Articles tagged with: キャリア

アクアビット航海記-エンジニアによる発信


「アクアビット航海記」では、個人事業主から法人を設立するまでの歩みを振り返っています。
その中で、私のキャリア上の転機となってきたのは発信ではないかと思います。

技術者の方はアドボケイターやエバンジェリストという言葉を聞いたことがあるでしょうか。かくいう私もkintoneエバンジェリストという肩書をサイボウズさんからいただいています。

なお、余談ですが私はその時までエバンジェリストの言葉すらよく知りませんでした。引き受けたのはよいのですが、何をすればよいのか全く分かりませんでしたので。

しかも当時私がいた常駐先(某大手信販会社基幹刷新プロジェクトのPMO)は猛烈に忙しく、エバンジェリストの事を何もできずにいました。よく私がクビにならなかったと思います。正直、レアキャラと呼ばれていました。クビ候補筆頭だったはずです。お声がけくださった後、辛抱強く育ててくださったサイボウズ社のうっし~さんには感謝しかありません。

さて、そうしたエバンジェリストやアドボケイターという方が行う発信は確かに発信の見本だと思います。スティーブ・ジョブズが鮮やかに行っていたようなプレゼンテーションなんてできるはずがない。発信なんてしょせん雲の上の人たちがやるもの。そう思っていませんか。全くその必要はありません。

それを以下に書いていこうと思います。

意思を伝えることが発信

まず、発信とは技術者であるあなた自身の意思表明です。例えば、到底一人ではやれるはずのない実装を任されたとします。そこで何も意思を示さず、言われるがままにやらされてしまっていては、自分の心身はむしばまれるばかりです。

きっとあなたはこういうはずです。それは無理です。間に合いません、と。多分大丈夫だと思います。これらも立派な発信です。

もしくはエージェントやチームリーダーからこの案件ができるか、という問い合わせがきた際、あなたは自分のスキルを顧みて、こう答えるはずです。「できます」「楽勝です」「無理です」「鬼畜ですか?」「寝ながらできます」。これも立派な発信です。

まずは自分自身のスキルや状況をはっきりと相手に伝える。発信とはまずここから始まるはずです。

仕事している間はしょせん金を稼ぐ手段と割り切り、ポーカーフェイスで羊の皮をかぶって仕事をする人もいるでしょう。そうした方も、プライベートでは自分を友人や親や配偶者にさらけ出しているはずです。発信とはまず意思の伝達から始まります。

私のキャリアでいうと、まずは学生や若い頃の芦屋市でのアルバイト、派遣社員の日々が相当します。

状況をよくしたいと働きかける発信

自分自身の意思を表示するための発信はほとんどの人にとって当たり前の行為です。ですが、次のステップになると少しだけハードルが上がります。

例えば同じチームで気の合うAさんがやっている作業、見ていてとても非効率的。なんとかしたい。

そのような作業を見かねてアドバイスをしたとします。そしてAさんの業務効率は改善されました。これは立派な発信です。

では、特定のAさんにだけアドバイスをするのではなく、チームのミーティングの場で皆に対して発信することはどうでしょう。チームのメンバーは全員がAさんのように気の合うひとだけではありません。同じようにアドバイスしたつもりが、自分の仕事をけなされたと不快に思う人がでてくるかもしれません。ここから難易度が少しずつ上がっていきます。

この時、気を付けるべきは、相手を否定しないことです。否定せず、相手を認めた上で提案します。自分を振り返ってみてください。自分も完璧ではないですよね。未来も予測できないし、Wikipediaをそらんじて相手を驚かすこともできないはずです。人は完璧ではないのに、相手より絶対に正しいことはないはずです。それを踏まえ、相手を立てながら、改善点を伝えます。これも発信です。

むしろ、上に書いたエバンジェリストやアドボケイターとは、こうした発信をより多くの人にしているだけだともいえます。こうしたほうがよいですよ、楽になりますよ、という。

私のキャリアでいうと、スカパーのカスタマーセンターで働いていた頃、Excelの登録件数を集計する仕組みを改善しようと、マクロを使って効率を上げたことが挙げられます。この時、私はチーム内に自ら提案したように記憶しています。

自分の範囲外に働きかける発信

自分の周りの環境を変えられたら、今度はその範囲を少しずつ広げていきましょう。今の世の中にはありがたいことに発信する手段が無数にあります。ブログやSNSといった。こうした手段を使わないのはもったいない話です。

よく炎上を恐れて発信しないという人がいます。ですが、炎上するには理由があります。火のない所に煙は立たぬ、といいますが、やましくなければ炎上しないのです。

もちろん、著名人や芸能人となると別です。その立場を享受しているだけでうらやましがられ、やっかみの対象に選ばれます。そしていわれのない非難と炎上を招きます。ですが、あなたはまだ著名人でもなければ、有名税を払う必要もありません。

世の中には無数のツイートがあり、無数の動画が流れています。その中であなたが炎上するとしたら、よほど運が悪いか、誰かにちょっかいをかけてしまったかのどちらかだと思います。または明らかに世の中の大多数の動きに逆らった発信をするか。

あなたがどれだけ陰謀論を信じているところで、それは大多数ではありません。コロナワクチンや国葬に反対していても同じ。それはあなたの信条や意見として尊重されるべきですが、それを他人に強制すべきではありません。

もし、大多数の意見ではなくても、状況をよくしたいと働きかける発信をしたい場合は、やり方を考えましょう。その場合も上に書いた通り他人を否定しないことです。まず相手の立場と信条を受け入れ、理解した上で具体的な代案を出すとよいでしょう。

コロナワクチンや国葬に反対していても、それを認めさせたいがために相手を否定すると、炎上の当事者に祭り上げられます。ようはそうした悪目立ちをせずに発信すればよいのです。

私のキャリアにとっては、インターネット黎明期にBBSやメールマガジン、またはICQなどで見知らぬ人と会話していた時期にあたります。私も相手をけなしてしまう失敗をしましたし、自分のされて嫌な思いを味わいました。

人々を巻き込む発信

プレゼンの達人と呼ばれる人々は、プレゼンの結果に拍手をもらえたり、学びになりましたと言ってもらえたりすることをゴールとしていません。

エバンジェリストやアドボケイターも含め、そうした方々は相手が実際に行動に移った時をもってゴールとします。つまり、相手を巻き込んだ時です。

これはなかなか難しい問題です。そもそもプレゼンの成果を知る由はありません。無表情で反応の薄い人があとで行動を起こすこともあれば、コクコクとうなづいていた方が夜の懇親会で昼間の記憶を飛ばすこともあるからです。

どうすれば人を巻き込めるか。それは私にも答えがありません。熱意をこめ、抑揚をつけ、相手の目を見る。そうした技術はいくらでもネットや本にのっています。私も自分のプレゼンがどこまで人を巻き込めているか、まったく手探りのまま登壇しています。

ただ、言えるのは、自分がこうなりたい、こういうあり方が望ましいという信念を誰も傷つけず、それでいて確信を込めて語ることです。

当然、語るにあたっては裏付けとなる実績が要ります。その実績は結果を積み重ねていくしかありません。私も商談で依頼されたことをやった経験がなくてもやれますとハッタリを利かせることもあります。ですが、それらはネットを調べればわかることです。苦しんでも、寝ずに不休でも、やり遂げねば実績はたまりません。

私のキャリアにとっては、kintoneでいくつかの案件をこなし、エバンジェリストに任命され、法人成りを果たしたあたりまで私が人を巻き込むことはできていなかったはずです。

発信すると自分が楽になれます

自分がそうだからわかるのですが、このように順をおって発信することは、かならずあなたのキャリアを助けます。

別にエバンジェリストになる必要はありません。例えば会社勤めであっても、自分の意思を伝え、チーム・会社をよくしたいと発信することは重要です。そしてそれが社外にまで広まった時、転職やヘッドハンティングの対象に選ばれることもあるでしょう。または副業で人を巻き込む仕事をする際に、もしくは近所付き合いの際にイベントを誘う際にも役に立つことでしょう。

結局、発信とは自分を楽にするためにあるのです。発信をためらい、発信を億劫がると、受け身の人生になってしまいます。発信とは自分の人生を能動的に生きるための営みなのですから。

発信すれば、結果はあとからついてきます。結果とは例えば会社内の地位であったり、良き配偶者との出会いだったり。または私のように運よくエバンジェリストとしてお声がかかるかもしれません。もちろん収入にも跳ね返ってきます。

発信とは、誰のためでもありません。自分のためにやるのです。

最初のうちは、発信しても何の反応もないでしょう。でも、反応など気にしてはいけません。いいねがつかなくても、誰かの目に触れる。恥ずかしがらずに発信することは、あなた自身の知見を高め、より熱の入った洗練された内容に磨き上げられていくはずです。3年ぐらい、地道に発信しましょう。やがて、少しずつ反応が増えてゆくはずです。

そうなればこっちのものです。

発信しても否定されないコミュニティがあります

いかがでしょうか。もし、発信という営みに興味が出てきたら、全国津々浦々、どこかでやっている勉強会に出てみることをお勧めします。手練れのエバンジェリストもいれば、まだ発信をし始めた方もいます。

私たちもそうした方を決してけなしません。否定しません。それはもっともやってはいけないことです。私たちはまず誰の発言でも受け入れます。そしてもし改善が必要なら穏やかにそれを伝えます。

実際、私も何度もダメ出しを穏やかに頂いてきましたし、それを受けて自分なりに改善を重ねてきました。もちろん、私などまだまだです。すごい発信者は何人もいますから。私はただ、それを目指して努力するだけです。自分の望む人生に。自分にとって心地よい生き方のために。

まとめ

ここで書いたことがどなたかのご参考になれば幸いです。


アクアビット航海記-私の技術とのかかわり方


「アクアビット航海記」では、個人事業主から法人を設立するまでの歩みを振り返っています。
その中では、代表である私がどうやって経営や技術についての知識を身につけてきたかについても語っています。

経営や技術。それらを私は全て独学で身につけました。自己流なので、今までに数えきれないほどの失敗と紆余曲折と挫折を経験して来ました。だからこそ、すべてが血肉となって自分に刻まれています。得難い財産です。

本稿では、その中で学んだ技術の学び方を語りたいと思います。
私自身が試行錯誤の中で培ってきたノウハウなので、これを読んでくだった方の参考になれば幸いです。

ただし先に断っておきますと、私の技術力などそれほど大したものではありません。しょせんは独学ですし。
今までに参画してきた常駐現場では多くの凄腕技術者を見てきました。私が最近棲息しているkintone界隈でも私より技術力の優れた人は無数にいます。
そのため、技術力だけで考えれば、私など手本にする価値はありません。

私が皆さんにお伝えできるのは、最小限の努力で必要な技術を身に付ける嗅覚です。それは備えてきたと思います。本稿ではそれを参考にしてもらえればと思います。

モチベーション

ずばりいうと、私の技術へのモチベーションは、面倒くさがりから来ています。さらに飽きっぽさと。

例えば仕事で何か面倒な作業が必要になったとします。
そう、Excelのブックからブックへの転記のような。

これ、一回や二回ならまだいいのです。でもそれが十回繰り返されてくると、とたんに繰り返しに飽きてしまうのです。そして作業が面倒に思えてしまうのです。これは毎日、同じ場所に通勤する営みについても同じ。

そうなると、この面倒くさい作業をやめるためにどうすればよいか、私の脳内がざわめきだすのです。

多分、新たな仕組みやアルゴリズムを考える労力の方が、繰り返す作業よりも大変なのでしょう。でもそんなことは関係がありません。それ以上同じ作業をしたくない。その思いの方が圧倒的に強いため、私を衝き動かします。アルゴリズムや仕組みを考えることは、繰り返しの作業とは無縁です。飽きないし面倒くささも感じません。本連載第二十五回で書いたように集計作業が面倒でExcelのマクロを作ったのはまさにこの実例です。

選ぶ

今までのキャリアで、私はさまざまな技術や言語に触れてきました。この言語や技術の選び方は、案外大切ではないかと思います。

私はどちらかというと新しいもの好きです。ところが、私のキャリアを振り返ってみると、言語や技術の選択に当たってそこまで冒険をしていません。

例えば、PCはWindowsとMs-Officeを主に使ってきました。サーバーを自分で構築する際も、ファイルサーバーはSamba、LAMP(Linux+Apache+MySQL+PHP)でウェブ環境を構築してきました。CMSはWordPressを主に扱いました。クラウドにしても、βテスターとして関わり始めたころのkintoneは無名でしたが、運営元のサイボウズ社はそのころからすでにグループウエアの雄として業界に地位を確立していました。今やkintoneはわが国でも著名なPaaSに成長しています。

今までに私が携わった技術や言語の中で衰退してしまったものを挙げてみます。ファイルサーバーのSambaやその際にMacをつないだAppleTalk。サービス連携の言語はJSONではなくXMLを学びました。常駐先で触る必要があったLotus NotesやLotus Scriptは衰退の最たるものです。あとはLinuxでサーバーを構築した際、採用したDistributionのRedHat LinuxやMiracle Linuxも今はあまり聞きません。

若い頃に得たVisual Basicの知識やLampの知識が今も生かせることは、私のキャリアにとってとても幸運だったと思います。衰退した言語や技術の習得に使った時間が無駄にならずに済んだので。このことは私のキャリアを考える上でとても重要だと思います。

その際、私がどういう基準で言語や技術を選んだのかは、あまり覚えていません。ただ、その当時からシェアが高いものを選んだように思います。また、安価な環境で使える言語であることも重要でした。例えばスクリプト言語はphpであれば安価なレンタルサーバーでも使えましたが、pythonやgoはサーバーにインストールする必要があったため、学びの対象から外しました。

シェアが高いということは、サポートサイトも多いということ。サポートサイトを必死に読み込めば、たいていのヒントはおのずから公開されていることに気づきます。おそらく私はそれらを踏まえながら、自分の学ぶべき言語を選んでいったように思います。

この時に単に新しいからといって新奇な言語や技術にあまり手を出さなかったことが、私のキャリアをあまり回り道に進ませずに済んだと思います。

調べる

自分が知りたいこと、実装したいことをどう調べると効率的か。

これはとても重要なところです。私が自分でプログラムに関心を持ち始めたのは1999年。まだインターネットが世間に広く使われ始めたばかりのころです。今のように少し検索するだけで技術資料が閲覧できる時代ではありません。つまり、書籍が頼りでした。

書籍は、その分野の全てを語ろうとします。まず、総論から始まり、その後で個別の説明を展開していきます。私はそうした総論の類を読みません。まっすぐ自分が求める機能を探します。書籍の場合は目次や索引が付されていますので、そこから探すと目指す機能を学べます。

その機能の説明を読むと、自分の知らない事が次々に出てきます。メソッドや関数の記述。名前空間や言語体系。細かい文法など。それらを総当たりで調べていきます。その際も、名前空間についての総論は読み飛ばします。直接、該当する名前空間の書き方を探します。そうやって個別の自分の知りたいことだけを拾いながら、その積み重ねで全体を把握していく。それが私のやり方です。
ちなみに私は読書が大好きです。が、本を読む際は全く逆のアプローチをとります。途中の部分を読むなどもってのほか。必ず最初から最後まで通して読みます。ところが不思議なことに技術書を読む際だけはそのやり方だとうまく覚えられないのです。

私が技術の世界に触れ始めたころと違い、今はネット上から情報を得ることができます。ですが、その情報には書籍のような目次・索引がありません。つまり検索エンジンを使うしかないのです。この検索の際にキーワードを入力しますが、そのキーワードにもコツがあります。

技術の言語は国際的に英語が使われています。そのため、日本語だけで検索しても求める検索結果にヒットしないことがほとんどです。まず具体的な文言を英語も含めて検索します。また、エラーメッセージにあたった際はそのメッセージを検索文言に含めます。すると、求める結果が得られると思います。その際、英文が出てきたら大意ぐらいはつかめるぐらいの英文読解力があると楽です。その上でGoogle 翻訳やDeepLのような翻訳サイトを使って日本語で意味をつかみます。

なお、当たり前ですが得た結果をきちんと読解する力は必要です。私は文系学部で学んだ技術者ですが、読解力が私のキャリアを助けてくれたと確信しています。パッと読んで分かったつもりになってしまうと、結局遠回りになります。じっくりと文章を読むように心がけましょう。

実装する

この後の連載で、私がどのように実装の経験を積んでいったかは書いていく予定です。独立するまでにはかなりの回り道と試行錯誤と無数の失敗を繰り返しました。

日中は現場に常駐していた私が、個人の業務で無理せずに実装するにはどうすればよいか。全ては五里霧中の中でした。少しずつ実績を積み上げられ、しかも安価な投資額で実装環境が整えられるような案件を痛い失敗の中で少しずつこなしていったのが私のキャリアです。kintoneに出会うまでは。

私のように個人事業主から法人を設立するまでの歩みは、自分でいうのもなんですが、相当難しいと思います。

私のようにホームページの制作から始め、まずHTMLやCSS、JavaScriptを操るスキルを身に付け、そこからサーバーの選定や調達に進み、さらにphpなどの言語がデフォルトであるWordPressのようなCMSに手を染めていくと、キャリアとしてよいのではないかという気がします。この路線は、今のところまだ衰退の兆しがそれほどなさそうですし。

その際も、自分でサーバーを立ち上げ、LAMPをインストールし、AWSやGCP、Azureといったより高度な環境を選ぶより、まずは小規模な環境から始められる規模の案件をこなすとよいでしょう。要するに安価なレンタルサーバーでも十分要件が満たせるようなものです。

ブレイクスルー

とはいえ、ロジックの構築や予期せぬバグの出現など、実装にあたっては問題が生じます。

それをどのように克服していくかは切実な問題です。それで挫折し、折れた心を抱えながら情報処理業界からも去っていく人もいるでしょう。

そもそも、どれだけ本やウェブサイトを読んでも概念がちっともつかめない場合、どうすればよいのでしょう。正直、私にも概念がつかめずに苦戦したことが何度もありました。本連載第三十二回で書いた、行列のExcelからAccessの三次元を理解したのはまさにその一つ。

そこでも書きましたが、当時チームの部下だった年下のOさんに教えを請いました。そこで教えてもらったことで私は一つ目のブレークスルーを果たしました。この時、妙なプライドや自負があって独学にこだわっていたら、今の私はなかったと思います。

私はキャリアのほとんどを独学で積み上げてきたことに誇りも自負も持っています。ですが、今でもまだまだ分からないことが無数にあります。今の私がそうした事態にぶつかった時、二回り以上も年が離れた部下に教えを請い、頭を下げられると確信できます。しょせんは私のキャリアなど独学であり、正当に大学で情報科学を学んだ方には絶対に勝てないことが分かっていますので。

ブレークスルーを果たすには、自分の中で突き詰めて考えることは必要です。でも、概念を理解するためのちょっとした気づきを自分の中だけで得るのは難しいでしょう。その時、相手が誰であろうとヒントを与えてくれる方には頭を下げ、謙虚でいられるかどうか。それが出来る技術者こそが、年配になっても現役でやれる人だと思います。

加齢による好奇心の枯渇

かつてはプログラマー35才限界説、というものがまことしやかに言われていました。35才を超えるとプログラマーとしては使い物にならない、というやつです。

この説はある部分ではあたっています。ただし、それはアルゴリズムの構築が35才を迎えた途端にできなくなる、という意味ではありません。当たっているのは年齢による体力の問題です。それはどうしようもありません。徹夜でコーディングする作業は40歳を過ぎると難しくなるのではないでしょうか。

むしろ、ロジックの組み立てをきちんと自分の頭で考えた経験を35歳までに積んでいることのほうが大切かと。そうした経験があれば、60歳の半ばであっても第一線で問題なくやれると思います。身近にその生きた例を知っています。私自身、50歳の声が聞こえ始めていますが、まだやれると思っています。

また、今の言語はフレームワークなども充実しています。また、基本的なアルゴリズムについてはライブラリが豊富に用意されています。そのため、それを呼び出すだけでよいのです。加えてkintoneのようなPaaSを使えばデータベースの構築や通知・権限設定も手間をかけずに実装できます。

そうした意味ではプログラマー35才限界説とは、かつて情報処理業界の言語や環境が発展途上だったころの名残だと思っています。ちなみに私は文系学部の出身なので、文系プログラマー限界説にも反対の立場です。女性エンジニアの方も優秀な方が多いので、男性だけが優位というのも間違っています。

ただし、それ以外に限界説が当てはまる人はいます。それは体力の問題ではなく、心の柔軟さの問題です。肉体とともに心は徐々に柔軟さを失っていきます。実年齢が30歳であっても、自分が持っている技術や環境から学ぼうとしないと、35才よりも前に限界を迎えます。上に書いたように、自分より詳しい若手に頭を下げられるかも限界の年齢を決めるでしょうね。

例えば新卒で情報処理業界に入り、会社が用意してくれた既存の業界や言語や環境の中で安定した仕事をこなしていたとします。その状態に甘んじて新たな言語や環境を学ぼうとしなかったとすれば、老いはより早くあなたをむしばむはずです。そして気が付いたときには技術者としての活躍の場がない、という悲劇に遭遇します。

私自身、今からDeep LearningやMachine Learning、ブロックチェーンや3Dプリンターを学ぶには億劫な思いを感じます。概念は大体理解しているつもりですが、それを新たな実装として試してみようとする気概が出てきません。私にも間違いなく老いは忍び寄っています。

それを防ぐには好奇心を持ち続けるしかないと思います。これは私の価値観ですが、仕事だけが毎日ではないと思います。さまざまなプライベートの趣味や出会いや楽しみを持ち、仕事以外に多様な刺激を受けるような環境に身を置く。それが40代50代になって少しずつ効いてきて、あなたの身を助けてくれるはずです。

まとめ

私なりに技術との関り方をまとめてみました。もちろんこれは私の例にすぎません。人によってそれぞれのやり方があるはず。ここに書いた内容を基に、皆さんがそれぞれの立場で取り入れられる点があれば、取り入れていただければと思います。


アメリカの高校生が学んでいるお金の教科書


経済学の本をもう一度読み直さなければ、と集中的に読んだ何冊かの本。本書はそのうちの一冊だ。
新刊本でまとめて購入した。

前から書いている通り、私には経済的なセンスがあまりない。これは経営者としてかなりハンディキャップになっている。

私だけでなく妻も同じ。お金持ちになるチャンスは何度もあったが、そのために浪費に走ってしまった。だからこそ長年私も常駐作業から抜け出せなかった。その影響は今もなお尾を引いている。

私は若い考えのまま、お金に使われない人生を目指そうとした。金儲けに走ることを罪悪のようにも考えていた時期もある。
二十代前半は、金儲けに走ることを罪悪のように考えていた。

妻は妻で、生まれが裕福だった。そのために、浪費の癖が抜けるのに時間がかかった。
幸いなことに夫婦ともまとまったお金を稼ぐだけの能力があった。そのため、家計は破綻せずに済んだ。だが、実際に破綻しかけた危機を何度も経験した。

私たち夫婦のようなケースはあまりないだろう。だが、私たちに限らず、わが国の終身雇用を前提とした働き方は、お金について考える必要を人々に与えなかった。
一つの企業で新卒から定年まで勤めあげるキャリアの中で、組織が求める仕事をこなしていけばよかった。お金や老後のことも含めた金の知識は蓄える必要がなかった。それらは企業や国が年金や保険といった社会保障で用意していたからだ。

私もその社会の中で育ってきた。そのため、金についての教育は受けてこなかった。風潮の申し子だったといってもよい。
だが、私はそうした生き方から脱落し、自分なりの生き方を追求することにした。ところが、お金の知識もなしに独立したツケが回り、会社を立ち上げ法人化した後に苦労している。もっと早く本書のような知識に触れておけば。

世間はようやく終身雇用の限界を知り、それに紐付いた考えも少しずつ改まりつつある。
私も自分の経験を子どもやメンバーに教えてやらねばならない。また、そうした年齢に達している。

本書は、アメリカの高校生が学ぶお金についての本だ。
アメリカは今もまだ世界でトップクラスの裕福な国だ。経済観念も発達している。貧富の差が激しいとはいえ、トップクラスのビジネスマンともなると、わが国とは比べ物にならないほどの金を稼ぐことが可能だ。

それには、社会の仕組みを知り尽くすことだ。金が社会を巡り、人々の生活を成り立たせる。
人が日々の糧を得て、衣服に身を包み、家に住まう。結婚して子を育て、老後に安閑とした日々を送る。
そのために人類は貨幣を介して価値を交換させる体系を育ててきた。会社や税金を発明し、労働と経済を生活の豊かさに転換させる制度を育ててきた。
金の動きを理解すること。どのようなルートで金が流れるのか。どのような法則で流れの速度が変わり、どの部分に滞るのか。それを理解すれば、自らを金の動きの流れに沿って動かさせる。そして、自らの財布や口座に金を集めることができる。

その制度は人が作ったものだ。人智を超えた仕組みではない。根本の原理を理解することは難しい。だが、人間が作った仕組みの概要は理解できるはずだ。
本書で学べることとはそれだ。

第1章 お金の計画の基本
第2章 お金とキャリア設計の基本
第3章 就職、転職、起業の基本
第4章 貯金と銀行の基本
第5章 予算と支出の基本
第6章 信用と借金の基本
第7章 破産の基本
第8章 投資の基本
第9章 金融詐欺の基本
第10章 保険の基本
第11章 税金の基本
第12章 社会福祉の基本
第13章 法律と契約の基本
第14章 老後資産の基本

各章はラインマーカーで重要な点が強調されている。
それらを読み込んでいくだけでも理解できる。さらに、末尾には付録として絶対に覚えておきたいお金のヒントと、人生における三つのイベント(最初の仕事、大学生活、新社会人)にあたって把握すべきヒントが載っている。
それらを読むだけでも本書は読んだ甲斐がある。私も若い時期に本書を読んでおけばよかったと思う。

376-378ページに載っている「絶対に覚えておきたいお金のヒント10」だけは全文を載せておく。

絶対に覚えておきたいお金のヒント10
この本ではお金についていろいろなことを学んだが、いちばん大切なのは次の10項目だ。

1、シンプルに
お金の管理はシンプルがいちばんだ。複雑にすると管理するのが面倒になり、自分でも理解できなくなってしまう。

2、質素に暮らす
お金は無限にあるわけではなく、そして将来何が起こるかは誰にもわからない。つねに倹約を心がけていれば、いざというときもあわてることはない。

3、借金をしない
個人にとっても家計にとっても、代表的なお金の問題は借金だ。借金は大きな心の負担になり、人生が破壊されてしまうこともある。ときには借金で助かることもあるが、必要最小限に抑えること。

4、ひたすら貯金
いくら稼いでいるかに関係なく、稼いだ額よりも少なく使うのが鉄則だ。早いうちから貯金を始めれば、後になって複利効果の恩恵を存分に受けることができる。

5、うまい話は疑う
儲け話を持ちかけられたけれど、中身がよく理解できない場合は、その場で断って絶対にふり返らない。うまい話には必ず裏がある。

6、投資の多様化
多様な資産に分散投資をしていれば、何かで損失が出ても他のもので埋め合わせができる。これがローリスクで確実なリターンが期待できる投資法だ。

7、すべてのものには税金がかかる
お金が入ってくるときも税金がかかり、お金を使うときも税金がかかる。商売や投資の儲けを計算するときは、税金を引いた額で考えること。

8、長期で考える
今の若い人たちは、おそらくかなり長生きすることになるだろう。人生100年時代に備え、長い目で見たお金の計画を立てなければならない。

9、自分を知る
お金との付き合い方には、個人の性格や生き方が表れる。将来の夢や、自分のリスク許容度を知り、それに合わせてお金の計画を立てよう。万人に適した方法は存在しない。

10、お金のことを真剣に考える
お金は大切だ。お金の基本をきちんと学び、大きなお金の決断をするときは入念に下調べをすること。お金に詳しい人から話を聞くことも役に立つ。

‘2020/05/01-2020/05/11


虚構金融


私はあまり経済系の小説は読まない。
本書は、淡路島の兵庫県立淡路景観園芸学校のイベントに仕事で参加した際、「お好きにお持ち帰りください」コーナーで手にとったものだ。以来、二、三年積ん読になっていた。

そのため、本書については私の中には何の知識もなかった。著者の作品ももちろん初めて読む。
だが、本書は、とても読み応えのある一冊だった。

大手銀行同士の合併に際し、財務省に対する便宜を図ってもらうために贈収賄があったのではないか。その疑惑が、東京地検特捜部の捜査対象だった。そんな中、財務省の官僚である大貫が謎の死を遂げた。
その大貫を検事として取り調べていた後鳥羽は、贈収賄の実態についてさらなる調査を進める。汚職疑惑から明らかになる謎とは。それが本書の大まかなあらすじだ。

官僚や検事としての生き方、そして身の処し方。外部から見た時、どちらもさほど違いがないように思える。もちろん、当事者にとってみればそれはナンセンスな視点のはず。
私のような技術者でさえ、関わる職種によって職務の内容が大きく違うのは当たり前だ。技術者だからなべて同じと思われては困る。検事と官僚を同じ枠でくくることも同じ誤りに違いない。
ただ、一つだけ言えることがある。それは、誰もが目の前の任務に専念し、目の前の難問を解決しようと仕事に取り組んでいることだ。

後鳥羽には家族もいる。大貫にも家族がいる。
だが、肥大した利権と権力にまみれた世界は、家族の憩いや願いなど一顧だにしない。彼らのささやかな平和を一蹴するかのように、陰険な手が危害を加えてくる。圧力や妨害が当たり前の任務を遂行する彼らを駆り立てるものは何だろうか。

私自身の考えや生き方は、本書に登場する男たちの多くとは少しだけ異なっている。だからこそ、本書の世界観は新鮮だった。もちろん、このような小説は今までに何度も読んだことがある。ただ、それは私が何も分かっていない若い頃。
今の私は経営者である。ある程度自由が効くワークスタイルで働けている。今の私のワークスタイルは、検事や官僚のような生き方とは離れてしまった。

だが、私は本書に出てくる男たちの働き方を全て否定しようとは思わない。
仕事に熱を入れる彼らの姿は美しい。
日本の高度経済成長期に、本書に出てくるような男たちが黙々と仕事をしたからこそ、日本は世界史上でも稀な復興を成し遂げた。それは分かっているし、私が先人の成果の上で暮らしていることも理解している。
著者は彼らの姿を硬質で冷静な筆致で描く。

銀行員は規模を追い求める。銀行を大きくするためなら手段は問わない。
政治家は愛想よく振る舞い、日本を導く大志を語る。その裏で権力抗争に明け暮れる。
官僚は今を生きることに必死の国民や次の選挙に気もそぞろの政治家とは違い、数十年先を見据えた国家の大計のためと建前を振りかざす。
検事は権力の悪を暴く名目の元、疑惑に向けて捜査を怠らない。

誰もがそれぞれの仮面をかぶり、その仮面に宿命づけられた任務を遂行する。そして長年、仮面を被り続けているうちに、それが習性となってはがれなくなった仮面に気づく。
それを自覚しながら、それぞれの信条に殉じて任務に向かう。

著者はこうした人々を客観的に、そしてバランスよく描いていく。

捜査する後鳥羽は、大貫が改革派議員と勉強会を開いていた事実を知る。彼は何かを探していた。それが、大貫と大貫を追うように死んだ改革派議員が殺された原因ではないか。後鳥羽はそう当たりをつけ、調査を進める。
やがて彼の家族や彼自身にも危害が及ぶ中、彼は大貫が追っていた対象とそれが指し示す事実に行き当たる。

その何かはここでは詳細に書かない方が賢明だろう。本書を読む方の興味を殺いでしまう。
だが、それは決して荒唐無稽な陰謀論の産物ではない。
とても説得力があるし、それがなぜ大貫の命を奪ったのかも理解できる。
ちょうど私が初めて新聞を読み始めた頃、当時の新聞の一面には二つの品物が連呼されていた。牛肉とオレンジ。

今の日本をさして、財政の危機を指摘する論は頻繁に見かける。財政の支出に占める国債の利息の割合や、収入を国債に頼っている現状。
体力を顧みない国債の乱発は、やがて日本を破綻させる。そのような悲観的な論を唱える論者は多い。

だが本書を読めば、財務省が国債の乱発に余裕をかましていられるのかに得心が行く。私の勉強不足なのかもしれないが、今までに本書に書かれたような切り口で日本の財政を切り取った論を見かけたことがなかった。

おそらく私は、勉強不足で半可通の代表だろう。大貫が見つけた問題意識を今まで考えたことすらなかった。そうした半可通が官僚や政治家の思い描く未来とは逆の、的を外した論をSNSなどで書き散らしている。
官僚や検事はそうした浮ついた論とは一線を画し、目の前の大義に向けて能力を発揮せんとしている。
本書を読み、官僚や検事を駆り立てるものが何かについておぼろげながら理解できたように思う。

改めて今、インターネットで国債の状態を見てみた。すると、国債は相変わらず同じ状況が続いているようだ。
今、日本の財政が破綻したら果たしてどうなるのだろうか。いや、そもそも破綻することはないような気がする。

このような重要なことを知らずに、失われた30年などとドヤ顔で語っていたとすれば笑止千万だ。私は自らの無知に心から反省するとともに、本書を読んで襟を正す思いになった。

‘2020/04/18-2020/04/20


RPA界の技術者の皆様にお話しをしました



今月、唯一のお話の機会をいただきました。
お招きくださったのはPeaceful Morning株式会社様です。

Peaceful Morning株式会社様は、RPAの界隈のメディアを運営し発信しておられると同時に、RPAに知見のある大勢の技術者を擁し、RPAのツールやサービスを提供されています。
Peaceful Morningという社名にも見られる通り、従来の働き方に一石を投じる理念は、私が推すkintoneやサイボウズ社にも通ずるところがあります。
https://peaceful-morning.com/

今回は、一時間程度のお時間をいただきました。
一時間のすべてを座学形式ではなく、技術者の皆様から事前に質問を募り、それに答える構成でした。

事前にいただいた皆さんの質問内容を拝見すると、kintoneとは何かを知りたいというのは当然として、機能の詳細よりもむしろkintoneの概要や競合ツール、さらにコロナ禍におけるkintoneの需要や今後の展望など、kintoneを扱うことの可能性にご興味がおありの様子でした。
また、kintoneを扱うことによる働き方の変化や、エバンジェリストである私自身がkintoneを推す理由など、技術者としてのキャリアの可能性の一つとしてkintoneを検討したいとの意識を感じました。

事前の質問だけでも十二問に達し、質問に答えるだけで一時間が過ぎることは確実でした。
そのため、kintoneエバンジェリストとして登壇する私は、kintoneそのものの機能よりも、私の個人的な思いや、kintoneのどこに可能性があるのかといった本質的な部分を語ろうと決めました。

折悪しく本番直前になって私のPCの処理が終わらず、kintoneの画面イメージが映せなかったため、kintoneの紹介すらも口頭のみで済ませてしまいましたが(終わりの方で処理が終わったので画面共有で3,4分ほどお見せできました)。

私からの回答の中では、kintoneはREST APIが使えればほかのシステムとも連動が可能とお伝えしました。RPAでいうとUiPathはREST APIが扱えるので、kintoneとは相性が良いですよ、ということも。
おそらくRPA界の皆様には、データベースのバック/フロント構築が簡単にできるツールですよ、という視点で深く掘り下げたほうがより響いたのかもしれません。

参加者の皆様からのアンケートも開示していただきました。
kintoneの画面の動きやRPAとの連動の実例をもっと見たかったというご意見もありました。当然ですね。私の不手際があり、失礼いたしました。
また、私のkintone愛を感じた、といったご意見も数点ほどいただきました。それはまさに狙い通りのご感想だったのでうれしかったです。これを機会にkintoneに興味を持ってもらえればなおさらうれしいです。
RPAとkintoneの連携事例はまだ世に出ていないと思っているので、皆さんと一緒に事例を増やしていきたいです。

こうやって分野の違う技術者の方を前に語るといつも感じることがあります。
それは、kintoneのすそ野がユーザー部門には広がっているとはいえ、まだまだ技術者への浸透には至っていないということです。
技術者の中にはスクラッチ開発に価値を感じる方もいらっしゃれば、基盤から構築してすべてを統制することに意義を認めていらっしゃる方もいます。
もちろん、それは人それぞれなので自由です。ですが、No-Code/Law Codeといった従来のシステム開発の概念と違うツールへの使わず嫌いがあるとすればもったいないと思うのです。

ここ一年、私の中でエバンジェリストとしての活動の主眼の一つを技術者さんへの伝道に置こうと決めました。
それは、私がkintoneに賭けようと思った時期を見つめなおしたことで気づいたことです。
その時期、私には常駐現場を渡り歩く中で感じた既存のシステム開発への疑問が渦巻いていました。それは、人月換算や多層契約によるSES業務の課題、膨大なドキュメントの山、そして作った設計書や仕様書やプログラムが現場のオペレーターさんに直接届かないもどかしさなどほんの一部でしかなく、とても悶々としていました。
その時期の私がkintoneに感じた可能性とそれに賭けようとしたことで、今の私はあります。
それを考えると、技術者の方々が今の開発環境やツールから別のステップに進みたいと感じたときに、kintoneを開発ツールの一つとして選択肢に含めてもらえれば、私がkintoneに身を投じたモチベーションも共有できると考えたのです。

RPA界の技術者の皆様には、また機会があればkintoneを中心としたPaaS/SaaSの可能性について語ってみたいですね。今度はきちんと画面の動きもお見せしながら。今回の処理の遅れを機会にノートPCを新調したことですし。

まずは、今回のご参加者の皆様、ありがとうございました。
また、セミナーを運営してくださったPeaceful Morning株式会社の皆様、ありがとうございました。


社畜のススメ


社畜のススメ。実に目を惹くタイトルである。著者と編集者の狙いが透けて見えるような。が、敢えてその挑発に乗り、本書を手に取った。

社畜。このように言われて鼻白む方は多いことだろう。私もその一人である。それどころか、社畜とは正反対の人生を歩まんと日々あがく者である。社畜的な生き方を嫌った挙句、30歳頭で個人事業主として独立し、以来8年半ほど生計を立てている。だからこそあえて、本書を手に取ったと言ってもよい。自分にとって対極にある思想ほど、自分の欠点を補ってくれるものはない。本書を読むことで、私の中で何が変わり、何が強化されるのか。そのような期待も込めて、本書を読み進めた。

会社の為に私を滅し、組織のために奉公する者。社畜という言葉には、そのような蔑みと憐みの意味が込められがちである。最近では自嘲的な意味でも、自己憐憫の揶揄言葉としても使われることが多い。いづれにせよ、社畜という語感から前向きな言葉を汲みとることは難しい。

だが、本書は敢えて「社畜のススメ」なる言葉をタイトルに選んだ。

新潮社からは、出版に当り、このような紹介文が附されている。

・・・多くの企業や職場を見てきた著者は、「社畜」でないサラリーマンこそ苦しんでいることに気づきます。若手のうちから個性や自由を求めたり、キャリアアップを夢見て転職難民になったり、安易な自己啓発書にすがったり……。

「ひとりよがりの狭い価値観を捨て、まっさらな頭で仕事と向き合う。自分を過剰評価せず、組織の一員としての自覚を持つ」
本書で提唱するのは、こうした姿勢をもつ「クレバーな社畜」です。
サラリーマンには「社畜経験」が不可欠である、本当に成長するための最も賢い”戦略”である――その理由を解説します。・・・

敢えてタイトルを逆説的にし、社畜ではない生き方をススメる。そのように穿った読み方をしたくなるほど、挑発的で無謀なタイトルである。

しかし本書で提唱される生き方は、社畜ではない生き方どころか、社畜そのものである。看板に偽りはない。ただし、社畜といっても、従順な羊のような、自我を失くした社畜をススメている訳ではない。本書でススメているのは、上の紹介文によると「クレバーな社畜」である。クレバーな社畜とは、一見すると組織に飼いならされているように見せかけ、その実、組織を利用する者、とでも言おうか。

ここに至り、早合点する方もいるかもしれない。ほら、やはりタイトルとは違い、本書は社畜ではない生き方を薦めているのではないかと。しかし残念なことにそうではない。本書で薦める生き方はあくまで社畜的なそれである。

だが、本書が俎上に上げる人種は、実は社畜ではない。料理されるのは、社畜と正反対の人種である。社畜的な生き方を拒み、自分探しに明け暮れ、組織に埋没しない自己を誇る者。つまり私のような者である。社畜という言葉に嫌悪を抱き、組織に背を向けて独立独歩の道を歩もうとする者。このような者たちを本書は糾弾し、蔑み、そして憐れむ。自分探しに拘った結果、結果としてキャリアを損ない、才能を空費させ、人生を虚しくする。社畜的でない者たちに対する本書の記述は実に手厳しい。逆に社畜的な生き方を選ぶものこそが自己を成長させ、人生を実りあるものにする、というのが、本書の主張といっても過言ではない。

上に挙げた新潮社による紹介文の冒頭にもそのような事が書かれている。社畜化する自分を恐れるあまり、会社という強大な力を持つ組織から学ぶ機会をみすみす逃し、じり貧の人生を歩む。そのような人々に対する批判とこれからの若者にそうならないため、クレバーな社畜の道をススメる。本書はそのような生き方を提唱し、分かりやすいタイトルとして社畜のススメをタイトルに掲げる。

冒頭にも挙げたように、私は8年半、個人事業主として生計を立てている。果たして私は、本書で批判される者たちなのだろうか。それとも隠れ社畜なのだろうか。または、批難圏外の人種なのだろうか。本書を読みながら、私は幾度も自問自答した。

そして結論を出した。社畜でこそないかもしれないが、社畜と同じ道を、同じだけの苦労を辿ってきたからこそ、今の自分があるのだと。

本書は、圧倒的なビジネスセンスの持ち主に対し、社畜的な生き方をススメない。むしろそういう人にはどんどんわが道を進めと背を押す。しかし大多数の人々はそのような類まれな才能を持っているわけではない。ではどうするべきなのか。それは、地道に下積みを重ねる他はない、と著者はいう。ビジネススキル、生き様、そして人生。組織と組織に生きる社畜仲間から歯を食いしばって学ぶ物は多い。理不尽さに耐え、組織の論理に揉まれる。それによってしか、あなたにとって成功の目はない。たとえそれが社畜と揶揄されようとも。それが著者の訴えたいことだと思う。

わが身を顧みるに、20代、30代、社畜的な生き方から身を背けてきたつもりだった。が、その分、随分と失敗を重ねている。そしてそのような失敗の中から、自分で学んだ事、その時々でご縁のあった同僚や先輩、後輩から教えられた事のいかに多かったか。本書ではサービス残業を推奨する箇所がある。世論と逆行した主張である。しかし我が身を振り返ると、個人事業主にとってはそもそも残業という観念がない。何があろうと納期に間に合わせるのが当然であり、場合によっては徹夜も辞さない。個人事業主だからといってなんのことはない。やはり下積みなのである。そして社畜的なのである。ただそれが組織に対する滅私奉公という形を取らず、お客様に対する想いと自分の矜持に掛かるかの違いである。俺流と独学を気取ってあがいた分、遠回りしてしまったのが私のキャリアだったのだということに、本書を読んで思い至らされた。

このことを認めるのは、実につらい。つらいし、情けない。でも、これが現実。生まれながらのビジネスセンスを持たざる者の、現状である。しかし、それが無駄だったかというと、そうではない。遠回りしたが、社畜として組織の中で頑張ってきた人に比べ、何ら引けを取ることはないと考えている。それは、組織の中で身を擦り減らす人々と同じくサービス残業をし、お客様の要望に応え、満員電車に揺られて常駐先に通いつめ、という努力をし続けてきたからと考えている。

私は本書を読みながら考えた。そして考えが上に挙げた結論に至るにつれ、自らの来し方を振り返った。その結果、本書で著者が言いたかったことが会得できたのではないかと思っている。

本書は、社畜のススメと書いてあるが、40、50代のビジネスマンに対し、社畜的なキャリアを歩めとは言わない。むしろ社畜として培ってきた経験を活かしてステップアップしろと述べている。それが管理職なのか、閑職なのか、それとも独立なのか。それは個人個人の選択の問題であろう。

ただ、最後に言っておかねばならないことがある。それは、本書はあくまで著者から読者へのメッセージであり、その受け取り方もまた、個人個人の選択の問題であるということ。本書が主張する論点の適用範囲は会社組織や地域社会、家庭にはない。本書が伝えたいメッセージは、読者の内面の充実を図るためのものであり、社会や組織に適用するものではない。著者の発するメッセージを咀嚼せず、外部に働きかけるとどうなるか。新聞の社会面に目を通すと、その悪例に事欠かない。経営者が社畜を是とし、社員を疎かにした経営を行うとどうなるか。社畜を肯んじて、家庭を顧みず仕事に溺れるとどうなるか。ブラック企業、過労死、熟年離婚、児童虐待、パワハラ。禍々しい言葉が次々湧き出す。要は本書を読んで会得したことは、自己内で完結させ、成長の糧とすればよいのである。それを怠り、鵜呑みにして吐き出すと、出てくるのは害毒だけである。

私は幸か不幸か、自分のワークライフスタイルに合わせ、個人事業主として曲がりなりにも生計をたて続けられている。本書で得たのは、これまでの自分の苦労が無駄ではなかったという肯定の思い。そして次代の人々の為に伝えるための材料である。今後は、本書の内容を踏み台にし、自分に期待しつつ独立への道を推し進めていきたい。また、機会があれば若い人々に生きるという事の妙味と重みを伝えられたらと願っている。

’14/06/16-‘14/06/17