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2024年2月のまとめ(個人)


公私の「私」

●家族とのふれあい

§  総括

2月。
旅は仕事とセット。
今月はまさに前半は道東で過ごし、月末は山梨で過ごしました。
旅をしながら、現地で作業や商談をしていましたし、ワーケーションツアーで移動していました。

今月は釧路、標茶、厚岸。帯広、大樹、中札内、幕別、士幌。山北、松田。甲府、塩山、甲州、都留の各地を訪れました。

仕事をしながら、旅をする。そのノウハウをいかに実現するかが私の人生のテーマです。
が、まだ私の理想にはほど遠い毎日です。

昨年秋から、私個人の力の限界を感じさせる出来事が相次ぎました。
が、経営の上で個人の力で乗り切るしかないかな、と覚悟を決めています。

昨年でついに50の齢を迎えた私の人生も少しずつ下り坂になっていることは承知です。
同時に次の世代を導かなければならない責任も感じています。

まだ老いこむには早いと考え、もうひと頑張りしようと思っています

私に与えられた時間は有限で、ますます残り少なくなっているから、
残された時間を少しでも有意義にしたい。そう思います。

生きていること、生かされていることのありがたみ。
それを常に忘れぬようにしながら、充実した日々を送りたい。
皆さんと私の思いは同じです。

娘たちもそれぞれの道を迷いながら歩んでいます。
私も娘たちをフォローしながら、これからの人生を有意義なものに過ごしてほしいと思っています。
残りの限られた人生の中で家族との時間を大切にしながら、自分に与えられた可能性と時間を精一杯使い切りたいと思います。

今月は家族とは一回お出かけしました。妻とは一回、妻と長女とは三回、妻と次女とはゼロ回、長女とはゼロ回、次女とはゼロ回。


§  月表

 ・二月お出かけ
東京国際空港 (羽田空港) (HND)、たんちょう釧路空港 (KUH)、かど屋、大喜湯 春採店、釧路フィッシャーマンズワーフ MOO、魚政、946banya、BUKU BUKU あわ家、塘路駅、牡蠣場、たんちょう釧路空港 (KUH)、ホテルルートイン 釧路駅前、釧路駅、帯広駅、北海道ホテル、西5条17丁目 バス停、セイコーマート たさか店、中札内鉄道記念公園、道の駅 なかさつない、六’Cafe、十勝野フロマージュ、かつら旅館、マックスバリュ 中札内店、道の駅 なかさつない、ウェザーコックカフェ、ローソン 中札内店、紅や、セブンイレブン 中札内店、かつら旅館、マックスバリュ 中札内店、道の駅 忠類、道の駅 コスモール大樹、味の龍月、晩成温泉、ホクレン忠類給油所、道の駅 ピア21しほろ、天然温泉HOTEL 鳳乃舞 音更、元祖豚丼のぱんちょう、セブンイレブン 中札内店、かつら旅館、とかち帯広空港 (OBO)、中札内村文化創造センター、道の駅 なかさつない、かつら旅館、開拓村、LAND、夢の北広場(駅北多目的広場)、HOTEL & CAFE NUPKA、相互電業、居酒屋とっくり、ときお、COCKTAIL BAR PAL、らーめん酒屋 三楽、帯広競馬場、馬の資料館、とかちむら 産直市場、ローソン 帯広駅北店、HOTEL & CAFE NUPKA、とかち物産センター、帯広駅バスターミナル、とかち帯広空港 (OBO)、搭乗口2、東京国際空港 (羽田空港) (HND)、びっくりドンキーサンドラッグ 町田木曽店カラオケ館 町田木曽店、サイアム セラドン、花子と太郎、しながわ観光協会、高倉町珈琲、和食麺処サガミ 町田金井店、CoCo壱番屋、kicspace、台湾小館 Taiwan Bistro、プティフ・ア・ラ・カンパーニュ株式会社ジョイゾー、慶元寺、喜多見 氷川神社、万葉歌碑、麺飯坊 無双、子之三嶋神社(三島神社)、杯一食堂、横浜ハンマーヘッド、セブンイレブン、クイーンズスクエア横浜、CAFe? KALDINO アコルデ代々木上原店、大谷田公園、焼きあごラーメン 侍道、秦野駅観光案内所、山北町鉄道資料館、山北町立生涯学習センター、河村城址、丹沢山別院 最勝寺、洒水の滝、川村土功之碑、露木勝兵ヱ商店、ニューヤマザキデイリーストア 山北駅前店、薬師池公園、野津田薬師堂(高野山真言宗 普光山 福王寺)、七国山 鎌倉街道の碑、七国山、薬師池公園 蓮園、PHIL、城のホテル、勝沼ぶどうの丘、MDVs、都留市駅、都留市役所、より道の湯

・二月ツイート
https://togetter.com/li/2323286

§  家族とのお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かける機会は、今月はゼロ回ありました。


ただし次女が帰ってきて二泊して行ってくれたので、その間は家族で夕食を一緒に食べるなど、家族団らんの時間を持つことができました。

§  妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で一回でかけました。


スナックジョイゾーに行く途中、お客様からお仕事の相談を受けていたので、妻を連れていきました(2/16)。
お客様と「プティフ・ア・ラ・カンパーニュ」に行き、その後はお客様のお店へ。妻の知見を活かせる機会がやってきました。
これからも仕事上で妻に手伝ってもらうことが増えそうです。

§  妻と長女とのお出かけ 妻と長女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女との三人で出かける機会は三回ありました。

ある日、買い物をしに行きました。その後、びっくりドンキーで遅いお昼を食べた後、さらに買い物をしてから、三人で「カラオケ館」へ(2/12)。

その翌日も家族で「和食麺処サガミ 町田金井店」へ(2/13)。


さらに別の日は三人でスナックジョイゾーに参加しました(2/16)。この日は妻が企画したハワイアンナイト。皆さんにフラを教えていました。みんな立って踊って舞っていました。すごい!
今まで燻っていた妻の能力を生かしてもらう機会をこれからも積極的に作ろうと思います。

§  妻と次女とのお出かけ  妻と次女と出かけたのは、上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と次女との三人で出かける機会は一回もありませんでした。

次女は少しずつ成長しています。今月から正社員となって働いています。正月の三日間も仕事にいきつつ、家にも毎日来てくれました。楽しくやっているようなので、親として安心しています。


§  娘たちとのお出かけ  娘たちと出かけたのは、上の年表で青地に太字にしているイベントです。

長女は昨年の4/1付けで雇用しました。
先々月からはとあるお客様の事務担当として週一度訪問し、社会の風にあたってもらっています。

長女も次女も折を見て家族との時間を大切にしてくれています。
長女は先月も今月もkintone界隈の若手の飲み会に進んで参加していて、少しずつ自分なりに社会との接点を増やしていってくれています。とても楽しそうに若手だけの飲み会の話をしてくれました。娘以外はサイボウズさん、ジョイゾーさん、トヨクモそんな新卒だけだったそうです。頑張れ!

昨年末をもって私の中では子育ては終わったと思っています。娘たちにはそれぞれを一人の大人として対し、手助けができるところは私から手を差し伸べていこうと思います。
私にできることは親の頑張る姿をみせることぐらいかな。

●私自身の二月(交友関係)

§  関西の交流関係 今月は関西に行く日がなく、私も北海道や山梨に滞在していた日が長かったので、関西にはそれ程多くのご縁がありませんでした。
ですが、いろいろとご縁が繋がっています。

今月もオンラインでのやりとりだけあげれば、城崎、京丹後、福山、広島、高知の方とはやりとりしています。岡山にルーツがある方とも。
遠からずまた関西に行くはずです。


§  今月の交流 今月は、仕事に絡んだイベントが多かったので、飲みも含めた交流は比較的多めでした。

私の場合、公私混同の毎日です。私的な付き合いなのか、仕事をからめた付き合いなか、もうあまり区別できません。また、区別もしないようにしています。
皆さんとの交流は本当に楽しかったです。



CLS道東では学びながら楽しみましたし、その翌日の大人の遠足編は塘路湖からアレキナイ川の神聖すぎる川をカヌーで下る経験をしました。さらには塘路駅に到着するSL冬の湿原号の雄姿を見届け、さらには憧れの厚岸でウイスキーを垂らしながら牡蠣を食べる幸せな時間を過ごしました。

十勝でもご縁のある人々とお会いし、kintone Café 帯広でも十勝の皆さんと交流を深めました。



スナックジョイゾーでも妻がフラを伝道し、さらにCLS道東でお会いした皆さんと再会できたのもうれしいできごとでした。

私も乾杯の発声をする栄誉を。

甲府でもワーケーションや甲府を楽しむ人たちとのひと時を楽しむことができました。

今月も皆様ありがとうございました。

●私自身の二月(文化活動)

§  今月のブログ 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、またしても書く時間が取れませんでした。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。ですが、今は書くための時間がありません。読んでからレビューをアップするまでの時間も二年数カ月に達しようとしています。
今、私のプライベートの時間がほぼなくなってしまっています。仕事をからめた交流があるので精神的には困っていませんが、一人の時間がないことは見直さなければと考えています。
レビューをアップする冊数と本を読んだ冊数は、私にとってワークライフバランスのバロメーターです。ワークに偏っている今の状況を早く取り戻さねば、とかなりの危機感を持っています。

以前に連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」の続きを弊社サイトにアップする作業ですが、今月はアップできませんでした。これも長い間アップできていないので、来年から時間を作らないと。

今月、書いた本のレビューは0本()。
今月、書いた観劇のレビューは0本()。
今月、書いた映画のレビューは0本()。
今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた「物申す」は0本() 。
今月、書いた弊社の活動ブログは3本(
CLS道東 2024 極寒編に参加してきました
CLS道東 2024 極寒編 大人の遠足編に参加してきました
kintone Café 帯広 Vol.4に参加・登壇しました。
)。
今月、書いた弊社の技術ブログは1本(
RICOH kintone plusのRICOH 帳票作成プラグインの攻略ポイント
)。

なお、一昨年のはじめから毎営業日にnoteに書き始めた記事ですが、今月は以下の内容をアップしました。

1月30日 1月30日 ITと芸術の共存こそが城崎の魅力
1月31日 1月31日 神々の戯れ、ゲーム作りをkintoneで
2月1日 2月1日 Gmailのポリシー変更に思うこと
2月2日 2月2日 月初から心機一転。ただしこちらのペースを押し付けない。
2月5日 2月5日 まず動くこと。やってみること。発信すること。
2月6日 2月6日 地方で観光コンテンツを考えてみる
2月7日 2月7日 ワーケーションの効能を十勝で感じ中
2月8日 2月8日 地方にいて東京への偏向を感じた
2月9日 2月9日 地方の活性化は行政の力が欠かせない
2月13日 2月13日 ワーケーションするためにやるべきこと。
2月14日 2月14日 ワーケーションはコミュニケーションあってこそ
2月15日 2月15日 ゲームには技術の粋が詰まっている
2月16日 2月16日 大人になると裸の付き合いが必要
2月19日 2月19日 誰かの人生を好転させるコミュニティを作りたい
2月20日 2月20日 差別化しないと生き残れない時代に
2月21日 2月21日 GDPは高いが、生産性は低いことに反省。
2月22日 2月22日 kintoneのカスタマイズの手段、どれを選ぶか。
2月26日 2月26日 タモリさんのように好きなものを追求して生きたい
2月27日 2月27日 街を歩くと情報発信への改善案に気づく

§  今月の読書 今月は7冊の本を読みました。内訳は、技術書一冊、ビジネス書二冊、歴史書三冊、新書一冊。

今月も本を読む時間が取れていません。が、無理やり本は読むようにしています。ところが読んでもそれをアウトプットできていないのは上に書いた通りです。
形式的にアウトプットするのなら、ChatGPTに頼るのもありですが、それは自分にとって衰退への道だと思っています。

そういえば晩成温泉にいる間、巨人の星の続きを読むことができました。全部読んでしまいたいと思います。

私が一昨年の年始に掲げた目標の一つは本を出版することですが、まったくそれが進んでいません。
仕事にかまけてしまっています。このことにもとても強い危機感を抱いています。このまま何も生み出さずに老いてしまうのでは、と。


§  今月の映画 今月の映画鑑賞はゼロ本です。

見たい映画は多いのですが、結局見る時間がありませんでした。


§  今月の舞台 舞台については、今月は一本も観ていません。

妻が最後の公演に代表として動いています。私からは何も言いません。

タカラヅカの生徒が自死を選んだ悲劇はまだ尾を引いています。
多分、タカラヅカも無事ではすまないでしょうね。



§  今月の音楽 コロナが始まってから’70’sから活躍したアーチストの全曲を聞く活動を続けています。今月はSTYXの全アルバムを順に聴いています。現時点での最新アルバムまでたどり着きました。その一つ前のアルバムが思いのほかよくて収穫でした。この後、20曲を選ぼうと思います。


今月はカラオケに二回行きました。帯広のトキオでは昭和歌謡スナックにふさわしく私も熱唱しました。
さらに東京に帰ってからも妻と長女と三人で行きました。

また、妻がスナックジョイゾーでフラの講師を務めまして、私も一緒に踊りました。ろくに踊れませんでしたが、久々にハワイアンの雰囲気に浸りました。


§  今月の美術 今月、帯広競馬場に併設された馬の博物館に行きました。そこで観た馬をモチーフにした絵画が印象に残りました。
馬は絵になります。また馬だけを牧場なみに行く時間を持ちたいと思います。日高へ。


§  今月のスポーツ 今月は、スポーツはしていませんが、帯広競馬場でばんえい競馬を観戦しました。
あまりの寒さに外でずっと声援することはできませんでしたが、四半世紀以上ぶりにみたばんえい競馬は良かった。
乗馬もまたしたいと思いました。


あと、山北町を訪れた際、河村城跡を頂上まで登り、つかの間の山登りを楽しみました。
なかなかの急登で、かなり息切れし、体力の低下を実感しました。
山にまた登りたい欲求が増しています。


§  今月の滝 今月は久々に滝を訪れました。「洒水の滝(2/24)」。


FourSquareによると訪れたのは約八年半ぶりだそうです。私の記憶では4,5回目の訪問のはず。
前回訪れた際は、落石か何かで滝の近くまでの遊歩道が通行止めになっていて、残念な思いをした記憶があります。
今回、久々にきてみると、見事な観瀑台が設置されており、高く近くで滝を見られるようになっていました。

直瀑に近く、岩が長い年月で穿たれ、木のうろのようにえぐられた洒水の滝。
日本百名水にも選ばれていて、ひしゃくから汲んで飲むまずは美味です。

山北町の町おこしに何か協力したいと願う私としては、洒水の滝を擁する山北町は、名水の里としての可能性があるはずだと思っています。

§  今月の駅鉄 今月は三駅を訪れました。「塘路駅(2/4)」「北綾瀬駅(2/20)」「松田駅(2/24)」

塘路駅は一面の雪景色でした。
CLS道東の翌日、大人の遠足編で塘路湖からアレキナイ川へカヌーで川を下って上った後に訪れました。
別版が塘路駅近くのThe Geekへサウナに入っていたのを待つ間、ちょうどSL冬の湿原号がやってくるというので、カヌー班は先に駅でSLを待っていました。


一面の雪景色の中に黒い車体が汽笛をあげてやってくる姿は、勇壮で見栄えが際立っていました。
動くSLを見るのは相当久しぶりだったので、この美しくも力強い光景には、しばし見ほれるしかありませんでした。その前のアレキナイ川からの眺めも神々しいものでしたが、SLが走る鉄橋の真下をくぐってカヌーを漕いだ際も、もしこの上を丁度SLが通れば絵になると想像しながらカヌーを漕ぎました。
雪景色の中のSLは、この2月のクライマックスと言える光景でした。

なお、塘路駅はかつて訪れたことがあります。四半世紀以上前のことです。
その時は、一人旅の途中でした。釧路駅前に寝袋で寝転がった翌朝、ノロッコ号に乗ってやってきました。
それ以来、長きにわたったブランクをへて再訪した塘路駅は、記憶の中の面影をなんとなく宿していました。その面影を再発見したことに感無量でした。


北綾瀬駅は、お客様への商談の際に乗り降りしました。綾瀬駅から一駅区間を乗車して降り立ち、帰りは北綾瀬発小田急線乗り入れの準急で帰りました。
この区間を乗ったことで、千代田線は全線を完乗しました。
北綾瀬駅は、車庫への引き込み線を利用した線という割には駅前に住宅や商業施設が並び、閑散としている想像を裏切ってくれました。むしろ住みよい街、という印象を受けました。
一区間を往復する車両は3,4両編成ですが、小田急線直通は長大編成に変わります。つまり編成によってホームの使っていない箇所が大きいことや、車庫への引き込み線なので、奥に線路がもう一つ設置され、複線がさらに北へと伸びていることも印象に残る駅でした。」


松田駅は、山北町に行く際の乗り換えで利用しました。昨年末にも山北町から帰る際に乗り換えで利用しました。また、かつて結婚前に妻と御殿場に行き帰りした際にも利用した記憶があります。
小田急の新松田駅には、山登り仲間と何度か利用したことがありますが、松田駅で乗り換えることはこれからも増えそうです。

特に山北駅には何回か来ることになりそうなので、かつての東海道本線の大動脈を担っていたこの辺りの鉄道遺産を何かに使えないか考えてみます。


§  今月の酒楽 今月は飲む機会がまあまあありました。八軒、六日です。

とはいえ、大きく分けて3回。釧路と帯広と東陽町です。他はあまり飲んでいません。




釧路で行われたCLS道東では、カウンターに佐藤さんとジョイゾーの中嶋さんというすごい取り合わせがあり、日本酒のさまざまな取り合わせを楽しませてくれました(2/3)。福司酒造のしぼりたて生酒。小林酒造の特別純米まる田新酒。碓氷勝三郎商店の北の勝絞りたて。さらには京丹後から来た皆さんによる日本酒の差し入れ!木下酒造の玉川の中汲みや、笑顔百薬、CHIMERAといった銘酒の数々をいただきました。どれもおいしかったです。


夜の懇親会では寿司が美味しい「BUKU BUKU あわ家」。もう何をしていたのかあまり覚えていませんが、ひたすらハイボールを飲んでいた記憶があります。どうやって宿である大喜湯 春採店に帰ったのか全く記憶がないほどでした。


その翌日の大人の遠足編では、みなさんと最後、カキキンさんの経営する「牡蠣場」へ。厚岸といえば牡蠣。そしてウイスキー好きには厚岸の各種モルトが有名です。厚岸で牡蠣を食べてウイスキーを飲むことが念願でしたが叶いました(2/4)。
とても美味しかった。牡蠣もウイスキーも。

そのあとの十勝では仕事に集中する時間が長かったのですが、泊めてもらっていたかつら旅館では夜の晩酌にビールを飲んだました。



そして帯広で泊まった最後の夜は、kintone Café 帯広の懇親会(2/10)。
まずは「居酒屋 とっくり」。さらには「トキオ」で歌いながらのカラオケ。さらには三次会に「COCKTAIL BAR PAL」。何を飲んだかあまり覚えていませんが、十勝の地酒やビール、ハイボール、さらにタリスカーを飲んだように記憶しています。
十勝の皆さんとの語らいに時を忘れ、美酒に心を奪われ、料理に心地よくさせられ。


スナックジョイゾーでは、私の持っている年間パスポートを使っての企画があったので、フラのグッズですでにカバンはパンパンでした(2/16)。
そのため、差し入れは持ち込みませんでした。その替わり皆さんからの差し入れをおいしくいただきました。私が以前のスナックジョイゾーで差しいれた桜尾GINのLimitedを空けさせてもらいました。
フラで運動した後のお酒はおいしい。
あと、道東でもご一緒だった中井さんが来られていて、しかも道東でご一緒だった雪川酒造の山平さんの醸したワインを差し入れてくださいました。このワインがめちゃ美味しかった。CLS道東で飲めなかったのが残念でしたが、牡蠣場での山平さんの醸造人としてのこだわりをみていただけに、納得のおいしさでした。




なお、今月は一人飲みも何度かしました。CLS道東の前夜に釧路入りしたのですが、前夜祭の申し込みを忘れていたこともあって、仕事するために早めに宿である大喜湯 春採店で。その前に末広町のつぶ貝で有名なかど屋で夕食をいただいたのち、目の前のセイコーマートで北の誉の一合瓶を買って飲みました。

さらには、帯広空港で買ってきたBrasserie KnotのYAMASACHIもいただきました。


あと、商談で横浜の山下公園近くに伺った帰り、行きたいと思っていた横浜ハンマーヘッドのセブンイレブンに立ち寄りました。ここのお店はクラフトビールの品ぞろえが半端ないことで知られています。私も感銘を受けました。
そして、せっかくなので、南知多のベルガモットIPAを購入して帰り、後日いただきました。おいしかった。

§  今月の旅行 今月は、九泊十日の道東の旅に尽きます。
もちろん仕事に絡めていますが、金曜日の夜に釧路空港に降り立ってから、翌週の日曜日の夜の帯広空港から飛び立つまでの間、ずっと道東にいました。
その旅の様子は以下のブログにまとめましたので、ここでは繰り返しません。素晴らしい十日間でした。
CLS道東 2024 極寒編に参加してきました
CLS道東 2024 極寒編 大人の遠足編に参加してきました
kintone Café 帯広 Vol.4に参加・登壇しました。





なお、上の記事では十勝にいる間の詳細についてはあまり触れていません。十勝にいる間、中札内村や大樹町でも五泊六日の過ごしました。全てお客様の宿泊施設です。雪景色の毎日でした。お湯にも恵まれました。合間には四か所のサウナにも入りました。
十勝の大地の広さはすなわち可能性。仕事の成果もあげつつ、弊社の可能性も拡げられたように思います。

別の日には昨年のkintone Café 神奈川で忘れ物として誤って持ち帰ってしまったヤッケを返しに山北町へ。
山北町の魅力をさらに探るため、前回にはよる暇がなかった河村城址を登り、攻城を果たしました。さらには山をくだってから洒水の滝を久々に訪れました。上に書いた通りです。

さらに月末から翌月初にかけては山梨ワーケーションに参加しました。お客様への訪問があったので、私だけ初日の夜からの参加でしたが、初めての方々と有意義な時間を過ごしています。

今月、足跡を残した地は以下の通り。

東京都
 町田市、大田区、港区、品川区、渋谷区、千代田区、江東区、狛江市、世田谷区、調布市、足立区、
神奈川県
 川崎市多摩区、川崎市川崎区、大和市、横浜市旭区、横浜市中区、横浜市西区、秦野市、松田町、山北町
北海道
 釧路市、標茶町、厚岸町、帯広市、中札内村、幕別町、大樹町、士幌町、音更町
山梨県
 甲府市、甲州市、都留市


§  今月のその他活動 ・公園は四か所。「中札内鉄道記念公園(2/5)」「夢の北広場(駅北多目的広場)(2/10)」「大谷田公園(2/20)」「薬師池公園(2/25)」

・美術館はゼロカ所。

・駅は三駅。「塘路駅(2/4)」「北綾瀬駅(2/20)」「松田駅(2/24)」

・滝は一カ所。「洒水の滝(2/24)」

・温泉は五カ所。「大喜湯 春採店(2/2)(2/3)」「森のスパリゾート北海道ホテル モール温泉(2/4)」「晩成温泉(2/8)(2/9)」「天然温泉ホテル鳳の舞音更(2/9)」「より道の湯(2/29)」

・山は二山。「城山(2/24)」「七国山(2/25)」

・酒蔵は二か所。「勝沼ぶどうの丘(2/29)」「MCVs(2/29)」

・神社は二か所。「喜多見 氷川神社(2/17)」「子之三嶋神社(三島神社)(2/18)」

・寺は三寺。「慶元寺(2/17)」「丹沢山別院 最勝寺(2/24)」「野津田薬師堂(高野山真言宗 普光山 福王寺)(2/25)」

・教会はゼロカ所。

・史跡は四カ所。「花子と太郎(2/13)」「万葉歌碑(2/18)」「川村土功之碑(2/24)」「七国山 鎌倉街道の碑(2/25)」

・博物館は一か所。「馬の資料館(2/11)」

・遺跡はゼロカ所。

・城はニ城。「河村城(2/24)」「谷村城跡(2/29)」

・灯台はゼロカ所。

・動物園はゼロか所。

・水族館はゼロか所。

・土木遺産はゼロか所。

・マンホールカードは三枚。「東京都大田区(2/13)」「神奈川県秦野市(2/24)」「山梨県都留市(2/29)」

・ダムはゼロカ所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印はゼロ枚。
・御宿印はゼロ枚。

なお、昨年の夏ごろから信長の野望 出陣でアカウントを作り、様々な場所を巡っています。市区町村ごとに完全に訪れると制覇ができます。
遠征という機能を使って制覇したのではなく、実際に訪れた場所で制覇した市町村について、ここに記しておきます。
・長野県北安曇郡白馬村 2023/11/12
・長野県北安曇郡小谷村 2023/11/12
・山梨県南都留郡山中湖村 2023/12/16
・神奈川県足柄下郡真鶴町 2024/1/25


私がまだ訪れていない場所の多さは無限です。やりたいこと、行きたい場所の多さにめまいがします。
今月も仕事にからめてですが、バラエティ豊かな移動ができました。この地球にはまだまだ無限に行くべき場所があります。
少しでもこうした場所を訪れてから死にたい。私の人生の残り時間のなかでどこまでの旅ができるか。


加齢によって日々、気力は減退していきます。人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選びます。私も不意の体調不良に襲われ、コロナに感染します。一昨年の秋にはハイキングのつもりが一晩の遭難と化し、人里のすぐそばで死ぬ可能性も体験しました。
いつかやろう、引退してからやろうという姿勢を根本的に見直さねばなりません。もう、未来の社会や環境がどうなっているかわからないからです。そこに老いつつある自らの衰えがかぶさってきます。
生きている今。今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。後悔だけはしないように。
その姿勢のまま、仕事をこなしながらも、今のうちに時間の合間を見つけ、行けるところに行っておこうと思います。


死ねば全ては無に消えます。
私の経験をいくらブログにアップしても、膨大なデジタルの海の中に溶けて消えます。
それが分かっていても、自分に与えられた生を全力で全うしたいと思います。仕事もプライベートも全力で過ごそうと日々励んでいます。そのためにもこうして書き残しておこうと思います。


今は仕事に集中し、好きなことは引退後に。そんな悠長な考えが通用しないことをコロナウィルスは教えてくれました。人生はあっという間に終わってしまう。老いたときに平穏で好きなことができる世の中があるかどうかは誰にも保証されません。一方で、仕事の難しさや面白さも強く感じています。プライベートだけど充実させるのでもなく、仕事だけに人生を捧げるでもなく、その両立を目指す。だからこそ、今のうちから毎日を公私とも全力で生きる、という決意で日々を過ごしています。
コロナだからと閉じこもらず、一人でも旅を敢行したいと思います。
もちろん、一昨年の秋に遭難した経験は忘れてはなりません。命をなくしては元も子もないのは当たり前。ですが、何もせず命を枯らすよりはましです。
家族との縁も毎月、姿を変えています。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなった時にやることがない、とよく話に聞く老残にだけはなりたくないと思っています。

そう思い、訪れた場所で心の赴くままに俳句を詠んでいます。今月は俳句を38句。いずれもツイートまとめに載せています。


一方で、具体的に将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめに書いた通り、コロナに席巻された世の中ですが、弊社の売り上げはなんとか確保できています。
ただ、私個人としては投資もしておらず、賭け事もしていません。不労所得のタネも持っていません。
私が倒れた時、うちのメンバーが稼げるところまでは頑張らねば。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月も自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。
頼りない経営者であり父であり夫であるにもかかわらず、家族が常に一緒に行動してくれることに感謝します。


CLS道東 2024 極寒編 大人の遠足編に参加してきました


奇跡的に5時頃に目覚めました。
なぜなら、前夜、CLS道東の懇親会からどうやって宿に帰ったのか全く覚えていないからです。普通、そこまで飲んでいると目覚められません。
目覚ましをかけたおかげで、8時頃に起きられました。

泊まっていた大喜湯にお願いしてタクシーを呼んでもらい、私はその間に朝風呂に入りました。
正直、二日酔いで頭もぼーっとしています。しかし、朝風呂とコーヒーで少しだけ頭はしゃっきりとし、迎えのタクシーに乗りました。

MOO前のローソンでタクシーを降り、ローソンでおにぎりを食べて歯を磨き、バスの集合時刻の10分前に間に合いました。
よかった。寝過ごしていれば、今日の大人の遠足編に参加できない失態をさらすところでした。

とはいえ、私は大人の遠足編でどこにいくのか、あまり具体的に把握していませんでした。
私が知っていたのは塘路湖と厚岸を訪れることだけでした。でも、道東が好きな私には、それだけで十分魅力的。

皆さんも前夜はかなり盛り上がっていたようです。私など序の口で、もっと遅くまで飲んでいた方も多かったようです。
実際、バスの皆さんの多くがまだ眠気に襲われているようでした。

それでも、ガイド役を務める琴絵さんは立派。20名弱の眠気に襲われた皆さんを率い、釧路周辺を案内してくださっています。
『ホテルローヤル』のモデルとなったホテルとか、私も初めて見ました。新たな情報も取り入れつつ、私は眠るどころではなく、ひたすら大好きな道東の眺めに見入っていました。

やがてバスは釧路町を経て標茶町へ。塘路駅では迎えに来てくださったカヌーのガイドさんのワゴンに乗り換え、塘路湖畔へ。


湖畔には二梃が横に連結された形のカナディアン・カヌーが浮かんでいました。このようなカヌーがあることも初めて知りました。そもそも川下りのカヌーに乗るのが初めて。
湖岸の氷にバランスを崩しそうになりながら、六人でカヌーに乗り込んで出発。


まずは、塘路湖の中心部に向けてカヌーは進みました。
はるか先まで広がる湖面には、ワカサギ釣りのテントが散在しています。
氷に覆われた湖面は、ただ白く、ただ静寂で、私たちの感動する言葉だけが聞こえます。


湖面には白鳥が優雅に浮かんでおり、周りの風景に完璧に溶け込んでいます。
風景に見とれる私たちの前で、私たちの動きを察知したのでしょうか、白鳥は飛び去っていきました。
その姿はエレガントの一言。騒々しい都会からきた私たちに自然の品格とは何かを示してくれました。
私のiPadではうまく写真が撮れなかったので、同行した佐竹さんの写真をお借りします。写真だけでも美しさが思い浮かびます。


カヌーはそこから逆を向き、塘路湖から流れ出ているアレキナイ川へ。その穏やかな流れにそって、釧路川との合流点まで下っていきました。

あたりは凛とした寒気に覆われています。ところが身も心も凍えるどころか、その神聖さに洗われて温かい気持ちになりました。
音もなく流れる川。辺りには何の物音もしません。私たちの会話とオールを漕ぐ音。カヌーが水をかき分ける音。それだけが辺りを支配しています。


川の水の方が外気より温かいため、水蒸気が川から立ち上り、それが倒れた木々の枝にびっしりと霧氷となって幻想的な光景に彩りを与えています。
辺りを占めるのは白で覆われた世界。そうでありながら、目に見える全てがいきいきと色彩で彩られているように錯覚します。

樹々に止まる鳥があたりを自由に飛び回っています。川岸にはタラの芽を食べる親子鹿の姿も見られました。
人手が振れていない自然はこれほどまでに尊いのか。自然に対する畏敬の念が自然と沸いてきます。

こういうコンテンツは、都会で味わえません。
動画でもブログでも再現は不可能です。
今書いているこの文章でも私の味わった感動の百分の一も表せていません。
だからこそ、人は旅に出るのでしょう。体感するため、経験するため。

地方を活性化させるためには、こういうコンテンツを武器にすることです。
ただ、人をたくさん呼んでしまうと、自然の良さが失われてしまいます。

快適さと安定・安心を求めるのが人の本性であるとするならば、相反する刺激を求めるのもまた人。
都市と地方、集中と過疎。
それらの相反するキーワードをまとめつつ、地方をどうやって創生するか。

東京から塘路まで来るのは大変でも、釧路から塘路はそれほど離れていません。
釧路経済圏の経済を活性化し、そこに人を集め、道東にしかないコンテンツが好きな方に集まってもらえるだけのメリットを感じてもらう。

現実的に大都市から標茶町に移住する方を募っても、一部の方しか来ないはず。でも、釧路に来てさえくれば、移住者も道東も共存できるのではないか。

川に揺られながら朧げに考えていたことをまとめてみました。


神々しいとしか言いようのない川を下る体験は、自然に生かされている自分、という気づきももたらしてくれました。
自分の本性を押し殺し、これからも都会に住み続けることが果たして自分にとってふさわしいのだろうか、とか。
そもそも、このような寒さの道東に住み続けることが現実的なのか。冬の道東へのあこがれは、甘ったれた都会人の妄想に過ぎないのか。


川はゆったりと流れ、釧路川との合流点に。
今までの緩やかな流れとは打って変わり、釧路川の本流の流れは早く、そして力強い。
川面にはシャーベット状になった氷が連なり、しゃりしゃりと音を立てながら川岸を削っています。

穏やかなアレキナイ川の流れから、自然の荒さが少し垣間見える釧路川の流れへ。
自然の現実を少しかいま見たところで、私たちは再びアレキナイ川の流れを遡っていきました。


いくら川の流れが緩やかでも、川を遡るには協力が必要です。みんなでオールを漕ぎました。
そのため、行きのように自然を見ながらのんびり感動に浸る時間は減りましたが、これもまた自然の現実。

そうやってオールを漕ぎながらも、カワセミやオオワシやヤマセミやカラス、スズメやゴジュウカラ、マガモなどさまぞまな野鳥が私たちの目を楽しませてくれます。鹿の姿も見かけました。そうやって漕いでいるうち、塘路湖を出てすぐにある釧網本線の鉄橋をくぐり、インバウンドの観光客も含め多数のカヌーと挨拶しながら、元の湖岸に戻りました。

とにかく感動の時間でした。本当にありがとうございます。
コーヒーも振る舞ってもらい、塘路駅まで送ってもらいました。


さて、塘路駅で少し待てば、SL冬の湿原号がやってきます。約一時間ほどSLの到着を待ちました。
塘路駅への訪問は、私にとって約4半世紀ぶり。
かつて一人旅で北海道を回った際、釧路駅前で寝袋で野宿し、翌朝のノロッコ号に乗った時の終着駅が塘路駅でした。それ以来です。
駅巡りが趣味の一つの私にとっては、ぜひとも再訪したい駅でした。今回、このような貴重な時間があったことに感謝です。


しばらく待っていると人が集まり始めました。カヌーに乗っていても釧網本線の鉄橋に三脚を構える人々の姿がありましたが、SLを目当てにする撮り鉄はたくさんいるようですね。
やがて、彼方から汽笛が聞こえ、煙が見えてきました。やがて、SLの勇壮な姿がやってきました。


塘路駅は雪景色の中にあります。辺りは白。そこに入線してきた黒いSLの存在感は抜群です。雪景色の中、黒いSLが白い煙と黒い煙を盛んに吐き出し、辺りは黒と白の二色に染まりました。まさにコントラストの妙です。


動くSLを見るのは本当に久しぶりです。
かつては日本各地を、北海道各地を走り回っていたSLも、今や観光客向けの貴重なコンテンツとして余生を生きています。各地の公園に安置されているSLを見る機会は多いですが、動いているSLはまだまだ観光資源になりうるはず。
環境にとってどの程度SLが許容されるのかは分かりませんが、季節運行ではなく、通年運行にしてもよい気がします。

標茶まで去っていくSLの後ろ姿をみていると、可能性しか感じませんでした。
今や、都会でSLが走れる余地はまったくないはず。
SLこそ、広大な釧路湿原だからこそ許され、人を集められる存在になるのではないでしょうか。

丁度SLが去っていくタイミングに合わせて、近くのTHE GEEKでサウナで整っていた皆さんも戻ってこられました。
それぞれがそれぞれの好きなコンテンツを選び、楽しめる。素晴らしいですね!アテンドしてくださったジョイゾーの皆さんのプランが素敵です。

さて、バスは続いて厚岸へ。
これまた、私にとって楽しみな場所です。


かつて友人と二人で北海道を一周した際、厚岸に立ち寄った記憶はあります。ですが、その時はただ通り過ぎるだけでした。
その数年後にウイスキーとその周辺の文化を愛するようになり、Whisky Tourismを趣味の一つにしました。それから約二十年後、厚岸にウイスキー蒸留所ができたことも知ってました。
私が釧路に来始めた一昨年の夏から、厚岸にはいずれ行きたいと思っていました。

昨年夏のCLS道東の会場でも厚岸のモルトと牡蠣の取り合わせを楽しみました。昨年の10月には釧路のWhisky Bar 高森で多様な厚岸のシングルモルトやブレンデッドウイスキーを楽しみました。
私の中の厚岸へのあこがれが高まるばかりです。

そこにきて、今回の大人の遠足編です。厚岸にいって牡蠣が食べられる。ついに。

今回はカキキンさんの運営するオイスターバー 牡蠣場を貸し切りです。しかも普段は昼にやっていないのにお願いして開けてもらう贅沢。


牡蠣を使ったありとあらゆる品々が舌と胃袋を満たしてくれます。
カウンターには贅沢にもウイスキーを振りかけるための瓶が。好きなだけ牡蠣にふりかけられます。牡蠣だけではなく料理にも。中に入っているのはLightly-Peatedのサロルンカムイ。なんという贅沢な時間!


暖炉がふんだんに焚かれ、暑いとすら思える室内。そこから窓の外に広がる景色は氷が浮かぶ厚岸湖。快晴の空と対照的な白がまぶしく窓の外で光っています。
景色と振舞われる料理のすべてがここでしか味わえないもの。おそらく、どれだけ冷蔵技術が進んだとしても、目の前の景色までは持ってこられません。
素材が新鮮なことも当然ですし、景色を含めた場の空気までは都会では再現できません。二十名弱の旅仲間と共有できる時間は尊い。
まさに厚岸でなければ体験できない時間と空間と味覚です。





CLS道東のレビューの記事でも書きましたが、雪川醸造の山平さんが中嶋さんと商談を進める姿もとても印象に残りました。
必ず再訪したいと思いました。訪れた私たちにとって、また再訪するためのプレゼントも琴絵さんからいただけたことですし。
カキキンの中嶋さんやスタッフの皆さん、ありがとうございました。琴絵さんにも感謝!




帰りのバスの中で、道東の景色を眺めながら、前日のCLS道東のブログを少しずつ書き始めました。


と、私の通路を挟んだ反対側の小島さんの席に琴絵さんがやってきました。
なんと、琴絵さんがやっているVoicyの収録を小島さんを迎えて行うというのです。
Voicyの収録が目の前で行われる!これをチャンスといわずしてどうするのか。

私もブログを書くために開いたパソコンを閉じ、二人の対談に聞き入っていました。
Voicyはあとからある程度の編集ができるとは知っていましたが、それは各チャプターの並びだけ。
#56 パラレルマーケター 小島英揮さんを迎えて、CLS道東を語ります
ここで語られる内容は、私が目の前で聞いた内容と同じです。

つまり、完全に即興でこれだけの対談が成り立ったわけです。
まさに、私にとって生きた見本を目の前で見せてもらえました。

登壇とはライブです。前もって資料を作っていれば、ある程度は話せます。
ですが、資料もなしにその場で即興で話す、しかも対談とあれば、前もって深く考えていなければとてもできるものではありません。
しかも、どもったり、えーとかあーとかの間投詞もなく、それでいながら即興で話し合える二人に感心しながら聞いていました。
CLSの事やコミュニティやマーケティングについて普段から考えておられる証拠ですね。学びになりました。


空港でかなりの方が釧路を離れられました。そこから釧路市観光国際交流センターまでの道中も、琴絵さんと小島さんの対談は続きます。
CLSやコミュニティだけではなく、部下への接し方、組織についてなど、Voicyに収まっていないためになる話が聞けました。

自由と安定。その中で小島さんがおっしゃったキーワードです。
私もその両立を目指しています。個人としても、弊社のメンバーが実現できるようにも。

その意味でもとても興味深い一日でした。小島さんと琴絵さんには感謝です。
バスを降りた後、高知からはせ参じてくださった片岡幸人さんと釧路駅前まで歩きながら語りました。
CLS高知を運営されて、こうしてCLS道東まできてくださる事には頭がさがります。
それとともに、私も移動しつつ、自分の仕事もこなせるだけの力を持ちたいと願いました。

今回の大人の遠足編は、私の個人的な喜びを満たしてくれる機会でした。そして、さらに学びの場でもありました。
地域コンテンツの充実が都会にとって何を意味するのかについて。そして山平さんが見せてくれたようなその場で機を逃さずに商談する行動力について。最後にVoicyを使ったその場で語れるだけの自己研鑽の重要性です。
それらを満たすことによって、私が地域に対して何らかの提案ができるようになることを願っています。

まだ私にはできることがある。努力すれば、伸びしろだってある。
またこうやって道東を旅し、仕事もし、人と交流がしたい。
今回、道東を訪れ、皆さんと一緒に旅ができたことは、間違いなく私にとって更なる良い効果を与えてくれるはずです。

皆さんへの感謝の心と決意を抱きながら、帯広への特急おおぞらに乗りました。帯広では仕事をするために。
今回の皆さんには感謝です。CLS道東、懇親会、大人の遠足編で会った皆さんに。


2020年11月のまとめ(個人)


昨年から、毎月ごとに個人と法人を分けてまとめを書きます。

公私の「私」

●家族とのふれあい

§ 総括 コロナウィルスに翻弄されたこの数カ月。
十一月になって感染者数が急増し、また世の中を不安の影が覆っています。それを受け、コロナと共存するための風潮が広まっています。

先月に手術した妻ですが、術後の経過も良好のようです。昨年に発生した不安の種の一つが取り除かれましたが、これからもこうした健康に関するお話は増えてゆく気がします。
とはいえ、無事に妻の誕生日と結婚記念日には少し遠出をしてお祝いができ、まずはおめでたいことでした。

私自身も先月はあまりにも仕事が山積みし、月末になって倒れてしまい、末日には数年ぶりに病院に行く羽目になりました。だいぶ落ち着いて来たのですが、そろそろ体力的にも無理が利かなくなりつつあります。
先々月に読んだ「死」についての分厚い本の内容を脳内で反芻しつつ、両親や妻の手術、私自身の体調など、あらためて生きる意味を問うている最近です。人生が有限であること。残された時間があとわずかであること。

たとえ死ねば全てが無に消えると分かっていても、全力で自分に与えられた生を全うしたい。仕事もプライベートも。
今は仕事に集中し、好きなことは引退後に、などという悠長な考えではなく、今を両方とも全力で生きる、という決意とともに。
そうした考えが娘たちにも伝わればいいな、と思っています。

先月は完全に私自身のワークライフバランスに偏りが生じましたが、今月は少し個人の時間も使えました。とはいえ、私の理想の形には程遠く、仕事に大きく振れている状態には変わりません。
仕事にも工夫を重ね、多忙な状況を見極めながら、自粛の中でも生きる喜びを謳歌したいと思います。

家族とは四回、妻とは三回、妻と長女とは四回、長女とはゼロ回、長女と次女とはゼロ回、お出かけしました。

いずれにせよ娘たちは巣立ちます。私は仕事以外にやりたいことが盛りだくさんある人なので、子離れや引退をきっかけに老け込むことはなさそうです。が、限られた人生でも家族との時間を大切にしたいと思っています。

§ 月表

・十一月お出かけ

新白河駅、白河城跡、小峰城 三重櫓、二ノ丸茶屋、小峰城歴史館、白河駅、白河駅観光案内所、白川城址、白河関の森公園、芭蕉・曽良像、白河神社、磐城棚倉駅、棚倉城跡 亀ヶ城公園、赤館公園、大野農園、Tairaya 白河東店、カーサホテル 新白河、風雲児醤、新白河駅(東口)バス停、新白河駅、大野農園、マルコーラーメン、大野農園、赤羽バス停、新白河駅(東口)バス停、ラーメン 麪屋、新白河駅、ららぽーと横浜JINSHonolulu Coffee、QBハウス ららぽーと横浜店、KALDI COFFEE FARM、沖縄宝島ららぽーと横浜店、Flying Tiger CopenhagenStarbucks、ピッツェリア サングスト、日本橋ふくしま館 MIDETTE、BECK’S COFFEE SHOP、善明寺、荒節中華にはらい、多摩水道橋、町田市地域活
動サポートオフィス、北海道うまいもの館 ぽっぽ町田店、沖縄宝島 ぽっぽ町田店、BOOKOFF SUPER BAZAAR 町田中央通り (本・ソフト館)、町田モディ、町田東急ツインズ、J!NS町田modi店、3 Little Eggsヨドバシカメラ マルチメディア町田海旬処 魚華江島神社瑞心門八坂神社江の島江の島エスカー 2区江の島サムエル・コッキング苑江の島シーキャンドル (江の島展望灯台)聖天島公園ココス新進気鋭 恵比寿店恵比寿ガーデンプレイスガストロノミー ジョエル・ロブション、ビッグボーイ、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張、国際展示場 1-3ホール、とろんしゃん、缶詰バー mr.kanso 東京ベイ幕張店、とり鉄、幕張テクノガーデン内郵便局、幕張メッセ、ニューヤマザキデイリーストア 幕張メッセ店、幕張イベントホール、国際展示場 1-3ホール、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張、Grill Meat Factory 海浜幕張店、ミスタードーナツ、小川流 多摩貝取店小山田緑地みはらし広場、Hard Rock Cafe、book express、杵屋 鶴川マルシェ店、カフェ
・ベローチェ、道の駅 果樹公園あしがくぼ秩父今宮神社龍神木清龍の滝清龍の滝長岳山 今宮坊龍上観音秩父神社秩父ふるさと館麻屋商店秩父今宮神社秩父郵便局聖神社和銅黒谷駅道の駅 ちちぶ秩父の酒場 ぶぶすけクロスガーデン多摩GUセリアモリバコーヒー クロスガーデン多摩店レッドロブスター 多摩境店、カフェ・ベローチェ、鎮守の森 animism bar、中国名菜処 悟空、カフェ・ベローチェ、神田の肉バル Rump Cap 銀座店、香味徳、日本酒ラボ、JINS町田モディジャスミンパレス薬師池公園薬師池公園 やくし茶屋

・十一月ツイート
https://togetter.com/li/1629927

§ 家族のお出かけ 家族で出かけたのは、上の年表で黄地に太字にしているイベントです。家族で出かけたのは、今月は四回です。

まずは家族で誕生日ウィークの前祝いに町田の「3 Little Eggs」へ(11/6)。


その次の日には次女の携帯の入れ替えで「ヨドバシカメラ マルチメディア町田」へ(11/7)。さらに江ノ島キャンドルナイトを見るために江ノ島に向かったのですが、この日はあいにくの中止だったので江ノ島の海の幸を「海旬処 魚華」で美味しいものを食べ(11/7)、江島神社を参拝しました(11/7)。この時は日中に二重の虹を見て、夜は江島神社の上空に不可思議な円が私たちを見下ろしていました。
そして妻の誕生日には、家族で恵比寿へ。手術後の快気祝いとしても「新進気鋭 恵比寿店」では絶品のお肉と酒に酔いしれました(11/9)。お店への行きと帰りにはせっかくなので私と妻が披露宴を行ったジョエル・ロブションを娘たちに見せてやりました(11/9)。

また、その披露宴を行った11/21の翌々日には家族で「レッドロブスター多摩境店」でもお祝いしました(11/23)。

今回のコロナを通し、毎日の濃淡が生きる意味に直結していることを痛感しています。家族も漫然と過ごしていてはあっという間に別れの日が来てしまいます。メリハリをつけていくことに意味があると思っています。
家という基盤がある幸せを噛みしめつつ、生きる意味とは何か、死ぬと人は無に消えるのか。コロナを通して生きる意味を考えたいと思います。

§ 妻とのお出かけ 妻と出かけたのは、上の年表で桃地に太字にしているイベントです。今月は妻と二人で三回お出かけしました。
まずは、秩父です(11/22)。秩父今宮神社には八大龍王が関東で唯一祀られているといい、それを見に行きました。御神木も歴史を感じさせる樹容を見せてくれていました。
明治の神仏分離の影響を受けたここ秩父今宮神社は、もともと修験道の役小角にご縁があるそうです。今も神社の境内に神変大菩薩の像や武甲山からの湧き水が滝となった清龍の滝があり、さほど広くない境内のまとまり具合が美しかったです。そこではよく来られる常連のご婦人に話しかけられ、フクロウがよく訪れるというご神木を中心に神社の由来などを教えてくださいました。

そこから近所にある長岳山 今宮坊にも参拝し、見事に色づいた紅葉に魅せられた後は、秩父神社へ。
ここではちょうど、本殿の四面の彫刻に彩色する事業が行われていて、左甚五郎が手掛けたというつなぎの龍の美しい色合いと見事な造形の美を楽しみました。ここでも参拝客に無償で説明をする方が私たちに丁寧に境内のさまざまな見どころを教えてくださいました。知知夫の国の一宮としての格式に満ちた良い神社だと思いました。
さらに、そこから秩父今宮神社に戻る途中で立ち寄った麻屋商店さんでは見事なモルトの数々に驚喜し、さらに続いては和同開珎の発祥地である聖神社と和同開珎の素掘り鉱跡にも向かいました。金運を上げ、この辺りにうろついていた猫ちゃんたちの姿に癒やされ、夜は秩父駅前にあるぶぶすけさんでおいしい秩父グルメに舌鼓をうちました。
行きには道の駅あしがくぼで野菜も買い込みました。

入院・手術から初めての遠出でしたが、妻にとってもよい旅となったのではないかと思います。

続いて、私の服を買うために妻と多摩センターのクロスガーデンに向かい、GUで服を買ってもらいました(11/23)。

また、月末には私の眼鏡を受け取りに町田へ。二人で「ジャスミンパレス」で美味しいベトナム料理をいただきました(11/28)。

§ 妻と長女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月は妻と長女と三人で四回お出かけしました。

最初はららぽーと横浜へ(11/3)。Honolulu CoffeeやFlying Tiger Copenhagenなどをうろうろとしながら、買い物を楽しみました。

続いては、前日に家族で訪れて中止となった江ノ島キャンドルナイトに再挑戦。三人で幻想的なキャンドルの織り成す光景に漂いました(11/8)。

さらに、グリーンウォーク多摩へ買い物に訪れた後、小山田緑地のみはらしの丘から丹沢山地に沈む夕日を見つめました(11/15)。

また、月末は我が家に近い薬師池公園にてライトアップが開催されているというので、これまた小旅行気分を存分に味わうことができました(11/28)。

§ 妻と次女とのお出かけ 上の年表で緑地に太字にしているイベントです。今月はその機会はありませんでした。

ただ、妻と二人で次女の学校が開催する進路説明会に訪れました。
調理師の道を選んだ次女ですが、コロナはかなり飲食業界にダメージを与えており、就職戦線の厳しさを夫婦で認識してきました。

次女は今後、どうやって身を立てていくのか。私たち夫婦にとってもまだ悩むことがありそうです。

§ 娘たちとのお出かけ 上の年表で青地に太字にしているイベントです。
今月は長女と次女とで出かける機会はありませんでした。

でも、家族でのふれあいは存分にできたと思っています。

これからも家族の時間が持てますように。

●私自身の十一月(交友関係)

§ 関西の交流関係 今月は、仕事がいろいろと忙しく、関西に帰る時間がありませんでした。
ですが、来月は早々に関西に向かう予定です。コロナでピリピリしているとやらで、数日間の間、誰とも飲めない可能性がありますが。

§ 今月の交流 先月、仕事が忙しくて全く飲めなかった分を取り戻すように、今月はほうぼうで飲み会に参加しました。延べ八日、九軒。
まず交流としては弊社の仕事として出展したCybozu Days 2020 Tokyoの三日間が挙げられます。三日間とも、スタッフの慰労のために飲みの席を設けました。とろんしゃん(11/11)、Mr.KANSO(11/11)、とり鉄(11/12)、Grill Meat Factory 海浜幕張店(11/13)。良い交流ができたと思います。
また、鎮守の森 animism barでは、お酒や料理や器と箸の可能性を探るイベントだったのですが、今までにあったことのない皆さんとの会話が美味しかったです(11/24)。
神田の肉バル Rump Cap 銀座店は初めてお会いした仕事上の方も含めて、美味しいお肉に舌鼓をうちました(11/26)。京橋界隈も人の影がめっきり少なくなり、せめて何かのご協力ができればと思いました。
最後に月を締めるのにふさわしいのが日本酒バルでの飲みです(11/27)。仕事のことも交え、お酒や山や会話が自在に動きながらも、価値観の合う人との時間がとても貴重でした。


●私自身の十一月(文化活動)

§ 読書・観劇レビュー 読んだ本のレビューを記す読ん読ブログの執筆は、主に2019年に読んだ3冊分となりました。
レビュー執筆は、私の中では大切なライフワークとして位置付けています。このところ、書く時間があまり取れていません。読んでから原稿をアップするまでの時間も一年二ヶ月以上に延びています。
質を落とさずにこの期間を縮めたい。それが去年に引き続いての課題です。書く行為への熱意は衰えていませんので、引き続き続けたいです。

一昨年の春まで連載していたCarry Meさんが運用する本音採用サイトの「アクアビット 航海記」を弊社サイトにアップする作業ですが、今月は1本アップしました。
(「アクアビット航海記 vol.26〜航海記 その13」)
上京した親から自立した瞬間の思いを振り返っています。

今月、書いた本のレビューは3本(
HIROSHIMA
BRANDY:A GLOBAL HISTORY
ドキュメント 滑落遭難

今月、書いた抱負は0本() 。
今月、書いた旅日記は0本() 。
今月、書いた物申すは1本(
地方への流れはまずプロ野球から
) 。
今月、書いた弊社の活動ブログは1本(
Cybozu Days 2020に三日間出展しました
)。

§ 今月の読書 今月は7冊の本を読みました。内訳は大河小説ニ冊、自伝二冊、伝記二冊、エッセイ集一冊。

今月は人の一生について本から考えさせられる事が多かったです。私という一人の人間がこれから何を成すことができるのか。そのヒントを得るためです。

私の今年の目標の一つは本を出版することですが、月末に一緒に飲んだ方がそうした伝や知識を持っている方であり、私もとても励みになりました。

§ 今月の映画 今月の映画鑑賞は0本です。
今月もキングダムは見られずじまい。これで8カ月見られていません。一方で、当時お客様より教えていただいた鬼滅の刃は、妻子がはまっています。映画に行こうと誘われているため、今月は13話まで一気に見ました。今年はまだ一本も映画を見られていないため、今年の唯一の鑑賞が鬼滅の刃になりそうな予感。

§ 今月の舞台 舞台については、今月は0本です。

§ 今月の音楽 今月は生演奏を聴く機会がありませんでした。ただ、今月はついにYouTube Musicに移行しました。今年は春先から70年代の洋楽を聴きまくっています。今月もそれは変わらず。Linda Ronstadtのアルバムをほぼ聞いていました。
仕事の合間に音楽に助けられている最近です。

§ 今月の美術 今月は、小峰城歴史館の特別展で福島にゆかりの画家の作品展示をみました(11/1)。好みの作風のは見つけられませんでしたが。
ただ、11/28にテレビでみた秋野不矩さんの特集には感銘を受けました。その生きざまや50も半ばを迎えてインドに向かった行動力。そしてインドを題材とした作風からは目が離せなかったです。浜松にある美術館は藤森氏が設計したとか。美術館の形も含めて訪れたくなりました。

あと、ただ、芸術/食欲の秋にふさわしく、グラスや箸を組み合わせてお酒を頂くイベントに出させてもらいました。箸やグラスの見事なフォルムと
味わいや香り。それは食が官能と密接につながっていることの証しでした。

また、秩父神社の本殿の彫刻がちょうど彩色を施しており、左甚五郎作と伝わる「つなぎ龍」も含め、鮮やかな色合いと彫刻の粋に目を奪われました。

§ 今月のスポーツ 今月は白河の関やその近辺の城跡を訪れた以外はあまり散歩もできていません。ですが、体力は使った一か月でした。
日本シリーズではセ・リーグにとって屈辱的な四連敗を喫し、識者からも今のセ・リーグの在り方に意見が噴出しているようです。私も私見ながらブログ(地方への流れはまずプロ野球から)をアップしてみました。
また、生ける伝説であったマラドーナがなくなってしまったのも今月のトピックです。氏の体調不良については、ここ数年に何度も伝えられていたため、長くはないだろうと予期していましたが、やはり一時代を築いた名選手の死はショックでした。

§ 今月の滝 今月、訪れた滝は1滝です。「清龍の滝(11/22)」。
清龍の滝は、秩父今宮神社の境内に湧いています。
武甲山からの湧き水からなる小ぶりな滝ですが、滝にいけてよかったです。

§ 今月の旅行 今月は、初日から福島県白河市を訪れました。白河小峰城、白川城址、棚倉城跡、赤館をめぐり、さらに白河の関にも詣でることができました。古来、旅人にとって著名な地に訪れることができたのは今月の喜びです。一泊二日の旅程で、二日目はほとんどお客様先で打ち合わせやヒアリング調査が主だったとはいえ、その合間には白河ラーメンや白河の銘酒、そして福島の果実を味わい機会もありましたし。
また、上にも書いたとおり、二日続けて江ノ島に行きました。夜の江ノ島もまた風情があります。
そして妻と訪れた秩父では、旅の醍醐味を満喫できるような面白い出会いがあり、秩父の人々の親切さが身に沁みました。最後に妻と訪れたぶぶすけさんでも美味しい秩父グルメが堪能できましたし。
また、幕張メッセでブース出展の仕事をしていたとはいえ、三泊四日でAPAホテルで泊まった日々は、これまた旅といってもよいでしょう。
今月は旅ができたといってよいでしょう。

§ 今月の駅鉄 趣味の駅訪問は三駅です。「白河駅(11/1)」「磐城棚倉駅(11/1)」「和銅黒谷駅(11/22)」
白河駅はかつての白川小峰城址と城下町の間に位置し、場所やホームからの眺めに特徴があります。また、駅舎やホームの屋根にも大正時代のにぎわっていたころの面影を宿しており、とても興味深い駅でした。惜しむらくは新幹線の新白河駅に客を取られ、閑散としていたことです。駅前の観光案内書の
お兄さんの熱意など、ここはもう少し見直されてもよい駅です。東北の駅百選に認定されています。
磐城棚倉駅は、棚倉藩の城下町にふさわしい駅前広場を擁していましたが、ここもほぼ人影がなく、駅員さんの所在なさげな感じを受けました。
和銅黒谷駅は和同開珎のオブジェクトがホームに鎮座し、ホームから見る武甲山の山容も雄々しく、駅舎の入り口脇には和銅がおかれているなど、もっと取り上げられてよい駅だと思います。

§ 今月の酒楽 先月は一度も飲めなかった分、今月は飲み会をかなり行いました。
仕事も忙しく、体調不良も若干残っていたのですが、体を休めて心を病んでは意味がありません。
白河から帰る直前に夕食に立ち寄った「ラーメン 麪屋」さんで瓶で頼んだ千駒は地元の街中で醸す酒ですが、醸造アルコール入りなのにとてもおいしく感じました(11/2)。一人のみの時間のおともになってくれました。この瓶は持って帰りたいと思いましたね。
また仕事の帰りに立ち寄った日本橋ふくしま館 MIDETTEでは、白河の旅の余韻を感じましたが、そこでは数年前にいただいてコメ焼酎では最も気に入った「ねっか」のボトルを買って帰りました(11/4)。
妻の誕生日と快気祝いに訪れた新進気鋭 恵比寿店さんではお肉によく合う黒龍やCOEDOビールなど、美味しいお酒と肉の取り合わせに幸せを感じました(11/9)。家族の皆がとても喜んでくれたのがうれしかったです。
三泊四日で三日間出展したCybozu Days 2020では、三日間ともスタッフの方の慰労と称して飲みましたが、初日に伺ったMr.KANSOでは美味しいクラフトビールを存分に味わいました(11/11)。
今月訪れたうち、もっとも興奮したお店が、妻と伺った秩父で偶然立ち寄った麻屋商店さんです。ふらっと訪れてその品ぞろえに興奮し、しかもレアボトルやボトラーズのレアボトルが量り売りで沢山。店主の豊富な知識もあって、とても驚きと感動の時間が過ごせました。二つのボトルの量り売りを購入してしまいました(11/22)。

そして今月は日本酒の美味しい時期。鎮守の森 animism barは素晴らしい日本酒の数々とそれに合う料理を多数いただき、しかも、グラスと箸を酒色に合わせるというユニークな試みでした(11/24)。お客様にお招きいただいたこちらのイベントで感じたのは、酒食に器や箸がを合わせることで五感を通した官能の可能性が開けることです。
最後には地元町田の日本酒バルへ(11/27)。私はここ数年、日本酒の魅力に魅せられていますが、それもこの日にご一緒した方からの感化が大きいです。二人で20種類近くのお酒を飲んだでしょうか。そのどれもが繊細で奥深く、まさに幸せといっても過言ではない時間でした。

§ 今月のその他活動 人生も半分を過ぎ、一層焦りが募っています。少しでも日々に変化をつけようとする気持ちに衰えはありません。
今、心身が動くうちに仕事もプライベートも全力で。その考えには揺るぎがありません。

・公園は七カ所。「白河関の森公園(11/1)」「赤館公園(11/1)」「江の島サムエル・コッキング苑(11/8)」「聖天島公園(11/8)」「小山田緑地(11/15)」「みはらし広場(11/15)」「薬師池公園(11/28)」
・博物館は一カ所。「小峰城歴史館(11/1)」
・駅は三駅。「白河駅(11/1)」「磐城棚倉駅(11/1)」「和銅黒谷駅(11/22)」
・入手したマンホールカードは一枚。「福島県白河市(11/1)」
・滝は一滝。「清龍の滝(11/22)」
・温泉はゼロカ所。
・山はゼロ山。
・酒蔵はゼロカ所。
・神社は六カ所。「白河神社(11/1)」「江島神社(11/7)」「八坂神社(11/7)」「秩父今宮神社(11/22)」「秩父神社(11/22)」「聖神社(11/22)」

・寺は三カ所。「善明寺(11/5)」「長岳山 今宮坊(11/22)」「龍上観音(11/22)」
・教会はゼロカ所。
・史跡は一カ所。「白河の関跡(11/1)」

・遺跡はゼロカ所。
・城は四カ所。「白川小峰城(11/1)」「白川城址(11/1)」「棚倉城址(11/1)」「赤館(11/1)」

・灯台は一カ所。「江の島シーキャンドル (江の島展望灯台)(11/8)」
・水族館はゼロか所。
・風景印はゼロ枚。
・御城印は一枚。「白川小峰城(11/1)」

私がまだ訪れていない場所の多さにめまいがします。他の活動もまだまだやりたいことがいっぱいあります。
それなのに、今月は仕事に追われてほとんど出かけられていません。
こういう毎日を続けていると、疲れに追われてあっという間に老け込んでいきそうです。
一番怖いのは年齢から来るあきらめと気力の減退です。これだけは防ぎたい。

家族との縁もこれから姿を変えていくことでしょう。仕事もいつかは引退を求められるでしょう。そうなったときにやることがない、とよくある老残にならぬよう。
人はいつかは死ぬ。コロナウィルスの蔓延はそのことを教えてくれました。先月は「「死」とは何か」という本を読み通しました。
人の明日はわかりません。人気俳優や女優も自死を選び、私も不意の体調不良に襲われる。
ですから、いつかやろう、引退してからやろうといっていると、未来の自分にそれを妨げられてしまいます。
今を生きているのですから、今、やるべきことをしなければ。
後悔だけはしないように。
仕事だけでなく、いまのうちに時間の合間を見つけ、行けるところに入っておこうと思います。

一方で、将来のこともそろそろ考えねばなりません。
法人のまとめには書いた通り、コロナにもかかわらず、法人としての売り上げは確保できています。ただ、私個人としては投資もしなければ賭け事もせず、不労所得のタネも持っていません。
つまり、一人で私自身の体だけが頼りです。
なので、体に何かがあれば収入は尽きます。そろそろ貯蓄のことも考えていかなければ。

それぞれの場所で俳句も読みました。今月は9句。いずれもツイートまとめに載せています。

あらためて「私」を振り返ってみました。来月もコロナと共存しつつ、自らの生に後悔のないような日々となることを信じて。


BRANDY:A GLOBAL HISTORY


妻の祖父の残したブランデーがまだ何本も残っている。10本近くはあるだろうか。
最近の私は、それらを空けるためもあって、ナイトキャップとしてブランデーを飲むことが多い。一本が空けば次の一本と。なるべく安い方から。

こうやってブランデーを集中して飲んでみると、そのおいしさにあらためて気づかされる。おいしいものはおいしい。
まさに蒸留酒の一角を占めるにふさわしいのがブランデーだ。
同じ蒸留酒の中で、今人気を呼んでいるのはウイスキーやジンだ。
だが、ブランデーも酒の完成度においては他の蒸留酒に引けを取らないと思っている。
それなのに、ブランデーはバーでも店頭でもあまり陽の当たらない存在に甘んじているように思う。
それは、ブランデーが高いというイメージによるものだろう。
そのイメージがブランデーの普及を妨げていることは間違いない。

そもそも、ブランデーはなぜ高いのか。
ブランデーのによるものか。それなら、他の蒸留酒と比べてどうなのだろうか。原料はワインだけなのだろうか。ワインの世界でよく言う土壌や風土などによって風味や香りを変えるテロワールは、ブランデーにも当てはまるのだろうか。また、ブランデーの元となるワインに使用する酵母や醸造方法に通常のワインとの違いはあるのだろうか。蒸留に複雑なヴァリエーションはあるのだろうか。貯蔵のやり方に特色はあるのだろうか。
疑問が次から次へと湧いてくる。

そこで、一度ブランデーをきちんと勉強してみようと思い、本書を手に取った。
そうした疑問も含め、私はブランデーの知識を持ち合わせていない。そんな私にとって、本書はとても勉強になった。

そもそも、ブランデーの語源とは、焼いたワインを意味する言葉から来ている。
ブランデーの語源は、ウイスキーの歴史を学ぶと登場する。つまり、あらゆる蒸留酒の歴史は、ブランデーから始まっている可能性が濃い。

ブランデーには大きくわけて3つあるという。ワインから造るブランデー。ブドウではない他の果実から作られるもの(カルヴァドス、スリヴォヴィッツ、キルシュ)。ワインを造った時のブドウの搾りかすから造られるもの(グラッパ、マール)。
本書ではワインから造るものに限定している。

ブランデーの銘柄を表す言葉として、コニャック、アルマニャックの言葉はよく聞く。
では、その違いは一体どこにあるのだろうか。

まず、本書はコニャックから解説する。
当時のワインには保存技術に制約があり、ワインを蒸留して保存していたこと。
また、ボルドーやブルゴーニュといった銘醸地として知られる地で生産されるワインは、品質が良いためワインのままで売られていた。それに比べて、コニャック地方のワインは品質の面で劣っていたため、蒸留用に回されていたこと。
1651年の戦いの結果、ルイ14世から戦いの褒美としてワインや蒸留酒にかかる関税を免除された事。また、コニャック周辺の森に育つリムーザンオークが樽の材質として優れていたこと。

一方のアルマニャックは、コニャックよりも前からブランデーを作っていて、早くも1310年の文献に残されているという。
ところが、アルマニャック地方には運搬に適した河川が近くになく、運搬技術の面でコニャック地方におくれをとったこと。蒸留方法の違いとして、コニャックは二回蒸留だが、アルマニャックはアルマニャック式蒸留機による一回蒸留であることも特筆すべきだろう。

ブランデーの歴史を語る上で、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフィロキセラによる害虫被害は外せない。フィロキセラによってフランス中のブドウがほぼ絶滅したという。
それによってブランデーの生産は止まり、他の蒸留酒にとっては飛躍のチャンスとなった。が、害虫はブランデーにとっては文字通り害でしかなかった。

だが、フランス以外のヨーロッパ諸国にはブランデー製造が根付いていた。
そのため、コニャックやアルマニャックの名は名乗れなくても、各地で品質の高いブランデーは作られ続けている。著者はその中でもスペインで作られているブランデー・デ・ヘレスに多くの紙数を費やしている。

また、ラテンアメリカのブランデーも見逃せない。本書を読んで一カ月後のある日、私は六本木の酒屋でペルーのピスコを購入した。ブランデーとは違う風味がとても美味しいかった。これもまた銘酒といえよう。
購入直後に五反田のフォルケさんの酒棚に寄付したけれど。

ブランデーはまた、オーストラリアや南アフリカでも生産されている。アメリカでも。
このように本書は世界のブランデー生産地を紹介してゆく。
ところが本書の記述にアジアは全くと言って良いほど登場しない。
そのかわり、本書では中国におけるアルマニャックの人気について紹介されている。日本ではスコッチ・ウイスキーがよく飲まれていることも。
本書は消費地としてのアジアについては触れているのだが、製造となるとさっぱりのようだ。
例えば山梨。ワインの国として有名である。だが、現地に訪れてもブランデーを見かけることはあまりない。酒瓶が並ぶ棚のわずかなスペースにブランデーやグラッパがおかれている程度だ。

日本で本格的なブランデーが作られないのは、ブランデーが飲まれていないだけのことだと思う。
私は本書を読み、日本でもブランデー製造や専門バーができることを願う。そのためにも私ができることは試してみたい。

本書はコニャックやアルマニャックが取り組む認証制度や、それを守り抜くためにどういう製造の品質の確保に努力するかについても触れている。
期待がもてるのは、ブランデーを使ったカクテルの流行や、最近のクラフトディスティラリーの隆盛だ。
周知の通り、アメリカではビールやバーボンなど、クラフトアルコールのブームが現在進行形で盛んな場所だ。

本書のそうした分析を読むにつけ、なぜ日本ではブランデー生産が盛んではないのだろう、という疑問はますます膨らむ。

今、日本のワインは世界でも評価を高めていると聞く。
であれば、ブランデーも今盛り上がりを見せている酒文化を盛り上げる一翼を担っても良いのではないだろうか。
大手酒メーカーも最近はジンやテキーラの販促を行っているようだ。なのにブランデーの販促はめったに見かけない。

私もブランデーのイベントがあれば顔を出すようにしたいと思う。そして勉強もしたいと思う。
まずはわが家で出番を待つブランデーたちに向き合いながら。

‘2019/9/7-2019/9/8


ウイスキー起源への旅


私はウイスキーが好きだ。まだ三級しか取っていないが、ウイスキー検定の資格も得た。ウイスキー検定試験といってもなかなか難しい。事前に出題される問題を予習することが求められる。予習の中でウイスキーの歴史をひもといた時、まずでてくるのがウイスキーがはじめて文献に出てきた年だ。

1494年に出された文書にある「王の命令によりアクア・ヴィテ製造用に8ボルのモルトを修道士ジョン・コーに支給する」という文言。それがウイスキーの名前が文献に出てくる最初だという。

ウイスキーを好きになる時、味や香り、豊富な銘柄の豊富さにまず目がいく。続いて、ウイスキーの歴史にも興味が出てくる。それは、ウイスキーが時を要する飲み物であることが影響しているに違いない。出来上がるまでにぜいたくな時間が欠かせない飲み物。それを古人はどうやって発見し、どのように磨き上げてきたのか。わたしのような歴史が好きな人間はともかく、教科書を暗記するような歴史に興味がない方でも、ウイスキーに魅了された途端、ウイスキーの歴史に興味が出てくるはずだ。

だが、ウイスキーの歴史を把握することは案外と難しい。むしろ難解といっても良いぐらいだ。ウイスキーが史書に現れるのは、先に書いた通り1494年のこと。ただし、それ以降とそれ以前のウイスキーの歴史には謎が多い。それは、民が勝手気ままに醸造と蒸留を営み、時には領主の目を盗み、密造とは切っても切れないウイスキーの性格にも関係がある。つまり、ウイスキーの歴史には、体系だった資料は残されていないのだ。

だから、本当に1494年になるまでウイスキーは作られなかったのか、との問いに対する明快な答えは出しにくい。それが、ウイスキーの歴史に興味を持った者が抱く共通の疑問だ。同時にミステリアスな魅力でもある。

著者はその疑問を、ウイスキーの研修で訪れたスコットランドのエジンバラで強くいだく。というか疑問のありかを教わる。名も知らぬ老人。彼は著者に、ウイスキー作りは、ケルト民族の手によって外からスコットランドにもたらされた、と語る。外とはアイルランドのこと。つまり、アイルランドでは1494年よりもっと以前からウイスキーが作られていたはず。著者はそのような仮説を立てる。本書は、その仮説を立証するため、著者は費やした広大な旅と探求の記録だ。

著者はサントリーの社員だ。そして長年、ウイスキー部門に配属されていた。毎日の業務の中で、ウイスキーに対する見識を鍛えられてきた。本書のプロローグには、著者が農学部の学生の頃からゼミの教授にウイスキーをはじめとした蒸留酒について啓蒙されてきたことも記されている。著者はもともと、酒類全般への造詣が深く、酒つくりの起源を調べるための基本知識は備えていたのだろう。その素養があった上に、旅先での老人からの示唆が著者の好奇心を刺激し、著者のウイスキーの起源の謎を解く旅は始まる。

著者が持つお酒に関する教養のベースは、本書の前半で折々に触れられて行く。教授から教えられたこと。ウイスキーに開眼した時のこと。安ワインで悪酔いした学生時代から、後年、高級ワインのおいしさに魅了され、ワインの奥深さにはまっていったこと。ウイスキー作りに携わりたいとサントリーを志望し、入社したことや、そのあと製造畑で歩んだ日々。ウイスキー作りの研修でスコットランドやアイルランドに訪れた事など。そこには苦労もあったはずだが、酒好きにすればうらやましくなる経歴だ。

まずはエジプト。著者はエジプトを訪れる。なぜならエジプトこそがビールを生み出した地だからだ。ビールが生み出された地である以上、蒸留がなされていてもおかしくない。蒸留が行われていた証拠を探し求めて、著者はカイロ博物館を訪れる。そこで著者が見たのは、ビール作りがエジプトで盛んであった証拠である遺物の数々だ。旧約聖書を読んだことがある方は、モーゼの出エジプト記の中で、空からマナという食物が降ってきて、モーゼに着き従う人々の命を救ったエピソードを知っていることだろう。そのマナこそはビールパン。ビールを作るにあたって作られる麦芽を固めたものがマナである。しかし、イスラエルにたどり着いて以降のモーゼ一行に、マナが与えられることはなかった。なぜなら、イスラエルは麦よりもブドウが生い茂る地だったからだ。エジプトで花開いたビール文化はイスラエルでワイン文化になり替わった。

この事実は後年、アラビアで発達した蒸留技術がウイスキー造りとして花開かなかった理由にも符合する。そもそも蒸留技術それ自体は、イスラム文化よりずっと前から存在していたと著者は説く。エジプトでも紀元前2000年にはすでに蒸留技術が存在したことが遺物から類推できるという。しかし、蒸留技術は記録の上では、ミイラや香油作りにのみ使われたことしか記録に残っていないらしい。酒を作るために蒸留が行われた記録は残っていない。このことが著者の情熱にさらなる火をくべる。

一方、キリスト教の一派であるグノーシス派の洗礼では「生命の水・アクアヴィテ」が使われていたという。それはギリシャ、イタリア、フランスで盛んだったワイン製造が蒸留として転用された成果として納得しうる。ワイン蒸留、つまりブランデーだ。それがローマ帝国の崩壊後、今のヨーロッパ全域に蒸留技術が広まるにつれ、酒として飲まれるようになる。そして、ドイツ・イギリスなどブドウが成らない北の国では穀物を基にした蒸留酒として広まっていった。

著者はウイスキー造りの技術が1494年よりずっと以前に生まれていたはず、との仮説を胸に秘め、調査を進める。ついで著者が着目したのが、アイルランドに伝わったキリスト教だ。アイルランドのセント・パトリックスデーは緑一色の装束でよく知られている。その聖パトリックがアイルランドでキリスト教を布教したのは4~5世紀の事。当時のアイルランドには、ローマ帝国の統治がぎりぎり及んでいなかった。ところが、すでにキリスト教が根付いていた。後にキリスト教がローマ帝国全域で国教とされる前から。そればかりか、土着のドルイド教とも融合し、アイルランドでは独自の文化を築いていた。その時に注目すべきは、当時のブリタニアやアイルランドではブドウが育たなかったことだ。ローマ帝国にあった当時のアイルランドやブリタニアでは、ワイン文化が行き渡っていたと思われる。ところが、ワインが飲めるのは、ローマからの供給があったからこそ。ところが、ローマ帝国の分裂と崩壊による混乱で、ワインが供給されなくなった。それと同時に、混乱の中で再び辺境の島へ戻ったブリタリアとアイルランドには、独自のキリスト教が残された。著者はその特殊な環境下で麦を使ったアクアヴィテ、つまりウイスキーの原型が生まれたのではないかと推測する。

このくだりは本書のクライマックスともいうべき部分。ウイスキー通に限らず、西洋史が好きな方は興奮するはず。ところが、アイルランドのあらゆる遺跡から著者の仮説を裏付ける事物は発掘されていない。全ては著者の想像の産物でしかない。それが残念だ。

本書はそれ以降、アイルランドの歴史、アイルランドでウイスキー造りが盛んになっていたいきさつや、スコットランドでもウイスキー造りが盛んになっていった歴史が描かれる。その中で、著者はアイルランドでなぜウイスキーが衰退したのかについても触れる。アイルランドでの製法にスコッチ・ウイスキーでなされたような革新が生まれなかったこともそう。アイリッシュ・ウイスキーにとって最大の市場だったアメリカで禁酒法が施行されたことなど、理由はいろいろとある。だが、ここ近年はアイルランドにも次々と蒸留所が復活しているという。これはウイスキーブームに感謝すべき点だろう。

本書で著者が試みた探索の旅は、明確な証拠という一点だけが足りない。だが、著者の立てた仮説には歴史のロマンがある。謎めいたウイスキーの起源を解き明かすに足る説得力もある。

何よりも本書からは、ウイスキーのみならず、酒文化そのものへの壮大なロマンが感じられる。酒文化とともに人々は歴史を作り上げ、人々の移動につれ、酒文化は多様な魅力を加えてきた。それは、酒好きにとって、何よりも喜ばしい事実だ。

‘2018/7/29-2018/08/13


ウィスキー・ドリーム─アイラ島のシングルモルトに賭けた男たち


夢を追う楽しみ。夢に向かって進む喜び。

本書はウイスキー造りの夢を追う人々の物語だ。

ここ10数年ほど、世界的にウイスキーが盛り上がりを見せている。だが、20年ほど前はウイスキーの消費が落ち込み、スコットランドのあちこちで蒸溜所が閉鎖を余儀なくされた。本書の舞台であるBruichladdichもそう。

スコットランド 、アイラ島。そこはモルト好きにとって憧れの地だ。大西洋に面し、荒々しく陰鬱な天気にも翻弄されるこの地は、ウイスキー作りに最適とされている。アイラ島のウイスキーといえば、地の利を生かした個性的な味が世界のウイスキーの中でも異彩を放っている。ボウモア、ラフロイグ、ラガヴーリン、アードベッグ、ブナハーヴン、キルホーマン、カリラなど、世界的に有名なブランドも擁している。Bruichladdichもその一つ。

ウイスキーの製造工程の中で麦を糖化させるため麦芽にする作業がある。麦の発芽を促すことで、でんぷんを糖に変える作業だ。しかしそこから芽が出てしまうと、今度は逆に麦芽の中の糖分が減ってしまう。そのため、ピートを焚いて麦芽をいぶし、発芽を止める。その時に使うピートとは、ヘザー(ヒース)が枯れて堆積し、長い年月をへて泥炭となったものだ。ピートをいぶすことで麦芽にピートの香りがつく。そしてピート自体が、長年大西洋の潮の香りを吸い込んでいる。そのため、ピート自体が独特な香味をウイスキーに与えるのだ。アイラ島のウイスキーにはそのヨード臭とも呼ばれる薬品のような香りが特徴だ。(あえてピートを焚かない蒸留所もあるが。)

80年代のウイスキー不況によって、Bruichladdichは閉じられてしまい、操業再開のめどもないまま大資本の間を転々としていた。それに目をつけたのがロンドンでワインを商っていたMark Reynier。彼はワインで培ったノウハウはウイスキーでも生かせるはずと買収に乗り出す。そしてBruichladdichの所有者に何年ものあいだ働きかけ続ける。難航していた資金調達も劇的なほどに土壇場でめどがつき、蒸留所の買取に成功する。まさに夢を追い、それを努力によって成就させた幸せな人だ。

夢とは単に願うだけでは叶わない。本書は夢を実現するにあたって、全ての人が覚悟しておかねばならない苦難と苦労がつづられた本だ。そして実現したら何物にも勝る喜びが待っていることも記されている。

アイラ島の様子はGoogle マップやストリートビューを使えば、日本にいながら確認できる。私も何度もディスプレイ上で憧れの地を探索している。そこでわかるのはアイラ島が純然たる田舎であることだ。だがMarkはそこも含めて惚れ込んだのだろう。ロンドンの渋滞や都会生活に心底辟易していたMarkが何度も漏らす言葉が本書には紹介されている。その言葉はMarkと同じく都会に疲れている私には同感できるものだ。

本書を読んでいると、人生を何かに賭けることの意味やその尊さが理解できる。都会でしか得られないものは確かにある。だが、都会で失うものの多さもかなりのダメージを人生に与える。

Bruichladdichの場合、幸運もあった。それはJim McEwanをボウモア蒸留所から迎えたことだ。伝説のブレンダーとして知られるJimは15才からボウモア蒸留所で経験を積んでいた。ボウモア蒸留所はサントリーが所有している。Jimはサントリーの下で世界中をマーケティング活動で回る役目もこなさねばならず疲れを感じていた。そんなJimとMarkの夢が交わりあい、JimはBruichladdichでウイスキー造りの陣頭指揮を取る立場に就く。閉鎖前に蒸留所長だった人物や他のメンバーも参加し、蒸留を再開することになる。

本書には、Bruichladdichで蒸留が始まる様子や、最初のテスト蒸留の苦心などウイスキーが好きな読者には感動できる所が多い。Bruichladdichの蒸留工程で使われる施設にはビクトリア時代から使われているというマッシュタン(糖化槽)やウォッシュバック(発酵槽)など。それを使いながら、人力で蒸留してゆくのがウイスキー作りのだいご味。それらの描写はウイスキー党にとっては耐えがたいまでに魅力的だ。

本書で面白いのは、本場のウイスキー造りの野卑な側面も臆せず書いていることだ。日本の蒸留所を訪れるとウイスキー造りに洗練され統制された印象を受ける。だが、ひと昔前のスコットランドのウイスキーの現場は本書で書かれるように荒削りだったのだろう。これは日本の蒸溜所を描いた書籍には見られない。また、何度も日本の蒸留所を訪れた私にもわからない雰囲気だ。本書からは本場のウイスキー造りのライブ感が伺えるのがとてもうれしい。

ここまで苦心して作られたウイスキー。それがアクアマリン色の目立つボトルでバーに置かれれば、呑助にとって飲まずにはいられない。あえてアクアマリン色のボトルにするなどの、マーケティング面の努力が功を奏し、Bruichladdich三年目ぐらいで黒字を達成する。

Markの想いは尽きない。彼の想いは全ての原料をアイラ島で供給したウイスキー造りにも向く。その製品は私も以前バーで見かけたことがある。まだ飲んだことはないが、こだわりの逸品と呼んでよいだろう。さらにはフェノール値(ピートを燻して得られる煙香の成分)が200PPMを超えたというOCTOMOREへの挑戦も本書にかかれている。また、Bruichladdichの近所にありながら1983年に閉鎖されたままとなっているポート・エレン蒸溜所の復活にまでMarkの想いは向かう。さらにはジンの蒸留に乗り出したりと、その展開は留まるところを知らない。

本書はポート・エレン蒸溜所を復活させる夢に向けて奔走する描写で本書はおわる。

だが、本書が刊行された後のBruichladdichにはいくつか状況の変化があったようだ。それは大手資本の導入。Markとその仲間による買収は全くの自己資本によるものだった。それは彼らの理想が大手資本の論理から独立した真のウイスキー造りにこだわることにあったからだ。その熱き想いは本書のあちこちに引用される。だが、これを書いている今、Bruichladdichの所有者はフランスのレミー・コアントローだ。本書には、彼らの理想に反し、レミー社の資本を受け入れるに至った経緯は書かれていない。それはぜひ知りたかったのだが。それともう一つの出来事はポート・エレン蒸溜所の復活を断念したニュースだ。これもまた残念なニュースだ。ポート・エレン蒸留所については、本書を読んで半年ほどたった頃、ウイスキー業界の大手であるディアジオ社が復活させるニュースが飛び込んできた。それはそれで喜ばしいニュースだが、私としては個人の力の限界を思い知らされるようで複雑な気分だ。

だが、Bruichladdichのウイスキー造りの夢は潰えたわけではない。それを確かめるために本書を読んだ数日後、新宿のバーhermitを訪れた。そこで飲んだのがアクアマリン色のボトルでおなじみのBruichladdich12年と、OCTOMOREだ。実は両者を飲むのは私にとっては初めてかもしれない。特にOCTOMOREは全くの初めて。ともにおいしかったのはもちろんだがOCTOMOREには強烈な衝撃を受けた。これは癖になりそう。そして、これだからウイスキー飲みはやめられないのだ。

20年ほど前、私は本場でウイスキーを知りたいとMcCallan蒸溜所に手紙を送ったことがある。雇ってほしいと。また、私が大阪の梅田でよく訪れるBar Harbour Innのオーナーさんや常連客の皆さんで催すボウモア蒸溜所訪問ツアーに誘われたこともある。しかし、私はともに実現できていない。本書を読み、Bruichladdichを味わった事でますます行きたくなった。それは今や私の夢となって膨らんでいる。

もちろん、私の夢など本書で紹介された夢よりはずいぶんと小粒だ。だが、まずは夢を願うだけでなく、実現させなければ。スコットランドに行きたいという思い、アイラ島やスカイ島の蒸留所を巡りたいとの思いが、本書を読んで燃え盛っている。かならずや実現させる。

‘2017/02/18-2017/02/20


マッサンとリタ ジャパニーズ・ウイスキーの誕生


北海道の余市蒸留所にいくことがあれば、リタハウスにはぜひ訪れていただきたい。実際に竹鶴リタさんが使っていた居室が移築されている。

そのたたずまいは来訪者に不思議な落ち着きを与える。こうして文をつづっている今も、そこで飲んだアールグレイティーのベルガモット香を思い出す。全体的に男性の無骨な風情を感じさせる余市蒸留所の構内にあって、この一角だけ可憐な風が吹いていたような気がする。

竹鶴リタさんは、おととしブームを巻き起こしたNHK朝の連続ドラマ「マッサン」でヒロインとなった女性のモデルだ。

遠く離れた極東の島国から、スコッチウイスキーの製法を学びに来たマッサンこと竹鶴政孝氏。そのマッサンと恋に落ち、日本でスコッチウイスキーを作るというマッサンの夢を支えるため、日本に入り嫁したリタさん。そのドラマチックな生涯は、連続ドラマの題材としてうってつけだろう。

結局私は、観たかった「マッサン」を一度も観なかった。なのでドラマの内容については感想も批評も書けない。想像だが、単なる夫婦愛のドラマではなかったと思う。特に日本についてからの二人の歩み。竹鶴政孝氏の摂津酒造退社から、雌伏の教師時代、さらに壽屋入社から山崎蒸留所建設、そして壽屋の鳥居信二郎氏とたもとを分かっての大日本果汁設立。ニッカウヰスキー設立までの苦しい歩みを夫婦で乗り越える姿が、起伏をもって描いていたことだろう。ドラマ内でのリタさんの立ち位置は、異文化に溶け込む努力を重ねつつ望郷の想いを胸にしまい、夫の夢の実現を甲斐甲斐しく支える妻、というところか。

だが、リタさんにとっては、そんな風に簡単に人生を括られるのは心外だろう。本書にも書かれているが、太平洋戦争中には敵性外人として目をつけられ、迫害される苦しい想いをしたこともあったらしい。そういった時、スコットランドにすむ母や姉妹と頻繁に文通を繰り返していたという。マッサンの存在以外にも母国語でやりとりした手紙が異郷で心細いリタさんの心のよりどころとなったことは容易に理解できる。

私が今まで読んできた竹鶴リタさんについて書かれた文章は、日本側からの視点で書かれていたように思う。だが本書は、英国人によって英語で書かれたものだ。著者は、スコットランドのリタさんの実家カウン家にも遺されているリタさんから届いた手紙を読み解いている。その手紙は母国語で書かれたリタさんの想いが詰まっている。著者は英国での取材だけでなく、日本の竹鶴家にも許可を得てスコットランドからリタさん宛に来た手紙も読み解く。その内容も本書に盛り込まれている。

著者は英国では日英交流史の研究家として知られている方のようだ。本書はマッサンブームの余波を受けて翻訳重版となった。でも著者が本書を著したのはマッサンブームよりも随分前のこと。1998年のことだ。その頃は世界的なスコッチウイスキーの退潮が一段落し、再びブームになり始めた時期だ。つまり著者はウイスキーよりも日英交流史を語る上でリタさんとマッサンを格好の題材としたのだろう。本書はそれだけではなく、日本の飲酒事情やニッカウヰスキーの歩み
、摂津酒造とマッサンの関係や竹鶴酒造など、本書だけでも竹鶴夫妻の歩みを学ぶことができる。

英国女性である著者の筆致はリタさんに同情の色が強い。それは当然かもしれない。ただし著者はリタさんに同情するあまり、マッサンを悪く書くことはしない。そのかわりにマッサンがニッカウヰスキーを一流企業へと育て上げる過程で、リタさんに淋しく心細い思いをさせたという著者の不満や当時の軍部による弾圧がリタさんの寿命を縮めたという糾弾の色が行間より汲み取れる。

マッサンも仕事一筋でリタさんを省みなかったわけではない。それを物語るエピソードとして、リタさんが亡くなった際、竹鶴氏は自室から二日間出てこなかったという逸話が伝えられている。しかしそのエピソードは本書に取り上げられていない。これは少し残念だ。

本書が重心に置いているのは、どちらかと言えばスコットランドの母や姉妹と日本のリタさんの文通だ。マッサンとリタさんの夫婦間の交流についてはあまり触れていない。それは夫婦間に立ち入る事を遠慮したのか、それとも夫婦仲を偲ばせるような手紙が残っていないため想像で書くのを戒めたのか。いずれにしてもリタさんとマッサンの関係については筆があまり割かれていない。

所詮、夫婦間のことを詮索するのは野暮なのだろう。しかし誰がなんと言おうと、マッサンが極東の果てからスコッチウイスキーを学びに来たのも確かならば、そこでリタさんと相愛の仲になったのも確か。当時はまだ珍しい国際結婚、ましてや日本なる何処の国とも知れぬ新興国に嫁に行かせた恋心は純粋だったに違いない。その恋は様々な障害や妨害を乗り越え、終生二人を繋ぎとめていた。マッサンは、リタ夫人が日本でスコッチウイスキーをというマッサンの夢を信じて日本に来てくれた恩に報い、ニッカの製品を世界一の称号を得られるまでに育て上げた。それでいいじゃないか、と思う。著者は2004年に世を去っているが、2001年にシングルカスク余市10年がWHISKY MAGAZINEで最高得点を取ったことや、2002年にザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティが選ぶモルト蒸留所に日本の蒸留所として始めて余市が選ばれたことを知ったかもしれない。

この文章を書いている今日(2016/5/30)、偶然にも妻から教えて貰ったのだが、竹鶴家からマッサンとリタの墓参り自粛のお願いがあったらしい。だが本書を読んだからには、是非参らせてもらいたいと思っている。今まで余市蒸留所には二回訪問しているのだがお二人の墓に詣でる機会は訪れてない。

次回、私が余市蒸留所に訪れる際は、さしものマッサンブームも終わっていると思う。誰もいないお墓の前で、酒飲みとしてではなく、本書に心動かされた者として頭を下げたいと思う。

‘2016/05/03-2016/05/03


竹鶴政孝とウイスキー


ジャパニーズウイスキーが国際的に評価されている。

最近はジャパニーズウイスキーの銘柄が国際的なウイスキーの賞を受賞することも珍しくなくなってきた。素晴らしい事である。ウイスキー造りには勤勉さと丁寧さ、加えて繊細さが求められる。風土、環境以外にも人の要因も重要なのだ。日本にはそれら資質が備わっている。近年になってジャパニーズウイスキーが賞賛されている理由の一つに違いない。

今のジャパニーズウイスキーの栄光は、全てが本書の主人公である竹鶴政孝氏の渡英から始まった。まだ日本に洋酒文化が根付かず、ウイスキーの何たるかを日本人の誰も知らぬ時代。そんな時代に竹鶴氏は単身スコットランドで学ぶ機会を得た。そして、そこで得た知見を存分に発揮し、日本にウイスキー文化の種を蒔いた。山崎、余市、宮城峡。どれもがジャパニーズウイスキーを語る上で欠かせない蒸留所だ。竹鶴氏はこれら蒸留所の設計に欠かせない人物であった。

それらの蒸留所を設計するにあたり、竹鶴氏が参考としたのは自らがスコットランドで実習した成果をノートにまとめたものだ。通称竹鶴ノート。

この竹鶴ノート、実は私は見かけたことがある。見かけただけでなく、手にとってページを繰ったことさえある。本書でも触れられているが、以前六本木ヒルズで竹鶴ミュージアムというイベントがあった。そこでは竹鶴ノートの現物が展示ケースに収められていた。私ももちろんじっくりと拝見した。さらに後日、麹町のbar little linkさんでは、関係者に限り複製頒布されたノートを見、それだけだけでなくページまで繰らせて頂いた。

竹鶴ノートの細かな描写からは、求道者の熱意が百年の時を超えて感じられる。日本に本場のスコッチウイスキーを。考えてみれば凄いことだ。あれだけの原材料をつかい、あれだけの時間をかけて熟成される製品を、ノートと記憶だけを頼りに地球の裏側にある日本で再現するわけだから。ITの恩恵に頼り切った現代人にはとてもできない芸当だ。

そんな求道者の風格を備えた東洋人に、リタ夫人が惹かれたのも分かる気がする。当時、どこにあるかも良く知らない東洋の国日本。スコットランドの女性が国際結婚で向かうには人生を賭けねばならない。そんな決断を下し、日本に来た竹鶴夫妻の日々は、想像以上にドラマチックだったことと思う。それが今「マッサン」としてNHKで朝の連続ドラマとなる。素晴らしいことだ。店頭から竹鶴や余市、宮城峡といった年数表示のモルトウイスキーが姿を消すぐらいに。「マッサン」は日本人にもわが国にこれほどのドラマと、これほどの魂のこめられた製品があったことを知らしめたと思う。

本書が「マッサン」を機に企画された事は否めない。だからといって、本書は単なるブーム便乗本と判断するのは早計だ。そうでない事は本書を読めば一目瞭然。なぜならば、「マッサン」のウイスキー考証は、我が国ウイスキー評論の第一人者である著者が担当したからだ。そして本書は考証の成果の一環として書かれた事は明らかだ。本書はいわば「マッサン」の副産物として世に出たといえるだろう。だが副産物とはいいながら本書は「マッサン」の絞りかすどころか、さらに深い内容を含んでいる。

本書の構成は三部からなっている。第一部は、マッサンとリタの歩みを概括している。それも単なる「マッサン」の粗筋ではない。日本の洋酒業界事情もそうだが、竹鶴氏の生い立ちから筆を起こしている。竹鶴氏が広島の竹原で今も日本酒醸造を営んでいる竹鶴家の一族である事はよく知られている。本書はその辺りの事情からなぜ摂津酒造に入社したのかと言う事情にも触れている。さらには摂津酒造の社長阿部氏が政孝青年をスコットランドにウイスキー留学させようとした経緯までも。もちろんスコットランドでの竹鶴夫妻の馴れ初めや修行の様子、日本に帰ってからの壽屋入社と大日本果汁の設立といった足取りもきちんと押さえている。

続いての第二部は本書の肝だ。竹鶴ノートが著者の注釈付きで全文掲載されているから。日本にウイスキーをもたらした原典。それはすなわち当時の本場ウイスキー製造の様子を伝える一級資料でもある。そして竹鶴ノートはウイスキー製造の時代的な変遷を追う上で優れているだけではない。今はなき蒸留所の製造事情を伝えていることも貴重なのだ。竹鶴氏が実習したヘーゼルバーン蒸溜所は今はもうない。ヘーゼルバーンがあったキャンベルタウン地区も、当時はスコッチ先進地域だったにもかかわらず衰退してしまった。今でこそスコットランド各地で蒸溜所が次々と復活・新設され、シングルモルトブームに湧いているが、それでもなお、キャンベルタウンには復活した一つを加えても三つしか蒸溜所がない。竹鶴氏が留学した当時はキャンベルタウンにある蒸留所の数は二十をくだらなかったというのに。その意味でも竹鶴ノートは貴重な資料なのだ。

竹鶴ノートの内容もまた凄い。書かれているのは精麦から発酵、蒸留、そして貯蔵・製樽といったウイスキー製造工程だけにとどまらない。従業員の福利や勤務体制など、当時の日本からみて先進的な西洋の制度まで書かれている。一技術者に過ぎなかった竹鶴氏がウイスキー作りの全てを吸収しようとした意欲と情熱のほどが伺える。著者が今の視点から注釈を入れているが、竹鶴ノートの記述に明らかな誤りがあまりないことも重要だ。それは竹鶴氏が本場のウイスキー作りを真剣に学んだために相違ない。後年、イギリスのヒューム副首相が来日した際に語った「スコットランドで四十年前、一人の頭の良い青年が、一本の万年筆とノートでわが国の宝であるウイスキー造りの秘密を盗んでいった」という言葉は、竹鶴ノートの重要性を的確に表している。それももっともとだと思えるほど、竹鶴ノートは正確かつ実務的に書かれている。学ぶとは、竹鶴氏がスコットランドで過ごした日々を指すのでは、とまで思う。決して頭の中の理論だけで組み立てた成果ではないことを、後世のわれわれは教訓としなければならない。(もっとも山崎蒸溜所建設の際、蒸留釜と火の距離を調べ直すために竹鶴氏はスコットランドを再訪したらしい)

第三部では著者が竹鶴威氏にインタビューした内容で構成されている。竹鶴威氏は政孝氏の甥であり、実子に恵まれなかった竹鶴氏とリタ夫人の養子として迎えられた人物だ。竹鶴氏とリタ夫人をよく知る人物として、本書に欠かせない方である。それだけではなくニッカウヰスキーの後継者として夫妻の期待以上の功績を残した方でもある。マスターブレンダーとしてもニッカウヰスキーに世界的な賞をもたらしている。竹鶴威氏へのインタビューは、竹鶴家の歴史や広島原爆や東京大空襲の遭遇、政孝氏やリタ夫人との思い出、ニッカ製品の変遷など幅広い話題に飛びながらも面白い。

著者はおそらく「マッサン」の考証にあたっては竹鶴ノートは熟読したことだろう。竹鶴氏の洋行やニッカウヰスキーの歩みをとらえ直したことだろう。そして竹鶴威氏とのインタビューによって竹鶴氏の生涯にほれ込んだのではないか。そしてそれは私も同じ。

私が幼稚園まで住んでいた家は、ニッカウヰスキー西宮工場のすぐ近くだった。なので私の脳裏には”ニッカウイスキー”ではなく”ニッカウヰスキー”の文字が染み付いている。後年、22、3歳の頃からウイスキー文化に魅了された私が、神戸の高速長田駅の古本屋で非売品の竹鶴氏の自伝を見つけた時も不思議なご縁を感じた。余市蒸留所には二度ほど訪れている。また、本書が発売されて一年後、私は著者と言葉を交わし、ツーショット写真も一緒に写って頂いた。そんな訳で、本書はとても思い入れのある一冊なのだ。

‘2016/05/01-2016/05/03


ウイスキーは日本の酒である


山崎蒸留所を独り訪問したのは、平成27年4月末のこと。高校時代の友人たちとの再会を前にし、僅かな合間を縫っての見学だったが、貴重な時間を過ごすことができた。

山崎の駅に降り立った私。駅鉄と称して駅のそこらを撮りまくっていた。と、私の視線が窓口で切符購入の順番を待っていた人物を認める。その途端、その人物から目を離せなくなった。その人こそ、本書の著者輿水氏である。

私の眼差しに気付いたのか、氏の視線も私に注がれた。咄嗟に面識もないのに会釈してしまった私。本来ならば、会話の一つも交わしたいところだが、気楽な旅人である私と違い、スーツに身を包んだ氏は明らかに所用でお急ぎの様子。窓口の順番を気忙しく待つ氏に声を掛けるのも憚られ、遂に会話することなく、歩み去る後ろ姿を見送った。もちろん写真などもっての他。

本書は、つかの間の邂逅の後に訪れた山崎蒸留所の売店で、記念に購入した一冊である。

私が著者を見掛けてすぐにご本人と気づいたように、ウイスキー好きで著者を知らぬ者はいない。ここ十年、ジャパニーズウイスキーが世界中で賞賛され、名だたる賞を獲得している。著者はその中にあってサントリーのチーフブレンダーとして世に知られた存在である。雑誌や広告でお顔を見掛けたのも一度や二度では済まない。いわば日本のウイスキー業界の広告搭といっても過言ではないだろう。

本書は著者が満を持して、一般向けにウイスキーの魅力を語り尽くした一冊である。今までの本書の存在は知っていたが、何故か縁がなく未読であった。しかし、今回の偶然の出会いがなくとも、遅かれ早かれ手に取っていたであろうことは確信できる。

内容もまた含蓄に富んでいる。一般向けとはいえ、私のようなウイスキー愛好家にとっても充分楽しめる内容となっている。本書には、ブレンダーとしての著者のバックグラウンドにある経験や哲学が詳しく説明されている。それが本書の内容に深みを与えている。

著者はブレンダーとなる前、ウイスキーの製造現場を広く長く勤めたという。単なるブレンディングだけでなく、熟成やボトリングなど、ウイスキー製造工程の広範囲を経験したことが本書で紹介されている。充実していたであろう著者の職歴から得られた経験が、チーフブレンダーとしての製品造りにどれだけの貢献をもたらしたかは言うまでもない。

本書の中で特に印象に残ったのは、著者の控えめな姿勢である。

サントリーという企業が後ろに控えていると、文中からは自身の属する企業礼賛のような色合いが出てしまいがちだ。しかし本書からはそういった印象を受けない。もちろんサントリーに所属する著者であるから、記されているのはサントリーに関する内容が多い。しかし、ニッカウイスキーやキリンシーグラム、本坊酒造やベンチャーウイスキーといった本邦のウイスキーメーカーとサントリーを比べて優劣を云々する記述は全く見られない。むしろ、それらの同業者に対しては、ともにジャパニーズウイスキーを盛り立てる戦友としての扱いに終始している。今や、ジャパニーズウイスキーは名実ともに世界の五大ウイスキーの一角を占めている。だからといってジャパニーズウイスキーを持ち上げるため、他のスコッチやアイリッシュ、カナディアン、アメリカンを貶めることもない。題名こそ若干自尊心が感じられるものになっているが、内容はあくまで謙虚だ。ジャンルや国を超え、本書にはウイスキーに関わる全ての文化への尊敬と愛情が満ちている。

序章に、本書執筆に当たっての著者の想いが述べられている。曰く、「正直、これまで、ブレンダーたちは、自らの仕事を積極的に語ることをしてこなかったような気がします。そのため、私たちの仕事が、神秘のヴェールに覆われたものと思われているようにも感じます。
しかし、複雑系の酒であるウイスキーは、やはり、作り手側が、分からないところは分からないこととして、どんな酒であるのかを語ってゆくことが必要なのではないか、と思うのです。」と。

この語り口である。控えめであり、かつ、とても上品な口調。それが本書全体を通して「天使の分け前」のようにじみ出ている。「天使の分け前」とは熟成の間に樽の隙間から蒸発してゆくウイスキーの中身のことであり、それが熟成庫の中に何とも言えない香りを充満させる。本書の語り口は、まさに熟成庫に入った時に感じられる馥郁とした香りそのものであり、読み応えや余韻は上質のウイスキーのようである。

本書の一章、二章は、日本のウイスキーの紹介に割かれている。材料や製法、風土など、本場となにが違い、どこに特徴があるのか。山崎・白州の両蒸留所の特色から始まり、ジャパニーズウイスキー独自のミズナラ樽の紹介をはじめとした樽の種類の説明。貯蔵場所や樽を自由に組み合わせ、一つのメーカーだけで様々な原種を産み出すことのできるジャパニーズウイスキーの強み。樽すらも自社製造にこだわる姿勢。世界で評価されるジャパニーズウイスキーの秘密が本章では惜しげもなく明かされる。

第三章では著者の職歴が披瀝される。武蔵小杉の多摩川工場でのボトリングから、中央研究所への抜擢。中央研究所では熟成の研究に没頭し、樽と熟成に関して経験を積む。続いて山崎蒸留所での品質管理、次いで貯蔵部門。そのような現場を経て、ブレンダー室へ異動となる。ここらの下りを読むと、サントリーという会社の人事計画の妙が垣間見えて興味深い。製品化まで長い時期を必要とするウイスキー。そのウイスキーを扱う会社であるがゆえに、人事計画まで周到な時間を見越して立てる社風が確立しているのかもしれない。著者も本書の168ページで、製樽と貯蔵の工程を経験することはウイスキーの現場に必須と述べている。

ブレンダー室でブレンダーとしてのあれこれを一から覚え込んだ著者。その努力によって「膳」の開発を任される。杉樽を使用し、竹炭濾過を採用した膳はヒットし、著者の名声も上がる。「膳」は発売当時、私も親しんだ記憶がある。しかし、続く「座」が不発となる。著者の挫折である。この経験と挫折について、著者は率直に語っている。その姿勢はビジネスだけでなく、人生訓としても深く私の心に刻まれた。

第四章では、「響12年」を産み出した経緯が記される。日本を代表するブレンデッドウイスキーの12年物をという声に応え、著者は味の組み立てを明かす。ブレンデッドウイスキーとしての「響」の味の組み立てを苦心して創り上げた下りは、本書のハイライトである。普段はシングルモルトを好む私だが、この部分を読んでいるだけで無性に「響」が、「響」だけでなく他のブレンデッドウイスキーも含めて呑みたくなった。

第四章では、ブレンディングの手順や取り組みにあたっての姿勢などが惜しげもなく披露される。その中には著者の生活習慣も含まれる。よくブレンダーの素養として、暴飲暴食を避け刺激物の摂取を控えるといった自己管理の重要性が言われる。しかし、本章で紹介されるエピソードからは、それ以上に規則正しい生活習慣もブレンダーに不可欠な素養である事が読み取れる。

わずかな味や臭いの変化を感じとるためには、普段から澄み渡った不動の構えが必要。それは良く分かる。不動の構えであるからこそ周囲の波動の揺らぎを感ずることができるのだろう。私もせめて、バーにいる間はそのようでありたいものだ、と思った。

続けて本書はブレンディングの精髄ともいえるテイスティングの紹介に移る。エステリー、ピーティー、ウッディと言った用語。これらの用語は土屋守氏やマイケル・ジャクソン氏の著作、またはウイスキーマガジンなどにおいて頻繁に登場する。そういった用語が円形にカラーチャートのように並べられるフレーバーホイール。これはテイスティングにおいて必携の書であり、著者の説明もそれに沿って行われる。

ここで著者は、そういった語彙を駆使しつつ、ブレンディングの妙を披露する。しかし、所詮は文字。行き着くところは読者の脳内での理解でしかない。ブレンディングには実践が不可欠であることは云うまでもない。

それに関して著者が面白い意見を語っている。それは、ウイスキーづくりは、音楽よりも絵画を描く行為に近いのでは、というものだ。絵画を描く。それは著者のブレンディング技術の根幹に触れたようでとても興味深い。嗅覚と味覚と視覚。この組み合わせを人工知能が代替する日は来るのだろうか。常々思うのだが、ITやAIがあらゆる職種を侵食する中、最後まで人類が守り抜ける職種とは、ブレンダーや調香師といった五感を駆使する仕事だけではないだろうか。私の個人的な想いとしても、ロボットがブレンディングを行うような光景は見たくないものだ。

第六章では、最近のジャパニーズウイスキーの躍進ぶりが紹介される。ここでも一貫しているのが、先に挙げたとおりウイスキー文化と歴史に対する謙虚な姿勢だ。謙虚な姿勢を象徴するかのように、おわりに、の末文で著者の呟きが引用される。「まだ私はウイスキーというものが分からない」と。

これからのジャパニーズウイスキーも、この謙虚さを忘れずにいて欲しいと思う。効率化の誘惑に負けずにいれば、世界一の名声に相応しいだけの製品を作り続けられるに違いない。私は本書を読んでそう確信した。

そして私もまた、ウイスキー愛好家の一人として、謙虚にウイスキーの魅力に関わって行ければこの上なく嬉しい。そう思っていたところ、某所で行われたウイスキーのイベントで土屋守氏にお会いする機会に恵まれた。また、そのご縁でウイスキー検定にも合格することが出来た。

私も引き続き奢らず謙虚にウイスキーの道を究めてゆけば、いつかは著者と相対する機会を頂けるかもしれない。是非、その際は肉声でウイスキー作りの真髄を伺ってみたいものである。

‘2015/5/7-2015/5/8


ウィスキー検定3級合格


昨夜、私の元に第3回ウイスキー検定の合格証が届きました。今年の2/7に妻と一緒に3級を受験した結果です。私は77点しか取れず、妻は52点で不合格。正直言って私にとっては不本意な得点でした。3級と侮り9割は取れると思っていた驕りを自分で戒めなければと思っています。負け惜しみにしか聞こえないのですが、3級の出題レベルは相当上がっていました。
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実はこの検定、昨年の第2回(2015/5/31)の際に受ける予定でした。が、法人設立直後ということもあり断念した経緯があります。元々ウイスキー検定については、麹町のBar LittleLinkさんから御紹介頂いていました。丁度、第1回(2014/12/7)が開催された少し後の事です。その場では、名古屋のウイスキー好きの愛好家ともお知り合いになる機会を頂きました。そこでお互い第2回を合格したらまたこのBarで会いましょうという約束を交わしました。が、私は上に書いた理由で第2回の受験を断念せざるを得なくなりました。以降、Bar LittleLinkさんには顔向けできない状態でしたが、ようやくこれで伺えます。

今回、私だけでなく妻も受験したのには理由があります。昨年10/11に妻と「SAITAMAブリティッシュフェア2015」を訪れました。「SAITAMAブリティッシュフェア2015」にはスコッチ文化研究所(この春からウイスキー文化研究所に名称変更)さんが出展されていたのです。私から感化されたのか、妻もウイスキー好きとなってくれ、老後の夫婦の愉しみがまた一つ増えています。GlenFiddichをこよなく愛する妻に、もっと色んなウイスキーを経験してもらえれば、と思ったのが夫婦で訪れた理由となります。

そして、このブースには土屋守氏も来ておられました。土屋守氏といえば世界のウイスキーライター五人にも選ばれ、かの「マッサン」のウイスキー考証・監修も担当されています。私自身、20年前からウイスキーに親しんでいますが、土屋氏の著作は何冊も持っています。私も土屋氏とツーショット写真を撮らせて頂き、その場でトートバッグにもサインして頂きました。著書を持ってこなかったのが悔やまれます。そして、その場で土屋氏から受験を薦められた妻は、一念発起で受験してみようと思ったのでしょう。私も受験勉強の時間がなかなか取れず、2級合格の自信が持てなかったこともあり、共に3級を受験しました。あまり勉強せずとも3級なら受かるでしょ、との驕りとともに。
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GlenFiddich好きの妻は、ほとんどウイスキーの背景など知らず、私に何度か蒸留所に連れて行かれたくらい。受験直前に付け焼刃で学んだのもいいところでしたが、それでも52点取れたのだから、その努力は大いに褒めても良いと思います。正直、今回の3級のレベルは以前の2級のレベルにも匹敵するのではないかと思います。それほど高度でした。

でも、それは私が77点しか取れなかったことの言い訳にはなりません。勉強すれば2級も難しくないと思っていたし、Bar LittleLinkの方からも、そこで知り合った名古屋の方にも2級受かるでしょう、と言われましたが、これでは到底受からなかったでしょう。まだまだ自分の勉強不足を痛感します。

私自身、今まではこういった資格取得を軽んじていました。本業であるIT系の資格ですら、10数年受けていません。実際、現場でもお客様に対しても資格の有無を問われることはほぼありません。それでも仕事はこなせます。また、最近は色々な資格が乱立しています。「真田三代戦国歴史検定」「ベルサイユのばら検定」「たこ焼き技能検定試験」などなど。それはもはや、資格商法と言われても仕方ないほどの乱立振りです。実際のところ、私もそう思って馬鹿にしていたことを白状しなければなりません。

しかし、ウイスキー検定は少なくとも私にとって歯ごたえのある試験でした。普段仕事を行いながら、趣味で道を究めることは簡単なようでいて実は難しい。客観的なフィルターを経ることがないので、自分の知識に対して夜郎自大になりかねない。今回のウイスキー検定は、そのことを私に教えてくれました。乱立する色んな資格も実は馬鹿にしたものではないとまで思うようになっています。

次回は2017/2に実施されるとか。私は2級を、妻は3級を。再び一緒に受験しようと思っています。夫婦でこうやって何かの道を一緒に勉強できることって、素晴らしいことだと思います。ゆくゆくは夫婦でスコットランドへ。これも目的の一つです。私にとってのウイスキーの師匠とも呼べる方が大阪にいらっしゃるのですが、この方も何度も夫婦でスコットランドに行かれているのだとか。私の今後の目標でもあります。