日本の原爆―その開発と挫折の道程


「栄光なき天才たち」という漫画がある。かつてヤングジャンプで連載されており、私は単行本を全巻揃えていた。日本の原爆開発について、私が最初にまとまった知見を得たのは、単行本6巻に収められていた原爆開発のエピソードからだ。当時、何度も読み返した。

我が国では原爆を投下された被害だけがクローズアップされる向きにある。もちろん、原爆の惨禍と被爆者の方々の苦しみは決して風化させてはならない。そして、それと同じくらい忘れてはならないのは、日本が原爆を開発していた事実だ。日本が原爆を開発していた事実を知っていたことは、私自身の思想形成に少なからず貢献している。もし日本が原爆開発に仮に成功していたら。もしそれを敵国に落としていたら。今でさえ複雑な日本人の戦争観はさらに複雑になっていたことだろう。

本書は日本の原爆開発の実態にかなり迫っている。著者の本は当ブログでも何度も取り上げてきた。著者の筋の通った歴史感覚にはいつも信頼をおいている。そのため、本書も安心して手に取ることができた。また、私は著者の調査能力とインタビュー能力にも一目置いている。本書のあちこちに著者が原爆開発の関係者にインタビューした内容が引用されている。原爆開発から70年以上たった今、関係者の多くは鬼籍に入っている。ではなぜ著者が関係者にインタビューできたのか。それは昭和50年代に著者が関係者にインタビューを済ませていたからだ。原爆開発の事実を知り、関係者にインタビューし、原稿に起こしていたそうだ。あらためて著者の先見性と慧眼にはうならされた。

「はじめに」からすでに著者は重要な問題を提起する。それは8/6 8:15から8/9 11:02までの75時間に日本の指導者層や科学者、とくに原爆開発に携わった科学者たちになすすべはなかったのか、という問いだ。8/6に原爆が投下された時点で、それが原爆であることを断定し、速やかに軍部や政治家に報告がされていたらポツダム宣言の受諾も早まり、長崎への二発目は回避できたのではないかという仮定。それを突き詰めると、科学者たちは果たしてヒロシマに落とされた爆弾が原爆であることをすぐ判断できたのか、という問いにつながる。その判断は、技術者にとってみれば、自分たちが作れなかった原爆をアメリカが作り上げたこと、つまり、技術力で負けたことを認めるのに等しい。それが科学者たちの胸の中にどう去来し、原爆と認める判断にどう影響したのか。そしてもちろん、原爆だと判断するためには日本の原爆開発の理論がそこまで及んでいなければならない。つまり、日本の原爆開発はどの程度まで進んでいたのか、という問いにもつながる。

また、著者の着眼点の良さが光る点がもう一つある。それは原爆が開発されていることが、日本の戦時中の士気にどう利用されたか、を追うことだ。空襲が全国の都市に及び始めた当時、日本国民の間に「マッチ箱一つぐらいの大きさで都市を丸ごと破壊する爆弾」を軍が開発中である、とのうわさが流れる。「広島 昭和二十年」(レビュー)の著者が著した日記の中でも言及されていたし、私が子供のころ何度も読んだ「漫画 日本の歴史」にもそういったセリフが載っていた。このうわさがどういう経緯で生まれ、国民に流布していったか。それは軍部が劣勢の戦局の中、国民の士気をどうやって維持しようとしたか、という考察につながる。そしてこのようなうわさが流布した背景には原爆で敵をやっつけたいという加害国としての心理が国民に働いていたことを的確に指摘している。

うわさの火元は三つあるという。学者の田中館愛橘の議会質問。それと雑誌「新青年」の記事。もう一つ、昭和19年3月28日と29日に朝日新聞に掲載された科学戦の様相という記事。それらの記事が国民の間にうわさとなって広まるまでの経路を著者は解き明かしてゆく。

そして原爆開発だ。理化学研究所の仁科芳雄研究室は、陸軍の委嘱を受けて原爆開発を行う。一方、海軍から委嘱を受けたのは京都帝大の荒勝文策研究室。二つの組織が別々に原爆を開発するための研究を行っていた。「栄光なき天才たち」でも海軍と陸軍の反目については触れていたし、それが日本の原爆研究の組織的な問題点だったことも描かれていた。本書はそのあたりの事情をより深く掘り下げる。とくに覚えておかねばならないこと。それは日本の科学者が今次の大戦中に原爆の開発は不可能と考えていたことだ。日本に作れないのなら、ドイツにもアメリカにもソ連にも無理だと。では科学者達は何のために開発に携わっていたのか。それは二つあったことを関係者は語る。一つは、例え原爆が出来なくても研究することに意義があること。もう一つは、原爆の研究に携わっていれば若い研究者を戦場に送り出さずにすむ計算。しかし、それは曖昧な研究への姿勢となり、陸軍の技術将校に歯がゆく思われる原因となる。

仁科博士が二枚舌ととられかねない程の腹芸を見せ、陸軍と内部の技術者に向けて違う話を語っていた事。複数の関係者が語る証言からは、仁科博士が対陸軍の窓口となっていたことが本書でも述べられる。著者の舌鋒は仁科博士を切り裂いていないが、仁科博士の苦衷を察しつつ、無条件で礼賛もしないのが印象的だ。

また、実際に原爆が落とされた前後の科学者たちの行動や心の動き。それも本書は深く詳しく述べている。その中で理化学研究所出身で陸軍の技術将校だった山本洋一氏が語ったセリフがは特筆できる。「われわれはアメリカの原爆開発を疑ったわけですから、アメリカだって日本の技術がそのレベルまで来ているか、不安だったはずです。そこで日本も、原子爆弾を含む新型爆弾の開発に成功したのでこれからアメリカ本土に投下する、との偽りの放送を流すべきだったのです。いい考えではありませんか。そうするとアメリカは、たとえば長崎には投下しなかったかもしれません」(186ページ)。著者はこの発想に驚いているが、私も同じだ。私は今まで多くの戦史本を読んできたが、この発想にお目にかかったことはなかった。そして私はこうも思った。今の北朝鮮と一緒じゃねえの、と。当時の日本と今の北朝鮮を比べるのは間違っている。それは分かっているが、チキンレースの真っただ中にいる北朝鮮の首脳部が戦意発揚に躍起になっている姿が、どうしても我が国の戦時中の大本営に被ってしまうのだ。

山本氏は8月6日にヒロシマに原爆が投下された後、すみやかにアメリカの国力と技術力から算出した原爆保有数を算出するよう上司に命じられる。山本氏が導き出した結論は500発から1000発。その計算が終わったのが8月9日の午前だったという。そのころ長崎には二発目の原爆が炸裂していた。また、広島へ向かう視察機に搭乗した仁科博士は、搭乗機がエンジンの不調で戻され、ヒロシマ着は翌八日になる。つまりここで冒頭に書いた75時間の問題が出てくる。ヒロシマからナガサキまでの間に意思統一ができなかったのか、と。もっとも戦争を継続したい陸軍はヒロシマに落とされた爆弾が原爆ではあってほしくなくて、それを覆すためには確固たる説得力でヒロシマに落とされた爆弾が原爆であることを示さねばならなかった。

そして科学者たちの脳裏に、原爆という形で核分裂が実証されたことへの感慨と、それとともに、科学が軍事に汚されたことへの反発が生じること。そうした事情にも著者はきちんと筆を割き、説明してゆく。

それは戦後の科学者による反核運動にもつながる。例えばラッセル=アインシュタイン宣言のような。そのあたりの科学者たちの動向も本書は見逃さない。

「おわりに」で、著者はとても重要なことをいう。「今、日本人に「欠けている一点」というのは、「スリーマイル・チェルノブイリ・フクシマ」と「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」とは、本質的に歴史的意味がことなっていることを強く理解すべきだということだ。この二つの構図を混同してはならないと自覚しなければならない」(258ページ)がそれだ。私もそのことを強く思う。そしてぼんやりと考えているとヒロシマ・ナガサキ・フクシマを同列に考えてしまいかねない罠が待ち受けていることにも思いが至る。

もう一つ「日本での原爆製造計画が実らなかったために、私たちは人類史の上で、加害者の立場には立たなかった。だが原発事故では、私たちのこの時代そのものが次の世代への加害者になる可能性を抱えてしまった」(260ページ)という指摘も重要だ。下手に放射能被害の不安を煽ったりする論調には反対だし、私は事故後の福島には三度訪れている。だが、煽りに対して反対することと、原発事故からの教訓を読み取る必要性は分けるべきだ。

「あとがき」で著者は重ねて書いている。「本書は、あえて日本の原爆製造計画という、日本人と原子力の関係の原点ともいうべき状態を改めて確認し、そこに潜んでいた問題をないがしろにしてきたために現在に繋がったのではないかとの視点で書いた。」(266P)。この文章も肝に銘ずる必要がある。いまや日本の技術力は世界に冠たるレベルではなくなりつつある。このまま日本の技術力が地に落ちてしまうのか、それとも復活するのか。それは原発事故をいかに反省し、今後に生かすかにかかっている。海外では雄大な構想をもつ技術ベンチャーが増えているのに、日本からはそういう風潮が生まれない。それは原爆開発の失敗や敗戦によって萎縮してしまったからなのか、それとも原発事故の後遺症によるのか。問うべき点は多い。

‘2017/11/21-2017/11/23


ワーキング夫婦について


 最近、女性の仕事環境についての話題に事欠きません。

 サイボウズさんのワーキングママを応援するCM「大丈夫」の反響や、フリーアナウンサーの長谷川豊さんのブログ「保育環境を整えれば子供を産む、という大ウソ」への反論など。安部内閣も少子化問題に取り組む姿勢を見せていますし、株式会社ワーク・ライフバランスさんの活躍も目覚ましいものがあります。つい最近は、マララ・ユスフザイさんがノーベル平和賞を受賞し、講演の感動も記憶に新しいです。

 私は、色々な会社の様々な組織に身を置いてきました。その中には、私より遥か上の能力と意欲を持つ女性も少なくありませんでした。そしてそれらの方々が、結婚で退職し、一番脂の乗った時期を子育てに費やすのを
目の当たりにしてきました。また、職場が一緒だった訳ではありませんが、私の母も、妻の母も、そして妻も結婚出産を機に研究者という立場を諦めねばなりませんでした。彼女たちの心中には、男の私からは想い及ばぬ悩みや苦みがあったことでしょう。そんなこともあり、私はだいぶ以前から女性の仕事環境については関心を抱いてきました。

 上に挙げたこのところのトピック。これらは、いずれも人口問題と関わりを持っています。日本においては、切実な少子化の危機が叫ばれています。識者の意見も手段こそ違えど、少子化対策の必要性を訴えています。マララさんが訴えるイスラム文化圏に顕著な女性蔑視も、武闘勢力の視点からは、軍人増加の為の正当な理由なのでしょう。女性が社会進出すると出産や子育てに従事する母数が少なくなりますから。軍隊は軍人で成り立っています。軍人の数が少なくなることは、軍隊を組織として維持する上で危機となります。

 日本の少子化問題も実は同じような構造を持っています。このまま出生率が悪化すると、上の世代を支える下の世代が負担に耐え切れず、社会の仕組みが崩壊しかねません。戦闘にこそ従事しないとはいえ、社会基盤を支える戦士の維持という意味では、イスラム文化圏のそれとあまり違わないのかもしれません。つまり、少子化問題とは、突き詰めて考えると、組織の中の年齢層のバランスが歪なことに問題があるのではないでしょうか。子供が少ないこと自体が問題ではないようです。

 とはいえ、女性の立場に身を置いて考えてみると、今の状況の理不尽さを改善したい思いも分かります。組織の維持と、なりたい自分への思いを両立させることは困難です。

 どうやれば、女性が社会に進出でき、しかも出生率を向上させられるのか。育児施設や助成金によって、出産できるだけの基盤を国が整備することも必要でしょう。職場復帰に向けての職場の取組も大切でしょう。

 でも、私が思うにはは、一緒に育児するパートナーの理解と存在が不可欠だと思います。上に挙げたサイボウズさんのCM「大丈夫」には、それが如実に出ていると思います。最後までここにはパートナーである夫が登場しません。全ての負担が母である妻に掛かっているかのような演出になっています。ムラ社会も消滅し、近隣同士での育児助け合いが出来にくくなっている今、この演出は、実感として迫ります。

 最近は、サイボウズの青野社長を始め、イクメンと呼ばれている人々が増えつつあります。全休・半休などの育休を一定期間取り、家事・育児に協力するパパ。素晴らしいことです。しかし、一般の組織は、まだイクメンに対して意識が希薄です。積み重なる決裁書類、連続する会議、会議の前には資料をそろえ、会議の後には次の施策への準備。次々と迫りくるタスクを捌くのはその方の自己責任です。とはいえ、育休を取って、それらの業務リスクを増やすことに理解ある会社がどれほどあることでしょうか。体制を厚くし、タスクを分担して行える組織はまだよいです。しかし、実際は予算の問題で人員を増やすことは難しい組織がほとんどではないでしょうか。

 しかし、これらを克服しないと、その組織の生存すら危うくなっていることに気が付かねばなりません。組織が相手とする市場・社会が少子化によって崩壊してしまえば、その組織も生きてはいられません。今の自分が充実していれば、あとの世代は知ったこっちゃない、と吼えてみたところで、自分の一生を賭けて叩き出した成果が消滅することになっても尚、今の仕事に邁進できるでしょうか。

日本人は勤勉で、与えられた仕事に対しての責任感も高いと思います。これは素晴らしい美徳ですし、後世につなげていかねばなりません。しかし、この勤勉さが、パパさんの育休取得の妨げとなっているように思えます。それには、組織のトップや管理職の人々が垂範して、組織の考え方を変えていかねばならないと思います。

 働くママさんの社会進出と同じぐらい、働くパパさんの家庭大切が必要。そう思います。

 上に挙げた長谷川さんのブログではどちらかが専業主婦/主夫になることを提唱されていました。そこまでやる前に、まずはパパとママの二人が毎日定時に上がれ、必要な時に休みが取得できる。まずはここから始めてみないと。