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日本ふーど記


著者はエッセイストとして著名だが、著作を読むのは本書が始めて。

最近はエッセイを読む機会に乏しい。
それは発表されるエッセイやそれを産み出すエッセイストの問題ではなく、ネット上に乱舞するブログやツイートのせいだろう。
エッセイもどきの文章がこれだけ多く発信されれば、いくら優れたエッセイであっても埋もれてしまう。
雑誌とウェブでは媒体が違うとはいえ、雑誌自体が読まれなくなっている今では、ますます紙媒体に発表されるエッセイの存在感は薄れる一方だ。

だが、紙媒体のエッセイとウェブの情報には違いがある。それは稿料の発生だ。
ウェブ媒体にも稿料は発生する場合はある。ただ、その対象はより専門分野に偏っている。
そうした中、著者の日々のよしなし事をつづるエッセイに稿料をはらう例は知らない。ましてや有料サイトでは皆無ではないだろうか。

もちろん、そこには文化の違いがある。ウェブ日常の情報収集の手段とする世代と、昔ながらの紙の媒体を信奉する世代の違いが。
ただ、エッセイとして稿料が支払われるには、それだけの面白さがあるはず。ましてや、本書のようにエッセイとして出版されるとなると、理由もあるはずだ。
もちろん、ブログがあふれる今と本書が発行された昭和の終わりではビジネス環境も違う。
だが、著者はエッセイストとして、エッセイで生計を立てている。そこに何かのヒントはないか、と思った。

本書を町田の高原書店の入り口の特価本コーナーで見つけた時、私は会津で農業体験をして間もない頃だった。日本の食にとても関心が高く、何かできないかと思っていた。
だからこそ、本書が私の目にひときわ大きく映った。

本書は著者が日本各地の食を巡った食べ歩記だ。だからうまそうな描写が満載だ。
だが、うまそうな描写が嫌みに感じない。それが本書の良いところだ。
本書を読んでいると、食い物に関するウンチクもチラホラ出て来る。ところが、それが知識のひけらかしにも、自由に旅ができる境遇の自慢にも聞こえないのがよい。
著者は美味を語り、ウンチクも語る。そして、それと同じぐらい失敗談も載せる。その失敗談についクスリとさせられる。結果として、著者にもエッセイにも良い読後感をもたらす。

実はエッセイもブログもツイートも、自分の失敗や弱みをほど良く混ぜるのがコツだ。これは簡単なようで案外難しい。
ツイートやウォールやブログなどを見ていると、だいたいいいねやコメントがつくのは、自分を高めず、他を上げるものが多い。
だが、往々にして成長するにつれ、失敗をしでかすこと自体が減ってくる。プライドが邪魔して自分の失敗をさらけ出したくない、という意識もあるだろう。そこにはむしろ、仕事で失敗できない、という身を守る意識が四六時中、働いているように思える。

だからこそ、中高年の書くものには、リア充の臭いが鼻に付くのだ。
私もイタイ中年の書き手の一人だと自覚しているし、若者とってみれば、私の書く内容は、オヤジのリア充自慢が鼻に付くだろうな、と自分でも思う。
私の場合、ツイートでもウォールでもブログでも、自分を飾るつもりや繕うつもりは全くない。にも関わらず、ある程度生きるコツをつかんでくると、失敗の頻度が自然と減ってくるのだ。
大人になるとはこういう事か、と最近とみに思う。

そこに来て著者のエッセイだ。
絶妙に失敗談を織り込んでいる。
そして著者は、各地の料理や人を決してくさす事がない。それでいて、不自然に自分をおとしめることもしない。
ここで語られる失敗談は旅人につきものの無知。つまり著者の旅は謙虚なのだ。謙虚であり博識。博識であっても全能でないために失敗する。

「薩摩鹿児島」では地元の女将のモチ肌に勘違いする。勘違いしながら、居酒屋では薩摩の偉人たちの名が付けられた料理を飲み食いする。
「群馬下仁田」では、コンニャクを食い過ぎた夜に異常な空腹に苦しむ。
「瀬戸内讃岐」では、うどんとたこ焼きまでは良かったが、広島のお好み焼き屋で間髪入れさせないおばさんに気押され、うどんと答えた著者の前に焼かれるお好み焼きとその中のうどんに閉口する。
「若狭近江」ではサバずしを食したまでは良かったが、フナずしのあまりの旨さになぜ二尾を買わなかったかを悔やむ。
「北海道」では各地の海や山の産物を語る合間に、寝坊して特急に乗り損ねたために悲惨な目にあった思い出を語る。
「土佐高知」では魚文化から皿鉢料理に話題を移し、器に乗せればなんでもいい自由な土佐の精神をたたえる。かと思えば、最後に訪れた喫茶店でコーヒーと番茶で胃をガボガボにする。
「岩手三陸」ではホヤから話を始めたはずが、わんこそばを食わらされてダウンする。
「木曾信濃」は佐久の鯉料理からはじまり、ソバ、そして馬肉料理と巡って、最後はハチの子料理を著者の望む以上に食わされる。
「秋田金沢日本海」ではキリタンポやショッツルが登場する。そして日本の、裏側の土地の文化を考えあぐねて胸焼けする。
「博多長崎」に来てようやく、失敗談は出てこない。だが、ヒリョーズや卓袱料理、ちゃんぽんを語った後に長崎人はエライ!と無邪気に持ち上げてみせる。
「松坂熊野」は海の幸に松坂牛が並ぶ前半と、高野山の宿坊で精進料理にひもじい思いをさせられる後半とのギャップがよい。
「エピローグ/東京」では、江戸前鮨の成り立ちと歴史を語り、ファストフードの元祖が寿司である以上、今のファストフードもどうなるかわからないと一席ぶっておきながら、おかんじょう、と小声で遠慮がちに言う著者が書かれる。

そうしたバランスが本書の心地よい点だ。
かつてのエッセイストとは、こうした嫌味にならず、読者の心の機微をよく心得ていたのだろう。
私もそれにならい、そうしたイベントをほどよく織り交ぜたい。私の場合、ビジネスモードを忘れさえすれば、普通に間の抜けた毎日を送れているようなので。

‘2018/10/31-2018/10/31


雀の手帖


著者の父君は明治の文豪、幸田露伴だ。尾崎紅葉と並び称され、当時の文壇を率いた活躍は紅露時代と名付けられ、日本文学史にしっかりと刻まれている。ところが私は幸田露伴の著作を読んだ事がない。何度か『五重塔』は読もうとした。だが、その度に文語調の文体に手を焼き、断念した。

そして本書だ。著者は文豪の娘であるが、その立場に安住しない。自らも作家として大家の中に伍している。父露伴を描いた諸作品を著し、エッセイの名手としても名を高めている。実は私は著者の文章を読むのは初めてだ。著者が書くエッセイの妙味を味わってみたくて本書を手に取った。

エッセイとは簡単なようで難しい。日記だけなら私もこの四、五年ほど、毎日Facebookにアップしている。ところがそれは日記でしかない。私は、たとえ”SNS”であろうとも、自分の書いた物にはエッセイのような一味を加えた味わいを出したい。そして自分がFacebookにアップする文章には過度なビジネス臭を漂わせたくない。そう思っている。普段、ビジネスに忙しくする中、自分の人生にどうやって変化をつけるか。しかも無味乾燥な事実の羅列ではなく、読むに耐える内容をつづれるか。これが難しい。日々の鍛錬を欠かすと、途端に文は乱れる。私が毎日Facebookに文章をアップする理由はこれだ。

さらなる文章の高みに至るにはどうすれば良いか。それは先人の著した文章を参考にすることだ。たとえば本書のような。私が本書を手に取ったのはエッセイの名手である著者の文体に触れるためでもあるし、エッセイを毎日記す営みの一端を知るためでもある。私はその本書によってその極意にほんのわずかだが触れる事ができたと思う。

その極意とは、読者の共通項に訴える事だ。読者といってもさまざまだ。住んでいる場所や性格、人生観が変わる違えば価値観も違う。ただ、読者に共通している事がひとつある。それは時間だ。季節の移りゆく時間。本書はここに焦点をあてている。それがいい。

本書の内容は昭和34年の元旦から100日間、西日本新聞の紙面に連載された文章が元になっているという。日々のよしなし事や作者の目に映る百日間の世間。著者はそれを毎日筆にしたため、本書として成果にした。発表した媒体こそ西日本新聞、つまり九州の読者に向けて書かれているが、著者が住んでいるのは東京。つまり、本書は西日本と東京に共通した歳時記として記されている。

季節の移ろいは、日本の東西南北の各地で多彩で豊かな顔を見せる。だが、極端な違いはない。さらに、季節が見せる変化は、少々の時代が違っても変わりないと言っても良い。例えば本書が書かれた六十年後の今も、本書で描かれた当時の歳時の描写は理解できる。そこに共通しているのは、日本の風土なのだから。日本の東西に共通する季節の様子をおろそかにせず描いたからこそ、本書はエッセイとして成り立ち、六十年後にも生き残っている。ただし、そのためには折々の文化、事物への豊富な知識が必要だ。私にはそれが足りない。普段の生活から季節感を感じ取るにはアンテナの感度も足りない。

また、知識として歳児を知るだけでは足りない。それだけでは弱いのだ。日々の季節の出来事だけなら、私が日々アップする日記にも時々登場させている。それ他に本書をエッセイとして完成させているのは味わいだ。著者の独特の視点が文中に出汁を効かせている。さらに、独特の文体が複雑で深みのある味わいを出している。

本書の解説で作家の出久根達郎氏が書いているが、著者の文体には魅力がある。私もそれに同意する。特に擬態語と擬音語の使いかたに特徴がある。私もさまざまな本を読むが、著者が繰り出す表現は、本書でしか見た事がない。この斬新な言い回しが本書の記述に新しい感覚を与えている。

ただ、正直に言うと、本書には退屈な所もある。それは仕方ない。なにしろエッセイだ。著者の身の回りにそうそう劇的な出来事ばかり起こるわけではない。身の回りのあれこれをしたためている以上、退屈な描写になってしまうこともある。そもそも昭和34の日本の暮らしは、現代から見ると刺激に富んでいるとはいい難い。そんな素朴な描写の中、随所に挟まれる新味の表現が本書のスパイスとなり、読者を引きつける。

日によっては変わり映えのない題材を取り上げているにもかかわらず、そうした日には身の回りの些事を描いているにもかかわらず、著者は百日間、エッセイを書き続ける。それが素晴らしい。

昭和34年の日本。それは今の世から見るとすでに歴史の一部分だ。先日退位された上皇夫妻の結婚式があり、日本経済は来たる東京オリンピックに向けて高度成長のただ中にあった。もはや戦後ではないといわれた日本の成長の中、かろうじて明治大正、戦前の素朴な日本が残っていた時期でもある。そのような時期に著者のエッセイは、父露伴から受け継がれた明治の日本をかろうじて書き残してくれている。実は退屈に思える日々の描写にこそ、本書の資料的な価値はあると思う。

また、著者は当時、徐々に社会に浸透し始めたテレビ文化の発信者でもあった。本書には、当時、テレビに出演する機会があったエピソードにも触れられている。当時にあっては著者の立場は先進的であり、本書が決して懐古的な内容でないことは言っておきたい。徐々に戦後の洋式化しつつある文化を受け入れつつあった日本の世相が存分に記されているのも本書の良さだ。

今の私が日々、SNSにアップする内容は、果たして後世の日本人が平成から令和に切り替わった今の日本を書き残しているだろうか。そうしたことを自問自答しつつ、私は日々のSNSへのアップを書きつづっていきたいと思う。

‘2018/07/20-2018/07/21


本当はすごい!東京の歴史


数多くの本を読んでいると、本の内容に感化されて旅に出ることも二度や三度ではない。本書を読んだ際もそう。本書を読んですぐ、私は鹿嶋神宮を訪れた。

結果としては、本書を読んだことでよい気づきが得られた。ところが当初、本書の内容には期待していなかった。本書を読んだ理由はただ単に長年住み、仕事の場としている東京のことをより知ろうと思っただけに過ぎない。それに加えて本書を読み始めたとたん、関東こそが日本の文化や歴史の起源であるという主張が飛び込んできたのでさらに鼻白んでしまった。本書を読み始めた頃、私は本書を眉に唾を付けて読んでいた事を告白する。

私は西日本の生まれだ。両親ともに福井をルーツとしている。福井の病院で産声をあげ、両親が家を構える甲子園に移ってからは、二十数年を過ごした。家のすぐ近くにはタイガースと高校野球の聖地である甲子園球場が控ええ、うどん、タイガース、関西弁、粉モンの文化にどっぷり浸かって育った。そうした文化を生み出した関西が日本文化の揺籃の地と信じて疑わなかった。飛鳥の都からから難波宮、平城京、恭仁京、長岡京、平安京、福原京。歴代の都はすべて関西にあり、そこで栄華を誇って来た。仁徳天皇陵や大阪城は今も雄大な姿を見せ、関西の文化的な豊饒さを象徴しているかのよう。

そうした土壌に育った上、歴史の授業でも日本史の舞台が関西であることを学ぶ。連綿と続いてきた日本の歴史の積み重ね。その地に住んでいると、文化や伝統を日常のものとして無意識に受け取って育つ。そうして、日本の文化や歴史の主流が関西にあるという観念が定着してゆく。

ところが本書は日本の歴史を東国から捉え直す。日本書記に書かれた神々の国産み神話を除けば、そもそも日本の歴史とは高天原から天孫降臨した神々の裔が高千穂から東へ征服に向かったことに端を発する。本書はその高天原こそが鹿嶋にあったという。実際に鹿嶋には今も高天原という地があるという。私も本書を読んですぐ、実際にその地を確認してきた。実際に高天原という地名をみて、思わず感動してしまった。

本書を読むまで、私は鹿嶋に高天原があることを知らなかった。ところが本書からその事実を教えられ、わが目でも目撃した。ということは、高天原が鹿嶋にあった、つまり日本のそもそもが東から興ったと説く本書の記述にも信ぴょう性が感じられる。あながちトンデモ説とはいえないのだ。

そうなると、弥生や縄文といった時代区分の由来が東京にあることも、本書の主張を補強しているように思える。巨大遺跡といえば仁徳天皇陵や羽曳野のあたり、奈良盆地のそれが頭に思い浮かぶ。だが、東京にも遺跡は多く点在している。さいたまの古墳群や大森貝塚に代表されるように。それはすなわち、当時の東国に人口が多かったことの証拠でもある。

人口が多かった事実は、文明の発展にも関係する。その時、富士山の存在が人々の信仰心を向かわせたことも否定する論拠は見当たらない。著者は富士山を天上、つまり高天原と見立てる。富士山が見える範囲で東の端に位置するのが鹿嶋神宮、西の端に位置するのが伊勢神宮という新鮮な論が展開されるが、それにも説得されそうになる。平安時代に編まれた延喜式神名帳では、神宮の名が付く神社は伊勢神宮、鹿嶋神宮、そして香取神宮の三つしかないとか。香取神宮も鹿嶋神宮に近い場所にある。その二つの神宮が鎮座する地こそ常陸の国。つまり常世の国だ。そしてそれらに共通するのは富士山が見える範囲にあるということ。

本書の中心的な論点は、富士山にある。富士山こそは宗教的なシンボルでもあり、古来から高天原に擬せられてきたのではないかと著者はいう。富士山こそは西日本にはない日本のシンボル。著者の論の芯を貫くこの事実は揺るぎない。

ところが、本書で著者が唱える説には2つ大きな難関がある。一つは、なぜ東征軍が出雲を攻め、大和に入るにあたり、鹿嶋から高千穂を経由する道筋をたどったのか、という疑問。もう一つはなぜ古代と中世までの東国は、本邦の歴史では脇役に過ぎなかったのかの理由だ。

最初の点について著者は、当時の出雲に大国主命系の勢力があり、その巨大な勢力を最初に征服するため、九州から上陸したのではないかと説く。そこで重要になるのが鹿嶋と鹿児島の地名の相似だ。鹿島立つという言葉があるように鹿島から出立した東征軍が、高千穂に向かう際にまず上陸したのが鹿児島ではないか。その二つの地名には共通する語源が隠れているのでは、という著者の論にも蒙を拓かれた思いだ。

ただ、もう一つの難関について、著者は説得力のある論点を提示していない。まさにそれこそが重要なのに。この点こそ、私が本書で一番残念に思った点だ。

だが、理由はなんとなく想像がつく。古来から富士山が何度も噴火してきたことは周知の事実だ。地震もそう。つまり、日本のシンボルであるはずの富士山はシンボルでありながら、東国にとっては天変地異の象徴だったのだ。降り積もる火山灰や地震による災害。東国は文化や歴史の伝統となるには、あまりにも天災に苦しめられすぎてきたのだ。それが、東国を文化や歴史の中心から遠ざけたのではないか。ところが本書では関東ローム層の由来には触れていながら、富士の噴火による天災の被害については全く触れていない。なぜ著者がその点に触れなかったのか理解に苦しむ。私のような素人でも簡単に思いつくのに。

関東が東征の出発地だったと言う論点は新鮮。とても勉強になる。なのになぜ富士山の噴火や関東で頻発した地震には触れなかったのか。その理由は全く分からない。本書と著者のためにも惜しいと思う。

本書は、以降の各章でも東国の歴史を描き出す。古墳の時代、中世、武士の活躍した平野の様子。家康によって開発された首都としての江戸と、世界一の規模を誇る都市に繁栄した江戸。幕末の動乱をへて、天子を擁して文字通り日本の首都となった東京から現代の東京の様子までを概観する。

著者は東国を持ち上げながら、今の世界的な大都市となった東京については非常に厳しい。都市計画の失敗や、西洋を真似たような街づくりの思想など、今の東京に対する不満をつらつらと列挙する。都市としての繁栄を極めたかに見える今の東京は、著者にとっては逆に不満の対象であるところが面白い。

つまり、著者にとっては西日本に対する東日本の優位を示すといった瑣末な事はどうでもよいのだ。本書は日本の文化や歴史の発端が東にあったことを主張することに本旨がある。従来の定説とは違い、世間にはまだまだ受け入れられていない著者の説。それを世に問わんとする著者の意志は分かる気がする。そして著者の意志を割り引いても、本書で書かれた内容からは著者が自らの論を主張するための牽強付会の匂いは漂ってこない。それは本書のためにも擁護しておきたい。

だからこそ、藤原氏の初代鎌足が鹿嶋の出身だったことや、平泉で武家の文化が栄えたこと、鎌倉に幕府が開かれたことなど、歴史の所々で東が西を凌駕した理由にも納得がいく。さらに、水戸光圀が大日本史の編纂事業をしじし、それが幕末には尊王攘夷の先鋒としての水戸藩の存在感の発揮につながったことなど、日本の歴史の要所に常陸が登場することに得心がいく。日本の伝統を復興しようするうねりが鹿嶋神宮の近隣から起こったことは、そうした伝統に立脚した故あることなのだろう。鹿嶋の土壌で育った尊王攘夷の思想を薩摩、つまり鹿児島が受けつぐ。そんな著者の指摘する因果すら、こじつけには思えなくなる。

このように、本書が示す気づきは実に豊かだ。私は本書によって鹿嶋神宮を訪れなければならないと思い、すぐに実行した。ただ、本書の内容が実りあればあるほど、東京には根本的な都市としての欠陥があるように思えてならない。その欠陥とは、天災に弱いという一点に尽きる。著者が意図したのかどうか分からないが、その事実が本書からは綺麗に抜けている。ある時期から江戸を中心とした東国は、日本の歴史の中で傍流に置かれる。その理由こそ、度重なる天災にあったことは間違いないはずなのに。

公平を期する上でも、そのことにはぜひとも触れて欲しかったと思う。なぜなら、今の繁栄を謳歌する東京は間もなく潰えようとしているからだ。東海地震、首都圏直下型地震、富士山噴火。リスクは山積みだ。世界の首都の中でも飛び抜けて天災に弱いとされる東京。その事実は、住民の一人として見据えておかねばならないはず。なぜ、東京はこれだけの平野を擁しながら、日本の歴史では長らく坂東の地として辺境扱いされていたのか。その理由を世に知らしめる絶好の本こそ本書なのに。

現代の東京が天災の危険の上に薄皮一枚で乗っている。その事実はいまさら変えようもない。とはいえ、本書が示すように鹿嶋神宮が歴史で演じた重要性はいささかも薄らぐことはないはず。むしろ、鹿嶋神宮はもっともっと世に広く知られなければならない。私はそう思う。実際、鹿嶋神宮や剣術の達人である塚原卜伝のお墓など、鹿嶋を訪れたことはとてもよい経験と知見になった。その際、香取神宮に行かれなかったことが心残り。なので、もう一度行きたいと思っている。本書を携えて。

‘2018/07/09-2018/07/13


限界集落株式会社


とてもわかりやすいタイトルだと思う。カバー絵も農池の周りに立って談笑する人たちのイラストだ。一目で話の内容と展開がわかるような構成になっている。

実際、本書の内容もその通りの話なのだ。だが、とても筆運びが滑らかで引き込まれる。なにせ、冒頭の一文からすでに、
「マクドもない、スタバもない、セブン-イレブンさえない。」
なのだから。関西人の私は”マクド”のキーワードに即座に心をつかまれた。そして、あっという間に読み終えた。とはいっても、本書は単純に読んで楽しんで終わりの本ではない。それではもったいない。本書には地方創生の課題とそれを解決するヒントがあちこちに埋めこまれているのだから。ニートやサブカルチャー、少子化や就農支援など、枚挙にいとまがないほどだ。

題名からもわかる通り、本書は消滅寸前の過疎地域、いわゆる限界集落の再生がテーマだ。東京でバリバリの銀行マンだった主人公多岐川優が、充電のため父祖の地を訪れるところから本書は始まる。田舎道に似合わないBMWを駆って来た彼は、田舎者の人懐っこさと、分けへだてなく触れ合ってくる環境に溶け込んで行く。そして土地の人々の無垢なこころに何かを感じ、過疎の村を再び蘇らせようと決心する。対立する勢力の懐疑の眼に戦いつつ奮闘する。本書はこれらの流れがとても滑らかに書かれており、無理なく物語に引き込まれてゆく。

著者の作品は初めて読んだが、相当慣れた書き手だと思った。小説のコツを会得しているといえばよいか。農業組合法人の設立や農法、銀行の審査シミュレーションなどの描写も、専門的な枝葉を描いてしまうことなく、人々の語らいや筋の進め方といった読者の読み心地を優先して筆を選んでいる。それらの会話の端々で、限界集落の置かれた状況、課題、諦めとそれに立ち向かう思い、などが周到に描かれる。

本書で描かれた内容は千葉の某所がモデルとなっているらしい。巻末の謝辞にも千葉の農事組合法人「和郷園」の木内氏へ取材協力への御礼が載っているくらいだ。そして本書には舞台となる地が都心部から中央高速で2時間と記述がある。ということは、山梨と長野と群馬の境目あたりか、房総半島の内陸部が舞台ではないだろうか。何となくの予想だけど。

本書が導く過疎化対策の要諦とは、大消費地である首都圏との結びつきに活路を見いだすものだ。おそらくそれが現実に即した現実解なのだろう。本書にも朝に採れた野菜を早朝の首都圏に向けて配送するシーンが出てくる。となると、大消費地が近くにない過疎地はどうなるのか、という疑問が湧く。今、過疎化に悩む地方とは、本書に登場するような場所ではなく、首都圏に遠い、朝一配送などとても不可能な場所のことではないか。

ベジタ坊というキャラクターをブランド野菜に貼り付け、「やさいのくず」と命名してアウトレット野菜を売る。それらのアイデアやブランディングについてはとても面白い。やりようによっては働き甲斐のある仕事だと思う。

だが、本書で提示される過疎化対策が、現実的であればあるだけ、過疎化対策のあるべき姿が見えなくなってくる。そんな気がした。もちろん、本書にその責を担わせるのはお門違い。本書はあくまでも面白く読ませる小説であり、読者は本書から過疎化対策の一端を感じればよいのだ。

本書の内容に関わらず、現実は厳しい。地方の過疎化がとどまる見込みはない。東京にはますます資源も人も金も集中している。田舎暮らしを指向する若者は地方に居場所を求めるが、本書に登場する彼らのような成功をおさめられるのはほんの一部だ。私自身、都会の暮らしに魅力を感じず、暇ができれば地方に目を向けてしまう。だが、それでいながら生活の場を東京に置かねばやっていけないというのも事実だ。地方で何不自由なく暮らそうと思えば、ネットからの収入手段を得なければ厳しい。例えばアフィリエイトのような。

地方では住人も働き手もいない。それなのに都会には生活に張り合いを感じられず、働き口さえ見つからずにあえぐ若者がいる。その不均衡はどう考えても現実の歪みそのものだ。それを是正するためには、本書に登場する多岐川のような一人の人間の能力に頼るしかないのだろうか。どこかに妙手が埋もれているような気がしてならないのだ。

私の知る人にも里山再生をしている方がいる。セカンドライフを農業にまい進する人もいる。田舎の閉鎖性と都会の閉塞性をつなぐだけの人材。そこをつなぐための仕事に長けた人はたくさんいるはずなのだ。

何か、私にできることはないだろうか。東京への依存度は異常だし、地震に対するリスクがあるというのに。本書の内容が読みやすければ読みやすいだけ、本書を容易に読んではならない、もっと深読みせねば、という焦りが生じる。引き続き、私自身も上に書いたようなつなぎ役として役立てることがないかを模索し続けたいと思う。

‘2017/06/18-2017/06/18


日本一の桜


30台後半になってから、今までさほど興味を持たなかったさくらを愛でるようになった自分がいる。日々の仕事に追われ、あっという間に過ぎて行く忙しい日々、季節を感じることで自分の歩みを確かめようとしているからだろうか。私がさくらに興味を持ったもう一つの理由は、もう一つの理由は、30台半ばにひょんなことで西宮の偉人である笹部新太郎氏のことを知ったことだ。西宮市民文化賞を受賞した氏が生涯をかけて収集したさくらに関する資料の一端を白鹿記念酒造博物館で知った。それをきっかけに水上勉氏が笹部氏をモデルに書いた『櫻守』も読んだ。その中でさくらに対する氏の情熱にあてられた。

ただ、私は混雑している場所を訪れるのが好きではない。普通の街中のさくらであれば、ふっと訪れられるから気が楽だ。だが、いわゆる名桜となると一本のさくらを目当てにたくさんの人々が集う。その混雑に巻き込まれることに気が重い。だから名桜の類を見に行ったことがない。本書の第1章では、人手の多いさくらまつりの上位10カ所が表に掲示される。その中で私が行ったことがあるのは千鳥ヶ淵公園のさくら祭りだけ。それも仕事のお昼休みの限られた時間に訪れたことがあるぐらいだ。今、上位10カ所の他に私が訪れたさくらの名所で思い出せるのは、東郷元帥記念公園(東京都千代田区)、夙川公園(兵庫県西宮市)、大阪造幣局(大阪府大阪市)、尾根緑道(東京都町田市)だろうか。

混雑が嫌いな私。とはいえ、一度は各地のさくらまつりや名桜を訪れたいと思っている。平成29年のさくらの季節を終え、あらためて本書を購入し、想像上のさくらを楽しんだ。

本書はカラー写真による名桜の紹介で始まる。有名なさくらの数々がカラーでみられるのは眼福だ。とくにさくらは満開の様子をカメラで一望に収めるのは難しい。写真で見たさくらと目で見るさくらでは印象が全く違う。だから、さくらの魅力をカメラに収めようとすれば、どうしても接写してそれぞれの花を撮るしかない。だが、できることなら木の全体を収めたいと思うのが人の情。もっとも難しい被写体とはさくらではないだろうか、と思ってしまう。本書の冒頭ではそんな見事なさくらがカラー写真で楽しめる。さくらへの感情は高まり、読者はその興奮のまま本編に入り込める。

第一章は「さくらまつり」
弘前のさくらといえば有名だ。日本にさくらの名所は数あれど、さくらを見に来る観客の数でいえば弘前城が日本一だという。ところが、弘前城のさくらが日本一を誇るまでには苦労があったという。そのことを紹介するのが一章だ。なお、著者は弘前の出身だという。だからというわけでもないが、弘前城が日本一のさくらの名所になるまでの事例を紹介する文章は熱い。そして専門的にならぬ程度で樹の手入れ方法をふくめたいくつものイラストが載せられている。

ここまで繊細で丁寧な作業の手間をかけないと、さくらは維持できないものなのだろう。ここまでの手間が掛けられているからこそ、日本一の座を揺るぎなくしているのだと思う。私も一度は行ってみなければ。

第二章は「さくらもり」
本章では、我が国がさくらを愛でてきた歴史をざっとたどる。そして近世では先に書いた笹部氏をはじめ、桜に人生を捧げた数名の業績が紹介される。十五代・佐野藤右衛門、小林義雄、佐藤良二の三氏だ。どの方の生涯も桜と切っても切れない業績に輝いている。

また、さくらの種類もこの章でさまざまに紹介されている。育成方法などの説明とともに、さくらの育成方法の独特さなども説明がありわかりやすい。特に染井吉野は今の現存樹で種子から育ったものは一本もなく、全てが接木などの方法で育った、いわばクローンであるという。それでいながら、自然の受粉で既存種と遺伝子が混じりつつある様子などがある紹介される。純潔なさくらを維持するのは難しいなのだ。

それを維持するため、著名な桜守だけではなく、市民団体や行政のさまざまな取り組みがここでは紹介される。こうした活動があってこその全国のさくら祭りなのだ。

第三章は「一本桜伝説」
ここでは全国のあちこちに生えている一本桜の名木が紹介される。北は岩手、南は鹿児島まで。私はここで挙げられているさくらを開花の季節に関係なく、一度も見た事がない。緑の季節に観に行ってもいいが、やはり一度は華やかな状態のうちにすぐそばに立ちたいものだ。こうして並べられてみると、さくらの生命力の強さにはおどろくしかない。筆頭に挙げられる山高神代桜に至っては、樹齢1800-2000年と言うから驚く。幾たびも再生し、傷だらけになりながら、毎年見事な咲きっぷりを見せているのだから。また、この木は地元の方が良かれと思って付けた石塀が樹勢を弱めたと言う。つまり、長年生き続ける樹とはこれほどにデリケートな存在なのだろう。天災や人災に巻き込まれず長寿を全うすることは。

歴史が好きな私にとっては、歴史の生き証人と言うだけで、これらの長寿のさくらには興味を惹かれる。また、本章には広島に残る被曝桜も興味深い。これもまた長寿の一種なのだ。未曽有の惨劇を前に、なおも生きつづけるその力。季節を問わず、訪れてみたいと思う。

第四章は「日本一の名所」
ここの章ではいろいろな切り口で日本一のさくらが紹介される。樹齢や人出の日本一はすでに紹介された。他は開催が日本で最も早い沖縄のさくらまつり。大村桜の名所である大村公園。そして、日本のさくらを語るのに欠かせない、京都の各地のさくらが語られる。さらには、笹部氏が残した亦楽山荘や旧笹部邸跡の岡本南公園も。さらに、大阪造幣局、奈良、吉野、東京のさくらが紹介される。豊田、高遠、さらに北海道。

ここに出ているさくらの名所だけではない。他にもまだ、さくらの名所は無数にある。本書は私にとって、まだ見ぬさくらの名所を訪れるための格好のガイドになりそうだ。そして、それ以上に本書に登場しないさくらの名所を訪れる楽しみをも与えてくれた。そのためにも、さくらの基本的な知識が満遍なく載っている本書は大事にしたい。

そう思って本書を持ち歩いていたら背表紙を中心に雨で汚してしまった。だが、ボロボロになっても本書は持っておきたい。私にとって訪れたい地。訪れるべき地は多い。そこに本書で知ったさくらの名所も加え、人生を楽しみたいと思う。しょせん、一度きりの人生。さくらと同じくはかないもの。だからこそ、自分の納得できるような形で花を咲かせたいし、散り様も潔くありたい。本書に登場するさくらの名所やさくらについての知識は、私の人生を彩ってくれるはず。私が死ぬとき、蔵書の中には汚れた本書が大切に残されているはずだ。

‘2017/06/10-2017/06/12


日本のいちばん長い日 決定版


本書を読むのは二度目だ。私が二十年以上前から付けている読書記録によれば、1997年の2月以来、十九年半をへての再読となる。

その間、私は太平洋戦争について書かれた本をたくさん読んできた。それらの本を読んできたにもかかわらず、本書は私の中で不動の位置を占めている。おそらく今後もそうあり続けるはずだ。それは、戦後七十年の節目に本作が再度映画化され、劇場で鑑賞したことで確固となった。(レビュー)

本書は決定版と銘打たれている。前回私が読んだのも決定版だ。私は初版を読んだことがないため、本書から受けた印象は全て決定版から得られた。その印象は十九年半前、初めて本書を読んだ私に鮮烈な影響を与えた。私の中に根付いていた日本陸軍への印象を一変させたのだ。それまでは当時の陸軍すなわち悪という一面だけの見方に縛られていた。ところが、本書によって陸軍にもさまざまな人物がいたことを知ったのだ。それは、陸軍を一括りに断罪することの愚かさを私に教えた。それまで持っていた教科書で習った知識では陸軍によって戦争は始められ、遂行され、終戦までも引き延ばされた、という記憶だけが残っていたのだ。もちろん、紙数の都合上、細かく説明はできなかったのだろう。だが、本書に書かれていた内容は、そんな浅い知識をひっくり返すだけの力があった。まさに私の知識は塗り替えられたのだ。特に阿南陸軍大臣への印象が変わったことは記憶に鮮やかだ。御前会議で戦争継続を一貫して訴えた阿南陸相の姿。その表面だけをみれば、軍人の硬直した思考と捨ててしまうものだ。ところが、本書を読んだ後はそんな通り一遍の批判は慎まねば、と思わせる迫真性がある。前回、読んだ際に感じた印象は今回も変わらなかった。新鮮さこそ薄れたとはいえ、今も変わることがない。

本書は著者にとっての出世作だ。文藝春秋社を定年退職してからの著者は、歴史探偵と名乗って活発な文筆活動を繰り広げている。昭和史だけでなく幕末史にも手を出すほどに。だが、本書は著者にとって出世作というよりも原点だと思う。もともと本書は五十年以上前、著者が三十代の頃に発表されている。それ以来、今もなお出版され続けている。昭和史にとって価値ある一冊との評価をおとしめられることなく。今回の二度目の映画化を劇場で見た後、あらためて本書を読んだ。やはり本書から教えられることは多い。そしてスクリーンの中で当時の様子が映像となって頭にしみ込んだことで、本書がより理解できた気がする。それは私が十九年半の間に積み重ねた経験や知識に相乗りして、本書を理解する上でよき助けとなってくれた。

十九年半の間、私にとって糧となったのは書物だけではない。たとえば、二年ほど前に訪れた鈴木貫太郎記念館での経験もそうだ。この時の訪問は、私の知見を深めてくれた。鈴木貫太郎記念館には白川一郎画伯による「最後の御前会議」の実物が展示されている。厳粛な御前会議の様子が書かれた原画。それを眼前でみたときの私の気持ちは、ただ感無量。その体験は私の中で貴重な思い出として残っている。この記念館には鈴木貫太郎氏の大礼服なども飾ってある。それらを見ると鈴木首相が大将として威厳のあった人物だったことが伺える。 人の訪れることも少ないであろう記念館は、確かに「日本の一番長い日」の余韻を伝えていた。

そういった背景を頭にたたき込んだ上で本書を再読する。すると、鈴木首相の腹のすわった政権運営ぶりに得心がいくのだ。鈴木首相は首相として失敗もした。如才なく立ち回れた政権運営だったとはいえない。それでも見事に終戦に持ち込んだ。在任中、鈴木首相はボケていたわけでも、逃げを打っていたわけでもないのだ。おそらくは軍の圧力をとぼけていなし、はぐらかして交わし続けていたはず。鈴木首相が傑物だったことを記念館の訪問と本書、そして映画によって再確認できたと思う。

阿南陸相もまた同じだ。本書で再現された阿南陸相の言動から読み取れること。それは、阿南陸相が陸軍内の暴発を抑えるためにぎりぎりで綱渡りをしていたことだ。刃の上を裸足で歩くがごとし。足を踏み外せば足だけでなく日本が破滅する。そんな阿南陸相の抱いていたであろう緊迫感が読者の胸に迫ってくる。

一方で神州不滅を信じていた若手将校の焦りもリアルに描かれている。彼らを衝き動かして極限の焦りや危機感。それらに打ち克つには玉音放送を防ぐ以外ない。そのためには玉音盤を奪取するほかすべきことはない。そんな若さゆえの純な気持ち。そこを現代の価値観で測ろうとすれば彼らは理解できない。そして彼らの焦りや危機感は、今のわれわれには決して理解できないのだろう。

この暴走に直面した陸軍の将官がクーデターに同調せず統制を保ったこと。この冷静な態度が宮城事件を不発に終わらせたことも見逃せない。宮城事件が成功していれば、私がこの文書を書くことはおそらくなかっただろう。そもそも日本という国もなかった可能性だってあるのだ。当時の挙国一致の風潮を非難することは簡単だ。国民の多くが軍国主義にあてられ、載せられたことは事実だろう。だが、クーデターに同調しなかった将官たちは、熱に浮かされた若手将校に引きずられなかったのだ。陸軍の将官が若手将校に同調せず、個人としてきちんと対応したこと。それが、暴走する将校たちの企図を頓挫させ、日本を破滅から救ったことは忘れてはならない。

また、本書は私に一つの思い付きを与えてくれた。それは、日本が島国であることだ。それは日本人に島国の心を養った。大陸の端。周りは海に囲まれ逃げ場がない。その地理的条件は日本に守る強さを備わらせたのだ。

今までの我が国の歴史を振り替えると、大陸に攻め込んだ際はことごとく敗れている。白村江の戦い、文禄・慶長の役、シベリア出兵。そして太平洋戦争。日清戦争も勝ったとはいえ、戦局を決定づけたのは海戦だ。日露戦争では多大な犠牲を出してようやく旅順攻略戦に勝利した。が、ロシアに講和を決意させるほどの決定的な勝利は日本海海戦によることに異論はないはず。日清戦争の後は大陸に足掛かりを作ろうとして三国からの干渉で遼東半島の返還を余儀なくされた。日露戦争後は満州で利権を確保し、朝鮮半島への支配権を強化できたが、その支配も太平洋戦争の敗戦で水の泡と消えた。要するに我が国は攻めは不得手であり、本来やるべきではないのだ。

一方で守りに入ると、案外日本は強い。元の侵略を神風で退けたのはよく知られている。薩摩藩や長州藩は、イギリスに完膚なきまでにやっつけられたが占領の憂き目を見ず、逆にそれをばねに倒幕を果たした。幕末には開国を余儀なくされたが、不平等条約を撤廃させ、返す刀で近代化を達成してしまう。徹底的にやられたはずの太平洋戦争も、あまりにも見事な負けっぷりを見せる。それがGHQの占領後に経済大国として世界を驚かせる原動力になった。それでいながらアメリカに国防を任せるというしたたかさを身につけるのだ。要するに我が国は守りに入ってこそ真価を発揮する、とても打たれ強い国なのだ。

それは第二次大戦でのナチス・ドイツの敗北と日本の敗北を比べてみればわかる。ナチス・ドイツが破滅する直前、指揮系統は乱れに乱れた。ヒトラーはじめ著名なナチスの指導者たちは自殺し、さらに膨大な数のナチス戦犯達に逃亡を許してしまった。しかし我が国は違う。一度敗北を受け入れたら、実に従容たる態度を示した。あれだけ完膚なきまでの敗北を喫しながら、昭和天皇の戦争責任は結局不問となった。

日本がこれだけ徹底的に敗北しながら、国としての組織が瓦解しなかった事。その理由とは何だろう。それは、本書で書かれた宮城事件に際しての陸軍指揮官の対応が表わしているのではないだろうか。国の存亡がかかった瀬戸際にあってもなお、統率を旨とする精神。天皇の臣下として統率を聖なるものとして奉じ、若手将校の跳ね返りを抑え込む国民性といえばよいか。現代に生きるわれわれは、当時の重臣たちの終戦の決断までがあまりにも鈍いことにじれったさを感じる。だが、あれだけ国土が蹂躙されてからの降伏だったからこそ軍は暴発せずに軍備を解いたのではないか。そしてかなりの戦力を保持していたにもかかわらず、大本営からの降伏を受け入れた関東軍の態度にも、天皇の威厳がついに保たれ続けた我が国の美徳を見ることができる。仮に若手将校のクーデターが成功していたらどうなっただろう。おそらく日本は戦争を継続していたことだろう。そして天皇制をも危機にさらしていたはずだ。私が習う言葉もアルファベットだけになっていたこともありうる。本書に描かれた若手将校たちの言動を読んでいると、彼らの行動が真剣であること、まかり間違っていればクーデターが成っていた可能性が高いことがわかる。だからこそクーデターを冷静に止めた陸軍の将官たちは賞されるべきなのだ。彼らの冷静な判断があったからこそ、若手将校による暴発は最小限で収まり、日本は国の体裁を保ったまま終戦を迎えられた。こう言っても言い過ぎではないと思うのだが。

本書で逐一書かれた出来事。それは確かに『日本の一番長い日』と呼ぶにふさわしい。だが、それ以上に、「日本の一番堅い日」だったのではないだろうか。日本の底知れぬ堅さを示した日々、という意味で。

ここ数年、日本の国防に不安の声が上がっている。北朝鮮の暴発や中国の膨張、日本の経済不況など不安要素は多い。だが、この期に及んでもまだ我が国の守りに強い本領は発揮されていないように思える。そして前回、我が国の専守の強さが発揮された時こそが、本書に描かれた一日だったのではないか。空襲や原爆など国土が荒廃し、天皇制も未曽有の危機に立たされた終戦時。本当の危機に瀕した時、日本人に何ができたのか。それを確かめるためにも本書は読まれるべきなのだ。そして日本の底力を知るためにものちの世に長く伝えられるべき一冊なのだ。

‘2016/12/29-2016/12/30


帝国ホテルの不思議


2016年。帝国ホテルとのささやかな御縁があった一年だ。

それまで、私と帝国ホテルとの関わりは極めて薄かった。せいぜいが宝塚スターを出待ちする妻を待つ間、エントランスで寒気をよけさせてもらう程度。目の前はしょっちゅう通るが入る用事もきっかけもない。帝国ホテルとの距離は近くて遠いままだった。

ところが2016年は、年間を通して三回も利用させてもらった。

一回は妻とサクラカフェで食事をし、地下のショッピングモールを歩き回り、ゴディバでチョコを買い、その他地下に軒を連ねる店々をひやかした。あと二回は私個人がランデブー・ラウンジ・バーで商談に臨んだ時。

それは、背筋がピンと伸びる経験。何かしら、帝国ホテルの空間には人の襟を正させる雰囲気がある。それは、私のような不馴れな人間が心を緊張させて勝手にそう思うだけなのか、それとも帝国ホテルの内装や調度品が醸し出す存在感によるものなのか、またはホテルスタッフの立ち居振舞いが張りつめているからなのか。私にはわからなかった。

しかし、帝国ホテルのエントランスに人が多く集まっていることも事実。それは、帝国ホテルが人を引き付ける磁場を持っている証拠だろう。私が利用したように商談の場として活用する方も多いはずだ。今まで商談でホテルを利用することがあまりなかった私にとってみれば、ホテルを商談で利用すること自体が新たな発見だった。私は今まで、さまざまなホテルを訪れた経験がある。バックヤードも含めて。だが、その経験に照らしても、帝国ホテルの空間はどこか私をたじろがせる気圧をもっている。それが何から生じているのか、私は常々興味を持っていた。

先ほど、ホテルはバックヤードも含めて経験していると書いた。それは、かつての私が某ホテルの配膳人として働いていたことによる。今から20年ほど前の話だ。その時に担当していたのは宴会やレストランだった。表向きの優雅さとはうらはらに、準備が重なったり、午前と午後に同じ宴会場で別々の宴会があるときなど、怒鳴り声の飛び交う鉄火場に一変する。それが宴会場だ。

それは披露宴の参列者や宿泊客として訪れているだけでは決して目にすることのない光景だ。宴会中もそう。ホールスタッフは、表向きは優雅で緩やかなテンポで漂うようにお客様にサービスしつつ、バックルームでは一転、忙しないリズムでテキパキと動く。サービス中も優雅に振る舞いながら、脳内では16ビートのリズムを刻みつつ、次のタスクに備える。いうならば、両足でドライブ感にみちたリズムを繰り出しつつ、上半身ではバイオリンの弦をゆったり響かせる。ホテルマンにはそんな芸当が求められる。なお、私が配膳人としては落第だったことは自分でよくわかっている。そして、ホテルマンですらない。そもそも私が知るホテルの裏側とはしょせん宴会場やレストランぐらいに過ぎないのだから。私の知らないホテルの機能はまだまだ多い。宴会やレストランだけを指してホテルの仕事と呼べないのは当たり前だ。

本書では、あらゆる帝国ホテルの職が紹介される。宴会やレストラン以外に。それらの職すべてが協力して、帝国ホテルの日々の業務は動いていく。格式のある帝国ホテルが一般のホテルとどうちがうのか。その興味から本書を手に取った。

総支配人から、クローク、客室キーパー、応接、レストラン、宴会、バーテンダー、コールセンター、設備。著者はそれらの人々にインタビューし、仕事の動きを表と裏の両側について読者に紹介する。表側の作業はプロのホテルマンがお客様へのサービスで魅せるきらめく姿だ。プロとしての誇りと喜びの源にもなる。だが、普段はお客様に見せない、裏側の仕事の微妙な難しさも紹介しているのが本書の良い点だ。著者がインタビューしたどの方も、二つのテンポを脳内で折り合わせながら日々のホテル業務を務めている。そのことがよく理解できる。

私にとっては自分が経験した宴会マネジャーの方の話が最も実感できたし、理解もできた。けれども本書で紹介される他の仕事もとても興味深かった。自分が知らないホテルの仕事の奥深さ、そして帝国ホテルの凛とした雰囲気の秘密が少しわかったような気がした。ホテルとしての品格は、本書に登場するホテルマンたちの日々の努力が作り出しているのだ。その姿は人と関わる職業として必須のプロの意識の表れにほかならない。

上に書いたように、私にはホテルマンのような仕事は苦手のようだ。動的に、そして柔軟に機転を効かすような仕事が。私は自分の素質がホテルマンに向いていないことを、先にも書いた二年間の配膳人としての経験で学んだ。なので、本書に登場する人々の仕事ぶりを尊重もし尊敬もするが、バーテンダーの方を除いては、私はなりたいとは思わなかった。そもそも私には無理だから。

だが、本書に登場した人物の中でうらやましいと思い、成り代わりたいと思った人物がバーテンダーの方以外に一人いた。それは一番最後に登場する設備担当の役員である椎名氏だ。椎名氏はもともと天才肌のメカニック少年だったそうだが、ひょんなことで帝国ホテルに入社し、社内のあらゆる設備やシステムを構築する役目をもっぱらにしているという。その仕事は、趣味の延長のよう。趣味を仕事にできて幸せな好例にも思える。読んでいてとてもうらやましいと思った。組織を好まず一匹狼的なわたしだが、椎名氏のような仕事がやらせてもらえるなら、組織の下で仕事することも悪くない、と思った。もちろんそれは、能力があっての話だが。

、バーテンダーについては、本書を読んで5カ月ほど後、妻とオールド・インペリアルバーにデビューし、カウンターにこそ座れなかったが、訪れることができた。次回はカウンターでじっくりとその妙技を拝見したいと思う。

‘2016/11/25-2016/11/26


東京自叙伝


現代の数多いる作家たちの中でも、著者の書くホラ話は一級品だと思っている。本書もまた、壮大愉快なホラ話が炸裂し、ホラ話として読む分には楽しく読み終えることができた。

そもそも小説自体がホラ話であることはもちろんだ。中でもSFはジャンル自身が「ホラ」を名乗っているだけに、全編が作家の妄想空想ホラ話だ。

しかし、それら他ジャンルの作家達を差し置いても、私は純文学出身の著者をホラ話の第一人者に挙げたいと思う。何故か。

ミステリーやSFなどのホラ話を楽しむためには読者に感情移入が求められる。ミステリーであれば、序盤に提示された謎。この謎に対し、6W5Hの疑問を登場人物と一緒に悩む。そして解決される過程の驚きやカタルシスを楽しむ。ミステリーを読むに当たって読者に求められる作法だ。SFであれば、作中に書かれた世界観を理解し、その世界観の中で葛藤や冒険に挑む登場人物に共感する必要がある。そうしなければ、SF作品は味わいづらい。

しかし著者の作品は、感情移入する必要のないホラ話だ。壮大なホラであることを作家も読者も分かった上でのホラ話。設定も構成も現実に立脚しながら、それでいて話が徹底的なホラ話であるとの自覚のもと書かれているものが多いように思う。読者は内容に感情移入することなく、客観的な視点で著者の紡ぐホラ話を楽しむことができるのだ。少なくとも私は著者の作品と向き合う際、そのように読む傾向にある。「「吾輩は猫である」殺人事件」や「新・地底旅行」や「グランド・ミステリー」などの著者の作品を私は、作品それ自体を大きく包み込むようなホラを楽しみながら読み終えた記憶がある。

恐らくは著者自身、読者による感情移入や共感など度外視で書いているのではないか。読者の感情に訴えるというよりは、構成や筋、文体までも高度なホラ話として、その創造の結果を楽しんでもらうことを狙っているように思う。

それはおそらく、著者が芥川賞受賞作家として、純文学作家として、世に出たことと無関係ではないはずだ。

最近の著者は、ミステリーやSF、時代物、本書のような伝記文学など、広い範囲で書き分けている。それらの著作はそれぞれが傑作だ。そしてミステリーの分野に踏み込んだ作品は、週刊文春ミステリーベスト10やこのミステリーがすごい!といった年末恒例のミステリーランキングの上位に登場するほどだ。

そうしたジャンルの壁を易々と乗り越えるところに著者の凄みがある。それはもはや純文学作家の余技のレベルを超えている。他ジャンルへの色気といったレベルすらも。ましてや生活のために売れない純文学から他ジャンルへの進出でないことは言うまでもない。そういった生活感のにじみ出るようなレベルとは超越した高みにあるのが著者だ。作家としての卓越した技量を持て余すあまり、ホラ話を拡げ、想像力の限界に挑んでいるのではないかとすら思う。

本書はタイトルの通り、東京の近代史を語るものだ。幕末から東日本大震災までの東京の歴史。その語りは通り一遍の語りではない。複数の時代をまたがる複数の人物の視点を借りての語りだ。それら人物に東京の地霊が取り憑き、その視点から各時代の東京が書かれている。地霊が取り憑くのは有史以前の人であり、虫ケラであり、動物である。地霊は複数の物体に同時に遍く取り憑く。或いは単一の人物に取り憑く。本書の全体は、各章の人物間の連関が頻繁に現れる。過去の時代の人の縁を後の時代の人物の行動に絡めたり。そういった縁の持つ力を地霊の視点から解き明かしたのが本書である。

幕末から遷都を経て文明開化の明治まで、地霊が取り憑いたのは柿崎幸緒。この人物は幕府御家人の養子から剣術を極め、幕末の殺伐とした時期に辻斬りとして活動した後、幕府軍の一員として新政府軍と戦う。さらに新政府の官吏となって明治を過ごすが、地霊が離れるにつれ、消えるように一生を終える。

明治から関東大震災、復興の昭和初期、そして終戦間際まで地霊が取り付くのは榊晴彦。軍人として東京を見聞した榊の視点で物語は進む。東京にとっては激動の日々だが、軍人から見た帝都とは、いかなるものだったか。シニカルにコミカルにその様子が描かれる。神国不滅を叫ぶ軍人の視点と、その上にある地霊としての醒めた視点が重なり合うのが面白い。

昭和初期から空襲下の瓦礫と、高度成長期まで地霊が取り憑くのは曽根大吾。空襲下の帝都で九死に一生を得た彼は、愚連隊として終戦後の混乱を乗り越えていく。ここらあたりから東京が少し増長を始める。

戦前戦後の混乱から高度成長期を経てバブルに踊る中、弾けては萎む東京で地霊が取り憑くのは友成光宏。彼の時代は東京が空襲の廃墟を乗り越え、大きく変貌する時期。安保闘争やオリンピック、テレビ放送。それらに、地霊としての様々な縁が重なる。これらの縁の重なりは、東京をして首都として磐石のものにするに十分。地霊としての力は、強力な磁場を放って地方から人間を東京に吸い付ける。東京がますます増幅され、地霊にとっても持て余す存在となりつつある東京の姿がこの章では描かれる。

バブル後の失われた20年、根なし草のような東京に振り回されるのは、地霊が取り憑いた戸部みどり。バブルの狂騒に負けじと派手に駆け抜けた戸部の一生はバブルの申し子そのもの。ワンレン・ボディコン・マハラジャを体験し、バブルがはじけると一気に負け組へと陥る。そんな取り憑き先の人生の浮沈も、地霊にとっては何の痛痒を与えない。一人の女性の踊らされた一生に付き合う地霊は、すでに東京の行く末については達観している。

 即ち「なるようにしかならぬ」とは我が金科玉条、東京という都市の根本原理であり、ひいては東京を首都と仰ぐ日本の主導的原理である。東京の地霊たる私はズットこれを信奉して生きてきた。(348P)

地下鉄サリン事件のくだりでは、このような思いを吐露する。

 そもそも放っておいたっていずれ東京は壊滅するのだから、サリンなんか撒いたって仕様がない。(352P)

東京を語る地霊が最後に取り憑いたのは郷原聖士。無差別殺人を犯す人物である郷原は、無秩序な発展に汚染された東京の申し子とも言える存在だ。秋葉原無差別殺人も深川通り魔事件も池袋通り魔事件も、そして新宿駅西口バス放火事件も自分の仕業と地霊はのたまう。そして東京を遠く離れた大阪で起こった付属池田小学校の通り魔殺傷事件も同じくそうだという。東京を離れた事件までも自分の仕業という地霊は、それを東京が無秩序に拡大し、地方都市がことごとく東京郊外の町田のような都市になったためと解く。

 たとえば郷原聖士の私はしばらく町田に住んだが、地方都市と云う地方都市が町田みたいになったナと感想を抱くのは私ひとりではないはずだ。日本全土への万遍ない東京の拡散。(412P)

東京が東京の枠を超え、平均化されて日本を覆ったという説は、町田に住む私としてうなづけるところだ。ここに至り読者は、本書が単なる東京の歴史を描くだけの小説でないことに気づくはずだ。東京という街が日本に果たした負の役割を著者は容赦なく暴く。

郷原もまた東京西部を転々とし、家庭的に恵まれぬ半生を過ごしてきた。つまりは拡散し薄れた東京の申し子。その結果、原発労働者として働くことになり、福島原発で東日本大震災に遭遇する。彼はそこで東京の死のイメージを抱き、それが地霊が過去に見てきた東京を襲った災害の数々に増幅され発火する。

本章において、初めて著者が東京へ投影するイメージが読者に開陳されることとなる。それはもはや異形のモノが蠢く異形の都市でしかない。もはや行き着くところが定まっている東京であり、すでに壊滅しつつある東京。2020年のオリンピックで表面を塗り固め、取り繕った街。もはや地霊、すなわち著者にとっては東京は壊滅した街でしかない。

本書がホラ話であることをことさらに強調しようとする文がところどころに挟まれるのが、逆に本書の暗いトーンを浮き彫りにしているといえる。しかし本書は他の著者の著作とは違い、単なるホラ話として受け取ると痛い目に遇いそうだ。

本書は福島の原発事故を東京の将来に連想させるような調子で終わる。本書には書かれていないが、首都圏直下型地震や富士山噴火、あるいは地下鉄サリン事件以上のテロが東京を襲う可能性は著者の中では既定のものとして確立しているに違いない。ホラ話として一級品の本書ではあるが、単にホラ話では終わらない現実が東京を待ち受けている。ホラから出たまこと。ホラ話の達人として、著者はそれを逆手にとって、嗜虐や諷刺をたっぷり利かせながら、東京に警鐘を鳴らす。

‘2015/10/3-2015/10/8


地震に備える仕事と生活


熊本で大きな地震がありました。

奇しくも兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同じマグニチュードだったそうですね。
断層を震源とした都市直下型としても同じ構造のように思えます。

当時、兵庫県南部地震で被災した者としては、今回の地震には思うところが多々あります。

その思いは、どうしても目前に迫っているといわれる首都圏直下型地震にたどり着きます。2020年のオリンピックも近づいている東京ですが、耐震対策については依然として改善の兆しが見えません。

私はこの4月からワークスタイルを変えました。3月までは月~金は都心で客先に常駐するスタイル。4月からは週の半分を弊社事務所や町田近辺で仕事するスタイル。ワークスタイル切り替えの理由の一つは、地震に対するリスク回避です。

2011/3/11。東日本大震災が起きた日の私はたまたま家で仕事をしていました。当時、私は日本橋の某金融機関本店で勤務していました。しかし、この日は個人で請けていたお仕事を進めたくて、家で仕事をしていたのです。一方、妻は地震発生の瞬間、仕事で錦糸町にいました。結局妻が帰って来たのは翌朝のこと。小学校に通っていた娘たちを迎えに行ったのは私でした。

もしそのとき、私が普段どおり日本橋に向かっていたら、娘たちは父や母の迎えもないまま、心細い思いを抱えて学校で一夜を過ごすことになったことでしょう。

その経験は、私に都心常駐の仕事が抱えるリスクを否応なしに意識させました。個人事業主となってから5年。ゆくゆくは常駐に頼らぬ仕事を目指そうと漠然とは思っていました。でも、都心常駐から町田近辺での仕事へ、という切り替えを真剣に模索するようになったのは3.11の後です。そして昨年は1.17の阪神・淡路大震災が発生して20年の節目でした。自分の被災者としての思い出を振り返るにつれ、ワークスタイル切り替えの思いはさらに強まりました。

私が個人事業を法人化したのはその余韻もさめない4/1のことです。法人化にあたって、どこにビジネスの基盤を置けばよいか、かなり考えました。個人事業主であれば身軽です。仮に首都圏直下型地震が起き、都心で受託していた仕事が継続できなくなったとしても、別の場所で仕事を頂くことができたかもしれません。でも法人化を成した後ではそうも身軽ではいられません。いざ都心が地震で甚大な被害を蒙ったとして、ビジネスの重心が都心に偏っていると、経営基盤にも深刻なダメージが及ぶでしょう。弊社のような創立間もない零細会社としてはなおさらです。そのようなリスクを軽視することはできませんでした。

法人化当初から描いていたワークスタイルの変更は、1年を経てこの4月から一部ではありますが成し遂げることができました。しかしまだまだです。私の目標は日本全国にあります。人を雇って支店を置くのもよいですが、できれば私自身が日本を巡り、巡った各地域の人々と交流できるような仕事がしたいと思っています。いわば旅の趣味と仕事を両立できるようなワークスタイル。

実際、私が大阪で非常にお世話になり、東京でも度々お世話になった方は、堅実な士業に従事しながらも、全国から引き合いを受けては地方を度々訪れているそうです。この方のワークスタイルやライフスタイルは、昔から私の目標とするところです。

私がそういったワークスタイルを実現できたあかつきには、各地を訪れてみたいと思います。地震の被害から復興され、ますます名城としての風格を備えた熊本城を見つつ、地域振興の仕事をお手伝いできているかもしれません。東北の沿岸部では活発な市場の掛け声の中、IT化のお手伝いができるかもしれません。雪深い新潟の山里では、うまい日本酒を頂きながら地元の人々と日本酒文化を世界に発信するための戦略を肴に歓談しているかもしれません。実家に帰った際には、30年前の阪神・淡路大震災からの歴史をかみ締めながら、地元の友人たちと飲んでいるかもしれません。

でも、まずは足元です。足元を固めないと。そのためにはワークスタイルの変革をぜひとも成功させるために努力することが必要です。町田にビジネスの拠点を置いたとして、首都圏直下型地震のリスクは少しは軽減されますが、立川断層を震源とした地震が起きた場合は甚大な被害を受けるでしょう。富士山が仮に噴火した場合もそうです。火山灰による被害は都心よりもさらにひどいものになるでしょう。結局、問題とすべきでは場所ではなく、一箇所に長く留まるようなライフスタイルといえるのかもしれません。

また、どこにいても災害が起こりうるのであれば、いつも災害に関して備えておく必要があります。昨年の秋、東京都民には充実した防災手帳が配布されました。内容はすばらしいの一言です。これを再び読むことを怠ってはならないでしょうね。また、普段から「いつも」地震に備えるためには、以前にも読ん読ブログでも紹介しました以下の本が参考になります。
地震イツモノート―阪神・淡路大震災の被災者167人にきいたキモチの防災マニュアル

なお、こちらの内容はWebでも無料で公開されています。是非お読み頂くことをお勧めします。

最後になりますが、熊本で被災された方々に平穏の日々がなるべくはやく訪れますように。私個人の体験から、被災された方にとって外部でどういった報道がされようが、どういったブログが書かれようが、何のイベントが自粛されようが、全く関係ないことはよくわかっているつもりです。私が書いたこのブログにしても、ほとんどの被災者の方には届かないことでしょう。

でも、私自身にとって熊本の地震には何かのご縁を感じるのです。それは冒頭に挙げたような阪神・淡路大震災の類似もあるでしょう。さらには、ここ2週間私が開発で使っているCodeIgniterというフレームワークを介したご縁もあります。3.11が起きた日、私が自宅で作業していたのが、まさにCodeIgniterを使った開発でした。それ以来数年ぶりに使っていたら今回の地震に遭遇しました。

そんな訳で、熊本の地震には何かの縁を感じます。その縁を私がどういう行動で太くするか、それはこの後考えてみようと思います。まずは先に紹介した地震イツモノートを紹介して、これからの地震への備えについて注意喚起しようと思います。


「我が国を観光立国に」の成果を支持します。


1/30付の菅内閣官房長官のブログは、日本の観光立国化がテーマです。内容は、安部内閣における観光立国政策の成果を自賛するものです。

私もこの成果には全面的に賛同します。むしろ、安部内閣の一連の実績の中でも特筆すべき成果ではないかと思っています。

アベノミクスは頑張ってはいるものの、その評価はまだ定まっていません。その評価はおそらくは歴史に委ねられるでしょう。少なくとも今の我々には景気浮揚策の成果は実感として感じられません。改憲についても、道半ばです。私自身、ここここに書いたとおり、改憲派です。それでも今の安部内閣の動きには拙速との思いが拭えません。沖縄の基地問題にしても、同じです。国際政治のバランスからするとやむを得ない判断かもしれませんが、沖縄県民の一定割合の民意が蔑ろにされていることは否めません。

それに比べ、安部内閣が成し遂げた観光立国の成果については文句の付け入る隙がありません。積極的に評価すべきでしょう。

2010/7/26に民主党の前原氏の講演を拝聴したことがあります。当時の前原氏は民主党政権にあって国土交通大臣の重責を担っていました。講演の中で羽田や成田のハブ空港化について熱く語っていらしたことは覚えています。が、観光立国に向けては具体的な案はありませんでした。多少は触れていたものの、具体的な案までは踏み込むことなく、まだ観光立国化への案は練れていない印象を受けました。

それに比べ安部政権は、我が国の観光立国化を着実にやり遂げつつあります。掛け声だけではなく、良し悪しはあれ爆買いという成果は挙げています。観光立国化こそ、今後の日本が目指すべき政策。私はそう思います。日本は今、どのような国として世界から見られているのか。今後の日本のあり方とはどういうものなのか。日本が積極的に世界に主張し、発信すべきという意見も良く耳にします。しかし日本は東洋の果てに位置しています。終着点として諸国の文化を受け入れ、日本独自の文化として咀嚼することにこそ、日本の本分がある気がしてなりません。

日本が技術立国であった過去も今は危うい状態です。技術は移転します。残るとすればITではカバーできない職人技の部分でしょう。しかし、日本人が誇るべきものは、職人技でもない気がします。技術よりも職人技よりも、その背後にある職人気質ともいえるメンタリティー。この心性をこそ誇るべきではなかったか。日本が世界に範を示せるとすれば、日本人の心性こそ相応しい。そう思います。「MOTTAINAI」や「武士道」、先の東日本大震災の際に見せた統制。敗戦直後は混乱の極みにあり、マナーがてんで成っていなかった日本人も、今や世界にその民度を誇ることができるまでになりました。

一方、今の日本の少子化はもう挽回不可能なレベルに達しています。残念ながら、今後は移民受け入れもやむを得ないでしょう。というか、移民受け入れすることなしには、日本の将来は立ち行かない。そんな状態にまで追い込まれています。移民受け入れにあたっては、日本国民の外国人に対する態度も変えねばなりません。かつての日本は中国や朝鮮半島からの移民を受け入れ、日本文化に取り込んでいきました。その時の経験を活かし、拙速に移民を受け入れずに、緩やかな移民の受け入れを日本全土均一に行うことが重要だと思います。

昨年来日した観光客は、空前の数を達成しました。皆さん、意識してはいなかったかもしれませんが、日本人のメンタリティーの由来を知りたくて来日したのではないでしょうか。日本人の心性の秘密は何か。このミステリアスな国の真髄はどこにあるのか。観光客が求めた場所は、以下のリストに挙がっています。

そのリストは、世界的に知られた観光情報サイトであるTripAdvisorが発表しました。「外国人に人気の日本の観光スポット ランキング 2015」。ここに上げられた30の観光地のうち、現代日本を反映する場所は僅かです。17位の「横浜みなとみらい21」と26位の「渋谷センター街」と30位の「六本木ヒルズ展望台」くらいでしょうか。技術面に範囲を広げても27位の「トヨタ産業技術記念館」が入るくらい。あとは、日本の伝統に根差した場所がほとんどです。

このリストにはもう一つ特徴があります。それは東京や奈良、京都以外の場所も多数ランクインしていることです。東京は世界有数の大都会です。しかし観光客の多くは東京をそれほど重視していません。東京ではなく地方にこそ日本の心性が残っているとでも云うかのように。このリストを見ているだけで、そういった意思が感じ取れます。戦後、多くの観光客が日本に惹かれて訪れました。その中には永住された方もいます。そういった方々は自らが身を置く世界のあり方に疑問を感じ、日本に単なるオリエンタリズムではない何かを求めに来たと思いたい。なので、本リストから知る限りでは、それら観光客の方々が東京だけを見ていないことに、私はむしろ安心しました。むしろ、世界は東京に日本を求めていないのでは、という気にすらなります。もちろん、ビジネスや政治の場としての東京は、引き続き存在感を残すでしょう。でも観光客が日本の躍進の秘密や謎めいた文化の根源を東京に求めていないとすれば? 東京は現代日本の繁栄の証。戦後復興し発展した日本を展示する場に過ぎないのかもしれません。ショーウインドウは着飾っていても、バックヤードが荒廃していればそれは虚飾です。そのことは我々日本人が一度認識を改めるべきだと思います。

まずは日本の全土を魅力的にする。そのためにも安部内閣による観光立国化への取組は、後世に残る政策となるかもしれません。日本の観光立国化が成れば、観光振興を通して地方分散に進むまであと一息です。地方分散と移民受け入れが同時に進み、なおかつ日本文化が見直され、活性化される。そうなればいうことはありません。

とかくタカ派扱いされがちな安部政権ですが、こういった取り組みは応援したいと思います。「美しい国へ」がこういったやり方で達成されるとすれば、望ましいことこの上ないでしょう。


駅を街のランドマークとする発想に物申す


のっけから、私の故郷の話で恐縮です。今年になって相次いで甲子園近隣の駅のリニューアル工事が話題に上がっています。

JR甲子園口駅は7/7から新駅ビルが供用開始となったそうです。
西宮経済新聞より
阪神甲子園駅は工事完了が来年末予定ですが、5月の連休に訪れた時は、すでに屋根が出来上がっていました。
西宮経済新聞より
これは2014/12月に実家に帰った際に撮影した建設途中の駅です。
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今年は夏の甲子園がはじまって百年目の記念すべき年。甲子園球場を擁するわが故郷として、これを機に一新したい気持ちも分かります。分かりますが、私にとってこのニュースから感じるのは寂しさのみです。

その寂しさとは、駅を街のランドマークとする発想に対してです。その発想は、今の日本を覆う安直で軽薄なそれと同じです。日本のランドマークとして君臨するのはイケイケな東京です。そして、ランドマークの地位におさまったまま、私のような地方人を集めてますます肥え太り、その安直な発想の下、麻痺しつつあります。東京は麻痺する日本の象徴とも言える場所になっています。今回の駅の建て替えニュースからは、それと同じ匂いが漂ってきました。東京に住む私は、甲子園がよりによって東京の悪しき発想をまねたことに寂しさを感じます。故郷が遠くなっていく無力感すら覚えます。

私の故郷西宮は、大阪神戸の中間に位置しています。ベッドタウンとして日本有数の規模を持ちながら、静かな住環境が保たれていました。ここ100年の時間軸で眺めると、球場は二つ、競輪場は二つ、競馬場も二つ。日本酒の醸造所は多数、アサヒビールやニッカウヰスキーの工場も立ち並んでいました。いわば、「飲む」「打つ」の男のロマンを備えた街が西宮です。そんな環境にありながら、西宮七園を代表として閑静な住環境が整っていることは、凄いことです。しかも、山あり川あり海あり池ありと自然さえも豊かに揃っています。こんな街、日本を見渡してもそうそうありません。たぶんどこに住もうとも死ぬまで西宮が一番だと云い続けるでしょう。l

かつて、落語家の露乃五郎さんは西宮を称してこう言いました。「ヘソのない街」と。ヘソとは街のランドマーク、自他共に認める中心地を指します。西宮の場合、それがありませんでした。もっとも、そう書くと誤解を受けそうです。甲子園球場、阪神パークを中心とした甲子園駅付近、阪急西宮球場を擁する西宮北口駅付近、西宮戎神社の門前町である阪神西宮駅付近。ランドマークぎょうさんあるやないかい、と。しかし、これらは西宮にとって唯一無二のランドマークとはいえません。これらは三ヶ所に分散しています。しかも通年営業の商業施設ではないため、特定の時期しか人を集めません。ランドマークとは、年中人が集まる場であり、その地域のオンリーワンの場所を指します。これら三ヶ所をヘソと呼ぶことはできないのです。

このバランスが崩れたのが阪神・淡路大震災です。震災復興の名の下に、西宮北口駅付近が一新されました。西宮球場は解体されて阪急西宮ガーデンズとなり、買い物客で賑わいを見せています。また、甲子園球場こそ健在ですが、阪神パークはららぽーと甲子園となり、キッザニア甲子園という目玉施設を中心に、多彩な店舗が集うショッピングモールとして賑わっています。阪神西宮駅は、高架化に伴いエビスタ西宮という駅ビルに生まれ変わりました。

これら三施設に共通するのは、通年集客の考えです。つまりはそれぞれの地が、わてこそ西宮のヘソにふさわしいねん、と名乗りを挙げたわけです。しかし、三施設とも一言で云えばショッピングモールに過ぎません。ショッピングモール三つできた所で、三すくみとなりかねません。いや、事実そうなっているように思えるのは私だけでしょうか。結果、西宮のヘソを作るどころか、ヘソのない街西宮の良さが却ってボヤけたように思えてなりません。しかもJR西宮駅前にも、臨港線沿いにも商業施設があちこちその図体を晒しています。東京から故郷に帰る度、西宮が平凡な街に変わりつつある、そんな寂しさに駆られていました。そこに来てこのニュースです。JR甲子園口駅は、私の幼少期より変わらぬ佇まいの駅でした。それが数年前から徐々に変わり、ついにはこの度の駅ビル完成と相成りました。阪神甲子園駅も、球場の大鉄傘をモチーフとした屋根付き駅に変わりつつあります。私が帰省する度、故郷に帰ってきたと実感させてくれる駅はもうありません。我が故郷の駅よいずこ。

これが故郷を出ていった者の身勝手な郷愁であることは理解しています。私が文句を言う筋合いもなければ資格もないことは承知の上です。

でも寂しいんです。悔しいんです。誇るべき故郷がよりによって東京の悪しき構図を真似たことが。

確かに阪神甲子園駅は通路も狭く、老朽化が進み、施設キャパオーバーになっていたことは認めます。春夏の高校野球ファンや、六甲おろしをガナる愛すべきトラキチ達をこれからも運び続けるためには必要な改修なのでしょう。でもこの改修によって、甲子園駅の下を潜る甲子園線のガード下に残っていた、私が二歳の時まで走っていた阪神電車の路面電車の遺構も消え去ることでしょう。JR甲子園口駅の北側駅舎は1934年の開業当時の風格を残していました。でも、先年のバリアフリー対応の通路付け替え工事は駅ビル建て替えまで進み、あえなく解体されてしまいました。これら駅の記憶も今や、時代の中に消え去ろうとしています。新しい駅ビルは阪神間モダニズムを体現したデザインになっているとか。とはいえ、私が故郷の駅と認識するにはまだまだ時間がかかりそうです。

両駅の建て替えは夏の甲子園百年記念という理由だけで建て替えられたように思えてしまいます。日本にあまねく知られた、西宮が誇る甲子園球場。類まれなランドマークを持ちながら、さらに駅を建て替えてランドマーク化することに寂しさが募る一方です。そう思うのは、故郷を離れた私だけなのでしょうか。

駅をランドマークに見立て、集客を期待する。この構図は、日本にとっての東京と同じです。日本の代表的な都会東京に投資、人口を集中させ、東京を日本のランドマークとする。最近では、ランドマークの中に駄目押すかのように新国立競技場というランドマークを建てようとしています。

ただでさえ一極集中が進み、地震リスクの高まる一方の東京。かつてはさみしい寒村だったこの地は、日本の繁栄を誇示するかのように飾られ、デコられ、ハコモノ展示場のランドマークと化しています。それらを縫って、定時運行すら危うくなってきた寿司詰め電車がひっきりなしに行き来します。

もう、これ以上日本のランドマークとして東京に重荷を背負わせるのはやめようよ、と言いたい。江戸開府以来400年。その歴史は尊重します。でも、今の東京には、私のような地方出身者が集まりすぎています。江戸っ子はどこに消えた?と思う事しきりです。東京はすでに疲れているのです。そんな疲れた東京に、首都直下型地震が来たらどうなるか? 枯れつつある地脈は息絶え、日本自体にも取り返しのつかない傷跡を残すことは間違いないでしょう。安政や大正の昔と比べても、今の東京が地震の直撃に耐えうるとはとても思えません。そして日本が東京に依存する割合も桁違いとなっています。東京の重荷を少し降ろして身軽にしてあげようよ、と云いたい。出来うるならば、オリンピックも名古屋や大阪、福岡に譲ってあげたいぐらいです。

そして同じように、西宮に言いたい。せっかく甲子園やえべっさんちゅう、日本一の球場や神社があるんやさかい、もおええがな、と。住み良い西宮のままで居てえな。駅は閑静なままに、乗降客が不便でないようにすればええだけやないの、と。

各地方にも云いたい。東京を真似るな、と。その地の文化や風土を大事に。限定キャラメルやラー油、プリッツやポッキー、B級グルメもいいけど、昔からの地元の産物を育て、誇れる地元でいて頂きたい。東京は遠からず地震でかなりの被害をうけるか、飽和しきって崩壊します。その受け皿として健在な地方でいて頂きたい、と。

そして政府や各自治体にもいいたい。これ以上東京にお金を使うより、その地域の歴史や文化を尊重した振興策にお金を使うべき、と。具体的には地域を思う議員への助成、真っ当な地域コンサルの招聘。地域芸能への甘えに堕さない補助。自治会へのアイデア公募。シャッター通りへの格安入居の援助。思い付くだけでも出てきますが、国や自治体が本気で振興に取り組めば、民間からまだまだ珠玉のアイデアが出てくると思います。集中の利点という名の下、東京への投資を行ってよい状態ではもはやありません。

今までも私自身、東京一極集中については色々言ったり書いたりしてきました。また、私自身が東京に住み、都心に通う現状に埋もれている中で、一極集中の弊害を書いたところで説得力がないことも痛く感じていました。近々、仕事上でとある提案を頂きます。その提案を私が受けるかどうかもまだ分かりません。が、家族が宝塚好きということもあり、あるいは家族からの理解ももらえるかもしれません。私自身、いつまでも痛勤電車で通うことに意味があるとは思っていません。ましてやITがこれだけ普及している今は。

そのぐらい、今の東京の混み具合には鬱屈が溜まっていますし、それに対して迎合的な姿勢を見せる地方の現状にも苛立ってもいます。日本を住みやすくするためにやるべき処方箋は多々あります。その中の一つとして、東京への一極集中を食い止めるための手は打たないと、と真剣に思います。


村上朝日堂の逆襲


エッセイを読むのも好きです。

特に村上春樹さんのエッセイはあまり気負った題材でもなく、何かを批判したりすることもあまりなく、他人を罵倒することもなく、人間なんて所詮は、といういい意味での諦めが漂っています。かといって毒にも薬にもならないエッセイかというと、そんなことはなく、油断していると蜂の一刺しにやられてしまうような、適度な緊張感を孕んでいるところもまたよいです。

本書は再読だったか初読だったかは忘れましたが、先日、実家から持ち帰ってきた数冊の蔵書のうちの一冊です。手に取ったのも、なんとなくという感じです。読む10日ほど前にお亡くなりになった、本書の共著者である安西水丸さんのことが直接の影響だったわけではありません。少しは影響があったのだろうけど。

村上春樹さんは、私の同郷の人です。なので、氏が書いた阪神間についてのエッセイを読む度に郷愁が掻き立てられます。そういえば本書を読む1か月前にも明石や三宮を訪れたのでした。そうでした。それで本書を手に取ったのだろうな。うむ。

本書でも、「関西弁について」「阪神間キッズ」「夏の終わり」の3編が私の郷愁を満たしてくれました。東京に住むものが、かつて住んでいた関西を眺めて、という構図も私の心境と同じ。

他にも「「うゆりずく」号の悲劇」でなんていう一篇も。船やトラックの側面に書かれている、あのなぞの言葉についての考察です。なんとなく気になっていたけれど、よくよく考えれば妙なことについて考えを致せるそのアンテナ感度には尊敬をおぼえます。

本書は、1985年から1986年にかけて連載されたもののようですが、当時の東京の状況を描いたエッセイもよいです。「政治の季節」「バビロン再訪」とか、当時も今も、東京って変わったようでいて、何も変わっていないのだな、と思ったりして。

でも本書に収められたエッセイで一番よかったのは「オーディオ・スパゲティー」かな。オーディオに凝ると配線や設備を揃えるのが大変、という要約すれば他愛もない内容なのだけれども、その背後の分析が鋭い。「少なくともテクノロジーに関してはデモクラシーというものは完全に終結してしまっているように僕には思える」なんて、今のITやSNS全盛の時代の状況を見通したセリフが1985年に書けるところに、村上春樹さんの凄味があると思いました。

’14/03/29-’14/04/01


靖国


常駐先の移転により、麹町で仕事をするようになったのは昨年3月のこと。昼はなるべく外出し、ともすれば単調なリズムになりがちな平日の心身を整えている。

私の散歩コースの中には、靖国神社も含まれている。昼食がてらの散歩にしては、オフィスから少々離れており、参拝を行う時間はない。精々、練塀を眺めるだけであった。しかし、この年になるまで、一度も靖国参拝を果たしていない私。靖国の近くで仕事をしている好機を逃したくない、との思いが強くなってきた。

本書を入手したのはそのような時期である。入手以来半年、なかなか読めずにいたが、読み始めるとすぐに、妻が靖国神社に参拝したいと言いだした。縁であろう。思い立ったが吉日、というわけで、最初の休みに家族で参拝する機会を得た。読書中の本書を小脇に抱えて。

神社という場には、日本人の心を落ち着かせるものがある。静けさに満ちた平時の佇まいもよいが、祭りでは、一転して賑やかなハレの場となる。ケガレを祓う神域でありながら、静と動の二面を持つところが、日本の心性に合うのかもしれない。

本書では、靖国神社が持つ静と動の側面を、九段周辺の地勢、そして江戸から明治に至る時の流れから解き明かす。そこは和文化が西洋文明に洗われる場であり、封建の幕府から開かれた政府へと生まれ変わる時期でもある。靖国神社が九段に建てられた理由も、下町の江戸文化と山手の明治文明の境目、つまり九段坂があったためではないかと著者は看破する。私もそのような視点を持って、坂上の靖国神社参道から九段坂を通して、坂下の神田方面を見た。なるほど、その主旨には頷けるところがある。

靖国神社の持つ繋がりは実に幅広い。本書が採り上げる期間は、靖国神社の創立経緯から、太平洋戦争で降伏した直後までとなる。その記述の中で登場する人物や建造物の数はかなりの数に上る。日本武道館とビートルズに始まるプロローグ。サアカス団から奉納競馬、力道山、そして小錦に至る、ハレの場としての境内。大村益次郎、明治天皇から大正天皇といった為政者から見た靖国の意義。河竹黙次郎、岸田吟香、二葉亭四迷と坪内逍遥といった文化と風俗の舞台となった靖国の存在感。大鳥居建立の経緯から、遊就館と勧工場を結ぶ、カペレッティを中心とした建築家の繋がりと、野々宮アパート、軍人会館といった、東京の中でも最先端建築の中心に位置する靖国神社。

本書を読む前は、私の中では、江戸の代表的な神社は、江戸総鎮守でもある神田明神であり、東京の中心である神社は明治神宮か東京大神宮と思い込んでいた。が、本書を読んだ後は、それが靖国神社であることに思い至らされた。それは、政治的な意味や、地理的な理由によるものではない。江戸から東京へと、西洋の事物を取り入れ巨大化したこの都市の、文化の発信源が、ここ靖国神社であったことによる。

実に多種多様な事物が、靖国神社を廻って繋がっている。上に挙げた関連する人物や事物にも西洋由来のものがかなり多い。そこには、靖国神社が従来持っているはずの、様々な価値観を取り入れる器の広さ、そして文化の重層性を訴えたい著者の想いが強く感じられる。国家主義ではなく、国際主義の場。その文化的意義を忘れて靖国神社を語ることの危うさについて、問題提議を行うのが、本書の主題ではないかと思う。

本書の中では、A級戦犯や富田メモ、国務大臣参拝などといった、戦後の靖国神社について回る一切の単語が出てこない。昭和天皇すら一度も登場しない。そこには、明らかな著者の意図が見える。政治的な論争の場としてではなく、文化的な豊穣の場。靖国神社とは、本来そのような場所ではなかったか。

今回の参拝では、大村益次郎像から休憩所までの空間を利用して靖国神社青空骨董市が開催されていた。かつては、この場所で競馬が開かれていたという。読書中にその舞台を訪問するという縁に恵まれた今回。本書の記述とその舞台を実地に見られたことは実に幸運であった。本書で紹介される膨大な関連性を理解するにはまだまだ時間が必要だが、まずは最低限の境内散策と本殿参拝が出来たことでよしとしたい。それまでに何度も本書の記述には目を通し、江戸から東京へと移り変わるこの都市が理解できるよう、努力したいと思う。

なお、娘連れであったことと、次の予定もあったので遊就館には行かなかった。次回、早めに機会を作って拝観したいと思う。少なくとも本書の主題とは直接関連していないとはいえ、靖国神社の祭神を理解するには展示物を観なければ。

’14/1/31-’14/2/5


横道世之介


大学生活を描いた小説にはとにかくよわい。

この本を読んでいて自分の大学生活のことを色々と思い出してしまった・・・

この本が面白いのは単に大学生活だけをえがくだけでなく、挿話として登場人物たちの十数年後の日常も描かれていること。

そのことによって、すごく話の奥行きが深くなっていると思う。

そういえば私も大学を卒業して十数年たっているけど、作中の登場人物が在学時と想像もしなかった将来の姿で描かれているのと同じように、私も今の自分がこのような今を歩んでいるとはまったく想像できていなかった。そのことがまた、余計にこの本に対して愛着を持つ理由でもある。

後を振り返ることに否定的な考えを持つ人もいるけれど、そんなことはなく、楽しかった時期を単純になつかしもうよ。

と私は強く思った。私にとっては著者の代表作と目される「パレード」「悪人」よりも印象が強かった。また読みたいなあ・・・・

’11/11/11-’11/11/12