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図解・首都高速の科学


東京に住んで20年以上になる私。
首都高速は、もっぱら休日のレジャーでよく利用している。
また、本書を読んで約一年半後には、次女が都心で一人暮らしを始めた。その送迎でもよく利用している。

首都高速をドライブしていると、複雑なジャンクションや立体交差をよく見かける。それらを通りすぎる度に思う事は、この複雑なフォルムはどのような構造からなっているのか、という驚嘆だ。それらの建造には、どのような段取りが必要なのか。関心は増す一方だ。また、トンネルの工法や渋滞を制御しようとする工夫など、首都高速をめぐるあれこれについて、興味を抱くようになってきた。

本書は、そうした首都高速の運営のさまざまな疑問を解消してもらえるありがたい本だ。

著者は、さまざまな技術の解説本を担当されているそうだ。東北大学の大学院を出た後、化学メーカーに奉職し、その後にライターとして独立した経歴の持ち主らしい。

第1章 首都高速の原点=都心環状線
この章では、実際に運転した視点から見た都心環状線の景色を描写する。描写しながら、随所にある特色を紹介していく。
日本初の高速道路は、首都高速の都心環状線ではない。京橋から新橋までの区間を走るKK線と呼ばれる路線が日本初の高速道路と名付けられた道路だそうだ。数寄屋橋交差点の脇を高架で跨いでいるあれだ。
この道路、私はまだ通った事がないはずだ。本書によると無料だそうだ。無料なのは、GINZA INSが高速の下にあり、そこからのテナント料で維持費を賄えているかららしい。さらに、この道路は首都高速を運営する首都高速道路株式会社とは別組織の会社が運営しているらしい。その名も東京高速道路株式会社。この会社は、戦後のモータリゼーションの波によって道路交通が機能しなくなりつつあることを危惧した当時の財界人によって設立されたそうだ。この辺りの記述は、東京の歴史を語る上でもとても興味深い。

また、当初の都心環状線は江戸城のお堀の上を通した。それによって工期を短縮し、東京オリンピックに間に合わせた。そのような逸話も載っている。
先日、日本橋の上空に架けられた首都高速の高架を撤去することが決まった。この景観をどうするかの問題も語られているのも本章だ。

第2章 首都高速ネットワーク
この章では、高速規格道路の歴史が語られる。
そもそも、日本道路公団と首都高速株式会社がなぜ別の組織に分かれているのか。それについての疑問もこの章で明かされる。また、東名や名神といった道路よりも先に首都高速が作られていった理由なども。
私は、首都高速道路が東京オリンピックのために作られた、という誤解を持っていた。実はそうではないことを本書で教わった。
逼迫する首都圏の道路事情を改善するために、首都高速の建設が急がれたのだという。上のKK線も同じく。

第3章 建設技術の発展=羽田・横羽線と湾岸線
この章では、この二つの路線を実際に運転した視点から描いている。
この二つの路線は私もよく使う。横浜ベイブリッジや大黒パーキングエリアのループ構造、さらに鶴見つばさ橋。そうした建設技術の解説が本章の目玉だ。
また、湾岸線は多摩川の河底をトンネルて通っている。トンネルを作るにあたって採用した工法など、門外漢にもわかりやすく記してくれている。

第4章 交通管制システム
この章では、気になる渋滞のことについて描かれる。
渋滞発生の検知や通知の仕組みは、ドライバーにとって関心が高い。

例えば、首都高速を走っているとよく見かける大きな図で渋滞状況を表した掲示板。これは図形情報板と呼ぶそうだ。どの路線が渋滞を起こしているか、一目で分かるのでありがたい。東名道から首都高速に入ると、大橋ジャンクションの手前に設置されている。また中央道から首都高速に入った時も、西新宿ジャンクションの手前でお世話になっている。
事故情報をキャッチし、車の流れをセンサーで検知し、それを速やかに通知する。そうした管制センターの業務も紹介されている。

第5章 新しい首都高速=中央環状線
中央環状線は、比較的最近に開通した路線だ。
私も大橋ジャンクションから大井ジャンクションまでの区間はたまに利用している。
先にできていた東側は荒川の堤防を利用しており、後にできた西側は山手トンネルで地下を進む。
この路線は、最新の土木技術が惜しみなく使われている。そのため、建築業界の関係者には見どころの多い路線なのだ。

第6章 山手トンネルの技術
前の章でも取り上げられた中央環状線。
この西側、つまり、豊島区あたりから品川区あたりまでは、トンネルが続く。その名前が山手トンネルだ。日本で一番長い道路トンネルだそうだ。シールド工法を駆使して掘り進められたこのトンネルの土木技術の高さを紹介するのが本章だ。

第7章 ジャンクションと立体構造
首都高速に乗っていると、あちこちでダイナミックな立体交差を見かける。
土木技術の素晴らしさをもっともわかりやすく示してくれるのが、こうしたジャンクションだろう。
本章は、そうしたジャンクションの魅力を紹介してくれる。

第8章 首都高速の維持管理と未来
本章は、これからの首都高速道路を示す。
利用者にとってもっとも気になるのは、首都直下型地震が発生した際、首都高速は耐えられるのか、ということだ。

私自身、首都高速にはお世話になっている。応援もしたい。
その一方で、首都高速が必要になり、活躍する状況とは、つまり東京一極集中が改善されていない事でもある。その意味で言うと、私は複雑な気持ちになる。
首都高速の役割とはショーケース。本来はこうした道路が全国各地に均等に整備されていくべきと考えている。まずは地震に耐えぬいてほしい。

2020/10/30-2020/10/31


鹿島の旅 2018/7/14


思い立って鹿島に行ってきました。なぜ鹿島か。それは数日前に読んだ本がきっかけです。その本のタイトルは「本当はすごい!東京の歴史」です。その本で著者が唱えているのは、鹿島や富士山を中心とした東国から日本の文明が始まったとの説です。日本の東征神話には実は前段階があり、高天原は鹿島にあった。東征を行った神々は、鹿島を出て高千穂へ至り、高千穂を出て出雲を攻め、ついで大和へ向かったのではないか。著者が唱える説はかなり斬新。真偽はともかく、新鮮な意見といえましょう。

鹿島神宮と富士山と伊勢神宮が二等辺三角形を作っているとの著者の仮説は、私に強い印象を与えました。伊勢神宮といえば日本第一の宮。そのことに異論はありますまい。ですが、本書の説を信ずるなら、鹿島神宮にも同等の評価を与えるべきなのです。鹿島は藤原氏の祖である藤原鎌足の出身地として知られています。ところが、ご承知のとおり、藤原鎌足といえば奈良の飛鳥のイメージ。古代にあって鹿島から奈良に出て栄達を果たすことは容易ではなかったはず。ところが、鹿島が当時の我が国にあって有名な地として認識されていたとすれば、藤原鎌足の栄達にも合点がいきます。その後に千数百年の藤原氏の栄華すら、鹿島とからめることで謎が解けそうです。その他、この本から得た気づきについてはブログに書きました。

鹿島に行こうと思った逸る気持ちを実行するため、車が使える日を選びました。それが7/15。時間を有効に使うためには、早朝に現地に居るのが望ましい。そこで私は前の晩から家を出発しました。東名から首都高、東関東自動車道を経由して鹿島へ。成田から先は私にとって初めて訪れる地。せっかくなので、パーキングエリアやサービスエリアに全て寄りました。なにしろ時間はたっぷり。

鹿島につきましたが、夜なので街並みの様子はよく分かりません。ただカーナビに導かれ、鹿島神宮へと。ところが、鹿島神宮の参道と思われる道路には全く人通りがありません。石畳と妙に静まり返った沿道が、かろうじてここが門前町である事を教えてくれます。

それにしても夜とはいえ、この静けさはなんでしょう。神社の参道といえば、門前に屋台が軒を並べる光景が思い浮かびます。たとえ深夜でも仕舞われた屋台が路上に置かれ、それまでの雑多な雰囲気がどこかに漂っているはず。ところがこの参道には一部の隙もありません。整然としています。私にとって、この静けさは予想外でした。たまに車が通るほかは、人も通らず、開いている店もなく真っ暗です。参道からすでに神域の厳かさに満ちている。それは私の中に鹿島神宮への崇敬を呼び覚ましました。

その静けさに甘えるように、私は大鳥居のすぐ近くに車を停めました。そして大鳥居から楼門までのわずかな距離をしばらく散策しました。大鳥居を越えるとすぐ、手水舎があり、夜にも水が湛えられています。そこからみた楼門はライトアップされており、とても荘厳な雰囲気をかもし出していました。

静まりかえった神社の暗がりには、気合のこもったかけ声が響いてきます。剣道の稽古でも行われているのでしょうか。森の奥から聞こえてくる裂帛の気合い。夜のしじまの神域に響く武の音。古くからの武道の聖地である鹿島神宮の重みが迫ってきます。
神域の 暑き夜を裂き 鬨の声

楼門の向こうへも入れましたが、私はここで踵を返しました。武道の気合に気圧されたと言ってもよいでしょう。やはり、神社は昼のうちに参拝するのがよろしかろう。明日、陽の光の下であらためて参拝しよう、と。

さて、せっかく誰もいない夜道を堂々と歩けるのですから、もう少し鹿島の街を見てみたいと思いました。次に私が向かったのは鹿島神宮駅です。鹿島神宮駅は初めての訪問。ですが、私にとって初めてのような気はしません。鹿島神宮行きと言う電車を総武線の行き先表示でよく見かけるからでしょうか。夜の静けさの中にたたずむ鹿島神宮駅は、ひなびた雰囲気ではなく、郊外の閑静な駅として私の前にありました。せっかくなので駅前を歩きました。そして、鹿島神宮の参道へと至る坂道の途中にある塚原卜伝の像を訪れました。夜なので、あまりよく見えませんでしたが、剣豪が威厳のある姿で街を見守っています。前日に読み終えた「塚原卜伝」の印象が鮮やかに私の中に立ち上がります(レビュー)。

さて、そろそろ宿を探さねばなりません。今回の旅は、最初から車中泊のつもりでした。問題はどこに車を泊めるか。当初は、鹿島神宮の門前町のどこかに車が停められないかと思っていました。ところが、あてにしていたクラフトビールのお店は臨時休業。であればお酒は別の場所で飲もう。せっかくなのでもう少し場所を変えてみようと思いました。

その前に、夜の鹿島の街をドライブしました。最初の訪れたのは高天原の地。「本当はすごい!東京の歴史」に紹介されていたのが、鹿島には今も高天原があるとの情報。地図を見ると確かにそうした住所が存在するようです。実際、私が見た住居表示には確かに〝高天原◯丁目〝の文字が。本に書かれていた事は本当でした。少し感動した私。鹿島が日本の歴史の発祥の地なのかもしれないとの本の主張に真実味が増します。

その勢いで向かったのはカシマサッカースタジアム。夜の暗闇の中にライトアップされたスタジアムの姿はとても壮麗。まゆのような丸みを帯びた外観が堂々としています。私はしばらく、じっくりとその姿を目に焼き付けました。そして駐車場にも車を乗り入れ、さらに近くからスタジアムに見とれます。駐車場にはカブトムシを採っているとおぼしき親子の姿も見えます。

そろそろ、腹ごしらえもしなければ。そう思った私が訪れたのは「ばんどう太郎」。茨城県では有名なお店で、かつて家族で袋田の滝に行った帰りに立ち寄りました。ところが残念なことに、私が訪れたとき、ラストオーダーの時間を少しすぎてしまいました。替わりに私が訪れたのは近くの「ちゃあしゅう屋 鹿嶋店」。茨城のラーメン事情を知るため、チェックインしました。すでにタブレットの充電がやばく、お店で充電させてもらいながら。

そして私は今夜の寝床を探すため、次なる場所へ向かいました。私が向かったのは鉾田です。今回の旅では、私のいろんな趣味の巡りもするつもりでした。なので、関東の駅百選に選ばれながら、すでに廃駅となって久しい鹿島鉄道の鉾田駅を訪れてみようと思いました。北潟湖畔をひたすら北上します。途中、セイコーマートを発見し、珍しいアルコール類を何本か買い込みました。セイコーマートと言えば北海道。そんなイメージが強いですが、茨城にも店舗がある事は知っていました。一人旅でセイコーマートに出会えるとはうれしい限り。

しばらくして夜の鉾田に到着。ところが、鉾田の駅には何もありません。なぜかビッグエコーのお店だけがこうこうと明かりを点している他、開いているお店は全くありません。車も好きに止め放題。かつて、住居か店舗があったであろう空き地が駅の真ん前にあり、そこに車を止めさせてもらいました。ビッグエコーで一人カラオケをしながら、朝を迎えられればよかったのですが、あいにくなことにお店は夜中の2時に閉まってしまう模様。なので私は車中泊を敢行します。

夜、たまに通る車の音。暑苦しいため開け放しの窓から車内に侵入し耳元で羽音を立てる蚊。これらに妨害されながら、私は眠れぬ一夜を過ごしました。
百選の 駅跡の闇 車中泊