弊社は、福島を応援します。(10/2版)


10/1

7:00-9:50

目覚ましなしで朝を迎える。かなり楽しく飲んだが、あまりアルコールは残っていない。

昨日の朝と同じく、無料の朝食サービスで腹ごしらえ。ここの朝食サービス、スープがうまい。

さて、今日をどうすごすか。大町商店街での宝探しイベントにも行きたい。あと、銚子ケ滝は必訪だ。さらにはお勧めいただいた達沢不動滝にも足を延ばしたい。さらには湖南公民館でマンホールカードをコンプリートするミッションも発生中。そもそも私にそのミッションを授けた開成館で安積疎水について見聞を深めねばなるまい。だが、宝探しイベントの開始は11時からと遅めだ。さてどうする?

作業もあったので、それをこなしつつ、作戦を練り、カーシェアリングの予約を完了させる。結局あれやこれやでホテルをチェックアウトしたのは9:45。カーシェアリングの予約は9:50。実はカーシェアリングの駐車場はホテルから50メートルしか離れていない。

9:50-11:15
駐車場で私を待っていた相棒
カーシェアリングを使うのは今回が初めてだ。郡山に来る前日の昼に紀尾井町にある受付カウンターでカードも作っておいた。ウェブからの予約も順調に終わる。予約したのはHUSTLER。車にはうとい私もアラレちゃんでお馴染みであることは分かる。だが、HUSTLERの形がよく分からない。車が見つからず、広大な駐車場をウロウロする羽目に。今回の相棒は昨日に続いて赤色。野郎一人のドライブとしてはなかなか勇気のいる色合わせ? ま、私はあまりそういうの気にしないたちだが。

私の作戦はこう。まず開成館に行って建物をじっくり。それから街の中心部にもどってイベントに参加し、そこから湖南公民館や滝方面に向かうというもの。

松方正義卿による茂松清風舎の扁額

開成館外観
開成館扁額
そして訪れた開成館。おととい受付にいらっしゃった親切なおじさんの姿はなかった。でも、開館したての敷地には清新の気が満ちている。敷地内には数棟建物が。それぞれの建物は中にも入れるようだ。そして中では明治初頭の暮らしが実感できる。そこには明治政府の要人が何人も宿泊した記録が残され、そこかしこに揮毫の書や掛け軸が飾られている。開成館とその周囲の建物が安積地域にとって重要だった事が見て取れる。この開成館を拠点に、明治政府の一大事業、安積開拓は行われた。開成館の前庭には、ざくろの木が実を成らせていた。
開拓の 成果を語る ざくろの実

展示の中の一つ。猪苗代湖と郡山市街地
そもそも安積開拓とは何かというと、古来この地はあまり水利が良くなかった。阿武隈川の水は引き上げねばならず、当時の技術では困難。一方、すぐ近くには猪苗代湖という巨大な水瓶が満々と水をたたえている。この水を利用すれば、この地は肥沃な地に一変し、日本にとって重要な穀倉地帯となるに違いない。これが明治政府の思惑だ。そして大久保内務卿の肝いりの政策といっても良い。だからこそ何人も明治政府の要人たちが訪れたのだ。何十キロもかなたの湖から水を流す水路を通すわけだから 、当時の日本にとっては一大事業であったことは容易に想像できる。

こういった知識は全て、開成館の展示で知った事だ。ここに書いたことの100倍以上の情報量が、開成館には詰まっていた。そしてそれが私の計画を狂わせる事になる。あまりにも展示が充実しているので、私の予定時間を過ぎても観きれないのだ。

だが、安積開拓を知らねば、郡山を知った事にはならない。ここはどうしても観ておきたい。そんな訳で、私の観覧時間はどんどん延びてしまい、これでは滝にも行けない恐れがでてきた。

そんな訳で、予定を変更。イベントの参加は後回しにする。そもそも今回の郡山訪問はイベント実施の話から始まった話。イベントに参加しないとなると主客転倒になってしまう。正直言ってかなり迷った。が、逡巡の末、滝を優先する。これが功を奏したかどうか。。。はこの後の私の行動次第。

11:15-12:10

予定を大幅に超過してしまったが、作戦変更した私は開成館を出る。実は時間があったら安積歴史博物館や郡山市歴史資料館への訪問も考えていたのだが、開成館の展示があまりに充実していたのでパス。だが、開成館の展示だけでも郡山市がなぜ県庁所在地である福島市を差し置いて県下第一の商業都市となったか理解できた気がする。
開拓地 実りの秋に kintone

さらに理解できたのは、なぜこの地への風評被害に心を痛める方がいるのかについて。それは、汗水垂らして開拓を成し遂げた先祖への申し訳なさではないだろうか。安積の地が平静なのに、いわれなき風評被害を受け、科学的評価が定まっていないうちから人体への影響をうんぬんされ、それがために県外の方に忌避される。それは、先祖から脈々と受け継がれた開拓の精神からすると到底受け入れられない事に違いない。

猪苗代湖が安積地域に果たした役割を知ったところで、それでは、明治の先人達が安積発展の希望とした猪苗代湖へと、いざ向かわん!

開成館からはひたすら西へ。これが結構遠い。距離にして30キロほど。急峻ではないが、山道もトンネルもそれなりに通る。この距離と勾配をモノともせずに疎水を開通させた先人の苦労がしのばれるというものだ。そして道中には農地が広がっているが、それら畑は放棄されず、稲穂を実らせていたこと、休耕地のような荒地めいた風景には出会わなかったことも書いておきたい。ここで農地保全の努力が放棄されているようなら、今回、私が書いてきた事がうそになってしまう。だが、風評被害にも負けず、栽培から収穫までの一連の作業が営まれている事に安堵を感じる。

収穫の風景は、三森トンネルを越えたあたりからいよいよ顕著になる。福島県を縦に三本に割ると、東から順に浜通り、中通り、会津と分けられるが、三森トンネルは、会津と中通りの分水嶺となるのだろう。そして農村風景は続く。しかし、猪苗代湖のきらめきには行けども巡り合えない。この付近の地形については、私のような訪問者には一筋縄では行かないらしい。

湖南公民館の特徴的な外観
そうしているうちに目的地である湖南公民館に到着。ここでは2枚目となるマンホールカードが配られている。係の方も心得たもので「台紙要りますか?」と声を掛けていただく。台紙はすでに開成館で入手していたのでお断りし、2枚目となるマンホールカードをいただいた。湖南公民館にはマンホールを立派なパネル状にしたものが置かれ、全国マンホールカード発行の告知ポスターまで貼られていた。

さて、マンホールカードを入手した事で、続いては猪苗代湖だ。HUSTLERを駆ってむかったのは、青松浜湖水浴場。

猪苗代湖と磐梯山
駐車場に乗り付けた私の眼前に、猪苗代湖の水面が横たわる。その彼方には一目で磐梯山とわかる山塊が水と空をくっきりわけている。空と山と湖。この三つが調和し、溶け合い、自然の持つ味わい本質を携えて私の前に展開されている。紛れも無く福島の象徴。私の前に降臨したのは、度重なる戦乱や噴火や地震や事故の中、一貫してあり続ける自然の姿。

空と山と湖を前に英気を養う相棒
ここに、HUSTLERの赤をアクセントとして加える事で、この完璧な調和を乱す事にならないか。いろいろ撮影アングルを変えて試して見たがどうだろう。一番マシと思える一枚を載せてみる。

HUSTLERと猪苗代湖と磐梯山
かつて、この山が大爆発を起こした際、ここからの眺めはどんなものだったか、想像せずにはいられない。いま、湖面には水上スキーヤーがボートと疾走し、天鏡湖とも言われる猪苗代湖の湖面を波立たせる。それすらもこの調和を乱すことはない。一点の曇りもないこの風景。これこそが福島や郡山や会津の人々の心のよりどころとなって来たことが実感できた一瞬だった。
磐梯を まばゆく飾る 稲穂かな

12:10-12:50

稲穂の中の紅一点
あまり時間もないので、HUSTLERのエンジンを始動し次の目的地へと向かう。が、走り始めてすぐ、輝くばかりの稲穂たちに囲まれる。ここにHUSTLERの赤をなじませてみたくなった。昨日は小柄な自転車の赤だったが、今日は大柄なクルマの赤を。うん、似合うかも。
磐梯を まばゆく飾る 稲穂かな

湖岸から見える湖そして山
湖岸を北上する私の視野には、常に磐梯山と猪苗代湖のペアがついて回る。切っても切れない関係。砂浜や船着き場や畑が現れては去って行くが、主役となる両者は相譲らず。常に視界に陣取って私を魅了しつづける。
青色を 湖面と空と 競いあい

やがてHUSTLERはT字路へと至る。左に折れると猪苗代町内や会津若松へと至る道。そちらの方角にも興味深い出会いがあるはず。が、今日は素直に右に折れる事にする。そしてすぐに上戸駅という看板を見つける。これはJR磐越西線の駅のようだ。今回の旅では機会があればこの辺りの小さな駅にも行こうと思っていたので寄ってみる。

上戸駅舎箱型の駅舎に単線ホームが伸びる単純な構造。だが、これがいい。そっと集落の一員として溶け込んでいる様が。実はこの駅は旅客としてかつて通り過ぎたことがある。12年ほど前に、友人と二人で八王子、小渕沢、小諸、姨捨、長岡、新潟、会津若松と一泊二日の旅を楽しんだ。新潟から会津若松まではSLばんえつ物語というイベント列車に乗り、会津若松から郡山で乗り換えて東北新幹線で帰った。その際、確かにこの上戸駅は通ったはず。上戸駅の駅名標
だが、全く記憶にない。ついでに言えば、その際に乗り換え駅として利用したはずの郡山駅の記憶も全く残っていない。当時は全く郡山の街にも駅にも興味がなかったことが分かる。その当時の写真を出して見ても、猪苗代駅の次の写真が池袋なのだから。猪苗代湖の湖面もおぼろげに記憶はあるが、じっくり見ずに通り過ぎただけだった。あかべぇの書かれた車両が発車する瞬間

だが、今回はしっかりと猪苗代湖、そして上戸駅を心に刻んだ。写真を撮っているとちょうど郡山行きの列車がやって来た。側面に会津若松のマスコットあかべぇが描かれた車両だ。黒みの車体が何だか似合っていてかわいい。車掌さんも女性だし。

12:50-13:50
磐梯熱海駅構内
次に車に乗って向かったのは、磐梯熱海駅。この駅は東北の駅百選にも選ばれている。なので寄ってみるつもりだった。熱海という名には由来があって源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした合戦の後、磐梯熱海駅舎鎌倉出身の武士が地元の熱海の名を付けたのが始まりだという。つまり、安積開拓の行われるはるか以前から、郡山にも土地の名所はあったのだ。ここは覚えておかねば。磐梯熱海駅の駅名標

磐梯熱海駅の足湯
駅前には足湯が設けられ、のどかな時間が駅前を覆っている。駅舎にもホームにも入って撮影した。誰もホームで電車を待っておらず、百選の駅らしからぬ人気のなさ。個人的には自由にホームを歩きまわれたので問題ない。が、これは2011年3月以前からも変わらぬ光景なのだろうか。少し心配になる。

13:50-15:20
続いて向かったのは銚子ケ滝、昨日の乙字ケ滝に続いて日本の滝百選に選出された滝だ。カーブ続きの山道を登ったところ駐車場があったが、駐車場から上に登ると車道が。そしてその車道をさらに登ることになる。それならこの車道を車できたほうが早く行かれるんじゃね?ということで、カーブ続きの山道を戻り、郡山市ふれあい牧場の敷地にはいる。その中を突っ切ると、先ほどの車道を通って銚子ケ滝入り口へ。ここからもさらに20分ほど山道を歩く。たまに人にすれ違う以外は、一人の山歩き。そしてこのあたり、熊が出没するそうで。熊出没注意の看板
うーん、出遭った時はその時。と覚悟を決めて山道。ここからは安達太良山への登山道にもつながっているのね。時間があったら登ってみたい。が、私の思いとは裏腹に、道は急激な下りに。これがまた、実にきつい下りだった。鎖場も途中にあるほどの急坂。入り口に軽装禁止と注意書きされていたのが良く分かる。
熊の住む 道行く声も 高らかに
誰一人 見えぬ山道 息荒く

銚子ヶ滝
それだけの苦労の甲斐あって、眼前に見る銚子ヶ滝は見事。途中にある大岩に水流がぶつかり、水がぶわっと広がりつつ落下する。その形が酒を入れる銚子のように見える。自然の造形の妙が味わえる滝といってよいだろう。私にとって銚子ヶ滝は日本の滝百選の中で訪れた21箇所目。その中でもこちらは形のユニークさとアプローチの急峻さで記憶に残るに違いない。

帰路には、森閑とした木立の向こうできつつきが立てる音を生で聴く。得がたい経験。
きつつきの リズムにしばし立ち竦む

誰も居ない山道を急ぎつつ、私の頭には次の行動をどうするか目まぐるしく考えていた。すでに時刻は15:10。ここで今日の行動を終了させるのか。それともあと一つ達沢不動滝にも足を向けるか。

15:20-17:15
車に戻った私は、車のカーナビで達沢不動滝の位置を探す。すると、ここからそんなに離れていないことを知る。これは、、、、行けるかも!

HUSTLERには少々酷だが、カーブの度にタイヤが悲鳴を上げる。ふれあい牧場までかっ飛ばす。そしてカーブ続きの山道を登り、裏磐梯の高原地帯を一路、達沢不動滝まで。この道路もじっくり運転すれば見ごたえのある景色が続いていたが、私にはただ達沢不動滝しか見えない。かなりの速度で突っ走る。

私の無茶な運転は、達沢不動滝前の駐車場で終わりを告げる。そこから渓流と木立に沿った道を走る。居合わせた10数名の人に、走る私はさぞや人目を引いたことだろう。

不動堂
が、不動堂を前に先客が。足腰の不自由な年配の方が杖をつき、介添えの方二人と一緒に歩を進めている。ここで、私も深呼吸。17:30までにHUSTLERを郡山駅東口のカーポートに返さなければという焦りはあれど、ここで強引に前を行くのは諌めなければ。自分の運の強さを信じ、まずは不動明王の碑に向かって一礼。そして前の二人を待ち、滝へと踏み出す。

達沢不動滝
達沢不動滝。実に端正な滝姿だ。巨大な一枚岩の幅の全てに水が流れ落ち、滝と岩が一体となっている。そしてこの造形には人の手は関わらず、自然によるものだ。この姿を見て仏性が宿っていると古人が考えたのもうなづける。私もしばし滝の前に立ち尽くし、時間のたつのも忘れ、ただ見とれる。だが、よくよく見ると一見すると端正なこの滝だが、滝つぼにあたる岩の前には大小の岩が並んでいる。おそらくは上流から運ばれてきた岩なのだろう。角も粗削りで、険のある様子。端正なだけではないこの滝の本性を見た気がする。不動明王をこの滝になぞらえた事も納得。
端正な 滝の本性 壺の岩
先駆けて 寒気に慣れし 紅葉かな
滝打たれ 巌の末も 砂ならん

じっくりと滝を見ていると、奥まったところにもう一つの滝も見える。よくみると「女滝」という案内板も掲げられている。なるほど、先に見たほうは「男滝」に当たるのか。「女滝」のほうは奥まったところで縦に長く水が糸を引いているような姿をしている。二つの滝の比較にも興が湧く。対比の妙が楽しめることもポイントが高い。

さて、離れがたいが、そろそろ行かなくてはならない。レンタカーをの延長は避けたいところ。

HUSTLERに最後の一踏ん張りをお願いし、郡山市街まで車を駆る。 行楽帰りの車が多く、渋滞っぽい速度減もあったが、17:15に無事に到着する。返却期限の15分前には到着出来た。それにしてもカーシェアリングは初めて利用したが、カーナビの仕組みをうまくビジネス用途に改造している。これもkintoneと連携したいと思いたくなる。

さて、郡山に戻ったからには、イベントに顔を出さねば。。。という望みは、実はすでに潰えていた。郡山市街に向けて最後の工程に入る前にウェブで調べたのだ。終了15:00だとか。申し訳ない。

だが、最後にまざっせプラザに行って後片付けの現場で一言ご挨拶出来れば。。。と思ってまざっせプラザに着いたら普段通りの平常営業モード。果たしてイベントやってた?という感じの。店の中には昨日と一昨日お世話になった皆様がいらっしゃったので、一言声掛けて行こうか迷ったのだが、わざわざどうかと思って声をかけずに去る。こう言うのって多分都会の人間の駄目なところなんやろなあ、と後から反省する。でも、まざっせプラザの皆様にはいい郡山の印象を与えて頂き感謝。そして、それを潮に離れがたく思っていた郡山を去る決心をつける。

The Bar Watanabeの前を通り、フルーツたっぷりカクテルで店構えが引かれるAikaにも寄りたかったが、我慢して駅へ。郡山駅コンコースに掲げられている歴程

郡山駅で買った切符のつり銭
駅では郡山の思い出をモノで残そうと、お酒やお土産を買う。そしていよいよ切符を買う。すると戻ってきたのは十円玉数枚。しかも全て新品の。郡山を去るにあたって新品の銅貨が戻ってきたことに何かの示唆を感じる。これはまた郡山に来るということを示しているのではないか。帰りに乗ったはやぶさ

郡山から帰って数日の後、高幡不動を訪問した。高幡不動は新撰組に縁のある地。すなわち会津に縁のある寺だ。そこに何かの機縁を感じ、私も郡山駅で得た新品の10円玉数枚を賽銭として使った。

そのご縁からか、再び郡山に訪れることになった。訪れるのは11/12、13の両日。私が郡山で話した何がしかが評価を頂いたのか、それとも10円玉に込めた思いが通じたのかは分からない。でも、一つだけいえるのは、再度郡山に呼んでもらったからには、また全力でお話をさせていただこうと思う。

地図集

コンフォートホテル郡山から郡山駅東口駐車場への経路

郡山駅東口駐車場から郡山市開成館への経路

郡山市開成館から湖南公民館への経路

湖南公民館から青松浜湖水浴場への経路

青松浜湖水浴場から上戸駅までの経路

上戸駅から磐梯熱海駅までの経路

磐梯熱海駅から銚子ヶ滝入口駐車場への経路

銚子ヶ滝入口駐車場からふれあい牧場入口までの経路

銚子ヶ滝入口からふれあい牧場までの経路

ふれあい牧場から達沢不動滝への経路

達沢不動滝から郡山駅東口駐車場への経路

郡山駅東口駐車場からまざっせプラザへの経路

まざっせプラザから郡山駅への経路


弊社は、福島を応援します。(10/1版)


10/1

7:00-11:00
前夜は結構度数の強い酒を飲み、かなり酔っ払って寝てしまった。だが、目覚ましもなく起きる。10月の朝を迎え、昨晩やり残した月初仕事も終わらせてしまわねば。そんなわけで朝から仕事に精を出す。そしてこちらのコンフォートホテル、朝ごはんが無料で食べ放題。これは結構重宝した。

さて、朝から仕事をしながら私の心はかなり揺れていた。乙字ヶ滝に行くべきか見送るべきか。実はそのことについては郡山に来る10日ほど前から決めかねていた。kintone Café 福島 Vol.1の開演時間は15:00。そして会場となるco-ba koriyamaは駅からかなり離れている。自転車の返却期限はセミナー開催中にあたるので、その前に返しておかねばならない。つまり会場へはタクシーかバスか歩きで向かう必要がある。その時間も見ておかないと。一方、乙字ヶ滝へは片道19km。自転車で行けない距離ではない。そして、次に郡山に来られるのはいつになるか分からない。であるなら、今行かねばいつ行くのか。明日やろうは馬鹿やろう、だ。即断即決と猪突猛進の精神を発揮!

そんなわけで、昨日に続いてまざっせプラザへ。昨日はお見掛けしなかったお姉さま方に自転車の貸し出し手続きをお願いする。そしてお姉さま方はとても親切だった。15:00にco-ba koriyamaに行かねばならない旨を伝えると、その場で会場までの行き方を案内してくださった。しかもそこに行くためのバスの時刻表を調べてくださるとか。さらには昨日紙で作った会員証もラミネートまでしてくださるとか。そして全ての作業は私が自転車を返しに戻るまでに進めておいてくださるとか!すげえぜ!まざっせプラザ!やるな郡山!もはや私の抱く郡山への好感度は盤石の物に。

さて、顔中にまざっせプラザへの感謝の意を浮かべながら表に出た私は、力強くペダルを漕いで出発する。昨日借りたのはママチャリだったが、今日は少しスポーティーな赤い自転車。私の脚力を託すに相応しい相棒だ。ともに目指すは19キロ先の乙字ケ滝。4時間で戻ります!いや、戻らねば!

11:00-12:00
安積永盛駅北側ですれ違った貨物列車ここから私の旅路は南へ。県道17号線(旧国道4号)を南に下る。途中安積永盛駅へ寄り道しながら、須賀川市境で国道4号線へ合流。ここからは緩やかなアップダウンが続く国道沿いを疾走する。正直、私の脚力については全く不安はなかった。だが、もしタイヤがパンクしたら、チェーンが外れたら、という恐れがなかったといえばうそになる。でもここは自分の運と想いの強さを信ずるのみ。

この旅は自転車が頼り。それゆえ、悠長にタブレットの地図を見る間がない。まざっせプラザでいただいた大まかな地図を見ながらの旅となる。しかもその地図は郡山の地図。なので、須賀川市の詳細が全く分からない。そんな訳で須賀川市内ではかなりの迷走を余儀なくされた。後日確かめたところ、私の走ったルートは市内をかなり迷走していたようだ。末尾に地図をつけているのでもし興味があれば参照していただければと思う。だが、迷走もやがて国道118号線にたどり着き、終わりを迎える。迷いながらも私は始めて訪れる須賀川市に興味津々だ。道中には円谷幸吉記念マラソン大会の看板も掲げられている。須賀川市はウルトラマンの生みの親こと円谷英二氏で有名だが、悲劇の自死を遂げた円谷幸吉氏のふるさとでもあったのだ。両名は名字が同じだけでなく、同じ市内のご出身であることを知る。

沿道に並ぶ果実屋さん須賀川牡丹園を過ぎた辺りから、沿道には急に果物屋の路面店が立ち並ぶ。実はその時まで福島県がフルーツ王国である認識が抜け落ちてしまっていた。だが、この果物屋の立ち並ぶ様は、ここが果実生産の盛んな地であることを示すのに十分だった。このあたりの店主の皆様は風評被害にも負けず、がんばって営業されている模様。シャッターが下りている気配は感じられない。頑張って欲しいと思いながら通り過ぎる。ももがとてもおいしそうだったが、こちらは往復38キロを時間までに走破せねばならぬ身。皆さんが頑張っていることをブログに書くことを誓い、通り過ぎる。

橋の上から見る乙字ヶ滝そして、さらに進むと乙字ヶ滝の案内が。118号線を逸れ、少し下ると大きな橋が行く手に見える。どうもここが乙字ヶ滝のようだ。はて?日本の滝百選を擁する場所にしては広がりのある空間。どこに滝が?と思う間もなく、橋の上から見えるは滝の怒涛が散らす水しぶき。滝音も聞こえてくる。長さ100メートルほど、高さ10メートルの橋から見下ろす滝は、落差よりも広がりに見所があるようだ。橋の向こうには観光バスが停まっており、近づくと石碑も立っている。

乙字ヶ滝の石碑ここがまぎれもなく乙字ヶ滝。無事到着したようだ。時刻は12時少し過ぎ。須賀川市内で迷ったとはいえ、目標の1時間で到着できた。

12:00-12:30
乙字ヶ滝は、かの俳聖松尾芭蕉翁が奥の細道の途中で立ち寄った地。「おくのほそ道」は二年程前に読んだ。その旅情溢れる内容にとても憧れたものだ。その時に私を捉えた俳句の心についてはブログにも書いた。それ以来、旅立ちの地である千住大橋を除けば初めて訪れる「おくのほそ道」ゆかりの地がこちら。芭蕉句碑滝不動尊が鎮座し、境内は公園として整備されている。聖徳太子の石像や芭蕉翁と同行の曾良の石像も閑静な公園に立っている。また、芭蕉翁の詠んだ句が句碑として残されている。
五月雨の滝降りうづむ水かさ哉

河原から見る乙字ヶ滝の滝姿橋の上から見た乙字ヶ滝は、少々拍子抜けする佇まいであった。が、滝不動尊から、そして河原から見る乙字ヶ滝は、百選に選ばれることも納得の威容。落差こそないものの、川を横切る段差のそこここで滝が落ちるさまは必見。先日の台風の余波が水量に表れているのだろうか、中央部の段差がくぼんだ箇所には轟音としぶきが存在感を放つ。落差を求める向きには物足りないだろうが、私には旅情を誘うに十分。19km自転車を漕いできた苦労も報われた想いだ。ただひたすらにシャッターを切りまくる。

台風の 傷を癒して 海行かん
秋雨や 舞台に集い 水しぶき

12:30-13:20
38キロの友滝を目前にすると1時間2時間は苦にならない私だが、さすがにkintone Café 福島 Vol.1を控える今、長居はできない。名残の想いを遺しつつ去る。橋を渡り、国道118号に合流する道を進む。と、ふと思いつき仮初めの相棒となった愛車を写真に残す。今回はパンクもチェーン外れも無縁の、頼もしい相棒だった。感謝!

乙字に倒れた稲帰りは同じ道を迷わぬように郡山へ進路を取る。が、帰りは迷わぬよう一直線に、、、ところがそんな私を惑わすモノが道中にはたくさん・・・まずは、田植えを目前にした稲。これが先日の台風の影響だろうか、綺麗に乙字型に倒れている。これもまた旅の一情景。
台風に 薙がれて稲穂 乙字かな

ウルトラマンゴモラ

エレキング
エレキング
ゼットン
ゼットン

須賀川駅せっかくなので、須賀川駅にも立ち寄る。ここは須賀川市の玄関口。駅前広場にはウルトラマンの像が変身のポーズで立っている。ウルトラマンと町を結びつける面白い試みは駅舎内でも見られた。そこで知ったのだが、M78星雲 光の国と須賀川市は姉妹都市提携を結んでいるという。一般市民も光の国に住民登録できたりするのだ。実は訪問前まで、失礼ながら須賀川市とは郡山市の陰に隠れがちの衛星都市のように考えていた。しかし、こうやって訪れてみると魅力的な街づくりに力を入れていることに気付く。坂が多く、自転車でうろつき回るには難儀する街だが、観光資源の豊かさではお隣の郡山にも引けを取らない。しかもゆくゆくは円谷英二、円谷幸吉の両氏を顕彰する記念館もできるのだとか。須賀川市にはまた来てみたいと思った。

13:20-14:40

さて、須賀川駅を後にした私、この時点で時間は13時20分過ぎ。そろそろ郡山に向かわねばまずい・・・。と急ぐ私の行く末には、福島の魅力がさまざまに形を変えて立ちはだかる。

下江持橋からの阿武隈川須賀川駅から北に進路を向けてしばらく走ると阿武隈川を渡る下江持橋にたどり着く。乙字ヶ滝以来、久々に見る阿武隈川だ。この橋から見る阿武隈川は実にゆったりと流れていた。大河の持つ器の広さとでも言おうか。この後も阿武隈川とは付かず離れず郡山に向かうことになる。阿武隈川と付き合ってみて思ったのは、安積地域の起伏が穏やかな地勢には、阿武隈川の穏やかな感じが似合っているということだ。今回郡山に訪れる前に私が印象として持っていたのは、郡山を中心とした安積地域が原発事故の風評被害に苦しんでいるということ。私はそれに何かしらの助けをしたいと思ってやって来た訳だ。そして、こうやって安積地域を走り回って思ったのが、まったく普段通りの姿であること。痛々しい姿も、肩肘張った姿も、人々の言動や山河のたたずまいからは感じられなかった。それも、阿武隈川のゆったりした流れから受けた印象なのかもしれない。

残土処理場の看板そんな私が、今回の2泊3日の間に唯一見かけた原発事故の余韻がこちら。下江持橋をわたってすぐの場所に掲げられていたこちらの看板からは、須賀川市もまた原発の余波に苦しんだ街であることが見て取れた。しかし、先ほど通りがかったフルーツ街道も、乙字ヶ滝のしぶきも、この後見る稲穂のざわめきも、原発事故などなかったかのように普段通りの日々を営んでいる。

みちのく自転車道とかかしさて、看板の存在を考えながら自転車を漕ぐこと数分、みちのく自転車道という案内看板を見かけた。実は下江持橋を渡った時点で、すでに往路とは違った道を通っていた。迷いかねない行いの上に、ここにきてさらにこのような魅力的な名前の自転車道が、、、。そして私はこの自転車道に乗り入れることを決意してしまう。頼れるのは己の方向感覚のみ。往路に須賀川の街中で迷ったことも忘れ、自分を過信するのが私の欠点であり長所なのだが。。。自転車道の入り口でこんな風にかかしに招かれたら普通は見過ごせないでしょ?

見えるはただ稲穂のみさて、みちのく自転車道に入り込んだ私。すぐに不安を一掃するような景色に出会う。それがこちらの写真。人家はおろか、文明の痕跡すらほとんど画面に映らぬ中、ひたすら続く黄金の稲穂の絨毯。しばしkintone Café 福島 Vol.1までのタイムリミットも忘れ、呆然と立ち尽くした。自然の力とは偉大だ。風評被害などというものは、この写真一つで吹き飛ばせるのではないか。畑に少し近づくと、路肩から次々と無数のバッタやカエルが母なる田んぼへと飛び込んでゆく。太古から繰り返されてきた微笑ましい生命の営みがここにはあった。先ほど見かけた除染処理の看板のことなど忘れさせるほど変わらない普段通りの光景。収穫の時を迎えようとする稲穂からは、豊穣の香りが立ち上る。
旅人を 迎えて稲穂 おもてなし

こんな素晴らしい景色を前にして、子供達を避難させよという主張の意味が分からない。
実は、昨晩、夜の郡山駅前で数名による街頭演説を見かけた。そののぼりに書かれた文章を読む限り、子供達を郡山から避難させよというのが彼らの主張らしい。だが、彼らのアジテーションたるや、今まで私が聞いたアジの中で最もひどく、聞くに耐えない内容だった。郡山の人々を罵倒し、自分たちの主張に従わないことが愚の骨頂のように言い募る。別の方のしゃべりは滑舌もリズムも悪く、何を言っているか良く聞き取れない。彼らはわざわざ彼らの主張の反対者を増やすために演説をしているようにしか見えない。これでよく郡山の人々が怒らないなあと思えるほど。アジテーション以前の拙劣極まりない内容だった。そして私は思う。彼らは郡山や須賀川近郊の全ての光景を目にした上でなお、子供を逃せという主張を述べているのだろうか、と。
私とて、まったく放射能が郡山に及んでいない、とは言わない。しかし、それを云えば私が住む東京都町田市も似たようなもの。だが、原子炉周辺の明らかに人体に害を及ぼすシーベルトは郡山では検知されていない。であるならば、ことさらに人々を惑わせてどうするのか。すでに郡山に生活基盤を築き上げた人々に、何をもって全てを捨てて移住せよいうのか。あまりに暴論。あまりに拙劣なアジテーション。郡山の人々に触れ合い、郡山周辺に広がる美しい山河を見た私は、彼らの主張にはっきり反対を申し上げたい。

阿武隈川を渡る水郡線の橋梁稲穂に出迎えられているかのような錯覚と感動の中、私は自分の方向感覚を信じ、みちのく自転車道にある看板から得られる情報を確かめながら北上した。それにしても、この自転車道、ほとんど人に遭わない。こんなに風情に溢れた自転車道だというのに。あまり存在が知られていないとしたら、実にもったいないことだと思う。だが、そのお蔭もあって、私は快適にみちのくの風を感じながら走ることができた。そして、かなり走ったところで水郡線の鉄橋が見えてきた。確か私の記憶では水郡線の鉄橋が見えたら郡山市ではなかったか?そして、それを裏付けるように、私が持っていた郡山の地図にそれが載っている。私の地図が再び役に立つようになった。ようやく郡山市に戻ってきた。あと少しだ。
それにしても、この鉄橋、なかなかよい感じ。鉄ちゃんにはとてもよい撮影ポイントではないか。私が通り過ぎた際にも一台の車が待機していた。多分鉄っちゃんが撮影を狙い済ましつつ、カップラーメンを食べている現場だったのだろう。あくまでも想像だが・・・私も時間に余裕があれば、一緒に麺をすすりながら、撮影のタイミングを待っただろう。

東北新幹線の阿武隈川橋梁水郡線の撮影を諦め、早くホテルに戻って一ッ風呂浴び、kintone Café 福島 Vol.1の会場に駆けつけねば、という私の思い。だが、そんな私の思いは、川の土手をさらに北上したところで頓挫する。そこには東北新幹線が阿武隈川を渡河する絵画的な景色があった。彼岸花ですよ。阿武隈川ですよ。そして東北新幹線ですよ。こんな絶好の写真ポイントを見つけて逃さない訳には行かないじゃありませんか。本数の少ない水郡線の通過に巡り合える幸運を待つよりは、頻繁に行き来する東北新幹線ですよ。シャッターチャンスにも恵まれるはず。このチャンスを活かさない手はないでしょ。

阿武隈川を渡るはやぶさと
彼岸花そう思った私だが、10分近く土手にしゃがんで待つことになる。ちょうど前の列車が通過した後だったらしい。しかし、迫り来るタイムリミットに耐えつつ待った私の前に轟音を立てつつやって来たのは多分はやぶさ。そしてこれが私の撮影の成果である。実に満足。
橋わたる はやぶさ追って 彼岸花

さて、写真を撮り終えた時点で、14:10分が迫っている。さすがにやばい。この土手からは、郡山の駅前で無類の高さを誇るビッグアイが見える。しかしそのサイズたるや、まだ肉眼で10cm程度。そしてこの時点ですでに私の足腰は疲れを見せ始めている。さすがに寄り道しすぎた、やばい・・・。ここからは寄り道せずに土手を疾走することになる。

私がコンフォートホテル郡山に戻ったのは、14:25のこと。駆け込むように部屋に戻ると、手早くシャワーを浴び、PCを準備して、エバンジェリストのポロシャツを着て飛び出す。まざっせプラザのお姉さんに伝えていた返却予定時間は14:30。結局私が返却したのは14:39頃のことだった。この十数分の私の行動たるや、疾きこと風のごとし。自分でも後から思い返してよくやったと思えるほどだ。ホテルからまざっせプラザまでは結構距離があるというのに。

14:40-18:00
まざっせプラザ入り口まざっせプラザのお姉さんからは、しっかりとラミネート化された会員カードを渡される。そればかりか、co-ba koriyamaへのバスルートもきちんと調べてくださっていた。素晴らしいご対応には感謝の言葉しかない。そしてお姉さんによると、私が向かうべきバス停の名前は、中央大町バス停という。場所はまざっせプラザから駅前大通りを挟んだ反対側。私の足は今にも攣りそうだったが、気合でわたる。バス停で時間を調べると14:41発のバスに間に合う!しめた!とやって来たバスに乗ろうとすると、そこで見知った方とばったり。

バス停にいらっしゃったのは、昨日のセミナーでお世話になった主催者の方。同じくkintone Café 福島 Vol.1会場へ向かうところで、私がまざっせプラザでバスの行き方を聞いていたことを知り、果たしてバスに乗れるかと気にかけてくださっていたのだ。なんと親切な。昨日に引き続き、郡山の人々の人情に触れた思いだ。会場までのバスの道中では、もう一方ともお知り合いに。昨日のセミナーにはいらっしゃらなかったけど、kintone Café 福島 Vol.1には参加されるとか。しかも町田を深くご存じの方。郡山の観光振興をされているその方も一緒に、私の行きたてほやほやの須賀川への旅の話題で盛り上がる。先にも書いた両円谷氏の記念館が開館予定であることは、その話題の中で教えてもらった話だ。いろいろなご縁が郡山を中心につながっていく様は、実に喜ばしい。

co-ba koriyama外観
あっという間にバス停に到着し、バス停からすぐ近くのco-ba koriyamaへ。なんと、15:00の開場に間に合った。38km以上走った末のぎりぎりの到着。開場には東京や横浜、秋田や仙台からのお客様も交え、大勢の人で熱気が渦巻いていた。私も、まだ息があがったままで汗がだらだらと流れている状態であったが、あらためて気合いが入る。

終了後の集合写真↑kintone Café 福島 Vol.1については、こちらのブログに記載しています。

18:00-23:00
ハイカラヤでの懇親会第一部の様子さて、kintone Caféは、kintoneを通した勉強会と親睦を兼ねた集まりだ。懇親会は欠かせない。昨日のセミナー後は飲まなかったので、この集まりでは郡山の人々と語らってみたいという思いがあった。そして実際、この酒席は実に楽しかった。接待のような上下関係のある飲み会が苦手な私。だが、この飲み会では、セミナー講師や登壇者としての意識の断絶を全く感じさせず、以前からの郡山に住む人のように酒席に溶け込めた。テーブルの下では私の足が痙攣し、飲み会の最後では寝てしまうという失態をやらかしたにも関わらず。とても気持ちよくお酒が飲めた。この二日間で思ったのが、私は郡山という街と相性が良いということだ。郡山には今までご縁がなかったはずなのに。出席されていた皆様、ありがとうございます!

また、この飲み会では、郡山の方の風評被害への憤りも少し伺えた。昨晩郡山駅前で見かけた街頭演説や、今日の須賀川で見かけた除染施設の看板など、原発事故がいまだ影響を及ぼしていることは感じられた。が、郡山と福島の街をあれこれ巡ってみて、そういった過度の不安は杞憂に過ぎないことも体感した。郡山は普通であり平常なのだ。郡山に住むほとんどの人はそう思っているし、私も実際に訪問してみてそのことを強く思った。それだけに県外から届く風評被害の心無い意見には悲しさと憤りを感ずるのだろう。私もこちらのエントリーを通して、そういった風評には異を唱えたい。

一次会会場のハイカラヤでは少し寝てしまった私。気持ちよく酔っ払ってしまったが、二次会の古酒屋では持ち直す。遠方からの方は一次会で帰ってしまったが、二次会では6人で楽しく語らうことができた。駅から数キロはなれた場所にもこういったおしゃれなお店が点在するあたり、郡山という町が一朝一夕に作り上げられた街でないことが良く分かる。古酒屋から郡山駅までは約3km。私にとっては楽勝の徒歩圏内だが、私に付き合ってか皆様も一緒に歩いてくださる。その道中では、夜風に吹かれながら徒歩でしか気づくことのない郡山の魅力を教えてもらう。地元の人々と街を語りながら歩くという機会はそうそうあるものではない。郡山という街がどうやって成り立って来たのか、酔った頭にも好奇心が沸いた。

同行の皆様とは三々五々別れたが、最後のお一方は、コンフォートホテル郡山まで、私のことをお送りしてくださった。郡山の方は掛け値なしに親切だなあと思う。感謝の念とアルコールに深酔いしつつ二日目の夜は幕を閉じる。

地図集

コンフォートホテル郡山からまざっせプラザへの経路(Google Map)
コンフォートホテル郡山からまざっせプラザへの経路

まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(Google Map)
まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路

まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(須賀川市境まで)(Google Map)
まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(須賀川市境まで)

まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(須賀川市内迷走)(Google Map)
 class=

まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(乙字ヶ滝付近)(Google Map)
まざっせプラザから乙字ヶ滝への経路(乙字ヶ滝付近)

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(下江持橋まで)(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(下江持橋まで)

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(みちのく自転車道1)(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(みちのく自転車道1)

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(みちのく自転車道2)(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(みちのく自転車道2)

乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(コンフォートホテル郡山まで)(Google Map)
乙字ヶ滝からコンフォートホテル郡山への経路(コンフォートホテル郡山まで)

コンフォートホテル郡山からまざっせプラザへの経路(Google Map)
コンフォートホテル郡山からまざっせプラザへの経路

まざっせプラザからco-ba koriyamaへの経路(Google Map)
まざっせプラザからco-ba koriyamaへの経路

co-ba koriyamaからハイカラヤ郡山あさひ通り店への経路(Google Map)
co-ba koriyamaからハイカラヤ郡山あさひ通り店への経路

古酒屋からコンフォートホテル郡山への経路(Google Map)
古酒屋からコンフォートホテル郡山への経路


弊社は、福島を応援します。(9/30版)


9/30

9:00-10:00
小田急線で新宿へ。そこから埼京線の通勤快速で大宮へ。道中、並走する東北新幹線を意識する。まもなくこれに乗って東北へ行く。ビジネスの旅とはいえ、高揚する思いは旅の始まりのそれと同じだ。不安は微塵もない。

10:00-11:00
郡山駅に到着したやまびこ45号10:06発のやまびこ45号に首尾よく乗車。宇都宮に停まると次が郡山。わずか二駅の旅。とはいえ、旅情に浸る間も惜しんでプレゼン資料の最終チェックを行う。文字の字切れや不鮮明箇所はないか、話す内容の構成に破綻はないか。うん。問題ないようだ。チェックの最中にも、ケータイ国盗り合戦も併せてチェック。特に宇都宮以北は未踏の地であり、全てが初制覇だらけなのだから。那須を過ぎると急にあたりの光景は山あいのそれへと変わる。自分のビジネスキャリアが今まさに白河の関を越えようとしている事を実感する。空は青く、たなびく雲は白い。不思議なほど緊張していない自分がいる。むしろワクワク感のほうが強い。

11:00-12:00
郡山駅前の広々した広場郡山到着。早速荷物を担いで駅コンコースへ。で、でかい・・・私の想像よりもかなり立派なコンコース。長野や仙台、盛岡のような県庁所在地の駅に降り立ったような感がある。郡山という街を軽くみていたのかもしれない。想像していた以上に大規模な駅のようだ。そして、そんな驚きは駅前広場でさらに強まる。堂々たる駅の面構え。駅前広場に集っては散るバス達。広場には滝が流れ、ベンチでくつろぐ人々にすら田舎の日向ぼっこの雰囲気は皆無。都会のベンチでくつろぐ人々のそれだ。

郡山駅前の広々した広場おや? 駅前広場に手形が・・・何やろ? あ、Greeeenの。あ、そうか、Greeeenって郡山か。この鮮やかな緑のドアは、何かのオブジェかな? あ、Greeeenにちなんだドアやった。セミナーに先立って郡山に縁のある人物や作品を調べてきたつもりが、すっかりGreeeenが抜けていた。そういえばミューカルとかいう音楽ホールも郡山にはあったような・・・

福島到着の第一印象は、駅の玄関口としての威容である。このような立派な面構えの駅前から受ける印象は都会以外の何物でもない。このような都会の商工会議所でセミナーを務めさせていただくことにあらためて襟を正す思いでまざっせプラザへと向かう。

まざっせプラザへは、レンタサイクルを借りるために向かった。事前に調べたところではまざっせプラザは郡山の観光案内所のような役割を担っているとか。自転車の予約空き状況も調べたところ、借りられそうだったので事前予約はせずに訪問。 開店早々だったのでまだお客様もおらず暇だったのだろうか。スタッフのお兄さんがとても親身に対応してくださった。郡山が初めての私に、惜しみなく情報を提供してくださる。開成館に行きたいというと、「お目が高い」とお褒めの言葉を頂戴してしまった。そして、夜のお勧め飲み屋や、郡山に来たならこれを食べてほしい、というクリームボックスの情報までも。もちろん、飲み屋のことは知らなかったし、クリームボックスも初耳。まざっせプラザでこうも親切な助言に触れたことで、幸先よく郡山に溶け込めそうな感触を受けた。まざっせプラザのお兄さんには感謝しないと。 http://www.mazasse.com/

さて、郡山の足を手に入れた私。この時点ですでに時間は11:30近く。13:00には郡山商工会議所に伺うお約束。しかも、一番大きいスポーツバッグが自転車の籠に入らないことが判明。お兄さんからは近くのうすい百貨店の地下にコインロッカーがあるという有益情報が。この情報もすごく助かった。

うすい百貨店ロッカー前のガラス戸
うすい百貨店へ。そして私は、ここでも郡山の人の親切心に触れることになる。入り口から地下に降りるとよくデパートにある大きなガラス戸がある。そしてその戸は閉まっていた。大きな荷物を持った私が戸を開けようとする間もなく、向こうからやってきた通りすがりのお姉さんが開けてくださったのだ。しかも、私がお礼したところ、「どういたしまして」とちゃんと言葉で応答がある。こういう何気ない動作に、郡山の皆様の民度と人柄が表れる。惚れてまうやろ~郡山~♪

さて、身軽になった私は、一目散に駅前大通りを西へ。目指すは開成館。でも、途中で大友パンに寄らねば!まざっせプラザのお兄さんからはガイドブックに載っている何店舗かのクリームボックスの扱い店を教えていただいた。中でも発祥の地である大友パンがおすすめだとか。地図を見たところ、大友パンは具合のいいことに開成館への道の途上にある。これは寄らねば!そしてクリームボックスを昼飯にしようではないか!

大友パンでのクリームボックス大友パンに着いた私は、早速クリームボックスを購入。プレーン味とカフェオレ味の二種類。食パンの上に、たっぷりとクリームを乗せたその姿は、他の地域では見られないインパクト。なるほど、確かに名物を謳うだけのことはあるなぁ。Retty

食料も調達できたことだし、あとは開成館へと向かうだけ。道中、マンホールの写真を撮りながら、自転車をこぎ続け、無事開成館へ到着。結局着いたのは12:00頃だった。

なぜセミナー前のわずかな時間に開成館に来ようと思ったか。その理由は二つある。一つは、マンホールカードの配布場所が開成館だったから。セミナーの自己紹介の際に「つかみ」としてマンホールカードの実物をぜひお見せしようと思った。そしてもう一つの理由は、郡山の街の風土を知るのに、安積開拓の生き証人である開成館を見るのがよいと思ったから。初めてお会いする方々の前でセミナーを始めるに当たっては、最低限その街のことを知っておくのが礼儀と思う。なので、たとえ1時間半しか余裕がなかろうと、自分の脚と眼で開成館を見、安積開拓の苦労と、その後の発展のきっかけを知りたいと思っていた。

↑今回、開成館で入手したマンホールカードについてはこちらのブログに記載しています。

12:00-13:00
郡山市開成館入り口上に紹介したブログにも書いたが、開成館の入り口にはマンホールカードが飾られている。「欲しいのですが」という私の言葉に受付のおじさんは快く応じてくださった。そればかりか、台紙までつけてマンホールカードについてのご説明をしてくださる。その台紙にはもう一箇所、郡山で配布するもう一枚のマンホールカードを挟み込むスペースがある。そのもう一枚の入手先である湖南公民館への行きかたを一生懸命に説明するおじさん。一連のやりとりを通し、郡山の人柄がこのおじさんに集約されている気がして、ますます郡山を好きになる。

門扉越しの開成館門扉越しに見る開成館の威容たるや、まさに明治の男たちの夢そのもの。ぜひ中に入りたかったのだが、ここで中に入るとセミナーに間に合わない。郡山滞在中に必ず再訪することを誓う。また、クリームボックスも開成館で食べようと思っていたが、良く見ると開成館の傍には斎場が。斎場の前でフォーマルな格好のおじさんがレンタサイクルにまたがり大口開けてクリームボックス・・・万が一にもこんな姿をセミナー参加者にさらすわけには行くまい・・・・断念して戻る途中で見かけた良さげな公園を昼食場所に定める。

開成山公園と今日の愛車さて、私が訪れたのは開成山公園。なかなかよさげな公園だ。郡山の街中を走って思ったのが、公園の多さ。この公園もにわか写真家の魂をうずかせる・・・そういえばまだ今日の愛車を撮っていなかったので、こちらで一枚。

開成山公園でクリームボックス
こちらが郡山でいただく初のお食事。郡山のご当地グルメことクリームボックス。うん。うまい。このこんもり感がたまらんね。時間がない私にはちょうどよい食事だった。あらためてまざっせプラザのお兄さんに感謝。

不死鳥舞う開成山公園それにしても、空が青い。なんという天気。こんな空の下で食べるクリームボックスはうまい。セミナー開始まであと1時間強というのがとても信じられないほど。ベンチに座って目の前の小僧の銅像を眺めていると・・・目の前の雲が不死鳥に見えてきた。いや、これはどう考えても不死鳥に違いない。クリームボックスを平らげた私は写真を撮りまくる。そして空に見惚れる。私が郡山でのセミナーが成功することを確信したのはこの時だった。すくなくとも壇上であがって支離滅裂になったり、プロジェクターや通信環境が途絶して立ち尽くす様なことはあるまい。
それだけの確信を、私はこの青空と不死鳥から受け取った。なんといってもこの雲は郡山、そして福島の再生。そして私自身のこれからの象徴なのだから。

不死鳥が 空に羽ばたき 旅路かな

開成山の大シダレザクラ麗山公園帰りの自転車を漕ぐペダルにも力が入る。途中立ち止まったのは開成山の大シダレザクラ。こういうのが道端に何気なくたたずんでいるのもよし。さらには麗山公園へ。この公園も開放感があり、それでいて洗練されている。ここまでで私にとっての郡山の街中のイメージはほぼ定まった。駅前は立派。通り過ぎた駅前すぐの歓楽街も淫靡に染まらず、あくまで夜の社交場の節度を保っているように見える。目抜き通りも活気を保っている。少し離れると公園や落ち着いた住宅街、歴史的建造物が控えている。グラウンドも開成山公園で見掛けた。郡山という街を走り回って感得したのは、街を形作るさまざまな要素がうまく配置されているという印象。街歩きが趣味の私にとって、住んでみたいと思わせる町だった。

安積国造神社商工会議所の場所を確認しつつ、街中に戻った私。うすい百貨店で荷物を取り出したのだが、またしてもガラス戸でお手伝いしてもらう。さっきとは違う方だったが私の発するお礼に対して返答が返ってくるのは同じ。なんというフレンドリーな街なんだろう。この期に至り、私はすっかり郡山が好きになってしまった。そんな高揚した気持ちのまま、まざっせプラザに無事自転車を返却し、お礼を述べつつ、荷物を持って商工会議所まで歩く。
おっと、まだお伺い時間には時間があるなぁ。安積国造神社で参拝をしなければ。その土地の国津神には参拝をし、その土地に敬意を表さないと。今回は旅人としてではなく、一人のビジネス人として来ているのだから。参拝を済ませ、いよいよ郡山商工会議所へ。

13:00-16:00

郡山商工会議所外観敢然と郡山商工会議所に入る。セミナー開始まであと1時間。それにしても洗面所で見た私はかなり汗だく、そして顔色も悪く見える。睡眠不足が続いたとはいえ、かなり病的。これはいかんと洗面所で念入りに顔を整える。そして会場となる五階会議室へ。私の第一印象は皆様にどう映っただろうか・・・

↑このセミナーの内容については、こちらのブログに記載しています。10/4付けの福島民報でも記事にしていただきました。

16:00-19:00

郡山駅東口セミナーが終わった私は、そのまま歩いて駅の反対へ。私が投宿するホテルは郡山駅の東口から少し歩いたコンフォートホテル郡山。このホテルはセミナー主催者の方に教えていただいた。評判も上々なのだとか。高揚した気分の私は、立体交差を越え、遠回りしてホテルへと向かった。郡山駅は西口が栄えているが、東口は一転して静か。それもそのはずで、駅の東口は貨物ヤードが広がり、その横には保土谷化学の郡山工場が広大な敷地を占めている。ホテルの窓からみた郡山駅東口は、西口とは違った顔を持っているようだ。
ホテルにチェックインした私は、しばらく旅の疲れを落とした後、夜の仕事の準備を行う。月末日なので月替わり処理の準備や、翌日に控えたkintone Café 福島 Vol.1の準備も進めないと。

夜の郡山駅東西連絡通路いったん、偵察もかねて夜の街に食事に向かった私。先ほどと違って駅の東西自由通路を通る。この自由通路が結構長い。400メートルほどあるらしい。なので、駅前にあるはずのコンフォートホテルからは600メートルは歩かないと駅のコンコースにはたどり着けないことになる。これが今後の郡山市の発展の上で障害とならねばよいのだが。東口では何かの工事が進んでいたようだが、すでに市当局も改善に向けて策を打っているのだろうか。

19:00-25:00

夜の街を歩き回ってラーメンを食べ、ホテルに戻った私。猛烈に作業を行い、23時過ぎにもう一度駅前へ臨むことになる。

金曜夜の郡山。それは昼間見ただけでは気付きようもない郡山の別の顔。私が毎月恒例の一人飲みの宿り木として伺おうと決めていたのはThe Bar Watanabe。こちらのバーは、kintone Café 福島 Vol.1の主催者の方よりお勧めバーとして教えてもらっていた。ところがこれが見つからない。同じブロックを三周ほどしてようやく見つけた。そしてその間に呼び込みのお兄さんお姉さんに何回も声を掛けられる。黒服の方々は、この界隈だけでも50人近くは見かけただろうか。でも、その呼び込みはしつこくない。こちらが手を振って断るとすっと引き下がってくれる。結構洗練されているかも。郡山って。

そして、私がようやく見つけたThe Bar Watanabeは、東京でもなかなか見られないほどの隠れ家度。The Bar Watanabeの入り口
内装も酒の種類も雰囲気も良い感じ。結局閉店の1時までお店にいついてしまった。The Bar WatanabeではArdbegとMaker’s Markの46プルーフ、さらに店主秘蔵酒をいただく。この秘蔵酒の正体とは、、、うー、書きたい。でもこちらの秘蔵酒は写真撮影すらNG。それもその筈で、この酒がこの値段で飲めるとは!という逸品だった。これ飲むためにもう一度訪れたいぐらいの。うー書きたい、けど書かないし載せない。Barへと続く通路

通路と外の世界を隔てる扉
でも、郡山のナイトライフも堪能できたのでよしとしよう。郡山の洋酒文化の成熟度も知ることができたし。なお、お勧めいただいたBarは他にも3軒。全てが良さそうで、行きたかったのだがすでに時間的に閉店の模様。これは再訪したい!満足しつつ郡山で過ごす最初の夜は更けて行く。

地図集

郡山駅からうすい百貨店への経路(Google Map)
郡山駅からうすい百貨店への経路

うすい百貨店から郡山市開成館への経路(Google Map)
うすい百貨店から郡山市開成館への経路

郡山市開成館からまざっせプラザへの経路(Google Map)
郡山市開成館からまざっせプラザへの経路

まざっせプラザから郡山商工会議所への経路(Google Map)
まざっせプラザから郡山商工会議所への経路

郡山商工会議所からコンフォートホテル郡山への経路(Google Map)
郡山商工会議所からコンフォートホテル郡山への経路

コンフォートホテル郡山からあさくさラーメンへの経路(Google Map)
コンフォートホテル郡山からあさくさラーメンへの経路

あさくさラーメンからコンフォートホテル郡山への経路(Google Map)
あさくさラーメンからコンフォートホテル郡山への経路

コンフォートホテル郡山からThe Bar Watanabeへの経路(Google Map)
コンフォートホテル郡山からThe Bar Watanabeへの経路


福崎の町に日本民俗学の礎を求めて


4月に福崎を訪れました。

福崎と言えば、日本民俗学の泰斗として著名な柳田國男氏の出身地です。

昨秋、友人たちと横浜山手の洋館巡りをした際、神奈川県立文学館で催されていた柳田國男展を訪れました。ただ、入館した時点ですでに閉館時間まで1時間しかなく、駆け足の観覧を余儀なくされました。短い間でしたが、柳田氏の生涯を概観して印象付けられた事があります。それは、氏が官僚を辞し、本格的に民俗学の探求を始めたのが40代半ばという事です。それなのに氏は日本民俗学を創始し、後世に巨大な足跡を遺しました。そのことは私のように中年にさしかかった者にとっては励まされる事です。柳田國男展の観覧記についてはこちらにアップしました。
生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよを観て

それ以来、福崎には一度行きたいとの思いは募るばかり。今回の関西出張に際し、1日休みを確保して福崎を訪れる事にしました。

なのに、例によって旅先で行きたいところを詰め込む悪癖が発症。福崎に滞在した時間は4時間と少し。そんな短時間では到底福崎を回りきれる訳もなく、次回の再訪に持ち越しとした箇所は両手に余ります。 そんな駆け足の訪問でしたが、柳田民俗学の揺籃の地としての福崎は目に焼き付けてきました。柳田氏自身が「日本一小さい家」と呼んだ生家と柳田國男・松岡家顕彰会記念館をじっくりと観て回れたのが良かったです。

福崎訪問マップ1
福崎インターから福崎駅までのルート
(クリックすると拡大します)

柳田國男生家を訪れる前に、福崎の町を車で流しました。福崎インターで高速を下り、典型的な郊外ロードサイドの風景を眺めつつ駅へ。駅の近くには旧市街の風情を残した道並みにも巡り会えました。駅からは福崎インターの方角へ戻り、インターを通り過ぎて柳田國男生家のある辻川界隈へ。車による移動だったため、街中を隈なく歩いたわけではありません。が、福崎を走って感じた捉えどころのない町という印象は今も拭えません。その印象は後日地図で確認しても同じです。どこが中心なのか分かり難い町。


福崎訪問マップ2
福崎駅から柳田國男生家付近までのルート
(クリックすると拡大します)
その印象は今も変わりありません。 銀行の支店や各種公共施設のある場所が町の中心点。私が今までに趣味の町歩きで得た経験則です。その伝でいけば福崎の中心とはすなわち銀行の支店のある場所と見なしてよいでしょう。福崎の町にある銀行の支店は駅周辺と福崎インター周辺に点在しているようです。福崎インターのすぐ側には町役場もあります。播但線の福崎駅と福崎インターという交通の結節点がすなわち町の中心点。地図から読み取れる福崎の地理はそのような構造になっています。ですが、私が訪れた際、福崎インター周辺に繁華街は見当たりませんでした。福崎駅近辺も同じ。駅付近には旧市街らしき由緒ありげな町並みはありました。が、その街並みも福崎の町のへそではなさそうです。結局、福崎にいる間、町の中心を見出せないままでした。

町の中心がないという事は、福崎の抱える地理的な条件による気がします。まず、町の東西を分断する市川の存在。さらには生野街道から離れた場所に設置された播但線の福崎駅の位置。それらは、福崎の発展に大きな影響を与えたと思われます。さらには播但有料道路が旧生野街道に取って替わるように南北を貫き、東西には中国自動車道が町を太く横切っています。昔よりも福崎の町が交通の結節点としての色を強めていることは間違いないでしょう。なのに、交通の要衝ではなく通過点でしかないのが今の福崎といえます。それらの交通網が町を結束させるどころか分断しているように思えました。

福崎訪問マップ3
柳田國男生家周辺の地図
そのようなとらえどころのない町の佇まいの中、柳田國男生家の周辺は、訪れた人の期待を裏切りませんでした。柳田少年が見たそれとは違い、今の風景が観光地化していることは確かでしょう。でも、現代人にはほっとできる風景であることに違いありません。

ただ、柳田國男生家の周辺が昔の風景を残していたとして、それは風景の中の話。私の目に映る福崎が、柳田國男少年にとってのそれと似通っている事が確認できただけの話です。肝心なのは柳田國男氏の築き上げた民俗学の礎を福崎に見つけられるかどうかです。その為に福崎に来たのですから。

そう考えると、生家周辺が農村風景を維持していようがいまいが、それは柳田國男氏の業績とは関係のない話です。確かに、福崎の町にヘソのない事は、柳田少年の心を旅人へと仕立て上げるには充分だったことでしょう。茫洋とした福崎の町並みにあって、その中に漂う風土のエッセンスを確かめたいという衝動。この衝動が少年を長じて民俗学へと向かわせたと言えなくもないのですから。

もちろん、柳田國男少年を民族学へと駆り立てたのは、そのような衝動だけではなかったはずです。福崎にあって松岡家は裕福ではありませんでした。それは五人兄弟という子沢山だったこともあるでしょう。でも、その五人が五人とも後に名を成したのですからすごいことです。柳田國男・松岡家顕彰会記念館と名づけられているのももっともで、この記念館で展示されているのは柳田國男氏のみではありません。他の四兄弟の業績や、父母のことまで紹介されています。長兄は医師で政治家としてあり、今でいう千葉の我孫子あたりの布佐町の町長まで務めた人物。次兄は眼科医の傍ら歌人としても皇室の御歌所寄人に撰ばれるほどの国文学の研究者。真ん中には柳田家に養子に入った國男氏。その下の弟は海軍軍人として大佐まで進み、病気で退役してからは言語学の学者として名を成しています。末弟は映丘という雅号で美大の教授として大和絵の大家となっています。五人ともがWikipediaに項目が設けられています。松岡五兄弟と称され後世でも顕彰されるだけのことはあります。おそらくは松岡家が貧乏だったのは、教育に金を使ったからでしょう。でもそれが後世に名を残すことになったのですから、そのことは安易に否定すべきではありません。記念館にはご両親の肖像画も飾られていましたが、この兄弟にしてこの親ありという面構えで私を射すくめました。

IMG_6504IMG_6491私が訪れた柳田國男生家は、昔ながらの茅葺の日本家屋。間取りとしては決して狭い家とは思えませんでした。少なくとも私には、柳田國男氏が日本一小さい家と呼んだのが卑下にすら思えました。でも、よく考えるとこの家屋に男五兄弟は狭すぎます。後には長兄が嫁をとり、その奥さんも同居したといいます。であれば、國男少年の記憶に日本一小さい家という記憶が染み付いたのも分からなくもないです。

この生家も随分昔、柳田國男少年が10歳のときに人手にわたり、辻川周辺を二箇所ほど転々とした後に福崎町が柳田國男生家として今の場所に移築した経緯があるようです。松岡五兄弟にとってみれば、福崎という町は終生郷愁を掻き立てられる地であったようです。しかし、身寄りのある親戚がいなかったため気軽に帰れる地ではなくなってしまいました。結局、長じた五兄弟の誰も福崎で暮らすことはありませんでした。でも、それぞれが郷愁を感じたのは確かのようです。柳田國男氏も「故郷七十年」という著書の中でこう述べています。

「村に帰っても、私には伯父も伯母もないので、すぐにお宮に詣って山の上から自分たちの昔住んでいた家の、だんだんと変形して心から遠く離れてゆくのを寂しく思い行く所といえばやはり三木の家であった。ゆっくり村の路を歩いて誰か声をかけてくれるかと期待しても、向うが遠慮して声をかけてくれない。私にとっては、山水と友だちになるとか、村人全体と友だちになるような気持ちで故郷に帰るのであったが、故處子の『帰省』の気持ちとだんだん違ったものになってきた」

この文章に柳田國男氏を民俗学へ向かわせたエネルギーが潜んでいると見るのは私だけでしょうか? もはや身寄りなく寄る辺もない故郷。しかしその故郷の風景や人々の暮らしが懐かしく思えてならない。喪われた故郷を自分の裡に再生するため、日本中を旅し、風俗を研究し、言葉の変遷を調べた。故郷再生こそが柳田氏の民俗学への情熱を支えた。私はこの文を目にしてそんな思いにとらわれました。

上の引用文にあるお宮、とは生家のすぐ脇に鎮座している鈴が森神社を指しているのだと思います。私も参拝しました。また、生家とお宮の間には路が上へと延びています。その先にあるのが上の引用文に出てくる山に違いありません。IMG_6502IMG_6507今回、この山へは時間を惜しんで登りませんでした。今更ながら登っておけば、と思います。登って山の上から辻川や福崎の町並みを一望するべきだったと思います。それぐらいこの付近は柳田國男少年の当時を保っているように思えたからです。かつてのよすがを思い起こさせるような静謐な環境の一方で、家族連れを呼び込むように、生家のすぐ前には辻川山公園が設けられ、その中の池には30分置きに河童の河次郎が現れます。これは私も目撃しました。池のほとりには河童の河太郎と天狗が待ち受けています。子供たちがうれしそうに河童の兄弟の30分おきの出会いを見守っていました。そのすぐ横には逆さ天狗が30分毎に現れるような仕掛けもできています。IMG_6479
辻川山公園からみたもちむぎの館
IMG_6488報道によれば丁度私が訪れる前の週から設置されたそうです。今回はタイミングを逃したのか見られませんでした。また、池のすぐ近くには福崎の物産を集め、食事もできる「もちむぎの館」といった施設も備わっています。きっかけはこういった観光施設でもいいのです。私も含めた観光客がこの地に訪れたことをきっかけに、柳田國男氏が生涯をかけて見つけようとしたものが何かを考えられればいいなと思います。少なくとも私には得られるものがありました。

IMG_6511
私が思う柳田國男氏とは、民俗学者である前に一人の旅人でした。違う土地の暮らしや人々の習俗に興味を持ち、調べて文章に著す。私がやりたいようなことを柳田國男氏は一生の業として歩まれました。氏が旅した当時、まだ日本にはかろうじて旧弊の文化が残されていました。それでいて、文明の利器-汽車-の力を借りて、効率的に各地を訪問できました。云わば、一番良い時期に旅に明け暮れる日々を送った訳です。それはただただ羨ましいばかりです。今回、四時間という時間ではあるものの福崎の地を訪問しました。そして民俗学者、旅人としての柳田氏の故郷を目にしたことで、ますます氏のような人生を歩みたいという思いが強くなりました。冒頭に書いたとおり、柳田氏が本格的に民俗学の探求を始めたのは40台に入ってからのこと。私もまだ間に合うはず。そのためにも今できる仕事をきっちりと仕上げ、自分の望む仕事スタイルを全うできるような基盤を作りたいと思います。IMG_6509


淡路島に地方創生の未来を見た


先日、4/23に淡路島に行って来ました。

淡路島といえば兵庫県。私の故郷です。海峡を挟んだ明石は父の出身地であり、つい数年前まで祖父母が住んでいた地です。淡路島は国産み神話の息づく、花咲く島としても知られています。しかし、そんな身近にありながら、私は淡路島をそれほど訪れていません。今回の訪問が生涯で10回目というところでしょうか。今回の旅は、淡路島の魅力を再認識すると共に、そこを舞台にビジネスと暮らしを両立させる試みに触れさせて頂く貴重な機会となりました。

昨年の秋、10/29に東京の上野でセミナーに参加しました。
「東京×兵庫 移住・起業促進セミナー〜暮らし方と働き方を選んで自分らしく生きる〜」
Facebookページ

今回の淡路訪問は、このセミナーへの出席がきっかけです。当時、私は兵庫で週半分とはいえuターン起業を企図していました。お仕事で懇意にしている方からのご招待を頂いたのを機縁に起業の人脈作りも兼ねて参加しました。実際、こちらで拝聴したセミナー内容や試食させて頂いた産物はとても魅力がありました。が、それだけではありません。ここで得たご縁は、今回の淡路だけでなく、それ以外にも様々なビジネスの展開を私にもたらしてくれました。このセミナーへの出席は私にとって一つの転機となりました。

このセミナーで知り合った方には、実際に東京での地位を擲ち、淡路で新たな勉強をし直す方がいました。東京から淡路に移住し、腰を据えてビジネスを展開されている方もいました。また、関西を舞台に様々な町づくり、コミュニティ再生をされている方もいました。実際にビジネス展開の上でITを使ったお手伝いのご相談も頂きました。ここで得た貴重な御縁を一期のものとしないためにも、今回の淡路訪問は何を置いても優先すべきものでした。

写真 2016-04-23 11 00 18
写真 2016-04-23 10 55 54
まず最初に訪れたのは、トキワ庵様。サブタイトルに「~淡路島サテライト&コワーキングオフィス~」と名付けられています。古民家を丸ごとリノベーションし、合宿も出来るコワーキングスペースとして再生利用しているのがトキワ庵様です。広々とした窓や縁側から見える景色は飾り気なしの素朴な農村風景。生の素材をそのままに提供したロケーションは文句なしです。雑念に惑わされず集中するのには打ってつけの環境といえるでしょう。ましてやディスプレイを凝視することの多い技術者にとっては、目の健康に欠かせない緑が存分に味わえます。目に良いだけでなく、耳にも心地良いウグイスの鳴き声がそこら中で春の訪れをしきりに告げています。心身の疲れを癒すにはとてもよい環境です。

写真 2016-05-14 2 15 10
淡路訪問の前後、私はとある案件を請け負っていました。一人きりの開発を選択したゆえ、相談相手といえば、Google先生かstackoverflow教授のみ。でも、トキワ庵さんで合宿していれば、誘惑に流されることなくチーム単位でのさくさく開発ができたことでしょう。孤独な闘いを挑んでいた私には、トキワ庵さんはとても魅力的な場所に映りました。

関西で開発をされている会社様はもちろんの事、関東に拠点ある会社にとっても、社員旅行先としても候補に挙げて良いかもしれません。お値段分以上の価値はあると言ってよいと思います。
トキワ庵さんFacebookページ

写真 2016-05-14 2 14 39
さて、我々が続いて案内して頂いたのが、challenge Farmです。こちらの農場、実は株式会社パソナ様が近隣の農場を借り上げて運営しています。近隣のこういった農場を何か所か借り上げ、パソナさんの事業として使用されているのだとか。我々が訪れた時、パソナグループの新入社員達が新入社員研修の一環として農作業を行っていました。パソナさんと言えば、日本橋の自社ビル内に農園を設けている事で知られます。私も見させて頂きました。こういった農を重視するパソナさんの姿勢は、全グループの新入社員研修という形にも現れています。

数年前に楽天グループが、社内公用語を英語に指定して話題を集めました。私は実はこの事をあまり評価していません。何故なら言語の違いはITの進化によって、ここ10年以内に意識されなくなると踏んでいるからです。もちろん、英語を公用語化する事で、論理的な考えやビジネスマインドが身につくという効果はあるでしょう。しかし、論理力やビジネスマインドを身に付けたところで、ITの進化の前には霞んでしまうに違いありません。

一方、農という人間のプリミティブな可能性に着目したパソナさんの選択には大いに賛成します。地に足のついた農の重要性を学んだ人材が、あるいは将来の日本を背負って立つのかもしれません。こちらのchallenge Farmでは、新入社員一人一人が農作業に従事し、同時に、自らの労働時間、原材料、肥料、シートや柵に至るまで、全てをコスト計算する事が求められているとか。単なる土に還れ的な精神論、泥まみれの根性論だけではありません。農作業を通じて社員として必要なビジネス感覚の養成の場として位置付けているのです。私はその事にとても感銘を受けました。かつて私はパソナグループの社員として働いていました。もし当時の自分がこういった研修を受けていたら、今の私は果たしてどうだったろうか、という空想にまで思いを馳せました。

challenge Farmでは、企業研修の受け入れや、団体観光客の農業体験の受け入れで収入を得ているようです。ゆくゆくは私自身も利用させて頂く機会があれば嬉しく思います。

IMG_6434さて、農業は生産だけではありません。小売りまでカバーしての農業です。その発想から出た実践の場こそが、我々が続いてご案内頂いた「のじまスコーラ」です。ここは旧淡路市立野島小学校の建物をパソナグループが無償で譲り受け、全面的に改装して使用しています。その結果、街の商業施設として賑わいの中心を担っています。
のじまスコーラWebサイト

「のじまスコーラ」の随所に元小学校の名残が残されていました。地元の卒業生にとってみれば懐かしき母校が再利用されている姿は嬉しいものです。地元の農家から見れば農作物の販売拠点として恰好の存在になってくれれば作物の育て甲斐もあります。観光客にとっては道の駅とは違う、ユニークな観光スポットとして分かりやすい存在です。私自身、「のじまスコーラ」の存在は東京にいた時から知っていました。実際に訪れた「のじまスコーラ」は、とても繁盛しており、順調な様子が見受けられました。教室がお洒落なレストランと化し、フィギュアの博物館と化し、美味なパン屋さんと化し、BBQの場と化して有効利用されている姿は、地方創生の活きた実例として申し分ないと云えます。

写真 2016-05-14 2 14 23
写真 2016-04-23 12 35 18われわれは、次いでMieleという播磨灘に面したレストランに案内頂きました。ここもパソナグループの手による運営だそうです。スタッフの中の何人かは新入社員で、社員研修の一環として働いているのだとか。名物である玉ねぎや淡路牛を使ったハンバーガーは正に絶品。我々四人はノンアルコールビールで乾杯しましたが、お店の雰囲気だけで十分に酔えました。
Miele

トキワ庵からMieleに至るまで、パソナさんの地方創生に掛ける意気込みはしかと受け止めました。運営している方々はパソナグループの中で募ったところ手を挙げた有志だそうです。それぞれがかなりの裁量を持って運営していることが伺えます。我々を案内して下さったIさんもまさにその一人。充実した感じが眩しいぐらいでした。

パソナ創業者の南部氏といえば、私にとっては大学の先輩にあたる方。とはいえ今回の訪問まで南部氏の御出身が淡路島の対岸の舞子とは知りませんでした。しかし、淡路島への資本投下も、単に故郷に錦を飾るだけとは思えぬほどの本気度です。そしてその本気こそが、一流企業の社会的責任-CSRの在るべき姿ではないかと思えます。

今の日本社会が抱える問題は多々あります。保育園不足や過疎化、医師不足など。そして、その問題のいくつかを解決する為の有効な処方箋とは、一極集中の解消にあるのではないでしょうか。さらに言えば、一極集中に対して有効な策を打てるのは、国や自治体、中小企業よりも潤沢な資本を持つ大企業です。本社こそ東京にあれ、地方にくまなく拠点網を廻らす大企業は、経営者の意思一つで地方に重心を移すことも出来ます。ましてやネットがこれだけ発達した現代ならなおさらです。

パソナさんの淡路島における地方創生事業は先進的な取り組みとして、あるいはCSRの在るべき姿として評価したいと思います。

さて、我々が続いて向かったのは、兵庫県立淡路景観園芸学校です。こちらは、園芸や景観といった緑を活用したノウハウを教える社会人大学としての性格が強い学校です。淡路といえば玉ねぎやハンバーガーといった名物以外にも花や園芸が盛んであることでも知られています。かつて、淡路島ではジャパンフローラ2000、いわゆる淡路花博も開催されました。新婚当時、私も見に行きました。

IMG_6447学校の中をご案内して下さったのは、Tさん。東京での華麗なキャリアから一転、新たなビジネス創出のため淡路で一から園芸を学ぼうとする向上心の持ち主です。その行動力にはただ頭を垂れるのみです。Tさんには寮の自室から教室、教授室、温室、さらには畑や飾り壇、学食のカフェテリアなどを案内頂きました。瀟洒な校舎を囲むように園芸や景観を学ぶための諸施設が点在し、じつに贅沢な環境が設えられています。
学校ホームページ

IMG_6449その贅沢さは人口密度の少なさにも表れています。我々が訪れた土曜日というタイミングを考えても、ほとんど人に会うことなく闊歩できたキャンパス。それはほぼ独り占めと言ってもよいほどです。近所の馬場から遠乗りでやって来た二頭のお馬さんに遭遇しました。サボテンと乗馬の取り合わせはまるでメキシコ。そのような偶然の演出さえも、観客は我々のみという贅沢さ。素敵な出会いもこの学校ならではです。地元の主婦の方々がフリマらしくお店を出されていましたが、売り上げが上がったのかどうか心配になります。誰も客のいないカフェテリアは営業中でしたが、パートさんお二人がシフトに就かれていました。客は我々三人以外には老夫婦のみ。収支状況が気になります。

とにかく浮世離れしたような環境ですが、学び舎としての魅力は抜群です。ただし、あまりにも贅沢な空間の広がりに、逆に採算性が心配になって来るほど。Tさんもその辺りを心配されていました。私も淡路の片隅に花咲いたこの別天地が立ちいかなくなる事態は望みません。機会があれば東京でもこちらの学校のPRのお手伝いをしたいものです。

園芸や緑化は公の仕事。そんな暗黙の了解があります。でも、本当に私企業が園芸や緑化の事業に参入する余地は無いのでしょうか。アイデア次第では、ビジネスとして成り立ちつつ、働く当人が癒されるような仕事のタネは転がっているはず。その気付きが、こちらの学校で得られなければ、一体どこで得られるというのでしょう。特にITと園芸とのコラボレーションには、新たなビジネスの鉱脈が埋もれて居る気がしてなりません。畑を耕して得られるものは何も作物だけではありません。ビジネスの種もきっと掘り起こされるのを待っているはずです。実際、IT技術者には心なしか土いじりが好きな人が多いように思います。案外、ITと園芸とは、相性の良いもの同士かもしれませんよ。こちらの学校への入学にあたっては、兵庫県からも手厚い補助金が出るようですし、興味ある方はセカンドライフの有望な選択肢として含めてみてはいかがでしょうか。もちろん私自身も含めて。

終わりに。

今回、淡路島に来て思った事があります。それは、今や淡路島は行き来に不便な島ではない、という事です。帰路は一緒に同行して頂いたHさんに淡路サービスエリアまで送って頂き、そこから独り、バスでJR舞子まで出ました。片道運賃はわずかに410円。安価な出費で海峡バス渡りの贅沢が楽しめました。かつてのように西宮から甲子園フェリーに乗ったり、明石からたこフェリーに乗ったりといった船旅のイメージはもはや過去のもの。未だに淡路島を遠隔の地として見ているのであれば、その認識は改めなければなりません。少なくとも私はそう思いました。淡路島の魅力は、関西のみならず中京や首都圏の方々にこそ伝えられるべきです。それも単なるレクリエーションの場としてだけではなく、ビジネス創出の場として。

淡路島から、新たな日本の国産み神話が生まれる。そんな感想さえ抱いた今回の旅でした。最後になりましたが、今回の旅でお世話になった皆様、特にIさんTさんHさん、本当にありがとうございました!