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ベルカ、吠えないのか?


これまたすごい本だ。
『アラビアの夜の種族』で著者は豪華絢爛なアラビアンナイトの世界を圧倒的に蘇らせた。
本書は『アラビアの夜の種族』の次に上梓された一冊だという。

著者が取り上げたのは犬。
犬が人間に飼われるようになって何万年もの時が過ぎた。人にとって最も古くからの友。それが犬だ。

その知能は人間を何度も助けてきた。また、牧羊犬や盲導犬のような形で具体的に役立ってくれている。そして、近代では軍用犬としても活動の場を広げている事は周知の通りだ。
軍用犬としての活躍。それは、例えば人間にはない聴覚や嗅覚の能力を生かして敵軍を探索する斥候の役を担ったり、闇に紛れて敵軍の喉笛を噛み裂いたりとさまざまだ。

二十世紀は戦争の世紀。よく聞く常套句だ。だが著者に言わせると二十世紀は軍用犬の世紀らしい。

本書はその言葉の通り、軍用犬の歴史を描いている。広がった無数の軍用犬に伝わる血統の枝葉を世界に広げながら物語を成り立たせているからすごい。

はじめに登場するのは四頭の軍用犬だ。舞台は第二次大戦末期、アリューシャン諸島のキスカ島。日本軍による鮮やかな撤退戦で知られる島だ。
その撤退の後、残された四頭の軍用犬。四頭を始祖とするそれぞれの子孫が数奇な運命をたどって広がってゆく。

誰もいないキスカ島に進駐した米軍は、そこで放置された四頭の犬を見つけた。日本軍が残していった軍用犬だと推測し、四頭を引き取る。それぞれ、違う任地に連れてゆかれた四頭は、そこでつがいを作って子をなす。
その子がさらに子をなし、さらに各地へと散る。
なにせ、二年で生殖能力を獲得する犬だ。その繁殖の速度は人間とは比べ物にならない。

軍用犬には訓練が欠かせない。そして素質も求められる。日本の北海道犬が備えていた素質にジャーマン・シェパードや狼の血も加わったことで、雑種としてのたくましさをそなえた軍用犬としての素質は研ぎ澄まされてゆく。

軍用犬にとって素質を実践する場に不足はない。何しろ二十世紀は戦争の世紀なのだから。
第二次大戦の痛手を癒やす間もなく国共内戦、そして朝鮮戦争が軍用犬の活躍の場を提供する。そして米ソによる軍拡競争が激しさを増す中、ソ連の打ち上げたスプートニク2号には軍用犬のライカが乗った。さらにはベルカとストレルカは宇宙から生還した初めての動物となった。
ベトナム戦争でも無数の軍用犬が同じ先祖を源として敵味方に分かれ、それぞれの主人の命令を忠実に遂行した。さらにはソビエトが苦戦し、最終的に撤退したアフガニスタンでも軍用犬が暗躍したという。

それだけではない。ある犬はメキシコで麻薬探知の能力に目覚めた。ある犬は北極圏へと無謀な犬ぞりの旅に駆り出された。またある犬は小船に乗ってハワイから南方の島へと冒険の旅に出、人肉を食うほどの遭難に乗り合わせた。またある犬はドッグショウに出され、ハイウェイで跳ねられ道路で平たく踏まれ続ける運命を受ける。
著者の想像力の手にかかれば、犬の生にもこれだけ多様な生きかたをつむぐことができるのだ。

お互いが祖を同じくしているとも知らずに交わり、交錯し、牙を交える犬たち。
犬一頭の犬生をつぶさに追うよりも、犬の種を一つの個体とみなし、それぞれの犬に背負わされた運命の数奇さを追う方がはるかに物語としての層が厚くなる。
ある人間の一族を描いた大河小説は多々あるが、本書ほどバラエティに富んだ挿話は繰り込めないはずだ。
それを繁殖能力の高い犬の一族で置き換えたところに本書の素晴らしさがある。
その広がりと生物の種としてのあり方。これを壮大に描く本書は物語としての面白さに満ちている。

無数の犬はそれぞれの数だけ運命が与えられる。その無数のエピソードが著者の手によって文章にあらわされる。無数の縁の中で同じ祖先を持つ犬がすれ違う。それは壮大な種の物語だ。
その面白さを血脈に見いだし、大河小説として読む向きもいるだろう。
だが、犬にとってはお互いの祖先が等しい事など関係ない。血統などしょせん、当人にとっては関係ない。そんなものに気をかけるのは馬の血統に血道をあげる予想屋か、本書の語り手ぐらいのものだ。

本書は、血統に連なって生きたそれぞれの犬の生を人間の愚かな戦争の歴史と組み合わせるだけの物語ではない。
それだけでは単なるクロニクルで本書が終わってしまう。

本書は犬たちのクロニクルの合間に、犬と少女との心の交流を描く。
ただし、交流といってもほのぼのとした関係ではない。付き合う相手が軍用犬である以上、それを扱う少女も並の少女ではない。
少女はヤクザの親分の娘であり、そのヤクザがロシアにシノギを求めて進出した際、逆に人質としてとらわれてしまう。11歳から12歳になろうかという年齢でありながら、自らの運命の中で生の可能性を探る。

少女が囚われた場所は、ソ連の時代から歴戦の傭兵が犬を訓練する場所だった。
その姿を眺めるうちに、ロシア語の命令だけは真似られるようになった少女。イヌと起居をともにする中で調教師としての素質に目覚めてゆく。

軍用犬の殺伐な世界の中でも、人と犬の間に信頼は成り立つ。
それをヤクザの素養を持つ少女に担わせたところが本書の面白さだ。
単なる主従関係だけでなく、一方向の関係だけでなく、相互に流れる心のふれあい。それを感じてはじめて犬は人間の命令に従う。
そのふれあいのきっかけとなった瞬間こそが、本書のタイトルにもなった言葉だ。

人の歴史を犬の立場から描いた本書は、斬新な大河小説だと言える。

‘2020/07/11-2020/07/12


動物農場


『1984』と言えば著者の代表作として知られている。その世界観と風刺の精神は、現代でも色褪せていない。むしろその名声は増すばかりだ。
権力による支配の本質を描いた内容は、人間社会の本質をえぐっており、情報社会の只中に生きる現代の私たちにとってこそ、『1984』の価値は真に実感できるのではないだろうか。
今でも読む価値がある本であることは間違いない。実際に昨今の言論界でも『1984』についてたびたび言及されているようだ。

本書も風刺の鋭さにおいては、『1984』には劣らない。むしろ、本書こそ、著者の代表作だと説く向きもある。
私は今回、本書を初めて読んだ。
本書のサブタイトルに「おとぎばなし」と付されている通り、本書はあくまでもファンタジーの世界の物語として描かれている。

ジョーンズさんの農場でこき使われている動物たちが、言葉を発し、ジョーンズさんに反乱を起こし、農場を経営する。
そう聞かされると、たわいもない話と思うかもしれない。

だが、動物たちのそれぞれのキャラクターや出来事は、現実世界を確実に模している。模しているどころか、あからさまに対象がわかるような書き方になっている。
本書が風刺する対象は、社会主義国ソビエト連邦だ。しかも、本書が書かれたのは第二次世界大戦末期だと言う。
著者はイギリス人だが、第二次世界大戦末期と言えば、ヤルタ会談、カイロ会談など、ソビエトとイギリスは連邦国の一員として戦っていた。
そのため、当時、著者が持ち込んだ原稿は、あちこちの出版社に断られたという。盟友であるはずのソビエトを風刺した本書の出版に出版社が恐れをなしたのだろう。

それを知ってもなお、著者が抱く社会主義への疑いは根強いものがあった。それが本書の執筆動機になったと思われる。
当時はまだ、共産主義の恐ろしさを人々はよくわかっていなかったはずだ。
粛清の嵐が吹き荒れたスターリン体制の内情を知る者もおらず、何よりもファシズムを打倒することが何よりも優先されていた時期なのだから。
だから今の私たちが思う以上に、本書が描かれた時代背景にもかかわらず本書が出版されたことがすごいことなのだ。

もちろん、現代の私たちから見ると、共産主義はもはや歴史に敗北した過去の遺物でしかない。
ソ連はとうに解体され、共産主義を掲げているはずの中国は、世界でも最先端の資本主義国家といってよいほど資本主義を取り入れている。
地球上を見渡しても共産主義を掲げているのは、北朝鮮のほかに数か国ぐらいではないだろうか。

そんな今の視点から見て、本書は古びた過去を風刺しているだけの書物なのだろうか。
いや、とんでもない。
古びているどころか、本書の内容は今も有効に読者に響く。なぜなら、本書が風刺する対象は組織だからだ。
そもそも共産主義とは国家が経済を計画し、万人への平等を目指した理想があった。だからこそ、組織だって狂いもなく経済を運営していかねばならない建前があった。
だからこそ、組織が陥りやすい落とし穴や、組織を運営することの困難さは共産主義国家において鮮明な矛盾として現れたのだと思う。そのことが本書では描かれている。

理想を掲げて立ち上がったはずの組織が次第に硬直し、かえって人民を苦しめるだけの存在に堕ちてゆく。
われわれはそうした例を今まで嫌というほど見てきた。上に挙げた共産主義を標榜した諸国において。
その多くは、共産主義の理想を奉じた革命者が理想を信じて立ち上げたはずだった。だが、理想の実現に燃えていたはずの革命家たちが、いざ統治する側に入った途端、自らが結成した組織に縛られていく。
それを皮肉と言わずして何と呼ぼう。

それにしても、本書に登場する動物達の愚かさよ。
アルファベットを覚えることがやっとで、指導者である豚たちが定めた政策の矛盾に全く気付かない。
何しろ少し前に出された法令の事などまるで覚えちゃいないのだから。
その無知に乗じて、統治する豚たちは次々と自らに都合の良いスローガンを発表していく。朝令暮改どころではない速さで。

柔軟といえば都合はいいが、その変わり身の早さには笑いがこみあげてくるしかない。

だが、本書を読んでいると、私たちも決して動物たちのことを笑えないはずだ。
先に本書が風刺する対象は共産主義国家だと書いた。が、実はあらゆる組織に対して本書の内容は当てはめられる。
ましてや、本書が描かれた当時とは比べ物にならないほどの情報量が飛び交っている今。

組織を担うべき人間の処理能力を上回るほどの判断が求められるため、組織の判断も無難にならざるを得ない。または、朝令暮改に近い形で混乱するしか。
私たちはその実例をコロナウィルスに席巻された世界で、飽きるほど見させられたのではないだろうか。

そして、そんな組織の構成員である私たちも、娯楽がふんだんに与えられているため、本書が描かれた当時よりも衆愚の度が増しているようにも思える。
人々に行き渡る情報量はけた違いに豊かになっているというのに。

私自身、日々の仕事に揉まれ、ろくにニュースすら読めていない。
少なくとも私は本書に出てくる動物たちを笑えない自分を自覚している。もう日々の仕事だけで精いっぱいで、政治や社会のニュースに関心を持つ暇などない状態だ。
そんな情報の弱者に成り下がった自分を自覚しているけど、走らねばこの巨大な世の中の動きに乗りおくれてしまう。私だけでなく、あらゆる人が。

本書の最後は豚と人間がまじりあい、どちらがどちらか分からなくなって終わりを迎える。
もう、そんな慄然とした未来すら来ているのかもしれない。
せめて、自分を保ち、客観的に世の中を見るすべを身に着けたいと思う。

‘2019/8/1-2019/8/6


声の狩人 開高健ルポルタージュ選集


著者を称して「行動する作家」と呼ぶ。

二、三年前、茅ヶ崎にある開高健記念館に訪れた際、行動する作家の片鱗に触れ、著者に興味を持った。

著者は釣りやグルメの印象が強い。それはおそらく、作家として円熟期に入ったのちの著者がメディアに出る際、そうした側面が前面に出されたからだろう。
だが、行動する作家、とは旅する作家と同義ではない。

作家として活動し始めた頃、著者はより硬派な行動を実践していた。
戦場で敵に囲まれあわや全滅の憂き目をみたり、東西陣営の前線で世界の矛盾を体感したり。あるいはアイヒマン裁判を傍聴してで戦争の本質に懊悩したり。

著者は、身の危険をいとわずに、世界の現実に向き合う。
書物から得た観念をこねくり回すことはしない。
自らは安全な場所にいながら、悠々と批判する事をよしとしない。
著者の行動する作家の称号は、行動するがゆえに付けられたものなのだ。

そうした著者の姿勢に、今さらながら新鮮なものを感じた。
そして惹かれた。
安全な場所から身を守られつつ、ブログをかける身分である自分を自覚しつつ。
いくら惹かれようとも、著者と同じように戦場の前線に赴くことになり得ない事を予感しつつ。

没後30年を迎え、著者の文学的な業績は過去に遠ざかりつつある。
ましてや、著者の行動する作家としての側面はさらに忘れられつつある。
だが、冷戦後の世界が再び動き出そうとする今だからこそ、冷戦の終結を見届けるかのように逝った行動する作家としての姿勢は見直されるべきと思うのだ。

冷戦が終わったといっても、世界の矛盾はそのままに残されている。
ソ連が崩壊し、ベルリンの壁が崩され、東西ドイツや南北ベトナムが統一された以外は何も変わっていない。
朝鮮は南北に分断されたままであり、強大な国にのし上がった中国を統治するのは今もなお共産党だ。
ロシア連邦も再び強大な国家に復帰する機会を虎視眈々と狙っている。
そもそも、イスラム世界とキリスト世界の間が相互で理解し合うのがいつの日だろう。パレスチナ国家をアラブの国々が心から承認する日はくるのだろう。ドイツで息を吹き返しつつあるネオナチはナチス・ドイツの振る舞いを拒絶するのだろうか。
誰にも分からない。

それどころか、アメリカは世界の警察であることに及び腰となっている。日韓の間では関係が悪化している。EUですらイギリスの離脱騒ぎや、各国の財政悪化などで手一杯だ。
世界がまた混迷に向かっている。

冷戦後、いっときは平穏に見えたかのような世界は実は休みの時期に過ぎなかったのではないか。実は何も解決しておらず、世界の矛盾は内で力を蓄えていたのではないか。
その暗い予感は、わが国の活力が失われ、硬直している今だからこそ、切実に迫ってくる。
次に世界が混乱した時、日本は果たして立ち向かえるのだろうか、という恐れが脳裏から去らない。

本書は著者が旅先でたひりつくような東西の矛盾がぶつかり合う現場や、アイヒマン裁判を傍聴して感じたこと、などを密に描いたルポルタージュ集だ。

「一族再会」では、死海の過酷な自然から、この土地の絶望的な矛盾に思いをはせる。
古来、流浪の運命を余儀なくされたユダヤ民族は、苛烈な迫害も乗り越え、二千数百年の時をへて建国する。
生き残ることが至上命令と結束した民族は強い。
自殺者がすくないのも、そもそも自殺よりも差し迫った悩みが国民を覆っているから。
著者の筆はそうした本質に迫ってゆく。

「裁きは終わりぬ」では、アイヒマン裁判を傍聴した著者が、600万人の殺人について、官僚主義の仮面をかぶって逃避し続けるアイヒマンに、著者は深刻に悩み抜く。政治や道徳の敗北。哲学や倫理の不在。
アイヒマンを皮切りに、ナチスの戦犯のうち何人かはニュルンベルクで判決を受けた。だが、ヒトラーをはじめとした首脳は裁きの場にすら現れなかった。
一体、何が裁かれ、何が見過ごされたのか。
著者はアイヒマンを絞首刑にせず生かしておくべきだったと訴える。
顔に鉤十字の焼き印を押した生かしておけば、裁きの本質にせまれた、とでもいうかのように。

「誇りと偏見」は、ソ連へ旅の中で著者が感じ取ろうとした、核による終末の予感だ。
東西がいつでも相手を滅ぼしうる核兵器を蓄えてる現実。
その現実の火蓋を切るのは閉鎖されたソ連なのか。そんな兆しを著者は街の空気から嗅ぎ取ろうとする。
ステレオタイプな社会主義の印象に目をくらまされないためにも、著者は街を歩き、自分の目で体感する。
今になって思うと、ソ連からは核兵器の代わりの放射能が降ってきたわけだが、そうした滅びの終末観が著者のルポからは感じられる。

「ソヴェトその日その日」は、終末のソ連ではなく、より文化的な側面を見極めようとした著者の作家としての好奇心がのぞく。
共産主義の教条のくびきが解けようとしているのではないか。暗く陰惨なスターリンの時代はフルシチョフの時代をへて過去となり、新たなスラヴの文化の華が開くのではないか。
著者の願いは、アメリカが主導する文化にNOを突きつけたいこと、というのはわかる。
だが、数十年後の今、スラヴ文化が世界を席巻する兆しはまだ見えていない。

「ベルリン、東から西へ」でも、著者の文化を比較する視点は鋭さを増す。
東から西へと通過する旅路は、まさに東西文化に比較にうってつけ。今にも東側を侵そうとする西の文化。
その衝突点があからさまに国の境目の証となってあらわれる。
それでいながらドイツの文化と民族は同じであること。著者はここで国境とはなんだろうか、と問いかける。
文化を愛する著者ゆえに、不幸な断絶が目につくのだろうか。

「声の狩人」は、ソ連を横断してパリに着いた著者が、花の都とは程遠いパリに寒々しさを覚える。
アルジェリア問題は激しさを増し、米州機構反対デモが殺伐とした雰囲気をパリに与えていた。
実は自由を謳歌するはずのパリこそが、最も矛盾の渦巻く場所だったという、著者の醒めた観察が余韻を与える。
結局著者は、あらゆる幻想を拒んでいた人だったのだろう。

「核兵器 人間 文学」は、大江健三郎氏、そして著者とともに東欧を訪問した田中 良氏による文だ。
三人でフランスのジャン・ポール・サルトルに質問を投げかける様が描かれる。
ジャン・ポール・サルトルは、のちにノーベル文学賞を受賞するも、辞退した硬骨の人物として知られる。
ただ、当代一の碩学であり、時代の矛盾を人一番察していたサルトルに二人に作家が投げかける質問とその答えは、どこか食い違っている感が拭えない。
この点にこそ、東西の矛盾が最も表れているのかもしれない。

「サルトルとの四十分」は、そのサルトルとの会談を振り返った著者にる感想だ。
パリに来るまでソ連を訪れ、その中で左翼陣営の夢見た世界とは程遠い現実を見た著者と、西洋文化を体現するフランスの文化のシンボルでもあるサルトルとの会談は、著者に埋めようもない断絶を感じさせたらしい。
日本から見た共産主義と、フランスから見た共産主義の何が違うのか。
それが西洋人の文化から生まれたかどうかの差なのだろうか。
著者の戸惑いは今の私たちにもわずかに理解できる。

「あとがき」でも著者の戸惑いは続く。
本書に記された著者の見た現実が、時代の流れの速さに着いていけず、過去の出来事になってしまったこと。
その事実に著者は卒直に戸惑いを隠さない。

そうした著者の人物を、解説の重里徹也氏は描く。
「開高がしきりにのめりこんでいくのは、こういう、現実と理想の狭間に生まれる襞のようなものに対してである」(239ページ)

ルポルタージュとは、そうした営みに違いない。

‘2018/11/1-2018/11/2


国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて


「広島 昭和二十年」のレビューで、淡路島の学園祭のバザーでたくさんの本を入手したことは書いた。本書もそのうちの一冊だ。そして本来なら、私に読まれるまで本書は積ん読状態になっていたはずだ。ところが、本書が読まれる日は案外早く訪れた。

そのきっかけはプーチンロシア大統領の来日である。来日したプーチン大統領は、安倍首相との首脳会談に臨んだ。当然、首脳会談で焦点となるのは北方領土問題だ。プーチン大統領は、日露間に領土問題は存在しないと豪語する。だが、われわれから見ると領土問題が横たわっていることは明白で、プーチン大統領の一流の駆け引きがそう言わせていることも承知している。そして、その駆け引きを読み解けるわが国の第一人者が著者であることは今さら言うまでもない。私は少し前に入手した本書を手に取った。

プーチン大統領が駆け引きを駆使するように、日本政府も本音と建前を使い分ける。あくまで北方領土は日本のものであると主張しつつ、ロシアによる統治が敷かれている現実も直視しなければならない。ただ、北方領土におけるロシアの主権を認めては全てが水の泡になってしまう。だから慎重にことを進めるのだ。国際法の観点で、外交の観点で、条約の観点で。ロシアによる実質の統治を認識しつつ、その正統性は承認しないよう腐心しつつ。だからビザなし交流といった裏技があるわけだ。ビザの手続きを認めると北方領土がロシアの統治下にあると認めたことになるため。

その日本政府による苦心はムネオハウスにも現れている。ムネオハウスとは、元島民が国後島を訪問した時のための現ロシア住民との友好施設だ。ムネオハウスは、実質的なロシアの領土となっている北方領土に援助する物証とならぬよう、また、ロシアの建築法に抵触して余計な政治的問題を招かぬよう、あえて簡素に作られているという。

こういった配慮や施策はすべて鈴木宗男議員の手によるものだ。外務省に隠然たる力を及ぼしていた鈴木議員は、外務省への影響力を持ちすぎたがゆえに排除される。その排除の過程で最初に血祭りに挙げられたのが著者だ。本書は著者が被った逮捕の一部始終が収められている。

当時の報道を思い返すと、あれは一体なんだったのか、と思える騒動だった。あれから十年以上が過ぎたが、鈴木氏は新党大地を立ち上げた。党を立ち上げる前後にはテレビのバラエティー番組でも露出を増やした。タレントとしても人気を得た。著者はすっかり論客として地位を得ている。結果として、検察による逮捕は彼らの議員生命や外交官生命を断った。だが、社会的地位は奪ってはいない。それもそのはずで、逮捕自体が国策によるもの。言い換えると鈴木氏が持っていた外務省への影響力排除のための逮捕だったからだ。

著者は本書で国策捜査の本質を詳しく書く。

と著者の取り調べを担当した西村検事とのやり取りは、とてもスリリング。国策捜査であることを早々に明かした西村検事と著者の駆け引きが赤裸々に描かれている。とても面白いのだ、これが。

例えていうなら完全に舞台を自分のコントロールにおきたい演出家と、急きょ裏方から役者に引っ張り出されたにわか役者の対決。双方とも自らの解釈こそがこの舞台に相応しいと舞台上で争うような。舞台上とは取調室を指し、演出家は西村検事を指す。そして舞台に引っ張り出されたにわか役者とは著者を指す。演出家とにわか役者はけんかしているのだけれども、ともに協力して舞台を作り上げることには一致している。当然、普通の刑事事件の取調べだとこうはいかない。容疑者と刑事の利害が一致していないからだ。本書で描かれるのはそんな不思議な関係だ。

それにしても著者の記憶力は大したものだ。逮捕に至るまでの行動や、取調室での取調の内容、法廷での駆け引きの一部始終など、良く覚えていられると思うくらい再現している。著者は記憶のコツも本書で開かしている。イメージ連想による手法らしいが圧巻だ。

もうひとつ見習うべきは、著者がご自身を徹底的に客観的に見つめていることだ。自分の好悪の感情、官僚としての組織内のバランス、分析官としての職能、個人的な目標、カウンターパートである検察官への配慮。それら全てを著者は客観視し、冷静に見据えて筆を進める。

著者の強靭な記憶力と、文筆で生きたいとの思い。それが著者を駆り立て、本書を産んだのだろう。それに著者の日本国への思いと、鈴木氏への思い。これも忘れてはならない。

結果として本書は、あらゆる意味で優れた一冊となった。多分、ロシアとの北方領土問題は今後も長く尾をひくことだろう。そしてその度に本書が引用されるに違いない。そして私も交渉ごとのたびに、本書を思い返すようにしたいと思う。

‘2016/12/17-2016/12/22


人類5万年 文明の興亡 下


541年。著者はその年を東西の社会発展指数が逆転し、東洋が西洋を上回った年として特筆する。

それまでの秦漢帝国の時代で、西洋に遅れてではあるが発展を遂げた東洋。しかし「社会発展は、それを妨げる力を生み出す」パラドックスは東洋にも等しく起こる。三国志の時代から魏晋南北朝、そして五胡十六国の時代は東洋にとって停滞期だった。しかし、それにもかかわらず東洋は西洋に追いつき抜き去る。分裂と衰退の時期を乗り切った東洋に何が起こったのか。著者はここで東洋が西洋を上回った理由を入念に考察する。その理由を著者は東洋のコア地域が黄河流域から南の長江流域へと拡大し、稲作の穀倉地帯として拡大したことに帰する。東洋の拡大は、隋と唐の両帝国を生み出し、東洋は中国をコアとして繁栄への道をひた走る。一方、西洋はビザンティン帝国によるローマ帝国再興の試みがついえてしまう。そればかりか、西洋の停滞の間隙を縫ってムハンマドが創始したイスラム教が西洋世界を席巻する。

西洋は気候が温暖化したにもかかわらず、イスラム教によってコアが二分されてしまう。宗教的にも文化的にも。つまり西洋は集権化による発展の兆しが見いだせない状況に陥ったのだ。一方の東洋は、唐から宋に王朝が移ってもなお発展を続けていた。中でも著者は中国の石炭産業に注目する。豊かに産出する石炭を使った製鉄業。製鉄技術の進展がますます東洋を発展させる。東洋の発展は衰えを知らず、このまま歴史が進めば、上巻の冒頭で著者が描いた架空の歴史が示すように、清国の艦隊をヴィクトリア女王がロンドンで出迎える。そのような事実も起こりえたかもしれない。

だが、ここでも「社会発展は、それを妨げる力を生み出す」パラドックスが東洋の発展にブレーキをかける。ブレーキを掛けたのは異民族との抗争やモンゴルの勃興などだ。外部からの妨げる力は、洋の東西を問わず文明の発展に水をさす。この時、東洋は西洋を引き離すチャンスを逃してしまう。反対にいつ果てるとも知らぬ暗黒時代に沈んでいた西洋は、とどめとばかりに黒死病やモンゴルによる西征の悲劇に遭う。だがモンゴルによる侵略は、東洋の文化を西洋にもたらす。そして長きにわたったイスラムとの分断状態にも十字軍が派遣されるなど社会に流動性が生まれる。イスラムのオスマン・トルコが地中海の東部を手中に収めたことも西洋の自覚を促す。そういった歴史の積み重ねは、西洋を復活へと導いてゆく。

東洋の衰えと西洋の復活。著者はここで、東洋が西洋を引き離し切れなかった要因を考察する。その要因として、著者は明の鄭和による大航海が東洋の優位と衰退を象徴することに着目する。鄭和艦隊の航海術。それは東洋を西洋に先んじてアメリカ大陸に到達させる力を持っていた。あるいはアステカ文明は、ピサロよりも先に中華文明によって絶滅に追いやられていたかもしれないのだ。そんな歴史のIF。そのIFは、マダガスカルやシリアまでも遠征し、当時としては卓越した航海術を擁した鄭和艦隊にとって不可能ではなかった。著者は鄭和艦隊を東洋の優位性を示す何よりの証拠と見ていた。

しかし明の皇帝たちは引き続いての艦隊の派遣に消極的となる。一方の西洋はバスコ・ダ・ガマやコロンブスなど航海によって大きく飛躍するのに。この差がなぜ生じたのか。この点を明らかにするため、著者はかなりのページ数を割いている。なぜならこの差こそが、541年から1773年まで1000年以上続いた東洋の優位を奪ったのだから。

あらためて著者の指摘する理由を挙げてみる。
・中国のルネッサンスは11世紀に訪れ、外遊の機運が盛り上がっていた。が、その時期には造船技術が進歩していなかった。一方、西洋のルネッサンスは16世紀に訪れたが、その際は東洋の造船技術が流入しており、労せずして西洋は航海技術を得ることができた。
・中国にとって西には西洋の文物があることを知っていた。だが、後進地域の西洋へと向かう動機が薄かった。また、東の果て、つまりアメリカ大陸までの道のりは間に太平洋を挟んでいたため遠方であった。つまり、東洋には距離的にも技術的にも未知の国へ向かわせるだけの動機が弱かった。東洋に比べて文化や技術で劣る西洋は距離的に大陸まで近く、技術の弱さが補えた。

東洋がダイナミズムを喪いつつある時期、われらが日本も登場する。その主役は豊臣秀吉だ。著者は本書の135ページで秀吉による日本統一をなぜか1582年と記している(私の意見では1590年の小田原征伐をもって日本は統一された)。が、そんな誤差はどうでもよい。肝心なのは、当時の世界史の潮流が地球的なスケールで複雑にうねっていたことだ。本書から読み取るべきは世界史の規模とその中の日本の締める位置なのだ。極東の島国は、この時ようやく世界史に名前が現れた程度でしかない。日本が範とし続けてきた中国は官僚による支配が顕著になり、ますます硬直化に拍車がかかる。ではもし、秀吉が明を征服していれば東洋にも違う未来が用意されていたのか。それは誰にもわからない。著者にも。

西洋はといえば、オスマントルコの脅威があらゆる面で西洋としての自覚が呼び覚ましていく。それは、ハプスブルク家による集権体制の確立の呼び水となる。西洋の発展には新たに発見された富の存在が欠かせない。その源泉はアメリカ南北大陸。精錬技術の発達と新たな農場経営の広がりが、西洋に計り知れない富と発展をもたらすことになる。そしてそれは産業革命へと西洋を導いてゆく。王権による集権化の恩恵をうけずに人々の暮らしが楽になる。それはさらなる富を生み出し技術発展の速度は速まる。全てが前向きなスパイラルとなって西洋を発展させる。かくして再び西洋が東洋を凌駕する日がやってくる。著者はそれを1773年としている。

1773年。この前後は西洋にとって重大な歴史的な変化が起こった。アメリカ独立戦争やフランス革命。もはや封建制は過去の遺物と化しつつあり、技術こそが人々を導く時代。ところが西洋に比べ、東洋では技術革新の波は訪れない。著者はなぜ東洋で技術発展が起きなかったのか、という「ニーダム問題」に答えを出す。その答えとは、硬直した科挙制から輩出された官僚が科学技術に価値を置かなかったことだ。東洋は後退し、いよいよ西洋と科学の時代がやって来たことを著者は宣言する。

なぜ産業革命は東洋で起きなかったのか。著者は科挙制の弊害以外に労働者単価が低かったことを主な理由としている。そして19世紀になっても東洋で産業革命が起きていた確率はほぼなかっただろうと指摘する。

いずれにせよ、西洋主導で社会は動きはじめた。その後の歴史は周知の通り。1914年から1991年までの大きな戦争(と著者は第一、二次大戦と冷戦を一つの戦争の枠組みで捉えている)をはさんでも西洋主導の枠組みは動きそうにない。いまだにG8で非西洋の参加国は日本だけ。

だが、著者はその状態もそう長くないと見る。そして、ここからが著者が予測する未来こそが、本書の主眼となるのだ。上巻のレビューにも書いた通り、今まで延々と振り返った人類の歴史。われわれのたどってきた歴史こそが、人類の未来を占うための指標となる。著者はここであらためて世界史の流れをおさらいする。今度は始源から流れに乗るのではなく、2000年の西洋支配の現状から、少しずつ歴史をさかのぼり、どこで東洋と西洋の発展に差が生じたのかを抑えながら。その際に著者は、歴史にあえて仮定を加え、西洋と東洋の発展の歴史が違っていた可能性を検証する。

著者はその作業を通じて「二〇〇〇年までの西洋の支配は、長期的に固定されたものでも短期的な偶発的事件によるものでもないと結論づけることができる」(301P)と書く。つまり、長期的に妥当な必然が今の西洋支配につながっているのだ。

では、これからはどうなるのだろう。著者は2103年を「西洋の時代が終わると予測される一番遅い時点」(309P)と仮定する。

ここ250年、西洋は世界を支配してきた。その日々は東洋を西洋の一周縁地域へとおとしめた。では今後はどうなるのか。これからの人類を占う上で、人工知能の出現は避けては通れない。人工知能が人類の知恵を凌駕するタイミング。それを技術的特異点(シンギュラリティ)という。人工知能に関するコアワードとして、シンギュラリティは人口に膾炙しているといってよい。著者はシンギュラリティが引き起こす未来を詳細に予測するとともに、破滅的な人類の未来もあらゆる視点から予想する。そもそもシンギュラリティに到達した時点で西洋と東洋を分ける意味があるのか、という問い。それと同時に、破滅した世界で東洋と西洋とうんぬんする人間がいるのか、という問いも含めて。著者の問いは極めて重い。そもそも西洋と東洋を分けることの意味から問い直すのだから。

著者の予測する未来はどちらに転ぶともしれない不安定で騒々しいものだ。著者は人類の歴史を通じて西洋と東洋の発展の差を考察してきた。そして今までの考察で得た著者の結論とは、進化という長いスパンからみると東洋と西洋の差などたいした問題でないことだ。

地理学、生物学、社会学。著者はそれらの諸学問を駆使して壮大な人類史を捉えなおしてきた。そして著者は未来を救うための三つの勢力として考古学者、テレビ、歴史を提唱する。考古学者や歴史はまだしも、テレビ? つまり、著者に言わせると、テレビのような大量に流される情報の威力は、インターネットのような分散された細分化され拡散される情報に勝るということだ。

が予測する未来は破滅的な事態を防ぐことはできる、と前向きだ。その予測は私たちにとってとても勇気をもらえる。私が本書のレビューを書き上げようとする今、アメリカの今後を占う上で欠かせない人物が頻繁にツイートで世を騒がせている。トランプ大統領だ。現代の西洋とは、アメリカによって体現されている。繁栄も文化も。そんな西洋のメインファクターであるアメリカに、閉鎖的で懐古主義を標榜したリーダーが誕生したのだ。そして世界をつぶやきで日々おののかせている。トランプ大統領は西洋の衰退の象徴として後世に伝えられていくのか。それともトランプ大統領の発言などは世界の未来にとってごくわずかな揺り戻しにすぎず、トランプ大統領の存在がどうあれ、世界は人工知能が引き起こす予測のできない未来に突入してゆくのか、とても興味深いことだ。

未来に人類が成し得ることがあるとすれば、今までの歴史から学ぶことしかない。今までの教訓を今後にどう生かすか。そこに人類の、いや、地球の未来がかかっている。今こそ人類は歴史から学ぶべきなのだ。本書を読んで強くそう思った。

‘2016/10/21-2016/10/27


真相・杉原ビザ


本書を読む少し前、2015年の大晦日に『杉原千畝』を観劇した。唐沢寿明さんが杉原千畝氏に扮した一作だ。作中では現地語ではなく英語が主に使われていたのが惜しかった。でも、誠実に杉原千畝氏を描こうとの配慮が見えたことに好感を持った。(レビュー)

千畝氏の業績はとかく誤解されがちだ。ユダヤ問題の視点。日独伊三国同盟の視点。外交官の職業意識の視点。組織統制からの視点。様々な問題がからむ。

スクリーンで唐沢さんが演じた杉原千畝が、どこまで本人を再現していたのか。それを確認するには本を読むことしかない。偶然本書を選んでみたのだが、著者は杉原家のご遺族から資料の管理を任されるなど全幅の信頼を置かれている方だとか。期せずしてふさわしい本を選べた。そして、著者が本書のタイトルに真相と名付けたのも、これをもって杉原評伝の決定版とし、杉原ビザを巡る論争に終止符を打ちたい、という決意の表れかと思う。

本書の内容は千畝氏の生い立ちから、満州時代、そしてカウナスの副領事を務めた日々を描いている。一方で戦後外務省を追われてからの日々はあまり取り上げていない。だがそれを脇に置いても本書は杉原千畝の評伝として決定版と言えるのではないだろうか。

私は組織に服し、命令に盲従するのが好きではない。なので、千畝氏が外務省の訓令を無視し、個人の信念でユダヤ難民にビザを発行した行動に反感はない。むしろ喝采を惜しまない気持ちだ。

だが、千畝氏の行動を無邪気に賛美するだけでは意味がない。領事館に押し寄せるユダヤ難民の群れを前に、組織人につきもののしがらみを断ち切ってまで、個人の信念を優先させたのはなぜか。それには当時のカウナスのユダヤ難民がおかれた状況を理解することももちろんだが、そのような行動を起こさせた千畝氏の生い立ちからも理解する必要がありそうだ。

著者のアプローチはその考えに沿っている。けれども、著者はその前に千畝氏のビザ無断発給についてまわる誤解を冒頭で解く。その誤解とはビザを無断発給したのは、ユダヤ人社会から金が出ていたからというものだ。著者はその噂を根拠なしと片付けている。それは、戦後イスラエルの宗教大臣を務めたバルファフティク氏からの証言による。バルファフティク氏はカウナスでビザ発給陳情に訪れた五人の代表者のうちの一人だ。バルファフティク氏は戦後イスラエル政府の要職に就き、千畝氏の名誉回復に並々ならぬ役割を果たした。バルファフティク氏の尽力もあって千畝氏のビザ発給の事実が世に知られることになった。著者はイスラエルにバルファフティク氏を訪れ、本人からの証言をテープに収めている。本書冒頭で著者はユダヤマネーが背後にあったとの誤解を解き、杉原ビザが外務省の訓令に背いてまで千畝氏個人の信念に基づいた無私の行為であったことを明らかにする。

第一部は「イスラエル・エジプト紀行」と題され、イスラエルと日本の関係に紙数が割かれている。イスラエルの建国にあたってはパレスチナ問題、つまり元々その地に住んでいたアラブ人との関係が複雑だ。今に至るまで火種の絶えない地となっている。だからこそイスラエルの人々は自国やユダヤ民族のために尽くしてくれた人々への感謝は忘れない。日本とイスラエルの関係の中で千畝氏が少なくない役割を果たしたことなど、本書から得られる情報は多い。

続いての第二部「杉原ビザの真相を探る」では、生い立ちから千畝氏のビザ発給とそれが日独伊三国同盟に与えた影響までを語る。

実は本章では千畝氏の少年時代はそれほど触れない。そういう意味では、本書からは千畝氏の生い立ちはよく分からず、本書を読んだ目的の一部は果たせなかった。でも、税務署の父好水氏の任地に従って転々とした少年時代だったことが書かれている。私の個人的な意見だが、往々にして転校が多かった人物は、人生や世間や社会に多様性が必要なことを学んでいるような気がする。と言いつつ、私は転校知らずの少年時代を送ったのだが。

本書はむしろ早稲田大学入学後の千畝氏について紙数を費やす。医者を望む父に反抗し、早稲田大学に進学。そのことで千畝氏は学費がもらえず苦学生の道を歩む。学費を稼ぐためあらゆる職に就き、遂には退学してノンキャリア外交官の道を進むことになる。色んな職を経験した事は、千畝氏の視野を広げたことだろう。外交官には欠かせないスキルの糧となったはずだし、多分ビザを発給する上で氏の行動を妨げなかったはずだ。それどころか、ビザ発給が元で外務省をクビになっても、自分には家族を養う自信がある、と組織を恃まぬ自信を千畝氏に植えつけたのではないか。実際、戦後は外務省退官を余儀なくされ、職を転々とすることになる。

では、千畝氏は優秀な外交官だったのか、との疑問が湧く。そして読者は、千畝氏が優秀な外交官であったことを満州時代の氏の実績を通して知ることになる。それは北満鉄道譲渡交渉である。外務省から満州国外交部に出向の形で配属された千畝氏の交渉相手はソビエト。ソビエトから北満鉄道を譲渡するにあたって、価格面を含めたあらゆる交渉が必要となった。千畝氏は交渉担当者として得意のロシア語を駆使し辣腕ぶりを発揮する。当初ソ連側の希望価格は六億五千万円で日本側は五千万円。それを最終的には一億八千万円で譲渡交渉を成立させた。その能力は、後年杉原氏がモスクワ日本大使館の二等通訳官に任じられるにあたり、ソ連から拒否されたことでも明らかだ。この経緯は本書では詳細に触れられている。

私は理念や理想を求める姿勢は重んじたい。だが、それは実力があってこそと思っている。だからこそ千畝氏のビザ発給の美談は、それだけで片付けると本質を見失う。本書でもこのように書かれている。「外交官杉原千畝を語るに当って、ナチスからの人命救助というリトアニアでの人道問題だけでは、杉原の真価を理解したことにはならない」(154ページ)

それほどまでに評価された千畝氏だが、交渉妥結から間も無く満州国を去ることになる。それは何故か。映画『杉原千畝』の冒頭でも印象的にそのシーンが描かれていた。満州国を牛耳る関東軍の存在だ。本書には晩年の千畝氏がチラシの裏に認めた通称「千畝手記」が写真付きで紹介され、引用も頻繁にされる。「千畝手記」には関東軍のやり方に我慢ならなかったことが書かれている。その経緯も本書で紹介されている。

多分、千畝氏がビザ発給に踏み切ったのも背景に軍人への反発があったためだろう。多分、後ろに組織を控えた圧力にはとことん反発する性質だったように思う。

本書は続いてカウナスでの日々を描く。著者はユダヤ難民が生じた背景をきっちりと説明する。ナチスの台頭とユダヤ人迫害の事情を理解することなしにビザ発給が美談であったことは理解できない。特にこの章で見逃せないのは、千畝氏のビザ発給がナチスドイツの対日政策に影響を与えたのではないか、との著者の分析だ。

つまり、千畝氏のビザ発給によってアメリカの対日政策に変化が生じることをナチスドイツが恐れたのが、日独同盟の急展開を招いた。それが著者の読みだ。日独同盟はすんなり決まったわけではない。二転三転の末に決まったことはよく知られている。その過程では、最終的にドイツ側が歩み寄ったことが日本の姿勢を和らげ、なし崩しに日独伊三国同盟は成った。交渉の中でドイツ側の最後の歩み寄りがあった背景に、千畝氏のビザ発給があったのではないか。その説は私には新鮮に聞こえた。あの当時の日米英ソ独の微妙で複雑な関係は、カウナスの副領事の行いによっても揺らいでしまったのかもしれない。

それにしても本書は真相と名乗るだけあってかなりの事実が書かれている。大正9年の雑誌『受験と學生』で千畝氏が寄稿した「雪のハルピンより」の全文を載せている。さらに第三部の「杉原テーマへの責任」では、既存の杉原千畝を取り上げた記事や書籍で間違っている記述に徹底的に反駁を加える。それはまるで千畝氏の代弁者のようだ。

生前の千畝氏は、自らの外交官生活に終止符を打ったカウナスでのビザ発給について何も語らずを通した。結局は自らが助けた人によってその行為は広く知られることになり、それとともにその行為を曲解しようとする人々によって誤った風説がまかれることにもなった。晩年の千畝氏がチラシの裏に「千畝手記」を書かざるを得なかった気持ちもわかる。

千畝氏の一生はどうだったのか。それを評価するのは我々でなければ当時の人々でもない。ましてや千畝氏に救われたユダヤ難民でもない。千畝氏当人が評価することだ。私のような他人が千畝氏の一生を語るなどおこがましい。だが、私は千畝氏が組織に媚びず一生を自分の信念に生きた事を後悔することなく逝ったと信じたい。

あとは、氏の業績が正しく後世に伝えられる事だろうか。当初本書は図書館の書架に並んでいた。ところが一年後、本稿を書くために借りようと図書館に訪れたところ、なんと書庫に入ってしまっていた。それが残念だ。

‘2016/02/18-2016/03/02


杉原千畝


2015年。戦後70年を締める一作として観たのは杉原千畝。言うまでもなく日本のシンドラーとして知られる人物だ。とかく日本人が悪者扱いされやすい第二次世界大戦において、日本人の美点を世に知らしめた人物である。私も何年か前に伝記を読んで以来、久しぶりに杉原千畝の事績に触れることができた。

本作は唐沢寿明さんが杉原千畝を演じ切っている。実は私は本作を観るまで唐沢さんが英語を話せるとは知らなかった。日英露独仏各国語を操ったとされる杉原千畝を演ずるには、それらの言葉をしゃべることができる人物でないと演ずる資格がないのはもちろんである。少なくとも日本語以外の言葉で本作を演じていただかないとリアリティは半減だ。しかし、本作で唐沢さんがしゃべる台詞はほとんどが英語。台詞の8割は英語だったのではないだろうか。その点、素晴らしいと感じた。ただ、唐沢さんはおそらくはロシア語は不得手なのだろう。リトアニアを舞台にした本作において、本来ならば台詞のほとんどはロシア語でなければならない。しかも杉原千畝はロシア語の達人として知られている。スタッフやキャストの多くがポーランド人である本作では、日英以外の言葉でしゃべって欲しかった。迫害を受けていた多くの人々がポーランド人であったがゆえに英語でしゃべるポーランド人たちは違和感しか感じなかった。そこが残念である。しかし、唐沢さんにロシア語をしゃべることを求めるのは酷だろう。最低限の妥協として英語を使った。そのことは理解できる。それにしてもラストサムライでの渡辺謙さんの英語も見事だったが、本作の唐沢さんの英語力と演技力には、ハリウッド進出を予感させるものを感じた。

また、他の俳優陣も実に素晴らしい。特にポーランドの俳優陣は、自在に英語を操っており、さらに演技力も良かった。私は失礼なことに、観劇中はそれら俳優の方々の英語に、無名のハリウッド俳優を起用しているのかと思っていた。だが、実はポーランドの一流俳優だったことを知った。私の無知も極まれりだが、そう思うほどに彼らの英語は素晴らしかった。ポーランド映画はほとんど見たことがないが、彼らが出演している作品は見てみたいものだ。かなりの作品が日本未公開らしいし。

だが、それよりも素晴らしいと感じた事がある。本作はほとんどのシーンをポーランドで撮影しているという。ポーランドといえばアウシュヴィッツを初めとしたユダヤ人の強制収容所が存在した国でもある。本作にもアウシュヴィッツが登場する。ユダヤ人の受難を描く本作において、ポーランドの景色こそふさわしいと思う。そして合間には日本の当時の映像を挟む。それもCGではなく当時の映像を使ったことに意義がある。刻々と迫る日本の敗戦の様子と、それに対して異国の地で日本を想い日本のための情報を集めながらも、本国の親独の流れに抗しえなかった千畝の無念がにじみ出るよい編集と思えた。

また、本作においては駐独大使の大島氏を演じた小日向さんの演技も光っていた。白鳥大使こそは日本をドイツに接近させ、国策を大いに誤らせた人物である。A級戦犯として裁かれもしている。しかし本作ではあえてエキセントリックな大使像ではなく、信念をもってドイツに近づいた人物として描いている。この視線はなかなか新鮮だった。単に千畝のことを妨害する悪役として書かなかったことに。千畝の伝記は以前に読んだことがあるが、白鳥氏の伝記も読んでみたいと思った。

だが、本作を語るにはやはり千畝の姿勢に尽きる。なぜ千畝がユダヤ人に大量のビザを発給したのか。そこには現地の空気を知らねばならない。たとえ日本の訓示に反してもユダヤ人を救わずにはいられなかった千畝の苦悩と決断。それには、リトアニア着任前の千畝を知らねばならない。満州において北満鉄道の譲渡交渉に活躍し、ソビエトから好ましからざる人物と烙印を押されたほどの千畝の手腕。そういった背景を描くことで、千畝がユダヤ人を救った行為の背後を描いている。実は北満の件については私もすっかり忘れていた。だが、関東軍に相当痛い目にあわされたことは本作でも書かれている。そしてそういった軍や戦力に対する嫌悪感を事前に描いているからこそ、リトアニアでの千畝の行為は裏付けられるのである。

戦後70年において、原爆や空襲、沖縄戦や硫黄島にスポットライトが当たりがちである。しかし、杉原千畝という人物の行動もまた、当時の日本の側面なのである。千畝以外にも本作では在ウラジオストク総領事や日本交通公社の社員といったユダヤ人たちを逃すにあたって信念に従った人々がいた。それらもまた当時の日本の美徳を表しているのである。日本が甚大な被害を受けたことも事実。日本人が中国で犯した行為もまたほんの一部であれ事実。狭い視野をもとに国策を誤らせた軍人たちがいたのも事実。しかし、加害者や被害者としての日本の姿以外に、千畝のような行為で人間としての良心に殉じた人がいたのもまた事実なのである。軽薄なナショナリズムはいらない。自虐史観も不要。今の日本には集団としての日本人の行動よりも、個人単位での行動を見つめる必要があるのではないか。そう思った。

‘2015/12/31 TOHOシネマズ西宮OS


シベリア抑留―未完の悲劇


会ったことはないけれど、妻の祖父はシベリア抑留の経験者だという。話によれば、おちゃめなところもありながら、内面は強い人だったとか。普通の人なら痛みに耐えられない症状にも関わらず、癌で亡くなる少し前まで仕事を続けていたという。その人となりは妻からみても敬するに値する人だったらしい。

そういった祖父の人格が生まれついてなのか、それともシベリア抑留体験によるものかはわからないけれど、シベリア体験をあまり話したがらなかったという。そのことから、戦後数十年を経ても心の中に重しをつけて沈めてしまいたい体験だったことは確かだと思う。

仮に祖父が本書を読んだとしても、その体験の一片をも本書が伝えていないといって憤慨するかもしれない。これは何も本書を貶めて書く訳ではなく、むしろ本書の中で体験者の言葉として繰り返し語られる言葉として紹介されている。今までに色んなシベリア抑留に関わる書物が出版されたけれど、その惨状はあんなものではない、あの日々をつぶさに書き切ったものはなかった、と。

本書はそういった人々の言葉を掬い上げつつ、文章では描ききれない現実がかつてシベリアの地にあったことを自覚しながら、それでもシベリア抑留の実態をできる限り書こうと努力しているのがわかる。

その視点は、ソ連側にも関東軍側にも厳しく注がれ、右だ左だといった偏った立場には与していない。また、シベリア抑留を単なる捕虜虐待の問題から区切っている思想教育や軍隊生活の反動による様々な問題についても、それらに加担した人々を不必要に悪者にすることなく冷静に被害者と加害者の両面をもつ人々として描写している。

ソ連の労働力確保のための政策の一環として、不必要に抑留された彼ら。シベリアの大地に散った人々も、生き残ってしまった人々も合わせて、抑留された被害者が背負った歴史の重みを少しでも受け止め、支えになろうという筆者の気概や覚悟を読み取ることのできる本である。

最後に、筆者は私より6歳しか年長ではなく、戦争を知らない世代であろうとも先輩から歴史を受け継いでいくことはできる、ということを身を以て示していると思える。私も年配者とお話をする機会があれば、聞いてみるようにしたいと思う。

’12/1/17-’12/1/18