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トップガン マーヴェリック


本作は見に行こうと決めていたので、一カ月ほど前にAmazon Primeで前作を見直した。中学生の頃はレンタルやテレビ放映で何度も見た前作だが、前に見てからおそらく三十年はたっているはずだ。
前作のサントラはカセットテープでも持っているし(私が初めて買った音楽メディアがバック・トゥ・ザ・フューチャーのサントラのカセットで、その次に購入したのがトップガンのサントラ)、後にCDでも購入した。
TOPGUN ANTHEMは今でも頻繁に聴くし、私にとって前作は重要な作品だ。

だからこそ、本作は見に行こうと決めていたものの、少しだけ不安だった。期待はずれだったらどうしよう。
結論から言うとそれは杞憂だった。
36年のブランクを感じさせず、それでいて、前作を十分に尊重している内容が素晴らしかった。思わず最後は泣いてしまった。

まだ見ていない人が本稿を読むかもしれないので、あまり内容については触れないようにしたい。特に前作と本作で引き継がれた部分や、前作に比べて変わった部分については本稿では注意深く取り扱うつもりだ。

とはいえ、作中に流れる音楽については書いても良い気がする。
例えば冒頭。TOPGUN ANTHEMのイントロが流れ、そこからDANGER ZONEへと転調する部分。このシーンなど、完全に前作を見た人へのサービスだろう。この部分だけで前作の思い出が蘇ることは間違いない。
あとはエンドクレジットだ。本作の最後にはTOPGUN ANTHEMが流れる。だが、スティーブ・スティーブンスの奏でるギターのアレンジに痺れた私としては、本作で流れたTOPGUN ANTHEMのアレンジには新鮮さを感じなかった。残念ながら。

The WhoやDavid Bowieなどの懐かしい曲や前作でも印象に残るシーンで使われていたGreat Balls of Fireの使い方も良かった。流れる音楽に前作の雰囲気が踏襲されていたのは嬉しい。
ただし、前作はバラエティも豊かな80’sの黄金期にふさわしいミュージシャンがそろっていた。だが、本作のサウンドトラックに収められている曲にはまだピンときていない。別にレディ・ガガのアンチではないが、前作に続いて本作のサウンドトラックを買おうと言う気にはまだなっていない。

本作は、何が良かったかというと、加齢をきちんと踏まえてくれていたことだ。
ミッション・インポッシブルのようなアクション満載の映画も楽しいのだが、さすがにトム・クルーズの年齢を考えると無理がある。
本作で描かれたマーヴェリックが縦横無尽に機を操る姿にも年齢的にも無理はあるはず。だが、脚本の上では36年の月日を踏まえた脚本になっていて、前作を飾った面々が年月を重ねる描写が不自然さを感じさせなかった理由だったと思う。

また、ダイバーシティの風潮を踏まえ、トップガンの面々も一新した。人種もさまざまで、女性のパイロットも登場する。そこは前作との違いとしてあげてもよいだろう。
本作に登場するトップガン達の溌剌とした若さに比べると、トム・クルーズの加齢は否めない。だが、それが良かった。加齢しない人間などいるわけがない。歳を取っているのだ。トム・クルーズと言えども。
そこをきちんと描いてくれたため、トム・クルーズがマッハ10の壁を越えても、トップガンたちを訓練で次々とロックオンしても、本作のマーヴェリックから作り物めいた感じは受けなかった。

もう一つ、加齢を描いていて良いと思ったのはラブシーンだ。前作ではベルリンの歌う愛のテーマに合わせ、濃密な情欲が描かれていた。が、本作ではそこはあっさりと描かれていた。この点にも好感を持った。36年たっても相変わらず異性にギラギラするマーヴェリックなど、どう考えても不自然なので。

また、これは加齢には関係ないが、パイロットが人工知能に置き換えられる設定も、時流を映していて良かったと思う。
おそらく、本作にテーマがあるとすれば、生身の人間がハイテクの権化である戦闘機を乗りこなすことの激しさや苦しさ、厳しさを描くことにあるはずだ。なぜAIでなく生身の人間が乗ることに浪漫を感じるのか。それは、人間が感情にも肉体上にも限界があるからだろう。
その上でパイロットたちは限界に挑む。加齢や肉体の限界からは人間は逃れられないが、それを乗り換えて限界に挑まなければならない。そして、次の世代にバトンタッチしていかなければならない。
仲間同士の友情や協力によって不可能を可能にする姿が、本作の支持につながっているはず。

もう一つ、本作から感動を受けるのほ、主演のトム・クルーズ自身の姿勢だ。彼は50歳も半ばを過ぎたのに本作に挑戦している。
本作のパンフレットが売り切れだったので、私も製作情報はあまり知らない。だが、聞くところによると本作には合成の画像は使われていないそうだ。
規定により、俳優は実機を操縦できない。そのため、操縦自体は空軍の本物のパイロットが行っているそうだ。だが、俳優は実機に乗り込み、実際に乗った状態で演技しているそうだ。もちろんトム・クルーズも。
実際に高いGを感じながらの演技は大変だと思う。だが、それがかえって本作に真に迫った描写を与えているのではないだろうか。
IMAXの巨大な画面を前にみる本作は、実に爽快。見て良かったと思う。
本作は新型コロナウイルスによって再三公開延期を余儀なくされたと言う。だが、トム・クルーズは頑としてスクリーン公開を譲らなかったそうだ。それだけ本作に力を注ぎ込み、自信もあったのだろう。

本作のマーヴェリックの姿にうそっぽさがないとすれば、トム・クルーズの演技に年齢の壁を越え、さらなる高みへと努力する姿が感じられるからだろう。

本作は次女と見に行った。当日の朝の五時まで20時間連続で仕事をしていた娘は、社会人になって早々、過酷な現場で頑張っている。
トム・クルーズのファンである次女は、トム・クルーズの超人的な努力を見て、元気をもらったと言っていた。私もその意見に同じだ。
年齢だからと諦めるのではなく、努力してみなければ。49歳の誕生日を迎えた日に見たからこそ、なおさらそれを感じた。

‘2022/6/6 グランドシネマサンシャイン池袋


メデューサの嵐 下


下巻では、着陸する空港を求めてあちこちを飛び回るスコットの苦闘が描かれる。
メデューサが野放しになっている事実は、アメリカ中が知ることとなった。ペンタゴンやCIAも、とんでもない兵器が空にある事態を把握する。一方で、アメリカを危機に陥れた犯罪者がすでに亡くなったロジャーズではなくヴィヴィアンによってなされたと考え、捜査するFBIも。
さまざまな思惑を持つ人々がそれぞれの立場で事態を掌握しようとするため、なかなかうまくいかない。

もっともやっかいなのは、メデューサを無傷で確保したいとの軍の一部の思惑だ。
まだどの国も開発に成功していないメデューサウェーブが今、合衆国の上空にある。それは軍にとって願ってもないチャンスだ。この兵器を可能な限り無傷で入手し、内部を解析することによって、アメリカによる世界の覇権はより一層強固なものとなる。
アメリカに無限の力がもたらされるメデューサは、軍が確保しなければならない。
そう確信した一部の軍人は、兵器を遺棄したいと願うスコットを欺き、スコットの飛行機を軍の飛行場に着陸させようと画策する。

ところがスコットのそばには、兵器の実際の開発者であるロジャーズの妻ヴィヴィアンがいる。かつてロジャーズと一緒に研究職に就いていたヴィヴィアンにとって、ロジャーズの能力はよく知っている。この兵器を完成させてもおかしくないことも。
ロジャーズがやると決めたら必ず実行する。軍がいかに知恵をめぐらそうとも、安全に解体することなど不可能。メデューサは軍が生半可に扱えるような代物ではない。そして、処置を誤ったが最後、アメリカ中の電子機器は使い物にならなくなり、アメリカは二度と立ち上がれないほどのダメージを被る。

ヴィヴィアンからそのような事を聞いたスコットは、アメリカを救わねばという使命につき動かされる。そして、策をめぐらせながら機を飛ばし続ける。スコットエアも自分自身もそしてクルーも最後まであきらめることなく、どうやればメデューサを安全に処分するかを考えながら。

そのスコットからみて、軍のおかしな動きは怪しむに十分だった。軍が自らを欺きメデューサを手中に収めようとしているのではないか、と。その疑いが確信に高まり、いったんは着陸した空港から、軍の制止を振り切って再び離陸への道を選ぶ。
物語を盛り上げるため、このような余計な画策をする役割の人物は必要だ。軍人としての動機がもっともなだけに、スコットを再び空へと送り出す展開も無理やりな感じは受けない。

軍の用意した飛行場が頼りにならないとなれば、もうスコットにとれる道はすくない。時間は少ない。そこで彼がどういう決断を下すのか。

超巨大台風とメデューサ。熱核爆弾としての側面も持つメデューサが爆発すれば、電磁波だけでなく、自身も一瞬にして塵と化す。
そのような極限状況にあって、ある人はパニックに陥り、ある人は判断力を失う。だが、ヒーローでなくとも、集中力を高められる人もいる。本書のスコットのように。
もともと航空機のパイロットは高度な知識と集中力を擁する仕事だという。
本書のような事態に巻き込まれたとしても、スコットが毅然と対処できることはある意味理にかなっている。空軍のもと戦闘機載りの経歴ならなおさら。

おそらく著者も自身や仲間のパイロットの姿をみていたはず。その素養は承知していたため、本書のような設定も著者には荒唐無稽とは考えていなかったのだろう。

飛行機とはただでさえ、一瞬の操作ミスが命の危機に直結する。
だから、もともとサスペンスの題材としては適している。
そして著者にパイロットとしての知識があったならば、飛行機を題材とした本書のようなサスペンスは面白いはずだ。

実際、本書を読む間は手に汗を握るような展開が連続する。本書のように極上の緊張感を楽しめるのは、読者としての喜びだ。

ただ、本書には物足りない点もあった。
正直にいうと、本書の登場人物にはもう少し深みがあっても良かったと思う。
たとえばスコットがなぜ一人で貨物便を扱うスコットエアを創業したのか。上巻の冒頭でそのあたりのいきさつには多少は触れられる。だが、あまりスコットが貨物会社を創業した動機には挫折があまり感じられなかった。
さらに、重要な役回りを演じるドクやジェリーの人物ももう少し深く掘り下げてもよかったのではないだろうか。

そしてリンダにも同じ物足りなさがつきまとう。なぜ南極からの観測データを焦って積み込まねばならないのか。そこに環境学者としての彼女が抱いていた地球温暖化の危機感を書き込めば、より彼女の強引な行為の理由が理解できたはず。

結局、本書で一番無茶な企てを仕掛けたロジャーズと、その企みにまんまとはめられたヴィヴィアンの元夫婦が、人物の中でもっとも深みがあったように思うのは私だけだろうか。
彼らの闇の暗さと、たくらみや巻き込まれた事件はもっとも現実に考えにくい役回りだったにもかかわらず。

だが、そうした欠点など取るに足りないと思えるぐらい、本書は航空機とそれを舞台にしたサスペンスの書き方に長けていたと思う。
あえて人物の書き方に注文を付けたのも、それだけ本書のサスペンスとしての構成がしっかりしていたからだ。

このあたりのバランスをどうすればよかったのかは、結果論に過ぎない。
一つだけいえるのは、本書が極上のサスペンスだったこと。それを読めて楽しめたことぐらいだ。

本書は余韻の描き方もとてもよかった。この終わり方によって、沸騰していた物語に締めくくりが付けられたように思える。

‘2019/6/19-2019/6/19


メデューサの嵐 上


本書は、だいぶ長い間、私の部屋で積ん読になっていた一冊だ。
ちょうど読む本が手元になくなったので手に取ってみた。

本書は、今まで積ん読にしていたのが申し訳ないほど面白かった。
何が面白かったかと言うと、飛行機の運転操縦に関する知識が深く、臨場感に満ちていたことだ。それもそのはずで、著者はもともと貨物便のパイロットをしていたそうだ。

本書の主人公であるスコットもまた零細貨物航空会社スコットエアの経営者であり、パイロットだ。そのスコットエアを運営しながら、綱渡りの経営を続け、営業で案件をとってきては収入を運営につぎ込む。その姿は、私と弊社そのもの。だから感情移入ができた。

しかも、本書の主人公の場合、実際の貨物便を所持している。
という事は、維持費がかかる事を意味する。また、それを運行するためのスタッフも雇わねばならない。
スタッフとはスコットエアの場合、副操縦士のジョン・ドク・ハザードと機関士のジェリー・クリスチャンだ。
スコットエアにはスタッフも大きな機器もある。だから、弊社のようにパソコンだけを持っていれば済むはずがない。
スコットの経営は、私よりもさらに過酷であり、綱渡りの連続であるはずだ。

さて、本書のタイトルにもなっているメデューサとは、メデューサウェーブを発する兵器の事だ。もちろん実在しない。著者の造語だ。
メデューサウェーブとは、強力な電磁波。その強力な電磁波によって、電子と磁気の情報で成り立っている情報機器を一撃で無効にできる。つまりデータを破壊できるのだ。
世界中のハードディスクに保存されているあらゆる情報や、ネットワーク上を行き来する電気信号。そうした情報は電子データであり、電子データが安全に保持されることが社会のあらゆる活動の前提となっている。
だが、メデューサウェーブによってそれらが一気に無効になるとすれば、その恐ろしさは計り知れない。実際、複数の国の兵器関係者は今も研究しているはずだ。

もしそのような恐ろしい兵器が、在野の一科学者によって作り上げられたとしたら。そして、その科学者が狂った動機をもとにその兵器を実際に稼働させようとしたら。もしその兵器がスコットの操縦する貨物機に積まれていたとしたら。
本書はそうした物語だ。全編がサスペンスに溢れている。

その科学者ロジャーズ・ヘンリーは、離婚した妻ヴィヴィアンに対して復讐しようとしていた。そして彼の復讐の刃は自分の才能を認めようとしなかった合衆国政府にも向けられていた。
そんなロジャーズの狂った執念を一石二鳥で実現したのがこのメデューサウェーブ。
ガンで自らの余命がいくばくもない事を知ったロジャーズは、ヴィヴィアンに連絡を取る。
その時、ヴィヴィアンは離婚したことによって収入のあてがたたれ、困窮状態にあった。
死の床で寝込んでいたロジャーズからの頼みを断れずに引き受けてしまったことが、本書の発端となる。

メデューサに巧妙な仕掛けを組んでいたそのロジャーズは、自ら命を断つ。
そしてヴィヴィアンは、生計がいよいよ立ち行かなくなり、ロジャーズの頼みを実行する。
ロジャーズの頼みとはヴィヴィアンも同伴したまま、貨物便にその箱に似た兵器を積み込む事。
しかし、積み込まれるべきだったメデューサは、手違いで積み込まれるべき貨物便とは違う便に積み込まれた。その飛行機こそ、スコットの操縦する飛行機だった。そしてスコットがそのまま飛行機を離陸させたことで、メデューサは空に解き放たれてしまう。
巧妙にも、ヴィヴィアンのペースメーカーと兵器を同期させるようにしていたロジャーズは、ワシントンの上空で兵器を作動させる。
兵器の電子コンソールには、ヴィヴィアンが離れると兵器をすぐに稼働させるという脅迫の文字が。

飛行機は着陸もできなければ、兵器を処分することもできない。つまり、燃料の切れるまで飛び続ける羽目に陥る。
しかも間の悪いことにアメリカに最大級の台風が襲来している。つまり、スコットは巨大な台風の中を、いつ爆発するとも知れない兵器とともに飛び続けなければならない。

貨物の積み込みや、空港での手続き。そして実際の操縦や航空機の形に関する知識。
そうした知識がないまま、本書のような物語を書くと、非現実的な設定に上滑りしてしまう。
だが、冒頭に書いた通り著者はもともと飛行機会社を経営していたという。そうしたキャリアから裏付けられた説得力が本書に読みごたえを与えている。

同時に著者は、兵器の情報がどのようにしてマスコミに漏れ、それがどのように世間を騒がせるかについてもきちんとリサーチを行っているようだ。
危険極まりない兵器が空を飛び回っていることを知った世間はパニックに陥る。
そのいきさつもきちんと手順を踏んでおり、無理やりな感じはしない。だから、本書からは説得力が保たれている。

今の社会は電子データに従って動いている。どこにでもありふれているが、ひとたび混乱すれば、世界の仕組みは破滅し、アメリカの覇権は雲散霧消する。
メデューサウェーブのような兵器の着想は、おそらく他の作家にも生まれていることだろう。だが、私にとっては本書で初めて出会った。それだけに、新鮮だった。

スコットの操縦する飛行機には、ドクとジェリー、ヴィヴィアンの他にもまだ乗客がいる。
南極での調査を終え、政府研究機関に至急渡したいからと荷物を運んでほしいと強引に乗り込んできた女性科学者のリンダ・マッコイ。
この5名の間にコミニケーションが取られながら、5人でどのようにして協力し合い、危機を脱するのか、という興味が読者をつかんで離さない。

実際のところ、本書の核心度や描き方、物事の進め方やタイミングなど、あらゆる面で第一級のサスペンスで、まさにプロの描いた小説そのものである。
才能の持ち主が知識を備えていれば、本書のような優れたサスペンスになるのだ。

いったいスコットたちはどのように危機を乗り切るのだろうか。下巻も見逃せない。

‘2019/6/14-2019/6/19


下町ロケット


本書を読み終えてから一年近く経ち、ようやく本稿を書いている。その間には本書を原作としたテレビドラマも始まったと聞く。例によって一度も観ていないが。

だが、読み終えて一年経ったにも関わらず、本書の内容はよく覚えている。心動かされたシーン、クライマックスのシーンを何度読み返したことか。何度も読み返したことによって本書の内容は頭に入った。しかしそれだけではない。他にも本書の内容を覚えている理由はある。それは、題名から想像した内容と実際の内容に違いがあったことだ。

はじめ、本書の題名から想像していたのは「まいど一号」である。「まいど一号」とは東大阪市の中小企業団地の会社が集まり、開発したロケットの名前である。それは 宇宙開発協同組合SOHLAとして知られている。私が本書を読む前に持っていた下町ロケットのイメージは、宇宙開発協同組合SOHLAのニュースを下敷きとしたものであった。

しかし、本書の粗筋はそれとは大分違っている。中小企業といっても、主人公佃航平が社長を勤める佃製作所は、技術に定評のある精密機械の製造会社。しかし、ここに来て大口顧客の契約を失注し、ライバル社からは特許侵害で訴えられ、さらにメインバンクへの融資依頼も渋られる始末。

立て続けに起こった会社存続の危機に際し、折よく帝国重工の宇宙航空部長財前より、佃製作所の持つ特許の譲渡を持ち掛けられる。その特許がないと帝国重工は自社の新型水素エンジンを商品化できない。しかし、航平は逆に財前に提案する。部品供給者として共同開発に参画させてもらえないかと。巨額の特許譲渡収入を捨ててまで航平にそう決断させたのは、自身が宇宙開発事業団の主任エンジニアとしてロケット打ち上げに失敗した経験があるため。その苦い経験の払拭や、自らの夢への想い。

はたして航平は自社内製品しか採用しないという帝国重工を説得できるのか。また、佃製作所は、帝国重工の求める苛烈な試験を通せるだけの製品を送り出せるのか。ライバル社からの特許侵害裁判に勝てるのか。何よりも社内の空気を航平の夢に向ける事が出来るのか。

著者の作品全てに目を通した訳ではないが、著者は組織の嫌らしさや軋轢を描くのがうまい。そういう印象を持っている。組織の嫌らしさや軋轢に抗い、勝ち上がる個人のしたたかさ。著者の作風はそのようなものだと勝手に思い込んでいた。しかし、本書を読んだ後では、そういう著者の作風に対する見方は改めねばならない。人の負の感情に対するのは、己を信じる自負心である。本書の底には一貫して前向きの気が流れている。もちろん本書には、足を引っ張る人間や懐疑的な人間も多数出てくる。しかし、本書にはそれを覆すだけの信念とそれを貫き通すことの美しさが気高く書かれている。

また、本書は佃製作所という中小企業が舞台だ。中小企業をいじめる大企業。その構図は、著者の他の作品でもお馴染みだ。しかし、本書に登場する帝国重工の財前や、メインバンクから出向して佃製作所の経理部長を勤める殿村といった人物は、大企業のプライドにふんぞり返ることなく航平の夢に協力する。そういったシーンはとても印象に残る。会社とは、仕事とは何かといった思いが、本書を読み終えると胸に実感として湧き出るはずだ。

何かを成し遂げるにあたって、立場や損得よりも大切なものがある。そのようなテーマは書き方を誤ると、とにかく「くさいシナリオ」になってしまう。が、本書では日本の中小企業に焦点を当てているためか、話に現実性がある。実際、わが国では町工場から世界に雄飛した松下やソニーといった先例もあり、世界シェアの大半を握る中小企業も珍しくない。戦後の熱い成長の記憶は我々の無意識に残っており、本書の内容が嘘っぽく聞こえない。日本の中小企業はもっと自信を持って良い。そう思える。

本書に感じられる中小企業への温かい視点は、或いは大手銀行出身の著者の自省によるのかもしれない。かつての我が国の高度経済成長を支えたのは、財閥系の大企業よりも、むしろ中小企業だった。そのような論は良く目にする。大手銀行が大企業だけを相手にし、中小企業への融資を控えたのが、日本経済の失速の原因ではないか。もし著者がそう思って本書を書いたのだとしたら、非常に心強い話である。少なくとも私は本書をそう受け止めた。そして今でもそう信じている。舞い上がった気持ちのままに。

本書は、中小企業への著者からのエールである。そうに違いない。

‘2014/12/25-2014/12/26