Articles tagged with: コミュニティ

kintone Café 帯広 Vol.4に参加・登壇しました。


2024年2月10日に開催された「kintone Café 帯広 Vol.4」に参加・登壇しました。
告知サイトはこちらです。

参加に当たって

一週間前、私は釧路でのCLS道東(コミュニティ・リーダーズ・サミット in 道東 2024 極寒編)に参加し、翌日の大人の遠足編にも参加してから、帯広へ移動しました。
CLS道東の参加ブログはこちらです。
大人の遠足編の参加ブログはこちらです。
そこから一週間、私の毎日は十勝平野の中にありました。

一週間もの間、十勝に滞在していたのは、kintone Café 帯広に参加する予定があったからです。
そのため、CLS道東が終わった後、どうやってkintone Café 帯広までの一週間を過ごすかを考える必要がありました。
以下では、十勝での活動にも触れつつ、なぜ私がkintone Caféにリアルで参加しようとするかの理由も語りたいと思います。

幸いなことに、同じ時期に丸正田中様への納品タイミングが重なっていました。丸正田中さんは弊社の十勝のお客様です。
CLS道東からkintone Café 帯広までの間に納品も済ませてしまう。
これもタイミングが全てうまく合ったからです。全てが天の配剤と言うべきタイミングでした。
十勝ではほぼ全日程をSEEDPLUS社を経営されている前嶋さんと過ごしました。

前日と当日、十勝でのご縁が強まりました

特に前日には、十勝での様々なご縁がありました。以下に軽く触れます。

開拓村
前日の2/9の午前には道の駅 ピア21しほろを切り回している堀田さんと懇談しました。CLS道東でお会いした堀田さんからは、道の駅の運営についての貴重なお話が伺えました。わが国でも筆頭に挙げられるじゃがいも産地の士幌で存分に腕を奮われておられる堀田さんの取り組みからは、十勝の底知れぬ可能性を体感しました。十勝でのご縁がまたひとつ増えました。
その後、帯広空港で丸正田中の社長様を迎えに行き、夜には社長様からのご要望をその場で全て実装しました。これで、CLS道東とkintone Café 帯広までの十勝滞在の最大の目的を達しました。
そして2/10。kintone Café 帯広 Vol.4の当日。丸正田中の社長様と前嶋さんとで中札内村の焼肉 開拓村で美味しいお肉をいただきました。このお店は前日にお会いした堀田さんのご実家であり、こうやって十勝でのご縁が次々とつながっていくことに手応えだけを感じました。

LAND内
社長様に帯広まで送っていただいた後、私と前嶋さんは帯広駅前にあるLANDで小田さんと懇談しました。とかち財団の小田さんもCLS道東でご縁をいただいた方です。

さて、なぜここまで十勝での様々なご縁を紹介したか。
それは、今回のkintone Café 帯広に参加した目的にもつながります。
kintone Café 帯広の参加にあたっては、十勝での弊社の認知度や皆さんとのご縁を広げることが主な目的でした。

というのも、今回のkintone Café 帯広で、私は当初、登壇する予定がなかったのです。
普段ならkintoneエバンジェリストとして何らかの登壇を行いますが、今回は、登壇者の晩成温泉の高田さんの登壇を応援できればそれで目的は達せられました。

急な登壇のご依頼

ところが、登壇予定の方が来られなくなったらしく、私に登壇依頼の白羽の矢が立ちました。それが前日の夕方のこと。

丸正田中の社長様に作業の成果とご要望のヒアリングをする前の30分ほどで登壇内容を考え、資料を作り始めました。その日の夜中と翌朝(登壇当日)に資料の作成を続け、さらにLANDにおいて資料の残りを作り上げました。

kintone Café 帯広 Vol.4

相互電業近くの雪道
時間が近づいてきたので、kintone Café 帯広の会場の相互電業さんへ向かいました。
相互電業さんに伺うのはこの一年で四回目です。
前年の3月にkintone Café 帯広 Vol.2でお伺いした際にも雪が残っていました。が、今回はその時よりも雪が積もっています。路面は凍っていて気を付けて歩かないと剣呑です。
それまで滞在していた中札内村や大紀町の雪も大変でしたが、街の中に大量の雪が残る様は、まさに雪国の現実を思わされました。

茶々丸
会議室に入ると、なんと茶々丸が辺りを徘徊しているではありませんか。
茶々丸こそは、愛するペットと暮らしながら仕事がしたいと言う今野さんの願いの象徴であり、働き方改革のツールとしてのkintoneの開発者・利用者の間でも広く知られたワンちゃんです。
全国のあちこちで開かれているkintone Caféの中でも茶々丸と帯広は著名な組み合わせです。

kintone Café 帯広 Vol.4
茶々丸を抱っこした今野さん
その茶々丸を抱きかかえた、今野さんからの開始挨拶でkintone Café 帯広 Vol.4は始まりました。

高田さん
そしてトップバッターとして話していただくのは、晩成温泉の高田さん。
私も前々日に晩成温泉に泊まらせてもらい、そのアイラモルトを思わせる豊かな泉質に疲れが癒されました。私の好きな温泉です。

高田さん
今回、私が丸正田中さんにおいてkintoneの実装を行う上で、高田さんの尽力は大きかったです。
高田さんの登壇のテーマは「楽をしたい」という潔いもの。高田さんの掲げるテーマは、まさにkintoneの存在意義そのものです。
私も詳しく業務の内容をヒアリングした晩成温泉の運用。
手動でExcelに手打ちで入力し、紙ベースでの回される運用。業務が人に属し、業務が変わらない限り楽にならない運用。そこからどうやって楽になるか。そこに焦点を合わせ、一貫した高田さんのお話はとても魅力的でした。

高田さん
私もしばしばkintone Caféで話します。ところが、弊社のお客様をお招きし、kintone Caféで話してもらう機会はそう多くありません。その意味で、今回のkintone Café 帯広 Vol.4で高田さんに話してもらったことはよい思い出になりました。

高田さん、ありがとうございました。

白石さん
次いで、株式会社ズコーシャの白石さんからです。
白石さんは、ご自身でkintoneやgusuku Customineを駆使して業務改善にまい進しておられます。

白石さん
現場の事をもっともよくわかっている方がkintoneを使いこなした方が、現場の業務改善には有効。

白石さんの取り組みは、まさにその証しです。
ボタンもさまざまに組み込み、kintoneとその可能性を試しておられる様は、印象を受けました。
カスタマイズをやりすぎているのではないか、というご自身への客観的な視点を語りながらも、自社のDX推進として現場の運用と矛盾が生じないようにさまざまな実装を試しておられる姿は、まさにkintoneとユーザーの幸せなマリアージュ。

白石さん、ありがとうございました。

和田さん
続いては、モノデジタル社の和田さんから。

和田さん
和田さんはなんと和歌山から駆けつけて下さったとのことです。kintone Caféの会場には娘さんを連れてこられていました。
茶々丸を追っかけまわしていた娘さんの姿がかわいらしかったです。

和田さん
さて、かわいらしい娘さんと対照的に、和田さんの登壇内容はDXとセキュリティという硬質でかつ、kintone Caféとしても知っておくべき内容でした。
和田さんはモノデジタル社の代表取締役と同時に、一般社団法人日本デジタルトランスフォーメーション推進協会の和歌山支部でも活動されておられます。
スライドは後者の立場からの啓蒙的な内容で、さまざまなセキュリティの脅威がありますよ、ランサムウェアは恐ろしいですよ、という内容でした。もちろん、kintoneは政府のISMAP(政府情報システムのためのセキュリティ評価制度)にも登録されていますが、その点でもきちんとお話をしてくださいました。

最近ではお客様へのkintoneの導入前にセキュリティが整っているかについても説明を求められることが増えています。そうした規模のお客様にkintoneを進めるにあたって、セキュリティ知識のアップデートは怠るべきでないことを痛感しました。

和田さん、ありがとうございました。

ここで休憩を挟み、SEEDPLUS社の前嶋さんは一足先に東京へとお帰りです。
月曜日の昼すぎから土曜日の夜まで、約六日間、ありがとうございました。

長井
さて、次は私の番。
前日の夕方に依頼を受けて作ったスライドをご披露しました。

長井
今回のkintone Café 帯広のテーマが【kintoneや連携サービスの好きな所を共有し合ってみよう!】だったので、連携サービスをテーマにしました。その時たまたま目に入ったのが、kintoneエバンジェリストの石際さんがカレンダーPlus+Stylesという拡張機能を出したXのPostでした。
そうや!カレンダーPlusで行こう!栄さんもkintone Café 帯広に来られると参加者名簿に載っていたし!

ということで、カレンダーPlusは拡張できる余地があるからよいよ、というスタンスで発表しました。
私のスライドはこちらです。

小野寺さん
トリは、ホーム創建の小野寺さんから。
「働きやすい環境をつくる」というテーマでした。まさに会社を良くするため、という目的のためのツールとしてkintoneを使っておられるよい発表です。

たまたま私が座っていた同じテーブルの島に同じホーム創建の濱村さんがおられ、会社としてkintoneを使って真摯に改善していこうという思いを強く感じました。
濱村さんからは私が発表したカレンダーPlusのカスタマイズについても質問をいただきました。
部下にとって働きやすい環境を作りたいという小野寺さんの思いも発表に加えて濱村さんとお話ししたことでよく伝わりました。

小野寺さん
工務店さんの業務の場合、顧客管理、案件管理、進捗管理、施工管理などが多岐にわたり、管理も大変になる。
私もそうした実装を何回もしてきたからよくわかります。
kintoneに着手して間もないけれど、ウェブ上の情報だけでは理解しきれないkintoneを使った業務改善。だからこそ、こうした場に実際に参加し、情報を収集し、一生懸命カイゼンしていこうという思い。これこそ、kintone Caféを開く意義です。運営側の冥利につきます。

小野寺さん、ありがとうございました。

わがままカード
さて、時間が余ったので、今野さんから秘密道具が登場しました。わがままカードです。
それぞれの持ちカードを基に、山から一枚引いたカードで自分の価値観に合致するものだけを手元に残し、あとは捨て札として開示していきます。

私も持っているのに、そういえば久しく使っていませんでした。これ、今度弊社でもまた使ってみようと思いました。

わがままカード
ちなみに私の価値観はこんな感じです。だいぶ経営者目線よりの選択になりましたが、個人としての思いと経営者の責任のバランスに悩む私にもよいきっかけでした。
ちなみに、私のいた島は上述の濱村さん、そしてラジカルブリッジの栄さん、さらにインセンブルの濱内さん。なんと経営者が3名も。

kintone Café 帯広 Vol.4の懇親会

さて、会場を出て私たちは懇親会へ。この日の懇親会は「居酒屋 とっくり」
居酒屋 とっくり
とてもおいしかったです。十勝といえば食の王国。
kintone Café 帯広の楽しみも懇親会のお酒と食。そして、会話。

居酒屋 とっくり
kintone Caféの場で聞けなかった皆さんからのお悩み相談。こうした酒席では、皆さんの緊張もほぐれ、生のお悩みを聞くことができます。それを私たちも飾らず気取らずにその場で応える。これこそがまさに懇親会の場の良さですね。
今回も皆さんからのさまざまなご相談を受けました。

二次会は「TOKIO」。こちらは前回も立ち寄り、楽しませてもらいました。
TOKIO
kintone Café 帯広の夜と言えばこちらが定番になりそうです。昭和歌謡をこよなく愛する栄さんがご一緒の限り。

続いての三次会は「COCKTAIL BAR PAL」さん。
PAL
ここでは、帯広の地元グルメについてディープな情報をかなりいただきました。
ラーメン屋さん情報や上士幌町が運営しているJALとの航空サブスクリプションプランなど、また来たくなる情報をたくさんもらいました。

kintone Caféにリアル参加する理由

こうした会話からその地の暮らしぶりを知ることができ、それがまた次の訪問にもつながる。商談の際の雑談のネタも増える。
業務改善とは、単に仕事のプロセスを改善するだけでなく、人や会社の社風や周りの環境も含めて理解することが欠かせないと思っています。こうやって地方にやってきてその地の皆さんと会話を楽しむ中で、それが未来へとつながる。

私がリアル訪問にこだわるゆえんでもあります。
kintone Caféは一時はコロナの影響でオンライン開催が増えました。が、私はこうした触れ合いや交流こそが大切だと思っています。
リアルで会って胸襟を開かなければ聞けないkintoneの悩みは、その場で応える。そして各地でkintoneのファンを拡げ、それをさらに次のご縁につなげていく。
このスパイラルを続けられるよう、私もリアルで御呼ばれするたびにお伺いしたいと思います。さらに、そのための切磋琢磨を続けたいと思います。

最後の締めは「らーめん酒場 三楽」さん。そして、私はチェックイン済みのNUPKAさんへ。宿に帰ったのはすでに夜中の二時ごろでしたが、とても楽しい夜を過ごすことができました。
翌日はほとんどの時間を帯広競馬場で過ごし、ばんえい競馬を楽しんで帰京しました。2/2(金)~2/11(日)まで、長い出張でしたが、本当に充実できました。

参加者の皆さん、登壇者の皆さん、そして毎回会場をご提供してくださる相互電業の皆さん、今野さん、ありがとうございました。
kintone Café 帯広 Vol.4のまとめサイトはこちらです。


CLS道東 2024 極寒編に参加してきました



2024年2月3日に開催された「CLS道東 2024 極寒編」に参加してきました。
告知ページはこちらです。

CLSはコミュニティ・リーダーズ・サミットの略です。
つまり、全国の様々な地域・職種のコミュニティを率いる方々が集ってコミュニティのあり方や取り組みを紹介し、共有する場です。皆さんがそこで学び、コミュニティ活動に実践することが趣旨です。

私はCLS道東の初開催から全てに参加しています。

なぜ毎回参加するかというと、コミュニティ運営についての学びが得られるからです。

私は、kintone Caféというコミュニティ運営に複数の支部で関わっています。最近では、新たな支部の立ち上げや休眠していた支部の再活性化にも携わっています。

また、弊社も山梨県に関わりを深めています。
山梨県への関わり方をどうすればよいかについては、まったくの未経験からのスタートでした。

弊社の場合、役員である妻がGoodWay社とのご縁を深めました。そのご縁から、学生団体トップファンや山梨県活性化プロジェクトなどに人脈を拡げつつあります。
私もまた、kintone関連のイベントを通じて山梨での知己を増やしています。

山梨県ではこのように既存のコミュニティに参加してから、新たなコミュニティの立ち上げに関わりました。さらに、自社でも新たなコミュニティの創生も模索しています。

私と妻は共に、人口減少に悩む山梨県の役に立ちたいと志しています。そして、これからの働き方や暮らし方を考える上で山梨が適しているのではないかと考えています。
そこで、山梨に弊社の拠点を構えることを考えています。山梨に拠点を構え、リモートワークにより首都圏や他地域の案件は引き続き対応します。それと同時に、山梨での案件を増やすことで仕事を通じて地域に貢献したいという思いが増しています。
そうした活動を通して山梨のために還元できるやり方として、単なるクラウドを用いたシステム構築だけでなく、雇用創出やコミュニティ作りを組み合わせることが有効だと確信しています。

ゼロから人脈を広げるには、具体的にどのような行動を取るべきか。山梨で上記のような活動をするには何を考え、どう動くべきか。
CLSからは多くの事を学びました。
今までは、コミュニティのイベントに参加するだけだった私が、コミュニティの立ち上げや創出にも関われるようになったのも、CLS道東やCLS高知で得た知見があったからです。
今回のCLS道東でもそれぞれの地で活動されるコミュニティの運営事例を伺うことができました。


さて、CLS道東が始まりました。
風邪をひいているにもかかわらず司会役を全うしたみうみうさんによる開会のあいさつの後は、早速本編へ。その前に四宮琴絵さんからは946BANYAの入場者数が一万人を超えたというとてもうれしいニュースと記念すべき一万人目のお二人に花束贈呈が。おめでとうございます!


今回は参加者の名札が三種類用意されていました。どれも、秋田さんによる手書きでとてもすばらしかったのです。私はSLを選びました。


「トークセッション1【道東の魅力を掘り起こすー地域と人を巻き込む方法】」
モデレーターの塩崎さんの進行のもと、スピーカーの堀田さんと達川さんが士幌町と標茶町で取り組まれてる事業を話されていました。


堀田さんは株式会社atLOCALの代表として道の駅ピア21しほろの運営を行われています。
道の駅を民間に委託するにあたり、士幌町内で立候補する事業者がいなかったそうです。このままでは町外の事業者によって道の駅から士幌らしさが失われてします。それに危機感を感じ、会社を立ち上げられたとか。

堀田さんが中札内村のご出身で中札内村のJAにおられたという経歴も興味をひきました。
なぜならCLS道東の数日後に中札内村で三泊する予定があったからです。
また、士幌町の隣の音更町にお客様の現場視察の予定もありました。ということは、その際にピア21しほろに立ち寄れそうです。
また、弊社はJAさんにDX支援をしています。その中では直売所のDX推進もやるべきミッションの一つです。堀田さんの取り組みから学べる事は多いのではないかとひらめきました。

日本一町民に必要とされる道の駅という運営方針にも興味があります。道の駅の運営を町の人にも来てもらうためには、運営側としては表に出ない方がよい。
実際、道の駅ピア21しほろのウェブサイト(https://pia21shihoro.jp/)にはatLOCAL社はほぼ出てきません。商品にもロゴはだしていないそうです。

数日後、実際に「道の駅 ピア21しほろ」に伺いました。そこで、堀田さんと懇談し、あらためてその運営方針やお考えについてうかがいました。
実際、「道の駅 ピア21しほろ」には地元の方と思しき方々の姿が多く見られました。また、スタッフと活発に意見を交わすミーティング中の堀田さんの姿もみることができました。
ミーティングで話される内容や指示内容が具体的であることも印象に残りました。この熱意こそが道の駅 ピア21しほろが町民に受け入れられた理由であることに納得しました。

余談ですが、「道の駅 ピア21しほろ」を訪れた翌日に、堀田さんのご実家である中札内村の「焼肉 開拓村」にも訪問できました。中札内村ではよく知られたお店だそうで、そのご縁には驚きました。ボリューム満点で肉もめちゃ美味しかったです。まさにCLSが生み出すご縁です。


また、達川さんは標茶町でTHE GEEKというサウナ&クラフトホステルを営んでおられます。ウェブサイトはこちらです。
達川さんは兵庫の宝塚のご出身で横浜の戸塚で仕事をする中、訪れた塘路に一目ぼれしたそうです。そこから知己もいない中、単身で挑戦を始めたそうです。
誰も知り合いがいない中、イベントを企画し、一人で黙々と準備をしていたら、みかねた地元の方が助けてくれたり、免許停止を食らった状態で移動に難儀していたら地元の方が助けてくれたり。

山梨で挑戦しようという今の弊社にとって共感できるストーリーがありました。

私も達川さんの経歴には親近感を持ちました。宝塚の隣の西宮で育ち、戸塚からそう離れていない町田に住んでいるからです。
ところが今の私は24年強の間、町田から離れられずにいます。達川さんはそこからもう一段高いレベルへ挑戦し、見事に成果を出しつつあります。その心意気は、学ばねばならないでしょう。

よく都会から田舎への移住にあたってよく聞くネガティブ情報として、地元の方に受け入れられないとか排除されるとかの声はよく聞きます。
お二人を見ていると、やり切ることで地域に受け入れられた人の達成感がありました。懸念よりも実際に地域に飛び込んでいくことで地元の方々の共感を得る。とても大切なことだと思います。
とても励みになったお二人のセッションでした。


ここで休憩。私はせっかくなのでお隣の大道東まつりで中札内いなか鶏に反応して、カレーを頂きました。めちゃ美味しかった。



さらにここで日本酒コーナーに吸い寄せられ、佐藤さんの元に伺うと、まさかのサウザーさんことジョイゾーの中嶋さんが!ジョイゾーさんへのご入社おめでとうございます!


「トークセッション2【京丹後で繋がるローカルとソーシャル】」
モデレーターの高山さんの進行のもと、スピーカーの長瀬さんと岸さんと渡邉さんが京丹後市で取り組んでいる事業について話されていました。

京丹後市といえば豊岡のお隣です。つい七日前、私が滞在していた城崎の近くです。
また、京丹後市は10年ほど前、両親とうちの家族で旅行にいき、夕日ケ浦などを訪れた思い出の場所でもあります。

Tangonianの皆さんからは興味深いキーワードがたくさん伺えました。
「コミュニティツーリズム」
「地域を「観光地」から「関係地」へ」
「繋がるローカルとソーシャル」
どれもが新鮮なキーワードです。

そうしたキーワードから通して教わったのは、コミュニティツーリズムが事業として成り立つことです。
観光客も地元の人も生身の人です。データではありません。
地元で働く人々は観光目的で生計を立てていません。そうした人に対し、浅薄な観光客を紹介すると信頼を損ねてしまいます。つまり信頼貯金がなくなってしまうのです。そうならないために本当に信頼できる人を絞って紹介する。つまり、お互いにとって無理のない形で共感を作る。

Tangonianの皆さんの取り組みからは、インバウンド需要をうまくとらえ、それを基にした地域おこしや地域創生が事業として成り立つ可能性を学びました。

私が役に立てるのはクラウドを活用した情報システムの構築です。
旅が好きで地域のために役立ちたいと思っている私ですが、どうすれば地域創生についてお客様に対価としていただけるサービスを提供する方法がよくわかっていません。


コミュニティツーリズムの考え方は、私にとって新たな気づきを与えてくれたように思います。
Tangonianの皆さんありがとうございました。

続いてはサポーターセッション。


「サポーターセッション1 生活協同組合コープさっぽろ」
長谷川さんといえば、武闘派CIOとして著名な方です。このセッションでは長谷川さんが広報担当として売り出したい方(お名前を失念してしまいました・・・・)と掛け合う様子がとても面白く、私も妻と同じようなスタイルで登壇できへんかなぁとつい考えてしまいました。
こういうのも新たなコミュニティの形です。
登壇慣れしていなくても、コミュニティ活動に不慣れでも、こういう場数を踏むことで人は成長していく。その過程が見られたような気がします。


「サポーターセッション2 KEEN株式会社」
KEENさんの事業の中でKEEN Managerは面白いと思いました。
発信者とは育てることも必要でしょう。ですが、発信が好きかどうかは育てる前からわかるはず。つまり、将来のコミュニティにとって欠かせない発信者を発掘することは、コミュニティの継続にとってやるべきことです。それをやってくれるのがKEEN Manager。そういうニーズはお客様の中にありそうなので、頭に入れておき、今後に提案できる機会があればよいと思いました。


「サポーターセッション3 雪川醸造合同会社」
ワイン、飲んでますか?というタイトルでしたが、今回のCLS道東の懇親会ではワイン飲めずに終わりました。
上に書いた通り、日本酒と山椒のマリアージュを教えてくださった佐藤さん、サウザーさんの二人がタッグを組んだ日本酒ブースに吸い寄せられてしまったためです。

ワインの複雑なウンチクやしきたりから脱して、もっとも楽しくワインを飲むように訴える山平さんの話は印象に残りました。
「果実味、酸、余韻」というキーワードは覚えました。今後はこのキーワードを軸にワインを語ろうと思います。
私はワインを極めることはあきらめていました。ですが、ワインもこの三つのキーワードで語ればより面白い世界になるはずです。

山平さんとは翌日の大人の遠足でもご一緒させていただきました。
カキキンさんのオイスターバー牡蠣場にて、牡蠣の殻がワインづくりに使えると、商談を申し込んでいた山平さんの姿がとても印象に残りました。
機を見て素早くご縁を結ぶ。商いとはこうあるべきです。遠足の最中であってもアンテナを立てて次への動きができる。よい見本を見せてもらいました。


続いては、9名の方によるLTタイム。
実は十日ほど前にLT枠に欠員が出たので、LTやりましょうか?と申し出ました。ところが、私がもたついているうちに別の方がLT枠に申し込みました。私のLT登壇の機会は失われました。

今回の皆さんのLTを聞いていて、早いうちに、CLS登壇の実績解除は果たさねばと思いました。
CLSは学びの場として有効です。ただ、参加するにつれ、学べることはどうしても減っていくはずです。それでも、登壇さえすれば、きっと次の展開が開けるはず。
CLS道東に何度も来ていると、顔見知りの方が増えてきます。ただ、顔を知っていることと、実際の活動内容を知る事には大きな隔たりがあります。
皆さんのLTを聞いていて、この方が何の活動をしているかについての情報がアップデートされる感覚を味わいました。
それは私も同じ。よく顔を見るkintoneのエバポロシャツ来ている奴はなに?と思われていることでしょう。それを、皆さんの前で登壇することで情報をアップデートしてもらう。次回は登壇を目指します。


さて、LTタイムの後は、
「ワークショップ 【各地のCLS運営を招いてのワークショップ】」
として、CLS高知の小林さん、CLS道東の四宮さん、そして今度CLS三島らへんを立ち上げる川村さんによるもの。

この組み合わせはとても興味深いものでした。
なぜなら、冒頭に書いた通り、弊社にとって山梨でのコミュニティづくりは避けては通れないからです。その際に参考となるのが、コミュニティのあり方の一つの到達形であるCLSだと思います。


前回、CLS道東に参加した後、CLS三島が立ち上がるとの話を聞きました。それを聞く前は、CLS山梨もありかな、と思っていました。が、CLS三島らへん(らへんというキーワードは微妙)と重なる可能性もあるため、山梨でのCLS開催は控えておいたほうがよさそうです。
ただ、それでもCLSのプラットフォームから学べることは多くあると思っています。山梨のほかに山北や真鶴でも地域創生のご相談を頂いている今となってはなおさらです。

CLS高知やCLS道東は地域が持つ強いコンテンツ(風土や景色や食)がを生かせます。CLS三島らへんもまた、箱根や富士、伊豆といった国内有数の観光地を近隣に擁しています。
かつて函南や三島にはよく訪れていました。妻が持っていた山の家があったからです。だから、三島の持つコンテンツの豊かさは理解しているつもりです。
CLS三島がどのように育っていくのかについても、とても興味があります。


CLSとは私にとっては学びの場でした。ということは、まだ参加したことのない方にとっても十分な学びの場となるはず。
CLS三島らへんは首都圏からも行きやすいですし、日程も発表されたので参加したいと考えています。


丁度のその時間に美しい釧路の夕陽が落ちました。コンテンツの強さを象徴する場面です。


さらにCLSの創始者である小島さんの誕生日が今日であり、まさかの誕生日プレゼントが!!
厚岸のボトルもうらやましいし、秋田さんが描かれた小島さんの似顔絵がとても素敵でした!おめでとうございました!


そしてその後は武市さんの集合写真家としての強力なリーダーシップのもと、全員で集合写真を撮りました。

今回は若干前回よりも人数が減ったように思います。
毎回お見えになっていた釧路市長やえぞ財団の皆さん、惣田さんもお見掛けしませんでした。
(鈴木議員も来ていないと書きましたが、お見えになっていたそうです。琴絵さんからFacebookでご指摘いただきました。ありがとうございます。また、失礼しました)

ただ、こういうのは当然ながら任意参加であり、皆勤だからえらいということはありません。
今後、私もやむを得ない事情によって来られなくなることもあるはずです。


夜の懇親会ではゆっくり話せなかった方々と多くのお話ができました。とても楽しい時間でした。また、その後の二次会、三次会もかなり楽しみました。どうやって宿である大喜湯 春採店に帰ったのか、全く覚えていないぐらいに。
ただ、酔った中でも皆さんと交流を深める中で私なりにCLS道東に来る理由、学ぶべき内容や学んだ内容も整理できたように思います。

実際に私がコミュニティを作り始める前と後では、CLSから受ける情報の質も大きく変わったように思います。
作り始めた今だからこそ、実践されている方々から受け取る情報が明らかに変わったように思います。
そして、山梨やその他の知己で弊社が展開するコミュニティづくりに、今回のCLS道東で学んだことは活かせるはずです。

次の海霧編にもまた来て、学びたいと考えています。
また、その時には私からも何かの取り組みで得た情報を共有したいと思っています。

まずはご参加の皆さん、スタッフや登壇者の皆さん、HOKKAIDO DESIGN CODEやジョイゾー社の皆さん、その他、ご縁のあった皆様、本当にありがとうございました。

XのPOSTまとめサイトはこちらです。


2024年の抱負


明けましておめでとうございます。

昨年末にアップした投稿にも書きましたが、昨年度は皆さま、本当にいろいろと有難うございました。
今年も引き続き、よろしくお願いいたします。

今年も抱負を書きます。
本稿の内容は年末にある程度まで考え、元旦に熟慮しました。

一年の計は元旦にあり、とはよく言ったもので、忙しくなってくるとこの言葉の意味がよくわかります。もう正月ぐらいしか計画をゆっくり考える時間がありませんから。
この抱負を仕上げた後は、詳細の内容についてより考えを深めます。そして、昨年末にアップした投稿にも書いた反省を生かし、改善する一年にします。

昨年は案件の増加に備えて3月に1人、4月に3人のメンバーを増やしました。また、既存の外注メンバーの二人には正社員になってもらいました。
ところが、増える一方の案件をこなす速度が釣り合わずにメンバーは疲弊し、増やしたメンバーのうち3人が去ってしまいました。研修計画や教育体制やその他の基盤が未整備なまま採用を急いだ焦りが招いた失敗です。

そうした経験を通して痛感したのは、弊社の企業としての基盤が未整備であることです。各自が個々に動いてしまいがちの弊社で、チームとしてのまとまりがとうとう持てませんでした。

その理由がフルリモートワークの弊害であることは確かです。また、フルリモートワークを遂行するにあたり、統一した事務手続きや研修資料、そして開発にあたっての各種のガイドラインがないことも致命的でした。

あと、もう一つ、うまく行かない理由として挙げられるのは、私の目指す会社の方向とメンバーのそれがずれていたことです。方向だけでなく、そこにいくための手段についても。

まず抱負として挙げるべき当面の目標。
それは、この正月にガイドライン(アクアビット蒸留書)のドラフト版を作り上げることです。
それと同時に、経営理念や企業理念を考え直し、業務計画を作り直すことです。

まずやるべき事を以下に書きます。

1.ガイドライン作成

昨年5月の連休に集中して作ったガイドラインを仕上げます。少なくともドラフト版として内部に出せるレベルには仕上げるつもりです。

昨年作った版は、案件の引き合いから商談、そして契約に至るまでは現状の運用の七割程度は盛り込めたはずです。ところが、開発ガイドラインに着手したところで連休が終わってしまい、そのあとは業務の多忙にかまけて全く進められずにいました。

そのあと、経営が苦しくなると、ますますガイドラインの整備に時間を使う余裕はなくなりました。
また、経営のやり方を変えなければと思うとともに通常の開発のやり方の限界を悟り、伴走開発やサービス提供に舵を切りました。それによって開発のやり方自体に変更が生じ、ガイドラインの必要性がはますます増しています。

今の弊社に足りないのは生産性です。
各自の作業を細かく見ていると、既存のロジックを再度作り直すか、既に作成したコードを構築しなおしているケースが散見されます。
各個人単位ではそうしたことはないはずです。が、別のメンバーが既に作っているコードを再発明したり、すでにある調査結果を再度読み直したり、といったことが起こっているようです。
そうした無駄や重複の部分を弊社内できちんと整理し、業務手順として作り上げる必要があります。それがガイドラインの目的です。

いうまでもなく、マニュアルは読むためにあるのではありません。各自が作り上げていくためのマニュアルです。その点については、昨年の師走に参加した「CHALLenGERS」の中で紹介されていた『無印良品は、仕組みが9割』の中に書かれていました。
作業そのものをまねるためにやり方が逐一書かれたマニュアルは必要ありません。
それよりも、誰がなんのために、いつやらなければならないのか。何故それをするのか。そうした作業の目的を明確にし、個人に視点が固定されないためのガイドラインが必要なのです。

そのガイドラインを(アクアビット蒸留書)と名付けます。

アクアビット蒸留書に盛り込むべき内容は、弊社のありとあらゆる作業です。引き合いから商談、契約に至る作業。経理の上で重要な記帳に関する作業。また、人事・労務に関する手続きや総務に属する作業。
そして、アクアビット蒸留書は永遠に未完成です。常にドラフト版でありながら、全員でこれを研修計画や教育体制が整っていない間に磨き続け、少しでも正規版に近づけるよう努力します。そして全員が遵守します。

そのため、アクアビット蒸留書は月一度、定期的に更新していきます。個人のノウハウややり方がアクアビット蒸留書に書かれているよりも優れているのなら、それを無理にやめさせるのではなく、むしろアクアビット蒸留書に取り込んで全員で共有します。
アクアビット蒸留書がその純度を増すごとに、余分な作業で時間を使うことが減り、案件の実装が円滑にいき、納品までの速度が増えるはずです。

2.弊社の業務の五分割

弊社の業務を大きく五つに分割し、担当者と目的を整理します。

昨年の反省として、代表の私の拡大・新規志向と、メンバーの会社や仕事に対するモチベーションの違いを埋められなかったことが挙げられます。
メンバーの立場からすると、既存の案件がまだ終わっていないのに、次々に新しい案件が飛び込んでくることで既存案件が積み残され、心理的にストレスになっていました。
また、あちこちを飛び回って新たな案件や考えや技術を持ち込んでくる代表についていけない事もストレスになっていたはずです。
新たな案件もいいけど、それよりも既存案件を単価を上げてしっかり維持する。そして案件の数は少なめにし、メンバーのフォローをしっかりすべき。そんなメンバーの不満を感じました。

それももっともで、一番ひどい時にはあるメンバーが十個強の案件を抱えていました。これは改善しなければ。

ただし、まず前提として考えておかなければならないのは、固定の案件ややり方を墨守していては会社の成長が見込めないことです。このAI時代にそんなやり方で会社が続くはずがありません。ましてや弊社のような零細企業が。
また、代表の性格的にも同じ案件ややり方を続けることはできません。そんな苦痛さえ感じるやり方では経営意欲にすら影響を与えます。

その相反する矛盾を解消するため、弊社の業務を五つに分けます。

一つ目は、既存の大型継続kintone案件です。
大口でかつ継続のお客様は単価を上げてもらいます。その上で、既存のカスタマイズ手法を踏襲したまま、引き続き開発にあたります。案件によっては伴走に近い形でやっているものもありますし、半常駐でがっつりやっている案件もあります。
これらのお客様は、弊社の経営の安定に欠かせません。が、それ以上にお客様から信頼をいただいていることが一番重要です。今年はこれらの案件を優先し、引き続きお客様のために力を尽くします。別紙に書いた案件が該当します。

二つ目は、既存のkintone開発案件です。
これらの案件は、伴走開発のやり方も取れないまま、既存のJavaScriptカスタマイズによるやり方で追加スポット保守や追加開発を続けています。別紙に書いた案件が該当します。
これらの案件は徐々にJavaScriptカスタマイズからプラグインやサービスを利用する形に変えていきますが、当面はJavaSctiptカスタマイズが必要になるでしょう。
また、この後に述べる三つ目の伴走開発の中で開発が必要になった作業も、随時この既存のkintone開発案件に加えていきます。

まず弊社メンバーにはこの一つ目と二つ目に集中してもらいます。
多くても一人当たり四つの案件に絞り、集中して当たってもらいます。

三つ目は、新規の伴走開発案件です。
これらは代表の私が主に携わります。
伴走案件の場合、アプリ構築やカスタマイズはお客様が行います。
カスタマイズを行う際はJavaScriptはなるべく使わず、既存のプラグインやサービスを積極的に活用します。
新たな案件が増えても、うちのメンバーには作業を振りません。一旦、代表の私の方で要件定義や伴走開発を行います。別紙に書いた案件が該当します。

四ッ目は地域活動やコミュニティーです。
代表の私は今年もまだkintoneエバンジェリストを続ける予定です。また、今年は弊社役員の妻が地域クラウド交流会のオーガナイザーとして本格的に活動を始めます。

代表はkintoneエバンジェリストとして、引き続きkintone Caféや各種のセミナーに積極的に登壇します。昨年の登壇回数は18回でした。そこで今年は登壇の回数を増やし、25回を目標にします。
そうした活動からは、地域活性化など、いくつかの案件の種も芽生えつつあります。今年も引き続きそうした活動に関わっていきます。
別紙に書いた案件が該当します。

また、オーガナイザーの妻も6/29に予定されている山梨での地域クラウド交流会を必ず成功させ、山梨県で弊社の基盤を構築します。

三つ目と四つ目に代表の私が当たることにより、私の持つ拡大・新規志向を満たすとともに、新規案件の創出も実現させます。

五つ目は新規サービスの開発です。
昨年、3つの新規サービスをリリースしました。
今年はそのサービスをより拡充していきます。そしてサービサーとしての認知度を上げていきます。

弊社の強みは、外部のSaaS/PaaSとの連携実績が多数あることです。そこに弊社の価値を打ち出し、アピールしていきます。

今年11月にはCybozu Daysが開催されることが発表されています。
そこに焦点を当て、当日は新規サービスをベースにブースを出展する事を目指します。
別紙に書いた案件が該当します。

3.評価制度・賃金テーブル・人事計画

弊社の業務を再構築した結果を基準にし、もう一度弊社の経営計画を作り直します。そこには評価制度・賃金テーブル・人事計画のそれぞれを改定し、盛り込みます。

すでに作成したビジョン・ミッション・バリューや人材育成や課題に加え、5年先の財務計画や人員構成計画や、評価制度・賃金テーブル・人事計画も全て作り直します。

弊社は、そもそもKPI(重要業績評価指標)設定が全くできていませんでした。評価制度以前の問題です。そのため、何を目標とし、個々のメンバーは何をすれば達成感や成長を感じられるのかがあいまいになっていました。
メンバーのモチベーションが極めて持ちにくい状態になっていた状態を改善します。

今年からは人事評価について、アクアビット蒸留書に書かれた内容をベースに考えていきます。
アクアビット蒸留書の中では、KPIの設定とその基準について詳しく決めていきます。

もちろん、決めていくにあたっては引き続き外部の力が必要です。ただし、自社で決めていくしかない事も分かっています。

4.コミュニティ・出展

コミュニティへの関与やCybozu Daysをはじめとした展示会への出展は弊社にとって大きなアピールの機会です。

今年のCybozu Daysの開催日は11月7-8に決まっています。今年も弊社は出展する予定です。
出展にあたっては、弊社の役員や経理人事担当が企画から当日まで積極的に関わります。また、代表の私も企画や出展までの準備を任せきりにせず、社運を賭けて準備にあたるつもりです。そのため、ここ数年のやり方を変え、自社のみで出展する事を念頭に準備にあたります。

出展にあたっては、上に書いた五つに分けた弊社業務のうち、新サービスをメインに打ち出します。また、代表の私のネームバリューは最大限に利用する予定です。

代表の私のネームバリューを有効に活かすためにも、代表のコミュニティへの関与の頻度を上げていきます。登壇回数は25回を目標にしますし、それも5分程度のLTではなく、より長尺(20-60分)の登壇についての回数で25回を目指します。
そのためにも、自ら積極的に登壇の機会を増やします。今までのように頼まれたり、依頼を受けたりした後に動き出す受け身の登壇ではなく、積極的に登壇機会を作ります。
また、地方でのセミナーや勉強会出席も引き続けます。

昨年の師走に弊社は山梨で独自イベント二つの創出に関わりました。そのうちの一つは弊社主催です。今年もすでに栃木でのkintone Café開設に関わっています。それだけにとどまらず、コミュニティの創出にさらに関わっていきます。

また、役員の妻が地域クラウド交流会(ちいクラ)のオーガナイザーとして山梨での開催を準備しています。
各地で開催されるちいクラにもなるべく代表の私も参加するようにします。それによってkintoneエコシステムの一員として貢献し、認知度も上げます。

また、各地の地域創生や活性化にも関わる予定です。
今までは単なる参加者でしたが、今年からは違う関わり方を模索します。

まずは一月の城崎と糸魚川から。
そして、一月の戸田市での新年会での展示から始めていきます。

5.ビジョン・ミッション・バリュー

代表の私の拡大・新規志向と、メンバーの会社や仕事に対するモチベーションの違いを埋めるため、もう一度弊社の目指す方向性を定めます。

企業理念

「一期一会の儲けよりお互いが継続して協業できる幸せを
最新技術をお客様、地域に提供し、メンバー、家族、パートナーと輪になって幸せになる」

・うそはつかず、でも失敗は認める会社であるべきです。

目標

「2027年3月までに
・正社員8名 外注パートナー10名に
・社員一人当たりの粗利を 150万円に
・サイボウズパートナーの賞を受賞
・他SaaS/PaaSでももう一つ今のkintone並みの知名度を得る」

価値

①システムを継続してもらえる品質と対応を行います
②技術に偏らず、お客様ビジネスの現場を尊重します
③経営を継続するための自社サービスを生み出します
④社員・協力社・技術者・家族の事を大切に考えます
⑤顧客とともに一期一会でない継続の関係を築きます
⑥技術の進化に先手を打ちながら、自社も進化します
⑦世の中の働き方改革に貢献する手本となり続けます
⑧地域の非営利組織・団体のために技術で貢献します

上記に書いた内容のうち、目標と価値はあまりいじりません。ただ、企業理念と経営理念はもう少し練り直します。
また、それらを基にしたより具体的な経営計画をこの正月に作り込む予定です。

6.ワークライフバランス

代表の私の拡大・新規志向と、メンバーの会社や仕事に対するモチベーションの違いを埋めるためにもう一つ必要なのはワークライフバランスへの考え方を整理することです。

公私の充実を両立させたいとする私の価値観はいささかも揺らぎません。
ただ、昨年は残念ながら私の日常は全て仕事にとられてしまいました。それは誰の責任でもなく、私の招いた因果です。

弊社のメンバーには無理な残業や休日の仕事はさせずに済んだはずです。ただ、それでもストレスを感じさせてしまったとすれば、それが今の働き方の標準なのでしょう。
昭和どころか、平成に若手だった私の働き方すら、今の若い人から見ると異次元であることを認めます。

ただ、私自身が仕事の苦しさや経営の辛さに負け、会社の統制を強化したり、ブラックな働き方をメンバーに強いたりすることは厳に慎まねばと自戒しています。
案件をどれだけ受けてもこなせるだけの仕組み作り。これが今までの弊社に欠けていました。仕組み作りをきちんと整備し、代表の私も含めてワークとライフのバランスがとれるようにします。
先ず隗より始めよ。その言葉通り、私から率先してワークライフバランスを整えます。

私のワークライフバランスが整うときは、弊社の経営も軌道に乗った証しです。

7.事業継続のためのその他の施策

経営を継続させるため、BCP計画(事業継続計画)も定めます。
ちょうど本稿を書いている最中、元旦に能登で震度七の地震が発生しました。
弊社も富士山噴火や首都圏直下型地震が起こった時に備えておかなければなりません。

事業を継続するための山梨に拠点を設ける計画も今年中にはめどがつくはずです。

もう一つ必要な施策は、発信を継続的に行うのが代表のみであることです。それは弊社の弱点だと認識しています。
個人商店ではなく、会社としてのアクアビットのためには、代表以外にも定期的に発信を行う必要があります。
弊社メンバーも思い立った時はイベントの時には発信をしてくれます。ですが、それをもっと自発的かつ随時やってもらうように働きかけます。

8.個人的な抱負

ここからは6.で触れたとおり、個人的な抱負を書きます。
私は遠方に出張することによって、旅への欲求を満たしてしまうきらいがあります。そして、ワークライフバランス目標への飢餓感が薄れてしまう可能性があります。そのため、プライベートの目標をこの場できちんと書こうと思います。
2023年は個人的な目標をどこにも書かなかったことが失敗の原因の一つでした。

以下に書くのは代表の私の個人的な抱負です。
・家族で宮崎と鹿児島に旅行します。これをもって全47都道府県を制覇します。
・今年は結婚25周年ですので、家族でハワイに行きます。
・次女の彼氏のご両親に挨拶するため、韓国にも行く予定です。
・私自身の個人としてのアピールポイントをkintoneエバンジェリスト以外にも打ち出します。
 ・ウイスキー検定二級合格です。三級に受かってから数年間、ほったらかしになっているので酒知識を貯めます。
 ・もう一つ、新たな趣味も作ります。そのためには苦手意識のある習い事に通って師匠に付くことも厭いません。
・共同著者でもよいので、今年は本の出版のための具体的な一歩を踏み出します。
・訪れる場所や読んだ本や観た映画の数は、昨年と同程度をめざします。

ただ、そのワークライフバランスの実現は、アクアビットの経営が継続できるための基盤を確立してこそです。
私のワークライフバランスが整うときは、弊社の経営も軌道に乗った証しです。
そのバロメーターとして個人的な抱負の達成を目指します。

上記、1ー8までが2024年の抱負です。
ガイドライン(アクアビット蒸留書)を整理し、そのためにも弊社の業務を五つに分割します。ビジョン・ミッション・バリューも定め、コミュニティや出展の目標も掲げました。これらを実現させるために今年一年、懸命に努力します。

これらが実現した暁には、弊社の経営は好転するはずです。

ただし、それまでにも決めるべき事、やるべきことはたくさんあります。

ですが、今はAIがあります。
弊社でも使っていますし、サービス運営者やAIの開発者とも密につながっています。
AI元年に遅れをとらないよう、抜かりなく準備を進めていきます。


SORACOM UG Explorer 2023にLT登壇しました



10/21に各地の会場及びオンラインで開かれた、SORACOM UG Explorer 2023にLT登壇しました。
公式サイト

この日は、実は全国規模のイベントが目白押しでした。
弊社ブログにも書いた通り、CLS高知が行われ、SORACOM UG Explorer 2023が行われ、さらに地域クラウド交流会全国グランプリが釧路で行われていました。
上のブログにも書いた通り、私はオーガナイザーとしての妻の応援と、弊社がちいクラ山梨を開催する準備も踏まえて釧路を選びました。

ただ、SORACOM UG Explorer 2023はオンライン会場もあるということで、藤田さん(なっちゃん)にはLTで登壇する旨をお伝えしていました。

上のブログにも書いた通り、朝の時点で釧路市観光国際交流センターのどこでつなげば、音声や画像共に問題なく接続できるかは確認し、昼前の接続テストにもきちんと参加して、SORACOM UG運営の皆さんへの心配は解消しておきました。

その後は、ちいクラ全国大会の終了時刻(16:30)から20分後(16:53)の登壇というタイムスケジュールに間に合うかどうかが問題でした。
ところが、ちいクラ全国大会の終了時刻が少し伸びてしまい、集合写真の撮影が始まったのが終了予定時刻でした。
ちいクラ全国大会の集合写真には必ず入りたかったので、私は皆さんと一緒にポーズを決めていましたが、にこやかに写真向きの笑顔をキメる私の内面はかなり焦っていました。

無事に写真撮影が終わったのが40分。そこから私の時間までは10分強。
前もって決めていた場所に走り、パソコンを設置し、接続音響マイクカメラもセットしました。
間に合った!

私が接続したちょうどその時、SORACOMのMaxによるSORACOM MVCの発表が行われていました。
私が入った時は、ちょうど大口さんが選ばれていました。SORACOM UG Explorer 2023も少しスケジュールが押していたとか。Maxの熱意がスケジュールをいつものように動かしてくれたようです。ありがたい。フォローに感謝です。

大口さんは、私が主催したkintone Café 神奈川とSORACOM UGのコラボイベントでも登壇してくださいました。

さらに、その前に選ばれた木村さんも、先日の六本木でのしらす2万匹のイベントで初めてお会いすることができました。

そして続いての片岡幸人さん。
先日までkintoneエバンジェリストとしてもご活躍いただいていた幸人さんには、高知、神奈川の両コラボイベントだけでなく、小田原で開催したkintone Café 神奈川でも多大なる貢献をしてもらいました。
今、私がいる釧路でもCLS道東でお会いするなど、全国をまたにかけた行動力は素晴らしい。
高知、神奈川の両イベントではSORACOMとkintoneの接続ハンズオンをオンラインとリアルで同時にやり遂げると言う偉業を成し遂げました。MVCに選ばれたのも納得ですね。

六月のkintone Café 高知の際に幸人さんから託されたkintoneエバンジェリストタグは、今回も釧路に持ってきています。

私が接続してすぐ見られたのが、kintone Caféにゆかりのある皆さんのMVCに選出された姿だったのは本当にすばらしいと思いました。また、私の登壇への弾みにもなりました。
MVC発表のスライド

続いては、SORACOM UGとコラボする各コミュニティーの紹介の第二部です。

私は、スケジュール上のご配慮で、トリを務めさせていただきました。

私の前に話された、
Nerves JPさん
公式サイト
Tech-onさん
公式サイト
の両コミュニティも、kintoneやkintone Café界隈とあまり接点がないだけに、かえって興味深かったです。
Tech-onをお話しいただいた須田さんとも、先日の六本木でのしらす二万匹でお会いできたので、また何か一緒にやれればと思います。

さて、私の出番です。
私の登壇資料は、結構ぎりぎりになって完成しました。

というのも、まずはkintone Café 事務局に登壇の連絡とお伺いを立てる必要があったからです。
SORACOM UGからの登壇のご要望があったからとはいえ、kintone Caféを盛り上げているのは私だけではありません。全国にいらっしゃるkintoneプレーヤーの皆さんの力によってkintone Caféは成り立っています。

私がお伺いを立てたのは、私が主催するkintone Café 神奈川や主催するイベントだけではなく、全体のkintone Caféについて私が紹介してよいか、ということです。
私がkintone CaféとSORACOM UGの三つのコラボイベントに関わったのは事実とは言え、私がkintone Caféを代表して登壇するにあたっての確認がしたかったのです。

事務局からのご回答をまって以下のスライドを作成しました。
スライド

私がスライドを作成したのは、釧路に来る前に一泊していた十勝の大樹町です。登壇まで猶予がなかったとはいえ、私の中に焦りはありませんでした。
というのも私が書く内容は明確だったからです。kintone CaféとSORACOM UGの間には間違いなく親和性があります。

kintoneのサービスを紹介し、kintone Caféのコミュニティを紹介し、さらにお互いのコラボ実績を書くだけで、SORACOM UG Explorer 2023に参加された皆さんにはその意図が伝わる。
そう思っていました。

もちろん、私もまだkintoneとSORACOMのコラボの可能性は探っているところです。
とくにSORACOM Lagoonとkintoneの使い分けについてはもう少し研究したいと思っています。

また、弊社のkintoneビジネスの中でどうすればSORACOMのIoTを活かせるのか。
それについては、昨年度のSORACOM MVCに選ばれたSEEDPLUSの前嶋さんと模索しています。Cybozu Daysにも出展のご協力をいただきましたし、その取り組みはもちろん案件にもつながっています。
SEEDPLUSさんの記事

まずは私もSORACOMのサービスを理解し、よりよい提案につなげられるようにすべきでしょう。
まずは今回、ほとんど参加できなかったSORACOM UG Explorer 2023の内容をおさらいするところから始めたいと思いました。

SORACOM UGおよびSOARCOM社の皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました!


kintone Café Tokyo Vol.13に参加しました


7/22に、サイボウズ本社で開催されたkintone Café Tokyo Vol.13に参加しました。
告知ページ

今回のkintone Café、実は当初は参加の予定はありませんでした。だいぶ以前から登壇の話はいただいていたものの、具体的な登壇の話もないまま、私も相当な数の案件対応の作業がたまっていたので、もういいかと思っていました。

ところが前日にあったスナックジョイゾーにおいて、思わぬいただきもの(なかじさん、ありがとうございました。)と、預かっていただいていたケーブル(琴絵さん、ジョイゾーの皆さん、小渡さんありがとうございました)を受け取る必要が生じたため、急遽参加することになりました。

今回は、皆さんがkintoneの基本機能をベースにさまざまな工夫を披露してくださいました。それぞれの内容の紹介は、数も多いので割愛させていただきます。












皆さんの登壇からは、多くの気づきを受け取りました。私に欠けているのがデザイン目線や、顧客視点であることに改めて気づかされました。

もちろん私もお客様のために仕事しています。業務プロセスや業務フローを改善し、業務がきちんと動く事に力を注ぎます。
ですが、私の業務観点は、どうしてもデータのインプットとアウトプット、そしてデータ間の連携などの視点に偏りがちです。

弊社の場合、レイアウトに関してはお客様に全面的に委ねます。自由に変えて良いとお伝えしています。その分、弊社からの見積費用は安くしているのですが、それは逆に、細かい見た目の配慮に関するノウハウが弊社から欠けてしまうことを意味します。

私が経営者になってからは、その偏りがさらに著しくなってきているように思います。ますます時間がなくなり、細かいところまで目が届かなくなっていることを自覚しています。
また、私からのメンバーへの指導も、データの連携やインプットとアウトプットに偏っているのかもしれません。自分でも危機感を抱いています。

今回の皆さんの発表は、見た目や使いやすさの配慮が行き届いていて、とても勉強になりました。

自分もいろんな事例をやってきているつもりですが、まだまだkintoneには尽きぬ可能性があると改めて思いました。登壇者の皆様ありがとうございました。

また、今回のkintone Café、新たな方々の参加が嬉しいです。
初めて登壇された数人の方や、会場にも初めて参加された方が何人もいらっしゃいました。

どのコミュニティーにもある話だと思いますが、参加者が固定されていったり、新規参入者が入らずに年齢層があがるなどの課題はよく聞きます。

kintone Caféに関してはそれはかなり払拭されています。毎回、どのカフェでも初めて参加しましたとおっしゃる複数の方が必ずいます。また、社会人デビューして1、2年目の方が参加し、登壇する光景も最近は珍しくありません。

そうした方は、次々と新たな仲間を見つけ、お互いが切磋琢磨しあって、自分の会社や社会を良くしようとする。素晴らしいと思いました。

この、ノウハウの共有は、まさにkintoneと言う共通プラットフォームがあってこそ。

夜の交流会もとても楽しく飲めました。kintone Caféには、技術者もいますし、ユーザーも参加します。
技術者だけのコミュニティなら、オンライン、つまりネットワーク越しの会話で完結してしまう側面がままあります。ですが、ユーザーの皆さんはそうではありません。
そのため、リアルの懇親会がとても重要なのです。リアルで会うことでよりより一層の交流が深められます。これも他のIT系のコミュニティーにはないkintone Caféの魅力だと思います。

運営スタッフの皆さん、登壇者の皆さん、そして参加者の皆さんありがとうございました。またお会いしましょう。私もなるべく参加できるようにがんばります。
ツイートまとめ:https://togetter.com/li/2192148


CLS高知 2023 (初鰹編)に参加しました


2023/5/20に催されたCLS高知に初めて参加しました。CLSとはコミュニティ・リーダーズ・サミットの事です。
告知ページ

姉妹編のCLS道東には初回と二回目に参加しています。
ですが、本家であるCLS高知に参加する機会はなかなか巡ってきません。参加したくてもチケット獲得競争が激しくて、いつも断念しています。

CLSといえば、本編が始まる前の数日間に行われる各地でのワーケーションが魅力的です。
今回はサブタイトルが~ 2023初鰹編 ~と銘打たれているのです。もう、参加する前からよだれが止まりません。カツオ!
ですが、今の私には前もって高知に滞在する時間の余裕はありません。今回も事前のワーケーション参加は見送り、開催前日に成田からのJetstarで高知への一歩を記しました。

空港につき、バスで市内に向かう間は、空の上に届いていた連絡の返信をこなしていました。せっかく南国土佐に着いたというのに、旅情を味わう時間もありません。
バスがはりまや橋バスターミナルについた後、近くのうどん屋さんであわただしく食べた「四万十のりうどん」でようやく土佐らしさを感じました。


これじゃあかん、と私の思考回路を仕事モードからそらすため、昨年六月に高知に来た際に見逃したはりまや橋を訪れました。
おそらく私がはりまや橋をまじまじと見学したのは30数年ぶりだったはずです。これで私の初日の観光は終了です。

ホテルドーミーインに着いたのは15時ごろでしたが、そこから前夜祭が始まるまでの間、部屋にこもってうちのメンバーのフォローや連絡に忙殺されました。
少しだけ言い訳すると、四月にメンバーを四人、五月にも一人追加したことによって、経営者として未熟な私にはさまざまな雑務が一気に降ってきています。それもあって疲れが溜まっています。

そんな状態で臨んだ前夜祭の一次会では私の調子はさっぱりでした。
前夜祭にもかかわらず、70人以上の人が一つの広間に集まり、大盛況の会。そのため、声が反響して全く話が聞こえません。隣の人との会話ですらも一割ぐらいしか聞こえないので、会話になりませんでした。心が折れかけました。


私は一次会の自分をまずいと思いました。そこで、二次会のひろめ市場に着いてからは自分の心に喝を入れ、積極的な会話を心がけました。
すると、一次会よりも話が聞こえてきます。会話が成り立ちます。
一次会で侵されたにわかコミュ障を克服したことによって、私はようやく会話できる喜びに浸ることができました。そしてCLS道東で知り合ったもののあまり話せていなかった方や、新たな交流を結んだ方との語らいに花を咲かせることができました。


ここではとにかくカツオ!カツオ!カツオ!
やいろ亭さんと吉照さんの料理はおいしかった。

ただ、体調は上向いてきません。三次会のコロンボでは、私の記憶も怪しくなってしまいました。
会話が楽しかったことは覚えているし、話題も弾んだはずなのですが、何を話したのか覚えていません……
酔っ払ったまま店を出てどう歩いたのか、ホテルに帰ったのがいつか。すべては闇です。

さて、翌日、13時から始まるCLS高知の本編の前に、せっかくなのでお散歩を楽しみました。
今回の旅程は二泊三日です。しかも、本編の翌日に高知のお客様との打ち合わせが入っていました。しかも、その翌日の月曜日には京都の京丹波町で対面商談の予定があります。ということは、高知を日曜の夕方に出なければなりません。今回は、高知の観光は無理だろうと諦めていました。
それでも、高知の文化や風土や産物を少しでも脳内に刻み込んでおきたい。その一心で歩き回りました。


新緑に包まれた高知城の天守を見上げつつ、城の周りを歩きました。さらに趣味の駅訪問の一環で近くの入明駅まで足を延ばしてみました。
すると、駅の入り口に龍馬の像がありました!志の龍馬像です。その両手を広げた姿は、今日のイベントで得られる成果の多さを予感させてくれました。
入明駅からまた城へ戻り、今度は反対側の城の西側から大通りまで歩きました。「源水はりまや」さんに立ち寄って量がたっぷりの腰が入ったおいしいうどんを楽しみました。
ドーミーインでは、夕べからの酒と汗をシャワーで洗い流し、CLS高知の本編に備えてkintoneエバポロシャツに着替えました。

さて、会場に向かった私。会場の場所を完全に間違ってしまいました。
私が向かった場所は、夜の懇親会会場。誰もいません。当たり前です。
道端で固まっていたカレーパンマンにたすけを求め、停留所からとさでんに乗りました。そして会場の知寄町テラスまで。けがの功名とはまさにこのことです。初めてのとさでん乗車を果たせました。

さて、ここから本編です。
私が会場に入った時、最初のセッションの途中でした。

パネルディスカッション1
「地域に風をもたらす旗の立て方」


会場では皆さんがローズピンクのTシャツを着ており、なかなかの壮観です。
スタッフの皆さんが着ているのならわかります。が、それにしては着ている人の数が多すぎるような気がします。
私はその後もずっとオレンジ色のkintone エバポロシャツを着ていました。最後のワークセッションの前にようやく無料でもらえることに気づいて、着ました。

登壇者の皆さんは、札幌や福島、そして徳島で活動しておられます。
まさに地域に風をもたらしている方々。札幌から来られた富山さんは、私が初めて訪れたCLS道東のセッションでも印象に残りました。私もその後、わざわざ斜里のお店を訪れてみようと思わせるほどの印象に残る活動をしておられました。

「求心力と遠心力」
「公私混同」

私は、この公私混同がとても刺さりました。
一見すると、今の風潮とあえて逆を張っているような語感です。ところが、私も経営者としての自分を顧みると、公私混同しているのです。そのことに気づかされました。
定時に上がった後は仕事を完全に忘れることは不可能です。一方で、私の立場は仕事時間中であっても、自分の意志で休息することも可能です。
ところがそれは経営者の立場が自由だから。その一方、従業員に対しては公私混同という言葉は、会社の労務管理やメンタルケア、生産性を考えると、大っぴらに言いづらい雰囲気があります。

でも、考えてみると、仕事のアイデアはリラックスしたプライベートな時間から湧いてきます。また、仕事が面白くてしょうがない時期は、プライベートの時間でも仕事のアイデアが浮かんでくるものです。
公私混同とは決してネガティブワードではないのです。

私はまだ会場の雰囲気になじめていません。でも。徐々に皆さんの話を聞くうちに、会場の雰囲気になじんでいきました。

ここで議題に上がっていた
「旗の立て方と巻き込み方」
もまさに根幹の部分です。

私はこの点について、後日noteの中で取り上げました。
どうすれば旗を立て続けられるのか。

まず、CLS高知からCLS道東の位置が重要です。日本の中心都市からは離れています。それにもかかわらず、参加者の皆さんはここで体験できる熱気を求めて日本各地から集まり、各地へと散らばります。
その行為そのものが、すでに自らの旗を掲げているに等しいのです。時間もお金もかけて、多忙な人々が集まる。その営みや思いこそがすなわち『旗』なのでしょう。
大漁旗を思わせるコミュニティの巨大な旗があります。それを参加者の各自がそれぞれのコミュニティ用の旗に持ち替え、その地で精いっぱい振り続ける。そのことが大切なのです。

この登壇者の皆さんも、地域それぞれの取り組みを語っておられます。
地域の持つ魅力に加え、パッションやアイディアや実行力が加わることで、地域からの発信は巨大な力を生む。登壇者の皆様は、その可能性を示してくださいました。
私も今、別のイベントを立ち上げる準備にかかわっています。CLS高知では運営者側の熱量が大切であることを教わりました。そもそも、何かをしようとするのであれば、旗は振り続けなければ。

次のセッションでは、私もより会場の雰囲気になじめました。そして、話に一層集中できるようになりました。
少しずつ内容についてのツイートを発信できるようになりました。そして、発信することで自分の精神がどんどん活性化し、コミュニティーの場に溶け込めるようになりました。

とはいえ、まだ休憩時間に周りに積極的に話しかけられる心境まで持ちあげられませんでした。
いつものイベント参加に比べて、私の積極性が疲れからか持ち上がりません。あかんなぁと自分でも歯がゆく感じていました。

プロンプト・Kさんのコミュニティ活動の充実にも刺激されました。私も負けていられないと思いました。

パネルディスカッション2「コミュニティの力でJTCは変わるのか? 【武闘派サラリーマン編】」

では、さらに私もツイートの数を増やしました。

そもそもJTCとは、Japan Traditional Companyのこと。つまり、日本の伝統的な会社です。
今、さまざまな方面でやり玉に挙げられている会社です。
ですが、会社が長く続いているから悪いのではありません。古いやり方を自ら変えずにいる会社に問題があるのです。

わが国には世界最古の企業をはじめ、世界でも長寿企業の多い国としてしられています。
そうした企業はその時代に合わせた変化を自らなしえてきたからこそ生き延びてきたのです。
であれば、JTCと呼ばれても変化すれば、生き延びられるはずです。

このセッションでは、「ちゃんとしないと怒られる会社」にいる皆さんからの生々しい実体験が語られました。どのようにして外のコミュニティ活動をこなしつつ、会社でも実績を上げ、さらにアピールにつなげるか。そうした貴重なお話がありました。

この話は、全国のサラリーマン諸氏にこそ聞いてほしいと思いました。したたかで、打たれ強くないと成果は上げられないと。

特に私にとってはDCAのくだりが受けました。『PDCA』ではなく『DCA』。
DCAとは、Do→Check→Ayamaruをつなげた言葉です。

他にも出張申請のやり方などが盛り込まれ、とても面白かった。

私も今や、好きなように自分が行けばよかっただけだったのが、うちのメンバーにもどこまで自由にさせるかのバランスを取らねばならない立場です。
決してJTCのような悪い意味の融通の利かない会社にはしたくないし、さりとて会社にとって長短期的になんの益もない活動であれば承認をためらいます。

個人的には最後の方でファシリテイタ―の友岡さんのおっしゃった「本を読む、旅に出る、人に会う」について首がもげるほどうなづける内容でした。
これ、個人で好きなように旅をするのはよいとして、これらの営みに仕事が絡んだとたん、拒否反応を示す技術者を多く見てきました。
こここそが公私混同の肝で、成長の要だというのに。

このころには私の心も随分と温まってきました。

続いてのKDDIアジャイル開発センター様やNextmode様のサポーターセッションも興味深い内容でした。
そういえば、前夜祭でもKDDIさんの方とお話しをしました。そして、その柔軟な社風に共感を覚えました。
また、この春に弊社のリモートワーク規定を作成する際に、Nextmodeさんが公開されているブログを参考にさせていただきました。
二社ともにワーケーションを強力に推進しておられます。
「公私混同が企業競争力となる会社」とは、素晴らしすぎるじゃないですか。

ここからしばらくは、LTタイムが続きます。
私も皆さんの発表を聞きながら、ツイートを行い、同時に明日の打ち合わせの準備作業も進めました。

道東や高知や福島など、LTで登壇された皆さんの取り組みはとても興味深いものでした。実はこれらの人々は、それぞれのコミュニティに帰ればコミュニティ・リーダーとしてばりばり活動している方々なのです。
こうした会社の広範な活動や、それぞれの背景を聞き、共感することは私にとってのよい刺激です。
私もゆくゆくはここでLTをしたいと決めました。
そして、私もこうした皆さんを自社のイベントにお呼びすることができるように頑張ります。

続いてのサポーターズセッションはジョイゾーさん。
スピーカーの木野宮さんには、なぜかさまざまな場所でお会いします。そもそも、初めにお会いしたのが大崎のイベント。ジョイゾーではなく別の会社さんのブースにおられたのが木野宮さんだったというご縁。
釧路でも東陽町でもお会いして、何やら不思議なご縁を感じていました。実は新入社員で、まだ入社して間もないことも東陽町で知りました。
ジョイゾー初のマーケターとして働く中、こうやって皆さんの前で登壇するまでの挫折や悔しさ。それも赤裸々に語ったLTからは覚悟や決意が感じられました。
自らを客観視することは難しい。ですが、それを克服して視野を広げることはもっと難しい。うちのメンバーにも聞いてほしいと思いました。

最後のセッションであるグループディスカッション powerd by スナックかすがい
「高知の人財流出を食い止めろ!酒とカツオに負けないアイデア創発激論会」
も見ごたえのある内容でした。


何よりもファシリテイターを務めた原さんの振り方とツッコミ方が素晴らしくて。
今回、大きなセッション三つのどれも、ファシリテイターの方が素晴らしく、私にとっての刺激になりました。
その前のセッションでファシリテイタ―を務めた武闘派CIOの友岡さんも見事でしたが、原さんも素晴らしい。
前夜の三次会では、原さんのお隣で話をしていました。それなのに、これほどまでにファシリテーションに長けた方だとは知りませんでした。もっとこの点について深い話をしておけば、と思いました。

私も最近、イベントで登壇や司会進行は担うことが多くなっています。が、ファシリテイターの経験はまだまだ足りていません。
多分、今の私がファシリテイターを担っても原さんや友岡さんのようにうまくやれないでしょう。きっとグダグダなセッションにしてしまうはずです。
単なる進行ではなく、それぞれのパネリストから次につながる話を引き出し、絶妙に突っ込んで笑いにつなげるテクニック。

お二人のファシリテーションは私の足りないところが何かを気づかせてくれました。

原さんの秀逸なツッコミ力は、本編の後、皆さんと『とさでん』に乗ってドーミーインまでの道中でも話した中でも再確認しました。面白い。


原さんからは、続いて各班で分かれて高知をよくするためのワークを仕切ってくださいました。私もその場で三人のチームに合流し、高知のためになにができるかを考えました。
最後になって、座学だけでなく、自分で参加できる機会をいただいたのもよかったです。


そして最後は集合写真家の武市さんが見事に仕切って大きな写真に収めてくださいました。いつもありがとうございます。

その夜の後夜祭は、昨日のお店のように騒がしい周囲の雰囲気とは違っていました。広々とした店の中は、三カ所に会場が分かれていて、とても話しやすかったです。
私は普段、酒席ではあまり移動しない人なのです。が、昨晩にあまり全力で楽しめなかった分も挽回しようと、あちこちを動き回りました。





そのまま、二次会はチョンマゲに移動しました。三次会はBuffoneを訪れ、絶品のジェノベーゼや白ワインをいただきました。四次会はBoston Cafeに流れて各種カクテルを楽しみました。
どのお店でも、前日の不調を克服して余りある会話を楽しんだ夜でした。


翌日は竜馬の生まれ育った町のあたりを訪れ、午後からはお仕事。そして、18時半発の特急南風に乗って大阪の実家に向かいました。
金曜日に来て、二泊しただけのあわただしい高知滞在でした。が、初めて参加したCLS高知では多くの気づきと学びを促すキーワードを聞くことができました。
短いなりに、私としては得るところの多い三日間でした。

皆様、本当にありがとうございました。

なお、CLS本編のスライドは、私のiPadでは不鮮明です。
当日の盛り上がりとともに、togetterのまとめサイトでご覧ください。


2023年2月のまとめ(法人)


令和五年二月。

世の中のきしむ音が聞こえるようです。AIがますます世の中を変えていっています。これからはAIによって焼け野原にされる業種や業態が増えるのではないか。そんな不安とやっかみの不協和音が聞こえるようです。
どうすればこれからの世を生き残っていけるのか。

それは弊社も同じ。
今月も弊社は案件をいくつもいただけました。ありがたいことです。
が、それがいつまで続くのか。

不安です。代表の私は、今のままではいけないと危機感を感じています。
が、まずは精一杯やってみようと思います。
お仕事のご依頼が途切れない今のうちに。

今の弊社には、まだまだ課題が山積みです。そうした課題を解消せずに拡大に走るのはよくありません。
それらの解消も進めつつ、一昨年・昨年の反省を真摯に踏まえ、山積みの課題を一つずつ解決します。
継続的な案件は増え、経営が安定する方向は見えてきました。安定もさせつつ、案件を少しでも多く解消するような方法をとらなければ。

達成度5割。達成感5割。満足感7割。それが今月の代表自身の自己採点です。

弊社とご縁をいただいたすべての方々に感謝します。ありがとうございました。


●弊社の業績

§ 総括 二月度の売上は目標を少し下回りました。

先月の売上が大幅に目標を越えたため、それは想定していました。
むしろ、今月も新たな案件のお引き合いをいくつかいただいていることに感謝です。

そして、今月は来期に向けての準備に力を尽くしました。
来期以降、メンバーが増えます。という事は、弊社の仕組みや手続きにも変化が生じます。常に変化する組織に適した運営を追究していかないと。

弊社メンバーも努力し、成長する姿を見せてくれています。メンバー間の関係性の質も少しずつあがっている実感はあります。
が、今月から打ち合わせに三名が新たに参加しました。
それによってまた関係性に変化が生じました。。
その一方で、弊社の生産性はまだ私の望む域に達していません。それを改善しなければ。

売上も上がり、かつ、利益を確保できるような体制を作らねば。
残業に頼らず、勤務時間内に実現する必要があります。そのためには、スキルアップだけではなく、細かい部分の作業から改善していかなければ。
仕組みづくりも含め、まだまだ改善すべき課題がまだ残っています。
私も率先して範を示さねば。

メンバーの開発スキルも確実に上がっています。が、それ以上に案件の量が急激に増えています。
今期は売り上げの面では過去最高に達しました。先月の売上は新たな地平に達することもできました。が、その状況に甘えてはなりません。
弊社メンバーを必ずや独り立ちできるまでのレベルに引き上げたいと思います。

今月は弊社にとって以下のようなトピックがありました。
・代表がCLS道東に参加しました(2/4)。
・サイボウズ社東北支社に初訪問しました(2/9)。
・弊社の常勤メンバーがkintoneアソシエイト試験に合格し、アソシエイト合格者四名体制になりました(2/14)。
・代表がkintone カイゼンマネジメントエキスパートを受験しました(2/15)。
・スナックジョイゾーに代表の妻と四月から弊社に参加する代表の長女とで参加しました(2/17)。
・月曜日の定例会議を登戸の某所でリアル(6名)とオンライン(3名)の並行で行いました(2/20)。
・弊社のTwitterアカウントの運営担当を移管し、代表の手から離しました(2/20)。
・前週に続いて月曜日の定例会議を相模大野の某所でリアル(5名)とオンライン(4名)の並行で行いました(2/27)。

実績を出しつつ、日常も充実させる。ワークライフバランスの軸は堅持しつつ、成長もさせていきます。引き続きよろしくお願いいたします。

§ 業務パートナー 今月もまた、複数の企業様との間で機密保持契約を締結しました。

そのご縁は既存の案件を通じて得たご縁であり、Cybozu Days 2022のブースを出したことで得たご縁であり、Cybozu Circus 2022 Osakaやその他のイベントに参加したことで得たご縁でもあります。
そうしたイベントで得たご縁から新たな取り組みがいくつも始まったのが今月でした。
お互いが依存するのではなく、互いに高め合うための良い関係を構築し、次につなげる。

昨夏、経理や財務諸表の見直しを行いました。そして五年間の売上や利益、人員にかかる長期計画を考えました。
その中で経費としての外注費をどう考えるかも検討しました。売上に対して、どこまでの外注比率に抑えるべきか。かつて外注費を払いすぎて失敗した同じ轍は踏まぬよう。
外注先に依存することはしません。が、弊社内だけでは案件がこなしきれない場合にはお願いしなければなりません。
このバランスはとても難しいのですが、これからもバランスをとりながら経営します。


§ 開発案件 今月は九割の開発案件がkintoneがらみでした。
今月も今までにいただいた多数の案件の実装作業が続いています。それに並行して、今もなお、週一、二件の頻度で新たな案件のお話をいただけています。本当に感謝します。
今月もまた新たな案件のキックオフを行いました。作業を開始した案件もあれば、来月から開始する案件もあります。

今、弊社が取り扱っているシステムはkintoneをベースにGmail、Google Calendar、Zoom、HubSpot、ChatWork、Slack、freee、freeeサイン、マネーフォワード、スマレジ、LINE、Benchmark、box、Stripe、サブスクペイ、AWS、各種CMS、その他です。
今、動いている実装案件が35件強。それらをどのようにこなしていくか。それが今の課題です。

ただ正直、今の弊社には案件が多すぎるため、オーバーフローを起こしています。
そこで人数を増やし、開発リソースを増やします。
というのも、4月から代表がコーディングから離れる予定で準備を進めているからです。
代表がコーディングせずに、他のメンバーで回す。咋秋から徐々に。今年に入ってからもさらに加速を。代表抜きで実装を進め、営業や管理や経営に代表は回る。

そのように今年の春に社内の体制を再構築します。
再構築した後、一旦来期の一年間は、ブロックチェーンや機械学習といった今が旬の技術に手を出すことは控えます。弊社が扱っている技術の研鑽に努めようと思います。

今月の頭にお客様のシステム移行がありましたが、数日間、データ移行やバグなどが出てしまいました。それについてお詫びしたところ、信じているから、というお言葉をいただきました。感動しました。
早くメンバーだけで構築できるレベルに持ち上げて行かなければ。強く決意しました。

経営者がどの案件にも手を突っ込み、ワーカーとして奔走しているようでは社の発展は望めません。
弊社もそう。
次々と生まれる技術から目を背けることは将来の禍根を残します。が、今の弊社はあれこれと技術に手を出すにはスキルを含めて不足している点が多すぎます。
まずは足元を固めなければ。

来月も、引き続き弊社メンバーの教育とスキルアップに注力していきます。


§ 財務基盤の堅牢化 財務をきっちりすること。前からの課題です。
弊社としては問題ないのに、家計が絡むととたんに脆弱になる。
この点は弊社の長年の課題でした。

また、東京都中小企業振興公社の人財アドバイザーの方に昨年末よりアドバイスを受けています。
この方から五年後の弊社の目指すべき姿を作るように言われ、SWOT分析をはじめ、売上や経費の計画をきちんと作成しました。税理士の先生にも手伝っていただきながら。

経費もほぼ毎月計算しています。経理作業はすでに一部を長女に任せています。
それらも4月以降はすべて引き継ぎます。


§ 社内体制 一昨年の師走に、社是、企業理念、経営理念やスローガンを見直しました。メンバーが離任した理由に、肝心な部分の価値観のずれがあったためです。そこで年始にあたり、三人でもう一度忌憚のない意見を交わしながら、それらを練り直しました。以下に掲示します。

企業理念
「情報技術を生かして、
正直に、飾らずに、自分、家族、パートナー、お客様、地域に寄り添う」

経営理念
「一期一会の儲けよりお互いが継続して協業できる幸せを」

9つ(ナイン)の「ない」
「組織図はない」
「タイムカードない」
「ノルマは設けない」
「多数決で決めない」
「社長室は作らない」
「肩書きもいらない」
「皆が経営者の行い」
「定年は強制しない」
「雑談は惜しみない」

アクアビットに合う方
「家族を大切にする気持ちのある方」
「仲間を大切にできる方」
「笑顔のある方」
「まず肯定から入る方」
「夢を持ち続ける方」
「人の話を聴ける方」
「人間が好きな方」
「可能性を信じる方」
「自分が好きな方」
「自分で仕事を見つける方」
「会社に滅私奉公せず公私を大切にする方」

メンバーの募集を出した時と考え方の軸はぶれていません。

一昨年の師走より、東京都中小企業振興公社の方に人財制度についてのアドバイスを受けています。
そのアドバイザーの方から作成するようにと指示された、5年後の弊社を見据えたビジョンや課題の解決策は、上記の各理念をより細かく詰めたものです。文章や財務上の数値、目標の形で具体的に表しています。

その課題に基づき、人事方針、評価制度や給与テーブルなどをこの正月に集中的に組み立てました。
1月末には社労士の先生にもご意見をいただき、さらなる形にブラッシュアップしていきます。

代表は実装作業に縛られるのではなく、こうした作業に注力しなければ。代表にしかできない作業に。

今年の春からは、メンバー各自にさまざまな業務の役割を持ってもらいます。
毎週の内部定例会議は、約十カ月ぶりに今月からリアルで開催しました。4名の新メンバーを加え、オフライン6名、オンライン3名で。その翌週にもオフライン5名、オンライン4名で。
春の開設を検討していた事務所開設はコ、ストと費用対効果を鑑みた結果、断念しました。その代わり、リアルミーティングは行わなければ弊社の成長はない。そう考えての開催です。

各メンバーにはそれぞれの役割を理解してもらう。そして、案件については教え合い、助け合いながら実装を進められるような体制を目指す。そして、Cybozu Daysのようなイベントでは役割を超えて協力するようなチームを目指します。

打ち合わせ、リモートワークの効率化など、やるべきことは多い今ですが、なんとか乗り切りたいと思います。

§ 人脈の構築 今月は外出や打ち合わせを何度も行い、リアル商談を数多く行いました。
お客様とのリアル商談は約10回です。オンライン商談はざっと数えたところ約49回ほどです。
今月、頂戴した名刺は20枚です。

遠い北海道は釧路へ。CLS道東への参加です。正直、時期的にかなり苦しい状態での旅でした。が、行った甲斐はあり、多くの方との知己を得ました。
他にもスナックジョイゾーへの参加(2/17)も貴重なご縁でした。代表が実装から離れるためには、よりこうしたトップセールス的な動きが必要です。

今月もさまざまなご縁とそこからの新たなつながりができました。
昨年に続き、そうした御縁から、弊社も私も成長させてもらっています。
皆さんとの熱いつながりが次の案件につながり、お互いが望むビジネスと人生が広がる。それこそ、まさに弊社が望むあり方です。

引き続きよろしくお願いいたします。

§  対外活動 今月はこちらのイベントに参加しました。CLS道東(2/4)。スナックジョイゾー vol.12(2/17)。

今月もこうした対外活動を通し、人脈を増やすこととあわせ、弊社の認知度を広げられたように思います。
それによってさらに忙しくなったことも事実ですが、こうした活動を通して営業に繋がっていくため、今後も続けていこうと思います。

ただ、案件をこなす時間と交流の時間をどうやって確保していくか。これから考えていかなければなりません。

来月以降もいろいろな予定が控えています。

コロナが小康状態になり、リアルのイベントも増えつつあります。また皆様と交流を深めたいと思っています。
まずは今月の弊社と関わっていただいた皆様、誠にありがとうございました。


§ 執筆活動 以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。

今月、書いた本のレビューは1本(
森の宿

今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは1本(
ヒトラーのための虐殺会議

)。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
CLS道東 2023 (極寒編)に参加しました

) 。
今月、書いた弊社の技術ブログは0本()。

なお、昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

1月30日 1月30日 経営者がやるべき仕事とは
1月31日 1月31日 車輪の再発明だけは避ける
2月1日 2月1日 組織とマニュアルと個人と
2月2日 2月2日 やるべき事やるべきでない事
2月3日 2月3日 検索エンジンとAIが拮抗する
2月6日 2月6日 世代間分断をどう解決するか
2月7日 2月7日 CLS道東の現地の熱を味わう
2月8日 2月8日 暮らしの中から改善点を探す
2月9日 2月9日 地方がより進み始めている
2月10日 2月10日 肌感覚を信じ、仕事に邁進
2月13日 2月13日 経営者としての陥穽と責任
2月14日 2月14日 情報共有は信頼と信用から
2月15日 2月15日 苦難に遭った方にできる事
2月16日 2月16日 情報の取捨選択リテラシー
2月17日 2月17日 ヘルス・ケアもしなければ。
2月20日 2月20日 技術は交流して育っていく
2月21日 2月21日 若者も年配者も共に学ぼう
2月22日 2月22日 失敗を恐れず工夫を続ける
2月24日 2月24日 AIと無縁でいる事は可能?

§ 年表

・二月お仕事

946banya×2、大喜湯 春採店×3、大喜湯 昭和店、炉ばた 八、from thirty、泉屋 本店、スグレイス、くしろフィス、神保町で作業、後楽園で作業、米沢で打ち合わせ、炭火焼 てんま、Starbucks仙台駅前店で作業、サイボウズ東北支社で打ち合わせ、二俣川で打ち合わせ・作業×3、Starbucks KITTE東京店で作業、神田で作業、新富町で打ち合わせ、スナックジョイゾー、ふれあい貸し会議室 登戸トーシン、鶴川駅前図書館で打ち合わせ、駅ちか会議室 リンクスペース相模大野、ガスト相模大野店、カフェ マウカメドウズで打ち合わせ、アクアビット サテライトオフィス×6

§ ツイートまとめ
・二月ツイート

https://togetter.com/li/2090690


CLS道東 2023 (極寒編)に参加しました


2/4に釧路で催されたコミュニティリーダーズサミット in 道東 2023 (極寒編)に参加してきました。

公式告知サイト
Twitterまとめ

昨年九月に催された第一回CLS道東にも参加し、ワーケーションを実践されておられる皆さんからの貴重な知見を学びました。
ワーケーションの意味をcls道東で教わりました

そこで学んだのは、アウトプットの質量にこだわらない姿勢です。
アウトプットにおいてワーケーションはリアルに劣る。それを率直に認め、ワーケーションで得られるインプットにこだわる。また、ワーケーションは地元でもできるとの気づき。
前後の懇親会や知床の旅や出会いなど、とても得難い経験でした。

前回の参加では大いなる知見を得た私。今回、私はアウトプットが必要な案件を多く抱えていました。そのため、釧路までの渡航自体が危ぶまれていました。正直参加は無理かなと。

ですが、行くと宣言していた以上は初志貫徹したい。そう思い、知床の流氷から海に飛び込むつもりで参加しました。
すると、参加したことで自分が次のステージに進めたのです。本稿ではそれを書きます。


今回のCLS道東のセッションで得た知見は、幾つもありました。

コミュニティの世代間格差の問題は、私も自分の課題として受け止めています。
私がサイボウズさんのエコシステムの世界に加わらせてもらったことで、人生も仕事も次の地平が拓けたことは、今までにあちこちで書き、話した通りです。
が、それはあくまでも私の経験からの話。私がそうだからといって、それは万人に共通のメソッドではありません。
私の経験を安易に若い技術者に勧める事について慎重にならなければ。世代間格差とは若い人の問題ではなく、むしろ年長者側に理由がある。
コミュニティ界隈の先達者たちが多く参加されたこのセッションは、私を諫めてくれました。そして、これからのコミュニティ運営についての大いなるヒントを与えてくれました。
得た気づきについては、下のnote
にも記しています。

もう一つ、得た知見は、会場の熱気です。
参加された方々はなぜ現地に行くのか。しかも忙しい仕事の合間を縫って。現地に行くことによって得られるものとは何か。
これも下のnoteに書いています。

上に書いた通り、今回の私はCLS道東に参加できるかすら危ぶまれる状態でした。ですが、現地に足を運んだことで次のステップに進めました。
躊躇した時はとどまらずに前に踏み出す。すると、必ず何かが得られる。
これは、今までの人生で得た私の人生観です。私の人生観は今回のCLS道東でより強化されました。

投資も同じ。投資や支出について人は慎重になるあまり、往々にして及び腰です。かつての私もずっと投資や支出には臆病でした。ただイベントに出るためだけに多額のお金を使うなどもってのほか。それが私でした。
支出が固定されており、それに対するリターンがあらかじめ見えている状態では、改善する理由を見いだすことはなかなか難しいもの。
が、お金や時間を使うとその元を取るために人は必死さを発揮します。取り組み方にも熱がこもります。工夫を凝らし、変化も生じます。

お金は使ったらその隙間を埋めようとかならず戻ってくる、という言葉は、私が法人を設立した頃に参加していた交流会でもよく聞きました。
が、当時の私はその言葉の中にわずかな胡散臭さも感じていました。
が、今はその言葉が一面の真理を示していると言えます。
問題は、この学びをどうすれば説教臭を抑えつつ次代に伝えていくか。これは引き続き試行錯誤します。

あと一つ、得た成果は肌感覚の大切さです。
今回のCLS道東は冬の北海道で行われました。
私が冬の北海道に向かうのは、プライベートを含めても初めてのことです。
(極寒編)と銘打たれた今回のCLS道東。私のような虚弱な体には耐えられないのでは、と行く前から戦々恐々としていました。

が、結論からするとそれは杞憂でした。むしろ快適でした。

確かに道東の冬は過酷です。軽視してはならないのは当然です。
今回も釧路の夕焼けをご案内いただいた際、その極寒を体感しました。短時間で釧路川の川面が蓮の葉を思わせる形に凍っていく光景は、関西や首都圏、私のルーツである福井ですらも味わえないでしょう。
雪が積もる屋外を歩いていると、その過酷な自然は随所に罠を仕掛けています。鋭く光るつららは剣呑。路面のあちこちには油断すると転倒するトリックが。

そうした過酷な寒気を長きにわたってしのぎ、暮らすための工夫を重ねてきた先人の知恵。
街を歩くと凍結防止剤や砂やロードヒーターのおかげか、あたり一面の積雪にもかかわらず交通は麻痺していませんでした。
おかげで大喜湯春採店から武佐駅へも歩いて移動できました。大喜湯春採店から釧路駅まではトランクを引きずって歩けました。
歩きながら、冬の道東の現実と生活の工夫の数々を体感できたのは今回の収穫です。
屋内では半袖でアイスを食べる、という話は冬の北海道を語る際の常套句です。この言葉、頭では理解していても、関西で育った私には都市伝説にしか思えませんでした。が、よもや今回の旅で自分がアイスを食べることになろうとは。

冬の道東は、過酷ではありますが、決して人が住めない場所ではないのです。
CLS道東に参加された皆さんがアップされたワーケーションレポートからも冬のアクティビティの豊富さとして、それは感じられました。
その事実を私が理屈ではなく、自分の五感で体感できた。これもまた、今回の旅の気づきでした。この気づきは、どれだけ動画サイトや人様のブログを見聞きしてもわからない感覚です。実際に参加したからこそ得た体験といえます。

釧路から帰京して一日空け、私は山形の米沢や仙台を訪問しました。そこでも雪国の厳しい自然と対峙しました。釧路だけでなく他の地域の冬と比較できたことは、私の中に道東の冬をより多面的な経験として蓄積しました。

最後に、ワーケーションの可能性です。

今回は、前回参加した昨年の9月に比べて、私の忙しさが一層増していました。
その様な状態だったので、今回はアクティビティにはほぼ参加していません。
前日は早朝の便で釧路に到着してから、夕方まで946BANYAで仕事や打ち合わせをしていました。CLS道東の開催当日の午前は作業をずっと946BANYAで。
翌日も春採湖や武佐駅まで歩いて散歩した以外は、大喜湯春採店さんにこもって作業や打ち合わせに集中していました。その翌日も大喜湯春採店さんやくしろフィスさんでの作業や打ち合わせに没頭していました。

今までも私は多くのワーケーションツアーに参加してきました。そして、その中で必ず一日は観光の日を設けていました。
ところが今回は観光の日は設けていません。
普通だと、私のような小市民はこう考えます。「せっかく旅に来たのに、仕事ばっかりやった」と悲嘆に暮れます。
ところが、今回は不思議なことに仕事をしていても、充実感が残ったのです。

それはなぜでしょうか。CLS道東の前日にジョイゾー社の皆さんとお風呂に浸かり、夕焼けツアーに同行させてもらったからでしょうか。また、前夜と当日にたくさんお酒を飲み、参加者の皆さんと豊かな会話が楽しめたからでしょうか。
確かにそれもあるでしょう。
が、私は充実感の理由を、異世界の光景にあると考えます。
946BANYAでは仕事をしながら、目の前を流れる釧路川の川面が凍る様子に歓声を上げました。大喜湯春採店さんでは一面の雪景色を眺めながらの仕事ができました。
これが山や海ではこうはいきません。私が住む町田からは、少し足を伸ばせば山や海を見ながらの仕事ができます。が、今回の様な極寒ならではの景色だけは得ようと思っても得られません。
これこそ、普段の仕事とは違う環境です。違う環境に身を置きながらの仕事。

これこそが、ワーケーションなのだ、とようやく眼が開かれた思いです。
今回のCLS道東の参加で得た最大の成果こそ、この開眼なのかもしれません。


最後になりましたが、CLS道東に参加された皆さま、ありがとうございました。登壇者の皆さま、貴重な知見をありがとうございました。前夜祭と懇親会でお話した皆さん、ありがとうございました。武市さん、いつもお写真ありがとうございます。今回も使わせていただきます。
釧路夕焼け倶楽部の芳賀さん、夕焼けのことや釧路のことなど教えてくださってありがとうございました。大喜湯の皆さん、延泊また延泊の私にいろいろとご配慮くださってありがとうございます。
Hokkaido Design Code社の皆さん、一新したすてきな946BANYAを使わせていただきありがとうございました。
最後にJOYZO社の皆さん、聖地巡礼への同行ばかりか、お風呂や夕焼けなどご一緒させていただきありがとうございました。他にも今回の旅で御縁のあった全ての方々に心から感謝します。

また、次回も参加させていただければと思います。もちろん、高知にも。


kintoneの機能をコミュニティに例えてみた


kintoneがリリースされて11年。
kintoneは今もまだ支持を拡大し続け、伸び盛っています。

成長の理由の一つにユーザーコミュニティの存在があります。ユーザーにとどまらず、技術者も巻き込んだコミュニティの成長。kintoneの成長に比例して発達したコミュニティがkintone本体にも影響を与えたことは間違いないでしょう。

コミュニティこそがサイボウズ社の掲げる「チームワークあふれる社会を創る」理念の体現し証しだとも言えます。
私がkintoneと関わるようになった理由の一つは、サイボウズ社の掲げる理念に共感したためです。こうした自由さや多様性を認める会社が提供するシステムだからだから可能性があるはず。そう思ってまだ始まったばかりのkintoneに関わろうと思いました。

kintoneの成長の軌跡と今のkintone。見回してみると、あちこちにチームワークやコミュニティファーストの思想が見いだせます。

そこで本稿では、kintoneを構成する各パーツや機能をコミュニティに例えてみたいと思います。
初期の頃から、kintoneにはさまざまな機能が搭載されてきました。今でもまだ細かいバージョンアップが加えられています。
kintoneを囲むエコシステムを簡単に図示してみるとこんな感じでしょうか。雑すぎますが。

「インターネット」

cybozu.com

サブドメイン

ポータル

スペース

アプリ

フィールド

ここでいう「インターネット」は人類が住むこの地球または社会全体を指すとしましょう。

すると、cybozu.com は何に例えられるでしょうか。大陸?民族?
私は最初、.com という言葉が含まれるので、リアルに対するネットを指すとしても良いかな、と思いました。
ですが、思い返しました。kintoneのエコシステムやコミュニティはリアルの文化も包めた概念のはずです。

そう考えると、cybozu.comとは、多様性やダイバーシティやSDG’sを含め、「チームワークあふれる社会を創る」価値観に賛同する人々を包含するすべての方々やコミュニティの総体とするのがよさそうです。

その下におかれるのがサブドメイン。これは、kintoneの中では、kintoneを契約する組織を示す単位になります。
これをコミュニティに例えるなら、「チームワークあふれる社会を創る」価値観に賛同するコミュニティの種類というのはいかがでしょう。
コミュニティの種類とは、kintone Caféやキンコミやkintone hive、Cybozu Developer NetWorkや、kintone SIGNPOST ランチ会、その他無数の勉強会やYouTubeチャンネルのこと。それぞれが一つのサブドメインを成すとしましょう。

となると、サブドメインの入り口であるポータルはなんでしょう。
ポータルは、そのまま各々のコミュニティの入り口となるポータルサイトであるとして良いでしょう。kintone Caféを例に挙げるなら、https://www.kintonecafe.com のがそうです。

では、通知は?
これは皆さんから発せられるありとあらゆる発信にあたります。ブログやSNSなど。

するとアプリは?
これはそのサブドメイン、つまりコミュニティを構成する要素を示すと仮定できるのではないでしょうか。

例えばkintone Caféを表すサブドメイン。その中のアプリとはどういう粒度の単位でしょうか。
まず思いつくのは、各支部ごとにアプリが分かれるはずです。アプリに表せそうな情報単位は他にもあります。例えば開催履歴、理念、支援依頼、告知サイトに書いた情報、kintone caféで発表した資料。チャットのコメント、議事録や質疑、参加者や登壇者、会場情報。これらはそれぞれのアプリで管理できますね。

ではサプドメインのアカウント(ピープル)は何に擬せられるでしょう。
私はそれを運営側の人々になぞらえたいと思います。参加者だけでなく運営にコミットした人は、アプリで管理されるだけの境遇に甘んじず、アカウントとして改善を担うための権限を持ちます。
運営者のそれぞれの属性に応じて組織やグループ(ロール)としてまとめられますし。

となると、スペースは?
これも運営のためのヴァーチャル会議室とみなせば違和感はありません。

では続いてアプリの中を見てみましょう。
先程、コミュニティに関するあらゆる情報の集まりがそれぞれのアプリを構成していると提案しました。
例えばコミュニティの応援者や参加者など、関わりのある方々をまとめるアプリを俎上に乗せてみます。
この時、各レコードはそれぞれのコミュニティに関わりのある方々を表し、フィールドは性別や年齢、趣味や興味関心の属性を指すとすればいかがでしょうか。

kintoneはアプリ間を連携するため、以下の機能を備えています。
・ルックアップ
・関連レコード
・アクション
・REST API

ルックアップは、アプリから他のアプリの情報を呼ぶための機能です。
主キーである項目を定めれば、その項目に値を指定すると、その値に紐づいた他アプリの情報を取り込むことができます。
これをコミュニティの機能に見たてるなら、コミュニティの参加者の知見を取り込む営みとすればどうでしょう。皆さんの知見を取り込んでコミュニティの成長に活かす。コミュニティには欠かせない行いですよね。
取り込む項目は自由です。コミュニティが必要とする知見の範囲を属性として、関わる方から有意な情報を取り込むのです。
参加者のわずかな情報をもとに話を膨らませ、例えばスタッフとしてお誘いするとか。

関連レコードはレコードを見た時、ある項目で紐付けた他アプリの情報を表示する機能です。
ルックアップのように値を選ぶ必要がなく、今見ているレコード(関わる方の情報)の特定の項目の値に紐づいた情報が見られます。たとえば、ある方の他コミュニティの関わりとか。登壇履歴とか。参加履歴とか。職種や業種などの属性とか。
それが見えると、コミュニティ運営にとって有益です。
今までにこの方は何度も参加してくれている、とか。今度、登壇依頼してみようかな、とか。
思わぬ属性に気づくことが、コミュニティの発展につながります。

アクションは、元となるアプリの情報をコピーしつつ、他のアプリに新しいレコードとして加えるためのkintoneの機能です。
これは参加者の属性をもとに次のテーマへと発展させたり、次のイベントのネタへとつなぐ能動的な営みです。
懇親会で話が盛り上がり、次の展開がひらめくことはよくありますよね。あれもアクション機能として考えると合点がいきます。
ありとあらゆるコミュニティの発展はアクションから始まります。まさに名は体を表す、です。

REST APIは、背後でさまざまな連携を行うためのシステムの機能です。
これをコミュニティに比喩するのは難しいですが、あえていうならば、自動的な自走のことでしょうか。バッチ処理やなんらかのイベントによって作動するREST APIは、kintoneの効率を上げてくれます。
それがコミュニティで実現できた時。その時はコミュニティが自走し始めた時です。コミュニティとは、創立者の手を離れて自走できたらしめたもの。
そうありたいものです。

他にもkintoneにはプロセス管理があります。
ワークフローは、参加者やスタッフの間での相互連絡のプラットフォームと考えると良さそうです。

あとは、一覧やグラフの機能です。これらはレコードが貯まれば貯まるほどやりがいとして返ってきます。回数を重ねるごとにコミュニティーの中身はみなぎります。それを実感として表せるのが、一覧でありグラフです。

こう考えるとkintoneとは実は、、コミュニティー自体を助けるためのツールになっていることに気づきます。また、そうあるべきなのかもしれません。

私もただ単に書き散らすだけではなく、そういうアプリ群をいちど作ってみようかと思います。

kintoneコミュニティのますますの発展を願って、良いお年をお迎えください!


サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~


本作を映画館で見られてよかった。心底そう思った。
もともと聴覚に関心があった私は、本作に対してもほのかにアンテナを張っていた。昨日になって上映がまもなく終わると知り、慌てて劇場に行くことに決めた。もし間に合わずにテレビやパソコンで見たら、本作の真価は味わえなかったに違いない。

聴覚に失調をきたした時、どのように聞こえるのか。本作はそれをリアルなサウンドで体感させてくれる。

主人公のルーベンはドラマーだ。恋人のルーがボーカルで金切声を上げる後ろで、ハードなメタル・サウンドをドラムで刻んでいる。ボーカルとドラマーという変則コンビの二人は、トレーラーで暮らしながら街から街をライブで巡っている。

だが、ある日突然ルーベンの聴覚がおかしくなる。くぐもった音しか聞こえなくなり、急速に会話にも支障をきたすようになる。ルーとの演奏も合わなくなり、ライブ活動どころではなくなる。
聴覚失調者のコミュニティに入ることになったルーベンは、ルーと別々に暮らす。そしてコミュニティの中で手話を覚え、やがてコミュニティに溶け込む。リーダーのジョーにも信頼されたルーベン。
しかし、ジョーから今後ずっとコミュニティに関わってもらえないかと言われた後、トレーラーを売って脳内にインプラントを埋める手術に踏み切る。
ジョーからはコミュニティの信念に反するため荷物をまとめて出てゆくように言われる。
「失聴はハンデではなく、直すべきものではない」との言葉とともに。
ルーベンは、インプラントを埋め込んでも聴覚が完全に回復しなかったことを知り、ある行動に出る。
これが本作のあらすじだ。

ルーベンの視点に立った時、音が歪み、不協和音を立てる。そのリアルな音響は、聴覚が壊れたら私たちの生活が壊れるとの気づきを観客に与えてくれる。
ただ、聴覚が狂っても振動は感じられる。それも本作が教えてくれたことだ。
私が本作を見たのは新宿のシネマートだが、BOOST SOUNDというシステムを導入している。このBOOST SOUNDは普通よりスピーカーを多く備え、サウンドのリアルな変化や、重低音による振動を腹で感じさせてくれた。
ルーベンの冒頭のメタル・ドラマーとしての迫力の音や、施設の子どもと振動でコミュニケーションする様子など。
本作こそ、映画館で見なければいけない一本だと思う。

私が聴覚に関心があると書いたのは、私自身、あまり聴覚がよくないからだ。
十数年前に96歳で亡くなった祖父は、晩年、ほとんど耳が聞こえていなかった。うちの親や兄妹が補聴器を買ってあげたが、ノイズを嫌がったのかあまりつけておらず、晩年は孤独の中にいたようだ。私はそんな祖父の姿を見ていた。

そして、私も上京した20代の中頃から音の聞こえにくくなってきたことに気づいた。
大学時代に友人とノイズのライブ(非常階段)に行ったことがあるが、ライブの後、数日間は耳がキーンとしていた記憶がある。その後遺症が出たのか、と恐れた。または祖父の遺伝が発言したのか、と。
ただ、私の場合、耳の不調は鼻の不調(副鼻腔炎)に関係しているらしい。そのため、耳の手術や補聴器には踏み切っていない。だが、七、八年前に聴覚の検査をしてもらった際は、ぎりぎり正常値の下限だと診断された。

最近はリモートワークでヘッドホンを使うようになり、ようやく仕事にも影響を及ぼさなくなった。だが、電話で連絡を取り合っていた時期は、相手の滑舌が悪かったり、電波がつながりにくかったりすると全く聞こえず、私を苛立たせた。また、居酒屋での会話は今もあまりよく聞こえない。
本作でルーベンが最初に自覚したくぐもった音は、私にとっては自分の実感として体験していることだ。

だからこそ、本作は私にとって重要な作品だった。また、私自身の今後を考える上でも自分事として身につまされながら見た。

本作は、聴覚障碍者向けにバリアフリーで作られている。つまり、作中の音についても全て字幕が表示されるのだ。ルーベンのドラムやため息。ルーの鳴き声、風のざわめきや歪んだ鐘の音など、全ての音。
また、コミュニティでは人々が手話で話し合う様子がリアルに描かれている。十人ほどの人が輪になってめいめいが手話を操ってコミュニケーションを取る様子。それは、テレビでよく見かける、話者の横にいる手話通訳者のように一方通行ではない手話であり、とても新鮮だった。
そうした意味でも聴覚障碍者が見ても自分のこととして楽しめるに違いない。
だが、やはり正常な聴覚を持っている人にこそ、本作は見てほしい。

もう一つ、本作を見ていて気になったことがある。それは「Deaf」という言葉が頻繁に登場することだ。
「Deaf」とは、いわゆる英語の聴覚障碍者を表す言葉だ。日本では放送禁止用語になっている「つんぼ」にあたるのだろうか。
最近は聴覚障碍者という呼び名が定着しているが、英語ではそうした読み替えはないのだろうか。とても気になった。
最近はSDG’sやMeTooやダイバーシティーやLGBTという言葉が浸透している。だが、昔はそうではなかった。だから差別を助長するのではとの懸念から「つんぼ」が忌避されたのは分かる。
だが、今の時代、そうした差別の意図はあからさまに出せないはずだ。「つんぼ」「めくら」などの言葉には否定的なニュアンスがあるから復活できないのだろうか。「Deaf」が英語圏ではどのようなニュアンスなのか調べてみようと思う。

本作は終幕になるにつれ、ルーベンを演じたリズ・アーメッドの演技に引き込まれていく。パワフルなドラミングと自らを襲った悲劇に悪態をつく様子と、失調の苦しみを懸命に押し込もうとする演技は、アカデミー主演男優賞にノミネートされただけはある。
彼の感じる聴覚の不自由さが観客に伝わるからこそ、彼の表情が生きる。

また、ジョーに扮するポール・レイシーの演技も見事だ。何とかルーベンを立ち直らせよう、コミュニティに溶け込ませようとする演技も素晴らしかったと思う。
「静寂の世界は私を平穏な気持ちにさせてくれる」という言葉は、本作を見る上でキーになるセリフだ。

‘2021/10/24 シネマート新宿


太陽の子


本書は、関西に移住した沖縄出身者の暮らしを描いている。
本書の主な舞台となる琉球料理屋「てだのふあ・おきなわ亭」は、沖縄にルーツを持つ人々のコミュニティの場になっていた。そのお店の一人娘ふうちゃんは、そのお店の看板娘だ。
本書は、小学六年生のふうちゃんが多感な時期に自らの沖縄のルーツを感じ、人の痛みを感じ、人として成長していく物語だ

お店の場所は本書の記述によると、神戸の新開地から東によって浜の方にくだった川崎造船所の近くという。今でいう西出町、東出町辺りだろう。この辺りも沖縄出身者のコミュニティが成り立っていたようだ。

『兎の眼』を著した人としてあまりにも有名な著者は、かつて教師の職に就いていたという。そして、17年間勤めた教員生活に別れをつげ、沖縄で放浪したことがあるそうだ。

本書は、その著者の経験がモチーフとなっている。教員として何ができるのか。何をしなければならないかという著者の真剣な問い。それは、本書に登場する梶山先生の人格に投影されている。
担任の先生としてふうちゃんに何ができるか。梶山先生はふうちゃんと真剣に向き合おうとする。ふうちゃんのお父さんは、沖縄戦が原因と思われる深い心の傷を負っていて、日常の暮らしにも苦しんでいる。作中にあぶり出される沖縄の犠牲の一つだ。

「知らなくてはならないことを、知らないで過ごしてしまうような勇気のない人間になりたくない」(282ページ)
このセリフは、本書の肝となるセリフだろう。ふうちゃんからの手紙を、梶山先生はその返信の中で引用している。

ここでいう知らなければならないこととは、沖縄戦の事実だ。

私はここ数年、沖縄を二度旅している。本書を読む一昨年と三年前のニ回だ。一度目は一人旅で、二度目は家族で。

一度目の旅では、沖縄県平和祈念資料館を訪れた。そこで私は、沖縄戦だけでなく、その前後の時期にも沖縄が被った傷跡の深さをじっくりと見た。
波間に浮き沈みする死んだ乳児の動画。火炎放射器が壕を炙る動画。手榴弾で自決した壕の避難民の動画。崖から飛び降りる人々の動画。この資料館ではそうした衝撃的な映像が多く見られる。

それらの事実は、まさに知らなくてはならないことである。

沖縄は戦場となった。それは誰もが知っている。
だが、なぜ沖縄が戦場になったのか。その理由について問いを投げかける機会はそう多くない。

沖縄。そこは、ヤマトと中国大陸に挟まれた島。どちらからも下に見られてきた。尚氏王朝は、その地政の宿命を受け入れ、通商国家として必死に生き残ろうとした。だが、明治政府の政策によって琉球処置を受け、沖縄県に組み入れられた琉球王朝は終焉を迎えた。
沖縄の歴史は、戦後の米軍の占領によってさらに複雑となった。
自治政府という名称ながら、米軍の軍政に従う現実。その後日本に復帰した後もいまだに日本全体の米軍基地のほとんどを引き受けさせられている現実。普天間基地から辺野古基地への移転も、沖縄の意思より本土の都合が優先されている。
その歴史は、沖縄県民に今も圧力としてのしかかっている。そして、多くの沖縄人(ウチナーンチュ)人が本土へと移住するきっかけを生んだ。

だが、日本に移住した後も沖縄出身というだけで差別され続けた人々がいる。ヤマト本土に渡ったウチナーンチュにとっては苦難の歴史。
私は、そうした沖縄の人々が差別されてきた歴史を大阪人権博物館や沖縄県平和祈念資料館で学んだ。

大阪人権博物館は、さまざまな人々が人権を迫害されてきた歴史が展示されている。その中には沖縄出身者が受けた差別の実情の展示も含まれていた。関西には沖縄からの出稼ぎの人々や、移民が多く住んでいて、コミュニティが形成されていたからだ。
本書は、沖縄の歴史や沖縄出身者が苦しんできた差別の歴史を抜きにして語れない。

ふうちゃんは、お父さんが子供の頃に体験した惨禍を徐々に知る。沖縄をなぜ疎ましく思うのか。なぜ心を病んでしまったのか。お父さんが見聞きした凄惨な現実。
お店の常連であるロクさんが見せてくれた体の傷跡と、聞かせてくれた凄まじい戦時中の体験を聞くにつけ、ふうちゃんは知らなければならないことを学んでいく。

本書の冒頭では、風ちゃんは自らを神戸っ子であり、沖縄の子ではないと考え、沖縄には否定的だ。
だが、沖縄が被ってきた負の歴史を知るにつれ、自らの中にある沖縄のルーツを深く学ぼうとする。

本書には、山陽電鉄の東二見駅が登場する。江井ヶ島駅も登場する。
ふうちゃんのお父さんが心を病んだのは、ふらりと東二見や江井ヶ島を訪れ、この辺りの海岸線が沖縄の南部の海岸線によく似ていたため。訪れた家族やふうちゃんはその類似に気づく。
どれだけの苦しみをお父さんが味わってきたのか。

父が明石で育ち、祖父母が明石でずっと過ごしていた私にとって、東二見や江井ヶ島の辺りにはなじみがある。
また明石を訪れ、あの付近の光景が沖縄本島南部のそれに似ているのか、確かめてみたいと思った。

そして、もう一度沖縄を訪れたいと思った。リゾート地としての沖縄ではない、過去の歴史を直視しなければならないと思った。沖縄県平和祈念資料館にも再訪して。

私は、国際政治の複雑さを理解した上で、それでもなお沖縄が基地を負担しなければならない現状を深く憂える。
そして、本書が描くように沖縄から来た人々が差別される現状にも。今はそうした差別が減ってきたはず、と願いながら。

‘2020/03/28-2020/03/31


サイボウズユーザフェスティバルに登壇してきました


先日、7/20にサイボウズユーザーフェスティバルが開催されました。
https://page.cybozu.co.jp/-/userfes

弊社代表が、その中のセッション「kintoneエバンジェリストが厳選 教えて!今知っておくべき活用術ランキング」に登壇したので、そのレポートをお送りしたいと思います。

今、kintoneエバンジェリストは全国で19名が活動しています。
このセッションでは、その19名のエバンジェリスト全員がアイデアを持ち寄り、kintoneを使う上でこれだけは知っておいた方がよいと考える活用術のうち投票で上位に選ばれた五つを紹介しました。

紹介するのは、弊社代表も含めた四名のkintoneエバンジェリスト。サイボウズ東京オフィスと福岡オフィスの二拠点に二名ずつに分かれて連携しながら、オンラインで配信する。
そんな試みにあたって、弊社代表は東京オフィス側で登壇しました。

コロナ以降、オンライン配信は普通になりつつあります。代表もZoomなどで配信は何度も行っています。個人で簡単に配信することができるようになってきたのです。

ですが、今回のサイボウズユーザーフェスティバルは、きちんと配信用のコンソール卓が用意された本格的な配信です。東京と福岡で交互に連携をとりながら、タイミングを合わせて配信するにはそれなりの装備が必要です。
こうしたきちんとした配信は、代表は昨年の12月にCybozu Days 2020 Osakaで経験済みです。とはいえ、やはり緊張しますね。今回、最初は少しだけ硬かったように思います。

でも、大丈夫。東京にはニ名の、福岡では一名のサイボウズ社の方がフォローしてくださったことで順調に進みました。ありがとうございます。

さて、今回のセッションで選ばれた五つの活用術は、投票で上位に選ばれただけのことはあります。皆様にとってためになったのではないでしょうか。

「意外と知らない?!グラフの便利術!」
グラフで凡例をクリックすることで表示を切り替えられる。実はこれ、代表も知らなかった機能でした。
kintoneの標準機能にもまだまだ知らない便利な隠し技があるのかも。そう思わせてくれるすてきな活用術でした。

「迷子にならないためのkintone活用術」
こちらは代表が挙げた活用術です。ポータルのカスタマイズは奥が深く、弊社もまだまだこれからの部分です。今後、皆さんから多彩な技が報告され、ノウハウがたまっていくだろうと思っています。
私の前に用意されたモニターの文字がよく見えず、一緒に登壇した松田さんからの振りに見当はずれの返しをしてしまった気がしますが、そこはうまく松田さんがフォローしてくださいました。ありがとうございます。

「エバだからこそ伝えたい!kintone前提で考えないこと」
これも重要な活用術です。あえてkintoneを使わないのに活用術!?
私たちも構築する際、ついkintoneで完結させようと頑張ってしまいます。実際、ユーザー様からもなるべくkintoneで操作をまとめたいとのご要望をいただくからです。
ですが、無理やりkintone上でカスタマイズしてしまうことが正しいとは限らない。そうなのです。そこに完璧な正解はありません。
代表自身、あらためて深く考えさせられました。

「kintoneの活用情報に出会うコツ」
サイボウズユーザーフェスティバルの前日に、kintoneコミュニティ案内版が正式にリリースされました。弊社代表の記事が最初にアップされた五本の記事に選んでいただいています。
kintoneのコミュニティは活発です。並み居るPaaS/SaaSの中でも屈指だと言えます。ですが、活発であるが故に、増えてきたコミュニティをどのように乗りこなしていくかは迷います。
初めての方にとってまずTwitterでハッシュタグをつけて発信することの大切さも含め、とっかかりとなる情報がお届けできたのではないかと思います。

「標準機能で「計算」する際に知っておくべきポイント」
kintoneの関数を使いこなし、関数だけでデータを加工してしまうお見事な皆さん。いわゆる関数芸の使い手の方々です。
最近のアップデートで拡充されたkintoneの関数は、関数を究める楽しみを与えてくれました。

ですが、関数もコツを抑えておかねば、困ったことになってしまいます。Excelのように。
Excelを個人が囲い込んで育てるとアンタッチャブルな闇ブックが多数生産される。まさにブラックボックスのように。
代表もかつて、某銀行の中で無数のExcelツールを整理し、汎用化する仕事に携わっていました。Excelは簡単にダークサイドに堕ちるのです。
kintoneも同じ。この活用術は、kintoneを闇堕ちさせないための貴重な情報が込められていました。

「kintoneの禁断カスタマイズに気をつけて!!」
これもまたkintoneを使う上で陥りがちなワナです。
HTMLとJavaScriptとCSSで表示するシステムであるが故に、やろうと思えばどんなことだってできてしまいます。
ですが、無思慮にDOMを変えてしまうと、kintoneのバージョンアップに伴ってそれらのカスタマイズがバグを生む可能性は十分にあります。
これは、技術者のサガとして突っ走ってしまいがち。その懸念をきちんとした形でエバンジェリストから発信できたことはよかったと思います。

「ルックアップフィールドの落とし穴に気をつけて!!」
この活用術は、私が動画の作成も含めて担当しました。自分で録画したとはいえ、動画にナレーションを充てるタイミングが不安でしたが、何とかやり遂げられたように思います。
ルックアップフィールドこそは、kintoneを初めて扱うシステムエンジニアがまず戸惑う部分です。kintoneはルックアップを理解できれば大丈夫。
その際に陥りがちなワナを説明できたのではないかと思います。

さて、配信も無事に終わりました。まずは安心。
こちらは当日のスライドです。

この日は上に書いた通り、サイボウズ社の本社からの発信でした。
そのため、代表と一緒にうちの社のメンバーにサイボウズ社を案内できるよい機会でした。今年から参画してもらってからというもの、一度もつれてきていなかったので。

サイボウズ社のオフィスに広がる遊び心にあふれた設えの数々。そこから、サイボウズ社の社風や考え方の一端を感じてもらえるのではないかと思いました。
kintoneを単なるツールとして扱ってほしくない。機能とその背景となる考え方についても理解し、愛着を持ってほしい。

いわゆるよくあるオフィスとはかけ離れた様子に、興味津々のうちのメンバーたち。今回は二人のパートナー企業の方にも来ていただきました。
サイボウズ社の社風や、kintoneの可能性について理解してもらえたのであればよいのですが。

ただ、フェスティバルの日は弊社の毎週行っている対面開発の日に充てさせてもらいました。それもあって、登壇の直前まで内部で打ち合わせを行っていましたし、終わった後もそれぞれの作業のフォローに勤しんでいました。
それもあって、代表もメンバーもサイボウズユーザーフェスティバルのセッションはあまり聞けていません。

ですが、代表が登壇している間はセッションに集中してくれていたと聞いています。
うちのメンバーがサイボウズ社やkintoneに愛着を持ってくれたと確信しています。そしてもちろん、サイボウズユーザーフェスティバルをご覧いただいた皆様も!
皆様!ありがとうございました!

そうした見学の機会も含め、サイボウズ社のうっし-さん、かんちゃん、関根さん、配信ご担当の方、ありがとうございました!


kintone Café 神奈川 Vol.8を開催しました


六月二十二日にkintone Café神奈川を開催しました。

qloba上の公式サイト。
https://kintonecafe-kanagawa.qloba.com/activities/10622

前回のVol.7の中で、これからはkintone Café 神奈川は3カ月おきに開催する、と申し上げました。
なんとかその約束を守れました。まず、ご参加者の皆様やスタッフの皆様に感謝いたします。

今回は、上のサイトにも書いた通り、リアルとオンラインのハイブリッド開催を目指しました。
コロナが世を騒がし始めてからというもの、リアルで人と会う機会は極めて限られてきました。そのため、そろそろリアルでも開催したい。そう思っていました。
もちろん、コロナのワクチンが行き渡った後も、人々がリモートを手放すことはないはずです。ということは、リアルとリモートの両方を兼ねたイベントが主流になるに違いない。
今回ハイブリッドでやりたいというスタッフの山田さんの提案に私も乗らせていただきました。

今回のテーマは「kintoneとSalesforceを比較して、データの持ち方を考える」とさせていただきました。
kintoneの良さは、同じ分野で競う他のシステムと比べてみることでより一層際立つことでしょう。
むしろ、お互いの得意分野や長所を生かしつつ、適材適所で利用していけばよいのですから。

その意味でも、Salesforceを活用してのSIer活動をされていらっしゃる植本さんの発表は興味深いものがありました。
特に、Salesforceはその名前からしてもSalesに強いことは明らかです。SFA(Sales Force Automation)とは、まさにSalesforceの代名詞。
それらの強みを発表いただいたことで、なるほど、という反応がありました。
やはり、成り立ちや強みを生かして使えるところは使っていけばよいのです。
植本さん、ありがとうございました。


続いて、弊社代表長井より、「kintoneを活用するためのデータの持ち方」の発表でした。
kintoneもSalesforceもを導入するためには、データの持ち方の知識が欠かせません。
そこでkintoneのアプリがどのようなデータ構造から成り立っているかを話させていただきました。

https://slides.com/yoshikazunagai/kintone-cafe-kanagawa-vol-8-2

技術者であればデータベースを扱う機会は多いはずです。中でもSQLを使っての構築は多くの現場でいまだに現役だと思います。
ですが、kintoneを扱っていると、kintoneを意識することなくデータが扱えてしまいます。ですが、最適なデータの構造でアプリを構築するには、SQLの構造を理解していることが望ましいです。

その観点から発表させていただきました。ありがたいことに、皆様からの反応を頂けたのは良かったです。ちょっとマスクとマイクがこすれて異音を生じていたのは私の不覚です。もうしわけございませんでした。

さて、今日は緊急事態宣言が明けたとはいえ、神奈川県ではまん延防止法が適用されていました。そのため、会場に入るなり、20時までしか会場が使えないことが発覚しました。時間内に終わらせるため、私のセッションはかなり速足で語りました。
さらに続けてLTは二名の方に語ってもらいました。
一人目は弊社の武塙さんです。今年の春先にSalesforceからkintoneへの移管案件を手掛けた弊社。武塙さんはその時の経験からフィールド名の移管ルールについて実務経験者としての苦労を語ってくださいました。こうやって発表し、登壇する経験は今後もやっていってほしいですね。確実に自信につながりますから。
二人目はkintoneエバンジェリストでもあるkintone Café 浜松を主催されている吉田さんからです。シェルスクリプトも交えながらのSalesforceからkintoneの移管事例を語ってくださいました。特に添付ファイルの扱いについては、皆さん苦労されているようです。(弊社も一昨年に手掛けたSalesforceからkintoneの移管案件ではboxを組み合わせてURLでkintoneに移管しました)
お二人のご参加によって、今回のテーマがより定まったと思います。

20時で一旦会場を締めた後は、リアルの場からオンライン上の懇親会につなげるための場所探しを。ですが、武蔵小杉近辺の店はほとんどしまっており、残念ながらつなげられそうな場所は見つかりませんでした。そこで、主催の長井のみ現場に残り、某ビルの中からつながせて参加しました。
懇親会でもkintoneの深イィ話で盛り上がり、kintone Café の醍醐味である懇親会を存分に楽しみました。

いやぁ、ご参加の皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました。会場を手配し、司会進行を務めてくださった山田さん、会場にお越しいただいた松尾さん、原田さん。オンラインの場で参加してくださった加藤さん、渋屋さん(植本さんのご紹介やテーマのご提案ありがとうございます)、鈴木さん(スタッフへようこそ)。また3カ月後にお会いできればと思います!


八日目の蝉


著者の小説は初めて読んだが、本書からは複雑な読後感を感じた。
もちろん、小説自体は面白い。すいすい読める。
だが、本書が取り上げる内容は、考えれば考えるほど重い。

家族。そして、生まれた環境の重要性。
本書のとりあげるテーマは、エンターテインメントだからと軽々に読み飛ばせない重みを持っている。母性が人の心をどこまで狂わせるのか、というテーマ。
子を育てたいという女性の本能は、はたして誘拐を正当化するのか。
誘拐犯である野々宮希和子の視点で語られる第一部は、本来ならば母親として望ましいはずの母性が、人の日常や一生を破壊する様を描く。

そして、禁じられた母性の暴走が行き着く果ては、逃亡でしかない事実。
勝手に「薫」と名付けたわが子を思うゆえ、少しでもこの生活を守りたい。
そんな希和子の望みは、薫の本来の親からすると、唾棄すべき自分勝手な論理でしかない。
だが、切羽詰まった希和子の内面に渦巻く想いは、母性のあるべき姿を描く。それゆえに、読者をグイグイと作品の世界に引きずり込んでゆく。

そして薫。
物心もつかない乳児のうちに誘拐された薫のいたいけな心は、母を頼るしかない。
母が母性を発揮して自分を守ろうとしているからこそ、薫は母を信じてついて行く。たとえそれが自分を誘拐した人であっても。
薫の眼にうつる母は一人しかいないのだから。

環境が劣悪な逃亡生活は、真っ当な成長を遂げるべき子どもにとって何をもたらすのか。
そのような現実に子どもが置かれる事は普通ならまずない。
ところが、無垢な薫の心は、そもそも自らの境遇を他と比較する術がない。自分に与えられた環境の中で素直に成長して行くのみだ。
母性を注いでくれる母。母の周りの大人たち。その土地の子供達。
環境に依存するしかない子どもにとって、善悪はなく、価値観の判断もつけられない。

本書は、母娘の関係が母性と依存によって成立してしまう残酷を描く。
もちろん、本来はそこに父親がいるべきはず。父のいない欠落は、薫も敏感に感じている。それが逆に薫に母に気遣いを見せる思いやりの心を与えているのが、本書の第一部で読者の胸をうつ。
ここで描かれる薫は、単なる無垢で無知な子だけでない。幼いながらに考える人として、薫をまっとうに描いている。薫の仕草や細かい心の動きまで描いているため、作り事でない血の通った子どもとして、薫が読者の心をつかむ。
著者の腕前は確かだ。

ここで考えさせられるのは、子供の成長にとって何が最優先なのか、という問いだ。
読者に突きつけられたこの問いは、がらりと時代をへた第二部では、違う意味をはらんで戻ってくる。

第二部は大人になった恵理菜が登場する。薫から本名である名前を取り戻して。
恵理菜の視点で描かれる第二部は、幼い頃に普通とは違う経験をした恵理菜の内面から描かれる世界の苦しさと可能性を描く。
恵理菜にとって、幼い頃の経験と、長じてからの実の親との折り合いは、まさしく苦難だった。それを乗り越えつつ、どうやって世の中になじんで行くか、という恵理菜の心の動きが丹念に描かれる。

生みの親、秋山夫妻のもとに返された恵理菜は、親と呼ぶには頼りない両親の元、いびつな成長を遂げる。
そんな関係に疲れ、大学進学を口実に一人暮らしを始めた恵理菜。彼女のもとに、希和子との逃亡生活中にエンジェルホームでともに暮らしていた安藤千草が現れる。

エンジェルホームは、現世の社会・経済体制を否定したコミュニティだ。宗教と紙一重の微妙な団体。
そこでの隔絶された生活は、希和子の目を通して第一部で描かれる。
特殊な団体であるため、世間からの風当たりも強い。その団体に入信する若者を取り返そうとした親が現れ、その親をマスコミが取り上げたことから始まる混乱にまぎれ、希和子は薫を連れ脱出した。
同時期に親とともにそこにいた千草は、自分が体験したことの意味を追い求めるため、取材を重ね、本にする。その取材の一環として、千草は恵理菜のもとを訪れる。

千草との出会いは、恵理菜自身にも幼い頃の体験を考えなおすきっかけを与える。
自分が巻き込まれた事件の記事を読み返し、客観的に事件を理解していく恵理菜。
母性をたっぷり注がれたはずの幼い頃の思い出は記憶から霞んでいる。
だが、客観的に見ても母と偽って自分を連れ回した人との日々、自然の豊かな幸せな日々として嫌な思い出のない日々からは嫌な思い出が浮かび上がってこない。

むしろ、実の親との関係に疲れている今では、幼き頃の思い出は逆に美化されている。
三つ子の魂百まで、とはよくいったものだ。
無意識の中に埋もれる、三歳までの記憶。それは、その人の今後を間違いなく左右するのだろう。

実際、恵理菜は自分の父親を投影したと思われる、頼りない男性の思うままに体を許し、妊娠してしまう。
そればかりか、妊娠した子を堕ろさずに自分の手で育てようと決意する。
それは、自分を誘拐した「あの人」がたどった誤った道でもある。
それを自覚してもなお、産もうとする恵理菜の心のうちには、かつての母性に包まれた日々が真実だったのかを確かめたい、という動機が潜んでいるように思える。
自分が母性の当事者となって子を守り、かつての幻になりそうな日々を再現する。

恵理菜にとって美化された幼き頃の思い出が、記事によって悪の犠牲者と決めつけられている。
だからこそ、恵理菜は、自らの中の母性を確かめたくて、子を産もうとする。その動機は切実だ。
なにせ美化された思い出の中の自分は、記事の中ではあわれな犠牲者として片づけられているのだから。

そうした心の底に沈む無意識の矛盾を解決するため、恵理菜はかつての自分に何がおこったのかを調べてゆく。そしてかつて、偽の母に連れまわされた地を巡る。
自らの生まれた環境と、その環境の呪縛から逃れて飛び立つために。
俗説でいう一週間しか生きられない蝉ではなく、その後の人生を求めて。

母性と育児を母の立場と子の立場から描く本書は、かつて育てられた子として、そして子を育てた親としても深く思うところがある小説だ。
とても読みごたえがあるとともに、余韻も深く残った。

‘2019/7/30-2019/7/31


世界一速く結果を出す人は、なぜ、メールを使わないのか グーグルの個人・チームで成果を上げる方法


メールが世の中にとって欠かせないツールとなって、早くも20数年が過ぎた。
だが、今やメールは時代遅れの連絡手段となりつつある。
メールを使う事が生産性を阻害する。そうした逆説さえ常識となりつつある。
わが国の場合、信じられない事にFAXが現役で使われているという。真偽のほどは定かではないが、コロナウィルスの集計が遅れた理由にFAXの使用が報じられていた。

それにも関わらず、多くの企業では、メールがいまだに主要な連絡手段として活躍中だ。
私ですら、初対面の企業の担当者様とはメールを使っている。
メールが生産性を阻害する理由は、両手の指では足りないほど挙げられる。そのどれもが、生産性にとって悪影響しかない。

だが、メールに代わる連絡手段は今や無数にある。チャットツールも無数に。
メールに比べると、チャットツールは手軽さの点で圧倒的に優位だ。
情報が流れ、埋もれてしまうチャットツールの欠点も、最近のチャットツールでは改善されつつある。

そうしたツールの利点を活かし、さらに働き方を加速させる。
本書にはそうしたエッセンスが詰まっている。

「はじめに」で述べられているが、日本企業の生産性が低い理由として、著者は三つの理由を挙げている。
1 持ち帰って検討しすぎる
2 分析・検討しすぎる
3 打ち合わせ・会議など多くのコミュ二ケーションがコスト・ムダにしかならない

ここに挙げられた三つの生産性悪化の要因は、わが国の企業文化の問題点をそのまま表している。
いわゆる組織の問題だ。

とにかく、本書のエッセンスとは、即決と即断の重要性に尽きる。
1で書かれているような「持ち帰り」。これが、わが国の会議では目立つ。私もそうした現場をたくさん見聞きしてきた。
著者は、メール文化こそが「持ち帰り」文化の象徴だという。

こうした会議に現場で実務を知り、実際に手を動かしている人が出てくることはあまりない。会議に出てくるのはその上長であり、多くの場合、上長は進捗の管理に気を取られ、実際の業務の内容を理解するしていることが多くない。
例えば、私が属する情報処理の仕事を例に挙げると、実際に手を動かすのはプログラマーだ。その上に、詳細の設計を行うシステム・エンジニアがいる。

設計といっても、あまりにも混み入っているため、詳細な設計の内容を理解しているのは設計した当人になりがちだ。
会議に出てくるようなプロジェクトマネージャー、システムの全体を管理するマネージャーでは、現場の詳細はわからない事が多い。

そうした生産性を低下させる例は、情報処理に限らずどの業界にもある。
現場の複雑なオペレーションを理解するのは、一人か二人、といった現場は多いはずだ。
だから、業務内容の詳細を聞かれた際や、それにかかる労力や工数を聞かれると、現場に持ち帰りになってしまう。少しでも込み入った内容を聞かれると、部署の担当に聞いてみます、としか答えられない。

そうした細かい仕様などは、会議を行う前に現場の担当者のレベルで意見交換をしていくのが最もふさわしい。
なのに、かしこまったあいさつ文(いつも大変お世話になっております、など)を付けたメールをやり取りする必要がある。そうしたあいさつ文を省くだけで、迅速なやりとりが可能になるというのに。

著者が進めているようなチャットツールによる、気軽な会話でのやりとり。
これが効率をあげるためには重要なのだ。
つまり、かしこまった会議とは本質的に重要ではなく、セレモニーに過ぎない。私も同感だ。

ところが、わが国では会議の場で正式に決まった内容が権威を持つ。そして責任の所在がそこでようやく明確になる。

これは、なぜ現場の担当者を会議に出さないかという問題にも通じる。
現場の担当者が会議で口出したことに責任が発生する。それを嫌がる上司がいて、及び腰となる担当者もいる。だから、内容を把握していない人が会議に出る。そして持ち帰りは後を絶たない。悪循環だ。

著者は、会議の効率を上げることなど、論議するまでもない大前提として話を進める。

なぜなら、著者が本書で求める基準とは、そもそも10%の改善や向上ではなく、10倍の結果を出すことだからだ。
10倍の結果を出すためには、私たちの働き方も根本的に見直さなければならない。

本書を読む前から、私も著者の推奨するやり方の多くは取り入れていた。だが、今の10倍まで生産性を上げることには考えが及んでいなかった。私もまだまだだ。

著者によれば、今のやり方を墨守することには何の価値もない。
今のやり方よりもっと効率の良いやり方はないか、常に探し求める事が大切だ。
浮いた時間で新たなビジネスを創出する事が大切だと著者は説く。完全に賛成だ。
もっとも私の場合、浮かせた時間をプライベートな時間の充実につぎ込んでいるのだが。

本書には、たくさんの仕事のやり方を変える方法が詰まっている。
例えば、集中して業務に取り組む「スプリント」の効果。コミュニティーから学べるものの大きさや、人付き合いを限定することの大切さ。学び続けることの重要性。SNSにどっぷりハマらない距離感の保ち方。服装やランチのメニューなどに気を取られないための心がけ。

本書に書かれている事は、私が法人設立をきっかけに、普段から励行し、実践し、心掛けていることばかりだ。
そのため、本書に書かれている事はどれも私の意に沿っている。

結局、本書が書いているのは、人工知能によって激変が予想される私たちの仕事にどう対処するのか、という処方箋だ。
今や、コロナウィルスが私たちの毎日を変えようとしている。人工知能の到来よりもさらに早く。それは毎日のニュースを見ていればすぐに気づく。

そんな毎日で私たちがやるべき事は、その変化から取り残されないようにするか、または、自分が最も自分らしくいられる生き方を探すしかない。
今のビジネスの環境は数年を待たずにガラリと変わるのだから。

もし今の働き方に不安を覚えている方がいらっしゃったら、本書はとても良い教科書になると思う。
もちろん、私にとってもだ。私には足りない部分がまだ無数にある。だから、本書は折に触れ読み返したい。
そして、その時々の自分が「習慣」の罠に落ち込んでいないか、点検したいと思う。

‘2019/5/20-2019/5/21


社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム


最近の私は社会学にも関心を持っている。人はどのように社会と接して行くべきか。その知見は人として、夫として、親として、経営者として欠かせない。

もう一つ私が関心を持っていることがある。それこそが本書のテーマだ。技術が生み出したメディアは人にどう影響を与えるのか。そしてメディアと人はどう付き合って行くべきか。私は技術者として世間に名乗りを上げ、糧を得ている。人並みに発信したい思いも、自己顕示の思いも持っており、このテーマは私にとって興味の的となっている。私の世代が社会に出たのは、インターネットが世間へ浸透した同じ時期だ。どうやってインターネットが社会に広まり、技術の進展がメディアを変えてきたか。それを肌で感じてきた世代だ。だからこそ興味がある。

本書の第一章は「有害メディア論の歴史と社会的身体の構築」と題されている。内容は題名の通りだ。

メディアとは何か。今までの人類の歴史でいくつものメディアが現れてきた。文字、本、小説、紙芝居、テレビ、ラジオ、新聞、野球、スポーツ、ポケベル、たまごっち、インターネット。要するに複数の人々に何らかの情報を同時に届けられるもの、それがメディア。そしてメディアとは、新たなメディアが古いメディアを侵食していく運命にある。いくつかのメディアは既存のメディアの中に既得権を得ていた人々から批判を浴びてきた。本章にもその歴史が紹介されている。

既存のメディアしか知らない人にとっては、新たなメディアは教育に悪く、若者を堕落させ、社会を不安に陥れるものだ。いつだってそうだった。

だが実際は違う。新たなメディアが発明されるたび、人々はそれを己の身体の一部としてきた。著者はその過程を人間が外部に新たな身体を手に入れた、と形容する。それが本書のタイトルの由来でもある。

つまりは比喩的に言えば私たちの身体は、メディアを通して新しい「身体能力」を獲得してきているのだ。それは言うまでもなく、私たちの「生物的身体」が「進化」(あるいは「退化」)していくということを意味しない。自分が可能な振る舞いを変容させ、他人の振る舞いに対する予期を変容させ、社会制度を変容させるといった形で、メディアは「社会的身体」のあり方を解体/構築していくのだ。(39-40ページ)

携帯電話もスマートフォンも、私たちの記憶や脳の一部を外部に具現化する。文字もそう。メディアという形で私たちの体の一部が外部に拡張される現象を指して、著者は社会的身体と言い表す。

私の娘たちにスマホを持たせて何年も過ぎた。でも、私は今でも、子どもが新たなメディアを手にする時期は慎重であるべきと思っている。それは、子供のたちの成長の過程では、旧メディアを含めた人間社会のルールを覚えなければならない。そう思うからだ。新たに生まれたメディアは、まず社会がそれとの付き合い方を覚える。子が覚えるのはそれからでも遅くないはずだ。旧メディアの習得もままならないのに、新たなメディアの習得に走ることは、人類が旧メディアを使いこなしてきた知恵をおろそかにし、歴史で培われてきたスキルを無視することになる。

第二章は「社会的身体の現在-大きなメディアと小さなメディア」と題されている。大きなメディアとはマス・メディアであり、小さなメディアとはインターネットやスマートフォンなどの個人メディアを指す。ここで重要なのは、メディアは入れ替わらず、前のメディアの上に新たなメディアが乗っていくという著者の指摘だ。今の情報化は大きなメディアが小さなメディアに置き換えられて行く過程にある。だが、その中で大きなメディアが小さなメディアによって完全に駆逐されることはない、と著者は説く。ここで言われているのは、インターネットがどれだけ社会に幅を効かせようとも、テレビや新聞は消えないということだ。

その理由とは何か。それこそが著者が唱える社会的身体なのだと思う。人々に一たび受け入れられ広まったメディアを切り捨てることはできない。簡単に着て脱げる衣服とは違うのだ。メディアとは今や、身体の一部となっている。だからこそ、新たなメディアが勃興しても、旧メディアを簡単に捨て去るわけにはいかないのだろう。

第2章と3章の間に挟まれる「ノート 「情報思想」の更新のために」では、より抽象的なモデルを用い、個人とメディア、コミュニティとメディアの関係が語られる。この章では、抽象的なモデルが語られる。読み解くのに頭を使わねばならないが、示唆に富んでいる。

形式か内容か、との対立軸はすでに無効。そもそも既存の社会を前提に考えられたモデルに従ったコミュニケーションのあり方ではなく、常に新たなコミュニケーションのモデルを模索し、刷新され続けているのが今までのメディアの歴史。つまり、現状の個人とメディアとコミュニティの関係を図示したモデルとは、新たな社会を予期するためモデルでもあり、今の社会を説明するためにも有効なモデルだということだ。そこに形式や内容を対立させ、議論することに意味はない。新たなメディアが生まれる度、そのメディアが生み出す思想がモデルを内側から更新し続ける。それが今のメディアを巡る現状ということなのだろう。

本書が説く社会的身体にとって、核となる部分は第2章までで語りつくされる。第3章は「お笑い文化と「振る舞いモデル」」。よくテレビで見かけるお笑い芸人。ここではその系譜と、テレビへの露出の方法の変遷を見る。

まず、その前に本書は「役割モデル(ロールモデル)」と「振る舞いモデル(アティテュードモデル)」の違いから説き起こす。その二つを分けるのは、思想的、社会的役割、そして行為的、個人的模倣だ。お笑い芸人が後者に属することは言うまでもない。本章で描かれるお笑い芸人の系譜は、芸能史の観点からみても興味深い。テレビが象徴するメディアの興隆とともに、お笑い芸人がメディア内メディアとして次々入れ替わる歴史。著者の狙いは芸人一人一人をメディアに見立て、メディアの移り変わりがこれほどまでに頻繁であることを読者にわかりやすい例として示すことだろう。

また、お笑い芸人がテレビで示す笑いが、翌朝、私たちの学校で話題のネタになったように、振る舞いモデルとしての手法の移り変わりも本書は示す。ワイプ画面や、テロップ、そしてニコニコ動画の右から左に流れるコメント。それらは振る舞われる芸人、つまりメディアがわれわれをどうやって「同期の欲望」を満たさせるかの手本にもなっている。同期の欲望とは他者への欲望と同義。著者に言わせれば、テレビもウェブも同期の欲望を満たすためのメディアとしては同じ地平にあり、断絶している訳ではない。

第4章は「ゲーム性と身体化の快楽」と題されている。ここでいうメディアの役割は快楽だ。メディアを身体の延長として受け入れてきた歴史が本書の主題ならば、身体の延長として、自分の振る舞いが即座に反映されるメディアは触れなければならない。それこそがゲームの役割。私の世代はインターネットの勃興が社会人としてのデビューの時期と重なっている。そして、ゲームの興隆にも関わっている。スペースインベーダーは幼稚園。ゲームウォッチは小学校一年、ファミコンは小学校三年。以降、ゲームの進化とともに成長してきた年代だ。自分の操作によってマリオが飛んだり走ったりする操作が快楽をもたらす事を実感してきた。

今はオンラインで複数人がリアルタイムで参加するゲームが主流だ。ところが今の私には、そうしたゲームをする時間がない。だが、娘がやっているのを見せてもらいながら、今のゲームの趨勢はおさえているつもりだ。かつて、スペースインベーダーやゲームウォッチはゲームとプレイヤーが一対一だった。ファミコンではコントローラーが二つあったことで二人プレイができた。目の前のテレビ画面と、その前のプレーヤーたちの関係。それが今はその場にとどまらず、オンラインで世界中のプレーヤーとつながっている。自分のプレイがオンラインのゲーム世界で他のプレーヤーに影響を与えられるのだ。

著者はその現象をウェブ上での「祭り」にも適用させる。祭りとはミスをしでかした個人または組織に対し、不特定多数が誹謗中傷の攻撃を行う現象を指す。ウェブというメディアを用いることで、自分の書き込みが相手にダメージを与える快感。これもまた、社会的身体化の一つの例だろう。

かつてはこうした運動は、自分の体をその場に動かさねばできなかった。例えば国会議事堂前。SEALD’sがいなくなった今、国会議事堂の前でプラカードを持ってシュプレヒコールを上げているのは年配の方がほとんどという現象も、まさに旧メディアの特徴だろう。それに比べてウェブ上での意見表明は、メディアの発展の方向としては正しいのかもしれない。それは匿名での発信も含まれるというのが著者の立場だし、私も広義のメディアという意味では同意だ。

その上でいえば、自らの体に拡張して備わったメディアを匿名で扱うのか、それとも実名で扱うのかは、メディア論としては本質ではない。それはむしろ、社会学でも違う分野の研究に委ねられるのかもしれない。たとえば自己実現や自立、成長を扱うような。ただ、私の立場としては、個人で生きる力がこれからさらに求められる以上、メディアのあり方に関わらず、実名発信に慣れておくべきだ。社会的身体を標榜するには、まず個人がメディアの主役にならなければ。反論や違う意見を、実名の責任で受け止める。そこに痛みが伴ってこそ、社会的身体といえるのだから。

‘2018/09/27-2018/10/04


DevRelConに参加して思った技術者のこれから


3/9にサイボウズ社で開催されたDevRelCon Tokyo 2019に参加しました。
この参加は代表である私のキャリアパスにとって得難い経験となりました。なのでレポートとして報告いたします。

昨年の秋からお誘いを受け、私はDevRelJpに参加させていただいております。DevRelのサイトに載っている定義によれば、「DevRelとはDeveloper Relationsの略で、自社製品/サービスと外部開発者とのつながりを作り上げる活動になります。 一般的にエバンジェリストまたはアドボケイターと呼ばれる人たちが活動します。」とのこと。つまりkintoneのエバンジェリストである私にとっては参加するしかないのです。

DevRelのイベントには二度ほど参加しました。そこで感銘を受けたのは、プログラムの内容や設計よりも、いかにして自社またはイチオシのサービスを広めるかに注力していることです。その内容は私の思いにもマッチしました。なぜなら、私は昨年あたりから自分のなかで力を入れるべき重点を変えようとしていたからです。開発者から伝道者へ。技術者から経営者へ。そうしたキャリアパスの移行を検討し始めていた私にとって、DevRelJpへの参加は必然だったといえます。

さて、今回のDevRelConは私ともう一人で参加しました。もう一人とは、とあるイベントで知り合った若い女性。大手企業の安定を捨て、新たな分野に飛び込む志を持った方です。その志に感じ入った私は、ちょくちょくこうしたイベントにお誘いしています。

今回も「こうしたイベントがあるよ」とその方をお誘いしました。ところが当の私がDevRelConのサイトを熟読せずに申し込んだのだから始末が悪い。もちろん、英語のスピーカーが多いなどの断片的な情報は頭の片隅にありました。ハードルがちょっと高いかもしれないというほんのわずかな懸念も。ところがそれぐらいの情報しか持たず、聴きたいセッションも選ばず、ただ申し込むだけというノーガード戦法。

今回の会場は私も何度も訪れているおなじみのサイボウズ社。いつもの動物達がお出迎えしてくれ、ボウズマンもサイボウ樹も健在。日本人の姿も結構見うけられます。自分のホームに帰ってきたような安心感。それもあって甘く見ていたのかもしれません。

そんな私の思いは開催とともに打ち砕かれます。司会進行は中津川さん。DevRelJpでもおなじみです。ところが喋っている言葉は全て英語。ほかの日本人スピーカーも流暢な英語を操っているではありませんか。普段、日本語で喋っているのに、今日に限ってどうしたことでしょう。さらに驚くべきことに、その状況におののいているのはどうやら私たちだけらしいという事実。英語で威勢よく進行する状況を周りは当然のこととして受け入れているのに、私たちだけ蚊帳の外。

普段、こうした技術系イベントでは同時通訳の副音声が流れるイヤホンが貸し出されます。ところがDevRelConにそうした甘えは許されず、全てを自分の耳で聞き取らねばなりません。と、横のサイボウ樹のディスプレイに日英の両方の文章が流れていることに気づきました。どうやらスマートスピーカーが言葉を聞き取り、通訳して文章を吐き出してくれている様子。普段、サイボウ樹のディスプレイは沈黙しています。今回、初めて大活躍の場を見ることができました。ですが、何か様子がおかしい。精度が悪く、ディスプレイにはほとんど意味をなさない文章が流れているのです。たまに口にするのもためらうような言葉も混じったり。話者によってはある程度の長さの文章を拾ってくれますが、流暢なネイティブスピーカーの言葉はほぼ支離滅裂。私たちの目を疑わせます。その内容にはあぜんとしました。流暢な人の言葉こそ、いちばん通訳を求められるのに。

つまりDevRelConとは、英語ヒアリング能力がなければ、まったく理解がおぼつかないイベントだったのです。

うかつにも私はイベントが始まってからその残酷な事実に気づきました。そして心の底からヤバいと思いました。こんな体たらくで10時間以上の長丁場に耐えられるのか、と。一緒に来た方も英語力は私とそう変わらない様子。全く聞き取れない英語の流れる会場で、絶望に満ちた顔を見合わせながら、日本語でヒソヒソと言葉を交わす二人。しかも私はまだ技術的な単語に免疫がありますが、この方は技術者ではありません。なので私など比べ物にならないほどの苦痛を感じていたはず。お誘いして申し訳ない、と思いました。

ところが、そんな私たちは結局最後まで会場に残り、懇親会にまで出席したのです。それはなぜかというと、会場のスピリットが伝わったからです。そのスピリットとは、上にも書いたDevRelの定義「自社製品/サービスと外部開発者とのつながりを作り上げる活動」です。スピーカーのおっしゃる内容は正確な意味は分かりません。ですがニュアンスは伝わってきます。つながりを作る活動。その思いが会場に満ち、私たちの心に何らかの作用を及ぼします。

全てのスピーカーの方々が訴えるメッセージとは、好きなサービスをテーマとしたコミュニティを作り上げ、そこからより活発な発信を行う。それだけのことなのです。それはそうです。DevRelConである以上、DevRelの理念が話されるのですから。そして私たちはまさにそうした内容が知りたくてこのイベントに参加したのです。

そのことに気づいてからは、気持ちが楽になりました。三つ用意された部屋を移り、それぞれでヴァラエティにあふれたスピーカーの皆様のプレゼンを聞きながら、プレゼンの仕方や、画像の挟み方を学びます。そしてプレゼンのエッセンスを必死に吸収しようと集中します。実際、勉強になることは多い。だてに英語の千本ノックを浴びていただけではないのです。絶え間ない英語のシャワーに耳を洗われ、洗練されたスピーカーのプレゼン技術に見ほれながら、私は受け取るべきメッセージは受け取り、自分の中に知見を吸収していきました。

私が得た気づき。それは、日本の技術者が陥っている閉塞感と終末感です。そして切迫した危機感。私にとって英語だけが交わされるこの空間は、余計な雑念を排してくれました。それほどまでに英語だけの環境は新鮮でした。

私も単身でイベントに参加することはよくあります。何十人も集まるイベントで私が知っているのは招待してくださった方のみ。なんて経験はザラです。そこで一分間しゃべる事を求められても動じなくなりました。そのようなイベントに積極的に出るようになったのは法人化したここ三年ぐらいのこと。そんな孤独感に満ちたイベント参加に慣れた私ですら、DevRelConの英語の飛び交う会場からは強烈な新鮮さを受け取りました。強烈な危機感とともに。その危機感は今までも感じていましたが、しょせんそれは頭の中だけの話。上辺だけの危機感です。ところがいざ、英語に満ちたフィールドに身を置いてみると、その危機感がより切実に私に迫ってきました。

Rubyの創始者として著名なまつもと氏も登壇されておりましたが、内容はごく当たり前に英語。本邦で生まれたプログラム言語が世界で使われるすごさ。それは、技術の世界に身を置いていると痛切に感じます。そこにはまつもと氏による地道な発信があったのです。最初は小規模なコミュニティからスタートし、英語で発信を行う。それがある日、拡大局面をむかえる。そこまでの日々にあるのはただ地道な努力のみ。近道はありません。

もしRubyのコミュニティが日本語だけに閉じていたとしたら、当然、今の繁栄もなかったはずです。情報技術が英語を母語として発展したことに疑いをはさむ人はよもやいないでしょう。英語が母語の状況がこれからも覆りようがないことも。例えばExcelやWordのマクロをいじろうとしてちょっと検索すれば、すぐに英語のドキュメントがしゃしゃり出てきます。クラウドサービスのドキュメントも英語まみれ。プログラム言語のドキュメントとなればあたり一面に技術的な英語がバシバシ現れます。それらのドキュメントは日本語に翻訳されていますが、ほとんどは自動翻訳によってズタズタにされ、いたいけな技術者をさらに惑わしにかかります。これからの技術者にとって英語はさらに必須となる事実は、今でも簡単に証明できます。

また、これからの日本には移民がさらに増えてくるはずです。国際的な取引にもますます英語が絡んでくることは疑いのないところ。英語を読み書きする能力もそうですが、会話する能力を磨かないと、これからのビジネスでは通用しなくなると言い切ってよいはず。正直、今までの私はたかをくくっていました。じきにドラえもんの「翻訳こんにゃく」が実用化され、英語を学ぶ必要はなくなるだろう、と。ですがサイボウ樹のディスプレイに流れる意味の分からぬ日英の文章の羅列は、私の甘い見通しを打ち砕きました。「翻訳こんにゃく」の実現にはあと10年はかかりそうです。

もう一つ、このイベントに出て思ったこと。それは日本人の閉鎖性です。異文化にさらされるようになってきた最近のわが国。ですが、しょせんは日本語で囲まれています。コンビニエンスストアで店員をしている諸外国の方も、たどたどしい日本語で頑張って対応してくれています。今はまだ。日本人が日本で暮らす分にはなんの脅威もなく、治安もある程度保たれています。ですが、その状況はこのまま移民が増えても大丈夫なのか、という危機感が私の脳裏から拭えません。その危機感とは治安に対してではなく、日本にいながら日本語が使えなくなることに対してです。すでに、クラウドや技術界隈の奔流が非日本語圏から流れてきています。その現状は、日本語文化への危機感をさらに煽り立てます。

日本人が大勢を占める職場で日本語だけを喋っていれば事足りる日々。実はその状態はものすごく恵まれており、極上のぬるま湯につかったような環境なのではないか。そして、その状況が取っ払われた時、日本人は果たして生き残っていけるのか。日本をめぐる危機がさまざまに叫ばれる今ですが、これから数十年の日本人が直面する危機とは、財政や年金や自然災害によるものではなく、実は文化や言語をめぐる根本的な変化が原因となるのではないか。その時、今の状況に甘んじている日本人はその変化に対応できず、没落するほかないのでは。そんな危機感に襲われました。かつて、新渡戸稲造が英語で武士道を書き、世界に向けて日本のすばらしさを啓蒙しました。英語を自在に操れるようになったからといって、日本の心は消えないはず。むしろより英語が必要になるこれからだからこそ、英語で日本文化を守っていかねば。日本語のみにしがみついていたらマズいことになる。そんな風に思いました。

DevRelConにいるのなら、コミュニケーションを取らねば。まつもと氏とは会話し、握手もさせてもらいました。TwitterブースにいたDanielさんとは英語で会話もし、Twitterのやりとりもしました。夜の懇親会でもさまざまな方と会話を交わしました。ですが、私の英語コミュニケーション能力は絶望的なままです。去年断念したサンノゼのGoogleイベントに今年もご招待されました。ですが今のままでは会話がおぼつかない。それ以前に異文化に飛び込む勇気が私には欠けています。日本のイベントに単身で飛び込むのとはレベルが違う恐怖。まず私が克服しなければならないのはこの恐怖です。

そうした強烈な気づきが得られたこと。それが今回DevRelConに出た最大の収穫だったと思います。まとめサイトもアップされており、私がイベント中に発信したつぶやきもいくつも収められています。

折しも、複雑なアルゴリズムの開発で苦しみ、私自身が技術者としての賞味期限を意識した途端、同学年のイチロー選手の引退のニュースが飛び込んで来ました。その翌日、EBISU Tech Nightというシステム開発会社のイベントで登壇依頼を受け、優秀な技術者の方々へ話す機会をいただきました。スライド

そこで話したのはDevRelConの経験です。簡潔に私の得た気づきを語りました。技術者だからこそこれからの時代でコミュニケーションを身につけねばならない。それにはDevRelConのようなイベントに飛び込んで行くだけの気概を持たないと。そんな内容です。冒頭の自己紹介を英語でしゃべり、盛大に自爆したのは御愛嬌。終わった後の懇親会でも私の趣旨に賛同してくださる方がいました。その方からは殻に閉じこもる技術者がいかに多いかという嘆きも伺いました。どうすればザ・グレート・シタウケから日本の技術者は脱却できるのか。それを追い求めるためにも、私も引き続き精進し、全編フルのスペクタクルに満ちた英語のプレゼンテーションができるようになりたい。ならねばならないのです。


UNDER THE DOOM 下


バービーの逮捕で幕を閉じた上巻。米軍によるドーム破壊の試みはすべて失敗し、チェスターズミルの解放にめどがつかない。外界から遮断されたチェスターズミルで、このままレニー親子の独裁体制は盤石になってしまうのか。

上巻で著者が丹念に織り上げた59人の登場人物によるチェスターズミルの模様。閉鎖され逃げ場のない空間の中で圧力は密度を増し、ドーム内の空気は刻一刻と汚染されてゆく。

本書で著者が試みたのは、アメリカの一般的な町を閉鎖し、生活の営みを閉鎖された町に限るとどうなるか、という壮大な実験だ。

私はアメリカのコミュニティについてはよく知らない。そして、本書に描かれるチェスターズミルがアメリカの田舎の縮図なのかどうかについても判断できない。その前提で、本書に登場する組織について考えてみようと思う。

本書の舞台、チェスターズミルには自治体に相当する組織が登場しない。三人の町政委員以外に自治体としての行政サービスの担い手があらわれないのだ。あるいは、隣接するキャッスルロックには自治体があるのだろうか。となると、第一から第三まで三人もの町政委員がいるのはどういうことなのだろう。町政委員とは町議会議員のようなものなのだろうか。日本でいう自治会のような組織はアメリカにはないと聞く。たとえば町政委員を自治会長のような存在と仮定すれば、町政委員という仕組みを自治会とみなしてよいかもしれない。

そう考えれば、本書に登場する町の組織は以下の通りとなる。行政(自治会)、警察、マスメディア、医療、小売、宗教。他に一般的な町にあるべき組織とはなんだろう。消防、軍隊、教育だろうか。消防は住民たちが自助組織を結成している。軍隊はドーム内には存在せず、ドームの外で手をこまねいているだけ。教育については、本書にはほとんど出てこない。つまり、行政、警察、マスメディア、医療、小売、宗教の組織があればコミュニティはかろうじて成り立つということだ。もちろんそれは実際の生活ではなく、あくまで本書のストーリーを進めるためだ。ただ、著者の考えでは、町の営みもこれだけあればどうにかなるのだろう。

これは、街の危機に際してどういう組織が必要か、というテストケースとして興味深い。著者が考える危機管理の一例として、本書は参考になるかもしれない。当然ながら、著者のストーリー進行上の都合によって組織の入れ替えはあるだろうが、ここにあがった組織が危機管理上の要と考えて良さそうだ。

日本でも天災が村を孤立させる話はよく聞く。天災に備えてどのような組織が町に必要か。本書はそれを考えるきっかけになる気がする。

本書はアメリカが舞台なので、町々には教会が建てられている。そして、住民のコミュニティの場は普段は教会が担っている。そしてビッグ・ジムによる演説のシーンなど、全住民が集まるような時だけ、市民ホールのような場所に住民が集まる。一方のわが国では、神社に氏子が寄り合うコミュニティがすでにうしなわれてしまった。自治会も衰退の一途をたどっている。チェスターズミルに起こったような出来事が、仮に日本の地方都市で再現されればどうなるか。それもチェスターズミルのような庁舎のない地域で起こったら。多分、住民たちは自然にコミュニティを結成することだろう。そしてその担い手は、自治体の支所ではなく、寺社か自治会が担うような気がする。

本書を絵空事として片付けるのではなく、地域社会のあり方を考えるきっかけにしてもよいと思う。

また、本書は組織と個人の対立を描いている。組織とはビッグ・レニーに代表される警察力。個人とはバービーに代表される人々を指す。特に本書は、終盤に近づくにつれて個人の力が発揮される場面が頻繁になる。結末に触れることになるため、これ以上は書かないが、本書を一言で言い表すと組織の無力を描いた話、といっても差し支えないほどだ。

そんな余計な分析を加えてみたが、本書は本来、そんな分析など不要だ。思うがままに一気に読める。そして寝不足になる。それだけの魔力が本書には備わっている。本書の結末については賛否両論それぞれあるだろう。ただ、本書の魅力については誰にも否定できないはず。神が著者に与えた類まれなるすストーリーテリングを味わえるだけでも幸せなのだから。

聞くところによると、本書はドラマ化されているという。アメリカのTVドラマの質の高さはとみにきくところだ。観たことはほとんどないけれど。でも本書のドラマ化であれば、是非一度観てみたいと思う。

‘2016/12/07-2016/12/13


UNDER THE DOOM 上


あとがきで知ったのだが、本書は、著者の作品のなかで三番目に長いそうだ。著者のライフワークともいうべきダーク・タワーシリーズは別格として、『ザ・スタンド』、そして『IT』、続いて本書の順なのだとか。

小説はただ長ければいいというものじゃない。長さに比例して内容も間延びし、スカスカになっならそれこそお話にならない。しかし、そんなうがった見方は著者の作品に限っては無用だ。『ザ・スタンド』と『IT』は長さと面白さを兼ね備えていた。それらと同じく、本書も文句なしの傑作だった。

メイン州キャッスルロックといえば、世界で一番有名な架空の町。そういっても許されてしまうぐらい、著者の作品ではお馴染みの町だ。本書の舞台となるチェスターズ・ミルは、キャッスルロックの北隣に位置している。

そんな素朴な町がなんの前触れもなく、透明なドームに全方位を囲まれる。そんな出来事から本書ははじまる。

急に現れた見えない壁に衝突する飛行機やトラック、手首から先を壁に切り落とされ失血死する農婦。わずかな空気と電波以外は完全に外部から遮断された町。理由もわからないうちに閉鎖されたチェスターズ・ミル。閉鎖された空間では人間の本性もあらわになる。本性に応じて、階級や上下の序列の争いがあらわになる。人々の醸し出す空気がドームの中に不穏な圧力を高める。

著者の創造した閉じた空間の中で、著者の筆はいつにも増して快調だ。細かな人間感情の機微を丁寧に描きつつ、エピソードをちりばめていくなど著者にとってはお手のもの。人物の配置にも抜かりはない。ごく自然に、閉鎖された町にトラブルの着火役を用意している。彼の名はジュニア・レニー。痴話げんかの余韻と脳内で芽を吹きはじめた腫瘍の影響で二人の若い女性を殺してしまう。そんな彼の父は第二町政委員として陰でこの街を牛耳るビッグ・ジム・レニー。ビッグ・レニーは狡猾に二番手の役割に甘んじ、その間に着々と街の財政に食い込む。そして甘い汁を吸う。さらには後ろ暗い事業に邁進する。表の顔である中古車屋の経営者を演じつつ。

不慮の事態を収拾するために動いた警察署長パーキンスは、不用意にドームに触れてしまったために体内のペースメーカーが爆発して死ぬ。そして副署長ランドルフはといえば、レニーに頭を押さえつけられている暗愚な男。治安維持のため警察力強化をもくろむレニーは、新署長ランドルフに街の愚連隊を臨時警官として雇う事を認めさせ、着実に独裁体制の地場を固めてゆく。

レニー親子に対するは、バーバラという女性のような姓をもつバービー。ジュニアとの痴話げんかを通して、憎悪を一身に集める彼は、流れ者のコック。もともとは、イラク戦争で米軍の特殊任務についていた経歴を持つ。そんな経歴から、バービーは町政委員を差し置いてアメリカ大統領直々にチェスターズ・ミルの最高責任者に任命される。ミサイルや化学薬品の塗布など、米軍によるドーム破壊に向けた努力は全て徒労に終わり、レニーは自らの後ろ暗い事業の清算と、ドーム内での己の絶対権力の確立を一挙に実現するため、バービー包囲網を着々と狭めていく。

果たしてバービーはレニー親子に陥れられてしまうのか、というスリルの構築は著者はならではの熟練の技。著者が巡らせる構図も、単なる善悪の二元でに終わるはずはない。レニー親子とバービーの周りには多彩な人物が登場する。本書の冒頭には登場人物の一覧が附されている。その数総勢59人。

あまりにも人数が多いので、いくつかのカテゴリーに分けられている。
【町政委員】
【食堂〈スイートブライアー・ローズ〉スタッフ】
【チェスターズミル警察】
【聖職者】
【医療関係者】
【町の子どもたち】
【主要な町の人々】
【よそ者たち】
【主要な犬たち】
【〈ドーム〉外側】

ここに出てくる59名の多くは物語に欠かせない。ほんの一瞬だけ登場するちょい役ではないのだ。物語の主要なキャストだけでも数えれば30人は下らないだろう。【主要な町の人々】カテゴリーに括られている人々だけでも、重要な人物は片手では足りない。地元新聞の発行者、百貨店店主、葬祭場経営者などなど。

著者の作品は毎回大勢の人物が登場するが、本作はいつにも増して一人一人の役割をきっちりと割り振り、特定の人物だけに描写が偏らないように入念に配慮されている。これだけの人数を操って、物語の序盤をだれることなく書き進められる著者の筆力には、今更ながら驚くばかりだ。

町の住人たちが織りなす複雑な運命の綾は、ビッグ・レニーの策謀によって一層複雑な模様を描いてゆく。スーパーマーケットへの閉鎖通告とそこで起こった暴動。ビッグ・レニーの周りには謀り事が渦巻く。それを隠蔽しようとしたビッグ・レニーも息子と同じく殺人に手を染めてしまう。ジュニアが隠し続ける二体の死体に加えて、親のレニーの作り出した死体もまとめてバービーのせいにしようと画策する親子。

そうして彼らの策謀の網は、ついにバービーをからめ捕ろうとする。盛り上がったところで上巻は幕を閉じる。かつて週刊少年ジャンプを読んで、次週号を待ち遠しく思った記憶。本書もまた、瞬時に下巻を手に取らせた。ストーリーテリングの神技である。著者と訳者が共同で紡ぎだす文章に迷いはない。

‘2016/12/03-2016/12/07


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


読読と名付けたこのブログをはじめてからというもの、真の意味で本を読むようになったと自負している。もちろん、今までもたくさんの本を自分なりに楽しみ、夢中になって読んできた。だが、今から思うと、本から得られたはずのものはもっと多かったのではないかと思っている。

本は読んだ後の振り返りが重要なのだ。それを著者の「1Q84」の三冊を読み、レビューを書くことで痛感した。著者の小説は言い方は悪いが読み流す事ができる。それは著者の文体が読みやすいからだ。読みやすく、すらすらと筋を追えてしまう。なので、読み終えた後に消化する作業がなければ内容を忘れてしまう。

著者の作品を例にあげると、「ノルウェーの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」はあら筋すら覚えていない。今から28、9年前、中学生の時分に友人に借りて読んだのだが、そのことしか記憶にない。「羊を巡る冒険」や「ハードボイルドワンダーランド」も高校の頃に読んだ記憶はあるが、ほとんど記憶にない。ようやく「海辺のカフカ」あたりから筋を覚えている程度だ。上記にあげる各作品は、何を得られたかを問われると覚束ない。

「1Q84」を読んだとき、すでに読読ブログを始めていたので、自分の中でレビューとして文章に起こすことで反芻できた。その結果、共同体なるものの連帯感とはそもそも幻想でしかなく、生命同士の結び付きこそが共同体に他ならないとの知見を得た。つまり、規則や規約といった約束事のあいまいさだ。

こういった知見は本を読んだ後自分で意識しないと忘れてしまう。それでは本を読んだことにならない。本を読んだとは、読み返したあとに感想を文としてまとめて初めて言えるのかもしれない。そう言い切ってよいと思う。

多分、本書もレビューに落とさぬままだと、現実の忙しさに忘れてしまいかねない。だが、本作は読みやすい文体の隙間に人生への識見が織り込まれている。そこをレビューとしてまとめておきたいと思う。本書もまた、著者の傑作の一つだと思えるから。

本書の題名は長い。長いがその分だけ情報が豊富に含まれている。その中でも「色」「つくる」「巡礼」の三つは重要なキーワードではないか。以下、それによってレビューを進めようと思う。

その前に、本書のあらすじを一文で表してみる。個性を持たないことで共同体を放逐されたことに傷付いた人はいかに己を再生すべきか。という感じだろうか。

ここでいう個性とは、すなわち「色」だ。主人公多崎つくるは、自分の個性の欠如に劣等感を抱いている。名古屋で過ごした彼の高校時代。そこで固い絆で結ばれた五人の仲間。つくる以外の四人の名字には色を表す文字が含まれている。黒白青赤。そしてつくるの名には色が含まれていない。

一人だけ東京の大学に入ったつくるはある日、名古屋に帰る。が、彼はいきなり理由も告げられぬまま四人の仲間から遠ざけられた自分に気づく。そして死を思うまでに傷つく。つくるはその理由れを自分に「色」つまり個性がないせいだと思い悩む。おそらくつくるが持つ悩みとは今の若者の多くが抱えている悩みなのだろう。私自身はおなじ悩みを持っていなかったが、個性を持たねば、という自覚はあったように思う。

だが個性とは、身に付けるものでも後からそなわるものでもない。さらにいうと産まれた瞬間にもたらされるのでも、卵子に受精した瞬間に定まるのでもない。そんなものとは無関係に、存在することがすなわち個性ということだ。

よく、人生を勝ち組負け組という。それに対してよく言われるのは、そもそも何億も放たれた精子との争いに勝った時点で勝者なのだという。でも、そんなことを持ち出すまでもない。存在自体がすでに個性なのだ。

なので、個性をうんぬんするのはあまり意味のないことだと思う。多崎つくるは、本書の終盤になり、かつての仲間に逢う。そこで彼は自ら感じていた劣等感が仲間からは違う見方でとらえられていたことに気づく。自分が内側からみた個性と人からみた個性が全く別物であること。彼が学んだのはそれだ。

だが、個性がないと悩んでいる当の本人には、こんな客観的な言葉は響かないのだろう。

では、個性がないことに悩んでいる人は何に救いを求めるのか。それを多崎つくるは「つくる」ことに求める。多崎つくるはどうやって喪失感を克服したか。それは彼が駅をつくるという生きがいを得たからだ。それを人は天職と呼ぶ。

主人公の名前を「つくる」としたのは、著者なりの考えがあったからだろう。個性を持たない主人公が、生きるために「つくる」ことに慰めを求める。それは、人の営みにとって必要な栄養なのだろう。

生をこの世に受けた人は、作ることに生を費やす。自分をつくり、家族をつくり、サービスをつくり、後継者をつくる。そして死んで行く。個性を出そうと躍起になったり、組織で自分を目立たせようと足掻いたり。結局のところそれらは「つくる」ための副産物にすぎない。やりがいだ自分探しだと人は奔走する。でもそれは「つくる」という行いがあってのことなのだ。

五人の仲間の一人にクロがいる。彼女の生き方はそれを実践している。日本から遠く離れた国に住み、家族を暮らし、陶芸をつくる。つくる事に没頭できる日々をとても大切にする彼女の日々は単調だがとても充実している。

その姿は、車のセールスマンとして優秀なアオや、自己啓発セミナーで有数の会社を起こしたアカをかすませる。彼らも確かに組織をつくり、部下を作っている。だが、クロのように後に何も残さない。他人が作った車を売り、人の練り上げたノウハウを提供するだけ。そこには「つくる」喜びが見えない。

しかし、つくるやクロの人生は「つくる」営みだ。「つくる」ことで人生に立ち向かえている。著者が言いたいのは「つくる」ことが人生の意義であり目的であることのようだ。私は、著者の言いたいこととはこれではないかと思う。情報があふれ、得たいものが容易に得られる今、何を人生のよりどころとするか。張り合いも生き甲斐も感じられないまま自殺に走る。そんな若者たちに、著者は「つくる」ことに人生を見出だせないか、と問いかけている。

では、最後の「巡礼」とは何か。それを著者は、救い、と同じ意味で取り扱っていると思う。

個性のなさに悩むことの無意味さ。それに気付き「つくる」ことで人生の目的を見いだす。では次に人は何をたよりに人生にたち向かうのか。それを著者は「巡礼」という言葉で表したのだと思う。

本書で多崎つくるは、かつて自分を死を思うまでに苦しめた過去に向き合おうとする。その過程とは、四人から突然拒絶された理由を探る旅だ。その旅は、つくるにとってかつての自分に向き合うための「巡礼」に他ならない。その旅によってつくるは四人から遠ざけられた理由を知ることになる。そればかりではなく、色を持たない自分自身への劣等感を払拭する。そして「つくる」という行いが、人生に与えるはかり知れぬ重み。つくるは巡礼の旅によって、得難いものを手に入れることになる。

人は存在することで、その時代に応じた個性を身につける。何かをつくることで人生への手応えを手に入れる。だが、そのことにはなかなか気づけないもの。気付くには、切っ掛けが必要なのだ。著者に云わせると、きっかけこそが巡礼の旅なのだろう。

もしかするとその事に気づかぬまま、死を迎える人もいるだろう。本書でいうシロのように。巡礼どころか、何も思い返す間もなくやって来る突然の死。そうかと思えば自らに与えられた生を静かに充実させようとするクロのような人生もある。はたまた、消息も不明のまま物語の途中で退場してしまう灰田のように黒白はっきり付けられない人生もある。

われわれは、どういった人生の幕引きをしたいだろうか。色を持たない多崎つくるのような?それともは白紙のまま突然世を去るシロのような?または人知れず退場する灰田のような曖昧な?または原色のまま現代を生きるアカやアオのような?

人によって価値観はさまざまだろう。だが、色彩を持たない多崎つくるは、巡礼によってそれぞれの人の持つ色合いを感じることができた。それこそが巡礼の持つ意味ではないだろうか。

人は生まれ、老い、死んでゆく。死ぬまでの間に巡礼できる域まで達せられる人はどれぐらいいるのだろう。自分の色を知り、作ることで人生を豊かにし、巡礼で人生の意味を知る。せめて、生きているからには、そこまで達成して死にたいではいではないか。

‘2016/09/11-2016/09/12


里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く


今の社会はこのままでよい。そう思っている人はどれくらいいるのだろう。大方の人々は、今の社会や経済の在り方になんとなく危うさを感じているのではないか。本書は、そんな社会の在り方に疑問と危機感を抱いたテレビディレクターが、ドキュメンタリーとして放映した番組を書籍化したものである。

今の日本社会は資本主義に基づいている。右肩上がりに成長することが前提の社会。その成長の前提が、限りある資源をエネルギーとして消費することで成り立っていることは言うまでもない。

しかし、便利さに身を委ねているとその事に気付くことはない。私も含め、いつかはなくなる資源の上にあぐらをかき、依存する日常。

昔からこの事に気付き警鐘を鳴らしてきた人々は多数いた。しかし、大多数の文明のぬるま湯に浸かる人々の心には響かぬままだった。しかしここに来て、少しずつ未来を憂える意見が注目され始めている。このままでは人類に未来はない、との危機感が少しずつ実感を持って浸透している。

とはいえ、人々に染み付いた文明の快さは容易には拭い去れない。資源を消費し信用貨幣を流通させる今の経済の仕組みを転換することは難しい。それでもなお、違う未来を切り開くための努力は世界のそこかしこで続けられ、それを紹介する映像や文章は求められ続ける。本書は、その一角を占めるに相応しい一冊である。

本書は、NHK広島支局の取材班による特番放送を基にしている。当初は中国山地の山間にある庄原市に住む和田芳治さんの取り組みからこの企画が持ち上がったという。本書も和田さんの取り組みの紹介から始まる。その取り組みとは、エコストーブである。

エコストーブとは一言でいえばリサイクルである。先に、今の経済の仕組みは資源の消費を前提にしていると書いた。遠方のどこかで産出された原油やガス、またはウランから取り出されたエネルギー。これが津々浦々に張り巡らされた送電網を通じて送られる。今の日本の繁栄は、それなくしては成り立たない。和田さんはその仕組み自体は否定しない。否定はしないが、依存もしない。依存せずに済ませられる方法を前向きに探す。その行き着いた結論の一つとして、裏山にいくらでもある枯れ枝を燃やす。それだけで、ガスや電気の替わりとなる。

和田さんは、消費経済から発想を転換するため、言葉も自在に操る。「廃棄物」→「副産物」。「高齢者」→「光齢者」。「省エネ」→「笑エネ」。「市民」→「志民」。本書59ページには和田さんの哲学が凝縮された言葉も紹介されている。「なぜ楽しさばかり言うかというと、楽しくなければ定住してもらえないだろうと思っているからです。金を稼ぐという話になると、どうしても都会には勝てない。でも、金を使わなくても豊かな暮らしができるとなると、里山のほうが、地方のほうが面白いのではないかと私たちは思っています」

たかが言葉も前向きな言葉に変えるだけで印象が変わる。人の心はかように不安定なもの。今の社会を形作る貨幣経済への思い込みもまた同じ。そこからの脱却は、思い込みを外すだけで簡単に実現できる。和田さんの姿勢からはそのようなメッセージが滲み出ている。第一章では庄原市の和田さんの他に面白い取り組みが紹介されている。同じ中国山地にある真庭市の銘建工業の中島さん。製材の過程で出る木屑をペレット状に加工し冷暖房の燃料に利用する。これによって真庭市全体で自然エネルギーの利用率は11%と、日本の平均1%を大幅に上回っている。一般にバイオマスエネルギーには否定的な論調を目にすることが多い。例えばアメリカではとうもろこしをバイオマスエネルギーの原料として使うが、それによって本来食糧として作付けされるべきとうもろこしがバイオマス原料として作付けされ、供給量や市場価格に影響を与える云々。

しかし、製材の木屑や枯れ枝利用であれば、そういった批判は封じ込められるのではないか。原子力や火力発電に成り代わることはないだろうが、風力や地熱や潮汐力発電の替わりにはなり得る。なおかつ、日本の国際収支を悪化させる火力発電用の燃料輸入費用を少しでも減らせるとすれば、普及させる価値はある。

第二章では、国ぐるみで木屑をバイオマス燃料として推進利用しているオーストリアの事例を紹介する。

数年前のユーロ危機において影響を最小限に止め、その経済状態は良好であるオーストリア。その秘密が林業とそこから産み出されるエネルギーにあることが明かされる。国ぐるみで林業を育成し、林業で利益をあげ、林業でグローバル経済から一線を引いた独自の経済圏を築く。本書によると、オーストリアでは再生可能エネルギーが28.5%にも上るのだとか。

ゆくゆくは、原発由来の電力すら完全に排除することも視野に入れているとのこと。国民投票により脱原子力を決議したが、それを実践しているのがオーストリアである。

本書ではオーストリアの代表的な街として、ギュッシングが紹介されている。木材から出る木屑をペレットにし、それを街ぐるみで発電する。外部から購入するエネルギーはゼロ。逆に売電を行い、安定した余剰電力を求める企業の誘致にも成果をあげているという。

バダシュ市長による言葉が本書の100ページに出ている。「大事なのは、住民の決断と政治のリーダーシップだ」

さらに本書は、オーストリアで出ているCLTという木造高層建築も紹介する。鉄とコンクリートいらずで、同じような強度を持つのだとか。耐震性・耐火性も備えており、日本の耐震実験施設で七階建のCLTが震度七の揺れに耐えたのだという。

先にあげた中島さんは、日本へのCLT導入へ意気込んでおられた。すでに日本CLT協会の設立も済ませ、法改正にむけた訴えもされているとか。その後CLTはどうなったであろうか。調べてみようと思う。

本書はここで、中間総括「里山資本主義」の極意と題し、著者に名を連ねる藻谷氏による中間総括を挟む。

中間総括は、一章と二章で取り上げられた内容のまとめだが、それだけには止まらない。かなりの分析が加えられ、中間総括だけで十分書籍として成り立つ内容になっている。特に138ページにある一文は重要である。「われわれの考える「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、お金に依存しないサブシステムも再構築しておこうというものだ」

また、マネー資本主義へのアンチテーゼとして三点が挙げられている。
1 「貨幣換算できない物々交換」の復権
2 規模の利益への抵抗
3 分業の原理への異議申し立て

一章、二章とこの中間報告は今の日本とこれからにとって良き指標となるかもしれない。そのくらいよくまとまり、なおかつ既存概念をうち壊すだけの破壊力も備えている。

三章は、瀬戸内海に浮かぶ周防大島でジャムを作る松嶋さんが主人公だ。新婚旅行で訪れたパリのジャム屋に触発され、大手電力会社の職を捨ててまでIターンした経緯や、そのあとの開業への取り組みなど、サラリーマンに疲弊している方には参考にも刺激にもなるに違いない。まずは都会の常識を取っ払う。さらには、田舎の常識をも取っ払う。ここに松嶋さんの成功の鍵があるように思える。都会の発想では仕入れは安く、製造工程は効率化するのがセオリーだ。田舎の発想では、なるべく店舗は繁華街に、人の集まる場所に構える。しかし、松嶋さんはそのどれも採らない。原料は高く買い、人手を掛けて作り、人家のあまりない海辺の一軒家に店をだす。

ここで、本書は重要な概念を提示する。ニューノーマル。震災以降の若者たちの新たな消費動向のこと。要は本書が目指すライフスタイルであり、グローバル経済、消費前提、マネー資本主義とは対極の消費動向のこと。成長が前提の経済とは対極の生き方を選ぶ若者が、今増えているという。

第四章は、”無縁社会”の克服と題し、里山での人々のつながりを豊かにする取り組みに焦点を当てる。持ちつ持たれつという日本的な近所付き合いへの回帰。これもまた、金銭換算しない里山資本主義の利点。

第五章は、「マッチョな二〇世紀から「しなやかな二一世紀」へ、と題した次世代社会システムの提言だ。とはいえ、その概念のパイオニアは本書ではない。すでにスマートシティという言葉が産まれている。スマートシティプロジェクトという公民学産の連合体が結成され、その中で議論がなされている。それも日本有数の企業メンバーによって。スマートシティとは本書によれば、巨大発電所の生み出す膨大な量の電気を一方的に分配するという20世紀型のエネルギーシステムを転換し、街中あるいはすぐ近くで作り出す小口の電力を地域の中で効率的に消費し、自立する二一世紀型の新システムのこと。

スマートシティの精神と里山資本主義には、さまざまな符合があることが本章で指摘される。今の疲れきった都会のインフラやそこで働く人々。それに対し、スマートシティまたは里山資本主義の考えが広く行き渡った暁には、日本は持続性のある社会として住みよい国となる。本書が一貫して訴えてきたのも、都会中心の生活からの脱却なのは自明だ。私が強く賛成したいのもこの点だ。

最終総括として、今の日本に対する楽観的な提言がなされる。曰く、日本はまだ可能性も潜在力も秘めており衰退などしないという。さまざまな経済指標が掲示され、さまざまな角度から日本の力が残っていることが示される。「日本経済ダメダメ論」の誤りとして三節に渡って日本経済悲観論者へのダメ出しを行うこの章もまた、本書において読むべき章だろう。特に日本の大問題とも言える少子化問題についてもそのプラス効果が謳われている。ただし、それにはマネー資本主義からの脱却が必要と著者は指摘する。そして2060年。人口の減った日本からは様々な問題が去っていることを予言している。

今の日本は灰色の悲観論が覆っている。私は悲観論には与したくない。だからといって、今の日本がこのままでいいとは全く思わない。要は行動あるのみ。今の経済社会のあり方は早晩崩壊するだろう。それは私の死んだ後のことかもしれない。しかし、今動けば崩壊を回避できるかもしれない。キリバスが海面下に没するのは遠い異国の話ではない。同じ目に日本が遭わないとは限らない。いや、津波という形で間違いなく被害に遭うだろう。しかし、本書を読む限り日本にはまだ望みがある。私に今すぐ出来ることは、本書で取り上げられた取り組みを少しでも広めること。そう思って本稿を書いた。

‘2015/04/01-2015/04/07


命を守る東京都立川市の自治会


数年前に、地元自治会の総務部長を務めたことがある。総務部長の仕事はなかなかに面白く、やり甲斐があったことを思い出す。とはいえ大変な仕事でもあった。日が替わってから仕事を終えて帰宅した後、深夜に一人で四十数軒をポスティングして回ったこともあった。職場の状況がきつきつで連日帰宅が深夜になっていた中、よくも一年自治会の仕事をやり遂げたと今更ながらに思う。貴重な経験をさせて頂いたし、自分の人生にとって非常に大きな経験だったと思っている。当時の役員の皆様や支えて頂いた自治会員の方々にはとても感謝している。

一年間の活動を通じて得たことは他にもあった。それは、自治会の存在意義が単なる住民互助会ではない、との知見だ。それは、一住民として自治会に加入しているだけでは決して理解できなかったと思う。自治体によって温度差はあるが、今の日本の自治会は良くも悪くも行政の末端組織として機能している。小さな政府の必要性が叫ばれ行政のスリム化が一層求められている今、自治体の重要性は無視できない。行政の末端組織として実質機能しながら建前上では行政の管轄外である自治会は、却ってそれ故に行政にとっても住民にとっても不可欠との知見。この視点を疎かにしたまま、時代の流れに任せて自治会を衰退させていくことは、今後の日本にとって良くないと思うに至った。

むろん上に書いたような知見は、私が一年の任期を終えた後に考えたことである。任期中は無我夢中のまま、あっという間に過ぎ去ったというのが正直なところだ。一年間、私なりに出来うる範囲で全力を出して自治会活動にあたり、悔いはない。悔いは無いが、本書を読むとまだまだやるべきことや次代に引き継ぐべきことが多々あったことに気付かされ、忸怩たる思いでいる。

本書の著者は、東京都立川市の大山団地にある大山自治会の会長である。その活動において、大山自治会または著者は様々な表彰を受けている。そればかりか、本書という形で書籍出版まで成し遂げている。

大山自治会の何がそんなに凄いのか。その答えは本書の中で縷々に述べられている。それは、総務を経験した私から見ても感心するレベルだ。

例えば加入率。本書によると大山団地は1300世帯が入居しているが、大山自治会への加入率は百%なのだとか。これは信じられない数字である。もっともこれには理由がある。大山団地への入居時に自治会加入を義務化しているからだそうだ。しかし、加入率だけでなく、会費納入率も百%なのだとか。私が総務を担当していた自治会は、大山自治会の半分ほどの世帯数である。しかし、私の在任時でも未加入世帯が3~4%はあったように記憶している。

さらに凄いのは役員会の出席率。これも百%だという。私の在任中、月一回の役員定例会を催していた。私の記憶では、百%の出席率を達成した役員会は1回あったかなかったか。そもそも私自身が毎月の定例会に出席することすら、家族からの不平不満にさらされていた。なので、大山自治会の役員全員が皆勤であることの凄さがなおさら実感できる。

また、大山自治会は孤独死がゼロだという。孤独死は痛ましいことだが、今の日本では起こりうることだ。実際、私の在任中にもお一人孤独死された方がいらっしゃった。お亡くなりになられてから十日余り寂しい想いをさせてしまったのだ。役員会でもお年を召された方に対し、責任感を持った民生委員さんと協力体制を取っていたが、それでも孤独死は防げなかった。大山自治会が孤独死ゼロということが本当であれば、様々な表彰も納得であり、活動内容が本書として書籍化されるだけのことはあると思う。

もちろん、上に挙げた数字は自治会の加入世帯の構成によって変動する。そのことは承知の上だ。役員出席率が百%の件にしても、役員が全員子育てを済ませた引退世代であれば、それもたやすいだろう。また、本書の著者は平日の日中に自治会の活動にかなりの時間を掛けても、支障のない境遇にあるようだ。それだからこそ、これだけの成果を挙げられたともいえる。私自身、総務部長としての在任中は平日の日中の対応は精々メールの返信がいいところだった。その点を含めて、最も精力的に動くことの出来る人々が自治会に時間を割けない自治会の在り方は、深く考えねばならないだろう。

また、大山自治会が成果を上げた理由として大きいと思うのがもう一つある。それは著者を会長として、同一体制の下、長期にわたって同一方針で運営できたことである。私が総務を担当して思ったのが、一年で成果を出し尽すのは困難ということ。本来ならば私も引き続き総務部長の任務を遂行し、定着させるべきだったのだろう。しかし連日帰宅が深夜に及ぶ状態で2年連続の総務部長に就くのは体力的にも時間的にも限界だったし、家族の不満も限界まで溜まっていた。また、そもそも私の自治会は、私が就任する数年前にとある事情があって長期政権がタブーになった経緯があった。そのために一年毎に全役員交替の慣習が続いていた。しかしそれらの事情を差し置いても、一年交代ではなかなか自治会の活動を継続的に発展させ続けることは難しいだろう。

ただ、私の場合は幸いにして私の次々代の総務部長がIT化を促進して頂き、その縁もあって私も再び自治会にIT業者として関わらせて頂くことになった。私は職業柄、自治会の運営改善の即効薬として、IT化による効率化を推進した。しかし本書で取り上げられる大山自治会ではほとんどIT化は進めていないらしい。では、どうやって日々の運用を行っているのか。それは専属の常勤事務職員の雇用を行っているからだという。

結局のところ、善意のボランティアだけで自治会活動を継続させることは、かなりの労力がかかる。それは私の経験からも深く実感している。大山自治会のように常勤事務員を雇うか、IT化の推進以外の道を見つけない限り、自治会の役割は蔑ろにされていく一方だと危惧している。

しかし今の日本に元気がないとすれば、それは地域の衰退も理由の一つにあると思う。地域の交流が衰えるとひいては日本も衰える。それを挽回するには地域の、自治会の力は必要ではないだろうか。

私はまだ、自治会をIT化で活性化せるという事業目標は捨ててはいない。クラウドが普及し、IT化が安価になりつつある今はチャンスである。自治会をITで元気にする。これは私の当面の課題でもある。

‘2015/3/28-2015/3/28