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kintone Café 帯広に登壇しました


3/11にkintone Café 帯広に登壇してきました。
告知サイト

昨年九月のCLS道東の参加をきっかけに開催へ向けて動き出した成果の日。私は当初、kintone Café 帯広のためだけに北海道に行く予定でした。

が、今回は登壇だけでなく、他にも仕事の成果を加えたいと考え、いろいろな工夫と調整を凝らしました。

結果、今回の旅では登壇だけでなく、多様な成果を得ることができました。その意味でもエポックとなる登壇だったと思います。

私が地方でイベントに登壇するのは、昨年の6月のkintone Café 高知 & SORACOM UG SHIKOKU以来。
登壇をきっかけに夜の懇親会を通して地域の方々とご縁を結び、私の登壇実績や認知度を増やす。それだけでももちろん成果としては十分です。

が、私はさらに上を目指したいと思いました。訪問地で先に案件の引き合いを得ておき、案件のヒアリングや商談ができるのが望ましい。さらに具体的な案件の話のご縁が頂ければなおありがたい。今回の旅では、それらの点でも成果が挙げられました。それどころか、帯広に行く前に、新千歳空港に立ち寄り、札幌にいる弊社メンバーと千歳市内で対面フォローまで果たせました。

本稿では、イベントそのものについてお伝えしたいと思います。

ツイートまとめ

当初、kintone Café 帯広はSORACOM UGの皆さんと共催の方向でした。が、紆余曲折をへて、帯広に在住のkintone エバンジェリスト今野さんに企画を委ねました。

ところご開催の数日前に、今野さんがインフルエンザにかかってしまうと言うアクシデントが起こりました。そこで急遽、MOVEDの松永さんに司会と進行を担っていただきました。
そうしたこともありつつ、kintone Café 帯広はつつがなく終わり、帯広や十勝の中でも新たなご縁が結べました。

まずはご参加の皆様や登壇者の皆様に御礼を申し上げたいと思います。


まずは松永さんによる「kintone Caféとは!」でスタート。


続いて、サイボウズのかんちゃんによる「サイボウズ社内のkintoneの日常〜もうすぐ春編🌸〜」
この時期、kintoneで社内のシステムを運営していらっしゃる方は、組織変更や人事異動や新学期の準備に忙しいはず。
サイボウズさんもそれは同じ。と言うことで、かんちゃんのお話しされた内容は、とても参考になりました。

実は今度の4/1にkintone Café 神奈川を開催するのですが、そのテーマが決まったのが帯広滞在中。
神奈川のスタッフである藤村さんからの提案が、この時のかんちゃんの登壇内容に結びつき、即決で「新学期」に決まりました。4月1日も楽しみにしておいてください。

続いては、私の登壇「kintoneエコシステムで人生を好転させた人、を連れてきた」です。
スライド

このネタは、今野さんと事前に打ち合わせをする中で、話してほしいとご依頼いただいたものです。

私がなぜ十年以上、kintoneに肩入れしているのか。それを全てこの内容に盛り込んだつもりです。

今回のkintone Café 帯広には、kintone Café 自体に初参加の方が10名弱いらっしゃいました。そもそもkintone自体もあまり知らない方もいらっしゃいました。
そうした方々にとって、私の話した内容が少しでも刺さってもらえたのなら本望です。

続いては、SEED PLUSの前嶋さんと大崎農園の大崎さんによる「雪の多い帯広と雪のない埼玉でIoTデバイスを開発してみた」です。

前島さんも昨年の9月以降、私によってkintoneの世界に巻き込まれた人です。帯広が属する十勝は、道東の中でも特に農業が盛んなわが国有数の農業大国です。

これからの農業にIoTの出番は頻繁に求められるはず。そこから得たデータは、kintoneで簡単に見える化することで、より一層の価値が高まります。
そうしたシステム構築を実践してらっしゃる前嶋さんの登壇内容は実践的でした。
私も今後もさまざまな農業案件の実践に励みたいと思いました。


続いての大崎さんは、農家の立場から独力でプログラムを学び、本まで出したすごい方。
私も負けてられないと刺激を受けました。いつかは農園にも伺える日が来ることを願っています。


続いてはMOVEDの松永さんによる「インボイス制度開始まであと半年だよ」です。

弊社はすでに適格請求書発行事業者の登録番号も取得しています。お客様にも順次番号の通知を行いはじめています。

ただ、弊社はそれに加えて、お客様のシステム実装の中でインボイス制度の対応も進める立場です。
その意味でも、松永さんの登壇内容は、とてもタイムリーでした。私も弊社も準備をさらに進めないと。


>続いては、山忠ホールディングスの生田目さんによる「kintone x 基幹システム 業務改善大妄想」です。
生田目さんは昨年11月のCybozu Days 2022でも弊社ブースに来てくださいました。その時、弊社のブーステーマが農業とIoTとkintoneに設定したこともあって。
そこで伺いきれなかった生田目さんの取り組みやこれからの課題など、とても興味深くお伺いしました。

生田目さんの話した内容は、決して妄想ではありません。今のわが国の農業関係者が真摯に考えていかなければならない課題です。

弊社もぜひこうした取り組みの力になりたいと思いました。


トリを務めてくださるのは、斎藤栄システムデザイン工房の匠こと斎藤さん。「kintoneでも“データ設計”マジ大事!~後で困らないようにするために~」このタイトルで話していただいた内容は、kintoneに関わるシステム管理者はもちろんですが、ユーザー様にとっても大切なことでした。

ここがうまく考慮できていないために、kintoneによるシステム構築に挫折し、kintoneが使えないとか、kintoneから別のシステムに乗り換えるとかのお客様の事例を時折耳にします。
とても残念なことです。

kintoneにこれから挑戦しようとする方には、ぜひ聴いてもらいたいセッションでした。

夜の懇親会でも、帯広や十勝の方同士で意気投合する姿や、新たなご縁ができるの目の当たりにし、やって良かったなと思った次第です。




後日談ですが、私の帯広滞在の最終日、kintone Café 帯広にご参加が叶わなかった今野さんとお会いすることができました。
今回会場としてお借りした相互電業の社長さまともお話が出来、また次のkintone Café 帯広の開催に向けての話も進められました。
今野さん、今回はいろいろとありがとうございました!

次回、帯広で開催する際は、私も参加できるように時間をやりくりしたいです。
また、皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

今回ご参加の皆様や、登壇された皆様、誠にありがとうございました


kintoneの機能をコミュニティに例えてみた


kintoneがリリースされて11年。
kintoneは今もまだ支持を拡大し続け、伸び盛っています。

成長の理由の一つにユーザーコミュニティの存在があります。ユーザーにとどまらず、技術者も巻き込んだコミュニティの成長。kintoneの成長に比例して発達したコミュニティがkintone本体にも影響を与えたことは間違いないでしょう。

コミュニティこそがサイボウズ社の掲げる「チームワークあふれる社会を創る」理念の体現し証しだとも言えます。
私がkintoneと関わるようになった理由の一つは、サイボウズ社の掲げる理念に共感したためです。こうした自由さや多様性を認める会社が提供するシステムだからだから可能性があるはず。そう思ってまだ始まったばかりのkintoneに関わろうと思いました。

kintoneの成長の軌跡と今のkintone。見回してみると、あちこちにチームワークやコミュニティファーストの思想が見いだせます。

そこで本稿では、kintoneを構成する各パーツや機能をコミュニティに例えてみたいと思います。
初期の頃から、kintoneにはさまざまな機能が搭載されてきました。今でもまだ細かいバージョンアップが加えられています。
kintoneを囲むエコシステムを簡単に図示してみるとこんな感じでしょうか。雑すぎますが。

「インターネット」

cybozu.com

サブドメイン

ポータル

スペース

アプリ

フィールド

ここでいう「インターネット」は人類が住むこの地球または社会全体を指すとしましょう。

すると、cybozu.com は何に例えられるでしょうか。大陸?民族?
私は最初、.com という言葉が含まれるので、リアルに対するネットを指すとしても良いかな、と思いました。
ですが、思い返しました。kintoneのエコシステムやコミュニティはリアルの文化も包めた概念のはずです。

そう考えると、cybozu.comとは、多様性やダイバーシティやSDG’sを含め、「チームワークあふれる社会を創る」価値観に賛同する人々を包含するすべての方々やコミュニティの総体とするのがよさそうです。

その下におかれるのがサブドメイン。これは、kintoneの中では、kintoneを契約する組織を示す単位になります。
これをコミュニティに例えるなら、「チームワークあふれる社会を創る」価値観に賛同するコミュニティの種類というのはいかがでしょう。
コミュニティの種類とは、kintone Caféやキンコミやkintone hive、Cybozu Developer NetWorkや、kintone SIGNPOST ランチ会、その他無数の勉強会やYouTubeチャンネルのこと。それぞれが一つのサブドメインを成すとしましょう。

となると、サブドメインの入り口であるポータルはなんでしょう。
ポータルは、そのまま各々のコミュニティの入り口となるポータルサイトであるとして良いでしょう。kintone Caféを例に挙げるなら、https://www.kintonecafe.com のがそうです。

では、通知は?
これは皆さんから発せられるありとあらゆる発信にあたります。ブログやSNSなど。

するとアプリは?
これはそのサブドメイン、つまりコミュニティを構成する要素を示すと仮定できるのではないでしょうか。

例えばkintone Caféを表すサブドメイン。その中のアプリとはどういう粒度の単位でしょうか。
まず思いつくのは、各支部ごとにアプリが分かれるはずです。アプリに表せそうな情報単位は他にもあります。例えば開催履歴、理念、支援依頼、告知サイトに書いた情報、kintone caféで発表した資料。チャットのコメント、議事録や質疑、参加者や登壇者、会場情報。これらはそれぞれのアプリで管理できますね。

ではサプドメインのアカウント(ピープル)は何に擬せられるでしょう。
私はそれを運営側の人々になぞらえたいと思います。参加者だけでなく運営にコミットした人は、アプリで管理されるだけの境遇に甘んじず、アカウントとして改善を担うための権限を持ちます。
運営者のそれぞれの属性に応じて組織やグループ(ロール)としてまとめられますし。

となると、スペースは?
これも運営のためのヴァーチャル会議室とみなせば違和感はありません。

では続いてアプリの中を見てみましょう。
先程、コミュニティに関するあらゆる情報の集まりがそれぞれのアプリを構成していると提案しました。
例えばコミュニティの応援者や参加者など、関わりのある方々をまとめるアプリを俎上に乗せてみます。
この時、各レコードはそれぞれのコミュニティに関わりのある方々を表し、フィールドは性別や年齢、趣味や興味関心の属性を指すとすればいかがでしょうか。

kintoneはアプリ間を連携するため、以下の機能を備えています。
・ルックアップ
・関連レコード
・アクション
・REST API

ルックアップは、アプリから他のアプリの情報を呼ぶための機能です。
主キーである項目を定めれば、その項目に値を指定すると、その値に紐づいた他アプリの情報を取り込むことができます。
これをコミュニティの機能に見たてるなら、コミュニティの参加者の知見を取り込む営みとすればどうでしょう。皆さんの知見を取り込んでコミュニティの成長に活かす。コミュニティには欠かせない行いですよね。
取り込む項目は自由です。コミュニティが必要とする知見の範囲を属性として、関わる方から有意な情報を取り込むのです。
参加者のわずかな情報をもとに話を膨らませ、例えばスタッフとしてお誘いするとか。

関連レコードはレコードを見た時、ある項目で紐付けた他アプリの情報を表示する機能です。
ルックアップのように値を選ぶ必要がなく、今見ているレコード(関わる方の情報)の特定の項目の値に紐づいた情報が見られます。たとえば、ある方の他コミュニティの関わりとか。登壇履歴とか。参加履歴とか。職種や業種などの属性とか。
それが見えると、コミュニティ運営にとって有益です。
今までにこの方は何度も参加してくれている、とか。今度、登壇依頼してみようかな、とか。
思わぬ属性に気づくことが、コミュニティの発展につながります。

アクションは、元となるアプリの情報をコピーしつつ、他のアプリに新しいレコードとして加えるためのkintoneの機能です。
これは参加者の属性をもとに次のテーマへと発展させたり、次のイベントのネタへとつなぐ能動的な営みです。
懇親会で話が盛り上がり、次の展開がひらめくことはよくありますよね。あれもアクション機能として考えると合点がいきます。
ありとあらゆるコミュニティの発展はアクションから始まります。まさに名は体を表す、です。

REST APIは、背後でさまざまな連携を行うためのシステムの機能です。
これをコミュニティに比喩するのは難しいですが、あえていうならば、自動的な自走のことでしょうか。バッチ処理やなんらかのイベントによって作動するREST APIは、kintoneの効率を上げてくれます。
それがコミュニティで実現できた時。その時はコミュニティが自走し始めた時です。コミュニティとは、創立者の手を離れて自走できたらしめたもの。
そうありたいものです。

他にもkintoneにはプロセス管理があります。
ワークフローは、参加者やスタッフの間での相互連絡のプラットフォームと考えると良さそうです。

あとは、一覧やグラフの機能です。これらはレコードが貯まれば貯まるほどやりがいとして返ってきます。回数を重ねるごとにコミュニティーの中身はみなぎります。それを実感として表せるのが、一覧でありグラフです。

こう考えるとkintoneとは実は、、コミュニティー自体を助けるためのツールになっていることに気づきます。また、そうあるべきなのかもしれません。

私もただ単に書き散らすだけではなく、そういうアプリ群をいちど作ってみようかと思います。

kintoneコミュニティのますますの発展を願って、良いお年をお迎えください!


アクアビット航海記 vol.43〜航海記 その27


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/4/19にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は新たな環境へ誘われたことを語ります。

新たな会社へのお誘いを受ける


本連載の第三十四回に書いた通り、妊娠する前の妻は婦人科系の疾患を複数抱えていました。それらの疾患は妊娠中と出産時に多くの試練を妻に課しました。それらの困難をのりこえ、長女が産まれたのは2000年がまもなく暮れようとする頃でした。

長女は産まれると同時に、妻の疾患の多くをきれいに拭い去ってくれました。妻にとって長女の出産は一つのクライマックスだったと思います。
それだけでなく、長女の出産は私にも大きな影響をもたらしてくれました。
それはご縁、仕事、そして転機です。

妻が入院していた産婦人科には、数人の妊婦さんが入院していました。そして出産前後の時間をともに過ごしていました。
特にそのうちの一人のママさんと妻が親しくなりました。そして家族ぐるみでお付き合いするようになりました。
私も夫として交流しました。さまざまな場所へも遊びについて行き、そのママさんのお宅にもお邪魔しました。
お互いの家族は、そうやって慣れない育児を一緒に乗り越えようとしていました。

親しく付き合う中で、お互いの家族の構成や仕事関係の情報も話に出てきます。そのママさんのお父さんが相模原で会社を経営している事も会話の中で知りました。その会社でママさんの旦那さんや、ママさんの妹さんの旦那さんが働いていることも。

その会社に来ないか、というお誘いを最初にいただいたのがいつだったか。あまりよく覚えていません。2002年の秋は、家族と一緒に一週間ほど北海道を旅しました。お話を頂いたのは旅から帰ってきた後だったような気がします。
その頃の私は、本連載の第四二回で触れたとおりワールドカップ後の燃え尽き状態に加え、いくつかの屈託を抱えていました。

そんな時期にいただいた会社に来ないかというお誘い。
今までの本連載を読んでくださった方であれば、私が即転職を決断したと思うかもしれません。
ですが、さすがの私もそれなりに考えました。

当時、私が所属していたパソナソフトバンクあらためプロフェシオあらためフジプロフェシオは、全国に支店網を持っていました。合併・吸収の荒波に揺さぶられていたとはいえ、株式を店頭公開していました。ゆくゆくは東証二部や東証一部上場もあり得たかもしれません。母体となった二つの企業の影響力は巨大でした。

それよりも考えるべきは、私自身の覚悟です。私はなぜ正社員になったのか。それを自分に問わねばなりません。その辺りのことは、本連載の第三二回第三三回第三四回で書いた通りです。
私は上京し、結婚しました。妻と生活する上で、まずは正社員で身を固めようとしました。この時、せっかく正社員になったのに、違う会社からのお誘いをやすやすと受ければ、私自身の決意を裏切ることにもなりかねません。

情報機器管理の大切さを学ぶ


当時の私が抱えていた屈託は、転職の話をいただいた当初から、私の気持ちを新たな挑戦へと導いていたように思います。
でも、軽挙妄動は慎まねばなりません。
そこで、様子を見るため、その会社のパソコン回りの整備を請け負うことにしました。毎週土曜日。その日であれば私も仕事が休みです。また、その会社の皆さんもいないため、皆さんのパソコンを触るのに都合が良かったのが土曜日でした。

手元に当時の報告書が残っています。それによると2003年の年明けから調査・設定の作業に携わっていたようです。

調査・設定の作業を行う中で徐々に把握したその会社のIT環境。それはもう目を覆うばかりの惨状でした。社内LANこそ引かれていましたが、ファイルサーバーもなく、ルーターの設定値も初期値のまま。その結果、十数台の端末の多くがウィルスに感染していました。そもそも、Windows Updateが実行されている端末すらほんの一部で、アンチウィルスやファイアウォール・ソフトすら入っていない端末がほとんど。全く管理されていない状態の情報端末は、企業の環境とは思えないほどの状態でした。
オンプレミスのサーバーで動くパッケージの販売管理システムが入っていましたが、その保守もあってなきが如き。

私が呼ばれた理由も、この販売管理システムで重大なオペレーションミスによる損害があったためでした。さすがにこの状況を放置しておくと経営の根幹に関わると判断したのでしょう。情報処理周りを統括する担当が必要だという。
ですが、私が遭遇した環境は販売管理システム以前の問題でした。

正直に言うと、私がスカパーのカスタマーセンターで身につけた情報処理のスキルなど、今の私からみれば初歩的なレベルでした。担当の方が整備してくださったお膳立て=基盤の上でExcelやAccessをガチャガチャと操作するだけの。
作業する端末やシンクライアント端末がどういう整備の元に運営されているのか、一切知りませんでした。また、知らなくても集計業務は遂行できました。
私はスカパーのカスタマーセンターがプライバシーポリシーを取得する際、現場の担当になり、統制や管理の大切さを知りました。その時に求められた管理水準と比べると、この会社の統制や管理の落差に愕然としました。

今の私なら分かります。日々の業務がつつがなく遂行できるためには、綿密な計画に基づいたネットワーク設計が有り、端末にIPアドレスが振られ、基幹システムやファイルサーバーが運用され、利用者のドメイン管理や備品管理が粛々と行われていた事を。
ところが当時の私はそうした知識をほとんど持っていませんでした。なぜなら覚える必要がなかったから。
どこかの親切な小人さんたちが何事もきちんとしてくれている。それが、当時の私の認識でした。

ところが、こちらの会社に来てみて、自分が何も知らなかったことを知りました。まさに無知の知、です。
情報技術の管理者がいないと情報機器はここまで侵されてしまうのか。経営者や担当者が情報機器の統制を行わないと、ここまで無秩序な状態が生み出されてしまうのか。
この作業を通して、私は情報処理の大切さと奥深さを学んだように思います。

情報部門の統括者としてやっていけるかもしれない


こちらの会社には毎週の土曜日ごとに伺いました。そして、調査・設定の作業をもくもくと行っていました。一人では大変な時は、本連載の第三九回に登場してもらった山下さんにも協力をお願いしました。

やった作業とは以下のような感じです。
・無料のアンチウィルスやファイアウォールのソフトをインストールする。
・端末や機器の台帳を作る。
・全ての端末にWindows Updateを実行し、端末毎のアカウント管理もきちんと行う。
私が毎週伺う度に、自分が整備した内容が形になり、少しずつ会社の情報環境が整っていきます。それはとてもやり甲斐のある作業でした。そして自信にもなりました。なにより、自分が情報部門の統括者としてやっていけるのではないかという感触を得ることができました。
それまで情報機器の整備経験がなかった私でも調査と設定は出来る。この会社に入れば自分はさらにステップアップできるはず。そんな思いが強まります。

私の中で転職の意思は一層固まり、ついにはお誘いを受けることに決めました。それがいつだったかは思い出せませんが、2003年の春ごろには転職の意思を固めたはずです。
結局、私は2003年の6月にフジプロフェシオを退職しました。そして、7月より新たな会社に転職を果たしました。

次回は、この会社での日々を語りたいと思います。
この会社での日々。それは私のIT技術者としてもっとも伸び盛りの、すべてが勉強になった時期でした。
引き続きゆるく長くお願いします。


アクアビット航海記 vol.42〜航海記 その26


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/4/12にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は日韓共催ワールドカップの忙しさとそこからの反動を語ってみます。

日韓共催ワールドカップの多忙


さて、日韓共催FIFAワールドカップの話をしましょう。
サッカーのワールドカップといえば世界屈指のイベント。開催のたびに世界を熱狂の渦に巻き込みます。われらが日本代表チームも日韓大会の前のフランス大会で初出場を果たしました。それに続いて行われたのが自国開催のこの大会。盛り上がるはずです。スカパーもこの機を逃さず加入者数を一気に増やそうとしました。
当時のプレスリリースはもうウェブ上には残っていません。当時の記事を見た記憶によると、当時250万だった加入者数を一気に増やそうとしたと書かれていました。最終的に2002年の2月には加入者数は300万人を突破したそうです。ワールドカップ直前に殺到した申込の効果でしょう。全64試合を無料で観られるなら、誰もが入りたいのは当然です。

私が所属していたパソナソフトバンク(その当時、社名をプロフェシオに変えていました)は、スカパーのカスタマーセンターで受付、登録、不備、変更チームを担っていたことは連載二十三回で書きました。それらのチームが担っていたのは、殺到する新規受付や契約変更の仕事。つまり、加入者増の大波をモロに被る立場にありました。
そして、それらの大波がどれぐらいの数だったか、つまり何件の受付、登録、変更があったかをお客様向けの資料に起こすのは「集計チーム」の役目でした。私の業務はてんてこまいだったのです。

あまり当時の数字は覚えていません。ですが、新規登録者数だけで毎月の数倍は来ていたように覚えています。カスタマーセンター全体が熱を帯びて忙しく、巨大なイベントの一翼を担う熱気に満ちていました。
開幕を迎えた時、世間の盛り上がりとは逆に、カスタマーセンターの業務はピークを越えていました。

私が覚えているのは、スカパーさんがカスタマーセンターの休憩スペース(十分に広かった)をパブリックビューイングの会場として解放してくださったことです。カスタマーセンターで働く皆さんに向け、慰労も含めて観戦できるようにという粋な計らいです。私も日本代表の初戦のベルギー戦と次のロシア戦をみんなで観戦して盛り上がったことを覚えています。

私は日本で開催されたこの大会の64試合のどの試合もスタジアムで生で観戦はできませんでした。でも、パブリックビューイングで観戦できたことと、大会の盛り上がりのためにわずかながらでも関われたことは今でもよい思い出に残っています。

反動で仕事に情熱を失う


しかし、ワールドカップという一つのピークを経験したことで、私は仕事に燃え尽きた感を覚えました。ワールドカップの直後にはスカパー!2というサービスも始まり、この集計作業にも修正が発生し、バタバタしたように覚えています。が、今となっては自分がどういう仕事をしていたのかあまり覚えていません。

前回の連載にも書いたとおり、私はスカパー以外の現場にちょくちょく派遣されていました。ソフトバンク本社にも行きましたし、TSUTAYA本社にも行きました。麹町のNTTのマイラインや渋谷の某社にも多摩センターの某社にも商談に行きました。
ところが私自身、それらの作業に対して熱を込めて取り組んでいたとは言えません。どこかしら、淡々とこなしていたような気がします。言い方は適当ではないかもしれませんが人ごとのように。なんのために仕事をしているのか、目的のないままに仕事をしていたようです。
別に仕事が嫌になったわけでもないし、飽きていたこともありません。ただ、情熱が失われ始めていたことは確かです。

仕事に情熱を失った理由


私が仕事に情熱を失いかけた理由を考えてみます。以下の四つほどの理由が挙げられます。

一つ目は、ワールドカップ後の熱気の反動。
二つ目は、スカパーの現場での集計業務や請求書作成、出退勤システム保守にマンネリを感じ始めた。
三つ目は、パソナソフトバンクの足元が定まらなかった。
四つ目は、家の問題に焦りを感じていたこと。

一つ目は上に書いたからよいでしょう。

二つ目ですが、これは私が未熟だったからです。
今、振り返って考えると、この時に正社員の立場で取り組めることはもっとあったはずてす。集計だけでなく、それ以外にも。
もっといろいろな改良ができたでしょうし。
私がやろうと思っていた包括的な集計システムは「集計チーム」にいる間に作れずじまいでした。全チームが一つのシステム上で集計を入力すると、それが日次、週次、月次のスカパーさんへの資料にワンストップで活用できるような構想。そのような大志を抱いていましたが、未完のままでした。
ただし、今の私が取り組んでも、かなりの困難にぶつかったでしょうが。

三つ目ですが、上で「(その当時、社名をプロフェシオに変えていました)」と書きました。そう、ワールドカップの時点でパソナソフトバンクという会社はありませんでした。
当時の人材派遣業界とはまさに群雄割拠。さまざまな合併吸収劇があちこちで演じられていました。パソナソフトバンクも名前の通り、その代表的な会社でしょう。パソナソフトバンクがどういう経緯で立ち上り、どういう経緯で吸収合併の経緯を繰り返したかは、以下のリンク先の沿革に載っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%95

2001年5月にソフトバンクがパソナソフトバンクの株式を売却し、2001年8月に社名が株式会社プロフェシオに変わりました。さらに2002年10月にはフジスタッフと合併し、株式会社フジプロフェシオに社名を変えました。会社が目まぐるしく変わる過程で、私が社員へ登用された際に面接してくださった役員や部長は社を離れていきました。出先で仕事していた上、社会経験のない私ですら、会社に一体感があるようには思えませんでした。

私自身、当時新宿のマインズタワーにあった本社で作業する機会が何度もありました。さらには、本社へ異動する話も内々でもらったこともあります。
その時、私は小田急のラッシュを嫌って断りました。つまり、わざわざ毎日のラッシュを乗り越えてまで本社に通うだけの熱意が持てなかったのです。会社に対する愛着心はどんどん薄れる一方でした。今もこのころの名刺はひととおり持っていますが、部署名の変更や社名変更だけで七、八種類はあります。

四つ目は、本連載の第三七回第三八回第三九回に書いた通りです。当時の私が抱えていた家の問題です。そのプレッシャーが私をじわじわと圧迫していました。第三九回に書いた通り、本腰を入れて家の問題に取り組みを始めたのがワールドカップの終わった夏ごろです。
家の問題に本腰を入れるには、家の処分を見据えた生活を考えねばなりませんでした。たとえば私が毎日、横浜の天王町まで通う時間の間にやるべきことは多くありました。地主との交渉。市当局との交渉。次の家の探索。二軒の家の片付け。それらをこなせるだけの時間が必要でした。

今、四つの理由を思い出してみました。これは私の言い訳なのでしょう。
後付けで仕事に対する情熱を失った理由を正当化しようとしているだけだと思います。実際そうでしょう。
でも、まだ未熟だった私の精神が千々に乱れていたことは確かです。上に挙げた四つの理由は私の中で大きく私をむしばみ始めていました。

そんなある日、私のもとにとある会社からのお誘いが来ました。
その会社は相模原にありました。相模原といえば町田のお隣。わが家からは程よい近さです。近ければ家の問題をこなしつつ、稼ぎも得られそうです。この会社からのお誘い。それが私を次への道へといざなうのです。

次回は、この会社にお誘いいただき、関わっていく経緯を描いてみたいと思います。ゆるく永くお願いします。


アクアビット航海記 vol.40〜航海記 その25


あらためまして、合同会社アクアビットの長井です。
弊社の起業までの航海記を書いていきます。以下の文は2018/4/5にアップした当時の文章が喪われたので、一部を修正しています。
今回は正社員として担うことになったさまざまな業務について語ってみます。これらの経験はどれも私の起業に役に立ちました。

正社員としての任務


さて、当時の私がぶち当たっていた壁。それは家の処分だけではありません。
仕事の上でも私にとって乗り越えるべき試練が次々に押しよせていました。
今回はそのことを書いていこうと思います。どれもが”起業”には欠かせない経験でした。

本連載の三十三回でも書いた通り、スカパーカスタマーセンターの運用サポートチームに引き上げられ、パソナソフトバンク社の正社員にも登用してもらった私。
正社員になってしばらくして後、私の現場での肩書は”集計チーム マネージャー”へと変わりました。

正社員になったことによって、私に求められる役割はさらに増えました。集計チームのマネージャーとして現場の集計業務を管理しながら、派遣元であるパソナソフトバンク社の業務にも貢献することが求められていきます。
立場が変わるとやるべきことも増える。そのあたりのいきさつは本連載の三十一回でも少しだけ触れています。

今回はその部分をもう少し突っ込んで書いてみたいと思います。

正社員になったことで私に課せられた新たな任務。それは大きく四つが挙げられます。
そのどれもが私にとって初めての経験でした。
今から思うと、これらの任務を経験したことは、後年の私が”起業”するにあたっての糧となりました
自分の仕事だけしていればよかった立場から、より広い視野へ現場の仕事だけが仕事ではないという気づき。この気づきを初めて得たのはこの時期だったように思います。

一つ目は、日々のオペレーター・スーパーバイザーさんの出退勤管理システムの保守。
二つ目は、お客様(スカパー社)への月次の請求書発行。
三つ目は、カスタマーセンターの外に出て、作業や商談で別のお客様を訪問。
四つ目は、現場のプライバシーマーク取得や、センター移動の担当としての作業。

システム保守の経験


まず一つ目のシステム保守です。
私が「登録チーム」や「集計チーム」で作業するために集計ツールをマクロで作ったことは本連載でも書きました。
とはいえ、それらはあくまでも自分のためだけに使うものでした。バグを検知するのも自分ならば、それを修正するのも自分。「登録チーム」で作った集計ツールは、同僚のスーパーバイザーからの要望やバグの指摘に対応すればよいだけでした。集計チームでも集計結果のずれなどを指摘されれば直しますし、自分で速度を上げるために改善を行っていました。ですが、使うのはあくまでも集計チームの中だけ。

ところが、私が保守の担当に任じられた出退勤管理システムの使用者の数はそれまでと二桁は違います。全てのオペレーターさんとスーパーバイザーさんを合わせると何百人が使うシステム。
皆さんは朝夕に打刻し、その打刻データは集計してスカパー社への月次の請求に使います。パソナソフトバンク社の事務スタッフだったMさんやSさんも使います。もはや、今までのように私だけが使うシステムではなくなりました。バグなどで動かなくなると端末の前にみなさんが並ぶのです。その列は、自分の管理するシステムが業務に影響を与える現実を私に教えてくれました。

その出退勤管理システムはこのような仕組みでした。
まず、それぞれのスタッフが持つ入館証代わりのカードに印刷されたバーコードを、館内の入り口に設置した端末のバーコードリーダーで読み取ります。Microsoft Accessで作られたそのシステムは、読み取られたバーコードを元に対象者と打刻時刻を内部テーブルに保存します。そのデータをパソナソフトバンク社のMさんやSさんがやってきてフロッピーディスクに保存し、別フロアのパソコンにインストールしてある分析用のアクセスに取り込みます。そのデータが月次の請求や支払のデータに加工されます。

私はこの出退勤管理システムの開発には一切携わっていません。私がカスタマーセンターに入る前からこのシステムは動いていました。このシステムの開発者にも会ったことがなく、仕様書もマニュアルもありません。すべては手探りの中、出退勤管理システムの保守を行っていました。

例えば、当時のMicrosoft Access(確か97でした)は、定期的に最適化をしないとデータ容量が肥大する仕組みでした。この出退勤管理システムは自動的に最適化を行うように作られておらず、たまに止まりました。止まると打刻ができないので長蛇の列ができ、私の元にアラートを告げる使者がやってきました。
それだと困るので、後日、最適化作業は自動で行えるように実装しました。

私が出退勤管理システムに対してやるべき保守作業は他にもありました。たとえばアクセス自体のバージョンアップや、リースパソコンの切り替えなどです。
そのたびに、私はMicrosoft Accessの仕様や機能を調べた上で作業していました。

保守担当が担う責任。それは私にとってステップアップでした。人に使ってもらうシステムに携わることは、自分の仕事の結果が人に影響を与える。それを私に教えてくれました。
今でこそ、私はさまざまなシステムの保守を行っています。が、この時が私にとって初めてのシステム保守の経験でした。まさに技術者の原点となる経験だったと思います。
この出退勤管理システムはMicrosoft Accessの仕組みを学ぶ良い教材でした。また、保守業務のコツのようなものを学べたのもこのシステムからでした。
今さら、支障もないと思うので、システムの名前を書いてしまいます。この出退勤管理システムはMareと名付けられていました。ありがとうMare。なんの略かは忘れましたが。

請求業務で金銭の厳しさを


二つ目は、お客様への請求書を作る任務です。
パソナソフトバンク社からは、何百人ものオペレーターさん、数十人のスーパーバイザーさん、十数人のマネージャーさんがスカパーカスタマーセンターに派遣されていました。当然、毎月の労働に対する請求をスカパー社へ提出しなければなりません。私はこの請求書の作成担当に任命されました。
上に書いたMareで集計したオペレーターさん、スーパーバイザーさんの勤務時間を取りまとめ、さらに別報告で集計されたマネージャーさんの勤務時間を加えます。
これらを月末で締めた後、翌月の第何営業日までかは忘れましたが、スカパー社のご担当者に請求書として提出する。それが私に課せられたタスクでした。

この作業が大変でした。多くのスタッフさんの請求額ですから、金額も膨大な額に上りました。作りあげた請求書に記載される額面は、20代の私には遥かな高みでした。
さらに請求書は業務ごとの案分が組み込まれ、特殊な計算式がてんこ盛りでした。毎月のように請求書のレイアウトは変わり、Excelのマクロ(VBA)による省力への試みを拒みます。
関数の位置がずれ、結果に矛盾を生じさせるたびにご担当者さまのお叱りを受ける。そんな毎月でした。私は月末と月初はこの作業に懸かりきりになっていました。

当時の私にとって、この作業はことのほか難しい作業でした。でも私は、この任務によってExcel関数をより効率的につかうすべを身につけたように思います。
そして、請求とはシビアな営みであり、間違うととんでもないことになる緊張感を学びました。請求とは厳密さが求められ、たとえ一円でもゆるがせにできません。商売の基本となる素養をこの時期に培ったことは、私の”起業”にとって大きな糧となり、“起業”した今もなお私の中に生きつづけています。とても得がたい経験をさせてもらいました(もっとも私の値段設定や財務管理にはいまだに反省すべきことが多いのですが。)
あまりにもやりとりが密に行っていたせいか、スカパー社のご担当者の方と年賀状をやりとりするまでになったのは懐かしい思い出です。

商談に臨み、視野を広げる


三つ目は、外部への訪問です。
当時のパソナソフトバンク社にとって、スカパー社は大口のお客様だったはずです。ですが、スカパー社だけがお客様ではありません。
正社員に雇用された私には、他のお客様でも売上を立てることが求められました。その要請に従い、私はスカパー社以外のお客様を訪問するようになりました。例えば集計の仕組みを作るためお客先のもとに赴いたり、商談に同席するために外出したり。

パソナソフトバンク社では社員向け研修の一環として、名刺の交換などのビジネスマナー研修を行っていました。私もその研修でビジネスの初歩のノウハウを吸収しました。
ただ、研修では実際の商談までシミュレーションしてくれません。そして、商談はいつも本番です。商談への同席など、それまでの私の三十年足らずの人生で未経験でした。

パソナソフトバンクにいる間、私が単身で商談に臨むことはありませんでした。そもそも商談の進め方もわからず、何をどう準備すればよいのかも知らない当時の私が商談などできるわけがありません。まず私は、商談への同行から経験を積みました。商談の場に同席し、営業担当者の横でコクコクとうなづくだけのさえない若輩者。それが私でした。何もかもが不慣れで、全てが見習い。どの時間も勉強でした。

でも何度か商談に臨むうちに、言葉も挟むタイミングがおぼろげに理解できるようになりました。横に座っているだけなのも芸がないので、何かしようと口をはさむようになりました。
最初はうなづくだけだった私も、何度か商談に臨むうちに徐々に商談の空気感を体得していったように思います。
この時、商談の経験を踏めたことが”起業”した今では役に立っています。私を商談に臨む機会を与えてくれたパソナソフトバンク社には感謝です。正社員のお誘いを受諾してよかったことの一つだと思っています。

コンプライアンス意識の醸成


四つ目の任務では、コンプライアンスの意識を学びました。
今の私はコンプライアンスなどの横文字言葉を平気で口にします。でも当時の私はそんな言葉など知りませんでした。ましてや当時はY2K問題の記憶もまだ新しい頃。プライバシーを守る風潮もセキュリティを順守する意識もまだ世の中には根付いていませんでした。
そもそも当時はSNSなどごく一部の方のものでした。アンチウイルスやファイアウォールのソフトウエアをインストールし、怪しげなメールの添付ファイルは開かず、Windows Updateをきちんと実施していれば無問題だった古き良き時代です。

ところが、カスタマーセンターとは個人情報の宝庫です。ですから個人情報保護が至上の指針となるのは当然です。
上に書いたような普通の対策で済みません。きちんとした個人情報保護の対策をとっていますよ、と世の中に知らしめる必要がありました。
そこで、スカパーカスタマーセンターはお客様に安心していただくためにセキュリティ認証を取得することにしました。その認証とはプライバシーマーク。
ところがプライバシーマークを取得するのはそう簡単にはいきません。そのため、スカパーカスタマーセンターに参画していた各社ベンダーにも協力を仰ぎ、センターを挙げて取得へまい進する指令がくだりました。パソナソフトバンク社もベンダーの一社です。そしてパソナソフトバンク社の担当者として任命されたのが私でした。

言うまでもなく、当時の私にセキュリティに対する深い知見も現場をリードできる力量もありません。会議では席に座っているだけでした。やることといえばスカパー社の求める調査項目を入力し、各チームに調査を依頼するぐらい。
ただ、この時にプライバシーマーク取得のための実務を経験できたことは、私にとってまたとない財産となりました。なぜなら個人情報を保護する作業がどれほど大変で労力を要することか、身をもって知ることができたからです。
プライバシーマーク取得に向けてやらねばならないタスクはクリアデスクや施錠の励行だけではありません。書類の管理者やごみの捨て方、ごみを廃棄する方法やごみ廃棄業者の管理監督まで事細かく決めねばなりません。それほどまでに大変な作業をへて、ようやくセキュリティやプライバシーが保てるのです。

私はプライバシーマーク取得の担当になったことで、セキュリティ遵守の意識が身につきました。これは大きかった。なぜなら後年、私が独立し、何カ所もの開発センターを渡り歩く上で求められるコンプライアンス意識が事前に身につけられたから。”起業”した今もそうです。
むしろ、通常の業務が多すぎるのに、いちいちセキュリティに意識を払っていては業務に支障を来たします。無意識のうちにコンプライアンスを実践できるぐらいでなければ。機密保持のための行動など呼吸をするかのように無意識にこなせなければとても”起業”など務まりません。そのための「無意識の意識」を私はプライバシーマークの担当者の任務から会得しました。

もう一つ、私がベンダーの担当者として参加したことがあります。それはカスタマーセンターの移転・増床の作業です。この時もわたしはお座り担当で、あまり大したことはできなかったように思います。ただ、この時に大規模なセンターの移転の現場を体感できたことも、後年の私にとっては武器となりました。

今、株式会社スカパー・カスタマーリレーションズ様の会社沿革のページを見ると、この移転のことが年表に記されています。それによるとYBP内のセンターの移転は2001年の5月と書かれています。そして、プライバシーマークの認定取得は2003年6月と書かれています。
その間に行われたのが、日韓共催ワールドカップです。

日韓共催ワールドカップの前、カスタマーセンターは嵐のような日々でした。それはまた次回に。ゆるく永くお願いします。


明日をどこまで計算できるか? 「予測する科学」の歴史と可能性


本書は、科学は果たして未来を予測できるのかという点に着目した一冊だ。
人工知能が世界を滅ぼす可能性が取り沙汰されている昨今だが、果たして今の科学は未来を確実に予測できるのだろうか。

それを克明に追っている本書はとても面白い。

本書は、過去に人類がどのように予測に取り組んできたかを追う。そして現在の状況と未来に人類は予測を実現させられるのかを検証している。
予測とは人類にとって生存そのものに関わる問題だ。その解決への努力は、人類の進化の歴史でもある。

そもそも未来は定まっているのだろうか。私たちはどこまで未来を予測できるのだろうか。そして私たちは未来を変更できるのだろうか。私たちは自由意志の名のもとに生きていると信じているが、未来が定まっていたとすれば、私たちに生きる意味はあるのだろうか。
予測とは科学的な問題だと思われているが、実は極めて哲学的な問題なのだ。

過去において、人々の予測とは経験に基づいており、観念的なものにすぎなかった。
それでも科学者たちは、神の力に恐れおののくしかない過酷な現実を何とか乗りこなそうとモデルを作り上げようとしていた。宗教の名のもとにおける決定論は、人を予測から遠ざける装置としての威力を発揮していた。
予測することは神をも恐れぬ所業であり、バベルの塔のように神威によって一掃されるべき営みであった。

ところが、人類が科学の力を備えるにつれ、徐々に予測が現実的なものとなってきた。
人が神の運命に従うのか、それとも自由意志を持った存在なのか。そうした哲学的な論考も科学者によって唱えられるようになる。

「あるものに自由意志があるかどうかと考える場合、そのものの挙動をどの程度まで予測可能と考えるかにかかっていることが多い。あるシステムが完全に予測可能な場合、あるいは完全にランダムである場合には、私たちは、そのシステムが外からの力を受けていると仮定しがちである。しかし、もしシステムがその中間的な状態で動いていて、その挙動には認識可能なある種のパターンや秩序があるものの、予測はまだ難しい場合には、私たちは、そのシステムが独立して動いていると考える。」(124ページ)

今この瞬間にも、世界中で予測のための絶えざる試みと研究が続けられている。
例えば天気予報であり、病気の振る舞いであり、経済の景気の波など。

どれも人類の暮らしと生活と生存において欠かせない。まさに私たちが切望する営みだろう。
それらは人工知能が情報技術の粋を集めて予測しようとしている。だが、それらは全て、過去からの経験を探った結果にある。機械学習や深層学習による膨大なデータの学習によって。
そうした振る舞いはそもそも観察者効果によっての影響を与えているし、そもそも量子自体の振る舞いとしても不確定であるため、過去の経験値が全てにおいて未来を予測するわけではない。

物理的な法則によらない市場の景気の波は、人類の振る舞いの結果だ。そもそも、市場とは価値を交換する場所だが、その価値は状況に応じて変化する。つまり、予測によって市場に影響があった場合、その影響に引きずられて予測も変わってしまう。
「価値は固定された本質的な属性ではなく、状況とともに変化する流動的な性質である。」(248p)

本書の著者は人類の未来をあまり良い方向に予測していないようだ。
一方で人類を含めた生命のふるまいは予測できないともいっている。

「予測可能でないことは、生命の深淵なる性質だ。行動があまりに読まれやすい生き物は死に絶える。そして、予測不可能な環境においては、動的な内部秩序のようなものを保ちつつ創造的に活動する能力が欠かせない。正と負のフィードバック・ループのバランスが、生命プロセスが計算に還元できないことと相まって、複雑な生命体のふるまいを正確にモデル化することを不可能にしている。問題は、複雑な生命体は不安定なわけではなく、創造性と制御能力を併せ持っているという点にある。」(359p)

著者の人類やこの星の予測は以下のようなものだ。

「数百年以内のいつか、人口過剰と環境ストレスが最大の問題となり、貧困国の多くの人が干魃と飢餓で弱ったまさにそのとき、世界規模のパンデミックが起こるだろう。各国が検疫を強化し、人々が家に留まることで、世界中が連携して必要な物を必要な時に必要なだけ生産・調達する経済システムは崩壊するだろう。数年が経ち、疫病が鎮静化したとき、以前の経済システムを始動させてみる――が、錆びついているだろう。炭素排出量は下がり、やがて気候が安定する。戦争と侵略と暴動の時代を経て、人類も安定する。ふつうの暮らしに戻り、以前と違って賢く、謙虚で、自然に敬意を払うようになっている。」(372p)

これは決して悲観的な予測ではないと思う。
むしろ、地球を含めた総体として考えれば、人類という一つの生物の種が栄枯盛衰を繰り返すだけに過ぎないともいえる。ガイア理論のように。

もちろん、人類が技術的なブレイクスルーを果たし、宇宙へと乗り出す予測もありえるだろう。
シンギュラリティが達成され、人工知能によって滅ぼされた予測もありえるだろう。

どちらにせよ、私たちの予測に関わらず、この星の運命はより大きな未知の現象に委ねるしかないのだろう。
どのように予測しようとも、恐竜を絶滅させたような隕石が来たら終わりなのだろうし。

‘2020/08/02-2020/08/12


初めてでもグングンわかる経理・簿記のツボ


本書は、先日に読んだ「一番やさしい簿記」に続いて読んだ会計の一冊だ。

「一番やさしい簿記」は、仕訳について重きを置いていた。何度も何度も読者に仕訳の練習問題を解かせることで、基本を理解させることに重きが置かれていた。(一番やさしい簿記レビュー
おかげで私は、かつて取得した簿記三級の知識を思い出すことができた。

本書はより専門的に経理業務を解説した本だ。本書が取り扱う経理業務の範囲は、経理業務の全体に及んでいるように見受けられる。
本書はもちろん仕訳についての説明がなされている。だが、「一番やさしい簿記」に比べるとその割合は少ない。せいぜい、本書全体の五分の一程度だろうか。

その分、本書は、仮払いや取引、預金取引、手形管理、販売管理、与信管理といった各勘定科目の内容について説明する。

売上や仕入の管理、消費税や役員報酬、給与支払、保険給付、請求書、減価償却、固定資産の管理など、経理の業務には仕訳以外にも覚えることが多い。
「一番やさしい簿記」を読んでから、本書を手に取った私の順番は間違っていなかった。

経理の各勘定科目の種類。技術者としてクラウド会計ソフトを操るにあたっては知っておくべきだ。他のクラウドシステムと連携させる際は特にこの知識が求められる。
そうした意味でも本書は役に立った。
特に弊社が採用している会計freeeは、左右の貸方借方を釣り合わせる複式簿記とは違う設計思想で作られている。ということは、そもそもの貸方借方の概要を知っておく必要がある。
セミナー登壇、ブログ執筆、動画作成と私自身が会計freeeの解説者のような立場である以上は。

取引をどのように仕訳として連動させるのか。
会計freee内で導かれた最終的なアウトプットを、どのように他のシステムにつなげれば良いのか。
会計を扱う技術者として、覚えるべき知識は多い。

そこで疑問が生じる。
経営者としては、どこまで経理の実務に精通すべきか。
私のような半人前の経営者にとっては悩みどころだ。

当然、本来ならば経理も経理の専門家に任せるべきだろう。
弊社の場合、顧問税理士の先生に経理の処理はすべてをお任せしている。

経理のデータは経営上の判断のために必要だ。その元となるデータは仕訳の作業の積み重ねから生まれる。その仕訳処理は経理ソフトやクラウド会計ソフトが自動的に行ってくれるようになった。
さらに、上に挙げた各勘定科目の内容については、税理士の先生がすべてを取り仕切り、しかるべき科目に振り分けて決算資料に導いてくれる。

では、経営者が本書から学ぶべき内容はどこにあるのだろう。
技術者として本書から得るべき要は何なのだろう。

経理の実務に経営者自らがあたる必要はない。それにもかかわらず経営者は、その勘定科目が何を表しているのか程度の最低限の知識は持っておくべきだと思う。
なぜなら、財務諸表は会社の状況を見るために欠かせない項目だからだ。
財務諸表の各勘定科目が何を意味しているのかわからなければ、会社の状況もわかるはずがない。
そして会社の状況が把握できなければ、会社を誤った方向へと進めかねない。それは経営者としての命取りとなる。

だから本書を読むことで、経営者は経理の実務よりも、勘定科目が何を対象とし、どういう目的で行われているのかを理解することが肝要だと思う。

当然のことだが、営業活動によって生まれた売上はすぐに入金とはならない。売掛金として収益に計上されるが、手元で自由に扱える資産にならない。
買掛金も支出になるが、負債にならない。
後日、入金があり次第、仕訳のルールに基づいてしかるべき勘定科目に記載される。売掛金は収益から資産へと。買掛金は負債から支出へと。

同様に、そのことは会社のキャッシュフローを把握する考えにもなる。
キャッシュフローを見誤って投資のタイミングを誤れば黒字なのに倒産してしまう。

また、投資する際も経理上の勘定科目の場所を間違えると、財務諸表で会社の財務に誤ったインパクトを与えてしまう。
もちろん、そうした事態を未然に防ぐために税理士の先生がいる。弊社も顧問料をお支払いしている。
だが、そこで顧問契約を結んでも、何をしてもらっているのかわからないようなら、支払う意味が半減する。
そうした意味からも、本書が扱う程度の知識は経営者として把握しておくべきなのだろう。

本書を読むきっかけとなったfreee & kintone BizTech Hackは四回に渡って催され、オンラインハンズオンの講師を二度、スタッフを二度務めた。任務は無事に終了した。
ハンズオンの中では、kintoneで作った取引データのステータスを請求まで進め、その時点でfreee上に取引データを作った。勘定科目を売掛金として。
ところが、参加してくださっていた税理士の方から、勘定科目は売上高の方が良いのでは、という意見をいただいた。
つまり、私自身の理解はまだまだ足りていない、ということなのだろう。
実際、上で偉そうに経営者が持つべき財務諸表の知識を語ったが、私が持つ経理の知識は足りない。私の財務の知識など、まだ個人の家計の延長でしかない。
経営者として学ぶべきことは多い。

さらに、私は技術者としてどういう知識を学ぶべきか。会計や経理の知識を今後どう学んでいけば良いのか。それをfreeeにどう活かしていけば良いのか。
それには経理や簿記を学ぶしか道はないと思っている。

その結果、私は簿記二級の取得にチャレンジすべきか。
そして、そもそも本書の内容に熟達すれば、簿記二級は合格できるのだろうか。

おそらくそうした点まで理解して初めて本書を読み切ったと言えるはずだ。
今の私にはまだまだ遠く及ばぬ域だ。

‘2020/02/18-2020/02/18


kintoneにシステム移したいんや


kintone Advent Calendar 2020の22日目の記事です。

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おかげさまで今年はkintoneの案件が大幅に増え、ありがたい限りです。引き続き、頑張っていきまっせ^+++^

さて、案件が増えたのはめっちゃうれしいんやけど、今年は今までと比べ、案件の傾向に少し変化がありましてん。その傾向っちゅうのは旧システムからkintoneへ移行する案件の増加ですねん。
もちろん、昨年までも移行案件は請けてました。でも、今年はC/S(Cliend/Server)型の旧システムからkintoneへの移行案件をぎょうさんご依頼いただきまして。その数はめっちゃ増えましたわ。

おそらく今後もこうした移行案件は増えていくと思てますねん。そやさかい今年のkintone Advent Calendarは7回目の参加にして、初めて連携開発ではなく、移行について書いてみようと思とります。
これからkintoneへのシステム移行を手掛ける方の参考になればうれしいねん。

システム移行の建前と本音

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システムを移行する目的はお客様によって千差万別です。
でも、システムを移行すると決断するのは経営層、少なくとも部署の責任者でっしゃろ?

この時、経営層と現場でシステムを扱う方の見る視点は違います。
経営層は人件費の削減や処理効率の改善に重きを置きます。一方で現場の視点は日々の業務の負担を軽減することと、業務を止めないことに向きがちです。

その時、建前上では業務改善を同時に行いながらシステム導入も行う、という意見が出ます。そりゃせやんなぁ。わてら提案側にとっても業務改善を錦の御旗に立てたほうが提案は通りやすいっちゅうもんで。

そやけど、往々にして現場の本音とは従来の業務フローを変えずに、なおかつ業務負担が軽くなることにあると思とります。業務改善によってオペレーションが大きく変わるのはいややなあ。新たなやり方になれるまでが大変やわ。てなわけで抵抗を覚えがちです。

わてがこの時に心がけとるんは、営業の相手である経営層や上層部とのお話がまとまったら、なるべく早いうちに現場の業務担当に挨拶し、現場の方とのコミュニケーションを増やし、現場の本音を伺いながら開発することですねん。
この時の建前と本音と取り違えると、あとあとまでボタンの掛け違いがえらいこっちゃになります。
また、営業目線でお客様の上層部とだけ話をしていると、現場のニーズが後から後から噴出してがっちゃがちゃになります。わては何度もこれでえらい目に遭っとります。

構築の順番

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現場の方にとっては、慣れ親しんだ旧システムからkintoneという未知のシステムに触れるわけです。不安になって当然やんなぁ。
そやからわてはkintoneの良さ、つまり現場の方々が簡単にシステムが触れまっせ、簡単に設定ができまっせ、ということを早めにご説明します。

このあたりは旧来のシステム開発のセオリーとは違いますわな。要件定義、内部/外部設計、コーディング、単体テスト、結合テストが終わったあたりでようやくマニュアルが用意され、ユーザー受け入れテストで現場の方が触る。それが旧来のシステム開発。

わてはkintoneの場合はより早いうちに現場の方に触ってもらうことを重視します。フィールドコードは触らんといて、プラグインやJavaScriptはいじらんといて、という点だけお願いし、あとは積極的に使ってもらいます
その結果、kintoneってうちらでも触れるんや、現場でもシステム開発に参加してええんや、という実感を持ってもらえればもうしめたもんですわ。
この場合の現場というのは現場の統括者ではなく、文字通り日次の業務で手を動かしている方全員のことやからね。

これで現場の方からkintoneへの警戒感や拒否感が取り除けて、システム開発へ参加しているという実感を持ってもろたら、kintoneのファンにだってなってもらえます。そうなればシステム導入の成功は約束されたも同然ですねん。

その時、最後になるまでシステムを見せへん、という手法は逆効果。
まず移行が順調にできていることを示すためにも、一番やりやすいマスタ系からアプリを作っていくとよろしおま。
マスタは業務の基本であり、なおかつマスタアプリ自体には複雑なロジックはそれほど必要ないよって、導入側にとっても取り掛かりやすいはずですわ。
あと、早めにお客様にシステムに関わってもらうことによって、kintoneが苦手な部分をわかってもらうのも重要!なんでかいうたら、システム導入間近になっての仕様変更で断れるからやねん。

また、フィールドの追加や編集も自在にできるkintoneの特性がお客様に喜ばれるのもこの時。もちろん、ビジネスロジックに関わりの少ないフィールドを除いてやで。
例えば分析用に得意先種別を増やしたいねん、というご要望にもさくっと対応できるkintone。このかっこええ姿をアピールするだけで、好感度アップは間違いなしや。

また、ここで現場の方に新旧両方のシステムにマスタの入力を行ってもらえれば、次に述べるデータ移行の手間が大幅に減ります。ほんまやで。

データ移行の基本

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kintoneへのシステム移行でいっちゃん肝心なんは、おそらくこの部分だと思とります。
kintoneはご存じの通り、簡単にアプリが構築できますやろ。そやから、元のシステムのデータの項目を再現するのはそれほど難しくない。そないに思うかたもおるんとちゃいますか?
ところが、ここを甘く見とったら後で苦労しますねん。

とくに、もともとのシステムの仕様で、マスタ上で管理する項目が制限されとったら要注意です。
入れたい情報を入れるべき項目がない。その場合、おうおうにしてお客様は備考欄にあれこれ詰め込みますねん。苦肉の策で本来ならメールアドレスやURLを入れるべき欄にまで雑多な情報を入れてしまいます。
kintoneでは簡単にフィールドを追加できまっしゃろ?でも、おうおうにして旧システムでは項目を追加するのに別途費用がかかります。だから、そないな状態になってしまうんですわ。
こうした雑多な情報がどこで管理されとるんか。その情報をkinotneのどの項目に移すんか。きちんと体系化されたデータとして活用したいんやったら、お客様ときちんと押さえとかなあきません。

次に、マスタをルックアップで呼び出す際の仕様は早めに定めとかなあきまへんで。御存じの通り、ルックアップでは関連付けるアプリを設定しますよって。
そしたら、コピー元のフィールドも設定せんならん。ルックアップフィールドではフィールドに文字を入力することで、候補を事前に絞り込むことができます。ただしコピー元のフィールドに設定した値に限りますけどな。

例えば得意先マスタの得意先コードを指定しておくと、マスタの得意先コードで検索が可能です。ですが、一度ルックアップフィールドをこさえた後にお客様から得意先名でも検索したい、と言われたらもうバンザイせなあきません。なんでかちゅうたら、コピー元のフィールドは一度設定すると変更でけへんよって。
もしどうしても変更の必要が生じたら、新たにルックアップフィールドを追加せんならんのです。もちろん古いルックアップのデータから新しいルックアップにデータを移さなあかん。そんなんいけずやんかぁ。

また、検索したい対象は得意先名だけに限りません。よくいわれるのは着信時の電話番号の末尾四桁ですわ。それ以外にもフリガナやらなんやら。つまり複数の項目で検索したいというご要望が出てきますねん。
この時は、わては検索キーっちゅう項目を設け、複数の項目の値を連結させとります。
この時はスペースなしでがっちゃんこしてまうとうまく検索がでけへんようになるから、半角スペースなどを間に挟んで連結するとよろしい。

さらに、その時は文字数にも気ぃ付けましょう。コピー元のフィールドに指定できるのは文字列(1行)です。
こちらのヘルプにも書かれとるけど、文字列(1行)の文字数に制限はあらへん。
ところが、今のページにはこうも書かれとったよね。
値の重複の禁止を設定すると、入力できる文字数が全角または半角で64文字までに制限されます、てな感じ。なんでやねん。

では、値の重複の禁止を設定せんかったらええんちゃうん?そう思いたなるやん?え?ならへん? いや、なってぇや。
なぜなら、ヘルプには以下のように書かとるからやねん。
既存のレコードを更新する場合、CSVファイルを読み込んで一括更新する方法が便利やと思うですわ。
けど、ヘルプにはこうも書かれとるねん。

こないな制限があったら、もうあかん。更新がでけへんのですわ。
APIで更新する場合も同じですわ。
ここのリファレンスにも。
システムの移行には、データの更新が欠かせませんわな。CSVで更新する場合も、APIで更新する場合も。
ルックアップ項目を更新するためには、値の重複の禁止せなあきません。ちゅうことは、連結した文字列の文字数が64文字を越えんようにせんならんのです。つまり、移行元のシステムの項目の文字数を考慮にいれなあかんちゅうわけですわ。難儀やなぁ。

もう一つ、移行にあたって注意しておかなあかんことがあります。
それは住所データの扱いです。日本の住所の場合、以下の4つの項目からなっとります。

  • 都道府県
  • 郡市町村
  • 住所(町・字・地番)
  • 建物・マンション名

これが旧システムでも四つに分かれとったら問題ないんよ。
そやけど、住所1、住所2という感じで二つだけのフィールドでしか管理されていない場合、えらいこっちゃになります。

なんでかゆうたら、それを分割する作業が発生するからですわ。分割?そんなんせんでええわ。てゆわれたかて、後々の分析のこと考えたらそうもゆわれへん。正味、お客様に後々の分析のことを考えてと提案してみたら、kintoneでは分割して管理するお客様が多いんですわ。
例えば旧システムの住所1に「東京都中央区日本橋2−7−1」。住所2に「東京日本橋タワー」の値が入っていたとしますやろ。そしたら、住所1から「東京都」「中央区」「日本橋2-7-1」を分割せんならんことになります。さて、ぼんやったらどないする?

わてはそんなとき、VBA(Excelマクロ)を活用しますねん。
その中でこちらのサイトを参考に正規表現から分割しますねん。
この正規表現をVBAの中に仕込んだら、都道府県と郡市町村と住所(町・字・地番)を分割できるんよ。
以下に簡単やけどコードを掲示してみたから、よかったらみてみて。必ず本番では使う前にテストしたってぇやぁ。もちろん当方では一切の責任は負われへんから。

Sub ConvertSplitAddressData()
    Dim regExp              As Object           '正規表現オブジェクト
    Dim strPattern          As String           '正規表現パターン
    Dim lngRowCounter       As Long             '行カウンター
    Dim intRegMatchCount    As Object           '結果
    Const clngMaxRowCount   As Long = 65535     '行の末尾
    Const cintTargetColumn  As Integer = 18     '結合された住所列番号
    Const cintPrefColumn    As Integer = 14     '結果の都道府県を格納する列番号
    Const cintCityColumn    As Integer = 15     '結果の郡市町村を格納する列番号
    Const cintAddressColumn As Integer = 16     '結果の住所を格納する列番号
    Const cintAnotherColumn As Integer = 17     '結果の建物を格納する列番号

    Set regExp = CreateObject("VBScript.RegExp")
    strPattern = "(...??[都道府県])((?:旭川|伊達|石狩|盛岡|奥州|田村|南相馬|那須塩原|東村山|武蔵村山|羽村|十日町|上越|富山|野々市|大町|蒲郡|四日市|姫路|大和郡山|廿日市|下松|岩国|田川|大村)市|.+?郡(?:玉村|大町|.+?)[町村]|.+?市.+?区|.+?[市区町村])(.+)"
    With regExp
        .Pattern = strPattern
        .IgnoreCase = True
        .Global = True
        For lngRowCounter = 2 To clngMaxRowCount
            If ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintAddressColumn).Value = "" Then
                Set intRegMatchCount = .Execute(ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintTargetColumn))
                If intRegMatchCount.Count > 0 Then
                    ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintPrefColumn).Value = Trim(intRegMatchCount(0).SubMatches(0))
                    ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintCityColumn).Value = Trim(intRegMatchCount(0).SubMatches(1))
                    If InStr(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), " ") > 0 Then                '建物以降が全角空白で分割されている場合
                        ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintAddressColumn).Value = Trim(Mid(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), 1, InStr(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), " ")))
                        ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintAnotherColumn).Value = Trim(Mid(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), InStr(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), " ") + 1, 100))
                    ElseIf InStr(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), " ") > 0 Then             '建物以降が半角空白で分割されている場合
                        ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintAddressColumn).Value = Trim(Mid(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), 1, InStr(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), " ")))
                        ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintAnotherColumn).Value = Trim(Mid(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), InStr(intRegMatchCount(0).SubMatches(2), " ") + 1, 100))
                    Else                                                                      '建物がないか続けて入力されている場合
                        ActiveSheet.Cells(lngRowCounter, cintAddressColumn).Value = Trim(intRegMatchCount(0).SubMatches(2))
                    End If
                End If
            End If
        Next lngRowCounter
    End With
    Set intRegMatchCount = Nothing
    Set regExp = Nothing
End Sub

データ移行の方法

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kintoneにデータを取り込む方法はいくつかあります。そやけど、だいたいはCSVによる一括登録・更新か、APIでの登録/更新かcli-kintoneの三択ちゃうやろか。
わてはCSV経由で取り込むことがほとんどですわ。
なんでかいうたら、APIやとHTTP Client Tool for kintoneを使う場合でも、何かのプログラムで書く場合でも、コードのマッピングの記述が面倒になるからやねん。
あと、一リクエストでも100件しか登録や更新ができないAPIの仕様制限があるやんか。そやから、100万件をこえるデータを移行する場合、一日のAPIリクエスト回数制限にも引っかかってしまうんや。
cli-kintoneは便利やねんけど、上と同じくマッピングの部分が手間なのであまり使用しとりません。ただ、余談すると、Bashとcli-kintoneを使った効率化は追及せなあかんと思とります。そやから弊社としてはcli-kintoneを使ったツールの作成ははよ進めよ思てます。
ただ、それでも画面上でマッピングを確認できるcsv取込の方が安全ちゃうかと思います。ここはよぉ考えてみてください。その時、旧システムが出すcsvの見出し項目名とkintoneのフィールドラベルは合わせといたほうが移行マッピングが圧倒的に楽になるで。

先に挙げた住所や備考以外にも、データの加工はあちこちのフィールドで発生しますやろ。それらはめっちゃ面倒やと思うねん。それらをチェックとか加工とかせなあかんから。例えば下のような感じやね。

  • 項目の値の中に半角カンマは入っていないか。
  • 項目の値の中にダブルクォーテーションなどは入っていないか。
  • 項目の値の前後に空白は入っていないか。
  • 旧システムから出力されたファイルの文字コードは統一されているか。(複数のシステムからそれぞれ出力して取り込む場合、Shift-JISとUTF-8が混在しているとkintone側で文字化けの恐れあり)
  • ルックアップの値はkintoneの関連付けるアプリの参照アプリのコピー元のフィールドに等しいか。
  • 電話番号や郵便番号、メールアドレスやURLの書式は正しいか。
  • 日付書式は正しいか。(元データがyyyymmdd形式の場合、空白セルがあると空白に変換してくれずエラーになる等)
  • データの重複はないか。
  • kintoneのラジオボタン/チェックボックス/複数選択/ドロップダウンの選択肢に等しい値のみが含まれているか。

もしでけるんやったら、VBAマクロやcli-kintoneなんかでツールを作ったほうがええと思うで。
あと、ツールの作成と簡単に書いとるけど、旧システムによって項目がまちまちなんは、わかりますやろ?旧システムごとに工数と時間を使うから、わては移行ツールの作成には消極的で、あまりやってへんかったわ。

そやけど、毎度Excelの関数を駆使して移行データを作るんはもうしんどい。わても実は今年手掛けた数々の移行の中で、一つだけめっちゃ苦労した移行がありましてん。それをしおに、めんどいかもしれんけど、移行ツールを作ったほうがええなぁと痛感しましたわ。

ただし、早めにマスタの項目を固め、マスタアプリを作り、初回のデータ移行がでけたところで、それ以降は本番までお客様にマスタデータの入力をしてくれまへんやろか?とお願いしたほうがよろし。もしそれがでけたらマスタの移行ツールはいらんからね。
ま、それでもトランザクションデータの移行に関しては何かしら作らんといかんけどね。

なんでかいうたら、マスタのデータは生き物やねん。お客様によってガーっと追加され、あちこちでバァーっと更新されますやろ。
しかも住所の更新が起こるし、しかも項目が連結されている住所データやったら、さっき書いたみたいに分割の作業が毎度いるんでっせ?
それに、本番移行直前でせーので一回でガバっと取り込めば済むほどシステム移行は甘いわけやあらへん。

もちろん、どっかの時点で初回分を取り込み、定期的に差分データを取り込み、最後に移行日までの残り差分がきれいに取り込めた場合は楽ですわ。そやけど、そうした移行の運用ができるのは、こっち側が旧システムにアクセスできる場合だけやねん。

遠方のお客様で、しかもVPNでつながれへんような旧システムの場合、データの取り出しはお客様にご依頼するほかありませんやろ。
お客様のやり方によっては項目に抜け漏れがあるやろし、項目の順番が違っていたりします。ましてや差分データの時間の基準もあいまいになってしまいますねん。そやから、きれいなデータを毎度もらえないと考えなあきません。
そやから、移行ツールを作らんでええ場合は、旧システムにこちらから簡単にアクセスできる場合に限ったほうがええね。もしそないにアクセス出来るんやったら、毎回Excelのフィルターや並び替えや置換などを駆使しても円滑に移行できると思うけどね。
ただ、実際はそうでない場合が多いから、そないなリスクを考えたら、最初に工数と時間をかけてでもお客様専用の移行ツールを作り、それを運用したほうが格段に楽やと思うんやけどどない?

データ移行のTIPS

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なんぼかTIPSを列挙しておきますわ。

  • データの本番移行までは、取り込み時には変更履歴はオフにしといたほうがええで。
    設定は、アプリの設定→高度な設定→変更履歴のチェックを外す。
    そうしないとサイボウズさんに注意されまっさかい。また、変更履歴だけで契約のディスク使用量を軽く超過してしまいますねん。(一度、うっかりしていて100万件のデータを何度も取り込みなおし、サイボウズさんに注意されてもうた。※EvaCamp 2020で言いそびれた失敗談の一つ)
  • 可能であれば、本番移行後は旧システムのトランザクションデータ(売上や仕入などの伝票データ)は、kintoneでも別アプリにした方がええで。
    しかも、旧システムのトランザクションデータのフィールドはルックアップをなくし、文字列(1行)と数値のみにしといたほうが楽やで。なんでかいうたら、過去分のデータはマスタデータの変更などで古い値として入っとるからやねん。過去のルックアップはその時のマスタデータの値を再現して保存しといて、てな具合にご要望もろたら、移行作業はめっちゃごっつい苦行になってまう。さっきも書いたけど、ルックアップのコピー元のフィールドはマスタにある値やなかったらエラーになるからね。そやから、ここは初めのころに決めておいた方がええかも。
    旧システムの部分については別アプリに分け、ルックアップを外してしまえば、旧システムの生データをそのまま取り込むだけ済むさかい、ごっつい楽ですわ。
    そやけど、一つだけ注意しとかな。アプリを分けた場合、新旧両方のアプリをまたいだ分析に対応できませんやろ。その場合は、自分でカスタマイズビューを作成するか、トヨクモさんのDataCollectのようなプラグインを活用するとよろし。便利でっせー。
  • 添付ファイルの移行が必要な場合は先にも挙げたcli-kintoneを使うとええで。また、要件定義の段階でDropboxやboxなどのオンラインストレージの移行を提案しとったら、kintoneではそちらのストレージとの連携を行えばええから、あんじょういきまっせ。
    オンラインストレージへのデータ移行と整理作業は、お客様にお願いしといたほうがええやろし。
    2019年のわてのAdvent Calendarもご参考にしたってやー。
  • C/S側の旧システムは、たいがいレイアウトが小さくまとまっとるやろ。それに比べるとkintoneのフラットデザインは、項目の間の余白もがっつりとられとるし、そこは一目で情報が見られる旧システムに劣ると思われるかもしれへん。
    無理やりJavaScriptでレイアウトを調整したったりもしたけど、それはあんまり本筋のやり方ちゃうしなぁ。
    これも早い段階で現場の担当者と話を詰めといたほうがええで。
    あ、もう一個。デザインについてはkintoneのアプリの設定→デザインテーマの設定でブラックを選ぶとお客様の印象が変わるかもしれんで。一度試すとよろしおま。
  • Excel上でデータの加工を行う時、何使てます?フィルタ? もしそやったら、スライサーの機能とか試すと幸せになれるで。
    スライサーはこの記事が参考になるんちゃうかな。
  • kintoneの難儀な仕様ってあるやんか。例えば英単語の一部分の文字だけで検索でけへんとか。
    ヘルプにもこない書かれとるし。
    もしそれやったら、Excelのフィルタ使たらええねん。まあJavaScriptで
    一文字検索の機能を作ってもええし、プラグインでもええのんあるけどね。
  • C/S側の旧システムのユニークの項目は早めにお客様と共通認識をもっといたほうがええ。さっきも書いたけど、お客様からデータをもらう際は、旧システムのデータ出力方法を把握して、その設定や出力操作は完全に共通認識をもっといたほうがええ。あと、これも上で書いたけど、旧システムのデータを先に修正できるのならお客様に頼んで修正しといたほうがええ。

まとめ

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ちゅうわけで、本記事は皆様のkintoneへの移行のお役に、そしてご参考になればよろし思ぅて書きました。もちろん、これは弊社にとっても参考にすべき自社のノウハウですわ。
弊社も今年は一件、移行で苦労した案件がありましてん。だからこそ、一度ノウハウを言語化すべきやなぁと思ったんよ。それがきっかけです。
また、弊社の新規の案件の際にもお客様にも読んでもらお思ぅて、ここで知見を共有したいと思います。
なので、今後も折をみてアップデートを重ねていこうと思います。よろしゅうお願いいたします
また、こんなTipsや失敗談などありましたら、ガァーっとご意見をお寄せください。また本稿の内容に不備があった場合も遠慮せんとご指摘ください。

本稿が旧システムからkintoneへの移行をお考えの皆様にとってちょっとでも手助けになったら幸せやわ。


Cybozu Days 2020に三日間出展しました


2020年11月11日から11月13日まで幕張メッセで催されたCybozu Days 2020に弊社も出展いたしました。https://cybozuconf.com/

今まで、弊社はCybozu Daysも含め、あらゆる展示会に出展した経験がありませんでした。
そうした経験の不足に加え、今回は世の中がコロナウィルスに振り回されています。そんな世相の中、そもそもCybozu  Days開催されるかすら定かではありません。
さらに、多数のkintone案件を受注し、開発に従事していた弊社にとって、並行してCybozu Daysの出展準備などとても無理。そう思っていました。

そう思っていた一方で、昨年のDaysの後、サイボウズオフィシャルパートナーとして任命いただきました。また、長らくエバンジェリストとして任命されていながら、ステージにも立ったことがなければブース出展の経験もなかった私。いつもオーディエンスのままだったことに自分でも飽きたらないものを感じていました。
パートナーになってブース出展の資格を得たところで、一つブース出展をやってみようか。
ところが弊社は、kintone連携ソリューションを持っていません。ブースに出展しても、出せるのはパートナーとしての開発実績か、エバンジェリストとしての立場のみ。そんな手持ちの札が少ない状態でブースを出展したところで、会場の隙間を埋めるだけに終わってしまうのでは、と懸念していました。

そんな私に心強い助っ人が。
Polaris Infotech社の情報親方こと東野さんです。
https://www.polarit.co/

kintone界隈の方々には、サイボウズ社が発行しているkintone導入ガイドブックはおなじみですが、そのコンテンツは東野さんによって作られています。
さらに東野さんは、新規技術やガジェットを導入するのが好きで、その進取の気性は、私をはるかに上回っています。
弊社はサイボウズオフィシャルパートナーであり、出展資格を持っていますが、Polaris Infotech社はパートナーでないため出展できません。

二社が共同出展することにより、互いに足りないところを補い合い、なおかつ二社にとってWin-Winの結果が見込まれる。
そんなわけで、共同出展に踏み込みました。

二社で共同出展することにしたとはいえ、来場者の目を引くにはもう一つ決め手が薄いことは否めません。なにしろ、kintone界隈で著名な連携サービスを持っていないのですから。そのような状態で出展するには決め手が足りない。もう一つ柱が欲しい。

そこで東野さんが提案したのが、アバターによる音声応答のソリューションです。
名古屋のRAKUDOさんが運営するAI Interfaceというサービスがあります。
https://www.ai-interface.com/
http://rakudo.io/homepage/
AI Interfaceが備える音声応答のソリューションの背後にkintoneを組み合わせれば、音声による応答を実現しつつ、背後のデータベースも備えられる。しかもkintoneの場合、簡単にデータベースが構築できる。より良いソリューションになるはず!

そんなわけで、他の案件との並行に疲弊しながらでしたが、アプリの連携に成功しました。

あとはブースの展示パネルやちらしや名刺の手配です。ここは出展経験を持つPolaris Infotechさんの経験に全面に依存しながら、無事に当日に間に合わせることができました。東野さんには感謝です。
スタッフも両社の関係会社やビジネスパートナーさんにご協力を仰ぎ、三日間で延べ11名のスタッフに手伝っていただきました。皆さんにも感謝です。
また、二日目の最後のほうにこうした素敵な動画を撮影し、すぐにYouTubeにアップしてくださったキンスキの松井さんにも感謝です。

こうして三日間の出展を無事終え、感じることは来場者の皆さんへの感謝です。
沢山の方が訪れてくださいました。埋め草ブースどころか、私たちの思った以上に。
二社の知己の方はもちろん。弊社が過去に手掛けさせていただいたお客様や、私が前月に登壇したセミナーで私に興味を持ってく出さった方や、サイボウズ社員の方など。
もちろん、初めてお会いする方も多くが私たちのブースに立ち寄ってくださいました。

もちろん、無名の私たちのブースは、ほとんどの方にとっては興味を引く対象になりえず、一瞥して通り過ぎてしまう方も多かったです。
それでも、私たちのブースに目を止めて下さった方がいたことは、とてもありがたく思いました。

なぜ目にとめてくださったのか。kintone連携ツールのパネルが掲げられてもおらず、ノベルティで客引きできるほど資金力もない我々のブースに。
それはおそらく、アバターの画面がブースの中で異彩を放っていたからでしょう。
アバターの女の子にならんで検索の応答結果として東野さんの顔が大きく映し出されたディスプレイ。それはなかなかのインパクトでした。東野さんの打った手が見事に功を奏しました。

今回のCybozu Days 2020は、EGO & PEACEというテーマでした。
わがままと平和。
その一見すると相反する二つのテーマは、今の多様化が求められる社会において、誰もが両立に悩んでいます。

私にとっても同じです。今までの私の生涯は、まさにEGOを追い求めてきたものでした。
ラッシュがいやだ、毎朝毎夕の通勤の繰り返しがいやだ。それは間違いなくEGOです。
では、そのEGOをどうやって実現し、人に迷惑をかけずに自分にとって平和な毎日を呼び入れるか。

そもそも私がなぜkintoneのエバンジェリストになっているか。
その主な理由は、こうしたサイボウズ社の理念に共感していることです。
毎年のCybozu Days で打ち出されるテーマが、私にとって刺さります。
今年もそれは変わりませんでした。

ただ、今年はブースに三日間のほとんどを立つことに決めており、セッション聴講はあきらめていました。
ですが、三日目のセッションが聞けたのはうれしかったです。(初日のkintone Hackもほぼ見ることができました)

まさにそこで展開されていた議論は、私と弊社の抱えるテーマに即しており、そうした場に出展社として参加できたことがとても誇らしかったし、得るものが多かったです。

弊社は大阪のCybozu Days 2020には出展しませんが、私は登壇のために初めて参加する予定です。今から楽しみでなりません。

最後になりましたが、来場者の皆さん・サイボウズの皆さん・弊社ブースのスタッフの皆さん・東野さん。ありがとうございました!


七日間ブックカバーチャレンジ-かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編


【7日間ブックカバーチャレンジ】

Day5 「かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編」

Day5として取り上げるのはこちらの本です。

私は、もう20年ほど技術者としてお仕事をしています。
開発センターでシステムの開発やテストに従事していた時期も長いです。銀行の本店でも数年間、常駐していました。
ここ数年は、5年近くkintoneのエバンジェリストとして任命をいただいております。
個人事業の主として9年、法人を設立してからは6期目に入りました。
その間、システム・エンジニアを名乗って仕事を得、妻子を養ってきました。

そんな私ですが、システムは誰からも教わっていません。
全て独学です。
高校は普通科でしたから、パソコンはありません。大学は商学部で、パソコンルームはあった気がしますが、私は無関心でした。一度だけ5インチのフロッピーディスクに一太郎で作った文章を保存する課外授業をうけたぐらい。
大学の一回生の頃に、ダブルスクールに通っていましたが、そこで学んだ事で今に活かせているのはブラインドタッチ。Basicの初歩も学んだ記憶はありますがほとんど覚えていません。
大学を出た後、一年近く芦屋市役所でアルバイトをしていた頃、出入りしていた大手IT企業のSEの方から盗み取ったマクロからここまでやってきました。

そして私は新卒で採用された経験も、真っ当な転職活動の経験もありません。ですから、企業で研修を受けた経験もほとんどないのです。

システム・エンジニアとして働く常住現場で、悠長にプログラミングを教えてくれる人などいません。誰もが忙しくコーディングや設計に追われている中、そんな間抜けな質問をしたら退場させられてしまいます。

そんな私がどうやってプログラムを学んだのか。
本書のような入門書からです。

私の場合、キャリアの初期に開発現場ではなく、オペレーションセンターで働き、某企業でシステムの全権を任してもらえるという幸運もありました。

試行錯誤しながらExcelの複雑なワークブックやシートやセルを操り、毎朝のタイトなスケジュールを縫って資料を作る。
Excelのマクロを駆使しなければ、とてもやり遂げられなかったでしょう。

本書は基礎編ですが、応用編とコントロール編も含めて何度も当時読み返したものです。私にとってプログラミングを学ぶ上でこのシリーズには大変お世話になりました。

特に、行列の二次元だけでしかExcelを理解していなかった私を、本書は三次元、四次元といった高次のレベルに引き上げてくれました。スカパーのカスタマーセンターで当時の部下だった元SEの女性にもヒントもらったのが懐かしい。
あれこそまさにブレークスルーの瞬間でした。

かつて、システムを扱うにはプログラミングやデータベース、ネットワークの知識が必須でした。
ですが、昨今のシステムにはそうした知識が不要になりつつあります。クラウドシステムやノンコードプログラミングの普及によって。
そして、ビジネスの現場で働く人にこそ、プログラミングの初歩的な理解が必要になる。そんな時代はすでに始まっています。

Excelマクロは、処理を自動的にマクロとして記述する仕組みがあります。それと本書を組み合わせると、システムの初歩の概念を学んでいただけるのではないでしょうか。
本書はプログラミングに不得手なビジネス現場のオペレーターの皆様にこそ読んでほしいと思います。

それでは皆さんまた明日!
※毎日バトンを渡すこともあるようですが、私は適当に渡すつもりです。事前に了解を取ったうえで。
なお、私は今までこうしたチャレンジには距離を置いていました。ですが、このチャレンジは参加する意義があると感じたので、参加させていただいております。
もしご興味がある方はDMをもらえればバトンをお渡しします。

「かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編」
単行本 ソフトカバー:351ページ
大村あつし(著)、技術評論社(2004/3出版)
ISBN978-4-7741-1966-3

Day1 「FACTFULLNESS」
Day2 「成吉思汗の秘密」
Day3 「占星術殺人事件」
Day4 「ワーク・シフト」
Day5 「かんたんプログラミング Excel VBA 基礎編」
Day6 「?」
Day7 「?」

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
7日間ブックカバーチャレンジ
【目的とルール】
●読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する
●本についての説明はナシで表紙画像だけアップ
●都度1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする
#7日間ブックカバーチャレンジ ##かんたんプログラミング


2018年のまとめ


今年もevernoteで下書きをこしらえ、弊社ページにて一年のまとめを書きます。

総括すると、2018年は公私ともに充実していたと思います。ようやく自分の時間を自在に扱えるようになりつつある。そんな手応えを感じた一年でした。ですが、今の状況に安住する愚は犯してはなりません。そこには痛切な課題も潜んでいます。達成度6割。達成感7割。満足感8割というのが自己採点です。2018年の私および弊社とご縁をいただいたすべての方々に感謝します。ありがとうございました。

公私の「公」

●弊社の業績
§ 総括 目次 今年度は売上だけで考えれば、過去最高の実績を上げられそうです。今期はあと三ヶ月残っていますが、売上見込みも粗利見込みもたっています。何とか黒字も達成できそうです。が、一概に喜ぶわけにはいきません。その売上の中にはSES(システム・エンジニアリング・サービス)契約に属する業務も含んでいるからです。上半期に顧問税理士の先生のもとで今季の収支予測を立てたところ、このままの粗利率と売上では赤字が避けられない、との結果が出ました。そこでSESとは一線を画した営業チャネルを構築しました。その結果、ある程度の成果が得られつつあります。そして弊社リソースでも技術力で複数の案件をこなし、上流工程から関わることで粗利を確保する。今期はそのめどが立ったことが大きいです。ただ、弊社の財務状況が脆弱である事実には変わりありません。今の好況も後もって二年でしょう。そのためには弊社の利益体制も変革することが喫緊です。今、弊社では、来季に向けての体制を構築すべく動いています。

§ 業務パートナー 目次 実は昨年度、業務パートナーを増やし、ある程度の自由と自発に委ねました。それは見事に失敗しました。今年の初頭にもその余波が残っており、弊社に影響を与えました。その反省を痛烈に受け止めました。そして対策を打ちました。
それは、弊社内のリソースで売上を上げつつ、パートナー企業様もごく一部に絞る方策です。ただ、その売上の一部は、上に書いた通り、SES業務によるものです。SESに手を染めると売上は確保できますが粗利は下がります。それはつまり弊社の抱える労力ではなく、外部から調達した労働力を紹介し、仲介料を得る業務だからです。 また、SESは技術者派遣の一種ですからノウハウは技術者にこそたまれど会社のノウハウになりにくい欠点があります。また、SESは一度手に染めると売り上げがたつためそこに頼りがちになります。さらに会社の業務構造がSESに頼ってしまい、抜け出すのが難しくなります。言い方は悪いですがSESとは企業経営にとって麻薬のようなものだと思っています。エンドユーザーが支払う額と、末端の技術者が受け取る差額がどれだけなのか。その差異は暗黙の了解でうやむやになっています。ところが技術者本人の立場からするとそのギャップは大いなる矛盾として身をさいなみます。弊社代表も長らく末端で派遣される側であったため、その矛盾にもがきました。SES業務にそのような矛盾が内包されている以上、将来性も見込めないし、弊社としても粗利は見込めない。ですから弊社としてはSESは最低限に抑えるつもりです。
また、弊社自身が多数の会社から案件の発注先にお選びいただきました。ありがとうございます。その中で開発パートナーとして契約を結んでくださったイノベーション・プラス様とのご縁は来年大きく成果につなげたいと考えております。

§ 開発案件 目次 昨年の反省として、バラエティに富んだ開発案件を請け過ぎました。それを見直すため、携わる作業分野をかなり絞りました。そしてその分、提案にかなり力を注ぎました。それが功を奏し、新規kintone案件が複数受注できました。また、上にも書いたとおり、粗利を増やすため、弊社代表が関わる案件を増やしました。弊社代表の持ち時間は一日24時間しかありません。限られた時間を効率的に使えるような案件に絞る。その取り組みが功を奏した一年でした。
また、人脈作りにも力を入れた事が結果にも返ってきています。今年ご縁のあった方からの大型kintone案件も受けられるようになっています。来年以降の業務にもよいお話をいただけています。弊社代表は今年もkintoneエバンジェリストに継続して任命されており、DevRelJpで教わったTwitter活用で積極的な発信を行わせていただいております。年末にはkintone Advent Calendarに四年続けて参加し、ライフログをkintoneで活かす記事を書きました。
来年、さらにkintoneの案件のニーズは増えるでしょう。それはkintoneのサードパーティ製プラグインの充実を凌駕し、kintone専属エンジニアの仕事を絶やさないはず。引き続きそうした案件の新規受注を増やし、少しでも安定的な案件を増やす。これは必ず達成すべき課題だと思っています。
また、開発案件を絞ったとはいえ、開発に限れば新たな挑戦や勉強にも取り組んでいます。例えばIoT開発の案件。NFCリーダーを活用したプロトタイプアプリを作成してテクニカルショウヨコハマ2018に出展するネタを作りました。MONACA上でビルドし、モバイルアプリとして動かす案件にも二つほど携わりました。他にもnode.jsやPythonも勉強し、PythonフレームワークのDjangoとAWSのEC2やAURORAと組み合わせたソリューションとして結実させています。言語環境や開発環境については日進月歩の業界なので、勉強し続けなければなりません。停滞は許されませんので。

§ 業務基盤の堅牢化 目次 昨年度から取り組んでいるこの課題こそ弊社の一番の悩みです。昨年、個人事業主時代からずるずると続けていた家計と法人の財布の混在を完全に分け、資産表や収支表はきっちり顧問税理士の先生に管理していただいています。が、まだ改善すべき点が多いです。引き続き財務の正常化が弊社の今後を大きく左右すると認識しています。同時に、経営計画や事業計画書の策定にも取り掛かっています。来季は弊社の体制の変革も考えており、より家計と会社の分離を進めて行く予定です。今年はIT導入補助金導入支援事業者にも選定されました。そこで得た信用をより厚くしなければ。

§ 社内体制 目次 弊社の弱点は財務のほかに、私一人が実質的な経営者と作業者を兼ねていることです。ここをどう突破するかが個人事業主と企業経営者の壁でもあります。この壁を破るため、次なる体制構築を秋ごろから構想し始めています。年の瀬からは一部動き始めています。これが来年どう形になり、どう実るか。

§ 2018年度売上見込み 目次 上記の通り、SESの割合が高くなったとはいえ、SES以外の業務でも過去最高の売上のめどは立っています。今のペースを続けられれば、決算でも2017年度の実績より上回れる見込みがつきました。ただ、残り三カ月の努力が重要なのは言うまでもありません。

§ 人脈の構築 目次 今年は登壇も含めて露出および交流を増やそうとしていました。名刺コレクターに堕することなく、有効な人脈の構築に専念する。その結果、重要なステークホルダーの方とのご縁が多々作れました。Facebookを見る時間は一日に5分程度ですが、Twitterでの露出も増やし、焦点を定めた交流を心がけることで有効な営業チャネルがたくさん作れました。それが今年の充実した活動に繋がったと思っています。来年度も今年のノウハウを活かしつつ、引き続き新たなご縁をいただければと思っています。単なる仕事上のつながり、SNS上のみつながりだけでなく双方に良い関係を。ただ、代表個人の時間には限りがあり、お誘いしてもらったイベントの多くに参加できていません。この点は申し訳ないと思っています。

§ 対外活動 目次 2017年度は登壇の機会がほぼありませんでした。それを反省点として、今年は登壇の機会を増やしました。合計4回。まず5月のサイボウズ社にてチーム応援ライセンス開始記念セミナーに。「チーム応援ライセンス開始記念セミナー」「弊社ブログ」「「自治会こそITが必要!!」20種類を比較検討したIT顧問の選択
一番最後のサイボウズ社のブログに掲載のエントリーは、「自治会 IT」で検索すると一番に現れます。実はこのフィールドでも弊社は有利な位置におり、今後もこの有利さを活かした取り組みを考えています。
残り三つの登壇は、全てEBISU Tech Nightというイベントにおいてです。六月、九月、十二月と登壇して参りました。このイベントでは自分の中でも話し方や内容についてよい訓練の機会となりました。機会を与えて下さった運営の方々には感謝しかありません。
もう一つ今年の活動として代表が出身の関西大学の四回生向けに社会人の経験を語るイベント「東京知ル活」にもOBとして参加しました。少々、身もふたもないことを言い過ぎたかもしれませんが。
他にもさまざまなサービスのエバンジェリストの方が集まるDevRelJpに二回参加し、その両方で自己紹介のLTを披露させていただきました。また、cybozu Days 2018の前々日に行われたkintone evaCampでも他社サービスのエバンジェリストの方とご縁をもらい、とてもよい刺激を吸収しました。Cybozu Days 2018に初めて両日とも全て参加したのも今年です。
他にもイベントや勉強会、セミナーなどあれこれと参加させていただきました。「国際ファッションセンター新年会(1/11)」「荒川区ビジネスプランコンテスト(2/16)」「技術者交流会(3/30)」「ワイン&グルメ ジャパン2018(4/11)」「Zoholicsセミナー(4/18)」「IoT分科会(4/20)」「クラウドコンピューティング EXPO(5/10)」「東京知ル活(5/11)」「NPO応援ライセンス開始記念セミナー(5/16)」「AWS Summit Tokyo 2018(6/1)」「BNIバンブーチャプター代理出席(6/5)」「【ハンズオンセミナー】アプリにプッシュ通知を組み込もう!(6/6)」「Prezi Night Tokyo Ⅶ(7/13)」「kintone devCamp (8/2)」「Twilio ビジネスセミナー(8/23)」「kintone Café Tokyo(8/29)」「Smart Communication Award 2018(9/21)」「AWS Loft Tokyo オープニングパーティー(10/1)」「ハロー職1(10/7)」「DevRel Meetup in Tokyo #35 〜ソーシャル〜(10/10)」「墨田区地域クラウド交流会(10/19)」「Cybozu Days 2018(11/7-8)」「kintone Café Japan 2018(11/10)」「プロ向け勉強会 #1「AWSでWordpressを使うときのトラブル回避術<(11/15)」「技術者交流会(11/23)」「徳丸浩のセキュリティセミナー WordPressの運用時に注意するセキュリティについて学ぼう!(11/29)」「定着率・求人応募率アップ!紙芝居で学ぶユニーク会社制度セミナー on Zoom(12/1)」「DevRel Meetup in Tokyo #37 〜忘年自己紹介大会〜(12/5)」
こうした場に参加することは、自分の知見を高めるだけでなく、そこで得たご縁が次の仕事につながるため重要です。あらためて今年はそのことを感じました。ただし、今年の私ができなかったことがあります。それはイベント主催です。幹事すら一度もやっておらず、これはとてもよろしくない。kintone Café 神奈川は何度か開催のご要望ももらっていたのですがタイミングを逸してしまいました。来年は何か主催をせねばならないと思っています。

§ 執筆活動 目次 昨年からCarry Meさんの運用する本音採用でブログ「アクアビット 航海記」の連載がcarry meさんの編集方針と合わず、三月で連載が終わってしまいました。ところがこの連載、思った以上に各方面に読まれております。また、39回で中断した時点で、独立から起業に至る肝心な所は書けていません。これはどこかで発表の場を作りたいと思っています。
本のレビューは104本(相撲の歴史まで)、映画のレビューは8本、観劇のレビューは3本アップできました。また、12月には上に書いた通りkintone Advent Calendarに参加しています。その他の仕事に関したブログは23本。計138本のブログをアップしました。2018年も書くことへの情熱が尽きることなく可能な限り書けた一年となりました。ただし、書いた内容はまとまった形にできていません。来年、何らかの成果として世に問いたいと思っています。

§ 妻のココデンタルクリニック 目次 妻のココデンタルクリニックは、新患さんも増えてはいるようです。が、2018年度は妻自身が別のお仕事に忙殺されてしまい、傍から見ていてもとても診療室経営に専念できているとはいえませんでした。それは、昨年と同じく私の気分を大きく乱しています。残念ながら来年もその状態は続くでしょう。妻には妻の人生があるので、やりたいことはさせてやりたいとは思っているのですが・・・私が患者さんを紹介するなどして、診療所経営に専念させるようにしなければ、と思っています。

§ 年表 目次
 ・1月お仕事
  

自治会のIT化打ち合わせ、両国の国際ファッションセンター入居者の新年会、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・2月お仕事
  

新宿でサイト作成打ち合わせ、横浜のサテライトオフィスで作業×2、テクニカルショウヨコハマ2018、虎ノ門で商談、半蔵門で打ち合わせ、Yahoo LODGEで仕事、ブロックチェーンの開発打ち合わせ、荒川区ビジネスプランコンテスト、となりのkintoneインタビュー、戸塚で司法書士の先生と打ち合わせ、Stockのサービス提供元へ訪問、SYNQAで作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・3月お仕事
  

税務署訪問、堺筋本町で商談、三宮で飲み、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、新宿御苑で打ち合わせ、Mass×Massで商談、妻のパソコン購入、横浜西口で商談、横浜で商談、渋谷で商談、成田空港で商談、横浜薬科大学で商談、戸塚で司法書士の先生と打ち合わせ、パートナー企業の皆さんと飲み、技術者交流会、パートナー企業様と飲み、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・4月お仕事
  

技術者さんと経堂で飲み、太田ふ頭で商談、コワーキングスペース町田で作業×2、中川で商談、ワイン&グルメジャパン2018、旧常駐先で飲み、BitClubセミナー、Zoholicsセミナー、町田法務局訪問、川崎で商談、IoT分科会、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、日本橋で商談、丸の内で商談、IT導入補助金導入支援事業者採択、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・5月お仕事
  

Mass×Massで商談、横浜のサテライトオフィスで作業、クラウドコンピューティングEXPO、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、関西大学東京センターで知る活参加、渋谷で技術者さんたちと飲み、中川で商談、ココデンタルクリニック看板塗り、NPO応援ライセンス開始記念セミナー登壇(サイボウズ社)、西浦和で商談、パートナー企業の皆さんと暑気払い、両国で商談、渋谷で技術者さんと飲み、成田空港で商談、EBISU Tech Nightに参加、明治記念館で脳外科篠浦教授講演会、岩本町でデモ拝見、秋葉原でランチミーティング、SYNQAで作業、丸の内で商談、狛江で商談、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・6月お仕事
  

月島で商談、月島で打ち合わせ、AWS Summit Tokyo 2018、Mass×Massで商談、大阪府立大学同窓会打ち合わせ、BNIバンブーチャプター代理出席、半蔵門で商談、月島で商談、MONACA×ncmbセミナー、鷺沼で商談、渋谷で商談、太田ふ頭で作業、IT導入補助金導入支援事業者向けセミナー、浜町で商談、EBISU Tech Night登壇、荏原で商談、荏原町で打ち合わせ、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、町田市役所訪問、町田税務署訪問、町田市立図書館で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・7月お仕事
  

渋谷で商談、旧常駐先の方と呑み、両国で商談、Mass×Massで商談、お客様と飲み、Prezi Night Tokyo Ⅶ、町田市立中央図書館で作業×2、EBISU Tech Night参加、新羽で商談、両国で商談、和光大学ポプリホール鶴川で作業、センター南で商談、横浜のサテライトオフィスで作業、Mass×Massで商談、井土ヶ谷で訪問、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・8月お仕事
  

kintone devCamp 2018、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、丸の内で作業、丸の内で商談、月島で商談、新羽で商談、青山一丁目で商談、鶴川駅前図書館で作業、丸の内で作業、技術者さんと飲み、丸の内で作業、飯田橋で商談、丸の内で作業、八重洲で商談、二子玉川で商談、丸の内で作業、新宿で商談、飯田橋で商談、Twilioビジネスセミナー Vol.53、外苑前で飲み、警視庁遺失物センター、飯田橋で商談、技術の先輩とサシ飲み、丸の内で作業、渋谷で商談、飯田橋で商談、kintone Café Tokyo vol.7、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・9月お仕事
  

飯田橋で商談、鶴川駅前図書館で作業×2、ときわ台で商談×2、新宿で商談、Mass×Massで商談、東京ガーデンテラス紀尾井町で作業、パスポート申請、立川まんがぱーくで作業、両国で商談、SYNQAで作業×2、Smart Communication Award 2018、EBISU Tech Night、四谷三丁目で商談、丸の内で商談、四谷三丁目で商談、月島へ書類届けに、AWS にてスタートアップフォロー、目黒で商談、上野で商談、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・10月お仕事
  

AWS Loft Tokyoオープニングセミナー&パーティー、浜町で商談、両国で商談、横須賀で商談、ハロー職1観覧、渋谷でDevRelJp、パスポート受け取り、パートナー企業の皆様で飲み、墨田区地域クラウド交流会、曳舟で飲み、渋谷で商談、AWS Loft Tokyoで作業と商談、旧常駐先の方と池袋で飲み、神田で商談、八丁堀で商談、SYNQAで作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・11月お仕事
  

渋谷で商談、パートナー企業で呑み、飯田橋で商談、SYNQAで作業、八丁堀で商談、日本橋で商談、Cybozu Days 2018×2、お客様と幕張メッセで商談、渋谷で商談、kintone Café Japan 2018、青山一丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、新宿で商談、両国で商談、AWS Loft Tokyoで作業、築地でプロ向け勉強会 #1「AWSでWordpressを使うときのトラブル回避術」、日本橋で商談×2、AWS Loft Tokyoで商談と作業、渋谷で商談、技術者交流会、パートナー企業様と飲み、半蔵門で商談、Yahoo LODGEで作業、PaaS研究会、徳丸浩のセキュリティセミナー WordPressの運用時に注意するセキュリティについて学ぼう!」、新宿で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

 ・12月お仕事
  

定着率・求人応募率アップ!紙芝居で学ぶユニーク会社制度セミナー 、八丁堀で打ち合わせ、銀座で作業、有楽町で作業、田町でDevRelJp、日本橋でランチミーティング、四谷三丁目で商談、Yahoo LODGEで作業、半蔵門で税理士の先生と打ち合わせ、半蔵門で商談、日本橋で商談、町田市役所で商談、日本橋で商談、EBISU Tech Night、中華街でお客様の皆様と飲み、Mass×Massで商談、AWS Loft Tokyoで作業と打ち合わせ、鶴川で商談、日本橋で作業、目黒で作業と打ち合わせ、大宮で作業、上山で作業、パートナー企業で作業と打ち合わせ

公私の「私」

●家族との一年
§ 総括 目次 昨年にもまして、家族で行動する頻度は減りました。それぞれの生活があり、それぞれのタスクがある以上は仕方ありません。ただ、昨年よりはバトルの頻度が減りました。少しずつ大人になってゆく娘たちとの関係に悩みはつきませんが、今年は家族で二度泊りがけの旅行に行きました。それは家族にとってとても大切な時間でした。また、長女も次女も進路を定めなければならない年であり、ともに年内に推薦入学のめどがつきました。また、昨年亡くなった風花に変わり、三月から凛が我が家の家族の一員に加わりました。やんちゃ盛りで日々家族の神経をかき乱しています。

§ 娘たちに何ができたか 目次 今年は二人の娘がともに受験生でした。長女は首尾よくAO推薦をもらい、入試に合格しました。次女も年末に中学校から推薦状をもらうことができました。来年は二人とも専門学校に入学するはずです。娘たちが進路を決めるにあたり、私が意向を押し付けたことはありません。二人とも自分の意志です。具体的に手伝えたことは乏しいですが、新たな道を選ぶにあたっては障害ではなく、助言者としてありたいとの思いは貫けたと思います。これからも娘たちの進む道を示すガイドでありたいと思います。

§ 長女の一年 目次 長女は絵が好きで芸術系の学科に進学しましたが、人間関係など悩みも多く、高校生活に悔いはあるようです。ただ、それでもイラスト系の業界やその仕事への熱意は失いませんでした。イラスト系の専門学校に進むのも本人の意志です。私も新たな学校には見学について行き、娘の意志は確認しました。新たな学校に進学した後、悩み多き高校生活が実は無駄ではなかったことをいつか分かってくれると思います。中学の頃から個人事業主として活動している長女ですが、今も複数の仕事を請けているようです。私ももう少ししたら何かの仕事を振ってやりたいと思っています。長女とサシで出かけることは一、二回しかありませんでした。ただ、妻も含めてのお出かけは何度もしています。その中でも墨田区の職人さんを紹介するネット上の生放送番組「ハロー職1」に連れて行けたことで、メディアや自己表現の何たるかは感じてくれたのではないかと思います。年ごろのため不安定なところもありますが、引き続き長女には期待しています。

§ 次女の一年 目次 チアを諦めてまで中学の吹奏楽部を全うしたかったという次女の思いを尊重した私たち夫婦でしたが、次女は無事に吹奏楽を全うしてくれました。一方で今年は自由に生きたい次女とまだ手元におきたい妻がぶつかった一年でした。そのぶつかりが燃え広がり、何度かバトルに近いいさかいも家族の中に勃発しました。娘を持つことの難しさを感じた一年です。次女には彼氏ができましたが、私はそれを頭ごなしに否定せず、彼氏にも二回会いました。高校に行くには成績が足りない娘が調理師になりたいというので、その意志も尊重しました。そうした進路や生活態度についての話し合いも何度もしました。妥協もしたかもしれません。ただ、愛嬌もあり、人付き合いもうまい次女なので、必ずや道を踏み外さず、人生の旅路で成果を挙げてくれるはずと信じています。もう次女も子供ではないこと。大人になるため巣立とうとしていること。その二つをつくづく思わされた一年です。

§ 家族の一年 目次 そうした不安定な娘たちだった割には、危機感は感じませんでした。むしろ昨年のほうが不穏だった気がします。それは家族そろってお出かけしたことが功を奏したのだと思います。詳しくは書きませんが、それぞれの場所で良い想い出作りができました。特に3月の沖縄旅行と12月の山形旅行。去年は家族で泊まりの旅行に行けなかった分を取り戻すほどの充実した旅でした。今年の3月にわが家に凛が仲間に加わりました。五カ月近くペットショップの住人だったため、七色の癖を持ち、やんちゃでうちの家族を困らせています。可愛いのですが。あと4月の末に二回、私がグレて野宿で一夜を過ごしたことも忘れずに書いておきます。

§ 年表 目次
 ・1月帰省(泊まり)
  白山姫神社初詣神呪寺参拝、香櫨園駅、ホテルヒューイット甲子園ロイヤルホームセンター甲子園バッティングセンター西宮神社
 ・1月お出かけ
  

浅草雷門舟和屋浅草花月堂 馬道店浅草文化観光センター黒田屋本店遊食豚彩 いちにいさん 日比谷店TOHOシネマズ日劇(映画:DESTINY 鎌倉ものがたり)星野珈琲店コーチャンフォー稲城若葉台店、しゃぶ葉町田モディ店、いこいの湯、府中の森芸術劇場伊勢ヶ濱部屋ちゃんこ会伊勢ヶ濱部屋初場所打上式Stella Lounge

 ・2月お出かけ
  

東京宝塚劇場(舞台:ロベスピエール)東京都庁南展望室、籠屋(秋元酒店)、相鉄ムービル(映画:スターウォーズ 最後のジェダイ)、毘沙門天堂、Salad Stop表参道店根津美術館(展覧会:金と墨展)LINKS LondonTokyo Whisky LibraryThe Tokyo Dining 東京ライス、極鶏Bar下北沢、谷中銀座Orso、カポエイラ、八景の棚、相武台下駅、塩川滝、塩川神社、平山橋、とんかつはせ川、青山フラワーマーケット ティーハウス 赤坂Bizタワー店赤坂ACTシアター(舞台:ドクトル・ジバゴ)VILAMOURA 赤坂サカス店ペットフォレスト鶴川店

 ・3月お出かけ
  

はま寿司 町田野津田店、西宮市こうしえん観光案内所、手造り居酒屋 樽八、スーパージャンカラ生田ロード店、どん兵衛、桔梗堂、T先輩宅、汐見橋駅、芦原橋駅、木津川駅、浪速神社、大坂人権博物館(リバティおおさか)、太鼓屋又兵衛屋敷跡、昔勤めたブラック企業跡、個室居酒屋 宴丸 Enmaru 京橋駅前店、金の蔵 京橋北口店、辺川駅、海部駅、宍喰駅、甲浦駅、海の駅東洋町、白浜海水浴場 (白浜海岸)、宍喰海岸、道の駅 宍喰温泉、轟九十九滝、クリアウォーターOSAKA㈱、地鶏と鮮魚 一石二鳥 三宮店、らーめん 熊五郎 三宮西口店、甲子園球場、Bar Harbour Inn、イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:グレーテスト・ショーマン)薬師池公園グリーンウォーク多摩シズラー府中店八景島シーパラダイスココリア多摩センター、公津の杜駅、相州春日神社、羽田空港那覇空港知念岬公園南城市地域物産館せーふぁキッチンアブチラガマひめゆりの塔波照間ボートレースアンテナショップ 沖縄・国際通り Double Deckerぱいかじ 国際通り店ホテルグレイスリー那覇中城PA崎本部緑地公園沖縄美ら海水族館エメラルドビーチcafeティーダVONGO & ANCHOR美浜アメリカンビレッジ、県庁前駅、海の駅 あやはし館アマミチューの墓シルミチュー大泊ビーチ伊計島灯台キングタコス与勝店勝連城跡市場本通り商店街海想 松尾店、古酒家本店、Splash Okinawa 2、Sky Rent a Car、那覇空港羽田空港凛お迎えららぽーと横浜

 ・4月お出かけ
  

相模原麻溝公園、八王子駅前ビルステーキのあさくま八王子打越店イオンシネマ多摩センター(映画:グレーテスト・ショーマン)、大森貝塚跡、うどん開都大地沢青少年センター草戸山境川源流町田あいす工房ラッテ小陽生煎饅頭屋 (生煎馒头屋)、アジアンフード バー バグース、井の頭恩賜公園、Bar 羽月、シズラー府中店柏屋LATTE GRAPHIC、BrewDog Roppongi、富士の国 やまなし館、玉川学園ゴスペルカフェ、稲毛神社、川崎堀之内ソープランド街、港町駅、六郷橋、川崎市観光案内所、薬師池公園、民権の森、野津田神社、小樽食堂町田広袴店、喰違見附、T.G.I.Friday’s 町田店、野宿、博多もつ鍋 やまや、野宿、レッドロブスター 多摩境店寄居PA駅前児童公園道の駅 くらぶち小栗の里、織田氏七代の墓、雄川堰、こんにゃくパークハイウェイオアシス ららん藤岡 (道の駅 ららん藤岡)寄居PA (上り・寄居 星の王子さまPA)みはらし広場クリスタルサウンドみつや水晶宝石博物館仙娥滝昇仙峡森カフェ山梨ワイン王国大滝仙娥滝初狩PA (上り)峠の茶屋

 ・5月お出かけ
  

玉ちゃん亭、BAR CROW、赤坂区民ホール天馬 カレー&カレーパン 青山店府中の森芸術劇場シズラー 府中店、等々力陸上競技場、生田緑地、枡形山、枡形城、戸隠不動跡、尾崎咢堂記念館、エビラ沢の滝、薄野 中村屋、江戸城大手門、薬師池公園 蓮園、ららぽーと横浜琴平神社本殿、Craft Beer Moon Light 本店、多摩川五本松、新橋演舞場(舞台:蘭 緒方洪庵 浪華の事件帳)やさいの王様、沼久保駅、富士山本宮浅間大社、湧玉池、神田川、富士高砂酒造、白糸の滝、音止の滝、富士宮やきそば 平石屋、朝霧高原、本栖湖、道の駅 しもべ、甲斐常葉駅、身延駅、横網町公園、第1ターミナル 展望デッキ、大佐倉駅、将門口ノ宮神社、東光寺ビョウ、本佐倉城跡、明治記念館、フレッシュネスバーガー 曙橋店、長女学校見学、新宿御苑、世界堂 新宿本店、富士フォトギャラリー銀座、三省堂書店 有楽町店、KITTE

 ・6月お出かけ
  

東京国際フォーラム(コンサート:The Show Stopper)、上毛高原駅、鳩待峠行バス連絡所、鳩待峠、尾瀬国立公園、つり橋、尾瀬山荘、尾瀬沼、三平峠、ヌル沢奥の滝、上毛高原駅、啓文堂書店 渋谷店、めし屋 奈良間、ブックファースト 新宿店、赤坂 紫月、MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店、次女の中学校運動会町田東急ツインズ、沢谷戸自然公園、油そばの店 蜻蛉、ここ滋賀、日本橋 長崎館、沖縄物産店 銀座 わしたショップ、小樽食堂 町田広袴店、亜細亜食堂 リバーサイゴン (SAIGON)、成田山 新勝寺成田山 大本堂成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)成田山 三重塔、二宮尊徳翁開眼の地、成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)成田山 釈迦堂成田山 額堂成田山 光明堂成田山公園、雄飛の滝、成田山 総門、長命泉、成田参道 房の駅川豊酒々井PA (上り)、多摩川決壊の碑、麺屋 大申、甘酒横丁、薬師池公園、荏原町駅、旗岡八幡神社、shango、麺匠なべすけ 本店、地ビール厨房 COPA 町田店、BACKPACKER’S CAFE 旅人食堂 町田屋台店、まちの駅 ぽっぽ町田、薬師池公園

 ・7月お出かけ
  

イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:ハン・ソロ ストーリー)、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、薬師池公園、MARUZEN & ジュンク堂書店 渋谷店、とんかつはせ川、薬師池公園 蓮園、雑司ヶ谷 鬼子母神 (鬼子母神堂)、Pasar幕張 幕張PA (下り)、酒々井PA (下り)、大栄PA (下り)、佐原PA (下り)、鹿島神宮大鳥居、鹿島神宮 楼門、カシマサッカースタジアム、ちゃあしゅう屋 鹿嶋店、鹿島神宮駅、剣聖 塚原卜伝生誕之地 プレート、鉾田駅、新鉾田駅、北浦湖畔駅、鹿島灘駅、鹿島大野駅、長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅、大野潮騒はまなす公園、荒野台駅、塚原卜伝の墓、塚原卜伝像、鹿島神宮大鳥居、鹿島神宮 楼門、鹿島神宮 拝殿・本殿・御神木、鹿島神宮奥参道、鹿島神宮 境内鹿園、鹿島神宮 奥宮、鹿島神宮 要石、鎌足神社、根本寺、鹿島城山公園、鹿島アントラーズ クラブハウス、カシマサッカーミュージアム、カシマサッカースタジアム、鹿嶋サッカースタジアム駅、鹿嶋灯台、延方駅、ばんどう太郎 神栖店、大栄PA (上り)、帝国ホテル 東京、谷際屋製麺工場、玉川学園ゴスペルカフェ、まちの駅 ぽっぽ町田、イングリッシュパブ トラファルガー、本間橋、小林商店、鳥居原園地、早戸大滝アタック、東京ミッドタウン日比谷日比谷シャンテラ ブティック ゲラン銀座 三徳堂boulangerie Bonheur、町田市民文学館ことばらんど(展覧会:舘野鴻原画展)、町田市立陸上競技場 ホーム側ゴール裏、NTTドコモ歴史展示スクエア、両国 江戸NOREN、びっくりドンキー 光が丘店、矢まと、雲林坊 秋葉原店、明治記念館、山高神代ザクラ、北精進ヶ滝、一の滝、二の滝、道の駅 はくしゅうサントリー白州蒸溜所BAR白州八ヶ岳PA (上り)石川PA (上り)、北海道らーめん 楓 横浜西口店

 ・8月お出かけ
  

横濱家系ラーメン 大岡家、鯛塩そば 灯花、かのん、府中の森芸術劇場 どりーむホールシズラー府中店武蔵府中郵便局、阪神甲子園球場、甲子園歴史館、六人部PA (下り)、由良川PA、宮村駅、金引の滝、天橋立駅、松和物産、天橋立駅前郵便局、天橋立ビューランド リフト・モノレール、飛龍観回廊、KITTE、伊織 / シン・エヒメ、大阪百貨店、KITTE、豚骨らーめん ぼっけもん、幸楽苑 町田木曽店ゆめみ処 おふろの王様 町田店、古書 高原書店、町田市民ホール、ステーキ宮 町田木曽店、spice bistro、海旬処 魚華青銅の鳥居江の島瑞心門江の島エスカー 2区KUA`AINA 片瀬江ノ島店横浜・八景島シーパラダイスシーフードとカレー料理 パーマーストン Palmestonアメリアショッピングセンターららぽーと横浜TOHOシネマズららぽーと横浜(映画:ミッション・インポッシブル Fall Out)富士屋ホテルピコット ロビー店箱根ガラスの森美術館ラ・カンツォーネ、千条の滝、ららぽーと海老名、有隣堂、ハングリータイガー、鎮魂の碑、京橋エドグラン、麺屋 みちしるべ、EXPASA足柄 下り三島スカイウォークスカイウォークコーヒースカイウォークコーヒー山中城跡伊豆フルーツパーク御殿場プレミアム・アウトレットbodum (ボダム) 御殿場プレミアムアウトレット店、和田倉噴水公園、皇居前広場、二重橋、安具楽、東京ドーム、野球殿堂博物館、オークスブックセンター、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、玉川学園ゴスペルカフェ、HUB 外苑前店、東部湯の丸SA (下り)、祢津小学校、袮津城山、草笛 上田店、砥石・米山城址櫓門口登山道、砥石城跡、桝形城跡、米山城跡、千古温泉、千古の滝、ハイウェイオアシス ららん藤岡 (道の駅 ららん藤岡)、高坂SA (上り) レストラン、道なか食堂 げんき、CINAGRO、俺流塩らーめん 神楽坂店、安全寺

 ・9月お出かけ
  

東京ステーションギャラリー東京ステーションホテルカメリアKITTE東京国際フォーラムShake Shack蕎麦 AKEBONOYA東京ミッドタウン日比谷boulangerie Bonheur、上等カレー 飯田橋店、筑土八幡神社、神楽坂、板橋天祖神社、ときわ台駅、ジュンク堂書店 池袋本店、小樽食堂 町田広袴店ヨドバシカメラ マルチメディア町田、中華ダイニング貫 (KAN)、町田パリオ(まさるや2018仲秋 日本酒呑んでる会 in 町田)、BOOKOFF SUPER BAZAAR 町田中央通り (本・ソフト館)、創作和食 あおき、福富町パラダイス、草月、syarumu、Hot Spoon 西新宿店、東京都旅券課 (新宿パスポートセンター)、イオンシネマ新百合ヶ丘(映画:ボルグ&マッケンロー)、らーめん 立川や、立川市子ども未来センター、立川まんがぱーく、東京都パスポートセンター 立川分室、オリオン書房、立川市中央図書館、丸善 多摩センター店、蕎肆 穂乃香、隅田川テラス、蔵前橋、駒形橋、株式会社バンダイ 本社、駒形堂、まるごと北海道 雷門物産本舗、雷門、小樽食堂 町田広袴店、片倉つどいの森公園、長女の高校文化祭、赤城高原SA (下り)、道の駅 白沢、十二坐神社、吹割渓谷遊歩道、吹割の滝 第三観瀑台、吹割の滝 第一観瀑台、浮島橋、浮島観世音、日本の滝百選 25『吹割の滝』、鱒飛の滝、滝の駅、沼田市観光案内所、沼田城天守跡、沼田城、利根英霊殿、真田信之.小松姫像、沼田公園 鐘楼、沼田公園の御殿桜、道の駅 みなかみ水紀行館、土合駅、赤城高原SA (上り)、駒寄PA (上り)、石川PA (上り)、四条富小路 麺屋虎杖、丘のまち美瑛、帝国ホテル 東京、珈琲茶館 集 有楽町アネックス店、東京大神宮、Hop-Scotch Craft Beer & Whiskey、ビッグボーイ 黒川店、Tokyo Rice Wine 新百合ヶ丘店、アリオ橋本、水の苑地(県立津久井湖城山公園)、津久井湖記念館、伏馬田城趾、花の苑地(県立津久井湖城山公園)、道の駅 どうし、三島由紀夫文学館、山中湖 文学の森公園、徳富蘇峰記念館、郷土料理 和十郎、忍野村観光案内所、菖蒲池、湧池、銚子池、お釜池、河口湖駅、金鳥居市民公園、道の駅 富士吉田、鐘山の滝、リカーズハセガワ 北口店、晴海郵便局、晴海埠頭、味噌一 三軒茶屋店、上野恩賜公園、西郷隆盛像、誹風柳多留発祥の地、不忍池、東京ディズニーランド

 ・10月お出かけ
  

ずんどう屋 目黒店、大横川親水公園、世界のビール博物館、KUA`AINA、薬師池、久里浜駅、桂寿味、次女の進路先の見学会The Tokyo Dining 東京ライスニッカ ブレンダーズ・バーラウンジ春秋館東京タワー国際ファッションセンターアゼリア 第一ホテル両国両国江戸NORENの土俵、上河内SA (下り)、道の駅 猪苗代、denen cafe、農業体験、富士の湯、空き家てらす 隠れ家、酒家 盃爛処、空山neo、太郎焼総本舗、鶴ヶ城、道の駅 ばんだい 徳一の里きらり、友部SA (上り)、表参道駅、シャングリ・ラ ホテル東京、昭島市役所、エピソードカフェ東京交通会館いしかわ百万石物語 江戸本店Yellow Korner Photography – Art – Limited editionQ CAFE by Royal Garden Cafe湘南平霧降りの滝アリオ橋本Honolulu Coffee、ACADEMIA くまざわ書店、Bull Pulu、世田谷文学館、蘆花恒春園 (蘆花公園)、祖師谷商店街 (ウルトラマン商店街)、駒寄PA (下り)、津久田駅、棚下不動滝、長井坂城跡、永井箱根神社、奥利根うどん本舗、名胡桃城址、ささ郭、後閑駅、道の駅 よしおか温泉、かもすや酒店、ジュンク堂書店 池袋本店、清龍 南池袋店、くさやバー、Craft Beer Market 神田店、広島ブランドショップ TAU、パルテノン多摩SUBWAY 多摩センター店丸善 多摩センター店、Coeur & Heart、コーチャンフォー 若葉台店、羽田空港国際線ターミナル成田空港 第2ターミナルバニラエア チェックインカウンター台湾桃園国際空港 (TPE) (臺灣桃園國際機場)Immigration (護照?驗)National Theater (國家戲劇院)、凱達大飯店 Caesar Metro Taipei、MRT 龍山寺駅 (捷運龍山寺站)、MRT Taipei Main Station (捷運台北車站)、TRA 台北駅 (臺鐵台北車站)、Keelung City (基隆市 Keelung City)、TRA Keelung Station (臺鐵基隆車站 TRA Keelung Station)、基隆西岸旅客碼頭、基隆海洋廣場 Keelung Maritime Plaza、TRA Keelung Station (臺鐵基隆車站 TRA Keelung Station)、台北市 (臺北市)、THSR 台北駅 (高鐵台北站)Q Square (京站時尚廣場)饗食天堂Eslite Bookstore (誠品書店 台北捷運店)MRT Taipei Main Station (捷運台北車站)MRT 龍山寺駅 (捷運龍山寺站)凱達大飯店 Caesar Metro Taipei龍山寺スターバックス (STARBUCKS)臺北市立大學校本部 University of Taipei Main CampusMRT 中正紀念堂駅 (捷運中正紀念堂站)Liberty Square (自由廣場)National Theater (國家戲劇院)中正紀念堂National Concert Hall (國家音樂廳)TRA Wanhua Station (臺鐵萬華車站)TRA 台北駅 (臺鐵台北車站)Taoyuan Metro Taipei Main Station (A1) (桃園機場捷運台北車站)Taoyuan Airport MRT (A12) Airport Terminal 1 Station (桃園機場捷運 A12 機場第一航廈站)Terminal 1 (臺灣桃園國際機場第一航廈)台湾桃園国際空港 (TPE) (臺灣桃園國際機場)Gate B2成田国際空港 (NRT)成田空港 第3ターミナルCafe&Dining N’s court

 ・11月お出かけ
  

麺の坊 砦、駒場公園、旧前田家本邸、籠屋(秋元酒店)、薬師池公園、リカーポート 蔵家、町田市 大賀藕絲館、町田リサイクル文化センター、小山田神社、舎鈴 飯田橋駅前店、ハタフラワー、梅の花 町田店、せんや、新宿みやざき館 KONNE、餃子会館 磐梯山 両国店、とり家 ゑび寿 両国店、駒八 目黒さんまセンター、六本木ヒルズアリーナ、TOHOシネマズ 六本木ヒルズ(映画:ボヘミアン・ラプソディ)、鎌倉パスタ、鶴ヶ峰駅 (SO09)、鎧橋跡、鎧の渡し緑道、首塚 (畠山重忠公)、畠山重忠古戦場跡、畠山重忠古戦場跡、六ツ塚、すずり石水跡、鶴ヶ峰神社、駕籠塚、得得 横浜鶴ヶ峰店、驚神社、和菓子紀文堂、四季芸術センター、麺屋 一寸星、你好 ニイハオ 渋谷店、オールドヒッコリー 町田境川、やきとり居酒屋 山家 本店、次女の進路先、ベルサール高田馬場、はつ花そば 本店、酒岳堂 井島商店、はこね 和菓子 菜の花酒岳堂 井島商店、箱根観光物産館、鈴廣のかまぼこみつき DELI&CAFé TERRACEベーカリー&デリカテッセン 箱根カフェ箱根の市、麺屋すみす、神宮外苑いちょう並木、多摩丘陵パノラマの丘、防人見返りの峠 展望台、コーチャンフォー 若葉台店、東京都庁 第一本庁舎、ブックファースト 新宿店、技術者友人宅

 ・12月お出かけ
  

自然食バイキング はーべすとヨドバシカメラ マルチメディア町田町田マルイ、薬師池、Cut Let Me、築地本願寺、マルイアネックス イベントスペース、讃岐うどん かいと、野津田神社、民権の森、七国山 鎌倉街道の碑、七国山、野津田薬師堂、よみうりランド、スエヒロ館 新百合ヶ丘店、極鶏Bar 下北沢店、エリックサウス、麺 TOKITA、警察博物館、香川・愛媛せとうち旬彩館、春水堂ラフォーレ原宿FURFUR東郷神社コロンバン原宿本店、麺屋三男坊、中澤酒造株式会社、麺屋 海神、慶華飯店、横浜赤レンガ倉庫、JICA横浜国際センター、信濃屋 目黒店、酒舗 まさるや、すし屋 銀蔵 鶴川店まちの駅 ぽっぽ町田ぐりーんうぉーく多摩、きさらぎ、Classy’s Bar、暖暮 川崎仲見世通店、麺や維新、自転車文化センター、JR 東北新幹線 大宮駅山形新幹線 かみのやま温泉駅かみのやま温泉観光案内所上山十日町郵便局上山城菓子司 十五屋本店上山市役所葉山館、わくわくコマレオ 上山店、春雨庵、葉山館かみのやま温泉観光案内所山形新幹線 かみのやま温泉駅楢下宿 丹野こんにゃく番所HATAKE CafeHATAKE Cafe トマト上山店ファーマーズマーケットトマト 上山店、愛染神社、齋藤茂吉記念館、上山旭町郵便局、ぐっと山形 (山形県観光物産会館)、上山城、菓子司 十五屋本店かみのやま温泉駅JR 東北新幹線 大宮駅、鴨川、六道珍皇寺、京都霊山護國神社、パール博士顕彰碑、桂小五郎・幾松墓所、坂本龍馬の墓、幕末維新ミュージアム霊山歴史館、御陵衛士屯所跡、八坂神社、知恩院 三門、青蓮院門跡、岡崎・市電コンシェルジュ、岡崎別院(親鸞聖人岡崎草庵跡)、光雲寺、哲学の道、法然院、慈照寺 (銀閣寺)、まつばや、哲学の道、京都大学

§ 家族のお出かけ 目次 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。「浅草(1月)」や「沖縄(3月)」「相模原麻溝公園(4月)」「こんにゃくパーク(4月)」「赤坂(5月)」「八景島(8月)」「箱根(8月)」「三島(8月)」「東京ディズニーランド(9月)」「山形(12月)」。満足できる一年になったと思います。来年もどこかに出かけようと考えています。

§ 妻とのお出かけ 目次 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。なんかかんだといって、結構節目節目には二人で過ごせているようです。今年は臺灣を一緒に訪れたのが思い出深いです。いくつかBarにも訪れたり、八景島シーパラダイスにも二人で行きました。あとは音楽と舞台と映画でしょうか。一緒にいくつも観て体験していますね。夫婦ともにこれだけ忙しくても、時間をやりくりしてこれだけ出来ていれば、来年もやれそうな気がします。

§ 娘たちとのお出かけ 目次 娘たちと3人で出かけたのは、上の年表で緑字に太字にしているイベントです。一緒にご飯を食いに行くぐらいしかいけませんでした。娘たちもそれぞれ友達と出かけたり家にこもったり。特に次女は明らかについてこなくなりました。彼氏や友達との時間を優先する年ごろになった。そういうことです。私としてはワンパターンなお出かけよりも、経験でめずらしい経験をさせてやりたい、と思うのですが、私の時間もなくなっており、近所であればもはやそういう経験はさせてあげられません。ですが、来年も断られることを覚悟で、誘ってみようと思います。

§ 妻とどちらか娘とのお出かけ 目次 妻とどちらかの娘の3人で出かけたのは、上の年表で水色地に太字にしているイベントです。長女は比較的よくついてきました。が、逆に次女だけが付いてくることはほとんどありませんでした。

§ 長女とのお出かけ 目次 僅かではありましたが、いくつか訪れています。そのうち一つは長女の高校の文化祭に私一人で出かけることになり、しばらく長女と行動を共にしました。年ごろのためか潔癖感が増していますが、私に対しての棘は峠を越した気がします。私がそう思っているだけかもしれませんが。

§ 次女とのお出かけ 目次 部活に忙しく、なかなか一緒にはいかれませんでしたが、それでもいくつかの場所を父娘二人で訪れています。そのうち一つは二人で回転すしを訪れて大いに語りました。次女は親あしらいがうまいので、時間さえあえば来年もついて来てくれそうです。

●私自身の一年(交友関係)
§ 関西の交流関係 目次 今年は、3月にまとまった日程をとって帰りました。四泊五日の日程でしたが、高校の友人たちと、大学の友人たちと飲み遊び、一昨年からご縁を結んだ方々とも飲み、打ち合わせも挟み。私が苦しんでいた時期に知り合った師匠と梅田のバーで呑み、今までFacebookだけのつながりだった方ともお会いし。かなり濃密な時間を過ごしました。ありがとうございました。
7月には中学の頃からの友人が上京し、共に呑みました。その場でイカ釣りに誘われ、8/6にはそのために帰りました。が、高波でイカ釣りが中止となり、再計画した日も友人が仕事で断念しました。これはぜひ来年やりたいと思っています。年末になって年賀状を書きながら、SNSをやっていない友人たちとのご縁をまた復活させたいと思いました。

§ YKGの交流 目次 今年もまた、鉄道や城巡りといった旅を愛する友人二人と、砥石城を中心に武田氏に関する城巡りを行いました。さらに畠山重忠に関する史跡めぐりも行いました。来年、またともに旅ができればうれしいです。

§ 一年の交流 目次 今年は、前半は3月の関西以外は低調でした。が、ゴールデンウィークのサッカー観戦から、関西大学での知ル活など、徐々に交流を活発にしました。一つ目のピークは6月に10数人のパーティーで訪れた一泊の尾瀬旅行です。仕事でもほうぼうに一人で飛び込んで行き、徐々に外交的な自分を取り戻していきました。下に書く酒関係のイベントでは様々な方と楽しい時間を過ごしました。パクチー三昧の時間を過ごしたこともうれしい。魂友とは三回会い、そのうち一度はご自宅でお母さまともお会いしました。どれもが今年の特筆すべきイベントです。また、会津への旅は今年の5本の指に入る素晴らしい旅でした。見ず知らずの方々と民泊で出会い、話に花を咲かせる。その素晴らしい経験は、人生万歳と言いたくなるほど。また、年末にはいのしし鍋のイベントにもお誘いをいただき、絶品の鍋を囲んで楽しい時間を過ごしました。他にも書いていませんが色々なイベントにお誘い頂きました。ありがとうございました。

§ 地元の交流 目次 一方、今住んでいる地元の友人との時間はほとんどとれませんでした。ですが、昨年末から参加しているゆるいランチの会には二度参加しています。仕事を抜きにした語らいの場としてとても重宝しています。下半期は私が忙しくて伺えなかったのですが、代わりに妻が何度も参加させてもらっています。私も来年は参加したい。あと、自治会には仕事でかなり携わりました。来年もそうしたご縁を活かしていきたいです。最後に、年の瀬になって娘たちが学童でお世話になっていた指導員の先生の訃報が入ってきました。まだ若いのに残念でなりません。いい人ほど早く世を去っていく。

●私自身の一年(文化活動)
§ 読書・観劇レビュー 目次 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2017年に読んだ104冊分となりました。レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ただ、仕事を優先する関係上、どうしてもアップは後回しになっています。それでも読んでからアップするまでの日数を10カ月に縮めました。この期間を質を落とさずにさらに早めるのが去年に引き続いての課題です。舞台観劇と映画鑑賞のレビューについては、遅れずに書けているのですが。書くという行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けていくつもりです。

§ 今年の読書 目次 読書については、今年は94冊読みました。また、ジャンルを問わずの乱読傾向は相変わらずです。94冊についてそれぞれに思い入れは深く、その中のベストを選ぶといったおこがましいことはしません。ですが、今年は年末になってようやく坂の上の雲全巻を読み通せました。また、今年は三人の文人の展示会を訪問しました。「三島由紀夫博物館」「徳富蘇峰記念館」「世田谷文学館(筒井康隆展)」どれもがとても刺激になりました。

§ 今年の映画 目次 映画鑑賞については、今年は8本観劇しました。
DESTINY 鎌倉ものがたり」「スター・ウォーズ/最後のジェダイ 」「The Greatest Showman」「The Greatest Showman」「ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー」「ミッション:インポッシブル フォールアウト」「ボルグ / マッケンロー 氷の男と炎の男」「ボヘミアン・ラプソディー」。
観たかったのに見れなかった映画もたくさんあります。ですが、私の持ち時間の少なさからみて、よく見たほうだと思います。今年は大河ドラマの「西郷どん」を妻が観たいというので一緒に観ていましたが、やはりというか、ほとんどの回を見逃してしまっています。

§ 今年の舞台 目次 舞台については、今年度は3本の鑑賞でした。詳細は当ページの「目下の舞台鑑賞」を観てもらえればと思います。3本いずれも素晴らしい内容でした。ただ、私の中で宝塚歌劇の運営方針に重大な不満があり、妻には「見たくない」と言ったことを実践。下半期は観劇していません。その一方で、劇団四季を創立した浅利慶太氏が亡くなられました。かつて劇団四季に勤めていた友人の山下さんにお誘いいただき、浅利慶太お別れの会に参列しました(9/18)。そこで配布された故人の演劇論や略歴が書かれたパンフレットを読み、改めて浅利慶太氏と劇団四季に興味を持ち、その後すぐに「劇団四季と浅利慶太」も読みました。そして四季と宝塚との運営方針の違いを感じました。私は四季の方を支持したい。とはいえ、来年は観劇や寄席も観たいと思っています。

§ 今年の音楽 目次 昨年は何回もコンサートに行きましたが、今年は6月に東京国際フォーラムで観た「The Show Stopper」だけ。次女が中学で吹奏楽部を全うし、三年間で賞は一度も取れなかったけれど、何かをまっとうしてくれたのは良い思い出です。次女の発表会や演奏会、合唱コンクールは何度か訪れたので音楽体験は得られたと思います。長女が入っている高校の吹奏楽部は全国屈指の実力を持っていることから、長女と次女を連れて府中の芸術の森に定期演奏会を聴きに行きました。カラオケは二回。3月に友人たちと三宮で、11月には秘密基地で大いに歌いました。また、初夏の一日だけ、ウクレレを引っ張り出して爪弾いたりもしました、が続かず。

§ 今年の美術 目次 美術については、昨年と同じく今年もさっぱりでした。でも、長女の学外展や文化祭などデザインや美術には触れる機会が多数ありました。また、娘の進学先が美術デザイン系の専門学校に決まり、その学校見学にも訪れました(5月)。またその学校の校長先生のスコットランドの写真展にも訪れ、旅の乾きを潤しました(10月)。また富士フォトギャラリー銀座での写真展にもお招きされ、山の写真に見ほれました(5月)。舘野鴻の原画展(7月)では昆虫の精密画にも惹かれました。また、2月に妻と訪れた根津美術館の「墨と金展」は良かった。最近書の世界に関心を持っており、新宿の世界堂で水で書道ができるセット一式を買い(5月)、弊社の毎月のまとめの画像を書いた暦で表していました。筆がダメになったので霜月、師走が書けませんでしたが。

§ 今年のスポーツ 目次 スポーツについては、正直なところ全く低調でした。スキーもソフトボールもテニスもマラソンもやらず。それは2月ごろから腰痛に悩まされていたからです。ただ、アウトドアが皆無だったかというとそうでもなく。特に六月に訪れた一泊二日の尾瀬の旅は今年のハイライトの一つです。十数人のパーティーの一員としてみた至仏山と燧ケ岳、尾瀬沼の朝から夜までの景色は素晴らしかった。アウトドアを満喫しました。ただ、見るだけで日本百名山登頂ができなかったのは無念です。妻子と町田市最高峰の草戸山は登頂しました。また、滝はたくさん巡りました。それらはスポーツといえそうです。早戸大滝に行こうとしてあわや遭難しかけたり。
ただ、今年はソチオリンピックがあり、ロシアW杯があり、卓球選手たちの活躍やテニスの大坂、錦織両選手の活躍など、観戦しているだけで満足の一年でした。大リーグの大谷選手の大活躍も忘れられません。イチロー選手がついに選手登録から外れたという残念な出来事もありました。スポーツ観戦は今年は三度。五月に等々力スタジアムで多摩川ダービー「川崎フロンターレ VS 東京FC」を数人で観戦し、八月に町田陸上競技場でFC町田ゼルビアvs京都パープルサンガの試合を観戦しました。三月には甲子園球場で阪神vsDeNaのオープン戦を父と。夏の甲子園も初日の第四試合を場外で聞きました。なお、弊社が町田FCゼルビアのサポーターになったのも今年です。あと、次女がたまに習いにいっているカポエイラのレッスンに一度ついていき、赤坂でのCapoeira Batieque Japaoの興奮を目撃。長女が立派にバレエの発表会を勤め上げたのも良い思い出です。最後に忘れてはならないのは伊勢ヶ濱部屋とのご縁です。後援会会長とご縁があり、ちゃんこ会や初場所打ち上げ式に御呼ばれしました。相撲観戦はしていませんが、これも立派な相撲文化の吸収でしょう。

§ 今年の滝 目次 今年は日本の滝百選の滝を8カ所訪れる目標を立てていました。結果、再訪を含めると7か所を訪れる事ができました。「轟九十九滝」「仙娥滝」「白糸の滝」「北精進ヶ滝」「金引の滝」「吹割の滝」「棚下不動滝」。どれもが百選にふさわしい名瀑です。もちろん、それ以外の滝でも印象に残る滝はたくさんありました。以下は今年訪れた滝です。「塩川滝(2/18)」「轟九十九滝(3/4)」「轟本滝(3/4)」「二重の滝(3/4)」「横見の滝(3/4)」「舟形滝(3/4)」「丸渕滝(3/4)」「鳥返しの滝(3/4)」「鍋割りの滝(3/4)」「仙娥滝(4/30)」「大滝(4/30)」「仙娥滝(4/30)」「エビラ沢の滝(5/6)」「白糸の滝(5/20)」「音止の滝(5/20)」「ヌル沢奥の滝(6/3)」「雄飛の滝(6/17)」「一の滝(魚止めの滝)(7/29)」「二の滝(初見の滝)(7/29)」「北精進ヶ滝(7/29)」「金引の滝(8/6)」「臥龍の滝(8/6)」「白滝(8/6)」「千条の滝(8/15)」「千古の滝(8/25)」「吹割の滝 第一観瀑台(9/16)」「鱒飛の滝(9/16)」「鐘山の滝(9/24)」「霧降りの滝(10/14)」「棚下不動滝(10/21)」。また、今年の滝巡りで忘れてはならないのが、早戸大滝にアタックした時の経験です。路肩の土盛りに車を乗り上げ、横に停まっていた車の方々に里まで送ってもらい、数時間JAFを待ち、JAFの方に復旧していただいた後、夕方近くになってから一人でアタックしたところ、滝を目前にして腰痛でダウンし、帰り道は夕立に遭い、増水した川で帰り路を見失いかけ、あわや遭難するところでした。

§ 今年の旅行 目次 今年は、今までの人生でも納得できる旅行ができました。家族で沖縄(3月)、山形上山(12月)に訪れ、海のきれいさと雪の美しさを味わいました。夫婦で臺灣(10月)に訪れたのは、私にとって十数年ぶりの海外、23年ぶりの臺灣ということがあって思い出も深いです。昨年一人で訪れた沖縄では16,7ぶりにお会いした方と、今回は双方の家族総出でお会いしました。奥様とは17,8年ぶりの再会。また、10数人のパーティーで訪れた尾瀬(6月)は景色が素晴らしく、朝昼夜で多彩な景色を見せてくれる自然のすばらしさに感動しました。あと四人で訪れた会津旅行も会津の方々にたくさん出会え、会津の方々の郷土愛に感動しました。無農薬栽培のお手伝いを通して、どれだけ無農薬が大変で、どれだけ産物が美味しいかについても知見をいただきました。この旅行では島根の方とも知り合えたのが、旅人同士の縁の嬉しさを感じた人時でした。一人でも鹿嶋に車中泊で向かい、鹿嶋神宮やアントラーズ、塚原卜伝関連の地を訪れ、旅を満喫しました。皆様ありがとうございました。

§ 今年の駅鉄 目次 趣味の駅巡りは36駅。昨年の倍以上に行きました。「香櫨園駅(1/1)」「相武台下駅(2/18)」「芦原町駅(3/3)」「木津川駅(3/3)」「辺川駅(3/4)」「海部駅(3/4)」「宍喰駅(3/4)」「甲浦駅(3/4)」「公津の杜駅(3/20)」「県庁前駅(3/28)」「中川駅(4/10)」「沼久保駅(5/20)」「甲斐常葉駅(5/20)」「身延駅(5/20)」「大佐倉駅(5/24)」「荏原町駅(6/27)」「鬼子母神前停留場(7/13)」「鉾田駅(7/15)」「北浦湖畔駅(7/15)」「鹿島灘駅(7/15)」「鹿島大野駅(7/15)」「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅(7/15)」「荒野台駅(7/15)」「鹿嶋サッカースタジアム駅(7/15)」「延方駅(7/15)」「宮村駅(8/6)」「天橋立駅(8/6)」「ときわ台駅(9/6)」「土合駅(9/16)」「河口湖駅(9/24)」「久里浜駅(10/5)」「津久田駅(10/21)」「後閑駅(10/21)」「基隆駅(10/28)」「新松田駅(12/18)」「かみのやま温泉駅(12/27)」。それぞれに周囲の光景と共に興味深い駅たちでした。ただ、これらの駅で撮った写真をまとめてブログにアップするにはまだ時間がかかりそうです。

§ 今年の酒楽 目次 今年は私の酒履歴に欠かせない一年となりました。
まずは日本酒。今年は日本酒の魅力の深さを知った一年です。それは六月に尾瀬を一緒に旅した小宮さんとのご縁からつながりました。小宮さんのお陰で日本酒の奥深い世界を教えていただきました。「まさるや2018仲秋 日本酒呑んでる会in町田(9月)」「Tokyo Rice Wine 日本酒の会(9月)」「酒家 盃爛処(10月)」「かもすや酒店(10月)新政呑みくらべ」「中澤酒造株式会社(12月)」。感謝です。あとパートナー企業の社長様が日本酒に詳しく、今年は5回ほどご一緒に盃を傾けました。私がちょくちょく日本酒を買って帰るものだから、妻が年末の山形旅行でお酒を買ってくれました。なかなかの美酒のようで楽しみです。今年訪れた酒蔵は二カ所。「富士高砂酒造(5/20)」「中澤酒造(12/18)」。来年もほうぼうを訪れる予感がします。
続いてウイスキー。妻がウイスキー好きになってくれたので、今年は二人+αでいくつかお店を巡りました。「Tokyo Whisky Library(2月)」「ニッカ ブレンダーズ バー(10月)」「スコットランド写真展(10月)」。真ん中のは別のご夫婦とも一緒に伺い、交流を深めました。最後のは娘が来年からお世話になる学校の校長先生が開いた写真展。ここではHighland Parkが40年も含めた3種類、樽でご用意されており、ウイスキー好きには楽園。相当飲みました。また、今年はWhisky Festival in Tokyoに初参戦したことも書かせません。3人で訪れたのですが、何種類呑んだのか覚えていないくらい美酒を飲みまくりました。至福の時でした。Whiskyについては「Bar Harbour Inn(3月)」も欠かせません。ここで飲ませてもらった11年もののBowmoreの美味さ!私にとってこのお店はずっと通う店であり続けるでしょう。また何人かで訪れたお店として「Bar 羽月(4月)」で飲んだ燻酒の美味さはその前の花見でMiltonduffを相当呑んだ後ですが印象に残っています。「Corn Valley澁谷店(5月)」もそう。魂友とふらっと訪れた「草月(9月)」もまた訪れたいバーです。また、一人で訪れた六本木ヒルズアリーナのGlenMorangeイベント(11月)はオレンジに統一された色調や味と共に今でも思い出すとほろ酔いできます。「籠屋(秋元酒店)(2月)」で飲んだイチローズモルトの秩父のIPAカスクには衝撃を受けました。今年訪れた蒸留所は「白州蒸留所(7/29)」。来年こそはクラフトウイスキーや宮城峡を訪れたいものです。できればKAVALANも。
続いて焼酎。沖縄旅行の時に妻と訪れた「ぱいかじ 国際通り店(3月)」では、泡盛を心置きなく飲めました。泡盛はまだまだ深く、極めたいと思っています。魂友と訪れた「玉ちゃん亭(5月)」でも泡盛をたくさんいただきました。池袋の「くさやばー(10月)」で飲んだ情ヶ嶋は麦と芋ともに衝撃の味わいでした。青酎も。情ヶ島の麦はその後ボトルで購入したぐらい惚れ込みました。
続いてビール。今年も各地のクラフトビールを呑み歩きました。CarftBeerを扱うお店が増えてきたのでうれしい限りです。ビールについてはほとんどが一人のみ。私にとっては短時間でさっと飲むときに重宝する酒になりました。
続いてハイボール。これは「極鶏Bar下北沢(8月)(12月)」以外ありません。12月に訪れた際は絶品のイノシシ鍋をつつかせてもらいました。これがハイボールによく合っていて完璧でした。
続いてワイン。今年は「ワイン&グルメ ジャパン2018(4月)」につきます。四名で会場を巡りました。去年からワインのおいしさにも目覚めており、ここで飲んだワインが絶品でした。日本のワインもすごいのです。また、先にも書いた「 Tokyo Rice Wine 日本酒の会(9月) 」では日本酒酵母で醸したワインをいただきました。さらに一人のみですが「富士の国 やまなし館」でも山梨産のワインに喉を潤しました。
最後にカクテル。私がカクテルをBarで頼むことはほとんどないのですが、どれも妻と訪れたバーで飲みました。「Stella Lounge(1月)」「カメリア(9月)」。後者は東京駅内にあるバーで、旅情を思わせるカクテルが印象的です。あと、忘れてはいけないのが「アジアンフード バー バグース(4月)」で飲んだパクチーモヒートです。4名で訪れてパクチーを食べまくりましたが、モヒートも美味しかった。
今年もほうぼうに商談に赴いたこともあって、毎月の独りのみは出来たと思っています。「籠屋(秋元酒店)(2月・狛江)」「BrewDog Roppongi(4月・六本木)」「富士の国 やまなし館(4月・日本橋)」「Craft Beer Moon Light 本店(5月・川崎登戸)」「地ビール厨房 COPA 町田店(6月・町田)」「イングリッシュパブ トラファルガー(7月・町田)」「京橋エドグラン(8月・東京京橋)」「Hop-Scotch Craft Beer & Whiskey(9月・飯田橋)」「世界のビール博物館(10月・押上)」「六本木ヒルズアリーナ(11月・六本木)」「Classy’s Bar(12月・川崎)」。
結局呑みの回数は年間で70回でした。大体5日に1度。呑みは週一度に抑えたいと思っていたので結果的に実現できて良かったです。

§ 今年のその他活動 目次 人生も半分を過ぎ、まだ焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えは見えません。
・一昨年に二枚、昨年に五枚ゲットしたマンホールカードの収集。今年は九枚入手しました。兵庫県西宮市(3/2)、大阪府大阪市(3/5)、神奈川県川崎市(4/20)、群馬県藤岡市(4/29)、茨城県鹿嶋市(7/15)、東京都立川市(9/12)、群馬県沼田市(9/16)、東京都昭島市(10/11)、山形県上山市(12/27)。来年も折を見て各地でゲットしようと思っています。
・ダムカードも一枚いただきました。城山ダム(9/23)です。
・風景印も三つ。「天橋立駅前郵便局(8/6)」「上山十日町郵便局(12/27)」「上山旭町郵便局(12/28)」。
・灯台も二カ所回っています。「伊計島灯台(3/28)」「鹿嶋灯台(7/15)」。来年は灯台巡りもしたいと思っています。
・旅先で訪れた資料館・博物館・美術館では勉強しました。「根津美術館(2/11)」「大阪人権博物館(リバティおおさか)(3/3)」「尾崎咢堂記念館(5/6)」「NTTドコモ歴史展示スクエア(7/26)」「甲子園歴史館(8/5)」「野球殿堂博物館(8/21)」「三島由紀夫文学館(9/24)」「徳富蘇峰記念館(9/24)」「世田谷文学館(10/16)」「旧前田家本邸(11/2)」「幕末維新ミュージアム霊山歴史館(12/30)」。
・城もあちこち訪れました。「勝連城跡(3/28)」「枡形城(5/5)」「大手門(5/11)」「本佐倉城跡(5/24)」「鹿島城山公園(7/15)」「山中城跡(8/19)」「祢津城山(8/25)」「砥石城跡(8/25)」「桝形城跡(8/25)」「米山城跡(8/25)」「沼田城(9/16)」「伏馬田城趾(9/23)」「鶴ヶ城(10/9)」「長井坂城跡(10/21)」「名胡桃城址(10/21)」「上山城(12/27)」。こうしたデータは上にも書いたkintone Advent Calendarの中で再集計してみました。
・訪れた神社は以下の通り。「白山姫神社(1/1)」「西宮神社(1/2) 」「毘沙門天堂(2/10) 」「塩川神社(2/18) 」「浪速神社(3/3) 」「相州春日神社(3/22) 」「稲毛神社(4/20) 」「野津田神社(4/22) 」「琴平神社(5/14) 」「富士山本宮浅間大社(5/20) 」「将門口ノ宮神社(5/24) 」「成田山 咤枳尼天堂 (出世稲荷)(6/17) 」「旗岡八幡神社(6/27) 」「雑司ヶ谷 鬼子母神 (鬼子母神堂)(7/13) 」「鹿島神宮(7/14)(7/15) 」「鎌足神社(7/15) 」「江の島弁天(8/11) 」「筑土八幡神社(9/5) 」「板橋天祖神社(9/6) 」「十二坐神社(9/16) 」「東京大神宮(9/19) 」「永井箱根神社(10/21) 」「 鶴ヶ峰神社(11/18) 」「驚神社(11/18) 」「野津田神社(12/9) 」「東郷神社(12/16) 」「京都霊山護國神社(12/30) 」「八坂神社(12/30) 」。今年から神社でお参りする度、口で願いを述べ、「努力します」を三回繰り返しています。ただ漠然と願うだけでは自分の思い描く未来は送れないからです。
・訪れた寺は以下の通り。「神呪寺(1/1)」「成田山 新勝寺(6/17)」「根本寺(7/15)」「東陽寺(7/22)」「安全寺(8/31)」「龍山寺(10/29)」「野津田薬師堂(12/9)」「青蓮院門跡(12/30)」「岡崎別院(12/30)」「法然院(12/30)」。お寺も実は本堂の中に入ると面白い。地元の野津田薬師堂には初めて中に入らせてもらいました。臺灣で訪れた龍山寺も地元に密着した様子がたまりませんでした。また、年末に訪れた京都の諸寺では、深く学ばせてもらいました。
・登った山は四つ。「草戸山(4/8)」「桝形山(5/5)」「祢津城山(8/25)」「七国山(12/9)」どれもが低い山です。砥石城も山ですがそちらのほうが急でした。来年は腰を直して百名山に登りたい。
・名木は二カ所。「鬼子母神の公孫樹(7/13)」「山高神代ザクラ(7/29)」。さくらは日本各地に観に行きたいです。
・名水は二カ所。「神田川(5/20)」「益栄の水(12/28)」。前者は平成の名水百選に選ばれています。こうした場所にも訪れていきたい。
・ビーチは二カ所。「エメラルドビーチ(3/27)」「大泊ビーチ(3/28)」。ともに沖縄で訪れた美しすぎる場所。心が洗われるとはこのことです。
私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあったのですがとても時間がありませんでした。
それぞれの場所で俳句も読みました。数年前から興が乗るたびに読んでいましたが、振り返ってみると今年も結構な数を詠んでいます。そうした訪問記が私にとって何なのかの考察は、年末に「SNSとはライフログツール」として表しました。
ライフログについては上記ブログにも書きましたが、年初から6月ごろまで盛んにGoogle Mapでロケーション情報や口コミを投稿していました。それが評価されたのかランクが次々とあがり、10月にサンフランシスコで行われる世界規模のGoogle Mapイベントに招待されました。英語の動画PRができずに断念したのが心残りです。英語も勉強しなければ。

あらためて「公」「私」を振り返ってみました。今年は冒頭に書いた通り、満足度は高いです。良い一年だったと思います。あとはムラを生じさせる原因を来年どう防いでいくかですね。特にムラ、が重要になりそうです。後1日、今年を無事に締めくくり、来年へと繋げようと思います。


EBISU Tech Night Vol.5にて登壇しました


昨日、EBISU Tech Night Vol.5 で登壇を求められ、喋ってきました。
お題は「kintone + MONACAでモバイルアプリ開発!」
まあ、タイトルはストレートです。

EBISU Tech NightはAWSやcybozu.comの凄腕技術者が集うイベントです。今まで私はVol.2でも、Vol.4でも登壇の機会をいただきました。今回が三度目です。

今回はモバイルアプリ開発というお題で挑んでみました。AWSやcybozu.comを主戦場とする技術者とはいえ、ほとんどの方が開発するシステムはPCで使用するシステムのはず。モバイルアプリはあまり経験されていないのでは。そんな予測で臨んだ今回でしたが、冒頭で「MONACAを知っているでしょうか」と三十名程の聴衆者に伺ってみたところ、ご存じなのはお一人だけでした。手を挙げなかった方を含めても一割ほどの認知でしょうか。この分野でメジャーなXamarinを例に挙げたとしても同じ程度だったかもしれません。

モバイルアプリ開発への認知度がその程度とはいえ、今後もモバイルアプリが求められる確度はかなり高い。これに異をとなえる方はそうはいないはず。モバイルの処理能力が飛躍的に向上した今、PCのアプリに対し優位に立てるのは画面の大きさと、複数アプリの同時表示という点ぐらい。

ところがモバイル開発は技術者にとって鬼門でした。少なくとも私には。かつてのフィーチャーフォンでどれぐらい苦労したか。それこそが環境差異。かつてのフィーチャーフォンが廃れてしまった一因には、キャリアごとに開発環境や言語が違ったため、アプリの開発工数がかかった事情も無視できないと思います。そして今もまた「iOS」と「Android」の間でシェアを巡る争いとバージョンアップによる無数の環境が生まれています。

わたしはこうした環境差異を吸収するために費やす時間は無駄だと考えています。もっと機能そのものをビジネスにフィットさせるべきだろうと。そのためにもMONACAのような簡単に環境の差を乗り越えてアプリをビルドするツールはもっと世に知られるべきだと。

今回はkintoneから取得したデータを元にアプリの画面を描画し、最後はkintoneにデータを書き込むところまでお見せしました。モバイルアプリのデータベースは、Local StorageやSession StorageやWeb SQLやIndexed DBやSQLiteが主流です。が、kintoneを使うことで、データベース周りが簡単に作りこめます。kintoneに加え、なおかつモバイルアプリも簡単に作れる。私が示したかったこととはそれです。

そうした意図で語った一部始終、どこまで皆さんに伝わったかはともかく、環境の差異を回避する策の一環として伝わったのであればひとまずは成功です。惜しむべきは、笑いを織り込むまでにスライドを練られずに壇上に上がったことでしょうか。

来年も引き続きEBISU Tech Nightは行われるとか。すでに司会の方から四回目の登壇のご依頼もいただきました。引き続き精進しつつ、皆さんを引き付けられるような登壇を目指します。

スライド


人工知能-人類最悪にして最後の発明


今や人工知能の話題は、社会全体で取り上げられるべき問題となりつつある。ひと昔前まで、人工知能のニュースは情報技術のカテゴリーで小さく配信されていたはずなのに。それがいつの間にか、人類が共有すべきニュースになっている。

人工知能の話題が取り上げられる際、かつては明るい論調が幅を利かせていた。だが、今やそうではない。むしろ、人工知能が人類にとっての脅威である、という論調が主流になっている。脅威であるばかりか、人類を絶やす元凶。いつの間にかそう思われる存在となったのが昨今の人工知能だ。本書もその論調に追い打ちをかけるかのように、悲観的なトーンで人工知能を語る。まさにタイトルの通りに。

人工知能については、スティーブン・ホーキング博士やビル・ゲイツ、イーロン・マスクといった人々が否定的なコメントを発表している。先日、亡くなられたホーキング博士は車椅子の生活を余儀なくされながら、宇宙論の第一人者としてあまりにも著名。さらに注目すべきは後者の二人だ。片やマイクロソフト創業者にして長者番付の常連。片や、最近でこそテスラで苦しんでいるとはいえ、ハイパーループや宇宙旅行など実行力に抜きん出た起業家だ。情報社会の寵児ともいえるこれらの方々が、人工知能の暴走について深刻な危機感を抱いている。それは今の人工知能の行く末の危うさを象徴しているかのようだ。

一体、いつからそのような論調が幅を効かせるようになったのか。それはチェスの世界王者カスパロフ氏をIBMのスーパーコンピューターDEEP BLUEが破った時からではないか。報道された際はエポックなニュースとしてまだ記憶に新しい。そのニュースはPONANZAが将棋の佐藤名人を、そしてALPHA GOが囲碁のランキング世界一位の柯潔氏を破るにつれ、いよいよ顕著になってきた。しょせんは人間の使いこなすための道具でしかない、とたかをくくっていた人工知能が、いつしか人間を凌駕ししていることに、不気味さを感じるように。

さすがにネットには、本書ほど徹底的にネガティブな論調だけではなく、ポジティブな意見も散見される。だが、無邪気に人工知能を称賛するだけの記事が減ってきたのも事実。

ところが、世間の反応はまだまだ鈍い。かくいう私もそう。技術者の端くれでもあるので、人工知能については世間の人よりも多少はアンテナを張っているつもりだ。実際に人工知能についてのセミナーも聞いたことがある。それでも私の認識はまだ人工知能を甘くみていたらしい。今まで私が持っていた人工知能の定義とは、膨大なデータをコンピューターにひたすら読み込ませ、あらゆる物事に対する人間の認識や判断を記憶させる作業、つまり機械学習をベースとしたものだ。その過程では人間によってデータを読み込ませる作業が欠かせない。さらには、人工知能に対して何らかの指示を与えねばならない。人間がスイッチを入れ、コマンドを与えてはじめて人工知能は動作する。つまり、人間が操作しない限り、人工知能による自律的な意思も生まれようがない。そして人工知能が自律的な意思をもつまでには、さらなる研究と長い年月が必要だと。

ところが著者の考えは相当に悲観的だ。著者の目に人工知能と人類が幸せに共存できる未来は映っていない。人工知能は自己に課せられた目的を達成するために、あらゆる手段を尽くす。人間の何億倍もの知能を駆使して。目的を達成するためには手段は問わない。そもそも人工知能は人間に敵対しない。人工知能はただ、人類が自らの目的を達成するのに障害となるか否かを判断する。人間が目的のために邪魔と判断すればただ排除するのみ。また、人工知能に共感はない。共感するとすれば初期の段階で技術者が人間にフレンドリーな判断を行う機構を組み込み、そのプログラムがバグなく動いた場合に限られる。人工知能の目的達成と人間の利益のどちらを優先させるかも、プレインストールされたプログラムの判断に委ねられる。

いったい、人類にとって最大の幸福を人工知能に常に配慮させることは本当に可能なのか。絶対にバグは起きないのか。何重もの制御機能を重ねても、入念にテストを重ねてもバグは起きる。それは、技術者である私がよく分かっている。

一、ロボットは人間に危害を加えてはならないし、人間が危害を受けるのを何もせずに許してもならない。
ニ、ロボット は人間からのいかなる命令にも従わなければならない。ただし、その命令が第一原則に反する場合は除く。
三、ロボットは、第一原則および第二原則に反しない限り、自身の存在を守らなければならない。

これは有名なアイザック・アシモフによるロボット三原則だ。人工知能が現実のものになりつつある昨今、再びこの原則に脚光が当たった。だが、著者はロボット三原則は今や効果がないと切り捨てる。そして著者は人工知能へフレンドリー機構が組み込めるかどうかについてかなりページを割いている。そしてその有効性にも懐疑の目を向ける。

なぜか。一つは人工知能の開発をめざすプレイヤーが多すぎることだ。プレイヤーの中には人工知能を軍事目的に活用せんとする軍産複合体もいる。つまり、複数の人工知能がお互いを出し抜こうとするのだ。当然、出し抜くためには、お互部に組み込まれているフレンドリー機構をかいくぐる抜け道が研究される。組み込まれた回避機能が不具合を起こせば、人間が組み込んだフレンドリー機構は無効になる。もう一つは、人工知能自身の知能が人間をはるかに凌駕した時、人間が埋め込んだプロテクトが人工知能に対して有効であると誰が保証できるのか。技術者の知能を何億倍も上回る人工知能を前にして、人間が張り巡らせた防御機構は無力だ。そうなれば後は人工知能の下す判断に人類の未来を託すしかない。人工知能が「人間よ爆ぜろ」と、命じた瞬間、人類にとって最後の発明が人類を滅ぼす。

人工知能を開発しようとするプレイヤーが多すぎるため、人工知能の開発を統制する者がいない。その論点は本書の核となる前提の一つだ。いつどこで誰が人工知能のブレイクスルーを果たすのか。それは人類にとってパンドラの箱になるのか、それとも福音になるのか。その時、人間にフレンドリーな要素がきちんと実装されているのか。それは最初に人工知能の次の扉を開いた者に委ねられる。

もう一つの著者の主要な論点。それは、汎用知能AGI(artificial general intelligence)が人工超知能ASI(artificial super intelligence)になったと判断する基準だ。AGIとは人間と同じだけの知能をもつが、まだ自立能力は持たない。そして、Alpha Goはあくまでも囲碁を打つ機能に特化した人工知能でしかない。これがASIになると、人間に依存せず、己で判断を行える。そうなると人間には制御できない可能性が高い。そのとき、人工知能がAGIからASIにステージが上がった事をどうやって人間は判断するのか。そもそも、AGIが判断するロジックすら人類が検証することは不可能。人間の囲碁チャンピオンを破ったAlpha Goの判定ロジックも、すでに人間では追えないという。つまりAGIへのステップアップも、ましてやASIに上がったタイミングも把握することなど人間にはできないのだ。

そして、一度意思を手に入れたASIは、電気やハードウエアなど、自らにとって必要と見なした資源は優先的に確保しにくる。それが人類の生存に必要か否かは気にしない。自分自身を駆動させるためにのみ、ガス・水道・電気を利用するし、農作物すら発電用の資源として独占しかねない。その時、人間にできるのはネットワークを遮断するか、電源の供給を止めるしかない。だがもし、人工知能がAGIからASIになった瞬間を補足できなければ、人工知能は野に解き放たれる。そして人類がASIの制御を行うチャンスは失われる。

では、今の既存のソフトウエアの技術は人工知能に意思を持たせられる段階に来ているのか。まずそれを考えねばならない。私が本書を読むまで甘く考えていたのもこの点だ。人工知能の開発手法が、機械学習をベースとしている限り、知識とその判断結果によって築きあげる限り、自立しようがないのでは?つまり、技術者がコマンドを発行せねば人工知能はただの箱に過ぎず、パソコンやスマホと変わらないのでは?大抵の人はそうたかを括っているはずだ。私もそうだった。

だが、人工知能をAGIへ、さらにその先のASIに進める研究は世界のどこかで何者かによって着実に行われている。しかも研究の進捗は秘密のベールに覆われている。

人間に使われるだけの存在が、いつ自我を身につけるのか。そして自我を己の生存のためだけに向けるのか。そこに感情や意思と呼べるものはあるのか。全く予想が付かない。著者はASIには感情も意思もないと見ている。あるのはただロジックだけ。そして、そのロジックは人類に補足できない。人工知能が自我に目覚める瞬間に気づく可能性は低いし、人工知能のロジックを人類が使いこなせる可能性はさらに低い。それが著者の悲観論の要点だ。

本書の中で著者は、何人もの人工知能研究の碩学や泰斗に話を聞いている。その中にはシンギュラリティを世に広めた事で有名なレイ・カーツワイル氏もいる。カーツワイル氏の唱える楽観論と著者の主張は平行線をたどっているように読める。それも無理はない。どちらも仮説を元に議論しているだけなのだから。私もまだ著者が焚きつける危機感を完全に腹に落とし込めているわけではない。でも、著者にとってみればこれこそが最も危険な点なのだろう。

著者に言わせると、ASIを利用すれば地球温暖化や人口爆発は解決できるとのことだ。ただ、それらの問題はASIによる人類絶滅の危険に比べれば大したことではないともいう。それどころか、人工知能が地球温暖化の処方箋に人類絶滅を選べば元も子もない。

私たちは人工知能の危機をどう捉えなければならないのか。軽く受け流すか、それとも重く受け止めるか。2000年問題やインターネットを巡る悲観論が杞憂に終わったように、人工知能も同じ道をたどるのか。

どちらにせよ、私たちの思惑に関係なく、人工知能の開発は進められて行く。それがGoogleやAmazon、Facebook、AppleといったいわゆるGAFAの手によるのか。ほかの情報業界のスタートアップ企業なのか。それとも、国の支援を受けた研究機関なのか。または、軍の統帥部の奥深くかどこかの大学の研究室か。もし、ASIの自我が目覚めれば、その瞬間、人類の未来は定まる。

私は本書を読んでからというもの、人工知能の危機を軽く考える事だけはやめようと思った。そして、情報技術に携わる者ものとして、少し生き方も含めて考え直さねば、と思うようになった。

’2017/10/17-2017/10/24


出版社と書店はいかにして消えていくか


本書は、紙の本が好きな人にとって「諦めの書」となるだろう。諦めといっても紙の本それ自体を諦めるのではなく、書店で本を買う文化への決別の書だ。本書のタイトルがすでに出版社と書店の衰退を決定事項にしている。

そして、本書は出版社と取次と書店が形成してきた近代出版流通システムがもはや終わりを迎えていることを宣言する。

私は紙の本を常に携えている。どこにいくにも。そうしないと、落ち着かないのだ。本書の内容は、私のような者の気分を落ち込ませる。私はまだ、かたくなに紙の本にしがみついている。電子書籍の媒体も持っているが、それで読むのは漫画だ。それもごくたまに。文字を中心とした本については電子書籍を遠ざけている。それは、仕事で資料チェックを行う際、紙とディスプレイでどちらが誤植や落丁を見つけられるか、経験した方なら明らか。紙の方が不思議なことに間違いを見つけやすいのだ。それはつまり、紙の本を読む方が内容をよく理解できることを意味する。だが、本書に書かれた内容から予感できるのは、私が紙の本を読めるのもあとわずかということだ。

私にとって本書から受けた一番の衝撃。それは出版物流通システムが制度疲労を起こしている事実ではなく、本を読み本を読んだ体験を共有する文化の消滅が間近であることが本書から伝わってきたことだ。それは、読んだ本のレビューをつづる当ブログの存在意義にも関わる。

もとより当ブログはさほど宣伝をしていない。扱う本も話題の本ではない。私が書店に平積みにされたベストセラーリストに載るような本を読むことはほぼないからだ。話題から外れて少したった本を読み、読んでから一年近くたってようやくレビューとしてアップしている。だからPVが稼げるはずもない。もともと当ブログはほぼ個人の趣味的な空間なのだ。それを承知でブログを始め、今も続けている。それは私が本を読むことに喜びを感じ、それを共有したいと思うからだ。ところが、本書の内容からは読書文化の衰退が漂ってくる。私はそのことに哀しみすら覚える。

そう書いている私自身、新刊本を平積みのうちに買うことはめったにない。話題になった本は数年後に図書館で借りてくるか、ブックオフで安く買う。または話題になって数年後に買うか。何のことはない、私自身が出版文化の衰退に一役買っているのだ。それを自覚しているだけになおさら切ない。

私の世代が多感な時期を過ごしたのはデジタルが世を席巻する前だ。まだ商店街にいくつもの本屋が並んでいた頃。ネットどころか、コンビニエンスストアで本を買う習慣が珍しい頃。本は本屋で買うことが当たり前だった世代だ。例えばJR甲子園口駅の南北に伸びる商店街。私は子供の頃この商店街の近くに住んでいた。この商店街にもしょっちゅう訪れていた。覚えている限りでこの商店街に本屋は五店あったが、今やすべて閉店している。近隣の阪神甲子園駅や鳴尾駅の前にも本屋があったが、それらも一掃されている。今、ここに挙げた三つの駅の近くに本屋があったことを覚えている人は少ないだろう。

また、本書には、書店史の重要なトピックとして郊外型書店が登場する。この郊外型書店も西宮市内に数店あった。私もよく通ったものだ。だが、今やその姿を見ることはない。今の西宮市に残っている本屋は、スーパーの店内や大規模ショッピングセンターのテナントとして間借りする大規模チェーンしかないと思う。それらの動きの背後にブックオフに代表される新古書店の存在があったことは忘れてはならない。

あと一つ忘れてはならないのは市立図書館の存在だ。私が初めて図書館を利用したのは小学校三年生の頃。その当時、西宮市立図書館は古びたいかめしい建物だった。その図書館も間もなく閉館し、市内数カ所に分かれて立派な図書館として生まれ変わった。その様子を私は客として利用者として見てきた。

このように西宮市内という狭い範囲とはいえ、私は本屋業界の変遷を目撃してきた。多分西宮だけでなく、日本各地でも似たような状況をたどったのではないかと思う。だが、それはあくまで消費者側から見た話だ。本書が限界を指摘する近代出版流通システムは、出版社と取次と書店の三者が作り上げてきた。

本書を読むと、そのどこにどうやって歪みがたまっていったのかが理解できる。その中で私のような消費者がどのような役割を演じたのかも。

著者は出版業界の経営者だ。そして、出版業界のあり方に長年警鐘を鳴らし続けてきた。著作の中には「ブックオフと出版業界」がある。この本は2000年に出版されている。わたしが付けている読書記録によると、この本を読んだのは2002年8月のこと。ブックオフに代表される新古書店の進出が書店業界に与える影響について警告を発していたと記憶している。当時すでにブックオフのヘビーユーザーだった私は、この本を読んだことでブックオフで購入する量が減りはしなかったものの、安易にブックオフを利用するだけでなく、新刊本も買わなければと自らを戒めた。まだ、圧倒的に新刊で買う頻度は低いが。

本書は全5章からなっている。
第1章 出版社・取次・書店の危機
第2章 近代出版流通システムの誕生・成長・衰退
第3章 出版社・取次・書店はどうなるのか
第4章 過剰消費社会の臨界点
第5章 検証・近代出版流通システムの臨界点

初めの3章が本書の肝で、最後の2章はまとめの章だ。

なお、本書は1999年に出版された。上述の「ブックオフと出版業界」よりも前に上梓されている。また、最後の2章は、1999年に初版が出された際は収められておらず、2000年前後にまとめられた文章を改版時に収めたらしい。どちらにしても2000年前後ということは、Amazonなどのネット書店の影響がまだ薄い時期だ。そのため、インターネットについてはあまり筆が割かれていない。インターネットが与えた出版業界への影響は、本書の続編にあたる「出版業界の危機と社会構造」に書かれていると思われる。

最初の章では、現在の書店や取次の財務状況を見る。そして書店や取次が倒産しつつある状況を危機的に描く。 特に再販制と委託制については、出版業界が抱える最大の病巣であると再三指摘する。また、郊外型書店が大量に出店した背景も指摘する。

再販制とは、再販売価格維持行為を指す。つまり、出版社が定めた価格が書店での販売価格になる。書店の裁量で価格を変えることを認めない定価制度だ。もう一つの委託制とは、売買時に返品条件を定めておき、一定期間書店に置かれた書籍や雑誌が売れなかったら返品条件に従い取次に返品できる制度だ。

これらの制度によって、書店経営のハードルはさがり、小規模であっても経営が成り立っていた。そして返品され新刊ルートから外れた書籍は中古市場に回り、書籍として第二の活躍の場が用意されていた。また、開店口座という方法で初期在庫の書籍代を取次が建て替える制度によって郊外型書店の出店が容易になった。75年に名古屋の三洋堂書店が郊外店を出店したのがはしりだという。このような書店界に脈々と受け継がれたシステムは外側からみてもかなり独特だ。

本書の二章で描かれる近代出版流通システムの変遷は、我が国の出版の歴史を知る上でとても参考になる。出版社の成り立ち、取次の成り立ち、書店の成り立ち。本書にはそれらがどうやって生まれたが示される。「小説神髄」や「当世書生気質」といった文明開化の音に合わせて読まれた小説。この二冊の小説の奥付(本の末尾に示される出版社の名称や発行日などの情報)が画像として掲示される。奥付に書かれた出版に関わる業者の名前。そこには出版システムの成り立ちが刻まれていると著者はいう。

どうやって書籍の定価販売が始まり、取次が興っては消えていったか。雑誌から始まった委託返品制度が書籍に波及したのはなぜか。そのきっかけである円本の大ヒットはどのように出版界を変えたのか。戦時体制の中、取次が整理され、委託返品制ではなく注文本位となったいきさつ。そして戦後、委託返品制の復活と再販制の導入。これらの歴史が時代を追って示される。

出版システムの歴史の中で特筆すべきなのは流通革命だ。ダイエーの中内氏が先駆者となり、メーカー主導から小売、消費者主導に世の潮目を変えた流通革命。その時代の流れに取り残されたのか、耐え抜いたのか、出版業界は洗礼を受けなかった。これが今の出版の危機の遠因だと著者は指摘する。本書はインターネットや電子書籍が読書界を侵食する以前の時代に書かれた。それなのに大量の本があふれ、本屋や出版社が倒産し、ちまたに売られる本は新古書店で一律価格で売られる状況がある。そして、これだけの危機がありながら、さらにインターネットの発達が出版界を壊滅に追い込んでいったのかが本書には描かれていない。それがとても気になる。

私の思いは出版流通がどうあれ、ネットの発達がどうあれ、コンテンツには価値が与えられ、コンテンツの創作者には相応の対価が支払われるべきという点で変わらない。だからこそ出版物の流通には変革が必要だし、前時代の流通システムにしがみついている限り淘汰されても仕方ないと思う。コンテンツの価値が正当に認められる限り、コンテンツの創作者に対価が還元される限りにおいて、抜本的な変革は避けられないだろう。

‘2017/05/01-2017/05/11


プラチナデータ


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ビッグデータ。ここ数年、IT業界で話題に上ることの多いキーワードである。どういうデータなのか?一言で表すと、個人の購買、行動履歴を含んだ大量のデータ、とでも言えばよいか。ビッグデータを分析することで、マクロ・マイクロを含めた経済動向や、消費者の購買傾向を読み解ける。そう識者は謳う。政府・日銀による経済政策策定の基礎データとして、又は、企業が自社製品の開発やマーケティング戦略に活用できるとの触れ込みで、脚光を浴びた言葉である。

しかしデータ活用など、以前から普通に云われ続けたこと。ビッグデータといっても所詮はキャッチコピーでしかない。だが、データ分析と活用の重要度は廃れるどころか今後も増すと思われる。

著者の元エンジニアとしての嗅覚は、大分前からこの事を察知していたに違いない。世の中のIT技術が小説の小道具として違和感なく使えるようになるまで、本書のアイデアを小説化する機会を伺っていたのではないだろうか。

今から二十年ほど前に流行った言葉にプロファイリングがある。犯罪者が現場に残した証拠から、犯罪者本人の性格や性別といった個人情報を類推する技術である。これまた、19世紀から、ロンドン、ベーカー街の高名な探偵が用いていた技術の焼き直しである。

このプロファイリングを膨大なビッグデータを活用して行うのが、本書のアイデアの肝となる。犯罪現場の状況を大量のデータに突き合わせることで、該当する人物像を即座に呼び出せるシステム。このシステムをめぐり、謎がなぞを呼ぶ。

ある事件の現場データを主任技術者が分析にかけると、該当する人物像として導かれた結果は、主任技術者本人。それは何故か。高性能な情報監視技術を狙う他国の謀略か、はたまた、ある事件の犯人による高度な細工か、または分析システムのバグに過ぎないのか。

このような基本プロットが、著者のストーリーテリングの腕にかかるとどうなるか。一級のサスペンスとしての本書は約束されたようなもの。するすると読めてしまう。

だが、惜しむらくは筋書きがスパイ小説の定石に陥ったことだろうか。真相解明にも奇抜な発想への驚きはなく、真犯人を知った時の驚愕が待っている訳でもなかった。そのような読後のカタルシスには残念ながら出会えなかった。

しかし、だからと言って本書を読むに値しないと決めるのは早計だ。本書はビッグデータの可能性を世に問うことを目的としているのかもしれない。IT技術者の端くれとして書くと、このような技術はとっくに運用されていても驚かない。先年もアメリカでNSAの存在がリークされ、世界を覆う監視網の存在が明らかになった。安易な陰謀論には与しない事を信条とする私だが、データ分析によるプロファイリングという本書の提起は、あり得ることと考えている。

‘2014/9/16~’2014/9/18