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エビータ


昨年、浅利慶太氏がお亡くなりになった。7/13のことだ。私は友人に誘われ、浅利慶太氏のお別れ会にも参列した。そこで配られた冊子には、浅利慶太氏の経歴と、劇団の旗揚げに際して浅利氏が筆をとった演劇論が載っていた。既存の演劇界に挑戦するかのような勢いのある演劇論とお別れ会で動画として流されていた浅利慶太氏のインタビュー内容は、私に十分な感銘を与えた。

ちょうどその頃、私には悩みがあった。その悩みとは宝塚歌劇団に関係しており、私の人生に影響を及ぼそうとしていた。宝塚歌劇団といえば、劇団四季と並び称される本邦の誇る劇団だ。だが、ここ数年の私は宝塚歌劇団の運営のあり方に疑問を感じていた。公演を支える運営やファンクラブ運営の体質など。特に妻がファンクラブの代表を務めるようになって以来、劇団運営の裏側を知ってしまった今、私にとってそれは悩みを通り越し、痛みにすらなっていた。その疑問を解く鍵が浅利慶太氏の劇団四季の運営にある、と思った私は、浅利慶太氏のお別れ会を機会に、浅利慶太氏と劇団四季について書かれた本を読んだ。キャスティングの方法論からファンクラブの運営に至るまで、宝塚歌劇団と劇団四季には違いがある。その違いは、演じるのが女性か男性と女性か、という違いにとどまらない。その違いを理解するには演劇論や経営論にまで踏み込まねばならないだろう。

宝塚の舞台はもういい、と思うようになっていた私。だが、お別れ会の後も、劇団四季の舞台は見たいと思い続けていた。今回、妻のココデンタルクリニックの七周年記念として企画した観劇会は、なんと総勢三十人の方にご参加いただいた。妻が25人の方をお招きし、妻が呼びきれなかった5名は私がお声がけし、一人も欠けることなく、本作を鑑賞することができた。

浅利慶太氏がお亡くなりになってほぼ一年。この日の公演も浅利慶太氏追悼公演と銘打たれている。観客席の最後方にはブースが設けられ、浅利慶太氏のポートレートやお花が飾られている。おそらく生前の浅利氏はそこから舞台の様子や観客の反応をじっくりと鋭く観察していたのだろう。ロビーにも浅利慶太氏のポートレートや稽古風景の写真が飾られ、氏が手塩にかけた演出を劇団が今も忠実に守っている事をさりげなくアピールしている。とはいえ、カリスマ演出家にして創始者である浅利氏を喪った穴を埋めるのは容易ではないはず。果たして浅利慶太氏の亡きあと、劇団四季はどう変わったのか。

結論から言うと、その心配は杞憂だった。それどころか見事な踊りと歌に心の底から感動した。カーテンコールは8、9回を数え、スタンディングオベーションが起きたほどの出来栄え。私は今まで数十回は舞台を見ているが、カーテンコールが8、9回もおきた公演は初めて体験した気がする。

私はエビータを見るのは初めて。マドンナがエバ・ペロンを演じた映画版も見ていない。私がエバ・ペロンについて持つ知識もWikipediaの同項目には及ばない。だから、本作で描かれた内容が史実に即しているかどうかは分からない。本作のパンフレットで宇佐見耕一氏がアルゼンチンの社会政策の専門家の立場から解説を加えてくださっており、それほど荒唐無稽な内容にはなっていないはずだ。

本作で進行役と狂言回しの役割を担うのはチェ。格好からして明らかにチェ・ゲバラを指している。周知の通り、チェはアルゼンチンの出身でありながらキューバ革命の立役者。その肖像は今もなお革命のアイコンであり続けている。同郷のチェがエバ・ペロンことエビータを語る設定の妙。そこに本作の肝はある。そしてチェの視点から見たエビータは辛辣であり、容赦がない。そんなチェを演じる芝清道さんの演技は圧倒的で、その豊かな声量と歯切れの良いセリフは私の耳に物語の内容と情熱を明快に吹き込んでくれた。

搾取を嫌い、労働者の視点に立った理想を追い求めたチェと、本作でも描かれる労働者への富の還元を実行したエビータ。いつ理想を追い求める点で似通った点があるはず。だが、チェはあくまでもエビータに厳しい。次々に男を取り替えては己の野心を満たそうとする姿。ついにファーストレディに登りつめ、人々に施しを行う姿。どのエビータにもチェは冷笑を投げかける。これはなぜだろうか。

チェが医者としての栄達を投げうちアルゼンチンを出奔したのは、史実では1953年のことだという。エビータがなくなった翌年のこと。ペロンは大統領の任期の途中にあった。チェの若き理想にとって、ペロンやエビータの行った弱者への政策はまだ手ぬるかったのだろうか。または、全ては権力や富を得た者による偽善に過ぎないと疑っていたのだろうか。それとも、権力の側からの施しでは社会は変えられないと思っていたのだろうか。おそらく、チェが残した著作の中にはエビータやペロンの政策に触れたものもあっただろう。だが、私はまだそれを読んだことがない。

本作は、エビータが国民の母として死を嘆かれる場面から始まる。人々の悲嘆の影からチェは現れ、華やかなエビータの名声の裏にある影をあばき立てる。そしてその皮肉に満ちた視点は本作の間、揺るぐことはなかった。本作は、エビータが亡くなったあとも国民からの資金では遺体を収める台座しか造られず、その後、政情が不安定になったことによって、エビータの遺骸が十七年の長きに渡って行方不明だったというチェのセリフで幕を閉じる。徹底した冷たさ。だが、チェの辛辣さの中には、どこかに温かみのようなものを感じたのは私だけだろうか。

本作の幕の引き方には、安易に観客の涙腺を崩壊させ、カタルシスに導かない節度がある。その方が観客は物語のさまざまな意図を考え、それがいつまでも本作の余韻となって残る。

敢えて余韻を残すチェのセリフで幕を下ろした脚本家の意図を探るなら、それはチェがエビータに対する愛惜をどこかで感じていたことの表れではないだろうか。現実の世界でのし上がる野心と、貧しい人々への施しの心。愛とは現実の世界でのし上がるための手段に過ぎないと歌い上げるエビータ。繰り返し愛を捨てたと主張するエビータの心の裏側には、愛を求める心があったのではないか。私生児として蔑まれ、売春婦と嗤われた反骨を現実の栄達に捧げたエビータ。その悲しみを、チェは革命の戦いの中で理解し、軽蔑ではなく同情としてエビータに報いたのではないだろうか。

そのように、本来ならば進行役であるはずのチェに、物語への深い関わりをうがって考えさせるほど、芝さんが演じたチェには圧倒的な存在感があった。本作のチェと同じような進行役と狂言回しを兼ねた役柄として、『エリザベート』のルキーニが思い出される。チェのセリフが不明瞭で物語の意図が観客に届かない場合、観客は物語に入り込めない。まさに本作の肝であり、要でもある。本作の成功はまさに芝さん抜きには語れない。

もちろん、主役であるエビータを演じた谷原志音さんも外すわけにはいかない。その美貌と美声。二つを兼ね備えた姿は主演にふさわしい。昇り調子に光り輝くエビータと、病に伏し、頰のこけたエビータを見事に演じわける演技は見事。歌声には全くの揺れがなく、終始安定していた。大統領選で不安にくれる夫のペロンを鼓舞するシーンでは、高音パートを絶唱する。その場面は、主題歌である「Don’t Cry For Me , Argentina」の美しいメロディよりも私の心に響いた。

そしてペロンを演ずる佐野正幸さんもエビータを支える役として欠かせないアクセントを本作に与えていた。史実のペロンは三度大統領選に勝ち、エバ亡き後も大統領であり続けた人物だ。だが、本作でのペロンは強さと弱さをあわせ持ち、それがかえってエビータの姿を引き立たせている。また、顔の動きが最も起伏に富んでいたことも、ペロンという複雑なキャラクター造形に寄与していたことは間違いない。見事なバイプレイヤーとしての演技だったと思う。

また、そのほかのアンサンブルの方々にも賛辞を贈りたい。一部のスキもない踊りと演技。本作は音楽と演技のタイミングを取らねばならない箇所がいくつもある。そうしたタイミングに寸分の狂いがなく、それが本作にキレと迫力を与えていた。さすがに毎回のオーディションで選ばれた皆様だと感動した。

そうした魅力的な人物たちの活動する舞台の演出も見逃せない。本作のパンフレットにも書かれていたが、生前の浅利慶太氏は、最も完成されたミュージカルとして本作を挙げていたようだ。もとが完成されていたにもかかわらず、浅利氏はさらなる解釈を本作に加え、見事な芸術作品として本作を不朽にした。

自由劇場は名だたる大劇場と比べれば作りは狭い。だが、さまざまな設備を兼ね備えた専用劇場だ。その強みを存分に発揮し、本作の演出は深みを与えている。ゴテゴテと飾りをつけることんあい舞台。円形に区切られた舞台の背後には、自在に動く二つの壁が設けられている。らせん状になった壁には、ブエノスアイレスの街並みを思わせる凹凸のレリーフが刻まれている。

場面に合わせて壁が動くことで、観客は物語の進みをたやすく把握できる。そればかりか、円で周囲を区切ることで舞台の中央に目には見えない三百六十度の視野を与えることに成功している。舞台の中央に三百六十度の視座があることは、舞台上の表現に多様な可能性をもたらしている。例えば、エビータの男性遍歴の激しさを回転する扉から次々に現れる男性によって効果的に表現する場面。例えば、軍部の権力闘争の激しさを椅子取りゲームの要領で表現する場面。それらの場面では物語の進みと背景を俳優の動きだけで表すことができる。三百六十度の視野を観客に想像させることで、舞台の狭さを感じさせない工夫がなされている。

そうした一連の流れは、演出家の腕の見せ所だ。本作の幕あいに一緒に本作を観た長女とも語り合ったが、舞台を演出する仕事とは、観客に音と視覚を届けるだけでなく、時間の流れさえも計算し、観客の想像力を練り上げる作業だ。総合芸術とはよく言ったもので、持てる想像力の全てを駆使し、舞台という小空間に無限の可能性を表出させることができる。今の私にそのような能力はないが、七度生まれ変わったら演出家の仕事はやってみたいと思う。

冒頭にも書いたが、8、9回に至るカーテンコールは私にとって初めて。それは何より俳優陣やスタッフの皆様、そして一年前に逝去された浅利慶太氏にとって何よりの喜びだったことだろう。

理想論だけで演劇を語ることはできない。赤字のままでは興行は続けられない。浅利氏にしても、泥水をすするような思いもしたはずだ。政治家に近づき、政商との悪名を被ってまで劇団の存続に腐心した。宝塚歌劇団にしてもそう。理想だけで劇団運営ができないことは私もわかる。だからこそ、ファンの無償の奉仕によって成り立つ今の運営には危惧を覚えるのだ。生徒さんが外のファンサービスに追われ、舞台に100%の力が注げないとすれば、それこそ本末転倒ではないか。私は今の宝塚歌劇団の運営に不満があるとはいえ、私は宝塚も四季もともに日本の演劇界を率いていってほしいと思う。そのためにも、本作のような演出や俳優陣が完璧な、実力主義の、舞台の上だけが勝負の演劇集団であり続けて欲しい。演劇とは舞台の上だけで観客に十分な感動を与えてくれることを、このエビータは教えてくれた。

私も友人にお借りした浅利慶太氏の演劇論を収めた書をまだ読めていない。これを機会に読み通したいと思う。

最後になりましたが、妻のココデンタルクリニックの七周年記念に参加してくださった皆様、ありがとうございます。

‘2019/07/06 JR東日本アートセンター 自由劇場 開演 13:00~

https://www.shiki.jp/applause/evita/


対岸


本書は、著者の処女短編集だそうだ。

著者は私が好きな作家の一人だ。簡潔な文体でありながら、奇想天外な作品を紡ぎ出すところなど特に。

本書はまだ著者がデビュー前、アルゼンチンで教員をしていた頃に書かれた作品を主に編まれている。

後年に発表された作品ほどではないが、本書からはすでに著者の才気のきらめきが感じられる。

本書に収められた諸編。その誕生の背景は訳者が解説で詳しく記してくださっている。田舎の閉鎖的で垢抜けない環境に閉口した著者が、懸命に作家を目指して励んだ結果。それらが本書に収められた短編だ。

本書は大きく四部に分かれている。最初の三部は「剽窃と翻訳」「ガブリエル・メドラーノの物語」「天文学序説」と名付けられている。各部はそれぞれ四、五編の短編からなっている。そして最後の一部は「短編小説の諸相」と題した著者の講演録だ。著者は短編小説の名手として世界的な名声を得た。そして短編小説を題材に講演できるまでに大成した。この講演は、晩年の著者がとても肩入れしたキューバにおいてなされたという。

著者の習作時代の作品を並べた後で、最後に著者自身が短編小説を語るのが、本書をこのように編集した意図だと思われる。

まずは前半の三部に収められた各編について寸想を記してみたい。

まず最初の「剽窃と翻訳」から。

「吸血鬼の息子」
吸血鬼伝説に想をとっている本編。一般に吸血鬼が描かれる際は、食欲だけが取り上げられる。つまり血液だ。

だが、美女の生き血を欲する欲とは、美女の体を欲する性欲のメタファーではないか。そこに着目しているのが印象に残る。吸血鬼が永遠に近い命を持つからといって性欲を持たなくてよいとの理はないはず。

吸血鬼の子を身ごもったレディ・ヴァンダから、どのような子どもが生まれるのか。それは読者の興味をつなぎとめるにふさわしい。その後、予想もしない形で吸血鬼の息子は誕生する。その予想外の結末が鮮やかな一編。

「大きくなる手」
本編は、本書に収められた13編の中でもっとも分かりやすいと思う。そして、後年の著者が発表したいくつもの名短編を思わせる秀編だ。主人公プラックが自らの詩をけなしたカリーを殴った後、プラックの手が異常に腫れる。その腫れ具合は車に乗せるにも一苦労するほど。

主人公を襲うその超現実的な描写。それが、著者の後年の名編を思わせる。大きくなりすぎた手を持て余すプラックの狼狽はユーモラスで、読者は主人公に待ち受ける出来事に興味を引かれつつ結末へ誘われて行く。そして著者は最期の一文でさらに本編をひっくり返すのだ。その手腕はお見事だ。

「電話して、デリア」
電話というコミュニケーション媒体がまだ充分に機能していた時期に書かれた一編。本書に収められた短編のほとんどは1930年代に書かれているが、本編は1938年に書かれたと記されている。けんかして出て行った恋人から掛かってきた電話。それは要領を得ない内容だった。だが、彼から電話をかけてきたことに感激したデリアは、彼と懸命に会話する。電話を通じて短い応答の応酬がつながってゆく。

結末で、デリアは思いもよらぬ事実を知ることになる。正直言ってその結末は使い古されている。だが、編末でラジオから流れるアナウンサーの話すCM文句。これが、当時には電話がコミュニケーション手段の最先端であった事実を示唆していて時代を感じさせる。著者が今の時代に生きていて、本書を書き直すとすれば、電話のかわりに何を当てるのだろう。

「レミの深い午睡」
本編はなかなか難解だ。自分があらゆる場所あらゆる時代で死刑執行される夢を普段から見る癖のあるレミ。今日もまたその妄想に囚われたまま、レミは午睡から起きる。そしてモレッラのところに連絡するが、何か様子がおかしい。

モレッラのところにはドーソン中尉がいて、銃声と叫び声が響く。執行人は脈をとって死人の死を確認し、立会人は去って行く。果たしてレミは妄想どおり死刑執行されたのか。それともレミが死刑を執行したのか。主体と客体は混然とし、読者は物語の中に惑わされたまま本編を終えることになる。

「パズル」
これまた難解な一編だ。殺人現場において、見事に殺害をし遂げる人物。そして殺害されたラルフを待ち続けるレベッカと主人公「あなた」の兄妹。彼らを尋問して警察が帰った後、二人の間で何が起こったのか問答が続く。

果たしてラルフはどこで殺されたのか。謎が明かされて行く一瞬ごとの驚きと戸惑い。本書は注意深く読まねば誰が誰を殺したのかわからぬままになってしまう。読者の読解力を鍛えるには好都合の短編だ。

続いて第二部にあたる「ガブリエル・メドラーノの物語 」から。

「夜の帰還」
死後の幽体離脱を文学的に取り扱えば本編のようになるだろうか。死して後、自分の体を上から見下ろす体験の異常さ。それだけでなく、主人公は自分を世話してくれていた老婆が自分の死を目にして動転しないよう、死体に戻って自分の体を動かそうと焦る。主人公の焦りは死という現象の不条理さを表しているようで興味深い。

死を客観的に見るとはこういう経験なのかもしれない。

「魔女」
万能の魔女として生きること。それは人のうらやみやねたみを一身に受けることでもある。また。それは自分の欲望を我慢する必要もなく生きられるだけに不幸なのかもしれない。

本編の結末はありがちな結果だともいえる。だが、単に自分の欲望に忠実に生きること。その生き方の果てにはなにがあるのか、ということを寓話的に描いた一編とも言える。抑制を知って初めて、欲望とは充足される。そんな教訓すら読み取ることは可能だ。

「転居」
本編も著者が後年に発表したような短編の奇想に満ちた雰囲気を味わえる。仕事に没頭するライムンドは、ある日突然家が微妙に変化していることに気づく。家人も同じだし家の間取りにも変わりはない。だが、微妙に細部が違うのだ。その戸惑いは会計事務所につとめ、完結した会計の世界に安住するライムンドの心にねじれを産む。

周囲が違えば、人は自らの心を周辺に合わせて折り合いを付ける。そんな人の適応能力に潜む危うさを描いたのが本編だ。

「遠い鏡」
著者が教員をしていた街での出来事。それがメタフィクションの手法で描かれる。ドアの向こうには入れ子のようにもう一つの自分の世界が広がる。

街から逃げ出したくて逃避の機会を探しているはずが、いつの間にか迷い込むのは内面の入れ子の世界。それは鏡よりもたちがわるい。抜け出そうにも抜け出せない。そんな著者の習作時代の焦りのようなものすら感じられる。

続いて第三部にあたる「天文学序説」から。

「天体間対称」
「星の清掃部隊」
「海洋学短講」
この三編は著者が作家としての突破口をSFの分野に探していた時期に書かれたものだろう。そう言われてみれば、著者の奇想とはSFの分野でこそ生かせそうだ。だが、本書に収められた三編はまだ習作のレベルにとどまっている。おそらく著者の文才とは、現実世界の中に裂け目として生じる異質なものを描くことにあるのてばないか。つまり、世界そのものが虚構であれば、著者の作り出す虚構が埋もれてしまい効果を発揮しなくなってしまう。多分著者がSFの世界に進まなかったのはそのためではないかと思う。

「手の休憩所」
こちらは逆に、著者の奇想がうまく生かされた一編だ。体から離れ、自立して動き回る手。その手と共存する日々。手は細工や手遊びに才能を自在に発揮する。しかし私に訪れた妄想、つまり私の片手と動き回る手が手を取り合って逃げてしまうという妄想。それがこの膠着状況に終止符を打ってしまう。

続いては末尾を飾る「短編小説の諸相」
これは、冒頭に書いたとおり、著者の講演を採録したものだ。ここで著者は短編小説の極意を語る。

長編小説と違い、短編小説には緊張感が求められると著者はいう。じわじわと効果を高めていく長編とは違い、効果的かつ鋭利に読者の心に風穴を開けねばならない。それが短編小説なのだという。テーマそのものではなく、いかにして精神的・形式的に圧力をかけ、作品の圧力で時空間を圧縮するか。著者が強調するのは「暗示力」「凝縮性」「緊張感」の三つだ。

この講演の中では、著者が好む短編が挙げられている。それはとても興味深い。ここに収められた講演の内容は何度も読み返すべきなのだろう。含蓄に溢れている。そして、本講演の内容は、おそらく今まで著者のどの作品集にも収められなかったに違いない。私もいずれ、機会を見て本書は所持したいと思っている。

そして確固とした短編の名作を生み出してみたいと思っている。

‘2017/02/21-2017/02/24


HUNTING EVIL ナチ戦争犯罪人を追え


人類の歴史とは、野蛮と殺戮の歴史だ。

有史以来、あまたの善人によって数えきれないほどの善が行われてきた。だが、人類の歴史とはそれと同じくらい、いや、それ以上に悪辣な蛮行で血塗られてきた。中でもホロコーストは、その象徴として未来永劫伝えられるに違いない。

私は二十世紀の歴史を取り扱った写真集を何冊も所持している。その中には、ホロコーストに焦点を当てたものもあり、目を背けたくなる写真が無数に載っている。

ホロコーストとは、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量殺戮だ。一般的にはホロコーストで通用している。だが、ヘブライ語ではこの用例は相応しくないそうだ。ジェノサイド、またはポグロムと呼ぶのが正しいのだとか。それを断った上で、本書ではナチスによるユダヤ人の大量抹殺政策をホロコーストやユダヤ人殲滅作戦と記している。

ユダヤ人のホロコーストは、ナチス・ドイツの優生思想によって押し進められた。なお、ユダヤ人を蔑視することは歴史的にみればナチスだけの専売特許ではない。中世の西洋でもユダヤ民族は虐げられていたからだ。だが、組織としてホロコーストほど一気にユダヤ人を抹殺しようとしたのはナチスだけだ。将来、人類の未来に何が起ころうとも、ナチスが政策として遂行したようなレベルのシステマチックな民族の抹殺は起こりえない気がする。

本書は、ナチス・ドイツが壊滅した後、各地に逃れたナチス党員の逃亡とそれを追うナチ・ハンターの追跡を徹底的に描いている。

ナチス残党については、2010年代に入った今も捜索が続けられているようだ。2013年のニュースで98歳のナチス戦犯が死亡したニュースは記憶に新しい。たとえ70年が過ぎ去ろうとも、あれだけの組織的な犯罪を許すわけにはいかないのだろう。

日本人である私は、本書を読んでいて一つの疑問を抱いた。その疑問とは「なぜ我が国では戦犯を訴追するまでの経過がナチス残党ほど長引かなかったのか」だ。その問いはこのように言い直すこともできる。「なぜナチスの戦犯は壊滅後のドイツから逃げおおせたのか」と。

本書はこの問いに対する回答となっている。

ナチス・ドイツは公的には完全に壊滅した。だが、アドルフ・ヒトラーの自殺と前後して、あきれるほど大勢のナチス戦犯が逃亡を図っている。たとえば「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレ。ユダヤ人殲滅作戦の現場実行者アドルフ・アイヒマン。トレブリンカ収容所長フランツ・シュタングル。リガの絞首人ヘルベルツ・ツクルス。末期ナチスの実力者マルティン・ボルマン。

かれらは逃亡を図り、長らく姿をくらましつづけていた。これほどの大物達がなぜ長期間逃げおおせることができたのか。著者の綿密な調査は、これら戦犯たちの逃亡ルートを明らかにする。そして、彼らが逃亡にあたって頼った組織についても明らかにする。

その組織は、多岐にわたっている。たとえばローマ・カトリック教会の司祭。または枢軸国家でありながら大戦後も体制の維持に成功したスペイン。もしくはファン・ペロン大統領がナチス受入を公表していたアルゼンチン。さらに驚かされるのが英米の情報部門の介在だ。東西の冷戦が生んだ熾烈なスパイの駆け引きにナチス戦犯を利用したいとの要望があり、英米の情報部門に保護されたナチス戦犯もたくさんいたらしい。これらの事実を著者は徹底した調査で明らかにする。

上に挙げたような複数の組織の思惑が入り乱れた事情もあった。そして連合国側で戦犯リストが円滑に用意できなかった理由もあった。これらがナチス戦犯が長年逃れ得た原因の一つだったのだろう。そのあたりの事情も著者は詳らかにしてゆく。

ナチス戦犯たちにとって幸運なことに、第二次世界大戦の終戦はさらなる東西冷戦の始まりだった。しかもドイツは冷戦の東西の境界である。東西陣営にとっては最前線。一方で日本は冷戦の最前線にはならなかった。せいぜいが補給基地でしかない役どころ。そのため、終戦によって日本を統治したのはアメリカを主軸とする連合国。ソ連は統治には参加できず、連合国の西側による秩序が構築された。日本とドイツが違うのはそこだろう。

わが国の戦犯はBC級戦犯を中心として、アメリカ軍の捜査によって訴追された。約5700人が被告となりそのうち約1000人が死刑判決を受けた。その裁判が妥当だったかどうかはともかく、1964年12月29日に最後の一人が釈放されたことでわが国では捜査も裁判も拘置も完全に終結した。それは悪名高い戦陣訓の内容が「生きて虜囚の辱めを受ける勿れ」と書かれていたにもかかわらず、戦後の日本人が潔く戦争責任の裁きを受けたからともいえる。もっとも、人体実験の成果一式をアメリカに提供することで訴追を逃れた旧関東軍731部隊の関係者や、アジテーターとして戦前の日本を戦争に引き込み、戦後は訴追から逃れ抜いたままビルマに消えた辻正信氏といった人物もいたのだが。ただ、我が国の戦後処理は、ドイツとは違った道を歩んだということだけはいえる。

戦後、ユダヤ人が強制収容所で強いられた悲惨な実態とともにナチスの残虐な所業が明らかになった。それにもかかわらず、ナチスの支援者はいまも勢力を維持し続けている。彼らはホロコーストとは連合国軍のプロパガンダに過ぎないと主張している。そしてナチスの思想、いわゆるナチズムは、現代でもネオ・ナチとして不気味な存在であり続けている。

本書が描いているのはナチス戦犯の逃亡・追跡劇だ。だが、その背後にあるナチズムを容認する土壌が今もまだ欧州諸国に生き続けている事。それを明らかにすることこそ、本書の底を流れるテーマだと思う。

本書は、ナチ・ハンターの象徴である人物の虚像も徹底的に暴く。その人物とはジーモン・ヴィーゼンタール。ホロコーストの事実をのちの世に伝えるためのサイモン・ウィーゼンタール・センターの名前に名を残している。著者はヴィーゼンタールのナチス狩りにおける功績の多くがヴィーゼンタール本人による虚言であったことや、彼が自らをナチス狩りという世界的なショーのショーマンであった事を認めていた事など、新たな事実を次々と明らかにする。著者の調査が膨大な労力の上に築かれていたことを思わせる箇所だ。

本書を読むと、いかに多くのナチス戦犯が逃げ延びたのかがわかる。今や、ナチス狩りの象徴ヴィーゼンタールも世を去った。おそらく逃げ延び続けているナチ戦犯もここ10年でほぼ死にゆくことだろう。そうなった後、ナチスの戦争責任をだれがどういう方向で決着させるのか。グローバリズムからローカリズムに縮小しつつある国際社会にあって、ナチスによるホロコーストの事実はどう扱われて行くのか。とても興味深い。

ドイツや欧州諸国では、ホロコーストを否定すること自体に罰則規定があるという。その一方、我が国では上に書いた通り、戦犯の追及については半世紀以上前に決着が付いている。ところが、南京大虐殺の犠牲者の数や従軍慰安婦の問題など、戦中に日本軍によって引き起こされたとされる戦争犯罪についてはいまだに被害国から糾弾されている。

一方のドイツでは大統領自身が度々戦争責任への反省を語っている。一方のわが国では、隣国との間で論争が絶えない。それは、ドイツと日本が戦後の戦犯の訴追をどう処理し、どう決算をつけてきたかの状態とは逆転している。それはとても興味深い。

私としては罪を憎んで人を憎まん、の精神で行くしか戦争犯罪の問題は解決しないと思っている。あと30年もたてば戦争終結から一世紀を迎える。その年月は加害者と被害者のほとんどをこの世から退場させるに足る。過去の責任を個人単位で非難するよりは、人類の叡智で同じような行いが起きないよう防止できないものか。本書で展開される果てしない逃亡・追跡劇を読んでそんな感想を抱いた。

‘2017/02/07-2017/02/12


魔術的リアリズム―二〇世紀のラテンアメリカ小説


「魔術的リアリズム」。当読読ブログでも何度かこの言葉を取り上げている。

「魔術的リアリズム」とは、ラテンアメリカの作家たちによって知られる文学潮流の一つである。現実をベースにした描写に超現実的なエピソードを織り込むことで物語に深みを持たせる。本書を読むまで私が「魔術的リアリズム」について理解していた定義はこんな感じだ。

それが独学の理解に過ぎないことは自分でも分かっていた。一度はこの言葉と正面から向かい合わねば。そう思っていたところに本書を見かけ、手に取った。

著者が「はじめに」で述べているとおり、「魔術的リアリズム」という語句の定義はしっかりと定められている訳ではない。そもそも読む人によって多様な受け取り方をされる事に文学の価値があるはず。とすれば、文学に何かを定義すること自体がナンセンスではないだろうか。

そんな事は著者にとっても先刻承知のはず。それを分かっていて敢えて「魔術的リアリズム」というものの本質を掴もうと切り込む。大学教授としてラテンアメリカ文学を教える著者にとって、避けては通れない課題。その成果が本書だ。

第一章 シュルレアリスムから魔術的リアリズムへ

とっかかりはシュルレアリズムだ。ダダイズムの系譜から連なるシュルレアリズム。意味をなさず繋がりのない言葉が続くあれだ。「魔術的リアリズム」の源にシュルレアリズムを置く著者の意図はすんなりと理解できる。源と書いたが、それはシュルレアリズムが「魔術的リアリズム」に先んじて現実からの開放を目指した事を指すのではない。実は「魔術的リアリズム」という単語が初めて世に出たのは、シュルレアリズムが最も華やかなりし時期。ドイツの美術評論家フランツ・ローが最初にこの言葉を使ったのが1925年。表現主義の絵画に対する批評の言葉として使われたという。シュルレアリズムを語る際はアンドレ・ブルトンの「シュルレアリズム宣言」は外せないが、出版されたのは1926年。つまり「魔術的リアリズム」の言葉はシュルレアリズムの聖典よりも早く世に出たことになる。そのため、一見すると「魔術的リアリズム」の源をシュルレアリズムに置くのは矛盾に思える。さらに著者によれば、フランツ・ローのいう「魔術的リアリズム」と本書で論じようとするラテンアメリカ諸作家による「魔術的リアリズム」に直接の関係はないそうだ。だが「魔術的リアリズム」の言葉がシュルレアリズムの潮流の中で生まれたことも確か。その系譜に沿うならば、シュルレアリズムが蒔いた芸術の新たなうねりは、確実にラテンアメリカ文学の将来に影響を及ぼすことになる。

そのうねりは、まずラテンアメリカからパリに遊学に来ていた三人の作家に影響を与えた。その三人とはグアテマラのミゲル・アンヘル・アストゥリアス、キューバのアレホ・カルペンティエール、ベネズエラのアルトゥーロ・ウスラル・ピエトリ。著者はこの三人の文学を比較し、その代表作とされる作品を分析する。この三人の代表作のうち、著者が最も高い評価を与えたのはアストゥリアスの「グアテマラ伝説集」。たしか岩波文庫にも収められていたはずだ。では残り二人についてはどうか。ところが著者の評価は冴えない。わたしはピエトリの名を本書で始めて知った。一方カルペンティエールは私の好きな作家の一人だ。さらに言えばここで著者が俎上に上げている「エクエ・ヤンバ・オウ」はかつて私も読んだ。確か関西大学出版部が出していたように思う。わたしの出身校ながら出版物を見かけた事が珍しかったので印象に残っている。だが肝心の内容については作者と同じくピン、と来なかった。著者も「エクエ・ヤンバ・オウ」をカルペンティエールの未熟な時期の作品と一蹴している。

こうなると著者が推す「グアテマラ伝説集」は是非とも読んでみなければなるまい。本書で知った「グアテマラ伝説集」の素晴らしさと先駆性は、わたしを新たな読書欲に駆り立てた。こうやってまだ見ぬ書を知る喜びといったら! 知ることはとても楽しい。学べる幸せは何事にも替え難い。

第二章 魔術的リアリズムの原型

第二章で著者は、ヨーロッパに芽生えた「魔術的リアリズム」がラテンアメリカで花開いたのがなぜか、という問いに答えを出す。それは「豊かな多様性に特徴づけられた統一体としてのラテンアメリカ、そのコスモポリタン性に求められるべき」(47P)であるという。

とはいえ、ラテンアメリカで「魔術的リアリズム」がすぐに花開いた訳ではない。そもそもシュルレアリズムからしてヨーロッパ本国では退潮に向かっていた。ファシズムの台頭とともに。ヨーロッパを引き揚げラテンアメリカに帰った三人の作家も、世界的な戦時色の中これといった作品を残せずにいた。第二次世界大戦とは世界中に戦争の惨禍をもたらしただけでなく、芸術的にも多大なダメージを与えたのだ。

しかし、大戦も終わり、発表の場が閉ざされていた作家たちは戦時中にため込んだ鬱屈を吐き出すように旺盛な創作に励み出す。その一人が第一章にも登場したカルペンティエールである。第二章で著者は主にカルペンティエール「この世の王国」を取り上げる。私もかつて読んだ際に強い印象を受けた。大戦中にカルペンティエールが訪れたハイチ。この地の豊かさに衝撃を受けたカルペンティエールは、重要な知見を手にする。それは「驚異の知覚は信奉を前提とする」事。この一文を著者は特筆する。これは「この世の王国」の序文に記されていたという。なお、だいぶ前に「この世の王国」読んだはずの私は当然のことながらこの一文を忘れていた。ここらへんが大学で文学を教える著者と素人の私の差なのだろう。

カルペンティエールはシュルレアリスムを「驚異的なものの存在を信じぬままに小手先だけで驚異を生み出そうとしていた」(54P)と批判する。その上で、「驚異の知覚と伝達には驚異自体を信じること、さらには基底となる世界観を共有することが不可欠だと論じている」(54P)と説く。カルペンティエールのこの見解は、批評家から批判されたらしい。それでもなお、著者が「この世の王国」をラテンアメリカ文学の重要なマイルストーンとしてあげたのは理由がある。それは著者によると、黒人の奴隷たちによって打ち立てられたハイチの王国を描写するにあたり、西洋人による西洋文化の視点からではなく黒人の奴隷からみた世界を描いているからだ。シュルレアリスムが所詮は西洋文化人の慰み物でしかなかったとすれば、第一章で触れた三人の作家が発表した作品も、西洋文化の視点から描かれたラテンアメリカに過ぎなかったという事だ。著者が指摘するのはこの点だ。「グアテマラ伝説集」の語りの主体は、マヤ・インディオだった。それは著者が「グアテマラ伝説集」を評価する理由の一つ。そして「この世の王国」もまたラテンアメリカからの語りで構成されている。「魔術的リアリズム」がラテンアメリカで発展するにはラテンアメリカ自身からの視点が欠かせない。その事は、著者にとって重要な点と位置付けられているようだ。その道標の一つとして「この世の王国」を外すわけにはいかなかったのだろう。

一方、返す刀で著者は「この世の王国」の限界も指摘している。限界とは、西洋的視点を交えずにラテンアメリカの物語を語ること。カルペンティエールは土着視点からの描写を目指しているが、作品の随所に西洋的比喩が出てくることだ。作中に西洋的比喩が現われる度、読者の知覚からはカルペンティエールの意図したラテンアメリカへの驚異が薄れてゆく。「驚異の知覚は信奉を前提とする」事を説いたはずのカルペンティエールが信奉を前提にできていない事実。ラテンアメリカの驚異を読者に披露する事を企図したはずのカルペンティエール自身が、驚異とは西洋から見た驚異に過ぎない根本の矛盾に気付かなかった時点で、その試みは頓挫するしかなかったのだ。著者の論理の進め方は実に鮮やかだ。

では、ラテンアメリカを語るには、土着の視点での語りを純粋に推し進めればよいのか。そうではないことを、著者はアストゥリアスの「とうもろこしの人間たち」を例に挙げて説く。アストゥリアスは第一章でカッコグアテマラ伝説集」の作者として登場した。「とうもろこしの人間たち」は、マヤ世界観へ極限まで寄り添った作品として描かれた。だがその結果、誰にも理解できない作品になってしまっているという。私はまだ読めていないが。つまりラテンアメリカの「魔術的リアリズム」も、西洋の教養人に読まれて初めて価値が見出される。土着民は小説などそもそも読まないのだから。でも土着民に寄り添いすぎると誰にも理解できなくなる。しかしながらラテンアメリカを西洋の視点から語ると破綻する。その地の文化に完全に密着した小説など、前提から無理だということ。それを悟ったカルペンティエールは「この世の王国」を最後に「魔術的リアリズム」から離れてしまう。

著者は袋小路に至ってしまった理由を、西洋とラテンアメリカを二極で捉えてしまったことに帰する。つまり西洋=先進、ラテンアメリカ=後進という二元化の考えだ。無意識のうちに西洋とラテンアメリカを単純に二分化してしまったことがカルペンティエールの失敗だと著者はいう。

第三章 魔術的リアリズムの隆盛

第三章では、二極化に替わる新たな軸を打ちだした作家の活躍が描かれる。彼らによって「魔術的リアリズム」はいよいよ世界的な隆盛を迎える。ここで紹介されるのは二極化の罠に落ち込まず、次なるレベルへと到達した作品だ。

第三章で取り上げられる作品は「転轍手」「ペドロ・パラモ」そして「百年の孤独」。まず著者は「転轍手」の分析において、前章までの諸作品に見られた西洋とラテンアメリカという対立軸が、正常と狂気という対立軸に置き換わったことを指摘する。つまりカルペンティエールをはじめとした旧来の作品がラテンアメリカを描こうとして失敗した原因が西洋とラテンアメリカの二極化にあったならば、これらの作品は正常から見た狂気を描く事で、ラテンアメリカ小説を対西洋という枠組みからは解き放ち、普遍的な文学として昇華させたのだ。

また「ペドロ・パラモ」では、小説の筋書きを推進する構造にも着目する。その構造とは円環構造にある。それは登場人物達のささやき。そのささやきがさらに次なる事態を引き起こし、作中の人物たちを廻り廻ることになる。著者は、円環構造の真の意義は作品の基調となる非日常的視点を内部に自己生産するところにある(92P)と喝破する。

「百年の孤独」では西洋とラテンアメリカに替わる新たな対立軸を作品内に打ちだすだけでなく、新たな構造も備えている。著者は「百年の孤独」をさらに精緻に分析し、その構造を明らかにする。「百年の孤独」は架空の街マコンドを舞台とした小説だ。多彩な登場人物。創始者、来訪者、町の後継者たちの言動が物語を動かしている。つまりは、語り手が単一ではないのだ。「百年の孤独」を一つの頂点として「魔術的リアリズム」は完成を見る。ではなぜ「百年の孤独」がここまで持てはやされたのだろうか。著者は超自然的出来事が「魔術的リアリズム」の要素の一つであることは承知の上で、ドイツの作家ギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」と「百年の孤独」を対比する。「ブリキの太鼓」も超自然的な出来事が頻出する傑作だが、主人公が一人というところに物語展開の限界がある。ところが「百年の孤独」はマコンドに縁のある大勢の関係者が起こす、または関係者に起こる事象を描いている。そのため、多様な視点から魔術的リアリズムが描けるのだ。著者はそれこそが「百年の孤独」の価値である事を説く。そして、その語り手が物語の枠外にいるのではなく、縁ある者を含んだマコンドの世界、それ自体から発信されていることが重要だ強調する。

「百年の孤独」における語りの重要性については私も理解できる。その語りは奇想天外であるばかりか、現実のコロンビアともかけ離れていない。そこに単なるファンタジーではない「魔術的リアリズム」としての「百年の孤独」があると著者はいう。私が今までに読んだ小説のうち、再読したものはあまり多くないが、「百年の孤独」はその一冊だ。なので著者が言及することも理解できる。

本書で著者は、「魔術的リアリズム」の定義を何度か試みる。第三章の締めに置かれる以下の文もその一つだ。

フィクション化によって日常的現実世界を通常と異なる形で提示して「異化」し、同時に、現実世界に起こる、フィクションと見まがうばかりの異常な事件を「平板化」して受容可能にする、一見矛盾するように見える二つのプロセスを同時に達成した時点で、アストゥリアス、カルペンティエール、ルルフォと継承されてきた「魔術的リアリズム」は完成した。「魔術的」=「驚異的」であることと、「リアリズム」=「日常性」が見事に融合した結果こそ、『百年の孤独』にほかならないのだ。(117P)

第四章 魔術的リアリズムの新展開

1967年は、ラテンアメリカ文学にとって一つの頂点となった年だ。「百年の孤独」が世界的ベストセラーとなり、アストゥリアスがノーベル文学賞受賞がした年。第四章で著者は1967年を起点とした「魔術的リアリズム」をあらためて捉え直す。

本書はここまでラテンアメリカ文学の歩みを紹介して来た。だが、第三章までに登場する作家たちに、アルゼンチンのボルヘス、ビオイ・カサーレス、コルタサルといった名前が出て来ない。彼らもまたラテンアメリカ文学を語る上で欠かせない作家のはず。中でもコルタサルは私の認識では「魔術的リアリズム」に属する作家だ。だが著者はこれらの作家を「ラプラタ幻想文学」の範疇に括る。ラプラタとはアルゼンチンを流れるラプラタ川の事に違いない。「ラプラタ幻想文学」とは、アルゼンチンに縁のある作家たちをまとめるための言葉だと理解した。ではなぜ作者は彼らを「魔術的リアリズム」の本流に置かないのだろうか。著者によると「ラプラタ幻想文学」に連なる作家たちの作風は「魔術的リアリズム」とは一線を画するという。その根拠を著者は、現実世界との関わり方に置く。

フィクションの構築によって現実世界への新たな視点を求めた魔術的リアリズムの作家と違って、彼らはフィクションによって現実世界そのものの存在意義を消滅させようとしていた(133P)。

というのが著者が示す理由だ。つまり、語り手の立ち位置がフィクションの外側と内側どちらにあるかの違いと受け取れば良いだろうか。「魔術的リアリズム」の諸作品は、内側世界の共同体の住人として物語を語る。ちょうど「百年の孤独」のマコンドの住人のように。一方「ラプラタ幻想文学」の語り手は読者の側の現実世界から作品を語るといえばよいだろうか。私も好きな短編にコルタサルの「南部高速道路」がある。著者もこの一編を「魔術的リアリズム」に近いと評価する。それでもコルタサルは現実世界に軸足を置き、その視点から異常な世界を書いている。その点が著者の考える「魔術的リアリズム」とは少し違うという事だろうか。

第五章 闘う魔術的リアリズム

著者が「魔術的リアリズム」の正当な後継者として認めるのは「夜のみだらな鳥」だ。私も「夜のみだらな鳥」は読んだ。そしてとても衝撃を受けた。「夜のみだらな鳥」の異常な語り手の本質は、外部からの冷静な語りを一切受け付けないところにある。狂気の世界の内部からの語りにしか、「夜のみだらな鳥」の世界観は作りだせない。

著者は相当数のページを「夜のみだらな鳥」に割いている。「百年の孤独」と同等かそれ以上かもしれない。それだけ衝撃的であり、評論家にとっても挑み甲斐のある対象なのだろう。私自身、「夜のみだらな鳥」を紹介しろといわれても、上に挙げたような文しか書けない。しかし「夜のみだらな鳥」がラテンアメリカの文学において最高峰に位置する作品だということは分かる。私が読んだラテンアメリカの小説などほんの一部にしか過ぎないが、「夜のみだらな鳥」が醸し出す異様な世界観は、世界の文学史においても指折りのはずだと思う。

「夜のみだらな鳥」には多くのページを割いた著者だが、「魔術的リアリズム」を語るにはまだ足りないらしい。著者は、独裁者のモチーフもラテンアメリカ文学の特徴に挙げる。われわれ日本人はラテンアメリカを政治的な紛争が絶えない地域とイメージする。そして名だたる独裁者を輩出した地域としても。ラテンアメリカ文学には独裁者を扱った小説が多々ある。著者はラテンアメリカ文学の三大独裁者小説として「族長の秋」「至高の我」「方法再説」を挙げる。後者二冊は私はまだ読んでいない。が、この他にもバルガス・リョサによる「チーボの狂宴」も読んでおり、独裁者がラテンアメリカ文学に頻出するイメージである事は私にも納得できる。

本章で著者は、独裁者小説についても詳しく分析し、その定義を以下のように示す。

独裁者小説とは何かということにおいて、「魔術的リアリズム」の手法を使いながらも、独裁制を人間的現象として理解する意図が前面に打ち出されている。(177P)

独裁者小説がラテンアメリカ文学の潮流として興った理由を語る上でラテンアメリカ諸国を襲った軍事政権の登場は欠かせない。軍事政権が各国で政権を獲った事は、諸作家の執筆環境にも大きな影響を与えた。文学者は否応なしに政治に密着することになった。

「百年の孤独」の成功の影にはメキシコ政府による文学者を優遇する政策があった。そのことは、メキシコ文化センターという施設が果たした役割として第三章の冒頭で紹介されている。国によって成熟したラテンアメリカ文学は、国による縛りが強まると牙をむく。ラテンアメリカ文学の隆盛によって地位を高めた作家達の反抗は、これらの独裁者小説といって現れたのだろう。特にラテンアメリカの独裁国家といえばキューバは外せない。キューバの作家レイナルド・アレナスについての言及が本章には登場する。アレナスは、ホモセクシュアルとして迫害されたという。そんなアレナスが書く独裁者は、かなり異形だという。この事もラテンアメリカ文学と地域の繋がりを示す点として見逃せない。私はまだアレナスは未読なので、一度読んでみなければと思っている。

第六章 文学の商業化と魔術的リアリズムの大衆化

最終章で著者は「魔術的リアリズム」が商業ベースに乗ってしまった現状に切り込む。もちろん批判的な筆致で。そもそも著者が第二章で指摘したように「魔術的リアリズム」の諸作品は、一部の文学的素養のあるインテリにのみ読まれていた。こういった読者に熱狂的に支持されたが、同じ人々がブームの沈静化に一役買った点も見逃せない。そこで出版社は一般的な読者に対して「魔術的リアリズム」の手法を流用した作品を出版したのだろう。ここに登場する諸作家は私も何冊か読んでいる。その中でもイザベル・アジェンデの「精霊たちの家」は本章でも大きく取り上げられている。著者は「百年の孤独」と「精霊たちの家」を対比し、ラテンアメリカ文学ブーム後の作品の特徴を見極めようとする。著者が違いに挙げるのは、例えば「精霊たちの家」が運命に結実する物語であり、すでに完結してしまった世界であることや、勝ち組の価値観が全編に横溢したステレオタイプな語りの多いこと、である。

それら80年代以降に生まれた「魔術的リアリズム」作品には、一部読者にしか訴えない作品ではなく、コマーシャリズムに乗っていると著者はいう。そして、その事によって一般の読者を獲得した。著者はこれら作家の本質はエンターテインメント性にあり、そちらの土俵で評価されるべきという。

結びで著者は本書で示してきた概観を繰り返す。そして「非日常的視点を基盤に一つの共同体を作り上げ、そこから現実世界を新たな目で捉え直す」(220P)と「魔術的リアリズム」の定義を総括する。残念ながら、本書には他国への「魔術的リアリズム」の影響や、「魔術的リアリズム」の今後の進み方については触れた箇所はない。そこまで筆を進めるところまでは行かなかったようだ。

でも、本書によって今までのラテンアメリカ文学、中でも「魔術的リアリズム」の歩みや特徴が明らかにされた事には変わりがない。また、本書によって私が読んでいないラテンアメリカ文学をたくさん知った。そして「魔術的リアリズム」とは何ぞや、という私がそもそも本書を読むに至った動機も満たせた。本書で著者が語る分析や切り込み方はとても参考になった。よくよく考えてみると、当ブログを書き始めてから、文学論を読むのは初めてのような気がする。今まで文学論など学んだ事のない私。そんな私が全くの独学で書いてい当ブログだが、本書によって新たな視点を身につけられた事も大きい。

できれば本書は購入して座右の書にしたいぐらいだ。そして本書で紹介された諸作品は、既読のものも含めて再読したいと思う。

‘2016/06/04-2016/06/07


チェ・ゲバラ伝 増補版


彼ほどに、その肖像が世界に知られている人物はいるだろうか。本書で取り上げられているチェ・ゲバラである。彼の肖像はアイコンとなって世界中に流布されている。そして、遠く離れた日本の私の机の脇でも眼光鋭くにらみを利かせている。その油彩の肖像画は、数年前にキューバ旅行のお土産として頂いたものだ。

だが、チェ・ゲバラが日本に来たのは、肖像画としてだけではない。私の部屋で飾られる遥か前にチェ・ゲバラは来日していた。私は恥ずかしながらそのことを本書で知ることとなった。いや、正確にいえば微かには知っていた。しかし、後の首相である池田通産相と正式なキューバの使節として会談したことや、広島の原爆慰霊碑へ献花を行ったことなどは本書で知ったことだ。

机の脇に肖像画を飾っていながら、チェ・ゲバラとは私にとって歴史上の人物でしかなかった。しかし、本書を通じ、初めてチェ・ゲバラが残した足跡の鮮やかさを知ることができた。そしてなぜ彼の肖像がこの地上の至る所でアイコン化されるに至ったのかが理解できたように思う。私にとってチェ・ゲバラの認識がアイコン化された伝説の人物から、血の通った人間へと改まったのは、本書による。

本書が素晴らしいのは、相当早い時期に書かれ始めたということだ。チェ・ゲバラがボリビアのジャングルで刀折れ矢尽きて土と化したのは1967年の10月のこと。本書の母体となる「チェ・ゲバラ日本を行く」が雑誌に発表されたのは、1969年のことという。世界はおろか、キューバでさえも、チェ・ゲバラが死んだ事実をうまく消化できていない時期。そのような早い時期から、著者は精力的に生前のチェを知る関係者に取材している。つまり本書が軽々しくブームを後追いしたものではない、ということだ。

著者の足跡は、チェの生国アルゼンチン、生まれながらのキューバ市民の称号を得たキューバ、キューバに続いての革命の夢潰えたボリビアにまで至る。取材対象も、チェ・ゲバラの両親や、奥さん、幼少期の友人、戦友など多岐にわたっている。また、著者は本書を書くにあたり、取材だけでなく他にもチェの書いた日記や自伝、演説のたぐいまで読み込んだと思われる。

その労あってか、本書の内容は実に濃厚。チェ・ゲバラという稀有な人物の幼少期から死ぬまでの生涯が描かれている。ただ、本書で描かれたチェに批判的な記述がほとんど見当たらないことは言っておかねばならない。その筆致はチェ礼賛の域に近付いていると言っても過言ではない。おそらく著者は、チェ・ゲバラの取材を進める中でチェの思想や人格に心底心酔したのではないだろうか。しかし、本書で著者が描き出すチェに虚飾の影や空々しい賛辞は感じられない。左翼の文献に出てきがちな「細胞」とか「オルグ」とか「ブルジョア」といった上っ面の記号的な語句も登場しない。ただ、「革命」や「帝国主義」という語句は散見される。それらから分かるのは、チェの生涯がマルクス主義の理念よりも愚直な実践を軸に彩られていたことだろう。チェが単なる頭でっかちのマルクス理論家であれば、歴史的にマルクス経済学が否定された今、世界中でアイコン化されているはずがないからだ。地に足の付いた実践家だったからこそ、彼は伝説化されたのだ。

そもそも、著者がいかにチェを礼賛しようにも、史実がそれを許さない。というのもチェの後半生は、挫折また挫折の日々であったからだ。

そもそもキューバ革命自体が、アメリカ資本による搾取からの解放を旗印にしていた。当然、革命の結果としてアメリカとの外交関係は当然悪化する。となるとキューバの外交関係の活路をアメリカと対立関係にある国に求めなければならない。

本書を読む限り、カストロ・ゲバラの二人は元々マルクス主義者ではなかったのではないか。彼らの目的は、時のキューバを牛耳っていたアメリカ資本の走狗であるバチスタ政権打倒でしかなかったように思える。しかし、幸か不幸か革命が成ってしまったがために、革命家は統治者へと変わることを余儀なくされる。そこにチェの悲劇の一つ目はあった。チェはその統治責任を引き受け、誠心誠意粉骨砕身働く。しかし、アメリカと対立した以上、アメリカの息が掛かった国には行きづらい。つまりアメリカに対立する国、即ち社会主義国に近付かざるを得なくなった。反階級主義を理想に掲げたにも関わらず、階級闘争を運動のエネルギーとするマルクス主義の仮面を被らなければならない。そこにチェの悲劇の二つ目はあったのではないか。しかも、労働の過程ではなく結果の平等を問うマルクス経済学は、ラテンアメリカの人々の気質に合わなかった。そう思う。本書には、チェの並外れた克己心や自制心が何度か紹介される。チェが自らに課した努力は、当時のラテンアメリカの人々には到底真似の出来ないものだった。それがチェの悲劇の三つ目だったと思う。キューバの頭脳と称されるまでになった数年にわたるチェの努力も空しく、チェは手紙を残してキューバを、そしてカストロの元を去る。三つの悲劇はとうとう克服できないままに。

その手紙の全文は、もちろん本書でも紹介されている。カストロに宛てた感動的な内容だ。しかし、その内容が感動的であればあるほど、その行間に強靭な自制力によって隠されたチェの失望を見るのは私だけだろうか。本書で著者は、チェがキューバを去った理由を不明としながらも答えは手紙の中にあるのではないか、と書く。革命を求め続け、キューバ革命の元勲としての地位に甘んじないチェの高潔さこそが理由である、と。しかし、チェがキューバを去ったのはやはり挫折であったというしかないだろう。キューバ使節として世界中を飛び回るも、その訪問先のほとんどは社会主義国である。むしろ日本だけが例外といえる。カストロが親日家という背景もあったようだが、チェもわざわざ広島に訪れて原爆慰霊碑に献花し、平和資料館では日本人に向けアメリカへの怒りを抱かないのか、という痛烈な言葉を残したという。その言葉の底にはアメリカ一辺倒の世界への怒りが滲む。

キューバを去ったチェは、コンゴで革命を成就すべく奔走する。しかし、よそ者のキューバ人たちにコンゴでの活躍の場はなかった。そもそも、キューバでも成功することがなかった革命後の統治をどうするかという課題。革命は成り、帝国主義を追い払った。では、何をして民を養うか。この答えには、結局チェをもってしてもたどり着けなかったと思われる。

マルクス経済が歴史上衰退したのは、人間の克己心や欲望に対する自制心を過大に見積ったからだと思う。それが、統制経済の下の停滞を産み出し、人々からマルクス主義を捨てさせるに至った。それはまた、人一倍自己を律することが出来たチェが、同じくキューバ、コンゴ、ボリビアの人々に自らと同じレベルを求めた過ちとおなじであった。

だが、皮肉なことに人一倍自己を律することが出来たチェは、そのストイックさと純真さ故にアイコン化された。

一体いつチェの抱いた理想は実現されるのか。おそらくは世の中に彼の求めた理想が実現されない間はチェ・ゲバラのアイコンはアイコンであり続けるのだろう。そして、それとともに本書もロングセラーとしてあり続けるに違いない。

‘2015/11/09-2015/11/18


ブエノスアイレス食堂


ラテンアメリカ文学といえば、マジックリアリズムとして知られる。写実的な描写の中、現実ではありえない出来事が繰り広げられ、読者は著者の術中に喜んではめられる。

本書もまた、マジックリアリズムの黄金の系譜に連なろうと目論む一冊といえる。というのも、本書の内容は明らかにその路線を狙っているからである。マジックリアリズムの骨格に、料理という万人の好むスパイスと猟奇食という奇人の好む劇薬をまぶし、それをブエノスアイレス食堂というレストランの盛衰記で彩ったのが本書といえる。

本書は赤ん坊であるセサル・ロンブローソが母を食するという衝撃から幕を開ける。衝撃の舞台となったのはブエノスアイレス食堂。なぜ食堂を名乗りながら母は餓死を余儀なくされたのか。なぜこの食堂が凄惨な場面の舞台とならねばならないのか。冒頭から読者を惹きつける本書は、そこから歴史を一気に遡る。そして、食堂の歴史とアルゼンチンの歴史を糾える縄のように描きながら、現代へと至る。

食堂を開いたカリオストロ兄弟が著した、南海の料理指南書。この料理本を軸に旨そうな料理の数々が本書では登場する。アルゼンチンへとイタリアからの移民が押し寄せ、華麗なるバンドネオンの音色がタンゴのリズムを奏でる中、第一次大戦にあってアルゼンチンは好況を享受する。そして好況とともに食堂は繁栄を極める。しかし、アルゼンチンの好況は長くは続かない。度重なるクーデターや内戦、第二次大戦後のナチス高官達の秘密裏の亡命やフアン・ペロン政権とエビータ体制の終焉など、アルゼンチンは世界の近代化に逆行して徐々に衰えてゆく。本書は、近代アルゼンチン史を一巻の絵巻物で傍観させられているかのようだ。しかし、本書はアルゼンチンの歴史書ではない。あくまでブエノスアイレス食堂の歴史書である。退廃を極めては、一転して閑散とする食堂の栄枯盛衰。それをアルゼンチンの歴史のうねりに絡めながら、そこに集う人々の営みとして描く。さながら、ブエノスアイレス食堂という共同体の視点から、アルゼンチンという国を描いているのが本書といってもよいだろう。

美食といえばフランスがまず頭に浮かぶ。しかし、フランス料理も元を辿ればイタリア料理を源としていることはよく知られている。同じように、南米のアルゼンチンにイタリア料理が花開く本書は、一つの文化が伝播していき、そこで消え細っていく様を描いているかのようだ。カリオストロ兄弟の料理指南書には確かに人肉食が究極の料理として描かれている。しかし自家中毒のように子を母が食べるという営みは、究極もよいところで、もはやその先の希望がない行為だ。

フランスでは文化として認められた料理が、アルゼンチンではなぜ人肉食という奇形に堕ちるのか。少なくとも人間の死肉を赤ん坊に食べさせるといった冒頭のシーンはアルゼンチンの歴史に対する重大な侮辱になっている気がしてならない。ナチス残党の逃げ込み場として知られるアルゼンチンを、著者は退廃した文化の吹き溜まりとして書こうとしたのだろうか。または、ゆっくりと熟し腐ってゆくアルゼンチン文化に対する強烈な風刺として本書は著されたのだろうか。であるならば、赤ん坊とネズミに食べられ骸骨となる母の姿は、アルゼンチンにとって痛烈な予言に他ならない。

私はアルゼンチン文化の愛好家とまではいかないが、常々好意的に見ている。キラ星のようなサッカーのスター選手達。ラテンアメリカ文学の数々の巨匠たち。タンゴの魅惑的で軽快なリズム。地球の裏側の国という一番日本からは地理的に遠い国だが、心理的な距離は逆に近しいものとして受け止めている。アルゼンチン文化にはまだまだ世界を驚嘆せしめるだけの成果を産み出して欲しいと思うのは私だけではないはず。かつて文化的に成熟した国の成れの果てが、飢え乾いた自家中毒の如き人肉食なのはあまりにもさびしい。

‘2015/7/3-2015/7/6