon.comのサービス名の由来の一つにアマゾンがある。アマゾン流域の抱える膨大な広さと豊かな資源。それにあやかったのがAmazon.comだという。今のネット社会に生きる私たちはAmazon.comやAmazon.co.jpにはいろいろとお世話になっている。なっておきながら、その名の由来の一つであるアマゾン川やその流域のことをあまりにも知らない。せいぜいテレビのドキュメンタリー番組でアマゾンを覗き見るぐらい。

著者はそんなアマゾンに魅せられ、長年のあいだに何度も訪れているという。いわば日本のアマゾン第一人者だ。著者の名はジャーナリストとして、ノンフィクション作家としてある程度知られている。だが、そのイメージはアマゾンと対極にある。なぜなら著者が精力的に追っているのは技術だからだ。日本の技術の発展を追った連載や書籍によってその名を高めてきた。だから本書のタイトルからはどうしてもAmazon.comを連想してしまう。

しかし本書はAmazon.comとは無縁だ。それどころかあらゆる技術の類いにも縁がない。インターネットどころか、パソコンすらない時代と場所。なにしろ本書に描かれているエピソードには村にカラーテレビが入ったと喜ぶ人々の姿が登場するぐらいだから。本書が取材されたのは1979年。1979年といえば、日本では一般社会にもカラーテレビが当たり前になりつつある頃。ところが当時のアマゾンではそれすら物珍しいものだった。だから、本書にはAmazon.comどころか、それと対極のエピソードで占められている。

本書は著者にとって二度目のアマゾンの旅の様子を中心に描かれている。1979年の当時は、世界が情報技術に覆われる前の時代だ。世界がまだ広く遠かった頃。アマゾン流域ではさらにそこから何十年も遅れており、アマゾンは無限の広さを謳歌していた。日本人にとって規格外の広さを誇るアマゾン。本書でもそのことは随所で紹介される。例えば河口にある中洲とされるマラジョ島だけで九州やスイスの大きさに匹敵するという。河口だけで三百キロの幅があり、アマゾン流域には日本が16個ほどすっぽりはいること。何千キロも河口から遡っても水深がなお何十メートルもあること。大西洋の沖合160キロまでアマゾンから流れた水のおかげで淡水になっていること。本書の冒頭には、アマゾンの大きさを表す豆知識があれこれ披露される。そのどれもが地球の裏側の島国に住む私たちにとってリアルに感じられない。

アマゾンといえばピラニアが有名。だが、本書では人間を丸呑みする大ナマズが登場する。そのようなエピソードを語るのは本書にたくさん登場する日本人だ。ブラジルをはじめ、南米の各地には日本人の移民が大勢根を下ろしている。厳しい環境の中、成功を収めた日本人も数知れずいる。ジャポネス・ガランチードとは本書のまえがきに登場する言葉。その意味は「保証付きの日本人」だ。日本人の勤勉さと想像を絶する苦労の果てに授かった称号だろう。

厳しい環境に耐え抜きアマゾンに土着した日本人はたくましい。そこには言葉にできないほどの苦労があった。著者はそれらの苦労を紹介しつつ、アマゾンの現状とこれからを描いていく。その描写は収支から経済活動、日々の暮らしにまで及ぶ。彼らの暮らしが本当に地についている事を感じるのはこんなセリフにぶつかったときだ。「アマゾンは広い広いというけれど、日本より狭い」(105P)という言葉。とにかくまっ平なアマゾンに過ごしていると、その広さは全く実感として感じられないのだろう。日本にいる私が各種データやGoogle Earthでみるアマゾンはディスプレイに収まってしまうサイズだ。だが、それこそまさに机上の空論。現地で住まう人々の感覚の方が実感として正しいに決まっている。現地の人々が感じる狭さこそ、人間の五感で得られた実感であり、ディスプレイで知った狭さなどまやかしでしかない。

そんな入植者の勤勉さがアマゾンにはよく合ったのだろう。もちろん勤勉でない日本人もいたはずだが、そうした方は早々にアマゾンから淘汰される。残った勤勉な日本人が現地で成功を収める。なぜなら現地の人々より勤勉だったから。ゴム栽培、ジュート収穫の苦労。トランスアマゾニアンハイウェイの開発秘話。マラリアに悩まされ、原住民に襲われる日々。日本では味わえない苦労の数々。そうした人々の苦労話は、想像すらできない。だが、彼らが乗り越えて来たことだけはわかる。

著者もマナウスから百数十キロ離れた場所で野営をする。アマゾンを知るには最低限一晩の野営はしなければ、といわれ。一晩を静かな原始林で過ごした著者は重要な示唆を得る。
「原始林は、なんともの静かなことか。それに比べて文明地の苛立つ雑踏と、騒がしさ。原始林の”清潔”に対し、文明には”不潔”という言葉しか与えられない。」(197P)

全てが生と死に直結するアマゾン。一方でシステム制御され、効率化を追求したAmazon.com。その二つが同じ名前でつながっている事をAmazon.comの創業者ジェフ・ベゾスの発想だけで片付けてはならない。そこには大いなる啓示を読みとるべきではないか。

本書が描き出すアマゾンは、人間の力の卑小さを思わせる。自然を制御するには思い上がりもいいところと。確かに人間の経済活動は地球の環境を変えつつある。それは人間の制御の及ばぬ領域において。そして本書が取材され出版された当時に比べ、今の私たちの周りには自然よりもさらに統制の難しい存在が姿を現しつつある。人工知能だ。人工知能を推し進める旗頭の一つこそAmazon.comであるのは言うまでもない。そして、人工知能がシンギュラリティを実現したとき、人間はただ取り残される。その時人間は悟るだろう。結局、人間が主体となって神となって地球を操ることなどできはしないことに。かつては自然が、これからは人工知能が。

人間が生体の人間である限り、人間はいつまでも人間だ。そして、その営みこそは、人間が古来から未来まで変えようにも変えられない部分だと思う。本書に書かれているしんずいこそ、その営みに他ならない。本書に描かれた苦労する日本人。わずかながらでもアマゾンに足掛かりをつかみ、成功しつつある人々。彼らの努力こそは美徳であり、人工知能に対する人間の価値の勝利であるはずだ。

もし人間が人工知能の支配する世界で存在感を見いだすとすれば、本書に描かれた人々の姿は参考になるはず。よしんば人工知能が自立する未来が来なかったとしても、文明に飼いならされた人間がどこかで退化して行くことは避けられない。仮に日本人の美徳を勤勉さに求めるとすれば、仮に日本人の勤勉さが世界から称賛されるとすれば、本書に描かれた日本人とは、これからの人間のあり方を示唆しているような気がする。

「アマゾンは、将来世界の中心になるんじゃあるまいか。電力は水力発電で無尽蔵だし、世界の食糧庫になるかもしれませんよ」(96P)とのセリフが本文に登場する。私が想像するあり方とは違うが、アマゾンが地球と人間の今後の指標となることに違いはない。

果たして、自然を味方に付けたアマゾンの価値観が未来を制するのか。人工知能を走らせ統制に終始するAmazon.comの価値観が未来を席巻するのか。二つの相反する価値観がともにアマゾンを名乗っていること。そこに大いなる暗示を感じる。著者は40年も前に今の技術社会の限界とその突破口をアマゾンに嗅ぎとったのだろうか。だとすれば恐るべきはジャーナリストの本能だ。

本書はタイトルや内容に込められた意図を超えて、今の世にこそ読まれるべき一冊だと思う。

‘2017/08/16-2017/08/17