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エビータ


昨年、浅利慶太氏がお亡くなりになった。7/13のことだ。私は友人に誘われ、浅利慶太氏のお別れ会にも参列した。そこで配られた冊子には、浅利慶太氏の経歴と、劇団の旗揚げに際して浅利氏が筆をとった演劇論が載っていた。既存の演劇界に挑戦するかのような勢いのある演劇論とお別れ会で動画として流されていた浅利慶太氏のインタビュー内容は、私に十分な感銘を与えた。

ちょうどその頃、私には悩みがあった。その悩みとは宝塚歌劇団に関係しており、私の人生に影響を及ぼそうとしていた。宝塚歌劇団といえば、劇団四季と並び称される本邦の誇る劇団だ。だが、ここ数年の私は宝塚歌劇団の運営のあり方に疑問を感じていた。公演を支える運営やファンクラブ運営の体質など。特に妻がファンクラブの代表を務めるようになって以来、劇団運営の裏側を知ってしまった今、私にとってそれは悩みを通り越し、痛みにすらなっていた。その疑問を解く鍵が浅利慶太氏の劇団四季の運営にある、と思った私は、浅利慶太氏のお別れ会を機会に、浅利慶太氏と劇団四季について書かれた本を読んだ。キャスティングの方法論からファンクラブの運営に至るまで、宝塚歌劇団と劇団四季には違いがある。その違いは、演じるのが女性か男性と女性か、という違いにとどまらない。その違いを理解するには演劇論や経営論にまで踏み込まねばならないだろう。

宝塚の舞台はもういい、と思うようになっていた私。だが、お別れ会の後も、劇団四季の舞台は見たいと思い続けていた。今回、妻のココデンタルクリニックの七周年記念として企画した観劇会は、なんと総勢三十人の方にご参加いただいた。妻が25人の方をお招きし、妻が呼びきれなかった5名は私がお声がけし、一人も欠けることなく、本作を鑑賞することができた。

浅利慶太氏がお亡くなりになってほぼ一年。この日の公演も浅利慶太氏追悼公演と銘打たれている。観客席の最後方にはブースが設けられ、浅利慶太氏のポートレートやお花が飾られている。おそらく生前の浅利氏はそこから舞台の様子や観客の反応をじっくりと鋭く観察していたのだろう。ロビーにも浅利慶太氏のポートレートや稽古風景の写真が飾られ、氏が手塩にかけた演出を劇団が今も忠実に守っている事をさりげなくアピールしている。とはいえ、カリスマ演出家にして創始者である浅利氏を喪った穴を埋めるのは容易ではないはず。果たして浅利慶太氏の亡きあと、劇団四季はどう変わったのか。

結論から言うと、その心配は杞憂だった。それどころか見事な踊りと歌に心の底から感動した。カーテンコールは8、9回を数え、スタンディングオベーションが起きたほどの出来栄え。私は今まで数十回は舞台を見ているが、カーテンコールが8、9回もおきた公演は初めて体験した気がする。

私はエビータを見るのは初めて。マドンナがエバ・ペロンを演じた映画版も見ていない。私がエバ・ペロンについて持つ知識もWikipediaの同項目には及ばない。だから、本作で描かれた内容が史実に即しているかどうかは分からない。本作のパンフレットで宇佐見耕一氏がアルゼンチンの社会政策の専門家の立場から解説を加えてくださっており、それほど荒唐無稽な内容にはなっていないはずだ。

本作で進行役と狂言回しの役割を担うのはチェ。格好からして明らかにチェ・ゲバラを指している。周知の通り、チェはアルゼンチンの出身でありながらキューバ革命の立役者。その肖像は今もなお革命のアイコンであり続けている。同郷のチェがエバ・ペロンことエビータを語る設定の妙。そこに本作の肝はある。そしてチェの視点から見たエビータは辛辣であり、容赦がない。そんなチェを演じる芝清道さんの演技は圧倒的で、その豊かな声量と歯切れの良いセリフは私の耳に物語の内容と情熱を明快に吹き込んでくれた。

搾取を嫌い、労働者の視点に立った理想を追い求めたチェと、本作でも描かれる労働者への富の還元を実行したエビータ。いつ理想を追い求める点で似通った点があるはず。だが、チェはあくまでもエビータに厳しい。次々に男を取り替えては己の野心を満たそうとする姿。ついにファーストレディに登りつめ、人々に施しを行う姿。どのエビータにもチェは冷笑を投げかける。これはなぜだろうか。

チェが医者としての栄達を投げうちアルゼンチンを出奔したのは、史実では1953年のことだという。エビータがなくなった翌年のこと。ペロンは大統領の任期の途中にあった。チェの若き理想にとって、ペロンやエビータの行った弱者への政策はまだ手ぬるかったのだろうか。または、全ては権力や富を得た者による偽善に過ぎないと疑っていたのだろうか。それとも、権力の側からの施しでは社会は変えられないと思っていたのだろうか。おそらく、チェが残した著作の中にはエビータやペロンの政策に触れたものもあっただろう。だが、私はまだそれを読んだことがない。

本作は、エビータが国民の母として死を嘆かれる場面から始まる。人々の悲嘆の影からチェは現れ、華やかなエビータの名声の裏にある影をあばき立てる。そしてその皮肉に満ちた視点は本作の間、揺るぐことはなかった。本作は、エビータが亡くなったあとも国民からの資金では遺体を収める台座しか造られず、その後、政情が不安定になったことによって、エビータの遺骸が十七年の長きに渡って行方不明だったというチェのセリフで幕を閉じる。徹底した冷たさ。だが、チェの辛辣さの中には、どこかに温かみのようなものを感じたのは私だけだろうか。

本作の幕の引き方には、安易に観客の涙腺を崩壊させ、カタルシスに導かない節度がある。その方が観客は物語のさまざまな意図を考え、それがいつまでも本作の余韻となって残る。

敢えて余韻を残すチェのセリフで幕を下ろした脚本家の意図を探るなら、それはチェがエビータに対する愛惜をどこかで感じていたことの表れではないだろうか。現実の世界でのし上がる野心と、貧しい人々への施しの心。愛とは現実の世界でのし上がるための手段に過ぎないと歌い上げるエビータ。繰り返し愛を捨てたと主張するエビータの心の裏側には、愛を求める心があったのではないか。私生児として蔑まれ、売春婦と嗤われた反骨を現実の栄達に捧げたエビータ。その悲しみを、チェは革命の戦いの中で理解し、軽蔑ではなく同情としてエビータに報いたのではないだろうか。

そのように、本来ならば進行役であるはずのチェに、物語への深い関わりをうがって考えさせるほど、芝さんが演じたチェには圧倒的な存在感があった。本作のチェと同じような進行役と狂言回しを兼ねた役柄として、『エリザベート』のルキーニが思い出される。チェのセリフが不明瞭で物語の意図が観客に届かない場合、観客は物語に入り込めない。まさに本作の肝であり、要でもある。本作の成功はまさに芝さん抜きには語れない。

もちろん、主役であるエビータを演じた谷原志音さんも外すわけにはいかない。その美貌と美声。二つを兼ね備えた姿は主演にふさわしい。昇り調子に光り輝くエビータと、病に伏し、頰のこけたエビータを見事に演じわける演技は見事。歌声には全くの揺れがなく、終始安定していた。大統領選で不安にくれる夫のペロンを鼓舞するシーンでは、高音パートを絶唱する。その場面は、主題歌である「Don’t Cry For Me , Argentina」の美しいメロディよりも私の心に響いた。

そしてペロンを演ずる佐野正幸さんもエビータを支える役として欠かせないアクセントを本作に与えていた。史実のペロンは三度大統領選に勝ち、エバ亡き後も大統領であり続けた人物だ。だが、本作でのペロンは強さと弱さをあわせ持ち、それがかえってエビータの姿を引き立たせている。また、顔の動きが最も起伏に富んでいたことも、ペロンという複雑なキャラクター造形に寄与していたことは間違いない。見事なバイプレイヤーとしての演技だったと思う。

また、そのほかのアンサンブルの方々にも賛辞を贈りたい。一部のスキもない踊りと演技。本作は音楽と演技のタイミングを取らねばならない箇所がいくつもある。そうしたタイミングに寸分の狂いがなく、それが本作にキレと迫力を与えていた。さすがに毎回のオーディションで選ばれた皆様だと感動した。

そうした魅力的な人物たちの活動する舞台の演出も見逃せない。本作のパンフレットにも書かれていたが、生前の浅利慶太氏は、最も完成されたミュージカルとして本作を挙げていたようだ。もとが完成されていたにもかかわらず、浅利氏はさらなる解釈を本作に加え、見事な芸術作品として本作を不朽にした。

自由劇場は名だたる大劇場と比べれば作りは狭い。だが、さまざまな設備を兼ね備えた専用劇場だ。その強みを存分に発揮し、本作の演出は深みを与えている。ゴテゴテと飾りをつけることんあい舞台。円形に区切られた舞台の背後には、自在に動く二つの壁が設けられている。らせん状になった壁には、ブエノスアイレスの街並みを思わせる凹凸のレリーフが刻まれている。

場面に合わせて壁が動くことで、観客は物語の進みをたやすく把握できる。そればかりか、円で周囲を区切ることで舞台の中央に目には見えない三百六十度の視野を与えることに成功している。舞台の中央に三百六十度の視座があることは、舞台上の表現に多様な可能性をもたらしている。例えば、エビータの男性遍歴の激しさを回転する扉から次々に現れる男性によって効果的に表現する場面。例えば、軍部の権力闘争の激しさを椅子取りゲームの要領で表現する場面。それらの場面では物語の進みと背景を俳優の動きだけで表すことができる。三百六十度の視野を観客に想像させることで、舞台の狭さを感じさせない工夫がなされている。

そうした一連の流れは、演出家の腕の見せ所だ。本作の幕あいに一緒に本作を観た長女とも語り合ったが、舞台を演出する仕事とは、観客に音と視覚を届けるだけでなく、時間の流れさえも計算し、観客の想像力を練り上げる作業だ。総合芸術とはよく言ったもので、持てる想像力の全てを駆使し、舞台という小空間に無限の可能性を表出させることができる。今の私にそのような能力はないが、七度生まれ変わったら演出家の仕事はやってみたいと思う。

冒頭にも書いたが、8、9回に至るカーテンコールは私にとって初めて。それは何より俳優陣やスタッフの皆様、そして一年前に逝去された浅利慶太氏にとって何よりの喜びだったことだろう。

理想論だけで演劇を語ることはできない。赤字のままでは興行は続けられない。浅利氏にしても、泥水をすするような思いもしたはずだ。政治家に近づき、政商との悪名を被ってまで劇団の存続に腐心した。宝塚歌劇団にしてもそう。理想だけで劇団運営ができないことは私もわかる。だからこそ、ファンの無償の奉仕によって成り立つ今の運営には危惧を覚えるのだ。生徒さんが外のファンサービスに追われ、舞台に100%の力が注げないとすれば、それこそ本末転倒ではないか。私は今の宝塚歌劇団の運営に不満があるとはいえ、私は宝塚も四季もともに日本の演劇界を率いていってほしいと思う。そのためにも、本作のような演出や俳優陣が完璧な、実力主義の、舞台の上だけが勝負の演劇集団であり続けて欲しい。演劇とは舞台の上だけで観客に十分な感動を与えてくれることを、このエビータは教えてくれた。

私も友人にお借りした浅利慶太氏の演劇論を収めた書をまだ読めていない。これを機会に読み通したいと思う。

最後になりましたが、妻のココデンタルクリニックの七周年記念に参加してくださった皆様、ありがとうございます。

‘2019/07/06 JR東日本アートセンター 自由劇場 開演 13:00~

https://www.shiki.jp/applause/evita/


チェ・ゲバラ伝 増補版


彼ほどに、その肖像が世界に知られている人物はいるだろうか。本書で取り上げられているチェ・ゲバラである。彼の肖像はアイコンとなって世界中に流布されている。そして、遠く離れた日本の私の机の脇でも眼光鋭くにらみを利かせている。その油彩の肖像画は、数年前にキューバ旅行のお土産として頂いたものだ。

だが、チェ・ゲバラが日本に来たのは、肖像画としてだけではない。私の部屋で飾られる遥か前にチェ・ゲバラは来日していた。私は恥ずかしながらそのことを本書で知ることとなった。いや、正確にいえば微かには知っていた。しかし、後の首相である池田通産相と正式なキューバの使節として会談したことや、広島の原爆慰霊碑へ献花を行ったことなどは本書で知ったことだ。

机の脇に肖像画を飾っていながら、チェ・ゲバラとは私にとって歴史上の人物でしかなかった。しかし、本書を通じ、初めてチェ・ゲバラが残した足跡の鮮やかさを知ることができた。そしてなぜ彼の肖像がこの地上の至る所でアイコン化されるに至ったのかが理解できたように思う。私にとってチェ・ゲバラの認識がアイコン化された伝説の人物から、血の通った人間へと改まったのは、本書による。

本書が素晴らしいのは、相当早い時期に書かれ始めたということだ。チェ・ゲバラがボリビアのジャングルで刀折れ矢尽きて土と化したのは1967年の10月のこと。本書の母体となる「チェ・ゲバラ日本を行く」が雑誌に発表されたのは、1969年のことという。世界はおろか、キューバでさえも、チェ・ゲバラが死んだ事実をうまく消化できていない時期。そのような早い時期から、著者は精力的に生前のチェを知る関係者に取材している。つまり本書が軽々しくブームを後追いしたものではない、ということだ。

著者の足跡は、チェの生国アルゼンチン、生まれながらのキューバ市民の称号を得たキューバ、キューバに続いての革命の夢潰えたボリビアにまで至る。取材対象も、チェ・ゲバラの両親や、奥さん、幼少期の友人、戦友など多岐にわたっている。また、著者は本書を書くにあたり、取材だけでなく他にもチェの書いた日記や自伝、演説のたぐいまで読み込んだと思われる。

その労あってか、本書の内容は実に濃厚。チェ・ゲバラという稀有な人物の幼少期から死ぬまでの生涯が描かれている。ただ、本書で描かれたチェに批判的な記述がほとんど見当たらないことは言っておかねばならない。その筆致はチェ礼賛の域に近付いていると言っても過言ではない。おそらく著者は、チェ・ゲバラの取材を進める中でチェの思想や人格に心底心酔したのではないだろうか。しかし、本書で著者が描き出すチェに虚飾の影や空々しい賛辞は感じられない。左翼の文献に出てきがちな「細胞」とか「オルグ」とか「ブルジョア」といった上っ面の記号的な語句も登場しない。ただ、「革命」や「帝国主義」という語句は散見される。それらから分かるのは、チェの生涯がマルクス主義の理念よりも愚直な実践を軸に彩られていたことだろう。チェが単なる頭でっかちのマルクス理論家であれば、歴史的にマルクス経済学が否定された今、世界中でアイコン化されているはずがないからだ。地に足の付いた実践家だったからこそ、彼は伝説化されたのだ。

そもそも、著者がいかにチェを礼賛しようにも、史実がそれを許さない。というのもチェの後半生は、挫折また挫折の日々であったからだ。

そもそもキューバ革命自体が、アメリカ資本による搾取からの解放を旗印にしていた。当然、革命の結果としてアメリカとの外交関係は当然悪化する。となるとキューバの外交関係の活路をアメリカと対立関係にある国に求めなければならない。

本書を読む限り、カストロ・ゲバラの二人は元々マルクス主義者ではなかったのではないか。彼らの目的は、時のキューバを牛耳っていたアメリカ資本の走狗であるバチスタ政権打倒でしかなかったように思える。しかし、幸か不幸か革命が成ってしまったがために、革命家は統治者へと変わることを余儀なくされる。そこにチェの悲劇の一つ目はあった。チェはその統治責任を引き受け、誠心誠意粉骨砕身働く。しかし、アメリカと対立した以上、アメリカの息が掛かった国には行きづらい。つまりアメリカに対立する国、即ち社会主義国に近付かざるを得なくなった。反階級主義を理想に掲げたにも関わらず、階級闘争を運動のエネルギーとするマルクス主義の仮面を被らなければならない。そこにチェの悲劇の二つ目はあったのではないか。しかも、労働の過程ではなく結果の平等を問うマルクス経済学は、ラテンアメリカの人々の気質に合わなかった。そう思う。本書には、チェの並外れた克己心や自制心が何度か紹介される。チェが自らに課した努力は、当時のラテンアメリカの人々には到底真似の出来ないものだった。それがチェの悲劇の三つ目だったと思う。キューバの頭脳と称されるまでになった数年にわたるチェの努力も空しく、チェは手紙を残してキューバを、そしてカストロの元を去る。三つの悲劇はとうとう克服できないままに。

その手紙の全文は、もちろん本書でも紹介されている。カストロに宛てた感動的な内容だ。しかし、その内容が感動的であればあるほど、その行間に強靭な自制力によって隠されたチェの失望を見るのは私だけだろうか。本書で著者は、チェがキューバを去った理由を不明としながらも答えは手紙の中にあるのではないか、と書く。革命を求め続け、キューバ革命の元勲としての地位に甘んじないチェの高潔さこそが理由である、と。しかし、チェがキューバを去ったのはやはり挫折であったというしかないだろう。キューバ使節として世界中を飛び回るも、その訪問先のほとんどは社会主義国である。むしろ日本だけが例外といえる。カストロが親日家という背景もあったようだが、チェもわざわざ広島に訪れて原爆慰霊碑に献花し、平和資料館では日本人に向けアメリカへの怒りを抱かないのか、という痛烈な言葉を残したという。その言葉の底にはアメリカ一辺倒の世界への怒りが滲む。

キューバを去ったチェは、コンゴで革命を成就すべく奔走する。しかし、よそ者のキューバ人たちにコンゴでの活躍の場はなかった。そもそも、キューバでも成功することがなかった革命後の統治をどうするかという課題。革命は成り、帝国主義を追い払った。では、何をして民を養うか。この答えには、結局チェをもってしてもたどり着けなかったと思われる。

マルクス経済が歴史上衰退したのは、人間の克己心や欲望に対する自制心を過大に見積ったからだと思う。それが、統制経済の下の停滞を産み出し、人々からマルクス主義を捨てさせるに至った。それはまた、人一倍自己を律することが出来たチェが、同じくキューバ、コンゴ、ボリビアの人々に自らと同じレベルを求めた過ちとおなじであった。

だが、皮肉なことに人一倍自己を律することが出来たチェは、そのストイックさと純真さ故にアイコン化された。

一体いつチェの抱いた理想は実現されるのか。おそらくは世の中に彼の求めた理想が実現されない間はチェ・ゲバラのアイコンはアイコンであり続けるのだろう。そして、それとともに本書もロングセラーとしてあり続けるに違いない。

‘2015/11/09-2015/11/18