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Dance Act ニジンスキー


バレエについては門外漢であり、本作が銘打つDance Actなる演劇形態についても、全く予備知識のないまま、劇場に臨んだ。しかしその演劇の粋を集めたような演出の素晴らしさとDanceの不思議な魅力には酔わされた。ゾクゾクする感覚、それを味わえる機会は、芸術鑑賞でもそうそうない。しかし本作ではその感覚に襲われた。

幕が開くと同時に、舞台上には彫像のように静止した4人の男女がそれぞれのポーズを取っている。と、一人一人が順にバレエの踊りを踊りだす。一斉にではなく、間合いをとって順に。その間合いは、4人の踊りの振りのリズムと同期している。流れが融け合っていく。そうして時間軸がつむぎ出され、舞台上の時間が動き出す。本作は時間の流れを意識している。観客も時間の流れに身を委ねることが求められる。しかも複数の時間を。本作の世界観に没入するには、時間を意識することが欠かせない。4人の男女は本作では時の流れを象徴するかのように作中を通じてダンスを幾度も披露する。或る時はゆるやかに。あるときは舞台の上で風を起すかのように。ある時は場面転換の先触れとして。冒頭から、本作における4人のダンサーの位置づけが分かりやすく示される。舞城のどかさん、穴井豪さん、長澤風海さん、加賀谷真聡さん。パンフレットを拝見するとバレエの振りは苦手という方もいらっしゃったのだが、それを感じさせないほど、緩やかに、かつダイナミックに躍動する姿は、実に美しい。

DANCER 舞城 のどか/穴井 豪/長澤 風海/加賀谷 真聡

踊り続ける4人の後ろから、安寿ミラさんが登場する。主人公ニジンスキーの妹ニジンスカという役どころで、本作を通してナレーションを務め上げる。登場早々、その立ち居振る舞いから、舞台上で流れる時間とは別の場所にいるかのごとく振る舞う。反復話法を駆使し、観客に対して本作の背景と登場人物間の関係を説明する。主人公の妹という役柄に加え、元宝塚男役スターの安寿さんの発声が舞台に効果を与えていることは間違いない。彼女の良く通る声を通じ、観客は徐々に本作の世界を理解する。このナレーションなくして、幾重にも重なりあう本作の世界観は理解しえない。

B.NIJINSKA 安寿 ミラ

ナレーションが始まってすぐ、精神を病んだニジンスキーが車いすで舞台上に登場。そして他の人物たちが舞台を去った後、彼の心中を具現したかのごとく、舞踊表現の粋を凝縮したような踊りが舞台上で展開される。バレエの振りについて詳しい訳ではないが、実に独創的である。これはニジンスキーの病んだ精神に閉じ込められた、舞踊家としての本能の迸りなのであろうか。主演の東山義久さんの狂気と快活さをともに表現した演技は鬼気迫るものがあった。

V.NIJINSKY 東山 義久

さらにはもう一人の役回しである、岡幸二郎さん演ずるディアギレフも登場。舞台の裏と表を行き来するその歩みは悠揚迫らぬもので、舞台に別の時間軸を持ち込む。そしてある時はニジンスカのナレーションと重ね、ある時は独白で、ニジンスキーとの愛憎を語り、ニジンスキーという人物の歴史を、その才能を語りつける。合間には見事な歌唱を披露し、芸術と男性の愛好家としてのディアギレフの複雑な内面を存分に示す。岡さんの歌声と声量は、本作の重要なアクセントの一つである。

DIAGHILEV 岡 幸二郎

本作の登場人物は全編を通して10人。それぞれがそれぞれの個性でもって、本作を構成する。その絶妙なバランスは素晴らしいものがある。ダンサーの4人も舞台上で時間軸を示すためには一人ではだめで、4人が4人の独自のステップを全うすることで、場面が場としても時間としても彩られる。

さきほどニジンスキーが車椅子で登場した際、車椅子を押していたのが、ニジンスキーの妻ロモラ。そして担当医師であるフレンケル医師。当初は舞台上の存在感はあえて抑えているが、徐々にこの二人が存在感を増す。ロモラは夫であるニジンスキーの才能や栄光という過去にしがみつく人物として。そしてフレンケル医師はロモラとの越えられない一線を耐えつつ、本作で唯一の常識人として舞台に静の側面をもたらす。つい先年まで宝塚娘役トップを務めていた遠野さんは、さすがというべき歌唱力もさることながら、その立ち居振る舞いが没落貴族でプライドだけに生きているロモラの危うさを見事に表現していた。そしてフレンケル医師に扮した佐野さんの落ち着いた常識人としての抑制の効いた演技は、本作にとって無くてはならないものである。

ROMOLA 遠野 あすか
DR.FRENKEL 佐野 大樹

舞台は、絶妙な演出効果と安寿ミラさんのナレーションにより、時間を一気に遡らずに、徐々に徐々に遡り、ニジンスキー一家の生い立ちを示す。そしてバレエ・リュス入団へと至る。ニジンスキーには兄がいて、先にバレエダンサーとして頭角を現すのだが、精神も先に病む。その兄が精神病院で亡くなったことをきっかけに、ニジンスキー自身も精神に異常を来す。その兄に追いつこうとするニジンスキー自身の狂った心を象徴するかのように、ニジンスキーの兄スタニスラフが登場する。30歳前半でなくなったという兄スタニスラフは、本作では少年のような出で立ちで舞台を所狭しと出現する。おそらくはニジンスキーの心の中に住む兄は少年の姿なのであろう。その姿は観客にしか分からず、ニジンスキー以外の登場人物には見えない存在として、本作の重層性にさらに複雑な層を加える。和田泰右さん演ずるスタニスラフは、本作のニジンスキーの心の闇を映し出す上で、外せない役どころである。その無垢なようでいて狂気を孕んだ登場の度に、観客の心に慄然とした感覚が走る。舞台後に楽屋で和田さんに挨拶させていただいたのだが、実にすばらしい好青年で、舞台とのギャップに改めて舞台人としての凄味を感じさせた。

STANISLAV 和田 泰右

安寿ミラさんのナレーションと岡幸二郎さんによるリードにより、ニジンスキーの栄光は頂点を極める。東山さんによるニジンスキー絶頂期の踊りは実に独創的と思わせるものがある。ニジンスキー本人の踊りも、後継者による踊りも知らない私だが、独創的と思わせる身のこなし、そして跳躍。Dance Actの本領発揮である。ある時は4人のダンサーを従えて。それぞれが素晴らしい舞踊を舞台狭しと表現する。その空間の中を、重厚なディアギレフの存在感を回避し、ロモラのプライドを翻弄し、フレンケル医師の常識をかき乱す。そして、ニジンスカのナレーションの効果はますます冴えわたる。

代表的なニジンスキーの舞踊である『牧神の午後』では全面に幕を張ることで影絵を通して自慰シーンを表現する。『ペトルーシュカ』では、人形を演ずるのが得意という、ニジンスキーの生涯とその狂気を解く鍵となる「操られる」ということについての解釈がなされている。

栄光の中、ロモラとの出会い、ロマンス。そして南米での結婚やつわり故の出演放棄に至り、ディアギレフの怒りが爆発する。栄光からの転落、そして忍従の日々。精神病院でのニジンスキーの追憶と、過去の現実の時間軸はますます錯綜する。この時、観客は何重にも進行する本作の時間軸の中に身を置くことになる。ニジンスカの兄ニジンスキーへの嫉妬を含んだナレーションの時間軸。ニジンスキーの追憶の時間軸。ディアギレフの愛憎交じった時間軸。そしてニジンスキーの兄スタニスラフへの敬慕と兄自身の狂気の時間軸。さらにロモラとフレンケル医師の惹かれあい、拒みあう感情の時間軸。最後に観客自身の時間軸。

幾重にも交錯する時間軸でも、観客は本作の世界観から取り残されることがない。それは冒頭のニジンスカの反復話法によって本作の世界観を叩き込まれているからである。また、10人の登場人物の本作での位置づけがしっかりと説明され、演技されているからでもある。このあたり、見事な演出と、役者の皆さんの卓越した演技による効果のたまものであろう。

ついに狂気の世界に堕ちていくニジンスキー。と、正気であるはずの絶頂期の舞踊においてすら、狂気を孕んだ演技を見せていたニジンスキーが急に快活となる。そしてディアギレフやニジンスカと本作を通して初めてまともな会話を交わす。そこには屈託や確執など微塵も感じさせない。ニジンスカのナレーションにはニジンスキーやディアギレフ没後の歴史が登場する。ここにきて、どうやら観客はニジンスキーは死に、死後の世界に来ていることを理解する。そして、ようやく彼の病んだ心が解放されたかのような錯覚を覚える。このあたりの東山さんの演技たるや素晴らしいものがある。

だが、快活なまま、ニジンスキーは本性をさらけ出す。操られるのが得意とさんざん言っておきながら、俺は神だ!と絶叫するニジンスキー。この時、舞台後方からのスポットライトに向かい、十字架を擬する。観客はニジンスキーの神を騙るかのような十字の影に彼の本心と狂気を観る。もはやナレーターではなく、兄に憧れ嫉妬する女性としてのニジンスカが、この時発する「あなた・・・狂ってる」。

私はこの時、全身にゾクゾクする戦慄を味わった。ニジンスキーの狂気と舞台人としての役者たちの演技に。

一度見ただけでは本作の時間軸を理解し尽せたとは思えない。ニジンスキーの手記もまだ販売されているそうなので、本作のDVDと合わせてもう一度見てみたいと思わされた。

2014/4/27 開演 14:00~
http://gingeki.jp/special/nijinsky.html