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ワールドカップ


サッカーのロシア・ワールドカップが終わった。総じてよい大会だったと思う。その事は好意的な世評からも裏付けられているのではないか。私自身、ロシア・ワールドカップは今までのワールドカップで最も多くの試合を観戦した大会だ。全部で十数試合は見たと思う。

私がサッカーのワールドカップを見始めたのは、1990年に開催されたイタリア大会からだ。それ以来、三十年近く、八回のワールドカップを見てきた。その経験からも、ロシア・ワールドカップは見た試合の数、質、そしてわれらが日本代表の成長も含め、一番だと思っている。

総括の意味を込め、大会が終わった今、あらためて本書を読んでみた。本書が上梓されたのは、1998年のフランス大会が始まる直前のことだ。フランス大会といえば、日本が初出場した大会。そして若き日の私が本気で現地に見に行こうと企てた大会でもある。

最近でこそ、ワールドカップに日本が出場するのは当たり前になっている。だが、かつての日本にとって、ワールドカップへの出場は見果てぬ夢だった。1998年のフランス大会で初出場を果たしたとはいえ、当時の日本人の大多数はワールドカップ自体になじみがなかった。2002年には日韓共催のワールドカップも控えていたというのに。本書は当時の日本にワールドカップを紹介するのに大きな役割を果たしたと思う。

本書を発表した時期が時期だけに、本書はブームに乗った薄い内容ではないかと思った方。本書はとても充実している。薄いどころか、サッカーとワールドカップの歴史が濃密に詰まった一冊だ。1930年の第一回ウルグアイ大会から1994年のアメリカ大会までの歴史をたどりながら、それぞれの大会がどのような開催形式で行われたのか、各試合の様子はどうだったのか、各大会を彩ったスター・プレーヤーの活躍はどうだったのかが描かれる。ワールドカップは今も昔もその時代のサッカーの集大成だ。つまり、ワールドカップを取り上げた本書を読むことで、サッカースタイルの変遷も理解できるのだ。本書は、ワールドカップの視点から捉え直したサッカー史の本だといってもよい。

ワールドカップの歴史には、オリンピックと同じような紆余曲折があった。例えば開催権を得るための争いもそう。南米とヨーロッパの間で開催権が揺れるのは今も変わらない。だが、当初は今よりも争いの傾向が強かった。そもそも第一回がウルグアイで開かれ、そして開催国のウルグアイが優勝した事実。その事は開催当時のいびつな状況を表している。当時、参加する各国の選手の滞在費や渡航費用を負担できるのが、好況に沸いていたウルグアイであったこと。費用が掛からないにもかかわらず、船旅を嫌ったヨーロッパの強国は参加しなかったこと。それが元で第二回のイタリア大会は南米の諸国が出なかったこと。特に当時、今よりもはるかに強かったとされるアルゼンチンが、自国開催を何度も企てながら、当初は隣国の大会に参加すらボイコットしていたこと。

他にもまだある。サッカーの母国と言えばイギリス。だが、イギリス連邦の四協会(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)は母国のプライドからワールドカップへの参加の必要を認めていなかった。実際、開催からしばらくの間、ワールドカップに発祥国イングランドの諸国は参加していない。上記の四協会は、今もフットボールのルール改正に大きな権限を持っている。ところが、当時はそもそもFIFAにすら加入していなかった。それ以後もなんどもFIFAへの脱退と再加入を繰り返し、サッカーの母国としてのプライドを振りかざし続けた。そんな歴史も本書には描かれている。

つまり、ワールドカップの歴史の始まりには、さまざまなプライドや利権が付いて回っていたのだ。世界の主要なサッカー強国が初めてそろったのが1958年のスウェーデン大会まで待たねばならなかった事実は、サッカーの歴史の上で見逃してはならない。

本書の読みどころは他にもある。サッカースタイルの象徴である選手の移り変わり。なぜ、ブラジルのペレが偉大だといわれるのか。それは彼が1958年大会で鮮烈なデビューを飾ったからだ。当時、サッカー界を席巻していたのは1950年初頭に無敵を誇り「マジック・マジャール」と呼ばれたハンガリー代表だ。その中心選手であるフェレンツ・プスカシュ。彼は当時の名選手として君臨していた。しかし、プスカシュはサッカーの王様とは呼ばれない。また、レアル・マドリードの五連覇に貢献したディ・ステファノも当時の名選手だ。ペレやマラドーナ、その他の世界的スターからサッカーのヒーローとして今も名前が挙げられ続けるディ・ステファノ。しかしディ・ステファノもサッカーの王様とは呼ばれない。それだけ、1958年のペレの出現は、当時のサッカー界に衝撃を与えたのだ。ワールドカップが初めて世界的な大会となった1958年の大会。真の世界大会で彗星のように現れたペレが与えた衝撃を超える選手が現れるまで、サッカーの王様の称号はペレに与えられ続けるのだろう。

1958年大会以降、サッカーは世界でますます人気となった。そして、その大会で優勝したブラジルこそがサッカー大国としての不動の地位を築く。しかし、1966年のイングランド大会では地元イングランドが地元の有利を活かして優勝する。1978年のアルゼンチン大会でも開催国アルゼンチンが優勝した。著者はそうした歴史を描きながら、開催国だからと言って、あからさまなひいきや不正があったわけでないこともきちんと記す。

その一方で、著者はつまらない試合や、談合に思えるほどひどい試合があったこときっちりと指摘する。この度のロシア大会でも、ポーランド戦の日本が消極的な戦いに徹し、激しい論議を呼んだのは記憶に新しい。そのままのスコアを維持すると決勝トーナメントに進むことのできる日本が、ラスト8分間で採ったボール回しのことだ。だが、かつての大会では、それよりもひどい戦いが横行していた。予選のリーグ戦ではキックオフに時間差があり、他の会場の試合結果に応じた戦い方が横行していた。特に1982年大会。1982年のスペイン大会といえば、幾多もの名勝負が行われたことでも知られる。だが、その中で西ドイツVSオーストリアの試合は「ヒホンの恥」と呼ばれ、いまだにワールドカップ史上、最低の試合と呼ばれている。

そして1986年のメキシコ大会だ。神の手ゴールや“五人抜き “ ゴールなど、マラドーナの個人技が光った大会だ。当時の私にとっても、クラスメイトの会話から、生まれて初めてサッカーのワールドカップの存在を意識した大会だ。私が実際にワールドカップをリアルタイムで見るようになったのは冒頭にも書いた1990年のイタリア大会だ。だが、本書でも書かれているとおり、守備的なゲームが多かったこの大会は、私の印象にはあまり残っていない。

守備的な試合が多かったことは、1994年のアメリカ大会でも変わらなかった。だが、私にとってはJリーグが開幕した翌年であり、今までの生涯でも、サッカーに最もはまっていたころだ。夜中まで試合を見ていたことを思い出す。

そして1998年だ。この大会は冒頭に書いたとおり、私が現地で観戦しようと企てた大会だ。初出場の日本は悔しいことに一勝もできず敗れ去った。そして、その結果は本書には載っていない。

だが、本書の真価とは、初出場する日本にとって、ワールドカップが何かを詳しく記したことにある。それまでのワールドカップの歴史を詳しく載せてくれた本書によって、いったい何人の日本人サッカーファンが助かったことか。本書はまさに、語り継がれるべき名著だと思う。

本書がよいのは、ワールドカップをゲーム内容だけでなく、運営の仕組みまで含めて詳しく書いていることだ。ワールドカップが今の形に落ち着くまで、どのように公平で中立な大会運営を目指して試行錯誤してきたのか。その過程がわかるのがよい。それは著者が政治学博士号を持っていることに関係していると思う。組織論の視点から大会運営の変遷に触れており、それが本書を通常のサッカー・ジャーナリズムとは一線を画したものにしている。

本書には続編がある。そちらのタイトルは「ワールドカップ 1930-2002」。私はその本を2006年に読んでいる。2002年の日韓ワールドカップの直前に、1998年大会の結果を加えて出されたもののようだ。私はその内容をよく覚えていない。それもあって、2002年の日韓共催大会の結果や、その後に行われたドイツ、南アフリカ、ブラジル、ロシア大会の結果も含めた総括が必要ではないかと思うのだ。参加国が拡大し、サッカーがよりワールドワイドなものになり、日本が出場するのが当たり前のようになった今、本書の改定版が出されてもよいと思うのは私だけだろうか。

‘2018/07/18-2018/07/20


鹿島の旅 2018/7/15


あまりよく寝られないままに起きました。あたりはうっすらと白んできています。朝ぼらけの鉾田駅前は人通りが全くなく、通り掛かる車もわずか。まだ時間は四時半ごろ。睡眠が満足に取れたとはいえませんが、私は行動を始めました。

この鉾田駅、廃駅になってからすでに十年以上の月日をへています。しかも、その十年の間に起こった東日本大地震が、残っていたホームの遺構を完全に壊してしまいました。なので、バス会社の車庫に併設されたバスターミナルがあるとはいえ、ここがかつて駅だったことを示すものはほとんど残っていません。かろうじて壊れて陥没したホームや線路の後はまだ残っており、バス会社の事務所がかつての駅舎だったことを想像させる程度。あるいは脇に立つコンクリート造りの廃屋が駅舎だったのかもしれません。
草深き 路盤の鉄路 今はなし

私は荒れ果てた駅の跡地を散策しつつ撮影します。まだ早朝の霧が体にまとわりつく中、私は思うがままにあたりを歩きまわりました。鉾田駅の裏手には、広大な草原のようなものが広がっています。湿原とでもいえそうなこの湿原、後で調べましたが、何なのかよくわかりません。ゴルフ場でもなく、湿原として登録されていることもなさそう。ですが、北海道や尾瀬でみられるような光景は、旅立ちの朝として旅情をかき立ててくれます。立ち上る霧の向こうに果てなく広がる湿原。鉾田駅にはあらためて訪れたいと思いました。

駅周辺を存分に撮影した後、私は移動に踏み切りました。と、すぐに鉾田駅から数百メートルほど離れた場所にあるファミリーマートを発見。このファミリーマート、イートインコーナーを擁しています。ここのファミリーマートを昨夜知っていれば、充電ができたかもしれないのに残念。ここで朝食を食べたり充電したりして1時間近くを過ごしたでしょうか。バッテリーと胃を満たしたところで次の行き先へ向かいます。

鉾田市内をぐるっと回り、訪れたのは新鉾田駅。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の駅です。新鉾田駅は高架の上に設けられた単線の駅。有人改札でした。後で調べたところでは、鹿島臨海鉄道でも数駅しかない有人駅のうちの1つだとか。早朝とはいえ、時間も限られているので、私は新鉾田駅にはそれほど長居せず、次の場所へと向かいました。

次に私が訪れたのは、北浦湖畔駅です。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は単線で、しかも非電化の路線です。なので外から見ても鉄道があるようには見えません。延々と伸びる高架。それが、なかなか良い風情をこの鉄道に与えています。

北浦湖畔駅は、築堤の上にありました。この駅を私は下から、そして築堤の上から存分に撮影しました。ちょうどその時、気動車がやってきました。この気動車、二両編成です。朝の北浦に沿って走ってきたのでしょう。気動車がぶるぶると息もあらく駅を去っていく様も、物悲しいような情緒にあふれていました。朝もやの中に徐々に姿を消していく気動車。その様子は、鹿島臨海鉄道に対する私の愛着を産みました。
気動車の吐く煙 ともに霧に去り

今日の予定は、鹿島神宮をじっくりと参拝する予定でした。ですが、鹿島臨海鉄道の風情が気に入った私は、他の駅にも寄ってみることにしました。朝が早かったため時間もたっぷりありますし。

北浦湖畔を南に向かう途中、北浦に架かる橋を見つけました。行方市へ渡る橋のようです。ちょっと渡ってみました。この辺はとにかく農業の盛んな土地のようです。畑が一面に広がっています。ここが関東とは思えないほどののどかさを発揮していました。行方に渡ってはみたものの、丘の上の体育館に立ち寄った程度。私はすぐに橋を渡り、鹿島臨海鉄道の鹿島灘駅へと向かいました。

のびのびと続く道路の脇に、鹿島灘駅のロータリーへのパスが見えます。私はロータリーに車を停め、駅を散策しました。と、ちょうど気動車がやってきました。その気動車にはラッピングがされていました。鹿島臨海鉄道の沿線には大洗があり、そこにある水族館「アクアワールド」の水族たちをあしらっていました。なお、大洗はアニメ「ガールズ&パンツァー」の舞台にもなっているようです。それにあやかった「ガールズ&パンツァー」とのタイアップによって観光客を呼び込んでいるようです。駅にも「ガールズ&パンツァー」のキャラクターをあしらったポスターやステッカーが見受けられます。私は「ガールズ&パンツァー」を観ていないので、全くわかりませんが。

さて鹿島灘の駅の次に訪れたのは鹿島大野駅。この駅には最初から寄るつもりでした。なぜなら、鹿島大野駅は関東の駅百選に選ばれていたからです。この駅も無人駅でしたが、駅舎は立派なもの。独特の意匠が存在感を出していました。駅前は広大で、十分なゆとりがあり、百選に選ばれる理由も理解できます。ただ、コンクリートの駅舎には歴史の重みよりも、材質に由来する疲れと、随所に荒れが見られ、手入れがなされていない無人駅の悲しみを感じました。

鹿島大野駅よりも私が好感を持ったのは、次の長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅です。日本で一番長い駅名だそうです。ここでは、駅のロータリーに花壇が設えられており、地元のボランティアの方々と思しき年配の方々が一生懸命に手入れしていました。駅の周囲は白い砂で覆われています。その様はまるで三カ月前に訪れたばかりの沖縄を思わせます。駅のすぐ横を道路がまたいでおり、そこから駅を見下ろすこともできます。駅に到着し、遠ざかる気動車を見送ることもできました。

せっかく日本一駅名の長い駅に訪れたのだからと、近所のはまなす公園にも足を伸ばしてみました。この辺りは、北浦と太平洋に挟まれた長い砂州のような土地ですが、それなりに起伏があります。はまなす公園は名前こそ浜辺にありそうな名前ですが、実は起伏に富んだせせらぎや池を擁しており、公園が好きな向きには興味深い場所です。昇龍の滝と名付けられた人口の滝もしつらえられており、期せずして今回の旅で滝も訪問できました。オニヤンマが辺りを遊弋し、地震で壊れたままとはいえ、水琴窟が設えられています。この公園の目玉は展望塔です。私もお金を払って上に登りました。

朝方に辺りを覆っていた靄こそ消えたものの、展望塔からの景色はあいにくの雲でさえぎられていました。なので鉾田や鹿島の風土を一望に見渡すことはできませんでした。ただ、展望塔にはこの地を紹介する展示がありました。鹿島の歴史や風土。かつての鹿島神宮が置かれた地理や、鹿島神宮を中心として栄えてきた歴史の一端。それらを知ることができたのはよかったです。展望塔から見下ろすと、グラウンドでは少年野球の試合が行われ、フリーマーケットが催されています。のどかな朝の様子を堪能しました。
鹿島灘 霧とハマナス 斑色

私が続いて訪れたのは、荒野台駅。駅の名にそむかず、駅の片側の地は全くの未整備。道路だけは区画されていますが、区画された未来の駅ちか物件は、植物が奔放に蔓や枝を伸ばしています。一組の家族連れが、虫かごと網を持って昆虫を探していました。多分、この辺りには昆虫がわんさかいるのでしょう。その証拠に、私もロータリーの地面でバタバタしていたカブトムシのオスを捕まえました。その傍の林の樹の幹でもカミキリムシを捕まえました。荒れ野どころか、自然の豊かな駅。私にとっての荒野台駅はそんな印象を残しました。

さて、そろそろ鹿島の街並みが近づいてきました。次に私が向かったのは、塚原卜伝の墓と生家跡です。かつては梅香寺の境内にあったとされる墓ですが、寺は昔に焼失し、元は寺の境内だったと伝わる地に祠と墓が残るのみです。でも、小高い斜面を登った場所にある墓の位置は素晴らしい。周りの小高い丘に囲まれており、そこからの景色は素朴な感じに覆われていました。ここで眠れる塚原卜伝は、剣豪として生き抜いた怒涛の生涯からは一転、安らかでくつろいでいられそうです。私は自分の墓の場所にはあまりこだわりはありません。ですが、塚原卜伝の墓の場所だけは望ましいと思いました。こういう場所で永遠の眠りにつきたい。
剣聖を 詣でし我に トンボ守り

続いて私が向かったのは、鹿島神宮駅です。昨夜訪れた時は、暗闇の中に立つ塚原卜伝の像はよく見えませんでした。お日様の下でみる、剣豪は鹿島の街とその発展を見据え、堂々としています。鹿島神宮の駅前は、昨夜見た時の印象とさほど変わりません。にぎやかではなく、店もあまり見られません。ただ、鹿島神宮へ至る参道の玄関口としては、十分な広さがとられていました。駅には鹿島臨海鉄道の気動車も停車しており、ターミナル駅であることは十分に理解しました。


さて、ようやく鹿島神宮へ参拝する時がやってきました。昨晩訪れた参道は、誰もいない静けさに満ちていました。ですが昼間はさすがに人通りがあり、店々が軒を開いています。門前町としてにぎわっていますが、あくまでも節度をわきまえているようです。私は駐車場に車を停め、参道を歩いて境内に入りました。楼門から、拝殿で参拝し、さらに奥宮へと歩を進めます。

鹿島神宮は初めての参拝ですが、ここは拝殿や本殿よりもさらに奥の樹叢や奥宮、そして御手洗池が印象に残りました。御手洗池。この池は全く涸れることがないそうです。横から湧き出る泉の水は汲み放題。御手洗池から流れ出した水流はさらに奥へとせせらぎとして流れ、辺りを潤しています。このせせらぎにはザリガニが多数生息しています。その多さはなみではありません。少年たちが無限に思えるほどのザリガニを捕まえていました。私も手で何匹か捕まえてみました。簡単に手で捕まえられるほど、ザリガニがうじゃうじゃといます。これほどたくさんのザリガニを一つ所で見たのは生まれて初めてでしょうね。東屋が設けられていますが、笛を吹く方が多彩なメロディーを奏で、あたりのなごやかな光景に彩りを添えています。
熱暑にも きのこ育む 清き杜

御手洗の 霊験篤し ザリガニズ

御手洗池とその周辺の景色。豊かな自然の中を流れる緩やかな時間。私は時の過ぎるのを忘れ、ここでしばしの癒しを受け取りました。茶店でイワナの塩焼きを食べ、日あたりのよい景色を眺めながら、御手洗池にはもう一度来たいと心から思いました。境内には鹿園があり、何匹もの鹿が餌を食んでいました。鹿の餌が売られていたので、私も餌を買って鹿と触れ合いました。鹿と言えば奈良が有名ですが、もともと鹿島の鹿が由来なのだとか。

境内の樹叢は、まっすぐな高みを持つ杉が何本も林立し、ここが神聖な杜を感じさせてくれました。縦に伸び、広がりを持つ樹叢は、はるか向こうまで奥行きをもって続いています。それらの樹々は長い年月をかけて育ち、時間の積み重ねを体現しています。縦横奥行きに加えて時間をも。この樹叢は、四次元の空間そのものなのです。その一角には、要石と呼ばれる石が埋まっています。古くから今までに幾多の地震を食い止めて来たのだそう。事実、鹿島を震源とした地震はあまり聞いたことがありません。北には北米プレートと太平洋プレートがせめぎ合う日本海溝を、西には関東大震災や遠からず来る東海地震の震源を擁するこの地。古人は経験からこの地が地震の緩和地帯であることを見抜いていたのかもしれません。この先も要石がわが国の地震の被害を最小限に留めてくれることを祈りました。

鹿島神宮は果てしないほど境内が広いわけではありません。かつては広大な所領を有していたのでしょうが、今は道路や住宅地、店舗に囲まれています。ですが境内の中に入ると、広く感じられるから不思議です。四次元の空間がそう感じさせるのか、自然に富んだ御手洗池がそう思わせるのか。さほど広くもなく、寝ていない割には疲れを感じません。もう一度行ってみたいと思える神社でした。
人の来ぬ 道を進んで 涼をとる

参道を歩いて駐車場に戻りました。参道で鹿島名物を食べたかったのですが、掲題の御手洗池のほとりで食べたイワナで我慢。次回はいろいろと食べたいと思います。

続いて私が向かったのは、鎌足神社です。藤原鎌足が鹿島の出身である事は、前掲の「本当はすごい!東京の歴史」にも載っていました。私ももともとの知識として持っていました。その出自を証明するかのような鎌足を祀る神社があると知り、これは行かねばなるまい、と思いました。鎌足神社は鹿島神宮とは比べ物にならないほど小規模で、宮司も常駐していないような小さなお社でした。ですが、この神社こそが、日本を長年にわたって支配し続けた藤原氏の由来が鹿島にあった証なのです。
明日香へと 史よ届けと 汗立ちぬ

続いて、近くにある根本寺でも参拝。ここには芭蕉も訪れたことがあり、鹿島でも、いや、日本の国内でも有数の古刹とのこと。誰もいない境内には蝉の鳴き声が響き、夏を感じさせてくれました。すぐそばには鹿島城山がそびえていました。車で頂上の駐車場までアクセスでき、そこからの景色はなかなかの絶景でした。鹿島神宮側が見られず、神宮を一望できなかったのが残念です。鹿島城を見られたことで、もう一つの目的地に足を向けました。
燃える日に 発願せんと 蝉時雨

早朝の 霧は何処へ 高気圧

霧去りて 陽が照り返し 水郷や


まず最初に訪れたのがクラブハウス。鹿島の臨海工業地の一角に立つそこは、見事な設備で私を迎えてくれました。アントラーズと言えばJリーグ屈指の名門チームとして有名です。ところがJリーグ発足前のチームは、住友金属工業のサッカー部を母体とした、弱小な地方の一クラブでしかありませんでした。それが、今や、Jリーグ最多の優勝回数を誇るクラブに成長しています。その成功の秘密の一端がこのクラブハウスの設備から垣間見えました。暑い中、選手が練習している姿も見えます。アントラーズグッズもさまざまなものが取りそろえられています。ここでは鹿嶋市のマンホールカードを配布していましたが、マンホールをあしらったマウスパッドも購入しました。本当はユニフォームなども買いたかったのですが、そうそう来られないので我慢しました。

クラブハウスの近くには、風力発電の風車がいくつも回っていました。私はそれらを写真に撮ろうと鹿島港へと車を走らせました。鹿島の街の発展は、鹿島神宮や塚原卜伝に代表される武道の伝統だけではなく、鹿嶋港を中心とした工業地帯に支えられたことも忘れてはなりません。鹿島アントラーズもまた、港を中心とした産業から生まれたクラブだったのですから。


日が昇り、暑さがかなり厳しくなってきました。私は続いてカシマサッカースタジアムへと向かいました。ゆうべ見た繭のように白く輝くスタジアムは、太陽の下でも同じように輝いていました。ジーコの像があり、サッカーボールのモニュメントがスタジアム前に飾られています。私はカシマサッカーミュージアムがあることを知り、外観をじっくり眺める間も惜しく、そこへ入りました。鹿島アントラーズといえばJリーグ発足時を彩った幾人もの名選手を忘れるわけにはいかないでしょう。ジーコはもちろん、アルシンドや本田選手、黒崎選手、長谷川選手、秋田選手、古川選手、レオナルドやジョルジーニョなど、枚挙に暇がありません。

ミュージアムには当時のロッカールームがそのまま残されています。展示コーナーにはクラブが今まで勝ち取ってきたトロフィーやペナントで埋め尽くされています。おびただしい新聞記事が額装されたパネルとして並び、当時の熱狂を思い出させてくれます。今までに在籍した選手のうち、アントラーズの歴史で特に選ばれた十数名が殿堂入りと同等の扱いで顕彰されるコーナーも設けられています。まさに、Jリーグが発足してから二十数年の歴史がこのミュージアムに凝縮されています。2002年日韓ワールドカップの舞台としても使われたことや、そもそもスタジアム建設前からの歴史など、町おこしのレベルをはるかに超え、世界にカシマの名を轟かせたいきさつを知ることができました。かつて、Jリーグ発足前にはサッカーでは無名だった鹿島が、なぜここまで国内屈指のサッカーの街になりえたのか。その歴史は日本のこれからを考える上で参考となりました。

私はカシマサッカースタジアムの中で至福の数時間を過ごしました。ミュージアムからはグラウンドのピッチにも少し足を踏み入れることができます。広大な空間を選手の視線から見渡す感動。私が訪れた日は試合は開催されていませんでしたが、試合となるとこのスタジアムがどう変わるのか。興奮がまざまざと伝わってくるようです。

私は、ミュージアムの中に図書室を見つけました。図書室に展示されている膨大なサッカー関連の雑誌や書籍の数々。目をみはりました。サッカー、ストライカー、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト。その他いくつものサッカー雑誌の数々。私が知らないものもあります。そうした貴重な雑誌の数々がバックナンバーとして創刊号から含めて並んでいます。サッカーがまだ日本ではそれほど人気でなかった頃のサッカー雑誌など、そうそう読めるものではありません。七十年代、八十年代の記事を時間のたつのを忘れて見入っていました。タブレットを充電させてもらいながら。

寝不足もあって、三十分から一時間ほどの仮眠もさせてもらい、私はこのミュージアムの設備をあらゆる意味で堪能しました。

すでに時刻は閉館の5時近くになろうとしています。私はミュージアムを出て、カシマサッカースタジアム駅へと向かいました。この駅はスタジアムで試合が開催される日だけ営業し、普段は臨時駅として使われていません。この日も駅の中には入れませんでしたが、鹿島臨海鉄道とJR東日本の共同駅の様子を外から思うままの角度で撮りました。

そろそろ日が落ちてきました。私が鹿島にいられる時間もそう長くはありません。本当は銚子の方にも行きたかったし、香取神宮や息栖神社にも行きたかった。ですが、とても行けそうにありません。そこで私が向かったのは鹿島灯台。住宅地の中にぽつんと立つ灯台は、海に面していないにもかかわらず、なかなか見ごたえのあるものでした。

おお、日が今にも落ちそうとなっています。鹿島に来れるのはいつかわからず、あと一カ所どこかに行っておきたい。そこで、私は近くのもう一駅だけ寄ることにしました。北浦を渡る橋から見事な夕日を眺めながら、対岸の潮来市へ。延方の駅前を散策します。JR東日本の駅をじっくりと堪能しました。

鹿嶋市を去るにあたり、最後にやり残したこと。そう、それは昨晩ばんどう太郎に行けなかったこと。銚子方面に足を伸ばせなかったこと。なので神栖市にあるばんどう太郎を訪れ、うどんで鹿島の旅を締めました。疲れた体においしいうどんがとてもうれしかった。

お店を出た時、すでにあたりは闇に覆われており、私は都心への帰途に就きました。高速道路を飛ばして都心へ。途中、妻子を帝国ホテルで拾い、家へと。充実に充実を重ねた二日間でした。


場所 日時
Pasar幕張 幕張PA (下り) 2018/7/14 19:41
ミニストップ Pasar幕張下り店 2018/7/14 19:47
酒々井PA (下り) 2018/7/14 20:09
大栄PA (下り) 2018/7/14 20:25
佐原PA (下り) 2018/7/14 20:45
鹿島神宮大鳥居 2018/7/14 21:01
鹿島神宮 楼門 2018/7/14 21:16
カシマサッカースタジアム 2018/7/14 21:47
出光 セルフ鹿嶋SS 2018/7/14 22:14
ちゃあしゅう屋 鹿嶋店 2018/7/14 22:20
鹿島神宮駅 2018/7/14 22:56
剣聖 塚原卜伝生誕之地 プレート 2018/7/14 23:07
ミニストップ 鹿島神宮駅前店 2018/7/14 23:15
セイコーマート鹿嶋中店 2018/7/14 23:28
鉾田駅 2018/7/15 0:13
ファミリーマート 鉾田中央店 2018/7/15 5:38
新鉾田駅 2018/7/15 6:13
北浦湖畔駅 2018/7/15 6:23
鹿島灘駅 2018/7/15 7:06
鹿島大野駅 2018/7/15 7:30
長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅 2018/7/15 8:37
大野潮騒はまなす公園 2018/7/15 9:16
荒野台駅 2018/7/15 10:58
セイコーマート 鹿嶋小山店 2018/7/15 11:14
塚原卜伝の墓 2018/7/15 11:24
塚原卜伝像 2018/7/15 11:41
鹿島神宮大鳥居 2018/7/15 11:48
鹿島神宮 楼門 2018/7/15 11:51
鹿島神宮 拝殿・本殿・御神木 2018/7/15 11:56
鹿島神宮 境内鹿園 2018/7/15 12:15
鹿島神宮奥参道 2018/7/15 12:15
鹿島神宮 奥宮 2018/7/15 12:16
鹿島神宮 要石 2018/7/15 13:00
鎌足神社 2018/7/15 13:34
根本寺 2018/7/15 13:40
鹿島城山公園 2018/7/15 13:56
鹿島アントラーズ クラブハウス 2018/7/15 14:22
セイコーマート 鹿嶋平井店 2018/7/15 14:44
カシマサッカースタジアム 2018/7/15 15:20
カシマサッカーミュージアム 2018/7/15 15:20
鹿嶋灯台 2018/7/15 17:39
延方駅 2018/7/15 18:24
ばんどう太郎 神栖店 2018/7/15 18:48
大栄PA (上り) 2018/7/15 20:15
辰巳第二PA 2018/7/15 21:44
神田橋出入口 2018/7/15 21:53
帝国ホテル 東京 2018/7/15 22:00

日本代表はこれからも成長し続ける。


ロシアワールドカップが佳境を迎えています。

今朝未明には、日本がベルギーに対して後一歩まで追い詰める戦いを見せてくれました。私もテレビの前で応援していました。そして感動しました。サッカーの試合をみた後、ここまで放心状態になったのは久しぶりです。多分、ドーハの悲劇以来かも。でも、今は日本代表の選手やスタッフの皆さんに激闘をねぎらいたい気持ちでいっぱいです。特に今回のワールドカップの日本代表は攻める気持ちに満ちていたのでなおさらうれしかった。

もちろん、ポーランド戦の最後の8分+アディショナルタイムは、観ていた私もイライラが募りました。でも、よく考えると当然ありうる批判を承知であういう戦術を取ったのだから、それは逆説的に攻めの姿勢だといえます。ポーランド戦のあの時間の使い方にはさまざまな方から多様な意見がでました。それでいいと思います。いろいろな意見が同居してこそ成熟していけるのですから。さまざまな意見は成長にもつながります。私はあのパス回しは、ドーハの悲劇を経験したからこその成長だと思っています。

私は何よりも今回の戦いで日本の成長が感じられたことがうれしかった。感謝です。私にとって日本代表のあるべき姿とは、奇跡でもジャイアント・キリングを成し遂げることでもなく、着実な成長によって一歩一歩成長していくことなのです。ベスト8に行けなかったとしても、成長の結果があれば胸を張れます。なぜならそれは私自身の生き方にかぶるからです。

1993年のドーハの悲劇も同点シーンの直前までテレビ観戦していました。あの同点ゴールの瞬間、私はやきもきしていたあまりに見ちゃいられないと目を離しました。その悔しさから1997年のジョホールバルの歓喜はテレビで目撃していました。そして1998年、日本が初めて参加するフランス大会を応援に行こうと一念発起しました。スコットランドの蒸留所で働きながら、フランスへ休暇をとって遠征しようと。英文で蒸留所に履歴書を送りもしました。結局、渡英も渡仏もできませんでしたが、そのエネルギーは単身東京に出て一人暮らしする推進力となりました。上京した私は、2002年の日韓ワールドカップをスカパーのカスタマーセンターで体験しました。それはまさにワールドカップ景気の真っただ中でした。以来、2006年、2010年、2014年と毎回テレビで観戦しています。日本代表がワールドカップで戦う日々は、私が勤め人から個人事業主へ独立し、家族や家の問題で悩む私の人生の浮き沈みと軌を一つにしています。だからこそ、今回の日本代表チームがオフェンシブな姿勢を見せてくれたことがうれしいのです。守りではなく攻めの姿勢でいてくれたことが。

私の人生には失敗もたくさんあります。それは全て攻めの姿勢から出た失点です。でも、私は後悔していません。その失敗は私の糧となりました。ちょうど日本代表がドーハの悲劇で攻め続けたことで逆襲を食らい同点にされた経験を、今回のポーランド戦で生かしてくれたように。それが成長の証なのだと思っています。そして、批判されたポーランド戦の振る舞いを倍返しするかのように、ベルギー戦では躍動する姿で見返してくれました。ベルギー戦の最後のカウンターアタックも、性急に攻めたとの批判をあるようですが、私はそれを含めて誉めたいとおもいます。その姿は守りの姿勢では日本代表は強くなれないことの何よりの証明です。そして人生も守りに入るとそこで成長は終わりです。

おそらくファンの方には性急な結果を求める人もいることでしょう。ベスト8に進みたかったと。でも、私には今回の戦いで日本が成長していることを世界の人々に分かってもらったことで十分です。そしてピッチの中だけでなくスタンドでもそう。サポーターの皆さんがスタンドの清掃を率先して行うことで、日本が世界の中で存在感を見せてくれました。ベルギー戦の敗戦後もロッカールームをきちんと清掃した日本代表の姿も称賛されました。

私がサッカーを見始めたころの日本にとって、ワールドカップとは夢の世界でした。三菱ダイヤモンド・サッカー(かつて放映していたテレビ番組)の中で髪を振り乱して疾走するマリオ・ケンペスの姿に印象を受けた頃、私は日本がワールドカップに出られるなんて考えてもいませんでした。それから30何年。いまや日本は世界から称賛される国になりました。これを成長と呼ばずして、何と呼ぶのでしょう。成長を続けていけば、いずれは日本もベスト8に勝ち残り、ゆくゆくは決勝の舞台を戦うことだってあるでしょう。私が存命中に日本のキャプテンがトロフィーを掲げる姿が見られることもあるはず。女子がすでにそれを成し遂げているのですから。

私はサッカーと政治を結び付けることはくだらないと思います。政治とは関係なく、まずサッカーでさらなる成長を遂げること。それが望みです。そして日本サッカーの成長を楽しみながら、これからの人生を歩みたいと思っています。その望みを叶えるためには、もっと関心が高まらないと。日本が敗退したから「はい、ワールドカップみるのやんぴ」というのではなく、引き続きサッカーを見てほしいのです。これから準々決勝、準決勝、決勝と世界の強豪チームによる素晴らしい試合が見られるはず。今回も私が観た中でスペインVSポルトガル、アルゼンチンVSフランス、日本VSセネガル、日本VSベルギーといった名勝負がありました。同じように素晴らしい試合をまだ楽しめるはず。決して一過性のブームでやり過ごすのではなく、サッカーを楽しみ、サッカーに興味を持ってほしい。人々が祭りだけでなく、普段からサッカーに関心を持ってくれれば日本はさらに成長できるはず。

そんな私もここ十年ほどは、J1、J2の試合を年に一度見に行くぐらいの、ワールドカップの時に湧き出るにわかサッカーファンの一人に成り下がっていました。だからこそ私は、今回の日本代表の戦いに感銘を受け、これではいかんと思いました。そんなわけで、弊社にできることといえば地元チームのサポートです。今回、弊社は地元の町田ゼルビアの一口サポーターになりました。まだ弊社には余裕がないので一口しかサポートできませんし、オフィシャルサイトに名前も載りません。そもそも登録してくれたのはうちの妻ですし。ですが、私もこの機会に町田ゼルビアをまた応援しようと思います。町田ゼルビアは娘たちがチアリーディングチームに属し、お世話になったチーム。私もその頃は何度も観戦に行きました。なので、この機会にまず地元から協力しようと思います。そしてここ二年ほど、応援にも行けていないので、サポーターに登録したことを機会にゼルビアの試合から観に行こうと思います。日本がより強くなるためにも。


PK


2014 FIFAワールドカップ Brasilの開催中に読んだ本書。旬なタイトルもあって手に取った。

著者はすでに「あるキング」という野球の不条理さと文化を逆手に取った興味深い一冊をものしている。本書もそれに連なり、サッカーに絡めたエスプリの効いた一篇であることを期待した。キッカーとキーパーの息詰まる駆け引きと、その周辺の思惑を絡めたような。

著者にかかると、こうなるか、という意表を突く展開である。精彩を欠いたサッカープレーヤーの逡巡。そこには何があったのか。脅迫や八百長など、可能性は様々に浮上する。著者の筆は時空を自在に行き、謎の登場人物や出来事を次々に繰り出す。SFめいた展開があるかと思えば、サッカーというスポーツの本質を突くような描写もある。単なる謎解きに終わらない展開もよい。それでいて、冒頭に提示された謎はさわやかな読後感を残して物語は閉じられる。

旬な時期に本書を読めてよかったと思えた一冊。

’14/06/18-‘14/06/19


4‐2‐3‐1―サッカーを戦術から理解する


昨年末から今年にかけ、サッカー観戦の集まりに参加する機会を何度も頂き、今年はサッカーじゃ!と燃えていた時期に読んだのが本書。

この本を読んでから7か月が経つが、予想以上の残業の日々で観戦の機会がせいぜい2,3度しか取れず、本書から得た知見を活かせる機会がないのは残念としかいいようがない。

だが、本書から得た知見は古びた訳ではなく、日本代表が4-2-3-1の布陣に変えたことで、本書の分析が的を射ている証左になったと思う。

サッカーの戦術面について多くを割いている本書だが、戦術、ひいては規律の重要性を強調し、そこからビジネスの話につなげるといったつまらない内容ではない。サッカーのダイナミズム、華麗な個人プレイと並び称されるべき布陣、戦術の魅力を、豊富な試合例から解説している。

サッカーの布陣というとなんとなく4-3-3とか5-3-2とか、数字だけが独り歩きしている印象が強いが、なぜそうでなければならないのかを正確に語れる人は少ない。少なくとも本書を読むまでの私はそうであった。

本書を読むと、なぜ一時代を築いたあのチームは強かったのか、また、あの大会あの試合でジャイアントキリングがなぜ起きたのか、について興味深い知見が得られるだろう。また、上に書いたことと矛盾するが、ビジネスや人生の上で組織を築く役割に就く際にも本書は参考となると思われる。実際に本書を読んで少し後に、総務部長として組織を作りあげる必要があったが本書から得た知見も参考になった。

最近は時間がなくYouTubeやスポーツ番組でダイジェストを見るだけの関わり合いに甘んじているが、布陣を理解するには一試合通した観戦が必要であり、自分の人生を豊かにするためにも、観戦の機会を作らねばとつくづく思う。

’12/03/27-12/03/28