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かくれスポット大阪


本書は大阪人権博物館ことリバティおおさかで購入した。リバティおおさかを訪れたのは、私の記憶が確かならば二度目のはず。前回の訪問は私がまだ学生の頃だった。あれから二十三年がたち、それなりに社会経験を積んだ私。だが、リバティおおさかとその近辺の風景から受けたこの度の印象は当分消えないだろう。

今回、リバティおおさかを訪れる前に南海汐見橋線の沿線を歩いた。汐見橋駅、芦原橋駅、木津川駅。これらの駅にはだいぶ以前にも訪れたことがある。その時はただひなびた田舎駅、という印象しか受けなかった。だが、久々に訪れた私の目に映ったのはまったく違うイメージだ。特に木津川駅から発せられていた荒廃のメッセージは非日常の極み。その強烈さは私に大いなる印象を刻みこんだ。

今の私は東京で暮らしている。都心も頻繁に訪れる。世界一ともいえる乗降客数を誇る新宿駅を筆頭に活気に満ちた駅の数々。それらの駅は頻繁に改築され、ゴールがないかのように洗練され続けている。私はまた、駅鉄と称して各地の駅をめぐっている。各地の駅を見て来て思うのは、過疎に悩む駅もそれなりの素朴さを身にまとっていることだ。寂れていてもそれが周囲の自然と調和していれば好感はもてる。私にとって駅とはその地の玄関口であり、その地の雰囲気を体現する存在なのだから。

だが、不遜と言ってよいほど見捨てられた木津川駅の風景。それは私の眼には異形の存在と映った。駅前には浮浪者がねぐらを確保しており、がれきが駅の出入り口のすぐ前に積まれている。寂れた工場があたりを覆い、疎外されたような粗末な民家が並ぶ。金網で意味ありげに囲われたスペースが駅前にあり、その空間が無言の圧迫感を与えてくる。乗降客はおらず、駅前には商店が皆無。住民すら通りがからぬ凍った街並み。

その衝撃も覚めやらぬまま、続いて訪れたのが近くの浪速神社。境内に何人もの浮浪者がねぐらを確保していた。ここは果たして神域なのだろうか、という疑問が私の心を通り過ぎる。あるいは神社とは歴史的にそうしたねぐらがない方へ場所を供する役割を果たしていたのかもしれない。私はたかだか四十五年の年齢しか刻んでいないので、神社の歴史には明るくない。だが、一つだけ言えるのは、私は他の神社で同じような光景を目にしたことがないことだ。かつての日本各地のドヤ街が、昨今は訪日外国人の宿として活気を帯びているという。その風潮からも取り残され、その活気から完全に見放されているようにみえる神社。私は続けざまの衝撃から立ち直れないまま、リバティおおさかを訪れた。

リバティおおさかは、二十三年前とは展示を一新していた。もちろん、前もって訪問者がアップしたブログでその事は知っていた。橋下元大阪市長が展示内容の見直しを指示したことも。事前に得た知識のまま、入ってすぐの「いのちを大切に」というメッセージに満ちた展示を見る。その内容が賛否両論の的になるのもわかる気がする。おそらくリバティおおさかの担当者も迷ったことだろう。差別を語るにはまず人は平等という思想を示す意図は分かる。だが、なぜ入ってすぐにあるのかが理解できない。

だが、奥に進むと被差別部落の歴史が豊富な資料やパネルで展示されている。その内容は人権博物館の名に恥じない。事前の情報から懸念していたような、あからさまな反日の精神を感じる事もない。在日朝鮮人や沖縄の人々が受けた差別。ハンセン病患者やいじめの被害者が被った不条理な扱い。館内にあるのは、差別に苦しめられた人々の苦しみの歴史だ。そうした人々は、統治のために設けられた階級という制度の犠牲者でもある。権力の都合によって社会の闇を押しつけられた煩悶の歴史。そこには、人間の闇の側面が反論を許さぬほど立ちこめている。

リバティおおさかの展示には、差別の問題について考えさせられる切実な何かがあると思う。確かに同和利権や逆差別、結果の平等を求めるあまり、行き過ぎてしまった運動はある。それらの団体が声高に訴える主張をうのみにしてはならない。だが、これからの未来に、同じような不幸な歴史を繰り返してはならないこともまた事実。私たちが次代の若者に伝えるべき知識は、リバティおおさかの中に蓄えられている。

知識を身につけるには、膨大なパネルの展示だけでは理解しきれない。さらなる勉強が必要だ。私はそう思い、ミュージアムショップに多数並べられている本を吟味した。そして本書を選んだ。ミュージアムショップにはもっとコアでディープな本も並んでいた。だが、旅行中の身としては、軽めなガイド本の体裁の本書が精いっぱい。

なお、「エレクトラ」のレビューにも書いた通り、私は被差別部落の現状には関心がある。だが、人と部落の関連には興味がない。言い換えれば、個人の出自が被差別部落にあるかどうかは全く興味がない。多分、実力が全てのビジネスの世界に長くいるからだろう。ビジネスの現場に相手の出自など関係ないのだから。

さて、本書は大阪のあちこちをエリア編とトピックス編に分けて取り上げる。エリア編では、大阪のあちこちを地区別に取り上げる。「道頓堀」「千日前」「日本橋筋」「釜ヶ崎」「新世界・飛田」「百済・平野」「北浜・太融寺」「天神橋筋」「舟場・北野」「中津」「京橋・大阪城公園」だ。そしてそれらの地に埋もれつつあるかつての部落の痕跡を紹介するのが本書の主旨だ。

私の大学の卒論は大阪の交通の変遷だった。なので、大阪の歴史には親しんできたつもり。だが、正直に言って本書に挙げられた各地域のうち、被差別部落との連想で覚えていたのは「釜ヶ崎」「新世界・飛田」ぐらいしかない。本書に挙げられた他の場所は私にとってはまったく思いもよらなかった。

だが、よく考えると芸能・興行系のそもそもの起源は河原者が関わっていたという。そう考えれば、道頓堀と千日前といった現代でも芸能・興行のメッカは、部落の痕跡が残されていてもおかしくない。また、千日前といえば私が大学生の頃によく呑み、よく歩き回った地だ。国内でも最悪の犠牲者数を出した千日デパート火災でも知られている。法善寺横丁も近隣の名所としてよく知られているが、そもそも千日前とは法善寺と今はない竹林寺がともに千日回向を行っていたことから名づけられたという。回向が行われたということは、死をつかさどる人々が生活していたことを示している。

あと、本書を読んで最も驚いたこと。それは日本橋筋がかつては大阪随一のスラム街だったことだ。電器店やサブカルショップが立ち並ぶ今の日本橋からはとても想像がつかない。私は日本橋にも大学時代に何度も訪れている。だからこそ、余計に自分の無知を思い知らされた。だが、考えてみるとこのあたりの雑然とした感じは、まさにその名残と言えないだろうか。南海本線と日本橋筋の間には、妙に道幅の広い道路があるが、そこもスラム街の名残なのかもしれない。

それと百済・平野も本書では取り上げている。私はこのあたりについての土地勘は薄い。だが、百済という地名には渡来人の影響がうかがえる。つまり、その後裔となる方々に何らかの関連があるのかもしれない。本書によれば平野川沿いに被差別民が住まわされていたとのことだ。私も車でなんどか通ったことがあるが、歩いたことはまだない。今はずいぶん街並みが観光客を呼んでいるそうだし、一度訪れてみたいと思う。

本書で取り上げられた地の中で、日本橋筋についで意外に思ったのが北浜・太融寺だ。この界隈は船場や大阪城のおひざ元のはず。ところがここにも被差別の傷跡は残っていたのだ。本書によればその遺跡とは、被差別民の住居ではなく、解放運動の本拠がこのあたりに置かれていたということだ。太融寺や愛珠幼稚園なども、解放運動の中で重要な位置を占めているらしい。こういった意外な関連が見つかるのが本書のよいところだ。

天神橋筋が取り上げられているのもまた思いのほかだった。ところが、本書によると被差別部落とは都市の外縁に生まれるもの。南の外縁が釜ヶ崎や西浜部落だとすれば、北の縁が天神橋筋の北端であり、舟場・北野であり中津なのだという。このあたりには霊園や監獄跡、福祉施設などが点在しているのだという。私は本書を読むまでそうしたことをまったく知らなかった。特に、天六といえばわが母校、関西大学の天六校舎があった場所。私もなんどか訪れている。天六といえば日本で一番長い商店街で知られる。華やかな繁華街にも違う側面があったこと。それを本書は教えてくれる。

また、中津が取り上げられているが、あのあたりを歩くと少し場末な雰囲気が街を覆っているのも事実。そういえば本書を読むきっかけとなったリバティおおさかを訪れた翌々日、三宮で飲んだ。その酒の席で、現在の中津がシャッター通りになっていると聞いた。かつての場所の痕跡が払拭しきれていないのだろうか。なお、本書で取り上げられているからといって、今その地で住んでいる方が被差別の民の後裔でないことはもちろんだ。念のため。

京橋・大阪城公園が挙がっているのも想定の外だった。戦中は造兵工廠があった場であり、そもそも大坂の中心であり、部落とはつながりにくい。ところが、本書にも紹介されていたアパッチ族が戦後に暗躍したのはこのあたりのはず。だが、鶴橋や桃谷のいわゆるコリアンタウンが本書に取り上げられず、京橋や大阪城公園が取り上げられたのは意外に感じた。鶴橋や桃谷はいわゆる部落としての性格をもっていないのだろうか。これは少し興味がある。

さて、エリア編で各地の痕跡を取り上げた後、本書はトピックス編にうつる。エリア編にはリバティおおさかがあり、私がうらぶれた様子に衝撃を受けた旧渡辺村、つまり西浜部落は登場しない。だが、トピックス編で取り上げられる5つのトピックスのどれもが西浜部落を舞台としている。5つのトピックスとは「食肉文化と屠場」「有隣小学校と徳風小学校」「四カ所と七墓」「皮革業と銀行」「なにわの塔物語」だ。

食肉文化が部落のなりわいに関連していることはさまざまなルポで知っていた。リバティおおさかのミュージアムショップにも興味深い写真集が売られていた。私も屠場は一度は見ておかなければ、と思っている。生から死の切り替わりが生々しく営まれる場所。普段、肉食を嗜む身としては直面しなければならない現実。私たちは屠場で生から強制的な死を余儀なくされた生き物の肉を美味そうに食う。かつて、木津川や今宮に屠場があったらしい。だが、今はそうした施設は郊外に移ってしまっているらしい。著者は屠場の収入の実態を研究している。屠場の収入は市の財政にも好影響を与えたそうだ。著者の研究は徹底している。その視点で、BSEや食中毒などの食肉をめぐる問題が発生する度、屠場に責任の一端がかぶせられる状況にも苦言を呈する。

「有隣小学校と徳風小学校」では、学校に行けない児童を助けるための福祉施設の歴史が取り上げられている。本書にも何カ所かコラムが載せられている。そのコラムの主旨はかつて大阪で活動した篤志家を顕彰することにある。そうした篤志家の方々の努力が少しずつ大阪を良くしてきたのだ。この項で取り上げられている二つの小学校も彼らの努力の一つ。「四カ所と七墓」のように、大阪市の発展の歴史の中で開発されて消えてゆく存在もある。大阪がよい方向に発展してほしいと思うばかりだ。

「皮革業と銀行」は、かつての大阪が今とは違う発展を遂げていたことを取り上げており、興味深い。かつて西浜地区では皮革業が盛んに営まれていた。そして、その繁栄は、JR芦原橋駅周辺にはかなりの銀行の支店を集めるまでになっていたという。現在のみずほ銀行やりそな銀行の前身の銀行の支店もあったとか。本書には七店舗ほどが紹介されている。ところが、今の芦原橋駅周辺にはゆうちょ銀行が一つある程度で、ほとんどの銀行は撤退してしまったという。その理由は本書には書かれていなかった。だが、なぜいなくなったのかは、今後の大阪の都市計画を考える上で重要な切り口ではないだろうか。

「なにわの塔物語」もそうだ。かつて大阪にはナンバを中心にさまざまな塔が高さを競っていた。通天閣が当時の威容を今に伝え、気を吐いている。被差別の地であったからこそ、思い切った開発もできた。最先端の技術をしがらみなく試すには格好の場所だったのだろう。

だからこそ、冒頭に書いたような木津川駅周辺の状況はなんとかならないものか、と思うのだ。その意味で今後の大阪の都市計画を占う上で重要な「なにわ筋線構想」が南海汐見橋線から新大阪駅に伸びるのではなく、南海の難波駅から伸びる方針に変わってしまったことは痛い。もし汐見橋線が再開発されれば、この辺りの痛々しい風景は一新されるはずなのに。

私は大阪にはあらゆる意味で元気になって欲しいと願っている。だからこそ、このあたりの風景は一新して欲しい。もちろん、過去の歴史をなかったものにすることはできない。過去の悲しい歴史は語り継がなければなるまい。そのためにもリバティおおさかのような施設はある。でも、歴史を語り継ぐのと、今の寂れた状況を放置するのは同じではないはず。今回のリバティおおさかとその周辺の訪問とそこで購入した本書は、私に大阪の都市開発についてのあるべき姿を教えてくれた気がする。

著者は本書の続編も出しているようだ。そこでは本書のトピックス編の続きとしてさまざまな施設への考察を行っているらしい。今度、機会を見つけて読んでみようと思っている。

‘2018/07/09-2018/07/09


マンホール:意匠があらわす日本の文化と歴史


マンホールの写真を撮りためている。地方を旅したり出張することの多い私。訪問先で地面にファインダーを向け、その地域ならではのマンホールを撮っている。

とはいえ、まだ軽い趣味なのでマンホールのために旅行するまでには至っていない。けれども、旅先で見慣れぬ意匠のマンホールを見かけるとテンションも上がるし、それがレアなカラーマンホールならその後の旅路も足取りが軽くなる。

私がマンホールに興味を持ったきっかけは覚えている。寒川神社から茅ヶ崎まで自転車で走った時だ。寒川神社の駐車場に車を停め、そこから茅ヶ崎のいつもお世話になるジーンズショップに注文していたジーンズを取りに行った。相模線に沿って自転車を漕ぎながら、ふと、足元にあるマンホールに目をやった。すると普段、見慣れた町田市や東京都、相模原市のような丸をベースとしたデザインではなく、一つの絵画のようなデザインのマンホールが敷かれていた。それは茅ヶ崎市のマンホールだった。よく見ると数種類あり、それぞれに雨水汚水の表示もある。用途によってデザインも変わっているようだ。そこに興味を惹かれ、写真を撮ったのが始まりだった。

車で行動するとマンホールの魅力に気付きにくい。また、仕事や日常の暮らしの中では、同じ場所の往復に終始しがち。なので、地域色が豊かなマンホールの特色にはますます気づきにくい。私のきっかけも、いつもと違う場所を自転車で走ったことだった。著者も各地のマンホールを撮りためる際、自転車で各地を走っているそうだ。

ウェブを巡ってみると、マンホール愛好家は結構多いらしい。著者はその界隈では有名な方のようだ。有名というだけのことはあり、本書には全国のかなりの地域のマンホールが載っている。

本書はマンホールの意匠ごとにテーマで分けている。テーマごとに各地のマンホールを写真付きで紹介することで、マンホールの魅力を紹介するのが本書の構成だ。ただ漫然とマンホールを紹介するのではなく、意匠に沿ったテーマでマンホールを語っている事が重要だ。

本書は以下の章に分けられている。
1 県庁所在地を訪ねて
2 富士山と山々
3 富岡製糸場と歴史的建造物
4 いつでも見られる日本の祭りや郷土芸能
5 各地の伝統工芸・地場産業
6 地方ならではの特産物
7 地元のスポーツ自慢
8 楽しいのはデザインマンホールだけじゃない

このように、テーマごとに分けることで、読者は各地のバラエティに富んだマンホールの魅力を手軽に鑑賞できる。

私がマンホールに惹かれるのは、意匠がその土地の意外な名物を教えてくれるからだ。普通、土地の名物とは山、川、神社仏閣、スポーツや食べ物などのことを指す。そうした名物は形があり、通年で見ることができる。だからマンホールでアピールするまでもない。だが、無形の祭りや郷土芸能は、特定の時期、場所でしか体験できない。その土地を訪れるだけでは、無形の名物には気づかないものだ。伝統工芸や地場産業もそう。

私は旅先では駅や観光案内所には必ず訪れる。だが、それでもその地に伝わる有形無形のシンボルに気づかないことが往々にしてある。マンホールは、そうした存在を教えてくれるのだ。しかも、それを街中のいたるところで、至近距離で教えてくれる。間近に、頻繁に目に触れられるもの。考えてみるとマンホールの他にそういうものはあまりない。マンホールをデザイン化し、地域ごとに特色を打ち出そうとした発案者の着眼点はすごいと言える。本書には合間にコラムも挟まれているが、その中の一つが「デザインマンホールの仕掛人」として、昭和60年代の建設省公共下水道課建設専門官が提唱したことが始まりと記されている。

その他のコラムは
「マンホールの蓋はなぜ丸い?」
「蓋の模様はなんのため?」
「最古のマンホールの蓋は?」
となっている。どれも基本であるが押さえておくべき知識だ。また、本書の第8章は、蓋に刻まれた市章や町章についての紹介だ。デザインマンホールではなくとも、たいていのマンホールには市章、町章が刻まれている。そこに着目し、デザインの面白さをたのしむのもいい。

著者は東京都下水道局に37年間、定年まで奉職し、主に下水道の水質検査や開発に携わってきたそうだ。著者紹介によると、今までに撮ったマンホールの写真は4000枚にもなるのだとか。はじめにでは、マンホールに惹かれたきっかけが伊勢市のマンホールをみた時であり、定年退職後に各地を折りたたみ自転車で巡ってマンホールの写真を撮っていることなどが書かれていた。

わたしも撮りためたマンホールは多分数百枚、新旧市町村単位で150くらいにはなったと思う。私はまだ現役で仕事をしているので、著書ほどの域に達することはできない。だが、私なりのペースで各地のマンホールを巡ってみようと思う。

なお、本書に載っていないネタとして、各地のマンホールを一堂に見られる場所を知っている。それは、河口湖畔だ。道の駅かつやまの周辺の道には、全国各地のマンホールが敷かれている。どういう理由でなのかは分からない。マンホール趣味の興を削ぐとして、顔をしかめる愛好者もいることだろう。私もそうだった。あと、千代田区麹町のセブンアンドアイホールディングスの本社ビルのそばに、なぜか行田市のマンホールが敷かれている。こういうあってはならない場所に敷かれているマンホールを探すと面白いかもしれない。

あとは、本書では触れられていないが、下水道広報プラットフォームがここ数年で出し始めたマンホールカードは外せないだろう。私も今までに八枚ほど集めた。これもマンホールの魅力を知らしめる意味でも面白い試みだと思う。

デザインマンホールのような試みはもっと広がるべきだ。私が他に思いつけるのは、信号のたもとにある制御盤ぐらいだろうか。制御盤にローカル色溢れる意匠が施されると面白いと思う。もっとも、そうなると私の人生はますます時間が足りなくなるのだが。

‘2018/07/08-2018/07/08


2018年のGoogle Local Guidesの結果が届きました


2018年の2-6月まで、集中的にGoogle Local Guideの投稿を行ったところ、一気にレベルがアップし、10月には本社でのイベントに御呼ばれしました。昨年末にまとめとして書いた通りです。

それがこうした形でレポートとして届けられましたのでアップいたします。今年はあまり活動できていませんが、もう少ししたら投稿を復活しようかな、と考えています。ライフログはSwarm + FourSquareで継続しますが。


脱限界集落株式会社


前作を読んでから一カ月もしないうちに続編を読む。私にとって珍しいことだ。本書はちょうど1カ月前に読んだ『限界集落株式会社』の続編にあたる。

もともと、私はシリーズ物は一気に読まずにはいられないたちだ。だが、シリーズ物を一気に読むことはそうはできない。そのため諦める。そして読む間隔を空けてしまう。だが、本書をたまたま見かけたことで、一カ月もしないうちに続編が読めた。とても喜ばしい。

本書に関心を持った理由は、前作が面白かったこともある。だが、それだけではない。前作も本書も地域活性化が取り上げられていて、私は仕事で多少それらのテーマに関わっている。それが本書を手に取らせた。前作も本書も取り上げられていたのが私自身に興味のあるテーマだったので、本書もすぐに読み始めた。

前作は限界集落の再生がテーマとなっていた。本作は商店街の活性化がテーマとなる。前作で止村に活気を呼び戻した多岐川優。その成功に乗っかるようにTODOMEモールが誕生した数年後が本書の舞台だ。前作でも登場した幕悦町の上元商店街は、TODOMEモールにとどめを打たれシャッター商店街と化していた。そんなのところに降って湧いたのがTODOMEモールの成功に味を占めたコンサルタントによる地域再開発の話。

前作で多岐川優と結婚した美穂は、止村株式会社の経営方針をめぐって夫と対立し、家出している。そして止村株式会社からの出向扱いでコトカフェの主任として腕を奮っている。コトカフェはコミュニティカフェだ。地域のたまり場として何でも受け入れる事を運営方針に掲げている。巨大なTODOMEモールに対抗するコトカフェに何かを感じた美穂がコトカフェに肩入れする。それが優とのけんかの原因だ。

TODOMEモールに加えて降ってわいた再開発計画に上元商店街は二つに割れる。そして長谷川健太、遠藤つぐみ、新沼琴江といったコトカフェの従業員の面々は、美穂とともに上元商店街を再開発の波から守ろうと、TODOMEモールにも負けない店を目指して奮闘を始める。

そもそもTODOMEモールの開発も地域再開発も、裏で暗躍しているのは多岐川優の商売仲間である佐藤だ。だが佐藤の計画の裏にきな臭さをかぎ取った多岐川優は、アドバイザーとして商店街活性化に一役買い、結果的に美穂の側に立つ。

ニートやコミュニティ障害からの脱却、そして勧善懲悪の視点。それは前作から変わらない。その上で商店街活性化というテーマを持ち出した本書は、地に足が着いているといえる。実際、シャッター商店街は地方に行くと頻繁に目にする光景だ。駅前が閑散としているとその地に活気は生まれにくい。シャッター商店街の再生は地域の切実な願いではないか。

ただし、前作もそうだが、本書には地域活性化の視点に人工知能の観点が抜けている。なので、前作と本書で披露されたノウハウがこれからの活性案や限界集落の処方箋として有効かどうかの判断がつかない。いくら優れた案であっても人工知能の示す案のほうが優れている可能性は大いに考えられる。人間の案がより優れた人工知能の案に置き換えられる可能性は高い。だが、人工知能は地域活性化にとっての本質ではないと思う。それよりも、中央集権、大量消費の均一化に抗するための視点を持つことが大切ではないか。その視点は、人間が持てる視点として絶対に必要なはずだ。そこに知恵を使うことが人間と人工知能の共存の未来が占えるといっても過言ではない。

全ては対人のコミュニケーションに掛かっていると私は考える。それが人間社会をよくも悪くもするはず。ロボットや人工知能がいくら世を席捲しようと、コミュニケーションの大切さこそが人間社会にとって生命線であり続けるはずだから。

本書の底に流れている考えもコミュニケーションの大切さにのっとっている。例えばコトカフェがそう。コトカフェを起点に盛り上がる上元商店街の活気は、結局のところ人対人のコミュニケーションに依存している。そして、コミュニケーションのをおざなりに放置したTODOMEモールからは客足が遠のいていく。

ただ、コミュニケーションの力だけでは地域活性化の起爆剤にはなり得ないことも事実だ。本書の結末がそれを示している。なぜなら佐藤側の自滅に頼るしかなかったのだから。本書の結末は、コミュニケーションだけでは地域活性化は難しい事を意図せずして示してしまった。それはもちろん、本書のせいでも著者のせいでもない。人は利便さを優先する。交通の便や品ぞろえや新奇さは、いつの世もコミュニケーションの力を凌駕する。

多分、抜本的な地域振興策は誰にも簡単に思いつくものではないのだろう。私は地域に人を呼び戻すには、逆説的なようだが、人工知能の力を借りねばならない気がする。田舎に住む不便が、人工知能により補われた時か、情報技術が田舎のコミュニケーションの良さとその反面の閉鎖性を良い具合に中和した時。その時になってようやく、人々は都会に人間が集中することのデメリットを感じ、田舎に住むメリットに目を向け移住を始めるのではないか。

となると、結局は人の力など要らないのでは、と思われるかもしれない。いや、そうではない。コミュニケーションの力はやはり必要だ。取りつく島がないように思える田舎のコミュニケーションは、コミュニケーションの一つの在り方であって、そこには違うコミュニケーションが必要なのだ。

、人間には思いもつかない案が人工知能によって提案され、それを運用するにあたってコミュニケーションという基盤があることが重要なのだ。本書から私が得た気づきとはそこに収束される。

‘2017/07/17-2017/07/18


命を守る東京都立川市の自治会


数年前に、地元自治会の総務部長を務めたことがある。総務部長の仕事はなかなかに面白く、やり甲斐があったことを思い出す。とはいえ大変な仕事でもあった。日が替わってから仕事を終えて帰宅した後、深夜に一人で四十数軒をポスティングして回ったこともあった。職場の状況がきつきつで連日帰宅が深夜になっていた中、よくも一年自治会の仕事をやり遂げたと今更ながらに思う。貴重な経験をさせて頂いたし、自分の人生にとって非常に大きな経験だったと思っている。当時の役員の皆様や支えて頂いた自治会員の方々にはとても感謝している。

一年間の活動を通じて得たことは他にもあった。それは、自治会の存在意義が単なる住民互助会ではない、との知見だ。それは、一住民として自治会に加入しているだけでは決して理解できなかったと思う。自治体によって温度差はあるが、今の日本の自治会は良くも悪くも行政の末端組織として機能している。小さな政府の必要性が叫ばれ行政のスリム化が一層求められている今、自治体の重要性は無視できない。行政の末端組織として実質機能しながら建前上では行政の管轄外である自治会は、却ってそれ故に行政にとっても住民にとっても不可欠との知見。この視点を疎かにしたまま、時代の流れに任せて自治会を衰退させていくことは、今後の日本にとって良くないと思うに至った。

むろん上に書いたような知見は、私が一年の任期を終えた後に考えたことである。任期中は無我夢中のまま、あっという間に過ぎ去ったというのが正直なところだ。一年間、私なりに出来うる範囲で全力を出して自治会活動にあたり、悔いはない。悔いは無いが、本書を読むとまだまだやるべきことや次代に引き継ぐべきことが多々あったことに気付かされ、忸怩たる思いでいる。

本書の著者は、東京都立川市の大山団地にある大山自治会の会長である。その活動において、大山自治会または著者は様々な表彰を受けている。そればかりか、本書という形で書籍出版まで成し遂げている。

大山自治会の何がそんなに凄いのか。その答えは本書の中で縷々に述べられている。それは、総務を経験した私から見ても感心するレベルだ。

例えば加入率。本書によると大山団地は1300世帯が入居しているが、大山自治会への加入率は百%なのだとか。これは信じられない数字である。もっともこれには理由がある。大山団地への入居時に自治会加入を義務化しているからだそうだ。しかし、加入率だけでなく、会費納入率も百%なのだとか。私が総務を担当していた自治会は、大山自治会の半分ほどの世帯数である。しかし、私の在任時でも未加入世帯が3~4%はあったように記憶している。

さらに凄いのは役員会の出席率。これも百%だという。私の在任中、月一回の役員定例会を催していた。私の記憶では、百%の出席率を達成した役員会は1回あったかなかったか。そもそも私自身が毎月の定例会に出席することすら、家族からの不平不満にさらされていた。なので、大山自治会の役員全員が皆勤であることの凄さがなおさら実感できる。

また、大山自治会は孤独死がゼロだという。孤独死は痛ましいことだが、今の日本では起こりうることだ。実際、私の在任中にもお一人孤独死された方がいらっしゃった。お亡くなりになられてから十日余り寂しい想いをさせてしまったのだ。役員会でもお年を召された方に対し、責任感を持った民生委員さんと協力体制を取っていたが、それでも孤独死は防げなかった。大山自治会が孤独死ゼロということが本当であれば、様々な表彰も納得であり、活動内容が本書として書籍化されるだけのことはあると思う。

もちろん、上に挙げた数字は自治会の加入世帯の構成によって変動する。そのことは承知の上だ。役員出席率が百%の件にしても、役員が全員子育てを済ませた引退世代であれば、それもたやすいだろう。また、本書の著者は平日の日中に自治会の活動にかなりの時間を掛けても、支障のない境遇にあるようだ。それだからこそ、これだけの成果を挙げられたともいえる。私自身、総務部長としての在任中は平日の日中の対応は精々メールの返信がいいところだった。その点を含めて、最も精力的に動くことの出来る人々が自治会に時間を割けない自治会の在り方は、深く考えねばならないだろう。

また、大山自治会が成果を上げた理由として大きいと思うのがもう一つある。それは著者を会長として、同一体制の下、長期にわたって同一方針で運営できたことである。私が総務を担当して思ったのが、一年で成果を出し尽すのは困難ということ。本来ならば私も引き続き総務部長の任務を遂行し、定着させるべきだったのだろう。しかし連日帰宅が深夜に及ぶ状態で2年連続の総務部長に就くのは体力的にも時間的にも限界だったし、家族の不満も限界まで溜まっていた。また、そもそも私の自治会は、私が就任する数年前にとある事情があって長期政権がタブーになった経緯があった。そのために一年毎に全役員交替の慣習が続いていた。しかしそれらの事情を差し置いても、一年交代ではなかなか自治会の活動を継続的に発展させ続けることは難しいだろう。

ただ、私の場合は幸いにして私の次々代の総務部長がIT化を促進して頂き、その縁もあって私も再び自治会にIT業者として関わらせて頂くことになった。私は職業柄、自治会の運営改善の即効薬として、IT化による効率化を推進した。しかし本書で取り上げられる大山自治会ではほとんどIT化は進めていないらしい。では、どうやって日々の運用を行っているのか。それは専属の常勤事務職員の雇用を行っているからだという。

結局のところ、善意のボランティアだけで自治会活動を継続させることは、かなりの労力がかかる。それは私の経験からも深く実感している。大山自治会のように常勤事務員を雇うか、IT化の推進以外の道を見つけない限り、自治会の役割は蔑ろにされていく一方だと危惧している。

しかし今の日本に元気がないとすれば、それは地域の衰退も理由の一つにあると思う。地域の交流が衰えるとひいては日本も衰える。それを挽回するには地域の、自治会の力は必要ではないだろうか。

私はまだ、自治会をIT化で活性化せるという事業目標は捨ててはいない。クラウドが普及し、IT化が安価になりつつある今はチャンスである。自治会をITで元気にする。これは私の当面の課題でもある。

‘2015/3/28-2015/3/28


県庁おもてなし課


この題材の取り上げ方は見事。著者お得意の恋愛ストーリーと地方振興にからめ、さらには主人公の成長譚と公務員問題の提起までを一編にまとめてしまったことには脱帽の他ない。公務員が主人公というのもいい。

本書の舞台は高知。著者の郷里だとか。本書のあちこちで高知の魅力が語られ、著者にとっては、故郷愛を満たしつつ、返す刀で故郷への恩返しもするという欲張りな小説でもある。

高知県庁のおもてなし課に勤める主人公掛水は、県の観光振興策を観光大使という形でまとめ、方々に依頼する。そのうちの一人が東京で小説家として活躍する吉門喬介。吉門喬介から散々に役人思考についてダメ出しをくらうが、そこから紹介された人脈の力を得て、人間的に成長し、観光振興にむけて努力する、というのが大筋。これだけで主人公の成長物語として充分成立するが、さらに著者は構成に工夫を凝らす。吉門喬介に紹介された地元高知の観光コンサルタント清遠和政は凄腕だが、かつては高知県庁に在籍していた男。異彩を放つ観光振興案を連発するも、あまりに役人の枠からはみ出た思考が持て余された末、閑職に追いやられ、退職を余儀なくされた経歴をもつ。実は吉門喬介の父でもある。吉門喬介から紹介されて訪れた掛水にかつて果たせなかった高知の観光振興を託し、一肌脱ぐという清遠和政の魅力もよい。そこに吉門喬介が長期取材と称して高知に帰省し、父子で力を合わせて観光振興に腕を振るうという筋も合わさり、重層的な構造となっている。

さらには吉門喬介の血の繋がらない妹や、主人公の下で観光振興にはげむバイトの明神多紀など、著者お得意の恋愛模様のお膳立てにもぬかりない。本書は軽く読める本なのだが、実は物語の構造としては一筋縄ではいかず、さらっと流し読みするには惜しい本である。

本書は地方振興、観光誘致のモデルケースとして大変参考になる。いや、観光に限らず、客商売をする者にとってもよい参考書としても使えること請け合いだ。本書内では反面教師としての役人思考が頻繁に槍玉に挙げられる。それは著者が実際に経験したやり切れなさであり、全国の自治体に共通する悪習でもある。逆にいうと、その点こそが高知県が観光誘致で一頭抜けだすチャンスでもある。著者の小説家としての本能に加え、郷土の観光大使としての使命感は、本書で存分に発揮されているといえよう。本書の観光コンサルタント清遠和政のネタ元は実は著者自身ではないかとも思えるくらいである。観光政策というやりがいのある分野で故郷に関わり、本書のような果実を得た著者は、実にうらやましい。数多くのトラベルミステリー、星の数ほどある旅行記、砂の数ほどある観光パンフレットをはるかにしのぎ、本書一冊で観光大使百人分の役目は担ったのではないか。

巻末には著者と食環境ジャーナリスト、食総合プロデューサーである金丸弘美氏、そして高知県庁おもてなし課にお勤めのお二方との対談まで収められている。これもなかなか他の小説には見られない趣向だ。対談でも著者の郷里愛は炸裂し、読む者を紙面に引きずりこむ。本書で語られる印象的なエピソードは、実際に著者が高知県から依頼された際の体験を下敷きにしているとか。あまりに残念な役人思考に業を煮やしたのが、本書が生まれるきっかけとなったそうだ。もっとも対談相手となった職員お二方の発言を見ると、すでに役人思考から脱却しているように思える。それが証拠に、高知県の最近の観光パンフレットには見るべきものが多い。「リョーマの休日」「高知家へようこそ」など、秀逸なコピーが目を引く。私はアンテナショップ巡りが大好きで、永田町にある都道府県会館地下の全県観光パンフレットコーナーにもよく行く。その私が目立つと思うのだから高知県の観光キャンペーンは他県よりも秀でているのではないだろうか。それもこれも著者の故郷愛のなせる業だろう。人と生れてやりたいことは多々あれど、行政を変えていくことほど痛快なものはない。

先日、銀座にある高知県アンテナショップに訪れたが、名産のゆずを中心に、実に豊かな品揃えであった。実は、高知には四半世紀ほど前に行ったきりで、相当の期間ご無沙汰している。本書を読み、アンテナショップに行くだけで高知観光した気になってしまったのだが、それではいけない。次女が好きだったやなせたかしさんのミュージアムに行く計画も沙汰やみとなってしまった。私自身が高知に長期出張するという話も流れてしまった。このままでは今が旬の高知の観光行政の素晴らしさが味わえなくなってしまう。行くと云ったら行かねばならぬ。本書を読んだからには。

’2014/11/1-2014/11/1


鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町


昔からの街歩き好き、旅行好きである。名所旧跡はもちろん、風光明媚な景色や古人の遺した事跡、地元の人々との交流。旅から得られる喜びは何物にも替え難い。街歩きとは、時間の無い私にとって、それら旅のエッセンスを手軽に味わう手段でもある。歴史ある街には旅の要素が凝縮されているからである。街歩きを行う上で、私にとって欠かせないのは駅。街歩きと言えば郊外から車で乗り付けるよりも、街の中心である駅のホームに降り立つ一歩を好む。車で乗り付けた際も、初訪問の街の場合はまず駅に訪問し、観光情報を入手する。これが私の流儀である。

そんな私の街歩き史において、街歩きのスタート地点である駅が街の中心にないといった経験が度々ある。街の中心に駅がなく、駅前すなわち繁華街という思い込みが覆される街。町はずれの閑散としたロータリーに、風雨に疲れたバス停の錆びたポール。近隣に人を呼ぶ観光地がない無名な駅ならまだしも、徒歩1時間圏内に著名な旧市街地があるにもかかわらず、町はずれの閑散とした駅は存在する。私の経験では、西鉄の柳川駅や、JR萩駅、近江鉄道の五箇荘駅がそうである。柳川城址や御花、水郷巡りで知られ、維新の志士を生んだ長州藩御膝元で知られ、近江商人を輩出した商家の街並みで知られる地である。また、今でこそ大ターミナルである大阪梅田も、駅開設当初は町はずれの寂しい地だったと聞く。梅田が元々は埋田という意味だったことからも。

それらの駅と旧市街地はなぜ離れているのだろう。そんな私の疑問は、何かの書物から得た知識によって曖昧に解消されていた。明治の鉄道敷設にあたり、鉄道や駅が旧市街地から遠ざけられた場所があるという知識に。本書を読む前、私の中ではそのような曖昧な知識が定着していた。そのような鉄道忌避地は、近代化の波に取り残され衰退していったという知識に。

本書を読み、普遍と思い込んでいたそれら知識が何の裏付けもない、文献の鵜呑みであったことを思い知らされた。本書のタイトルにある、鉄道忌避伝説。著者は本書の中で、「明治の人々は鉄道建設による悪影響に不安をもち、鉄道や駅を街から遠ざけた」という通念を、鉄道忌避伝説として一蹴している。一蹴どころか、本書の中でそれが何の根拠もない伝説であることを繰り返し訴えている。

本書では、まず鉄道忌避伝説の定義について触れ、それが人口に膾炙していた理由として、鉄道史学が未発達であったため、学問的に検証されてこなかったことを指摘する。そして鉄道発祥のヨーロッパにおいては鉄道敷設に反対の運動があったことも紹介する。その前提を設けたのち、実際に文明開化期にそのような反対運動が文献資料として残っているかの証拠を探し求める。そして、そういった反対運動が文献上に残っていないことを提起する。それは、中央に残る文献だけでなく、地方史の忘れ去られたような文献まで当った上で。

続いて、各地に残る有名な鉄道忌避伝説が伝わる地について、個別に検証を重ねていく。私は本書を読むまで、東京の府中や愛知の岡崎、千葉の流山が鉄道忌避伝説の伝わる地であることは知らなかった。特に府中は数年通勤した経験もあり、故郷西宮に似た地として好きな街であるため、意外であった。本書ではそれらの地を例にとり、鉄道が敷設されなかった理由を解明していく。

本書が主張する鉄道忌避の理由は、明治期の未熟な鉄道敷設技術と予算の都合があって鉄道軌道が決まったことである。決して近隣の宿場町からの反対運動によって軌道を曲げた訳ではないことを種々の材料を用いて反証する。例えば府中は武蔵野崖線の崖上に一直線で通すルートとして中央線が通された為であり、岡崎は矢作川と岡崎市街地の位置から架橋によるルートではなく遠回りのルートを選んだため、流山は上野からの短絡線による常磐方面の経路を採用したこと。その理由を導き出す上で、本書では地形図による説明が必ず載せられており、理解しやすい。

また、本書では鉄道敷設に関する住民からの注文が全くなかったと主張している訳ではない。むしろ住民からの注文事例についてはかなりのページを割いて説明している。陸海軍からの国防上の理由による要望。農地利水の観点からの反対。伊勢神宮の参道沿線住民による声。東京天文台の観測に対する光害懸念などなど。それらの反対運動が、従来の鉄道忌避伝説で挙げられている理由に依るものでなく、さらに鉄道敷設それ自体を反対している訳ではない点も本書は強調する。この点、本書で断定しているが、鉄道忌避伝説を否定する根拠としては少々無理が見られるため、今後の研究が待たれるところである。

末尾に、何故そういった伝説が流布したのかという考察も本書は怠っていない。その一つとして、小学校社会科の副読本の記述を指摘している。なるほど副読本か、と蒙を啓かれた思いである。そして、貧弱な鉄道史学が近年発達したことにより、そういった鉄道忌避伝説を助長するような記述が減ってきていることも、著者の研究成果として、自負している。我々は都市伝説の一つが覆されつつある瞬間を、本書の中で目撃しているのかもしれない。

別に鉄道忌避伝説があったからといってなんら困ることはない。私の正直な想いである。私にとっては本書を読んで得たのは、街歩きや駅めぐり好事家の好奇心の解消だけなのかもしれない。だが、読書とは本来そのようなものではないだろうか。

’14/04/23-’14/04/25