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小説や漫画など、原作がある作品を映像化する時、よく“映像化不可能“という表現が使われる。原作の世界観が特異であればあるほど、映像化が難しくなる。さしずめ本作などそういうキャッチコピーがついていそうだと思い、予告編サイトをみたら案の定そのような表現が使われていた。

原作を読むと“映像化不可能“と思わせる特異な世界観を持っている。映像化されることを全身でこばんでいるかのような世界観。私にとっても、原作を映像で観たいと願うと自体が発想になかった。(原作のレビュー

レビューにも書いたが、原作にはかなりのインパクトを受けた。人体の尊厳などどこ吹く風。イカレた描写にあふれた世界観は、脳内に巣くう常識をことごとくかき乱してくれる。小説である以上、本来は字面だけの世界である。ところが、あまりにもキテレツな世界観と強烈な描写が、勝手に私の中で作品世界のイメージを形作ってくれる。原作を読んだ後の私の脳裏には、店の内装や登場人物たちのイメージがおぼろげながら湧いていた。イメージに起こすのが苦手な私ですらそうなのだから、他の読者にはより多彩なイメージが花開いたはずだ。

原作が読者のイメージを喚起するものだから、逆に映像化が難しい。原作を読んだあらゆる読者が脳内に育てた世界観を裏切ることもいとわず、一つの映像イメージとして提示するほかないからだ。

監督は最近よくメディアでもお見掛けする蜷川実花氏。カメラマンが持つ独特の感性が光っている印象を受けている。本作は、監督なりのイメージの提示には成功したのではないだろうか。原色を基調とした毒々しい色合いの店内に、おいしそうな料理の数々。原色を多用しながらも、色の配置には工夫しているように見受けられた。けばけばしいけれども、店のオーナーであるBOMBEROの美意識に統一された店内。無秩序と秩序がぎりぎりのところで調和をとっている美術。そんな印象を受けた。少なくとも、店内や料理のビジュアルは、私の思っていた以上に違和感なく受け入れられた。そこに大沢伸一さんが手掛ける音楽がいい感じで鳴り響き、耳でも本作の雰囲気を高めてくれる。

一方、原作に登場する強烈なキャラクターたち。あそこまでの強烈さを映像化することはとてもできないのでは、と思っていた。実際、キャラクターのビジュアル面は、私の期待をいい意味で裏切ることはなかった。もともと期待していなかったので、納得といえようか。たとえばSKINのビジュアルは原作だともっとグロテスクで、より人体の禍々しさを外にさらけ出したような描写だったはず。ところが、本作で窪田さんが演じたSKINのビジュアルは、何本もの傷跡が皮膚の上を走るだけ。これは私にとってはいささか残念だった。もっと破滅的で冒涜的なビジュアルであって欲しかった。もっとも、スキンのスフレを完食した事により狂気へ走るSKINを演じる窪田正孝さんはさすがだったが。

原作にはもっと危険で強烈なキャラクターが多数出ていた。だが、その多くは本作では割愛されていた。甘いものしか食わない大男のジェロ。傾城の美女でありながら毒使いの炎眉。そして妊婦を装い、腹に劇物を隠すミコト。特にミコトの奇想天外な人体の使い方は原作者の奇想の真骨頂。だからこそ、本作に登場しなかったのが残念でならない。

ただ、キャラクターが弱くなったことには同情すべき点もある。なにしろ本作には年齢制限が一切ついていない。子供でも見られる内容なのだ。それはプロデューサーの意向だという。だから本作では、かき切られた頸動脈の傷口から血が噴き出ない。人が解体される描写も、肉片と化す描写も省かれている。そうした描写を取り込んだ瞬間、本作にはR20のレッテルが貼られてしまうだろう。そう考えると、むしろ原作の異常な世界観を年齢制限をかけずにここまで映像化し脚本化したことをほめるべきではないか。脚本家を担当した後藤ひろひと氏にとっては、パンフレットで告白していたとおり、やりがいのあるチャレンジだったと思う。

ただ、キャラクターで私のイメージに唯一合致した人物がいる。それはKIDだ。私が原作のKIDに持っていたイメージを、本作のKIDはかなり再現してくれていた。KIDの無邪気さを装った裏に渦巻く救いようのない狂気を巧みに演じており、瞠目した。 本郷奏多さんは本作で初めて演技を見たが、久しぶりに注目すべき役者さんに出会えた気がする。

もう一つ、原作にはあまり重きが置かれなかったデルモニコなどのラスボス達。本作ではジェロや炎眉やミコトを省いたかわりにラスボスを描き、映像化できるレベルに話をまとめたように思う。それは、本作を表舞台に出すため、仕方がなかったと受け入れたい。

原作の持つまがまがしい世界観を忠実に再現するかわり、カナコの成長に重きを置く描写が、本作ではより強調されていたように思う。それは私が原作で感じた重要なテーマでもある。本作は、カナコの幼少期からの不幸や、今のカナコが抱える閉塞感を表現する演出に力を注いでいたように思う。その一つとして、カナコの内面を舞台の上の出来事として映像化した演出が印象に残る。ただ、原作ではBOMBEROとカナコの間に芽生える絆をもう少し細かいエピソードにして描いており、本作がカナコの成長に重きを置くのなら、そうしたエピソードをもう少し混ぜても良かったかもしれない。

それにしても、本作で初めて見た玉城ティナさんは眼の力に印象を受けた。おどおどした無気力な冒頭の演技から、話が進むにつれたくましさを身に付けていくカナコをよく演じていたと思う。

そして、主演の藤原竜也さんだ。そもそも本作を見たきっかけは、藤原竜也さんのファンである妻の希望による。妻の期待に違わず、藤原さんはBOMBEROをよく演じていたと思う。原作のBOMBEROは、狂気に満ちた登場人物たちを統べることができるまともなキャラクターとして描かれている。原作のBOMBEROにもエキセントリックさはあまり与えられていない。本作で藤原さんがBOMBEROに余計な狂気を与えず、むしろ抑えめに演じていたことが良かったのではないだろうか。

本作は、いくつかの原作にないシーンや設定が付け加えられている。その多くはカナコに関する部分だ。私はその多くに賛成する。ただし、本作の結末は良しとしない。原作を読んで感じた余韻。それを本作でも踏襲して欲しかった。

そうしたあれこれの不満もある。だが、それらを打ち消すほど、私が本作を評価する理由が一つある。それは、本作をとても気にいった娘が、本が嫌いであるにもかかわらず原作を読みたいと言ったことだ。実際、本作を観た翌日に原作を文庫本で購入した。完成されたイメージとして提示された映像作品も良いが、読者の想像力を無限に羽ばたかせることのできる小説の妙味をぜひ味わってほしいと思う。グロデスクな表現の好きな娘だからこそ、原作から無限の世界観を受け止め、イラストレーションに投影させてくれるはずだから。

‘2019/08/11 イオンシネマ新百合ヶ丘


グランド・ブダペスト・ホテル


前々からウェス・アンダーソン監督の作品は観たいと思っていた。本作が初めての鑑賞となる。

ブダペストと名のつくものの、存在しない東欧の小国にあるホテル。その栄枯盛衰を通して、古き良き時代への感傷を描く本作。全編を通して、美しきヨーロッパの栄光と退廃を味わえる映像美が印象的である。そのカメラワークは変幻自在の技を見せる。ある時はわざと書割調にして。ある時はわざとくすんだ風に。またある時はモノカラーで。それも、これ見よがしというのでない。CGを駆使した技術の押し売りでもない。あえて映画は作り物ですよ。と見せつけておいて、それでもなお見る者の心を懐かしき過去へと誘う。これはなかなか出来ないことかもしれない。この相反する感覚こそが、本作を印象付ける点である。

映像だけではない。本作の舞台は東欧の国と見せかけておいて、実は架空の国。微妙に史実と食い違うエピソードの数々が本編を覆う。そのずれが何とも言えないおかしみを本作に与える。描かれているストーリーや映像はかなりブラックなものも含まれる。それにも関わらず、くすりとした笑いが随所に挟まれている。登場人物に奇矯な行動を取るものはいない。真っ当な人々がそれぞれの人生の一片を披露する。それなのに登場人物たちをみているとなんとも言えない可笑しさが心に満ちてくる。

本作の構造は4重構造である。ステファン・ツヴァイクをモチーフとした作家の墓を訪れる若い女性。これが現代。続いて1985年。老いた老作家が自分の創作の秘密を語る。そのうちの一つのエピソードを披露する。それが1968年。壮年の作家はグランド・ブダペスト・ホテルで謎めいた老人と知り合い、その人生を聞く。その老人がホテルで働き始めたのが1932年。物語の殆どは1932年に語られる。なぜ4重構造という持って回った構成なのだろう。そもそもこの点からして一見真面目そうに見えて可笑しさがある。これもまた、監督の仕掛けた隠れた笑いの一つ。

この一風変わった物語を彩る俳優陣がまた凄い。いちいち名をあげないが、主役級の人々がずらり。その中には私が好きな俳優もいる。でも何といっても、主役のレイフ・ファインズの演技に、真面目な中に一匙のユーモアという本作のエッセンスが込められているといえるだろう。

是非とも他の監督作も観てみたいと思った。もっとも一緒に観た次女はそうは思わないかもしれない。これはあくまで大人の映画である。アナと雪の女王をもう一度見たいと言っていた次女には悪いことをしたかもしれない。「こわかった」と感想を漏らしていたし。

’14/6/8 イオンシネマ 多摩センター


アナと雪の女王


2日連続で劇場で映画鑑賞するのは久しぶりである。今日は本作を家族とともに鑑賞した。

昨日がディズニーの映画製作の裏側を描いた実写なら、今日は、ディズニー映画の王道である、アニメーションによるファンタジーである。

映画館での予告編を何度かみていて、圧倒的な氷と雪の映像、そして素晴らしい歌唱を見聞きしていただけに、期待できそうだ、という思いを持ってスクリーンに臨んだ。

果たして、映像と歌唱については、実にすばらしいものがあった。この2つを劇場で体験するだけで映画代の価値はあると思える。氷や雪の質感がCGだけであれほどまでにリアルに表現できる時代に生きていることを素直に喜びたい。IT技術の端くれで生計を立てているものとして、これ以上のCG技術の進化はありえるのだろうか、と思わせるほどであった。

歌唱についても、耳に残るだけでなく、過去のディズニー主題歌と比べてもオペラチックな盛り上がりは一頭群を抜くものがある。パンフレットに載っていたが、ミュージカル仕立ての本作にふさわしく、声優の多くがミュージカル経験者のようである。今回観たのは日本語吹き替え版だったが、松たか子さん、神田沙也加さんともにミュージカルでも活躍されていることもあり、日本語の歌も素晴らしかった。鑑賞前は、本家に比べて歌のパートが劣るのでは、と若干の不安があったがそんな失礼な心配は杞憂であり、伸び伸びとした歌いっぷりは見事なほどであった。

ただ、ストーリー面では、一連のディズニー大作に比べると、新鮮味が落ちることは否めない。アンデルセンの「雪の女王」を原案としているため、街と城、そして遠く離れた地に建てられた城とを登場人物たちが往復する、といった構成に既視感を覚えてしまうのである。ただし、それも含めて、大胆な脚色や翻案があちらこちらでくわえられており、鑑賞後の感想としては新たな物語の創出がなされた、と思える。特に結末については、見事な肩透かしを食わされた。と同時に膝を打って納得したい想いである。時代は今、家族や肉親のきずなを見直す方向に舵切っているのかもしれない。

なお、映画冒頭では「ミッキーのミニー救出大作戦」という短編アニメが上映される。ディズニーの原点であるスチームボートウィリーの世界観を活かしつつ、現代風に大幅にアレンジした本作、必見である。丁度昨日、ディズニーの基礎について学んだばかりであり、非常に嬉しい。本作だけでもDVDを購入したいぐらいである。

’14/3/22 イオンシネマ 新百合ヶ丘