雀の手帖


著者の父君は明治の文豪、幸田露伴だ。尾崎紅葉と並び称され、当時の文壇を率いた活躍は紅露時代と名付けられ、日本文学史にしっかりと刻まれている。ところが私は幸田露伴の著作を読んだ事がない。何度か『五重塔』は読もうとした。だが、その度に文語調の文体に手を焼き、断念した。

そして本書だ。著者は文豪の娘であるが、その立場に安住しない。自らも作家として大家の中に伍している。父露伴を描いた諸作品を著し、エッセイの名手としても名を高めている。実は私は著者の文章を読むのは初めてだ。著者が書くエッセイの妙味を味わってみたくて本書を手に取った。

エッセイとは簡単なようで難しい。日記だけなら私もこの四、五年ほど、毎日Facebookにアップしている。ところがそれは日記でしかない。私は、たとえ”SNS”であろうとも、自分の書いた物にはエッセイのような一味を加えた味わいを出したい。そして自分がFacebookにアップする文章には過度なビジネス臭を漂わせたくない。そう思っている。普段、ビジネスに忙しくする中、自分の人生にどうやって変化をつけるか。しかも無味乾燥な事実の羅列ではなく、読むに耐える内容をつづれるか。これが難しい。日々の鍛錬を欠かすと、途端に文は乱れる。私が毎日Facebookに文章をアップする理由はこれだ。

さらなる文章の高みに至るにはどうすれば良いか。それは先人の著した文章を参考にすることだ。たとえば本書のような。私が本書を手に取ったのはエッセイの名手である著者の文体に触れるためでもあるし、エッセイを毎日記す営みの一端を知るためでもある。私はその本書によってその極意にほんのわずかだが触れる事ができたと思う。

その極意とは、読者の共通項に訴える事だ。読者といってもさまざまだ。住んでいる場所や性格、人生観が変わる違えば価値観も違う。ただ、読者に共通している事がひとつある。それは時間だ。季節の移りゆく時間。本書はここに焦点をあてている。それがいい。

本書の内容は昭和34年の元旦から100日間、西日本新聞の紙面に連載された文章が元になっているという。日々のよしなし事や作者の目に映る百日間の世間。著者はそれを毎日筆にしたため、本書として成果にした。発表した媒体こそ西日本新聞、つまり九州の読者に向けて書かれているが、著者が住んでいるのは東京。つまり、本書は西日本と東京に共通した歳時記として記されている。

季節の移ろいは、日本の東西南北の各地で多彩で豊かな顔を見せる。だが、極端な違いはない。さらに、季節が見せる変化は、少々の時代が違っても変わりないと言っても良い。例えば本書が書かれた六十年後の今も、本書で描かれた当時の歳時の描写は理解できる。そこに共通しているのは、日本の風土なのだから。日本の東西に共通する季節の様子をおろそかにせず描いたからこそ、本書はエッセイとして成り立ち、六十年後にも生き残っている。ただし、そのためには折々の文化、事物への豊富な知識が必要だ。私にはそれが足りない。普段の生活から季節感を感じ取るにはアンテナの感度も足りない。

また、知識として歳児を知るだけでは足りない。それだけでは弱いのだ。日々の季節の出来事だけなら、私が日々アップする日記にも時々登場させている。それ他に本書をエッセイとして完成させているのは味わいだ。著者の独特の視点が文中に出汁を効かせている。さらに、独特の文体が複雑で深みのある味わいを出している。

本書の解説で作家の出久根達郎氏が書いているが、著者の文体には魅力がある。私もそれに同意する。特に擬態語と擬音語の使いかたに特徴がある。私もさまざまな本を読むが、著者が繰り出す表現は、本書でしか見た事がない。この斬新な言い回しが本書の記述に新しい感覚を与えている。

ただ、正直に言うと、本書には退屈な所もある。それは仕方ない。なにしろエッセイだ。著者の身の回りにそうそう劇的な出来事ばかり起こるわけではない。身の回りのあれこれをしたためている以上、退屈な描写になってしまうこともある。そもそも昭和34の日本の暮らしは、現代から見ると刺激に富んでいるとはいい難い。そんな素朴な描写の中、随所に挟まれる新味の表現が本書のスパイスとなり、読者を引きつける。

日によっては変わり映えのない題材を取り上げているにもかかわらず、そうした日には身の回りの些事を描いているにもかかわらず、著者は百日間、エッセイを書き続ける。それが素晴らしい。

昭和34年の日本。それは今の世から見るとすでに歴史の一部分だ。先日退位された上皇夫妻の結婚式があり、日本経済は来たる東京オリンピックに向けて高度成長のただ中にあった。もはや戦後ではないといわれた日本の成長の中、かろうじて明治大正、戦前の素朴な日本が残っていた時期でもある。そのような時期に著者のエッセイは、父露伴から受け継がれた明治の日本をかろうじて書き残してくれている。実は退屈に思える日々の描写にこそ、本書の資料的な価値はあると思う。

また、著者は当時、徐々に社会に浸透し始めたテレビ文化の発信者でもあった。本書には、当時、テレビに出演する機会があったエピソードにも触れられている。当時にあっては著者の立場は先進的であり、本書が決して懐古的な内容でないことは言っておきたい。徐々に戦後の洋式化しつつある文化を受け入れつつあった日本の世相が存分に記されているのも本書の良さだ。

今の私が日々、SNSにアップする内容は、果たして後世の日本人が平成から令和に切り替わった今の日本を書き残しているだろうか。そうしたことを自問自答しつつ、私は日々のSNSへのアップを書きつづっていきたいと思う。

‘2018/07/20-2018/07/21


ワールドカップ


サッカーのロシア・ワールドカップが終わった。総じてよい大会だったと思う。その事は好意的な世評からも裏付けられているのではないか。私自身、ロシア・ワールドカップは今までのワールドカップで最も多くの試合を観戦した大会だ。全部で十数試合は見たと思う。

私がサッカーのワールドカップを見始めたのは、1990年に開催されたイタリア大会からだ。それ以来、三十年近く、八回のワールドカップを見てきた。その経験からも、ロシア・ワールドカップは見た試合の数、質、そしてわれらが日本代表の成長も含め、一番だと思っている。

総括の意味を込め、大会が終わった今、あらためて本書を読んでみた。本書が上梓されたのは、1998年のフランス大会が始まる直前のことだ。フランス大会といえば、日本が初出場した大会。そして若き日の私が本気で現地に見に行こうと企てた大会でもある。

最近でこそ、ワールドカップに日本が出場するのは当たり前になっている。だが、かつての日本にとって、ワールドカップへの出場は見果てぬ夢だった。1998年のフランス大会で初出場を果たしたとはいえ、当時の日本人の大多数はワールドカップ自体になじみがなかった。2002年には日韓共催のワールドカップも控えていたというのに。本書は当時の日本にワールドカップを紹介するのに大きな役割を果たしたと思う。

本書を発表した時期が時期だけに、本書はブームに乗った薄い内容ではないかと思った方。本書はとても充実している。薄いどころか、サッカーとワールドカップの歴史が濃密に詰まった一冊だ。1930年の第一回ウルグアイ大会から1994年のアメリカ大会までの歴史をたどりながら、それぞれの大会がどのような開催形式で行われたのか、各試合の様子はどうだったのか、各大会を彩ったスター・プレーヤーの活躍はどうだったのかが描かれる。ワールドカップは今も昔もその時代のサッカーの集大成だ。つまり、ワールドカップを取り上げた本書を読むことで、サッカースタイルの変遷も理解できるのだ。本書は、ワールドカップの視点から捉え直したサッカー史の本だといってもよい。

ワールドカップの歴史には、オリンピックと同じような紆余曲折があった。例えば開催権を得るための争いもそう。南米とヨーロッパの間で開催権が揺れるのは今も変わらない。だが、当初は今よりも争いの傾向が強かった。そもそも第一回がウルグアイで開かれ、そして開催国のウルグアイが優勝した事実。その事は開催当時のいびつな状況を表している。当時、参加する各国の選手の滞在費や渡航費用を負担できるのが、好況に沸いていたウルグアイであったこと。費用が掛からないにもかかわらず、船旅を嫌ったヨーロッパの強国は参加しなかったこと。それが元で第二回のイタリア大会は南米の諸国が出なかったこと。特に当時、今よりもはるかに強かったとされるアルゼンチンが、自国開催を何度も企てながら、当初は隣国の大会に参加すらボイコットしていたこと。

他にもまだある。サッカーの母国と言えばイギリス。だが、イギリス連邦の四協会(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)は母国のプライドからワールドカップへの参加の必要を認めていなかった。実際、開催からしばらくの間、ワールドカップに発祥国イングランドの諸国は参加していない。上記の四協会は、今もフットボールのルール改正に大きな権限を持っている。ところが、当時はそもそもFIFAにすら加入していなかった。それ以後もなんどもFIFAへの脱退と再加入を繰り返し、サッカーの母国としてのプライドを振りかざし続けた。そんな歴史も本書には描かれている。

つまり、ワールドカップの歴史の始まりには、さまざまなプライドや利権が付いて回っていたのだ。世界の主要なサッカー強国が初めてそろったのが1958年のスウェーデン大会まで待たねばならなかった事実は、サッカーの歴史の上で見逃してはならない。

本書の読みどころは他にもある。サッカースタイルの象徴である選手の移り変わり。なぜ、ブラジルのペレが偉大だといわれるのか。それは彼が1958年大会で鮮烈なデビューを飾ったからだ。当時、サッカー界を席巻していたのは1950年初頭に無敵を誇り「マジック・マジャール」と呼ばれたハンガリー代表だ。その中心選手であるフェレンツ・プスカシュ。彼は当時の名選手として君臨していた。しかし、プスカシュはサッカーの王様とは呼ばれない。また、レアル・マドリードの五連覇に貢献したディ・ステファノも当時の名選手だ。ペレやマラドーナ、その他の世界的スターからサッカーのヒーローとして今も名前が挙げられ続けるディ・ステファノ。しかしディ・ステファノもサッカーの王様とは呼ばれない。それだけ、1958年のペレの出現は、当時のサッカー界に衝撃を与えたのだ。ワールドカップが初めて世界的な大会となった1958年の大会。真の世界大会で彗星のように現れたペレが与えた衝撃を超える選手が現れるまで、サッカーの王様の称号はペレに与えられ続けるのだろう。

1958年大会以降、サッカーは世界でますます人気となった。そして、その大会で優勝したブラジルこそがサッカー大国としての不動の地位を築く。しかし、1966年のイングランド大会では地元イングランドが地元の有利を活かして優勝する。1978年のアルゼンチン大会でも開催国アルゼンチンが優勝した。著者はそうした歴史を描きながら、開催国だからと言って、あからさまなひいきや不正があったわけでないこともきちんと記す。

その一方で、著者はつまらない試合や、談合に思えるほどひどい試合があったこときっちりと指摘する。この度のロシア大会でも、ポーランド戦の日本が消極的な戦いに徹し、激しい論議を呼んだのは記憶に新しい。そのままのスコアを維持すると決勝トーナメントに進むことのできる日本が、ラスト8分間で採ったボール回しのことだ。だが、かつての大会では、それよりもひどい戦いが横行していた。予選のリーグ戦ではキックオフに時間差があり、他の会場の試合結果に応じた戦い方が横行していた。特に1982年大会。1982年のスペイン大会といえば、幾多もの名勝負が行われたことでも知られる。だが、その中で西ドイツVSオーストリアの試合は「ヒホンの恥」と呼ばれ、いまだにワールドカップ史上、最低の試合と呼ばれている。

そして1986年のメキシコ大会だ。神の手ゴールや“五人抜き “ ゴールなど、マラドーナの個人技が光った大会だ。当時の私にとっても、クラスメイトの会話から、生まれて初めてサッカーのワールドカップの存在を意識した大会だ。私が実際にワールドカップをリアルタイムで見るようになったのは冒頭にも書いた1990年のイタリア大会だ。だが、本書でも書かれているとおり、守備的なゲームが多かったこの大会は、私の印象にはあまり残っていない。

守備的な試合が多かったことは、1994年のアメリカ大会でも変わらなかった。だが、私にとってはJリーグが開幕した翌年であり、今までの生涯でも、サッカーに最もはまっていたころだ。夜中まで試合を見ていたことを思い出す。

そして1998年だ。この大会は冒頭に書いたとおり、私が現地で観戦しようと企てた大会だ。初出場の日本は悔しいことに一勝もできず敗れ去った。そして、その結果は本書には載っていない。

だが、本書の真価とは、初出場する日本にとって、ワールドカップが何かを詳しく記したことにある。それまでのワールドカップの歴史を詳しく載せてくれた本書によって、いったい何人の日本人サッカーファンが助かったことか。本書はまさに、語り継がれるべき名著だと思う。

本書がよいのは、ワールドカップをゲーム内容だけでなく、運営の仕組みまで含めて詳しく書いていることだ。ワールドカップが今の形に落ち着くまで、どのように公平で中立な大会運営を目指して試行錯誤してきたのか。その過程がわかるのがよい。それは著者が政治学博士号を持っていることに関係していると思う。組織論の視点から大会運営の変遷に触れており、それが本書を通常のサッカー・ジャーナリズムとは一線を画したものにしている。

本書には続編がある。そちらのタイトルは「ワールドカップ 1930-2002」。私はその本を2006年に読んでいる。2002年の日韓ワールドカップの直前に、1998年大会の結果を加えて出されたもののようだ。私はその内容をよく覚えていない。それもあって、2002年の日韓共催大会の結果や、その後に行われたドイツ、南アフリカ、ブラジル、ロシア大会の結果も含めた総括が必要ではないかと思うのだ。参加国が拡大し、サッカーがよりワールドワイドなものになり、日本が出場するのが当たり前のようになった今、本書の改定版が出されてもよいと思うのは私だけだろうか。

‘2018/07/18-2018/07/20


直感に刺さるプレゼンテーション


私が読んできたかぞえきれないほど多くの本。それぞれの本にはきっかけがあり、思い出がある。それが印象的であればあるほど、その本は記憶に残る。本書もそうした本の一冊だ。なにしろ、著者の目の前で入手したのだから。今までにもサイン本を手に入れたことはあるし、私の知り合いには本を書く方も何人かいる。だが、著者自身から本を贈呈されたことはない。ところが本書を手に入れたのはまさに著者の目の前。それは私にとって初めての経験だ。

本書を入手したのは、Prezi Night Tokyo Ⅶにおいてだ。このイベントに、私は登壇者ではなく、一人の観覧者として参加した。Prezi Night Tokyo Ⅶでは三名のプロの方がPreziを使ったプレゼンテーションを披露してくださる他に、参加者有志によるLightning Talkの場が設けられていた。たびたび仕事でプレゼン(テーション)を行う私にとって、そのどれもが参考になった。そうした実例の数々を見られただけでも、Prezi Night Tokyo Ⅶには参加したかいがあったと思う。

Prezi Night Tokyo Ⅶに登壇した三名のプロのうち、著者は二番目に登壇した。「prezendouのプレゼン百鬼夜行」と題されたそのプレゼン。どこかで聞いたことがあると思ったら、トイロハで連載されていた。私も以前、トイロハでは連載していた。私も著者の連載は何度か拝見した覚えがある。今回、著者ご自身によるプレゼンを拝見できたことはとても良い学びとなった。登壇の内容は、プレゼン初心者が陥りやすい罠を百鬼夜行の各妖怪になぞらえたもの。preziの使い方、プレゼンの経験則など、さすがというべきツボを押さえていた。

Prezi Night Tokyo Ⅶの最後を盛り上げたのはじゃんけん大会だ。景品にはTシャツやパーカー、ステッカーの他に、登壇者によって書籍が提供されており、どれもが欲しくなる魅力を持っていた。ところが、こうしたイベントで私は勝ったためしがない。今回も早々に敗退するものと思っていたら、あれよあれよと勝ち残り、景品を選べる立場を得た。景品として出された中の一冊に本書はあり、著者のプレゼンに感銘を受けた私は、Tシャツやパーカーには目もくれず本書を選んだ。

本書は手に入れてすぐ読んだ。大抵の本は積ん読の山に埋もれるが、本書は別。鉄は熱いうちに打て、だ。Prezi Night Tokyo Ⅶの翌日、学んだ知識が熱いうちに本書を手に取った。そして期待に違わず、本書はとても私のためになった。

プレゼンの極意を文章で表すのは容易ではない。なぜならプレゼンとはスキルではなくセンスだからだ。私は本書を読むまでそう信じていた。Prezi Night Tokyo Ⅶに私を誘ってくれた情報親方は、プレゼンとはロジックだと教えてくれた。だが、そう教わってもなお、私は自分がプレゼンに不得手なのを、センスのせいにしていたように思う。ところが、本書はよく読んでみると、いたるところにロジックのかけらが垣間見える。ロジックで何とかなるプレゼンであれば、それはセンスではなくスキルだ。

本書は冒頭で、受け手に理解させるだけでは行動を引き起こせないことを説く。そのため、プレゼンで何をさせたいのかという目的意識をもたねばならない。そして感情を揺り動かすためには、ロジックだけでなく、もう一段上のアプローチがいる。そのためにもプレゼンにはイメージが必要というのが著者のメッセージだ。本書には図版がふんだんに使われている。

ただ、イメージも使い方によっては逆効果にもなる。そして、イメージだけでプレゼンターの意図をそのまま受け手に効果的に伝えることは難しい。ここはまさにセンスの世界だ。そこで、イメージにテキストを加える。そうすることで、プレゼンにロジックが武装される。プレゼンである以上、曖昧なメッセージは逆効果。つまりテキストはロジックに沿ったストレートなメッセージであることが求められる。テキストはロジックの方向性を決める。さらに、テキストのメッセージに沿ったイメージやデザインを組み合わせることは十分にロジックの範疇だといえる。ただ、テキストの色合いやフォントの取り扱いを間違えると、受け手に誤った混乱を招く。これもまた、センスに関係ないロジックで取り扱える範囲だ。本書はそうしたことを豊富なテキストとイメージのサンプルでそのことを解き明かしてゆく。

本書を読んで、自分がまだまだと思ったこと。それはテイストを揃えることの重要性だ。イメージを揃える作業。これは簡単なようでいて、やってみるとなかなか難しい。ついつい多様なイラストレーターが描いたイラストでプレゼンを飾り立ててしまう。その結果、プレゼンからはまとまりが失われ、失注へとつながる。

まとまりのないプレゼンを駆逐するため、本書にはストーリー構造についての章が設けられている。プレゼンである以上、プレゼンを通してどういうアクションが行われるべきかについての一貫したストーリーが求められる。その分析はビジネスフローの分析に通ずるものがある。それはフローチャートであり、まさにロジカルな部分だ。別の章では聴き手との共通点をプレゼンに組み込む方法も解説されており、私はそこからも同じ知見を得た。私がより一層意識していかねば、と思わされた部分だ。

あと、私があっと思ったことがある。それは、スライドの冒頭とラストをおろそかにしていないか、という著者の指摘だ。特にプレゼンの最後によく見かける「ご清聴ありがとうございました」が無駄との指摘は耳が痛い。直近の私がやっていたことだからだ。次から改めなければなるまい。冒頭のスライドにもう一工夫を加える事もあわせ、実践しなければと痛感した。

本書を読んでいくと、センスの問題とあきらめていたことの多くがスキルで置き換えられることに気づく。ところが、スキルとはいえ、習得するのは容易ではない。本書を一度だけ読んだところでなかなか習得できない。センスとは、スキルを習得するためのコツや適正を指すのではないかとさえ思う。著者も本書の末尾では、繰り返す練習することが重要であると述べている。私もそうだと思う。なぜなら本書の極意をまだつかめたとはいえないから。私そして、私がプレゼンを行うようになってから、少しは上達してきているプレゼン技術も、まだ著者には到底及んでいないと思うから。

本書の最後にはMicrosoft Powerpointの使用法についてもテクニック付きで紹介されている。そこも参考になる。だが、私がPreziがきちんと扱えるようになるには、まだ時間が必要だ。ついついslide.comの簡易さに頼ってしまう。Preziはもう少し触ってみたいのに。プレゼンとは、センスだけでなく、スキルでまかなえる部分があると勇気づけられたのだから。

‘2018/07/14-2018/07/17


塚原卜伝


本書は、数年前に入手していた。入手したのは多分神奈川県立文学館でみた大佛次郎展で剣豪小説に興味を持ったからだと思う。わが家の蔵書に加わってから二、三年、本書は積ん読の山の中で出番を待っていた。

なぜこのタイミングで本書を読もうと思ったか。これには説明を加えなければならない。

本書が日の目を浴びたのは、鹿島神宮がきっかけだ。本書の前に読んだ『本当はすごい!東京の歴史』を読み、鹿島神宮の重みに感じ入った。そして、鹿島神宮へ行こうと思い立った。鹿島神宮の周辺で訪れるべき場所を探したところ、目に付いたのが本書の主人公である塚原卜伝だ。当然、墓や生誕地にも訪れたいと思った。となると、塚原卜伝の人となりをもう少し知っておきたい。そこで思い出したのが蔵書の中に埋もれていた本書だ。

本書を読み終えたのは鹿島へ向かう前日。なので、私が鹿島を訪れた時、塚原卜伝の生涯はある程度理解していた。そればかりか、鹿島が武の本拠といってよいことも。

私が鹿島に着いた時、夜はかなり更けていた。さっそく大鳥居から楼門まで歩いてみたが、深閑とした森の奥からは、剣道の稽古と思しき気合いの掛け声が聞こえてくる。鹿島が塚原卜伝を輩出した武の地との本書から得た知見が実感として迫る。鹿島に塚原卜伝あり、を早々に思い知らされた。塚原卜伝を産んだ風土の風がいまだに残されている事も。

翌日、鹿島の周辺を巡った私は、想像した以上に塚原卜伝が鹿島の街で重んじられていることを知った。塚原卜伝のお墓は少し登った高台の崖に面している。そこから見た田園風景がとても心地よかった。お墓の前で手を合わせ、泉下の剣豪にあいさつも済ませた。また、鹿島神宮駅前に立つ銅像にも訪れた。鹿島神宮の境内には剣豪にちなんだ多くの名所があり、そこにも足を運んだ。

鹿島とは日本の東の端にある。そこから世に出た塚原卜伝は、日本の各地を旅と修行の中に歩いた。ちょうど近隣の佐原から出た伊能忠敬のように。藤原氏の祖である藤原鎌足もまた鹿島の出だという。つまり、鹿島とは人を旅立たせる外交の気に満ちているのかもしれない。

塚原卜伝とは、剣の達人であり、流派の創始者でもある。その剣は人を活かす剣ともいわれ、戦わずして勝つことを最善とする。つまり、人を殺めたり、凄惨な争いを避ける剣だ。そればかりでなく、人としての道を説くことに重きが置かれているという。それゆえに今でも鹿島では塚原卜伝が思慕され、顕彰され続けているのかもしれない。

塚原卜伝が生を享けたのは、戦国時代の始まりとも言われる応仁の乱が終わって十数年後だ。その頃はまだ、室町幕府の意向が諸国に行き届いており、諸大名の間で大規模な戦が行われることはなかった。

その後に訪れた桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いに至る四十年間。その四十年間は、各国が戦いに明け暮れ、いきをつく暇もなかった。織田信長の動きに日本国が揺り動かされ、その跡を襲った徳川家康によって大勢が定まるまでの時期。国々か富国強兵に努め、雌雄を決する大規模な合戦があちこちで行われた。つまり、大名を頂点とした組織の論理が優先され、個人が自在に自己を研鑽できにくくなった時代だ。

塚原卜伝にしろ、上泉信綱にしろ、宮本武蔵にしろ、当時名前を上げた剣豪たちは、その四十年間の前後に活躍している。逆にいえば、剣豪たちが名を上げられたのは、軍隊という組織の論理に左右されなかったからだといえる。剣豪が剣豪でいられたある意味では幸せな時期。

だから、本書で描かれる卜伝の歩みには組織の論理が希薄だ。殺伐としてはいるが、組織によって行動が左右されない。己の剣を磨き、諸国修行に明け暮れられる。それはまさに私の望む人生観である。読んでいてとても心地よい。

よくよく考えてみると、個人が組織の論理に飲み込まれる前の時期を描いた時代小説は珍しいかもしれない。そうした時期を象徴するのが、本書で描かれる足利将軍家だ。三好軍や細川軍の動向に右往左往し、京を慌ただしく逃げ出し、そして庇護者を見つけてはひそかに舞い戻る。

腰の定まらぬ将軍家に剣の腕を見込まれ、護衛につく卜伝は、将軍家の動きに合わせてあちこちをさすらう。それに合わせて本書の舞台も日本各地を転々とする。

なお、卜伝に関しては、さまざまな伝説が語られている。そうした挿話は本書には登場しない。例えば、宮本武蔵が家に殴り込んできたとき、持っていた鍋の蓋で刃を受け止めたこと。「無手勝流」の由来となった、決闘の場で島に船をつけ、逸って島に降り立った相手を残して悠然と漕ぎ去っていったこと。武者修行と称して総勢数十名のお供のものを引き連れたことなど。最初の挿話はそもそも生年が重なっておらず、本書は取り上げないし、残りの二つも著者は取り上げるまでもないと判断したのだろう。そもそも本書は卜伝の後半生は描いていない。

もちろん、本書は神宮の杜で卜伝が一の太刀を会得する事や、立ち会い試合で一の太刀で池田真龍軒を屠る場面など、武芸者としての卜伝も存分に描かれる。梶原長門との一件も。だが、それと同じぐらい本書には、道を極めんとする卜伝の姿が描かれる。中でも卜伝が詠んだとされる百首の連歌はこの句で締められ興味深い。

学びぬる心にわざの迷いてや
わざの心の又迷うらん(347ページ)

卜伝は諸国修業の末、全てが剣の道に通ずることを悟る。諸国でさまざまな人物と出会う。その中には、己の腕を見込み、頼ってくる若輩もいた。その若輩はのちに川中島合戦で名を轟かせる山本勘助の若き日の姿。また、上泉秀綱との交わりなども描かれる。孤高になりやすい剣の人でありながら、人との縁に恵まれる。それもまた、組織のしがらみの弱い時代のおおらかさ故だろうか。

なかでも、卜伝が若き日に救った玉路が宿す美少女の面影は、とうとう卜伝を剣の魔界から逃れさせた。人の弱さを存分に知り、人の交わりのありがたみを知ったこと。そして、時代が個人の生きる道を用意していたこと。そうした幸運が卜伝を独自の剣の境地に高めたのだろう。

迷いなし。その境地こそ、あらゆる価値観が錯綜する現代に必要なものではないか。私は鹿島への旅でその大切さを知った。

‘2018/07/13-2018/07/14


本当はすごい!東京の歴史


数多くの本を読んでいると、本の内容に感化されて旅に出ることも二度や三度ではない。本書を読んだ際もそう。本書を読んですぐ、私は鹿嶋神宮を訪れた。

結果としては、本書を読んだことでよい気づきが得られた。ところが当初、本書の内容には期待していなかった。本書を読んだ理由はただ単に長年住み、仕事の場としている東京のことをより知ろうと思っただけに過ぎない。それに加えて本書を読み始めたとたん、関東こそが日本の文化や歴史の起源であるという主張が飛び込んできたのでさらに鼻白んでしまった。本書を読み始めた頃、私は本書を眉に唾を付けて読んでいた事を告白する。

私は西日本の生まれだ。両親ともに福井をルーツとしている。福井の病院で産声をあげ、両親が家を構える甲子園に移ってからは、二十数年を過ごした。家のすぐ近くにはタイガースと高校野球の聖地である甲子園球場が控ええ、うどん、タイガース、関西弁、粉モンの文化にどっぷり浸かって育った。そうした文化を生み出した関西が日本文化の揺籃の地と信じて疑わなかった。飛鳥の都からから難波宮、平城京、恭仁京、長岡京、平安京、福原京。歴代の都はすべて関西にあり、そこで栄華を誇って来た。仁徳天皇陵や大阪城は今も雄大な姿を見せ、関西の文化的な豊饒さを象徴しているかのよう。

そうした土壌に育った上、歴史の授業でも日本史の舞台が関西であることを学ぶ。連綿と続いてきた日本の歴史の積み重ね。その地に住んでいると、文化や伝統を日常のものとして無意識に受け取って育つ。そうして、日本の文化や歴史の主流が関西にあるという観念が定着してゆく。

ところが本書は日本の歴史を東国から捉え直す。日本書記に書かれた神々の国産み神話を除けば、そもそも日本の歴史とは高天原から天孫降臨した神々の裔が高千穂から東へ征服に向かったことに端を発する。本書はその高天原こそが鹿嶋にあったという。実際に鹿嶋には今も高天原という地があるという。私も本書を読んですぐ、実際にその地を確認してきた。実際に高天原という地名をみて、思わず感動してしまった。

本書を読むまで、私は鹿嶋に高天原があることを知らなかった。ところが本書からその事実を教えられ、わが目でも目撃した。ということは、高天原が鹿嶋にあった、つまり日本のそもそもが東から興ったと説く本書の記述にも信ぴょう性が感じられる。あながちトンデモ説とはいえないのだ。

そうなると、弥生や縄文といった時代区分の由来が東京にあることも、本書の主張を補強しているように思える。巨大遺跡といえば仁徳天皇陵や羽曳野のあたり、奈良盆地のそれが頭に思い浮かぶ。だが、東京にも遺跡は多く点在している。さいたまの古墳群や大森貝塚に代表されるように。それはすなわち、当時の東国に人口が多かったことの証拠でもある。

人口が多かった事実は、文明の発展にも関係する。その時、富士山の存在が人々の信仰心を向かわせたことも否定する論拠は見当たらない。著者は富士山を天上、つまり高天原と見立てる。富士山が見える範囲で東の端に位置するのが鹿嶋神宮、西の端に位置するのが伊勢神宮という新鮮な論が展開されるが、それにも説得されそうになる。平安時代に編まれた延喜式神名帳では、神宮の名が付く神社は伊勢神宮、鹿嶋神宮、そして香取神宮の三つしかないとか。香取神宮も鹿嶋神宮に近い場所にある。その二つの神宮が鎮座する地こそ常陸の国。つまり常世の国だ。そしてそれらに共通するのは富士山が見える範囲にあるということ。

本書の中心的な論点は、富士山にある。富士山こそは宗教的なシンボルでもあり、古来から高天原に擬せられてきたのではないかと著者はいう。富士山こそは西日本にはない日本のシンボル。著者の論の芯を貫くこの事実は揺るぎない。

ところが、本書で著者が唱える説には2つ大きな難関がある。一つは、なぜ東征軍が出雲を攻め、大和に入るにあたり、鹿嶋から高千穂を経由する道筋をたどったのか、という疑問。もう一つはなぜ古代と中世までの東国は、本邦の歴史では脇役に過ぎなかったのかの理由だ。

最初の点について著者は、当時の出雲に大国主命系の勢力があり、その巨大な勢力を最初に征服するため、九州から上陸したのではないかと説く。そこで重要になるのが鹿嶋と鹿児島の地名の相似だ。鹿島立つという言葉があるように鹿島から出立した東征軍が、高千穂に向かう際にまず上陸したのが鹿児島ではないか。その二つの地名には共通する語源が隠れているのでは、という著者の論にも蒙を拓かれた思いだ。

ただ、もう一つの難関について、著者は説得力のある論点を提示していない。まさにそれこそが重要なのに。この点こそ、私が本書で一番残念に思った点だ。

だが、理由はなんとなく想像がつく。古来から富士山が何度も噴火してきたことは周知の事実だ。地震もそう。つまり、日本のシンボルであるはずの富士山はシンボルでありながら、東国にとっては天変地異の象徴だったのだ。降り積もる火山灰や地震による災害。東国は文化や歴史の伝統となるには、あまりにも天災に苦しめられすぎてきたのだ。それが、東国を文化や歴史の中心から遠ざけたのではないか。ところが本書では関東ローム層の由来には触れていながら、富士の噴火による天災の被害については全く触れていない。なぜ著者がその点に触れなかったのか理解に苦しむ。私のような素人でも簡単に思いつくのに。

関東が東征の出発地だったと言う論点は新鮮。とても勉強になる。なのになぜ富士山の噴火や関東で頻発した地震には触れなかったのか。その理由は全く分からない。本書と著者のためにも惜しいと思う。

本書は、以降の各章でも東国の歴史を描き出す。古墳の時代、中世、武士の活躍した平野の様子。家康によって開発された首都としての江戸と、世界一の規模を誇る都市に繁栄した江戸。幕末の動乱をへて、天子を擁して文字通り日本の首都となった東京から現代の東京の様子までを概観する。

著者は東国を持ち上げながら、今の世界的な大都市となった東京については非常に厳しい。都市計画の失敗や、西洋を真似たような街づくりの思想など、今の東京に対する不満をつらつらと列挙する。都市としての繁栄を極めたかに見える今の東京は、著者にとっては逆に不満の対象であるところが面白い。

つまり、著者にとっては西日本に対する東日本の優位を示すといった瑣末な事はどうでもよいのだ。本書は日本の文化や歴史の発端が東にあったことを主張することに本旨がある。従来の定説とは違い、世間にはまだまだ受け入れられていない著者の説。それを世に問わんとする著者の意志は分かる気がする。そして著者の意志を割り引いても、本書で書かれた内容からは著者が自らの論を主張するための牽強付会の匂いは漂ってこない。それは本書のためにも擁護しておきたい。

だからこそ、藤原氏の初代鎌足が鹿嶋の出身だったことや、平泉で武家の文化が栄えたこと、鎌倉に幕府が開かれたことなど、歴史の所々で東が西を凌駕した理由にも納得がいく。さらに、水戸光圀が大日本史の編纂事業をしじし、それが幕末には尊王攘夷の先鋒としての水戸藩の存在感の発揮につながったことなど、日本の歴史の要所に常陸が登場することに得心がいく。日本の伝統を復興しようするうねりが鹿嶋神宮の近隣から起こったことは、そうした伝統に立脚した故あることなのだろう。鹿嶋の土壌で育った尊王攘夷の思想を薩摩、つまり鹿児島が受けつぐ。そんな著者の指摘する因果すら、こじつけには思えなくなる。

このように、本書が示す気づきは実に豊かだ。私は本書によって鹿嶋神宮を訪れなければならないと思い、すぐに実行した。ただ、本書の内容が実りあればあるほど、東京には根本的な都市としての欠陥があるように思えてならない。その欠陥とは、天災に弱いという一点に尽きる。著者が意図したのかどうか分からないが、その事実が本書からは綺麗に抜けている。ある時期から江戸を中心とした東国は、日本の歴史の中で傍流に置かれる。その理由こそ、度重なる天災にあったことは間違いないはずなのに。

公平を期する上でも、そのことにはぜひとも触れて欲しかったと思う。なぜなら、今の繁栄を謳歌する東京は間もなく潰えようとしているからだ。東海地震、首都圏直下型地震、富士山噴火。リスクは山積みだ。世界の首都の中でも飛び抜けて天災に弱いとされる東京。その事実は、住民の一人として見据えておかねばならないはず。なぜ、東京はこれだけの平野を擁しながら、日本の歴史では長らく坂東の地として辺境扱いされていたのか。その理由を世に知らしめる絶好の本こそ本書なのに。

現代の東京が天災の危険の上に薄皮一枚で乗っている。その事実はいまさら変えようもない。とはいえ、本書が示すように鹿嶋神宮が歴史で演じた重要性はいささかも薄らぐことはないはず。むしろ、鹿嶋神宮はもっともっと世に広く知られなければならない。私はそう思う。実際、鹿嶋神宮や剣術の達人である塚原卜伝のお墓など、鹿嶋を訪れたことはとてもよい経験と知見になった。その際、香取神宮に行かれなかったことが心残り。なので、もう一度行きたいと思っている。本書を携えて。

‘2018/07/09-2018/07/13


かくれスポット大阪


本書は大阪人権博物館ことリバティおおさかで購入した。リバティおおさかを訪れたのは、私の記憶が確かならば二度目のはず。前回の訪問は私がまだ学生の頃だった。あれから二十三年がたち、それなりに社会経験を積んだ私。だが、リバティおおさかとその近辺の風景から受けたこの度の印象は当分消えないだろう。

今回、リバティおおさかを訪れる前に南海汐見橋線の沿線を歩いた。汐見橋駅、芦原橋駅、木津川駅。これらの駅にはだいぶ以前にも訪れたことがある。その時はただひなびた田舎駅、という印象しか受けなかった。だが、久々に訪れた私の目に映ったのはまったく違うイメージだ。特に木津川駅から発せられていた荒廃のメッセージは非日常の極み。その強烈さは私に大いなる印象を刻みこんだ。

今の私は東京で暮らしている。都心も頻繁に訪れる。世界一ともいえる乗降客数を誇る新宿駅を筆頭に活気に満ちた駅の数々。それらの駅は頻繁に改築され、ゴールがないかのように洗練され続けている。私はまた、駅鉄と称して各地の駅をめぐっている。各地の駅を見て来て思うのは、過疎に悩む駅もそれなりの素朴さを身にまとっていることだ。寂れていてもそれが周囲の自然と調和していれば好感はもてる。私にとって駅とはその地の玄関口であり、その地の雰囲気を体現する存在なのだから。

だが、不遜と言ってよいほど見捨てられた木津川駅の風景。それは私の眼には異形の存在と映った。駅前には浮浪者がねぐらを確保しており、がれきが駅の出入り口のすぐ前に積まれている。寂れた工場があたりを覆い、疎外されたような粗末な民家が並ぶ。金網で意味ありげに囲われたスペースが駅前にあり、その空間が無言の圧迫感を与えてくる。乗降客はおらず、駅前には商店が皆無。住民すら通りがからぬ凍った街並み。

その衝撃も覚めやらぬまま、続いて訪れたのが近くの浪速神社。境内に何人もの浮浪者がねぐらを確保していた。ここは果たして神域なのだろうか、という疑問が私の心を通り過ぎる。あるいは神社とは歴史的にそうしたねぐらがない方へ場所を供する役割を果たしていたのかもしれない。私はたかだか四十五年の年齢しか刻んでいないので、神社の歴史には明るくない。だが、一つだけ言えるのは、私は他の神社で同じような光景を目にしたことがないことだ。かつての日本各地のドヤ街が、昨今は訪日外国人の宿として活気を帯びているという。その風潮からも取り残され、その活気から完全に見放されているようにみえる神社。私は続けざまの衝撃から立ち直れないまま、リバティおおさかを訪れた。

リバティおおさかは、二十三年前とは展示を一新していた。もちろん、前もって訪問者がアップしたブログでその事は知っていた。橋下元大阪市長が展示内容の見直しを指示したことも。事前に得た知識のまま、入ってすぐの「いのちを大切に」というメッセージに満ちた展示を見る。その内容が賛否両論の的になるのもわかる気がする。おそらくリバティおおさかの担当者も迷ったことだろう。差別を語るにはまず人は平等という思想を示す意図は分かる。だが、なぜ入ってすぐにあるのかが理解できない。

だが、奥に進むと被差別部落の歴史が豊富な資料やパネルで展示されている。その内容は人権博物館の名に恥じない。事前の情報から懸念していたような、あからさまな反日の精神を感じる事もない。在日朝鮮人や沖縄の人々が受けた差別。ハンセン病患者やいじめの被害者が被った不条理な扱い。館内にあるのは、差別に苦しめられた人々の苦しみの歴史だ。そうした人々は、統治のために設けられた階級という制度の犠牲者でもある。権力の都合によって社会の闇を押しつけられた煩悶の歴史。そこには、人間の闇の側面が反論を許さぬほど立ちこめている。

リバティおおさかの展示には、差別の問題について考えさせられる切実な何かがあると思う。確かに同和利権や逆差別、結果の平等を求めるあまり、行き過ぎてしまった運動はある。それらの団体が声高に訴える主張をうのみにしてはならない。だが、これからの未来に、同じような不幸な歴史を繰り返してはならないこともまた事実。私たちが次代の若者に伝えるべき知識は、リバティおおさかの中に蓄えられている。

知識を身につけるには、膨大なパネルの展示だけでは理解しきれない。さらなる勉強が必要だ。私はそう思い、ミュージアムショップに多数並べられている本を吟味した。そして本書を選んだ。ミュージアムショップにはもっとコアでディープな本も並んでいた。だが、旅行中の身としては、軽めなガイド本の体裁の本書が精いっぱい。

なお、「エレクトラ」のレビューにも書いた通り、私は被差別部落の現状には関心がある。だが、人と部落の関連には興味がない。言い換えれば、個人の出自が被差別部落にあるかどうかは全く興味がない。多分、実力が全てのビジネスの世界に長くいるからだろう。ビジネスの現場に相手の出自など関係ないのだから。

さて、本書は大阪のあちこちをエリア編とトピックス編に分けて取り上げる。エリア編では、大阪のあちこちを地区別に取り上げる。「道頓堀」「千日前」「日本橋筋」「釜ヶ崎」「新世界・飛田」「百済・平野」「北浜・太融寺」「天神橋筋」「舟場・北野」「中津」「京橋・大阪城公園」だ。そしてそれらの地に埋もれつつあるかつての部落の痕跡を紹介するのが本書の主旨だ。

私の大学の卒論は大阪の交通の変遷だった。なので、大阪の歴史には親しんできたつもり。だが、正直に言って本書に挙げられた各地域のうち、被差別部落との連想で覚えていたのは「釜ヶ崎」「新世界・飛田」ぐらいしかない。本書に挙げられた他の場所は私にとってはまったく思いもよらなかった。

だが、よく考えると芸能・興行系のそもそもの起源は河原者が関わっていたという。そう考えれば、道頓堀と千日前といった現代でも芸能・興行のメッカは、部落の痕跡が残されていてもおかしくない。また、千日前といえば私が大学生の頃によく呑み、よく歩き回った地だ。国内でも最悪の犠牲者数を出した千日デパート火災でも知られている。法善寺横丁も近隣の名所としてよく知られているが、そもそも千日前とは法善寺と今はない竹林寺がともに千日回向を行っていたことから名づけられたという。回向が行われたということは、死をつかさどる人々が生活していたことを示している。

あと、本書を読んで最も驚いたこと。それは日本橋筋がかつては大阪随一のスラム街だったことだ。電器店やサブカルショップが立ち並ぶ今の日本橋からはとても想像がつかない。私は日本橋にも大学時代に何度も訪れている。だからこそ、余計に自分の無知を思い知らされた。だが、考えてみるとこのあたりの雑然とした感じは、まさにその名残と言えないだろうか。南海本線と日本橋筋の間には、妙に道幅の広い道路があるが、そこもスラム街の名残なのかもしれない。

それと百済・平野も本書では取り上げている。私はこのあたりについての土地勘は薄い。だが、百済という地名には渡来人の影響がうかがえる。つまり、その後裔となる方々に何らかの関連があるのかもしれない。本書によれば平野川沿いに被差別民が住まわされていたとのことだ。私も車でなんどか通ったことがあるが、歩いたことはまだない。今はずいぶん街並みが観光客を呼んでいるそうだし、一度訪れてみたいと思う。

本書で取り上げられた地の中で、日本橋筋についで意外に思ったのが北浜・太融寺だ。この界隈は船場や大阪城のおひざ元のはず。ところがここにも被差別の傷跡は残っていたのだ。本書によればその遺跡とは、被差別民の住居ではなく、解放運動の本拠がこのあたりに置かれていたということだ。太融寺や愛珠幼稚園なども、解放運動の中で重要な位置を占めているらしい。こういった意外な関連が見つかるのが本書のよいところだ。

天神橋筋が取り上げられているのもまた思いのほかだった。ところが、本書によると被差別部落とは都市の外縁に生まれるもの。南の外縁が釜ヶ崎や西浜部落だとすれば、北の縁が天神橋筋の北端であり、舟場・北野であり中津なのだという。このあたりには霊園や監獄跡、福祉施設などが点在しているのだという。私は本書を読むまでそうしたことをまったく知らなかった。特に、天六といえばわが母校、関西大学の天六校舎があった場所。私もなんどか訪れている。天六といえば日本で一番長い商店街で知られる。華やかな繁華街にも違う側面があったこと。それを本書は教えてくれる。

また、中津が取り上げられているが、あのあたりを歩くと少し場末な雰囲気が街を覆っているのも事実。そういえば本書を読むきっかけとなったリバティおおさかを訪れた翌々日、三宮で飲んだ。その酒の席で、現在の中津がシャッター通りになっていると聞いた。かつての場所の痕跡が払拭しきれていないのだろうか。なお、本書で取り上げられているからといって、今その地で住んでいる方が被差別の民の後裔でないことはもちろんだ。念のため。

京橋・大阪城公園が挙がっているのも想定の外だった。戦中は造兵工廠があった場であり、そもそも大坂の中心であり、部落とはつながりにくい。ところが、本書にも紹介されていたアパッチ族が戦後に暗躍したのはこのあたりのはず。だが、鶴橋や桃谷のいわゆるコリアンタウンが本書に取り上げられず、京橋や大阪城公園が取り上げられたのは意外に感じた。鶴橋や桃谷はいわゆる部落としての性格をもっていないのだろうか。これは少し興味がある。

さて、エリア編で各地の痕跡を取り上げた後、本書はトピックス編にうつる。エリア編にはリバティおおさかがあり、私がうらぶれた様子に衝撃を受けた旧渡辺村、つまり西浜部落は登場しない。だが、トピックス編で取り上げられる5つのトピックスのどれもが西浜部落を舞台としている。5つのトピックスとは「食肉文化と屠場」「有隣小学校と徳風小学校」「四カ所と七墓」「皮革業と銀行」「なにわの塔物語」だ。

食肉文化が部落のなりわいに関連していることはさまざまなルポで知っていた。リバティおおさかのミュージアムショップにも興味深い写真集が売られていた。私も屠場は一度は見ておかなければ、と思っている。生から死の切り替わりが生々しく営まれる場所。普段、肉食を嗜む身としては直面しなければならない現実。私たちは屠場で生から強制的な死を余儀なくされた生き物の肉を美味そうに食う。かつて、木津川や今宮に屠場があったらしい。だが、今はそうした施設は郊外に移ってしまっているらしい。著者は屠場の収入の実態を研究している。屠場の収入は市の財政にも好影響を与えたそうだ。著者の研究は徹底している。その視点で、BSEや食中毒などの食肉をめぐる問題が発生する度、屠場に責任の一端がかぶせられる状況にも苦言を呈する。

「有隣小学校と徳風小学校」では、学校に行けない児童を助けるための福祉施設の歴史が取り上げられている。本書にも何カ所かコラムが載せられている。そのコラムの主旨はかつて大阪で活動した篤志家を顕彰することにある。そうした篤志家の方々の努力が少しずつ大阪を良くしてきたのだ。この項で取り上げられている二つの小学校も彼らの努力の一つ。「四カ所と七墓」のように、大阪市の発展の歴史の中で開発されて消えてゆく存在もある。大阪がよい方向に発展してほしいと思うばかりだ。

「皮革業と銀行」は、かつての大阪が今とは違う発展を遂げていたことを取り上げており、興味深い。かつて西浜地区では皮革業が盛んに営まれていた。そして、その繁栄は、JR芦原橋駅周辺にはかなりの銀行の支店を集めるまでになっていたという。現在のみずほ銀行やりそな銀行の前身の銀行の支店もあったとか。本書には七店舗ほどが紹介されている。ところが、今の芦原橋駅周辺にはゆうちょ銀行が一つある程度で、ほとんどの銀行は撤退してしまったという。その理由は本書には書かれていなかった。だが、なぜいなくなったのかは、今後の大阪の都市計画を考える上で重要な切り口ではないだろうか。

「なにわの塔物語」もそうだ。かつて大阪にはナンバを中心にさまざまな塔が高さを競っていた。通天閣が当時の威容を今に伝え、気を吐いている。被差別の地であったからこそ、思い切った開発もできた。最先端の技術をしがらみなく試すには格好の場所だったのだろう。

だからこそ、冒頭に書いたような木津川駅周辺の状況はなんとかならないものか、と思うのだ。その意味で今後の大阪の都市計画を占う上で重要な「なにわ筋線構想」が南海汐見橋線から新大阪駅に伸びるのではなく、南海の難波駅から伸びる方針に変わってしまったことは痛い。もし汐見橋線が再開発されれば、この辺りの痛々しい風景は一新されるはずなのに。

私は大阪にはあらゆる意味で元気になって欲しいと願っている。だからこそ、このあたりの風景は一新して欲しい。もちろん、過去の歴史をなかったものにすることはできない。過去の悲しい歴史は語り継がなければなるまい。そのためにもリバティおおさかのような施設はある。でも、歴史を語り継ぐのと、今の寂れた状況を放置するのは同じではないはず。今回のリバティおおさかとその周辺の訪問とそこで購入した本書は、私に大阪の都市開発についてのあるべき姿を教えてくれた気がする。

著者は本書の続編も出しているようだ。そこでは本書のトピックス編の続きとしてさまざまな施設への考察を行っているらしい。今度、機会を見つけて読んでみようと思っている。

‘2018/07/09-2018/07/09


火星に住むつもりかい?


平和警察なる、戦前の特高のような部署。その部署が幅を利かせる近々未来の日本。その部署は定期的に各地に出没し、その地の住民を徹底的に監視する。そして、公衆の面前でギロチン処刑を行い、人々を恐怖で縛り付ける。拷問という名のもとに行われる取り調べ。それは、本書内でも言及されるように、小林多喜二が虐殺された特高のそれを思わせる。平和の名が徹底的におとしめられるかのような完全なる悪。それが本書に描かれる平和警察だ。

今までの著者の作品は、悪がきっぱりとした悪として書かれていなかった。憎めない悪役が登場し、悪の側にもどこかでわずかな理を織り交ぜていた。物事を単純に書かず、気の利いたセリフにちょっとしたウンチクを混ぜることで、善と悪の二元論に陥ることを避ける。悪の側の言い分を描き、悪と善の境目を曖昧にする事で、物事を重層的にみる。そうした書き方によってモノの価値とは相対的であるに過ぎない、と主張して来たのが著者の作風だと思っている。

ところが本書は平和警察という絶対的な悪を描いている。それは私が読んできた著者の過去の作品にない新鮮な試みだ。

ただし、著者はここでもバランスを取ろうとする。平和警察の内部に本庁からの変わり者の専門捜査官を配することによって。その人物とは、特別捜査室に属する真壁捜査官だ。真壁は変わり者。平気で身内であるはずの平和警察の取り調べを拷問と言い放つ。平和警察のトップである薬師寺警視長にも平気で楯突く。警視長の神経を逆なでする。真壁を配することで平和警察の体現する悪が複雑な模様を帯びる。著者が描く悪は、やはり本書でもステレオタイプな悪ではなかった。画一で単純な悪を書かないことで、本書はより魅力的に彩られる。

それに対して立ち向かうのは黒いツナギを着た男。彼の行いは結果だけだと正義の味方のように映る。だが、実態は大きく違う。彼が成り行きで手に入れた武器。それを闇雲に取り扱ったらたまたまうまくいっただけ。絶対的な悪に対抗する正義のヒーローは、正義の味方でも何でもなくただの一般人に過ぎない。ここでも著者は徹底して善悪の二元の単純化を避けようとする。

こうなってくると、上に書いた絶対的な悪という見方も怪しくなってくる。むしろ、そう見せかけておいて、今までの著者の作品に見られたような、物事の本質を複雑な視点からみた一冊になっているのではないだろうか。

本書は三部構成になっている。そして、それぞれの部ごとに物語の視点が変わる。その切り替えも本書の視点に多彩さを与えている。真壁捜査官の口から折に触れて飛び出す蘊蓄。これもまたいい。彼は唐突に昆虫の生態を角度を変えて語る。そうすることで、昆虫の多様性を描き出そうとする。絶対的な悪の中にあって、異端児の真壁。組織に属しながら、異端児であっても仲間のいるはずの真壁が多様性をもちだす。それこそが本書の胆ではないだろうか。もはや悪も善も絶対的な価値観ではない、という考え。それが平和警察の形を借りて暗喩となっているのが本書だと思う。

しかも、三部のそれぞれで入れ替わる視点のどれでも絶対的な悪の化身として描かれる薬師寺警視長。そして真壁捜査官も本書の中ではあえて存在感を消して描かれる。真壁捜査官にいたっては、途中で退場してしまう。特定のヒーローもなければ、絶対的な悪役もいない。それこそが著者の狙いであり、人生観なのだろう。

だから、本書の帯に書かれていた文句
「この状況で
生き抜くか、
もしくは、
火星にでも行け。
希望のない、
二択だ。」

このセリフは、善悪の二元を謳う言葉どころか全くの逆なのだ。このセリフは苛烈な平和警察の圧政を批評するとある登場人物のセリフだ。多分編集部が意図して本編から抜き出し、帯に記したに違いない。読者のミスディレクションを狙っての。

そもそも、本書のタイトル「LIFE ON MARS」からして、デヴィッド・ボウイの名曲を意識していることは確か。その歌詞は、荒唐無稽でアヴァンギャルドな内容に満ちている。一切のよって立つ価値観を否定し、貶めている歌詞。そうである以上、その思想を意識した本書が、善悪の二元といった単純な書き方で終わるはずはない。

火星といえば、荒涼とした惑星。地表には複雑さを示すものがなにもない。単純すぎるがゆえに、そこに住まないか?と問いかけ自体がナンセンス。それは単純な地ー火星を単純な見方になぞらえたアンチテーゼ。この価値観こそ、本書の根本にあるのではないだろうか。

むしろ、平和警察という絶対的な悪のような組織を出すことで、読者に絶対的なものへ注目を集めようとしているかにみえる。そして、それを話の中で巧妙に否定しているからこそ、著者の狙いに気づけないだろうか。それはつまり、上にひねり出したような感想のことだ。絶対的なものなど何もないという事実。全ては相対化され、見る視点によっていかようにでも評価できる。

そうした意味で、本書は著者の作品の中でも面白いアプローチを見せている。また一つ著者の引き出しを見せられたようだ。

‘2018/07/09-2018/07/09


マンホール:意匠があらわす日本の文化と歴史


マンホールの写真を撮りためている。地方を旅したり出張することの多い私。訪問先で地面にファインダーを向け、その地域ならではのマンホールを撮っている。

とはいえ、まだ軽い趣味なのでマンホールのために旅行するまでには至っていない。けれども、旅先で見慣れぬ意匠のマンホールを見かけるとテンションも上がるし、それがレアなカラーマンホールならその後の旅路も足取りが軽くなる。

私がマンホールに興味を持ったきっかけは覚えている。寒川神社から茅ヶ崎まで自転車で走った時だ。寒川神社の駐車場に車を停め、そこから茅ヶ崎のいつもお世話になるジーンズショップに注文していたジーンズを取りに行った。相模線に沿って自転車を漕ぎながら、ふと、足元にあるマンホールに目をやった。すると普段、見慣れた町田市や東京都、相模原市のような丸をベースとしたデザインではなく、一つの絵画のようなデザインのマンホールが敷かれていた。それは茅ヶ崎市のマンホールだった。よく見ると数種類あり、それぞれに雨水汚水の表示もある。用途によってデザインも変わっているようだ。そこに興味を惹かれ、写真を撮ったのが始まりだった。

車で行動するとマンホールの魅力に気付きにくい。また、仕事や日常の暮らしの中では、同じ場所の往復に終始しがち。なので、地域色が豊かなマンホールの特色にはますます気づきにくい。私のきっかけも、いつもと違う場所を自転車で走ったことだった。著者も各地のマンホールを撮りためる際、自転車で各地を走っているそうだ。

ウェブを巡ってみると、マンホール愛好家は結構多いらしい。著者はその界隈では有名な方のようだ。有名というだけのことはあり、本書には全国のかなりの地域のマンホールが載っている。

本書はマンホールの意匠ごとにテーマで分けている。テーマごとに各地のマンホールを写真付きで紹介することで、マンホールの魅力を紹介するのが本書の構成だ。ただ漫然とマンホールを紹介するのではなく、意匠に沿ったテーマでマンホールを語っている事が重要だ。

本書は以下の章に分けられている。
1 県庁所在地を訪ねて
2 富士山と山々
3 富岡製糸場と歴史的建造物
4 いつでも見られる日本の祭りや郷土芸能
5 各地の伝統工芸・地場産業
6 地方ならではの特産物
7 地元のスポーツ自慢
8 楽しいのはデザインマンホールだけじゃない

このように、テーマごとに分けることで、読者は各地のバラエティに富んだマンホールの魅力を手軽に鑑賞できる。

私がマンホールに惹かれるのは、意匠がその土地の意外な名物を教えてくれるからだ。普通、土地の名物とは山、川、神社仏閣、スポーツや食べ物などのことを指す。そうした名物は形があり、通年で見ることができる。だからマンホールでアピールするまでもない。だが、無形の祭りや郷土芸能は、特定の時期、場所でしか体験できない。その土地を訪れるだけでは、無形の名物には気づかないものだ。伝統工芸や地場産業もそう。

私は旅先では駅や観光案内所には必ず訪れる。だが、それでもその地に伝わる有形無形のシンボルに気づかないことが往々にしてある。マンホールは、そうした存在を教えてくれるのだ。しかも、それを街中のいたるところで、至近距離で教えてくれる。間近に、頻繁に目に触れられるもの。考えてみるとマンホールの他にそういうものはあまりない。マンホールをデザイン化し、地域ごとに特色を打ち出そうとした発案者の着眼点はすごいと言える。本書には合間にコラムも挟まれているが、その中の一つが「デザインマンホールの仕掛人」として、昭和60年代の建設省公共下水道課建設専門官が提唱したことが始まりと記されている。

その他のコラムは
「マンホールの蓋はなぜ丸い?」
「蓋の模様はなんのため?」
「最古のマンホールの蓋は?」
となっている。どれも基本であるが押さえておくべき知識だ。また、本書の第8章は、蓋に刻まれた市章や町章についての紹介だ。デザインマンホールではなくとも、たいていのマンホールには市章、町章が刻まれている。そこに着目し、デザインの面白さをたのしむのもいい。

著者は東京都下水道局に37年間、定年まで奉職し、主に下水道の水質検査や開発に携わってきたそうだ。著者紹介によると、今までに撮ったマンホールの写真は4000枚にもなるのだとか。はじめにでは、マンホールに惹かれたきっかけが伊勢市のマンホールをみた時であり、定年退職後に各地を折りたたみ自転車で巡ってマンホールの写真を撮っていることなどが書かれていた。

わたしも撮りためたマンホールは多分数百枚、新旧市町村単位で150くらいにはなったと思う。私はまだ現役で仕事をしているので、著書ほどの域に達することはできない。だが、私なりのペースで各地のマンホールを巡ってみようと思う。

なお、本書に載っていないネタとして、各地のマンホールを一堂に見られる場所を知っている。それは、河口湖畔だ。道の駅かつやまの周辺の道には、全国各地のマンホールが敷かれている。どういう理由でなのかは分からない。マンホール趣味の興を削ぐとして、顔をしかめる愛好者もいることだろう。私もそうだった。あと、千代田区麹町のセブンアンドアイホールディングスの本社ビルのそばに、なぜか行田市のマンホールが敷かれている。こういうあってはならない場所に敷かれているマンホールを探すと面白いかもしれない。

あとは、本書では触れられていないが、下水道広報プラットフォームがここ数年で出し始めたマンホールカードは外せないだろう。私も今までに八枚ほど集めた。これもマンホールの魅力を知らしめる意味でも面白い試みだと思う。

デザインマンホールのような試みはもっと広がるべきだ。私が他に思いつけるのは、信号のたもとにある制御盤ぐらいだろうか。制御盤にローカル色溢れる意匠が施されると面白いと思う。もっとも、そうなると私の人生はますます時間が足りなくなるのだが。

‘2018/07/08-2018/07/08


オールド・テロリスト


著者は近年、近未来の日本を描くことで現代に警鐘を鳴らそうとしている。『希望の国のエクゾダス』は、中学生たちが日本に半独立国を作り上げる物語だった。本書はそのシリーズに連なっている。本書の主人公は当時、中学生を取材したジャーナリスト、セキグチ。彼がルポルタージュの執筆依頼を受けた時から本書は始まる。セキグチにルポを依頼した人物は、自らを満州国の人間と名乗り、セキグチをNHKに招く。

その指示に従ってNHKを訪れたセキグチは、若者による自爆テロに遭遇する。九死に一生を得たセキグチは、ルポをウェブマガジンに発表して世間の反応を見る。そこにさらにニュースが飛び込む。自爆犯の仲間達の自殺死体とその傍に置かれていた犯行声明が見つかったのだ。その声明は隷書体で書かれており、セキグチの捜索の糸は、駒込の書道教室へと伸びる。そこには謎めいた女性カツラギと、老人たちのコミュニティが築かれていた。そこでセキグチに託されたのは次なるテロ現場への手がかり。池上の柳橋商店街。そこでセキグチは、植栽を整えるための苅払機の刃が通行人の首を切り裂く瞬間に遭遇する。

セキグチは何かが起ころうとしている事を理解する。老人たちのコミュニティが何か大それたことを計画しているに違いない。希望を持てなくなった若者をそそのかし、自爆テロに向かわせるコミュニティー。その正体は曖昧であり、謎に包まれている。目的を完遂するため、相互の関係がわかりにくい組織を構築した。ちょうどアルカイダのような。

カツラギと親しくなったセキグチは、そのつてで精神科を営むアキヅキの知己を得る。そして老獪なアキヅキとの会話から、オールド・テロリストたちの目指す大義の一端をうかがい知る。

心療医ならではのソフトな口調を操るアキヅキ。彼が発する膨大なセリフの中に本書の肝は含まれている。その中の二つを抜粋してみたい。

「・・・・前略・・・・

老人に関して言うと、弱虫は老人にはなれないんだ。老いるということは、これが、それだけでタフだという証明なんだ。

・・・・後略・・・・」(124P)

「・・・・前略・・・・

 誰もが生き方を選べるわけではない。上位の他人の指示がなければ生きられない若者のほうが圧倒的に多く、それは太古の昔から変わらない。それなのに、現代においては、ほとんどすべての若者が、誰もが人生を選ぶことができるかのような幻想を吹き込まれながら育つ。かといって、人生を選ぶためにはどうすればいいか、誰も教えない。人生は選ぶべきものだと諭す大人たちの大半も、実際は奴隷として他人の指示にしたがって生きてきただけなので、どうすれば人生を選べるのか、何を目指すべきなのか、どんな能力が必要なのか、具体的なことは何も教えることができない。したがって、優れた頭脳を持ち、才能に目覚め、それを活かす教育環境にも恵まれ、訓練を自らに課した数パーセントの若者以外は、生き方を選ぶことなどできるわけがないし、生き方を選ぶということがどういうことなのかさえわからない。そういった若者にとって、人生は苦痛に充ちたものとならざるを得ない。苦痛だと気づいた者は病を引き寄せるし、気づかない者は、苦痛を苦痛と感じないような考え方や行動様式を覚える。同じような境遇の人間たちが作る群れに身を寄せ、真実から目を背けるのだ。

・・・・後略・・・・」(132~133P)

このセリフなど、今の日本の抱える二分化の状況を端的にあらわしている。今の若者に何が起こっているのか。私も含めた若者たちはどういう試練を課せられてきたのか。実に考えさせられる。また、最初のセリフからは、老いているから弱いという思い込みをはねつける強靭なメッセージが伝わってくる。老いるということはそれだけ長く試練に耐えてきた証拠なのだ。今の私たちが生きていること自体が、先祖たちが生き抜いてきた証であるのと同じように。

アキヅキは日本を焼け野原にするという。そして日本の原発の脆弱さを不気味に語る。さらに、謎かけのように歌舞伎町の映画館について言及する。予感を感じたセキグチは、新宿のミラノ座で「AMAOU」なるAKBやSKEの亜流グループが出る映画を見に行く。そして、そこでテロに巻き込まれる。高温で焼き尽くされた劇場からは数百人から千人に迫る規模の死者がでた。イペリットを使ったテロ。セキグチとカツラギ、そしてセキグチが出版社で机を並べていた同僚のマツノはそのテロで危うく死にかける。

そのテロこそ、コミュニティが真に牙を剥いた瞬間。そして遥かな満州国の頃から日本の奥底でうごめく策動が本格的に始動した証だった。そのコミュニティを作り上げ、満州国の生き証人である老人。明日にでも死んでしまいそうなほど衰えたその老人とセキグチは面会を果たす。そして老人から、コミュニティの中で先鋭的な手段に訴えるグループがあること、映画館のテロはそのグループが独断で行ったこと。グループの過激な行動は老人の意図を超えており、そのたくらみを止めて欲しいと頼まれる。老人から託された運動資金は十億。十億など老人にとっては単なる数字。金の流れを把握しきった老人による金の本質を突くセリフも興味深い。

セキグチとカツラギとマツノは、豊富な資金を元手にグループの計画に迫る。565ページある本書はここから、さらに紆余曲折がある。そしてその折々に重要なメッセージが読者に突き付けられる。例えば、

「わたしはあの人に興味がないし、あの人も、もちろんわたしに興味がない。ただし、だからあの人はわたしを信用しているの」

「・・・・前略・・・・

そういう人って、興味を持つ対象がいた場合、まず思うのは、とにかくこいつを殺したいってことです。

・・・・中略・・・・

彼は、どういうわけか、わたしには興味がなかったんですね。わたしのことを、殺したいやつだと思わなかったんです。だから信用されたんだと思う」(289P)

このセリフも、信用や人の関係の本質をナイフのようにえぐっている。

また、こういったセリフも登場する。

「テロの実行犯は、静かな怒りとは無縁です。衝動的に通行人をナイフで刺すような人にあるのは、甘えなんですね。もちろん、彼らにも怒りという感情はあります。ただ、静かな怒りではなく、現実が思うようにならないという幼児的な怒りです。そういう人は、甘えられる対象を常に探しています。自分をコントロールできない、また問題が何かもわかっていないし、見ようとしないし、認めようとしない。だから現実が思い通りにならないのは自分自身のせいではなく社会や他人のせいだと決めつけていて、誰かに、頼りたい、服従したい、命令されたい、そう思っているんです。今、そういう人間は社会にあふれかえっているので、探し出して、洗脳というか、誘導するのは、そうむずかしいことではないでしょう。

・・・・中略・・・・

特攻隊がなぜ美しいか、わかるか。彼らは、二十歳そこそこの若さで、国や、故郷、そして愛する人々を守るために、喜んで犠牲となった、彼らは、七十年後の今でも、尊敬され、英雄として崇められている、崇高で、偉大なものの犠牲になる、それがいかに美しく、素晴らしいかわかるか。

 そういう洗脳をされるのは、気持ちがいいものです。ある種の人たちにとっては、信じられないくらい圧倒的に気持ちがいい。自分で考える必要もないし、自分をコントロールできないと苦しんだり不安になったりする必要もない。

・・・・中略・・・・

その種の洗脳は、甘えることを当然と考える人間が多い社会において、宗教的で、恐ろしい効果を生むんです」(334-335P)

この言葉も読者にはささるはず。

著者の作品を読むといつも思わされるのは危機感の欠如だ。現実の営みがどれだけ緩やかな流れに乗っているか。仕事や家庭で忙しない国民たち。今の我が国にはある程度のセーフティネットが用意されている。それは世のぬるい流れに乗って生きることの快適さを保証してくれている。その流れに乗っていれば楽だ。楽だが、生の証を刻みつけるには、はなはだ心もとない。そもそもその様な生きざまでは、いざ有事が発生した際、まっさきに淘汰される。

むろん、老人たちにしてみても、若い頃は軍国の流れに乗らざるを得なかった。望まぬまま有事に巻き込まれ、その記憶に引きずられている。だが老人たちは今、意図して有事を作り出そうとする。ぬるま湯の日本に刺激を与えるために。

本書はこのあと結末に向かって進んでいく。その結末は書かない。本書の筋書きよりも、あちこちにちりばめられた警句めいた言葉から何かをつかみ取ることが重要だ。本書は著者からの危機感を持つように、というメッセージなのだから。

‘2018/07/07-2018/07/08


ペテロの葬列


豊田商事。天下一家の会。ともに共通するのは、かつて世間を大いに騒がしたことだ。豊田商事に至っては、マスコミが自宅を囲む中で豊田会長が惨殺される強烈な事件が印象を残している。この二つに通ずるのは、ありもしない物を売りつける仕組みだ。会員は多額の金を騙し取られ、大きな社会問題となった。両方に共通するのは、売るべき財もないのに会員を増やす仕組みだ。

豊田商事の場合、顧客が購入した金の現物を渡さず、豊田商事が発行した価値のない契約証券を渡した。いわゆるペーパー商法だ。豊田商事の場合、そもそも証券自体に何も効力がなく、会員が換金を求めてもうまくごまかす。売るべき品物がないのに、証券は次々と発行する。破綻して当然の仕組みだ。

天下一家の会の仕組みは、会員には上位会員への上納金を求め、上位会員は勧誘した会員に応じた配当をもらえる。いわゆるネズミ講。ネズミ算式に会員ネットワークを増やすことからその名が付いた。だが、実際は下位になればなるほど、勧誘できる人はいなくなる。ちなみに一人の会員がそれぞれ二人の会員を獲得するとした場合、28世代のツリーが出来上がれば日本国民は全てカバーできるという。ネズミ講の場合、上納金によって上位会員の懐が潤う。だから有事が発生した際は、そのネットワークで集めた金を使うことが期待される。だが、実際はそのような使い方はされない。原資がないのに、会員には努力に見合った配当を保証し、言葉巧みに騙した。

ネズミ講については無限連鎖講の防止に関する法律という法的な規制が入った。だが、ネズミ講で確立された組織論はまだ残っている。つまり、ツリー状の組織を構成し、階層に応じた報酬を支払う仕組みだ。いわゆるマルチレベルマーケティング。マルチ商法ともいう。マルチレベルマーケティングがネズミ講と違うのは、売るべき商品をきちんと確保していることだ。つまり詐欺ではない。法的な解釈によっては営業形態によって白黒の判断が分かれるらしいが、きちんと払った額に対してサービスが提供されている限りは問題ないという。階層に応じた報酬体系は、年功序列型の組織では当たり前。配当を販売マージンととらえれば、世間にある代理店制度で普通に運用されている。だから、マルチレベルマーケティングだからといって即アウト、ということにはならないと思う。

では、なぜ世間にマルチレベルマーケティングがここまで浸透しないのか。それは、法的な問題以前に、より根本的な原因があるからだと思う。私が思うマルチレベルマーケティングの難点。それは、消費者側にも売り手側の振る舞いが求められることだ。

もちろん、マルチレベルマーケティングの運営元によって違いはある。マルチレベルマーケティングの運営方針によっては、サービスの購入者は消費者の立場にとどまることが認められている。その場合、サービスの買い手は商品だけ購入し、勧誘は一切しなくてもよい。そのような関わり方が認められているのはネズミ講と違う点だ。ネズミ講は会員である以上、下位会員を勧誘することが前提。なぜなら会員それ自体が商品だから。そこに金以外の目的はない。

ただ、マルチレベルマーケティングの運営元によっては、サービスについてのセールストークとともに、あなたも商品を取り扱ってビジネスをしませんか、という勧誘のおまけがついてくることがある。わが国ではここを嫌がる人が多い。なぜなら、前述の豊田商事や天下一家の会をはじめ、多数のペーパー商法やネズミ講の関係者が多大なる迷惑をかけて来たからだ。もはや日本人の大多数に拒否感が蔓延している。

私が思うに、わが国からマルチレベルマーケティングに対する偏見が消え去るまでには、あと一、二世代ほど待たねばならないと思う。通常の商取引に基づいたビジネスの現場でも同じく。マルチレベルマーケティングの用いるチャネル販売は、ビジネスプロセスの一つにすぎないと思う。それでありながら、上記の理由で一般的にはマルチレベルマーケティングだけが強く忌避されているのが現状だ。

そのため、弊社としてもビジネス上でマルチレベルマーケティングの方法論を採り入れるつもりはない。マルチレベルマーケティングにもそれなりの利点や理論があるのも理解するし、やり方によっては今後の有望さが見込める手法だと思う。だが、そのメリットがあるのは理解しつつ、今はまだデメリットのほうが強いとしかいえない。

拒否感が蔓延している人に対し、無理に強いて勧誘すればどうなるか。おそらくビジネス関係だけでなく、友人、肉親との関係にも悪影響が出る。それも長期にわたって。その影響、つまりネズミ講によって生まれた深い傷が本書のモチーフとなっている。豊田商事や天下一家の会、マルチレベルマーケティングについて長々と前口上を書き連ねたのはこのためだ。

「「悪」は伝染する」。本書の帯に書かれている文句だ。「悪」とは何か。「伝染する」とはどういうことか。人は性悪説と性善説のどちらで捉えればよいのか。本書の時間軸で起きる事件はバスジャックくらいだ。しかも犯人の意図が全く分からないバスジャック。だが、本書が語る事件はバスジャックだけではない。過去に起き、関係した人々に取り返しのつかない傷を与えた事件。それが本書の底を濁流となって流れている。

「悪」は伝染するだけではない。「悪」は伝染させることもできる。本書には他のキーワードも登場する。それはST(Sensitivity training=感受性訓練)という言葉だ。実は私はSTという言葉を本書で知った。だが、自己啓発セミナーや洗脳など、それに近い現場は知っている。私自身、かつてブラック企業にいたことがある。本書に描かれるSTの訓練光景のような心理を圧迫される訓練から苦痛も受けた。だから何となくSTの概念も理解できる。そして、STのトレーナーであれば、人を簡単に操縦できるということも理解できる。「悪」を伝染させることも。

本書を読んだのは、オウム真理教の教祖こと麻原彰晃に死刑が執行されたタイミングだ。もちろんこれは単なる偶然。だが、私の人生を一変させた1995年に社会を騒がせた教祖の死と、本書を読んだタイミングが同じだったということは、私に何らかの暗示を与えてはいないだろうか。

私はそれなりに心理学の本を読んできた。NLPなどの技法も学んだことがある。商談の場では無意識にそうしたテクニックを駆使しているはずだ。だが、私は人をだましたくない。うそもつきたくない。人と同じ通勤の苦痛を味わい、右に倣えの人生を歩みたいとは毛頭も思わないが、人を騙してまで楽な人生を歩もうとも思わない。だが、そうした哲学や倫理を持たない輩はいる。そうした輩どもが、ビジネスの名を騙って人を不幸にしてきた。その端的な例が、豊田商事であり天下一家の会であり、昨今のオレオレ詐欺の跳梁だ。

全ての人類が平等に幸せになる日。それが実現することは当分ないだろう。だが、私はせめて、自分の行いによって人を不幸に陥れることなく、死ぬときは正々堂々と胸を張って死にたい。

ここで本書のタイトルであるペテロの葬列の意味を考えねばなるまい。ペテロとはいかなる人物か。ペテロとはイエス・キリストの最初の弟子とされる人物だ。敬虔な弟子でありながら、キリストがローマ兵によって捕縛される前、キリストのことを知らないと三度否認するであろうと当のキリストから予言された人物。そして、キリストが復活した後は熱心な信者として先頭に立った人物。つまり、一度はキリストを知らないとうそをついたが、そのことを恥じ、改心した人物である。本書が示すペテロとはまさにその生きざまを指している。一度は人々をだまし、人々を誤った道へ導いた人物が、果たして人のために何を成しえるのか。それが本書の大きなテーマとなっている。

本書は人を導き、操る手口が描かれる。本来、そうした技は正しい目的のために使われなければならない。正しい目的を見定めることはできないにしても、人を不幸にしないため使わなければよい、といえようか。その原則は、当然ながらビジネスにも適用される。ビジネスとは何のためにあるのか。それは人を不幸にしないためだ。人をだますことはビジネスではない。私もまた、それを肝に銘じつつ、仕事をこなし、人生を生きていかねばならないと考えている。

‘2018/07/05-2018/07/06


ファインダーズ・キーパーズ 下


上巻を使って、ベラミーの凶行の動機がどうやって生まれたのか、そしてベラミーの狂気がピートとアンディにどういう運命をもたらそうとするかを描いた著者。

ピートとその家族に害を成すベラミーに対するは、前作と同じくビル・ホッジズの役目だ。上巻のレビューで、本作を読むまえに前作『ミスター・メルセデス』は読んだほうが良いと書いた。それは『ミスター・メルセデス』で果たしたホッジズの役割が何度も言及されるからだ。本書の肝はベラミーがロススティーンの残した未発表原稿への執着に尽きる。そのため、上巻の多くはロススティーンに対するベラミーの殺害の一部始終と、ピートが未発表原稿を見つけ、なぜそれをアンディーが営む稀覯本の店に持ち込もうとしたかの理由を描くことに費やされている。

そのため、上巻では探偵役であるホッジズは多く登場しない。そのかわり『ミスター・メルセデス』のエピソードを何度もはさむことで、ホッジズの人となりを描いている。著者はホッジズのことは『ミスター・メルセデス』を読んで理解してほしい。あらためて本書で紹介するには及ばない、と考えているのだろう。

下巻では、ホッジズに相談が寄せられるシーンで始まる。相談を持ちかけたのは、ピートの妹ティナ。ティナの友人が『ミスター・メルセデス』で重要な役割を果たし、ホッジズの友人であるジェロームの妹のバーバラだ。兄の不審なふるまいに不安を覚えたティナがバーバラに相談し、二人でホッジズのもとへ訪ねて来る。そこからホッジズはこの事件に関わってゆく。ここにきて『ミスター・メルセデス』で登場した主要な人物が顔をそろえ、物語が動き始める。このあたりの人物描写は『ミスター・メルセデス』を読んでいないと理解できないと思われる。なので、前作は読んでおいた方が良い。

上巻のレビューにも書いた通り、ベラミーの凶行がアンディーの稀覯本屋で繰り広げられる。そこにやってきたのがピート。当初、未発表原稿をアンディーの店に持ち込んだところ、盗んだ品ではないかと逆に脅される。それに対し、精一杯虚勢を張ろうとしていたピートが見たのは酸鼻に満ちた店内。ベラミーに遭遇したピートは、かろうじて惨劇の場から逃げ出すことに成功する。だが、ベラミーはピートがかつて自分が住んでいた住まいの今の住人であることを知る。やがてその家はベラミーに蹂躙される。さらに、万が一に備えてピートが未発表原稿を隠しておいた娯楽センターを舞台に、ベラミーの未発表原稿への執念は燃え盛る。

なお、本書のエピローグでは、『ミスター・メルセデス』その人が登場する。ホリーによってすんでのところで凶行を邪魔され、逆に脳が壊れるほどのダメージを負わされたブレイディ・ハーツフィールド。彼の登場は唐突なので、このエピローグは前作を読んでいないと全く理解できないはずだ。上巻のレビューで本書には細かな傷が見受けられると書いたが、これもその一つ。今までの著者の作品はキャッスル・ロックやデリーといった架空の地を舞台とし、世界はつながっていた。だが、ここまであからさまにシリーズを意識した書き方はしていなかったように思う。本書はシリーズを同士の繋がりが特に強い。だから前作『ミスター・メルセデス』を読まねば本書のいくつものエピソードは理解できないように書かれている。これはささいだが本作の傷だと思う。

だがその傷を含め、著者はどうやったら本書をミステリーとして成り立たせるかについて苦心したようだ。少なくとも私にはそう感じられた。どのようにしてそれぞれの作品のエピソードをつなぐのか。どうやってベラミーやピートの内面をストーリーに添わせるのか。本書ではそういった著者の手腕が堪能できるし、参考にもなる。

もう一つ、本書から感じられることがある。それは、著者が持つ純文学への憧れだ。ここ近年の著者の作品には純文学作家への言及が増えてきたように思う。たとえばサマセット・モーム。ジョン・アーヴィングを意識したと思える描写にも時折出くわす。本書もそうだ。ロススティーンという純文学の大家とその代表作。そしてその遺稿。ロススティーンの代表作とされるジミー・ゴールドの粗筋を本書の随所に挟みこむことによって、著者は読者が真に読みたがる純文学とは何かを問うているように思える。

本書を読んでいて、いつか著者が作家としての集大成として純文学を発表するのではないかと思わされた。今までの著者の作品の中で、私があまり感心しなかったのが『アトランティスの心』だ。これは純文学のアプローチを著者が試し、うまくいかなかった例だと思う。だが、本書を読んだ結果、ホラー、そしてミステリーと範囲を広げてきた著者が、最後に向かうのは純文学ではないかと思うようになった。

著者はきっと成し遂げてくれるはず。読者を感動の渦に巻き込み、人間とは、世界とは何かを十分に感じさせてくれる作品だってものにしてくれるはずだ。ここまで読者を恐怖に叩き込み、読者を寝不足にさせる作家は古今東西を見回してもそうそういない。これだけの筆力を持つ著者であるからには、素晴らしい純文学の作品を発表してくれると信じている。著者は今までの作品でアメリカの人種差別にも触れてきている。その現実と融和も描こうと苦心している。例えば著者が現代アメリカの闇とその融和に苦しむ現実を世界のモデルケースとして描いたら、ノーベル文学賞だって夢ではないと思う。

私はぜひ、著者の純文学作品を読んでみたい。そしてもし、著者の未発表作品が手元に舞い込んできたら何をおいても読みたいと願い、狂奔することだろう。ちょうど本書のベラミーやピートやアンディーのように。本当に優れた本にはそれだけの魔力がある。著者はそれがわかっているし、そういう作品を世に問いたいと願っているはずだ。本書はそうしたことを意識して書かれているように思う。

今まで著者は読者を驚かせ、怖がらせるために読者の視点を大切にしてきたと思う。そして今は、読者の視点から純文学の構想を練っているのではないか。その視点を生かしたまま、著者の熟練のスキルが純文学で発揮されたら果たしてどんな傑作が生まれるのか。期待したい。

‘2018/07/01-2018/07/04


ファインダーズ・キーパーズ 上


『ミスター・メルセデス』は、ホラーの巨匠がミステリ作家としても一流である事を証明した。とても面白かった。

本書はその続編にあたる。だから、本書を読むのはなるべく『ミスター・メルセデス』を読んでからの方がいい。なぜなら本書は『ミスター・メルセデス』のエピソードに頻繁に触れるからだ。もちろん、知らなくても本書の面白さは折り紙が付けられる。でも、読んでおいた方がさらに面白くなるはずだ。

私は著者の作品のほとんどを読んでいる。そして、あまりハズレを引いた経験がない。著書がストーリー・テラーとして信頼できる作家であることに間違いはない。そう思っている。私は本書を読みながら、その面白さがどこから来るのか確かめたいと思った。本書はミステリ小説として書かれている。つまり、超常現象には頼れない。また、読者に対してフェアな書き方が求められる。本書を読み込めば、著者のストーリーテリングの肝が会得できるのでは、と思った。

そんな意気込みで読み始めたが、面白さに負けて一気に読んでしまった。さすがの安定感だ。

本作の粗筋はこうだ。現代アメリカ文学の大家として名声を得たロススティーン。最後に作品を発表してから10数年が過ぎ、世間からは引退したと思われている。そんな田舎に隠棲したままの大家のすみかに三人の強盗が押し入る。強盗のボス格ベラミーが狙っていたのは金だけではなく、ロススティーンが書き溜めているとうわさされていたジミー・ゴールド・シリーズの未発表原稿。ジミー・ゴールドに心酔していたベラミーは、ロススティーンがシリーズの最終作でジミー・ゴールドを平穏な小市民として終わらせたことに納得がいかない。押し入ったその場でロススティーンにそのことを問いただし、激怒のあまり撃ち殺してしまう。

ベラミーは、未発表原稿の束や現金とともに現場から逃亡する。そして、一緒に逃亡する仲間を途中で殺し、身をひそめるため故郷に帰ってくる。故郷で身を隠しつつ、ゆっくりとジミー・ゴールド・シリーズの最新作を読もうと思っていた。自らの望むジミー・ゴールドのその後が知りたくて。ところがロススティーン殺害のニュースは故郷にも届いており、かねてからロススティーンへのベラミーの偏執をしっていた友人のアンディーは、ベラミーに未発表原稿や金の詰まったトランクを隠すよう忠告する。その忠告に従ったベラミーはトランクを隠した後、酒を飲みにバーにしけこむ。そして強姦事件を起こす。それがもとで36年間の長きにわたって投獄されてしまう。

36年後、ベラミーが住んでいた家にはソウバーズ一家が住んでいた。そして、ソウバーズ家は、家長が職を失ってしまう困窮の中にあった。『ミスター・メルセデス』がひき起こした大量ひき逃げ暴走事件によって体にダメージを負ったからだ。そんな中、13歳の長男ピートは、偶然にもかつてベラミーが埋めたトランクを見つけ出す。そして一家の困窮を救うために、トランクに詰まっていた金を匿名で自分自身の家に送る。さらに、その中に隠された未発表原稿を読み、文学に目覚める。ところが、一家の経済状況は一息ついたとはいえ、妹のティナの進学費用が工面できない。そこでピートはロススティーンの未発表原稿をアンディーの経営する稀覯本の店に持ち込む。そして足元を見られたアンディーに逆に脅される。ベラミーが仮釈放を勝ち取ったのは、ちょうどその時。仮釈放で保護観察中の身でありながら、さっそく36年前に隠したトランクを掘り出したベラミーは、その中が空になっていることを知る。36年の月日が彼の未発表原稿への狂気を熟成させ、それが盗まれたとしったベラミーの理性は沸騰し、その刃はかつての旧友アンディーに向けられる。

今回、私は本書を分析的な眼で読もうとした。それだからだろうか、一つの大きな傷を見つけた。

まず、ストーリーの構成だ。事件が起こるタイミングに作者の意思が見え隠れする。それはつまり、作者のストーリー展開の都合に合わせて登場人物が動かされていることを示す。登場人物が、著者の組み立てたプロットの上で動かされる。その感覚は本当に優れている小説を読むと感じないものだ。だが、本書からはその感覚が感じられた。著者の今までの優れた傑作群には見られなかったように思う。

もちろん、今までの著者の作品にも著者の作為は見受けられた。著者の作品では多くの登場人物が交わり合い、感情をぶつけ合う。その中には、著者によって仕組まれた偶然の出会いや偶然の産物から生まれた悲喜劇も含まれる。それは当然のことだ。たくさんの人々を自在に操る手腕こそが著者を巨匠の高みに押し上げたのだから。そもそも小説である以上、全てが著者の作為の結果でしかない。だからこそ、それをいかにして自然に見せるが作家の腕の見せ所なのだ。それを巧みに紡ぐ筆力こそ、ベストセラー作家とその他の作家を分ける違いではないだろうか。

本書は、著者の作為がうまくストーリーの中に隠し切れていない。「神の手=著者の筆」が随所に見えてしまっている。むろん、登場人物の動きは可能な限り自然に描かれていた。だが、出獄したベラミーが、自らが過去に埋めたトランクの中身がからになっていることに気づくタイミングと、ピートがその中身を稀覯書店主のアンディに持ち込み、逆に脅されるタイミングの一致。それは、ミステリーとしての整合性を優先させるため、著者が仕組んだ都合の良さに思えた。今までの著者の作品には、人物が著者の都合に合わせることが感じられなかった。多分、多数の登場人物が入り乱れる中、そこまで気にしなかったのだろう。だが、本作は、ピートとベラミーとアンディの動きが胆となる。だから、この三人の動きがクローズアップされ、その行動があまりにも筋書きにはまっていると不自然に感じてしまうのだ。

ただし、かつて殺した大作家の遺稿を隠した後、長年にわたって別件で投獄されていたベラミーが原稿を読みたいという動機については納得できる。著者は作品の中で、小説作品や作家を題材にすることがある。本書でもそれが存分に発揮されていたと思う。なぜベラミーはそれほどまでにロススティーンの遺稿に執着するのか。なぜベラミーはロススティーンを撃たねばならなかったのか。本書は事件の発端を描くことに紙数を費やし、ベラミーの動機を詳細に描いている。そうしないと本書の構成そのものが乱れてしまうからだ。著者はその動機を丁寧に描いている。おそらくは著者にとって最も苦労したのではないだろうか。

ところが、動機に多くの労力を割いて丁寧に描いた割に、ベラミーの出獄とピートの行動、そしてピートがアンディと交渉するタイミングがあまりにも近すぎる。保護観察中のベラミーの狂気がアンディーに向かい、その場にピートを引き寄せてしまう。もちろん、ストーリーの展開上、行動人物の動きを同じ時期に合わせなければならないのは分かる。だが、登場人物の動かし方に、あと少しの工夫があっても良かったと思う。著者の今までの作品には、その工夫が絶妙に施されていたような気がする。

本作は、動機をきちんと説明していたのに、イベントのリンクの繋げかたを少々焦りすぎたような気がする。

‘2018/06/30-2018/06/30


経営センスの論理


Cybozu社のイベントで何度か著者をお見かけした。そのイベントとは、Cybozu Days。その中にkintoneを活用したユーザーが事例発表を行うkintone hiveというコーナーがあり、著者はその審査委員長だ。

そんなわけで著者の名前は以前から知っていた。だが、著作を読むのは本書がはじめて。本書のタイトルが私を引きつける。経営センス。経営者の端くれにいる私に全く足りていない。

私は、自分に経営センスがあるとは思っていない。あればとっくに大勢の人を雇っている。私に経営センスがないのは、経営についての勉強を全くしていないからだ。全てが独学。ようやく法人化して四年目を迎え、さまざまな話をさまざまな方から伺い、自分なりに経営に試行錯誤してきた。

だからこそ、経営には「センス」と「スキル」があり、経営には両方とも必要なのだ、という著者の説には勇気づけられる。私の場合、圧倒的に足りないのは経営スキルであり、経営センスは多少なりとも身についているのでは、という勘違い。私に足りないのはむしろ経営センスではないだろうか。

財務諸表の読み方など、しょせんスキルの話だ。それらをいくら身につけてもそれだけでは優れた経営者とはいえない。せいぜいがスーパー担当者に過ぎない。そんな著者の言葉には頷けるところもあり、耳も痛い。私の場合は多分経営者ではなく、スーパー担当者に過ぎないのだろう。経営者でありながら、自分でプログラミングや設計やテストをこなしているうちは経営者とは言えない。

とはいえ、経営センスを身につけねばならないことは差し迫った課題だ。そもそも経営センスとは何なのか。で、どうやって身につけるのか。分かるはずがない。著者は「善し悪し」よりも「好き嫌い」で経営することが経営センスではないかという。そう聞くと、「好き嫌い」による経営は感情を論理より重んずる経営と同じ意味になり、あまりよろしくない気がする。ところが、センスある経営者をみていると好き嫌いで経営判断を下しているとしか思えないと著者はいう。確かに有名な経営者の言動、例えばスティーブ・ジョブズや松下幸之助の事績を見ると、論理よりも感情が見え隠れする。

経営者といえども人間だ。時間も有限にしか持たない。つまり、どこまでを自らの手で行い、どこまでを任せるのかについての線引きをきっちり行わねばならない。それがすなわち、本書でいうハンズオンとハンズオフの境界なのだろう。とくに、オフの線引きが重要なことは本書から読み取れる。私の場合もそう。コーディングはまだしも、テストまで手を染めることはやりたくないし、やってはならないと思っている。ところが、先日、某案件で私自身がテスターとなってしまった。忸怩たる思いに苛まれている。

著者は経営で重要なこととして「自由意志の原則」を挙げている。本来経営とは自由意志に基づくはず。ところが「⚪⚪せざるを得ない」という理由で経営の舵取りをする経営者がいかに多いか、と嘆く。これも耳が痛い。弊社の場合、さしずめ「人を増やさざるを得ない」「案件を請けざるを得ない」から経営しているといえよう。

第1章が、「経営者」の論理であるなら、第2章は、「戦略」の論理を取りあげている。ここで重要なのは、「連続性」と「非連続性」の観点だ。ここでいう連続性とはルーチン業務を指す。この連続性のラインに載っているかぎり、イノベーションは生まれない。同業他社から一歩抜け出すためには非連続性の中に踏み込まねばならない。著者がここで持ち出すのは、米国のサウスウエスト航空の事例だ。航空業界の中にありながら、あえてLLCという機軸を生み出す。そして業績を好転させる。一方で著者は、IT業界を技術革新の連続からなる非連続性の業界と解釈する。アマゾンは非連続性の中でユーザーの購買行動という連続性に着目し、業界のみならず、全産業の中でも巨人となった。新規の事業ではなく、従来からある事業の連続の中に商機を見いだしたからこそ、アマゾンはその地位を得た。

ちなみに著者は非連続性の業界の例としてIT業界をあげたが、連続性の部分もある。いわゆるSESだ。多重請負のもと、大手開発案件に技術者を派遣する業務だ。私も以前はこの業態の末端にいた。この業態には残念なことにイノベーションはない。私自身も未来を感じられずにいた。それなのに十年近くも在籍してしまった。それは私の後悔であると同時に、本書の記載に唯一疑問を抱いた点だ。

あと、この章では攻撃は最大の防御という戦略も描かれる。著者はご自身の頭髪を例に挙げ、ユーモアをたっぷり振りかけつつ戦略を語る。本書は全体的にこのような脱線が随所に挟まれ、心を和ませてくれる。「善し悪し」よりも「好き嫌い」で経営は語られるべき、を実践するかのように。

第3章は、「グローバル化」の論理だ。

この章にも重要な指摘がちりばめられている。そもそも著者は、グローバル化に当たっては、三つの壁があるという。それは英語の壁、多様性の壁、経営人材の希少の壁だ。それらはある意味では分かりやすい構造だ。しかし、著者の視点によると、この壁はかなりの誤解を生んでいるという。まず、英語の壁は英語の能力ではない。コミュニケーション能力の壁であること。多様性についても同じく誤解が生じている。それは、経営とはどこかで統合しなければならないことだ。各部門が好き勝手やっていたら会社は成り立たない。当然の指摘だと思う。「経営の優劣は多様性の多寡によってではなく、一義的には統合の質によって左右される」(119p)

三つ目に挙げられた経営人材の希少。経営人材とは、一章で挙げられた経営センスを持った人材を指す。スーパー担当者だけでは会社は回らない。センスを持った人材を育てなければならない。「非連続性を乗り越えていける経営人材の見極めは多くの日本企業にとって最重要課題である」(131p)

もちろん弊社にとっては、私自身が経営人材として舵取りをしていかねばならないわけで、肝に銘じねばならない。

第4章は「日本」の論理。ここも、日本にしがみつかざるを得ない(という自由意志を放棄したような)、弊社にとっては心強い内容に満ちている。いわゆる日本の終わりを予言する論調。それらの論調に反し、著者は日本の優位を説く。例えば日本が抱える問題で筆頭に挙がるのは少子高齢化だろう。だが、著者に言わせれば、それは逆を返せば問題が分かっていることと同じ。そして問題が事前に分かっていれば対策も採りやすい。一方、諸外国にも問題はある。日本と違い、諸外国の抱える問題は不確定の要因からなっている。たとえば宗教の対立、民族の対立などの問題はいつ何時どのように起こるか分からない。日本の場合はその問題が相対的に低いため優位な地位にあるというのが著者の分析だ。また、日本の企業は専業志向であるため、その分野では底力を発揮するというのも著者の見立てだ。諸外国の企業はポートフォリオ経営に特化し、採算が悪ければあっさりとその事業を売却する。日本でも大手の家電メーカーは、事業の切り売りをはじめているが、中堅どころの体力のあるメーカーは専業志向で頑張っていると著者はいう。

第5章は「よい会社」の論理。

この章で著者は、若者のブランド志向を指摘する。かつての私を思い返すと耳が痛い。顔から汗が噴き出る思いだ。就職活動の時、ろくに会社分析をせず、イメージだけで選んでいた私自身への痛烈な指摘が続く。私はこの時の経験から大企業への信仰がすっかりうせてしまった。今、零細企業の経営者として恥じるところはまったくない。ところが今の若者たちの多くはまだ企業をブランドイメージで捉えていると思う。消費者として眺めたときのイメージと、働く側で見据えたイメージの落差。先日もとある方としゃべっていたが、その方からはいわゆる大手企業にある官僚的な体質、社風について懇々と教えていただいた。

良い会社とは、いわゆる企業ランキングではわからない。そこで著者はGPTWインスティテュートによる働きがいのある会社ランキングを推奨する。このランキングは従来の指標とは一線を画し、働き甲斐に着目したランキングなのだそうだ。

第6章は「思考」の論理。

ここではもう少し経営センスのコアな部分に着目する。「抽象」と「具体」の往復。それこそが、地頭の良さを決めると著者はいう。その振れ幅の大きさこそが、行動や選択の幅や人間の器を大きくする。頭でっかちなだけでは駄目で、猪突猛進なだけでもだめ。両方が出来る人こそが器の大きい人物なのだろう。また、情報と注意をトレードオフするコツとして、巷に溢れる情報の渦の中で、どこまでを取捨選択すべきに帰ったについて、著者は語る。私の場合はSNSからの情報を絞ることにした。結局のところ、SNSから得られる情報量と時間の生産性を考えると、どうしても生産性は落ちる結論に達する。私はそう割りきってSNS投稿を行うように変えた。私の考えでは、自分のビジネスの広告効果より、生涯の収穫量に重点をおいている。

このように、本書はさまざまな視点から考えさせてくれる。

’2018-06/22-2018/06/30


日本の思想


著者の高名は以前から認識していた。いずれは著作を読まねばとも思っていた。戦後知識人の巨星として。日本思想史の泰斗として。

だが、私はここで告白しておかねばならない。戦中に活躍した知識人にたいし、どこか軽んじる気持ちをもっていた事を。なぜかというと、当時の知識人たちが軍部の専横に対して無力であったからだ。もちろん、当時の世相にあって無力であったことを非難するのは、あまりに厳しい見方だというのはわかっている。多分、私自身もあの風潮の中では何も言えなかったはずだ。当時を批判できるのは当時を生きた人々だけ。私は常々そう思っている。だからあの時代に知識人であったことは、巡り合った時代が悪かっただけなのかもしれない。ただ、それは分かっていてもなお、戦中に無力であった人々が発言する論説に対し、素直にうなづけない気分がどうしても残る。

だが、そうも言っていられない。著者をはじめとした知識人が戦後の日本をどう導こうとしたのか。そして彼らの思想が廃虚の日本をどうやって先進国へと導いたのか。そして、その繁栄からの停滞の不安が国を覆う今、わが国はどう進むべきなのか。私はそれを本書で知りたかった。もちろんその理由は国を思う気持ちだけではない。私自身のこれから、弊社自身のこれからを占う参考になればという計算もある。

だが、本書は実に難解だった。特に出だしの「Ⅰ.日本の思想」を読み通すのにとても難儀した。本書を読んだ当時、とても仕事が忙しかったこともあったが、それを考慮してもなお、本書は私を難渋させた。結果、本章を含め、本書を読破するのに三週間近くかかってしまった。そのうち「Ⅰ.日本の思想」に費やしたのは二週間。仕事に気がとられ、本書の論旨を理解するだけの集中力が取れなかったことも事実。だが、著者の筆致にも理由がある。なにしろ一文ごとが長い。そして一文の中に複数の文が句読点でつながっている。また、~的といった抽象的な表現も頻出する。そのため、文章が表す主体や論旨がつかみにくい。要するにとても読みにくいのだ。段落ごとの論旨を理解するため、かなりの集中が求められた。

もう一つ、本章は注釈も挟まっている。それがまた長く難解だ。本文よりも注釈のほうが長いのではと思える箇所も数カ所見られる。注釈によって本文の理解が途切れ、そのことも私の読解の手を焼いた。

ただ、それにもかかわらず本書は名著としての評価を不動にしているようだ。「Ⅰ.日本の思想」は難解だが、勉強になる論考は多い。

神道が絶対的な神をもうけず、八百万の神を設定したこと。それによって日本に規範となる道が示されなかったこと。その結果、諸外国から流入する思想に無防備であったこと。その視点は多少は知っていたため、目新しさは感じない。だが、本章を何度も繰り返し読む中で、理解がより深まった。完全にはらに落ちたと思えるほどに。

また、わが国の国体を巡る一連の論考が試みられているのも興味深い。そもそも国体が意識されたのは、明治政府が大日本帝国憲法の制定に当たり、国とは何かを考えはじめてからのこと。大日本帝国憲法の制定に際しては伊藤博文の尽力が大きい。伊藤博文は、大日本帝国憲法の背骨をどこに求めるかを考える前に、まずわが国の機軸がどこにあるかを考えねばならなかった。いみじくも、伊藤博文が憲法制定の根本精神について披瀝した所信が残されている。それは本書にも抜粋(33p)されている。その中で伊藤博文は、仏教も神道も我が国の機軸にするには足りないと認めた上で「我国二在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ」という。ところが、そこで定まった国体は明らかに防御の体質を持っていた。国体を侵そうとする対象には滅法強い。だが、国体を積極的に定義しようと試みても、茫洋として捉えられない。本書の中でも指摘されている通り、太平洋戦争も土壇場の御前会議の場においてさえ、国体が何を指すのかについて誰一人として明確に答えを出せない。その膠着状態を打破するため、鈴木貫太郎首相が昭和天皇の御聖断を仰ぐくだりは誰もが知っているとおりだ。

そして、著者の究明は日本が官僚化する原因にまで及ぶ。権力の所在は極めて明確に記された大日本帝国憲法。でありながら責任の所在が甚だ曖昧だったこと。大日本帝国憲法に内在したそのような性質は、一方で日本を官僚化に進めてゆき、他方ではイエ的な土着的価値観を温存させたと著者はいう。それによって日本の近代史は二極化に向かった。著者はその二極を相克することこそが近代日本文学のテーマだった事を喝破する。著者は59pの括弧書きで森鴎外はべつにして、と書いている。著者の指摘から、森鴎外の『舞姫』が西洋の考えを取り入れた画期的な作品だったことにあらためて気づかされる。

また、著者はマルクス主義が日本の思想史に与えた影響を重く見ている。マルクス主義によって初めて日本の思想史に理論や体系が生まれたこと。ところが、一部の人がマルクス主義を浅く理解したこと。そして理論と現実を安易に調和させようとしたこと。それらが左翼運動に関する諸事件となって表れたことを著者は指摘する。

結局のところ著者が言いたいのは、まだ真の意味で日本の思想は確立していないことに尽きると思う。そして、著者は本書の第三部で日本の思想がタコつぼ型になっており、真の意味でお互いが交流し合っていない事情を憂う。雑種型の思想でありながら、相互が真に交わっていない。そんなわが国の思想はこれからどうあるべきか。著者は日本の文学者にそのかじ取りを託しているかに読み取れる。

「Ⅱ.近代文学の思想と文学」で著者は、日本の思想が文学に与えた影響を論じている。上にも書いたが、著者にとって森鴎外とは評価に値する文学者のようだ。「むしろ天皇制の虚構をあれほど鋭く鮮やかに表現した点で、鴎外は「特殊」な知識人のなかでも特殊であった」(80P)。ということは、著者にとって明治から大正にかけての文壇とは、自然主義や私小説のような、政治と乖離した独自の世界の話にすぎなかったということだろうか。

著者は、マルクス主義が文壇にも嵐を巻き起こしたことも忘れずに書く。マルクス主義が日本の思想に理論と体系をもたらしたことで、文学も無縁ではいられなくなった。今までは文学と政治は別の世界の出来事として安んじていられた。ところがマルクス主義という体系が両者を包括してしまったため、文学者は意識を見直さざるをえなくなった。というのが私の解釈した著者の論だ。

「Ⅱ.近代文学の思想と文学」は解説によると昭和34年に発表されたらしい。つまりマルクス主義を吸収したプロレタリア文学が挫折や転向を余儀なくされ、さらに戦時体制に組み込まれる一連のいきさつを振り返るには十分な時間があった。著者はその悲劇においてプロレタリア文学が何を生み、何を目指そうとしたのかを克明に描こうと苦心する。著者はマルクス主義にはかなり同情的だ。だが、その思想をうまく御しきれなかった当時の文壇には厳しい。ただし、その中で小林秀雄氏に対してはある種畏敬の念がみられるのが面白い。

もう一つ言えば、本書はいわゆる”第三の新人”については全く触れられていない。それは気になる。昭和34年といえばまさに”第三の新人”たちが盛んに作品を発表していた時期のはず。文学に何ができるのかを読み解くのに、当時の潮流を読むのが一番ふさわしい。ところが本書には当時の文学の最新が登場しない。これは著者の関心の偏りなのか、それとも第三の新人とはいえ、しょせんは新人、深く顧みられなかったのだろうか。いま、平成から令和をまたごうとする私たちにとって、”第三の新人”の発表した作品群はすでに古典となりつつある。泉下の著者の目にその後の日本の文学はどう映っているのだろうか。ぜひ聞いてみたいものだ。

「Ⅲ.思想のあり方について」については、上にも軽く触れた。西洋の思想は一つの根っ子から分かれたササラ型なので、ある共通項がみられる。それに対し、日本の思想はタコつぼ型であり、相互に何の関連性もない、というのが著者の思想だ。

本章は講演を書き起こししており、前の二部に比べると格段に読みやすい。それもあってか、日本の思想には相互に共通の言語がなく、それぞれに独自の言語から獲得した思想の影響のもと、相互に閉じこもってしまっているという論旨がすんなりと理解できる。本章から学べる事は多い。例えば私にしてみれば、情報処理業界の用語を乱発してはいないか、という反省に生かせる。

業界ごとの共通言語のなさ。その罠から抜け出すのは容易ではない。私は30代になってから、寺社仏閣の中に日本を貫く共通言語を見つけ出そうとしている。が、なかなか難しい。特に情報処理の分野では、ロジックが幅を利かせる情報処理に共通言語が根付いていない。そんな貧弱な言語体系でお客様へ提案する場合、お客様のお作法に追随するしかない。ところが、その作業も往々にしてうまくいかない。このタコつぼの考え方を反面教師とし、システム導入のノウハウにいかせないものだろうか。

「Ⅳ.「である」ことと「する」こと」も講演の書き起こしだ。これは日本に見られる集団の形式の違いを論じている。「である」とはすでにその地位に安住するものだ。既得権益とでもいおうか。血脈や人種や身分に縛られた組織と本書でいっている。一方で「する」とはそういう先天的な属性よりも、人の役割に応じた組織をいう。つまり会社組織は「する」組織に近い。我が国の場合、「である」から「する」への組織が進んでいるようには見えるが、社会の考え方が「である」を引きずっているところに問題がある。それを著者は「「である」価値と「する」価値の倒錯」(198)と表現している。著者は第四部をこのような言葉で締めくくる。「現代日本の知的世界に切実に不足し、もっとも要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくことではないかと」(198-199P)

著者はまえがきで日本には全ての分野をつないだ思想史がなく、本書がそれを担えれば、と願う。一方、あとがきでは本書の成立事情を釈明しながら、本書の視点の偏りを弁解する。私は不勉強なので、同様の書を知らない。今の日本をこうした視点で描いた本はあるのだろうか。おそらくはあるのだろう。そこから学ぶべき点は多いはずだ。そしてその元祖として本書はますます不朽の立場を保ち続けるに違いない。

‘2018/06/03-2018/06/21


ブンとフン


著者の作品はずっと読んでみたいと思っていた。それなのに、著者の作品で先に読んだのは講演録「日本語教室」のほうだった(レビュー)。実家の父の蔵書の中に本書があり、もの心ついた頃から本書の存在は知っていた。

本書を読んだのは、山の仲間とはじめての尾瀬を訪れた帰りのバス。すがすがしい気持ちで一泊二日の旅を終え、帰路についた私にとって本書は実に愉快だった。そのまま新幹線の中で一気に読み通してしまった。本書のナンセンスな内容が心地よい疲れを抱えた私には合っていたのだろう。

売れないけれど、孤高の小説家フン先生。フン先生が新たに書き上げた小説は、次元を超えて縦横無尽に行来する大泥棒の話。その名もブン。次元を超えて出没する能力をブンに与えてしまったものだから、ブンは小説から現実世界に抜け出てしまう。小説から抜け出したブンは、現実世界であらゆるものを盗みまくる。そんなブンをどうにか捕まえようと、警察長官のクサキサンスケがあらゆる手を使い、ついには悪魔や盗作作家までも使ってブンと対決する。そんな粗筋だ。荒唐無稽なことおびただしい。著者もあとがきで述べているが、「馬鹿馬鹿しいということについては、この小説を抜くものがない」(201-202P)。

ところが本書は発表されてから50年近く生き残っている。本書は地元の図書館で借りた。図書館で開架蔵書として残り続けることは実は大したことではないかと思う。長く残っている事実は、本書がただの馬鹿馬鹿しい小説ではない表れだ。本書の馬鹿馬鹿しさの裏側にあるのはまぎれもない風刺の精神だ。

ブンは奇想天外なものを盗みとる。金などより、人々を驚かせることに喜びを感じるかのように。そしてある時からブンは形のないものを盗み始める。例えば歴史。例えば記憶。例えば見栄。例えば欲望。それらは明らかに著者の思想の一端を映し出している。あらゆる価値観への挑戦。その風刺の対象には、既存の観念への挑戦も含まれていることはいうまでもない。

フン先生は、自らの小説が売れることへも憤る。まるで売れることが悪のように。それは、文壇で売れっ子の作家たちへの挑戦でもある。そもそも「ブン」=文が悪で「フン」=糞を理想とする設定自体がユニークだ。本書を発表するまでは無名の作家だった著者の反骨精神が感じられるではないか。

あとがきによると本書の元となる戯曲が書かれたのは1969年の春から夏にかけてのことだという。1969年といえば、世界的にある潮流の潮目が変わった年だ。東大の安田講堂をめぐる攻防。新左翼や赤軍派があちこちで起こした騒動。ウッドストック・ロックフェスティバルの開催。アポロ11号が月面に着陸し、人類の第一歩が記された。そうした出来事の裏側で、わが国の学生運動が終わりを迎えつつあった。運動が圧殺され、一部の運動家は過激派となって地下に潜伏する。日本も世界も保守と先鋭に二分化されつつあった時期だ。

著者が本書で目指したのはもはや実現が難しくなりつつある理想の世界に対する抵抗なのだろうか。本書には古さもあるし、時代の背景が濃厚な描写も目立つ。だが、本書の随所に設けられた試みは今も斬新だ。いまだに輝きを失っていない。読者への作者からのお願いが随所に挟まれたり、のりしろでPTAに対する抵抗をそそのかしたり。そういった手法は今みても新鮮だし、当時の人々にはさらに驚きを持って受け入れられたはずだ。そうした手法は今、とある作品に影響を与えているように思える。娘達の読んでいた「かいけつゾロリ」シリーズに。

だが、本書が備えているような風刺と、構造の破壊を行った作品に最近なかなかお目にかかれない。今、本書のような作品は生まれないのだろうか。本書が発表された1969年は、テレビの分野でも「8時だヨ全員集合!」や「コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!」などが新風を巻き起こした。本書もその一つだろう。だが、メディア自体は斬新な表現が生まれつつあるなか、表現そのものとして斬新な作品は生まれていない気がする。

だが、あらゆる常識が覆され、既存の通念がゆらいでいる昨今。本書のような認識を転覆させるような作品はまだまだ生み出せるのではないだろうか。メタ文学、メタ認識。それまでにも私たちの感性を揺さぶる作品はたくさん生み出されていた。本書だけがすごいわけではない。だが、本書のすごいところは、そうした認識の枠を無意味なものにしながら、なおかつお笑いとユーモアで勝負していることだ。多分、その取り合わせが本書をいまだに作品として残させているのかもしれない。

だが、当時は斬新だった本書も、古典としての価値を帯びつつあるように思える。本書はもっと以前に、それこそ私が親の蔵書の中で意識しているうちに読んでおけばよかったと思う。本書の結末など、社会に向けて学んでいた当時にあっては衝撃だったことだろう。まだ著者の作品で読んでおきたいものは何冊かある。早めに読む機会を持ちたいと思う。

‘2018/06/02-2018/06/03


くらやみの速さはどれぐらい


本書の帯にはこう書かれていた。
「21世紀版 『アルジャーノンに花束を』」

確かにそうとれなくもない。だが、本書を単なるリニューアルした『アルジャーノンに花束を』と思わないでほしい。なぜなら、本書は全く別の観点、別の展開、別の時点で描かれた物語なのだから。

似ているのは、主人公が精神に問題を抱えていると言うこと、そして、精神の問題を改善するための手術に主人公がどう対処するかという点だけだ。

『アルジャーノンに花束を』は、かつて三回読んだが、私にとって本書は断じて『アルジャーノンに花束を』の二番煎じではない。本書は別の物語であり、傑作と言って間違いない作品だ。本書が投じる新たな視点は、全く独自の世界観を築いている。『アルジャーノンに花束を』とは多少の設定が似ているが、それがどうした。以下、両者の似ているところと、それぞれがどう違うかについて挙げてみたい。

『アルジャーノンに花束を』の中で主人公のチャーリィは最初から知恵遅れの人物として登場する。しかし、本書の主人公ルウ・アレンデイルは自閉症を患ってはいるものの、訓練によって普通の人とあまり変わらない生活を送っている。

また、『アルジャーノンに花束を』は、手術を受けた後のチャーリィが感じた実社会の矛盾を描いている。本書のルウは、手術を受ける前から健常者と障害者の間の世界の違いに葛藤を感じている。そもそも、無邪気に頭が良くなりたいと願ったチャーリィと、最初から手術の是非を判断する知能を持ったルウの間には前提から違っている。

ルウは、自閉症患者が持つ特殊な能力を生かした部署で働いている。その部署は集中力を要する作業を行う自閉症患者のため、潤沢な設備を備えている。それが、新任の管理部長ミスター・クレンショウには気に入らない。障害者を雇用しているからこそ、法人税率が優遇されている事実や企業の備えるべき社会的な責任。それらはミスター・クレンショウの視野には入らない。それらをないがしろにしてまで経費を圧縮しようとするのがミスター・クレンショウだ。ルウの直接の上司であるミスター・オルドリンはルウたちの立場を守ろうとするが、会社にあってはより上位のミスター・クレンショウの判断が優先される。

ミスター・クレンショウの圧力は巧妙だ。本書の設定では、自閉症はすでに出生前に遺伝子治療で治ることになっている。つまり、ルウ達は最後の自閉症患者。そして今や、自閉症を患っていても新たに開発された手術によって治る可能性があるという。ミスター・クレンショウはその実験を受けないかとルウたちに迫る。その手術を受けて健常者になるか、引き続き自閉症でいるかをルウたちに選ばせ、健常者になれば健常者たちとと同じ待遇になることを示し、手術を受けず自閉症のままでいるなら退職を勧告するという。二者択一。強制的ではないが、実質は陰険な圧力。ルウの他にも同じ自閉症を持つ仲間がいる。彼らにはそれぞれの思いがある。自分の意思で健常者に戻るのが正しいのか。そもそも、自閉症とは健常者よりも劣っているのか。自閉症は一つの精神のあり方ではないか。社会にとって本当に異質な存在なのか。ルウの知能は、手術を受けないかと誘われる自分の立場をよく理解している。だから自らのあり方を矛盾ととらえ、どうすればよいのか懸命に考える。

著書が本書で問うているのは、自閉症を人間の持つ多様性の一つとして取り扱えないのか、という視点だ。健常者と自閉症患者は何が違うのか。自閉症の症状とは、人の感情を読み取るのが不得手で、社会的な振る舞いが極度に苦手であること。いわゆるコミュニケーション障害だ。だが、健常者にもコミュニケーションが不得手な人はいる。人はみな、何かしらの障害や不得手な部分を持っている。コミュニケーションが不得手だからといって、特殊だ異常だとくくってしまうことが果たして正しいのか。

著者はルウの内面を通して、その問いを読者に投げかける。ルウは自らの存在や思考のあり方が正常かそれとも異常なのか、という問いかけを作中で何度も自分に対して行う。彼の仕事は、空間のパターンを創造し、そのパターンを元に新たな価値を製品に付与することだ。障害がある分、ほかの健常者にない能力が備わっている。それは社会に十分役立っている。だからといってルウのような自閉症患者を社会の異物としてはじき出すべきなのか。

本書にもドン・ポワトウのような健常者の立場から自閉症のルウにつらくあたり、妨害しようとする人物がいる。でもドンは自閉症でない。健常者の一員として扱われている。ルウの素朴な心はドンを決して悪く言わない。ルウが決してドンを異常だと言わないこと。その観点は重要だ。ルウはドンを異常だと思わないのに、ドンはルウを異常だと迫害する。著者はその点を注意して書いている。

それでいて、ルウの高度に発達した状況判断能力は、フェンシングの技量においてドンを圧倒する。そしてルウは一緒にフェンシング・クラブで学ぶマージョリ・ショウに恋する。フェンシング・クラブを主催するトム・ルシアはルウの人物やフェンシングの技量を高く買い、ルウに援助を惜しまない。ルウの日常はルウにとって不都合ではなく、ルウは日常に満足している。ところが社会の区分けはルウを異常者と分類しにかかる。手術をすれば健常者になれるのか。その時、手術を受ける前の記憶はどこに行くのか。性格は変わらないのか。なにも保証されない。マージョリを愛する気持ちは消え失せないのか。何より今の自分はどこにいってしまうのか。自我の連続性が問われる。果たして、ルウは手術を選ぶのだろうか。読者にとって気になる。

ルウの選択は本書を読んで確認していただきたい。読者によって受け取る感想はまちまちだと思う。自閉症は性格の一つの特徴なのか。それとも異常なのだろうか。ルウの葛藤は、読者にとってもひとごとではない。読者の心を激しく揺さぶるはずだ。

もう一度書くが、本書は傑作だ。多様性やダイバーシティがだいぶ市民権を得てきた今だからこそ読んでほしい一冊だ。

’2018/05/22-2018/06/01


山女日記


10日後にせまった尾瀬旅行。その前に山の気分を味わっておこうと思って手に取ったのが本書だ。

タイトルのとおり、本書は山を訪れる女性が主人公だ。それぞれの短編を連ね、全体で一つの長編として成り立っている。短編の連作であるため、各編の主人公は違う。だが、全くの独立ではない。連作である以上、どこかに関わりが仕掛けられている。本書の場合、それぞれの短編で少しずつ登場人物が重なり合わされている。前の短編の中で描かれたその他の登場人物が、次の話では主人公となり、その話では前の短編で主人公だった人物がチョイ役として登場する。偶然にそんな出会いが続くはずはない。ところが、本書に登場する人々は、皆が山を通してつながっている。山の頂上は狭い。そしてそこへのルートは限られている。狭く限られた空間を共有するから、山を求めて集まった人々に縁が生じる。山へ登る人々。彼らは、山の頂上という集約された一点を目指し、狭い道を行き交い、頂上でたむろする。つまり、わずかな時間で多生の縁が結べる人種なのだ。

リアルな山での交流のほかにも、本書には山ガールが書き込む山女日記というサイトも登場する。こうしたサイトも小道具として登場させつつ、山という共通の対象を軸に据えながら、著者は本書をつむいでいく。著者が描く人々は、自らのうまくいったりいかなかったりする人生を見つめなおすために山へと向かう。その人生のあやが物語となって本書を生み出す。

なぜ皆、山に登ろうとするのか。これは永遠のテーマだろう。なぜマラソンを走るのか。なぜポケモンGoにはまるのか。なぜ仕事に熱中できるのか。なぜ結婚に踏み切れるのか。人生の酸いと甘いを味わって行く中で、人は似たような疑問になんどもぶち当たる。なのに、なぜ山に登るときだけその問いは投げかけられるのだろうか。私は疑問に思う。生の営み自体、問いなくして成り立つのだろうかと。それでも人は問わずにはいられない。「なぜ山に登るのか」と。

それは多分、山には明確な目的があるからだろう。てっぺんに立つという目的。その目的はこれ以上ないほど確かだ。ところが、登った苦労が頂上で報われるのもつかの間。登頂した後の下山の行程は登りに比べて少しむなしい。山登りの魅力を知らぬ者にとって、その行き帰りの徒労は不可解でしかないはず。目的が明らかなのに、その前後は苦しい。しょせん、山登りの喜びは山に行ったものしかわからないのかも。

それだけの大変な思いをして山に行く理由。それは、日常からの解放にほかならない。本書に登場する主人公たちは、日常の悩みを抱えたまま山にきっかけを求める。山では仕事や地位など関係ない。そうした下界のしがらみに関係なく、山に入ればただてっぺんを目指すだけ。道中は黙々と歩こうが、喋りながら歩こうが自由だ。時間と空間はたっぷりとあり、心の重しを吐き出すには理想。山が好きな人たちは、頂上だけでなくその前後の道のりすら、心の重しを除く絶好のチャンスに変える。

結婚を控えたOL律子が、同僚の由美と二人で妙高山を登る。そんな二人は、特に仲が良いわけでもないただの同僚。二人で行こうと誘い合わせたわけではなく、間を取り持つ舞子に誘われただけの話。ところが間を取り持つ舞子が急に来られなくなり、二人で山を登る羽目になる。由美と二人なのを気づまりに感じる律子。なぜなら、律子が結婚の仲人を頼もうとする上司は由美の不倫相手。そんな複雑な思いを抱えて二人で歩く山は疲れる。その気づまりに耐えられない律子は不倫のことや結婚観など、話を由美にぶつけてしまう。でも、誰にも気兼ねせずに済む山だからこそ、腹の中を探りあうことなく直接問いただせるのだ。そんな山の魅力が語られるのが本編だ。「妙高山」

バブル期に上昇する周りに煽られ、婚期を逃したまま今や40歳を過ぎた美津子。もともとは山岳部に属して山に頻繁に行っていたにもかかわらず、就職先の同僚たちが高級志向だったため、つられて自分を装い、人生を見失っていた。焦りもあって参加したお見合いパーティーで知り合ったのが神崎さん。彼に誘われて山に登ったことで虚飾が剥がれ、山の中でかつての自分を取り戻す。うわべではなく、本心を見せはじめる美津子と神崎さん。二人の大人が惹かれあって行く様を描く。山は虚飾や肩書を不要にする。「火打山」

幼少期から父と山を数えきれないほど登り、2〜3000メートル級の山など普通に登っていた私。山に関しては一人でなんでもこなせてしまう。ところが集団行動では一人だけ行動できても団体行動が旨。そんな団体行動で皆に合わせるのが億劫で、団体登山から遠ざかっていた。なにしろ、学生時代に来た槍ヶ岳では登頂直前で仲間の一人が膝を痛め、断念を余儀なくされた。久々に父と登った時ですら、最新の用具に見向きもしない父が膝を痛めて直前で断念。そうした経験が私をかたくなにさせた。山は一人に限る、と。今回、三度目の槍ヶ岳に一人でやってきた私。偶然、同行することになった周りの人たちの登山を助けつつ、自分の山履歴、ひいては人生を振りかえる。彼女が集団の登山に喜びを感じることはないだろう。だが、山は分かち合う相手がいた時にこそ違う表情を見せる。山は自分を見つめ直す機会となるし、人との関係を見直す機会にもなる。「槍ヶ岳」

幼い頃から何かと三歳上の姉に上から目線で接せられてきた主人公の希美。三十五歳になっても父と二人暮らし。不定期に翻訳の仕事をこなすものの生計を立てるまでには至らない。姉はさっさと結婚して不自由ない暮らしをしている。それが何をおもったか、姉から突然、山に行こうと誘われる。これはひょっとして私に説教するつもりだろうか、と身構える希美。山でも姉から指図され、説教を食らい、口喧嘩を始めてしまう。ところが、そんな姉から返ってきたのは驚きの事実。今まで上から目線でさ指示されてきた姉もまた、悩める女性であったことに気づく希美。山とは長幼の差すら埋める。格差に悩める時こそ山に登るべきなのかもしれない。「利尻山」

続いては「利尻山」で登場した姉妹が視点を逆転して描かれる。妹には夫から離婚を切り出されたことを告白したが、娘の七花をつれてこれからどう生きてゆけばよいのか、を悩む主人公。七花にはよい生活を送らせたい。離婚が原因で心に傷を負わせたくない。であれば、小学五年生になったことだし山に登らせてみよう。同行するのはもちろん妹。七花の成長を感じながら、自分のこれまでの人生や結婚生活のどこに落とし穴が待ち受けていたのだろうと思い悩む。そんな思いをよそに、仲良く笑い合ったりしながら先に登ってゆく妹と七花。体力の限界がきてどうしようもなくなった時、妹からまさかの説教を食らう。するとそれに対して母をいじめるなと反発する七花。肘張って生きてきた自分のかたくなさに気づかされる瞬間。山とは自分の限界を気づかさせる機会なのだ。「白馬岳」

最初の「妙高山」で間を取り持つはずが山に行かれなかった舞子。彼女は、劇団員で稼ぎのない彼氏の小野大輔から山の誘いを受ける。向かったのは箱根。舞子は、なりたい自分になるため、社会人になってから一年発起して自分に数々のミッションを課した。そのミッションをこなす中で自分は社会人として世に溶け込み、何者かになれたはず。でも、その自信にはどこか、確かさが伴わない。舞子を置いて妙高山に二人で登った律子と由美は山での縁で仲が良くなり、舞子は自分だけ仲間外れにされた気分に陥る。果たして自分は正しい道を歩んでいるのだろうか。自分が立てたミッションは正しかったのだろうか。そう悩む舞子に届いた大輔からのお誘い。そうして登った先には富士山が見える。そこで初めて舞子は大輔の思いに気づく。なぜ富士山を見せたかったのかという狙いにも。目標をいくつ立てようと、それは数字にしかならない。目標を追う自分を客観的にみなければ、目標をいくら実現しても自信にはならない。なぜなら自らが登る山の全容を、その山に登る登山者は見ることができないのだから。確かにその通りだ。「金時山」

これまでの各編に共通するのは山に導かれた女性たち。彼女たちをつなぐ縁は山を介してのもの。そうした山を愛する女子たちが書き込む「山女日記」というブログの存在も縁をつないでいた。そのブログで評判を呼んでいたのが山用の帽子。その帽子は本書の何編かでも登場し、読者に印象を与えた。その帽子を作った柚月が本編の主人公だ。かつて旅行会社に勤めていたころ、恋人の吉田と「トンガリロ」を旅した。当時、ニューカレドニアに赴任していた柚月と日本の吉田。遠距離恋愛の中、ようやくお互いの予定を工面しあい、旅したのがトンガリロ。ロード・オブ・ザ・リングのロケ地としても有名なこの山で、二人は恋人としての時間を過ごした。ところが、仕事を辞めて途上国で働きたいという吉田の夢は叶わず、そこから二人の間にずれが生じる。その時の思い出と別れから十五年。再び訪れたトンガリロで柚月と同行することになったのは、上の各編で登場した人々のうち数人。時間の経過は柚月を少しは名の知られた帽子職人にした。だが、柚月にはかつての恋人吉田が心に残っている。過去を忘れるためにも山に登りなおす必要があったということだろう。

山は麓からの稜線でつながる。点と線。それは人々の間に通ずる縁でもある。つまり山とは人生の縮図でもある。本編は本書の締めにふさわしい余韻を残す。

私の場合、自分の時間が無限でない苦しさを常に抱いている。その悩みを解き放つために尾瀬に行った。尾瀬ではただ、考えを忘れ、ひたすら美しい景色に見とれるだけだった。山は私を確かに解放してくれた。それもまた山の効用だと思う。

‘2018/05/17-2018/05/22


テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム


本書はテトリスについての物語だ。テトリスの名前を知らない人はあまりいないと思う。私の娘たちも知っていたくらいだから。単純明快。それでいて中毒性を持つのがテトリス。上から落ちてくる四マスからなる四種類の図形を回転させ、横一列にマスを埋めれば消える。上まで積み上がればゲームオーバー。ゲームの歴史を彩った名作は多々あるが、テトリスは単純さと中毒性において屈指のゲームといえるだろう。

私がどうやってテトリスを知ったのかは覚えていない。ゲーセンのアーケードゲームなのか、任天堂のゲームボーイだったのか。その頃、ある程度テトリスをやり込んだ記憶はある。が、それほどはまらなかったように思う。少なくとも本書で紹介されたような人々が陥った中毒症状ほどには。むしろ、私がはまったのはテトリスの系譜を継ぐゲームだ。それは例えばCOLUMNS。またはキャンディ・クラッシュ・サーガ。それらの持つ中毒性には当てられてしまった。だからこそ、ゲームの世界に落ち物ジャンルうを打ち立てたテトリスには興味があるし、それを扱った本書にも興味を抱いた。なお、余談だが私は本書を読み始めてすぐ、読み終えるのを待ちきれずにiPad版のテトリスをダウンロードしてプレイした。その体験は久々で懐かしかったが、中毒になるまでは至らなかった。

テトリスの歴史や魅力のほかにもう一つ、本書が私に教えてくれたことがある。それは、契約の重要性だ。本書は契約の重要性を知らしめてくれたことでも印象に残った。

本書はロシア製のテトリスがどうやって世界中に販売され、受け入れられていったかのドキュメントだ。当時、ソ連はペレストロイカ前夜。社会主義の国是が色濃く残っていた時期。契約についての観念も薄かった。そのため、テトリスの版権や著作権、そして販売代理店や手数料など、西側の資本主義国のビジネスマンがこの不思議な魅力を持ったゲームを販売するにはいくつもの障害を乗り越えねばならなかった。本書はそうしたテトリスにまつわる契約のあれこれが描かれている。巨額の利権を産んだテトリスの権利をめぐる攻防。それは商売における契約の重要性を的確に示している。もちろん、本書はそうした契約上の文言を開示しない。一字一句掲示したところで野暮なだけだ。だが、契約をめぐる熾烈な競争は、私のように、情報サービスの契約を日頃から結ぶ身としてはとても興味深い。

もちろん、技術者としてもとても本書は面白い。テトリスがどういう発想から生み出されたのか。テトリスのプログラムがどういったマシン上で動作し、それを他の機種に移植する苦労。今と違って貧弱な当時のハードウエアの制限をどうやって克服したのか。技術者としてはとても興味をそそられる。

平面のさまざまな形を組み合わせ、別の組み合わせを作るペントミノと回転。それを横一列にそろえて列を消すだけの単純なルール。それは、イデオロギーも言葉や民族の違いを超えて人々を魅了した。また、当時のソ連のマシンは西側に比べ圧倒的に遅く、初期のテトリスは文字だけで実装されたプログラムだったという。アレクセイ・パジトノフがエレクトロニカ60で初期版のテトリスを開発した時、文字だけで動作するゲームしか作れなかった。そして、そんなマシンでも動くゲームだったからこそテトリスは人々をとりこにしていったのだろう。

貧弱なマシンが、当時のソ連にもわずかながら存在したギーク(ワジム・ゲラシモフ)によって別のマシンに移植され、それが当時唯一西と東をつないでいたハンガリーを通って西に出ていき、あっという間に西のマシンにインストールされていくいきさつ。それは、まさに歴史のダイナミズム。ベルリンの壁が崩壊する前、ハンガリーで開かれたピクニックが東から西への人々の移動を勃発させ、それが東西冷戦の終結への流れを生み出した事実は有名だ。テトリスもまた、歴史の舞台の展開に一役買っている。それは歴史が好きな向きにとっても見逃せない。本書には「テトリスをソ連が世界に貢献した唯一の物」と言う文が収められているが、まさにソ連とはそういう存在だったのだろう。

冒頭にも書いたとおり、私が初めてテトリスに触れたのは任天堂のゲームボーイだ。ところが、任天堂がテトリスを出すまでには、一山も二山も超えなければならなかった。その中で大きな役割を果たした人物こそがヘンク・ロジャースだ。彼こそが本書の主人公といってもよいだろう。ところが彼はがテトリスのライセンスを巡る物語のなかでは後発組だ。

最初にテトリスに目を付けた西側で最初の人物は、ヘンク・ロジャースではなく、ロバート・スタインだ。マクスウェル社のスタインは、ハンガリーから西側に登場したテトリスに真っ先に目を付け、そのライセンシーを獲得しようと奔走する。ところがスタインは、テトリスの開発者アレクセイ・パジトノフと直接コンタクトを取り、FAXでやりとりをして契約を結ぼうとする。それはもちろん過ちだった。よりによって一人のプログラマーに過ぎないパジトノフに西洋流の契約についての知識はない。もちろんスタインも正式な調印無しに事を進めることの危険性を理解していたはず。だが、テトリスの製品化は西側のプログラマによってあっという間に進められてしまう。そして未契約のまま西側で製品を流通させたことに焦ったスタインが時間を稼いだにもかかわらず、西側の市場に出回ってしまう。ソ連側や開発者のパジトノフにまったく利益が還元されないまま。スタインは板挟みになり、ますます契約締結を焦る。

それ以降の本書は、ヘンクがどうやってスタインに先行されたテトリス・ビジネスの劣勢を挽回していくかの物語になる。本書の冒頭で、ヘンクはつてもコネもアポも全くないままモスクワを訪れる。何もあてがなかったヘンクは街中でチェス愛好家と知り合い、それを手がかりにソ連の情報関連の管理を一手に行うERLOGに接近することに成功する。そしてスタインとの契約がソ連側に何ももたらさなかったことを、ERLOGの責任者アレクサンドル・アレクセンコに知らせる。そのことを知らされたERLOGのアレクサンドル・アレクセンコはスタインとの契約に失望を覚え、怒りにかられる。

そこでヘンクはまず契約の不公平さをあらためるため、即座に小切手でソ連が本来取るべきだった取り分を提示する。この誠実さに打たれたERLOGの担当は感銘を受け、ヘンクを信頼する。アレクサンドル・アレクセンコも、後継者のエフゲニー・ベリコフも同じ。ただし、スタインに悪気があったわけではない。ただ、スタインがやってしまった失敗とは、契約の調印が済んでいないのに、FAXのやりとりだけを頼りに西側への販売権をマクスウェル社やスペクトラム・ホロバイトに販売してしまったことだ。

スタインに比べ、後発のヘンクには、先人スタインの犯した過ちを挽回するチャンスも機転もあった。彼はまず誠実な対応をとり、ヘンクという人間を売り込む。ヘンクの対応はベリコフを信頼させるのに十分だった。そこでベリコフはスタインとの契約にとある修正をほどこす。その修正はスタインとERLOGの間に交わされた契約の条項にハードウエアの条件を書き加えるものだ。その修正はスタインの契約をパソコンに限定させる効力を持っていた。それに気づかぬまま調印したスタインは、ヘンクにまんまとポータブルゲームや家庭用業務ゲーム機器にライセンスを与える契約をさらわれてしまう。

ヘンクはその勢いで、テトリスをめぐるアタリ社やテンゲン社とのライセンス契約締結の競争にも勝利する。ヘンクの勝利の裏には、任天堂の山内溥、荒川實、そしてハワード・リンカーンの全面的なバックアップがあった。彼らに共通していたのは、任天堂が発売するゲームボーイに載せるゲームとして、テトリスがもたらす巨大な可能性を見抜く先見性だ。目的を一つにした彼らは、ライバルに契約面で勝利を収め、テトリスとゲームボーイのセットを世界中で売りまくる。

かつてファミコンが世界を席巻する前、ゲーム業界はアタリ社が優勢を占めていた。そのアタリ社が事実上、ゲーム業界で任天堂に覇者の座を譲ったのは、このできごとがきっかけだったのではないだろうか。

本書はパソコンの、そしてゲーム専用機の黎明期、さらに商売の面白さと怖さを知る上でも興味深い。

また、本書はテトリスの歴史に欠かせないヘンクの経歴にも触れる。その中で、ヘンクが開発したザ・ブラックオニキスの話など、初期のゲーム開発の苦労がよくわかるのが面白い。私はザ・ブラックオニキスの名前は知っていたが、プレイしたことがない。本書を読んでいてやってみたくなった。

本書はここまでのいきさつだけでも読み物として十分に面白い。が、それだけでない。本書にはテトリスの科学的な分析が三つのコラムとして挿入されている。BONUS LEVEL 1-3と題されたそれぞれのコラム。そこではプログラムの面からみたテトリス。テトリスの中毒性を心理学からみた考察。PTSDの治療にテトリスを使う試み。それらのどれもが知的興奮を誘う。

また、各章にもミニ知識としてテトリスに関するあれこれの豆知識が仕込まれている。例えば初期のテトリスにはボスが来た(1キー押下で仕事をしている振りを見せる画面を表示させる)機能があったり。

本書はすべての技術者やゲーマーにおすすめできる一冊だと思う。さらには、私のような契約の実務にも携わる方や営業に駆け回る方にも良い教材として勧めたい。

‘2018/05/10-2018/05/17


境川を歩こう


町田に住んでいれば一度は目にするはずの境川。本書を読む三週間ほど前、妻と娘を連れてその源流のある草戸山に登ってきた。草戸山は町田市の最高峰であり、遥か江ノ島まで旅立つ境川の源でもある。

頂上のすぐ下の斜面が源流だが、そこへは少し坂を下らなければ行けない。そこは源流の名に相応しく、慎ましやかなしずくが音もなく垂れていた。このしずくがはるか江ノ島まで旅立ち、弁天橋をくぐって海に流れ込む時には一人前の川に育つのだ。境川に限らず、源流と河口で川はかくも違う姿を見せる。その違いは生物の成長にも似ている。私が川を好むのは子を見守る保護者の気持ちにも通じているからだろう。川は人の心を知らないうちに揺さぶる。私は境川の源流を見届け、ただ感動に身を委ねていた。

本書は、境川の源流を見届けたことを機に手に取った。本書は、境川の源から河口までをつぶさに記した書だ。著書は源から河口まで十五時間半かけて歩き通した方。また、何度か境川を歩くイベントの主催もされているとか。後書きに本書の由来が書かれている。それによると、歩くイベントを主催する中で参加者から境川のガイドが欲しいと請われ、もう一度歩いてまとめたという。

私は実は、そうした本書のいきさつを知らずに読み始めた。なので、本書をもし読む方がいれば、後書きから読んだ方が良いと思う。なぜなら本書は、ガイドとして書かれた物だからだ。読み物として読むと、多分しんどい思いをする。なにしろ本書は読みにくい。途中でだれそうになる。源から河口まで、橋や川沿いの史跡をくまなく立ち寄りながら川を描いてゆく本書。とにかく描写が微に入り過ぎているきらいがある。

例えば、その橋のたもとに咲く野草の一つ一つを列挙する。ナズナ、タンポポ、ヘクソカズラ、オオバコ、アキノキリンソウ、オシロイバナ、などなど。これが一カ所だけそういう描写ならよい。それが何十カ所のそれぞれで逐一書かれるのだ。また、あちこちに河川を管理する土木事務局の標柱が立っている。著者はその文言も余さず記載する。史跡の案内板に書かれた全ての文言を一字一句転載するならまだよいが、草花やあたりの情景の描写がこうも細部に至ると閉口する。

とくに、国道246以南の境川は私にとってなじみが薄い。本書の詳細な描写を私の記憶する境川のイメージに結びつけられず、読むのに難儀した。正直、何度も飛ばし読みしそうになる誘惑に流されそうになった。そして思った。本書は、資料なのだと。そして同好の士に向けたガイドなのだと。

そして本書とともに境川を下る旅を終え、あとがきを読み終えて初めて、本書が境川を歩く方のためのガイドとして書かれたことを知り、ようやく合点がいった。ガイドであるなら、本書の詳細な記載は欠点ではなく、欠かせない記載だ。

その他に本書に対して言うべき欠点があるとすれば、私が読んだ限りで数カ所の誤記が目についたくらいか。

だが、いくら私が欠点をあげつらおうと、著者が境川を歩き通したという事実は超えられない。そして、本書の描写がくどいのは、実際に著者が歩いたことの証拠でもあるのだ。

もう一つ、本書は資料だと書いた。標注や案内板の文言を逐一収録している本書は、取材当時の1996年の境川の様子が克明に描かれている。たとえば、私が訪れた境川の源流は、本書に描かれた源流とは少し違う。本書に描かれた源流は、私が訪れた源流からほんの少し下った場所を指している。当時は、真の源流地点まで道が整備されていなかったらしい。また、町田市役所もこの当時は中町にあった。だが、今は境川のすぐそばに立派な庁舎が建っている。そういう意味でも本書は貴重な記録だといえる。

そして、私も読み手としてはともかく、書き手としては本書くらい詳しい記録を残すのが好きだ。その意味で、著者の内容は書き手としては反面教師だが、読み手の立場では教師として敬うべき。

まずは、私も町田市民である以上、一度は境川を歩いて全行程を見届けたい。また、いつの日かは分からないが、猪名川や武庫川など私が育った川でも同じように歩きたいと思う。それは、多摩川や相模川、淀川でも同じだ。そういえば大学時代に仲間達と淀川を四十キロほど夜通し歩いた事がある。その思い出はいまだに良い思い出として残っている。

その時は楠葉から天保山までだったので淀川の上流は見てすらいない。すでに壮年期を迎えつつある淀川が河口に向かって余生を流れる姿を寄り添って歩いただけだ。それでも夜通し十二時間ほど歩いた記憶がある。学生時代ですらそうだから、大人になった今、源流から河口まで川を歩きとおす経験はなかなかできない。だからこそ、境川のような手頃な距離の川を歩く経験は貴重なのだと思う。

人生の縮図でもある川を歩きとおす経験。それは単なるイベントにはとどまらず、人生の中でも思い出となる。だが、その時間を捻出するのは簡単ではない。それが本書を読めば追体験できる。実に便利な本とは言えないだろうか。

‘2018/05/09-2016/05/10


列島縦断 「幻の名城」を訪ねて


本書を読む二カ月前、家族で沖縄を旅した。その思い出は楽しさに満ちている。最終日に登城した勝連城跡もその一つ。勝連城跡の雄大な石垣と縄張り。そして変幻自在にくねっては一つの図形を形作る曲輪。勝連城跡は私に城巡りの楽しさを思い出させた。

それまで沖縄のグスクに対して私が持っていた印象とは、二十年前に訪れた首里城から受けたものだけだった。首里城は沖縄戦で破壊され、私が訪れる四年ほど前に復元されたばかり。そのまぶしいまでの朱色は、かえって私から城の印象を奪ってしまった。

今回の旅でも当初は首里城を訪れる予定だった。が、私自身、上に書いたような印象もあって首里城にはそれほど食指が動かなかった。そうしたところ、お会いした沖縄にお住いの方々から海中道路を勧められた。それで予定を変更し、首里城ではなく海中道路から平安座島と伊計島を訪れた。前の日には今帰仁城址を訪れる予定もあったが、美ら海水族館で多くの時間を時間を過ごしたのでパス。なので、本来ならば今回の沖縄旅行では、どのグスクにも寄らずじまいのはずだった。ところが、海中道路からの帰りに勝連城跡が近いことに気づき、急遽寄ることにした。正直、あまり期待していなかったが。

ところが勝連城は私の期待をはるかに上回っていた。ふもとから仰ぎ見る見事な威容。登り切った本丸跡から眺める海中道路の景色。何という素晴らしい城だろう。かつて阿麻和利が打ち立てた勢いのほとばしりを数百年のちの今も雄弁に語っている。阿麻和利は琉球史でも屈指の人物として知られる。南山、中山、北山の三山が割拠した琉球の歴史。その戦乱の息吹を知り、今に伝えるのが勝連城跡。城とは、歴史の生き証人なのだ。

お城とは歴史の爪痕。そして兵どもの戦いの場。確かに、イミテーション天守は戴けない。コンクリートで復元された天守も興を削ぐ。その感情がわき起こることは否めない。だが、例え天守がイミテーションや復元であっても、天守台や二の廓、三の廓に立ち、二の丸、三の丸の石垣を目にするだけでも城主の思いや戦国武士の生きざまは感じられるのではないか。私は勝連城を訪れ、あらためて城の石垣に魅了された。

ここ数年、山中に埋もれた山城の魅力に惹かれていた。だが、石垣で囲われた城にも魅力はある。そう思って本書を手に取った。

本書には有名な城もそうでない城も紹介されている。本書は全部で五十以上の条で成っており、それぞれの条で一つの城が取り上げられている。本書で取り上げられた城の多くに共通するのは、石垣の美しさを今に伝える城であること。著者は石垣マニアに違いあるまい。石垣へ魅せられる著者の温度が文章からおうおうにして漂っている。著者のその思いは、本書にも取り上げられている勝連城を登った私にはよく理解できる。

第一章は「これぞ幻の名城ー石垣と土塁が語る戦いと栄華の址」と題されている。ここで扱われている城の多くに天守は残されていない。西日本編として安土城、近江坂本城、小谷城、一乗谷館、信貴山城、大和郡山城、竹田城。東日本編として春日山城、躑躅ヶ崎館、新府城、興国寺城、石垣山城、小田原城、金山城、箕輪城、高遠城、九戸城が登場する。この中で私が訪れたことがあるのは、安土城、一乗谷館、大和郡山城、躑躅ヶ崎館、小田原城だけしかない。他はどれも行ったことがなく、旅情を誘う。各城を紹介する著者の筆致は簡潔で、歴史の中でその城が脚光を浴びたエピソードを描く程度。だが、訪問したいという思いに駆られる。ここに登場する城には土塁や石垣がはっきり残っているところが多い。その多くは戦いのための機能のみならず、統治用の縄張りも兼ねている。つまり軍略と統治の両面を考えられた城がこの章では取り上げられている。そうした観点で見る城もなかなかに魅了させてくれる。

第二章は「大東京で探す「幻の名城」」と題されている。江戸城、平塚(豊島城)、石神井城、練馬城、渋谷城と金王八幡宮、世田谷城と豪徳寺、奥沢城と九品仏浄真寺、深大寺城と深大寺、滝山城、八王子城だ。この中で全域をめぐったといえる城は滝山城だけ。世田谷城も江戸城も深大寺城も奥沢城も渋谷城も城域とされる地域は歩いたが、とてもすべてをめぐったとは言えない。そもそも遺構があまり残されていないのだから。だが、東京に暮らしているのなら、これらの城はまだめぐる価値があると著者はいう。本書を読んで数日後、皇居の東御苑に行く機会があったが、折あしく立ち入れなかったのは残念。また訪れてみたいと思っている。また、この章では最後には桜が美しい城址公園を紹介してくれている。弘前公園、松前公園、高遠城址公園、津山城鶴山公園、名護城址公園の五カ所だ。津山以外はどこも未訪で、津山に訪れたのは三十年以上前のことなのでほとんど覚えていない。ぜひ行きたい。

第三章は「櫓や石垣、堀の向こうに在りし日の雄姿が浮かぶ」と題されている。金沢城、上田城、福岡城、津和野城、女城主井伊直虎ゆかりの城、井伊谷城、松岡城が採り上げられている。金沢と福岡しか行ったことがないが、いずれも石垣が印象に残る城だと思う。直虎を取り上げているが、それは本書の出された時期に放映中の大河ドラマに便乗した編集者のごり押しだろう。だが、一度は訪れてみたいと思っている。ここの章に挿入されたコラムでは、荒城の月の舞台はどこかについて、五カ所の候補とされる城が紹介されている。仙台(青葉)城、九戸(福岡)城、会津若松(鶴ヶ城)城、岡城、富山城だ。九戸と岡はまだ行ったことがない。ぜひ訪れたい。

第四章は「再建、再興された天守や館に往時を偲ぶ」と題されている。この章で採り上げられた城はどれも復興天守だ。五稜郭、会津若松城、松前城、伏見城、忍城。この中では松前城だけ行ったことがない。本章の最後にはなぜ復興天守は作られるのか、というコラムで著者の分析が収められている。著者が説くのは、観光資源としての城をどう考えるのかという視点だ。その視点から復興天守を考えた時、違う見え方が現れる。私は、復興天守だから一概に悪いとは思っていない。どの城も堀や縄張りは往時をよく残しており、天守だけが廃されている。だからこそ天守を復興させ、最後の点睛を戻したいという地元の人の気持ちもわかるのだ。なお、伏見城は歴史考証を無視したイミテーション天守だが、伏見の山腹に見える天守を見ると関西に帰省した私は心が安らぐのもまた事実。すべての復興天守を批難するのもどうかと思う。

第五章は「古城の風格をいまに伝える名城」として弘前城、丸岡城、備中松山城を取り上げている。丸岡城は母の実家のすぐ近くなので訪れたことがあるが、それもだいぶ前。もう一度訪れてみたいと思っている。ここで採り上げられたどの城も現存十二天守に含まれている。なお、本書のまえがきにも記されているが、現存十二天守とは江戸時代以前に築かれた天守で、今に残されている天守を指す。松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城が国宝。重要文化財は弘前城、丸岡城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城だ。なぜか前書きからは松山城が抜けているが。私はこの中で弘前城、備中松山城、丸亀城、宇和島城だけ登っていないが、残りは全て天守を登っている。どの天守も登る度に感慨を豊かにしてくれる。

第六章は「北の砦チャシ、南の城グスクの歴史」だ。アイヌにとっての砦チャシ、シベチャリシャシ、ヲンネモトチャシ、首里城、今帰仁城、中城城、座喜味城、勝連城が取り上げられている。本章を読んで、私が北海道のチャシを訪れたことがない事に気付いた。三回も北海道を一周したにもかかわらずだ。いまだに五稜郭しか行ったことがない。これはいかんと思った。そして沖縄だ。まだ訪れていない今帰仁城や中城城、座喜味城にも勝連城を訪れた時のような感動が待っているに違いない。そしてこの章の最後に、石垣マニアの著者が力を入れて取り上げる、石垣が美しい城ベスト5が紹介されている。会津若松城(鶴ヶ城)、金沢城、伊賀上野城、丸亀城、熊本城だ。伊賀上野と金沢は訪れたものの、ずいぶんと前の話。しかも伊賀上野は十年近く前に訪れたが、忍者屋敷に娘たちが見とれていたのを親が見とれていたので、実質は見ていないのと同じだ。石垣だけでも見に行きたい。

最後に巻末資料として、日本の城とは何かという視点で、築城史が紹介されている。また城に関する用語集も載っている。特に虎口や馬出や堀、曲輪、縄張、天主や土塁、石垣などがイラスト付きで載っており、とても分かりやすい。私の生涯の目標として、日本の〇〇百選を制覇することがある。もちろん城もそれに含まれている。城については百名城だけでなく二百名城までは制覇したいと思う。本書を読んだことを機に、城探訪の旅も始めたいと思っている。

‘2018/05/03-2018/05/09


ポール・マッカートニー ビートルズ神話の光と影


私にとってビートルズはベストワンのミュージシャンではない。しかし、ロックの歴史でオンリーワンを挙げろと言われれば、文句無しにビートルズを挙げる。彼らはまさに偉大な存在だ。私が生まれた時、すでにビートルズはこの世にはいなかった。にもかかわらず、彼らは私にも影響を与えている。彼ら以降に登場したミュージシャンの多くを通して。

私はビートルマニアではないし、彼らのファッションには特に感銘を受けていない。彼らの他にも好きなミュージシャンは多数いる。だが、彼らの生み出したアルバムは今も聴くし、好きな曲もたくさんある。

私は自分の好きな曲を“Google Music”でリストにしている。私の好みの順に並べて。そのリストの百位以内でビートルズの四人が作った曲をピックアップしてみた。3曲目「woman」、17曲目「(Just Like) Starting Over」、30曲目「Here,There And Everywhere」、36曲目「all those years ago」、43曲目「strawberry fields foerver」70曲目「come together」、76曲目「please please me」。ジョンの曲が多い。7曲のうち5曲を占めている。そして、ポールの作曲した曲は一曲しか含まれていない。そのことが意外だった。

しかも、ビートルズの解散後にポールが発表した曲が一曲も入っていない。ウィングスやソロ作、マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダー、エルビス・コステロとのコラボ作もランク外だ。「Yesterday 」「Let It Be」「Hey Jude」など、ポールがビートルズ時代に生み出したメロディは不滅だ。メロディーだけ取り上げるなら、ポールは天才といってよい。ジョンよりも遥かに優れたメロディーを多く作ったのはポールのはず。なのに、ビートルズ解散後にポールが発表した曲が私の印象に残っていないのはどうしたわけだろう。

その鍵を解くにはジョンの存在が欠かせない。ジョン・レノンとの複雑なライバル心と友情をはらんだ関係。そのライバル心や友情がポールの才能を引き出したことはまぎれもない事実だろう。本書には、ポールの視点に沿ったジョンとの出会い、友情…緊張、そして反目の日々が描かれている。

ポールの側に立っているため、本書はジョンには辛い。オノ・ヨーコにも辛辣だ。ビートルズの前身バンド、クォリーメンにポールが加入した時点で、ジョンに「リーダーは俺だ」という感情があったことを本書は指摘する。確かにポールとジョンには固い友情がむすばれた。だがしょせん、二人の生まれ育った環境は違っていた。そのことを著者は幾度となく読者に伝える。

アッパーミドル階級の両親のもと、小ブルジョアの価値観の元で育ったポール。それに比べ、労働者階級に生まれたジョンはシニカルで世の中に対する反抗をあからさまにしていた。ポールの母が若くして亡くなったことでポールがロックに自らの感情のはけ口を求め、同じく父を亡くしていたジョンとの距離は縮まった。とはいえ、それは違いすぎていた二人のバックボーンの差を埋めるまでにはいかなかった。著者はその事実を踏まえた上で、それほど生まれが違った二人だったからこそ互いを補い合え、音楽という一点で最強のタッグになりえたのだと主張する。

ところが、二人の素朴な思いを遙かに超え、ビートルズは規格外の成功を収めてしまう。ブライアン・エプスタインがマネジャーとして関わるまではまだ良かった。ジョージ・マーティンが非凡にプロデュースを行い、その判断でピート・ペストを首にするまでも。だがビートルマニアが世界を席巻した途端、ビートルズは彼ら自身にとっても手に負えない、地球上でもっとも富を生むアイコンと化してしまう。

本書はそのあたりの出来事を描き、名声が彼らを縛ってゆく様子をたどってゆく。リバプールの若者が好きな音楽で身を立てようとした思い。その思いから遙かに巨大になったビートルズはビジネスの対象になってしまった。ビートルズの利権を巡ってさまざまな有象無象が集ってくる。そしてビジネスの事など何も知らないビートルズのメンバーとマネージャのブライアン・エプスタインから金を巻き上げてゆく。ポールはその状況に我慢がならず、ビジネスのスキルを磨こうとする。さらには、ビートルズの音楽にも新たな地平をもたらそうとする。

その努力が「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」となって結実する。ジョンは成功とドラッグに溺れ、ビートルズの主導権はジョンからポールに移る。リーダーの座を奪われたことに我慢ならないジョンとポールの間には隙間風が吹き始め、さらには反目へと至ってしまう。

アラン・クラインはエプスタインが亡くなった後、ビートルズの財政を一手に握った人物だ。この人物の悪評はいろいろと伝えられている。ポールが徹底してアラン・クラインに非協力を貫き、ポールがビートルズのビジネス面の手綱を取り戻すため、婚約者リンダの父リー・イーストマンにマネージメントを任せたことなど、あらゆるポールの動きはジョンの心を逆なでする。ミュージシャンからビジネスマンの視点を備えようとしたポールと、自分の思い描くミュージシャンの理想にあくまで忠実であろうとしたジョンの反目。

ビジネスの利権が彼らの才能とその果実をかたっぱしからついばみ、さらにはヨーコやリンダといった周囲の女性が事態をややこしくした。ポールがビートルズをどれだけ継続させようと心を砕いても、全ては空回りし裏目に出る。ビートルズはポールが解散宣言を出したことが解散への引き金を引いたと一般には言われている。だが、実は内々ではジョンが最初に脱退の意志を示したという。そのことは本書を読んで初めてしった。

ジョンとポールの間に生じた微妙な心のすれ違いを本書は描いていく。私はビートルズが解散に至るあらましはある程度は理解していた。けれど、本書を読むとビートルズの解散が避けようもなかったことが納得できる。行き過ぎた成功は、成功した当人をもむしばむ。そして当人たちにも害を与えるものへと変質する。ポールはそれに気づいたのだろう。本書から学べるのは、成功とは入念にイメージされた状態でなされるのが理想ということだ。

ビートルズが解散する前後、ポールがどれほど精神面で落ち込んだか。ポールが二作のソロ作品を世に問い、そこからウィングス結成に至った理由とは。その理由やいきさつも本書は描いている。

リンダ・マッカートニーがウィングスのメンバーだったことは私も知っていた。だが、それはリンダの意志ではなく、ポールの強い意志によるものだったこと。実はリンダ本人はウィングスのメンバーであり続けることに苦痛を感じていたことなどは、本書で初めて知った。

そしてジョンの死去。私が本書を読んだ理由は、ジョンの死に対するポールの感情を知りたかったからだ。ポールが泣いたことや、レポーターから感想を聞かれて「It’s a Drag」と言ってしまったことなどが本書には紹介されている。そしてとうとう、ジョンとポールが仲良く語り合うことがなかったことも。

ところが、Wikipediaのジョンの項を読むと、違うことが書かれている。ここに書かれたエピソードが本当であれば、ぜひその事実は本書にも紹介して欲しかった。ジョンにつらく当たっている本書だからこそ。

もう一つ本書に紹介されていることがある。それはジョンが死ぬ年の一月のこと。ポールが成田空港で麻薬取締法違反で逮捕されている。その時のいきさつは本書には詳しい。そして私は詳しいことを本書で初めて知った。

本書はポールの50歳を機に書かれた。80年代に著名なミュージシャンとコラボレーションに挑んだことや、リヴァプール・オラトリオの新たな試みなど。それにもかかわらず、著者はポールの才能にかつての鋭さがなくなったことを指摘している。残念ながら私も同じ意見だ。著者が本書でジョンを辛く書けば書くほど、ポールにとってジョンが欠かせない親友だったことが伝わって来る。マイケル・ジャクソンもスティーヴィー・ワンダーもエルヴィス・コステロもジョンのかわりとはなり得なかった。ポールにとって。

ポールが誰よりも優れたメロディー・メーカーなのは言うまでもない。そしてそれらの曲の多くは、ジョンとの複雑な関係がなければ生まれなかったかもしれない。親友とはなれ合いの関係ではない。二人の関係のように時には協力しあい、時には反発しあい、素晴らしい成果を生み出すものではないか。

ポールは七十才を過ぎてもなお、アルバムを発表し続けている。評価も高い。そして、私も本書を読んだことをきっかけに、ポールのビートルズ以降の全作品を聞き直している。その中で光る曲を見つけられれば言うことはない。それだけでなく、今だからこそ永久に残る曲をもう一曲生み出して欲しいと願うのは私だけだろうか。ポールとジョンは音楽だけにとどまらず、人類史の上でも不世出のコンビ。だからこそ、ジョンがポールの中で息づいていることを知らしめてほしい。

’2018/05/01-2018/05/03


東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典


二〇二〇年は東京オリンピックの年だ。だが、私はもともと東京オリンピックには反対だった。

日本でオリンピックが開かれるのはいい。だが、なんで東京やねん。一度やったからもうええやないか。また東京でやったら、ますます東京にあらゆるものが集中してまう。地方創生も何もあったもんやない。なんで大阪、名古屋、仙台、福岡、広島あたりに誘致せえへんねん。それが私の思いだ。今もその思いは変わらないし、間違っていないと思っている。

とはいえ、すでに誘致はなった。今さら私が吠え猛ったところで東京で二度目のオリンピックが開催される事実は覆らない。ならば成功を願うのみ。協力できればしたい。開催が衰退する日本が最後に見せた輝きではなく、世界における日本の地位を確たるものにした証であることを願っている。

そのためには前回、一九六四年の大会を振り返りたい。市川昆監督による記録映画もみるべきだが(私は抜粋でしか見ていない)、本書も参考になるはずだ。

本書の表紙に執筆者のリストが載っている。東京オリンピックが行われた当時の一流作家のほとんどが出ていると言って良い。当時の一流の作家による、さまざまな媒体に発表された随筆。本書に収められているのはそうした文章だ。当時発表された全てのオリンピックに関する文章が本書に網羅されているかどうかは知らない。だが、本書に登場する作家がそうそうたる顔ぶれであることは間違いない。

本書が面白いのは、イデオロギーの違いを超えて収録されていることだ。右や左といった区分けが雑なことを承知でいうと、本書において右寄りの思想を持つ作家として知られるのは、石原慎太郎氏と三島由紀夫氏と曾野綾子氏だ。左寄りだと大江健三郎氏と小田実氏が挙げられるだろう。それぞれが各自の考えを記していてとても興味深い。

本書は、大きく四つの章にわけられている。その四つとは「開会式」「競技」「閉会式」「随想」だ。それぞれの文章は書かれた時期によって章に振り分けられたのではなく、取り扱う内容によって編者が分類し、編んでいるようだ。

「開会式」の項に書かれた内容で目立つのは、日本がここまでの大会を開けるようになった事への賛嘆だ。執筆者の多くは戦争を戦地、または銃後で体験している。だから戦争の悲惨さや敗戦後の廃虚を肌で感じている。そうした方々は、再建された日本に世界の人々が集ってくれた事実を素直に喜び、感動を表している。

中でも印象に残ったのは杉本苑子氏の文章だ。東京オリンピックから遡ること二十一年前、開会式が催された同じ場所で学徒出陣壮行会が行われた。雨の中、戦地に送られる学徒が陸上競技場を更新する写真は私にも記憶がある。東條首相が訓示を述べる写真とともに。杉本氏はその現場の寒々とした記憶と、この度の晴れやかな開会式を比べている。そこには戦時とその後の復興を知る方の思いがあふれている。現代の私たちには学徒出陣壮行会など、教科書の中の一ページ。だが、当時を知る方にはまぎれもない体験の一コマなのだ。

他の方の文章でも開会式のプログラムが逐一紹介されている。事細かにそれぞれの国の行進の様子を報告してくれる方の多いこと。行進の態度から、お国柄を類推したいかのように。日本にこれだけの地域、民族、国の人々が集まることだけで感無量であり、世界の国に日本が晴れがましい姿を示すことへの素朴な感嘆なのだろう。戦争中は国際社会から村八分に近い扱いを受けていた。その時期の日本を知っていればいるほど、これほど大勢の人々が日本に集まる事だけで、日本が再び世界に受け入れられたと喜べる。それはすなわち、日本の復興の証でもあるのだから。そうした喜びは戦時中を知らない私にんも理解できる。

ただ、文学者のさがなのか、批評精神は忘れていない。例えば直前で大会への参加を拒否された北朝鮮とインドネシアへの同情。南北ベトナムの両チームが参加しない件。台湾が参加し、中華人民共和国が不参加なことなど。世界がまだ一つになりきれていない現状を憂う指摘が散見される。まさに時代を映していて興味深い。

ここで私が違和感を覚えたのは、先に左寄りだと指摘した大江健三郎氏と小田実氏の文章だ。小田氏の論調は、前日まで降っていた雨が開会式当日に晴れ渡った事について、複雑な思いを隠していない。それは、政治のイデオロギーを持ち出すことで、開会式当日の晴れ姿を打ち消そうとする思惑にも感じる。大江氏の文章にも歯にものが挟まったような印象を受けた。あと、開会式で一番最後に聖火を受け取り、聖火台へ向かう最終聖火ランナーの方は、昭和二十年の八月六日に産まれた方だった。そのことに象徴的な意味を感じ、文に著したのは数いる著者の中で大江氏のみであり、「ヒロシマ・ノート」を書いた大江氏がゆえの視点として貴重だったと思う。

開会式については総勢14名の作家の著した文が収められていた。この時点ですでに多種多様な視点と論点が混じっていて面白かった。

もう一つ、私が印象を受けたのは三島由紀夫氏の文章だ。引用してみる。
「ここには、日本の青春の簡素なさわやかさが結晶し、彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権のはげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みずみずしい若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本は青春によって代表されたのだった。そしてそれは数分間がいいところであり、三十分もつづけば、すでにその支配は汚れる。青春というのは、まったく瞬間のこういう無垢の勝利にかかっていることを、ギリシャ人は知っていたのである。」(32ページ)。
「そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもっと高いのだ。」(32ページ)。
「彼が右手に聖火を高くかかげたとき、その白煙に巻かれた胸の日の丸は、おそらくだれの目にもしみたと思うが、こういう感情は誇張せずに、そのままそっとしておけばいいことだ。日の丸とその色と形が、なにかある特別な瞬間に、われわれの心になにかを呼びさましても、それについて叫びだしたり、演説したりする必要はなにもない。」(32-33ページ)。

続いては「競技」だ。東京オリンピックについて私たちの記憶に残されているのは、重量上げの三宅選手の勝利であり、アベベ選手の独走であり、円谷船主の健闘であり、東洋の魔女の活躍であり、柔道無差別級の敗北だ。もちろん、他にも競技はたくさん行われていた。本書にもボクシング、レスリング、陸上、水泳、体操が採り上げられている。

意外なことに、論調の多くは日本の健闘ではなく不振を指摘している。後世の私たちから見れば、東京オリンピックとは日本が大量のメダルを獲得した最初の大会として記憶に残っている。だが、当時の方々の目からみれば、自国開催なのに選手が負けることを歯がゆく思ったのではないか。特に、水泳と陸上の不振を嘆く声が目立った。それは、かつて両競技が日本のお家芸だったこととも無関係ではない。

そうした不振を嘆く論調が石原慎太郎氏の文から色濃く出ていたのが面白かった。

そして、ここでも三島由紀夫氏の文章がもっとも印象に残る。あの流麗な比喩と、修辞の限りを尽くした文体は本書の中でも一頭抜け出ている。本書を通した全体で、小説家の余技ではなく本気で書いていると思えたのは三島氏の文章のみだった。「競技」の章ではのべ四十一編が掲載されているのだが、そのうち九編が三島氏によるものだ。

やはり、競技こそが東京オリンピックの本分。そんな訳で「競技」の章には多くの作家が文章をしたためている。

続いての「閉会式」では、六編の文章が載っている。著者たちは総じて、東京オリンピックには成功や感動を素直に表明されていた。むしろ、オリンピックの外に漂っていた国際政治のきな臭い空気と、オリンピック精神の矛盾を指摘する方が多いように思えた。

興味深く読んだのは石原慎太郎氏の文だ。後の世の私たちは知っている。石原氏が後年、東京都知事になり、二度目の東京オリンピック招致に大きな役割を果たすことを。だが、ここではそんな思いはみじんも書かれていない。そのかわり、日本がもっと強くあらねばならないことを氏は訴えている。石原氏の脳裏にはこの時に受けた感動がずっと残り続けていたのだろう。だから二〇二〇年のオリンピック招致活動に乗り出した。もし石原氏が福岡県知事になっていたら福岡にオリンピックを持ってきてくれたのだろうか。これは興味深い。

続いては「随想」だ。この章ではオリンピック全体に対しての随想が三〇編収められている。

それぞれの論者がさまざまな視点からオリンピックに対する思いを吐露している。オリンピック一つに対しても多様な切り口で描けることに感心する。例えば曽野綾子氏は選手村の女子の宿舎に潜入し、ルポルタージュを書いている。とりたてて何かを訴える意図もなさそうなのんびりした論調。だが、各国から来た女性の選手たちの自由で溌溂とした様子が、まだ発展途上にあった我が国の女性解放を暗に訴えているように思えた。

また、ナショナリズムからの自由を訴えている文章も散見された。代表的なのは奥野健男氏の文章だ。引用してみる。
「だがオリンピックの開会式の入場行進が始まると、ぼくたちの心は素直に感動した。それは日本人だけ立派であれと言うのではなく、かつてない豊かさ、たのしさを持って、各民族よ立派であれという気持ちであった。インターナショナリズムの中で、ナショナリズムを公平に客観的に感じうる場所に、いつのまにか日本人は達していたらしい。それはゆえない民族的人種的劣等感からの、そして逆投影からの解放である。
 ぼくはこれだけが敗戦そして戦後の体験を経て、日本民族が獲得し得た最大のチエではないかと思う。負けることに平気になった民族、自分の民族を世界の中で客観的にひとつの単位として見ることができるようになった民族は立派である。いつもなら大勢に異をたてるヘソ曲がりの文学者たちが、意外に素直に今度のオリンピックを肯定し、たたえているのも、そういう日本人に対する安心感からであろうか。」(262-263ページ)
この文章は本書の要約にもなりえると思う。

あと目についたのは、アマチュアリズムとオリンピックを絡めた考察だ。村松剛氏の文章が代表的だった。すでにこの時期からオリンピックに対してアマチュアリズムの危機が指摘されていたとは。当時はまだ商業主義との批判もなければ、プロの選手のオリンピック参加などの問題が起きていなかった時期だったように思うが、それは私の勉強が足りていないのだろう。不明を恥じたい。

また、日本の生活にオリンピックがもたらした影響を指摘する声も目立った。オリンピックの前に間に合わせるように首都高速や新幹線が開通したことはよく知られている。おそらくその過程では日に夜を継いでのモーレツな工事が行われたはずだ。そして国民の生活にも多大な影響があたえたことだろう。それゆえ、オリンピックに対する批判も多かった。そのことは本書の多くの文章から感じられた。中でも中野好夫氏は、オリンピック期間中、郊外に脱出する決断を下した。そして連日のオリンピックをテレビ観戦のみで済ませたという。それもまた、一つの考え方だし実践だろう。中野氏はスポーツそのものは称賛するが、その周囲にあるものが我慢できなかったのだとか。中野氏のように徹底した傍観の立場でオリンピックに携わった方がいた事実も、本書から学ぶことができる。オリンピックに対して疑問の声が上がっていたことも、オリンピックが成功裏に終わり、日本の誉めたたえられるべき歴史に加えられている今ではなかなかお目にかかれない意見だ。

私も二〇二〇年のオリンピック期間中は協力したいと書いたものの、中野氏のような衝動に駆られないとも限らない。

私が本章でもっとも印象に残ったのは石原慎太郎氏による文だ。石原氏の文は「随想」の章には三編が収められている。引用してみる。
「参加することに意味があるのは、開会式においてのみである。翌日から始まる勝負には勝たねばならぬ。償いを求めてではない。ただ敗れぬために勝たねばならぬ。
 人生もまた同じではないか。われわれがこの世にある限り、われわれはすでに参加しているのだ。あとはただ、勝つこと。何の栄誉のためにではなく、おのれ自身を証し、とらえ直すためにわれわれは、それぞれの「個性的人生」という競技に努力し、ぜひとも勝たねばならぬのである。」10/25 読売新聞 ( 320-321ページ )

この文には感銘を受けた。オリンピックに限らず人生を生きる上で名言と言える。

二〇二〇年の東京オリンピックを迎えた私たちが本書を読み、じかに役立てられるかはわからない。だが、当時の日本の考えを知る上ではとても参考になると思う。また、当時の生活感覚を知る上では役に立たないが、日本人として過ごす心構えはえられると思う。それは私たちが二〇〇二年の日韓ワールドカップを経験したとき、世界中から観光客を迎えた時の感覚を思い出せばよい。本書に収められた文章を読んでいて、二〇〇二年当時の生活感覚を思い出した。当時はまだSNSも黎明期で、人々はあまりデータを公共の場にアップしていない。二〇〇二年の感覚を思い出すためには、こうした文書からそれぞれが体験を書いてみるのも一興だと思う。

それよりもむしろ、本書は日本人としての歴史観を養う上で第一級の資料ではないかと思う。二〇二〇年の大会では、一九六四年の時とは比べ物にならないほど大量の文章がネット上に発表されるはず。その時、どういう考察が発表されるのか。しかも素人の作家による文章が。それらを本書と比べ、六〇年近い時の変化が日本をどう変えたか眺めてみるのも面白いかもしれない。

‘2018/04/27-2018/04/29


知の巨人 荻生徂徠伝


隔月で知り合いの税理士事務所からお便りのDMをいただいている。その表紙には毎回、代表の方があいさつを兼ねた文章を載せている。

ある号の表紙でとても印象に残ったことが載っており、弊社法人のFacebookアカウントで転載させていただいた。それがこちらだ。

一、人の長所を初めから知ろうとしてはいけない。人を用いて初めて長所が現れるものである。
二、人はその長所のみをとればよい。短所を知る必要はない。
三、自分の好みに合う者だけを用いるな。
四、小さい過ちをとがめる必要はない。ただ、仕事を大切にすればよい。
五、人を用いる上は、その仕事を十分に任せよ。
六、上にある者は、下の者と才智を争ってはいけない。
七、人材は心ず一癖あるものである。それは、その人が特徴のある器だからである。癖を捨ててはいけない。
八、以上に着眼して、良く用いれば、事に適し、時に応じる程の人物は必ずいるものである。
九、小事を気にせず、流れる雲のごとし。

これは徂徠訓。ここでは九条までが載っている。が、一般には八条からなっているようだ。

原文はこうだ。

 一つ、 人の長所を、初めより知らんと求むべからず
     人を用いて 初めて、長所の現れるものなり
 二つ、 人は その長所のみを取らば、すなわち可なり
     短所を知るは要せず
 三つ、 おのれ が 好みに合う者のみを用うるなかれ
 四つ、 小過を、とがむるなかれ
     ただ事を 大切に なさばすなり
 五つ、 用うる上は 信頼し、十分にゆだねるべし
 六つ、 上にある者、下にある者と才知を争う事なかれ
 七つ、 人我は必ず 一癖あるものと知るべし
     但し、その癖は器材なるが、ゆえに 癖を捨てるべからず
 八つ、 かくして、上手に人を用うれば、事に適し
     時に応ずる人物、必ずこれにあり

これらは為政者向けの内容だ。組織の中で上に立つものの教えと言うべきか。私も年齢的にリーダーシップを発揮しなければならぬ年齢に差し掛かっている。ところが、人を教え導けるようになりたいと願ってはいるものの、なかなか思ったようにいかない。

そう悩んでいたところ、DMの表紙にあった徂徠訓の教えが私の心に刺さった。これを一つの原則として肝に銘じ、暗記できるぐらいになりたいと思った。そして、荻生徂徠という人物に興味を持つきっかけにもなった。

昨年と一昨年は上杉鷹山、細井平洲、徳川光圀、二宮尊徳といった江戸時代の高名な学者の遺跡や遺訓を集中的に学んだ。となれば、荻生徂徠も学ばねばなるまい。いや、むしろ遅すぎたくらいだ。

本書を読んで思ったのは、荻生徂徠の人間的な一面が描かれていることだ。人間臭さとでも言おうか。

私は聖人を簡単には信じない。自らの欲を滅し去り、品行方正で一生あり続ける。そんな人物が描かれていたとすればそれは絵空事。江戸時代の人物にしてもそう。学者として高名であることと、その人物が人間的に非の打ち所のない人物かどうかは別の話だ。本書で荻生徂徠が聖人ではなく人間的に描かれていたことは、私に本書への親しみを持たせた。

もちろん、本書で書かれた荻生徂徠がそのままの人物であるはずがない。著者の解釈や脚色が大いに混じっていることだろう。だが、それをおいても本書で描かれた荻生徂徠からは人間の生身の姿が漂ってくる。

荻生徂徠の教えの神髄は私にはまだつかめていない。が、荻生徂徠が学問を修めてきた道は理解できたように思う。それを要約すると徹底した原典への参照だ。原典を読み込むあまり、漢文を書き下し文に頼らず読めるようになった徂徠。私たちも中・高の古典の授業で漢文には触れた。その時、私たちは書き下し文を使って読むことを教えられた。書き下し文とは、レ点や一、二点が漢字の横につくあれだ。本書によると、書き下し文を使って漢文を読むことは江戸時代でも当たり前だったようだ。当時の人々もそうやって漢文を学び、読み解いていったのだという。しかし、荻生徂徠は書き下し文に頼ることを拒んだ。漢字そのもので読み下してこそ原典の精神に触れられる。それが荻生徂徠の掴み取った信念だったのだろう。

漢文へのこだわりは、荻生徂徠を唐音の習得へと向かわせる。そして仲間内で勉強会を開いてはひたすら学問に打ち込む日々が続く。

そんな荻生徂徠の生計は何で成り立っていたか。それは柳沢家の江戸藩邸の住み込みの学者として。自ら学ぶうちに柳沢家に取り立てられ、そこで長らく養われた身。それが荻生徂徠の生き方だった。その暮らしは確かに荻生徂徠の衣食住を保証した。しかし、一方で荻生徂徠を世に出る機会を妨げ続けた。

柳沢家といえば柳沢吉保公が有名だ。徳川綱吉の側用人として知られている。私はよく山梨に行く。恵林寺にも。恵林寺には柳沢吉保公の像が安置されている。もともと武田家の家臣だった柳沢家だが、吉保公が将軍綱吉のお気に入りとなり、出世を果たした。荻生徂徠も主家の隆盛に従い、藩邸でお抱えの学者として生活できたわけだ。

だが、綱吉が亡くなり、家宣に将軍が変わった。柳沢家も吉保公から次の代に変わった。すると荻生徂徠のような学者をいつまでも養っておけない。つまり、荻生徂徠も世に出て糧を得なければならない。そのような境遇の変化があって初めて腰を上げるあたり、野心が少ないとみるのか、要領がよくないとみるのか。それは私にはわからない。ただ、本書で描かれる荻生徂徠は、自らの名声が世に伝わらないことを気に病む人物として描かれる。新井白石や室鳩室、伊藤仁斎といった荻生徂徠の学問を軽視する人々をけなし、誰かに自らの学問が認められたといっては喜ぶ。そんな人間的な荻生徂徠がたくさん描かれている。それが本書の特徴だ。

とはいえ、本書は軽いだけの本ではない。それどころか、至るところに漢文の読み下し文や古文訳が引用される。それらの部分を読み進めるのは、正直、古文に慣れていないとしんどい。私も苦しかった。

しかし、その部分を突破しないと、朱子学を凌駕した荻生徂徠の業績は見えてこない。晩年の荻生徂徠は将軍吉宗のブレーンとして政治の要諦を教える役目を担った。つまり、為政者が持つべき視点こそが、荻生徂徠の学問の要諦なのだろう。

本書の270Pにはこう書かれている。
「むろん儒学は老荘の学(道教)や仏学と違って政治を重視するが、宗儒や江戸期のこの時代までの儒者は道徳とか仁義とかを政治に優先させた。身を律することに重きをおいた。徂徠はそれを引っ繰り返し、政治を道徳や仁義から切り離した。儒学の世界を根底から覆した」
私はこの文にこそ荻生徂徠の業績の要点が込められていると思う。著者が言いたかったことも。

つまり徂徠は、来るべき科学万能時代を先取った人物。道徳や仁義ではなく、より科学的な営みとして政治をとらえた先進性こそ畏敬すべきなのだ。もちろん、その良し悪しや評価基準は時代によって変わる。だが、その思想を封建時代に打ち立てたことは評価されるべきだ。徳川吉宗の行った政治が享保の改革として今に伝えられているのも、徂徠の薫陶が少なからず影響を与えているに違いない。

今の私は荻生徂徠のすごさを上に書いたような内容でしか理解できていない。そして、冒頭に掲げた徂徠訓ですらまだ理解の途中だ。経営者としてはまだまだ荻生徂徠から学ぶべき事は多い。人間味を備えた経営を行うための教訓として。

‘2018/04/22-2018/04/26


犯罪


本書は、ヨーロッパの文学賞三つを受賞した。その三つとはクライスト賞、ベルリンの熊賞、今年の星賞だ。どれほどすごいのかと本書を読み終えたが少し拍子抜けした。つまらなくはない。逆だ。本書はとても面白かった。面白かったが、読後の余韻が弱いように思えた。余韻がそれほど私の中で尾を引かなかったのが意外に思えた。

おそらくそれは、本書が短編集であることに理由がありそうだ。一つ一つの短編はとても良くできている。それぞれに余韻もある。だが、一つ一つが優れていることは、読者をそれぞれの短編に没入させる。読者が短編の世界に入り込む時、前の短編が響かせた余韻は消えてしまう。それは短編の宿命だともいえる。

登場人物の背景をじっくり書き込み、彼らが犯罪を犯した理由をあらゆる著述テクニックを駆使して語る。本書に収められた各短編は実に素晴らしい。だが、短編であるため、それぞれの編ごとに読み手は気分を切り替えなければならない。そのため、一つ一つの印象が弱くなる。それぞれの短編の出来にばらつきがあればまだいい。だが、本書はそれぞれの短編が優れていたため、逆に互いの印象を弱めてしまった。

ただ、本書は全体の余韻が弱い点を除けば、著者の本業が弁護士であるとは思えないほどよくできている。本書の各編のモチーフは著者が見聞きした職業上の経験であることは間違いない。そうは思いながらも、本書の扉に掲げられている箴言が、読者の勘繰りをあらかじめ妨げる。

「私たちが物語ることのできる現実は、現実そのものではない。」
ヴェルナー・K・ハイゼンベルク

本書で書かれた物語は現実そのものではない。だが、現実は小説よりも奇なり、ということだろう。実際に各編に描かれたような出来事は起き、関係者に傷を残した。それはほぼ間違いないと思う。それが本書に迫真性を与えている。本書に対して登場人物に血が通っているとの評も見かけたが、それもうなづける。

たとえば、巻頭を飾る「フェーナー氏 Fähner」は、長年の妻からの圧迫に耐え続けた夫が、老いてから妻を惨殺する話だ。なぜもっと早くに夫はその状況から逃げようとしなかったのか。なぜすべてが終わろうとする今になって妻を殺したのか。そこにはあるのは、犯罪ではない。人生という不可思議なものの深淵だ。

本書が扱うのは、犯人が誰か、動機は何か、手口はどうやって?という推理小説の文脈ではない。本書が扱う謎はもっと深い。各編は単なる謎解きではない。そもそも、各編には冒頭から犯罪をおかす人物が登場する。つまり本書はwhodunit(Who Done It?)ではなく、howdunit(How Done It?)でもない。ましてやwhydunit(Why Done It?)でもない。では何か。

本書が書こうとするのは、犯罪とは何か(What Is Crime?)なのだと思う。または、罪とは何か(What Is Sin?)と言い換えてもいい。その問いこそが本書に一貫して流れている。犯罪とはなにか? 冒頭のフェーナー氏の事案はまさにそれを思わせる。

続いての「タナタ氏の茶盌 Tanatas Teeschale」もスリリングだ。ちんけな犯罪者二人組が盗んだのが、日本の財閥グループの総帥がドイツに持つ別邸の茶盌だ。これが盗まれてからというもの、関係者が謎の失踪をとげ、死体となって見つかる。しかしタナタ氏の関与は全くうかがうことができない。もはやそれは科学の範疇に収まらぬ呪いに等しい。犯罪とはどこからをもって犯罪というのか。まさにWhat Is Crime?だ。タナタ氏の意思がどう呪いの実行者に伝わったのか。実行者はそれをどう遂行したのか。そもそも何らかの犯罪の指令は発せられたのか。すべては謎だ。

続いての「チェロ Das Cello」も印象に残る一篇だ。富豪の家に生まれた姉弟の悲惨な生涯。姉弟が生まれてから育って行くまでの境遇。そのいきさつが簡潔に、そして冷徹に描かれる。犯罪とは何か。動機とは何か。裁かれるべきなのは誰なのか。全ては環境のせいなのか。この環境を姉弟に与えたものは犯人だと指弾できないのか。本編の姉弟を襲う運命の過酷さはあまりにもむごい。だが、実際にありえたと思わせる迫真性があるのは、本編がとっぴな出来事に頼っていないからだろう。

続いての「ハリネズミ Der Igel」は、本書の中でも少し異色の一編だ。犯罪者一家に生まれながら、自らを愚鈍に装い切った男。その男の成し遂げる完全犯罪の一部始終が描かれる。犯罪とは複数の要素がそろって初めて犯罪となる。その要素とは被害者であり被疑者だ。そして訴状の対象となる犯罪行為。本編がもし実際に起こった出来事をもとに描かれたのであれば、まさに事実は小説よりも奇なりだ。

続いての「幸運 Glück」も、犯罪が何から構成されるのかを問う一編だ。自然に亡くなった死を犯罪によるものと勘違いした主人公は、死体をばらばらにして隠ぺいする。その行いは確かに死体損壊罪に相当するはず。そこに犯罪が成立しているのはたしかだ。だが、その犯罪がなされた動機を考えた時、犯罪者をなんの罪に問うのか。それを追い求め、考えることは、犯罪の本質に迫る道に通じるのかもしれない。

続いての「サマータイム Summertime」は、本書の中でもっともミステリー仕立ての一編ともいえる。そもそも本編の肝となるのは何か。それは捜査の粗さだ。果たしてこれだけの事件程度では日本では検察が犯罪として立件しない気もする。ドイツは日本とは多少司法制度が違っているという。その違いが本編のような出来事が生んだのだろうか。興を削ぐため、詳しくは書かないが興味深い。

続いての「正当防衛 Notwehr」も、犯罪のあり方が何かを問う一編だ。正当防衛とは受けた攻撃に対して、相手への反撃をやむを得ないと判断された場合に成立する。だが、その正当防衛が凄腕の殺し屋によって行れた場合、どう判断すればよいのか。そのあたりがとても興味深い。今の正当防衛を認める法的な解釈には、どこかにとてつもない矛盾が潜んでいるのでは。その矛盾は方そのものへと波及しはしまいか。そんな気にさせられる一編だ。

続いての「緑 Grün」は、統合失調症を扱う。犯人が精神疾患を患っている場合、おうおうにしてその犯罪に対しては罰が課せられない。それは日本に限らず各国も同じようだ。本書もそう。犯罪の疑いがあっても犯罪の結果がない場合、果たしてその統合失調患者を罪に問えるのか、という問題を描いている。本編もまた、実際に起こってもおかしくない物語だ。それがゆえにとても興味深い。

続いての「棘 Der Dorn」もまた、犯罪とは何かを問う。ここで突きつけられる問いとは、組織の存在そのものが罪と言い換えてもよいほどだ。組織の動きがシステマチックであればあるほど、その行いを罪と糾弾しにくくなる。だが、わずかな組織の狂いは、その間に生きる人を犯罪へと導いてゆく。それも長い時間を掛けて。そのような組織の持つ恐ろしさが描かれるのが本編には描かれている。これも今の我が国でも起こり得る出来事だ。

続いての「愛情 Liebe」は、犯罪の予防という視点が持ち出される。その行いが愛情から出たと認められる場合、その者は罰せられない。ところが、そこには将来の犯罪の種が含まれていることも多い。司法に携わる方にとっては、この視点はとても大切ではないかと思う。

最後の「エチオピアの男 Der Äthiopier」は、最後に収められるのにふさわしい一編だ。一人の数奇な男の一生が描かれる。そこにはとても暖かい余韻がある。が、その分、他の10編の余韻が消えてしまうのだ。本編には、人の一生の中で犯罪が一時期の出来事でしかないこと示されている。

‘2018/04/21-2018/04/22


戦いすんで 日が暮れて


『血脈』を読んで以来、今さらながらに著者に注目している。『血脈』に描かれた佐藤一族の放蕩に満ちた逸話はとても面白い。一気に読んでしまった。もともとは甲子園にある私の実家と著者が幼少期を過ごした家がすぐ近く。そんな縁から『血脈』を読み始めたのだが、期待を遥かに超える面白さを発見したのは読書人として幸せなことだと思っている。

『血脈』には印象的な人物が多く登場する。著者の二度目の結婚相手である田畑麦彦氏もその一人。田畑氏は、著者が文藝首都という文学の同人誌で知り合った人物だ。『血脈』に登場する田畑氏は誠二という仮名で登場する(文庫版の下巻、348p、349p、399pでは意図的か、うっかりか分からないが「田畑」と「麦彦」の表記が見られるが)。そこでの彼はペダンティックな態度で世間を高みから見下ろし、超越した境地から言説を述べる人物として描かれている。それでいながら生活力のなさと人の良さで会社をつぶし、著者に多大な迷惑をかけた人物としても。著者がその時の体験をもとに小説にし、直木賞を受賞したのが本書だ。

『血脈』は佐藤一族の奔放な血を描き切った大河小説だ。そのため、著者と田畑氏のいざこざの他にも筆を割くべき事は多い。『血脈』では田畑氏との別れや田畑氏の死まで描いている。だが、それらは膨大な大河の中の一部でしかない。そのため著者は、田畑氏との因縁はまだ書き切れていないと思ったのだろう。『血脈』の後、著者は最後の長編と銘打って『晩鐘』を上梓する。『晩鐘』は著者と田畑氏の出来事だけに焦点を当てた小説で、二人は仮名で登場する。そこで著者は「田畑氏とは何だったのか」をつかみ取ろうと苦闘する。その結果、著者がたどりついた結論。それは「田畑氏はわかりようもない」ということだ。『晩鐘』のあとがきにおいて、著者はこう書いている。
「畑中辰彦というこの非現実的な不可解な男は、書いても書いても、いや、書けば書くほどわからない男なのでした。刀折れ矢尽きた思いの中で、漸く「わからなくてもいい」「不可能だ」という思いに到達しました。」(475p)
レビュー(http://www.akvabit.jp/%E6%99%A9%E9%90%98/)。

それほどまでに著者の人生に影響を与えた田畑氏との一件。なので、田畑氏との日々が生々しい時期に書かれた本書は一度読みたいと思っていた。『血脈』や『晩鐘』は田畑氏との結婚生活から30年ほどたって描かれた。『晩鐘』に至っては田畑氏がなくなった後に書かれた。しかし本書が書かれたのは、田畑氏の倒産や夫妻の離婚からほんの1、2年後のことだ。面白いに決まっている。そんな期待を持って読み始めたが思った通りだった。

「戦いすんで日が暮れて」は表題作。倒産の知らせを受け、その現実に対して獅子吼する著者の面目が弾けている。少女向けユーモア小説を書き、座談会に出演し、人を笑わせ、愛娘を笑わせる。その一方ではふがいない夫に吠え、無情な借金取りに激高し、同業の作家に激情もあらわな捨てぜりふをはく。そんな著者の八面六臂の活躍にも関わらず、夫は観念の高みから論をぶつ。著者に「あなたは人間じゃないわね。観念の紙魚だわ。」(55P)という言葉を吐かせるほどの。ところが著者は悪態をつきつつも夫のそうしたところに密かな安堵を覚えるのだ。本編はそうした静と動、俗と超俗、喜怒哀楽がメリハリを持って、しかも読者には傍観者の笑いを与えるように書かれている。

同業作家の川田俊吉とは作家の川上宗薫氏のことらしいし、著者の名はアキ子だし、娘は響子ではなく桃子で登場し、夫の名は麦彦ではなく作三と書かれる。それにしても、関係者の間に生々しい記憶が残る中、よくここまで書けるな、と感心する。文庫版のあとがきによると、本編が発表される半年前に田畑氏の会社は倒産したらしい。『血脈』であれほど赤裸々に書いたのも、本編を読めばなるほどと思える。

「ひとりぼっちの女史」もおなじ時期を描いた一編。女史とはもちろん著者自身がモデルだ。カリカリイライラしている日々の中、孤立感を深めつつ、激情をほとばしらせることに余念のない女史。しかし夫に背負わされた借金の債権者は家に来る。そして夫はいない。そんな女史のお金をめぐる戦いは孤独だ。それなのに、頭を下げて泣かれる債権者を前にすると女史の心はもろい。他に影響があると知りつつ、投げつけるように金を返す。もろいだけかと思えば、あやしげな張型のセールス電話など、女史を怒らせる出来事にも出くわす。電話越しのセールスマンと女史のやりとりは笑えること間違いなし。セールスマンから慰められてふと涙する女史の姿に、著者の正直な気持ちの揺れが描かれていて、笑える中にも心が動く一編だ。

「敗残の春」も同じ時期を題材にしている。著者をモデルとした宮本勝世は男性評論家の肩書で紹介される人物だ。目前の金のためなら仕事を選ばず、会社をつぶした夫の宮本達三から身を守るため、日々憤怒する人だ。お人よしで他人から金を巻き上げられるためにいるような夫。自分はそうではないとわが身を語りつつ、不動明王のような炎を噴き上げ日々奔走する。債権者の対応をしながらやけになって叫ぶ。別の男性から好意を寄せられ戸惑う。そんな45歳の女。複雑な日々と感情の揺れを描いているのが本書だ。

「佐倉夫人の憂鬱」もまた、頼りない夫をもった夫人の憂いの物語だ。著者の体験を再現していないようにも読めるが、著者に言い寄る童貞男子の存在に、まんざらでもない期待を寄せてしまう夫人。だが、全ては幻と消え去る。そんな女としての無常を感じさせる一編だ。

「結婚夜曲」はかなり色合いの異なる一編だ。証券会社に勤める夫を持つ主人公。だが、夫の営業成績は振るわず、家庭でも顔色が冴えない。そんな中、主人公は旧友に再会する。その旧友はかつてのくすんだ印象とは一変して裕福な暮らしに身を置いている。その旧友を夫に紹介したところ、夫は営業をかけ、それが基で信頼される。証券を売りまくり、お互いが成功に浮かれ、夫は輝く。ところが、ある日それがはじけ、全ては無にもどる。旧友から金を返して欲しいとの懇願と夫の情けない姿に、どうにか夫を奮起させようとする主人公。だが、夫は再び死んだように無気力となる。そこに息子の結婚だけは考えたほうがよいなぁとのつぶやきが重なる。その言葉が、著者の心のうちを反映するような一編。

「マメ勝ち信吉」は、著者の無頼の兄貴たちの生態を参考にしたと思える一編。『血脈』でも著者の四人の兄貴がそろいもそろって不良揃いであることが書かれている。詩人として成功したサトーハチローの他は皆、非業の死を遂げる。そんな兄貴たちを間近で見てきた著者の観察が本編に表れている。風采は悪くとも、女を口説くことは得意の信吉。映画のプロデューサーの地位を利用し、新進女優とも浮名を流す。が、ある日彼が心から惹かれる女性が現れる。その女をモノにしようと信吉は奮闘するが、軽くいなされてしまう。その一方で、信吉は華のない女とくっつき、結婚することになってしまう。まじめに生きれば外れくじを引く。無頼に生きれば身をもち崩す。そんな矛盾した著者の人生観が垣間見える一編だ。

「ああ 男!」は脚本家の剛平の付き人でもあり監視役でもある忠治が主人公だ。無頼な剛平にくっついて方々に顔を出すうち、忠治も場数を踏んだ男だと勘違いされる。だが実はウブで童貞。そんな忠治が剛平に忠義を尽くし、慕ってついていく様子が描かれる。そんな無頼な日々は、狙っていた女優にあっけらかんとした裏表を見せられ、意気消沈する。本編もまた、著者の兄貴たちの生態が下敷きになっていることだろう。

「田所女史の悲恋」は著者自身を描いている。男勝りのファッションデザイナーで、周囲からはやり手と思われている独身。45歳でありながら恋には見向きもせず仕事に猛進する強い女性。だが、そんな彼女はある会社の若い男に恋をする。しかし素直になれない。それがゆえ、打った手は全て裏目に出る。勇気をふり絞って生涯唯一の告白を敢行するも、相手に伝わらず空回り。それをドタバタ調に書かず、世間では強き女とみられる女性の内面の弱さとして描く。著者がまさにそうであるかのように。

本書の最後には文庫版あとがきと新装版のあとがきが付されている。後者では93歳になった著者が自分の旧作を振り返っている。そこでは五十年近く前に書かれた旧作など今さら見たくもない、と言うかのような複雑な思いが表れている。二つのあとがきに共通するのは、表題作に対してしっかりした長編に仕上げたかったという事だ。それが生活の都合で中編になってしまった無念とともに。著者のその願いは『血脈』と『晩鐘』によって果たして叶えられたのだろうか。気になる。

‘2018/04/18-2018/04/21


海に生きる人びと


本書は沖縄旅行に持って行った一冊だ。

沖縄といえば海。海を見ずに沖縄へ行くことはできない。切っても切れない関係。それが沖縄と海の関係だ。「うみんちゅ」なる言葉もあるくらいだから。

そんな海の人々を知るには本書の民俗学的なアプローチが有効だと思い、かばんにしのばせた。結局、旅行中に読めなかったが。

ところが今回の沖縄旅行で訪れた海とは、観光としての海だった。民俗学の視点で考え込むより、青く透き通る美しい海で遊ぶこと。妻子の目的はそれだった。私も楽しんだけれど。

ところが一カ所だけ、海を民俗学的に扱っている場所を訪れた。その場所とはうるま市立海の文化資料館。ここは、海中道路の途中にある。沖縄本島から海中道路を渡った先には浜比嘉島、平安名島、宮城島、伊計島がある。これらの島々は沖縄でも造船技術の発達した場所。中国大陸に影響を受けた造船技術が現代もなお受け継がれている。それもある一家に相伝で伝わっているという。

この資料館には船の実物や造船技術のあれこれが展示されていた。私は駆け足ではあるが、展示物を見て回った。

その上で本書を読んだ。本書は、日本各地で海とともに生きた人々を取り上げている。その生活や歴史を。漁をなりわいとする人々はどういう生活圏を作り上げてきたのか。そして時代とともにどう生活圏を変えてきたか。そしてどういう職業をへて、海に寄り添って文化を作り上げてきたか。それらが本書では詳しく描かれている。

それは、著者の該博な知識があってこそだ。そうでなければ、各地の地名、伝承、古文書をこれだけ登場させられないはず。そう思えるほど、本書には日本各地の地名や伝承が次々と出てくる。著者によると、これでもまだ表面だけだという。

それだけ各地に残る古文書には、人々の暮らしの歴史が膨大に含まれているのだろう。そして、海の人々の足跡が刻まれているのだろう。それをたどってゆくだけでわが国の漁民文化の変遷が見えることが本書から読み取れる。

その変遷はなかなか多様だ。各地に残る「あま」の地名。それはまさに漁民の移動と広がりの跡にほかならない。隠岐の海士、兵庫の尼崎、石川の尼御前、阿波の海部、肥後の天草など、各地の「あま」が付く地名にたくさん跡が残されている。今の千葉県の安房が、徳島の阿波の国から来ている可能性など、旅が好きな人には本書から得られる知識がうれしいはず。

現代に生きる私たちが「あま」と海を結びつけるとすれば、鳥羽の海女しか出てこないと思う。それも観光ショーとしての。またはNHKテレビ小説の「あまちゃん」ぐらいか。ところが、かつては各地の海で生計を立てる人々を総じて「あま」と呼んだそうだ。だから日本の各地に「あま」が付く地名が多いのだ。

本書は、各地の地名の成り立ちを追いながら漁民の移動の歴史を概観する。その各章だけでかなり興味深い歴史が手に入ることだろう。

さらに本書は時代を少しずつ下ってゆく。それは漁法の進歩にともなう生活のあり方の変化として描かれる。漁民によってその変化はいろいろだ。潜水の技術をいかし、アワビ取りで糧を得る人もいた。妻だけが海に潜り、夫は沖に出て漁に従事することもあった。漁師から職を替え、船による運搬を職業に選ぶ人もいた。海から陸に上がり、商いで身を立てる人もいた。海は長距離の行動を可能にする。だから、海に生きる人々の生活範囲は広い。

著者は泉州の佐野を例に出す。いまは関空の拠点だが、かつては海に生きる人が多かったという。はるかな対馬まで毎年遠出する人もいたし、日本沿岸を余さず巡る人もいたという。そうした人々が日本各地に痕跡を残し、その地に地名を残す。

本書はあくまでも海の人々に集中している。だから、歴史を語る際に欠かせない中央政府の動向はあまり出てこない。だが、本署の描写からは海の人々が時代に応じて変化していく明白な様子が感じられる。

著書の調査の綿密さ。それは、海と人の交流を克明に描いていることからも明らか。例えばクジラ漁。例えばエビス神の信仰。なぜエビス様は左手に鯛を持っているのか。それは海の神から来ているという。西宮出身の私にはエビス様はおなじみだ。だから、恵比寿信仰のイメージは強く私に刻まれている。

結局、本書から私たちは何を学べばよいか。それは人々の流動性だ。たかだか八〇年の人生で物事を考えると、定職や定住を当たり前と考えてしまう。ところが古来、日本人には海の民族としての絶え間ない行動の歴史があったことが本書から学べる。それなのに私たちには海への文化的視点があまりにも欠けている。

海を舞台に活動した文化の伝統を忘れたこと。それは、日本人の活力を低下させたのではないだろうか。かつての日本人にはフロンティアであり冒険家だった海の人々がいた。そして、今もそうした人々の末裔はいるはず。海の文明を思い出し、日本人が旅心を取り戻した時、日本はまた立ち上るのかもしれない。

本書を読み、そういった知見を養っておくのは決して悪いことではない。

‘2018/04/02-2018/04/18


沖縄にとろける


本書は、沖縄旅行の前に読んでおきたかった。なぜなら、本書には沖縄を楽しむための知識、それも私が大好きな類の知識がたくさん詰まっているからだ。

本書が語る沖縄とは、海や戦跡、水族館や琉球舞踊、音楽についてではない。ありふれた日常の中にある沖縄を語る。

本書が主に扱うのは食文化や酒文化からみた沖縄だ。その観点からみた沖縄は、混じり合った異文化の魅力を放っている。それは観光客として訪れるだけでも存分に楽しめる。実際、私を魅了し続けている。独特の食材を使い、独自の風味で味付けられた料理。お店には泡盛の甕やシーサーが飾られ、飲み食いしながら味わえる旅人の実感は格別だ。

しかし、その装いや味付けはどことなくよそ行きの雰囲気をまとっているように思うのは私だけだろうか。つまりは観光客向けの。それは私がまだ沖縄を観光地でしか知らないからだろう。観光客は決して知らない、沖縄にしかない食文化が、沖縄の日常には隠れているはずなのだ。シーブンのような。旅の楽しみの一つは、その奥深さに触れることにある。普段は観光客の目に触れないが、日常に足を踏み入れると時折その姿をのぞかせる食文化。それらに触れるには、市場やスーパーなど地元民が訪れる場所に行くのが早い。

沖縄は日本屈指の観光地だ。それだけに観光客として訪れるだけでも十分楽しめる。だが、沖縄の日常には、観光客として行くだけでは決して味わえない、さらなる深い麻薬のような魅力を放っているように思う。

その魅力とは、町の大衆食堂の中にメニューとして掲げられている。自動販売機やA&Wの店を訪れ、店内を注意深く見ると気づく。離島のゆっくりした時間に漂っている。うらぶれた裏通りのホテルに染み付いている。地元民しか訪れないビーチで波に洗われている。

私は今回の沖縄が三回目となるが、観光客がよく行くと思われる沖縄本島の有名な観光地はようやく二割近くは訪問できた。となると、次はより沖縄の日常に触れてみたくなる。当然だ。実は二回目も今回も沖縄在住の方にお会いしている。だが、限られたわずかな時間では本書に取り上げられているような深い経験はできない。本書にはいわゆる観光地は登場しない。旅人としてではなく、住んでみて初めて気づく視点。それが紹介されるのが本書だ。

その視点とは、沖縄に住み、地元の方と長い時間を共有してようやく気づく類いのことだ。たとえば本書には住民のビーチパーティーに招かれた著者が、ビーチパーティーとはなんぞや、と考察する章がある。そもそも観光地を訪れ、普通にホテルに泊まっているだけではビーチパーティーには呼ばれるどころか存在にすら気づかないはず。地元の方との親密な関係を築いてはじめてビーチパーティーに呼ばれるのだから。

他の章では、数十メートルの距離を歩かずに車で移動しようとするウチナーンチュを揶揄している。観光客向けのレストランや居酒屋には登場せず、地元住民が足しげく通う店でしか見られないメニューの数々が登場する。法の遵守などまったく見向きもせず、たくましく生きるウチナーンチュの夜型の生活が描かれる。生活のためなら論外と言わんばかりに自販機の夜間販売の制限を無視するふてぶてしさにも触れる。食品衛生法など度外視で造られる島豆腐の製法から、食品の美味しさを賛美する。どの視点も生活をともにせねば書けない内容だ。著者はそうした沖縄のしたたかさとたくましさが、管理と治安が最優先の日本本土で失われつつあることをいいたいのではないか。自主規制が幅を利かせ、画一的な文化しか見られなくなったメインストリームの文化。そのような対比が透けて見えるため、本書はなおさら面白く興味深い。

本書から見えるのは沖縄のたくましさだ。そのたくましさはアジアのそれを思い出させる。たとえば台湾のような。

かつて私は台湾を自転車で一周したことがある。その時に見かけた台湾の人々はとてもエネルギッシュで活力にあふれていた。町中をバイクで五人乗りで走行する少年たちの姿。日本ではまず見られないものだ。その辺で交尾をし、放し飼いで買われている犬たち。私は夜の道を自転車で走っていて何度犬に追っかけられたことか。そのおおらかなアジアの猥雑さは、当時の私に大きく影響を与えた。本書から垣間見える沖縄の姿は、あのときの台湾を思い出させる。

私が台湾で活気むんむんだった庶民を見かけたのも観光地ではなく、日常の中だった。その経験は私に旅の極意を教えてくれた。旅とは観光地ではなく、日常に入り込むことによって得られるものだと。

その経験からいうと、私はまだ沖縄の表しか見ていない。私が沖縄の日常を知るにはあと何度訪れなければならないのだろう。より深く活気にあふれた沖縄。そのエネルギーは少々管理に疲れたように見える日本人に活気を与えてくれるはずだ。活気だけでなく、日本再生のヒントを。

私ももちろん、沖縄からエネルギーを分け与えてもらいたいと思っている。そしてこの整頓と秩序を重んじる日本で生きるためのヒントを。私の残り時間は短い。

‘2018/03/31-2018/04/02


沖縄 琉球王国ぶらぶらぁ散歩


家族で訪れた沖縄はとても素晴らしい体験だった。本書はその旅の間に読み進めた、旅の友という本だ。今回、三日間の行程のほとんどは、戦時下の沖縄と、今の沖縄を見ることに費やした。その中で唯一、中世の沖縄を見る機会があった。それは、勝連城跡においてだ。

実は今回の旅行の計画では、当初は首里城に行く予定だった。ところが、沖縄でお会いした友人の方々から薦められたのは海中道路。そこで、首里城ではなく海中道路に旅先を変えた。海中道路だけでなく、浜比嘉島のシルミチューとアマミチューの遺跡や、伊計島の大泊ビーチを訪れた経験は実に素晴らしかった。だが、首里城への訪問は叶わなかった。それだけはない。前日、今帰仁城に訪れるはずだったが、ここにも寄る時間がなかった。妻が美ら海水族館を訪れたついでに寄りたいと願っていたにもかかわらず。

そこで、大泊ビーチの帰りに見かけた勝連城跡に寄った。何の予備知識もなく立ち寄った勝連城跡だが、思いのほか素晴らしかった。私にとって今回の旅のクライマックスの一つは、間違いなく、ここ勝連城跡だ。

この勝連城は、阿麻和利の居城だった。阿麻和利とは、琉球がまだ三山(南山、中山、北山)に分かれ、群雄が割拠していた十四世紀に活躍した人物だ。

今回の旅の九カ月前、私は沖縄を一人で旅した。そして旅の後、私は何冊かの沖縄関連書を読んだ。その中の一冊<本音で語る沖縄史>は琉球の通史について書かれていた。私はその本によって今まで知らなかった近代以前の沖縄を教わった。阿麻和利。その名前を知ったのもその時だ。それまで、本当に全く知らなかった。阿麻和利の乱はその本では一章を費やして書かれており、私の中に強烈な印象を残した。琉球の歴史で欠かせない人物。それが阿麻和利だ。

ところが肝心の阿麻和利の乱の舞台の名前を忘れていた。その舞台こそ、ここ勝連城。私が場所の名前を忘れていたのは、十五世紀の城ゆえ、居館に毛の生えた程度だろうと勝手に軽んじていたからに違いない。ところがどうだ。勝連城の堂々として雄大な構え。日本本土の城にも引けを取らない威容。私は勝連城によって、琉球のスケールを小さく見積もっていたことを知らされた。それとともに、これほどの城を築いた阿麻和利への認識もあらためなければ、と思った。

勝連城を登り、本丸に相当する広場からみた景色は実に素晴らしかった。南ははるかに知念岬を望み、東は平安座島や浜比嘉島が浮かぶ。西や北は沖縄本島のなだらかな山々が横たわり、琉球の歴史を物語っている。勝連城とは琉球の島々だけでなく、琉球の歴史を一望できる地だったのだ。城跡に立ったことで、私はもう一度琉球の歴史をおさらいしたいと思った。

本書には豊富な写真が載っている。それらの写真の威容とわが目に刻んだ勝連城のスケールを照らし合わせながら、琉球の歴史をおさらいした。本書を読んだのは沖縄の旅の間。旅の頼れる相棒として、るるぶと共に私の役に立ってくれた。

琉球の歴史とは、日本の歴史の縮図だと思う。

狭い島国の中で群雄が相撃った歴史。中国大陸、そして太平洋の彼方からの文化を受け入れ、そこからの圧力に抗う地勢。圧倒的な文化の波をかぶり、文化に侵された宿命。基地を背負わされ、占領の憂き目にもあった経験。そうした特色も含めて日本を小さくしたのが沖縄だといえる。

もう一つ言うならば、沖縄の歴史は日本に先んじていると思う。例えば日本の戦国時代より前に三山の戦乱が起こり、日本よりも前に統一が成し遂げられた。日本よりも前にペリー艦隊が来航し、日本よりも前に軍政下に置かれた。沖縄戦もそう。御前会議の場で終戦の聖断がなければ、日本は沖縄に続いて地上戦に巻き込まれていたかもしれない。 とすれば、私たち本土の日本人が琉球の歴史や文化から学べるものはあるのではないだろうか。

本書で琉球の歴史を学ぶことで、私たちは琉球の歴史が日本に先んじていることを悟る。そして、今の沖縄の現状は日本本土の未来である可能性に思い至る。三山の並立やグスク時代、第一、第二尚氏王朝の統治など、琉球の歴史が日本にとって無視できないことを知り、写真からその栄華を想像する。ただし上に書いた通り、スケールは写真だけではらわからない。実物を見て、なおかつ本書を読むべきだ。すると琉球の歴史が実感と文章の両面から理解できる。

だから、本書は旅のハンドブックとして適している。それも、戦跡や海や沖縄の食文化を味わう旅ではなく、御嶽やグスクといった沖縄の歴史を学ぶ旅において役に立つはずだ。次回、沖縄へ行く機会があれば、本書を持っていきたいと思う。

また、本書は琉球王国の終焉、つまり、明治11年の琉球仕置で幕を閉じている。著者はこの処置について、誰にとっても利のない最悪の処置だったと嘆く。日本編入が果たして沖縄にとってどのような現実をもたらしたか。ソテツ地獄や沖縄戦、米軍政やその後の基地問題だけを見れば、あるいは琉球王国が続いていたほうが沖縄にとってはよかったのかもしれない。だが、その一方で熾烈な国際関係の中では琉球は生き残れず、いずれはどこかの国に併合されていた可能性だってある。過去は過去で、いまさら覆すことはしょせん不可能。

であれば、未来を見るしかない。未来を見るには現在を見据えなければ。沖縄の現在が将来の日本の姿を予言している。その可能性は誰にも否定できない。本書を通して日本の未来を占うためにも、本書は存在価値があるのだと思う。

‘2018/03/26-2018/03/30


週末沖縄でちょっとゆるり


本書を読んだのは沖縄へ向かう機中だ。私にとっては九カ月ぶりの沖縄、前回の旅は沖縄戦と琉球文化を知る旅だった。ただ、二十二年ぶりの沖縄だったため、各訪問先のごとの思い出を作るのに精一杯だった。その時のブログは以下のリンクに書いた通り。今回は家族との旅を楽しむつもり。戦跡も巡るが、美ら海水族館やビーチにもいく。
家族で沖縄 2018/3/26
家族で沖縄 2018/3/27
家族で沖縄 2018/3/28

前回の旅で触れることのできた琉球の文化はほんの一部。沖縄にはもっと奥深いところに旅人の心を揺り動かす何かがあるはず。そう思い、今回は沖縄の文化について事前に予習することにした。

本の内容が現実にリンクした時、読書の醍醐味は実感となる。この実感は、おととしに家族で訪れた長崎で味わった。浦上天主堂が一部の遺構を残して撤去された経緯を描いた本< ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」 >を読んだ翌日、長崎の街を歩いた時に感じた思い。本に描かれた天主堂の遺構や再建された天主堂をこの目で見たときに感じた感動は、読書家としての私自身の生き方に誤りはないと確信させた。

本書は実に面白かった。そして本書の内容が私の沖縄の旅にリンクした。だからこそ思い出に残った。

第一章の「沖縄そば」がすでにそうだった。前回の私の沖縄旅の目的の一つは、沖縄そばの神髄を知ることにあった。そのことは先に紹介したブログに書いたとおり。私が旅の途中で食べたのは豊見城にある「名嘉地そば」さんだ。それはとてもおいしかった。だが、革命的な発見を思わせるほどでもなかった。私が知っている沖縄そばとは、本土で食べるものだった。本土で食べる沖縄そばは、本当に沖縄そば本来の味なのだろうか。その探究心に駆られて訪れた「名嘉地そば」さんは、本土で食べる沖縄そばをおいしくした味だった。だが、それでは私の沖縄そばの本質を知りたい欲求を満たせない。私の知らない沖縄そばがあるのでは、と疑っていた。

東南アジアから台湾をへて沖縄、そして日本。その円弧上に沿って北上するうちに、麺文化は食べる麺からすする麺へと姿を変えて行く。そう書いたのは著者だ。それは確かに瞠目すべき発見に違いない。ところが、著者が発見はした事実とはそれだけにとどまらない。著者は沖縄そばが本土に影響されつつある現状をも発見する。そして著者は、沖縄そばが次第に食べるそばから啜るそばに変わってゆきつつあるのでは、と懸念する。その事実は、ずいぶん前から沖縄に足を運んできた著者だからこそ気づけたのだろう。おそらく著者の発見とは、食文化を語る上でずいぶんと貴重なものだと思う。

著者は沖縄そばを知るため、那覇から食べ歩きを始める。その探求はファミリーマートで売られている沖縄そばにまで及ぶ。本書で紹介されているファミリーマートの沖縄そばは私も目撃した。だが、本書を読んでいたためか食指は動かなかった。

著書の探究は那覇では実を結ばなかった。だから著者は国道58号線を北上しながら食べる沖縄そばを求める。そして、普天間にある三角食堂と、名護の八重食堂で著者は食べる沖縄そばに巡り合う。両者ともに那覇ではなく、郊外で見つかったところが興味深い。著者は、沖縄そばの中に那覇そばというカテゴリーがあるのでは、と結論を出す。それもまた興味深い。なぜならば、Wikipediaからの知識では、沖縄そばは那覇で生まれ、発展したはずだから。
ちなみに今回の沖縄の旅において、私は糖質オフダイエット中だったのであまり沖縄そばを食べなかった。しかし、知念岬の近くにある南城市地域物産交流館で食べた野菜そばはとてもおいしかった。

著者の啜るそばと食べるそばの切り分けは興味深い。おそらく的を射た指摘なのだろう。ただ著者は、啜るそばに変わったからと言って沖縄そばがまずくなったのではなく、むしろ全体のレベルは上がっているという。
私が知りたい沖縄そば。それは食べるそばを指すのだろうか。であれば、多分まだお目にかかったことがないはず。私が本土で食べたことのある、そして前回と今回の旅で食べた沖縄そばとは、本土向けにアレンジされた啜るそばではないか。ということは、私はまだ沖縄そばを知らない。多分、食べる沖縄そばを味わえた時、ようやく私は沖縄そばの世界の入り口に立てるのだろう。それまでは沖縄そばについて蘊蓄を披露するのはよしたい。

なお、本章の補足としてシーブンについての考察も載っており、これも興味深かった。シーブンとは沖縄の定食屋で出されるサイドメニューのことだという。メニューに載っている料理を注文すると、サービスでサイドメニューがドドんと出される。その量の多さは、料理に込められたサービス精神の表れだ。私はまだシーブンを知らない。前回も今回も定食屋には入らなかったから。さらに私は、ホテルや観光地の食事しか沖縄料理をしらない。だから、沖縄料理を語る愚は避けなければ、と自戒した。

第二章「カチャーシー」も、本書を読んですぐ、旅の中で経験したことの一つだ。

カチャーシーとは何か。それは琉球の踊りだ。阿波おどりや盆踊りのようなものと思えばいい。だが、それらの踊りとは明らかに違う、琉球に独自の振りがあるのだという。本書にはこう書かれている。「なお、不慣れな本土の人間が踊ると、たいていは阿波踊りになる。」(71ページ)

著者が栄町市場のカメおばぁにカチャーシーを習う。そして、カチャーシーが何かを悟る。沖縄ではめでたいことがあるとすぐにその場でカチャーシーを皆で踊り狂うという。

本書を読んだ後、私はカチャーシーが何かを体験する。それは国際通りでのことだ。妻が以前の旅で訪れたという波照間http://hateruma.jcc-okinawa.net/という店に入った(実は妻の勘違いで、違う店だったのだが)。このお店で食べた料理はおいしかったが、それ以上に島唄三線のライブがあり、私の中で印象に残っている。島唄三線のライブが終わりに近づくと、座敷で飲み食いしていた客が何人もランダムにステージに上げられ、皆で踊る。私は幸いなのか残念なのか、ステージに連れていかれなかったため、カチャーシーを踊る経験は積めなかった。だが、これがカチャーシーか、と目の前で見聞きできたのは大きい。本書を読んでいた私は、目の前の楽しげな騒ぎがカチャーシーであることを理解できた。

本章は本書の中でも核心ともいえる。なぜなら、沖縄病について考察されているからだ。著者はその中で本土と沖縄の根本の違いについても鋭く触れている。

沖縄病について触れた文章を引用する。
「沖縄病という病は、基本的に片思いだから、その人の沖縄への思いだけが空まわりする。しかしどこか嬉しい。片思いとは、そういうものだ。かつて僕自身、かなり重い沖縄病を患っていたから、そのあたりの感覚はよくわかる。
 沖縄病に罹った人たちの一部は、移住を決意する。沖縄に移り住む・・・それは簡単なことではない。若者が沖縄に仕事を見つけて移るのならまだしも、本土生活の基盤があった人にとっては大変な覚悟である。人生のターニングポイント・・・と考える人もいる。そこまで沖縄への思いが増幅される。」(64P)

著者は自らが経験したカチャーシーを語り、まだ沖縄の人になりきれていない自分を悟る。それは八重山商工が甲子園に出た時のことだ。試合に勝った後、自然とカチャーシーがスタンドで沸き起こる。ところが著者はその場にいながら腰が上がらなかったのだという。それでも著者は悟る。
「カチャーシーとは踊りではなく、嬉しさを示す手段なのだ。」(88P)

著者はカメおばぁからカチャーシーを教えられながら、笑顔がないことを注意される。カチャーシーとは喜びの表現だからだ。そしてうれしさとは自然に出てくるものでないと駄目だ。観察者として傍観するのではなく、主導者として表現しなければならない。そこに沖縄と本土の違いがある。著者は沖縄と本土の違いを考える。ところが核心をつこうとしてつけていない。著者自身が自身の本土から来た者としてのアイデンティティと沖縄に染まる理想を紐づけようとして苦心している様が本章からはよく分かる。だから本章は本書でも核となるのだ。

第三章「LCC」は、沖縄の航空事情について語る。今回の沖縄の旅でも私たちはスカイマークを使った。それだけに、著者の言いたいことが理解できた。東京都心部から成田空港へのアクセス時間や、成田から那覇へのLCCの発着の時間。LCCの誕生が沖縄本島へのアクセスだけでなく石垣島や宮古島への往来を楽にしたこと。沖縄へしょっちゅう行き来するという著者だからこそ書ける考察に満ちていたのが本章だ。

第四章「琉球王国と県庁」は、本書の中でも若干異質だ。少なくとも、本書のタイトルが表わすゆるさとは違う。硬派な内容で埋められている。基地問題と沖縄。地上戦と沖縄。本土の沖縄。米軍と沖縄。どれほど沖縄が観光で栄えようとも、それらの問題を忘れ去るわけにはいかない。そうした矛盾の中で沖縄はどう生きてきたのか。そして、これからどう生きようとするのか。それを著者は探っていく。本章からは、被害者としての沖縄だけではなく、したたかな沖縄の姿も見えてくる。

著者は沖縄を取り上げるライターとして、観光本も手掛けているそうだ。著者は観光地沖縄を扱いながらも、被害者としての沖縄を忘れていいのか、と自らに問う。また、同時に米軍基地の存在が沖縄に利益を与えている現状もきちんと踏まえる。理想と現実の両者を見つめながら、沖縄は生きていかなければならない。基地がいい、悪いといった単純な二元論に陥っていないところが評価できる。

「沖縄は戦争の犠牲になった。しかし、本土の人々が、加害者意識に縁どられた視線をいくら向けてくれても、沖縄の人が豊かになるわけではなかった。沖縄の人々がほしいのは、同情ではなく、島が生きていく方法論だった。」(147P)
この文は、基地の反対運動に奔走する運動家への問題提起になっている。沖縄=善、本土=悪という視点にこだわっていては導き出すのもむずかしいだろう。本書が朝日文庫に収められており、親会社が朝日新聞社である事を考えると興味深い。
今回の沖縄旅行の三日目の朝、私は県庁前あたりをうろついた。その前の夜は北谷のアメリカンビレッジにも訪れた。初日はひめゆりの塔やアブチラガマで戦地に立った。本章は、そうした私の経験にリンクした。この章も本書では見逃せない。

第五章「波照間島」もまた味わい深い章だ。波照間島という日本最南端の島。その地を「離島の離島」という言葉で描き出しつつ、そこを訪れる訪問者の心境を探ってゆく。著者の友人で「ウルトラマン研究序説」を編集した人物がいるという。その人物は結局自死の道を選んだそうだ。そして自死する前に波照間島をいく度も訪れていたとか。そして一人で凧を挙げていたことが紹介される。著者はその友人を感傷的に振り返る。離島の離島は果たして人生の終着駅になりうるのだろうか。

今回の旅では波照間島には行かなかった。が、那覇で訪れた居酒屋の名前が波照間だったこともあり、本書と私の旅のリンクは続く。

第六章「農連市場」は、再開発の波によって姿を消した農連市場の姿をカメラマンの阿部稔哉氏が写真に収めている。再開発された農連市場の横を通ったのは、旅行の二日目、美ら海水族館へと向かう時。外観もすでに新しい姿だったので、本書に収められたような姿はみられなかった。だが、旅の三日目に市場本通りとむつみ橋商店街を少し歩いた。両方ともに昔ながらの庶民的な雰囲気に満ちていた。おそらく在りし日の農連市場もこのような場所だったのでは、と推測できたように思う。

第七章「コザ」は、今や寂れてしまったコザを仲村清司氏が文章に著している。コザは沖縄市にあり、嘉手納基地の足元にある。日本返還前にコザ暴動がおこった場所でもある。そのコザはかつては米兵で大賑わいだったらしいが、今は閑散としているという。その歴史や今の現状をルポルタージュの風味で描いたのが本章だ。

旅の二日目の夜、沖縄在住の友人の一家と北谷のアメリカンビレッジで夕食を一緒に過ごした。アメリカン・ビレッジは繁盛しており、沖縄でも成功したショッピングセンターとして評価が高いようだ。訪れた私も家族もアメリカン・ヴィレッジの活気を楽しんだ。アメリカンのはビレッジはコザからそう離れていない。

私は夕食の場で友人にコザの今がどうなのか聞いた。すると、まだ夜のコザは華やかだと言って夜の様子を写真で見せてくれた。米兵が多数たむろする歓楽街として、コザは今も機能しているようだ。ただし、女性が行く場所ではないとか。

それは仲村氏が取材した後、コザが盛り返したためなのか。それとも仲村氏のルポのタイミングがたまたま寂れていた時間帯だったのか。私には分からない。だが、北谷アメリカンヴィレッジがこれだけにぎわっていることは確かだ。コザの賑わいがそっくり北谷に移っただけなのかもしれないし、そもそもコザを訪れたことのない私には判断できない。どちらにせよ、私は今までの三度の沖縄旅行でコザに行ったことがない。次回、沖縄を訪れたあかつきにはコザを訪れようと思う。友人の一家もコザの近くに住んでいることだし。

第八章「沖縄通い者がすすめる週末沖縄」
第九章「在住者がすすめる週末沖縄」の両章はタイトルそのままの内容だ。それほどページ数は多くない。だが、ガイドマップには載っていない情報なので面白いかもしれない。むしろ、著者の視点ではない沖縄が紹介されており、ためになる情報だ。本書の他の情報と同じく。

‘2018/03/26-2018/03/26


「月給百円」サラリーマン 戦前日本の「平和」な生活


佐藤愛子さんのエッセイを読み、ふと、大正・昭和の生活の実相が知りたくなった。それで本書を手に取った。

生活の実相とは、その場その時代を過ごしてみて初めて分かるもの。他人の書いた文章から時代の空気を掴もうにも、文章が視覚と論理のツールである以上、五感で知るすべはない。たとえその文章が佐藤愛子氏や永井荷風氏のような大作家によって書かれたとしても。

当時の生活の実相を伝える手段は文書だけでない。映像がある。映像は視覚に加え、聴覚でも情報を伝えてくれる優れたツールだ。だが、映像もまた、生活感を完全に再現することは叶わない。生活感とは風景や動き、音だけで成り立っていないからだ。人々の思いが集まり、凝縮した結果が生活感を醸し出す。人々の思いとは、日々の井戸端での会話、雑踏や車内での会話、ラジオの音声、生活音、温度や風、匂いなど、あらゆる存在の集合だ。そうした森羅万象の一切をあらゆる五感を駆使して私たちは感じ取る。それを生活感として覚え、時代の感覚を共有する。つまり、時代感覚とは文章や映像だけで伝えることは難しいのだ。

とはいえ、昭和初期の世相を記録した情報は映画を除けば文章しか残されていない。だから、後の世の私たちが昭和の世をしのぼうとすれば、当時のつづられた文章を読み解くしかすべがない。結局、当時を生きた人々が付けた日記や新聞・雑誌記事を引用して当時の生活を再現するしかないのだ。本書は当時の日記・書籍・雑誌・新聞から可能な限り当時の生活該当感じ取れるような記載を網羅し、深く掘り下げる。それによって今の読者に当時の生活感を提示する試みだ。永井荷風は長年にわたって断腸亭日乗という日記を付けたことで知られている。本書にも断腸亭日乗からの情報が数多く引用されている。

本書はまず、タイトルから目を惹かれる。月給百円のサラリーマンとはどういうものか。知られているとおり、今と昔では一円の価値にかなり開きがあった。その境目は昭和二十一年に実施された新円切り替え実施だ。その前の時代、一円の持つ価値とは今よりはるかに大きかった。本書ではそれを通説から二千倍と試算する。つまり「一円を笑うものは一円に泣く」という警句は文字通りの意味だったのだ。(もともとは一銭を笑ふ者は一銭に泣くだったそうだが)。

本書は六章からなる。
第1章 お金の話ー基準は「月給百円」
第2章 戦前日本の「衣・食・住」
第3章 就職するまで
第4章 サラリーと昇進の「大格差」
第5章 ホワイトカラー以外の都市生活
終章 暗黙の戦争支持

一章では、一円が今の二千倍の価値があったことを前提に、当時の庶民の金銭事情を事細かく紹介する。

この紹介がとても細かい。なにしろ、給与事情についての紹介で一章がまるまる費やされるのだから。読み通すにも意志が必要だ。著者も編集者も、退屈へのリスクを覚悟できっちりと実情を伝えなければと考えたのだろう。当時のお金の額面価値が現在の二千分の一程度であること、世間もその額面を基準に動いていたこと。そして、当時の月給取りの平均が月百円ではなく、もっと下だった事も教えてくれる。月給百円は当時の月給取りが目指すべき水準だったという。ところが、本書で紹介されている分析によると国民の九割が年収六百五十円以下だったという。

つまり月給百円とは、今でいえば一千万円の年収にあたるだろうか。ただ、その場合は今の額面価値と当時の価値が二千万との差が生ずる。月給百円を二千倍すれば年収は二百四十万だ。ということは今の時代で二百四十万円稼げれば、当時としてはまあまあ裕福な生活が送れたのだ。ところが承知の通り、現代では年収二百四十万ではかなり苦しい。その状況がさらに本書の理解を複雑にしている。

あらゆる指標や談話、小説(細雪など)を駆使して、著者は当時の相場観を読者に理解してもらおうと骨を折る。ところが、現代の読者が当時の生活感を理解しようと思うと、脳内で二回は変換が求められるのだ。それが結構、骨だ。著者もそのあたりは考慮してくれてはいる。が、一章を読み通すために強いられる二重の変換をやり過ごせるかどうかが本書を読み通せるかの鍵となる。

本書は月給や各種手当てを例に挙げながら、収入の実情を詳しく紹介してゆく。では、その収入で生活が成り立つための支出はどうなのか。もちろん本書はそれを詳しく紹介する。

第二章では衣食住を詳しく例に挙げる。当時のさまざまなメディアの報道を丹念に拾い集め、著者は当時の生活に必要な費用を洗い出してゆく。そこから分かるのが、当時の生活費が年収二百四十万程度でも成り立っていたことだ。その中では当時の借金事情も紹介している。それもまた興味深い。

第三章で扱うのは当時の学歴事情だ。大学進学率が今とは比べものにならぬほど低かった当時。帝大出がエリートの同義だったことは本章に詳しい。高歌放吟し、天下国家を語る。そんな学生の生態も、時代が下れば徐々に変質してゆく。その結果が二十年前の私であり今の学生だ。

ただし、当時の学歴事情で今とは明らかに違う点がある。それは帝大と私大の間に横たわる厳然たる壁だ。帝大がエリートである意識を保てたのも、その後の社会で断然たる差が付けられていたから。それは初任給の差であり、昇給の差に如実にあらわれる。第四章ではそのあたりの差異を細かく例に挙げて紹介する。本書によると私大と帝大の間に格差がなくなったのは、だいぶ時代が下ってからのようだ。また、本章で得られる知識として、なぜ司法界には私大の出身者が多いのかも解き明かしてくれる。それによると、当時は給与の低い司法職が人気がなく、人材難を防ぐために私大からも分け隔てなく募集採用したからだという。

ホワイトカラーでも帝大出と私大で天地の開きがあった当時。では、ホワイトカラーとブルーカラーではもっと開きがあったのでは、という分析が挟まれるのも本章だ。職業ごとの収入や生活が描かれる。自営業、軍人、売春婦などなどの生活の実態。私としても興味津々だ。

第五章で紹介するのは自営業についてだ。自営業は当時の社会で生活を成り立たせることができたのか。それは私のような人種には興味深い。しかも当時は今のような情報技術は未発達。となると、稼ぎ方にも自ずと制限が生じるはず。当時も請負の仕事はさまざまにあったことだろう。だが、どうやっていたのか。多分、ほそぼそと生計を立てて行くしかなかったと思う。今のような通勤ラッシュとは無縁の時代であり、勤め人から自営業へと転職する動機は薄かったのではないか。

そして終章だ。実は本書は「おわりに」がとても重要だ。そして「おわりに」に読者を導く前触れとして終章が肝となる。なぜか。それはサラリーマンの割合が拡大するにつれ、国民から世情への感度が鈍ってくる実情が描かれるからだ。今の立場を守ろうとする立場が強まり、すぐ未来に迫る危機への備えが薄くなる。その果てが五・一五事件であり、国家総動員法であり、戦陣訓なのだ。国家が右傾化してゆくそれらの動きに対して、当時の国民の動きはあまりに鈍く、むしろ委縮していたといってもよいぐらい。国民の不感症が日本を未曽有の敗戦に追いやった一因であることはいうまでもない。

実は著者が本当に書きたかったのはここだと思う。月給百円の価値観。そんな慎ましやかな国民が、なぜ国力の差を押し切ってまで無謀な戦争に突入していったのか。終章で著者は当時の人々の間に渦巻いた不満をすくいとってゆく。そしてその不満がどのようにして軍部の台頭を招いたのかを書く。私は本書ほど、戦前の一般庶民の生活を分析した本を読んだことがない。そしてその分析は何のために行われるのか。その理由は全て終章に収れんする。なぜ国民は戦争に協賛したのか。我が国が戦争に突き進んだのは、軍部の責任だけではない。マスコミや国民の後押しがあったからこそ、日本は戦争に進んでいった。それを忘れてはいけないし、今後の我が国のあり方に生かさねばならない。

「おわりに」で、著者は当時の我が国の状態が今の中国の状況と似ていると指摘する。そこに共通するのは社会的矛盾だ。今の中国の方は日本に対してある疑問を抱くのだという。その疑問とは、なぜ当時の日本軍はあれほどにまで残酷に振舞えたのか、ということだ。さらに、今の日本人といったい何が違うのか、と困惑するのだという。中国の方にそのような疑問をぶつけられた時、私たちは言葉を失う。実は私たちにもなぜか分からないからだ。曽祖父母の時代の日常の感覚など分かるはずがない。だから中国の方に聞かれても答えらるはずがない。問いを投げられた私たちも、その答えがわからず、プロバガンダのせいにして逃げてしまう。これでは溝は埋まりようがない。

当時の日本にだって、幸福な日々もあっただろう。善き人もいたはず。それと同時に不満も渦巻き、悪に手を染める者もいた。その不満が日本を無謀な戦争へと向かわせ、中国大陸で羽目を外させることになった。そして日本軍が中国大陸で成したとされる悪行が事実なのか、それともプロバガンダの産物なのかがいまだに争われている。そんな状況に対して著者はこう書く。

「私に言わせれば、数十年前の祖父母の時代の生活感覚が失われていることこそが、日中双方の「歴史認識の欠如」だと思うようになった」(261P)

冒頭にも書いた通り、当時の生活感を今知ろうと思っても文章しかすべがない。一般庶民の日常から当時を描いた文章は、現代の私たちの目に触れにくい。そして、戦前の世相を現代に伝える文書を書き得た人物は、社会でそれなりの影響力を持っていた。だから、当時の世相を描くにも高い地位からの視点から描き出されていた。その文章が一般庶民の実感を反映しているかというと心もとない。生活感のない戦前のイメージが後世に伝えられているといってもよいだろう。

だからこそ、私たちは学ばねばならない。今の矛盾を早めに解消し、再び日本に不満がたまらないように。暴発しないように。

それには本書の分析がとても役に立つ。社会の設計とはどうあるべきか。国の針路はどこで道を外れるのか。そこで後戻りできるような風潮はどうやって作り上げればよいのか。

本書に学ぶところは多い。冒頭こそ読みにくい本書だが、それを乗り切った先には、本書の真価が待っている。

‘2018/03/15-2018/04/02